風塵
漸く収まって世界は今や
夕凪の寂静に帰ったが、この平和を
間歇的のものたらしめず永久に確保し行かんと欲する事が、この五年間戦雲に
鎖された後に、
斉しく眼覚めた全人類の渾身の努力で無ければならぬ。人々口を開けば正義といい、人道という。正義、人道は古来
吾人の標置する高き理想であるが、これを
如何様にして実現すべきか。この実現は刻下の時勢の必要が吾人に迫って促して
已まざるところのものである。特にこのたびの大戦の教訓はこの正義、人道が最後の勝利者たるを示した。吾人はこの最後の勝利をあくまで持続的のものたらしめ、これを永遠に確保せしめなければならぬ。これが即ち吾人の理想の実現に忠実なるゆえんである。宗教家は
曰わずや、天国は
終に来るべしと。これは神の愛が恵日の如く、慈風の如く
下土に遍照し流行して、人類が共に永久の平和を楽しむの日有るを語ったもの、人類の歴史は虎狼の群羊を駆るが如く、強者が弱者を圧して
止まざるものであるけれども、
而かも人の性は正義を愛し人道を好む。平和はあくまでその理想とするところである。
否、平和はこれを理想というよりも、吾人の確信というを以て一層妥当なりとする。
而してその確信を実現する事が吾人の受けたる天命である。されば吾人人類は互いに利己的欲望をある度にまで制限して調和を
謀るべきだが、
如何せん、人類にはまた誤れる種々の歴史的思想あり、感情あり、迷信あり、政治あり。これがその本来の理想の実現を妨げて、地上に刃を
齎す事が
屡次である。その結果は
枕骸野に
遍く草木もために凄悲するという惨憺たる光景を呈するに至る。生きながらの地獄である。これに於て悔悟する。即ち宗教家のいわゆる
悔改めである。悔改めの結果は必ずまた神に救われて、
其処に真の天国が地上に示現する。
然らばこのたびの大戦の惨禍を経験して、深刻なる苦痛の印象を
止めた全人類の胸底にはもはや至心の悔改あるべく、然らば天国はまさに近づけるものでなければならぬ。
ここに
憶い起すは、支那の春秋戦国時代である。いわゆる周道衰微し
乾綱紐を解いたために、封建の諸侯が
各々方隅に割拠し、強は弱を凌ぎ、大は小を併せ、五覇七国並び起り、これに附庸の小国が有って
攻伐止むの日が無かった。これが即ち春秋戦国の時代であったが、
而かも初めは内に自己の欲望を蔵しながら、これを充たさんがために表面形式的に、前に天下を統一した周の王室をあくまで奉じて中心とし、ここに会盟して争奪を止めんとした。これを称して
弭兵という。弭兵とは兵を
弭めるという事だが、その性質より考うるにこれを今日の語でいえばリーグ・オヴ・ネーション、国際連盟ともいうべきである。即ち会は諸侯の相会する事で、盟とは神明に誓約するゆえんの義である。神かけて誓約する。
然らばこの誓約こそは天長地久変ることなかるべきである。しかしながら彼等の会盟には
如何せん、平和の理想に対する誠意が欠けておった。周室を中心に奉じてその下に会盟するといえば、
如何にもその形式は平和を絶愛するが如くに見えるけれども、その実、互いの胸中には禍心を包蔵して機の熟するまでの平和を希望したまでで、
譬わば猫児の鼠待つ間の
空睡りの如き態であった。それ故にその会盟は一回では済まされぬ。幾回も幾回もこれを繰返したので、春秋一篇はあたかも会盟の記録たるに過ぎぬが如くに見える。即ち当時の会盟は表面こそあくまで平和のための会盟であったけれども、その実、攻伐のための会盟とも言い得べきものであった。自己のあくなきの欲望を胸に秘めての会盟であった。それ故に一朝利害の標準の変るに従い、
旧き会盟を破って新しき会盟を結び、新しき与国の力を借りて旧き与国を伐つくらいの事は何でも無かった。これが即ち流れて後の戦国時代の露骨なる、単に攻伐を目的とする
合従連衡の素地を成したものである。されば
斉桓公が
