日本の文明

大隈重信




〔日本と東西両洋の文明〕

 従来、我が日本国には立派な哲学者が無かった。しかし外国から伝わった哲学書などは有ったが、一般国民はこの思想に触れずして、この日本という孤島の楽土に逸居し、世界の生存競争のしょうに立たず、静かに太平を楽しんでおったからして、深遠なる人生観、世界観が出来なかったのである。
 しかるに東西両洋文明の接触は、我が日本をしてこの楽土に桃源の夢を続けしめずして、非常なる大変化を政治、道徳、宗教、文学、美術、教育の上に来たし、随って輓近ばんきんの如く驚くべき国民的大活動を生じ、その結果として新日本の文明、即ち世界の大問題たる東西両文明の統一を得たのである。依って我輩は東西両洋文明の大勢を踪索そうさくして、いて現下の世界の大勢に及ぼし、以て今後に於ける我が国民の覚悟を促そうと思う。

〔文明の発祥と東漸・西向〕

 抑々そもそも世界に於ける文明の淵源発祥の地は、一なるかはた二なるか、これを歴史に、人類学に、社会学に、言語学に、地理学に拠って考うるに、その発祥地は実に一であって、今の亜細亜アジアの西部であるようである。勿論もちろん、その発祥の当時、今日の如く亜細亜アジア欧羅巴ヨーロッパ阿弗利加アフリカなどの区別は無い。これは後世の区別であるが、亜細亜アジア欧羅巴ヨーロッパ阿弗利加アフリカ三陸結合点の付近、今の亜細亜アジア西部のある地方である。しかして文明の発祥地は、また勿論人類繁殖の最も盛んな地であるからして、これが気候地勢等の関係からして、一は東に、他は西に向って移動したのであって、西に向ったのは欧羅巴ヨーロッパ文明、即ち西洋文明の根原をなし、東にすすんだのは亜細亜アジア文明、即ち東洋文明の種子であった。しかして西向文明は希臘ギリシャを経て欧羅巴ヨーロッパの西北部に波及したのである。
 ことに宗教の如きは明らかにその発祥地を亜細亜アジアに有する。仏教、基督キリスト教、回々フイフイ教等が亜細亜アジアに発したことは歴史上明白な事実であるが、ただに宗教のみならず、すべての学芸、美術はやはりその源を亜細亜アジアに発して、世界に波及したのである。なおまた更に根本なる人類について観察しても、歴史、人類学、言語学、地理学上の研究を辿たどれば、またその発源地の唯一であることを発見するであろう。今日学術上の研究では、人類の発源地また文明の発祥地と帰一して、亜細亜アジア西部の地とするの大勢である。
 この人種、文明、宗教等はその発源地を一とするけれども、東西に拡散し永く年代を経過する間に、気候、食物、風土等の差違からして次第次第にその発達を異にし、今日に至っては、全く別物なるかの如き外観を呈するのである。
 これを以て希臘ギリシャ人は東西両文明は調和せずと信じておった。羅馬ローマ人は如何いかに考えたかというに、羅馬ローマ時代に至って欧羅巴ヨーロッパの文明も益々ますます盛んになって来、基督キリスト教も亜細亜アジアから入り来って羅馬ローマ化したのではあるが、東西両文明の隔たりは愈々いよいよはなはだしくなったからして、またそう信じたのであって、西向文明はその宗教、哲学、美術等に希臘ギリシャ的要素を交えて発展し、更に羅馬ローマ的要素を加えたからして、東漸した文明とは年所を経るごとに益々その色彩を異にし来るのである。
 しからば東漸文明は如何いかにというに、まず印度インドで非常に発達進歩し、それより支那に来って支那的要素を混和して、いわゆる中華の文明を成形し、哲学、科学、文学、美術、宗教上に於て高度に達した一の支那文明を成したのである。それより韓国を経て日本に来り、ここにまた我が国の文明を生じた。
 かくて西向の文明は欧羅巴ヨーロッパの西端、西班牙スペイン葡萄牙ポルトガルより英吉利イギリスに達し、東漸の文明は我が日本にまで到達して、年所と共に発展の要素材料に殊異しゅいなるものを加え、ほとんど一致調和の望みは無い様の観を生じ、人種は西は白人、東は有色、西向文明は希臘ギリシャの学術を生じ、基督キリスト教と混和していわゆる西洋文明を成し、東漸文明は印度インドに仏教を生じ、支那に来って仏教、儒教、道教と為り、日本に於て儒仏両教と我が祖先崇拝心と融合したのである。かく発生の根原は異ならぬけれども、一見全く別種の人類、別種の両文明の如き差異を生じて、人をして到底とうてい調和の道が無いかの如く感ぜしめるに至ったのである。
 かくて西向文明の発達は羅馬ローマ後、一時非常なる頓挫を来したのであったが、ルネーサンス期から、宗教、学術の勃興と学理の自由研究と共に、この三、四百年再び生気を発して、ことに非常なる長足の進歩を遂げたが、東漸文明は依然旧態を保持しておったからして、東西文明の隔たりは益々甚だしく、世界の文明とは即ち欧羅巴ヨーロッパに発展した文明のみ、また欧羅巴ヨーロッパ人のみ独立の人類であって、他は一段下れる人類、欧羅巴ヨーロッパ人に支配せらるべき人類なるかの如く成り来ったのである。これは実に十九世紀後半までの大勢であって、宗教の如きも基督キリスト教以外に真宗教無しとし、他の宗教者を目するに異宗徒ヒーゼンを以てした。この異宗徒ヒーゼンとは旧日本の穢多えたという言葉の如く、極端に人をいやしむ言葉である。随って独立なる人類の守るべき道徳は、異宗徒間には無いものとし、欧州人は世界至る所に跋扈ばっこし、白皙はくせき人の世界、白皙人の宗教道徳のみという観の有ったのは十九世紀のなかばまでの大勢であって、回顧すれば、これは誠に東西に分派した文明が、互いに相隔離せる極点に達した時であった。

