勢力の中心を議会に移すべし

大隈重信




〔国家における勢力の中心の移動〕

 およそ国家は如何いかなる時代にも、勢力の中心が必要である。この勢力の中心が適当の地位を保ち、最も適当な所にあれば、必ず国家は盛んになる。専制時代、封建時代を問わず、この勢力の中心にして必ず適当の地位を占め適当の処に在るならば、国家は健全に発達するに相違ない。これを失えば、なんらか国家に異状を呈し、すべての方面に害を及ぼす。ここに於てか、更に改革が起って再び勢力の中心を元の位置に返す事をする。するとまた国家は盛んになる。即ち、国運はその中心の勢力の移動によって変ずるものである。
 この原則からして、大政維新前後よりの我が国家の中心の移動を察するに、ちょうど幕府の末路、即ち封建の末路に当っては、勢力の中心が適当なる地位を離れ、高い処から次第にひくき地位に移り、ついに中心を失ってしまった。幕府が中心の勢力を失えば、諸侯もこれを失う。この時に国難に遭遇したんである。そしてほとんど国家は勢力の中心を失ったんである。即ち尊王攘夷の大運動となって、中心の大移動を生じたんである。かくして、その中心を失った幕府が亡ぶると共に、諸侯もまた支えずして亡び、次いで新たに起ったのがいわゆる大政維新である。この時に起った中心は、即ち世間で普通にいう薩長である様だけれども、その実、封建はすでに大政維新と共に廃滅したのであるから、独り薩長というが如き一、二雄藩の勢力の残存すべきでない。勢力の中心はさる薩長というが如き空のものに存するのでなくて、実際は薩長の武力そのものに帰したのである。維新の際に於ける内乱を平定したその武力に、勢力が集ったんである。が、それほどの大乱があったでもない。伏見、鳥羽の戦争、それから奥羽の戦争くらいで、世は平和となったんである。それから如何どうかというに、多少内乱を惹起ひきおこしたが、ついに西南戦争に於て終りを告げた。武力によって中心となるという如き事が長く続けば、その国家は健康のものでなくて、必ず再び乱るる事となる。幸いに、それも西南戦争に於て終りを告げて、勢力の中心は政治家に移った。
 それまでも武力に帰したというものの、実は武力というべきではない。軍人というよりも、軍人の政治家の手に落ちたまでである。その頃には薩摩がまだ中心であった。しかし、西郷さいごう隆盛たかもり〕を倒す時には薩人の武力も幾分か手伝ったであろうけれども、これよりも武人の勢力は衰え、中心は文治派に移ったんである。人を以ていえば、西郷は武人に属すべきで、政治家とはいえぬ。政治的才能が如何どうであるというのではない。政治の方面にその才能を顕わす機会がなかったんである。前後三年近く政治に関係したけれども、あまり政治にはその力が現れずにしまった。これに対して木戸きど孝允たかよし〕、大久保おおくぼ利通としみち〕は武人ではなく、純粋の政治家である。そして表面から言えば、二人は薩長の代表者であるらしいけれども、単に薩長の代表者たるよりも、その人物は一層大きくて、まさに国家の勢力を代表したものである。これが国家の幸いである。当時なお封建の余力が存在して、始終武断派の勢力あり、薩長あるいはその他の間に絶えず勢力の平均を求め、其処そこに多少の競争があった。人間の弱点で、何としてもその間に猜忌さいき心、嫉妬心が起る。この競争にりて互いの専横が制せられ、薩長の以外に更に小なる中心が集った。これが即ち維新後の勢力の中心で、それに因って明治の文明を現出し、ついに法典の編纂も地方の自治制も出来、ついに憲法も制定されて、今日の立憲国と為ったのである。初めは木戸、大久保が中心であったが、この二人の死後如何どうかというに、木戸、大久保に吸収された人物が代ってまた中心となった。
 しからば、この中心が憲法を実施されて後に如何様いかように変ったか。我輩の予期するところでは、もはや長く続くべきでない。今より大変化が来るべきであるとした。七百年来の封建政治を一変してすべての権力を中央に集め、新たに西洋の文物を採用して諸般の改革を遂ぐるという、驚くべきこの変化の際に於て、ついに国家統治の機関が根本から変ったんである。始めは寡頭かとう政治であったのが、今は憲法政治となる。これは容易ならぬ変化である。今まで少数者に左右されていた政治の権力が、憲法の実施さるるや否や、あまねく国民に分配された。すれば、勢力の中心は当然帝国議会に移ってしかるべきである。然るに、これが移らんとして移らない。ここに於て、大政維新の際に現れた新勢力と帝国議会との間に衝突が起り、今なお勢力の中心は適当の地位を得る事が出来ずにいる。従来の勢力の中心は、初めは有効であったろうけれど、その有効の時代はもはや経過し去って、いたずらに形骸を留むるばかり、これがいわゆる閥族、もしくは元老というものとなって存在しているんであるが、帝国議会に国民的勢力を集中し得、そしてその勢力にして強くさえあれば、一時必要に応じて成立ったかくの如き勢力に代るは何でもない。勢力というも必要より起る。が、その必要は既に去って、わずかに惰力を維持するに止まる。それ故、一方さえ強ければ、この旧勢力は当然解体し去るべきであるのに、なお依然として競争を繰返し、今日に及んでいるとは何事であるか。

