三たび東方の平和を論ず

大隈重信




一 極端より極端に移る対支政策

 我輩の東方平和論は、本誌に於ては今度を初めてとするが、前後を通じてこれで三度みたびである。その第一回は今より約二十年前、ちょうど日清戦後列強の間に支那分割の形を現じた時であった。最初列強は支那を目するに眠獅みんしを以てした。それは当時清朝の重臣曾紀沢そうきたく巴里パリに於ける演説に、自国を擬するに眠れる獅子を以てし、ひとたび覚醒せんか、支那はまた今日の支那に非ず、獅子一百獣震駭しんがいするていの猛威を振わん事を説いたためだ。即ち支那はあたかも盛んに西洋文明を採用して富国強兵の術をつとめた頃で、洋式の陸海軍を編成し、特に大沽たいこ砲台、旅順りょじゅん威海衛いかいえいの軍港を設くる等、その面目を一新するのがいあり。この勢いを以て進まば、支那の将来あなどるべからざるものがあった時とて、眠獅の一語は痛く列強の民心を刺激したものであった。しかるに日清役起るや勝敗の結果は如何どうであったか。予期に反して支那は海陸共に連戦連敗であった。その頃支那の兵力は海陸共に我に優り、海軍に於ては当時すでに戦闘艦二隻を有していたが、日本にはその様なものなく、総トン数もはなはだ少なかった。陸軍に於ても彼には李鴻章りこうしょうの部下に属し、洋式に訓練されて精鋭の聞えあった直隷軍ちょくれいぐんをはじめとし、兵数は甚だ多く器機も最新のものを用いたが、我にはただ七個師団あり、それも今日とは違い、師団そのものの兵数も甚だ少ないのだから、実力は今日の想像よりも更に劣り、兵器もまた甚だ精良せいりょうならざるものであった。それ故欧米人の外情に通ずるものは皆等しく日本を危ぶんだ。日本国民は勇敢であるから、最初は勝つも知れぬが、最後の勝利は支那に帰するであろうと。かくの如きは独り日本に憎悪の念あるもののみならず、同情を有するものもまた同様の意見を抱いて憂えたのであった。しかるに干戈かんかひとたび交えるや如何いかん。支那はもろくも敗れてわずかに半歳をでざるに、早くも李鴻章は馬関ばかんに派して和を請うに至った。これがかの有名なる馬関条約で、そして三国干渉の起ったのもこの時であった。
 支那は国だいに民衆も多い。また特にその歴代の史跡に徴するに、支那を苦しむるものは常に北方の蛮族である。そしてこの北方の蛮族がついに中原を席捲せっけんして国礎を定めたのが、即ちこの愛新覚羅あいしんかくら朝である。このおそるべき韃靼だったん族が一たび訓練を経て文明的に軍隊を組織したならば、如何いかなる優勢の大軍をも編成し得ると思った。これが抑々そもそも欧米列強の支那を買被かいかぶったゆえんであったが、それが日本の力に触れてたちまち薄弱なる実力の遺憾なく外面に暴露され、その買被りたる事が知るると同時に、極端より極端に走る彼等列強の見解は、支那を以てもはや土崩瓦解どほうがかい拾収すべからずと思った。日本が更に一指の力を加うれば一溜ひとたまりもなく潰乱かいらんすると思った。それが抑々かの三国干渉の来った有力なる一因である。
 支那すでに無力なりとすれば、次いで来るものは勢力範囲画定の問題である。この問題が当時盛んに起ったのであるが、我輩はこれを以て空想なりとして熱心に論難した。勢力範囲とは何ぞや。この語は阿弗利加アフリカ分割の際に使われた語であるが、阿弗利加アフリカはもともと無人の地である。それ故列強が各々おのおの手に地図を案じ、何処どこから何処どこまでが何処どこの勢力範囲だと定むる事も出来たが、支那はそれと全く事情を異にしている。四千年の歴史を有し、それに相応する四千年の文明を有し、つほとんど欧州全土を相如あいしく大なる土地を奄有えんゆうし、四億万の人民が其処そこに棲息している処である。これを如何にして阿弗利加アフリカ的に分割する事が出来よう。されども初めあまりに支那を買被った世界は、今度はその反動としてあまり支那を見縊みくびった。即ち時事新報じじしんぽうに早く支那分割図の現れたほどで、我が外交の当局者もまた分割的注文を提出した。けれども我輩はかくの如きは謬妄びゅうもうなり空想なりとしてあくまで反対した。支那分割を思う列強は自らわざわいするものである。支那を亡ぼさんとするなら、まず支那国民をほふり尽すの覚悟が無ければならぬ。ところが果して屠り尽し得るか。やれるならやってみろ。その繁殖力の強い支那民族は如何いかにする。とても殺し尽せるものでない。百万人の支那民族を屠るには少なくも十万人の自国民を犠牲に供せなければならぬ。それをも忍んで攻め続くるか。支那国民を屠り尽さざる中に、攻撃軍たる欧州人がまず死に尽すであろう。その結果は如何いかんと見るに、支那は依然として存在するに相違ないと、かかる意見を以て我等は当時盛んにそれに反対した。