鄭伯と会して
武父に
盟い、旧盟の
宋を伐つや、左伝にはこれを評して、「君子の
曰く、
苟も信継がずんば盟も益無きなり。詩にいう、君子
屡々盟う、乱これを用て長ずと。信無ければなり」と言っている。誠にその通りである。誠実が持続するで無くては、百千回の盟約もなんらの効は無いんである。そこで詩の小雅には、君子が
屡々盟うのは屡々盟わねばならぬ必要有るからの事で、その必要の有るは誠実の欠けたるを証する。既に誠実の欠けおる会盟が何の役に立とう。その度数を重ねれば重ねるだけ乱は
益々長ずるばかりだといっている。左伝にはこの詩句を引用して、「信無ければなり」との評語を着けて結んでいるが、至言誠に吾人を欺かざるものだ。即ちかくの如き政略的会盟が当時の
斉桓晋文の徒の間に盛んに行われたが、真の平和は決してこの中より出現せなかった。さればこそ彼等を覇者と
貶称し、誠実に仁義を行わんとする王道とはこれを
甄別したゆえんである。覇者の目的は表面は
如何に仁義を粉飾しても、自己を強大にし他をその権力の
下に屈せしむるに在るのだから、目的のためには
如何なる手段をも選ばざらんとする。
支那の春秋戦国時代の局限された国際関係と、今日の世界の拡大された国際関係とでは、自ずからその活舞台の範囲に広狭の大差の有る事は言うまでもないけれども、かの
斉桓晋文の徒の為した覇業の大規模なるのが、即ちこのカイゼルの軍国主義であり、露骨と婉曲との相違は有っても、その覇業の更に徹底的のものがこの
独逸の帝国主義であったのだ。しかしながらかくの如き帝国主義は、もともと正義を愛し人道を好む人間の本性に
悖戻し、その理性の是認を受け難いから、かかる覇道に反対して王道なるものが叫ばれたのだが、ここに於てか覇者もまた仁義を口にし、表面に王道を説く。いわゆる仁義を
仮って覇業を成すの徒が現れるので、世の降り俗の
頽るると共に、王道は益々
湮没して明らかならざる事久しきを致した。けれども天道は
終に善に
与する。覇道に決して最後の成功は来らぬ。さればこのたびの大戦を見ても知るべきである。しかしながらその終局に至るまでには、往々にして覇道の一時的成功を見る事がある。即ちこの大戦前までは
独逸の国勢
頗る振ったがために、世界はその軍国主義、その帝国主義に少なからず眩惑された。かくして世界の大部分は、その
独逸の陰険なる権謀術数のために大なる禍を受けたものであった。
独逸はその汎独主義の手先に
土耳古人をまで使役して
豺狼飽く無きの大欲を遂げんと欲し、
譎詐百端至らざる無かった。彼は時には根も葉も無き
黄禍論をまで世界に流布して、新興国の我が日本をばその勢力未だ大いに張らざるの時にこれを暴圧せんと欲した。その為すところは
宛然かの戦国策士の亜流であった。しかしながら今はた
如何、
空華の一現でその勢力は
夢痕の尋ぬべからざるが如きものと為り
了った。即ちかくの如く最後の勝利の王道に在るは、これ天の吾人に教えて偽らざるものである。
支那に於ても、その春秋戦国時代の末に賢人、
孟子が現れた。この孟子は
孔子の孫
子思の門人に業を受けたというから、孔子とは頗る時代を隔てているけれども、思想の径路は両者全く
揆を
一にした。この孟子の書の開巻第一には
梁恵王との問答が収録されているが、その中に「天下
悪にか定まらん」という恵王の問がある。孟子はそれに答えて「
一に定まらん」という。恵王は打返して「
孰か
能くこれを
一にする」と問うた時に、孟子は「人を殺すを
嗜まざるもの
能くこれを
一にせん」といった。問の漠然たるが如くに答もまた漠然たるを失わぬけれども、
而かも漠然たる大掴みの語の中に
※然[#「白+嚼のつくり」、U+76AD、452-12]として
滓すべからざる真理が存する。彼は恵王の「
孰か
能くこれに
与する」との重ねての問に対して、「天下与せざる無し」と答え、更に「
