外交の方針

大隈重信




 諸君、今日私はこの神聖なる衆議院に向って口を開きますことは初めてであります。諸君と此処ここに御会い申して私の説を述べることは、はなはだ私の光栄とするところであります。先日予算委員会に於て、色々外務省の費用について質問が起りまして、その時に外交の方針を聴きたいということでありましたが、この外交の方針というものは、直接に予算に関係しない、ただ間接に予算に関係するものでありますから、これはいずれ本会に於て述べようと思いまして、委員会に於ては、直接なる事柄のみに答弁を致しておきました。それ故に今日は外交の方針について、大体の御話を致そうと思います。

〔国是を一定不動連続とし、大きな規模で外交計画を立てるべきこと〕

 諸君、ご承知の通りに第一議会以来、たびたび国務大臣が議会に向って外交は開国の主義である、あるいは開国進取であるということを、たびたび述べられた様に存じております。外交の方針――方針というよりは、ほとんど国是こくぜというものは明治初年以来一定不動のもので、今日こんにち並びに将来に於てこの開国の主義、もしくは開国進取というものは、決して変ずるものでないと信じております。それで今日、私はこれに多少付け加えて御話し致そうと思います。明治の国是として現るるところの外交には、どういうことが大切であるかと言えば、維新の大詔たいしょうにもあるが如く、万国と対立せんとするの大方針よりして、あらゆる国家の組織を変更しなければならぬということが起って、廃藩置県となり、幣制の改革と為り、徴兵令等その他種々の法律の改正、新規な法律をこしらえ、あるいは地方の議会、地方に自治を与える等、ついに憲法を制定さるるまでに至ったのであります。すべてこの国是、いわゆる開国進取、言い換えれば即ち万国と併立するという主義からして、日本は導かれ、文明に進み、ついに世界に重んぜられ、尊敬さるるということになったのであると存じます。
 ここに於てマ一層私は進んで申したいと思うのは、抑々そもそもこの外交というものは随分困難なるものである。決して一国で以て左右することの出来ないものである。今日の外交というものは、よほど以前とは変化しているのである。諸君、ご承知の通りに、昔の外交というものは、ある一国と一国と、もしくは一国と数国、誠に区域の範囲が狭かったのであります。しかるに今日に至っては、運輸交通の便が非常に発達し、世界の利害の関係がよほど密著して来たのである。それ故にこの外交の有様というものはよほど変化して来た。
 ご承知の通りに、昨年起ったところの英国と「ベネズエラ」との問題について見るに、英国は世界無比の大国で、世界に日の歿すること無き広大なる植民地を持っているという大国と、南亜米利加アメリカの「ベネズエラ」という小さな共和国との間に、境界の争議が起った。かもその争点は全く沼池である。無人の地であるというが如き処に境界争いが起ったのである。諸君、御考え下され。これはなんでもない話、英国の力、英国の強を以て、弱小の「ベネズエラ」に及ぶ。なんでもない話であるが、なかなかそうは往かぬ。ただちに北米合衆国よりこれに向って干渉が起って来た。そこで英国と「ベネズエラ」の問題に非ずして、南北亜米利加アメリカと英国の問題になって来たのであります。それに干渉する言葉にどういう言葉を用いたかというと、ご承知の通りに、随分古くから成立っているところの「モンロー」主義、南北亜米利加アメリカ欧羅巴ヨーロッパの勢力を拒絶するという一つの主義を持込んだのである。ここに於て南北亜米利加アメリカと英国の問題に非ずして、世界の問題になったのである。如何いかんとなれば欧羅巴ヨーロッパの勢力を入れぬという如きことであれば、直ちに重大の問題に変じて来るからである。マ一つはこれも英国である。昨年英国と「トランスバール」の間に争いが起った。これはなんでもない一つの旅行者、あるいは一つの会社に従事する人が「トランスバール」に於て革命を企てたのである。その問題はなんでもない、一つの阿弗利加アフリカの一小共和国、ほとんど英国の一保護国の如き国に於て起った事柄であるにかかわらず、直ちに日耳曼ゲルマンとの間に面倒が起った。既に日耳曼ゲルマンと英国と干戈かんかを交えんというまでに進んだ。しかして日耳曼ゲルマンと英国との争いは、単に英国と日耳曼ゲルマンの関係に非ずして、日耳曼ゲルマンの三国同盟その他に及ぶというので、やはり世界的の問題になって来た。
 それで段々この外交の範囲が広くなって、随分小さな事も世界に関係するということである。既に明治二十七年から二十八年にわたる日清の戦は、支那と日本の関係である。少しも他に関係がないことであった。しかしながらこれもついに二十八年に至って欧羅巴ヨーロッパの最も勢力ある露独仏三国の干渉ということが起って来て、ついに世界の問題になった。それから近来では極東問題などというものが、今まさにたんを日清戦争から惹起している有様で、なかなかこの外交の範囲が広くなって来た。利害の関係が直ちに極細微の事も世界に及ぶというが如き有様である。ここに於て私は一言述べたいのは、この外交というものが、第一規模が大きくなくてはならぬ、計画の規模が広大でなければならぬ、すべての外交計画は直ちに全世界に及ぶ、規模広大なりということ、及び外交の方針、否、国是というものは一定不動連続ということが必要である。