二 列強支那の疑懼心を利用す

 第二回の東方平和論はこれを日露戦争の後に発表した。日本の実力のはなはだ強大なるに打たれて支那人は痛く恐怖した。日本はこの勢いを以てついには支那全土を征略しはせぬかと、ただに支那人のかくの如く思うのみならず。支那に商権を拡張せんとする欧米諸強は、日本の勢力の支那の市場に伸ぶる事を甚だ喜ばない。ここに於て嫉妬心から支那人に対し日本の中傷を試み、日本は今や虎視耽々こしたんたん[#「虎視耽々」はママ]支那を亡ぼさんとつとめている。甚だ危険である。我等欧米人にはかくの如き野心を持たぬ。日本人を遠ざけて我等に親しむにくはないという様に説いた。これが支那人の恐怖心を誘う上に大なる力を為した。が、それは誤っている。欧米も支那も共に、支那に対するこの観察の誤りを覚醒せなければならぬ。日本と支那とはさかい相近く、人相同じ、文字もまた相同じ。されば吾人ごじんは支那人を味方とこそ頼め、なんでその国を亡ぼす如き事をはかろう。支那を亡ぼすが如き事を考うる、これほど日本にとって不利な事はない。支那人もまた軽々しく他のためにするところある煽動に乗せられて日本を敵視するが如き事あらば、それほど彼等にとって不利な事は無いとし、即ちおもに支那人本位に立説した。これがその時の論文を一貫した精神であった。

三 支那扶掖は天の我に与うる使命なり

 それに次いで、今や第三回の東方平和論を説かんとするのだが、日本対支那の重大なる関係は、十年前の昔も十年後の今日も同一である。いな、近来益々ますます日本と支那との経済関係の親密を加うるについて、これを従前に比するに利害の更に大なるものがある。支那の土崩瓦解は日本にとってほとんどその国家を怖るべき危害に導くべきものだ。無論むろん如何いかなる事のあるとも、そのために日本の存立をあぶのうする事は無いかも知れぬけれども、なお甚だ恐るべきものがある。今日日本の国際貿易に於てその額の大なる、支那に過ぐる処はない。支那の生産力の現在甚だ低きために、物資の大部分はこれを我が国より供給している。加うるに人口の多き、更にその繁殖力の盛んなるを思えば、支那人は実に現在我が国の一大顧客たると共に、将来益々我が国の一大顧客たらんとするものだ。日本は債務国として今日借金に苦しんでいるが、この対支那貿易にして将来益々盛んならんか、早晩債務国たる運命よりまぬかれて、更に債権国ともなるべきである。しかるにこれ我が一大市場にして不幸にも土崩瓦解ともならば、我が貿易は卒然として止まるであろう。すれば我が国にとってこれほど不利益なる事はあるまい。しかし思えばこれなお目前の小不利に過ぎぬ。更に永久にわたる我が国運の将来を思えば、実に寒心にえざるものがある。支那の土崩瓦解の後には、更に恐るべき西洋の新勢力が対岸大陸に現出するであろう。ここに至ればただちに我が日本帝国の領土保全の上に大なる危害を感ずるものである。日本は今日の財力を守って孤島に退嬰たいえいし、果してく無限に繁殖するその人口を維持する事が出来ようか。所詮しょせん不可能である。すれば日本は支那に有する発言権を何処どこまでも強硬に維持せなければならぬ。
 支那の安全を保ち、その文明を開発し、かくして東洋の平和を支持するという事は日本にとって避くべからず、ほとんどこれを我が使命なりと称して可なるほどである。己れ棄てんとして棄つべからず、人奪わんとして奪うべからざるものである。如何いかんとなれば、日本と支那とは同種同文である上に、両国間の経済関係は世界に冠絶かんぜつしているからである。すでに文明の源を同じうし、また思想、感情、風俗、習慣、皆その源をいつにし、その関係漆膠しっこうの如く離るべからざるものある上に、この同民族たる日本支那の人口を合算すればほとんど白人種に匹敵する。かかる大民族にして一朝歩調を揃えて進むならば、将来東西洋相対立して互いにその文明を誇ることが出来よう。しかして文明の程度に於て日本は支那に対し一日の長あるゆえんを以て、将来支那を促し、それを世界最高の文明に進むるには、日本は当然その扶掖ふえき提撕ていせいの任に当らなければならぬ。これ日本に於ける天の使命である。されば我が対支政策はもとより積極的なるべくして決して消極的なるを許さぬ。

