私は去年あたりから喰べ物の好みが変ってきた。牛鍋がだめ、かばやきがだめ、そのほか魚類でも砂糖と醤油で濃く煮たのはだめだし、
この夏さるところで外泊した翌朝、――こういう場合には例外なく若い友人たちと飲みつぶれたあとであり、その友人たちといっしょに泊るのであるが、――私が牛鍋を嫌うようになったのは、もっぱら心理的誘因が他にあるので、喰べてみれば喰べられないわけがない、と友人たちが断言するので、それではということになった。あとで考えれば若いかれらが喰べたかったのだ。前夜の酒で減衰した精力を
「ぼくはこっちにいる」と私は座を移った、「その障子をあけてくれ」
「どうしてです」と一人が云った、「クーラーがはいってるのに障子をあけるんですか」
「風上にいたいんだ」と私は答えた。
煮る匂いを
幾つかの大皿に肉と具を盛ったのが並び、熱した鍋で脂が焼けはじめると、
しかし肉類が嫌いになったのではない。牛肉でもシチューとかローストとか、ハッシュにすれば好んで喰べるし、少量ならステーキも喰べる。ベーコン・エッグ、ハム・エッグは手作りで喰べるくらいだし、チーズは輸入される
食事は自宅で喰べないとおちつかないし、それもかみさんの料理したものに限るのである。
たびたび書いたことだが、私は仕事場で独りぐらしをしているから、客がなければ散歩のあとざるそばを半量ほど喰べて済ませるが、客があるときはレストランかてんぷら屋か、
戦争まえ大森に住んでいたときのことだが、駅の隣りに「ふじ屋」というフランス料理店があり、晩秋から冬にかけてフランス流の土鍋料理を自慢にしていた。或るとき
「ちょっと」と私は支配人を呼んだ、「これにはもう少しトマトの味をきかせたほうがいいんじゃないかな」
「とんでもない」人の好い支配人は慌てて手を振った、「うちのコックはやかましい男ですから、どうかソースのことなどに文句をつけないで下さい」
私は黙って帰った。まだ若いころだったから「フランス料理」という看板を外して持っていっちまおうかと思ったくらいであった。よほどの名人でない限り、煮込み料理に使うソースは客の好みをきくべきである、と信じていたからだ。それから幾日かのち友人と「ふじ屋」へいったら、例の支配人がやって来て云った。
「先日は失礼しました」この好人物はにこやかに微笑した、「あのソースのことを話しましたところ、コックがためしてみまして、野鴨の煮込みのソースにはトマトの味をきかせるほうがいいようだと云っておりました、はい」
私はそのとき「穴があったらはいりたい」という言葉が嘘でないことを知った。
「ちょっときくがね」と私が最高にてれながらウェイトレスに云った、「料理のいちばんあとでスープを取るような客はないだろうね」
「いいえ」とそのウェイトレスはあいそ笑いをしながら答えた、「たまにはそういう方もいらっしゃいます」
私はその店はかなり
他人の書いた食物や自慢料理を読むのは好きである。この「あまから」も愛読誌の一つであるし、寄贈誌でなにより先に捜すのは食物の記事である。そして、これはうまそうだと思うと、すぐさまかみさんに作ってもらうが、乗り物に乗ってどこそこまで喰べにゆく、という気持になったことはない。偶然ある店へはいって、うまい料理にぶっつかると、飽きるまでその店へかようけれども、私は根がけちだから、その店も料理の品名も決して他人には教えないのである。
「あまから」(昭和三十九年三月)