〔憲法擁護の声〕

 近来、突然憲法擁護などという声が高まっている。これはある方面から言えば、無意義な様ではあるが、両勢力の依然として相対峙する上からいえば、すこぶる意味が有る。やはり必要から起っている。起るべき必要があって起っている。起る原因はあるいは感情その他に在りという事も幾分あるか知らぬが、しかし寡頭政治の旧習からまぬかれて、立憲政治の実を挙げたいという熱烈なる要求から起っている。従って、我輩はその成功を祈るのである。とにかく、人心の現状に満足せぬという暗流が拡がりおるに相違ない。さればこそ、此処ここにこの憲法擁護の声の現るるや、人心のこれに赴く事ひびきの物に応ずるが如くである。今日は、実にこの勢力中心の変化を生ずる過渡期に臨みおるものである。国家には中心なかるべからず。中心を失えば、これほど危険な事はない。普通にいえば、藩閥とか閥族とかいうものの勢力は、もはや根本から破れている。時勢がもはやその必要を認めぬのである。必要が無ければ消滅すべきであるのに、この理に当然消滅すべきものが今なお不思議にも政府と議会との間に介在し、消滅せんとしてなお余喘よぜんを保ちつつあるとは何事であるか。
 帝国議会開けて二十余年を経たる今日、なおこの有様である。根本をいえば、薩長は無くなった。もはや島津しまづ毛利もうり等の大貴族の子孫の存在を、独り名誉上に認めて尊敬するまでであって、社会上、政治上には共になんらの勢力をも有しておらぬ。いわんや、その他の幕府の三百藩は言うに及ばぬ。封建の勢力は即ち歴史に残るだけである。四十万の武士は全然無力である。士族という多少の名誉を保留しおる様であるけれども、しかし社会に於ける待遇は、今日士族も平民も違わない。無力なる事に於て、独逸ドイツあたりのフォンと大した変りはない。藩閥の勢力はかくの如くすでに亡びているけれども、人そのものは残っている。大政維新の時に随伴した人々がまだ幾らか残っている。しかし大部分は亡くなった。西郷以下の武断派を代表した人はまず亡くなり、次いで文治派の人も、即ち大久保おおくぼ木戸きどというが如き人々もすでに三十年前に亡くなり、これをたすけた人々もまた多数は亡くなっている。ただその僅かが残っているだけで、これが即ち今日の元勲である。
 しかし、この元勲も死の運命が時々刻々に迫って、もはや自己今日の生命の維持にも困り、あるいは生活にもつかれている。これが国家の大任に当ると言っても、当り得ぬのである。世間から見ると、山県やまがた有朋ありとも〕公〔爵〕の如き、野心あり、権謀術数あり、己の意の向うところに従い、君主の意思をも動かし、文人でも武人でも勝手に左右するというが如く、絶大の権力を振いおる様である。はなはだしきに至りては、これを大御所とさえ言うんである。けれども、これはまのあたり山県公を見た人の言う事ではない。面り見ると、もはや顔色憔悴、気息奄々えんえんとしている。なんらさる大野心、大陰謀のあるべくもない。かくの如き墓場に近い人になんらさる事のあるべきでない。最も世には頑冥不霊がんめいふれい死しても悟らずといって、悪い意思の強固な人も昔から有った様であるが、そういう人に限って強壮である。そう顔色憔悴でいなかろう。山県公はまのあたりその顔色を見ると痛くやつれておって、どんな不人情のものでももはや同情を惜しむ事の出来ぬほどである。それから、大山おおやまいわお〕とか井上いのうえかおる〕とかいう如きは、左様さようの政治上の野心のある人でない。特に、大山の如きは政治の趣味すら持たれぬ様である。