四 民国政府は実力無し

 かくの如きは我等の従来機に触れて屡々しばしば説いて来たところであるが、かもその実際を見れば談はなはだ容易ならざるものがある。今日は革命の政府が成立ちおるが、成立つといっても単に形式のみである。その実力は無い。形式は吾人ごじんの問うところでない。それが王政たると、帝政たるとはた共和政たるとを問わず、ただ支那の実力にしてく今日の世界の競争場裡じょうりに立つに堪え得るものであるならばよろしい。しかるに遺憾ながら今日の支那の政府はその任に堪うるにはあまりに薄弱である。少なくも財政に於ては明らかに満州政府よりも薄弱で、借款に頼らざればその国家は一日も立つあたわざる運命におる。支那の行政にはおよそ六億万円の歳入を要するに、実収入はわずかにその三分の一の二億万前後である。それ故何としてもこの上大勇断を以て四億万の増収を謀らねばならぬが、しかしその国状に於て、四億万は何としても取れぬ。ここに於てむを得ず借款という訳である。
 特にいわんや古来支那民族は税を取るに困難なる民族である。ただ彼等の天性貪欲なるがためとのみ言わぬ。哲学者はあえて徴税を非難し、税を取ればただちにこれを称して暴政虐政という。それにはもとづく処がある。支那に於ける税の費途如何いかんというに、王者はこれを以て土木を興し、宮殿を営み、奢侈しゃしを尽せば、その身辺を囲繞いじょうする官僚はまたこれを以て土地を買い、貨殖を謀り、子孫のために身後の計をする。そのために税といえば、ただ権力者の鴟梟しきゅう[#ルビの「しきゅう」はママ]の欲に供するものという以外に、なんらの意味なき事となった。これが支那の古今を貫く積弊せきへいである。さればこそ立法者、道徳者達は、常に徴税を以て暴政の表象となし、これを以てかみ王者をふうしも官僚を戒めて来たものである。即ち税といえば、直ちに自己の私を営むものという観念が長く彼等の頭脳を支配して来ているからである。これが古来支那に何か革命でも起ると、直ちに当年の税を免ずるという事を宣言するゆえんで、今度の革命運動にもやはりその故智を学んだ。税の目的たる、もとよりかくの如くなるべからず。税は常に国家の利害と一致せなければならぬ。即ち国民の安寧を保ち秩序を全うし利福をうながすために、しかして国家の力独りくすべくして少数の到底とうてい為す能わざる性質の事業に、もしくは外敵を防ぎあるいはらす如き方面の設備に使うべきで、これなくんば国家は一日も立ち行くべからざるものである。

