仕事に明け仕事に昏れるという生活で、あまり人とも会わず、会うのは
殆んどが仕事に関する人だけで、家族とも離れているから、特に「某月某日」というような変ったことはない。まるで刑務所へ入っているようなもので、昼めしを食べに外出するほかは、新聞も見ずラジオも聞かず、読むか書くかするほかにはなにごとも起こらないのである。どうにもしょうがない、過去のことなら話題は少ないほうではないが、いま過去のことなどを言ってみたところで面白くもない。なにしろ仕事をするか、仕事に関係のあること以外には、興味もなしかかわりたくもないのだから、われながらその貧乏性に呆れるだけである。どうしようもない。朝二時に起きる、なんということを言ったところで仰天する人はあるまいし、朝めしは自炊で食べるとか、午後八時には寝てしまうなどと言ってみても、「ああそうか」と言われればそれまでのことで、事実またそれだけのことにすぎないのである。しょうない。ときたま東京へゆくとたいてい沈没してしまい、「足が出る」どころか、両手両足に首まで出してしまって必らずどこかの社に迷惑をかける、などということは言いたくないし、聞くほうだって面白くはないでしょう。――ここまで書いて来たら、むらむらとよからぬ考えがうかんできた。こんなことはよくない、こういうふうに字に書いてみると、じつにつまらないなっちゃない生活である、少なくともこの航路から十五度は舵をそらさなければならない。私はいま自分に号令をかける、「舵輪を廻せ」
「小説新潮」(昭和三十三年十月)