 かつて赫々たる勲功を立て、かつて権謀術数の勢力を振った事があるも、もはやその事は過去に属し、今日なんらの痕迹こんせきを留めなくなっても、なお恐るる。即ち「死せる孔明こうめい生ける仲達ちゅうたつを走らす」のである。孔明は智謀神の如き人である。司馬仲達しばちゅうたつもまた同様な偉い人物ではあるが、孔明を恐るる事甚だしい。孔明は事実すでに死んでいるのであるが、司馬仲達は誤って孔明のなお生くると聞くや、倉皇そうこう軍を収めてげ去った。山県公は孔明ほどの人物ではないけれども、やはり世間ではその名に聞きじして恐るる事甚だしい。即ちこれ死せる孔明生ける仲達を走らすのたぐいである。勢力の中心はもはや今日移動しつつある。しかるにいたずらに閥族をおそれ騒ぐは、これ国民自身に大体力がないためである。
 間違いおるか知らぬが、我輩は祖先崇拝についてこう考うる。日本の祖先崇拝の起りについては知らぬけれども、まず広く世界に於けるそれを言うと、祖先の豪傑は子孫の目にはどうしても偉く見ゆる。祖先に比すれば子孫の人物がさほどでないところから、どうしても祖先の人物が独り際立って大きく見ゆる。あるいは子孫も偉いかも知らぬが、それにしてもやはり後代から眺むると、祖先は偉く見ゆる。そこで、自己の領地を維持するに自己の力のみで足らぬと見ると、祖先を担ぎ出すが例となる。祖先は死してもその遺霊がなおこの領地を守るという。すると、近所の部落では昔その祖先にいじめられて来ている故、慄然として声を聞いて怖るる。かかる必要から祖先崇拝は起っていると思う。即ち、死せる祖先を利用したものである。これと同様に、山県公も今日利用されているんでなかろうか。世間で見るほどにもはや勢力はないんである。
 すれば、閥族の勢力は直ちに瓦解すべきであるが、何故にせないかというに、それはこれまさに中心移動の時に当って中央の力、即ち政府の力は衰え形だけ保つと同様であるのに対して、この中心の力に代るべき地方の力、即ち政党の力もまた同様に薄弱であるからである。政府と政党との形のみは大きいけれども、真の力は何処どこに在るか分らなくなっている。即ち両々相対して、国家の中心のまさに移動せんとする時に、形だけいたずらに大きく実質のこれに伴わぬという事が、抑々そもそも今日の如き混沌たる状態に立至る根原である。由来、人心がつかれている。この間にあらゆる罪悪が起るんである。どうかすると、官民共通にこの渦中に陥りて一層弊風を助長しているんでなかろうか。どうかすると、かくして道徳上にも共に大なる過ちを惹起ひきおこしているんであろうか。とにかく、国家が中心を失う、これほど怖るべき事はないんであるが、今日はもはやその中心を失っているんでなかろうか。
 今日この憲法擁護の声の起った本は、西園寺さいおんじ公望きんもち〕侯〔爵〕の辞職である。陸軍大臣が辞職して、そのために西園寺侯が内閣を維持しあたわぬというのが根本である。更に根本を言えば、陸軍の二個師団増設問題である。陸軍には元から長州人が多数で、今日もなお左様さようである。それがまた元老にも勢力がある。それからしてこの問題は起った事と思う。けれど陸軍の長州の勢力とか、海軍の薩摩の勢力とかいう事は、今日はもはや時勢が言うを許さぬのである。左様なものはもはや自然消滅に帰すべく、新たなる勢力の起るべきであるのに、如何いかんせん、たまたまその勢力中心の移動を誤って来ている。いな、誤ったではない。国民の無力のために、それに代る事が出来なかったんである。それが、今日偶然憲法の解釈に論を及ぼすのたんを開いた。が、まだなんらの形を為さぬ。けれども、これよりまさに形を為すべきの端を為している。その起るや、合理的でなくあるいは感情的であるとしても、根本には国民の誰しも現状に満足しておらぬところがあるより来ている。即ち、其処そこに多数の人心のまさに動き始めた実情を察するにあまりある。

