ブドー酒・哲学・アイスクリーム

山本周五郎




 書きながら飲むというようなことは、めったにしないが、酒とは親しいつきあいである。といって酒なら何でもいいというのではない、やはりぼくなりの好みがある。
 若い頃からぼくは特別にブドー酒が好きだった。よくひとから、どうしてそんなにワインを好むのか、という質問をうけるのだが、特にむずかしい理由があるわけではない。その頃たまたま飲みはじめたブドー酒の酔い心地が非常によかったからである。
 当時はフランスから輸入するにもたいそう時間がかかった。その上、船がどうしても赤道を通ってくるので、暑さのためによい酒はほとんど味が変ってしまう。だから、ぼくはその中でももっぱら安いものを買って飲むことにしていた。その方がかえってうまかったのである。
 ブドー酒を飲むというと、どうしても洒落しゃれて聞えるのでいやなのだが、ほんとうに好きというのは仕方がない。それにぼくは欲ばりだった。あるものはどうしても試してみたい。つまり飲んでみたいのである。テキラはまだ知らないが、これまで飲もうと思った酒は、だいたい飲んだといっていいだろう。
 戦前、メドックなどは明治屋あたりで簡単に手に入ったが、トーケイ酒のほうはなかなかお目にかかることができなかった。手に入らないとなると、いよいよ欲しくなるものでこのハンガリー産のワインには悩まされたものである。
 ところが、昨年の暮、雑誌社のひとたちが集まったとき、たまたまその日とどいた包みをあけようということになった。そこでK君が包みを解きはじめたのだが「先生、これはトーケイ酒ですよ」というのだ。トーケイ酒ときいてはぼくのほうが平静でいられなくなる。「それなら別のと替えよう」と大急ぎでとりかえてしまった。やはり、なつかしいブドー酒である。小説などで有名なこの酒も、相変らずなかなか手に入らないのである。
 しかし、ヘルメスデリカワインが発売されたときにはうれしかった。実にうまいのである。日本にも、ほかにいくつか生ぶどう酒があるが、大げさでなくこのワインを造ったことは国家的に誉めてやる必要があろうとさえ思った。ヘルメスの白ワインはトーケイ酒の白よりも、事実うまいのである。(もっとも、赤については、ぼくとしてはいささかいいぶんがある。もう少し渋味がほしいのである)
 ブドー酒は食事のときに飲む酒であって、煙草をすうときに飲む酒とは区別しなければならない。日本もののなかには、あまり人工的に手を加えすぎて、そのへんの区別がはっきりしないワインがよくある。そういう点でもヘルメスデリカはよいブドー酒の条件をそなえているといってよい。
 もともとぼくは洋食が好きなのだけれど、最近はますますその傾向が強くなってきた。牛肉でも、スキ焼きは駄目でハッシュビーフとか、シチューとかステーキにすれば喰べられる。けれどもこれに赤ブドー酒がなければまったく拍子ぬけがしてしまう。
 この間、いきつけのレストランへ行ったら、ボーイ君がぼくの顔をみて急いでワインを冷やしはじめた。しかし、見ていると赤と白を両方一緒に冷やしてしまうのだ。
「赤は冷やさなくてもいいんだよ」と彼にいったのだが、そういうとき、つくづくもっとワインが普及すればいいと思う。冷えていないワインでも置いてある店はいいほうで、銀座あたりのレストランでさえ、まだまだ置いてないところが多い。
 文春の近くにもいい店がある。そこはハンガリー風のビーフシチューがとてもうまいのだが、ぼくがいくと、支配人がやってきて、いつもこういう。
「どうもすみません。ブドー酒はまだ入っていないんです」
 店でワインが欲しくても、荷が入らないのでは仕方あるまい。ぼくはファンの一人としていいたいのだが、レストランにいけばヘルメスのテーブル・ワインぐらいは必ずあるというようにしてもらいたい。これはメーカーの責任でもあると思う。
 ワインについてはこんな思い出話がある。それはまだ戦争中のことだった。堀口大學さんのお父さんにあたる人で堀口九萬一という人がぼくの愛読者だそうで、彼があるときよいブドー酒があるから人をよこすように、といってきた。ぼくは人を頼むのはいやだったから、自分でいくといって、出かけて行った。彼の家につくと、早速ディキャンター瓶に入ったワインが出された。メドックだった。ところが、つづいて出されたものが、何と砂糖と湯だったのである。
「さあ、これを入れて飲みたまえ」というのだ。いささかびっくりした。それもここへ来るお客さんがみんなそうやって飲むというのである。
「堀口さんの家に出入りするような人でも、こんな飲み方をするのですか」と思わずいってしまったくらいである。
