好みの移り変り

山本周五郎




 私は去年あたりから喰べ物の好みが変ってきた。牛鍋がだめ、かばやきがだめ、そのほか魚類でも砂糖と醤油で濃く煮たのはだめだし、海老えびなどは伊勢海老からまきまで、てんでうけつけなくなった。およそ十年くらいまえまでは、三日と牛鍋を喰べないことはなかったし、翌日その残りの鍋底に舌鼓を打ったものであった。それがいまは考えるだけで胸がつかえてくる。
 この夏さるところで外泊した翌朝、――こういう場合には例外なく若い友人たちと飲みつぶれたあとであり、その友人たちといっしょに泊るのであるが、――私が牛鍋を嫌うようになったのは、もっぱら心理的誘因が他にあるので、喰べてみれば喰べられないわけがない、と友人たちが断言するので、それではということになった。あとで考えれば若いかれらが喰べたかったのだ。前夜の酒で減衰した精力を恢復かいふくさせるためには、いちばん手っ取り早い喰べ物だからである。
「ぼくはこっちにいる」と私は座を移った、「その障子をあけてくれ」
「どうしてです」と一人が云った、「クーラーがはいってるのに障子をあけるんですか」
「風上にいたいんだ」と私は答えた。
 煮る匂いをがなければいいだろう、と思ったのであるが、それは浅慮の至りであった。
 幾つかの大皿に肉と具を盛ったのが並び、熱した鍋で脂が焼けはじめると、嗅覚きゅうかくに先んじて視覚がたじたじとなった。これではならぬと眼をそらし、水割りをあおって神経をだましにかかったが、いよいよ鍋の物が煮えだすなり、砂糖と醤油と肉と入り混った、こってりとした匂いがあたりに充満し、風上もへちまもなく、私の胃袋はたちまち窒息しそうになった。私はさりげなく他の座敷へ逃亡し、チーズとセロリーを噛みながら水割りを啜り、そして自分自身に云いきかせたものだ。「これはなにかの心理的誘因などじゃあない、口の好みが変ったのだ、つまり、乳ばなれのようなものに相違ない」
 しかし肉類が嫌いになったのではない。牛肉でもシチューとかローストとか、ハッシュにすれば好んで喰べるし、少量ならステーキも喰べる。ベーコン・エッグ、ハム・エッグは手作りで喰べるくらいだし、チーズは輸入されるほとんどの種類のどれかを毎日欠かしたことがない。
 海苔のりと卵と味噌汁で朝めしとか、湯豆腐と刺身と甘煮うまにで晩めし、などということも私にはまだできない。どうしてもローストかシチューか、白身の魚ならグラタンぐらいがないときげんがよくないのである。そのうえ、うまい物屋を捜すなどということは従来もなかったし、これからもそんな欲望はないだろう。
 食事は自宅で喰べないとおちつかないし、それもかみさんの料理したものに限るのである。
 たびたび書いたことだが、私は仕事場で独りぐらしをしているから、客がなければ散歩のあとざるそばを半量ほど喰べて済ませるが、客があるときはレストランかてんぷら屋か、うなぎ屋へでかける。だが私自身は箸をつける程度で、たいていはブドー酒かビールか水割りを啜ってごまかしてしまう。かばやきはともかく、てんぷらでも洋風料理でも、うちのかみさんの作った品のほうが、つねに、はるかにうまいからだ。これは「私の口に合う」というほうが正しいかもしれないけれども、たとえばドミグラス・ソースにしても、使えるまでには二週間ちかくかけるし、シェリーや赤ブドー酒を惜しみなく入れ、これらにもまして「うまく喰べさせよう」という愛情がこもっているからだと思われる。
 戦争まえ大森に住んでいたときのことだが、駅の隣りに「ふじ屋」というフランス料理店があり、晩秋から冬にかけてフランス流の土鍋料理を自慢にしていた。或るとき野鴨のがもの煮込みを取ったところ、ソースがドミグラスであり、私の舌にはピンとこなかった。
「ちょっと」と私は支配人を呼んだ、「これにはもう少しトマトの味をきかせたほうがいいんじゃないかな」
「とんでもない」人の好い支配人は慌てて手を振った、「うちのコックはやかましい男ですから、どうかソースのことなどに文句をつけないで下さい」
 私は黙って帰った。まだ若いころだったから「フランス料理」という看板を外して持っていっちまおうかと思ったくらいであった。よほどの名人でない限り、煮込み料理に使うソースは客の好みをきくべきである、と信じていたからだ。それから幾日かのち友人と「ふじ屋」へいったら、例の支配人がやって来て云った。
「先日は失礼しました」この好人物はにこやかに微笑した、「あのソースのことを話しましたところ、コックがためしてみまして、野鴨の煮込みのソースにはトマトの味をきかせるほうがいいようだと云っておりました、はい」
 私はそのとき「穴があったらはいりたい」という言葉が嘘でないことを知った。もっともその店ではのちにも失敗したことがある。作曲家の石田一郎といっしょだったと思うのだが、魚のフライにステーキかなにか喰べたあと、急にスープが欲しくなって注文した。私は飲むにも喰べるにも、気の合う友達としかつきあわないし、少し酒がはいるとおしゃべりになる癖がある。そのときもなにか勝手なことをしゃべっていたのだろう、スープがはこばれてきてからはっと気がついた。
「ちょっときくがね」と私が最高にてれながらウェイトレスに云った、「料理のいちばんあとでスープを取るような客はないだろうね」
「いいえ」とそのウェイトレスはあいそ笑いをしながら答えた、「たまにはそういう方もいらっしゃいます」
 私はその店はかなり馴染なじみだったので、厨房ちゅうぼうでは例のコックが、かつて同じ客からソースの注文をされたことを思いだして、大いに嘲笑ちょうしょう悪罵あくばをならべたであろうと思う。――なんのためにこんなことを書きだしたのか、そうだ、そのころまではドミグラス・ソースも、うまい店が少なくなかった、ということが云いたかったのだ。
 他人の書いた食物や自慢料理を読むのは好きである。この「あまから」も愛読誌の一つであるし、寄贈誌でなにより先に捜すのは食物の記事である。そして、これはうまそうだと思うと、すぐさまかみさんに作ってもらうが、乗り物に乗ってどこそこまで喰べにゆく、という気持になったことはない。偶然ある店へはいって、うまい料理にぶっつかると、飽きるまでその店へかようけれども、私は根がけちだから、その店も料理の品名も決して他人には教えないのである。
「あまから」(昭和三十九年三月)





底本:「暗がりの弁当」河出文庫、河出書房新社
   2018(平成30)年6月20日初版発行
底本の親本:「雨のみちのく・独居のたのしみ」新潮文庫、新潮社
   1984(昭和59)年12月20日発行
初出:「あまカラ」甘辛社
   1964(昭和39)年3月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:noriko saito
2025年12月17日作成
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