如し人を殺すを
嗜まざる者有らば、天下の民皆
領を引いてこれを望まん、誠にかくの如くんば民のこれに帰する
由ほ水の
下きに就くが如し、
沛然として誰か
能くこれを
禦がん」と答えているが、孟子のこの言を進めた当時はもはや戦国も
季世に属し、五覇七国雄強を競うて生民堵に安んぜざる事、四百年。
怨嗟の声天下に満ちていた頃であったから、もはや
悔改めの期熟せりと見たものであったろう。人を殺すを嗜まずとは、これを今日の語に換言すれば即ち人道である、正義である。正義、人道の帰するところはすべてこれ天命の帰するところ、国家はこれに
因って統一されるに相違ない。これが孟子の理想であった。これを具体的に語るならば別に策有るべきであったけれども、それを孟子は明示せなかった。ただこの理想のみについて語るならば、時の古今に従ってなんらの変化有るべきで無く、今日といえどもこの正義人道に頼るに非ずんば、決してこの世に永遠の平和を
冀求すべからざるものである。
然らば
如何にしてこの理想を実現せんか。この問に応じて今ここに現われたものは、即ちいわゆる国際連盟並びに民族自決という問題である。
然らばこの国際連盟に於ても、
抑々如何なる事を為すべきであるか。この問に対して米の大統領ウィルソン氏は果して
幾何の成案を有するか。英の首相ロイド・ジョージ氏の洩せる意見の中には既に自由貿易、軍備制限の二大綱が現われている。
如何にも列強の軍備を競うは明らかに兵禍の端を成するものであり、また国際間の争議は常に経済的競争の激烈なるより起るものであるから、
苟もこの際理想的の永遠の平和の実現を期せんとするならば、この二大綱こそ共に
吃緊欠くべからざるものたるに相違無い。ロイド・ジョージ氏ほどに率直では無いけれども、ウィルソン大統領のかの十四ヵ条の平和要項の宣言中にも、また既にこの意が暗示されている様に思っている。
次には民族自決の問題である。即ち一の民族が他の異なる民族をば、自己の強大なる勢力を以て強いて束縛する事が乱階を成すものであるから、この束縛を解いて新たに独立か従属かの二道を、その民族の自由意思によって自ら選択し決定せしむべしとの趣意である。かくの如きは
仏蘭西大革命の原因を為した自由、平等、天賦人権等の思想からも、米国の独立の動機を為した自由、博愛、正義、権利の思想からしても当然の帰結である。
素と人間には儼然として侵すべからざる権利が存在するもので、これは万人に
渉って等しく固有なるべきはずのものである。天賦人権の語はルーソーを仮りて初めて世に現れた如くであるけれども、この思想は
豈必ずしもルーソーを待って初めて有りと言わんや。即ちこの思想は不言の万人の胸中に自ずから共通に存在するもので、その語のみがただルーソーの
唇頭より初めて
迸り出たというに止まる。この権利の観念からして、個人主義なるものも現れた。この権利の観念からして、自治制度も編まれた。この権利の観念からして、憲法も制定された。この権利の観念からして、議会も開設された。
而して各個人が等しくこの天賦の人権を完全に擁護せんと欲するの思想は、自ら神は愛なりという思想と抱合し、ここに自由、平等、博愛、正義というが如き諸観念を産出したもの、これに依って仏国革命も米国独立も将来されたものであった。
然らば民族自決というが如き事は、当然以上の諸観念の中に十分に抱合さるるものに相違無いので、今更その是非を論ずべきゆえんのもので無い。
基督教の信条たる全人類的意識が吾人に現れ始めた
初頭から、かの
固陋偏狭なる民族主義は渙然として解体し去るべきであるのに、何事ぞそのままに推移して十八世紀の末に至り、ついに爆発して仏国大革命を現出したが、この時にこそかの
露西亜も、
普魯西も、
