日めくり

壺井榮





 しんどい。
 火のない掘ごたつに向いあったまま、老夫婦はだまりこんでいた。思いは一つなのだが、今はそれを口に出して云いあう気力もない。ほかにだれがいるというわけでもないのだから、今こそ、ぶちまけた相談をしてもよいはずなのだし、しなければならない時なのに、言葉が出てこない。今更、あれこれとたしかめあう必要もないといえばないのだが、ぐっと勇気をふるって腰の骨をのばさねばならないような事態に、改めて直面してみると、やっぱりしんどさが先きに立つ。年寄りらしくぜい肉を落しきったようなせた夫は、白髪しらがの交った眉毛まゆげを、くぼんだ眼のまぢかに寄せて、巻煙草まきたばこをつまんだまま火もつけず考えこんでいる様子だし、人並はずれに太っている妻は、こたつ板に頬杖ほおづえをついたまま放心したようにまばたきもしない。よっぽどしんどいらしい。
 やがて夫がつぶやいた。
「虫が鳴いてる」
 妻は暗い部屋に気がついたが、あかりをつけに立つのも大儀だった。近年病気がちの妻は、こんなとき一そうからだが重たくなるのだった。いつもなら身軽な夫が用を足してくれるのだが、その夫も今日は立ち上ろうとしない。そしてまたつぶやく。
「虫が鳴いたりすると、よけいかなしい」
 妻に聞けというのだろうが、重ねてのつぶやきに、妻はふっとおかしさのようなものが涙と一しょにこみ上げてきた。いかにも実感のこもったそのつぶやきを笑う気はなかったのだが、四十年もつれそってきたその永い年月に、ついぞ聞いたこともない感傷的な言葉が、日頃はそんな言葉を使わないたちの夫の口から出てきたのがおかしかったのだ。くそまじめであるだけに、夫にしては実感そのままにちがいない。妻はそれで気もちがほぐれ、スイッチをいれに立った。
「かわいそうだった」
 あかりに背を向けて涙をふきながら、
「彼の前では、うっかり涙もこぼせないんですもの。思いつきのうそばっかりならべ立てて気休め云って――」
「少しは病気のこと、気がついてるんじゃないのかね」
「つかない筈がないわ。でも気のつかないふりをしてるんじゃないかしら」
「ふーん」
「口がくさっても、云えないものね。本人ももしやと思っても口に出せないのね」
 老夫婦はさっき方、胃潰瘍いかいようのあとが思わしくなくて、二度めの入院をしている娘婿を病院に見舞ってきたのだった。そして朝に晩に病勢の深まるらしい様子に気を重らしていた。今日は四十二度にも上った熱がやっと注射でさめたばかりだという病人は、それでもまだあえぎながら、
「熱の、原因が、わからないんです」
と、それさえわかれば毎日の苦しみからのがれられでもするかのように、口惜くやしそうに訴えた。聞きとりかねるほど力のない声で、かわいた唇が今にもさけて血がふき出しはせぬかと思うほどかさかさになっていた。そしてあとはもう目を閉じたまま、うつらうつらの状態である。食慾も全然ないのだと、附添っている娘はいい、声をひそめて、
「おこってばっかりいるのよ」
とかなしそうにいった。
「おこられている間が花よ」
「うん」
 おこらなくなったらおしまいなのだし、それがもうせまっているのだから、覚悟をしなさい、とはいくら娘にでも云えない。それにしても、これが二十日はつか前には小型テレビを喜びながら入院したあの気さくな病人だとはとうてい思えない。今はもうそのテレビを見る元気さえなく、がたがたふるえ出したり、高熱に意識を失ったり、うつらうつらと眠ったり、そのくり返しの合間を輸血とリンゲルで、ようやく保っているのだ。そして、それが好転する見込みは今のところ全然立たない。それどころか、苦痛と衰弱は加わるばかりらしい。
「もう、うちへ帰れないような気がする――」
 そんなことまでいい出した彼に、
「なに、いってんの。私でさえもよくなって帰ったのに、若いあんたが、馬鹿なこといいなさんな」
 その「私」もごく最近まで同じこの病院に病を養っていたのである。


「出向いて行っても、なんの役にも立ちはしないけんど」
「それでも、病人にとっちゃあ顔みるだけで、うれしいかもしれないわ。私らにはあいたがっているっていうから」
「しかしなあ、顔みりゃ見たで、彼もいろいろと、つらいんじゃないか。おれはそう思う」
「私も、そうは思うけど」
「だれにも会いたくないとは云っても、さてだれも見舞ってくれないとなると、さびしかろうしな」
「だから、私らだけでも、いってやらなくちゃあ」
 夫婦がそんな問答をかわしているところへ、ある知人から花が届けられてきた。病人へではなく、小説書きの老妻の方へであった。花は高貴ならんである。なんという名の蘭か知らぬが、ハワイから飛行機でとり寄せるのだという。年老いた妻は、時折このぜいたくな花を同じ人から贈られる。そこらの花屋では見かけることもない花を、彼女はいつも、とてつもなく喜んで仕事部屋に飾った。が、今日はちがう。
「病人へ、もってってやる」
 すると、その花をことづかってきた息子の太郎は、ちょっと言葉をつまずかせながら、
「お母さんにくれたんだから、お母さんの部屋においたら」
 だが彼女はかぶりをふり、
「悪いけど、今日は、もってってやる」
 太郎もすぐさとって、
「そうだね」
と同意した。花の贈り主は、太郎の親しい人だった。
