婦人に対する実業思想の急務

大隈重信




一千万人の婦人は国民の基礎なり

 五千万の日本国民のうち、そのなかばの二千五百万は婦人であるといってよろしい。しかしてその中から、老人と子供等を一千万人と見積っておいて、別にまた五百万人という婦人をば、その天然に来る病気、即ち妊娠とか出産とかいう場合のために普通に働く事が出来ない者として、もう一つはあまり富貴富豪の家に生れて、自ら働くという事が出来ない境遇にいる様な婦人等として見ても、残る一千万人の日本婦人は最も健全な国民の基礎となっていることは明らかである。
 で、この一千万人の婦人等は何所どこ如何いかなる地におるものでも、毎日熱心に働いて国のため家のためにつくしつつあるのである。

婦人の向上心を養え

 近頃しきりに耳にする言葉は、「一体日本婦人は!」という様な、如何いかにも日本婦人等を卑下ひげしてここが至らぬとか、かしこが届かぬとかいう事を得意になって言い立てているが、これは誠に面白くない議論だと思う。何故かというと、そう日本婦人が欧米の婦人に及ばないとかなんとか口々にいうていると、自然に日本婦人が卑屈ひくつになって来て、向上心が無くなってしまうのである。
 しかしながらこの向上心というのが、いわゆる今日の虚栄心と真に誤解し易いので、よく間違いを来す事があるが、しかし婦人でもこの向上心が無い限りは決して社会も国家も進歩して行く事が出来ない。故に今日の婦人教育者は、よろしく日本婦人が虚栄に流れずに向上心を養成してゆく事が最も肝要であると思う。
 斯様かように日本婦人を無闇に卑下してはならぬといっても、決して日本婦人は完全であるという理由ではない。我が邦の婦人にもなかなか欠点がある。改良を加えなければならぬところはすこぶる多い。が、しかしこの欠点のあるのはあながち我が邦のご婦人等ばかりでは無い。欧米の婦人連もまた同様に欠点があるので、その彼我ひがの欠点を互いに相改めて、初めて頼母たのもしい婦人が出来上がるというものである。

働く事は日本婦人が第一

 世界の婦人等を比較してみると、一番よく働くのは我が邦の婦人である。日本婦人は御座敷の人形の様だの毎日家の内で遊んでいるというのは、ある一部の外国人が、我が国の上流社会の家庭や貴婦人の生活をちょっとのぞいてみた批評に過ぎないので、誠に誤ったる話である。労働といえば大きく聞える様だが、つまり遊んでいずに働くという事については、決して他国の婦人等に劣らない。最初にいった一千万人の婦人は、毎日よろこんで農事に、養蚕に、機織はたおりに、裁縫に、紡績に、商業に、教員に、その他百般の事業に従事している。ほとんど今日の生産事業に婦人の手を借りないものは稀であるくらいになっているので、これは古来からの習慣で別段に婦人の実業教育などといって奨励しない以前からの事である。しかし今日までの我が国婦人には欧米婦人等の様に、社交という手数のかかる時間を要する一つの仕事が無かったから、家におって静かに忠実によく働いていることが出来たのである。しかるに欧米の婦人等を見ると、今日は交際、明日はクラブ、夜は芝居といった様にほとんど家にいる時間は無い。もしいるとしてもその間は、お化粧にかかっているといってもよろしい様で、実に働く暇が無い様に見える。これは西洋婦人は何処どこまでも交際的に出来ておるのと、我が国婦人の家族的に教養されて来たのとの異なるところである。日本婦人は社交の点に於て未だ馴れない代り、働くというのには決して彼に勝るというも劣ってはおらない。

一番我が邦の婦人は道徳心が高い

 それから日本婦人は世界各国の婦人に比較して確かに道徳心が一番高い。交際的に風化されて来ない代りに、心情が未だ浮薄にならない。日本婦人というものの心中には日本固有の美徳が伝わっている。これは面白い例だが、男女が相愛して情死をするという事は、ほとんど日本に限っておるので、世界にはその例が無いのは不思議である。
 この世に類の無い情死問題については、心理学上あるいは哲学上からいろいろな説明もあるが、畢竟ひっきょうするに日本婦人の道徳心が未だ浮薄になっておらぬ故であろうと思われる。

時勢に伴う実業思想を与えよ

 今日の日本はなかなか進歩して来ている。国民はほとんど文明の潮流にき込まれんとしているから、やはりその自然の流れに従ってさおさして行かなければならぬ様になって来ている。この時に当って社会の半面を成している男子ばかりが進んで行ったとて、残りの半面が伴わなければ、健全な文明に進んでいるという事は出来ない。男子の実業思想が世界的に進んで来ているならば、婦人も同様に教育されなければならないのは当然の理である。しかしながらあくまでも曲げてはならぬものは日本婦人だという立派な資格を基礎として、古来から習慣となって来ている婦人の実業思想を、最も時勢に適する様に教育して発達させなければならない事である。

国民の道徳思想が移り行く時代

 ちょうど今日の時勢を見ると、日本国民が古来から持って来た旧道徳思想が、新道徳思想に移ろうとしている時代であるから、男子でも婦人でも、国家として国民として、最も慎重に考えなければならない時である。つまりこの新道徳思想なるものは、果して我が国民をして、日本特有の美しき日本魂を神髄としてこれに依りて進歩し、これに伴うて開発してゆく事が出来るかという事が、いたずらに国民が付加雷同して救うべからざる破滅に陥る様な事があってはならぬ。
 この時代の思想の変遷する時期というのは、最も国家道徳の危険な場合に、差しかかっているので、上下共に十分注意を怠ってはならない時である。

婦人に対する実業思想の必要

 この時に当って日本婦人は、いやしくも自分の品性を軽んじてはならない。何所どこまでも自分は日本婦人であるという自重心を持っていてもらいたい。この精神があって初めて今日の時勢に伴う十分なる実業的思想を発達させて知識を増進し、しかして我が邦婦人の特色を発揮させて行く事が出来る。
 例えてみれば小さい小売商店でも、良人おっとは外に出て仕入れや外交の働きをすると、妻君は家にいて、帳簿の調べや金銭出納の整理くらいは家政の傍らにいくらでも出来る。来客への応対は男子よりもよほど上手にやるという風になって初めて商売も繁昌して、従って実業も発達するという事になる。また良人が一朝病にたおれるか、あるいは事業に失敗して生活費を得る事が出来ない様な場合が無いとも限らない。その時に当って妻に実業的知識があれば、婦人が代って家族を養って行く事が出来る。また一たび戦争でも起って多くの男子は戦場に臨む様な事も起らぬとも限らぬ。かかる不時の困難に遭遇しても健全なる婦人の実業的知識が発達している時には、如何いかなるものの援助もこれに勝るものは無いのである。





底本:「大隈重信演説談話集」岩波文庫、岩波書店
   2016(平成28)年3月16日第1刷発行
底本の親本:「大隈伯社會觀」文成社
   1910(明治43)年10月20日発行
※本文冒頭の編者による解題は省略しました。
入力:フクポー
校正:門田裕志
2020年5月27日作成
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