墺太利も、その専制的国家は最後の息を引き取って残り無く滅亡し、民主的国家が新たに勃興してこれに代るべきであったのに、その時にはまた自ずから種々の錯綜せる関係あり、更に国内の別種の歴史等があって、容易にその理想の実現の
捗らざるに際し、更に仏国内にはこの風雲の変に乗じて一大天才ナポレオンが擡頭し、しきりに四境を侵略して毎戦必ず勝つというが如き現象を呈したがために、せっかく開き始めた自由、平等、博愛の思想の萌芽が妨げられ、やがてこの怪傑は最後の
顛蹶を招いたけれども、続いて起った
独逸民族はまたも戦勝に眩惑して自己を以て独り優秀なる民族と
恃み、その文明を以て世界に卓越したるものと思い
做し、ここにカイゼルの野心を長じてあくまで他民族とその文明とを劣等視してこれを支配せんと欲し、
命に従わずんば力を以てこれを征服せんと謀った。これが
抑々このたびの大乱の禍因を為したものであったが、彼は今日の窮境に陥るまでは
頑冥にして悟るところ無く、更に驕慢なるこの民族主義に付加するに謬妄なる宗教的意識を以てし、中世紀の君主神権説をば二十世紀の今日に復活させ、人類全体に光被すべき神の愛をば独り
独逸民族、なかんずくその君主の上に最も厚く臨むものと考えた。かくの如きはあたかも旧約聖書に在るイスラエル人にのみ神の特殊の恩寵の加わると考えたと同一なもので、
而してその子孫が間も無く
幕天席地、
何処を故国と頼むべき無き
猶太民族と成り果てた事を顧みざるものである。神の愛は平等である。
然るにこれを自己にのみ厚しとするは、これ神を
詐り、神を
穢し、神を
無みすものに非ずして何ぞや。
然らば
猶太の亡国は当然であるが、カイゼルはこの前車の
覆轍を怖れずして、またもその轍を
履んで自らその車を
覆し
了った。ここに覇業の
終に成す無く、一時迂闊に見えても終局の勝利の王者に宿るゆえんを開悟せなければならぬ。これ
孟子の
梁恵王に人を殺すを
嗜まざるもの
能くこれを一にせんと教えたゆえんであった。孟子はある時には
直ちに仁を説き、仁者に敵無しとも言っているが、これ皆人道に本づかずしては全人類の統一あるべからず、従って地上に永久の平和有るべからざるを思えばである。今や兇暴なる平和の攪乱者は天人の
共怒を受けて亡びてしまったから、これよりして人道の光輝は
愈々燦然たるべきであるが、果して
然るを得るか
如何。これを
試みに支那に徴せよ。歴史は単純なる反復に非ずして、常にその変化の際になんらかの新要素を加うるというが、
而かも差別の中に平等有り、変化の中に自ずから常則の有るを知らねばならぬ。我輩はこの常則を尋ねて今より約二千五百年前の春秋戦国の歴史に
鑑戒を求むる事は決して
誤りに非ず、
而して王道は最後の勝利であるけれども、
而かも積習の致すところ容易に改むるを得ずして、各々自国を強大にせんと謀り、仁義を仮って覇業を志し、覇道が久しく当然に行われた事実は、あたかも世界の列強が現代まで民族的に久しく争い続けて来たと同一事実である事を顧み、向後永久の平和を確保せんためには、この過ちを避くるの道を講ぜなくてはならぬと信ずる。
カイゼルが民族的感情を
煽るために
黄禍論を提唱するの妄挙を為すに至るのも、やはり彼をしてかかる民族的僻見に陥らしむべき歴史的因縁が存在してこれに至ったもので、民族の相異なる、容易に渾然融和する事、
漆の
膠に投ずるが如くに為り得ぬ。
而してカイゼルの如きはたまたまこの感情を高調して、他民族に対する力の征服を志したものに
外ならぬんである。試みに英国を見よ。英の
愛蘭を支配するすでに三百年になるが、今なお治まらず、永くその累を受けて処置に苦しんでいるでないか。
印度は久しく尨大なる帝国を樹立していたけれども、その間内憂外患に苦しめられて統一を欠いていたので、それが今で完全な統一を見ているのは全く英国の御蔭である。さればとて
印度民族はアングロサクソン民族では無い。それがこのまま