「今日は、バスでいこうかな」
 花のほかには荷物もないのだし、と思って、いつもはハイヤーで出かける妻がそういうと、病気上りの妻のひとり歩きをいつも気にしている夫は、
「じゃあおれも一しょにいこう。そうだ、ついでに蜂蜜はちみつを持ってってやろうか。唇がひどくあれとったからな」
「それいいわ。りんご酢も少し持ってってみましょうか。蜂蜜とまぜたの、ひょっとしたらのめるかもしれないわよ。口あたりいいから」
 一縷いちるの望みに妻の声はあかるかった。野菜スープも口にしない病人ではあるが、これならのどを通るかもしれない。
 満員のバスは席をゆずってくれる人もなく、細い道路をひどくゆられながら終点の阿佐ヶ谷駅前についた。片手に花をもった妻と、小さな蜂蜜のびんをさげた夫は、一ばんあとからのろのろと下りた。乗っていた時間は十五分ぐらいなのに、妻はひどく疲れを感じていた。久しぶりのバスに酔ったのかもしれない。ふとった妻はゆっくりと、停留所わきの丸い花壇に近づいてゆき、コンクリートの縁に腰をおろした。思わずためいきが出た。
「気分わるいのか」
 よってきた夫が不きげんに聞く。だまってうなずくと、
「だから遠慮せんと、ハイヤー呼べばよかったんだよ」
 こんなときすぐ声がとがるのが夫のくせである。以前の妻ならすぐまにうけて、
 ――云ってもしようのないこと。よしてよ。
とつっかかっていったものだ。そして話はだんだんもつれてゆき、日ごろの不平不満を投げつけあうことになる。
 それが夫のくせであり、いたわりでさえあることに気がつくまでに四十年かかった。と妻は思いながら、
「ごめんなさい、もう大丈夫」
 立ち上ると、その妻の片腕を小脇こわきにかかえこむようにして、
「大丈夫か。ゆっくり、歩こうよ」
と夫の声は急にやさしい。病院へいくには、目の前の広場を横ぎってから、妻の足では十五分ほど歩かねばならない。その道のりを、腕をくんで歩いていくつもりなのだろうか。つい最近まで肩を並べて歩くのさえてれていたのに、病後の足の弱った妻をみては、そんな恥じらいの気もちも失せてしまったのか。
「並川文吉と、並川元子が、手をつないで歩いている。人がみたらおかしいでしょうね」
「知らんよ、だれも」
「ただのふとっちょばあさんが、ただのやせっぽちじいさんにいたわられてるおかしさだけ?」
「…………」
「詩人の並川文吉くんも、作家の並川元子さんも、元気ないわね」
「そうかね」
「そうよ。ここで若い者にどうかなられるなんてことになると、逆さごとですからね。――私やあなたが病みつくにしろ、死ぬにしろ、それは巡儀だけれど」
 不吉な予感に、並川元子の声はふるえだしていた。
「かわいそうだ」
と並川文吉の声も沈んでいる。
「私たちが?」
 元子はわざと聞きかえした。
「山形くんがさ。これからというときになって、たおれたんだからね。口惜しかろう」
 元子も同じように、
「女房子供だって、かわいそうじゃない」
 云ってもしようのないことをまたくりかえしている。そして、大してなぐさめにもなりそうにない花などをもって、苦痛にうめいている娘婿の枕辺を訪れようとしているのだ。それは病人をよけい苦しめることにもなりかねない場合だってあるにちがいないが、さりとて、一日も放ってはおけない。苦しんでいればその苦しみのうずの中に一しょにまきこまれることで自分をもなぐさめているのかもしれないが、朝に晩に病室を訪れて、なにかをたしかめねば気がすまなくなっているのだ。たまに眠ってでもいればそれが薬のせいにしろ一とき胸をなでおろせるわけだが、そんなことにはめったにめぐりあえなくなっている。せめては附添っている娘の力づけにでもなろうかと思うのに、その娘のひろみも病夫と一しょに、みる度、会う度、頬の肉を削りおとしているのだ。
「しっかりしなさい」
といったところで、不眠不休の彼女にとっては、ビタミン剤の注射をしてもらうぐらいのことしかない。そんなところへ、花をもってゆくのか。病勢が極度に進むと、花などというものは、むしろ邪魔かもしれない。
 並川元子はそっと紙包みの蘭をのぞいた。匂いはないが、り返ったような花弁のピンクの花が豪華にむらがっていて、ほのかに匂うような気がした。美しい。しかしこの花が喜んでもらえないかもしれないのだ。
「山形さんて、あれでとてもよく気のつくとこがあるのね」
 丈夫だったころのことを思い出していうと、夫もうなずき、
「そうだよ。仕事も熱心だったしね」
「去年も今年も、二月二十日に花をもってきてくれたの、山形さんだけよ」
「二月二十日? 多喜二の日じゃないか」
「ほら、あんたでさえそれでしょう」
「ああ」
 そんなことかという顔だ。二月二十日は、三十年前に、作家であり共産党員であった小林多喜二が、つかまっていた築地警察で虐殺された忘れがたい日であるが、更に一昔前の同じ日、並川文吉と元子は、たった二人きりの結婚式をあげたのであった。あれから四十年たったというわけだ。
「実は、私も忘れてたんだ」
「…………」
「白のフリージヤを、うんともってきてくれたのよ」
 一昨年の、元子のはじめての入院中のことであった。ピンクのリボンで結んだ美事なフリージヤの花束を、ベッドの上の元子にささげて、