五 権力なき政府を如何せん

 特に文明の政治は最も多く金を要する。即ち税を要する。すれば支那流の税に対する観念と、文明の政治とは到底両立せぬ。ここに於てか従来の支那思想を根底より一掃せなければならぬ。それと同時に政府には大なる権力がなければいけぬ。世界いずれの国民といえども、喜んで税を納むる国民はない。すでに喜ばぬとすれば、徴税には多少強制的の意味がある。即ちこれが中央に絶大なる権力なかるべからざるゆえんである。中央には常に一国の安寧秩序を十分維持するだけの権力が無ければならぬ。もし国民にして税を納めず、これを徴せんとすればたちまち安寧秩序を乱すという如き場合には、国家は十分なる力を以てこれを威圧せなければならぬ。が、今の民国政府にこの力の認むべきものがあるか。彼等はかくの如き場合に臨むや、いたずらに人民に迎合し、その歓心を得るに汲々きゅうきゅうたる態度を取る。これ明らかにその権力なきを自証するものだ。大して有効でもないか知らぬが、とにかく彼等は人心収攬しゅうらんの手段を取っている。それで税はついに取れぬ。革命後中央に収まる金は僅かに二千万テールに過ぎぬ。地方より税を納めずして如何いかにして中央が成立つべきか。むなく借款を仰ぐ。今日の状態は独りえん世凱せいがい〕政府たるがためのみでなく、袁ほろんでそんぶん〕が立とうが、こうこう〕が立とうが、誰が立とうとも同一である。革命的思想を以て頑固な支那従来の謬想びゅうそうを打破せぬ限りは、この現状は幾万世を経るとも変らざるべきである。これが今日支那の国運の日に益々ますますしぼまり行くゆえんである。

六 借款全盛の現況

 外債は今や支那十八省の間に至る処に行われている。初めは中央のみ借款を為し、地方にはこれを厳禁したのであったが、地方から政費を中央に求めに来るけれども、中央にはもとより与うべき何物もない。むを得ずしてついに地方にも借款を許した。即ち政治的借款を除き経済的借款を許した。これが今日地方に大小の借款の鉄道鉱山等諸種の利益を担保として競い起ったゆえんである。その間に西洋の企業家、もしくは資本家、それもことごとく純粋の資本家か、但しはただの鞘取さやとりかは知らぬけれども、それらの徒が雑然糾然きょうぜんとして縦横無尽に働いている。するとたちまち盛んなる競争が起る。多分機敏なる我が国の実業家も加わって働いているであろう。ただその力の微弱なるために大した働きを為し得まい。あるいは外交官等も手伝いをするであろう。其処そこにまたコンミッションが起る。コンミッションは支那が世界に於ける本家かも知れぬ。欧米ではこれを一種の商習慣としているそうだが、支那に於けるこの商習慣からして随分不規律なる莫大なるコンミッションが起る。これは支那人の天性で、ひとたび金にるるや必ずその幾分かを自己のポケットの中に収めずにはおかぬ。これがかの国に於ける最大悪俗である。この悪俗が愈々いよいよ養われて、愈々大規模のものとなり、もはや今日に至って、如何いかなる智者もこれをく禁ずる事なしという有様となった。借款はかくの如く支那全土を通じて大賑おおにぎわいであるが、これはたとい支那の国家が土崩瓦解に至るともその大なる富には変化なく、山河と共にとこしえに存在するからである。支那の現状はほとんど大なる財産家がその一大宝庫を開いて公衆に分与しつつあるが如き観を呈している。しかしてこの運動の盛況を来せば来すほど、中央地方の大小官僚がまた多少の利益を得る。従ってまた愈々その盛況を促すという有様だ。かくの如きはほとんど嘘の如く、我等もまたその嘘ならん事を望むけれども、如何いかんせん、事実である。あたかも日本にも今一大疑獄が起り醜穢しゅうかい耳目じもくおおわしむるものがあるが、支那はこれが昔からで、他人がそのために如何どうなろうとも、国家がそのために如何様いかような運命に陥ろうとも関知せぬのだ。

