憲政に於ける輿論の勢力

大隈重信




〔憲政と輿論〕

 帝国議会は解散されました。今まさに旬日じゅんじつの後に選挙が行われて、今全国は選挙の競争が盛んに起っておる時でありますのであります。
 この時にあたって、憲政に於ける輿論の勢力を論ずるのは、最も必要なりと信じますのであります。憲政そのものはすこぶる複雑の政治にして、人文の発達によって起った事は、諸君のご承知の事であります。人文の発達に伴えば、自ずから輿論が此所ここへ成立つのである。この輿論そのものが盛んにならなければ、憲政そのものが充分に運用されぬと信じますのであります。すでにこの選挙に於て、帝国議会開けて以来二十有五年、選挙を繰返す事十回以上に経験を積んだにかかわらず、未だ選挙の状態が、遺憾ながら不完全なりという事を思いまして、はなはだ憂慮にえぬ次第であります。かくの如き国家の重大なる選挙に於て、盛んに輿論の起る事を望むに拘わらず、未だ公平なる輿論が、すべて選挙を動かす如き勢力が未だ顕われぬのを遺憾と致すのであります。
 およそ物の善悪、邪正、順逆は、実質的に道徳的に発達するものである。国民が善政を望まんとすればだ、これに対する自ずから輿論が起らなくてはならぬと思いまするのである。
 輿論の勢力を、歴史的にいささかここに述ぶる必要を感じますのであります。独裁政治の時代に於ても、輿論の勢力は大なるものである。王政維新は何に依って起ったか。七百年の武断政治を廃する。全く輿論の勢力である。四百年の封建政治を廃して郡県制を起し、四民平等の状態に変化したのは、これまた大なる輿論の勢力である。しかして法律の編纂、地方の自治、ついに憲法が発布さるるに至ったのも、これまた輿論の勢力に過ぎぬ訳でありますのであります。
 かくの如く輿論の勢力は大なるものであってだ、ことに憲政のもとに、全くこの憲政の運用発達は輿論に支配さるるものであるという事は、信じて疑わぬのである。輿論はすべて知識ある階級によって導かるるものである。
 ここに於いて政治家は、国民の指導者となって国民を導く、輿論を導く。ある場合には、輿論を制するという力がなくてはならぬのである。しかるに憲政のもとに、政党の人は輿論を指導するべきの働きが起ったか。近来、未だかくの如き政治家を見ないのである。
 然るにこのたびの解散によって、初めて憲法実施以来、解散の理由を明らかにして、反対党の論ずるところと政府の論ずるところを対照して、聡明なる国民の前に訴えたという事はこのたびが初めてである。
 ここに於て、翕然きゅうぜんとして輿論は今起りつつあると信じますのである。これは憲政の発達のために、甚だよろこぶべきことであると思います。

〔大切なる鍵〕

 憲法によって与えられたところの、国民の権利と義務は重大なるものである。憲法そのものは、国家を組み立つるところの根本組織である。その根本組織によって、国民に与えられたるところの臣民権、言い換えれば国民の義務は頗る重大なるものである。しかしてその最も大切なるものは、選挙である。全体国民が、今税が高い、あるいは政府は非常の悪政を行うという怨嗟えんさの声を放つのは、卑屈なる専制時代の国民の声であります。憲法の下には、税を取るのも、あるいは金を使うのも、国民の権利義務を規定するところのすべての法律も、帝国議会の協賛なくして行わるるものではないんである。しからば、税も国民が承知したものである。法律も協賛を与えたものである。而して行政そのものには、帝国議会は充分に監督権を持っておるのである。もし法律そのものが不完全であればだ、帝国議会は発議の権を以て、法律を改正することも、あるいは廃することも、あるいは新たに法律をこしらえることも、随意に出来るのである。かくの如き大なる権利を国民に授けられたものであるのである。
 しからばこれを平易に説き明かせば、陛下は、明治大帝は、国民に大切なる鍵を御渡しになったというて宜しいのである。而して貴重なる国家を左右する、法律を左右する鍵をだ、卑劣なる、野卑なる、陰険なる輩に奪われて、而してわざわいを受けて、而して禍に苦しんで、種々の不平を唱えるとは何事ぞ。あたかもこれは自らあやまてるその報いであるんである。畢竟ひっきょう、これ卑屈なる精神である。何故に、この権利を重んぜざるぞ。
 国家の目的は、常に国運の隆盛、多数国民の福利をはかどらす事につとめているのである。国家の意志は、国民の意志である。国民の意志の集合したものが、国家の意志である。国民のなりと認むる事が、国是こくぜである。これが多数政治の原則である。しかれば国民の国家に対し、憲法に対する責任の大なる事は、即ち貴重なる陛下の賜ったところの鍵を、大切にこれを保つという事が必要である。ここに於て投票の、一票も自由の精神がこれに宿らなくてはならぬのである。個人の独立、個人の自由というものが集合して、ついに自治となる。帝国憲法は、国家の自治である。国民が集合して、しかして国民的勢力が議会に集注さるるのである。国家的勢力は、何によりて導かるるかというと、即ち輿論である。この輿論の勢力が議会に集中されて、初めて帝国議会の威厳、帝国議会の信用がここに成立つのである。かくの如き憲政は、輿論によって導かるるものである。而して輿論そのものは、知識ある階級によって支配せらるるのである。しかるに、往々おうおう世の俗人は過ってだ、政治は俗なるものである、自己は学者である、自己は実業家である、一は宗教家である、一は何の職業を持っているのであるというて、これらの人々即ち国民の中等階級、知識ある階級が政治から退しりぞけば、到頭とうとう劣悪なる一種の政治的商売が起るのである。従来の党派は、往々そのへいに今陥りつつあるのを遺憾とするのである。このたびの解散によりて、このたびの改選によって、国民はやや自覚を始めた事を喜ぶのである。

