私は国外旅行の経験はないし、これからもそんなことはしないつもりである。したがって外国の事情にはまったく無知であるが、近ごろの旅館のマンモス化は、世界共通の現象であるのかどうかを知りたいと思う。
――一千名さまはいオッケー。という某旅館のコマーシャルをT・Vで見聞したとき、私はすぐに食中毒のことを考えた。旅行シーズンはまた陽気の変りやすい時期であり、一千名さまの予約を、はいオッケーと受けた旅館の料理場を想像すると、ぞっとさむけがするのは私だけであろうか。もちろんそういう旅館はスタッフ全員が専門家であるから、客に食中毒を起こさせるような手ぬかりはないに相違ない。客のほうでもそこは覚悟ができていて、ちっとやそっとのことでは
私はマンモス旅館に泊ったことはない。団体旅行というのもしたことがないし、将来もしないであろうことは確実と云ってよい。にもかかわらず、このように非難めいた拙文を
山中温泉にはずっと若いころいったまま、三十年以上もたった、いまから数年まえ、二度めに取材のためおとずれ、去年が三度めの訪問であった。旅館は数年まえに泊ったのと同じ吉野屋であり、たいそう気にいったのでまた泊ったわけである。建物が大きく立派であるのに、サービス・スタッフも熟練していてこころよかった。私たちは夕食をたべ、菊五郎というお
「ははあ」と私は
「よし」と私は云った、「おれを一人おっぽりだして、気持よく朝寝坊をしようという、申し合せでもしたんだろう、そうさせておくと思ったらおあいにくさまだぞ」
私はグラスを置いて立ちあがり、廊下へ出ていった。うろ覚えの見当で廊下を曲ってゆくと、ここだと思い当る扉をみつけた。ノックをして扉をあけると、向うに次の扉があり、狭い踏み場にスリッパが二足揃えてあった。一足は私のはいているのと同じスリッパであるが、他の一足は桃色の、明らかに女性用のものとわかり、私はびっくりしてそこからとびだし、扉をそっと閉めた。男女二足のスリッパが揃えてあるとすれば、いずれよしあるカップルにちがいない。とんでもないところへとび込んだものだ、あぶなかったと思い、しんじつの意味でひや汗をかいた。
「
私は立停り「のぶさーん」と叫び、「くにのりー」と叫んで聞き耳をたてた。若い友人のくにのりは耳ざといたちで、私が呼べばたいていの場合すぐに返辞をするのが通例であった。それがぜんぜん反応がない、話し声も聞えないのである。私は廊下を
「ちょっと聞きますが」と私は女中を呼び止め、私の顔を判別してもらうため、指で自分の鼻をさし示した、「この、ぼくのつれの部屋はどこでしょうか」
女中さんは済まなそうに、あいそよく微笑しながら答えた、「さあ、わたくし交代したばかりですからわかりません」
なるほど、交代という手があったんだな、私は礼を述べ
「どうして旅館をこんなに大きくするんだ」と私は憤然と独り言を云った、「同じ家屋の中に泊りながら、つれと会うこともできないとはふざけたはなしだ」
廊下を曲ったところで、こんどは若い番頭さんに出会った。どうしてみのがすことができよう、私は彼を呼び止めた。
「きみ、済まないがね」と云って私は自分の顔をその若い番頭さんの前へ差出し、私の人相をよく相手に認識させてから、とりいるように微笑した、「――ぼくのつれがどこかにいるんだが、どこにいるかわからないかね」
その若い番頭さんはあいそよく頬笑み、私の顔を眺めてから首を振った。私の顔を眺めたのは、私が見せようとしたからなのであって、彼がそのことに
「さあ」とその若い番頭さんは云った、「わたしは交代したばかりでわからないんですが」
私は礼を述べ、彼をひきとめたことの詑びを云って彼と別れた。
私はほかにどうしたらよかったろうか。そういう大きな立派な旅館、サービス・スタッフの熟練しゆき届いた応接。さすがにわが好もしき宿舎であることに間違いはないが、同伴者の所在が不明であり、それにスタッフの交代という条件の輪を掛けて、私を孤立させてしまったのである。私はその立派で大きな建物構造を心の中で
「だめだな」と呟いた、「きっと三人とも蒸発しちゃったんだろ」
私は夜具の上に坐り、水割りのグラスを取って啜り、そうして旅館のマンモス化と、消えてしまった三人について、老いぼれたやもめ男のような、湿っぽい怒りとかなしみにとらわれた。
もちろん三人は蒸発してしまったわけではない。やがてつぎつぎにあらわれ、朝食をともにしたうえ、撮影にでかけた。山中の宿では右のような経験をし、次に粟津へまわった。ここも数年まえに来たT館という宿で「御殿」と称するはなれがある。母屋から渡り廊下で池を越したところにあり、寝殿造りの釣殿といった形式で、中央に五十
私はシャワーは使うが風呂は嫌いである。温泉宿へ仕事を持っていっても、よほどのことがなければ浴槽へははいらない。その理由については書いたことがあるし、ここでは必要外なので省略するが、ともかく独りで飲みはじめ、三人があがって来るとさらに景気よくグラスを