七 支那に対する日本の位置如何

 借款全盛の支那の将来は果して如何いかん。経済上大なる利益の声のある所には、欧米の資本家はたちま蝟集いしゅうする。ひとたび某処どこそこに一大利益が見ゆるとなると、にわかに非常なる投機熱が起り、為に欧州の市場を攪乱した事は屡々しばしばある。かかるにがき経験は東洋人よりも西洋人に多く、祖先以来幾度も繰返している。苦き経験なら繰返しそうも無い様に思うが、それは大なる誤りである。事実に於て彼等はこれを幾度も繰返している。それ故支那に於ける今日の如きもまたしかりで、支那が貸せといえば、宜い、持って行けとてどんどん貸す。が、極度に資本を注ぎ込んだ結果は如何どうなるであろう。如何いかに投じても案外利益がないと悟る時期が来る。支那に於ける混雑はこれからだ。投資に対して利払いすらも出来ぬとなると、私人の関係はついに移って国家の関係となる。そこで吏員を送ってその財政を監視せしむる事となる。近くは埃及エジプトの借款に於ける如きがその好例である。埃及に対する小さな借款関係は未だ他にもあるが、その大なるものを言えば英と仏とである。埃及は支那の十分の一にも及ばぬほどの大きさの処で、且つ英仏いずれとも国境が近い。この両国がついに埃及エジプトの破産に原因して争った。即ち相争う事三十年、ようやくこの頃に至って協商を遂げて交情を復した。しかるに支那に於ける借款はその関係国が、英、仏、独、米、露、日の六ヵ国である。更にその次位には白耳義ベルギーあり、和蘭オランダあり、米は中頃なかごろ六国借款から脱盟したが、かも支那に対して債権国たるは同じい。それ故まず大なるものと言えば、やはり最初数えた六ヵ国である。そのうち更に資本国はといえば最初の四国に止まるので、露と日とはあずからぬ。更に金額の上よりいえば、日本は最下位におるものである。けれども翻って利害の関係よりいえば、日本が一番その大なるものである。即ち距離からいえば、他のいずれもはなはだ遠いのに反して、日本は一衣帯水いちいたいすいへだつる隣国である。河川に浮ぶる船舶の数よりいうも、英が一位で、二位は直ちに日本である。かもそれは現状をいうので、その漸次ぜんじに増加しつつある割合から将来を予測すると、遠からず日本がその第一位に上る事と信ずる。即ち航海上、同時に貿易上に於て日本の位置は益々ますます有望である。六国の対支那関係をかくの如く観察し考察し来れば、日本の自ら任ずるところはよほど大なるものでなければならぬ。

八 支那を奪取するは難し

 支那にはまた近来河南かなん白狼匪はくろうひなど称する土匪が起っている。河南といえば支那に於ける中原であるが、彼等は此処ここに起り、将来更に蔓延せんとする有様である。それが盛んに起れば鉄道は破壊さるる。交通はために杜絶とぜつする。従って商売も妨げらるる。かも中央の力微弱にしてこれをく制する無しとすれば、投資国は民国政府に信頼せず、自己の投資に対する利益を自ら保護し防禦ぼうぎょするに相違ない。即ち支那の領土を占領する事となるが、占領しても例の支那国民であるから、それより徴税する事はかたい。強いて徴税すればたちまち叛乱が起る。匪賊ひぞくが処在に蜂起してこれを征討する列強はために奔命につかるる。即ち沢山たくさんの金のみを要してなんらの得るところがない。いな、得る処なきのみならず、かえって益々ますます損をする。といって資本家連が自分等のためだからとてそれだけの費用を負担するかというに、言うまでもなく不可能である。また如何いかに国家が金を掛けて自国の利益を保護せんとするとも、一方国際間には自ずから条約がありて一国の自由にならぬ。また自由になっても支那本部には四億万の人民がある。これを軍事的に統御するは難いとすれば、実に厄介な話である。欧米もこれにはすこぶる困難を感ずる。これが我輩の重ねて三たび東方の平和を論ずるゆえんである。
 大体欧米ではよほど支那を研究しているであろうけれども、たびたびその観察を誤っている。少なくも三変している。即ち初めは恐れ、次にあなどり、分割を思うたが、後にはその非を悟り、一転して経済的に利権の獲得を試みた。ところが意外にも支那に利権回復熱が高まり、米が広東カントンに鉄道の敷設をはじむるとこれを拒む。独逸ドイツ山東サントンに鉱山の採掘を始むると、また躍起運動を開始してこれを拒み、いずれもその利権を取戻した。そこで列強はここに利権獲得の困難を悟り、今度は支那の事業に資本を貸し与える。するとんと欲する物、その物は安全に獲らるる。これが支那国民の自尊心を一方に満足せしめて、他方に十分の利益を我に収め得るゆえんであるとした。しかるに更に意外にも革命が起り、金をさえ貸すなら担保にはなんでもかでも求めらるるままに提供する事となった。即ち今日は資本的征服と言っては語弊があるか知らぬが、列強は支那に対して盛んに資本的開発を試みている。これを以て最も将来有望にして且つ利益の多く来るものとした。