〔国際法の主義である正理に基づくべきこと〕

 それから外交についてもう一つ申上げたいことがある。それは最も善良なる外交は、国際法の主義に密着するということである。国際法の主義に密着する外交は、即ち正理を土台にするということである。この正義の力は強いものである。必ず世界公論の同情を得るという力がある。
 今日我が国は数年来の熱心と勉強とを以て、国家の進運に努めたるがために、欧米の各国はよほど日本に友誼ゆうぎを表し、既に四十年来不都合なる条約のもとに苦しめられたものが、国際法の主義に従って同等なる待遇を受けるというまでに進んだのである。これ畢竟ひっきょう日本の進歩の結果である。しかして英国は世界に先だって日本の条約改正を承諾し、続いて欧米の諸国は十分同情を表して日本の条約改正を承諾した。今まさに既に数十年来の大問題たる条約改正は、わずかに墺太利匈牙利オーストリアハンガリーの一国を残すというが如き有様になっているのであります。そこでもうこれも早晩落着するに相違ない。その時に当って初めて日本が世界に向って同等の地位を保つのである。これまで諸君ご承知の通りに、領事裁判というものは耶蘇ヤソ教国民以外にのみ行わるるものである、有色人種の間にのみ行わるるものであるというが如きことは、随分立派な国際法の学者達も述べたのでありますが、その妄想は次第次第に消滅して、耶蘇ヤソ教国以外、白皙はくせき人種以外に、日本の進歩はいわゆるこの正理の上から世界の正理の助けを受けて、ついに同等の地位を保つということに至ったのであります。
 それでこれより愈々いよいよこの条約改正から起るところの日本の利益を収めんとすれば、一層力を尽してこの国を進めなくてはならぬのである。また疑いなくこの国は進むに相違ないのである。この進むところのものは外交と相待つのである。それ故にその外交がついにこの正理の土台に於て国際法と近寄るという、最も善良なる外交をって往かなくてはならぬ。これは決して本大臣、即ちこの大隈という大臣の言葉ではないのである。即ち明治政府の方針を代表して言うのである。人に依って変ゆるという外交は甚だいかぬのである。そういうものは甚だ危ない。どうも非常な才智、非常な外交を以て随分一時を成効した例は沢山たくさんあるが、それはいわゆる砂上の楼閣ろうかくぐ破れてしまう。これ即ち私が初めから外交は一定不抜連続というゆえんであります。人が変って外交が変ずる、それではいかぬ。これは明治初年以来の一定不動の方針である。その中に多少過ちがあるか知らぬ。しかしながら私は誠意正心この進運に乗じ、しかして今御話しする主義を以て、十分力を致し事に従うつもりである。それでその方針を以て進むについては、決して大なる過ちはないと信ずるのである。また幸い今日は日本の外交皆ごく親密である。多少の問題があっても、これは直ちに結了することが出来ると信じますでござります。私が信ずるところを以て見れば、親交国は必ず日本に対し最も友誼を重んずることになる。あるいは多少これまで不快の感じを持っている国も、転じて十分なる友国となすことが出来ると信じているのでござります。
 以上大体の方針でありますが、これは即ち明治政府の方針で、これまでたびたび述べられたものを少しく付加えたに過ぎぬ訳であります。





底本:「大隈重信演説談話集」岩波文庫、岩波書店
   2016(平成28)年3月16日第1刷発行
底本の親本:「大隈伯演説集」早稲田大学出版部
   1907(明治40)年10月22日発行
初出:第十囘帝國議會衆議院での演説
   1897(明治30)年2月16日
※中見出しの〔〕は、底本編集時に与えられたものです。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
※本文冒頭の編者による解題は省略しました。
入力:フクポー
校正:門田裕志
2018年8月28日作成
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