例のとおりひるめしのそばを食べに出たら、繁華街の裏通りで女のくず屋が車をとめて、子供たちに食事をさせているのを見た。車の上は手作りの箱になっていて、買った物を入れるのだろう。ぼろきれや束ねた雑誌などがわずかにあり、その上に二歳くらいの女の子が座っている。母親の年はわからない。三十代ともみえるし四十過ぎともみえる。車の前端に腰をかけ、えりをひろげて赤児に乳をのませてい、そのわきに五歳と四歳くらいの男の子が、ふかした芋を食べている。車の中の子も両手にふかし芋を持って、左右を代る代る食べるのだが、歯が生えそろっていないためか、なかなかうまく食い欠けないようであった。
どこででも、いつでも見られるけしきだが、あまてらす景気といわれる側の人たちの目にはとまらないだろう。裏町のほこり立つ道の上で、四人もの小さい子供に食事をさせる気持ちはどんなだろうか。子供たちのほうは平気らしい。うまく芋を食い欠けない幼児は、車の中でじれて、いきんだりうなったりしているし、二人の男の子は自分のを食べながら、すきがあったら相手の芋を奪い取ろうとねらっている。
私は道のカドに立って、タバコを吸いながらさりげなく見ていたのだが、実際に五歳くらいの子が、四歳くらいの子の手から、すばやく芋をふんだくり、さっと自分の口の中へほうりこんでしまった。その芋はその子のこぶしよりずっと大きく見えたのに、なんの苦もなく小さな口へすぽっとはいってしまい、四つぐらいの子は泣き声をあげながらむしゃぶりついて、おれの芋だとわめきたてた。
「なにをばたばたあばけてるだ」と母親がしかった、「なにがどうしたのさ」
五歳くらいの子が即座にいった、「おれの芋をよこせっていうんだ」
いまほうりこんだ芋はどうなったのか、口の中にはなにもないような、はっきりした言葉であった。母親は泣き声をあげている小さいほうのほおを、平手でかなり強くたたいた。
「このずくなし」と母親はいった、「兄のくせに弟の物を欲しがるまぬけがあるか」
五つくらいにみえるほうが弟だったのである。四歳くらいにみえる兄はべそをかき、車の中の幼児はよだれにまみれた顔を芋だらけにして、うなったり、じれて暴れたりしていた。
その女はかれらを、託児所へ預けることもできないのだろうか。もしも夫がなく、ほかに頼る者もなく、小さな四人の子を、自分ひとりで育てながら生きてゆくとしたら、夜半の寝ざめなどにどんなことを思うだろうか。
あまてらす景気のこちら側には、これよりもっと悲惨な、救われがたい人たちが数えきれないほどいる。
鉄道の沿線は広告看板がひしめき並んで、せっかく美しい風景を隠すばかり。都大路のでこぼこな狭い道を、大型小型の乗用車やトラックや電車やバスが、際限もなくすし詰めになって走り、ハニー・バケットが真昼の太陽を浴びて誇りかに往来している――こういう国へオリンピックを招き、異国の客たちに見られることをいささかも恥としない、ただもうオリンピックをやれば文明国のなかま入りができるという稚気や、便乗して金もうけをたくらんでいるような人たちを思うと、私はむしろくず屋になって、路上で子供とめしを食うほうが日本人として良心が安まるというふうな、感傷的な気分におそわれるのであります。
食うために働くということが、露骨にあらわれる年末となった。私はいま景気のこちら側で、夜明けちかい机に向かい、こごえる手指に息を吹きかけながら、あの女くず屋の次男坊のように賢く、そしてすばしこく、だれかの芋(というのはだれかにゆくべき原稿料という意味であるが)をふんだくってやろう、と意気ごみつつペンを持つのである。では失礼。
「朝日新聞」(昭和三十四年十二月)