壺井榮





 ふたりが世の常の男女らしく動けば、ことは平凡に運んだろうに、おたがいになにかしら少し足りないものがあって、なかなかそこまでゆかなかった。つまりふたりの間には長い年月にわたって手紙のやりとりが続きながら、若い男と女の間にあってしかるべき恋文のやりとりは一度もないという、ふしぎな間がらだったのだ。しかし、はたの者にはそう見えなかったらしい。
「修造の嫁は茂ちゃんぐらいでないと納まるまい。」
 修造の兄がだれかにそんなことをもらし、それは茂緒の耳にも何度か入ってきたが、茂緒はフンという顔をしていた。修造がフンとしているのを感じていたからだ。茂緒の両親もまた修造の兄と同じ目でふたりをみているのを感じて、茂緒はさらにフンとした。そして親たちには口に出していった。
「男と女が交際しとると、だれもかれも妙な目で見るん、ほんかん。」
 自分たちはワケがちがうといいたかったのだが、しかし茂緒がなんといおうとも、男と女のつきあいは結婚が目的でなければならないと、はたのものはやきもきしているようだった。茂緒だとて、心の皮をひんむいてみれば、だれにも劣らぬ赤い血がふき出したにちがいない。だが、はたの人にやきもきされて、それで何とかなるなど、田舎娘いなかむすめだとはいえ、新しい時代を生きようとしている修造たちの息吹いぶきにふれてきた茂緒にとっては、阿呆あほらしくて問題にならなかった。何一つ新しい知識があるのでもないのに、茂緒は啖呵たんかをきるのだ。
「自分の始末ぐらい自分でやるさかい、心配しなさんな。お母さんらと時代がちがうんじゃ。それに、嫁にいかん娘が一人ぐらいおったって、よかろがいの。」
 そのくせ、修造から、東京へ遊びにこないかという手紙をもらうと、彼女はのぼせあがってしまった。
「修造さんが、来いって。うち、行こうかしらん……」
 母をまともに見ることもできぬくせに、はっきりといった。母はおどろいて、
「来いって? 一しょになろうというのかい。」
 茂緒はさっと水をかけられたような気がし、こんどはいつもの気さくさで、
「東京見物によ。茂、行ってこうかな。――土曜日の晩の船にのって、日曜の朝神戸から汽車にのって、そしたら夕方東京に着かあ。その晩深川の兄さんに泊ってえ、月曜日に東京見物してえ、その晩夜行にのってえ、あくる日神戸の君代姉さんにちょっとよってえ、その日の船で戻ったら、まる三日で戻ってこれらあ。ああうれし、行ってこう。修学旅行のかわりじゃ。」
 こうなると、とめたってきく茂緒ではない。まるで磁石に吸いよせられる針のように、さっさと居場所をかえてしまったのだ。関東大震災後三年目の春だった。小さなバスケットに着がえを一組いれて、彼女は颯爽さっそうと旅立ったのである。船着場まで見おくってきた妹たちにも機嫌きげんよく、土産みやげを買ってくると指切りなどした。
「茂姉ちゃん、ほんな、いつ戻ってくるん?」
 末の妹の小菊が別れをおしんでいうのへ、茂緒ははっきりといった。
「火曜日の晩。」
「そんなら、もう一ぺん指きりじゃ。うち、迎えに出る。」
「よし、ゆびきり。」
 小菊の小さなゆびに強く小ゆびをからませて打ちふりながら、茂緒はふっと涙がつきあげてきた。このまま別れになりそうな気が、ふとしたからだった。はしけにのると、春とはいえ二月はじめの夜の海風はほおをしびれさすほど冷たかった。エンジ色の毛糸のショールを頭からかぶって、茂緒は、やみの中に見えぬわが家のあたりをながめて、母との問答を思いだしていた。
 ――おなごの一人旅を、さす親も親じゃと笑われる……。
 ――勝手に飛びだしたんじゃと言やええ。
 ――阿呆なこと。……神戸へ遊びにいったことにしとくぞい。
 ――そんなおていさい。東京には房次兄さんもおるじゃないか。修造さんのとこへ、遊びにいきましたと正直にゆうたってええ。うちはそうゆうて、ふれまわってやる。
 ――嫁入りまえの娘がそんなおうど(大胆)なことしたら、笑われるのは茂ばっかりじゃ。
 ――そんならわざと笑われにいくがい。房の兄やんのとこへやこ、行かん。
 この、ひとりだけ毛色のちがったような娘に、母は手を焼いていたかもしれぬ。しかし、この大胆不敵に見える娘も、東京の波風の中では小鳩こばとのようにおとなしかった。おとなしくならずにいられなかったのだ。まず、彼女の計画は東京への第一歩からぺしゃんこになった。電報を打っておいたのに、修造は出迎えにきてくれなかったのだ。東京駅のホームで一時間も待ったあげく、彼女はしおしおと房次の家へ電車でいった。房次はいず、兄嫁の澄江が怪訝けげんな顔でむかえた。写真でみて茂緒の方は知っていたが、初対面であった。
「茂緒です。」
と、名のると、澄江は愛想笑いをしながら、とんちんかんなことをいった。
「こんなにおそく、どちらから?」
 茂緒は茂緒で、恐縮しながら、
「あのう、東京駅で友だちをまってたものですから――」
 そして手土産の煮干を出すと、はじめて分かったらしく、
「あら、あんた主人の妹さん!」
「はい。」
「わたしはまた、ごめんなさい、勘ちがいして。今日たのんだ女中さんが、早や来てくれたのかしらと思ったんですよ。それにしちゃあ、表から入ってくるなんて、様子がおかしいと思ったりして。失礼しました。さあさあ、寒かったでしょう。あったかいそばでも、とりましょう。」
 座敷に通されて、ひとりになると、火鉢ひばちで手をあぶりながら茂緒は、兄にむかって何というべきかを考えていた。正直に、ありのままにふるまうのだと、母にはいいながら、ここではそれが通用しそうもなかったからだ。
 ――東京見物にきました。友だちと一しょに見物しますから、二三日宿をお願いします。
 そうだ、そういおう、それならうそじゃないもの……。
 ほっとしながらも茂緒の気もちはまた滅入めいりそうだった。修造は、なぜ迎えに出てはくれなかったのか。ただそのときの気まぐれで、まさか茂緒が上京するとも思わずにさそったのであろうか。いっそのこと、このまま会わずに帰ろうかと思ったりもしたが、翌日になると、澄江の手前もあって、兄の家にくすぶってもいられなかった。彼女ははじめての東京を、深川から修造のいる本郷真砂町まさごちょうまで、人に聞き聞きたずねていった。せまい三畳に、彼は友だちと一しょにいた。会ってみれば何のことはない。昨日、電報は修造の出かけた留守に着いていたのだという。
「すみませんでした。だから今日は朝から待ってましたよ。」
 茂緒はただにこにこしていた。にこにこしながら彼女なりの思いで、修造の生活が、今貧窮の底にあることを見てとった。彼はまた以前のような長髪になり、顔は前よりやせていた。髪が長いのは、床屋にもゆけないからだろうと思い、頬のくぼみはろくに食べていないせいだと察した。
 下宿を出ると、彼は最初にいった。
「ぼくは、今、金がないんですがね。」
 茂緒はその率直さに感動しながら、
「少しなら、わたし持ってますわ。」


 翌日から、ふたりは毎日貸家さがしをして歩いていた。東京見物は思いがけない方向へ発展して、ふたりは郊外を歩きまわった。それが東京のどこなのか、茂緒にはいっこう見当がつかなかったが、何のためらいもなく、ついて歩けた。それが予定のことででもあったような自然さで、わくわくしながら、やたらと歩きまわり、小さな家を、小さな家をとさがした。そこへゆくまでに、はっきりと相談をしたわけでもないのに、言わず語らずそんなことになっていたのだ。しかし、よごれた久留米くるめがすりの着物の、えりのうしろは赤茶けて破れているような着物を着て、日曜日でもないのに家さがしをする若い男と、ろくにあいさつもしない無愛想な女の一組には、なかなか家主は気を許さなかった。どこの表通りにも、横町の路地にも、貸家の札はめまぐるしいほどだったが、そのありあまった家を貸してやろうとはいわないのだ。そうして何軒も見てまわったあげく、三日目にようやく一軒話が成立したのが、六畳三畳の新しい家だった。前に広い原っぱがあり、風でも吹けばほこりに包まれそうな家だった。
 家主は近くの神社のわきの質屋だった。これまで、なんども交渉してだめだった修造に、
「こんどは、あんたが行ってみてください。」
 みちみち、そういわれて、茂緒はしりごみをしていたが、そばまでくると決心して、えりもとなどかき合わせながら、つきつめたような顔をして、のれんをくぐった。胸もどきどきしていた。これまでの家主とちがって、質屋という構えも、何となく圧迫を感じさせられたのだが、お客とでも思ったらしく愛想よく迎える言葉を聞くと、ほっとして、格子越こうしごしの五十がらみの男にていねいにおじぎをし、
「あのう、貸家のことでございますが、三宿みしゅくというところの、百九十六番地にあります、六畳と三畳の貸家を、お借りできないでしょうか。」
 その馬鹿ていねいさがおかしかったのか、にやりと笑った男は、
「お貸ししますがね、御家族は?」
「あのう、夫婦ふたりなんです。」
 茂緒は自分でもわかるほど、質屋の親父おやじの前であかくなっていた。
「これまで、どちらに?」
「あのう、田舎にいまして、いまは深川の兄の家におりますけれど。」
「新婚ですか。」
「はあ。」
「お勤めですか。」
「はあ。」
 どこにときかれたら、新聞社だといえと修造に教えられていたのだが、そこまできかずに家主は承諾した。家賃十五円の、敷金二つをおさめると、茂緒のがま口は軽くなった。もう田舎へ帰ることもできないのだ。受取を書いてもらいながら、しかし彼女の気もちははずんでいた。とにかく、生まれてはじめて、自分の家ができるということはすばらしかった。それを思うと、二十五年のこれまでの田舎の生活が、閉ざされた箱の中でのそれのように思えて、ひろびろとした未来が、今ここにひらけてくるような思いがした。茂緒は、もうその家に住んで、まっさきにする仕事のことを考えていた。まっさきに頭に浮かんだのは、まず襟の汚れて破けている修造の着物のことだった。茂緒が、女らしく二組の着物を四通りに着るのとちがって、修造ときたら、今日も昨日も一昨日も、あかでしめったような着物の一てんばりなのだ。
 ゆきとはちがって、あふれてくるような喜びにえくぼをへこませながら質屋の門を出ると、神社の境内で待っていた修造もそれとさとったらしく、にやにやしながら寄ってきた。
「うまくいったア。」
 茂緒はもう大得意である。これまで修造が十回も交渉してまとまらなかったのに、勤め先もきかれずにとんとんと話はきまったのだ。茂緒はいい気になって、
「ね、わたしがいったら、昨日のあの家も貸してくれたかもしれないわ。」
「そうですよ。あんたがいかないからさ。」
「あの家、よかったわね。」
 家は古いが同じ十五円の家賃で、そこはもう一つ三畳がある家だった。
「でも新しい方がいいよ。こっちも新しいんだから。」
 茂緒は思いだして照れながら、
「新婚ですかって、きいたわ。」
「どういったの。」
「仕方がないでしょう。」
 にやりと笑う。しかしふたりはまだ、ほんとうのところ手もふれあっていなかったのだ。さっそく明日引っこそうと話がきまると、茂緒は遠慮っぽくいった。
「今日兄にあって、話してくださらない?」
 しかし、修造の瞬間のためらいをみてとると、茂緒はすぐ重ねて、
「でも、わたしが、いいますわ。それからあとにして。」
 茂緒はふっと、風のそよぎほどの不満を感じたが、さりげなく、
「でも、家へは手紙かいてくださいね。わたし、三日で帰るって出てきたんですから。」
「兄さんにも、手紙かこう。」
 明日、ふたりはめいめい新しい家で落ちあうことにした。修造は下宿の荷物を自分で運んでくるから、早くともお昼すぎになるだろうといった。茂緒の方はバスケット一つだからわけはない。支那そばやに入って、十銭のラーメンを注文したあと、念のために茂緒は、新しい家の地図を書いてくれとたのんだ。修造はバットの箱をつぶし、その裏にそれを書きながら、
「渋谷までは分かってるね。玉川電車を三宿で下りて、ここが煙草たばこ屋。横丁をまっすぐいって世田谷中学、小学校、オブラート工場と。橋を渡って右へ――もう分かるでしょう。」
「分かります。わたし、さき来て掃除してますわ。」
 そういって別れたのだが、兄の家へもどると、いつになく茂緒はぐったりしていた。安心などではなく、疲れでもない。しいていえば、ある不安感からであった。こんなことをしてよいのだろうかと、それが胸にきて食事もすすまなかった。修造のそばでは考えないことが、ひとりになると一度にむらがり出てくるのだ。しかしまた、問題に直面すると、彼女の決心は石のようにかたくなった。あねが銭湯にさそうのもことわって、兄だけになるのを待ちかまえてでもいたように、茂緒は帳場の兄のところへ寄っていった。一ぱいきげんで、鼻唄はなうたまじりに帳簿をめくっていた房次は、まだ三十そこそこの若さで、もう頭のまん中がうすくなりかけていた。色白の生まれつきなので、酔えば真っ赤になり、上からみると頭の地肌じはだまで赤くすけて見える。