〔立憲政治の運用〕

 何としても、この立憲政治の運用なるものが大切である。内閣は永久の生命あるものでない。民心を失えば去らねばならぬ。内閣更迭の際には、君主の大権を以て如何いかなるものにその後継内閣の組織を御命じになるともご随意である。君主の大権に制限はない。文武官の任免にはなんらの制限はないんである。全く君主の意のままである。その貴族院議員なり、衆議院議員なり、はた政治家であろうが、政治家でなかろうが、軍人し、弁護士宜し、大学教授でも学者でも宜しい。これを挙げて内閣を御任せになろうとも、全く君主のご随意である。
 が、人選を決する事は非常に大切で、一たびその人選を誤れば、かえって国利民福を傷つけ、国民を敵とするに至るのである。故に君主の大権に元より制限はないとしても、実際上国民の代表機関たる議会と相談の上人選を決せらるべきで、憲法の運用上、人を御用いになるには何としてもこうなければならぬ。如何いか天資聡明てんしそうめいにあらせられても、何処どこに賢者が在るか、何処どこに最も好く民心を得るものが在るかを直ちに知って、これを任ずるという事は困難である。古来、君主にとっては宰相を選ぶが一番大切の仕事で、それを誤ると国家を誤る。これは歴史上に古来多く見ゆるところである。されば、憲政の円満なる運用をするには、君主は平日無事の時に於て、何人なんぴとが最も賢者にして最も国民の心を得るかを洞察しおかねばならぬ。即ち、君主は誰と共に政治を為さるべきかというに、最も政界に力を占めたもの、換言すれば貴衆両院に力あるものを御選びになるのが、最も適当でつ便利である。この様な事は、憲法の上には現れぬけれども、憲法の運用上に極めて大切である。けれども、今日の有様ではまだまだその様な運びには至らぬが、これは主として帝国議会がまだ左様に訓練されおらぬ罪に帰すべきである。
 もはや元老の勢力の必要の時代を去ったんである。しかるに、今度の内閣組織に当って元勲にご相談があった。公然元勲会議というものの開かれたのは、憲政以来、このたびが初めてである。今上きんじょうが元勲に匡輔きょうほの任を御命じになった大正の初めに於てである。元老が内閣更迭に集って相談するはこれが初めてであって、同時にまたこれが最後であろう。いな、最後であるべきである。それがまた最も醜態を現した。もはや事実に於て元老の勢力なるものは無くなっているんである。彼等はいずれももはや自ら陣頭に立って大政の難局に任ずるに堪えざる人々である。堪うるならば、公然自ら衆目の表に立って責任の地位に就くがい。元勲会議に於て果してこういう議論があったか如何どうか。有ってしかるべきであるけれども、我輩は知らぬ。よんどころないから山県公自ら御やりなさいとか、大山おおやま公自ら御やりなさいとか、あるいは井上侯自ら御やりなさいとかいうものが起るべきであるけれども、起らぬ。あるいはかの人達の中にそういう説も出たかは知らぬけれども、とにかく、新聞の上には現れない。誰も自らその難局に当ろうというものが無くて、到頭とうとう病気の松方まつかた正義まさよし〕侯〔爵〕に大任を持って行った。到頭一週間の時日を費やした。松方侯が駄目で、山本権兵衛やまもとごんべえに持って行き、それも駄目で、平田東助ひらたとうすけに持って行く。段々廻り廻って、最後に到頭宮内官として宮中に在るかつら太郎たろう〕公〔爵〕に持って行き、公を起して内閣組織を命ぜらるる事となった。元勲会議なるものはかくの如く形式上に公然現れぬ前からして事実に存在したでもあろうけれども、それはまだ内密の相談たるに止まったので、いわば黒幕でやったんである。それが今度公然と開かるるに至って、これまで隠れていた恥を公然表面にさらけ出した。多分このたびが最後であろう。またその最後ならん事を望む。事実、その勢力は無くなったんであるが、まだ今まで明らかには世人に知られずにいたものを、今度到頭明るみへ出して、その無力を証明するに至ったんである。
 しかし、しからば真の中心の勢力なるものは、何処どこに帰するであろうか。これを失う、これほど国家にとって危険な事はない。これを失えば軍事の上にも、行政の上にも、教育の上にも、あるいは風紀風俗の上にも多大の影響が及ぶ。これほど恐るべき事はない。勢力の中心の確立は、即ち国家の威厳となる。これが一国の教育にも風紀にも偉大なる力を振うのである。しかるにこれがない。これほど憂うべき事はないんである。