私は沈没してしまった。かの女性の勇壮な酔態と恐るべき弁舌の毒に
「ははあ」と私は起きあがって呟いた、「またおれは一人でおいてきぼりか」
まえに来たときは、北側の
「こう暗くっちゃしようがない」と私は呟いた、「まずでんきをつけよう」
私は伸びあがって電燈のスイッチを
「どういうつもりだ」と私は幾たびも呟いた、「おれになにか恨みでもあるのか」
本当のところはそんななまやさしい言葉ではない、私は車夫馬丁も顔をそむけるような言葉で、ゆうべの呑んだくれのお饒舌りのおかちめんこを
「人生そのものだな」と私は怒りをなだめながら呟いた、「どこかにあることは間違いないのに、マッチをすってはうろうろと捜し廻っている、みつけたところでたかがスイッチだのに、ばかげたはなしだ」
元スイッチはみつかった。渡り廊下へかかるところの柱に、取り付けてあったのだ。御殿には電燈が明るくともり、扇風機までが唸りだした。ようやくほっとしたけれども、さて座敷に坐ってみても、その広大な広間がいっそう広く、一人ぽつんと坐っていることが、なんともばかばかしくまがぬけてみえる。
「よし」と私は呟いた、「グラビアを作ったって説明文なんか一行も書かねえぞ」
私は独居生活をしているから、独り言を云うのは癖になっているが、山中とそのT館の御殿での二夜ほど、悪質で多岐にわたる独り言を口にしたためしはないと思う。それにつけても水の欲しさよ、喉の渇きはますますつよく、酔いもさめかけてきた。私はふと、元スイッチを捜しあるいていたとき、北側の廂の間になにかあるのを見たような気がし、立ちあがってそこへいってみた、――数年まえのときはそこに気のやさしい親切な女中さんが仮寝をしていたし、水屋が備えてあったものだ。箱根や伊豆の旅館では、ずっと以前から座敷ごとに冷蔵庫があり、各種の飲料や果物や、ちょっとした
「空壜が一本か、ちぇっ」私は舌打ちをした、「夜逃げをしたあとだってもう少しはなにか残っている筈じゃないか」
どうしようがあろう、私はその空壜を持って、水を
「立てよ、ぶしょうをするな」と私は自分をはげました、「いい運動じゃないか」
私は五回、渡り廊下を往来した。片道が約二百メートルとみて、往復五回だとするとほぼ二キロあるいたことになる。池の食用蛙らしい蛙のやつはそのたびごと、さも面白そうに
「よしよし、なんとでもぬかせ」私は水割りを啜りながらやり返した、「おまえなんぞは人を嘲弄するほかに、なんの芸もないんだろ、かなしいかな、池の中からな」
私がどれほどいきどおりに駆られたか、推察してもらえるだろうと思う。翌朝、三人の同伴者が起きて来ると、私は夜半自分が「水汲みばか」になった事情を語り、朝食は汽車の中で
山中の宿も粟津の宿も、マンモス旅館というほど大きくはない。にもかかわらず、右のように不自由で勝手が悪く、観念的にではあるが、人を
けれども「八仙」はかみさんの云ったとおり、また新田君の保証したとおり、間違いなくいい宿であった。美しい女主人と、女中さんが二人、座敷の数も五つか七つくらいらしい。女主人も女中さんも、まるで久しい
「おかみさんは先月ハワイへいって来たのよ」と若い女中さんの一人が云った、「あたしその飛行機が墜落するようにって祈っちゃったわ、飛行機が墜落すればおかみさんは死んじゃうでしょ、そうしたらあたしこのうちを乗っ取っちゃうの」
訛りがあるので正確にはわからないが、反問してみたうえで、言葉の意味が誤りでないことを慥かめた。尤も彼女は、女主人の縁辺にでも当るような立場らしかったが、初対面の男客三人に向かって、そういう冗談をすらすら云えるということは、彼女の性分のよさを示すと同時に、その宿ぜんたいの気風をあらわすように思え、私たちは大いに笑ったものであった。
明くる日、南座をみて帰京したのだが、駅まで女主人とその
「あら、それならそう云えばよかったのに」と若い女中さんが云った、「あたしいそいで取ってくるわ」
「冗談じゃない」私は驚いて制止した、「もうすぐ汽車が来るんだ、まにあやしないよ」
「大丈夫まにあうよ」と彼女は駆けだしながら云った、「すぐだからね」
美しい女主人は、あのとおりよ、とでも云いたげに微笑していた。その女中さんはタクシーで走り去り、汽車が駅へはいって来たとき、浴衣の包みを持ち、息せき切って駆けつけたのであった。
「二人が同伴しているからよかったが」と列車が動きだしてから私は云った、「――そうでなかったらこんな話を信じる者はないでしょうな」
二人の同伴者は同意した。
旅館に限らず、ビルディングも工場も、酒場も住宅もマンモス化してきた。人間の生活も集団化し、個人の感情は集団の力に屈服して、一億右へならえというふうになるらしい。ぞっとするような傾向であるが、それに異をとなえようとすると食用蛙にまで「ばかやろ」とか「ざまみろざまみろ」などと笑われるのである。御用心、御用心。
「朝日新聞 PR版」(昭和四十年一月)