「見物、したかい。」
「ええ。」
「銀座や浅草にもいったかい。」
「ええ。」
とはいっても、彼女はまだ銀座も浅草も知らない。馬鹿の一つおぼえのように、毎日渋谷で修造と落ちあっては玉川電車に乗っただけなのだ。三軒茶屋までの停留所の名はみんなおぼえ、家さがしの帰りにぶらつくことにきめている道玄坂だけが、彼女のしたしんだ盛り場だった。その他はどこへいったときかれたら、どう答えようかと、茂緒は罪の意識をさえ感じ、あわてた。
「兄さんわたし、結婚しようと思うんです。」
 思いきっていって、それで、借金をたのもうと思ったのだが、房次はそれほどせっぱつまっているとも知らず、呑気のんきなことをいった。
「ふーん。脊椎せきついはもういいのかね。」
「ええ、あの、ハシカ以来、なおったらしいです。ウミ、出ないんですもの。」
「そりゃよかった。お前がそんな気なら、わしも心がけとくよ。嫁のほしいのは何ぼでもいるよ。しかし、わしのぐるりは商人ばっかりでな。それでもええか。」
 十五の年から家を出て丁稚でっちからたたきあげた房次は、茂緒の心の歩みなど全然関心がない様子だった。ただ、この病気の妹が、結婚からとりのこされている哀れさだけを感じているらしい。
「わたし、自分で見つけますからご心配なく……」
 仕方なく茂緒は笑ったが、それでもうあとのことはいえなくなってしまった。嫂も帰ってきた。寝床に入ってからも、明朝までにもう一度房次と話す機会を考えたが、それは希望的ではなかった。借金のことはともかくも、これから東京で暮すとすれば、何かにつけて頼らねばならないだろう房次の家を、妙な出方はしたくなかった。平凡にそんなことを考えて、茂緒は一心に房次をさぐっていた。まだ小さいとき、それは茂緒が四つか五つぐらいの時だったろうか。茂緒は房次とふたりでお寺の道を歩いていた。房次は栄重さかえじゅうの包みをもっていた。初穂の麦を寺へもってゆく途中だった。雨あがりの道はぬかるんでいて、茂緒は下駄げたをとられ、鼻緒がきれたはずみにぬかるみの中にころんだ。どういうわけか、よくころぶくせのある茂緒を、姉たちはこんな日、けっして連れにはしないのだが、気のやさしい房次はだまって連れていった。あんのじょう、ころんでわあわあ泣きさけぶ茂緒を、かかえおこすと、房次はいって聞かせた。
「兄やんいそいで、お寺へ行ってくるさかい、ここでまっとれ。」
 すると茂緒はいっそう泣きわめき、
「いやア、茂もお寺で、お菓子もらうんじゃあ。」
 一つはそれが目あてである茂緒にとって、それは一大事であった。こんなとき姉たちならばとっととほってゆくところなのに、房次は困りながらも、「こい。」と背中をむけた。どろまみれの茂緒を、かまわずおぶったのだ。しかも片手に栄重である。房次の首にぶらさがって、茂緒もらくではなかったが、お寺の高い石段を上ってゆく房次の苦労も相当だったにちがいない。お寺の土間は暗く、おくさんは年よりなので、泥だらけの子供に気がつかなかったらしく、泥によごれた茂緒の手にもハクセンコウという花型で押した白い葬式菓子をにぎらせた。白い菓子は、たちまち泥色になったが、それでも茂緒はにこにこしていた。家にもどると母はすごく房次をどなりつけ、小突きまわしながら泥によごれた着物をぬがした。それはよそゆきだったのだ。
 そのとき、しくしく泣いていた房次のことを、茂緒はよく思いだす。今もそれだった。そんなこともあってか、子供のときは、わりに気の合った房次であるが、十五年も別れて暮せば、昔、着物の背中と前を一しょによごしたことなど、忘れているように見えた。ひとかまの飯を食わねば、心はだんだん離れるものだろうか。茂緒はとうとう何もいわずに、泣きべそのような顔で房次の家を出た。バスケットを持っている茂緒をいぶかしがりもせず、嫂は声だけで送りだした。外に出ればもう新しい気分もわいてきて、そっちの方へひかれる力は強かった。
 新しい家に修造はもうきていて、茂緒をむかえた。
「あら、ずいぶん早かったんですね。」
 うれしさに声もうわずっている茂緒を、修造はその両手をとって上に引っぱりあげた。はじめてなので茂緒はぼうとなってしまった。いっさいの過去も未来も忘れた、夢のような時がたった。やがて、花嫁は恥かしさと自己嫌悪じこけんおで少し不機嫌になり、同じように少しゆううつな花婿に抗議的な口調で、
「こんなことって、あるかしら。恥かし。」
「あたりまえですよ。」
「なんだか、へんな気もち。これでいいのかしら。」
「いいも悪いも、ないじゃないの。」
 なんというかんたんな解決であろう。それは長い年月のもたもたが一瞬に晴れたようなふしぎさだった。ようやく気もちの平静をとりもどしてみると、家の中はだだびろく、バスケット一つが嫁入道具だった。
「金策がうまくゆかなくてね、下宿へ荷物とりにいけないんだ。四五日さきにする。」
 修造は照れくさそうに頭をかいた。ほんとうの下宿というのはその町名のめずらしさで、茂緒もおぼえている戸塚源兵衛とつかげんべえの方で、そこで食事まで止められた彼は、本郷の友人の部屋に居候いそうろうをしていたのだという。茂緒はおどろき、あきれ、すぐにはものも言えなかった。
「大丈夫だよ。結婚したからにはぼく、すぐ仕事さがすからね。」
「わたしも、仕事さがしますわ。ふたりで働いて、ちゃんと暮しましょうね。」
とはいってみても、まともに働いて暮すことより知らぬ茂緒にとっては、目の前の今日を、どうしてしのぐかさえ見当がつかなかった。そこへゆくと、修造の方はてきぱきとことをはこぶ知恵が、つぎつぎと浮かんできた。
「茂ちゃんの着物、ちょっとの間かりようかな。」
 それを着るとでもいうのかと思って、ぽかんとしていると、
「質に入れるんだよ。」
 茂緒は不明を恥じながら、バスケットから着物を出し、腕時計もはずして添えると、修造は気軽にそれをもって出かけようとする。
大家おおやさんの質屋にいくんですか。」
「ああ。知らない質屋は、だめなんだよ。」
「でもいやですわ。しょっぱなから……」
「仕方がないさ。ちゃんと暮すためには食わずにいるわけに、ゆくまい。」
 出かけたあと、がらんとした部屋の中で、茂緒は畳にしがみつくようにして泣いた。父や母や、妹たちのことが、甘やかな悔の中で思いだされ、涙はとめどがなかった。だが、修造が帰るころをみて、おさめてしまった。しかし、はれたまぶたは、かくしようがなかった。やがて修造は十円になったとホクホク顔で帰ってき、茂緒の顔には気づかないふりで、彼女にそれを渡しながらさそった。
「さ、なべや釜買いにゆこうよ。」
 茂緒は新しい勇気にふるいたつ思いで、家を出た。かぎはあってもかける必要のない玄関をふりかえり、修造のあとについて歩いた。ふしぎな、あふれるような感情が、さっきの涙とむじゅんなくわいてきた。
 近くの市場で買物は全部まにあった。まず荒物屋で七輪、土釜、はし、茶碗、バケツ、洗面器、ほうき、はたきとそろえた。雑巾ぞうきんまで売っている都会の生活にあきれながら、となりの米屋で白米一升を袋に入れてもらい、八百屋やおやにより、乾物屋で高野豆腐こうやどうふと切り干大根を買った。煮干を買いながら、ふっと房次の家を思いだしたが、それをふりはらうように修造の方を見た。彼の両手はあふれるほどの買物で、自由をうばわれていた。
 茂緒は茂緒でやはり両手に持ちきれなくなっている。買うたびに奥さんといわれ、茂緒はそれにも上気して、疲れていた。
「もう、うちへ帰りましょうか。」
 修造はすぐ同意した。そのあとについて歩きながら、茂緒はまた夢のような思いをした。この広い東京に、帰ってゆく家がある。何としても、それはふしぎであった。彼女は修造と肩をならべ、うれしげに言った。
「東京って、やっぱりおもしろいと思うわ。着物と羽織と時計とで、こんなたくさん買物ができるなんて。」
「…………」
「わたし、さっき、ちょっとつらかったけれど、もう後悔していませんわ。」
 買物はまだすまなかった。味噌みそ醤油しょうゆ砂糖を買い、さて食事の支度したくとなると、炭がなかった。炭を買うと金はもう残り少なくなる。この寒空に火鉢ひばちもなくてはならない。
「炭は、二十銭でも売ってくれるよ。これでまだふとんのこともあるし。」
 茂緒は修造にいわれて、あっと思った。米屋でも五升買うというのを、修造は一升にさせたのだった。米の一升買いは茂緒の少女時代にいくどか経験があったが、炭の二十銭買いは貧乏そだちの茂緒もまだ知らなかった。一升の米を買いにゆくことを恥じて、母はそれを夜の暗さの中でしかさせなかった。しかも利口者といわれる母が、自分ではそれができず、一升買いのときはいつも子供を使いに出していた。その娘の茂緒と、村では五本の指の中にかぞえられる裕福な中農の家庭の息子の修造とが、一組の夫婦になって出発しようとしている今、裕福な家の息子は平気で質屋の門をくぐり炭の二十銭買いを知っている。東京とは、そんな便利なところかと、茂緒はあらためて東京を見なおし、希望をもつのだった。足のついたまな板をちゃぶ台にして、きゃっきゃっと笑いながらふたりはむかいあって最初の夕餉ゆうげをとった。田舎そだちの茂緒の手なれたところで里芋の味噌汁に、高野豆腐と油あげと、きり干大根の煮つけ、黄色いたくあんで、祝いの小さなたいは一匹だった。修造は鯛よりも高野豆腐ときり干をよろこび、母を思いだすといい、久しぶりだといった。夕食がすむと、ふたりは連れだって、ふとんやをさがしに出かけた。暗がりではより添い、人の足音に離れ、遠慮ぶかく歩いた。ふとんやは市場の近くにあった。せんべいぶとんとはこれかとうなずかされるほど薄い木綿のふとんを三枚かりた。一枚一晩十五銭だった。二晩の約束で九十銭を前ばらいした。ふろしきに包むと一枚のふとんほどの高さになり、茂緒でも軽々ともてると思われるほど小さかった。ふとんやはそれを、おおぎょうに背負って家まで持ってきた。だまって受けとって、床の間の前に重ねたまま、その前で二人は田舎への手紙をかいた。修造は兄に、茂緒は両親に。
 ――どうぞ私の幸福のために、わがままをお許しください。かならずかならず仕合わせになってみせますから……。そこまで書いて茂緒は思わず畳に伏した。大正十四年二月二十日の夜はしんしんと冷え、火鉢さえもないその寒さはいっそうふたりをより添わせた。


 新家庭の第一日の朝を、茂緒はやはり田舎にいたときのまま六時に目をさました。六時かどうか時計のない今はわからないのだが、お勤め人らしい、たった一軒のおとなりさんが起きだしたことでそれと察した。日もまだ出ていない。雨戸のない家の中はもう明かるかった。軽いいびきをかいている修造のそばをぬけだすと、彼女はいつものとおりきちんと帯をしめ、長いたもとを八つ口に入れた。鏡のない部屋で手早く髪をゆい、隣りの細君のいないところを見て井戸ばたにゆくと、隣家の若い細君はとびだしてきて、朝のあいさつと一しょに引っこしそばの礼をいった。そば券をもってあいさつにゆくことなど知るはずもなく、おそくなってから修造が気づいて、そばやに届けさせたのだった。だから茂緒は、はじめて言葉をかわしたのだ。
「あのう、田舎者でございますから、どうぞよろしく。」
 白いエプロンの細君の前で、八つ口から袂を出して頭をさげながら、まずエプロンを作ろうと茂緒は考えていた。井戸ばたから勝手口までの道は、霜柱がとけてぬかったのが、そのままてついて、でこぼこしていた。修造の眠りをさまたげまいと思い、そこへ七輪を出して、ばたばたあおぎながら茂緒は、ゆうべ書いた手紙のことを考えていた。こんな結果を見ぬかれていたようで、母にたいして恥かしかった。
 味噌汁がさめ、土釜の中ではご飯に花が咲いても修造はなかなか起きなかった。ほかになすべきなにもなく、しんかんとした家の中に、つくねんとすわっていた茂緒の耳に、思いがけない声が聞こえた。遠くの方からである。しかも若い女の声だった。
 ――井村さーん。
 ――井村修造さーん。
 あわてて修造をゆすぶると、彼は真っ赤な目をしてとびおきた。
「ほら、ほら。」
 声のことをいうと、彼はあわてて、ごろねの着物の前をあわせ、黒いメリンスの兵児帯へこおびをぐるぐる巻きつけながら縁側のガラス戸ごしに外をのぞいた。
「あ、N君だよ。小林扶佐子ふさこも一しょだ。」
 茂緒はびっくりした。三日間修造と歩いているあいだに、茂緒は茂緒なりの想像で修造の友だちやその細君の名をおぼえてしまってはいたが、その、もっとも親しくゆききしているNたちが、今日ここへ現われるとは考えもしていなかった。彼女はあわてて、ふとんを押入れにしまった。
「おうい、ここだあ。」
 修造はガラス戸のネジかぎをはずし、原っぱのまん中で、両手をラッパにしている男女にむかって、手をあげた。わあっと笑い声と一しょにかけてくる背の高い男は、この寒空の下で素足の肌をもものあたりまで見せながら、長髪をゆさゆささせて走ってくる。女は少女のように小さく、ふたりは子供のように手をつないで走ってくる。ことに扶佐子は無邪気に笑いさざめきながら、
「Nさんてひどいわ。自分のコンパスで走るんだもん、手がぬけそうだったわ。」
 そして茂緒にむかっても、十年の知己ちきのような、なれなれしさで話しかけた。
「お祝いにきたのよ。井村さん、オブラート工場のすぐそばだっていうからさ、ずいぶん、さがしちゃった。交番できいたって、昨日越してきた人、わかんないのよ。」
 それで、原っぱのまん中で四方へメガホンを向けていたというのである。扶佐子はその自分の思いつきをうれしがって、
「Nさんたらさ、気ちがいとまちがえられるって、怒ったのよ。でも、よかったじゃないの、ねえ。」
 Nはふきげんな顔で、扶佐子をちらっとにらんだ。蒼白そうはくなやせたその顔には、妻を歯牙しがにもかけないごうまんさと、人間的な冷酷さがみなぎっているように見えた。扶佐子もまた、そんな夫に対抗でもしているように、不自然なときに、歌など歌ったりした。
きょろきょろした
おきつねさん
なにしにきーた
こんこんないてきた
ばっかりさ
 そして、男たちがたばこをのむのと一しょに、自分もふかした。Nたちは渋谷の近くに部屋がりをしているのだった。
「ね、Iさんたちもくるわよ。ゆうべ多枝さんと約束したのよ。あした、井村さんのお嫁さん見にいきましょうって。」
 台所で茶の支度をしていた茂緒はびくっとした。こんなところへこられてはたまらぬと思ったからだ。せめて何とか恰好かっこうがついてからにしてほしいと思うのだが、しかし扶佐子たちは何とも思っちゃいないらしかった。湯のみがたりなくて、まごまごしている茂緒のそばへきて、
「ごはんのお茶碗でいいわよ。」
 そう言って、まるで自分がこの家の主婦ででもあるように、さっさと茶をいれた。それがすむと食事に移った。こんどは汁碗が茶碗になり、二つしかない湯のみに味噌汁をついで、夫婦はかわるがわるすすった。扶佐子がひとり、げらげら笑いつづけた。午後になるとI夫婦も連れだってやってきた。Iがすわりもしないで家中をぐるぐる見て歩きながら、「いいね、いいね、ぼくたちも一軒借りるかな。」などと言って話しかけているのに、彼の妻の多枝はまるで聞こえぬ顔で、Nたちのそばにかしこまってすましていた。平たい顔なのにあごがとがってみえ、ぎゅっと引きむすんだ口もとはしんの強さをみせ、Iとは逆に何か寄りつきがたさを感じさせた。太いまゆと切れのながい大きな目も意志的で、ただの女でないことを示している。扶佐子の丸い大きな鼻とはまるで反対に、小鼻の貧弱さだけが、何か不幸を感じさせて、女らしい哀れさを見せてはいたが、脂性あぶらしょうらしく化粧をしてない赤い顔色は、にこにこ笑っていても、何か気のおけるものを感じさせた。彼女たちはどうやら茂緒より二つ三つ若いらしいのに、小林扶佐子は詩人だというし、Iの妻である中村多枝ときたら、もうとっくに、新聞の懸賞小説などに当選しているという。
 ――女でも、えらいんだなあ。
 茂緒は、このはるかな存在である女たちにひそかに目をみはり、なんとなく差しひかえる気になり、それでよいものならかくれたい気もちだった。それなのに、扶佐子ときたら、かまわず茂緒を引っぱりこもうとした。
「ね多枝さん、ふたりで井村さんの奥さんを訓練しましょうね。いいでしょ、井村さん。――ね奥さん、あしたの晩、女ばっかりで遊びにいきましょうね。」
 しかし茂緒はそれどころでなかった。酒をかい、肉を買い、また米を買って、ふところさびしくなったことだけでもはらはらしているのに、遊びになどどうしてゆけよう。茂緒がひとりひそかに滅入っているのをよそに、五人の詩人や作家の卵たちは談論風発、話はつきなかった。五合の酒はそれに油をそそいで、夜のふけるのを忘れさせた。ただひとり茂緒だけが、酒ものめず、話もわからず、ときどき立って水をくみ、ときどき立って七輪に炭をつぐ。茂緒にもわかる話といえば、この人たちや、この人たちの知りあいらしい人たちが、質種しちぐさにつきて綿メリヤスの汚れたままのシャツや座ぶとんまで質屋にもっていってことわられたり、くいつめて友人の家を一日ずつ居候めぐりをするというようなことだけだった。しかも、都会にそんな貧乏のあることを楽しそうに、ときには自慢して語っているふしぎさであり、修造までが、そういうことをつづけていたらしいことだ。ひそかな不信と幻滅に茂緒の気は重っていた。ききたいことが一ぱいで、早く修造とふたりになりたいと思うのに、みんなは泊るといいだした。もう電車もあるまいというのだ。時計をもっている者は一人もいない。
「おふとんが――」
 茂緒が困った顔をすると、扶佐子はあはあはと大口をあけて笑い、
「おふとんだって。そんな上品ぶらなくてもね、ざこ寝でも、ごろ寝でもいいのよ。」
 ふたりでさえもせまいふとんに、六人がねようというのだ。扶佐子は先に立って采配さいはいをふるった。昨夜は新婚のしとねだった貸ぶとんを引きずりだし、
「きたねえふとんだ。これで銭とるなんて、ふてえ野郎だ。」
 掛けぶとんを横にして一枚だけ敷き、そこに六人がならんでねて、あとの一枚と敷きぶとんを掛けようと扶佐子は言った。そして、
「井村夫婦には敷きぶとんをあげましょうよ。わたしたちは四人で一枚よ。」
 修造の貸ぶとんの知恵も、扶佐子から借りたらしいことを、茂緒ははじめて知った。おたがいはそんな相談までできる間がらなのだろうが、茂緒はそうはゆかない。ただ恥かしさでうろうろした。そんなことにはおかまいなく、扶佐子はおもしろがって、男、女、女、男、男、女と枕の場所を指定した。枕はなく、めいめいの帯などをたたんで、きゃあきゃあ、わあわあの騒ぎだった。一ばんはしの茂緒はいつか畳の上にねていた。みんなおもしろがって、なかなか話はつきなかった。文学と青春の夢は三枚のふとんに包みきれず、いつか文学は押しだされてしまい、身うごきもろくにできないでいるとき、扶佐子は、
「このふとん、くさいわね。百万人の精液のにおいじゃない?」
 みんなが笑いだした。それをきっかけに、扶佐子はだんだん露骨になり、わざとらしく甘い声でNを呼んだりした。それをくすくす笑っていた多枝たちも、やがて誘われて大っぴらになった。
「井村さん、おとなしいわね。だまってる人はすごいのよ。どうお。」
 扶佐子にいわれて修造は、畳の上の茂緒を引きよせながら、
「だめなんだ。うちの奥さん、うぶでね。」
 茂緒はひとりうつ伏せになり、この青春の渦巻うずまきにとけこめず、しのび泣きをしていたのだった。


 結婚を祝って修造の兄から百円おくってきたのは、半月もたってからだった。手紙には、どうせ修造のことだから、人のいいなりにはなるまいが、それならそうといってくれたら、こちらで式ぐらいはあげられたのに、早まったことをした。茂緒の家へも申しわけないことだし、それほどわからぬ兄でもないはずだというようなことが書いてあった。茂緒の行動には何もふれていなかった。それがかえって皮肉に感じられ、茂緒は、
「あなたの家って、やっぱり、格式ばったこというのね。わたしの家へ申しわけないなんてことないわ。あいこですもの。むしろわたしの方が押しかけてきたみたいな形ですもの。」
「押しかけ女房か。」
「そこへゆくと、わたしのうちなんて、ものわかりがいいわね。よくぞ押しかけたと喜んでるみたい。」
 まだ小学校五年の小菊が、「茂姉さんの結婚には大さんせいです。お父さんもお母さんもよろこんでいます。荷物はすぐおくります。修造さんによろしく。」
と、まるで自分が相談でも受けたようなませた書きぶりで手紙をよこし、そこには三十円の小為替こがわせが入っていた。小菊は母の口うつしらしい文句で、「ながいあいだ家をすけてもろうたのに、たんすも買うてやれず、かいしょのない親ですが、せめて鏡台なとお買いくだされ。」
 茂緒はさっそく出かけていって二十円で鏡台を買い、三円の針箱と一円の小さなチャブ台を買った。残りで五円五十銭の水屋を買うというのを、修造は、
「ぼくのうちからも、そのうちきっと送ってくるからね。その五円、かしてくれないかね。」
 自分の持っているのと合わせて、せめて下宿のふとんだけでもとってくるというのだ。結婚して一週間、貸ぶとんはまだ借りていたのだ。修造はさっそく近所で大八車をかり、IやNの助けをかりて、ふとんを運んできた。はだかのふとんと一しょに、大小の柳行李やなぎごうりが八つついてきた。机も本箱もないのに行李が八つなのだ。しかも、ほとんどそれはからっぽだった。
「まあ、どうして?」
「親不孝の、証拠品さ。」
 修造はNたちと顔見あわせて笑った。みちみち、彼らは行李の由来を聞いたらしい。そんなときでもNの笑いには無気味な冷たさが感じられた。Iの調子のよさは、まるでちがっていた。といってIにはまた、油断のならぬ目の色があった。こんな顔は、田舎では見られなかった。前科三犯の元さんというこえかつぎだって、もっと親しみのある顔だったし、役場の浜本さんがいくらへんくつで、無口でも、渋柿というあだ名の渡辺さんがいくら渋っているときでも、NやIよりは近づきやすかった。
 荷物をはこびこむと、車をかえしがてら貸ぶとんを積みこんで、男たちはまた出かけていった。なにかそれは途中で約束でもしていたらしく、なんとなく修造の顔にそれが出ていた。案のじょう出かけてからすぐ修造は引っかえしてき、
「Nたちの晩めし、いらないよ。」
「そう。」
「なるべく、早く帰るからね。」
 茂緒は西日のあたっている窓に、まず掻巻かいまきだけをほしながら、そのにおいをかいだ。まぎれもない修造のにおいだった。掻巻の内側にぬいつけた古い浴衣ゆかたおおいが糸をはなれ、よれよれになっていた。あぶらっぽくよごれた襟をはずすと、においはむっと胸をつく。そのよごれた被いを胸にかかえるようにして、茂緒はしばらく立っていたが、丸めて部屋のすみにおくと、また荷物を片づけにかかった。たっぷりと綿の入ったふとんは、途中の道で日光にあたったところだけ温くふくれていた。ごつごつの木綿で、それは彼の母の手織にちがいなかった。茂緒は自分の母のことをも思いだしながら、ごろっとその上にねころんだ。やっぱり修造のにおいがした。茂緒はうっとりとしていた。それは、不安と焦躁しょうそうをしずめる作用があるようだった。
「こんちは。」
 びっくりして茂緒はとびおきた。扶佐子だ。足音の近づいたことさえ気づかずにいたのを恥じながら、
「いらっしゃい。みんな、出ていったんですけど。」
 扶佐子は笑いながら、
「知ってますよ。途中で会ったんですもの。でも、今日はあなたをさそいにきたの。」
 扶佐子はどんどん上ってきて、
「ね、井村さんの奥さん、女たちだって遊びましょうよ。これから多枝さんをさそって、三人でいいとこへいきましょうね。私、原稿料が入ったのよ。大枚三円! おごるわ。」
 そのうきうきとはずんだ調子はすっかり茂緒をとらえ、茂緒はいそいで帯をしめなおした。
「どうせね、みんなのゆくとこ、わかってんのよ。いきましょうよ。だってさ、今日井村さんとこで一ぱいやるからこいっていったからさ、せめて酒代でも作ろうと思って、急いで童話かいてA新聞へもってったのよ。学芸部長が出てきて、だめだっていったからさ、啖呵きってやったの、――なんですっ、大きな屋台骨して何さっ! て。そしたらとってくれたわよ。大枚三円!」
 扶佐子は得意になり、大きな小鼻をふくらまして、げらげら笑い、
「だのに、すっぽかしてるじゃないの。いいわよ。むこうはピーにきまってるから、こっちは大ばんぶるまいで、みせびらかしてやるの。」
 茂緒は干した掻巻をまたとりこんで、窓にも玄関にも鍵をかけた。かけながら、修造のことが気になり、
「帰ってきたら入れないわ。わたし、よしましょうかしら。」
「大丈夫よ。修造さんのいるところへ連れてってあげますよ。もしも会えなかったら、送ってきてあげるわ。」
 まるで小娘にいいきかすような態度だった。そのくせ彼女は茂緒の肩までしかないのだ。どこをどう歩き、どこからどこまで電車にのったのか、その夜の道すじを、茂緒はぜんぜんおぼえていない。わかっているのは渋谷でお汁粉をたべ、多枝と落ちあって三人でカレーライスをたべ、名前だけは知っていた本郷の南天堂という本屋の二階へ上っていったことだった。そこは酒場らしかった。部屋の灯はうす暗く、むせかえるような煙草の煙で、人の顔もはっきり分からなかった。どのテーブルも歌声と議論でにぎわっているらしく、騒音が渦巻いていた。
「おお、扶佐さん。」
 あちこちから扶佐子を呼ぶ声がした。渋っている茂緒を押しだすようにして、たれかれの区別なく扶佐子は茂緒を紹介した。
「井村さんの奥さんよ。――井村さんの奥さんよ……」
 紹介された人の中には、聞きおぼえていた名前が多かった。ドン・なんとか――だの、何々ミセラチ――だの、そんな名の人がみな日本人で、詩人で、そしてみな申しあわしたように髪をながくしているのだ。茂緒はのぼせてきて、くるしかったが、扶佐子や多枝は、けっこう楽しそうだった。
 いたテーブルにかけさせられても、茂緒はしゅうし木偶でくのようにだまっていた。だまっているあいだに、みんなの話から、修造たちがもうここを立ち去ったことも分かった。やがてまた扶佐子たちと一しょにそこを立つと、にぎやかな歌声が靴音にあわせておこった。
リアリアリーア
リアリアラー
 それはもう、さっきからくりかえされ、節をおぼえた歌だった。外に出てやれやれと思うと、こんどはまた別のところへいった。つれがひとりふえていた。コール天のズボンにエンジ色のビロードのロシア服をきた女のような顔をした男だった。長髪もおかっぱにしていた。四人は喫茶店に入り、コーヒーを注文した。小さなテーブルの上に、茂緒をのけた三人は額を集め、小声で話していた。
 ――ほんとうをいいますとね、ぼくは扶佐子さんも多枝さんも愛してるんです……。
 茂緒は聞こえないような様子をするのに苦痛を感じた。逃げだしもならず、ひとりコーヒーをのんでいた。そこを出ると、また別の店に入った。そこにも別の知りあいがいて、茂緒はまた紹介された。そんなことを重ねてから多枝と別れ、世田谷へ帰ると、もうだいぶ夜はふけていた。ひっそりと寝しずまった町に寒さもてついたようで、下駄の音が高くひびいた。扶佐子は茂緒によりそって、その手をにぎりながら、
「ね、多枝さん、今夜はIさんとこへ帰らないのよ。」
「へえ。どうして。」
「察しが悪いのね、あんた。」
 そして、せまい横丁に、ぼうっと湯気を立てている支那そばやを見つけると、
「あ、そばそば、ちょうだいな。ああ小父おじさんなの。じゃ、たのむわ。すまないけど、ふたりで一人前の腹しかないのよ。五銭ずついれてね。」
 五銭ずつでぬくまって帰りながら、そばやのところから見えなくなったころ、扶佐子はふりかえり、
「そばやの小父さん妙な顔してたでしょ。知らないんだもの。でも、こんな手もあるのよ。ふたりでそばが食いたいけど、十銭しかないとき、いいじゃないの。」
 彼女は、げらげら笑った。
 修造はまだ帰っていなかった。この勢いで家へ帰るという扶佐子に、
「わたしんとこへお泊りじゃないんですか。」
「そんな気のかんこと、わたしはしないわよ。」
 そして走って帰っていった。茂緒は、まず火でも作ろうかと思い、古新聞をひねっているところへ修造が帰ってきた。赤い顔をしていた。
「扶佐子さんに会わなかった?」
「いいや。」
「おもしろかったわ、今日。なんとかミラセチって人や、ドンさんにあったの。」
 修造はふきげんな様子で、それを聞いていた。
「でも、ああいうとこ、もうこりこりよ。わたしきらい。いつもあんなの。修造くんによろしくっていった人もあったわ、みんなふよごろ(口ばかり達者でごろごろしている人間)みたいですもの。小豆島しょうどしまならさしずめ、みんなふよごろだといわれるわ。」
「そうだろ。ぼくも、ふよごろだろうっていうんだろ。」
 茂緒ははじめて気まずさを味わった。修造の友だちをよく知りもしないで生意気を言ったことに気づいてわびた。わびると、修造の方もすなおになるらしく、こんどはきげんのよい顔で、
「しかしなんだね。ほんといえば、そうなんだ。おふくろにも、兄きにも、ふよごろだって、よくいわれたからな。」
 まだ片づけ残している、部屋の隅の柳行李をみていう。行李は新しいのも古いのもあった。「一番」の大行李はもう茶色になっていて、ふたの腹にはS・Iときちょうめんなローマ字がかいてあり、隅の青い布の糸目がほどけていた。あとは二番と三番ばかりだった。文学などを志したばかりに彼は、腰が坐らず、いつも暮しに追いつめられていたというのだ。その最初が、大学の経済から文科へと、家へ無断で転科したときだった。そのために学資がとまり、苦学がはじまったことは茂緒も知っている。そのあとのことは、茂緒にはよくのみこめないままに、ただ彼が時代に反逆しようとし、なにかを叩きこわそうとしている意志だけが、そのものとして感じられた。茂緒もまたそのことにひかれもし、そこへ希望もつないでいたといえばいえることだったのに、一しょに暮してみれば、ただ貧乏だけが目の前に立ちふさがってきて、まだ正体はつかめそうもなかった。しかし、働くことで目の前の貧乏をくぐりぬける自信だけはもっている。荷物がきて、着がえができれば、その日からでも仕事を見つけにゆこうと、手ぐすねひいてまっている茂緒だった。彼女の荷物はまだこず、一足さきにやってきた修造の空行李について、
「食いつめて、なんにもなくなると家へ帰るんだ。友だちの着物をかりてね。すると、おふくろが心配してね、親父や兄きにないしょで、姉とこそこそ相談しては、夏冬一通りのものをこしらえてくれるのさ。それをもって上京する。また、すってんてんになって帰る。そんなことしてたら、行李はいつのまにか八つになったんだな。もっとあったろう。置き逃げした下宿もあるからね――。」
「まあ、やっぱりいい家はちがうのね、わたしのうちだと、そんなことしてもらえないわ。」
「その方がいいんだよ。こんな恥っさらし、しなくていいもの。今になって驚いちゃったよ、ぼくも。何か入ってるのかと思って、大きいやつをあけたら、中に行李があるだろ。そいつをあけたら、また行李さ。」
 大小の行李が入れ子になることで、下宿にいても彼は行李の数からの圧迫を忘れていたという。捨ててこようかとも思ったが、NやIもいたし、それよりも母のことを思いだすと、屑屋くずやにも払いかねたと語った。
「そういうぼくなんだからな。あいそつかすなら、今だよ。」
「そうね。でもわたし、行李もってきたあなたって、やっぱりおもしろいと思うわ。あいそつかすの、待とう。」
 その翌々日、茂緒の荷物もとどいた。これはまた新しい番外の柳行李とふとん包みだった。
「あら、たのまないのに、ふとんまできたわ。」
 ひとりなのに、思わず歓声をあげながらも茂緒は、これをもらってあとが困りはしないかと、ひそかに案じた。いつも小菊と一しょに寝ていたからである。ところが、取りだしてみると、ふとんも新しいものだった。更紗さらさの花模様の一組で、同じ布の座ぶとんと枕まで入っている。枕のかさばりとならべて、かたいふろしき包みが出てきた。あけると、そうめんと煮干だった。ふとんとふとんのあいだからは、水色の、やっぱり新しい木綿蚊帳もめんがやも出てきた。
 ――むりして、ふとん頼母子たのもしをおとしたにちがいない。きっとそうだ。客ぶとんを作りたいといっていた母の、それが唯一の希望だったのに……。
 茂緒は更紗の花に顔をうずめて泣いた。泣きながら、修造のところへは、まだ手紙の返事さえもこないことを思い、修造が帰ってきても、手ばなしでは喜べないつらさをも感じていた。二人二様の母の心が、からっぽの行李と花模様のふとんになって、一つの押入れの上と下とにおさまった。上の段はふとんで、下の段は行李だ。茂緒は自分の番外行李をも手早くひもをとき、ふだん着だけ取りだして下の段に仲間入りさせようと思った。仕事さがしに出かけている修造の帰らぬまに、片づけておきたかったのだ。しかし行李の中はふとんとはちがって、なつかしさをきたてるものばかりだった。人生の行路につまずいたり病んだり、苦労の多かった茂緒の二十五年の生活の集計がそこに示されているようで、その一つ一つを手にとって見ずにはいられなかった。銘仙めいせん以上のものはないとしても、いつとなくたまった着物はみな娘らしくはでなものが多かった。まだ新しい晒木綿さらしもめんのはんぱや、つぎのあたった古い足袋たびも入っていた。毛糸のショールの残り糸から、あみかけのレースの花瓶かびんしきまで、こまごまと一つのふろしきにまとめて入っていたりする。新しい下駄げたも、もらいもののタオルも、古いししゅうのある半襟も出てくる。それぞれの思い出につながる一つ一つを取りだしては、すぎ去った日の自分の姿を熱心に見つめた。そしてひそかに激励するのだった。
 ――よくぞ茂ちゃん、生きてきたね。……

 修造の兄から金をおくってきたのは、それから三日後だった。百円は大金である。やはり修造は待ちあぐねていたらしく、書留と聞くとパッと日がさしたような顔になった。手紙の文句もたいして気にかからぬらしく、一刻も早く百円に手をつけぬことには男がすたれでもするように、彼はいった。
「さあて、出かけようか。」
 ふたりは蝶々ちょうちょうのように飛びだした。そしてまっさきに家具屋へゆき、大きな坐机すわりづくえを買った。十七円のところを、隅の方にひび割れがあるからとて十三円にしてくれた。下宿代の滞納で押さえられ、机をもたないでいた修造は、これでやっと落ちついたらしかった。あとの買物は茂緒まかせだった。
 待望の水屋を八円で買った。一ばん安いのの次のであった。
「時計を一つ、買いましょうね。」
 空色の四角なガラスにはめこんだ置時計は一円だった。
たらいも買いましょう。せんたくしなくちゃ。」
 空行李の一つ二つの中に、煮しめたような浴衣や夏冬の肌着類が入っていたのを、茂緒は思いだしていた。それらの幾枚ものよごれものは、あまりに極端な汚れかたで、出してみることも、話題にすることさえもはばかられていた。トタンの盥は一円七十銭だった。ついでに茂緒は、伸子張しんしばりの道具を一そろい買った。
「わたし、これでせんたくや縫物大すきなんですよ。夜、おけいこにいったの。あんたのふとんや着物、ぜんぶ洗ってきれいにしますわ。」
 それには十年の垢がたまっていると茂緒には見えた。そして彼女は、そっときいてみた。
「ね、はじめてのとき、紺がすり着てたでしょう。あの着物だって、洗うとパリッとするわ。」
 すると彼は苦笑して、
「ありゃあ借りてたんだよ。Sの一帳羅いっちょうらを。」
「あれが一帳羅。」
 今の修造は、いつか本郷であったおかっぱの男と同じように、コール天のズボンに黒いルパシカのきたきりすずめだった。どうやらそれが、はやりらしかった。寒いときには、その上にひじのすりきれたよれよれのオーバーを着た。オーバーは、ときにはまた、いつも着物のIやNが着物の上に羽織って出かけることもあった。米がなければ食いにくるし、金がなければ借りにくる。いわば、おたがいの財布は見通しのようなそんな一団に修造もくわわっていた。そこに茂緒が仲間入りできるかどうか、茂緒自身はまだ考えるところまでいってはいなかったのだが、修造の方には、茂緒にたいして、汚れたシャツは捨てたい気もちと同じように、何か新しいふんぎりを、ここらでつけねばと思っていたらしい。それは故郷と母につながる思いでもあった。彼は懸命に仕事をさがし、そしてやっと見つけてきたのである。知人のKの勤めている通信社の仕事だった。それは、名士の講演を聞いてまわっては、その要点を筆記してかえり、書きあらためて地方の新聞へまわすという仕事だった。ときには指定された名士の宅を訪問して、談話を聞いてもこなければならないという。それを思って茂緒は、
「ね、あなたの着るもの買ったら。」
「それほどの余裕あるかね。質も出さんならんし、家賃も払わんならんし。それよりも、おれ、あまったら靴買いたいんだ。」
 彼のよそゆきの靴は歩くたびにパクパク口をあけるので、雨の日はぜったいにはけなかった。底だけでなく上まで破けているので、もう修繕もできない。ただ靴をはいているというだけの役目をしかしていなかった。だから、今も修造は下駄ばきである。
「じゃあ、靴、買いましょうよ。」
 都会は便利であった。机と思えば机があり、靴だと思えば靴屋がある。
「お金って、だからいやだわ。ないと、なんにも買えないんだもの。買うどころか、食べることもできない。だから、あるうちに買っちゃいましょうね。」
 茂緒はふと、田舎を出るとき小菊に土産を約束したのを思いだし、文房具屋によった。色鉛筆の十二色を買って出てくると、靴の包みをさげた修造は十間ほどむこうをゆっくりと歩いていた。足早になって追いつこうとする茂緒の行く手に、
 ――ちょっと、ちょっと。早く!……
 大きな、しかし、ひそめ声で家の中へ呼びかけているのは、文房具屋のとなりの、菓子屋の若いおかみさんだった。妹らしい女がはだしで飛びだしてくると、
 ――ほら、あの人の頭!
 指し示す方向はいやでも茂緒にわかった。修造の後姿をさして、好奇の目をみはっているのだ。茂緒はつい足がにぶった。自分にはもう見なれてきた彼の長髪を、もう一度見なおさねばならなかった。修造の髪の毛ときたら、ちぢれているのに多いので、むくむくと羊の毛のようにかたまっていて、よけい目だった。茂緒はそれを少しかくしたい気がした。
「帽子も買わない?」
 しかし、それは二分ののちにおじゃんになった。少し先の大道の木の下で、洋服屋がむしろをひろげた店を開いていたからだ。修造は十五円という玉ラシャの半オーバーを、着たりぬいだりして半時間ほどねばり、五円五十銭にまけさせて買った。よほど気に入ったらしく、さっそく着て歩いた。ならんで歩きながら茂緒は、修造の兄の手紙を思いだしていた。
 ――こんどこそは、まじめに暮してくれるよう、わしも悪いところがあったとは思うが、母者人ははじゃびとへの心配もこれを最後にしてもらいたい……。
 それは、弟のこれまでの生活が、ふまじめの連続であり、心配のかけ通しででもあったような文章であった。
「あんたって、ほんとに不孝者だと思われてたのね。」
てたんじゃなくて、てるんだよ。」
「わたしもそうよ。心配のかけ通しだったわ。でも……」
 ふっと涙ぐみそうになるのへ、修造は「なんだ?」という顔をした。茂緒は笑って、
「にようた(似合った)釜に、にようた蓋かもしれん。」
「われ鍋に、とじぶただろ。」


 修造が一軒借りたのに刺激されたらしく、部屋がりのNと扶佐子も家さがしをはじめた。修造の仕事のないときなど、二組の夫婦は、ふらりふらりと郊外を歩きまわった。ふと通りかかった道ばたや路地の奥に、著名な作家の住居を見つけては立ちどまったり、見あげたりした。田山花袋という表札は道からすぐ玄関の格子戸に手のとどくような、粗末な古い二階家だったし、やさしい字の表札がかかった鈴木三重吉の家は芝生の土塀どべいにかこまれた小さな家だった。葛西かさい善蔵ときたら、茂緒の家と川一つへだてた、ごみごみの町の長屋にいた。それらの人たちの玄関の戸を叩くほどのかかりあいさえない若さで、はるかな人たちにめいめいの思いをよせながら、また、ふらりふらりと歩く。空腹をおぼえると、つじの焼芋屋でそれを買って食べた。小さな家、小さな家とさがしているうち、けっきょく、茂緒たちの家と近い世田谷の太子堂の森のかげに、手ごろな家を見つけ、さっそく家主をたずねて約束した。六畳と三畳二間の二軒長屋が二棟ふたむねならんで立っていた。Nはたった一度書いたことのある「中央公論」を用意していてそれを見せ、信用させた。家はまだ畳建具も入っていない新築だったが、気の早いNは、今いる家で、息子が嫁を迎えるため、今日にも出なければならないと嘘をいい、早く畳を入れてくれといった。
「すかす壁の上塗りもまだでからね、なんでしてから、できるまで別の借家にお入りになっていませんでか。」
 別の借家は通りに面した商店むきの広い土間のある二階家だった。二階六畳と下は三畳一つのその長屋へ、N夫婦はその日に移った。茂緒たちも手伝った。前家賃に苦労したらしく、Nはすぐ本を大きな風呂敷包みにして売りにいった。こまぎれ二十銭の牛肉で転宅祝いをしながら、扶佐子はしきりと茂緒をさそった。新しい方の家へ一しょに越そうというのだ。
「ね、となりどうしで暮しましょうよ。いいじゃないの。森があって、わが家のごとく、人通りもなく静かで、井村さんだって勉強できるわ。別荘みたいじゃないの。」
「そうね。」
「貧乏したってさ、両方が一しょってことばかりじゃないから助けあえるわ。」
「そうね。そしたらわたしも寂しくなくていいんですけどね。修造さん、どういいますか。」
 ところがおどろいたことに、酔ったNと井村は、いっそう意気投合してしまって、明日にもこの二階家のとなりへ越してきて、一しょに新築のできるのを待とうというのだ。二階家は四軒長屋で、Nたちが越してくるまでは全部空家だった。酔ったいきおいで、男どもはすぐとなりの大家にかけあった。修造の勤め先は、彼に内職を与えてくれているKの通信社だった。そして翌日はとなりの貸家で飽きもせず豚コマのすき焼だった。かんたんに越せるものだと、茂緒は感心した。荷物は男たちが大八車で一度にはこんだ。茂緒はうれしくてならなかった。気さくな扶佐子がそばにいることは、何となくたのもしかったのだ。いつか茂緒が、すき腹をかかえて仕方なく寝ていたとき、扶佐子がいつになく、しょんぼりとしてやってきたことがある。
「井村さんは?」
「金策にいったんですけど。」
「そう。うちのNさんもそうなのよ。帰りにここへよると思うけど。ね奥さん、お宅ご飯ない?」
「あらあ。」
「昨日から、水ばかりなのよ。」
 茂緒はぽろっと涙をこぼし、
「うちもないんですの。わたしも昨日からろくに……」
 扶佐子は急にげらげら笑いだし、
「ようし、あんた一銭もない?」
「一銭ぐらい、あるかしら。」
 ふらふらしながら、あちこちをさがすと、勝手の棚から三銭出てきた。それをもって出ていった扶佐子は、やがて勢いづいて帰ってきた。
「さ、一つ半ずつよ。」
 どんどん焼だった。こんなうまいものを、はじめて食べたような気がして、そのとき茂緒は新たな親愛を扶佐子にもった。庖丁ほうちょう砥石といしでしかとげないと思っていた茂緒に、茶碗のいとじりで庖丁がとげることを教えてくれたのも扶佐子だった。即席の漬物つけもののつけかたも彼女に教わった。いつも家をあけがちの行商人を親にもって、小さい時から自分の暮しに苦労を重ねてきたという扶佐子の、胃袋をみたすためにく知恵は、いつでも茂緒をおどろかせた。
「わたしがね、物思いに沈んで、今にも身を投げそうな恰好してさ、橋にもたれていたらね、親切そうな小父さんがよってきて、五十銭くれたわ。若い身空で、短気をおこしなさんなってね。困ったときには、いつでもいらっしゃいって、名刺もくれたのよ。天理教の信者だって。」
 彼女は得意になった。
 二階家に移ってからの扶佐子は、よく茂緒の着物を借りにきた。小さなからだのくせに、大がらな茂緒の着物を上手じょうずに着こなして、彼女は、彼女の些細ささいな原稿を売りに出かけるのだった。無名の詩人の詩や童話は売れないことの方がもちろん多く、それでも彼女はがっかりすることを知らなかった。
「ちょっと、赤いバラの帯かしてね。二三日かせいできます。」
 化粧道具だけをもって彼女は出かける。どこかの繁華街のカフェかレストランへゆくのだ。いつもより楽しげに鼻唄など歌いながら、茂緒の鏡台で化粧していったりする。そんなとき、Nの機嫌は、きまって悪かった。そのためにも、彼女は出かけねばならなかったらしい。Nは扶佐子の心配など無視して、気むずかしく眉をよせ、修造のところへもこない。修造もまた、仕事で留守だったりした。
 あるとき茂緒は、二階の窓べ近くで解きものをしていた。年とった修造の母が、家のものにないしょで、自分の銘仙がすりの着物を修造のに縫いなおしてくれとて、包みにしてよこしたのを解いていたのだった。壁のむこう側の段梯子だんばしごがきしみ、あなたア、と甘い扶佐子の声がして、ああ、帰ってきた、とほっとしたとたん、窓の外を白いものが乱れとんだ。あっと思って外をみると、どんどん焼のかたまりが路上のこちらよりにつぶれ、湯気を立てている。茂緒はそうっと身を引いた。となりでもしばらく声がしなかった。しかし、やがてのことに扶佐子の甘えた声が聞こえてきて、無言劇は幕が閉じたらしかった。
 そしてまたやがて、
「井村さんの奥さん、お風呂にいかない。」
 ならんだ窓からのぞく扶佐子の声はやさしかった。
「ええ、今、すぐおりますわ。」
 広い土間のガラス戸をあけると、道路に投げられたどんどん焼がすぐ目についた。もう湯気はあがってはいず、丸いどんどん焼は無慚むざんにゆがんでいた。扶佐子はそれを下駄で下水のみぞこみながら、
「ねえ。」
と笑った。Nは扶佐子の帰りが一日おくれたのに腹を立てて、せっかく扶佐子が買ってきたどんどん焼をいきなり外になげたのだという。しかし扶佐子は、ねえ、と押さえるようにいっただけで何にもいわない。銭湯でもきげんよく、茂緒と背中を流しあった。扶佐子は手ぬぐいをきっちりとたたみ、背すじの下の方から上へ上へと上手に流してくれながら、
「きれいな肌ね。井村さん何ていう?」
 茂緒はびっくりして背をまげた。小さな扶佐子の色の白いからだは、一めんにうすいそばかすにおおわれていた。
「そばかす女って、いいのよ。知ってる?」
「そうですか。」
 昼風呂には、ほかに誰もいなかった。帰りに扶佐子はまたどんどん焼を十銭買い、茂緒の家によってふたりでたべた。
 新しい家に移るとまもなく、多枝夫婦も引っこしてきた。表の通りをへだてた床屋の二階だった。引っこしは、どこもみなかんたんだった。ふとん一組とこうりが一つ、瓶詰びんづめの酒の空箱一つに世帯道具は納まった。移ってから月賦屋で買った小さな机だけが、そぐわぬ形で家庭の新しさを語っていた。机は多枝のらしく、たずねてゆくといつも多枝は、彼女の部屋ときめているらしい玄関の三畳の、その机の前から立って迎えた。机の上には、小型の原稿紙がのっていて、そんなときの彼女は気むずかしい顔をしていた。彼女もやはり、Iとふたりの暮しのために、扶佐子と同じように、喫茶店の通いの女給になったり、Kの通信社に探偵小説を買ってもらったりしていた。そんな才覚にとぼしい茂緒にしろ、やっぱりKの通信社の筆耕の仕事をもらって、月のうち十日はそれをしていた。著名な作家の小説を、十五字詰めの原稿紙に書きうつす仕事だった。うすい上質の原稿紙に複写紙をはさんで、一度に四通りの原稿を作るのだ。その原稿は、一度Kの通信社に買われ、いくつもの地方新聞に発表されたもので、それをさらに、別の新聞社からの注文に応じて、茂緒が書きうつしているのである。茂緒がみて書く原稿はいつも新聞の切りぬきだった。書きながら茂緒は、いつかその物語によみふけっていたりした。徳田秋声のもあった。白石実三という名もそれでおぼえた。茂緒はふっと、自分の心の中にうずくまって、もぞもぞしているものを見つめ、ひそかにそれを温めて楽しんだ。三人の中では扶佐子がひとりにぎやかだった。女の幸福を一身に背負ってでもいるようにはしゃいで、わざとらしく身ぶるいまでして夫をほめたたえたりした。しかし茂緒はひそかに、ほんとかしら、と思う。円転滑脱とでもいうのだろうか。扶佐子は感情を自由自在に駆使して泣くことも上手だった。
ほのかに ほのかに さびしゅうて
あつい なみだが おちてくる
 となりあった勝手口で、おたがいにぬしをまつ夕餉の支度をする、そのN家の台所からまな板にあわせて哀調をおびた流行歌が聞こえてくる。ひょいとのぞいた茂緒は思わず、「あら。」といった。上げ板の上りばなに腰かけていた扶佐子は、庖丁をもったまま大粒の涙をたらたらと頬に流しているのだ。引きもならず困っている茂緒の胸に、小さな扶佐子はいきなりかじりついてきて、こんどはおいおい泣きだした。
「どうしたんですか。ね、どうしたの。」
 ひとしきり泣いたのち扶佐子は、急に、えへらえへらと笑いだし、
「奥さんをおどかしたのよ。ほのかにほのかに悲しゅうて、泣いてただけなのさ。」
 それはまったく、歌にさそわれて泣いたのを納得させるほど、もう何でもない顔つきだった。扶佐子さん、役者みたいだ。――と茂緒は思う。しかし、彼女と隣り同士に暮すようになってから、茂緒はいろんな疑問がつぎつぎと生まれてきた。あるとき茂緒は、いつものくせで気短なNが小さな扶佐子をいきなり抱いて、玄関のたたきに投げつけるのを見たことがある。泣き声も立てず、やがて扶佐子は、いつもの甘い声で、
「奥さん。」
と、縁側の方からやってきた。そして、
「今ね、けんかしたのよ。わたしに出ていってくれって。Nさんて、いい人なんだけど、お金がなくなるとわたしのせいにしちゃうのよ。」
 金があると上きげんになって、裸の扶佐子を肩車にのせて部屋中歩きまわったりすることもあるのだった。扶佐子はいつまでも帰らなかった。そしてNが出かけてゆくのを見て、帰っていった。その夜、茂緒は修造を出迎えに、停留所までいった。雨がふってきたからだった。修造はなかなか帰ってこず、そのうちに雨はしだいにやんできた。せっかくだからと待っていると、多枝が片手で雨をうけながら下りてきた。白粉おしろいをこくつけ、髪をコテでちぢらせた多枝の姿はいつもの多枝ではなく、疲れた顔をしていた。
「井村さん、おむかえ。」
 首をかしげて、にっこり笑う。茂緒はなんとなく照れて、
「ええ、降りだしたもんですから。でも、もうやみそうですから、あなたと一しょに帰るわ。」
 歩きだすと多枝は、あまりものもいわずうつむいていたが、別れる少しまえに、
「お米、おかえししないでごめんなさい。――井村さんは、いいわね。――わたしは、Iと別れる気なんか、ないんですよ。落ちつきたいのよ。」
 きれぎれの言葉ではあったが、茂緒にはのみこめる気がした。扶佐子にしろ、多枝にしろ、夫たちばかりか、その夫の友だちからまで不当な扱いをうけているのを、茂緒は感じていた。そしてその不当さの中には、扶佐子や多枝が、仲間の男たちのあいだを転々としていることにもあるように思えた。女が馬鹿なのか、男がずるいのか、茂緒の心でははかりしれなかったが、女のだらしなさでないことだけはわかって、歯ぎしりする思いもあった。扶佐子はNと一しょになる前に、なんども男にすてられたというし、多枝はまた社会運動で獄にとらわれているといううわさの夫をはなれて放浪し、Iは噂だけでも何人目かの夫だということだった。彼女はその獄中の人とのあいだに生まれ、そしてなくなった子供の遺骨を持ち歩いていた。無気味といえば無気味だが、それだとて承知のうえでIは彼女と結ばれたのであろうに、夫たちは、なぜ妻たちを落ちつかせないのであろうか。それは茂緒にまで、ときに不安を感じさせたりする。ともあれ、三夫婦が近所に集まったことで、市内にいた仲間の詩人のHも少し離れたところに越してき、世田谷界隈かいわいはいつもにぎわった。ひまさえあると、だれかの家へ集まって、ゴールデンバットの空箱で作った啄木たくぼくカルタに夜をふかしたりした。それらの文学青年ばかりでなく、じっさいの運動にたずさわっているという若い男たちも多く集まってきた。みんなアナキズムの思想につながれている者ばかりだった。牧師くずれの男もいれば、商人の息子もいた。彼らの「神様」はクロポトキンであり、大杉栄であるらしかった。難波なんば大助や朴烈ぼくれつも英雄であった。一くせありそうな様子をして語るその人たちの言葉には暴力のにおいがあった。そのくせ、自慢らしくリャクの話をする者たちもいた。
 ――手紙一本出すんだよ。女房が死にそうだとか、子供が病気だけど医者にかけられないとか、哀れっぽく書くんだよ。二円おくってくるよ……。
 リャクの方法をまだ知らない者に、経験者がそれを教えてやる。みんなが喜ぶと、
 ――あんまり一ぺんに出すなよ、おい。それに病気の女房や子供ばっかりでもバレちゃうぞ。悲劇を創作するんだな……。
 それをある紡績会社へ出すのだという。リャクは略取の略だった。教えているのはやはり詩人で、たまに飜訳の下請けなどをしているという背の高いBだ。そんなことについて、茂緒は手さぐりで感じとったことを修造にきいてみる。
「アナキストって、どうして人のふところ、あてにするの。自分は働かないで。」
 修造は彼や、彼と行動をともにしている人たちの思想について、まるでひけめでも感じているかのように、それを茂緒に話したがらなかった。茂緒は茂緒で、田舎にいて、修造たちの動きを理想化して考えていたことを思い、もどかしいのだった。
「働いてるじゃないか。」
 修造は、わざと心外な顔をする。
「あんたじゃないわ。あの人たちよ。リャク、リャクって、自慢みたいにいってる人たちよ。」
「あの連中はあの連中さ。資本家に搾取されるのはごめんだというんだろ。」
「へえ、そして女は搾取してもいいの。」
「…………」
「みんな、横着な顔にみえるわ。Nさんだって、Iさんだって、女だけにいやな仕事さして、いばってるの。」
「うるさいな。」
 ここまでくると、修造までもそうなのかと、茂緒はがっかりした。彼女自身は夫の仲間が集まって、けんけんごうごうの論に夜を明かそうとも口出しはせず、その人たちののどをうるおす茶くみ役に不満ではなかった。だが仲間の扶佐子や多枝が、女であるために受けている不当な侮辱や軽視には憤りを感じ、それをだれにもいえぬもどかしさで、修造にきくしかなかった。美しい未来のために、人間の自由のために、彼らの運動はあるのではないのかと、素朴そぼくに考え、その反逆精神に疑問をもった。しかもそこは茂緒の目には孤立した小さな世界にみえ、田舎の村の郵便局や役場で、いろんなことを訴えてくる人たちのためにはからい、手紙の代筆をしている方がりっぱだとさえ思った。
 よくきわめもしないで、不遜にも茂緒は、だんだん幻滅を感じだしていた。そこへ同郷の倉島兼次が現われなかったなら、何かのはずみで修造にまで、もっともっと愛想をつかしたかもしれない。それは最近、修造がいつも世話になったという姉から、ふたりの結婚に反対らしい手紙をよこし、それを茂緒に見せなかったからでもあった。しかしその手紙を茂緒は見てしまったのだ。修造が銭湯に出かけた留守の間に、おかず代をさがして何気なくオーバーのポケットに手を入れると、そこにあった。偶然のことであった。手紙には、茂緒の古い痛手をさかなでするようなことが書いてあった。茂緒がはじめて娘らしく胸をもやしたことのある、そしてはかなく水をかけられた灯台守の森田とのあいだに、子供までできかかっていたという噂があるというのだ。修造の友だちである倉島兼次とまで、何かややこしい関係があるらしいというのだ。事実無根のこのざん言に、かっとなり、茂緒は、じっとしていられなかった。倉島はどうだか知らぬが、茂緒にとって倉島は修造の幼な友だちであり、茂緒と仲よしの咲子の恋人だっただけである。修造が帰るなり、茂緒は突っかかっていった。
「姉さんの手紙、みたわ。」
「…………」
「どうして、わたしにかくすの。どうしてわたしにきかないの。」
「おれには分かってたからさ。」
「分かってれば、見せたっていいでしょ。倉島さんなんて、大っきらいなのに。」
「森田の方はそうじゃないというのか。」
 茂緒はもう、ものをいう気も失せ、ひとり泣いた。まさか今さら嫉妬しっとだとは思わぬが、修造だとて、同じような経験のあったことを知ってもいたし、おたがいに痛手をもつ過去に一応の線をひいて、立ち入らぬことを暗黙のうちに約束していたのに、ぬけぬけと男は女をせめ、あなどり、さげすんでいるのを感じた。
 そんなことがあって間もなく、倉島はとつぜん上京してきたのだった。茂緒はさすがにバツがわるく、言葉少なく接した。
「四五日、泊めてくれるかいや。」
 彼は修造にむかって、いつもの田舎言葉まるだしでいった。
「いいよ、四五日でも十日でも。」
 傷病兵の倉島は月額四十円の恩給と鉄道パスをもっていて、今では結核も一応の落ちつきをみせ、生活のうえでも一応の安定をもっていた。療養中にはずっと小説をかいていて、そのいくつかを持って上京したのだった。
「読んでみて、くれいや。」
 猫背の彼は、そのせいで声がつぶされでもしたようにめずらしいほど低い声であった。何事にも慎重で、修造の友人たちともなかなか親しまなかった。その皮肉な笑いを浮かべた顔は、うす気味悪く、まるで、ひけ目でもあるかのように茂緒は目をあわすことを避けとおした。ふしぎなことに修造は、倉島がきて以来、茂緒に甘い顔をした。どちらかといえば人前でそんなことのきらいな修造は、誰か人が泊るときなど、いつも自分のふとんに雑魚寝ざこねして、茂緒を一人ねかすのに、倉島の前ではわざとらしく茂緒と共寝した。倉島はすっぽりと、ふとんをかぶってねた。
 修造が仕事に出かけたある日、倉島は縁側に立って空をながめるような恰好で、裁縫をしている茂緒にきいた。
「幸福ですか。」
「どうしてそんなこと、きくんですか。」
「いや、ちょっと気になったのでね。」
「…………」
「彼は、花柳病かりゅうびょうをもってますよ。知ってますか。」
「知ってますわ。でも、それがどしたんですの。」
「べつにどうもしないですがね。――井村は変りましたね。茂ちゃんが変えたんだろうな。」
 彼はのどの奥で、女性的な、キキッというような、人を馬鹿にした妙な笑い声を立て、
「しかしぼくは、ちっとも井村に追随なんてしませんからね。アナキストには、ロクな奴はいない。ありゃ、人間の屑ですよ。」
 茂緒はその鴨居かもいにとどきそうな倉島の後姿に歯をかんだ。そしてぷいと外に出た。それしか、もう意志表示ができなかった。


 住みなれた家に落ちつくなどということを極端に軽蔑しているような人たちばかりだった。太子堂の森かげに移ってきた詩人は、森にあきてひとりずつ去りはじめた。その去り方もまた、一様でなかった。まず扶佐子夫婦が夜逃げをするという。家賃をためていたからでもあるが、それでまた新しい気分にもなれることに期待しているらしく、扶佐子もNもうきうきとしていた。例によって支度は早かった。夜逃げとはいっても、午後四時ごろに彼らは出発した。うしろ鉢巻のNが大八車を引っぱり、手ぬぐいをかぶった扶佐子が後押しをした。井村もIも、さすがに家主への遠慮からついてはゆかなかったが、ゆく先はもちろん知っていた。森を出はずれるころ、扶佐子はふりかえって手をふり、ベロを出して笑った。きちんと鍵をかけて出かけたので、それから三日後の月末になって家主はようやく気づいた。風あたりは、まっさきに茂緒の家である。
「Nさんは、どらへお引っこなさいまたか。」
 老眼鏡を鼻にずらした家主はぶるぶるふるえている。修造はとぼけて、
「どうしたんですか。」
と、逆にきいた。
「どうもこうも、だまって越されちゃあ、困っちまいますね。」
 同類だといわぬばかりのふきげんな口ぶりだった。修造もさるものらしく、
「困ると、ぼくにいわれても、これ、めいわくですがね。」
「ごぞんじだったんでしょう。」
「知ってましたよ、それは。荷作り手伝ったぐらいですから。しかし、まさか大家さんに無断だとは知らなかったですね。」
「ご冗談でしょう。――ところで、どらですか、お引っこ先は。」
「さあ、まだ知らせてこないんでね。」
 二カ月分の敷金を入れたきり、一年分も滞納していると家主はこぼし、しまいにはぺこぺこおじぎをして、「それでは、知らせがありまたら、一つよろしく。」と帰っていった。
 翌日は、こんどは茂緒が家主の細君につかまった。H夫婦が子供づれできていて、大声にNたちのことを語りあい、笑っているところだった。玄関の女の声に、何気なく茂緒が出てゆくと、かぎ鼻の細君はすごい目をして、いきなり、
「奥さん、ほんとにNさんのゆく先、ごぞんじないんですか。」
 部屋の声が一度に静まった。茂緒はいきをのみ、
「ええ。」
「そんなはずが、あるでしょうか。あんなにお仲よしでしたのに。」
「…………」
「かくしてらっしゃるんでしょう。」
「いいえ。」
「おかしいですね。信じられませんわ。」
「そうですか。」
「まったく、油断がなりませんね。」
「そうですね。」
 べつにわざとではなかったのだが、そのとぼけたような返事のしかたは相当なものだと、家主の細君の帰ったあと、H夫婦は腹をかかえて笑った。
「でも、こわいのよ、あの奥さん、魔法つかいの婆さんみたい鼻してね。」
 扶佐子たちは、もちろん、いったきり姿を見せなかった。こんどは多枝たちがきて、
「わたしたちも、引っこそうと思いますの。一たんべつべつになりますわ。」
 月賦の机を不払いのために月賦屋に引きとられてしまい、目ぼしいものは質に入れてほとんど何もなく、多枝がふとんをもってゆくと、Iは、着のみ着のままだった。ずるいくせに卑屈なIは、寒そうに肩をすくめ貧乏ゆるぎをしながら、
「奥さん、電車賃かしてもらえないですか。」
 電車賃もなくて、彼はどこへ越してゆくのであろうか。多枝とはなれることで、彼の目つきは気弱くなっているように見えた。
 多枝や扶佐子がいなくなると、茂緒もがっかりした。彼女たちに会うこともなくなり、茂緒はせっせと筆耕をし、あいまには伸子しんしを出して張りものをしたりした。何か故郷に帰ったような安心と、とり残されたような寂しさがあった。やがて扶佐子たちのいた家へは巡査が越してき、せっせと内職の裁縫をしていた細君は、茂緒に親しく話しかけ、伸子を借りにきたりした。扶佐子のいた三畳は、親戚しんせきか同郷らしい学生が下宿して、扶佐子のときと同じ場所に机をおき、窓べりに腰かけて、ときどき詩を朗々と吟じたりした。おもしろくもなさそうな仕事においまわされていた修造は、そのおもしろくなさで得た金で、年末には茂緒に着物を買ってやるといいだした。はじめてのことだった。三軒茶屋に出て、ぶどうの模様のメリンスを買い、彼の母と兄嫁のために、ねずみ色と紫のベッチンの足袋などを買った。それも修造にとっては、はじめてのことらしかった。暮の町は暮らしくにぎわい、くじびきで茂緒は三等をあてた。立ちぼうきだった。ほうきをかついだ修造とならんで、茂緒も買物包みを胸にかかえて夜店の並んだ電車通りを歩いていた。地蔵さまのそばまでくると、人だかりの中でバイオリンをもった艶歌師えんかしが流行おくれの枯すすきをなげやりに歌っているのが見えた。細君らしい小さな女がそのわきに控えている。待っていれば彼女も歌いだすのかもしれなかった。
 茂緒は、ふっと扶佐子を思いだし、急ぎ足になった。
「扶佐子さんたち、どうしてるでしょうね。」
 修造もそんなことを思っていたらしく、
「彼女たちは、よかったよ、とにかく。」
 引っこしていってからの彼女たちは、ふたりとも、相談したように夫婦別れをし、ひところ一しょに間借りをしていると聞いていた。まもなく多枝の小説がプロレタリア文学雑誌に掲載され好評だった。同じ雑誌に倉島の小説も、はじめは修造の紹介でのり、つぎつぎと発表されて、倉島はもうゆるがぬ地位を一歩一歩と固めていた。そうしたことは、修造にとっても茂緒にとっても、人びとの前では同郷のつながりや、幼な友だちの立場で自慢になったが、一方また何となくとり残されたような寂しい思いもあった。あのあとすぐ妻を迎えて上京した倉島は、中野に新居を見つけるまで茂緒の家にいたのだが、越したきり再び訪ねてはこなかった。越してゆくときも何が気に入らなかったのか、夫婦は笑顔もせずに別れをつげ、引っこし先の所番地も知らせてこなかった。なぜだろうと考えるとき、しいて理由を求めるならば、彼が所属したその文学団体が、修造たちと思想的立場を異にしているというくらいなものだが、しかし、そんなものだろうかと、どちらにも関係のない茂緒は考えて、修造のために不満だった。その修造だとて、自分の思想的立場への疑問でなやんでいるのを、茂緒は感じていたからだ。
「ね、越しましょうか。年のうちに。」
「そうだね。Hの家の近所にも、借家、たくさんあるよ。しかし、年内はむりだな。講演会でもすんでからにしようよ。」
 春早々修造たちのグループはM新聞の講堂をかりて、文芸講演会の計画をしていた。茂緒は、それもそうだと思ったのだが、家へかえると修造は、声をひそめて、
「やっぱり越そうや、早く。となりがお巡りなんて、あんまりいい気もちじゃないよ。」
 修造もやっぱり、寂しいのだなと、茂緒は思った。四度目に移った家は、大通りを一町ほど入った田圃たんぼの中の一軒家だった。というよりもそこを止まりとして、茂緒たちの家の裏からずうっと田圃がひろがっている田舎だった。ガスも水道もなかった。そこへ移って、最初の外出は文芸講演会だった。新しい家で目の先の気分もかわり、何かいいことがありそうな期待で茂緒は修造と一しょに出かけた。うきうきしていた。講演者の中にはHやNやOや、プロ派のアナ系詩人が多く、修造や扶佐子の名も出ていた。修造と一しょにこうしたところへ一しょにゆくのは二度目だった。はじめのは結婚したばかりのときのことで、それは三科の展覧会だった。田舎ものの茂緒も、二科は知っていたが、三科というのは初耳だった。そしてどぎもをぬかれた。妙な線が交錯した中に目が一つあったり、女の首がころがっているわきに、ほんとうの髪の毛が無気味にぶらさがっている画面は、どうしてもそれが絵とは受けとれず、美も感じられなかった。HやNの詩集にしろ、「死刑宣言」だの、「三角型の太陽」だのと、そのどぎつさや異常さは門外漢の茂緒に無気味さより感じさせなかった。修造にしろ、「頭の中の兵士」という茂緒にとってわけの分らぬ詩があった。若い詩人たちは、よるとさわると気焔きえんをあげていた。うちで静かな修造さえ、あるときの講演会ではHの詩の朗読に応じて叫喚しながら、観客席から演壇に走りあがったという。もちろん気ちがいざたではなく、そういう演出だったのだ。詩の朗読に新しい型を作りだしたのだと、修造たちはいい気になっているらしく、文芸雑誌のゴシップなどでも取りあげられていた。そんな話を聞くと、やっぱり若い茂緒は分からぬなりにその文芸講演会なるものを見たかった。何かそこでは、腹にたまっているものをぶちまける、魂の行動がありそうな気がした。扶佐子にあえるのも、うれしかった。
 しかしその夜の講演会は大した叫びもなく、おとなしくすんだ。ただ扶佐子の詩の朗読だけはやんやの拍手だった。そのとき女給をしていた彼女は、その勤めている喫茶店から、まっすぐここへ来ましたというように、髪を桃割れにゆい、赤い前かけをしていた。それだけでもう拍手は鳴りやまなかった。彼女はうぶな田舎娘のような仕種しぐさで長い袂を八つ口に挾み、また拍手をうけた。茂緒はそれを、何か芝居でもみるような気もちでながめていた。ふっと、ある疑問のような思いが心をかすめたが、しいて扶佐子らしいことだと考えた。会が終ると、仲間たちはぞろぞろと銀座へ出た。もう時間もおそく、乏しいふところで入れる店はなかった。二人さり、五人さり、方向の同じHと茂緒たちだけになっても、扶佐子ははなれなかった。Hがふんぎりをつけて、
「じゃあ。」
というと、それを待ってでもいたように、扶佐子はいきなり茂緒にかじりついて、わあわあ泣きだした。銀座の大通りにはまだ人が多かった。
「奥さんと、別れるの、いやあ。」
 幼い子供のようにじだんだをふむ扶佐子になかなか呼吸が合わず、茂緒はだまってその肩を抱いていた。扶佐子は茂緒たちの新しい家までついてきてとまった。彼女はもう多枝とも別れてひとりだといった。多枝のことをきいても、まるで、ゆきずりの人の消息でも語るように冷淡だった。多枝の小説のことをいっても、ふんという顔をした。Nのことについては、
「――わたしが働いて帰ってきたら、Nさん、よその女とねてるじゃないの。そしてわたしに出ていけっていうのさ。出ていったわよ。それだけさ……」
 朝になると、彼女は二階の窓から田圃を見わたして、大声で、らっぱ節を歌った。
たたたた たたたた 田の中で
 その素朴な猥歌わいかに茂緒はびっくりしてしまった。扶佐子は上機嫌で帰っていった。茂緒は、しらずしらず扶佐子に重荷を感じていたことに気づき、薄情なのだろうかと自分を顧みたりした。しかし別れてみればやっぱり心に残り、なつかしくもなる扶佐子だった。新しい家のとなりには、Kという若い少女小説家がいて、まっさきに親しくなっていたが、それは心の底から信頼しあう親しさには発展しそうもなかった。第一言葉も通じなかった。Kは以前の家主と同じ秋田人でなまりはさらにひどく、奥さんというのがウクスンと聞こえる。ときどき茂緒に妙なことをいった。
 ――うくすん、てんばつのバツはバツがふんとでしか、バツがふんとでしか……。
 彼にすれば天罰の罰はバツがほんとうか、バチがほんとうかといっているのだが、いくどくりかえしても茂緒にはさっぱり通じなかった。茂緒が笑ってしまうと、人のよい彼も笑って引きさがった。その意味は十日もたってから彼の若い細君にきいて分かった。少女小説家は罰を仮名で書かねばならなかったのだという。彼の家へゆくと、古い子供の雑誌が、どこの壁のきわにもうず高く積みかさねてあった。夜店を歩くとき、彼ら夫婦は古雑誌ばかりをあさった。その中の少女小説を焼きなおすことで、彼ら夫婦の生活はほそぼそとつづけられているのである。べつに大きな希望を持つでなく、それを本職として甘んじている彼らをみると、茂緒は何かしら辛くなった。彼女の足はひまがあるとHの家へゆきたがり、Hの細君と親しんだ。太子堂の森かげをNやIが去ってから、若い息吹きはH家に集まり、Hの妻の操子は何となく客のために立ったりすわったりに忙しそうだった。暮しの乏しさは、NやIと同じで、子供があるだけ深刻だったが、自分と同じように家庭の外に夢をもたぬ彼女に、茂緒は、多枝や扶佐子の場合とちがう安心感でつきあえた。どちらを向いても貧乏しかないこんな生活の中で、彼女はいつもにこにこしていた。あるとき茂緒は、操子にさそわれて近くの映画館へいった。めずらしいことだった。操子はうれしそうに眉をあげて、