晏如として
何時までも英国の節度に服して行くのであろうか。民智は時を
趁うて進歩し、自治的能力はそれに伴って発達する。その結果は自然に英国の政治に満足せぬという事になるも知れぬ。この暁に至って平素自由を尊び、博愛を唱え、平和を愛する英国が、なお
且つ専制的にこれを統治せんと努力するであろうか。同じアングロサクソン民族であっても、度を超えた干渉はついに米国を独立せしめた
殷鑑があるでないか。されば英国は行く行く印度に対してもある度合まで自治を許し、極端な干渉は避けるに相違ない。既に英国は米国に対する過去の失敗に顧みて、
加奈太でも濠州でも、
新西蘭でも南阿植民地でも、皆完全なる自治を許しているんである。されば
印度の如き、このたびの大戦に当って幾十万の大兵を送って英国の
艱難に赴かしむるという誠実の表示を為したのであるから、英国の態度もこれよりまさに一変し、初めより完全なる自治とはいかぬにしても、とにかく自治を許すの時期を早めると思う。聞くところによると、もはやその問題に関する委員まで出来ているのだけれども、ただその自治の程度に関して衆論の帰一を見るに至らぬまでだという。これは喜ばしい事だと思う。異民族間には種々の点に於て画一的政治の不可能なるゆえんが有る。
然るにその各民族の自由意思を尊重せずして
漫りに外圧的に統治し、遮二無二その節度に服せしめんとするは、人間に固有する権利を無視し、天理に背くゆえんのものだから、その極はついに
干戈を
執るに至らなければ止まぬ。この道理はもはやこのたびの大戦の教訓に拠って
何人にも一層明確に分って来たはずである。さればこの民族自決問題は
如何なる度合まで進むべきかは知らぬけれども、人道上、正義上、
而して民族の争端を
塞ぎ、人類永遠の平和を期する上からは、極めて合理的に且つ有効なるものと信ずる。現代に於ける最高文明国は英仏米の三国である。このアングロサクソン、ラテン、アメリカンの三大文明国が、平和の
攪乱者に対して正義人道の上より共同の責任を感じ、崇高なる犠牲の精神を発揮して、ついにチウトン文明の代表者たる
独逸の民族主義を
膺懲し得、ここに平和の
曙光の輝き始めた事を喜ぶ。
而してその結果として民族自決問題の現われるまでに至った以上は、我輩は明らかに従来の誤れる民族主義の僻見が、今や眼覚めた全人類の胸底に著しく緩和されたる事実を観取して疑わぬ。
そこで我輩は思う。来るべき平和会議に
上る個々の条項について論ずるならば、それは
頗る数多き事と考えるけれども、ここに先決問題というはやや大業ながら、なかんずく最も重要にして、この際最も明快なる鉄案を必要とするものは、民族的僻見、並びに関税競争の緩和との二つであると。何となれば国際間の争乱の酵母は、常にこの二者の中に於て培養されるからである。
かく言えばとて、我輩は必ずしもかかる争乱の禍因と見らるべきものをこの際性急に、一挙に根絶し尽せとは言わぬ。何となれば民族自決というが如きは
如何に合理の事なりとするも、これを全世界に
亙って果して今日断行するまでに列強は猛進する覚悟を持っているか。関係するところの範囲の広汎なるだけ、幾多の大なる困難が伴う。それ故このたび平和会議に付せらるべきものには自然の限定あり、まず直接にこの大戦の係争地点たる欧州内だけの処分、例えばポーランドとか、チェックスロヴァックとか、フィンランドとか、アルサス・ローレンもしくはボスニア・ヘルツェゴヴィナとか、
墺匈国、
巴爾幹諸州その他に於て、
欧羅巴には雑然たる多くの民族を一の国家に支配するところが多く、それらの諸民族が漸次に独立し始めて来ているから、何としてもそれらの処分を要する。これだけの範囲に止まる事と思うが、しかしながら民族自決の提唱に於て表わされたこの精神はあくまでも尊重し、漸次にこれを
推拡めて往かなければならぬ。