九 誰か領土的野心を抱かん

 侵略的態度を以て支那に向う事はかくの如くかたい。それ故昔はかかるアンビションを抱いて支那に臨む国もあるいは有ったかも知らぬが、もはや今日は左様さようの国ははなはだ不足であろうと信ずる。世間には近来しきりに露国の対蒙経綸を云々うんぬんする。しかし露国と蒙古との関係は一朝一夕のものでない。即ち二百年以来、蒙古がかつて露西亜ロシアに侵入して撃退された以来、反対にコサックが蒙古に入る。ペートル大帝以降絶えず露国の人民は外蒙古に於て蒙古人、韃靼だったん人と触接している。即ち回彊かいきょう部と称し、更に伊犂イリーあるいは新彊しんきょうともいう処があるが、これが韃靼族で、常に天山てんざんを越えて露西亜に入る。かつて支那に対して独立をとなえた事もある。地勢をいえばこれらはいずれも支那本部よりは、むしろ露西亜ロシアに近い。即ち外蒙古の如き、河に汽船が通ずる。西比利亜シベリア鉄道にはオムスク辺から乗る事が出来る。そこで自ずから露国と親しからんとするのは、これむを得ざる勢いである。蒙古は大なる草原で、その民はいわゆる遊牧の民である。水草をうて自在に移るという時代には、それが南下して支那とたびたび衝突する。そしてついにそれに屈伏するという事にも為ったのであるが、何んぞ知らん、彼等の一面背後に於ける露国との交渉には、前面なる支那に譲らぬ大なるものが存在するのである。露国の対蒙経綸はかかる歴史あるがためであって、今新たに侵略を企つるものでない。また侵略しても大した利益は無い所だ。けれども歴史的には、蒙古は五十年来明らかに露国の勢力範囲に入っている。いな、更にさかのぼればペートル大帝以来の事で、最後に愛琿あいぐん条約にって支那領と定まったのだ。その間にはすでに幾度も露国の領地に入ったのである。即ち今の拉摩ラマ領の如きがそれである。あるいはその間、不思議に支那及び露西亜ロシアに両属の形を取った事、あたかも昔時せきじの我が琉球りゅうきゅうの如きものであったかも知らぬ。時に支那に向って干戈かんかを動かした様であったけれども、ついに十分な独立国とは為り得なかった。しかしまた同時に十分支那の統治にも入らずに来たのである。これが抑々そもそも我輩が一年前に支那に最後の忠告を与え、藩属地はんぞくちにはただ宗主権を収めて独立せしめよと言ったゆえんである。けれどえん総統は当時の我輩の所説には耳を傾けなかった。これが今日の窮状に至るゆえんである。
 更に西蔵チベットの関係を見るに、これもまたしかりである。西蔵チベットはもしそれが他の勢力を帰すると、直ちに印度インドがそのおびやかすところとなるという地勢である。即ち坂を彼方かなたに下り尽せば其処そこにはダージリンという都市があって、夏も甚だ涼しく印度インドの大官連の避暑地となっている所である。西蔵チベット印度インドの防衛上かくの如く甚だ重要な処であるから、これを他の勢力に移す事は英国にとって忍ぶべからざるところである。さればとて、西蔵チベット印度インドの範囲に収めてこれを統治するは甚だ難い。即ち英の西蔵チベットに望むところは、ただそれを他の勢力に帰せしめざらんとするに止まるので、なんら略奪を企つるものでない。英にしてすでにしかりとすれば、自余の諸国になんで一指を西蔵チベットに染むるを欲するものがあろう。仏国の南清に於けるもまた同様である。仏国は今日その有する一の東京トンキンにさえ困っている。東京トンキンは他国の取って利益を見るべき所でない。仏国にしてすでにこれに懲りおる以上は、更に何を苦しんで領土の略奪を支那に企つる事があろう。然らば独逸ドイツ如何いかんと問わば、これも本国と甚だ隔絶せる支那の地に、孤立した領土を有する事は如何どうであろう。かくの如きはその政治家のけだすこぶる考えものとするところであろう。即ち列強の態度を通観するに、今日無謀にも支那に向って領土的野心をたくましうせんとするものは無い様である。が、支那を商業的関係に於て征略せんとする野心は、これより列強の次第に抱くべきところである。