「おめでとうございます。花束だけでかんべんしていただきます」
 にやにやされて、ただのお見舞いでないことに元子はすぐ気がついた。
「ありがとう」
 家族のだれも忘れているほど遠々しい結婚記念日を、彼だけが覚えていて、病気見舞いのところをそれにさしかえた思いつきが、元子はうれしかった。
「よく、知ってたわね」
「いやあ、ひろみに、いわれたんですよ」
 正直なところをぶちまけるのもよかった。
 そういえば、フリージヤは、山形の結婚式にも、花嫁のひろみが胸に抱えていた花でもある。太郎が一任されて買ってきたその花は今も心に残っているほど美しく清楚せいそで、花嫁のひろみを引き立たせた。そんな思いにつながったフリージヤだったかもしれない。……
「あっ」
と元子は小さく叫んで立ちどまった。そしてうろうろとあたりを見まわしながら、文吉に、
「この道だわ。たしかに。向うにフミキリがあるでしょ。そこを渡って少しいくと左側に多喜二の家があった――」
 その日夕刊で多喜二の死を知った元子は、まだ小さかったひろみをつれて、多喜二の母のいる家へかけつけたのだった。その道が、今、病院へいくこの同じ道であることに気がついたのも、フリージヤからの連想であった。たくさん集った多喜二の葬式の花をその時獄中にいた大勢の多喜二と同じ文化団体の人たちに差入れたのである。その中に文吉もいた。一輪ずつの赤いカーネーションにフリージヤを添え、差入れ者は多喜二の母の名にした。そうすることで、多喜二の死を知らせようとしたのだった。その思いつきは元子であり、そしてそれを刑務所に運んだのも並川元子であった。その時の元子はまだ小説などは書いていず、解放運動犠牲者として獄にとらわれていた文吉の家族として、文化団体の中の差入れ係をしていた。――
 病院の玄関を入ると、まるで待ちうけてでもいたようにひろみがかけよってきて、
「今、電話かけたのよ。そしたらもうつくころだって」
「わるいの?」
「うん。しゃっくりがついて、とまらないのよ。かわいそうで」
「そう」
 玄関からは遠い病室へ、三人は足音をひそめて歩いた。ひろみのやつれが目立つ。


 毎日、わさわさと仕事も手につかない。となると、けっきょく病院通いになってしまう。
「こんなに毎日、忙しい人が、朝に晩にきてくれたりすると、やっぱりガンかなと思ったりするんですよ」
 きのうはついにそんなことを云い出した。壁の方を向いて、だれの顔も見えない恰好かっこうであったが、反応に耳をすましている様子は、毛布をかけてやっていた元子には痛いほどわかった。冷静らしくいってはいても、唇もやせた頬もこまかくふるえていたのだ。しかし、元子にだけしか聞えぬほど低い、小さな声だったので、そろそろ耳の遠くなりかかっているのを利用して、元子はよく聞きとれぬふりで、ごまかしをいった。
「近いんだから、平気よ。運動になって、私の足もきたえられるからちょうどいいのよ。またくるわね」
 そして、廊下に出ると、玄関まで見おくろうとするひろみに、
「いってたの、聞えた?」
 ひろみはわりあい平気で、
「うん、あんなことばっかりいってるのよ」
 もうれ馴れになって、それがただのいやがらせででもあるような調子だ。
「気にしてるのね。かわいそうに」
 元子が涙をこぼすと、ひろみもほろりとしながら、
「でも、まともに相手になるわけにいかないでしょ。いいかげんな気休めでも云おうものなら、荒れちゃうし、だから、わざとにやにやしてるの。ガンだと云ってもらいたいのなんて、逆ねじいったりね。とにかく、扱いにくいわ」
 小心な、正直者のひろみにもそんなかけひきができるようになったのかと、元子は今更のように目をみはる思いだった。ひたすらに夫により添い、何一つさからうことを知らぬような古風な、今時珍しい女だったのに、二人の子の母親ともなれば、いろいろと変ってくるのだろう。そういえばついこないだ山形は面白い話をした。
 ――はしごをしましてね、有り金全部のんじゃったんです。あり金といったって二千円ほどですがね。帰りの電車賃もなくなりましてね、タクシーひろったんですよ。ヘベレケなもんだから運ちゃん気をかして宿屋へつれていきましてね、今夜はそこへ泊れってんですよ。一銭も金がないんだからって、空っぽの財布さいふをみせて、やっとうちまで運んでもらいましたがね、一時をすぎてたでしょう。九百円ほどとられましたがね。ひろみ、ぷんぷんしてるんですよ」
「でも、よくお金があったわね」
「サラリーもらった、翌日でしたからね。でなかったら、そんな無茶しませんよ。でも、その翌日が大変でしたね。折悪しく日曜なんですね。二日酔で頭ががんがんしてるのを、無理やりたたき起されましてね。さ、出かけるのよ。昨日父ちゃんが無駄づかいしただけ、今日は私がつかうのよ。――デパートのお供ですよ。坊や抱かされて、六階から地下まで、ぐるぐるぐるぐると歩いて、三百円のなべ一つ買って帰ったんですよ。まいったな。これが女の無駄づかいか。哀れなもんだなって冷かしたら、彼女、にやにやしながら、はい! ってぼくの前に包み紙を投げてよこすんですよ。あけてみたら、二千円のセーターなんです」
 山形はからからと笑い、