而してこの際列強間に全人類に亙る一切の民族的僻見を除去し、少なくも国際法もしくは協約というが如きものの上より、異民族に対する差別的待遇を一切撤廃し去らん事を渇望する。前にも語れる如く、人間には各自に平等に固有の権利を所有しているものであるのに、これを無視して甲には厚く、乙には薄しという如き差別的待遇を為すとは何事であるか。人種学上吾人人類を、その皮膚の色、脳の形状もしくは容積、身長の
如何、顔面の輪郭
如何、髪毛の断面
如何、色沢
如何、形状
如何というが如き標準によってこれを幾種に区分するとも、それは一向
差支えは無いが、しかしそれに由って発見されたる幾多の相異点が、直ちに人格の優劣を分ち、感情の親疎を来し、自由なるべき吾人全人類の友誼的関係を
阻碍する、永久に越ゆべからざる、一大障壁を築くというに至っては没人道もまた甚だしきもの、
而してかかる没人道の習癖の一掃し得られざるがために、幾度もこの世に戦禍を将来するという事は愚の骨頂でなければならぬ。
次には関税問題に於ても
左様である。国家の存立上、各々その国に於てある度にまで関税を課せざるべからざる事情の有る事は
諒恕せなければならぬ。しかしながら経済は本来各国民の自由競争に
委すべきものであって、これに
毫末も政治的術策を加味すべきでない。もし
然らずして国家の政策上より
漫りに関税を外国品に課し、自国品を保護してこれを以て貿易を妨ぐるに至っては、人類の生存上に大切なる物資の有無相通の道を阻害する事甚しく、
而してその結果は当然他国に於ても復讐的にまたその国の貨物に重税を課してその輸入を拒むに至るべく、これを名づけて関税戦争という。これを
抛擲して顧みざらんか、その極はついに不幸なる真の戦乱が勃発せぬとは限らぬ。禍機は
此処に存在する。それ故来るべきこのたびの平和会議に於ては、各国互いに協定し合ってなるべく緩和的の関税を課するに止める様にしたい。
かくの如く民族問題、関税問題と二大要項を掲げて分説はしたけれども、道は一以てこれを貫く。人道を
根蔕として考えるならば、なんらその解決に苦しむべき理由が無い。人道とは
孟子のいわゆる仁義である。即ち利己的でなく、自己を利するを思うと同時に他をも利するを思う。換言すれば、全人類共同の幸福安全を
希うものであって、これを具体的に直接に論ずれば強を
恃んで弱を
凌ぐことを為さぬ事だといっても宜しい。強を恃んで弱を凌ぐ。これが一番人類の
禍である。政治上といわず、経済上といわず、争いの本は常にこれである。即ちこれが経済上に現れれば、資本的勢力が貧しき下層民、
重に小作人、労働者というが如き者の生活を圧迫する事と為って、由々しき社会問題を
惹起す。しかしながら世界の全人類の中に資本家階級に属する者と、
然らざる下層民の階級に属する者との数の比較は
如何様になるか。言うまでも無く前者は少数であって、後者は極めて多数である。それ故に後者は一個人としては弱いが、集まれば強くなる。一旦争端が開けると
寡は衆に勝つべからず。一個人としては強き資本家階級も、下層民の集合の勢力に敵し兼ねて、自己の運命を彼等の掌中に
委ねなければならなくなる。それ故に資本家階級なればとて、勝手に私利を
壟断して下層民を
虐げる事は出来ぬ訳で、両々相調和し
親昵し行くところに、初めて平和を楽しむ事が出来るんである。即ち強者はあくまで道徳的に弱者に臨むべきであるので、もし一歩これを誤れば即ちかのカイゼルの汎独主義と為る。とはいえこの誤りは必ずしもカイゼル一人が初めて経験した訳でなく、長い歴史が既に侵略的植民政策を取って来ていたものであった。優秀な文明が劣等の文明を支配することを一種の権利の如く考えて来たことは甚だ久しいもので、その極端なるものに至っては、宗教と結んで自己を以て神の特殊の使命と恩寵とを併せ受け、この世の全人類を統治する権利を与えられたものと考うるにも至った。かの