十 英国の輿論を導け

 支那の将来はこの列強の経済的野心のために少なからざる混雑を生ずるであろう。即ち列強の間に烈しき競争が生ずる。その結果、利害の強き衝突が起る。これよりして東方の平和を攪乱かくらんするにも至るであろう。その結果、支那は非常に困難なる運命に陥る。ここに於てか日本は退守的なるを得ない。あくまで積極的に支那をたすけて立たなければならぬ。この権利は何人なんぴともあえて左右する事は出来ない。吾人ごじんは早晩近づくべき支那のこの運命に対してあらかじめ大いに備うるところがなくてはならぬ。四千年の文明を有し歴史を有する対岸大陸のかの大国家をその不幸より救済する使命は、この大日本帝国を除いて、そも何処いずこに在るか。かくの如き使命は単に力のみの問題でない。金のみの問題でない。同種同文にして思想、感情、風俗、習慣、すべてその源泉を同じうする民族でなければならぬ問題である。特に上来けるが如く、国境は相隣りしている。一朝力を以て臨むという場合にも日本が最も便要の位置にいる。有事の際咄嗟とっさの間にその国民の安寧秩序を保全する能力は、日本をいて抑々そもそも何処いずこに求むべきであろう。しかし日本の兵が直ちに支那の国境に臨むという事には往々おうおうにして誤解を生じ易い。誤解は嫉妬を生じ、嫉妬はやがて平和を攪乱する事ともなる。それ故、その誤解を列強の間に避くる事が肝要である。日英同盟の力はく支那の安全を保ち、且つまさに来らんとするその土崩瓦解を十分に防ぎ得ると信ずる。が、なかんずく日本がその運動の主人公となって最も多く責任のしょうに当らねばならぬ。そしてそれに対する猜疑心の発生を十分に防がなければならぬ。それ故、我が日本の誠意は他の列強は暫く置き、その同盟国たる英国の人民に最もく諒解せられなければならぬ。さればとて吾人は今日その諒解せられざるを言いて、英国人を責むるのではない。ただその諒解を得る事に我から進んで終始意を用いなければならぬというのである。即ち絶えず我が同盟国の輿論を導いて吾人の誠意の存するところ、並びに吾人の使命の如何いかなるところに在るかを十分に知らしめなければならぬ。ひとたびその輿論を導いて遺憾なきを得ば、我が対支那政策に於てまた何の顧慮か有らん。吾人の常に意を用うべきは此処ここに在る。