「今日はぜんぶ私がおごるわね。ね、例の悲劇の手紙をK紡績へ出したのよ。そしたら、ほんとに二円きたわ。」
 ぺろっと舌を出し、はっはっとかわいらしく笑った。多枝の声のない笑い、扶佐子のげらげら笑いにくらべて、少し力のない、それはじつにかわいらしい笑い声だった。しかしさすがに気にもなるらしく操子は自嘲的に、
「ね、あぶく銭でしょ。みんなつかっちゃおと思ってさ。」
 彼女は、まず支那そばやへ腹ごしらえに入った。そして湯気の立つラーメンに一箸つけると、
「ああ、うまい、わたしも一つたのも。」
 お代りを注文しておいて、飢えた人のように熱心に操子はそれを食べたが、お代りがきたときには、もう手が出なかった。彼女はまた例のかわいらしさで笑い、
「わたしたちの食慾なんて、たいしたことないのにね。ラーメン二つ、食えないんだもの。」
 茂緒は深い感銘でその日の操子が心に残った。その夜、茂緒は夫に語った。
「ね、どうしてもわたし、感心しないわ。操子さんまでが、とうとうK紡績へ手紙出したのよ。」
「へえ。」
「アナキストって、なんていやらしいの。あなたも前にはあんなことしてたの。」
「ああ。」
「けいべつに価いするわ。」
「そうだよ。自分でもいやんなっちゃうよ、今じゃあ。その時としての言い分はあったがね。」
「きたないわ。そのくせ、二口目には、ボル(ボルシェヴィキ)の奴ら、ボルの奴らで、ガーン。ボルの奴らに政権とらせてなるもんかよ、なんて、まるで資本家よりもそっちの方が目のかたきなのね。二円ぐらいに喜んでさ。わたしはよく分からないけれど、アナだってボルだって、貧乏人をなくする主義なんでしょ、リャクなんてしないで、堂々とやればいいのに。」
 修造は小鼻のところで苦笑し、
「えらいよ、お前は。」
「馬鹿にしないでよ。冗談じゃないんですもの。」
「そうさ。冗談じゃないよ。そのうち、おれもはっきりする日がくるからね。近いうちだよ、それは。」
「そうお。」
 彼女はふっと、目をかがやかせた。なんとなく、このごろある清新な雰囲気ふんいきを感じさせられていることがあったからだ。修造たちのグループの雑誌「解放文芸」の上で意見が二つに別れ、新しい動きに修造たちが転じようとしていることだった。その修造たちの側では、若い学生たちのグループとも近づいて、活溌な動きを見せていた。仕事のほかに修造は日がな毎日忙しく出かけていた。Hの家へも、なんとなく足が遠のいているようだった。そしてその年の暮れ、
「今日は、みんな集まってね、討論して、いよいよはっきりするんだよ。もしかしたら、HやOともお別れかもしれん。」
 彼は靴の紐を結びながら、うしろむけのままいった。
 茂緒はふっと孤立を感じた。しかし窓からのぞくと、いつものとおり修造が、Hの家の方へゆくのを見るとほっとした。やっぱり一しょに出かけるらしい。会合の場所は馬橋まばしのYの家だということだった。寒い夜だった。修造のために蛤鍋はまなべの用意をして、茂緒は待っていた。いつまでたっても、修造は帰ってこなかった。しかし、そんなことはしょっちゅうなので、気にもかけず茂緒は、電灯を低くさげて縫物をしていた。夜ふけた路地に乱れた足音がして、遅いテンポで近づいてくる。ひとりではなかった。だが、玄関の前でとまったのに気づくと、茂緒はさっと立って、あかりをつけた。Hと、もう一人若い詩人のKがひとりの男を両腕から抱えるようにして横むけに入ってきた。男は両腕をHとKの肩にかけている。酔っぱらいとは様子がちがっていた。
「どうしましたの。」
 まん中の男が誰とも気づかずにいったが、だれも答えなかった。しかし茂緒は、男が玄関の式台に、割れもののようにして掛けさせられたとき、それが修造だと分かった。声が出なかった。彼女は、はだしのまま飛びおりて、修造の靴のひもを解いた。見あげると、彼の顔は彼とも思えぬほど形を変えている。ものもいえないらしい。Hたちも何にも説明せずに、もっそりと帰っていった。修造ははじめてうめき声をあげた。明かるい座敷に寝かせると、彼の顔はいびつな五角か七角のように見えた。額にも、頭にも、大きな大福のようなこぶができているのだ。聞かずとも事態は察しられた。茂緒は泣きながら、ぬれ手ぬぐいで患部をひやした。冷たい水はすぐぬるくなった。夜通しうなりつづけた修造も、朝になると少し痛みが去ったらしく、低い声でぽつりぽつりと話しだした。
「もう、大丈夫だよ。」
 茂緒がだまってうなずくと、
「よかったよ。」
 おどろいている茂緒に、
「むこうのまけだ。いたたッ! からだが、瀬戸物になったみたいだ。」
 笑おうとして、彼は苦痛に顔をしかめながら、
「殺されると思った。」
「Tさんも、Eさんも?」
 彼女は、修造と気のあった仲間の名をいった。彼はふっと目で笑い、
やっこさん、足が早いのさ。逃げたよ。」
 その日対立した意見は堂々めぐりのまま夜になってしまった。気まずい空気のみなぎっている部屋へ、とつぜん、どやどやとなだれこんできたのが、Mを先頭にした黒連(黒色青年連盟)の若い男たちだった。それを見るとTやEは一目散に外へとんでいったのだという。それまでには、なんどか一しょに飯を食い、酒ものんだことのある若者たちは、みんな夜叉やしゃのようにいきり立ち、そこらの垣根の棒杭ぼうくいを引き倒して抜いてもってきたらしく、くぎのついた四角な木切れや、太いステッキをもっていて、修造はいきなりその暴力にとりかこまれたのだという。
「まるで、やくざとおなじじゃないか。おれはいっさい抵抗しなかったよ。Uの奴、なぐっておいて、『これがおれたちの運動だ! おぼえとけっ。』ていったよ。それを聞いたらおれ、すうっとしたね。勝った! と思ったよ。」
「こわいわねえ。」
「ただね、心外なことが一つある。秘密だった場所が、なぜ黒連の連中に知れたか、だよ。――Aの奴が通謀したんだよ、きっと。」
「HさんやOさんたち、知らなかったの。そして、とめてくれなかったの。」
「ああ、みんな、ぽかんとしてみてたよ。友情なんてものも、頼りないものさ。しかし、とつぜんのことだから、HもOもGもびっくりしてしまって、手が出なかったということもある。うっかりとめて、きさまも一味か、なんていわれんともかぎらんしね。黒連が引きあげてからも、しばらくは、ぽかんとしていたよ。」
「でもまあ、死ななくて、よかったわ。」
 翌日の夕方、操子は買物ふろしきを持って見舞いによった。泣きそうな顔で、
「いやねえ。Mさんたち、今日、わたしんとこへ来てるもんだから、H、お見舞いにもこられないのよ。おっかないわ、あの人たち。」
 彼女が帰ってゆくと、修造は、
「Mたちがきてるんだって。おれの様子を見によこされたんだろ。死にそうかどうか。」
「そんなふうに思うの、よしましょうよ。操子さんは操子さんですもの。」
 五日もたつと、外傷はほとんど痛みを去り、修造はまた食うための仕事に出かけるといいだした。通信社の仕事は年末はことに忙しいのだった。ところが、出かける段になると、彼は不安そうに首をかしげ、まだはれのひかぬ左手首をしきりになでながら、
「へんだな。動くと、ひどく痛む。」
 左ききの彼は、その左手で、飛んでくるこん棒をうけ、頭や顔を守ったのだという。茂緒は不安になり、むりやり医者にさそった。案のじょう骨が折れていることが分かった。彼の左手はギブスをはめられて、ボクサーのようになり、三角巾さんかくきんでその手を首につって帰った。家の近くまでくると、向こうから、彼の手を折った連中が三人、不敵な顔を並べてやってきた。またHの家にでもたむろしていたのであろう。茂緒は顔をあげ、じっと相手を見ながら近づいていった。MとUとKだ。すれちがいざま、その中の一人は修造のそばにすりよってきて、「痛いだろうなア。」といやみをいった。茂緒は、ぞおうっと寒気を感じた。いいようのない口惜くやしさだった。と同時に、修造の一人歩きに不安を感じ、そのあと、どこへゆくにも駅までおくって出た。帰りも時間をはかって迎えに出た。そんなある日、ふたりはまた、Mに出あった。その日はひとりだった。彼は目をそらし、こそこそと横丁へそれた。
「なんでしょう。ひとりだと顔も見れないのね。」
「そうだよ。やつらは。」
「Mさんも、なぐったの。」
 すると、修造は思いだして、たかぶったらしく、
「おう、MとUが先頭だったよ。」
「そうお。でも、あの連中、ほんとにもう相手にならないことだわね。」
「そうだよ。――おれも、ずいぶんまわり道したもんだ。」
 その日修造は、家に帰ると、今はもう意味を失った「解放文芸社」の表札を片手でむしるようにしてはがした。
 転身の彼が、新しい熱意と、より高い希望で、かすのような思い出の多かった代田町一三八番地のその家を越したのは、もうギブスもとれ、痛みもすっかり去った夏のはじめだった。新しい表札は「左翼芸術社」であった。合法的な団体結社として届けてあるので、警察は、国民に知らせてならぬ事件の記事差しとめを、左翼芸術社へも通告してきた。その通告によって、事件の内容はわからぬまま、その年の三月十五日に、日本の新しい思想に圧迫がくわえられ、たくさんの人たちが獄につながれていることなども逆に知らされもした。
「何か、大へんなことがあったらしいよ。」
「左翼芸術社」に集まった若い「芸術家」たちは、手さぐりでそれを知ろうとして目をかがやかした。大学生もいた。絵かきもいた。会社員や新聞記者もいた。彼らは気負いたって、何かをつかもうとしていた。その若い息吹きの中で、修造もひどく景気がよかった。
 茂緒はまた茂緒で、扶佐子の活躍に目をみはっていた。扶佐子の小説「放浪日記」はその年の婦人雑誌に連載され、花が咲いたような好評だった。そして彼女も多枝も、新しい結婚の相手を見つけ、仕合わせらしい噂だった。
「扶佐子さんの小鼻が、どんなにふくらんでるでしょうね。」
 修造に話しかけてみたが、彼はそれどころでなく、ろくに、うけ答えもせずに、外出の支度だった。
「おれ、九時までに××に会わんならん。」
 すると茂緒もすぐその気になる。
「いって、らっしゃい。」
 外は季節の風が砂けむりをまきあげていた。
(昭和二十九年十一月)





底本:「現代日本文學大系 59 前田河廣一郎 伊藤永之介 徳永直 壺井榮集」筑摩書房
   1973(昭和48)年5月21日初版第1刷発行
   1980(昭和55)年3月15日初版第9刷発行
初出:「文芸」
   1954(昭和29)年11月
※「横町」と「横丁」、「行李」と「梱」の混在は、底本通りです。
入力:芝裕久
校正:入江幹夫
2022年5月27日作成
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