〔日本開国による東西文明の邂逅〕

 しかるに今より約五十年以前、日本が初めて外交を開いた。これは外国の圧迫に依って欧米諸国と交通する様になったのであるが、これが実に東西両文明の結合する曙光しょこうであって、極端の西は即ち極端の東で、欧羅巴ヨーロッパから亜米利加アメリカに西向し、更に太平洋を越えて西向した文明は、東漸の極、太平洋にさえぎられて、亜細亜アジア文明の精華を含蓄し、久しく我が国に止まっておった文明と、分派以来幾千万年、ここに初めて相邂逅かいこうしたのである。
 およそ文明は新境遇を得れば活動し、活動すれば発達進歩するものであるが、境遇が依然たれば停滞し、停滞すれば衰滅するものである。かの西向文明は大西洋に遮られて、ここに中世期の暗黒時代を生じたが、地球の円形なること、西に日本という新世界の有ることを知り、これに向って向進しようとしたのは、文明の自然的傾向であって、これが進路開拓の使命を負うたものはコロンブスである。彼はマルコポロの紀行文を読んで、支那の東に黄金国が有ることを知り、西向してこれに達せんとはかったのである。しかしてマルコポロは支那人より伝聞したのであって、支那では秦皇漢武しんのうかんぶ以来日本を蓬莱ほうらい島とし、来って仙を求めたものである。げん忽必烈フビライが数度の使節を派遣し、これに次ぐに数十万の軍兵を以てしたのは、あながち彼の功名心から出たのでなく、また蓬莱を求めて神仙に会せんと望んだのであろう。とにかくコロンブスはこの楽土を望んで、未開の波濤を破って新航路を造らんと企てたのであって、この時欧羅巴ヨーロッパの科学は益々ますます進み、文明西向の勢力は愈々いよいよ激して、ついに王后の助力を得て解纜かいらんしたのであったが、偶然にも亜米利加アメリカの新天地を発見し、その新大陸に於て亜米利加アメリカの新文明が発達したのであった。しかして文明西向の勢いは更に増長し、提督ペルリに依って五十年以前我が国に到着したのであった。即ち我が日本に於ては、文明は従来西から来たけれども、これより文明が東から来ることになった。かもこの西の方、印度インド、支那、朝鮮から来たものと、東の方、欧羅巴ヨーロッパ亜米利加アメリカから来たものとは、その発達の外形様式こそ異なりたれ、その発祥の地を一にし、その根本精神の同一なる文明、即ち同胞兄弟の文明なりとは、識者を待ってしかして知る事である。
 開国以来の我が日本国は、東西両大系統の文明触接の境地となって、世界に於ける一切の文明の要素が雑然として一所に集合したからして、我が国の思想、制度、文物は大混乱、大衝突、大競争を生じたのであったが、驚くべし、世界の識者が全く調和のみち無しと断念したこの東西両文明は、開国以来わずかに五十年間で充分なる調和を得たのである。即ち真正の意義に於て、世界的文明は我が国にて初めて成立したのである。しかのみならず更にまた西に向って発展したのである。
 東漸文明、即ち印度インド、支那を経て我が国に来り、太平洋に隔てられてしばらくここに停滞した文明は、活動力を減殺しておって、亜米利加アメリカの新天地で新勢力を得て来た西向文明は、それに比すれば遥かに活動力の大なるため、我が国に於て大成した世界の文明は、まず西に向って活動力を発作し、支那の偏東文明に対する我が新日本の文明、即ち世界的文明の触接は、かの二十七、八年の日清戦争であって、ここに世界的文明は偏局的文明に対して、かの如き完全なる勝利を獲、次の西進は日露戦争となったのであるが、露国は欧羅巴ヨーロッパに在っても最も亜細亜アジアに接近しておる。随って欧羅巴ヨーロッパ亜細亜アジア両種の文明的要素を有しておるからしてその勢力も強くして、他の欧羅巴ヨーロッパ列国におそれられておったが、土地が偏在しておるからして、欧州近世文明の活動がその力を及ぼすこと少なく、また亜細亜アジアに接近しておっても、印度インド、支那の如き文明国でなくて韃靼だったん種族の如き野蛮民族であったからして、露国の文明は中古の欧州文明と亜細亜アジアの野蛮的文物との混和である。ザーは至上の教権と政権とを一身に具有し、極端なる圧制政治を行うのである。これに対して完全なる文明の要素を具備し、最も鮮活なる活動力を保持する新日本文明が、三十七、八年にこれと衝突した。それは即ち日露戦争であって、ここにも世界的文明は陸に海に、またかの如く完全なる勝利を獲たのであるが、陸戦に於ける勝利の要素は独仏の軍事組織あるいは戦略戦術を採用し、海軍に於ては世界海王の称の有った英国海軍の軍事組織、戦略戦術等を採用したにるのである。