十一 今度の革命は出来損ねたり

 支那の現状はもはや如何いかんともするなく、如何いかなる智者も識者もこれをく救うものはあるまい。古来支那は武を以て統一した国だ。しかるに今度の革命は如何どうか。二百五十年の満州朝廷は何に因って破れたかというに、武を以てではない。単に巧妙なる策略を以てである。即ち満州政府も失敗すれば革命党もまた失敗し、その中間なるえんが成功して主権者となり総統となった。かくまで巧みなる成功は従来の歴史になきところ、即ちこの点より言えば、袁総統の手腕たる凄まじというべきだ。他国民たる我輩はそれ以上立ち入って是非を加えない。ただ支那従来の謬想を一洗して、十分国費を支弁し得るだけの税を取り、現代的の国家を組織して自国の安立を計り得るものであれば宜い。ところが袁総統にはそれがない。袁総統は策略を以て国を取り得たけれども、策略を以て税を取り得ない。税を取るには非常なる中央の威力が無ければならぬが、袁政府にはそれがない。これその国力の甚だ薄弱なるゆえんである。
 第一、支那の今日を見るに、収税官がおらぬ。収税の能力ある官吏がおらぬ。その証拠には支那の官吏の手に任せた時には塩税が十分取れなかったが、今度五ヵ国の承諾を得て、英国から官吏を派してその収税を監督させたら、これがすこぶる機敏な人で、その結果意外の収入がある。第二、借款は何を担保に起すかというに、この塩税の増収に因る。初めは二億五千万の借款の担保たるを値すれば足ると思ったのであったが、今度その増収を見た結果は更になお五億万の担保たり得る事が知れた。恐らくはまた二億五千万くらい貸す事となるであろう。列国は担保さえあれば幾ら金を貸しても宜いのだ。塩税にしてすでに然りとすれば、支那より六億や七億の税を取るは易々いいたる事と思う。かつて総税務司のロバート・ハート氏の支那政府に告げたところは、重なるものを地税として六、七億の税を徴収するに在った。が、く調査したならかの大国の事であるから、十億万くらいは取って取れぬ事はなかろうと思う。税法さえそなわり、それに才能ある官吏さえあればい。能吏があっても、それが中間に自分のポケットに多く収むる様ではまたいかぬ。けれどもこれは支那国民旧来の悪俗であるから、一朝にして改め難いものがある。それ故善良なる習慣を作るまで、暫く十分の報酬を官吏に与えてそれに満足させ、同時に一方に規律ある軍隊、警察を置き、馬賊も白狼匪も全然閉息するていの力を備うべきである。国民の安寧秩序を守るだけの十分な威力が備われば、他の貪官汚吏どんかんおりを戒むるくらいの事はなんでもない。これくらいの事は元々革命の武力を以てすれば容易なるべきはずであったが、如何いかんせん、支那の革命は出来損なったのである。ここに至れば何としても外国の力を借らなければならぬ。

十二 日支合同は先天的の約束なり

 欧羅巴ヨーロッパで十六、七世紀の頃行った事を、今日なお夢みているものもあるか知らぬが、もはやかくの如き夢想むそうは一てきすべきである。我等の考えでは、白人以外の民も十分白人と並び立って行けると信ずる。そこで吾人と人種を同じうする支那民族をば何処どこまでも友誼的に救済し、そして東西異なる二様の文明を発揮して、更にその調和の上に偉大なる新文明の光輝を生出せしめんと欲する。これが吾人日本国民の目的である。即ちこの目的に向って支那は何処どこまでも我が日本の侶伴りょはんたるべきである。いわゆる唇歯輔車しんしほしゃである。これ空論に非ず。実に唇亡びて歯寒し。吾人は支那を以て我が障壁と頼み、この障壁の撤せらるる其処そこに直ちに我が国運の危殆きたいを感ずるものである。しかるに今やこの支那はまさに亡国の民たらんか、あるいは復活の民たらんかのちまたに立っている。即ち支那をこの累卵るいらんの危うきに救うべく一日の猶予もならぬ時である。吾人は今日支那に対し、先進の地位に立つものの義務として、早くその計を為さんことを欲する。これが我輩の此処ここに反覆三たび東方の平和を論ずるゆえんである。





底本:「大隈重信演説談話集」岩波文庫、岩波書店
   2016(平成28)年3月16日第1刷発行
底本の親本:「新日本 第四卷第五號 創刊三周年記念號 臨時増刊」冨山房
   1914(大正3)年4月3日発行
初出:「新日本 第四卷第五號 創刊三周年記念號 臨時増刊」冨山房
   1914(大正3)年4月3日発行
※〔 〕内の補足・注記は、編者による加筆です。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
※本文冒頭の編者による解題は省略しました。
※初出時の署名は「主宰 伯爵 大隈重信」です。
入力:フクポー
校正:門田裕志
2019年3月29日作成
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