「ひろみにしちゃあ大出来でしょう」とうれしそうにつけ加えた。まだ子供も一人の時なら、彼がさかんにのんでいた頃である。その子供の生れる前には、ひろみをつれてバーめぐりをした話なども聞かされたことがある。酒がのめなくなった今、山形にとっては、こんなこともなつかしい思い出なのだろう。
「あんまりせきせき見舞っても、それが気になるとすると、遠慮した方がいいのかしら」
「どうかね」
「万一の時にあとへ思いが残っても、辛いしね」
「そうなんだ」
「ひろみだって、心細いでしょう」
 こんなところへひろみから、容体をしらせる電話でもあると、それを待ちかねていたように老夫婦は出支度でじたくをする。別に化粧をするでもない元子は、帯をしめ直すぐらいですぐにも出かけられるが、文吉の方はいつでもそうはいかない。一とき、せかせかと部屋を出たり入ったり、頭をかしげたり、ぶつぶつと口の中でつぶやいたり、そのあげく、
「めがね、知らないかね」
「しってる、めがねぐらい」
「どこだ」
「それはしらない」
 そんな冗談でも云わないと腹が立つほど、文吉はめがねの置場がひろい。
「めがねはずすときに、置場決めておかないからよ。茶の間ならテレビの上とか、書斎なら机の上でなく、抽出ひきだしの中とか、洗面所なら鏡の前じゃなく、いっそのことお風呂のふたの上だとか。そしたらさわぐことないのよ」
 そういう元子がこのごろでは文吉に劣らぬ忘れやになっている。どうしても見つからないので新しいのを作ったら、庭のつつじのしげみの上にちょんとのっかっていたりする。ひろみが家にいたときには、さがし役だったし、それがまた得意のひろみだった。ひろみがいなくなって、やっとそれをめいめいのなすべきこととして習慣づけはしたものの、年とともに重荷に感ずるほど、忘れることが多くなっている。めがねだけのことではない。
「親なんてものはかわいそうね。夢中で子育てをして、少しはらくも出来ようかという時にはもう子供らはそばにいない。子供をあてにはできないとつねづね覚悟はしていても、年よって、からだがいうこときかなくなると、子供をたよりたくなるらしいわね」
「次第おくりだ。仕方がないよ」
 こんなことをいっていた元子たちも、このごろの話題はだいぶ変ってきている。
「もしかしたら、孫のめんどうを見るようなことになるかもしれないわ。私、その覚悟なのよ」
「そうだね」
「山形をみてると、とうていこの先、三年も五年も生きられるとは思えないでしょ。子供はやっと幼稚園と、赤ん坊」
「かわいそうだよ。あれもこれも」
「山形さんみてると、私のぜんそくなんて病気の中に入らないみたい」
「そうでもないよ。おとどしから、半分は病院じゃないか」
「でも、病室に机もちこんで、仕事のできる病人ですもの。私、もう入院なんてしないわ」
「そうはいっても発作が起きりゃ、ほっとけないよ」
「発作、おこさないことにするわ。とにかくこうなっちゃあ、われわれがしゃんとしていないと、総くずれよ」
「大げさにいうね」
「そう。私このごろ、少々迷信やになったのよ。二度あることは三度なんて」
「なにが」
「姉さんと、弟のことがあるでしょう。気になる」
 ここ一年とちょっとのうちに、元子は二人ものきょうだいを、失っていた。姉の方はながいわずらいののち、そして弟はあっというまの脳溢血のういっけつだった。二人とも元子の入院中だったので、葬式にもいけず、ひとり病室の中で思い出にふけった。たがいに畑ちがいの仕事であったためについ疎遠にすぎ、きょうだいながら打ちとけあうこともなく過ぎた年月が多かった。それに比べると、娘婿という近しさを別にしても、文学書の出版社につとめている山形とは心を許しあえるものがあって、むしろ姉たちよりも肉親的な感情がもてた。たよりにもしていた。それが今、生命の灯にあらしが吹きよせているのだ。不幸はとかくつれを呼ぶといわれる。いつ吹き消されるかもしれぬ命の灯を、守る手だてはもうなさそうに思える。
 病室の前に立った老夫婦は、いつになくひっそりとした気配に思わず顔を見合せた。いつものうめきが聞えない。こつ、こつと、できる限り押えたノックをした。ひろみが顔を出し、
「あら」
とうれしそうにいい、ベッドの方へ、
「おじいちゃんと、おばあちゃんよ」
 山形は珍しくベッドの上に手をついて起きかかっていた。たった今、起してもらいかかったところだったらしく、ひろみはすぐ近よって、ゆっくりとあぐらをくませてやった。骨ばかりのような足が、山形だけの自由にはならぬらしく、手間どった。しかしきげんは上々らしく、がんこなしゃっくりもとまっている。
「元気ね、今日は」
 ひろみが代って、
「たった今、やっととまったのよ」
「よかったわね」
「でも、すぐまた――」
 いいかけると、
「うるさーい!」
 思いがけない元気さで山形がどなった。
「ごめん、ごめん」
 ひろみは首をすくめ、
「つい、よけいなこといっちゃって」
「それがうるさいんだっ!」
 元子はびっくりした。そんな元気さがまだあったのかと、そのことにもおどろいたし、ひろみのしかられ上手じょうずにも感心した。ひろみは、
「お茶!」
「はい」
 魔法瓶の湯を急須きゅうすいでから文吉たちの湯呑ゆのみをとり出していると、
「早く」
「はいはい」
 湯呑みをさし出すと、
「あついっ!」
「ごめんなさい」
「わかってるじゃないか」