〔国民の政治的訓練〕

 輿論を尊ぶというけれど、導くものがなければ輿論も起らぬ。国民を政治的に訓練し、団体的に結合するんでなくてはいけぬ。輿論の勢力は国民の協力にる。が、この協力はこれを指導するものが無ければ駄目である。あたかも音楽に指導者を要すると同じい。音楽に楽長のない時は、その曲は支離滅裂で到底とうてい聴くに堪えぬ。即ち指導者の無いがためである。国家もまたこの理の外に出ずるものでない。これは極めて漠然たる批評の様であるけれども、何としても国家に指導者がなくてはいけぬ。人間の政治的に集合したものが国家である。この国家に指導者があって十分に堅く協力して行くと栄ゆるが、そうでなければ衰うる。国家の成るは何が故かというと、協力だ。この協力が無くては中心的勢力が乱るる。いな、消滅する。これほど国家にとって怖るべき事はない。
 けれども、物は極まれば変ずる。愈々いよいよ行き詰まると、通ずるところが出来る。いわゆる変通へんつうである。されば、今日に於て国民が十分に自覚し、健全なる国家の勢力を喚起して、その憲政の運用を完全にするというが急務である。しかるに、この国運の危機に臨んで、かくの如き運動の起らぬは如何いかにも不思議である。なにも我輩は今日太平を喜んでいる人に好んで危激な事を教うるんではないけれども、もはや国民の愛国心からして沈黙し得ざる時となっているから言うんである。これが陛下の仰せらるるいわゆる和衷協同わちゅうきょうどうである。忠良なる国民の翼賛というものである。いわんや、もはや政治の権力が国民に分たれ、協力の最も必要なる時に於てをやである。
 由来、国民の政治に冷淡なのは政治家もその道を誤り、政党もその道を誤ったに因る。国民を政治的に訓練指導しなかった罪に坐する。けれども、今やその反動は現れて来た。この責の元勲に在るか、当局者に在るか、はたまた政党そのものに在るかは必ずしも追究せぬが、国民はとにかく今日まで誤って来ている。この過ちを免れて新たに国を盛んにする勢力が起らなくてはならぬ。それは即ち国民的意思の集中である。この勢力が帝国議会に現るるんでなくては、陛下は誰と共に如何いかにして政治を為さるか。この協力が乏しくなり、勢力の中心を失った事が、今日見るが如きすべての方面の腐敗、堕落となるんである。経済道徳の腐敗とか、国民道徳の腐敗とかいうものになるんである。道徳の腐敗は教育家達の常に嘆きおるところであるが、この根本は何より起りおるかというに、肝腎なるこの政治的訓練の国民に欠けておるところからである。かくの如きは独り政治家政党のみでなく、一部は教育家に罪がある。今やこの内閣更迭の際に於て、この事は最も強く国民の脳裏に印象したはず。ここに於てその自覚を促し、国家を安全にすべきは、今日をいて外に好機会はないと思う。これは我輩の一再ならず言うた事で、新帝の大正二年の新年に於てもすでに国民に警告しておいたが、その意味は全くこれと同様である。我輩の言うたところが、事実に果して違っているであろうか。好しや多少の違いはあるとしても、国民がもはや憲法は紙上のものでないということを知って来たに相違ない。そしてまた、現状に満足せぬという暗流のみなぎっているに相違ない。それ故に、ここに重ねて国民に警告してその猛省を促すものである。





底本:「大隈重信演説談話集」岩波文庫、岩波書店
   2016(平成28)年3月16日第1刷発行
底本の親本:「大隈伯演説集 高遠の理想」早稲田大学出版部
   1915(大正4)年5月8日発行
初出:「新日本 第三巻第二号」
   1913(大正2)年2月
※中見出しの〔〕は、底本編集時に与えられたものです。
※〔 〕内の補足・注記は、編者による加筆です。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
※本文冒頭の編者による解題は省略しました。
入力:フクポー
校正:門田裕志
2019年1月29日作成
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