羅馬法皇が神の如き威厳を持した全盛時に於ては、自ら経緯度に依って地球面を区画し、南部は
羅馬、西部は
西班牙、東部は
葡萄牙を以て支配すべく、これ神意に依って定められたるものと考えた如きが即ちそれであった。この様な僭越な思想の行われた時代に、列強はしきりに植民政策を競ったので、その手段は甚だ残忍酷薄を極め、南阿辺の土人をば
宛然兔狩の如くに狩り立て、これを奴隷として国外に輸出する。即ち奴隷売買が盛んなもので、人間をば貨物と同一に価を上下して取引し、これを北米、南米等の諸国に送る。
西班牙、
葡萄牙等が独りこれを行ったばかりでなく、英も仏も皆当時はその
顰に
倣って同様な非人道的なことを行っていたものであった。僭越ながらも自ら神命を受けたりと称し、神に誓って国王の位に
即くものが、かかる非人道的の行為を為すを忍ぶとは心得ぬ。しかしながら真っ先にその罪悪の行為を悟り出したものは英国の
様であった。ここに於て厳令を下して奴隷売買を禁じ、奴隷を搭載した船舶は用捨無く海賊船と
見做して直ちにこれを撃沈させた。これは英国史上人道的に偉大なる光輝を放った誇るべき頁でなければならぬ。
英国の率先の努力のかくの如きものあったに
拘わらず、
而かも正義、人道の中から産れ出た米国の如き国柄に於て、近く六十年前までもなおその奴隷なるものの存在していた事は何事であるか。更に日頃神の愛を説きその
一視同仁を宣伝し廻る
基督教徒が、有意義かは知らぬけれども、一般に近く一世紀前までも、この奴隷制度の存在を以てあえて正義と
悖るなきが如くに考えて来たとは何事であるか。盾と矛とを併せ売る者の語の如く、明らかに
自家撞着でなければならぬ。しかしながら次第に人類の自覚は開け、米国にもかのアブラハム・リンコルンというが如き偉大なる人格が出現して、ついに南北戦争を起し、奴隷を解放してしまったので、久しく
桎梏に苦しんで来た黒人も今では合衆国民として白人同等の地位に置かれ、嬉々として泰平の恩沢に浴するに至った。かくの如く人類は漸進して来ている。
由来、英国は他の欧州諸国よりも人道的には頗る進歩していた国柄で、これを植民地の上に徴するも、かの
西班牙、
葡萄牙、
和蘭というが如き国々と比べては著しく寛大なものであった。けれどもなお
且つ当時は慣用された古い植民政策に誤られて幾多の欠点も有ったのだが、英国は植民虐待の没人道なる事を悟ったが故に、時と共にこれを改善して今日に至り、
而してこのたびの欧州大戦の教訓を契機としてまたまさに人道的の一大躍進を断行せんと欲するに至った。米
然り。仏もまた然り。今やかの兇暴なりし
独逸の帝国主義、軍国主義は崩壊して人道主義は大なる威厳を現し来り、幾千年来の吾人の抱懐し来りし理想の実現の時に臨んだ。平和会議に集る世界の列強の
使臣にして、この人道の
根柢をさえ忘却する事なくんば、ここに掲ぐる二大問題の解決の如きは誠に
易々たるのみである。グローシス以来すでに約三百年、その間連盟は幾たび行われたか知らぬ。けれども盟も信無くんば益無し。これを以て戦乱はついに絶ゆるを得なかったが、しかしこのたびの戦乱の未曾有の凄惨事で有っただけ、それだけこのたびの全人類の自覚もまた未曾有に大なるを疑わず。
加うるに人智も著しく進んでおるが故に、必ずや久しく歴史的、習慣的に誤り来れる民族的偏見の一掃に勉むべく、来るべき国際連盟にはその信の十分なるべきを疑わぬ。ここに於て我輩の要求する
如上の二大要項の根本的解決の必成を期待して
已まざるものである。人道主義なる
哉、人道主義なる哉。我輩はかつて孔孟が二千四百年の前に生れて提唱したりし王道の実現の機無かりしものが、二千四百年後の今日に於て初めてその機を得たるの快心事を告白せざらんとするも得ざるものである。