〔社会の統制力〕

 社会学上より観察致しますると、社会の統制力の最も大なるものは法制禁令。法制禁令は社会の表面に現れたる行為を支配するものである。その精神界に働くところの統制力は、宗教に於て、あるいは学者の議論に於て、ことに著しく統制力の盛んなるものは、新聞に於て現るるのである。かくの如き統制力がだ、政治上にも、社会上にも、風俗の上にも、正なる力を持つと信じますのである。精神が麻痺するとだ、悪を悪とせず、ついに廉恥れんちの風が段々衰えるという事をおそるるのである。ここに於て官吏も過ちが多いんである。議会も過ちが多いんである。社会もまた過つんである。これは社会の統制力が、薄弱なる証拠である。
 我輩の内閣組織以来、昨年の五月に発表したところの政綱の一つに、まず人を治めんとする者は、自ら始めなくてはならぬ。ここに於て官吏の厳粛なる規律を論じたのである。ここに於て廉恥の風という文字を表したのである。この廉恥が社会を統制するに、非常に大なる威厳を持ったのである。この威厳がなくなれば、この道徳の制裁がなくなるのである。法律はだ、三百代言的に行けばだ、どうかすると法律はまぬかるる事も出来るか知れん。しかしながら、社会の制裁はこれを許さぬのである。社会の制裁がこれを許せば、民免れて恥なしという有様に陥るんである。社会は堕落する。社会が堕落すれば政治も、すべての国家の進運も、ここで止まるんである。甚だ恐るべき危機に臨んでいるんである。しかるに、この忠良なる、啓発なる国民はだ、議会の大権に遭遇して、国民の愛国心が勃興して、そして静かに顧みて、現在の政治の状態を満足しないという状態は起ったのであります。その時に、この選挙が現れたのであります。

〔帝国の将来の運命を支配する選挙〕

 今、世界の強大なる独逸ドイツと、英国、仏蘭西フランス露西亜ロシアが連合して、今まさに戦いつつあるんである。帝国の地位は世界に大なる、今変化を与えつつあるんである。帝国の地位は疑いもなく、世界の最も進んだ文明国と共同の地位に達せんとしつつあるのである。
 かくの如き時に於て、些々ささたる国内の外交、財政、あるいは国防その他の政治上に於て、党派的観察を以て争うとは何事ぞ。かくの如き者に向っては、自ずから輿論の大なる勢力が、これを破るという必要にせまっておるんである。またすべて今日までの党派の弊はだ、如何いかに強弁せんとしても、覆うべからざる弊は、到る処に存在しておるのである。これがこの選挙に臨んで、国民の覚醒を促すゆえんである。ここに於て輿論の大なる勢力はここへ現るることを望むんである。
 国民が自覚して、自己の貴重なる国家に対する義務を充分に自覚すれば、この選挙の効は実に大なりと信じますのである。かくの如く、日本は過度期に立っておるのである。日本帝国の地位は、この一歩を誤れば、国の運命、国の安危栄辱あんきえいじょくのかかる大切なる時機であるという事は、国民も大いに自覚しなくてはならぬと私は信ずるのである。ここに於てだ、いよいよこの輿論の勢力の大なる事を、私は認むるのであります。この輿論の勢力がだ、帝国の将来の運命を支配すると信じますのである(大喝采)。





底本:「大隈重信演説談話集」岩波文庫、岩波書店
   2016(平成28)年3月16日第1刷発行
底本の親本:「大隈伯演説集 高遠の理想」早稲田大学出版部
   1915(大正4)年5月8日発行
初出:「憲政ニ於ケル輿論ノ勢力」日本蓄音器商会
   1915(大正4)年3月2日
※中見出しの〔〕は、底本編集時に与えられたものです。
※本文冒頭の編者による解題は省略しました。
入力:フクポー
校正:門田裕志
2020年2月21日作成
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