 その時、ぼくはもちろん、その赤ワインをゆっくり掌のひらであたためながら飲んだ。実にうまかった。だが、それにしてもメドックに砂糖を入れて飲んだのではせっかくのものが泣いてしまう。その後、しばらくの間、一升瓶でもらって帰ったメドックをビール瓶に小分けしながら楽しませてもらった。
 ワインを飲みつけると、この酒の哲学的、思索的な酔いごこちに、すっかりなじんでしまって、ビールや日本酒にあまり魅力を感じなくなる。ビールの酔いはどうもラフで、相撲をとっているような感じだし、日本酒になると、これはほんとうに酔っぱらいの酒という感じがして、どうもいけない。詩吟的、悪くいえば浪花節的な酔いである。すぐにひざをまくりたくなるし、大きな声をたてたくなる。
 しかし、ウィスキーは別である。これもいかにも酒飲みの酒といった感じはするが、その酔い心地はさっぱりしていていい。河原崎長十郎が、何かに書いていたが、ウィスキーの酔いは非常にさわやかなのだ。前の晩に相当飲んでも、翌朝の目覚めはさっぱりしていて、頭がすぐに使える。ぼくのような仕事をしていると、朝まで酔いが残るというのでは困るのだ。で、ぼくはワインとともにウィスキーはかかさないことにしている。
 ウィスキーの飲み方といえば、最近こんな方法を試みた。若い人などはどうも気持悪るがるが、牛乳でウィスキーを割るのである。ぼくもこれをはじめて、人から教わった時には奇妙な感じがしたものだが、やってみるとなかなか調子がいい。ウィスキーは角瓶か白札ぐらいがちょうどいいようだ。オールドのようにうますぎてもいけないし、といってあまり口あたりの粗いものでもよくない。
 昨年の暮、湯河原で週刊朝日のつづきものを書いているとき、オールド・サントリーを一本あけたが、ぼくにはうますぎた。ちょっともったいないような気がする。ストレートで飲むときも、ぼくはもっぱら角瓶か白札を愛飲している。日本酒でも特級だの超特級だのというのはいけない。どういうものか好きではない。だから、外国ものワインでも、特に銘柄は選ばないことにしている。ときに、バルサックが飲みたくなることがあるが、しかし、これも吉田健一さんにいわせれば“安酒”だそうだ。それでもぼくはこれをうまいと思っているし、ぼくにとっては贅沢ぜいたくの内にはいるのである。
 飲みたいと思った酒をたいてい飲んできたつもりでも、ドイツの田舎あたりで造っている自家製ビールの味はまだ知らない。実にうまいらしい。ヨーロッパまで汽車で行けるようになったら、ひとつ飲みにいこうかと思っているが、飛行機や船でいかなければならないうちは残念だが、あきらめよう。じょう談でなく、ぼくは飛行機も船もきらいなのだ。飛行機が空中分解でもしたら、どういうことになるだろう。つかまるところがないではないか。それでは困る。船だってそうだ。沈没したとき、なまじ泳げなければ苦しみは少なくてすむが、ぼくは幸か不幸か、かなり泳げる。はるかかなたにかすんでいる陸まで泳がなければならないということになったらこれはもう実におっくう至極でまっぴらごめんだと云いたい。船にのるのもごめんである。まあ、日本にじっとしていたって、いまはほとんど何でも飲めるし、水も食物も世界一だ。何もドイツくんだりまで出かけていって、田舎ビールを飲むこともあるまい。
 さて、ぼくには人類が生み出した傑作をときどき数えあげてみる趣味があるのだが、その結果はいつもこうなる。
1 酒
2 デカルトの認識論
3 アイスクリーム(これは楠木正成といえども喰べてはいないではないか……)
4 サルトルの実存哲学
5 水爆(こいつのおかげでいま平和なのだ)
 どうしたって、酒の王座はゆるがない。酒がない人生なんて、ほんとうの人生ではない。だからぼくは妻にも娘たちにも酒をすすめている。妻はやはりブドー酒が好きだが、女子美術へいっている娘はカクテルか日本酒が好きなようだ。そして、ぼくは相変らず酒はワインとウィスキーがすべてだと思いながら、唯今も水割り白ラベルをすすっているのである。
「洋酒天国」(昭和三十八年七月)





底本:「暗がりの弁当」河出文庫、河出書房新社
   2018(平成30)年6月20日初版発行
底本の親本:「雨のみちのく・独居のたのしみ」新潮文庫、新潮社
   1984(昭和59)年12月20日発行
初出:「洋酒天国」洋酒天国社
   1963(昭和38)年7月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:noriko saito
2026年2月6日作成
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