「すみません、あの――」
 親たちの前で、熱さ加減をみることをてれたらしい。それにしても声だけはなかなかの元気である。のみ終るとすぐまた横になりかかった。やはりまだ、坐っていることに堪えられないらしい。時間をかけて枕に頭をつけ、海老えびのようにからだを曲げたままやっと横たわると大きくいきをついた。が彼の元気さはまだ残っているらしく、目をつむったままではあるが、文吉と元子にむかって、
「今日、社長が見舞いにきてくれましてね」
 うれしそうだ。それでいつもと様子がちがうのかもしれない。
「そうかね」
と文吉がうけて、ベッドのそばに椅子いすをよせた。
「休んでるのに、昇給してくれた礼をいいますとね、なに、もうけてるんだから気にするなって――」
「よかったわね」
 元子が顔をさしよせていうと、ひろみが尻馬しりうまにのって、
「今日は、まだいいことがあったのよ。おすしを食べたのよ」
「ええ!」
 思わず元子はひろみをみた。
「鉄火が食べたいといいだしてね、取ったのよ。四つも食べたわ」
「大丈夫?」
 元子はぎょっとした。この半月もの間、水やジュースしか通らなかった重病人が、急に鉄火巻など食べてよいのだろうか、ということよりも、昔からいわれている、危機のせまった病人に、こうしたことがよくあるということに、さしせまったものを感じたのだ。だが、ひろみはあまり気にしていない様子で、
「なんだか、朝からいきごんでいるのよ。珍しく歯をみがいたり、自分でいい出して下着をとりかえたり」
 すると山形もちょっと調子にのったように、
「久しぶりに、固いめしをくいましたよ」
「そう。うまかった?」
「うまくはないですがね」
「いいの、急にそんなことして」
「大丈夫ですよ。医者はなに食ってもいいって、まるでさじなげた病人にいうようなこといってるから、食ってみたんですよ。うまくはないけど、その気になれば食えましたよ。アイスクリームもたべたし、紅茶も二はい、かな。三杯かな」
 やっぱり目をつぶっていっている。元子は目顔でひろみを廊下へ誘い出した。文吉には汁粉屋へいくとささやいた。
「なんだか心配よ。気をつけなさいよ」
「そうお」
「食慾が出てきたなんて思ったら、大まちがいよ」
「わかったわ」
 どこまでわかっているのか、さしせまったものなど感じられない様子でひろみはうなずきはしたが、夫と一しょに、鉄火巻を食べた喜びの方が大きいようにみえた。
 病室に戻ると、文吉は顔を病人にさしよせて、しきりにうん、うん、とうなずいていた。山形の声は低くて元子にはよく聞きとれなかったが、文吉の方はいろいろと聞かされたらしく、
「そりゃあ君がよくやったからだよ。だから早くよくなって、その仕事やらしてもらうんだな。そのうちぼくの詩集も出してもらいたいな」
 だいぶ疲れがめだってきた。まだひどくはないがしゃっくりも出だした。しかし彼は軽いいびきを立てはじめた。久しぶりのおしゃべりに、注射なしでも眠りだすほどつかれたのかもしれない。
 帰りの道で文吉は、元子と同じ不安を吐き出すように、
「あんなにしゃべって、心配だな」
「そうなのよ」
「急にすし食ったりして、大丈夫かな」
「もう、しようがないわよ。すし食う前におかゆ食えっていっても、聞く男でもないしね」
「まあ、すきにさしとくんだね。さっき、医者が匙なげたとかなんとか云ってたじゃないか。やっぱり感じて、少々やけにもなっとるのかな」
「この調子じゃあ、こっちもいつまでもとぼけてるわけに、いかなくなるわね」
「そんなことで、ひろみにぽんぽん云ってるんだろ。おれたちにあたるわけにもいかずさ」
「でも、あのぽんぽんはいいわよ。本職の附添さんには云えないもの。ひろみをつけて、よかったと思う。どっちにとっても」
「うん」
「なんとか、ふたりだけの時を、少しでもながくしてやりたいわね」
「だがね、今日、社長がきてくれたことは、ほんとにうれしかったらしいよ。それで彼、少し希望が持ててきたんじゃないかな」
「そうお」
「君は詩が好きなんだから、詩の全集の企画でも考えて、それを提出しろだの、その仕事にはだれとか君が適任だから、それと組むといいとかな、いろいろ云ってくれたんだそうだ。そいつがひどくうれしかったらしい」
 山形常夫はその勤め先の出版社で詩書の企画を立て詩集の出版を手がけてきた。彼の今日までの仕事の最後は、犀星さいせいたち高名な詩人の豪華な全詩集本であった。そして、はじめの入院の時には病室までその大きな、重たい詩集を持ちこんで、時々ひろげてみたり、赤ん坊の頭にでもさわるように、感慨ぶかい表情でさすっていたりした。
「その中、おじいちゃんの詩集も、出しますからね」
 そんなことも云ったりしたこともあったが、それからわずか半年の今ではもう詩集どころでなくなっている。日々の新聞さえ手にしないのだ。
「勤めなんか、いやんなった」
とはき出すようにいったりすることもある。胸元につかえた不安を、そんなふうに吐き出していたのであろう。
「夢の中でね、悪い奴が催眠術をかけやがってね、普通の論理では成り立たんような理窟を押しつけやがって、苦しくて苦しくて。――いくらたのんでもその催眠術を解いてくれないんですよ。もうだめかと思った」
 まるで夢ではないようにそれをくり返して訴え汗を流して憤慨したりもした。そんなことがあってから、衰弱は日々に目立った。それでも今日社長が見えて、力づけに詩集のことを云ってくれると、彼の消えかかったような生命の灯も一瞬もえ上ったのか、それで今日はいつもより少しばかりごきげんだったのだと、文吉はいい、
「お前たちが汁粉屋へいってるときさ、いろんな話をしだしてね」
「あらそう」
「彼は、出版の仕事について、今年でちょうど二十年になるんだってね」
「そう」
「仕事の面で、ぼくは仕合せだったって――」
「…………」
「いやな思いを一度もしなかったということは、ことにつきあった限りの詩人たちが、みんないい人だったわけだし、ぼくの目にも狂いがなかったということだと思って、うれしいんですよって」
「…………」
「ぼくはねおじいちゃん、自分では詩は一行も書きませんがね、とっても詩がすきなんです。ぼくに詩のことを教えたのは松山の高等学校の、一つ上のクラスの奴でしてね、お前、伊東静雄って知ってるかねって。伊東静雄はぼくの中学の先生だったんですよ。でも詩人であることを、ぼくは知らなかった。そのうち、学内運動で松山高校を追われましてね、上京したんですよ。伊東静雄の詩集をさがしましたね。その中、朔太郎さくたろうとの関係がわかってくる、朔太郎と犀星とのつながりがわかってくる。更におじいちゃんたちとも近づいた。――」
 ――それでひろみと結婚することにもなったのか。元子はふと、ひろみを妻にほしいという申入れのあった十年前の正月のある夜のことを思い出していた。正月酒にへべれけに酔った彼は、酔ってろれつのまわらぬ下手へたな口上で、文吉と元子の前にひれ伏したのであった。
 文吉の話はつづく。まるで病人の山形の口調をそのまま伝えようとでもするように、ゆっくりと、低い声で、
「東京堂へいくと、詩集がたくさんありましてね。そこで、ぼくが、最初に買ったのが、ばくさんの詩集なんですよ。山之口貘。――って、感慨ぶかそうにいうんだよ」
「そう」
「貘さんのがんと、なにか因縁でもありそうにいうんだな。それきりだまりこんでたね。おれもだまってた。しかし、なんにも云わんところに、やっぱり、なにか、思いがこもってたね」
「…………」
「それで、しばらくしてからぼそっとつぶやくんだ。たばこが、このごろ、うまくなりましてね――」
 ううっ、とこもったような嗚咽おえつが、文吉ののどからもれた。くらい欅横丁けやきよこちょうに道をかえて、老夫婦はしばらく無言で突っ立っていた。


 山形の家は、並川家と同じ町内の、歩いて十分ほどのところにある。勤めの行き帰りに、山形もよく寄っていったし、ひろみときたら、買物の時はもちろん、そうでない時にも、二人の子供をつれて毎日のようにやってきた。そんなとき大人ばかりの並川家は急に若がえり、
「おうおう、きたかい、きたかい」
などと、元子など仕事をおっぽり出し、目尻をさげて歓迎した。孫は上の壮一が幼稚園で下は誕生をすぎたばかりの女の子であった。下の千咲が生れるとき、元子は二度目の発作を起して入院していた。持病の腎臓じんぞう脚気かっけのために、上の男の子の時も早期に人工出産したひろみは、二度めのときの産院へのゆきかえりを山形と一しょに元子の病室に立ちよった。きの、夫婦ともどもなんとなく不安げだった顔が、帰りにはひろみのからだもすんなりとし、一家そろって仕合せに包まれているようだった。壮一も一しょだった。
「うまく、生んだでしょう」
と山形は自慢して、大事そうにかかえてきた千咲を元子の手に、惜しそうにして渡した。眠っている赤ん坊は薄着のせいもあってかびっくりするほど軽く、小さく、羽二重のような足の裏がひどく印象的であった。指先でさわってみると、もうぴくっとふるわせた。
「もらっちゃおかな」
 元子にからかわれてまにうけた壮一は、しんけんにかぶりをふり、
「帰ろうよ、ね、帰ろう」
 それなのにいよいよのとき、ほんの瞬間ではあったが、夫婦は、無意識の中でめいめい赤ん坊の抱き役をゆずりあったのか千咲を忘れて帰りかけた。元子は大声で、
「あれ、置いてくの」
 一とき笑声がわいた。
 そんな笑い話もあって、一年余がすぎた。壮一は幼稚園も二年めになり、千咲はもう走り廻っている。仕合せな一年であった。そんな娘の一家を、身近にながめて暮したい望みで、山形の家は並川の家の近くに場所を選んだのに、その仕合せに思いがけない危機が訪れたのである。
 ――このままでもう家へ帰れないような気がするんです。
 元子は、そんな山形の心細そうな言葉を思い出すと、気が滅入めいりそうになる。そんなことにもなりかねないのだ。なんとか、ならないものか。あの子ぼんのうの山形が、子供の顔も見たかろうかと思い、あるとき元子は、
「つれてきましょうか」
と聞いた。山形は力なくかぶりをふり、
「こんな姿を、子供に見せたくない。せめて笑顔で迎えてやるほどにならないと」
 そんな笑顔が山形の顔に戻るのはいつのことであろう。
 留守宅には八十をすぎた山形の母が、二人の子供をみていた。それも重荷にちがいない。山形の入院以来、子供たちは一度も元子の家へやってこない。元子たちもまた、山形のことが精一ぱいで、孫の顔を見にゆけないでいる。歩いて十分とはいえ、坂のある道は、足の弱い元子に二の足をふませた。
「元気にしてると思うけど、みてきて下さいよ」
 ひろみにたのまれて、夕食のあと、元子たち夫婦は出かけることにした。五階建の団地住宅の並んだ、コンクリートの道を、ならんで歩いた。ここを通りぬけ、団地のはずれを、小高い住宅地へ上ってゆくと、山形の家はすぐだった。ぽつりぽつりと、落ちてきた。団地の中では雨までが固く、おもむきのない感じがする。つえにしていた傘をひろげながら、元子は、
「壮一がね、この団地がうらやましいんだってよ。今度はあんなお家、建ててって、太郎にたのむんだって」
 建築やの太郎の設計で建てた、しょうしゃな住宅が、幼い壮一には気に入らないらしい。遊び友だちも団地の子が多いからだろうか。
「どうしているかな」
 目の前にもう灯が見えてきた。
 いってらっしゃーい。――
 広いぬれ縁に出て、力一ぱい手をふりながら見おくるのだというその子と父の姿は、いつの日に見ることが出来るのか。
「御仏前の、お見舞でも持ってってやろうかしら」
 元子は、一昨年の春の、まだ浅いころの出来事を思い出していった。肺炎で寝ていた元子のところへ、ある出版社から見舞品が届けられた。デパートの紙包みの外側から見たところ、どうやら果物らしかった。食慾をなくしていた元子は、
「メロンなら、食べたいわ」
 附添いの小母さんはすぐ、元子の枕もとで包みを解いた。そして、あらっ! と叫んだ。元子がふりむくと、小母さんは、今あけたかごをさげてうろうろしている。気がつくと、大きな字で、御仏前と印刷した紙ぎれが、りついている。
「どうしましょう。縁起でもない」
 見つけられてはもう仕方がないとばかりにぺったりすわりこんだ小母さんは、苦笑とも泣き笑いともつかぬ表情で、
「何かのまちがいですわ。お気になさらない方が、よろしいですよ」
 元子は声をあげて笑い出した。笑いはすぐには止まらず、起き上って、腹をかかえて笑った。起き上ったのは寝ついてからはじめてであった。そして、それをきっかけに元子は食慾が進み出した。しばらくの間、思い出し笑いは続いた。
 ――こういうことって、なが生きするそうよ。
 元子の友人にそんなことをいい出すのが出てきたりして、うわさは知人の間にひろまっていった。
 ――おめでとう。いのち拾いしたんですって。御仏前のおかげですよ。
 そういうことにきめて、笑い話にしていたら、秋になって急にぜんそくが起った。肺炎のおき土産みやげだと医者はいった。それ以来、元子のぜんそくは、時々ヒステリー女のようにたけりたち、一年の半分を病院でくらしている。生きていれば、それでもよいではないかと元子は思う。さりとて、本気で「御仏前」を山形のところへもってゆく馬鹿もなかろう。
 コンクリートで固めたせまい道路は、久しぶりで下駄げたをはいた元子の背骨にきんきんとひびく。このところ元子は、雨が降っても草履をはいていた。転ばないようにするためだった。顔が大きくはれたり、転べば骨の折れやすい副作用をもっている新薬を、病気以来ずっと続けている元子なのであった。腰の骨がことに折れやすいのだという。腰の骨を折ってしまっては、松葉杖も使えないかもしれぬ。そんなことになっては、顔がふくれるのと比べられない不幸である。
 山形の家は、石の階段を五段ほど上って、玄関になっている。ベルを押すと、ドアの向う側に小さな足音が乱れて走ってきた。だがドアはゆっくり開いた。
「あ、いらっしゃいませ」
と、山形の母は三尺の狭い土間に下りてきて、
「どうもどうも、この度は――」
と頭を下げながら、千咲をふりかえり、
「ベルが鳴ると母ちゃんかと思うらしいんですよ」
と、袖口そでぐちを目にあてた。
「そう。おばあちゃんで、わるかったね。さ、いらっしゃい」
 両手をさし出すと、千咲はそれをふり払い、笑顔もしない。
「あら、おばあちゃん、もう忘れたの。はい、お土産」
 塩せんべいの包みをさし出すと、それだけとってあとじさりをし、山形の母にしがみついていく。まるでかたきをでも見つめるように、警戒した目つきである。
「おやおや、きらわれちゃったわね」
 壮一はとみると、これまたしゅんとだまりこくって、目を伏せている。彼の場合は千咲ばかり構われているのが気にいらないのだ。
「壮ちゃんはお兄ちゃんだもん、いい子よね」
「…………」
「いい子だから、ごほうびに、いいもの、あーげる。なんだ」
 やっと目の色に生気がただよってきた。
「あてたら、あーげる」
 紙包みをとり出すと、壮一は急に顔をほころばせ、
「ご本だ。ご本だ」
 本は毎月元子のところへ寄贈されてくる幼年雑誌であった。それを毎月、袋のまま渡されていたので、壮一にはすぐわかったのだ。袋からとり出していると、千咲がよってきて、あーんと叫びながら手を出した。ものはいえなくても千咲はけるのがいやだと、ひろみに聞いていたが、目のあたりみるのはおもしろかった。やっと子供の世界に立ちかえったようで、さっきのしめっぽさはいつのまにか消されていた。
「ね、壮ちゃん、もうすぐ千咲ちゃん、ねんねしますからね、ご本みるの、あしたにしましょ」
 山形の母が、猫なで声で壮一のきげんをとった。
「ああ、それで千咲ちゃん、ごきげんななめだったのね」
「そうなんですよ。あいにくと、ちょうど、ねんねしかかっていたところでしたの」
「そうですか。わるいところへきましたわね」
「いいえ。でもね、感心してますんですよ。ふたりとも、おとなしくしてましてね。いまはご本をみてさわぎましたけど、いちにち、むりもいわずに、じっとして、このばばと一しょに、家の中にいるんですからね」
 ああ、そこをひろみが心配しているのだなと察しながら元子は、
「あのう、千咲ちゃんだけでも、私の方でお預りしましょうか」
「いいえ、せめて子供のめんどうぐらいは私がみますから、どうぞもう。さ、千咲ちゃん、おねんねしましょ」
 部屋に引きとった。本をとり上げられて、壮一はまたしめっぽくだまりこんでいる。八十の老婆では、二人の子供でも手が廻りかねるのだろう。
「八十と、五つと、一つか。あんまり世代がはなれすぎてるのね」
 さっきからだまって、部屋のすみで夕刊をみている文吉に元子はそっとささやき、
「さ、さ、さ、壮ちゃん。いいことおしえてあげるわね」
 だまって顔を上げる壮一に、
「ね、紙とえんぴつとかして。おもしろい歌、おしえてあげる」
 壮一はきげんのなおってくる自分にてれでもするようにあごを引き、ええーという口をして紙とえんぴつをもってきた。元子は食卓にならんで腰をかけながら、
「棒が一本あったとさって歌、しってる」
 入院中にテレビで覚えた子供番組のコックさんの歌を歌うと、壮一はうれしげに、
「うん」とうなずく。
「棒が一本あったとさ」
 元子がまた歌いながら一の字を書くと、壮一は小さな声で、
「葉っぱかな」
とつづけた。おやと、思いがけない収穫に元子はにこにこし、葉っぱに目玉をつけながら、
「葉っぱじゃないよ、かえるだよ」
かえるじゃないよ、あひるだよ」
「六月六日に 雨ざあざあ ふってェ」
「三角じょうぎに ヒビいってェ」
「あんパン二つ 豆 三つウ」
「コッペパン二つ くださいな」
 壮一の声はだんだん大きくなり、『あっというまにかわいいコックさん』ではあたりにひびきわたる大声になっていた。元子は壮一をひざにだき上げ、うしろからその小さな頬にわが頬をさしよせていって、
「ね、千咲ちゃんが、またおきるじゃないの」
「おきたって、い、い、よ」
 抱かれているうれしさで、壮一はたけり立つ。元子はそれをぎゅっとだきしめ、
「だめよ。おとなしくしなくちゃ。ね、ね、ね。それより壮ちゃん、これから並川のおばあちゃんとこへ、泊りにいこうか」
 この薬はひどく利いたらしい。壮一は急におとなしくなった。
「いこうよ。そして、太郎兄ちゃんと一しょに、ねるのよ」
「…………」
「太郎兄ちゃんに、壮一は、アパート建ててもらうんだって」
 だまって、こっくりをする。
「じゃあさ、泊りにいって、ついでにそれも、たのんでこよう」
「いやだァ」
「なぜ」
「あんな大きな家、お掃除に困るんだって」
「だれがいったの」
「お父ちゃん」
「へえ」
「お父ちゃん、団地、きらいだってさ」
「そう。どうしてかしら」
「あのね、お花やね、植木やね、植えられないんだって」
「そう」
「だからぼく、もう団地、いいんだ。だって、お父ちゃん病気で、かわいそうだもん」
「…………」
 元子はだまってふるえる呼吸をした。
「さ、今度は壮ちゃんよ。おしっこして、おねまききかえて――」
「はーい」
 壮一はひとりで洋服をぬぎ出した。山形の母は、いとしそうにそれを眺めながら、
「おとなしくしないと、お父ちゃん、帰るのいやだっていうよって申しますとね、こうして、ひとりで、ねまき、きかえますの。いじらしくて」
 おだてられて壮一はおとなしく寝床に入っていった。所在なさに元子は、何気なく、テレビのわきの柱にかかっている、柱ごよみをみた。すしやの名をすりこんだ暦の表には松竹梅のめでたい木の下で、白と黒と茶のうさぎが三匹、ながい耳を倒してうずくまっている。わりとハイカラな山形としてはおかしな暦をかけているものだ。母親の好みでもあろうかと思いながら、見るともなく日めくりをみた。八月十六日金曜日。九紫、友引。京都大文字。かのとう。旧六月二十七日。良い笑いは家庭を明るくする。――
 そんな文字が小さな紙面に、立て書きや横書きで刷りこまれている。八月十六日。それは山形が入院した日である。それからあと、この家ではこよみの上では日がっていないのだ。試みに一枚をめくると、十七日、八白。先負。十八日、七赤仏滅。十九日、六白先勝とつづく。
 ああ、さまざまの運命をひっそりと重ねこんだまま、この家では夜が明けていない。あるじのいた日を、そのままに、引きもどそうとでもいいたげに、今日も明日も、こよみはめくり手がない。……
(昭和三十八年十一月)





底本:「現代日本文學大系 59 前田河廣一郎 伊藤永之介 徳永直 壺井榮集」筑摩書房
   1973(昭和48)年5月21日初版第1刷発行
   1980(昭和55)年3月15日初版第9刷発行
初出:「群像」
   1963(昭和38)年11月
入力:芝裕久
校正:入江幹夫
2022年7月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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