〔日本における新文明〕

 我が日本が五十年間に成就したる文明上の大功績は、外に向っては純東偏文明の支那を警省せしめて、清国今日の大趨勢たる、変法自彊へんぽうじきょうの志望を生ぜしめ、また露国をして中古的欧羅巴ヨーロッパ文明と亜細亜アジア蛮民の精神との混合的文明をあらためて、立憲政治、信教自由の国論を生ぜしむるに至ったのであるが、ひるがえって内自ら省みれば更に偉大なる事業を成しつつあるのである。
 元来、我が日本は東洋に在って、東洋文明の精華を包含しておるのであったが、更に希臘ギリシャ羅馬ローマより今世の欧羅巴ヨーロッパ亜米利加アメリカ二大陸に於て、充分発達進歩した西向文明の精神、即ち自由の思想を摂取して、これを東洋文明の精神、即ち統一の精神と円満に調和したことが、即ち新日本の文明の根本至要点であって、これを以て七百年来の封建政治をば、平和に解散して王政復古、立憲政治の大業を成し、以て国家の基礎を建て、また最も円滑に信教の自由を確立して、人間思想界の根底を形成したのである。
 しかるにこの二大事業は、欧羅巴ヨーロッパに於てはいずれにも二、三世紀の年月を費やし、幾多の血を流し、仏国革命あるいは三十年戦争の如き、史上無比の惨劇を演じて、わずかにその曙光を認め得たに過ぎない。しかるに我が日本に於ては、一滴の血液をも見ずして、円満なる信教自由を得、随って道徳、政治上に偉大なる幸福を得つつある。これに反して欧羅巴ヨーロッパの現状では、信教自由を得ざる西班牙スペイン葡萄牙ポルトガルは漸次衰頽し、露西亜ロシアは内乱蜂起して目下これが鎮静に苦しんでおり、英国の如き高度の文明に達した国家に於ても、教育法案中のリベラルな思想が、上院に修正せられて、政府は大騒ぎをやっておる。仏国も政教分離のため羅馬ローマ法王との平和は破れ、羅馬ローマ法王の駐仏大使を国外に放逐し、今や大国乱の徴を現しつつある。自由思想に於ては先進たる欧州諸国すら、かくの如き現況を呈しておるに反し、後進の我が国では政治は全く宗教より独立し、その基礎を心理学、倫理学、社会学等の研究に採り、以て人類普通の正義公道に立脚し、しかして宗教に於ては仏教も、基督キリスト教も、無信教者も、完全に思想の自由を得ておるのである。およそかくの如きは世界経綸家の等しく望むところではあるが、各国国史の堕勢はこれを許さずして、独り日本及び亜米利加アメリカ合衆国のみがこの自由境に到達したのである。しかしてこの平和の間に成立した自由は、欧米諸国、ことにアングロサクソン民族の間に発達した自由思想と、我が日本国の発達、即ち万世一系の皇室に対しては純忠、外国の圧迫に対しては世界を相手にして競争せんとする愛国の精神とが、充分に調和して発生した新文明である。
 しかしてこの新文明は支那の守旧心を打破し、続いて露西亜ロシアの軍隊を撃破して、ロマノフ家の教権政権の専有を破壊し、以て立憲政治と信教の自由とを宣言せしめて、ここに西向文明と東漸文明とは、全く開通融合し、循環周流して、活動発展むことなき文明のリングを生じたのである。実に世界の大問題たる東西両系の文明は調和統一し得るや如何いかんの難問は、我が日本国民に依って充分なる解決を得たのである。

〔文明の調和統一〕

 およそ文明は唯一であるべきであって、一人の善は世界共通の善である。人類に具有する権利及び責任は如何いかなる人種も、如何いかなる国家も、決してこれを奪うことあたわざるものである。このインアリエネブルライトは、支那のいわゆる「己私することを得ず、また人に与うることを得ず」というものである。世界上の人類が皆等しく人類なる以上、この権利及び責任は、決して私することを得ず、また他より奪うこと能わざるものである。この正義公道は二十世紀に至ってたしかに明確に解釈せられつつあって、かの桑港サンフランシスコに於ける頑民がんみんの挙動の如きは、ただ十九世紀上半の迷夢が米国の一部に残留しておったもので、今日の世界一致の文明はかの如き妄執の存在を許容しないのである。しかしてもしかの地の人民にしてその悪夢から覚醒しなければ、彼はただ衰滅に陥るの一途が有るのみである。しかしながら純粋の亜米利加アメリカ精神、ピューリタンの信仰は、決してかの如き頑悪なる思想の発現を認許しない。それは公明正大なる大統領ローズベルトの教書が、この旨義を宣言して遺憾無きものである。およそ事物は発生当時は渾沌こんとんとして唯一である。しかれどもそれが進化すれば、年所を経ると共に分化するということは、物質でも思想でも同様である。即ち陰陽五行より、二元論、多元論、化学上の六十四元素等に分れるけれども、進化の度が高まるに及んでは、哲学上には一元論が採用せられ、人類はその本質の一種なることを発見せられ、各国各時代に分立した文明は豊富なる内容を以て、完美なる世界的統一を得るのであって、実にこれは天地の大原理である。
 次に新日本の文明の一成功は、完全なる教育の独立を確定したことである。従来世界の各文明国では宗教を以て教化の根源としたのであって、宗教には各々おのおのその本尊が有る。基督キリスト教のゴッド、仏教の仏の如き本尊が有る。各宗教に各異の本尊が有れば人心の帰向をことにするからして、文明の統一は信教自由ではほとんど得られない。これ各国に国教の制度が有る理由である。しかしながら信教の自由は文明の通義であるからして、この通義に背かぬように、かも文明の統一を失わぬがためには、宗教以外にあるものを要するは明白な道理である。しかしてそのあるものとは、人道をいて他に無い。人の人たる道は唯一無二であって、その証明は心理学の唯一なることである。但し民族心理学は、民族によってその心理に多少の相違あることを説くけれども、これは唯一の人心が異なれる風土、異なれる物質、異なれる生活に適合せんがための変化であって、決して人心の唯一なることの反証にはならぬ。世界の各所に発達した文明が一所に集合せられ比較せられて、真は真、善は善と確実に決定し、従来の狭隘きょうあいなる見地よりの判断、もしくは感情的独断は排斥せられて、ここに公明正大なる人道が発揮せられ、しかして新日本の教育はこの公明正大なる人道を根底として、宗教より独立して発達したのである。
 更にまた忘るべからざるは、今世に於ては物質的、精神的両文明は、互いに相扶導輔翼ふどうほよくしてその困難をすくい、その誤謬をただし、各々その本性を発揮しつつあることも、文明の統一、人道の活躍、教育の独立に偉大なる効果の有ることである。
 しかして我が日本国に於て東西両文明が触接し、日本国民の大能力によりてこれが調和統一を得たるは前述の通りであるが、そはただ大体根本についていったまでであって、これを人性多種の方面に発達せしめて、内に於ては政治、学術、産業、文学、美術となし、更にまたこの真文明を以て外世界の各民族に宣伝し、これを教化誘導するは、実に我が日本民族の天職である。しかしてこの内外二重の尊重なる任務を果たすには、一に公明正大なる人道を根底とせる独立自由の教育が、充分にその効果を現すことに頼るのである。思うてここに至れば我が国教育の任や、実に至重至大なりというべしである。





底本:「大隈重信演説談話集」岩波文庫、岩波書店
   2016(平成28)年3月16日第1刷発行
底本の親本:「國民教育の大本」明誠館
   1914(大正3)年6月22日発行
初出:「教育時論 第七百八拾貳號」開發社
   1907(明治40)年1月5日発行
※中見出しの〔〕は、底本編集時に与えられたものです。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
※本文冒頭の編者による解題は省略しました。
入力:フクポー
校正:門田裕志
2018年12月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード