ニールスのふしぎな旅

NILS HOLGERSSONS UNDERBARA RESA GENOM SVERIGE

セルマ・ラーゲルレーヴ Selma Lagerlof

矢崎源九郎訳




1 少年


小人こびと


三月二十日 月曜日
 むかし、あるところに、ひとりの少年がいました。年は十四ぐらいで、からだは大きくアマ色のかみの毛をしていました。この子は、たいして役にもたちませんでした。ねむっては、たべるのがいちばんのたのしみで、おまけに、いたずらをするのが大すきという子だったのです。
 ある日曜日にちようびの朝のこと、おとうさんとおかあさんは、教会きょうかいへいくしたくをしていました。少年はシャツ一まいになって、テーブルのふちにこしをかけ、こいつはしめた、おとうさんとおかあさんがいってしまえば、二時間ばかりはすきなことがしていられるぞ、と思いました。そこで、「よし、おとうさんの鉄砲てっぽうをおろして、打ってやれ。だれにもおこられやしないからな。」と、ひとりごとを言いました。
 けれども、おとうさんは、まるで子どもの考えていることを見ぬきでもしたようでした。だって、そうでしょう。おとうさんは出かけようとして、しきいをまたごうとしたとき、急に立ちどまったかとおもうと、子どものほうをりかえって、こう言ったのです。
「おまえがおかあさんやおとうさんといっしょに教会へいきたくないのなら、うちにいてもいいが、せめてお説教せっきょうだけは読んでおきなさい。おまえにその約束ができるかね?」
「はい、できます。」と、少年は答えました。でも、もちろん、おなかの中では、読みたいだけしか読んでやるもんか、と思っていました。
 少年は、おかあさんがこんなにすばしこく何かするのを、いままでに一ども見たことがありません。おかあさんはたちまち本棚ほんだなのところへいって、ルーテルの説教集せっきょうしゅうをおろし、その日のお説教のところをひらいて、まどぎわのテーブルの上におきました。それから、聖書せいしょを開いて、これも説教集のそばにおきました。さいごに、おかあさんは大きなひじかけイスをテーブルのそばに引きよせました。このイスは、去年、ヴェンメンヘーイの牧師館ぼくしかんであった競売きょうばいのときに買ってきたものでした。そして、いつもは、おとうさんのほかは、だれもこしかけてはいけないことになっていました。
 おかあさんは、よけいな世話せわをやきすぎる、と少年は心の中で思っていました。なぜって、少年としては、一ページか二ページぐらいしか読むつもりはなかったのですから。けれども、またしても、おとうさんは少年の心の中を見すかしたようでした。おとうさんは少年のそばへやってきて、きびしい調子ちょうしでこう言いました。
「よく気をつけて、ちゃんと読むんだぞ。おれたちが帰ってきたら、一ページのこらずきくからな。もしちょっとでもばしていたら承知しょうちしないぞ。」
「お説教は十四ページ半あるのよ。」おかあさんは、まるで、はっきりさせておこうとでもいうように、こう言いました。「読んでしまおうと思うんなら、すぐにはじめなくちゃだめよ。」
 こう言いのこして、おとうさんとおかあさんは出ていきました。少年は戸口に立って、あとを見送りながら、きょうは、とうとうつかまっちまった、と、あきらめました。
「おとうさんとおかあさんは、るすの間じゅう、ぼくがお説教を読んでいなければならないようにうまくしむけて、うれしがっているんだ。」
 ところが、おとうさんとおかあさんにしてみれば、うれしがっているどころではありません。心からかなしんでいるのでした。ふたりはまずしい百姓ひゃくしょうでした。持っている土地といえば、わずかに庭ぐらいの大きさのものでした。ふたりがここへうつってきたときには、ブタを一とうとニワトリを二っているだけでした。しかし、ふたりともふつうの人以上によくはたら勤勉きんべんな人たちでしたから、いまでは牛やガチョウも飼えるようになりました。らしむきもたいへんよくなっていました。ですから、子どものことさえ気にかからなかったら、こんなすばらしい朝には、はればれとした、みちたりた気もちで、教会へもいけたことでしょう。おとうさんは、少年が、ぶしょうで、なまけもので、学校へいっても何一つ勉強べんきょうしようともしないし、ガチョウのばんがどうにかこうにかつとまるといったあんばいの、のらくら者であることを、しょっちゅうこぼしていました。おかあさんは、そのことにたいしては、べつに反対はしませんでした。けれども、少年がらんぼうで、意地いじわるく、生き物にたいしてはざんこくで、人びとにたいしてはよくないことばかりするので、それを何よりも心配していました。
「ああ、どうかかみさまがあの子のいじわるなところをなくして、心を入れかえてくださいますように!」と、おかあさんはためいきをついて言うのでした。「さもないと、いつかは、あの子もあたしたちも、ふしあわせになってしまいます。」
 少年は、お説教を読んだものかどうかと、長い間じっと考えこんでいました。でも、けっきょく、いまは言いつけにしたがうのがいちばんだと思いました。そこで、牧師館ぼくしかんのひじかけイスにこしをおろして、読みはじめました。けれども、低い声でしばらくブツブツ言っているうちに、ねむたくなってきて、まもなくコックリコックリしはじめました。
 外はすばらしいお天気でした。まだ三月二十日になったばかりですが、少年の住んでいる村は、南部なんぶスコーネのずっと南の、西ヴェンメンヘーイにありました。そこにはもう春のかおりがみちみちていたのです。木々はまだみどりになってはいませんが、いたるところに新しいがもえでています。ほりという堀には水がいっぱいで、堀ばたにはフキの花がひらき、石壁いしかべの上にえている草のしげみは、つやつやとして褐色かっしょくになっています。はるかかなたのブナの森は、みるみるうちに大きくふくらんでいくように見えます。空は高く、青くすんで、頭の上にひろがっています。家の戸がすこしいているので、部屋の中でもヒバリのさえずる声が聞こえます。ニワトリとガチョウたちは庭をあるきまわっていました。牛は、春のけはいが牛小屋の中にまではいってきたのを感じて、ときどきモウ、モウときました。
 少年は読んだり、コックリコックリしたり、ねむるまいとがんばったりしました。「眠っちゃだめだ。」と、少年は思いました。「眠ったら、午前中にお説教せっきょうは読みきれっこないぞ。」
 けれども、とうとう、ねこんでしまいました。
 どのくらい眠ったのか、じぶんでもわかりませんでしたが、うしろのほうで、なにかひくい物音がするので、少年は、はっと目をさましました。少年のまん前の窓台まどだいの上には、小さな鏡が一つおいてあります。そのかがみには、部屋へやじゅうのものが、ほとんどぜんぶうつって見えました。少年は頭をあげたとき、なにげなくこの鏡をながめました。すると、おかあさんの長持ながもちのふたがけっぱなしになっているではありませんか。
 おかあさんは、てつ金具かなぐのついた、カシワの木でできている、大きなおもたい長持を持っていたのですが、これはおかあさんのほかは、だれも開けてはいけないことになっていました。おかあさんは、その中に、じぶんのおかあさんからゆずられたものや、とくべつたいせつなものを一つのこらずしまっていたのです。そこには、赤い布地きれじでつくった古風こふう百姓ひゃくしょうの着物――みじか胴着どうぎ、ひだのあるスカート、真珠しんじゅかざりのついた胸着むなぎ――がいくつか入れてありました。それから、のりをつけて洗ったまっ白な頭巾ずきんや、おもたいぎん装身具そうしんぐや、くさりなどもはいっていました。いまでは、こんなものを身につけようとする人はありません。おかあさんは、売ってしまおうかと思ったこともたびたびありましたが、思いきってそうする気にもなれませんでした。
 ところで、少年は、長持のふたがいているのを、いまかがみの中にはっきりと見ました。どうしたというのでしょう。さっぱりわけがわかりません。だって、おかあさんは出かけるまえに、ふたをちゃんとめていったのです。だいいち、少年がひとりっきりでるすをしているときに、長持を開けっぱなしにしておくようなことをするはずはありません。
 少年はまったくきみがわるくなってきました。どろぼうがしのびこんできたのかもしれない……そう思うと、こわくなって、身動みうごきすることもできず、じっとこしかけたまま、かがみの中を見つめていました。
 こうして、そこに腰かけて、どろぼうが姿すがたをあらわすのを、いまかいまかと待っていました。そのうちに、長持のふちにくろかげがさしているのを見つけました。おや、あれはなんだろう? よくよくながめてみましたが、どうしてもじぶんの目のせいとしか思えません。けれども、さいしょは影のように見えたものが、だんだんはっきりしてきますと、それは影ではなく、ほんとうのき物であることがわかりました。しかもまあ、なんということでしょう、それは、小人こびとではありませんか。その小人がいま、長持のふちにまたがっているのです。
 少年はいままで小人のことを話には聞いていましたが、こんなにちっぽけなものだとはゆめにも思ったことがありませんでした。いまそこの長持のふちに腰かけている小人は、せいはやっと十センチかそこらです。そいつは年とった、しわだらけのかおをしていて、ひげはありません。すその長い黒の上着うわぎをきこんで、半ズボンをはき、つばの広い黒い帽子ぼうしをかぶっています。なかなかいきで、スマートです。えりや、そで口には白いレースをつけ、締金しめがねでとめたくつをはき、靴下どめにはチョウ型リボンがむすんであります。ちょうどいま、小人は長持の中から縫取ぬいとりのしてある胸着むなぎを取りだして、感心した顔つきでその古風こふうなつくりかたをながめています。それで、少年が目をさましているのには、すこしも気がついていません。
 少年は、小人を見たときには、すっかりびっくりしてしまいましたが、べつにこわくはありませんでした。そうでしょう。こんなちっぽけなものを、こわがるわけはありませんもの。それに、小人はめずらしい胸着を見るのに夢中むちゅうになっていて、ほかのことは耳にも目にもはいらないようすです。そこで、さっそく、少年は、よし、あいつを長持の中におしこめて、ふたをするとかなんとか、ひとつからかってやれ、という気になりました。
 でも、さすがに、小人にさわる気にはなれません。それで、何か小人をたたくものがないかと、部屋へやの中を見まわしました。まず、長イスからテーブルへ、テーブルからだんろへと目を走らせました。そして、だんろのそばのたなの上にのっているなべやコーヒーわかしや、戸口にある水桶みずおけや、はんぶんいている戸棚の中に見えるさじやナイフやフォークやはちやおさらまで眺めわたしました。つづいて、おとうさんの鉄砲てっぽうを見あげました。これは、かべにかかっているデンマークの国王と皇后こうごう肖像画しょうぞうがのそばにかけてありました。それから、窓台まどだいのところにいているテンジクアオイやフクシャをながめました。こうして、いちばんおしまいに、窓の横木よこぎにかけてある古い虫とりあみに目をとめました。
 この虫とり網を見るが早いか、少年はねおきて、それをひっつかむと、長持のふたをさっとすくいました。と、どうでしょう。まったく、うまいものです。じぶんでもびっくりしてしまったくらいです。どうしてこんなにうまくいったのか、いっこうにわかりません。でも、ともかく、小人はこうして、けどってしまったのです。かわいそうに、小人は長いあみの底のほうに、さかさまになってころがっています。これでは、とうていげられっこありません。
 さて、少年は、つかまえてはみましたが、さいしょのうちは、この小人をどうしたらいいのか、見当けんとうがつきませんでした。ただ、小人がいあがってくることができないように、ひっきりなしに網をゆり動かしていました。
 そのうちに、小人が口をきいて、どうかゆるしてください、といくたびもいくたびもたのみました。そして、じぶんはこのうちのために、長い間ずいぶんいいことをしてきたのだから、もうすこし、よくしてくれたっていいはずだ、もし、少年がじぶんを許してくれるなら、古いおかねを一まいと、ぎんのさじを一本と、それに金貨きんかも一枚あげよう、その金貨といったら、少年の父親の銀時計ぎんどけいかわっくらいもある大きなものだと、言いました。
 小人の申し出たおかねは、それほどたいしたものとは思いませんでしたが、少年は小人をつかまえてからというもの、なんとなくこわくなっていました。つまり、この世のものではない、きみのわるい、何かふしぎなものとかかりあいになったのを感じていたのです。ですから、小人を逃がしてやることは、じつをいえば、うれしくてたまらなかったのです。
 こういうわけで、少年はすぐさまそのもういで承知しょうちしました。そして、小人がいだせるように、網をゆり動かすのをやめました。けれど、小人が網から出かかったとき、少年は、ふと、逃がしてやるかわりに、もっといろんなものがもらえるように、きめておけばよかった、と、思いつきました。まあ、せいぜい、小人が魔法まほうでもって、あのお説教せっきょうをおぼえさせてくれることくらいは、取りきめておくべきでした。
「ただがしてやるなんて、なんてぼくはバカなんだ。」と、少年は思いました。そこで、小人こびとがもう一どあみそこへころがり落ちるように、またまた網をゆすりはじめました。
 ところが、少年が網をゆすりはじめたとたん、ほっぺたをいやっというほどなぐりつけられました。まるで、頭がメチャメチャになってしまったのではないかと思われました。そして、一ぽうのかべにたたきつけられたかと思うと、こんどはもう一ぽうの壁にぶっつかり、しまいにはゆかの上にぶったおれて、そのまま気をうしなってしまいました。
 気がついたときには、うちの中にひとりっきりでした。もう小人の姿すがたはどこにも見えません。長持ながもちのふたはちゃんとしまっています。虫とりあみまどぎわのいつものところにかかっています。ですから、さっきなぐられた右のほっぺたがヒリヒリしなかったら、少年はたぶん、みんなゆめだったんだと、思ったことでしょう。
「こんなことを話したって、おとうさんやおかあさんは、そりゃ夢さ、と言うだろうな。」と、少年は思いました。「小人が来たからって、お説教をかんべんなんかしてくれっこない。いそいで読むよりほかないや。」
 ところが、テーブルのほうへいこうとしますと、なんだかいつもとようすがちがっています。でも、部屋へやが大きくなるなんてはずはありません。それなら、テーブルのところへいくのに、いつもよりずっとよけいに歩かなければならないというのは、いったいどうしたわけでしょう? それに、イスだってまた、どうしたというのでしょう? まえよりも大きくなったはずなどありませんが、少年がこしかけようとするには、いったんイスの足のあいだの横木よこぎにのぼって、それからすわるところによじのぼらなければなりません。テーブルにしたって、すっかり同じことです。テーブルの上を見ようとすれば、イスのひじかけの上にのぼらなければならないのです。
「いったい、どうしたっていうんだ?」と、少年は言いました。「そうだ、きっと小人が、ひじかけイスにも、テーブルにも、そればかりか、部屋へやじゅうに魔法まほうをかけたんだな。」
 説教集せっきょうしゅうはテーブルの上にありました。見たところ、わったようすはありません。でもやっぱり、ちょっとへんなところがあるようです。なぜって、少年は本の上にのぼらなければ、一字も読むことができないのです。
 少年は二、三行読むと、なにげなくかおをあげました。すると、ちょうどかがみに目がとまり、とたんに、大声でさけびました。
「やあ、あそこにまた、べつのやつがいるぞ!」
 そのとおりです。少年は鏡の中に、とんがり帽子ぼうしをかぶり、かわズボンをはいたちっぽけな小人をはっきりと見たのです。
「あいつは、ぼくとまるっきり、おんなじかっこうをしているな。」少年はこう言いながら、びっくりして手をたたきました。と、どうでしょう、鏡の中の小人も同じように手をたたくではありませんか。
 そこで少年は、かみの毛をひっぱったり、うでをつねったり、ぐるっとまわったりして見ました。すると、鏡の中の小人も、すぐそのとおりにするのです。
 それから少年は、鏡のまわりを二、三どかけまわりました。ひょっとしたら、鏡のうしろにちっぽけな者でもかくれていやしないかと思ったのです。けれども、鏡のうしろにはだれもいません。こうなると、少年はこわくなって、からだじゅうがブルブルふるえてきました。そのはずです。じぶんは小人に魔法まほうをかけられたということが、いまはじめてわかったのですもの。鏡の中に見えたちっぽけな小人は、まちがいようもなく、少年じしんの姿だったのです。

ガンのむれ


 少年は、自分が小人こびとになってしまったとは、どうしても信じることができませんでした。
「こいつはきっとゆめなんだ、気のまよいなんだ。ちょっと待ってりゃ、すぐまたもとの人間になれるだろうさ。」こう思いながら、かがみの前に立って、目をつぶりました。そして、こんなバカバカしいことがえてなくなってしまえばいいとねがいながら、二、三分して目をあけました。ところが、なんのわりもありません。やっぱりまえと同じようにちっぽけなままの姿です。白っぽいアマ色のかみの毛、はなの上のそばかすかわズボンにあてたつぎ靴下くつしたあな、なにもかもが、もとのとおりです。そしてただ、からだだけが、ひどくちっぽけになっているのです。
 いや、こうやって立って待っていたところで、どうにもなりゃしない。なんとかしなくちゃだめだ。そうだ、いちばんいいのは、小人をさがしだして、なかなおりをすることだろう。
 こう思うと、少年はゆかにとびおりて、さっそく、さがしはじめました。イスや戸棚とだなのうしろから、長イスの下やだんろのうしろまでさがしました。そのうえ、ネズミのあなにまでいこんでみましたが、小人の姿はどこにも見あたりません。
 少年はさがしながらも、泣いたり、いのったり、思いつくはしからさまざまのことをちかったりしました。これからは、けっして約束をやぶったりしません。いじわるもしません。お説教せっきょうのときにいねむりもしません。もう一ど人間の姿になれさえしたら、きっと、おとなしい、りっぱな、いい子になります……けれども、いくら誓ってみたところで、なんの役にもたちませんでした。
 小人はよく牛小屋にんでいると、いつだったか、おかあさんが言っていたのを、少年はふっと思いだしました。そこで、さっそく牛小屋へいって、小人がいるかどうか、さがしてみることにしました。ありがたいことに、戸口がすこしいていました。だって、もしそうでなかったら、じょうまで手がとどかないのですから、戸を開けることができなかったでしょう。ともかくこうして、らくにけでることができました。
 玄関げんかんに出たとき、じぶんの木靴きぐつはどこにあるかと見まわしました。いままで部屋の中では、靴下くつしたしかはいていなかったのですからね。少年は心のうちに思いました。あんなに大きな、おもたい木靴を、いったいどうしてはいたもんだろう。
 でもそのとき、よく見ますと、入口のところにちっぽけな木靴が一そくそろえてあります。おや、おや、小人は木靴まで小さくするほど気をつかっているのです。それがわかりますと、少年はひどく心配になってきて、「あいつめ、ぼくにこんなみじめな思いを長いことさせておくつもりなんだな。」と、思いました。
 戸口の前においてある古いカシワの板の上を、スズメが一ピョイピョイととびはねていました。スズメは少年の姿を見たとたんに、さけびたてました。
「チュン、チュン、ごらんよ、ガチョウばんのニールスを! あのチビ小僧こぞうを見てごらん! チビ小僧のニールス・ホルゲルッソンを見てごらん!」
 すると、たちまち、ガチョウもニワトリも、ニールスのほうをりむきました。そうして、みんなは、ものすごいいきおいできたてました。
「コケッコッコ。」と、オンドリはがなりたてました。「ばちがあたったんだ! コケッコッコ、おれのトサカをひっぱったのはあいつさ!」
「コ、コ、コ、コ、ばちがあたったのよ!」と、メンドリたちは、鳴きたてました。そして、いつまでもいつまでもさけびつづけました。
 ガチョウたちはかたまって、たがいにささやきあいました。
「だれがあんなにしたんだい? だれがあんなにしたんだい?」
 しかし、何よりもふしぎなのは、鳥のしゃべっていることがニールスによくわかることでした。ニールスはあんまりびっくりしてしまって、入口のところにつっ立ったまま、ぼんやりとただ聞いていました。
「こりゃあ、きっと、ぼくが小人になったからなんだろう。それで、鳥のことばがわかるんだ。」と、ニールスは言いました。
 ニワトリたちはいつまでも、ばちがあたった、ばちがあたった、とさけびつづけています。ニールスはがまんができなくなりました。そこで、石をぶっつけて、どなりました。
「だまれ! こんちくしょう!」
 ところが、つい、だいじなことをわすれていました。それはほかでもありません、ニールスは、いまではニワトリたちからこわがられるほど大きくはないのです。ニワトリたちはニールスめがけて走ってきて、そのまわりをとりかこむと、またまた、さけびました。
「コ、コ、コ、コ、ばちがあたった! コ、コ、コ、コ、ばちがあたった!」
 ニールスはげようとしました。けれど、ニワトリたちがあとからとびかかってきては、大声にどなるので、耳がツンボになりそうです。もしもそのとき、ネコがそこへ来てくれなかったら、きっと逃げだすことができなかったでしょう。ニワトリたちはネコの姿を見ますと、たちまちだまりこんで、地面じめんをつつきまわしては、一生けんめい虫をさがしているようなふりをしはじめました。
 ニールスはさっそく、ネコのところへかけていきました。
「ミーや、おまえはこの庭なら、すみのすみからかくあなまで、すっかり知ってるだろう? いい子だから、小人がどこにいるか教えておくれよ。」
 ネコはなかなか返事をしませんでした。そこへすわって、しっぽをかわいらしく前足のまわりにまきつけてから、少年をながめました。大きな黒いネコで、むねにぽっつり白いところがあります。毛なみはつやつやしていて、お日さまの光をうけると、きれいにかがやきました。つめはおさめていました。目は灰色はいいろで、まんなかに小さな黒いてんが見えました。見るからにおとなしそうな黒ネコです。
「小人がどこにんでいるかぐらい、もちろん知ってるよ。」と、ネコはやさしい声で言いました。「といったって、きみに教えてやろうとは思っちゃいないよ。」
「かわいいミーや、ぼくをたすけておくれよ。」と、ニールスは言いました。「ぼくが魔法まほうにかけられているのがわからないの?」
 ネコが目をすこしあけますと、いじわるそうなようすがあらわれてきました。それから、満足そうにのどをゴロゴロならして、とうとうこう答えました。
「このぼくが、きみを助けるんだって? きみはあんなにしょっちゅう、ぼくのしっぽをひっぱったじゃないか。」
 ニールスは、しゃくにさわってしかたがありません。それで、いまはじぶんがちっぽけなよわい者になっていることを、またまたわすれてしまったのです。
「よし、そんなら、もう一ど、しっぽをひっぱってやるぞ、いいか。」こう言って、ネコにとびかかりました。
 その瞬間しゅんかん、ネコはいままでのネコとは思えないほど、すっかりわってしまいました。毛をさかだて、せなかをまるめ、足をのばしました。つめは地面をひっかきしっぽはみじかくふとくなり、耳はつったち、口からはあわをふき、目は大きくひらいて、ほのおのようにかがやきました。
 ニールスは、ネコなんかにおどかされてたまるものかと、なおも前にでていきました。しかし、ネコはおどりあがって、ニールスにとびかかり、そこにたおしてしまいました。そして、口を大きくけて、ニールスののどをねらいながら、前足でむねをおさえつけました。
 ニールスは、ネコのつめがチョッキやシャツをとおしてはだまでくいこみ、するどいキバがのどをくすぐったのを感じました。ああ、たいへん! ニールスは声をかぎりにたすけをもとめました。
 けれども、だれも来てはくれません。ニールスは、いよいよおしまいかと思いました。ところが、どうしたわけか、そのとき、ネコは爪をひっこめて、のどもはなしてくれました。
「そら、」と、ネコは言いました。「このくらいで、もういいだろう。きょうのところはかんべんしといてやる。きみのおかあさんにめんじてだ。なあに、きみとおれとではどっちが強いか、知らせてやったまでのことさ。」
 こう言いすてて、ネコは帰っていきました。そのようすは、来たときと同じように、すなおで、いかにもおとなしそうです。ニールスはがっかりして、ものを言う元気もありません。これでは、いよいよ小人こびとを見つけるよりほかはないのです。そこで、おおいそぎで牛小屋へ、かけていきました。
 牛小屋には、牛は三とうしかいませんでした。ところが、ニールスが、はいっていったとたんに、三頭ともほえはじめました。まあ、そのさわがしいことといったら、どうみても三十頭は、いるのではないかと思われるほどでした。
「モウ、モウ、モウ、」と、マイルースがほえました。「この世の中にまだ正義せいぎってものがあるのは、けっこうなことだ。」
「モウ、モウ、モウ、」と、こんどは三頭がいっせいにきたてました。何を言っているのやら、とてもわからないほど、メチャメチャに、がなりたてました。
 ニールスは小人のことをきいてみたかったのですが、牛たちがすっかりのぼせあがっているので、じぶんの言いたいことを牛たちに聞かせることができませんでした。牛たちは、まるで見なれない犬をけしかけられたときのように、あばれるのです。後足あとあしでける、首輪くびわをゆすぶる、頭をぐっと上へむけてつのをふりたてる、といったありさまです。
「オイッ、ちょっとここへ来な!」と、マイルースが言いました。「ぐんとこたえるように、ひとけり、けってやろうじゃないか。」
「ここへおいで!」と、グルリリアが言いました。「あたしのつのの上でちょいとおどらせてあげるよ。」
「ここへおいでよ、おいで。おまえに木靴きぐつをぶっつけられると、どんな思いをしたものか、ひとつおまえにも知らせてあげるから!」と、シェルナは言いました。
「さあ、おいでったら。おまえがあたしの耳にハチを入れてくれたおれいを、いましてあげるよ!」と、グルリリアはさけびました。
 マイルースはいちばん年とっていて、いちばんりこうな牛でした。そして、中でもいちばんおこっていました。
「ここへこい。おまえはおかあさんから、牛乳ぎゅうにゅうのしぼりだいを、なんどもなんどもひったくったな。それから、おかあさんが牛乳桶ぎゅうにゅうおけはこんでいるときに、いろんないたずらをしたっけな。おかあさんはおまえのために、ずいぶんなみだを流したものだ。いまそのお礼をみんなしてやるぜ。」
 ニールスは、いままでのひどいしうちをどんなに後悔こうかいしているか話したり、小人がどこにいるかを教えてくれさえすれば、これからはきっと、いい子になる、と言いたかったのです。けれど牛たちは、ニールスの言うことなどに、てんで耳をかしてはくれません。たけりたってほえていますので、もしかして、つないであるつなが切れはしないかと心配になってきました。そこで、ニールスは、牛小屋からそっとけだすよりほかはないと思いました。
 ニールスは、やっとの思いでげてはきましたが、すっかりがっかりしてしまいました。むりもありません。家じゅうどこへいっても、小人をさがす手助てだすけをしてくれる者はないのですもの。それに、こんなぐあいでは、小人を見つけだしたところで、たいして役にはたたないでしょう。
 ニールスははばの広い石垣いしがきによじのぼりました。石垣は農場のうじょうをとりまいていて、その上にはイバラやイチゴのつるが、いちめんにからまっていました。ニールスはそこにこしをおろして、つくづく考えました。もしも人間の姿にもどれなかったら、いったいどうなるんだろう。おとうさんとおかあさんが教会きょうかいから帰ってきたら、どんなにびっくりするだろう。それどころか、国じゅうの人たちがみんなびっくりするだろう。そして、じぶんを見物けんぶつしようとして、東ヴェンメンヘーイからもトルプからもスクーループからも、たくさんやってくるだろう。いや、ヴェンメンヘーイじゅうの人たちが集まってくるだろう。そして、おとうさんとおかあさんは、じぶんをいちにつれていって、見せ物にするかもしれない。
 ああ、そんなことは思ってみただけでも、じつにこわいことです! こうなったうえは、もうだれにも姿を見られたくありません。
 ああ、それにしても、なんという、ふしあわせな少年でしょう。これほど、ふしあわせな者は、世界じゅう、どこをさがしたってありません。この子はもう人間ではないのです。いまではちっぽけな化物ばけものです。
 ニールスは、もう人間ではないということが、いったいどんなことなのか、だんだんわかってきました。いまでは、すべてのものから切りはなされてしまったのです。もうほかの子どもたちとあそぶこともできません。おとうさんおかあさんのあとつぎをすることもできません。それに、こんなじぶんのところへは、およめにきてくれるひともないでしょう。
 少年は、わがをながめました。それは、白くぬってある小さな百姓家ひゃくしょうやでした。とんがった、高いわらぶき屋根やねをいただいていて、まるで地面の中にめりこんでいるようなかっこうです。納屋なやも小さく、そのうえ、はたけの小さいことといったら、それこそ、馬でさえふりむいても見ないくらいです。だけど、どんなにちっぽけで、貧弱ひんじゃくでも、いまのニールスにとっては、よすぎるほどでした。なぜって、いまのこの身の上では、牛小屋の床下ゆかしたあなよりもましうちに住むことなど、とても望めないことですからね。
 びっくりするほどすばらしいお天気でした。少年をとりまくすべてのものが、何かヒソヒソとささやいていました。新芽しんめは、いきいきともえでて、鳥はたのしそうにさえずっていました。けれども、ニールスの心はしずんでいました。これからはもう、どんなものを見ても、いままでのように、うれしいと思うことは二どとないでしょう。ニールスは、きょうのように空が青くすんでいるのを見たことがありません。見れば、わたり鳥がんでいます。その鳥たちは遠い外国から飛んできて、バルト海をこえ、スミューエみさき上陸じょうりくして、いましも北をさして飛んでいくところだったのです。いろんな種類の鳥がいましたが、ニールスの知っているのはガンだけでした。ガンのむれは、クサビがたに長いれつをつくって、飛んでいました。
 ガンのむれは、もういくくみもいく組も飛んでいきました。みんな空を高く飛んでいきましたが、それでも、「さあ、おかへいくんだ! さあ、丘へいくんだ!」とさけんでいるのが聞こえました。
 ガンは、庭をぶらぶらしているガチョウを見つけると、さっといおりてきて、「いっしょにこいよ! いっしょにこいよ! さあ、丘へいくんだ!」と、大きな声でびかけました。
 ガチョウたちは、思わずしらず頭をあげて、耳をすましました。けれども、すぐにふんべつのある返事をしました。
「ここで、たくさん! ここで、たくさん!」
 まえにも言ったとおり、たとえようもないほどすばらしいお天気でした。こんなにさわやかで気もちのいい日に、あの大空を飛びまわったら、さぞたのしいことでしょう。じっさい、新しいガンのむれが、頭の上を飛びすぎるたびに、ガチョウたちもじっとしてはいられなくなってきました。なんだか、いっしょに飛んでいきたいような気もちにさそわれて、ガチョウたちは、二、三ど、はねをバタバタやってみました。でも、そのたびに、年とったおかあさんガチョウが言いました。
「バカなまねをするんじゃないよ。あの連中れんちゅうは、いまにおなかがすいたり、さむくてこごえたりするにきまってるんだから。」
 まっ白な一の若いオスのガチョウは、ガンのさけび声を聞いているうちに、どうしてもたびに出かけたくなってしまいました。そして、
「このつぎ、ガンのむれがきたら、いっしょにいこうっと。」と、さけびました。
 やがて、新しいひとむれが飛んできました。そして、まえと同じように呼びかけました。すると、若いガチョウは、「待って、待って! ぼくもいくよ!」と、さけびました。そうして、はねをひろげて、空にびあがりました。けれども、飛ぶのにはれていないものですから、バタッと地面の上に落っこちてしまいました。
 でも、とにかく、若いガチョウのさけび声は、ガンのむれまで聞こえたのにちがいありません。ガンたちは向きをかえて、ゆっくりといもどってきました。ほんとうにいっしょにくるのかどうか、たしかめようというのでしょう。
「待って! 待って!」と、若いガチョウはさけびながら、もう一ど、飛ぼうとしました。
 ニールスは石垣いしがきの上から、これをのこらず聞いていました。「あの大きいガチョウにげられたら、大損害だいそんがいだぞ。」と、少年は思いました。「教会から帰ってきて、あいつがいなかったら、おとうさんとおかあさんは、どんなにがっかりするだろう。」
 こう考えたときニールスは、またもや、じぶんがちっぽけでよわい者になっていることをすっかり忘れていました。すぐさま石垣からとびおりると、ガチョウのむれのまんなかにけこんで、その若いガチョウのくびたまにかじりついて、さけびました。
んでっちゃだめだよ、いいかい!」
 ところが、ちょうどその瞬間しゅんかんに、ガチョウは地面から飛びあがるこつをのみこんでしまったのでした。そして、ニールスをおとすひまもなく、この子をつれたまま空にいあがってしまいました。
 ニールスは、上へ上へとつれていかれました。それこそ目まいがするほどものすごい早さです。ああ、これはいけない、ガチョウの首をはなさなければ、と気がついたときには、もう空高くのぼっていました。こんな高いところから落っこちれば、あっというまに死んでしまうでしょう。
 せめて、もうすこしらくな姿勢しせいにでもならなければたまりませんが、そのためには、ガチョウのせなかによじのぼるよりほかありません。それで、ニールスは、さんざんほねをおって、やっとのことでガチョウのせなかにのっかりました。けれど、ばたいている二つのはねのあいだの、ツルツルしたせなかにしっかりとのっかっているのは、なかなかたいへんなことでした。ですから、ころがり落ちないように、両手をはね毛の中までつっこんで、一生けんめいしがみついていました。

市松いちまつもよう


 少年はひどくめまいがして、長いこと何がなんだかわかりませんでした。風はピュウピュウうなりをたてて、吹きつけてきます。すぐそばでは、つばさがバタバタとばたき、その音は、ものすごいあらしのようです。十三のガンはニールスのまわりをんで、いきおいよく羽ばたきながら、ガアガアきたてています。ニールスは目さきがチラチラし、耳がガンガン鳴っています。いったい、高いところを飛んでいるのか、低いところを飛んでいるのか、そしてまた、どこへ向かって飛んでいるのか、さっぱりわかりません。
 でも、そのうちに、頭がだんだんはっきりしてきて、いったい、どこへつれていかれるのか、それを見きわめなければいけないぞ、と、ニールスは気がつきました。けれども、それは、なまやさしいことではありません。下を見る勇気ゆうきなんて、とてもわいてきそうもないのです。ちょっとでも下を見ようとすれば、きっと目がまわってしまうでしょう。
 ガンたちは、それほど高いところを飛んではいませんでした。というのは、新しく仲間なかまになったあのガチョウが、空気のすくない高いところでいきをするのになれていなかったからです。それでみんなは、いつもよりも、いくらかゆっくり飛んでいるのでした。
 とうとう思いきってニールスは、下を見おろしました。目の下には、まるで、とても大きなきれがひろげられているようです。そして、その布は、大小さまざまの、かぞえきれない四角い形にわかれています。
「いったい、どこへ来たんだろう?」と、ニールスはふしぎに思いました。
 見わたすかぎり、目にうつるものは、市松いちまつもようばかりです。ななめになっているものもあれば、細長いものもありますが、どれもこれも、まっすぐのせんにかこまれた四角い形ばかりです。円いのや、まがったのは一つもありません。
「下に見えるのは、なんて大きな市松いちまつもようなんだろう?」だれも答えてはくれないだろうとは思いながらも、ニールスはこうひとりごとを言いました。
 ところが、ニールスのまわりをんでいるガンたちがすぐにさけびました。
はたけ牧場まきばだよ! 畑と牧場だよ!」
 そう言われてみますと、なるほど、下に見える大きな市松もようは、スコーネの平野へいやです。そして、それがどうしてこんな市松もように見え、いろんな色に見えるかも、だんだん、のみこめてきました。あかるい緑色みどりいろの四角が、まっさきに目につきました。それは、去年きょねんの秋にたねをまいたライ麦畑むぎばたけです。冬じゅう雪の下でも、ずっと緑の色をしていたのでした。黄色っぽい灰色はいいろの四角は、去年の夏みのったカラス麦の畑で、いまはかぶがのこっているのです。褐色かっしょくがかったのはれたクローヴァの野原で、黒いのは牧場まきばのあとや、いまはたがやされていない休閑地きゅうかんちです。褐色で、はしの黄色い四角は、たしかブナの森にちがいありません。なぜって、そこには、森のまんなかにあって、冬には葉の落ちてしまう大きな木々も見えますし、森のへりにえている若いブナの木が、黄色くなった葉を春までつけているのも見えています。それから、まんなかがいくらか灰色の黒ずんだ四角もありました。それは黒くなったわらぶき屋根やねのある大きな百姓家ひゃくしょうやで、前庭まえにわには石がしいてあるのです。それからまた、まんなかが緑で、ふちが褐色の四角も見えました。そこは庭園ていえんでした。そこでは、芝生しばふはもう緑に色づいていたのですが、まわりのやぶや木々は、まだ、はだかで、褐色かっしょくの木のはだを見せているのでした。
 ニールスは、あんまりなにもかもが市松もように見えるので、思わずおかしくなって、ふきだしてしまいました。
 けれども、ガンたちはニールスがふきだしたのを聞きつけますと、とがめるようにどなりました。
えたよい土地とちだ! 肥えたよい土地だ!」
 ニールスはすぐ、まじめになりました。そして、「こんなこわい目にあってるというのに、ぼく、ふきだしたりして。」と、思いました。
 しばらくのあいだは、まじめくさっていましたが、ニールスはすぐまた笑いだしてしまいました。
 こうして、ガチョウのせなかに乗っているのにも、早くぶのにも、なれてきますと、ニールスはしっかりしがみついているだけでなく、ようやくほかのことも考えることができるようになりました。気がついてみますと、たくさんの鳥のむれが空を飛んでいます。みんな北をめざしています。そして、たくさんの鳥のむれは、おたがいにさけびあい、話しあっています。
「おや、あんたがたは、きょう来たんですな!」と、さけぶものがあります。
 すると、ガンたちは、「そうですよ。で、どうでしょう、春らしくなってますかね?」と、ききました。
「木にはまだ一枚もっぱはないし、みずうみの水もつめたいですよ!」という返事へんじです。
 ガンたちはニワトリがあそんでいるところへ来ますと、大声にさけびました。
「ここはなんていうとこだい? ここはなんていうとこだい?」
 すると、ニワトリが頭をぐっとあげて、答えました。
「ここは『小畑こばたけ』っていうんだよ。ことしも去年きょねんとおんなじだよ。ことしも去年とおんなじだよ!」
 このへんのうちは、たいてい、その持ちぬしの名まえで、ペール・マッソンの家だとか、ウーラ・ボッソンの家だとか呼ばれています。それがスコーネ地方の習慣しゅうかんなのです。けれどもニワトリたちは、そうは言わないで、ニワトリりゅうに、いちばんふさわしいと思われる名まえをつけて呼んでいるのです。そこで、ガンたちが呼びかけると、貧乏びんぼう百姓家ひゃくしょうやに住んでいるニワトリたちは、「ここは『穀物こくもつなし』っていうんだ。」と、さけびますし、もっともっと貧乏な百姓家のニワトリは、「ここは『食物くいものなし、食物なし』さ。」と、どなります。
 大きな、お金もちの農家のうかは、ニワトリたちからも『さいわばたけ』とか、『卵山たまごやま』とか、『宝荘たからそう』といったように、すばらしい名まえをつけてもらっています。
 ところで、貴族きぞくのお屋敷やしきにいるニワトリともなれば、こうまんちきで、ひとから、からかわれでもすると、たいへんです。そんなニワトリの一が、天までとどけとばかり、声をかぎりにさけびました。
「ここはデュベックさまのお屋敷だぞ! ことしも去年きょねんとおんなじだ。ことしも去年とおんなじだ。」
 もうすこしさきへいきますと、一のニワトリが、もったいぶって呼ばわりました。
「ここぞスヴァーネホルム、その名も高きスヴァーネホルム!」
 ニールスが気がついてみますと、どうやら、ガンのむれは一直線ちょくせんすすんではいないのです。みんなはスウェーデンの南部の地方を、あちこちとびまわっているのです。まるで、このスコーネ地方にまた来ているのがうれしくてたまらず、一つ一つの場所にいちいちあいさつしていきたいとでも思っているようです。
 そのうちに、高いエントツの立っている大きな広い建物たてものがたくさんあって、そのまわりに小さいうちがいくつもならんでいるところへ来ました。
「ここはヨルドベリヤの精糖工場せいとうこうじょう! ここはヨルドベリヤの精糖工場!」と、そこのニワトリたちが大きな声で言いました。
 ニールスは、ガチョウのせなかで、思わずはっとしました。それなら、じぶんも知っているはずです。ここはおとうさんとおかあさんの家からそんなに遠くはありません。それに、去年、ここでガチョウばんにやとわれていたことがあるのです。けれども、いま高い空から見おろしますと、なにもかも、すっかりようすがちがっています。
 うん、そうだ! ガチョウ番の女の子のオーサと小さいマッツは、あのときぼくの仲間なかまだったっけ。あそこにまだいるだろうか。ぼくがいま、ふたりの頭の上をんでいるのを知ったら、ふたりはなんて言うだろうなあ!
 まもなく、ヨルドベリヤは見えなくなってしまいました。こんどはスヴェーダーラとスカーベルのほうへ飛んでゆき、それからまたベリンゲクローステルとヘッケベリヤの上にいもどってきました。ニールスは、たった一日でも、いままでの長い年月のあいだに見たよりも、スコーネ地方のずっといろんなところを見ることができました。
 ガンのむれが地上にガチョウたちを見つけたときは、ほんとにゆかいです。そんなときには、みんなはゆっくりと飛んで、地上にむかってさけぶのでした。
「これからおかへゆくんだぜ! いっしょにこないかい! いっしょにこないかい!」
 けれど、ガチョウたちは答えました。
「まだこの国は冬なんですよ! ちょっと早すぎますね! まあ、お帰り、まあ、お帰り!」
 ガンたちは、もっとよく聞こえるように、ぐっといおりて、大声で言いかえしました。
「いっしょにこないか。飛びかたもおよぎかたも教えてやるぜ!」
 そう言われると、ガチョウたちはプンプンはらをたてて、もうひとことも返事をしませんでした。
 ガンたちはいまにも、地面にさわりそうになるまで下へ下へといおりて、つぎの瞬間しゅんかん、さもびっくりしたように、さっといあがり、「オヤ、オヤ、オヤ!」と、さけびました。「なあんだ、ガチョウじゃないや! ひつじじゃないか! 羊じゃないか!」
 それを聞いた地上のガチョウたちは、カンカンにおこって、どなりたてました。
「おまえたちなんかころされちまえ! 一のこらず、一羽のこらず!」
 ニールスはこの口げんかを聞いているうちに、思わず笑いだしてしまいました。けれど、いまのじぶんののふしあわせを思いだしますと、なみだがこみあげてきました。でも、しばらくたつと、またもや笑いだしてしまうのでした。
 ニールスはふだんから馬をらんぼうに走らせるのがすきでした。でも、これほど早くけさせたことはありませんでした。そして、空の上はこんなにも気もちよく、しかも、下からは、土や木ののヤニのにおいが、こんなにも、かんばしくにおってこようなどとは、ゆめにも思ったことがありませんでした。そしてまた、こんなにも空高く飛ぼうなどとは、思ってみたこともありませんでした。こうしていると、まるで、ありとあらゆるくるしみやかなしみやわずらわしさをのがれて、飛んでいるような気がするのでした。
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2 ケブネカイセのアッカ


夕方


 ガンのむれといっしょにんでいる大きなガチョウは、ガンの仲間なかまにはいってスウェーデンの南の地方を飛びまわり、地上のい鳥たちとふざけられるので、大得意だいとくいになっていました。でも、おもしろくはありましたが、おひるすぎになると、だんだん、くたびれてきました。そこで、ふかいきって、もっと早くはねを動かそうとしてみるのですが、どうしても、みんなからおくれてしまいます。
 ずっとしまいのほうをんでいるガンたちは、ガチョウがもうこれ以上いじょうついていけそうもないのを見てとりますと、クサビがた先頭せんとうになって、みんなをみちびいているガンにむかって呼びかけました。
「ケブネカイセのアッカさん! ケブネカイセのアッカさん!」
「なんの用だね?」と、ガンの隊長たいちょうはたずねました。
「白がおくれてます! 白がおくれてます!」
おしえてやんなさい、早くぶほうが、ゆっくり飛ぶよりらくだって!」と、隊長はさけびかえして、まえとおなじようにグングン早く飛んでいきます。
 ガチョウはその忠告ちゅうこくどおりに、早く飛ぼうと一生けんめいにやってみました。でも、そのうちにつかれきって、とうとう、はたけ牧場まきばをとりかこんでいる、枝をられたヤナギの木立こだちのほうへおりていきました。
「アッカさん! アッカさん! ケブネカイセのアッカさん!」しまいのほうのガンたちは、ガチョウがよわってきたのを見ますと、またもやこうさけびました。
「なんだね、こんどは?」と、隊長のガンはたずねましたが、ひどくはらをたてたようすです。
「白がおりていきます! 白がおりていきます!」
「教えてやんなさい、高く飛ぶほうが、ひくく飛ぶよりらくだって!」と、隊長は大声で答えました。
 ガチョウはこんどもこの忠告にしたがおうとしました。けれども高くのぼろうとしますと、息ぎれがして、まるでむねがはりさけそうです。
「アッカさん! アッカさん!」と、またまたうしろのガンたちが呼びかけました。
「すこしはおちつかせてもらえないのかねえ。」と、隊長たいちょうはどなって、まえよりもいっそうきげんがわるくなったようです。
「白がまいりそうです! 白がまいりそうです!」
「みんなといっしょに飛べないものは、うちへ帰るがいい、と、言ってやんなさい!」と、隊長はさけびました。ガチョウのために、すこしゆっくり飛んでやろうなんて気は、まるっきりありません。あいもかわらず、ぐんぐん早く飛んでいきます。
「ああ、ガンなんてものは、みんなこんなんだろうか?」と、ガチョウは思いました。そして、ガンたちはじぶんをラプランド(ラプ人の住む北の地方)までつれていってくれるつもりはなかったことが、急にはっきりとわかってきました。ガンたちは、ただからかって、ガチョウを家からさそいだしただけなのでしょう。
 ガチョウは、いま、じぶんの力がつきてしまったために、ガチョウだって、ものの役にたつことを、この宿やどなしどもに見せてやれないのが、くやしくてくやしくてたまりません。そして、なによりも残念ざんねんに思われるのは、ケブネカイセのアッカになんか出会であったことでした。このガチョウはい鳥ではありましたが、アッカという、百さいにもなるガンの隊長のことは、いままでにもうわさに聞いていました。アッカはみんなからたいへん尊敬そんけいされている鳥で、どんなに、りっぱなガンでも、アッカの言いつけにはしたがうほどだったのです。けれども、アッカとその仲間なかまぐらい、ガチョウをバカにしているものもありません。それで、ガチョウは、じぶんだっておまえたちにけやしないということを、このガンたちに見せてやりたかったのです。
 ガチョウは、いっそのこと引きかえそうかと思ったり、それとも、ついていったものかと思ったりしながら、みんなのあとからのろのろとんでいきました。と、だしぬけに、せなかにっかっているチビさんが言いだしました。
「ねえ、ガチョウのモルテンや! いままで飛んだこともないおまえが、ラプランドなんて遠くまで飛んでいけっこないじゃないか。おまえにだってわかってるだろう。いのちのあるうちに、引きかえしたほうがよくはないかい?」
 ところが、せなかの上のこのチビさんぐらい、このガチョウにとっていやなやつはありませんでした。しかもそいつまでが、じぶんにはもうたびをつづける力がないと思っているのです。そう思うと、しゃくにさわって、なんとかしてついていこうと決心しました。
「もう一ど言ってみろ。みぞの上を通ったら、おとしてやるぜ。」と、ガチョウは言いました。おこったために力がわいてきたのでしょうか、こんどは、ほかのガンたちにもけないくらい、よく飛ぶことができるようになりました。
 もちろん、こんなぐあいにして、いつまでも飛びつづけることはできないでしょう。でも、その心配はありませんでした。というのは、そのとき、ガンのむれが、グングンおりはじめたからです。そして、ちょうどお日さまがしずんだとき、ガンたちは地上にいおりたのでした。こうして、ニールスもガチョウも、何がなんだかわからないうちに、ヴォンブきしべにいていました。
「ここで一晩ひとばんすごす気らしいな。」と、ニールスは思いながら、ガチョウのせなかからとびおりました。
 ニールスは、せまい砂浜すなはまに立ちました。目の前にはかなり大きいみずうみがひろがっています。でも、あまり気もちのいい景色けしきではありません。なにしろ、湖の上には氷がほとんどいちめんにりつめていて、それがどす黒く、しかも、でこぼこしていて、いたるところにけ目やあながあるのですからね。もっとも、こういったありさまは、春さきにはよく見られるのですけど。しかし、氷はもうそう長くはもちそうもありません。きしのあたりは、もう、とけはじめていて、そこははばのひろい、黒くかがやく水のおびのように見えているのです。でも、なんといってもまだ氷がのこっているために、あたりいちめんにはさむさと冬らしいれはてたようすが見えています。
 湖のこうがわには、ひろびろとした気もちのいい土地とちがあるように見えますが、ガンたちのおりたところには、大きなマツの木立こだちがあって、そのマツ林は、まるで、冬を自分のとこにひきとめておく力をもってでもいるようです。どこを見まわしても、地面じめんの上にはもう雪はないのに、大きなマツの枝の下だけには、まだ雪がずいぶんつもっています。そして、それがとけてはこおり、とけては凍って、いまでは氷のようにかたくなっているのです。
 これでは、まるで冬にとざされたれはてた国に来ているようです。ニールスはたまらなくなって、大声で泣きだしたくなりました。
 おなかも、ペコペコです。むりもありません。一日じゅう、なんにもたべていないのですからね。だけど、たべる物はどこにあるでしょう? いまはまだ三月です。木にも地面にも、たべられるようなものは、一つもえてはいませんでした。
 まったく、どこへいったら、たべるものが見つかるでしょう? だれが宿やどをかしてくれるでしょう? だれがおとこをのべてくれるでしょう? そして、だれが火にあたらせてくれるでしょう? だれがケモノをふせいでくれるでしょう?
 もうお日さまはしずんでしまったではありませんか。しかもみずうみの上からは、つめたい風が吹きつけてきます。いよいよ、くらやみが空からおりてきました。おそろしいものが、うすあかりのうしろから、そっとしのびよってきました。森の中では、ガサガサという物音がしはじめました。
 こうなりますと、空をんでいたときのようなたのしい気もちはすっかりえてしまいました。ニールスはとても心ぼそくなってきて、たびの道づれのほうを、ふりむいてみました。いまでは、この鳥のほかには、たよりになる者はありません。
 ところが、そのガチョウは、じぶんよりも、もっとまいっているではありませんか。おりたところに、じっとたおれたままです。そして、いまにも死にそうなようすです。くびはぐったり地べたにつけたまま、目はつぶって、息はかすかにハアハアといっているだけです。
「ガチョウのモルテンや。」と、ニールスはやさしく言いました。「水をひとくちんでごらん。みずうみまでふたあしとはないんだよ。」
 けれど、ガチョウは身うごきひとつしませんでした。
 ニールスは、いままでき物という生き物をいじめてばかりいたのでした。このガチョウのモルテンのことだってそうでした。ところがいまでは、このガチョウだけがただ一つのたのみなのです。ああ、このガチョウが死んでしまったら! ニールスは心配で心配でたまりません。
 そこで、すぐさま、ガチョウを水のところまでつれていってやろうと、すやらひっぱるやらしはじめました。けれど、ちっぽけなニールスにとっては、ガチョウでさえも大きくおもくてずいぶんほねがおれたのです。それでも、どうにか、うまくいきました。
 ガチョウは、まず頭を水の中につっこみました。そうしてしばらく、やわらかい土の上にじっと横になっていましたが、やがて頭をあげると、目から水をはらいおとして、はなあなから大きく息をいました。それから、いきおいよくアシとガマのあいだを泳いでいきました。
 いっぽう、ガンたちはみずうみの中にいました。みんなは地べたにおりるが早いか、ガチョウやニールスのほうは見むきもせずに、水の中にとびこんで、水をあびては、からだをきれいにしていました。それからこんどは、くさりかけたヒルムシロや水クローヴァをムシャムシャやりはじめました。
 白ガチョウは、うんよく、小さいスズキを見つけました。すばやくそれをつかまえますと、きしへもどってきて、ニールスの前におきました。そして、「さっき水をむとき助けてくれたおれいにあげよう。」と、言いました。
 こんな親切しんせつなことばを聞くのは、けさからはじめてです。ニールスはすっかりうれしくなって、ガチョウのくびにとびつきたいくらいでした。でも、やっと思いとどまって、おくものよろこんでもらいました。さいしょは、さかなをなまのままたべるなんて、とてもできやしないと思いましたが、そのうちに、まあともかく、たべてみようという気になりました。
 ナイフがまだあるかしらんと思いながら、さがしてみますと、うれしいことに、ズボンのうしろのボタンにさがっていました。もちろん、これも小さくなって、マッチぼうぐらいの大きさになってはいましたが、これでも魚のウロコをおとして、きれいにすることぐらいはできます。こうして、まもなくスズキがたべられるようになりました。
 ニールスはおなかがいっぱいになりますと、ちょっとずかしくなりました。とうとう、なまの魚をたべてしまったのです。
「ぼくはもう人間じゃない。ほんものの小人こびとになってしまった。」と、心の中で思いました。
 ニールスが魚をたべている間じゅう、ガチョウはすぐそのそばにじっとしていましたが、ニールスがすっかりたべおわりますと、そっと小さい声で言いました。
「ぼくたちはね、い鳥をバカにする、こうまんちきなガンの一ぞくに出会ったんだよ。」
「うん、ぼくもそう思っていたよ。」と、ニールスは答えました。
「もしぼくが、あいつらといっしょにラプランドまで飛んでいけて、ガチョウだって、りっぱにやれるんだってことを、あいつらに見せてやれたら、すごいんだけどねえ。」
「うん、そ、そ、そうとも。」と、ニールスはためらいながら答えました。だって、そうでしょう。このガチョウにそんなことができようとは思えませんもの。でも、べつに反対はんたいする気にもなれませんでした。
「だけど、こんな長いたびをひとりでやりとおせるとは思えないんだよ。」と、ガチョウはつづけて言いました。「どうだろう、いっしょにいって、ぼくを助けてくれないかい?」
 ニールスとしては、もちろん、一時いっときも早くうちへ帰りたいと、ただそればかりをねがっていたのです。だから、こう言われますと、びっくりして、なんて言ったらいいのか、こまってしまいました。
「でも、ぼくときみとはなかよしじゃないもの。」と、とにかく言ってみました。ところが、ガチョウのほうでは、そんなことはまるっきりわすれているようです。さっきニールスにいのちたすけてもらったことだけが、頭にこびりついているのです。
「やっぱし、おとうさんとおかあさんのところへ帰らなくちゃ。」と、ニールスはもう一ど、とめてみました。
「うん、秋になったら、かならずおとうさんとおかあさんのところへつれて帰ってあげるよ!」と、ガチョウははっきり答えました。「それにぼくは、きみのうちの入口のところにきみをおろすまでは、どんなことがあっても、きみをてはしないよ。」
 ニールスは、そのとき、ふと、こんなじぶんの姿すがたをもうしばらくおとうさんやおかあさんに見せないほうがいいだろう、と、思いつきました。それで、ガチョウの申し出に賛成さんせいして、じゃ、そうしよう、と、言おうとしました。と、そのとき、うしろのほうでバタバタという大きな音がしました。ふりかえって見ますと、ガンがみんないっせいにみずうみからあがってきて、からだから水をふるいおとしているのです。それから、ガンのむれは、隊長たいちょうを先頭にして、長く一れつになって、ふたりのほうへやってきました。
 白ガチョウは、そのガンの姿を見ますと、いやな気もちがしました。ガンはもっとじぶんたちガチョウによくていて、もっと近い親類しんるいだとばかり思っていたのです。ところが、どうでしょう。目の前のガンたちは、じぶんよりもずっと小さくて、おまけに、はねの白いものは一もいないのです。みんながみんな灰色はいいろで、あちこちに褐色かっしょくがまじっています。それに、目を見れば、おそろしくなるばかりです。それは黄色きいろくて、そのうしろに火がもえてでもいるように、キラキラとかがやいています。ガチョウは、いままでいつも、ゆっくり、ヨタヨタ歩くのがいいと言われてきました。それなのに、この連中れんちゅうときたら、歩くどころではありません。まるで走っているようです。けれど、いちばんおどろいたのは、その足です。じつに大きくて、おまけに足のうらはけて、ゴソゴソしています。これを見れば、ガンという鳥は、何があっても、まわり道をしないで、平気でその上を歩いていくということが、よくわかります。といっても、ほかのことにかけては、たいへんきれいずきで、きちんとしているのです。でもその足は、この連中れんちゅうが野原をほっつき歩くあわれな鳥であることを、はっきりと物語ものがたっています。
 ガチョウがニールスに、「きみもえんりょなく話しなさい。だけど、きみが人間だってことは言わないほうがいいね。」とささやいたときには、もうガンたちはすぐそばまで来ていました。
 ガンたちはふたりの前に立ちどまって、いくどもおじぎをしました。そこで、ガチョウも同じように、もっとたくさんおじぎをしました。こうして、あいさつがすみますと、ガンの隊長たいちょうがきりだしました。
「あんたがたは、どういうかたか、聞かせてください。」
「わたしのことは、とりたてて言うほどのこともありませんが、」と、ガチョウは言いはじめました。「去年きょねんの春スカーネルで生まれました。そして秋には西ヴェンメンヘーイのホルゲル・ニールスッソンという人に買われて、それからずっとそこにんでいます。」
「それなら、あまり自慢じまんのできるような家がらじゃありませんね。」と、隊長たいちょうは言いました。
「ところで、あんたが、われわれガンの仲間なかまに思いきってはいって来たのは、どういうわけです?」
「わたしたちい鳥だって、なにかとりえはあるってことを、あなたがたに知らせたいからですよ。」
「へーえ、そいつはけっこう。ひとつ拝見はいけんしたいものです。」と、隊長たいちょうは言いました。「ぶお手なみはさっき拝見しましたが、ほかのことなら、きっと、もっとおじょうずでしょう。およぎなんかは、さぞおとくいなんでしょうね?」
「いえ、いえ、ぜんぜんだめです。」と、ガチョウは答えました。ガチョウは、ガンの隊長が自分をうちへ帰すつもりでいるんだろうと思っていましたので、どう返事したってかまやしない、と考えていたのでした。そこで、「ほりを泳いでわたったことしかありません。」と、つづけて言いました。
「じゃあ、かけっこは早いんでしょう?」
「ガチョウがかけるのなんて、わたしはまだ見たこともありませんし、わたしもやったことがありません。」ガチョウはこう答えて、じっさいよりもわるく見えるようにしました。
 大きな白ガチョウは、こうなったからには、どうしたって、隊長がじぶんをつれていってくれるようなことはあるまい、と思いました。それだけに、隊長から、「あんたはまったくどきょうよく答えるんですねえ。どきょうのいいものは、さいしょは、からっきしだめでも、そのうちにはいい道づれになれますよ。どうです、あんたがものになるかどうかわかるまで、二、三日いっしょにいてみたら?」と言われたときには、すっかりびっくりしてしまいました。
「そいつは、まったくありがたいですね。」と、ガチョウは心から満足まんぞくそうに答えました。
 と、こんどは、隊長はくちばしでニールスをさしながら、言いました。
「あんたがそこにつれているのは、だれなんです? そんなのは、これまで一ども見かけたことはないが。」
「わたしの友だちなんです。」と、ガチョウは言いました。「ずうっとガチョウばんをしていたんですが、いっしょにたびにつれていけば、きっと役にたちますよ。」
「そうさね、い鳥には役にたつかもしれない。」と、ガンは答えました。「ところで、なんて名ですね?」
「いろんな名まえがあるんで、」と、ガチョウは、とっさになんて言ったらいいのかわからないものですから、まごまごして、言いました。なぜって、人間の名まえを持っていることは、かくしておきたかったからです。「ああ、そう、オヤユビ太郎っていうんです。」ガチョウはふっと思いついて、こう言いました。
「そうすると、小人こびと親類しんるいですかね?」と、隊長たいちょうはききました。
「ところで、あなたがたガンは、いつごろおやすみになるんですか?」と、ガチョウはすばやくたずねました。こうして、話をかえようというわけです。
「いまごろになれば、ひとりでに目がとじてしまうんですよ。」隊長のガンは言いました。
 いまガチョウと話をしているこのガンが、たいへん年とっていることは、一目ひとめでわかります。はねはすっかり白っぽい灰色はいいろで、黒いすじ一つ見えません。頭はいくぶん大きく、足はあらっぽく、足のうらは、ほかのどのガンのよりもガサガサしています。はね毛はこわく、かたは骨ばっていて、くびはやせています。これは、みんな、年のせいです。ただ目だけは若いものとすこしも変わらず、かえって、ほかのガンのよりも若々しいくらいに、キラキラしています。
 そのとき、隊長たいちょうはいかにももったいぶって、ガチョウのほうに向いて、言いました。
「ところで、ガチョウさん、わたしはケブネカイセのアッカというものです。どうかお見知りおきください。そして、わたしのすぐ右がわを飛ぶガンは、ユクシ、すぐ左がわを飛ぶのは、カクシといいます。右がわの二ばんめのはコルメ、左がわの二ばんめのはネリエーといい、そのうしろはヴィシと、クウシです。それから、そのあとを六の若いガンが、右に三、左に三羽飛ぶのです。どれもこれも、りっぱなすじの高山ガンです。だから、そこらでちょいちょい出会う宿やどなしどもとまちがってもらっちゃこまりますよ。それに、われわれは、じぶんがどんな血すじのものか名のらないようなものとは、いっしょにらしはしないんですからね。」
 隊長たいちょうのアッカがこうしゃべっていますと、ニールスはすっとまえにすすみでました。いまガチョウが、じぶんのことはスラスラ答えたのに、ニールスのこととなると、げるような返事しかしなかったのが、不満ふまんでならなかったのです。
「ぼくの素姓すじょうをあかしましょう。」と、ニールスは言いました。「ぼくはニールス・ホルゲルッソンといって百姓ひゃくしょうの子どもです。つい、けさまでは人間だったんだけど、けさ――――」
 けれど、このさきを言いつづけることはできませんでした。ニールスが人間と言ったかと思うと、たちまちガンの隊長は三歩あとへさがりました。ほかのガンたちはもっとあとへとびのきました。そして、みんな首をのばしながら、はらをたててシー、シー、と言いました。
「わたしはこのきしでおまえを見たときから、あやしいやつだと思っていた。さあ、さっさといっておしまい。人間なんかを仲間なかまに入れておくことはできないよ。」と、アッカはどなりつけました。
「あなたがたガンが、こんなちっぽけなやつをこわがるなんて、おかしいじゃありませんか。」と、ガチョウはなだめるように言いました。「あしたになれば、きっとうちへ帰るでしょうよ。だけど今夜こんやだけは、いっしょにいさせてやってください。こんなあわれなチビスケを、夜ひとりっきりで、イタチやキツネのいっぱいいる中へっぱらうこともないじゃありませんか。」
 ガンの隊長たいちょうは前にすすみでました。しかし、こわいのをおさえるのは、なかなかむずかしいようです。
「わたしは、人間だったら、大きかろうと小さかろうと、気をつけるようにおしえこまれてきたんでね。」と、隊長は言いました。「だけど、ガチョウさん、このチビさんがわれわれになんにもがいくわえないと、おまえさんが受けあってくれるんなら、今夜こんやはいっしょにいてもいいということにしましょう。もっとも、今夜の宿やどは、おまえさんにもこのチビさんにも向いてはいないでしょうよ。なにしろ、われわれは、きしからはなれたこおりの上にいって、ねるつもりなんだからね。」
 こう言われれば、いくらなんでもガチョウも決心がつかなくなるだろうと、ガンの隊長は思っていたのでした。ところが、ガチョウは平気なものです。
「そういう安全な寝場所ねばしょをえらぶとは、さすがにえらいものですね。」
「だがおまえさんは、そのチビさんがあした家に帰ると、受けあってくれるでしょうね。」と、隊長はねんをおして言いました。
「そのときは、わたしもあなたがたとおわかれしますよ。」と、ガチョウは言いました。「わたしはこのチビさんを、けっしててないと、約束してあるんですからね。」
「どこへんでいこうと、おすきなように。」と、隊長のガンが答えました。それからはねをあげて、こおりの上に飛んでいきました。そのあとから、ほかのガンたちも一ずつ、つづいていきました。
 ニールスは、ラプランドへのたびはとてもできそうもないと思うと、かなしくなってきました。それに、今夜のさむ野宿のじゅくのことも、心配でたまりません。
「こいつは、ますますひどくなるね、ガチョウくん。」と、ニールスは言いました。「だいいち、もうここの氷の上でこごえ死にするかもしれないぜ。」
 ところが、ガチョウときたら、じつにほがらかです。
「あぶなくなんかありゃしないよ。さあ、おおいそぎでわらや草を、持てるだけ集めてきてくれたまえ。」
 ニールスが両腕りょううでにいっぱいれ草をかかえてきますと、ガチョウは、くちばしでニールスのシャツのえりをくわえて持ちあげ、こおりの上に飛んでいきました。そこでは、ガンたちがくちばしをはねの中につっこんで、グウグウねむっていました。
「さあ、氷の上に草をひろげなさい。そうすれば、その上にられるし、こごえることもないからね。きみはぼくを助けてくれた、そしてぼくも、きみを助けるってわけさ。」と、ガチョウは言いました。
 ニールスは言われたとおりにしました。それがすみますと、ガチョウはまたもシャツのえりをつかんで、はねの下に入れました。
「ここにいれば、あたたかくて気もちがいいよ。」ガチョウはこう言いながら、ニールスをすっぽりとはねの中にくるみこみました。
 ニールスははね毛の中にうずまっているので、返事をすることができません。でも、これは、あたたかくて、すてきな寝床ねどこです。そして、くたびれていたので、ニールスはすぐに眠りこんでしまいました。


 ほんとうに、氷というものは、あぶなっかしくて、あてにならないものです。ヴォンブのゆるんだ氷も、夜中よなかに動きはじめて、とうとう、その一つのすみがきしにとどいてしまいました。ちょうどそのころ、みずうみの東がわのエーヴェードスクローステル公園こうえんに住んでいるキツネのズルスケというのが、夜のえものをさがして歩きまわっていました。そしてまもなく、この氷の上にガンたちがているのを見つけました。ズルスケはこの日の夕方に、ガンたちの姿を見かけていたのですが、そのときには、まだ、どれか一をつかまえてやろうなんて気はすこしもありませんでした。けれどいまは、いっさんに氷の上を走っていきました。
 しかし、ズルスケがガンたちのすぐそばまで来たとき、ふいに足がすべって、つめで氷をガリッとやってしまいました。その音に、ガンたちはハッと目をさまし、はねをばたばたやって、びたとうとしました。けれども、ズルスケはそれより早く、矢のように突進とっしんして、一のガンのはねをくわえるが早いか、ふたたびきしのほうへかけもどりました。
 けれど、このばん、氷の上にいたのはガンたちだけではありません。からだはちっぽけでも、人間にちがいないニールスもいたのです。ニールスは、ガンがばたいたとき、目をさましました。そして、氷の上にころげ落ちたものですから、ぼけまなこでぼんやりすわりこんでいました。さいしょのうちは、いったい、なんのさわぎがこったのやら、わけがわかりませんでした。と、とつぜん、氷の上を足のみじかい小犬が、ガンをくわえて走っていくのが、目にはいりました。
 それを見るなりニールスは、犬からガンを取りもどそうと、すぐさま、かけだしました。うしろからガチョウが、「オヤユビくん、気をつけたまえ! 気をつけたまえ!」とさけんでいるのが聞こえました。しかし、なあに、あんな小犬ぐらい、こわがることなんかないと思って、かまわず、あとを追いかけました。
 キツネのズルスケにひきずられていくガンは、ニールスの木靴きぐつが氷にコツコツとぶっつかる音を聞きつけました。でも、どうしてもじぶんの耳をしんじることができません。そして、「あのチビさんは、ぼくをキツネから取りかえせると思っているんだろうか?」と、心の中で思いました。すると、こんなふしあわせな目にあっていながらも、うれしそうにのどのおくのほうでクックッと鳴きはじめました。まるで笑っているようでした。「だけど、あの子はすぐに氷のれ目にでもっこちるぐらいのとこだろうな。」と、ガンは心ぼそくなってきました。
 まっくらな夜でした。でも、ニールスには氷の上の割れ目も穴もはっきりと見えるものですから、うまくその上をとびこえていきました。つまり、ニールスはいまでは、夜のくらやみでもよく見える小人こびとの目を持っていたのでした。なにもかもが灰色はいいろで黒ぐろとしていましたが、ニールスの目にはみずうみきしも、まひると同じようにはっきりと見えました。
 ズルスケは、氷が岸にくっついているところから、りくにとびうつりました。そして、土手どてをかけあがろうとしたとたんに、ニールスが大声で呼びかけました。
「そのガンをはなせ! やい、こそどろめ!」
 キツネにはだれがどなっているのかわかりませんが、グズグズ見まわしているようなひまはありません。もっともっと早く走りだしました。
 キツネは美しい大きなブナの森をめがけて、いっさんに、かけていきました。ニールスもそのあとを追いかけました。いまは、あぶないことも忘れているのです。それどころか、ニールスの頭には、この日の夕方にガンたちからバカにされたことだけが、こびりついていてはなれないのです。そこで、たとえ、からだはちっぽけでも、人間というものがどんな生き物よりもすぐれているということを、ガンたちに見せてやりたいと思っていたのです。
 ニールスは、そのえものはなせと、なんどもなんどもさけびました。
「きさまは、なんて犬だ! ガンをぬすんだりしてずかしくないのか? すぐ放せ。放さなきゃ、いたい目にあわすぞ! 放せったら。放さなきゃ、きさまのやったことを主人に言いつけるぞ!」
 ズルスケは、じぶんがおくびょうな犬とまちがえられたかと思うと、おかしくてたまりません。つい、そのひょうしに、ガンをおとしそうになりました。もともと、このズルスケは、野原や山でネズミや川ネズミをつかまえているだけでは満足まんぞくできず、人の家まで出かけていっては、ニワトリやガチョウをぬすんでくる、大どろぼうだったのです。そして、このあたりの人間たちからこわがられていることは、じぶんでもよく知っていました。そのじぶんにむかって、なんというおどし文句もんくでしょう。こんなばかげたことは、まれてこのかた聞いたことがありません。
 ニールスは力のかぎり走りました。まるで大きなブナの木々が、うしろへんでいくようです。ニールスとズルスケの距離きょりはだんだんちぢまってきました。と、ついに追いつきました。ニールスはズルスケのしっぽにとびつきました。
「さあ、どんなことがあっても、ガンは取りかえしてみせるぞ!」と、ニールスはさけびながら、力いっぱいしっぽをひっぱりました。けれども、ニールスにはズルスケを引きとめるだけの力がありません。そのまま、このキツネにズルズルとひきずられていきました。そうしているうちに、からだのまわりには、がいっぱいまつわりつきました。
 ところでズルスケのほうでは、追いかけてきたやつが、たいしたものではないと見てとると、走るのをやめました。そして、ガンを地べたにおいて、げられないように、前足でおさえつけ、いまにもその首をかみきろうとしました。ところがそのとき、ちょいとこのちっぽけなやつをからかってやれという気まぐれをこしました。
「さっさと主人に言いつけるがいい。いまこのガンをかみころすところだからな。」と、ズルスケは、ニールスに言いました。
 ニールスは、自分の追いかけている犬が、はながとがっていて、しゃがれた、いじわるい声をしているのに気がつくと、びっくりしました。でも、こんなどろぼうにからかわれたのが、しゃくにさわってたまりません。それで、こわいなんて気もちは、ちっとも起こりませんでした。ニールスは、ブナのみきにからだをささえながら、ズルスケのしっぽをしっかりとにぎっていました。キツネはパクッと口をあけて、ガンののどもとにあてました。そのとたん、ニールスはあらんかぎりの力で、そのしっぽをひっぱったのです。さすがのキツネもこれにはたまらず、思わず二、三歩あとへさがりました。そのすきに、ガンはすばやくげました。けれども、弱々よわよわしく、ヨタヨタといあがりました。かたほうのはねきずついていたので、ほとんどそのはねを使うことができなかったのです。それに、まっくらな森の中では何一つ見えません。めくらと同じことで、どうすることもできないのです。ですから、ニールスを助けるなんてことは、思いもよりません。しげった木立こだちのあいだを、あっちにぶっつかり、こっちにぶっつかりしながら、そのガンは、やっとのことでみずうみまで帰ってきました。
 いっぽう、ズルスケは、こんどはニールスめがけてとびかかりました。そして、「あいつはりそこなったが、ほかのやつをきっとつかまえてみせるぞ。」と、うなって言いました。その声のようすでは、はらそこからおこっています。
「ふん、そんなことができるもんか!」と、ニールスは言いました。もののみごとに、ガンを助けてやることができたので、大得意だいとくいだったのです。そして、まだキツネのしっぽをしっかりとにぎり、キツネがつかみかかろうとすると、そのたびに、反対がわへグルグルとまわってしまいます。
 さあ、森の中でぐるぐるおどりがはじまりました。まわりのブナの葉はさかんにびちります。ズルスケは、グルグル、グルグルまわりますが、それにつれて、しっぽもグルグル、グルグルまわります。ニールスはしっぽにしっかりとつかまっているものですから、キツネには、どうしてもつかまえることができません。
 ニールスは、うまくガンを助けてやったので、うれしくてうれしくてたまりません。はじめのうちは笑いながら、キツネをからかっていました。でも、キツネ先生は、いつまでも根気こんきよくやっています。まったく、これはどこからみても、りっぱな狩人かりうどです。そこで、ニールスは、この調子ちょうしでは、いつかはつかまえられるかもしれないぞ、と、だんだん心ぼそくなってきました。
 そのとき、ふと、そばを見ますと、竿さおのようにすらりとした、小さな若いブナの木が一本えています。この木の上には、年老としおいたブナの木々の枝がおおいかぶさっているので、その上に出れば、すぐにげだすこともできるでしょう。
 ニールスはキツネのしっぽをさっとはなして、ブナの木によじのぼりました。しかし、キツネのほうはむがむちゅうなので、なおもじぶんのしっぽをめがけて、ぐるぐるまわりをつづけています。と、だしぬけに、「もうおどりなんかやめたらどうだい。」と、ニールスが声をかけました。
 キツネはプンプン怒っていました。こんなチビスケがつかまらない面目めんぼくなさに、むしゃくしゃしていました。そこで、ブナの木の下にじっとこしをおろして、ニールスを見はることにしました。
 ところで、ニールスはいまにも折れそうな枝にのっかっているので、のんきにかまえているわけにはいきません。ところが、このブナの木は、ほかの木の枝にりうつることができるほど高くはなかったのです。といって、もちろん、下へおりる気にはなれません。さむさはひどくなり、手足はしびれきって、枝につかまっているのもやっとになりました。おまけに、ひどくねむたくなってきました。でも眠ったがさいご、地べたにっこちてしまいます。それで、一生けんめいがまんしていました。
 ああ、森のまんなかで、一晩ひとばんじゅうこんなふうにしていなければならないなんて、なんというおそろしいことでしょう! ニールスは、いまのいままで、夜ってものがどんなものであるか知りませんでした。見れば、すべてのものが石になってしまい、もう二どと生きかえってはこないように思われます。
 そのうちに、夜があけはじめました。ニールスは、なにもかもがまたもとの姿すがたにかえったのを見て、うれしくなりました。けれど、さむさは夜中よなかよりも、かえっていまのほうが、きびしく感じられます。
 とうとう、お日さまがのぼってきました。でも、いまは金色きんいろではなくて、まっかです。気のせいか、お日さまはおこっているように見えます。だけど、なにを怒っているのだろう、とニールスはふしぎに思いました。きっと、お日さまのいないあいだに、夜が地上をこんなにつめたく、陰気いんきにしてしまったからなんだろうか。
 お日さまの光は、夜が地上で何をしていたかを見るために、ふりそそいできました。すると、空を流れるくもきぬのようにつややかなブナのみきこまかく入りくんだ枝、ブナの落ち葉をおおっているシモ、こうしたすべてのものがさっと赤くなりました。
 お日さまの光が、ますますあかるくしてきました。やがて、夜のおそろしさもえました。手足のかじかみも、いまでは感じなくなったようです。すると、びっくりするほどたくさんの生き物の姿が見えてきました。赤いくびをした黒いキツツキは、くちばしで木のみきをつつきはじめました。リスは、クルミをかかえてからチョコチョコ出てくると、木の枝にすわって、クルミをかじりはじめました。ムクドリは細い根をくわえて飛んできました。アトリは木のこずえでさえずりはじめました。
 そのときニールスは、お日さまがこういう小さい生き物たちにむかって、
「さあ、目をさまして、から出ておいで! わたしはここにいるんだよ! もうなんにもこわがることはないよ。」と言っているのを聞きました。
 ガンたちが旅立たびだとうとしてきたてている声が、みずうみのほうから聞こえてきました。それからまもなく、みんなで十四のガンが、森の上をんできました。ニールスは大声で呼んでみましたが、ガンのむれはずっと上のほうを飛んでいて、そこまでは声がとどきません。みんなは、きっと、ニールスはもうキツネにたべられてしまったと思っているのでしょう。そこで、もうじぶんをさがしてみようとはしないのだな、とニールスは思いました。
 ニールスはすっかり心ぼそくなってきて、いまにも泣きだしそうになりました。けれども、空を見あげれば、そこにはお日さまがニコニコと金色きんいろかがやいていて、世界じゅうに元気をあたえています。
「ニールス・ホルゲルッソンや、わたしがここにいるかぎり、ちっともこわがることはないよ。」と、お日さまはそう言っていました。

ガンのいたずら


三月二十一日、火曜日
 ガンが、朝ごはんをたべていると思われるあいだは、森の中ではべつにわったこともありませんでした。ところが、それからまもなくです。一のガンがしげった枝の下にんできました。そのガンはみきや枝のあいだをって、ゆっくりとあちこちを飛びまわりました。キツネはガンの姿を見つけますと、すぐさま小さいブナの木の下をはなれて、そっとガンのほうへしのんでいきました。ところが、おどろいたことには、ガンはキツネをよけようともしないで、かえって、すぐ近くまで飛んでくるではありませんか。そのとたんに、ズルスケはさっと高くねあがりました。けれども、失敗しっぱいです。ガンはみずうみのほうへ飛んでいってしまいました。
 やがて、もう一羽のガンが飛んできました。このガンもさっきのガンと同じようにやってきます。けれども、まえのよりももっとひくく、もっとゆっくりと飛んでいます。そのうちに、ズルスケの頭の上まできました。こんどこそは、とズルスケがとびあがります。耳がガンの足にさわりました。けれど、またまたこのガンも、きずひとつ受けずにげてしまいました。そして、ひとことも言わないで、みずうみのほうへ飛んでいきました。
 しばらくすると、また一のガンがやってきました。さっきのよりも、もっと低く、もっともっとゆっくり飛んでいます。ブナの枝のあいだをすりぬけていくのが、だいぶむずかしそうに見えます。ズルスケはいきおいよくおどりあがりました。と、このガンは、もうすこしのところでつかまりそうになりましたが、それでもとうとう逃げてしまいました。
 このガンが見えなくなりますと、すぐに四ばんめのガンが姿を見せました。これはまた、いやにゆっくりと飛んでいます。ズルスケは、こんどこそわけなくつかまえられるだろうと思いました。けれど、ゆだんをして、またしくじってはたいへんです。それで、こんどはなんにもしないで、しばらく飛ばせておいてやろうと思いました。けれども、このガンも、さっきまでの仲間なかまと同じように、ズルスケの上までくると、ぐっとひくいおりました。ズルスケは思わずつりこまれて、またまた力いっぱいおどりあがりました。すると、つめのさきが、ちょっとさわりはしましたが、ガンはすばやく身をかわして、逃げていってしまいました。
 ズルスケがいきをつくひまもないうちに、三のガンが、一列にならんでやってきました。こんども、さっきの仲間たちと同じように飛んできます。ズルスケは、またしても高くとびあがりましたが、一つかまえることができませんでした。
 そのあとから、また五のガンがあらわれました。このガンたちは、いままでの仲間たちよりも、もっとじょうずに飛んできました。そして、いかにもズルスケがとびつきたくなるようにしむけましたが、ズルスケはやっとのことで思いとどまりました。
 かなりたって、また一羽のガンが姿を見せました。これで十三ばんめです。このガンはたいそう年とっていて、からだじゅうが灰色はいいろで、黒いすじ一つ見えません。かたほうのはねがうまく使えないらしく、ひどくへたくそに、かたむいて飛んでいます。そのため、いまにも地面じめんにさわりそうです。ズルスケはこのガンめがけて、思いきり高くねあがりました。が、またまた失敗しっぱいです。それで、走ったりとびあがったりしながら、みずうみまで追いかけていきました。けれど、こんどもほねおっただけで、なんのたしにもなりませんでした。
 十四ばんめのガンが飛んできました。この鳥は、からだじゅうがまっ白で、じつに美しく見えました。大きなはねが動くたびに、くらい森の中がキラキラとあかるくなるようでした。ズルスケはこの鳥の姿を見ますと、からだじゅうの力をこめて、木の半分ほどの高さまでおどりあがりました。しかし、この白い鳥も、まえのと同じように、きずひとつ受けないで逃げていってしまいました。
 こうして、ブナの木の下はしばらくしずかになりました。もうガンのむれは、すっかり飛んでいってしまったようです。
 そのときズルスケは、ふと、さっきのほりょのことを思いだしました。さいしょのガンを見たときから、あのチビさんのことはわすれてしまっていたのです。そして、もちろんニールスの姿は、もうそこには見えませんでした。
 しかし、ズルスケがチビさんのことを考えているひまは、あまりありませんでした。というのは、さいしょ飛んできたガンが、またもみずうみのほうからもどってきて、木の下をゆっくりと飛びはじめたからです。ズルスケはあんなにしくじったあとで、ガンがもどってきたのを見ますと、大よろこびでした。そこでさっそく、そのガンめがけて、力のかぎりとびあがりました。けれども、あせりすぎて、よくねらいをつけるひまがありませんでしたから、まとがはずれてしまいました。そのあとから、また一飛んできました。それから、また一羽、そうして、第三、第四、第五のガンがあらわれたと思うと、とうとうしまいには、白っぽい灰色はいいろの年とったガンと、まっ白い大きなガチョウまで飛んできました。みんなはゆっくりとひくく飛んでいます。そして、キツネの上までくると、キツネがつかまえたくなるように、わざわざ、もっと低くいおりるのです。それを見ると、ズルスケはそのあとを追いかけて、なんどもなんども高くとびあがりました。けれど、一羽だってつかまえることはできませんでした。
 キツネのズルスケは、この日ぐらいひどい目にあったことはありません。ガンたちは、あいもかわらずズルスケの頭の上を、あちこちとびつづけているのです。ドイツのはたけや野原でたくさんたべてふとってきた、この大きなすばらしいガンたちは、一日じゅう森の中でズルスケのそばをすれすれに飛びまわるのでした。ズルスケは、いくどもいくども、ガンにさわるくらい高くとびあがりましたが、すいたおなかのたしになってくれるようなガンは、一羽だってありませんでした。
 冬はもう終わろうとしていました。いまズルスケは、いく日もいくばんも、えもの一ぴきつかまらずに、ブラブラほっつき歩かなければならなかった時のことを思い出しました。むりもありません。そのころは、わたり鳥たちはよその国へいってしまい、ネズミたちはこおった地面の下にかくれ、ニワトリたちは小屋の中にとじこめられていたのですから。けれど、冬じゅうおなかのへっていたことも、きょう一日の失敗しっぱいにくらべれば、なんでもありません。
 ズルスケはもう若僧わかぞうではありませんでした。犬に追いかけられたこともたびたびありますし、鉄砲のたまが耳のそばをヒュウヒュウかすめていったこともあります。また、あなおくにかくれているとき、はいこんできた犬に、もうすこしで見つかりそうになったこともあります。けれども、そういうはげしいりの間じゅうビクビクしていた不安な気もちも、きょう、このガンたちをりそこなうたびに味わった、あのにがい気もちとは、くらべものになりません。
 けさ、りがはじまったときは、ズルスケはガンたちが目を見はるほど、すばらしいなりをしていました。なにしろ、このズルスケときたら、はでなことが大すきなのです。上着うわぎはキラキラかがやくほど赤く、むねは白く、前足はくろ、そして、しっぽがまた、鳥のはね毛のようにふさふさしていました。けれども、それよりももっとすばらしいのは、ズルスケが動くときに見せる力づよさ、目のらんらんとした光りかたでした。ところが、夕方になると、上着はしわがよってクシャクシャになるし、からだはあせびっしょり、目の光はどんよりとして、したはハアハアあえいでいる口からだらりとたれ、おまけに口からはあわを吹いているというありさまでした。
 午後になると、ズルスケはすっかりくたびれて、もう何がなんだかわからなくなりました。とにかく、目の前をガンたちが飛んでいるということのほかは、なんにもわかりません。とうとうしまいにズルスケは、枝の間から地面の上にしているお日さまの光や、サナギからかえったばかりのあわれなチョウにまで、とびかかるのでした。
 ガンのむれはひっきりなしに飛びつづけて、一日じゅう、ズルスケを苦しめました。ズルスケがつかれはてて、目がまわり、気もくるうばかりになったのを見ても、ちっともかわいそうだと思うようすはありません。しかも、そのズルスケはもう、ガンの姿を見ることができず、ただその影にむかってとびかかっているだけなのです。ガンのむれは、そのことをちゃんと知っていながらも、あいかわらず、キツネのまわりを飛びつづけるのでした。
 こうして、キツネのズルスケが、からだじゅうの力もぬけ、いまにも気が遠くなりそうになって、つもったれ葉の上にぶったおれたとき、ガンのむれはやっと、キツネをからかうのをやめにしました。
「さあ、どうだい、キツネくん。ケブネカイセのアッカさまを相手にしようとする者は、どんな目にあうか、おわかりだろう!」と、ガンのむれはズルスケの耳もとでこうさけぶと、ようやく、キツネをゆるしてやりました。
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3 野の鳥の生活


農家にて


三月二十四日 金曜日
 ちょうどそのころ、スコーネ地方にある事件じけんが起こりました。それは大評判だいひょうばんになって、新聞にまでのりました。けれども、なんとも説明せつめいのつかないふしぎなできごとでしたので、たいていの人たちは、そんなものは作り話だろうと思いました。
 つまり、その事件というのは、こうなのです。
 ヴォンブの岸べにえているハシバミのやぶの中で、メスのリスが一ぴきつかまえられて、近所の農家のうかにつれていかれました。農家の人たちは、年よりも子どもも、みんな、このリスの愛くるしい大きなしっぽと、ものめずらしそうにながめまわすりこうそうな目と、かわいらしい小さな足とを見て、大よろこびでした。みんなは、リスのすばしこい動きかたや、器用きようにクルミのからをかじるところや、たのしそうにあそぶのを見ていれば、夏じゅうおもしろくすごせるだろうと思いました。さっそく、みんなは古いリスのかごを持ってきてやりました。このかごには、かわいいみどりの家と、針金はりがねでこしらえた車がはいっていました。家には戸とまどもちゃんとついていて、これがリスの食堂しょくどう寝室しんしつというわけです。そこで、みんなは木の葉っぱの寝床ねどこと、ミルク入れと、それからクルミを二つ三つ入れてやりました。車のほうはリスの遊び場です。リスがこれにのっかって、かけのぼれば、グルグルまわるしかけになっているのです。
 人々は、リスのためにずいぶん気もちよくしてやったつもりでいました。ところが、リスはと見れば、ちっとも満足まんぞくしていないようすです。みんなはびっくりしてしまいました。リスは部屋へやのすみっこにすわりこんで、かなしそうに、しょげきって、ときどきうったえるような、するどかなしみの声をはりあげているではありませんか。もちろん、たべものにはさわりもしませんし、車だって一どもまわそうとはしません。「おっかながっているんだ。」と、農家の人たちは言いました。「あしたになれば、なれて、遊んだり、たべたりするさ。」
 ところで、農家のうかの女たちは、おまつりのしたくで、てんてこまいをしていました。ちょうどリスがつかまえられた日は、パンをくことになっていたのです。ところが、ぐあいのわるいことに、ねりがうまくふくれあがらなかったせいでしょうか、それとも、ぐずぐずしていたせいでしょうか、ともかく、暗くなっても仕事がかたづきませんでした。
 こうして、台所ではみんなが、いそがしく立ち働いていました。ですから、だれも、リスはどうしているだろうなどと考えてみるひまはなかったのでした。このうちには、おばあさんがいましたが、あんまり年をとっているので、パンきの手つだいをすることができません。おばあさんは、じぶんでもそのことはよく知っていたのですが、それでもやっぱり、みんなからのけ者にされているのが、おもしろくありませんでした。こういうわけで、おばあさんはまだにもいかず、居間いままどぎわにすわって、外をながめていました。
 台所の中は熱くてむっとするものですから、戸は開けはなしになっていました。そこからあかるい光が中庭に流れでて、中庭のまわりの建物をあかるくらしだしていました。それで、おばあさんには、こうがわのかべれ目や穴がはっきりと見えました。それから、その光がちょうどいちばん強くあたっているところにかかっている、リスのかごも見えました。見れば、リスはひっきりなしに部屋へやから車へ走っていったり、車から部屋へかけもどったりして、ちょっとの間もおちついてはいません。おばあさんは、きっとあのリスはみょうに気が立っているにちがいない、光が強いために眠れないんだろう、と、思いました。
 牛小屋と馬小屋のあいだに、大きな広い門があって、これも台所からのあかりにらしだされていました。おばあさんがしばらく見ていますと、やがて、ちっぽけな小僧こぞうが足音をそっとしのばせて、この門からはいってきました。せの高さはほんの十センチぐらいのものでしょう。かわズボンに木靴きぐつといった、労働者ろうどうしゃのようなかっこうです。おばあさんは、すぐに小人こびとだなと気がつきましたので、すこしもこわくはありませんでした。なぜかといえば、その姿はまだ見たことがありませんが、小人というものはどこか家のそばにんでいるということを、まえから聞いていましたし、それに、小人が姿を見せるときには、きっと幸運こううんがやってくるということも、よく話に聞いていたからです。
 その小人は、石のしいてある中庭にはいってきますと、まっすぐにリスのかごのほうへ走っていきました。けれども、そのかごは高いところにかかっているので、手がとどきません。そこで、小人はすぐさま物置ものおきのほうへかけていって、ぼうを持ってくると、かごにかけ、ちょうど水夫すいふ帆綱ほづなをよじのぼるようなぐあいに、スルスルとよじのぼっていきました。そして、かごのところまでのぼりますと、小さなみどりの家の戸をさかんにゆすぶって、戸をあけようとしています。それを見ても、おばあさんはおちつきはらっていました。なぜなら、近所の男の子たちにリスをぬすまれないように、うちの子どもたちが戸にじょうをかけておいたのを、ちゃんと知っていたからです。リスは、戸がかないことがわかりますと、車から出てきました。それから、ふたりは長いあいだヒソヒソと相談をしていました。小人は、リスの言いたいことをすっかり聞いてしまいますと、またぼうをすべりおりて、いそいで門からかけだしていきました。
 おばあさんは、このばんもう一ど小人の姿が見られるとは思いませんでしたが、それでもまどぎわにすわっていました。しばらくすると、またさっきの小人がもどってきました。ひどくいそいでいるので、まるで足が地についていないようです。こんども、リスのかごを目がけて、いちもくさんにかけていきます。遠目とおめのきくおばあさんには、それがはっきりと見えました。なおもよく見ますと、小人は手になにか持っています。もっとも、それがなんであるかはわかりません。小人は左手に持っていたものを敷石しきいしの上におきましたが、右手のものはそのまま持って、かごのほうへよじのぼりました。そして、木靴きぐつで小さいまどをはげしくけとばしたので、ガラスがこわれて、あたりにびちりました。小人は、そこから、手に持っているものをリスのほうにさしだしました。それから、またぼうをすべりおりて、さっき下に置いておいたものを取りあげると、もう一ど、かごをめがけてよじのぼりました。そして、あっというまに、またもやすべりおりて、まっしぐらにかけていってしまいました。あんまり早いので、おばあさんには小人の姿がよく見えなかったほどでした。
 けれども、おばあさんはもう部屋へやの中にじっとしていることができなくなりました。そこでイスからゆっくりと立ちあがって、庭へ出ていきました。そして、井戸いどのかげにかくれて、小人がもどってくるのを待っていました。ところが、そこにはもうひとり、さっきから小人のすることをじっと見つめて、ふしぎに思っているものがいました。それはこのうちのネコでした。ネコはそっとしのんでいって、あかりのさしているところからふたあしばかりはなれたかべのそばに立ちどまりました。
 ふたりは、このさむい三月の夜空よぞらに、しんぼう強く、長いあいだ待っていました。そのうちに、おばあさんは、ぼつぼつ家の中へもどろうかと考えはじめました。と、ちょうどそのときです。敷石しきいしの上にコツコツという足音が聞こえました。見れば、チビの小人が、またまたもどってきたのです。こんども両方の手に何かを持っています。その持っているものは、キイキイきながら、モソモソ動いています。これで、おばあさんにも、いまはじめてよくわかりました。つまり、小人はハシバミのやぶへかけていっては、そこからリスの赤ちゃんをつれてきて、うえにしないようにしてやっているのです。
 おばあさんは、小人のじゃまをしないように、じっとしていました。小人はおばあさんに気がつかないようです。かたほうの赤んぼうをつれてかごによじのぼろうとして、もうかたほうの赤んぼうを下におこうとしました。そのとたんに、小人はネコの青い目がそばで光っているのを見つけますと、両手りょうてに赤んぼうを持ったまま、こまりきって、つっ立ってしまいました。
 小人はあたりを見まわしました。と、おばあさんがいるのに気がつきました。そこですぐさま、おばあさんのところへ歩いていって、この子を受けとってくれというように、両腕りょううでを高くさしあげました。
 おばあさんは、小人にこうたのまれたからには、いやというわけにはいきません。そこで、からだをかがめて、リスの赤んぼうを受けとりました。そして、小人が、もうひとりの赤んぼうをつれてかごのところによじのぼり、それからまたもどってきて、あずけておいた赤んぼうをつれていくまで、しっかりといて立っていました。
 つぎの朝、農家の人たちが朝ごはんに集まってきたとき、おばあさんはゆうべ見たことを話さずにはいられませんでした。それを聞くと、みんなは笑いだして、ゆめでもみたんでしょう、と言いました。こんな早い季節きせつには、まだリスの赤んぼうなんているはずがありませんもの。
 けれども、おばあさんはしんじきっていました。それで、みんなにかごの中を見てくるように言いました。みんなは言われたとおりにしました。見れば、たしかに、小さな部屋へやの中の葉っぱの寝床ねどこの上に、生まれてからやっと二日めぐらいで、毛もろくにえていず、目もまだよく見えないリスの赤んぼうが、四ひきいました。
 この農家のうかの主人は赤んぼうリスを見て、こう言いました。
「まあ、いずれにしても、たしかにわしらは、この家で、ケモノにきかれても、人にきかれてもずかしいことをしていたんだ。」それから、親リスと四ひきの赤んぼうリスを、かごの中から取りだして、おばあさんの前かけに入れました。そうして、「このリスたちをハシバミのやぶへつれていって、はなしてやってください。」と、言いました。
 これが大評判だいひょうばんになったという事件じけんです。しかも、これは新聞にまでのりました。けれども、なんとも説明しようのないできごとなので、たいていの人たちは、信じようとはしませんでした。

ヴィットシェーヴレのおしろ


 それから二日たって、またふしぎな事が起こりました。その朝、ひとむれのガンが飛んできて、ヴィットシェーヴレ荘園しょうえんからあまり遠くない東スコーネのはたけいおりました。そのむれの中には、あたりまえの灰色はいいろのガンが十三と、まっ白なガチョウが一いました。ガチョウのせなかには、黄色いかわズボンをはき、みどりのチョッキを着て、白い毛織けおりの帽子ぼうしをかぶったチビさんがのっていました。
 ここはバルト海のすぐ近くなので、ガンたちがおりた畑にも、ふつうの海岸と同じように、すながいっぱいありました。でも、このあたりの砂は、ほうっておくと、風に吹きとばされてしまうのでしょう。で、それをふせぐために、あちこちにマツの木がたくさんえてありました。
 ガンたちが、しばらくの間ごはんをたべていますと、畑の向こうのほうを、子どもがふたり歩いてきました。それを見ると、見はりをしていたガンが、たちまちバタバタとばたきをして、空にいあがりました。ほかのガンたちも、危険きけんとさとって、いっせいに飛びあがりました。ところが、白いガチョウだけは、そんなことは気にもかけずに、ノソノソと地べたを歩いています。みんなが舞いあがったのを見ますと、頭をあげて、大声で言いました。
げることはないよ! 子どもがふたりっきりじゃないか!」
 ところで、チビさんは、森のはずれの小山の上にすわりこんで、マツボックリを拾っては、っていました。けれども、子どもたちがすぐそばにいるものですから、畑を横ぎって、白いガチョウのところまでかけてゆく勇気ゆうきがありません。それで、大きなれたアザミの葉の下にかくれて、大声で、あぶないっ、と言いました。ところがガチョウのほうは、びくともしないで、あいもかわらず、ノソノソと歩きまわっています。そして、子どもたちがどっちへいこうとしているか、そんなことには見むきもしませんでした。
 そのうちに、子どもたちは小道からそれて、畑を横ぎり、だんだんガチョウに近づいてきました。ガチョウが見あげたときには、もうすぐ目の前まで来ていました。ガチョウはびっくりしてしまい、すっかりあわててしまったので、飛べるのを忘れて、ただ、つかまらないように、かけようかけようとしていました。けれども、子どもたちに追いかけられているうちに、みぞの中に追いつめられて、とうとうつかまってしまいました。そうして、大きい子にかかえられて、つれていかれました。
 アザミの葉の下にしゃがんでいたチビさんは、これを見ますと、ハッと、とびあがりました。ガチョウをとり返そうというのです。しかし、そのとたんに、いまのじぶんは、ちっぽけで、力のないことを思いだしました。ああ、くやしい! チビさんは小山の上に身を投げだして、こぶしをかためて地べたをなぐりつけました。
 ガチョウはたすけをもとめて、ひっしになってさけびました。
「オヤユビくん、助けてくれ! オーイ、オヤユビくん、助けてくれ!」すると、ニールスはこんなにかなしんでいながらも、思わずにっこりして、さけびました。「よしきた! ぼくはもう、だれでも助けてやるいい人間なんだぞ!」
 ニールスは起きあがって、ガチョウのあとをつけていきました。「待てよ、ぼくにはとても助けられやしないだろう。でもまあ、どこへつれていかれるか、それだけでも見とどけてやろう。」と、言いながら。
 子どもたちは、だいぶさきのほうを歩いていましたが、ニールスはその姿を見失わずについていきました。やがて、小川の流れているくぼんだところへやってきました。ここでニールスは、とびこせるぐらいのはばのせまいところを見つけるために、しばらくまわり道をしなければならなくなりました。
 小川をとびこえて道に出たときには、子どもたちの姿はもう見えなくなっていました。でも、森のほうへいくせまい道に足跡あしあとがついています。それで、ニールスはそのあとをたどっていきました。
 まもなく四つつじに来ました。ここで子どもたちはわかれたにちがいありません。だって、両方の道に足跡がついていますもの。これでいよいよ、望みはなくなってしまったようです。
 けれど、ふと、わきを見ますと、ヒースのえている小高いところに、小さな白いはねが一枚落ちているではありませんか。これは、ガチョウがどっちへつれていかれるかを知らせるために、道ばたにおとしておいたものです。そこで、ニールスはなおもさがしつづけて、森の中を通っていきました。しかし、ガチョウの姿はまだ見えません。それでも、道にまよいそうなところへ来ますと、きまって白い小さなはねが一枚落ちていて、道を知らせてくれるのです。
 ニールスがそのはねをたよりにあとをつけていきますと、やがて森をぬけ、はたけを二つばかり横ぎって、道路どうろにでました。それからは、広い並木道なみきみちです。見れば、並木道のはずれには、赤れんが破風はふとうがそびえていて、それについているかざりがキラキラとかがやいています。それは大きなおしろです。ニールスは、いまこそガチョウがどうなったか、わかったような気がしました。
「きっと、子どもたちがあのお城へ持っていって、売ってしまったんだろう。いまごろは、もうころされているかな。」と、ニールスはひとりごとを言いました。でも、はっきりたしかめないうちは、満足まんぞくできません。またも勇気ゆうきをふるいおこして、走っていきました。さいわいにも、並木道なみきみちではだれにも出会いませんでした。こんな姿を人に見られたらたいへんだと、ニールスはビクビクしていたのです。
 お城のそばまでいってみますと、それは古風こふうなつくりの、すばらしい建物たてものでした。その建物のわきにも大きな建物が四つあって、中庭に通じる高いアーチがありました。ここまでは、ニールスはズンズンかけてきましたが、思わずここで立ちどまりました。思いきってはいっていくだけの勇気ゆうきがないのです。じっとそこに立ちつくして、どうしたものだろうかと考えこみました。
 そのとき、うしろのほうから、足音が聞こえてきました。ふりむいてみますと、どうでしょう。大ぜいの人たちが並木道なみきみちをこっちへやってくるではありませんか。ニールスは、あわてて、アーチのそばにあった水桶みずおけのうしろにかくれました。
 そこへ来たのは、二十人ばかりの中学校の生徒たちでした。みんなは、ひとりの先生につれられて、遠足えんそくにきたのでした。アーチのところまで来ますと、先生はしばらく待っているようにみんなに言っておいて、じぶんだけ中へはいっていきました。このヴィットシェーヴレの古いおしろを見物させてもらえるかどうか、ききにいったのです。
 生徒たちは長いあいだ歩いてきたと見えて、つかれていました。ひとりの生徒はひどくのどがかわいていたので、水桶みずおけのところへいって、身をかがめてもうとしました。この生徒は、植物採集しょくぶつさいしゅうのドウランをかたにかけていましたが、じゃまになるので、地べたに投げだしました。そのはずみに、ふたがいて、中にはいっている春の花が見えました。
 ドウランはニールスのすぐ前に落ちました。これこそ、おしろの中へはいって、ガチョウがどうなったかを見さだめる絶好ぜっこう機会きかいです。そう思ったニールスは、すぐさまドウランの中にとびこみました。そして、アネモネやフキの下にそっと身をかくしました。
 ニールスがかくれるといっしょに、生徒はドウランをひろいあげて、肩にかけ、ふたをしてしまいました。
 そこへ先生がもどってきて、お城の見物がゆるされたと言いました。先生は生徒たちを、まず中庭へつれていきました。そこでみんなをとめて、この古い建物についての話をはじめました。
 先生は、この国にいちばんはじめに住んでいた人びとは、洞窟どうくつ洞穴ほらあなの中にらしていたこと、その人たちが木のみきで小屋をつくることをおぼえるまでには、長い長い時代がたったこと、そして、一部屋ひとへやしかない丸太小屋まるたごやから進歩しんぽして、ヴィットシェーヴレのような部屋へやの百もあるおしろをきずくようになるまでには、長い間ずいぶん苦心もし、努力どりょくもしたものだということなどを話してきかせました。
 先生は、なおもいろいろとこまかに説明しました。それで、ドウランの中にはいっているニールスはいらいらしてきました。けれど、もちろんじっとしていなければなりません。でないと、ドウランのぬしに気づかれてしまいます。
 それから、やっと、みんなはお城の中にはいりました。けれども、ニールスが、すきをみてドウランからいだすなんてことは、とうていできそうもありません。なにしろ、ドウランをかけている生徒が、しょっちゅう持って歩いているのですからね。ですからニールスは、お城の中の部屋へやという部屋を、ぬしの生徒についてまわらなければなりませんでした。じつにじれったいたびではありませんか。それに先生ときたら、ひっきりなしに立ちどまって、説明するのです。
 先生は、ちっともいそいでいませんでした。ちっぽけな生き物が、かわいそうにドウランの中にかくれていて、自分の話が早く終わるようにとねがっていようなどとは、ゆめにも知らないのです。
 その間じゅう、ニールスはじっとしていました。いままではよくいたずらをして、穀物倉こくもつぐらの戸をしめては、中にはいっているおとうさんやおかあさんをこまらせたものですが、そんなとき、おとうさんやおかあさんがどんな気もちだったかが、いまはじめてよくわかりました。そうでしょう、先生が話しおわるまでは、なん時間もなん時間もこの中にじっとしていなければならないのですからね。
 ようやくのことで、先生はもう一ど中庭にきました。そして、またここで、人間が器具きぐ武器ぶき衣服いふくや家や家具かぐなどを考えだしてつくるのには、長いあいだ、たゆまず努力どりょくしたものだということを説明しはじめました。
 けれども、ニールスは、この話を聞きのがしてしまいました。というのは、ドウランをかけている生徒はまたのどがかわいたので、台所へ水を飲みにいったからです。ニールスは、台所へいけば、ガチョウがどうなったかわかるぞ、と思いました。それで、からだを動かしてみますと、ぐうぜんにも、ふたにガタンとぶっつかりました――そのひょうしに、ふたがパタンときました。でも、ドウランのふたが開くことはよくありますから、生徒は気にもかけずに、またふたをめてしまいました。すると、それを見ていた男が、その中にはヘビでもはいっているのかい、とたずねました。
「いいえ、植物がすこしはいっているきりです。」と、生徒は答えました。けれども男は、「いや、たしかに、なんだか動いたものがあったよ。」と、言いはりました。そこで生徒は、男の言ったことがまちがいであることを見せようとして、ふたをあけて言いました。「さあ、ごらんなさい――どうです――」
 と、そのことばのわらないうちに、もうここにはいられないぞ、とさとったニールスは、ポンとゆかの上にとびおりるが早いか、いちもくさんにかけだしました。見ていた男は、走っていくものがなんだか、よくはわかりませんでしたが、すぐさまあとをいかけました。
 先生はまだ話をつづけていましたが、大きなさけび声に話をじゃまされてしまいました。
「そいつをつかまえろ! そいつを捕えろ!」とさけびながら、台所のほうから人びとが走ってきます。それを見ると、生徒たちもいっしょになって追いかけました。ニールスはネズミよりもすばしこくチョコチョコとげまわります。みんなは門のところで捕えようとしましたが、こんなちっぽけな生き物を捕えるのは、どうしてどうして、たいへんなことです。こうして、ニールスは、うまくげだしました。
 ニールスは、思いきって、ひろびろとした並木道なみきみちを走っていく勇気ゆうきはありませんでした。それで、べつの道をいくことにきめました。庭を通って、裏庭うらにわに出ました。けれど、みんなは、大声をたてたり笑ったりしながら、なおもあとから追いかけてきます。かわいそうに、ニールスは一生けんめい逃げました。
 ある農家のうかの前までかけてきたとき、ガチョウの鳴く声が聞こえました。見ると、入口の段々のところに、白いはねが二、三枚落ちているではありませんか。ああ、ガチョウはここにいるのです! あまりのうれしさに、あとを追いかけてくる人たちのことはもうすっかり忘れて、ニールスは、段々をかけあがると、玄関げんかんへいきました。でも、戸がしまっていて、それからさきへはいけません。中からは、ガチョウの鳴きたてている声が聞こえてきます。でも、どうしても戸はきません。うしろからは、自分を追っかけてくる人たちが、ますます近づいてきます。しかも、部屋の中では、ガチョウがいよいよかなしそうに鳴きさけんでいるではありませんか。せっぱつまったニールスは、勇気ゆうきをふるい起こして、力まかせに戸をたたきました。
 と、どうでしょう。ふしぎにも、戸が開きました。中を見れば、土間のまんなかで女の人がガチョウをおさえつけ、いましも大きなはねをはさみ切ろうとしています。ガチョウを見つけて、つかまえたのは、この女の人の子どもたちだったのです。しかし、この人はガチョウをころそうというのではありません。自分のところでっているガチョウたちのなかまに入れるつもりで、ただべないように、はねを切ろうとしていたのでした。けれども、ガチョウにとってはこんなおそろしいことはありません。それで、声をかぎりに鳴き悲しんでいたのです。
 でも、はねを二枚切りおとされたときです。ありがたいことに、戸がいて、チビさんがしきいの上に姿を見せました。と、女の人はいままでにこんなちっぽけな生き物を見たことがないものですから、びっくりして思わず、はさみをおとし、手を打ちあわせました。そのひょうしに、ガチョウをおさえつけるのを忘れてしまったのです。
 ガチョウは、はなされたと気がつくと、すぐ戸口のほうへ走りました。そしてニールスのシャツのえりをつかんで、かかえていきました。入口の段々のところまで来ますと、はねをひろげて、さっと空にいあがりました。そのときには、もう、ニールスは、スベスベしたガチョウのせなかにのっかっていました。
 こうして、ふたりは飛んでいきました。ヴィットシェーヴレの人びとは、あっけにとられて、そのあとを見送っていました。

エーヴェードスクローステル公園にて


 ガンたちがキツネをからかっていた日、ニールスはずっとリスの空巣あきすにねころんで、ねむっていました。夕方になって目をさましますと、ひどくかなしくなってきました。「きっと、もうじきうちへ帰されるんだろう。そうなりゃ、どうしたって、おとうさんとおかあさんにこのみじめな姿を見られるんだ。」と、思ったのです。
 ところが、ヴォンブ水浴みずあびをしたり泳ぎまわったりしているガンたちのそばへいっても、だれからも帰れとは言われませんでした。それで、「ガチョウの白があんまりくたびれているもんだから、ぼくをのっけて帰れとは言わないんだな。」と、ニールスは思いました。
 あくる朝、ガンたちは、お日さまののぼるずっとまえに目をさましました。いよいよきょうは、家に帰されるにちがいありません。ところがおどろいたことに、ガンたちは、ふたりとも朝のたびにいっしょについていってもいいというのです。ニールスは帰されるのがどうしてのびたのか、そのわけはよくわかりませんでしたが、長いたびなんだから、ガチョウがおなかいっぱいたべてから、きっと帰すつもりなんだろう、と思いました。まあ、そんなことはどっちでもかまいません。これから、おとうさんとおかあさんに会うまでのあいだは、ゆかいにすごしてやろう、と心にきめました。
 ガンのむれは、エーヴェードスクローステル荘園しょうえん貴族などの地方の領地)の上に飛んできました。それはみずうみの東がわにある美しい公園の中にあって、見るからにすばらしいところでした。大きなおしろがそびえ立ち、ひくかべはなにかこまれた中庭には、美しく石がしきつめてあって、古風こふう庭園ていえんはいかにも優雅ゆうがです。庭園には、きれいにりこまれた生垣いけがきや、あずまやや、池や、噴水ふんすいや、めずらしい大木や、短く刈りこんだ芝生しばふが見えます。その芝生には花壇かだんがあって、色とりどりの春の花が、きみだれています。
 ガンたちが荘園しょうえんの上に飛んできたのは朝早くでしたので、まだ人の姿は見えませんでした。みんなは、だれもいないことをはっきりたしかめてから、犬小屋の近くへおりていって、さけびました。
「これはなんてちっぽけな小屋なんだろう! これはなんてちっぽけな小屋なんだろう!」
 その声を聞きつけるが早いか、犬はおこって小屋からとびだしてきて、えたてました。
「これを小屋だっていうのか? この宿やどなしどもめ! 大きな石づくりのおしろのあるのが目にはいらないのか? あのりっぱなかべや、たくさんのまどや、大きなとびらや、美しいテラスが見えないのか? ワン、ワン、ワン。これでも小屋だってのか? 中庭なかにわや、庭園ていえんや、温室おんしつや、大理石だいりせきぞうが見えないのか? これでも小屋だってのか? 犬小屋ってもののまわりには、ブナの木立こだちや、ハシバミのやぶや、こんもりとしたしげみや、カシワの木や、モミの木や、おまけに、えもののいっぱいいる猟場りょうばまで持った公園があるのか? ワン、ワン、ワン。これでも小屋だってのか、きさまらは? 村ぐらいもあるたくさんのはなれ屋を持った小屋ってものを見たことがあるのか? 自分の教会と自分の牧師館ぼくしかんを持っていて、おまけに、お屋敷やしきや農家や小作地や、お役所までも支配している小屋ってものを知ってるとでもいうのか? ワン、ワン、ワン。きさまらは、これでも小屋だってのか? いいか、この小屋にはな、スコーネじゅうでいちばんすばらしいものがあるんだぞ、このこじきどもめ! そんな高いところにぶらさがっているきさまらには、地面なんかはこれっぱかしも見えやしないんだ! ワン、ワン、ワン。」
 犬はこれだけのことを、いっきにまくしたてました。そのあいだ、ガンたちは荘園しょうえんの上をいったりきたりして、犬の言うことを聞いていましたが、犬が一息ひといきつきますと、こうさけびました。「きみは、どうしてそんなにおこってんだい? ぼくたちはお城のことなんかききゃしないよ。きみのおたくのことをおたずねしたまでさ。」
 ニールスは、ガンたちがこんなふうにからかっているのを聞いて、思わずふきだしてしまいました。と、そのとき、ふと、ある考えが浮かんできて、すぐにまじめになりました。そして、
「ああ、もしガンたちといっしょに、スウェーデンじゅうを通ってラプランドまでいけたら、ずいぶんおもしろいことが聞けるだろうなあ!」と、ため息をつきながらひとりごとを言いました。「こんなあわれな姿すがたになってしまったいまでは、そういう旅でもするのが、いちばんのたのしみなんだ。」
 ガンたちは荘園しょうえんの東がわにある広いはたけの一つに飛んでいって、そこで二時間ばかり草の根をたべていました。そのあいだ、ニールスは畑につづいている大きな公園の中にはいっていって、ぶらぶらしていました。そうして、ハシバミの木立こだちの枝を見あげては、去年きょねんの秋のがまだ残っていはしないかと、一生けんめいさがしていました。
 こうして、公園の中をぶらついているあいだも、もうすぐ家に帰されるだろうということが、気になってしかたがありません。そして、ガンたちといっしょにいけたら、すてきだろうなあ。もちろん、おなかがすいたり、こごえそうになったりすることも、たびたびあるだろう。でも、そのかわり、はたらいたり勉強べんきょうしたりしなくてもいいんだから、などと、なんどもなんども想像そうぞうしてみるのでした。
 こんなことを考えながらさがしているところへ、とつぜん、年とった灰色はいいろ隊長たいちょうのガンがやってきました。そして、なにかたべるものが見つかったかね、とききました。ニールスが、いいえ、なんにも見つかりません、と答えますと、隊長はいっしょになってさがしてくれました。でも、やっぱりハシバミのは見つかりません。けれど、野バラのしげみにのこっている実を二つばかり見つけてくれました。ニールスはおいしそうにそれをたべました。でも、心の中では、自分がなまさかなやこおっていた野バラのをたべて生きていたと、おかあさんが知ったら、なんて言うだろう、と思っていました。
 やがて、ガンたちは、おなかいっぱいたべてしまいますと、またみずうみへ飛んでいって、おひるごろまで、いろんなことをして遊びました。ガンたちは白のガチョウにも試合しあいを申しこんで、泳ぎっこや、かけっこや、飛びっこなどをしました。大きなガチョウは一生けんめいがんばりました。でも、すばしっこいガンたちにはいつもけてしまいました。その間じゅう、ニールスはガチョウのせなかにのっかって、はげましていました。そして、みんなと同じように、うれしがっていました。ガアガアないたり、笑ったり、いや、そのすさまじいこと、荘園しょうえんの人たちが気がつかなかったのはふしぎなくらいです。
 ガンたちは遊びつかれますと、こおりの上に飛んでいって、二時間ばかり休みました。その日の午後も、午前とほとんど同じようにしてすごしました。さいしょに二時間ばかりごはんをたべて、それからお日さまがしずむまで、水びをしたり、氷のふちで遊んだりしました。お日さまが沈むと、みんなはすぐに氷の上にならんで、眠りました。
「こんな生活なら、ぼくはすきなんだがなあ。」夕方、ガチョウのはねの下にはいりこみながら、ニールスはこう思いました。「だけど、あしたは家へ帰されるんだろう。」
 眠るまえに、ニールスは、ガンたちといっしょにいくとすれば、どんなとくがあるだろうかと、もう一ど考えてみました。そうなれば、なまけものだといってしかられることもないでしょうし、だいいち、すきなように、ぶらぶららすこともできるでしょう。たったひとつ心配なのは、たべるものをどうやって手に入れるかということです。でも、いまではそれもほんのわずかでたりるのですから、なんとか手に入れることもできるでしょう。
 そしてまた、これからどんなものを見るだろうか、どんなにたくさんの冒険ぼうけんをするだろうかなどと、さまざまに想像そうぞうをめぐらしてみました。たしかに、家にいてほねをおって働くのとは、ずいぶんちがうことでしょう。「ああ、もしガンたちといっしょにたびにいけさえしたら、こんな姿になったのもうらめしくは思わないんだけどなあ!」と、ニールスは思うのでした。
 こうなれば、気にかかるのは家に帰されるということだけです。ところが水曜日になっても、ガンたちは帰れというようなことは、ひとことも言いません。この日も、まえの日と同じようにすぎました。そしてニールスは、のびのびとした野の生活が、ますます、すきになってきました。
 ニールスは、森のように大きな、このさびしい公園を、すっかり自分ひとりのものにしたような気になりました。そして、じぶんの家のせまい部屋へやや、ちっぽけなはたけに帰りたいなんて気もちは、ちっとも起こってきませんでした。
 水曜日には、ガンたちは、じぶんをいっしょにいかしてくれるつもりなんだろうと、ニールスはそう思っていました。ところが木曜日になると、この希望きぼうえてしまいました。木曜日も、まえの日と同じようにはじまったのです。ガンたちは広いはたけでごはんをたべ、ニールスはたべものをさがしに公園へいきました。しばらくすると、アッカがそばへやってきて、なにかたべるものが見つかったかい、とたずねました。けれども、いいえ、見つかりません、というニールスの答えに、アッカはれたイブキゼリ草を見つけてくれました。それには、まだ、小さなたねがいっぱいついていました。
 ニールスがたべおわりますと、アッカは、おまえさんは、ずいぶん向こうみずに公園の中をかけまわるようだけれど、おまえさんみたいなちっぽけなものが気をつけなければならないてきが、たくさんいることは知っているのかい、と、ききました。いいえ、すこしも知りません、と、ニールスは答えました。そこで、アッカはその敵についていちいち説明しはじめました。
 森へいくときには、とアッカは言います。キツネとテンに気をつけなくちゃいけないよ。みずうみきしべにいるときには、カワウソがいることを忘れるんじゃないよ。石垣いしがきの上にすわるときには、どんな小さなあなにもはいこめるようなイタチがいることを、しょっちゅう気をつけていなけりゃいけない。それから落ち葉の上にねころんで眠ろうとするときには、まずそのまえに、落ち葉の下にマムシが冬眠とうみんしていないかどうか、しらべるようにするんだね。広い野原に出たら、空をっているタカやハヤブサやワシなどに気をつけるんだよ。イバラのやぶでは、ハイタカにつかまらないように注意しなさい。カササギやカラスはどこにでもいるから、けっしてゆだんするんじゃないよ。暗くなってきたら、耳をすまして、大きなフクロウに気をつけなくちゃだめだよ。なにしろ、フクロウときたら、音もたてずに飛んでくるからね。すぐそばまでこなければ、気がつかないくらいなんだから。
 ニールスは、自分のいのちをねらっているてきがそんなにもたくさんいることを聞かされますと、これでは、とても生きてはいられまいと思いました。死ぬことはそんなにおそろしいとは思いませんが、くわれてはたまりません。それでアッカに、そういう動物をふせぐのには、どうしたらいいのですか、とたずねました。
 すると、アッカはすぐに答えました。リスやウサギやウソやヤマガラやキツツキやヒバリのような、森や野にいる小さな動物たちとなかよしになるようにしなさい。こういう動物たちと友だちになっていれば、危険きけんのときには知らせてくれるだろうし、かくれ場所も教えてくれるだろう。それに、こまりきったときには、力を合わせてかばってもくれるだろう。
 そのあとで、ニールスは教えられたとおりにやってみようと思って、まずリスのハヤキチにたすけてくれるようにたのんでみました。けれども、ハヤキチは、どうみても助けてくれそうもありません。
「ぼくや小さい動物たちから助けてもらおうと思ったって、とてもだめだよ。」と、リスのハヤキチは言うのでした。「きみがガチョウばんのニールスって小僧こぞうで、去年、ツバメのをぶちこわしたり、ムクドリの卵をしつぶしたり、カラスの赤んぼうをみぞの中にほうりこんだり、ツグミをわなにかけてつかまえたり、リスをかごの中にとじこめたりしたってことを、ぼくたちが知らないとでも思っているのかい? まあ、せいぜい、じぶんのことはじぶんでするさ。それよりも、ぼくたちがみんなで、きみを人間どものところへい返さないことだけでも、ありがたく思うんだね。」
 こんな返事をされれば、もとのニールスなら、ただではおかないところです。けれどもこのとき、ニールスは、じぶんのわるいことが、ガンたちに知れたらたいへんだぞと思っていました。そんなことにでもなれば、いっしょにいては、いけないと言われるかもしれません。それだけが、ただ、心配でした。このガンの仲間なかまにはいってからというもの、ニールスは、ちょっとしたいたずらさえもしたことがありません。もちろん、しようとしたところで、こんな小さなからだではたいしたこともできないでしょうが。それにしても、小鳥のをこわしたり、卵をしつぶしたりすることぐらいはできるでしょう。しかし、いまではニールスは、すっかりよい子どもになっていたのです。ガチョウのはねをひきぬくようなこともしませんし、乱暴らんぼうな返事ひとつしたことがありません。朝、アッカにおはようのあいさつをするときには、ちゃんと帽子ぼうしをとって、ていねいにおじぎをするのでした。
 ニールスは、ガンたちがじぶんをラプランドへいっしょにつれていってくれそうもないのは、きっといままでじぶんがわるいことばかりしたからなんだろう、と、木曜日には一日じゅう考えこんでいました。それで、その夕方に、リスのハヤキチのおくさんが人間にさらわれて、生まれたばかりの赤んぼうがおなかをへらして、いまにも死にそうになっていることを聞きますと、よし、ひとつ助けてやろう、と決心しました。そして、それをうまくやってのけたことは、さっきお話ししたとおりでした。
 ニールスは金曜日にもまた公園へはいっていきました。すると、どのやぶからも、ウソたちが、歌っているのが聞こえてきました。リスのハヤキチのおくさんが、赤んぼうだけをのこして人間にさらわれていったけれど、ガチョウばんのニールスが勇敢ゆうかんにも、赤んぼうをおかあさんのところへつれていってやったと、ウソたちは、口々に歌っているのでした。
「いまこのエーヴェードスクローステル公園じゅうで、オヤユビさんほど、みんなからうやまわれているひとはない!」と、ウソは歌いました。「ガチョウ番のニールスだったころは、あんなにこわがられていたんだけど! いまじゃ、リスのハヤキチは、オヤユビさんにクルミをあげるし、貧乏びんぼうなウサギも、きっとピョンピョンねていっしょに遊ぶよ。キツネのズルスケが近づけば、シカはオヤユビさんを、せなかにのせてげてくれるだろうし、ヤマガラは、タカがくるのをきっと知らせてくれるよ。それから、アトリやヒバリは、オヤユビさんのいさましいおこないを歌にうたうだろうよ。」
 アッカやほかのガンたちも、この歌を聞いたことはたしかです。それなのに、金曜日がすぎてしまっても、あいかわらず、ニールスがいつまでもいっしょにいていいとは言ってくれません。
 土曜日までずっと、ガンたちはエーヴェードのまわりのはたけでごはんをたべましたが、一どもズルスケにおそわれたことはありませんでした。ところが、土曜日の朝早く、ガンたちが畑へ出ていきますと、ズルスケが待ちせしていました。そして、はたけから畑へと追いかけてきます。これでは、おちついてたべてもいられません。そこでアッカは、すぐに決心をして、空高くいあがりました。そして、ほかのガンたちといっしょに、フェールスの平原やリンデレードの山のをこえて、なんマイルもんでいきました。こうして、ヴィットシェーヴレ地方に着きました。
 ところが、そのヴィットシェーヴレでは、ガチョウがさらわれてしまったのでした。そして、それからどうなったかは、まえにお話ししましたね。もしもあのとき、ニールスが力のかぎり、ひっしになって助けようとしなかったら、ガチョウの姿はもう二どと見られなかったことでしょう。
 土曜日の夕方、ニールスがガチョウといっしょに、ヴォンブへもどってきたときには、きょうはすばらしいことをやってのけたと思いました。そして、アッカやほかのガンたちがなんて言うだろうかと、たのしみにしていました。ガンたちは、ずいぶんほめてはくれましたが、でもニールスが聞きたいと思っていることは、ひとことも言ってはくれませんでした。
 日曜日になりました。ニールスが魔法まほうで小人にされてから、ちょうど一週間になります。しかし、あいもかわらず、ニールスはちっぽけな姿すがたのままなのです。
 ところが、そのニールスは、こんな姿になったことをそれほどかなしんではいないようすでした。みずうみのほとりの大きなヤナギのしげみにすわりこんで、ニールスはアシぶえを吹いていました。まわりにいるヤマガラやウソやムクドリたちの歌を、一生けんめい吹こうとしていたのです。でも、ニールスは笛を吹くのにあまりなれていないので、ちっともうまく吹けません。そうすると、小さな音楽の先生たちは、はね毛をさかだて、この生徒の不器用ぶきようさかげんにがっかりして、大声を立てたりばたいたりしています。ニールスはみんながあんまり夢中むちゅうになっているので、おかしくてたまらず、笑ったひょうしに笛をおとしてしまいました。
 ニールスはまた吹きはじめました。やっぱり、うまくいきません。すると、小鳥たちは、口をそろえて悲しそうに言いました。
「きょうは、いつもよりへたじゃないか、オヤユビくん! 調子ちょうしがちっとも合ってないよ。きみの心はどこへいっちゃったの?」
「どこかほかにね。」と、ニールスは答えました。まったくそのとおりです。笛を吹いているあいだも、あとどのくらいガンたちといっしょにいられるだろうか、もう、きょうにも帰されるのではないだろうか、という心配が、しょっちゅう心に浮かんでくるのです。
 けれども、ニールスは急に笛をすてて、しげみからとびおりました。見れば、アッカやほかのガンたちが、向こうから長く一列にならんでやってきます。しかも、みんなはいつもとちがって、しずしずと、おごそかなかおつきをして歩いてくるではありませんか。ニールスは、いよいよじぶんの運命うんめいがどうきまるのか聞かされるにちがいない、と思いました。
 とうとう、ガンたちはニールスの前に立ちどまりました。そこで、アッカが口をひらいて言いました。
「オヤユビさん、わたしはあなたのおかげで、キツネのズルスケからすくっていただいたのに、いままでお礼も言わないでいて、さぞへんなやつだとお思いでしょう。むりもありません。しかしわたしは、ことばでおれいを言うよりも、おこないでお礼をしたいほうなのです。それで、オヤユビさん、いまそのごおんがえしができると思います。というのは、わたしは、あなたに魔法まほうをかけた小人に使いをやったのです。さいしょ小人は、あなたをもとの人間の姿にかえすことを、なかなか承知しょうちしませんでした。けれども、わたしはなんどもなんども使いをやって、あなたがわたしたちのあいだで、たいへんりっぱなおこないをしていると知らせてやりました。すると、小人もとうとう承知しょうちして、あなたが家に帰れば、すぐにもとの人間にしてあげるとつたえてくれということです。」
 ところが、どうしたというのでしょう! アッカが話しはじめたときには、ニールスはあんなにたのしそうでしたのに、話しおわったいまは、いかにもかなしそうに見えました。そしてひとことも言わずに、横をむいて、わっと泣きだしてしまいました。
「いったいぜんたい、どうしたというのです?」と、アッカはあっけにとられて、たずねました。「わたしがいまお話したことだけでは、ご不満ふまんのようですね。」
 けれどもニールスは、まいにち心配のいらないことや、おもしろおかしくすごせることや、冒険ぼうけんや、自由や、空高くたびをすることなどが、これからはできなくなることを思って、そのかなしみのために、泣いたのです。
「ぼくはもう人間なんかになりたくない!」と、ニールスは泣きじゃくりながら言いました。「きみたちといっしょに、ラプランドへいきたいんだ!」
「いいですか、あの小人はとってもおこりっぽいんですよ。」と、アッカは答えました。「だから、いまあの小人の言うとおりにしないと、こんどまたうまく言いくるめることは、なかなかできないでしょうよ。」
 もともと、ニールスは変わっていました。いままで、ひとりとして人間をすきになったことはありません。おとうさんもおかあさんも、学校の先生も、学校の友だちも、近所きんじょの子どもも、だれもすきにはなれませんでした。みんながニールスにさせようと思うことは、仕事でもあそびでも、なにもかもうんざりするばかりでした。ですから、ニールスが心からしたったり、なつかしく思ったりするような人は、ひとりもなかったのです。
 いくらかなかよくしていたものといえば、ガチョウばんのオーサという女の子と、その弟のマッツという子だけでした。このふたりは、ニールスと同じように、ガチョウの番をする役目やくめでした。けれど、このふたりも心からすきだったわけではありません。
「ぼくはもう、人間になんかなりたくない!」と、ニールスは泣き泣き言いました。「きみたちについてラプランドへいきたいんだよ! だから、ぼく、一週間もおとなしくしていたのさ。」
「あなたが、わたしたちといっしょにいきたいんなら、いっちゃいけないとは言いませんよ。」と、アッカは言いました。「だけど、それよりさきに、ほんとうにうちへ帰りたくないのかどうか、よく考えてごらんなさい。あとで、後悔こうかいするかもしれませんよ。」
「いや、後悔するなんてことは、ぜったいにないよ。」と、ニールスはきっぱりと言いました。「きみたちのところにいるくらいたのしいことはなかったもの。」
「じゃ、おすきなようになさい。」と、アッカは言いました。
「ありがとう、ありがとう!」と、ニールスは大声で言いました。そして、しみじみ、しあわせを感じて、うれしさのあまり泣いてしまいました。――ついさっき、かなしみのあまり泣いたように。
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4 グリンミンゲじょう


くろネズミと灰色はいいろネズミ


 スコーネ地方の東南部とうなんぶで、海からあまり遠くないところに、グリンミンゲという古いおしろがあります。しっかりとした石づくりの大きなお城で、ぐるりの平野の、四、五マイルさきからでもよく見えます。高さといえば四階までしかありませんが、たいへん大きなものなので、同じ荘園しょうえんの中にあるふつうの農家のうかは、このお城にくらべれば、まるで子どものおもちゃの家のようです。
 この大きな石の建物たてものは、かべ天井てんじょうがたいへんあついので、内がわには、ただ厚い壁だけがあるようなありさまです。階段かいだん廊下ろうかもせまくて、部屋へやはほんのわずかしかありません。しかも、壁は、できるだけ頑丈がんじょうにというので、まども上のほうにごくすこししかついていないのです。下のほうには、小さなあかりとりのほか、窓は一つもありません。むかし、戦争せんそうのあった時代には、人びとはこういう大きな頑丈がんじょうなおしろに、喜んでじこもっていたものでした。ちょうど、いまのわたしたちがさむさのきびしい冬に、喜んで毛皮にくるまっているのと同じようなものですね。けれども、やがてたのしい平和な時代がやってきますと、こんな古いおしろの、うすぐらい、ひえびえとした石の部屋へやなんかに、とても住んでいられるものではありません。それで人びとは、もうずっとまえに、この大きなグリンミンゲじょうを見すてて、空気と光のさしこむ、気もちのいい住居すまいしていってしまったのです。
 ですから、ニールス・ホルゲルッソンがガンのむれといっしょにやってきたときにも、グリンミンゲじょうには人間はひとりもいませんでした。といっても、住んでいるものがまるっきりなかったわけではありません。夏になれば、コウノトリの夫婦ふうふがきまってやってきては、屋根の上に大きなをつくって住みました。また、屋根裏部屋やねうらべやには二のフクロウが住んでいましたし、廊下ろうかにはコウモリがぶらさがっていました。台所のかまどには、年とったネコが一ぴき住んでいました。それから地下室には、いく百となく黒ネズミのむれが住みついていました。
 ネズミというものは、いったいに、ほかの動物たちのあいだでも、あまり評判ひょうばんのいいものではありません。しかし、このグリンミンゲ城の黒ネズミだけはべつで、いつもみんなからうやまわれておりました。なぜかといえば、てきたたかうときにはとても勇敢ゆうかんでしたし、またこの種族しゅぞくの上にふりかかってきたわざわいにもかかわらず、よくがんばりとおしたからです。つまり、この黒ネズミたちは、むかしはたいへんかずも多くて力もあったネズミ族だったのですが、いまではほろびかかっているのでした。じっさい、長い年月のあいだ、黒ネズミたちはスコーネばかりか、国じゅうをじぶんたちのものにしていたのでした。まったく、どこの地下室ちかしつにも、天井裏てんじょううらにも、教会にも、おしろにも、酒造さけつくにも、製粉所せいふんじょにも、そのほか人間の住んでいるところなら、ありとあらゆるところに住んでいたものです。それがいまではすっかりいはらわれて、もう全滅ぜんめつするばかりです。人里離れた二、三の場所に、その姿を見かけることがあるだけです。その中でも、このグリンミンゲ城ぐらいたくさんいるところは、ほかにはどこにもなかったのです。
 ある動物の一ぞくが死にたえるのは、たいてい人間にやっつけられるためです。しかし、黒ネズミの場合はそうではありません。もちろん、人間も黒ネズミとたたかいましたが、それほどひどくやっつけることはできませんでした。つまり、黒ネズミを征服せいふくしたのは、同じネズミぞく灰色はいいろネズミだったのです。
 灰色ネズミというのは、黒ネズミのように、ずっとむかしからこの国に住みついていたものではありません。百年ばかりまえに、リビア人の帆船はんせんからマルメーに上陸じょうりくした、あわれな移住いじゅうネズミの夫婦ふうふがその先祖せんぞになっているのです。このみなとにたどりついた二ひきの宿やどなしネズミは、橋の下のくいのあいだをおよぎまわっては、水の中にすてられたくずをたべて、すきばらをふさいでいました。そのときには、もちろん、黒ネズミの領分りょうぶんである町の中へはいっていく勇気ゆうきはありませんでした。
 でも、灰色ネズミたちの数がふえてきますと、だんだん大胆だいたんになって、町なかまではいってくるようになりました。さいしょは、黒ネズミたちのすてた古い空家あきやに、ひっこしました。そして、どぶごみためからたべものを見つけてきては、黒ネズミたちの見むきもしなかった、きたないこぼれ物でがまんしていたものでした。いったい、灰色ネズミというのは、どんな苦しみでもがまんするし、どんなつまらないものにも満足まんぞくする、こわいものしらずのネズミだったのです。ですから、二、三年してひじょうに力が強くなりますと、早くも黒ネズミたちをマルメーから追いだしはじめました。まず、屋根裏部屋やねうらべやや地下室や貯蔵部屋ちょぞうべやをうばい取って、黒ネズミたちをうえ死にさせたり、かみころしたりしました。なにしろ、灰色ネズミたちはたたかいをちっともおそれなかったのですから。
 マルメーをうばってからは、大小さまざまのたいにわかれて進軍しんぐんし、いよいよこの地方じゅうを征服せいふくしていったのです。それにしても、灰色ネズミたちがまだあんまりふえないうちに、黒ネズミたちがどうして大きな連合軍れんごうぐんをととのえて、灰色ネズミをほろぼしてしまわなかったのか、そのわけはよくわかりません。ともかく、黒ネズミたちは自分の力を信じきっていましたので、自分の領土りょうどを失うなんてことは、ゆめにも考えなかったのです。そして、黒ネズミたちは、のんびりと日をおくっていたのでした。そのあいだに、灰色ネズミたちは農場のうじょうから農場へ、村から村へ、町から町へと、ぐんぐんしすすんでいったのです。そのため、黒ネズミたちはうえ死にするか、追いだされるかして、すっかりほろびてしまいました。こうして、いまでは、スコーネ地方でもグリンミンゲじょうのほかには、どこにも住むところがなくなってしまったようなわけです。
 この古い石のおしろ城壁じょうへき堅固けんごなうえに、ネズミの通れるような道がほんのわずかしかありません。そのため、黒ネズミたちはここにがんばって、灰色ネズミたちがめこんでくるのをふせぐことができました。毎晩まいばん毎晩まいばん、毎年毎年、攻めるものと守るものとのあいだには、くりかえしくりかえし、たたかいがつづけられました。けれども、黒ネズミたちはよく見はって、しかも、死ぬことをすこしもおそれずに戦いました。ですから、この古いりっぱなお城のおかげで、これまでのところは、いつも勝利しょうりをおさめることができました。
 さて、ちょっと言っておきますが、黒ネズミたちも、いきおいのさかんだったころは、いまの灰色ネズミと同じように、どの動物からもきらわれていたものでした。それもそのはずです。黒ネズミたちは、つながれているかわいそうな囚人しゅうじんたちにむかっていって、苦しめたり、死人のにくをたべたり、貧乏人びんぼうにんの地下室からカブラをぬすんできたり、眠っているガチョウの足をかみきったり、メンドリから、たまごや生まれたばかりのヒヨコをさらってきたり、そのほかさまざまのわるいことをやってのけたのですからね。ところが、不幸にみまわれてからは、そうしたことは、忘れたように、ふっつりとしなくなってしまったのです。あれほど長いことてきを苦しめぬいてきたこの黒ネズミぞくの最後のかわりかたに、おどろかないものはありませんでした。
 グリンミンゲ城の近くに住んでいる灰色ネズミたちは、しょっちゅうたたかいをしむけては、このお城をのっとる機会きかいを、いまかいまかと待っていました。ところで、灰色ネズミたちはこの国のほとんど全部をじぶんたちのものにしているのですから、せめてグリンミンゲ城ぐらいは、わずかな黒ネズミたちのものにしておいてやってもいいように思われます。でも、灰色ネズミたちはそんなことはこれっぱかしも考えてはいませんでした。それどころか、黒ネズミをいつかはほろぼしてしまわなければ、じぶんたちの名誉めいよにかかわるんだ、と口ぐせのように言っていました。けれども、灰色ネズミのことをよく知っている者は、そんなことはうそで、ほんとうは、グリンミンゲ城を人間が穀物倉こくもつぐらに使っているものだから、灰色ネズミたちは、ここを手に入れないうちは承知しょうちできないんだ、ということをちゃんと知っていたのでした。

コウノトリ


 ヴォンブこおりの上で眠っていたガンたちは、ある朝早く、空から呼ぶ声に目をさましました。
「コロッ、コロッ、ツルのトリアヌートが、ガンのアッカさまほか、みなみなさまにごあいさつを申しあげます! 明日みょうにち、クッラベルイで、ツルの大舞踏会だいぶとうかいがございます!」
 アッカはすぐに頭をあげて、答えました。
「それはどうもありがとう! それはどうもありがとう!」
 それから、ツルのむれは、むこうへ飛んでいきましたが、ツルが野原や木立こだちの多い丘の上を飛びながら、「トリアヌートがごあいさつ申しあげます! 明日みょうにち、クッラベルイでツルの大舞踏会だいぶとうかいがございます!」とさけんでいるのが、ガンたちには、まだしばらくのあいだ聞こえていました。
 ガンたちは、この招待しょうたいを心から喜びました。そして、白いガチョウにむかって、「きみはしあわせだぜ、ツルの大舞踏会にいけるなんて!」と、言いました。
「ツルのおどりって、そんなにすばらしいのかい?」と、ガチョウはききました。
「きみなんか、とてもゆめにだってみたことのないようなものさ!」と、ガンたちは答えました。
「さてと、あした、わしたちがクッラベルイにいっているあいだ、オヤユビくんの身になにもまちがいが起こらないようにするには、どうしたらいいだろう。」と、アッカが言いました。
「オヤユビくんひとり残していくわけにはいかない!」と、ガチョウが大声で言いました。「ツルがオヤユビくんにおどりを見せないというんなら、ぼくはオヤユビくんといっしょにここに残る。」
「いままで人間がクッラベルイの動物大会にいくのをゆるされたことがないんだよ。」とアッカは言いました。「そんなわけで、オヤユビくんをいっしょにつれていくことができないのさ。だけど、このことはまたあとでよく相談しよう。それよりも、まず第一に、なにかたべるものを手に入れるようにしなけりゃならない。」
 こう言って、アッカは出発の合図あいずをしました。この日も、キツネのズルスケのおかげで、ずいぶん遠くまで、たべもののあるところをさがして歩かなければなりませんでした。こうして、みんなは、グリンミンゲじょうのいくらか南にあたる、じめじめした草地くさちまで飛んでいきました。
 この日一日じゅう、ニールスは小さな池のほとりにすわりこんで、アシぶえを吹いていました。ツルのおどりを見にいけないと言われたので、すっかりふさぎこんでいたのです。それで、ガチョウやガンたちと口をきく気にはとてもなれなかったのです。
 アッカがまだニールスを信頼しんらいしきっていないなんて、まったくひどい話ではありませんか。ニールスが人間にもどるのをやめたのも、ガンのむれといっしょにたびをして歩きたいからではありませんか。だから、ガンたちを裏切うらぎるようなことはないだろうということぐらい、とうぜんわかってくれなければこまります。それに、ガンたちといっしょにいたいからこそ、いろんな犠牲ぎせいまでもはらったのではありませんか。それなら、せめてめずらしいものでも見せてやるのが、じぶんたちのつとめだということぐらい、わかってくれてもいいはずです。
「ぼくの気もちをすっかり話さなければいけないぞ。」と、ニールスは思いました。そのうちに、だんだん時がたっていきましたが、とうとう思いきって言いだすことができませんでした。ちょっとへんに思われるかもしれませんが、じつをいうと、ニールスはこの年とったアッカにたいしては、尊敬そんけいた気もちを持っていました。ですから、アッカの考えに反対することは、なまやさしいことではなかったのです。それは、じぶんでもよく知っていました。
 ガンたちがごはんをたべている、このじめじめした草地の一ぽうには、広い石垣いしがきがありました。夕方になって、ニールスがアッカと話そうと思って、頭をあげたとき、ふと、この石垣に目がとまりました。と、そのとたん、びっくりして、思わず小さなさけび声をあげました。すると、その声に、ほかのガンたちもみんないっせいに頭をあげて、おどろいて石垣いしがきのほうを見つめました。さいしょ、みんなは、石垣のまるい灰色の石に足がはえて、それが走りだしたのかと思いました。でも、よくよく見ますと、石垣の上をたくさんのネズミが走っているのです。ネズミのむれはかたまって、ものすごい早さで前進しています。しかも、そのかずがあんまりたくさんなので、しばらくのあいだは石垣をすっかりおおいかくしていたほどでした。
 ニールスは、もとの、大きな力の強い人間だったときでさえ、ネズミがこわくてしかたがありませんでした。それがいまはこんなちっぽけな姿で、二ひきか三びきのネズミにも打ち負かされそうなのです。このときのニールスの気もちは、どんなだったでしょう! ネズミの進軍をながめている間じゅう、ニールスはブルブルふるえていました。
 ところが、ふしぎなことに、ガンたちもニールスと同じように、ネズミがだいきらいなようです。だれひとり、ひとことも話しかけませんでした。そして、ネズミたちがいってしまうと、はねから泥水どろみずをはらいおとそうとでもするように、からだをゆすぶりました。
「灰色ネズミがあんなにたくさん進軍しんぐんしているのは、」と、ガンのユクシが言いました。「なにかよくないことの前兆ぜんちょうだぞ。」
 こんどこそ、ニールスはまたとない機会きかいだと思って、クッラベルイにいっしょにつれていってくれなければこまる、と、アッカに言おうとしたのでした。ところが、またもやじゃまがはいりました。こんどは、大きな一の鳥がみんなのあいだにさっといおりてきたのです。
 見たところ、この鳥はどうとくびとあたまとを、小さな白いガチョウからでも借りてきたようです。けれども、ほかに、大きな黒いはねと、長い赤い足と、太くて長いくちばしを持っています。そのくちばしは頭のわりには大きすぎて、そのおもみのために頭がさがっているので、いかにもかなしそうな、心配そうなようすに見えます。
 アッカはいそいではねをなおして、コウノトリのほうに近づきながら、なんどもおじぎをしました。まだ春になったばかりなのに、このスコーネでコウノトリに会ったことを、アッカはそれほどおどろいてもいませんでした。それはこういうわけです。つまり、コウノトリのオスは、メスがはるばるバルト海をこえてくるまえに、ひとりでさきにんできて、冬のあいだに自分たちのがいたまなかったかどうかをしらべる習慣しゅうかんになっているということを、アッカはちゃんと知っていたからです。それにしても、コウノトリがじぶんたちをたずねてきたのは、いったいどうしたわけなんだろうと、ふしぎに思わずにはいられませんでした。だって、コウノトリというものは、同じ種族しゅぞくのものとだけつきあうのがすきなのですから。
「エルメンさん、おたくがどうかしたわけじゃないんでしょう?」と、アッカが言いました。
 コウノトリはくちばしをければ、たいてい不平ふへいをこぼす、とよく言われていますね。たしかに、これはほんとうのことです。このコウノトリも、ものを言うのがおっくうそうで、おまけに、ひどくかなしそうにしゃべります。はじめのうちしばらくは、くちばしをカチカチやっていましたが、それから、しゃがれた弱々よわよわしい声で話しだしました。すると、たちまち不平ばかりならべたてます。グリンミンゲじょうの屋根のいただきにあったが、冬のあらしのためにすっかりメチャメチャになってしまった、もうこのあたりではたべものが見つからない、スコーネの人間どもが、だんだんじぶんのものを取ってしまう、沼地ぬまちりかえしたり、たがやしたりしてしまう、だから、自分はスコーネから出ていって、もう二どと帰ってこようとは思わない、などと、文句もんくばかり言っています。
 コウノトリがこうしてブツブツ言っているあいだ、うちもなければ保護ほごしてくれる者もないガンのアッカは、思わずこう考えるのでした。〈エルメンさん、もしもわたしがあんたのように、めぐまれた身の上だったとしたら、不平なんかこぼしませんよ。あんたは自由な野の鳥でありながら、人間どもに評判ひょうばんがよくて、鉄砲てっぽうで打たれたり、から卵をぬすまれたりするような心配はちっともないんですからね。〉けれど、こうは思いましたが、口にだしては言いませんでした。そしてコウノトリには、ただ、「あの家がってから長いあいだ、ずっとコウノトリの住んでいた家をててしまうつもりだなんて、とても信じられませんね。」と、言いました。
 コウノトリは、こんどは急にガンたちにむかって、灰色はいいろネズミのむれがグリンミンゲじょう進軍しんぐんしているのを見ませんでしたか、とききました。アッカが、たしかに、あのぞっとするようなネズミの進軍を見ましたよ、と答えますと、コウノトリは、長年のあいだグリンミンゲ城を守っている、勇敢ゆうかんな黒ネズミのことをのこらず話してきかせました。
「でも今夜こんや、グリンミンゲ城は灰色はいいろネズミの手におちてしまうでしょう。」と、コウノトリはため息をつきながら言いました。
「どうしてまた今夜なんです? コウノトリさん。」と、アッカがききました。
「だって、黒ネズミたちはほとんどみんな、ゆうべのうちにクッラベルイへ出かけてしまったんですからね。ほかの動物たちも、みんないそいでいくだろうと思ったわけなんですよ。」と、コウノトリが答えました。「だけど、ごらんのとおり、灰色ネズミはうちにいたんです。そして、いま全員集合ぜんいんしゅうごうして、今夜こんやグリンミンゲ城にめこもうというつもりなんです。つまり、今夜だと、おしろを守っているのは、クッラベルイにいかれないようないぼれの弱いネズミだけですからね。だから、きっと灰色ネズミたちは、目的をはたすでしょうよ。だけどわたしは、長いあいだ黒ネズミたちとなかよくらしていたものですから、黒ネズミのてき占領せんりょうしているようなところには住みたくありません。」
 これでアッカには、コウノトリがなんのためにやってきたのかが、やっとわかりました。つまり、はらをたてて、そのことを言いにきたのです。たしかに、コウノトリのやりかたでは、この災難さいなんをふせぐことはとてもできないでしょう。
「エルメンさん、あなたはこのことを黒ネズミたちに知らせてやりましたか?」と、アッカがたずねました。
「いいえ、」と、コウノトリは答えました。「知らせたって、どうせむだですよ。みんなが帰ってくるまでに、おしろはとられてしまいますからね。」
「そうとはかぎりませんよ、エルメンさん。」と、アッカは言いました。「わたしはある年よりのガンを知っていますがね、そのひとなら、きっと、こういうひどい悪事あくじを喜んでふせいでくれるでしょうよ。」
 アッカがこう言いますと、コウノトリは頭をあげて、じいっとアッカを見つめました。むりもありません。この年とったアッカには、武器ぶきになるようなつめもなければ、くちばしもないではありませんか。それに、ひるまの鳥ですから、夜になれば、いやでも眠ってしまいます。ところが、ネズミたちときたら、夜のくらやみでたたかう動物なのです。
 しかしアッカは、もう、黒ネズミを助けようと決心してしまったようです。ユクシを呼んで、ガンたちをヴォンブにつれていくように言いました。けれども、ガンたちが承知しょうちをしませんので、きびしく言いわたしました。
「おまえたちがわたしの言うことをきけば、それが、いちばんみんなのためにいいんだ。わたしはこれからあの大きな石のおしろんでいかなければならない。おまえたちがいっしょについていけば、きっとあのへんの人間に見つかって、打たれてしまうだろう。だから、わたしがいっしょにつれていきたいのは、オヤユビくんだけなんだ。オヤユビくんは目がいいし、夜も起きていられるから、このうえもなく役にたってくれるだろう。」
 ニールスは、この日はむしゃくしゃしているので、おとなしく言うことを聞く気にはなれません。アッカが言ったことを耳にしますと、すぐに身を起こして、両手をせなかにまわし、はなをつんと上にむけて、前に出ました。さてそこで、ネズミとのたたかいに力をかすのはごめんだ、だれかほかのものにでも助けてもらうがいい、とアッカに言ってやろうというわけです。
 ところが、ニールスがあらわれでた瞬間しゅんかんに、コウノトリは動きだしました。そして、コウノトリがよくやるように、頭をさげ、くちばしを首にしつけて立ちました。そして、まるで笑うように、のどおくをゴロゴロやりはじめました。そして、あっというまに、くちばしをさげて、ニールスをつかんだかと思うと、やにわに、二メートルも空高くほうりあげました。しかも、この芸当げいとうを七回もくりかえすのです。ニールスは悲鳴ひめいをあげ、ガンたちはさけびました。
「何をしようっていうんです? エルメンさん。カエルじゃありませんよ! 人間ですよ! エルメンさん。」
 コウノトリは、やっとニールスをおろしてくれました。べつに、けがはさせませんでした。それから、コウノトリはアッカにむかって言いました。
「さて、わたしはグリンミンゲじょうへ帰るとします、アッカおばさん。わたしが出てくるときは、おしろに住んでるものはみんな心配しきっていました。だけど、ガンのアッカさんとチビ人間のオヤユビくんが助けにきてくれると聞かせてやったら、みんなはさぞかし喜ぶでしょう。」
 こう言うと、コウノトリはくびをのばして、はねをひろげました。そうして、つるをはなれたのように、んでいきました。アッカは、コウノトリがじぶんをバカにしているとはよく知っていましたが、そんなことはちっとも気にかけませんでした。アッカは、ニールスがコウノトリにりおとされた木靴きぐつをさがしているあいだ、待っていました。それから、ニールスをじぶんのせなかにのせて、コウノトリのあとを追っていきました。ニールスはこんどはさからいませんでした。いっしょにいきたくないなどとは、ひとことも言いませんでした。いまはコウノトリにすっかりはらをたてているので、おとなしくせなかにのっかって、ほっとため息をついただけでした。それにしても、あの長い赤い足のコウノトリのやつは、こんなちっぽけな小僧こぞうはまるっきり役にはたたないだろうと、思いこんでいるのです。ニールスは、西ヴェンメンヘーイのニールス・ホルゲルッソンというのがどんな人間であるかを、はっきりと見せてやろうと思いました。
 コウノトリに二、三びょうおくれて、アッカもグリンミンゲじょうのコウノトリのにつきました。見れば、その巣は大きくて、りっぱなものです。車の土台どだいになっていて、その上に枝や芝草しばくさがたくさんおいてあります。けれども、この巣はとても古いので、そこにある草や木には根がえています。コウノトリのおかあさんが、巣のまんなかのひくいところにすわって卵をだいているときには、スコーネの美しいながめをはるかにたのしめるばかりでなく、巣のまわりの野バラやイワレンゲの花もながめることができます。
 アッカとニールスは、ひとめで、ここではなにかたいへんなことが起ころうとしているんだということが、すぐわかりました。だって、そうでしょう。コウノトリの巣のふちには、灰色のフクロウが二と、灰色のしまのある年とったネコが一ぴきと、で、目のショボショボしたいぼれネズミが十二ひきもいっしょにいるのですもの。これは、ふだんなら、とても仲よくしていられる動物たちではありませんからね。
 だれひとり、アッカのほうをふりむいて見ようともしなければ、あいさつしようとする者もありません。みんなはただじっとすわって、何もない冬の原の、あちこちに見える灰色の長い線を、ぼんやりと見つめているのです。
 黒ネズミたちはみんなだまりこくっていました。なんの望みもなくしているようすが、ありありと見えます。そして、たぶん、じぶんたちの命もこのしろもあぶないことを知っているのでしょう。二のフクロウは大きな目をグルグルやりながら、しょっちゅうまゆをピクピク動かしていました。そして、ぞっとするような声で、灰色ネズミのざんこくなことを話しあっていました。なにしろ、あいつたちは卵やヒナドリまでもゆるしてはおかないということだから、どこかへ、ひっこさなくちゃなるまい、というのです。ネコはネコで、灰色ネズミがそんなにたくさんおしろに押し入ってくれば、きっとじぶんもかみ殺されるだろう、と思いこんでいます。それで、黒ネズミにむかって、ひっきりなしに文句もんくを言っています。
「どうしてきみらはそんなにバカなんだい? きみらの勇士ゆうしをよそへやっちゃうなんて! なんだってまた、灰色ネズミに気をゆるしたんだい? まったくかんべんならん!」
 けれども、十二ひきの黒ネズミは、なんとも言いません。コウノトリもこまりきってはいましたが、ちょいとネコをからかってみたくなりました。
「あんまり心配しなさんなよ、ネコくん!」と、コウノトリは言いました。「きみは、アッカおばさんとオヤユビくんがお城をすくいに来てくれたのを知らないのかい? きっとうまくやってくれること、まちがいっこなしさ。さて、ぼくはねむるとしよう、ぐっすりとね。あした、目がさめたときには、もうおしろには灰色ネズミは一ぴきもいやしないさ。」
 コウノトリがのはしに立って、片足をあげて眠ろうとしたとき、ニールスはコウノトリをき落してやってくれと、アッカに目くばせしました。けれども、アッカはすこしもおこっていないようすで、ニールスをなだめて、言いました。
「わたしぐらい年とってるものが、これっぱかしの災難さいなんでまいってたまるもんですか。あんたがたフクロウさんは、どおし起きていられるんですから、ちょっと二つほど用事をたのまれてくれませんか。そうすれば、なにもかもうまくゆくと思いますがね。」
 二羽のフクロウは、すぐに喜んで承知しょうちしました。そこで、アッカは、フクロウのだんなさんには、旅に出かけた黒ネズミたちをさがしだして、一刻いっこくも早く帰ってくるようにつたえてくれと、たのみました。いっぽう、フクロウのおくさんには、ルンド寺院じいんに住んでいるフランメアというフクロウのところへいってもらうことにしました。しかし、この用事はひじょうに秘密ひみつを守らなければならないものでしたから、アッカはフクロウのおくさんの耳もとに、このことをそっとささやきました。

ネズミつかい


 真夜中まよなかごろのことでした。灰色はいいろネズミたちは、あちこちさがしまわったすえに、とうとう地下室に通じているあなを見つけたのです。それはかべのかなり上のほうについていました。けれども、ネズミたちは一ぴきずつ上へ上へとかさなって、そこまでよじのぼりました。やがて、中でもいちばん勇敢ゆうかんなネズミが一ぴき、その穴の中にとびこんで、いまにもグリンミンゲじょうの中へ突入とつにゅうしようとしました。ここでは、むかしから灰色ネズミの先祖せんぞたちが、ずいぶん討死うちじにしたものです。
 灰色ネズミ軍の勇士ゆうしはしばらく穴の中にじっとして、中から攻撃こうげきされるのを待ちかまえました。防衛軍ぼうえいぐんの主力がいないことはたしかですが、といって、るす部隊ぶたいたたかいもしないで降参こうさんするとは考えられません。おどる心をおさえながら、勇士はほんのかすかな音も聞きのがすまいと、耳をすましました。しかし、あたりはシーンとしています。そこで、まっさきかける灰色ネズミは、勇気ゆうきをふるいおこして、ひえびえとした、まっくらな地下室におどりこみました。
 この勇士につづいて、灰色ネズミ軍はあとからあとから突進とっしんしました。みんなはじっと息をころして、黒ネズミ軍の伏兵ふくへいがあらわれてくるのを、待ちうけていました。でも、そのうちに、身動きすることもできないほど、いっぱいになってしまいました。そこで、思いきって、またまた前進することにしました。
 灰色ネズミたちは、いままでこのおしろの中にはいったことはありませんでしたが、わけなく進路しんろを見つけだしました。黒ネズミたちが一階にいくのに使っていたかべの中の通路を、すぐに発見したのです。しかし、このせまい急な階段かいだんをよじのぼるまえに、またもやあたりに気をくばりました。灰色ネズミたちにとっては、外でたたかうときよりも、こうして黒ネズミたちがどこにかくれているかわからない今のほうが、ずっと気味きみわるく思われました。ですから、ぶじに一階までいけたときには、じぶんたちの幸運こううんがまるで信じられないほどでした。
 一階に足をふみ入れると同時に、ゆかの上に高くんであった穀物こくもつのにおいが、プーンとにおってきました。けれども、いまはまだこの戦利品せんりひんたのしんでいるときではありません。それよりもまず、用心をしながら、うすぐらい、からっぽの部屋へやを、つぎからつぎへとしらべてまわりました。古い台所だいどころの床のまんなかにあったかまどの上にもとびあがってみました。つぎの部屋では、もうすこしで井戸いどの中にころげ落ちそうになりました。小さなれ目も、一つ一つしらべてみました。しかし、どこへいっても黒ネズミたちの姿は見えません。
 こうして、一階を全部占領せんりょうしてしまいますと、こんどは二階のばんです。灰色ネズミ軍はまたもやかべの中に、骨をおって危険きけん進軍しんぐんをつづけました。そのあいだも、てきがいつあらわれるかと、ビクビクしながら、たえず息をころして待っていました。そして、穀物こくもつのすばらしいにおいにさそわれそうになっても、がまんにがまんをして、規則きそくただしく進軍しました。むかしの兵士たちの部屋や、石づくりのテーブルや、や、まどの深くくぼんだところや、ゆかあななどをしらべてまわりました。この床の穴は、むかし攻め入ってきた敵兵てきへいの頭に、煮立にたったチャンをかけるのに使ったものでした。
 けれども、黒ネズミの姿はどこにも見えません。そこで、灰色ネズミ軍は、ご城主じょうしゅの大きな宴会場えんかいじょうのあった三階へと押し進みました。そこは、さむざむとして、がらんとしていました。古い家にはこうした部屋へやがよくあるものです。灰色ネズミ軍は、こんどはいちばん上の四階に突き進みました。四階は大きな、だだっぴろい広間ひろまになっていました。こうして、のこるところなくさがしまわりましたが、灰色ネズミたちが思いもつかず、つい、さがし忘れたところが一つだけありました。それは、屋根やねの上の大きなコウノトリのです。そこでは、ちょうどこのころ、フクロウのおくさんがもどってきて、アッカをゆり起こしていました。そして、フクロウのフランメアがアッカのたのみをきいてくれて、アッカのほしい物をわたしてくれた、と言いました。
 さて、灰色ネズミたちは、お城の中を気がすむまでさがしましたので、すっかり安心しました。黒ネズミたちは手むかいするつもりはなく、みんなどこかへげてしまったものと思ったのです。そこで、気もはればれとして、いよいよ穀物こくもつの山にとびつきました。
 ところが、灰色ネズミたちが小麦こむぎを一つぶのみこんだかのみこまないうちに、中庭なかにわのほうから、するどふえが、かすかにひびいてきました。と、ネズミたちは頭をあげて、気になるようすで、耳をすましました。そして、まるで穀物のところをはなれようとでもするように、ふたあし三あしチョロチョロと走りだしました。けれど、すぐまたかけもどってきて、小麦のつぶをたべはじめました。
 と、またもやふえが、するどくしみ入るような調子ちょうしでひびいてきました。と、どうでしょう。ふしぎ、ふしぎ、一ぴき、二ひき、いいえ、すべてのネズミが、穀物の山からとびおりると、いちばんの近道をとって、お城の外へ出ようと、いっさんに地下室めがけてかけおりていくではありませんか。それでも、なかには思いとどまるネズミもずいぶんありました。このネズミたちは、あれほど苦労してグリンミンゲじょう占領せんりょうしたことを思いますと、そうやすやすとお城をすててしまうことができなかったのです。けれど、もう一ど笛の音を耳にしますと、たまらなくなって、みんなのあとを追いかけました。おおいそぎで穀物の山からとびおりて、かべの中のせまいあなを、夢中むちゅうになって、ころがるようにかけぬけていきました。
 見れば、中庭のまんなかに、ちっぽけな小人こびとが立っていて、ふえを吹いています。そのまわりをたくさんのネズミがとりまいて、笛のにうっとりと聞きほれています。チビさんがほんのちょっとふえを吹くのをやめますと、たちまちネズミたちは、ちびさんにおどりかかって、いまにもかみころしそうになります。でも、すぐまた吹きはじめますと、ネズミたちは、またもや、うっとりとなってしまいます。
 こうしてチビさんは、笛ので灰色ネズミたちをグリンミンゲじょうの中からすっかりさそいだして、こんどはゆっくりと中庭から道路のほうへ歩いていきました。すると、灰色ネズミたちは一ぴきのこらず、そのあとをゾロゾロついていきます。笛の音がネズミたちの耳にあんまり気もちよく美しくひびきますので、思わずしらずついていくのでした。
 チビさんはネズミたちの先頭に立って、ヴァルビューへいく道のほうへさそいだしました。まがりくねった道を進み、生垣いけがきをぬけ、みぞを通って歩いていきます。すると、そのあとから、ネズミたちがゾロゾロついていくのです。チビさんは、一時いっときも休まずふえを吹きつづけています。その笛は、それはそれは小さな動物のつのでつくってあるようでした。でも、いまでは、こんな小さい角をやしている動物はどこにも見あたりません。それから、この笛はだれがつくったものなのか、知っている者もありません。この笛は、フクロウのフランメアが、ルンド寺院じいんかべのくぼんだところで見つけたものでした。フランメアは、それを大ガラスのバタキーに見せました。そして、ふたりは、むかし人間が、ネズミを手なずけるためにつくったものにちがいない、ということにきめてしまいました。ところで、この大ガラスはアッカとは仲よしでした。それでアッカは、フランメアがこういう宝物たからものを持っていることを、まえから大ガラスに聞いていたのでした。
 フランメアとバタキーの想像そうぞうしていたことは、ほんとうでした。たしかに、ネズミたちは、ふえにすっかり心をうばわれてしまいました。ニールスは先頭せんとうに立って、お星さまが空にかがやいている間じゅう、その笛を吹きつづけました。そして、ネズミたちも、休まずそのあとを追っていきました。夜があけはじめてもニールスは笛を吹いていました。お日さまがのぼるころにも吹いていました。その間じゅう、ネズミたちのむれは、ニールスのあとからついていき、ネズミたちは、グリンミンゲ城の大きな穀物部屋こくもつべやから、だんだん遠くへ遠くへと、つれだされていきました。
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5 ツルの大舞踏会だいぶとうかい


三月二十九日 水曜日
 スコーネには、りっぱなおしろがたくさんそびえたっています。けれども、むかしから名高いクッラベルイの山壁やまかべにくらべられるような、すばらしい城壁じょうへきを持っているものは一つもありません。
 クッラベルイは高い大きな山ではありません。低くて、むしろ長くのびています。広いいただきには、森もはたけもあります。またあちこちには、ヒースのえているところもあります。ここはとにかく美しくもなければ、人目をひくわけでもありません。見たところは、スコーネのほかの高地こうちとまったく同じです。
 山のみねづたいの道をやってきた人は、思わずしらずこう言います。
「この山は、うわさほどじゃないな。これといって見るところもないじゃないか。」
 けれども、その道からそれて、山のふちのほうへ歩いていき、そこからがけを見おろしますと、景色けしきのいいところがたくさんあって、すっかり見つくしてしまうのに、どのくらい時間がかかるか、わからないほどです。
 なぜかといえば、クッラベルイは、ほかの山のように、まわりを平地や谷にかこまれているのではなく、海の中へぐっときでているのです。山のすそには、らい海の波をふせいでくれるような陸地りくちは、これっぱかしもありません。海の波は、山壁やまかべにまで押しよせて、それを洗いながし、すきなように形をかえてしまうのです。
 こういうわけで、山壁は、海とその友だちの風のために、まったくすばらしいかざりをつけてもらっているのです。山腹さんぷくには深くほりこまれたけわしい谷があります。たえず風に吹きさらされて、つやのでた黒い岩も見えます。水のおもてからまっすぐにきでてる岩のはしらもあちこちにありますし、入口のせまい、暗い洞窟どうくつも見えます。
 このようながけや岩には、いちめんに雑草ざっそうえていて、つるや木の枝がまつわりついています。つまり、そこには木もえてはいるのですが、風の力がとても強いため、まるでつる草のようになって、やっとこのけわしい絶壁ぜっぺきにしがみついているのです。カシワの木は横にのびて地面をっています。その葉は、ひく天井てんじょうのように木の上におおいかぶさっています。せの低いブナの木は、大きな葉のテントのように、谷間に立っています。
 目の前にひろびろとした青い海がひろがり、頭の上にはみきったあかるい空をいただいている、このすばらしい山壁やまかべには、夏の間じゅう、まいにち、見物の人びとがひっきりなしにたずねてきます。また、ここには、まい年、たくさんの動物たちが集まって、大運動会だいうんどうかいをひらきます。しかし、この土地がどうしてそんなに動物たちの心をひきつけるのか、ちょっとそれは説明できません。けれども、とにかくこれは大むかしからの習慣しゅうかんなのです。
 運動会がおこなわれるときには、シカやウサギやキツネをはじめ、ありとあらゆる四足よつあしのケモノが、人間に見つからないように、まえのばんのうちに、そっとクッラベルイへやってきます。そして、お日さまののぼるまえに、みんなは運動会場へはいります。もっとも、運動会場というのは、道の左手にある、ヒースのえた荒地あれちのことです。そこは山のいちばんはずれからそんなに遠くはありません。
 運動会場は四方をまるい丘にかこまれています。ですから、人間がぐうぜんここまでまよいこんでこないかぎり、動物たちはだれにも見つからないのです。それに、三月といえば、まず、ここまではいってくるような人はありません。秋のあらしが吹いていらい、ここ数カ月、岩のあたりを歩きまわったり、山腹さんぷくをよじのぼったりする見物人の姿すがたは、ぱったりと見えなくなっているのです。それにまた、このみさき燈台守とうだいもりや、山のはたけのおばあさんや、お百姓ひゃくしょうさんや、その家族の人たちは、いつも歩きなれている道ばかりをいきますから、こんなさびしい荒野あれのにまで入りこんでくるようなことはありません。
 さて、ケモノたちは会場につきますと、さっそく、まるい丘の上にそれぞれ場所をめました。同じ種類のものどうしがいっしょにかたまっています。でも、もちろんこういう日には、よく平和が守られていて、どんな動物もほかの動物におそわれる心配はありません。ですから、この日には、小さなウサギがキツネたちのいる丘をぶらついても、長い耳をなくすというようなこともないわけです。それでも、動物たちは同じ仲間なかまのものだけで、ひとかたまりになっています。これまた、むかしからの習慣しゅうかんなのです。
 みんなはせきにつきますと、鳥たちはどこにいるかと見まわしました。ところで、この日はいつもお天気がいいのです。というのは、ツルは天気予報てんきよほうがたいへんじょうずでしたから。もしも雨がふりそうだと思えば、動物たちを呼び集めはしないでしょう。ところが、きょうは空もみきって、遠くまで見わたせるというのに、鳥の姿はどこにも見えません。まったくおかしなことです。お日さまはもう空高くのぼっています。きっと、鳥たちはもうここへ向かっているのでしょう。
 見れば、平野の向こうから、小さな黒い雲がいくつか、ゆっくりと動いてきます。と、その雲の一つが、急にエーレ海峡かいきょうの岸にそって、クッラベルイのほうへ向かってきます。雲は運動場のま上まできたとき、とまりました。と、同時に、その雲ぜんたいが、さえずりはじめました。まるで、その雲は、鳴き声でできているようです。高くあがったり低くなったり、そのあいだもひっきりなしに鳴きつづけています。とうとう、その雲ぜんたいが、とつぜん一つの丘におりました。と、みるみるうちに、その丘は、灰色はいいろのヒバリや、美しい赤みをおびた灰色のウソや、まだらのあるムクドリや、みどりをおびた黄色いヤマガラですっかりいっぱいになってしまいました。
 すぐまた、もう一つの雲が平野のむこうからやってきました。それはいろんなところに――百姓家ひゃくしょうやや、おしろや、町や、農場のうじょうや、停車場ていしゃばや、漁村ぎょそんや、精糖工場せいとうこうじょうなどの上空にとまりました。そして、とまるたびに、地上からまいあがるほこりはしらのようなものをい入れました。こうして、その雲はだんだん大きくなりました。そしてさいごに、すっかりぜんぶをひき入れて、クッラベルイに向かったときには、もうこれは雲ではなくて、きりのようになっていました。しかも、その霧がこの上もなく大きいので、ヘーガネースからメルレまでのあいだの地面じめんを、その影ですっかりおおいかくしてしまったほどでした。それが運動場の上に来たときには、お日さまも見えなくなってしまいました。そして、お日さまがもう一どぼんやりと見えるようになったのは、一つの丘の上にしばらくのあいだ、スズメの雨がふってからのことでした。
 けれども、こういう鳥雲とりぐもの中でいちばん大きなのが、いまあらわれてきました。それは、あっちこっちから飛んできて、いっしょになった鳥のむれでできているのです。その雲は、暗い青みをおびた灰色で、お日さまの光も通しません。まるであらしの雲のように、うすきみわるく近づいてきます。そして、ものすごい音や、おそろしいさけび声や、ぞっとするような笑い声や、不吉ふきつな鳴き声にみちみちています。とうとうこの雲が、たくさんのカラスぞくとなって、ばたき、鳴きさけびながら、雨のようにふりそそいできました。それを見て、運動場にいた動物たちは大よろこびでした。
 それから、空には雲の形をしたものばかりでなく、いろんな形をしたものもあらわれてきました。東と北東のほうには、まっすぐな点々の線が見えてきました。それはイエーインゲ地方の林に住む鳥でした。エゾヤマドリやエゾマツドリが、二メートルずつあいだをおいて、長いれつをつくって飛んできたのです。いままた、ファルステルブーのおきのモークレッペン島のあたりに住んでいる水鳥たちが、三角やら、長い曲線きょくせんやら、クサビがたやら、半円やら、さまざまの妙な形をして飛んできました。
 そして、ニールス・ホルゲルッソンが、ガンたちといっしょにたびをしてまわった年にも、動物大会がおこなわれました。このときには、アッカとそのむれとは、みんなよりもおくれてきました。むりもありません。アッカがクッラベルイまでくるのには、スコーネじゅうを飛びこえてこなければならなかったからです。それに、アッカは目をさますと同時に、まずオヤユビくんをさがしに出かけたのです。そのオヤユビくんは、もう何時間も前に出かけていって、ふえを吹きながら、灰色ネズミたちをグリンミンゲじょうからずっと遠くまでさそいだしていたのです。いっぽう、フクロウのだんなさんは、お日さまがのぼればすぐに、黒ネズミたちが帰ってくるという知らせを持って帰ってきました。ですから、もうふえを吹くのをやめて、灰色ネズミたちがどこへいこうとかってにさせておいても、すこしも危険きけんはないわけです。
 ところが、ニールスが灰色はいいろネズミたちの長いれつしたがえて歩いているところを見つけたのは、アッカではなく、それはコウノトリのエルメンリークくんでした。エルメンリークもニールスをさがしに出かけていたのです。そして、ニールスの姿を見つけると、すばやくいおりて、くちばしでニールスをくわえるが早いか、すぐまたいあがりました。そして、コウノトリのにつれもどって、ゆうべはほんとに失礼しつれいしました、とあやまりました。
 こう言われて、ニールスは、とてもうれしくなりました。それから、ニールスとコウノトリは、すっかりなかよしになりました。アッカもニールスに、たいへんやさしくしました。そして、年とった頭をニールスのうでになんどもなんどもこすりつけて、こまっている者をよくたすけてくれたと言って、ほめました。
 でも、ニールスはそんなにほめられたくはありません。それで、「ううん、アッカおばさん。ぼくが黒ネズミたちを助けようとして、灰色ネズミをさそいだしたなんて思っちゃいけませんよ。ぼくはただ、ぼくだって、なにかの役にたつってことを、エルメンリークくんに見せたかっただけなんですよ。」
 ニールスがこう言いおわると、アッカはすぐにコウノトリのほうをむいて、オヤユビくんをクッラベルイにいっしょにつれていったらどうだろう、とききました。そして、「オヤユビくんは、わたしたちの仲間なかまと同じように信頼しんらいできると思いますがね。」と、言いました。
 するとコウノトリは、たちどころに、ニールスをいっしょにつれていくように、熱心ねっしんにすすめました。
「アッカおばさん、オヤユビくんも、ぜひクッラベルイにつれていってやってください。」と、コウノトリは言いました。「オヤユビくんが、ゆうべぼくたちのために骨をおってくれたおれいをする、またとない機会きかいですよ。それに、ぼくは、ゆうべオヤユビくんに失礼なことをしたのが残念ざんねんでたまりませんから、こんどはひとつ、会場まで、オヤユビくんをせなかにのせていってやりましょう。」
 こんなりこうで役にたつものたちからほめられることぐらい、うれしいことは、そうたくさんはないものです。ニールスは、ガンとコウノトリが、こんなふうにじぶんのことを話しているいまほど、うれしいと思ったことは、一どもありませんでした。
 こうして、ニールスはコウノトリのせなかにのって、クッラベルイへ向かいました。これはたいへんな名誉めいよであるとは思いましたが、ひどく心配にもなりました。というのは、エルメンリークくんはすばらしい飛行家ひこうかで、ガンなどとはくらべものにならないほど、ものすごい早さでぶからです。アッカはたえずばたきながら、まっすぐに飛んでいくのに、コウノトリはいろんな芸当げいとうをやってはよろこんでいるのです。ときには、ぐうんと高くあがったかとおもうと、じいっととまって、はねも動かさずに空中をただよいます。また、ときには、石みたいに、地上にっこちるかとおもわれるほどの早さで、さっといおります。そうかとおもうと、つむじ風のように、大きなや小さな輪をえがいて、ゆかいそうにアッカのまわりをグルグルとびまわります。ニールスはいままでにこんな飛びかたをしたことがありませんでした。それで、その間じゅうビクビクしていました。けれども、すばらしい飛びかたというものが、いまはじめてわかったような気がしました。
 クッラベルイにくまで、一どしか休みませんでした。休んだのは、ヴォンブに来たとき、アッカが仲間なかまのものたちに、灰色はいいろネズミに勝ったと知らせたときでした。それから、みんなはいっしょになって、クッラベルイをさしてまっすぐに飛んでいきました。
 やがて、みんなはガンたちの場所にきめられている丘の上におりました。さてそこで、ニールスがあたりの丘を見まわしますと、ある丘にはシカのつのが見え、またある丘には灰色のアオサギのトサカが見えました。ある丘はキツネで赤くなっており、またある丘は海の鳥で黒く白く、またべつの丘はネズミで灰色になっていました。それから、ある丘には、ひっきりなしにきさけんでいる黒いカラスがむらがっていました。またある丘には、じっとしていられないで、空に飛びあがっては、喜びの歌をうたっているヒバリがいっぱいいました。
 クッラベルイ大運動会のいつもの習慣しゅうかんとして、この日のプログラムは、まずカラスの飛行ひこうダンスからはじまりました。カラスたちは二組ふたくみにわかれて、たがいに両方から飛んでいって、ぶっつかっては、またもどる、そして、それをくりかえす、これがカラスのダンスです。カラスたちはこれをなんどもなんどもくりかえしました。このダンスになれていないものには、すこし変化へんかがなさすぎるように思われます。ところが、カラスはじぶんたちのダンスが大得意だいとくいです。見ているほかの動物たちは、このダンスがわったときには、ほっとしました。つまり、このダンスは、冬の強い風がひとひら一ひらの雪をもてあそぶのにていますが、なんとなく陰気いんきくさくて、おもしろみがありません。見ているほうがまいってしまいました。それでみんなは、もうすこしゆかいなものを見たいと思いました。
 けれど、待つまでもありませんでした。というのは、カラスのダンスが終わると、まもなくウサギたちがピョンピョンととびだしてきたからです。ウサギたちはながながとれつをつくって出てきました。しかし、とくにきまりがあるわけではありません。一ぴきだけのもあれば、三びき四ひきならんでいるのもあります。みんなあと足で立っていました。そして、とても早く走るので、長い耳がユラユラしました。ウサギたちは走りながら、ぐるぐるまわりをしたり、高くねあがったり、前足で、ポンポンとわきばらをたたいたりしました。つづけざまにとんぼがえりを打つものもあれば、からだをまるめて、車ののようにころがるものもあります。そうかとおもうと、一本足で立って、グルグルまわるものもあれば、前足で歩くものもあります。こういうふうに、ちっともきまりはありませんが、たいへんおもしろいので、見ているたいていの動物たちは、ハッハッと息をしはじめました。いまはもう春です。やがて、よろこびとたのしみとにみちあふれるのです。冬はすぎさりました。夏はもう近いのです。まもなく、生きていくのに、ただあそんでいるだけでよくなるのです!
 ウサギの遊戯ゆうぎが終わりますと、こんどは大きな林の鳥のばんです。赤いまゆをした、かがやくばかりに黒い美しい姿のエゾマツドリたちが、運動場のまんなかに立っている大きなカシワの木をめがけて、何百羽もびあがりました。いちばん上の枝にとまった一はね毛をふくらませて、つばさをさげ、尾を持ちあげて、白い中のはねを見せました。それから、首をのばして、太いのどのおくからひくい声で、「チェック、チェック、チェック、」と、二、三ど歌いました。それから、目をとじて、「シス、シス、シス、――なんて美しい声なんでしょう!――シス、シス、シス、」と、ささやきました。そして、こう言うと同時に、すっかり夢中むちゅうになって、何がなんだかわからなくなってしまいました。
 いちばん上のエゾマツドリが、シス、シス、シスとやっているあいだに、すぐその下にいる三がいっしょになって歌いだしました。そして、みんなが歌いおわらないうちに、こんどは、そのまた下にいる十が、声をそろえて歌いはじめました。こうして、枝から枝へとつたわって、とうとう、いく百というエゾマツドリが、チェック、チェック、チェック、シス、シス、シス、と歌いだしました。そして、みんなは歌っているうちに、われを忘れてしまいました。すると、それがほかの動物たちにも、うつっていきました。いままでは、からだの中をが気もちよくかるくまわっていましたが、いまははげしくあつく流れはじめました。「うん、たしかに春だ。」と、動物たちはみんな思いました。「冬のさむさはもうなくなってしまった。春のほのおが地上にもえているんだ。」
 エゾヤマドリたちは、こうしてエゾマツドリがみごとに成功せいこうしたのを見ますと、じっとしてはいられなくなりました。ところが、もうとまる木は一本もありません。そこで、エゾヤマドリたちは運動場にバラバラととびだしました。けれども、そこはヒースがたいそう高くしげっているため、エゾヤマドリの美しくまがったばねふといくちばしとがつきでて見えるばかりでした。そこでみんなは、「オル、オル、オル、」と歌いはじめました。
 こうして、エゾヤマドリがエゾマツドリと歌合戦うたがっせんをしているとき、思いがけないことが起こりました。動物たちはみんなエゾマツドリのほうに気をとられていました。そのあいだに、一ぴきのキツネがガンのいる丘にそっとしのびよったのです。キツネは足音をしのばせて、だれにも気づかれないうちに、丘まで来てしまいました。と、だしぬけに、一羽のガンがキツネの姿を見つけました。そして、キツネがよくない目的もくてきでやって来たのを見てとって、たちまち大声でさけびたてました。「ガンの諸君しょくん、気をつけたまえ、気をつけたまえ!」とたんに、キツネはそのガンののどもといつきました。きっと、だまらせようというのでしょう。しかし、そのときにはもう、ガンたちはさけび声を聞きつけて、いっせいに空に飛びあがってしまいました。ガンたちが飛びたったあとを見ますと、キツネのズルスケが死んだガンをくわえて、ガンの丘に立っていました。
 しかし、キツネのズルスケは、こうして運動会の日の平和をみだしたのですから、おもばつを受けることになりました。つまり、ズルスケは復讐心ふくしゅうしんをおさえることができないで、アッカとそのむれに、こんなふうにして近づこうとしたことを、これから一生のあいだ、後悔こうかいしなければならないのです。
 たちまち、ズルスケはキツネのむれに取りかこまれてしまいました。そして、むかしからの習慣しゅうかんに従って裁判さいばんをうけました。大運動会の日に平和をみだしたものは、追放ついほうされるのです。どのキツネも、けいかるくしてやってくれとは言いません。そこで、だれからの反対もなく、追放の刑が言いわたされました。こうして、ズルスケはスコーネにむことをきんじられました。つまや子どもともわかれて、いままで持っていた猟場りょうばや、住居すまいや、かくから立ちのくように言われました。いよいよ、よその国で幸福こうふくをさがさなければなりません。おまけに、ズルスケがこの地方から追いだされたことが、スコーネじゅうのキツネたちに一目ひとめでわかるように、いちばん年上のキツネが、ズルスケの右の耳のはしをかみ切ってしまいました。これがすみますと、たちまち若いキツネたちは、にくるったようにほえたてて、ズルスケめがけて突進とっしんしました。こうなっては、げるよりほかありません。わかいキツネたちみんなに追いかけられて、ズルスケは、クッラベルイからいちもくさんにげていきました。
 こんなできごとがもちあがっているあいだも、エゾヤマドリとエゾマツドリは歌合戦うたがっせんをつづけていました。みんなはあんまり夢中むちゅうになって歌っていたものですから、何も耳にもはいらなければ、目にもうつりませんでした。ですから、もちろん、このさわぎのためにじゃまされるようなこともありませんでした。
 林の鳥たちの歌合戦が終わりますと、ヘッケベリヤのシカたちが出てきて、すもうを見せるばんになりました。あっちでもこっちでも、一どにいく組ものすもうがはじまりました。シカたちは、もうれつにぶっつかっては、つのと角とがからまるほどに、はげしく角を打ちあって、相手あいてしもどそうとします。ヒースのしげみは、ひずめにふみにじられました。シカの口からは、ハアハアとけむりのようにいきがはきだされます。のどおくでは、ものすごいうなり声をあげています。あせあわのようになって、かたから流れ落ちています。
 このすもうのうまいシカたちがつかみあっているあいだ、まわりの丘の動物たちは、息をころして見まもっていました。こうして、見ているうちに、みんなのむねの中には新しい気もちがわいてきました。だれもが、勇気ゆうきにみちて、強くなったように感じ、春のおとずれといっしょに、もう一ど力がわいてきたように感じました。そして、いまはどんな冒険ぼうけんでもやってみようという気になりました。たがいに敵意てきいをいだいたわけではありませんが、おもわずしらず、はねがあがり、くびの毛が立ち、つめするどくなりました。ですから、もしもヘッケベリヤのシカたちが、もうすこしすもうをつづけていたとしたら、丘の上でもはげしいあらそいがはじまったかもしれません。というのは、みんながみんな、冬のあいだの弱々よわよわしさはえてしまって、からだじゅうに力があふれ、元気いっぱいになったことを、見せたくてたまらなくなったからです。
 しかし、ちょうどそのとき、シカたちはすもうをやめました。とたんに、「ツルが来た、ツルが来た!」というささやきが、丘から丘へとつたわっていきました。
 見れば、頭に赤毛のかざりをつけ、つばさに美しいはね毛のある、灰色はいいろくろっぽい姿すがたをした鳥が、飛んできます。足の長い、首のほっそりとした、頭の小さいその鳥は、いかにもやさしく丘にすべりおりてきました。そして、なかば飛び、なかばおどりながら、ぐるぐるまわって、進みでてきました。はね上品じょうひんにあげて、目にもとまらない早さで動いています。その踊りには、まことにふしぎな、ひとの心をうっとりとさせるようなものがあります。まるで、ひとの目では、はっきりと見ることのできない灰色のかげが、踊っているのではないかと思われます。その踊りは、人里はなれたぬまの上にただようきりからおそわってきたのではないかと思われます。そこには、この世のものではないふしぎな力が宿やどっています。これまでクッラベルイに来たことのないものは、この運動会うんどうかいぜんたいがどうして「ツルの舞踏会ぶとうかい」と呼ばれているかが、いまはじめてわかりました。ツルの踊りには、なにか、あらあらしいところがありましたが、それでいて、それがひとの心に呼びおこす気もちは、やさしいあこがれなのです。だれももうあらそうことは考えなくなりました。いまは、はねのあるものもはねのないものも、みんながみんな、空高く雲の上までのぼって、そこには何があるかを見たいと思いました。自分たちを地上にひきとめておく、このおもくるしいからだをすてて、遠いむこうの世界へとただよっていきたいと思うのでした。
 遠いむこうの世界、いくことのできない、ふしぎな世界へのあこがれを、動物たちがいだくのは、年にただ一どだけでした。しかもそれは、このすばらしいツルのおどりをながめる、ただこの日一日だけでした。
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6 雨の日に


 たびにでてから、はじめての雨の日でした。ガンたちがヴォンブ湖のあたりにいたあいだは、お天気がよかったのですが、北に向かって旅だった日に、雨がふりだしました。そのため、ニールスはびしょぬれになって、さむさにふるえながら、ガチョウのせなかにのっていました。
 朝、みんなが出かけたころには、まだ晴れていて、おだやかなお天気でした。ガンたちは空高くいあがると、アッカを先頭に、規則ただしく、ゆうゆうと、くさびがたになってんでいきました。地上に動物たちを見かけても、からかっているひまはありません。それでも、だまってばかりはいられないので、ばたきに調子ちょうしをあわせて、いつものように、「きみはどこだい? ぼくはここだよ! きみはどこだい? ぼくはここだよ!」と、さそいかけるように、ひっきりなしにさけんでいました。
 みんなはこうさけびつづけていましたが、ときどき鳴くのをやめては、下に見える土地の名まえをガチョウに教えてやりました。こんどのたびでは、リンデレード山脈さんみゃくれはてた山肌やまはだや、オーヴェスホルム荘園しょうえんや、クリスチャンスタッドの教会のとうや、ベッカ森の王家おうけ領地りょうちや、オップマンナ湖とヴェー湖のあいだのせまいみさきや、リユース山のけわしいがけの上を飛びました。
 ほんとうに、あきあきするような旅でした。ですから、雨雲あまぐもがあらわれてきたときには、ニールスは、かえって変わったことがあっていいだろうと思いました。いままで、下からだけ見たときには、雨雲は灰色はいいろでうっとうしいものに思われました。それが、いまこうして雲のあいだに来てみますと、まるでちがったふうに見えました。雲は、ちょうど荷物を山のようにつんで空を走っている、大きな馬車のようです。そして、ある車は、大きな灰色のふくろをつんでいます。ある車はたるをいっぱいつんでいます。また、ほかの車は、とても大きくて、一つのみずうみぜんたいをのっけることができるくらいです。そうしてまた、ある車はおけびんをものすごく高くつみあげています。こうして、空をうずめつくすほどのたくさんの馬車が走っていったあとから、だれかがその馬車に向かって合図あいずでもしたのでしょうか。みるみる桶やたるびんや袋から、水が地上にザアザアと落ちはじめました。
 春の雨がはじめて地上にふってきますと、森や草原にいる小鳥たちは、大よろこびでさえずりはじめました。そしてその声が、空じゅうにひびきわたりましたので、ニールスは、ガチョウのせなかでびっくりしてねあがりました。
「ああ、雨がふってきた。雨は、ぼくたちに春をつれてきてくれる。春は、花と青い葉っぱをくれる。花と青い葉っぱは虫をくれる。虫はたべものをくれる。いいたべものがたくさんあるのは、一ばんすてきだ!」と、小鳥たちは歌いました。
 ガンたちも、長い冬のあいだ眠っていた、木や草たちの目をさましてやり、みずうみの上の氷にあなをあける春の雨がうれしかったのです。そこでもう、まじめくさってはいられなくなって、あたりいちめんに楽しいさけび声をあげはじめました。
 クリスチャンスタッドのあたりの大きなジャガイモばたけ――まだくろぐろと、地肌じはだを見せていました――の上を飛んだとき、ガンたちはさけびました。
「さあ、目をさまして、働くんだよ! おまえたちの目をさます春はもう来ているんだよ。おまえたちは、もう、じゅうぶん長いことなまけていたんだから。」
 ガンたちは、人間がいそいで軒下のきしたにかけこむのを見ますと、こう教えてやりました。
「あんたたちはどうしてそんなにあわてているの? 雨は、パンやお菓子かしじゃないの。それがわからないの?」
 大きなモクモクした雲が、ガンのむれのあとを追っかけて、北のほうへズンズン動いていきます。ガンは、じぶんたちがその雲をひっぱっているのだと思いこんでいるのでしょう。なぜなら、下のほうに大きな果樹園かじゅえんが見えたとき、いかにも自慢じまんそうにこうさけびました。
「ぼくらはアネモネといっしょに来たよ。バラといっしょに来たよ。リンゴの花といっしょに来たよ。サクラのつぼみといっしょに来たよ。エンドウや、ソラマメや、カブや、タマナの花といっしょに来たよ。ほしい者には、あげよう。ほしい者には、あげよう。」
 はじめてのにわか雨がふりしきっているあいだ、ガンたちはこうさけんでいました。あらゆるものがこの雨をよろこんでいました。けれども、この雨は、午後のあいだもずっとふりつづいていましたので、ガンたちはいらいらしてきました。そして、ヴェーのまわりの、からからにかわいている森に向かってさけびました。
「きみたちはもっと、ふれっていうのかい? きみたちはもっと、ふれっていうのかい?」
 空はますます灰色はいいろになってきました。お日さまはすっかり姿をかくしてしまって、どこにあるのかもわかりません。雨はだんだんひどくなって、ガンたちのはねをはげしく打ちます。だんだん、あぶらをぬった外のはね毛のあいだから、皮膚ひふにまでしみこんできました。地上はきりにつつまれて、湖も山も森もぼんやりかすんでいます。どこを飛んでいるのか、けんとうもつきません。飛ぶ速さも、だんだんおそくなってきました。もう、だれも楽しそうなさけび声をたてようとはしません。ニールスはだんだん寒くなってきました。
 でも、空を飛んでいるあいだは、元気がありました。そして、午後おそく、大きな沼地ぬまちのまんなかにえている小さなマツの木の下におりたときにも、まだ元気をなくしてはいませんでした。おりたところは、いちめんに、ぐしゃぐしゃしていて、つめたく、ある丘は雪をかぶり、またある丘は氷がとけかかった水たまりの中に、はだかで立っていました。ニールスはそのあたりをかけまわって、ツルコケモモやこおったコケモモをさがしました。そのうちに、夕方になりました。くらやみがあたりをつつんで、何も見えなくなりました。すると、何もかもがみょうにきみわるく、おそろしく見えてきました。ニールスはガチョウのはねの下にもぐりこみましたが、寒いのと、からだじゅうがびしょぬれなのとで、眠ることができませんでした。おまけに、あたりにはサラサラ、ガサガサと、だれかがそっと歩くような足音や、おびやかすような声が聞こえますので、恐ろしくてたまりません。もし、このままで、こごえ死にたくなかったら、どこかあたたかい火とあかるい光のあるところへいかなければなりません。
「こんや一晩ひとばんだけ、人間のところへいったらどうだろう?」と、ニールスは思いました。「そうして、ちょっとのあいだ火のそばにすわらせてもらって、たべものをほんのすこしもらうんだ。そうしたって、お日さまののぼるまえに、ガンたちのところへ帰ってこられるだろう。」
 ニールスは、はねの下からいだして、地面じめんにすべりおりました。ガチョウもガンたちも、目をさましませんでした。それから、ニールスは、足音をしのばせて、だれにも気づかれずに、沼地をとおっていきました。
 それにしても、ここはいったいどこなのでしょう? スコーネでしょうか、スモーランドでしょうか、それともブレーキンゲでしょうか。
 さっき、沼地ぬまちにおりるまえに、大きな町がチラッと見えました。そこで、ニールスはそっちのほうへ歩いていきました。すると、すぐに道が見つかりました。そして、まもなく、並木なみきのある長い村道にでました。その両がわには、農家のうかがいくつもいくつもならんでいます。
 ニールスはある大きな村にでました。高い土地にはよくありますが、平地ではめったに見られない村です。
 家々は木造もくぞうでしたが、たいへんきれいに建ててありました。たいていの家にはかざりのついた破風はふがあり、色ガラスのはまっているヴェランダも見えました。かべはあかるいペンキでぬってありました。戸やまどわくは青や緑にかがやいていました。また赤くかがやいているのも見えました。ニールスがそのあたりを歩きまわって、家々をながめていますと、あたたかい部屋へやの中から人々の話し声が聞こえてきました。話していることはわかりませんでしたが、人間の声を聞くのは、たまらなくなつかしく思われました。「ぼくが戸をたたいて、中へ入れてくださいと言ったら、みんなはなんて言うだろう?」と、ニールスは考えました。
 もちろん、ニールスはそうしようと思ってやってきたのです。こうして、いまあかるい窓を見ていますと、くらやみをこわがる気もちはなくなってしまいました。でも、そのかわり、人間のそばに近づくとき、いつも感じるあのこわいような気もちが、またまた、こってくるのでした。「中へ入れてもらって、たべものをくださいって言うまえに、もうすこしこの村を見ておこう。」と、ニールスは思いました。
 とある家の前をとおりかかったとき、露台ろだいの戸が開いて、黄色い光が、すきとおったかるいカーテンをとおして流れでてきました。そして、ひとりの美しい若い女のひとが出てきて、手すりによりかかりました。「雨だわ。もうすぐ春ね。」と、そのひとは言いました。ニールスはそのひとの姿を見たとき、なんともいえないふしぎな気もちになりました。なんだか泣きたいような気がしてきました。じぶんは、人間の世界からすっかり遠くはなれてしまっているのです。ニールスは、いまはじめて心ぼそくなりました。
 それからまもなく、ある店の前に来ました。店の前には、赤いたねまき機械きかいがおいてありました。ニールスは立ちどまって、それをながめていましたが、とうとうその上にはいあがりました。運転台うんてんだいにすわって、舌打したうちをしながら、それを動かすようなかっこうをしました。そして心の中では、こんなすばらしい機械ではたけがのりまわせたら、すてきなんだがなあ、と思いました。
 ニールスは、ちょっとのあいだ、いまのじぶんを忘れていました。けれど、すぐまた思いだして、いそいで機械からとびおりました。そうすると、不安な気もちはますますつのってきました。じっさい、動物のあいだにくらしてみたあとでは、人間というものは、まったくふしぎで、りこうなものでした。
 そのうちに、郵便局ゆうびんきょくのそばをとおりかかりました。すると、世界じゅうの新しいできごとをまいにち知らせてくれる新聞のことを思いだしました。薬屋くすりやさんとお医者いしゃさんの家を見たときには、人間は病気や死とたたかうことができるほど、大きな力を持っていることを思ってみました。それから、教会の前に来ました。すると、人間が、いま住んでいる世界とはちがった世界のことについて、神さまとか復活ふっかつとか永遠えいえんのいのちとかいうことについて、おしえを聞くために、こんな教会をたてたのだということを思ってみました。
 こうして、先へいけばいくほど、人間がすきになってきました。
 子どもというものは、すぐ目の前のことしか考えません。そして、一ばん近くにあるものをほしがって、そのためにどんなことになるか考えもしないのです。このニールス・ホルゲルッソンが小人こびとのままでいたいと願ったときにも、じぶんが、どんなにたいせつなものを、なくすことになるか、わからなかったのです。でも、いまでは、もとのちゃんとした人間の姿にもどれないのではないかということが、心配で心配でたまらなくなりました。
 だけど、人間にもどるのには、いったいどうしたらいいのでしょう? ニールスはそれを知りたくてたまりませんでした。
 ニールスは、ある家の段々だんだんいあがって、ふりしきる雨の中にこしをおろして、物思いにふけりました。一時間も、二時間もすわりこんで、考えていました。ひたいにしわをよせて。でも、ちっともいい考えは浮かんできません。ただいろんな考えが、頭の中でグルグルまわっているような気がします。そして、そこにすわりこんでいればいるほど、ますます、どうしていいかわからなくなりました。
「ぼくみたいに、すこししか勉強べんきょうしなかったものには、むずかしすぎるんだ。」ニールスはとうとう、こうきめました。「とにかく、人間にならなけりゃならない。そのためには、牧師ぼくしさんとか、お医者いしゃさんとか、先生とか、そのほか、学問があって、こういうことのなおしかたを知っている人にきかなくちゃだめだ。」
 ニールスはすぐにそうしようと決心しました。そして、立ちあがって、ブルッとからだをりました。だって、からだじゅう水たまりにはいった犬のように、びしょぬれになっていたのですから。
 ちょうどそのとき、大きなフクロウが一飛んできて、道ばたの木にとまりました。それを見ると、すぐに、この家の蛇腹じゃばらにとまっていた森のフクロウが話しかけました。
「チーヴィット、チーヴィット、ぬまフクロウさん、お帰りですか? 外国はいかがでした?」
「ありがとう、森フクロウさん、たいへんたのしかったですよ。」と、沼フクロウは言いました。「ところで、わたしのるすちゅうに、何か変わったことがありましたか?」
「このブレーキンゲでは、なんにもありませんでした、沼フクロウさん。でも、スコーネでは、とってもめずらしいことがあったんですって。ひとりの男の子が、小リスぐらいしかない小人こびとにされてしまいましてね、それからは、ガチョウにのって、ラプランドへ旅をしにいったという話ですよ。」
「そりゃ、めずらしいニュースですね、ほんとにめずらしいニュースですね。その子はもう人間にはなれないでしょう? 森フクロウさん。ねえ、もう人間にはなれないでしょう?」
「これはほんとうは秘密ひみつなんですがね、沼フクロウさん、でも、あなたのことですから、お話しするんですよ。小人が言うのには、もしその子がガチョウのせわをよくしてやって、ガチョウが、ぶじに帰れれば――――」
「で、それから? 森フクロウさん、そして、それからどうなんです?」
「あたしといっしょに教会のとうまでいらっしゃいな。そしたら、すっかりお話ししてあげますよ。ここだと、下の道でだれか聞いているかもしれませんもの。」
 それから、二のフクロウはんでいきました。でも、ニールスはうれしくなって、帽子ぼうしを空にほうりあげました。
「ガチョウがぶじに家に帰れるように、ぼくがよくせわをしてやりさえすれば、また人間になれるんだ。ばんざい! ばんざい! また人間になれるんだ!」
 ニールスは、ばんざい! ばんざい! とさけびましたが、ふしぎにも家の中の人たちには聞こえませんでした。ニールスはできるだけいそいで、ぬれた沼地ぬまちにいるガンのむれのところへもどってゆきました。
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7 三つの段々だんだん


 つぎの日に、ガンのむれは、スモーランドのアルブー地方をとおって、北へ旅行りょこうしようと思いました。そこで、そのまえに、仲間なかまのユクシとカクシをやって、その地方のようすを見させました。ふたりは帰ってくると、水はすっかりこおっていて、地面も見わたすかぎり雪でおおわれていると知らせました。
「それじゃ、ここにいるほうがいい。」と、ガンたちは言いました。「水もたべものもないところなんか飛んでゆけやしない。」
「もしここにいるとすれば、一月ひとつきも待たなくちゃならないだろうよ。」と、アッカは言いました。「だから、ブレーキンゲをとおって、東へ進むほうがいいと思うね。そうして、メーレ地方をとおってスモーランドへいけるかどうか、見きわめるほうがいいだろう。メーレ地方は海岸近くにあって、早く春になるからね。」
 こういうわけで、ニールスはあくる日、ブレーキンゲの上をびました。いまはすっかりあかるくなっていましたので、ニールスの気もちもはればれとしていました。そして、ゆうべのことなんか、まるで忘れてしまいました。もちろんいまは、ラプランドへのたびと、のびのびした野外やがいの生活をやめようとは思いませんでした。
 ブレーキンゲのあたりには、こいきりがたちこめていました。そのため、下のようすはすこしもわかりませんでした。「ここはよい土地とちなんだろうか? それとも、よくない土地なんだろうか?」と、ニールスは思いました。そして、学校でならったことを、一生けんめい思いだそうとしました。でも、勉強べんきょうをちゃんとしたことがないのですから、思いだせるはずがありません。
 そのとき、急に、学校が、目の前にありありと見えてきました。ほかの生徒たちは小さなイスにこしかけて、みんな手をあげています。先生は教壇きょうだんにすわって、不満ふまんそうな顔をしています。ニールスは地図の前に立って、ブレーキンゲについて先生からきかれたことに答えなければならないのです。でも、ひとことも言うことができません。先生の顔はだんだんくもってきました。先生はほかの学科よりも、地理ちりのことをやかましく言うようです。そのとき、先生は教壇きょうだんからおりてきて、ニールスの手からぼうを取りあげると、ニールスをせきにかえしました。「こいつはまずいぞ。」と、ニールスは心の中で思いました。
 しかし、先生はまどのそばへ歩みよって、しばらく外をながめていました。そうして、きげんのいいときのいつものくせで、そっと口笛くちぶえを吹きはじめました。それからまた、教壇にもどって、ブレーキンゲについてみんなにすこし話してやりたいことがあると言いました。
 そして、先生は話しだしました。それはたいへんおもしろい話でしたので、このときばかりはニールスもよく聞いていました。それで、先生の言ったひとこと、ひとことまでが思いだせるのでした。
「スモーランドは、屋根やねにエゾマツのえている高い家のようなものです。この家の前には広い階段かいだんがあって、それには三つの段々がついています。この階段にあたるところをブレーキンゲと言っているのです。
 この階段はたいそうよくできています。それはスモーランドの前面にそって、八マイルほどのびています。そして、この階段をとおってバルト海までいこうとする人は、四マイルばかり歩かなければなりません。
 この階段がつくられたのは、ずいぶん、むかしのことです。そして、スモーランドとバルト海とのあいだに、便利べんりな道をひらくため、この階段がたいらに、なめらかにされてからも、長い年月がたっているのです。
 階段はこんなに古いのですから、いまではそれが新しかったときのように見えなくても、すこしもふしぎではありません。わたしは、そのころの人たちが、この階段のことにどのくらい気をつかっていたかは知りませんが、とにかくこんなに大きくては、それをきれいにしておくことはできなかったのです。ですから、二年ばかりたちますと、そこにはコケるいえてきました。秋にはや枯れ草が落ちかかり、春にはくずれ落ちた石やじゃりがたまりました。そうして、こういうものがみんなそこにそのままになっていましたから、しまいには階段の上に土がたくさんたまってしまいました。そして、草ばかりでなく、やがては大きなやぶや木々までも根をやすようになりました。
 けれども、それといっしょに、三つの段々のあいだには大きなちがいができてしまいました。スモーランドのすぐ近くにある、いちばん上の段は、だいぶぶんが、やせた土地で、小石がいちめんにちらばっています。そこにそだつ木といえば、わずかに、シラカバやカンバやエゾマツぐらいのものです。こういう木は、高い土地のさむさにもたえ、わずかの土地でもがまんできるのです。そこがどんなに貧弱ひんじゃくで、やせた土地であるかは、森のあいだに切りひらかれているはたけがごくすくなく、そこに立っている家もひどくちっぽけで、教会と教会とのあいだもずいぶんはなれているのを見れば、よくわかります。
 けれど、まんなかの段になりますと、さっきよりは土地もよくなって、寒さもそれほどではなくなります。それは、一ばん上の段よりも、高くてしつのいい木々がえているところからも、すぐにわかります。そこには、カエデや、カシワや、ボダイジュや、シダレカバや、ハシバミなどがえています。しかし、針葉樹しんようじゅはありません。さらに畑地はたちがたくさんあるのと、大きな美しい家々がたっているのが目につきます。それから、ここには教会もたくさんありますし、そのまわりには大きな村もあります。どこから見ても、いちばん上の段よりは、美しくていいようです。
 でも、なんといっても、いちばんいいのは、いちばん下の段です。そこは、ゆたかなよい土地にめぐまれていて、海につづいているところなどでは、スモーランドほど寒くはありません。ここにはブナの木や、クリの木や、クルミの木がえています。しかも、教会の屋根よりも高くおいしげっているのです。それから、たいへん大きな穀物畑こくもつばたけも見られます。けれども、人々はただ畑をたがやしたり、材木ざいもくを売ったりしてらしているばかりでなく、漁業ぎょぎょう商業しょうぎょうや、海運業かいうんぎょうもやっています。ですから、ここには、すばらしいやしきや、りっぱな教会もあります。そして、大きな村や町も見うけられます。
 しかし、三つの段々についての話は、これでおしまいになったのではありません。というのは、この大きなスモーランドの屋根に雨がふったり、そこにつもっている雪がとけたりするようなときには、水はどこかへ流れてゆかねばならないということも、考えてみなければならないからです。そういうときには、もちろん、たくさんの水がこの階段の上に流れおちたわけです。さいしょは、たぶん、階段じゅうを流れていたものでしょう。そのうちに、そこにれ目ができました。そうして、だんだんにうまくみぞをつくって、その中を流れるようになりました。そして、水はなんといってもやっぱり水です。いっときも休んではおりません。あるところではあなって、消えてゆきますし、また、あるところではもっとたくさんにふえます。やがてみぞは谷になって、谷のかべには土がいっぱいかぶさります。それから、そこには、小さい木や、つる草や木々がえてきて、やがてそれがこんもりと茂って、ついには下を流れる水の流れをかくすばかりになってしまいます。けれども、流れが段と段との間のところにきますと、とうとうと流れ落ちます。そのため、あわ立つ激流げきりゅうになるので、水車やいろんな機械きかいを動かす力をもつようになるのです。こうして、水車小屋や工場はどのたきのまわりにもつくられたのです。
 けれども、三つの段々のある土地の話は、これですっかりわったわけではありません。もう一つ言っておきたいことがあります。むかし、この大きなスモーランドには、年とったひとりの巨人きょじんが住んでいました。巨人はたいそう年をとっていたので、わざわざ高い階段をおりて、海までサケをとりにいかなければならないのが、ひどくめんどうでした。それで、じぶんの住んでいるところまで、サケがのぼってきてくれれば、たいへんありがたいと思いました。
 そこで、その大きな家の屋根にのぼって、大きな石をバルト海めがけていくつも投げました。力いっぱい投げましたので、石はぐんぐん飛んで、ブレーキンゲをこえて、海の中へっこちました。サケのほうでは、石が落ちてきたのにびっくりして、海からとびだし、ブレーキンゲのほうへげていきました。そして、急流をさかのぼり、たきをとびこえて、ひと休みもせずに、年とった巨人きょじんのいるスモーランドまでのぼっていきました。
 この話がみんなほんとうだということは、ブレーキンゲの海岸にそって見えるたくさんの島や大きな岩を見れば、よくわかります。その島や岩は、巨人が投げたたくさんの大きな石にまちがいないのですからね。
 それにまた、じっさい、サケは、たえずブレーキンゲの流れをさかのぼり、滝をとびこえ、静かな流れを泳いで、スモーランドまでやってくるのです。
 ですから、この巨人きょじんは、ブレーキンゲの人たちから大いに感謝かんしゃされ、尊敬そんけいされてもいいわけです。なぜなら、この流れでサケをとり、島々から石を切りだすことが、むかしからいままで、ずっと、この地方の人々が生きるためのしごとになっているのですから。
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8 ロンネビュー川


四月一日 土曜日
 キツネのズルスケにしてもガンたちにしても、おたがいにスコーネをはなれてから、また出会うことがあろうとは、ゆめにも思っていませんでした。ところが、ガンたちがブレーキンゲに向かって飛んでいきますと、ぐうぜん、ズルスケもそこへいっていました。
 いままで、ズルスケはこの地方の北部にいましたが、りっぱな荘園しょうえんも、うまいえもののいっぱいいる猟場りょうばも見つからないので、すっかり、きげんをわるくしていました。
 ある日の午後、ズルスケがロンネビュー川からあまり遠くない、さびしい森の中をうろついていますと、ガンのむれが空を飛んでいるのが見えました。見ると、中に一白いのがまじっています。ズルスケは、ハハア、あいつたちだな、と思いました。
 そこで、ズルスケはすぐさまガンりをはじめました。うまいごちそうにありつけるというたのしみもありますが、もう一つには、いままでさんざんやっつけられたそのうらみをはらそうというのです。見ていると、ガンたちは東に向かって、ロンネビュー川のほうへ飛んできました。そして、そこでむきをかえて、川にそって南のほうへ飛んでいきました。ガンたちは川岸に寝場所ねばしょをさがしているのです。このようすだと、わけなく二、三ぐらいつかまえられるでしょう。
 ズルスケは、やっとガンたちのいるところをさがしあてましたが、そこは安全この上もない場所で、とうてい近よることができません。
 ロンネビュー川は大きな流れではありませんが、川岸かわぎしが美しいことで有名です。ときには、水の中からまっすぐにき立っている、けわしい絶壁ぜっぺきのあいだをはげしく流れていきます。そのあたりには、スイカズラや、サンザシや、ハンノキや、ナナカマドや、ヤナギがいちめんにえています。美しい夏の日に、この小さなうすぐらい川に船を浮べて、ごつごつした山壁やまかべにすがりついているみどりをながめるのは、まことに気もちのよいものです。
 けれども、ガンやズルスケがこの川のところにやってきたときは、まだうすらさむい風の吹く、春の早いころでした。木という木はみんな、はだかでした。ですから、おそらくいまでは、この川岸が美しいだろうかどうだろう、などと思って見る人はないでしょう。
 ガンたちは、うんよく、けわしい絶壁ぜっぺきの下に、みんながいられるくらいの砂地すなじを見つけました。前には川がゴウゴウと流れています。雪がとけるいまごろは、水がふえて、すさまじいいきおいで流れているのです。うしろには、とてもとおることのできない岸壁がんぺきがあって、その上には木の枝がおおいかぶさっています。これ以上のかくれ場所はありません。
 ガンたちはすぐに寝つきましたが、ニールスはちっとも眠ることができません。お日さまが沈みますと、くらやみと荒地あれちのおそろしさにたまらなくなって、人間がこいしくなってきました。ニールスはガチョウのはねの下にもぐりこんでいるのですから、何ひとつ見えません。ただ、物音がすこし聞こえるばかりです。これでは、ガチョウの身になにかわざわいがふりかかっても、とうてい助けてやれそうもありません。ガサガサいう音が、あっちからもこっちからも聞こえてきます。ニールスはすっかりきみわるくなって、とうとうはねの下からいだしました。そして、ガチョウのそばにすわりました。
 ズルスケは山のいただきに立って、ガンたちを見おろしました。
「いまのうちに、いかけるのはあきらめたほうがいいかな。」と、ズルスケはひとりごとを言いました。「おれには、あんなけわしい山をおりることもできないし、あんなはげしい流れを泳ぐこともできない。それに、山の下には、ガンのねているところへいけそうな道はありゃしない。まったく、りこうなやつらだ。骨おって、追っかけるのは、もうやめだ。」
 けれども、ズルスケも、ほかのキツネと同じことで、一どやろうと考えた事を、とちゅうであきらめることはなかなかできませんでした。そこで、山のはずれにすわりこんで、ガンからいっときも目をはなしませんでした。こうして、ガンを見はっていますと、いままでガンたちから、さんざんひどい目にあわされたことが思いだされてくるのでした。そうだ、おれがスコーネを追われて、こんなブレーキンゲにげてこなければならなくなったのも、あいつらのおかげだ。なにしろ、いままで、荘園しょうえんもガチョウもえもののいっぱいいる猟場りょうばも、何一つ見つからないんだからなあ。このおれがあいつらのにくを食うことができないんなら、せめてあいつらがくたばってしまえばいい。キツネはこう思うほど、むちゅうになってきました。
 ズルスケのいかりがここまで高まったとき、すぐそばの大きなマツの木でキイキイいう声がしました。見れば、一ぴきのリスが、テンにいまくられて、木からとびおりてきたのです。リスもテンも、キツネのいるのには気がつきませんでした。キツネはじっとして、木のあいだでおこなわれているこのりを見物けんぶつしていました。リスは、まるでぶように、かるがると枝から枝へにげまわっています。テンのほうは、リスほど木のぼりがじょうずではありませんが、それでも、森の道を歩くときのように、枝をのぼったりおりたりしています。
「あいつらの半分ぐらいでも木のぼりができさえしたら、」と、キツネは思いました。「あそこのやつらをかしちゃおかないんだがなあ!」
 まもなくりがおわって、リスがつかまえられますと、ズルスケはさっそくテンのところへ歩いていきました。けれども、テンのえものをとるつもりはないというしるしに、二足ふたあしばかりあいだをおいて立ちどまりました。そして、いかにもしたしそうにテンにおじぎをして、みごとなうでまえをほめました。それから、キツネりゅうに、うまいことばをならべたてました。ところがテンは、ほとんど返事もしません。ほっそりとしたからだ、美しい頭、やわらかな毛並けなみ、うす茶色のくびすじのしま、見たところでは、まるでかわいらしい美人のようですが、これでいて、じつは、ものすごい森の生き物なのです。
「あなたほどの狩人かりゅうどが、リスなんかをつかまえて満足まんぞくしていらっしゃるなんて、まことにおどろきいりましたな。」と、ズルスケはつづけて言いました。「すぐ近くに、ずっといいえものがいるというのに。」ここでちょっとことばをきって、返事を待ちました。しかし、テンはひとことも言わずに、ずうずうしくニヤッと笑っただけでした。そこで、ズルスケはつづけて言いました。「あなたがあそこの岸壁がんぺきの下にいるガンどもをごらんにならないなんてはずがあるでしょうかねえ? それとも、あなたはあそこまでおりていらっしゃれないんですかい?」
 こんどは、答えを待つまでもありませんでした。テンはせなかをまるくし、毛をさかだてて、ズルスケにおどりかかりました。
「ナニッ、ガンを見たって?」と、テンはうなって言いました。「そいつらは、どこにいるんだ? さっさと言え。さもないと、きさまののどくびをいきるぞ。」
「オイ、オイ、おれがおまえの二ばいもあるってことをわすれるなよ。ちっとていねいにたのむぜ。おれはおまえに何もたのんじゃいないんだからな。ただガンを見せてやっただけのことよ。」と、たちまち、テンはがけをおりはじめました。
 ズルスケはそこにすわりこんで、テンがヘビのようにからだをくねらせて、枝から枝へと渡っていくのを見ていました。そして、こんなことを思っていました。「あの美しい木のぼりじょうずの狩人かりゅうどくらい、ひどい、やつはない。きっと、もうすぐガンのやつらをやっつけるだろう。」
 そして、ガンたちの死にぎわのさけび声がいまにも聞こえるかと待っていました。ところがどうでしょう。テンが川の中へころげ落ちて、しぶきがさっと高くあがったではありませんか。そしてすぐに、強いばたきの音が聞こえて、ガンがみんな大いそぎで飛びあがりました。
 ズルスケは、すぐにガンのあとを追いかけようとしましたが、どうしてガンがたすかったのか知りたくなりました。それで、テンがあがってくるまで、そのまま待っていました。見れば、あわれにもテンはびしょぬれです。そして、ときどき立ちどまっては、前足で頭をこすっています。
「オイ、ばかやろう、どうせ川にでも落っこちるだろうと思ってたぜ。」キツネははなで笑いながら言いました。
「おれは、ばかじゃないぞ。へんなことを言うな。」と、テンは言いかえしました。「おれは、あのいちばん下の枝にすわって、どうやってガンのやつらをころしてくれようかと考えていたんだ。すると、リスぐらいの大きさしかないちっぽけな小僧こぞうが、急にびだしてきて、力いっぱいおれの頭に石をぶっつけたんだ。それで、おれは水の中にころげ落ちて、いだすひまもないうちに――――」
 テンはこれ以上言う必要ひつようはありませんでした。もう聞きてが、いないのです。ズルスケはガンのあとを追って、もうそのときには、ずっとむこうへいっていたのでした。
 いっぽう、アッカは、新しい寝場所ねばしょをさがしに南へ飛んでいきました。まだうすあかるいし、それに、半月はんげつが空高くかかっていましたので、すこしはものを見ることができました。さいわい、アッカはこのあたりのことをよく知っていました。というのは、春にバルト海をびこえてくるとき、風のためにこのブレーキンゲまで吹き流されてきたこともたびたびあったからです。
 アッカは、お月さまの光にらされている山々のあいだを、黒くきらめくヘビのようにうねっている川にそって、んでいきました。こうして、ユパフォルスまできました。そこでは川が地下のあなにもぐって、それから、ガラスでできているのかと思われるほど、清らかなみきった流れとなります。そして、せまい谷間たにまに落ちこみ、そこの岩にあたって、しぶきをあげて飛びちっています。たきの下の、水がものすごくうずいてあわをたてているところに、岩が二つ三つきでています。アッカはここにいおりました。ここもすてきな休み場所です。ことに、こんなにおそくなっては、だれもくる人はありません。でも、夕方ゆうがただったら、ガンたちはここにとまることはできなかったでしょう。なぜって、ユパフォルスは荒地あれちにあるのではありませんから。かたほうの岸には大きな製紙工場せいしこうじょうがあり、木々のおいしげった、けわしいもうかたほうの岸には、ユパダール公園があります。ひるまだと、この公園のつるつるしたけわしい小路こみちを、大ぜいの人たちが、しょっちゅう散歩さんぽしては、谷間を流れるはげしい流れをながめるのです。
 ここも、さっきの場所と同じことでした。ガンたちは、美しい有名な場所に来たなどとはすこしも考えませんでした。それどころか、はげしくうずをまいている流れのまんなかの、すべりやすい、ぬれた岩の上に立ってねむるのは、きみわるくておそろしいことだと思っていたのでした。水のためにいつし流されるかわかりません。でも、ケモノたちにおそわれたくなければ、ここでがまんしなければなりません。
 ガンたちはすぐにつきましたが、ニールスはどうしてもねむることができません。そこで、みんなのそばにすわって、ガチョウのばんをすることにしました。
 しばらくすると、ズルスケが川岸をかけてきました。そしてすぐに、あわ立つ急流きゅうりゅうのまんなかの岩の上に、ガンたちが立っているのを見つけました。これでは、こんどもまた近づくことができないのです。でも、どうしてもあきらめることができません。それで、そのまま岸にすわりこんで、じっとガンたちをながめていました。ズルスケはひどくなさけなくなりました。狩人かりゅうどとしての名声が、すっかりだめになってしまったような気がしました。
 とつぜん、一ぴきのカワウソがさかなをくわえて川からいだしてきました。ズルスケはカワウソのほうへ近づいていきましたが、そのえものをとるつもりはないということを見せるために、二足ふたあしばかりはなれて立ちどまりました。
「あの岩にガンがいっぱいいるっていうのに、魚をつかまえてうれしがっているなんて、きみは、まったくりこう者だよ。」と、ズルスケは言いました。けれども、このときは気がいらいらしていましたから、いつものように、うまいことばを考えるひまがありませんでした。
 カワウソは、川のほうをふりむきもしません。「ぼくたちは、はじめて出会ったんじゃないぜ、ズルくん。」と、カワウソは言いました。このカワウソも、ほかのカワウソと同じように宿やどなしもので、ヴォンブでもたびたび魚をとっていたのでした。そこで、ズルスケとも出会ったことがあるのです。「きみがぼくからマスをだましてとろうとしたとのき[#「とのき」はママ]ことを、ぼくは忘れちゃいないぜ。」
「ああ、きみかい、よくばりくん。」
 このカワウソがおよぎの名人であるとわかりますと、ズルスケはよろこんで言いました。
「じゃあ、きみがガンに目もくれないのも、ふしぎはないな。きみにはあそこまでいけやしないんだからねえ。」
 けれども、カワウソとしては、足の指のあいだに水かきをもっているばかりか、カイのようにすばらしい、かたいしっぽと、水のとおらない皮膚ひふをもっているのですから、あのうずまいている流れをわたることができないと言われては、だまっているわけにはいきません。流れのほうをふりむいて、ガンの姿すがたを一目見るなり、魚をほうり投げ、けわしい岸からとびおりて、流れの中へおどりこみました。
 いまは春もだいぶ深まっていましたから、ナイチンゲールたちも、きっと、ユパダール公園にもどっていたことでしょう。そうとすれば、このよくばりくんと急流とのたたかいを、いくばんもいく晩も、うたいつづけることでしょう。
 むりもありません。カワウソはいくども水にしもどされたり、深みへ引きずりこまれたりしましたが、一生けんめいかびあがっては、大きな岩をめがけて泳いでいきました。とうとう、岩のうしろのしずかな水のところに泳ぎつきました。そして、そっと岩にいあがって、だんだんガンたちに近づいていきました。まったく、あぶないしごとです。たしかに、これでは、ナイチンゲールにうたわれるだけのねうちがありましょう。
 ズルスケは、一生けんめいカワウソの姿を見まもっていました。カワウソはだんだんガンたちに近づいていって、いまにもガンの上におどりかかろうとしています。と、そのとたんに、とつぜんカワウソがものすごいさけび声をあげました。と、思うまもなく、カワウソは水の中にころげ落ちて、めくらの小ネコのように押し流されました。すると、すぐそのあとから、ガンたちがはげしくばたいて、いっせいに空にいあがり、ふたたび寝場所ねばしょをさがして飛んでいきました。
 まもなく、カワウソは岸にあがってきました。けれど、ひとことも口をきかないで、かたほうの前足をなめはじめました。しかし、ズルスケが、このしくじりをバカにして笑いますと、おこってどなりつけました。
「おれのおよぎかたがへただったせいじゃないぞ、ズルスケ。おれはガンのところまでいって、もうすこしでガンにとびかかろうとしたんだ。ところがそのとき、ちっぽけな小僧こぞうがとびだしてきて、とがったてつみたいなもので、おれの足をつきさしやがった。あんまりいたかったんで、おもわず足をすべらして、川の中へ落っこっちまったんだ。」
 カワウソはそれ以上言う必要ひつようはありませんでした。ズルスケはガンのあとを追っかけて、もうずっと遠くへいってしまっていたのでした。
 こうして、またもや、アッカとガンたちは夜のたびをしなければならなくなりました。さいわい、お月さまが出ていましたから、その光のおかげで、このあたりにまえから知っている寝場所ねばしょをさがすことができました。キラキラ光っている川にそって、ふたたび南のほうへ飛んでいきました。ユパダールの荘園しょうえんの上や、ロンネビュー町のくらい屋根やねの上や、白いたきの上をこえて、すこしも休まずに、ぐんぐんんでいきました。ところで、この町からすこし南のほうにあたって、海からあまり遠くないところに、ロンネビューの温泉場おんせんばがあります。そこには温泉や温泉宿おんせんやどや春のお客のためのホテルや別荘べっそうなどもあります。こうしたすべてのものが、冬の間じゅう、だれもいないために、ほったらかされています。このことを、どの鳥もよく知っていて、あらしの吹きすさぶ季節きせつには、たくさんの鳥がこの大きな家々のえんがわや露台ろだいをかくれにするのでした。
 ガンたちは、ここの、ある露台におりました。そして、いつものように、すぐに眠りました。けれども、ニールスは、こんやはもうガチョウのはねの下にもぐりこむ気にはなれませんでした。はねの下にはいってしまったら、何も見えなくなって、ただ物音がかすかに聞こえるだけになってしまいます。それでは、とうていガチョウを守ってやることができません。いまのニールスにとっては、じぶんのことよりも、ガチョウのことを考えてやるのがいちばん、だいじなのです。
 ニールスのいる露台ろだいは、南にむいていましたから、海がよく見えました。ニールスはねむれませんでしたので、このブレーキンゲで、海と陸とがいっしょになってつくりだしている美しい景色をながめていました。
 いったい、海とりくとは、いろいろな出会いかたをするものです。
 まず海のほうから考えてみましょう。海は何ひとつなく、はてしなくひろがっています。そして、くりかえしくりかえし灰色はいいろの波をうねらせています。陸のほうへ近づくときには、小さな島に出会います。すると、すぐにその上に水を打ちつけて、あらゆるみどりをひきむしり、じぶんと同じように、はだかに灰色にしてしまいます。どの島も、まるで強盗ごうとうの手にかかったように、裸にされ、はぎとられてしまいます。ところが、だんだんすすむうちに、小さな島がたくさんになってきます。陸がじぶんのかわいい子どもたちをよこして、海の心をなだめようとしているのがよくわかります。それで、海も、進むにつれて、だんだんやさしくなってきます。波もさっきまでのように高くはなくなり、あらしもしずまります。れ目やけ目にえている緑の草木もそのままにしておいて、じぶんは小さな瀬戸せとや入江になってしまいます。
 こんどは、りくのほうを考えてみましょう。陸はどこも変わりがなく、ほとんど同じようです。陸は、たいらな穀物畑こくもつばたけか、長くのびている森つづきの山々からできています。その穀物畑のあいだには、カバの木々にかこまれた牧場まきばがあちこちに見えます。陸は、まるで穀物と、カブと、ジャガイモと、エゾマツと、マツのことしか考えていないようです。それから、入江が陸の中まで深くくいこんでいます。しかし、陸はそんなことはべつに気にもとめないで、ふつうのみずうみと同じように、カバとハンノキでそのふちをかざってやります。
 こういうことは、夏でないと、よく見えないのですが、それでもニールスは、自然しぜんはなんておだやかでやさしいんだろうと思いました。そして、まえよりも、ずっと心がおちついてきました。と、とつぜん、するどくきみのわるいうなり声が聞こえてきました。立ちあがって見ますと、露台ろだいの下の芝地しばちに、一ぴきのキツネが、銀色ぎんいろのお月さまの光をあびて、立っていました。もちろん、ズルスケです。またも、ガンたちのあとを追ってきたのでした。けれども、ガンたちがているところを見ますと、とうてい近づくことができないとさとりました。それで、あまりのくやしさに、おもわずうなってしまったのでした。
 ズルスケがうなったので、アッカは目をさましました。ほとんど何も見えませんが、その声でズルスケとわかりました。
「ズルさんかい? こんやもおでかけかね?」と、アッカはたずねました。
「うん、おれだよ。」と、ズルスケは答えました。「ところで、どうだね、こんやのおれのやりくちは?」
「テンやカワウソをけしかけたのは、あんただって言うのかい?」と、アッカがききました。
「こんどは、おれのばんだからな。」と、ズルスケは言いました。「このあいだ、おまえたちはおれにいたずらをしやがったから、こんどはおれがおまえたちにいたずらをはじめたのさ。おまえたちが一でも生きているうちは、やめやしないぜ。たとえ、国じゅう追っかけたってよ。」
「ズルさん、つめという武器ぶきをもっているあんたが、何もふせぐもののないわれわれを、こんなふうに追いまわすっていうのは、いったい正しいことだろうかねえ? ちっとは考えてみるんだね。」と、アッカは言いました。
 ズルスケは、アッカがこわがっているものと思いこみました。そこで、さっそく言いました。
「アッカさん、おまえさんが、たびたびおれのじゃまをしやがる、あのオヤユビ小僧こぞうを、投げてよこせば、おまえさんたちと仲なおりするぜ。そしてもう、おまえさんたちのあとを追っかけたりしないよ。」
「オヤユビくんはやれないねえ。」と、アッカは言いました。「わたしたちのなかには、若いものでも、年よりでも、オヤユビくんのために喜んでいのちを投げださないようなものはないんだよ。」
「きさまたちが、そんなにあいつをすきだというなら、」と、ズルスケはどなりました。「まず、あいつからやっつけて、うらみをはらしてくれるぞ、おぼえてろ。」
 アッカはもう何も言いませんでした。ズルスケはまた二、三どうなりました。それから、あたりはひっそりとしました。ニールスはずっと目がさめていました。いまアッカがキツネに言ったことばが頭にこびりついていて、眠れません。いままで、じぶんのためにいのちをててくれるものがあろうとは、ゆめにも思ったことがありませんでした。ニールスは露台ろだいの手すりからたくさんの島々をながめながら、たのしい思いにふけっていました。
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9 カールスクローナ市


四月二日 日曜日
 ここはカールスクローナです。お月さまのかがやいている、しずかな美しい夕方ゆうがたでした。でも、ついさっきまでは、はげしい吹きぶりでした。人びとは、まだお天気がよくなっていないと思っているにちがいありません。だって、通りには、人っ子ひとり見えませんから。
 この市がこんなにひっそりしているとき、ガンのアッカとその仲間なかまとは、ヴェンメンヘーイやパンタルホルムをこえて、カールスクローナへやってきました。ガンたちは、島の上に安全な寝場所ねばしょを見つけようとして、夕方おそくまでんでいたのでした。りくには、どこにも休むことができませんでした。というのは、どこへおりても、キツネのズルスケにじゃまされてばかりいたからです。
 ニールスが高い空から海と島とを見おろしたときには、なにもかもがひどくきみわるく、まるで幽霊ゆうれいのように見えました。空はもう青くはなくて、みどりのガラスの丸ぶたのように、頭の上におおいかぶさっていました。海はミルク色で、目のとどくかぎり、小さな白い波をうねらせ、銀色ぎんいろにきらめくさざなみをたてていました。なにもかも白い中に、いろんな形をした島があっちこっちにくろぐろときでていました。大きいものも、小さいものも、草原のようにたいらなものも、岩だらけのものも、みんな同じように黒く見えました。それどころか、人の住居すまいも教会も風車も、ふだんなら白か赤かに見えるのに、いまはみどりの空に向かって、くっきりと黒い姿を見せています。ニールスは世の中がわってしまって、じぶんはまるで、ちがった世界へ来てしまったような気がしました。
 ニールスは、こんやは勇気ゆうきをだして、こわがらないようにしようと決心しました。ところが、そういううちにも、ぞっとするようなものが見えてきました。それは、大きなとがった岩がごつごつしている山がいちめんにある島でした。そして、その黒い岩のあいだには、きんのようなものがキラキラと光っていました。ニールスは、なんだか魔法まほうの石を見ているような気がしました。
 それにしても、島のまわりに大きなおそろしいものが、あんなにうようよしていなかったら、それほどたいしたことはなかったでしょう。その恐ろしいものは、なんだかクジラやサメやそのほか大きな海の怪物かいぶつのように見えました。けれども、ニールスはそれを海の神さまだと思いました。そして、海の神さまたちが島に住んでいるりくの神さまたちと戦おうとして、いま島のまわりに集まって、よじのぼろうとしているのだと考えてみました。ところで、その陸の神さまたちは、きっとこわがっているのでしょう。というのは、島のいちばん高いところにひとりの巨人きょじんが立って、じぶんと島とにふりかかってくるおそろしいわざわいに絶望ぜつぼうしてでもいるように、両腕りょううでを高くあげているのが、はっきりと見えたからです。
 アッカはこの島におりようとしました。それを見て、ニールスはびっくりしました。「だめだよ、だめだよ!」と、ニールスは、さけびました。「あそこへおりちゃいけない。」
 けれども、ガンたちはどんどんいおりました。まもなく、ニールスは、なにもかもが、ただあんなにへんなふうに見えていただけなのを知って、おどろいてしまいました。大きな岩と見えたのは、人間の家ではありませんか。そして、島ぜんたいは一つの市で、金色にキラキラ光っていたところは、街燈がいとうやあかるいまどガラスなのです。島の一ばん上に立って、両腕を高くあげていた巨人きょじんは、二つのとうのある教会でした。海の神さまや海の怪物かいぶつに見えたのは、島のまわりにとまっているボートや大きな船でした。陸の近くにあるのは、たいていボートや帆船はんせんや小さな蒸汽船じょうきせんでしたが、海に向いているほうには軍艦ぐんかんが浮かんでいました。
 ところで、ここはなんという市だろう? ニールスは、たくさんの軍艦が見えたので、だいたい、けんとうがついたような気がしました。ニールスは、いままで、船がだいすきでした。といっても、池で小さな船にのったことしかありませんでしたけれど。そしてニールスは、こんなにたくさんの軍艦がいる市は、カールスクローナにちがいないと思いました。
 ニールスのおじいさんは水夫すいふでした。そして、生きていたときは、カールスクローナのことをまいにちのように話してくれました。造船所ぞうせんじょのこととか、カールスクローナで見たいろんなことなどを聞かしてくれたのでした。
 ニールスはすっかり安心して、家にいるような気もちになりました。そして、あんなにたびたび話に聞いていたものを、いま一つ残らず見られるのかと思いますと、とってもうれしくなりました。
 けれども、ニールスがとうや、港の入口をとざしている要塞ようさいや、たくさんの建物や、造船所ぞうせんじょなどをちらっとながめたとき、アッカはひらたい教会の塔の一つにいおりました。
 ここは、キツネからゆくえをくらまそうと思うものにとっては安全な場所でした。ニールスは、こんやはガチョウのはねの下にもぐりこむ気になれるものかどうか、考えてみました。うん、こんやはきっとできるだろう。それに、すこし眠ったほうが、からだのためにいいだろう。造船所や船をけんぶつするのは、あしたの朝にすればいい。
 ところが、ニールスは、じぶんでもふしぎなくらい、どうしてもあしたの朝までじっと待っていることができなくなりました。五分とは眠らないうちに、はねの下からはいだして、避雷針ひらいしんといをつたって、地面にすべりおりたのです。
 まもなく、ニールスは教会の前の広場にでました。そこには、まるい石がしいてありました。その上を歩くのは、なかなか骨がおれました。ちょうど、おとなの人たちが草ぼうぼうの原っぱを歩きにくいのと同じことです。
 さいわい、広場ひろばにはだれもいませんでした。ただ、高い台の上に立っている立像りつぞうが見えるばかりでした。ニールスは長いあいだ、その立像をながめていました。それは、三つの角のある帽子ぼうしをかぶり、長い上着をきて、半ズボンをはき、あらいくつをはいた大きな人の姿です。ニールスは、この人はだれだろうと思いました。その人は長いステッキを手に持っていて、その使いかたも知っているようです。なにしろ、大きなかぎばなで、みにくい口をしたその人は、おそろしいほどいかめしいかおつきをしているのですから。
「この口ながさんは、いったいここで何をしているんだろう?」と、そのうちに、ニールスは言いました。こんやぐらい、じぶんがちっぽけでつまらないものに思われたことはありません。そこで、元気をだそうとして、立像に向かってらんぼうなことばをならべたてました。それから、立像のことは考えないで、海へ出る広い通りを歩いていきました。
 けれども、まだそんなにいかないうちに、うしろのほうから足音が聞こえてきました。しき石をドシン、ドシンとふみならして、ステッキで地面を強くつきながら、広場のほうからだれかがやってくるのです。まるで、あの広場に立っていた青銅せいどうの大きなぞうが、歩きだしでもしたようなひびきです。
 ニールスは通りをかけだしながら、足音に耳をすましました。すると、足音のぬしは、あの青銅の人にちがいないという気もちが、だんだん強くなってきました。大地がふるえ、家々がゆれます。こんなものすごい歩きかたをするのは、あの青銅の人のほかにはありません。さっきあの人に向かって言ったことを思いだしますと、ニールスはあわてました。うしろを振りかえって、ほんとうにあの人かどうかたしかめてみる元気は、とてもありません。
「きっと、ちょっと散歩さんぽにでかけただけなんだろう。」と、ニールスは思いました。「ぼくがさっき言ったことぐらいで、はらをたてるわけはないもの。わるい気で言ったんじゃないんだから。」
 ニールスは、まっすぐ造船所ぞうせんじょへいかないで、東のほうへいく通りにいそいでまがりました。ともかくこうして、からげてしまいたかったのです。
 ところが、青銅の人も、すぐにこっちへまがってきたようです。ニールスはすっかりこまってしまいました。どうしたらいいのでしょう?
 まちの中の戸という戸はしまっています。そこにかくれ場所を見つけるなんてことが、どうしてできましょう。ふと見ると、右手のほうの、通りからすこしはなれた木立こだちの中に、木造もくぞうの古い教会が立っていました。ためらうひまもなく、すぐさまニールスは、教会めがけてかけていきました。「あそこへいけば、だいじょうぶだろう。」と、思ったのです。
 ニールスが走っていきますと、ひとりの男がじゃり道に立って、手まねきしているのが見えました。「きっと、だれかが助けてくれようっていうんだな。」と、ニールスは思いました。そう思うと、すっかりうれしくなって、その人のほうへ夢中むちゅうでかけていきました。心配のあまり、むねがドキドキしています。
 けれども、じゃり道のはずれの、低い台の上に立っている人のところまで来たとき、ニールスはびっくりしてしまいました。「この人がぼくを呼んだんじゃないはずだ。」と、ニールスは思いました。なぜって、見れば、その人は木でできているではありませんか。
 ニールスはその人の前に立って、ながめました。ずんぐりした人で、足はみじかく、顔は大きく赤く、かみの毛は黒くピカピカしていて、まっ黒なひげをはやしていました。頭には黒い木の帽子ぼうしをかぶっていました。からだには褐色かっしょくの木の上着をき、こしには黒い木のおびをしめ、大きな灰色の木の半ズボンをはいて、それに、木の靴下くつしたをはいていました。それから黒い木の靴をはいていました。この人はさいきんニスをぬってもらっていましたので、お月さまの光をうけて、キラキラと光っていました。見たところ、いかにも正直そうに見えました。で、ニールスはすぐにこの人をいい人だなと思いこんでしまいました。
 その人は、左手に木の板を持っていました。そこにはこう書いてありました。

口のきけない者ですが
 どうかお願いもうします。
わたしの帽子ぼうしをおあげになって
 一銭入れてくださいませ。

 おや、おや、この人は慈善箱じぜんばこなのです!
 ニールスはがっかりしてしまいました。じつは心の中で、えらい人だろうと思っていたのです。でもこのとき、いつだったか、おじいさんがこの木の人の話をしてくれたのを思いだしました。おじいさんの話では、カールスクローナの子どもたちは、みんな、この木の人が大すきだということでした。どうやら、それはほんとうのようです。というのは、ニールスもこの木とわかれるのがつらく思われてきたからです。ところで、この人にはたいへん古めかしいところがありました。もう何百さいにもなっているようすです。と、同時に、いかにも頑丈がんじょうで、どうどうとしていて、しかも、いきいきとしています。むかしの人たちは、みんな、こんなふうだったかもしれません。
 ニールスはこの木の人をながめているのが、たいへんおもしろかったので、追いかけてくる青銅せいどうの人のことはすっかり忘れていました。ところがそのとき、また足音が聞こえてきました。さあ、たいへん! 青銅の人も、通りから教会の境内けいだいのほうへはいってきたではありませんか。こんなところまで追いかけてきたのです! さて、どこへげたらいいでしょう?
 ちょうどこのとき、木の人はからだをかがめて、大きな、はばの広い手をさしだしました。この人はいい人としか思えませんから、すぐさまニールスは一足いっそくとびにその手の上にとびあがりました。すると木の人はニールスを帽子ぼうしのところまでもちあげて、その中にいれました。
 ニールスが帽子の中にかくれて、木の人がもとのようにうでをおろすといっしょに、青銅の人があらわれました。そして、木の人の前に立ちどまって、ステッキで地面をドシンとつきましたから、木の人は、台の上でグラグラッとゆれました。それから、青銅の人は、よくひびく大きな声で言いました。
「そちはだれじゃな?」
 木の人はギイギイと音をたてて、うでをあげ、帽子のふちに手をあてて、答えました。「陛下へいか、おそれながら、ローセンブームと申すものでございます。むかしは、戦艦せんかん勇壮ゆうそう』の兵曹長へいそうちょうをいたしておりましたが、退役になりましてからは、提督教会ていとくきょうかい堂守どうもりをしておりました。そののち、木にきざまれまして、こうして、慈善箱じぜんばことなり、この境内けいだいに立っているのでございます。」
 ニールスは、木の人が「陛下へいか」と言うのを聞きますと、びっくりしました。むりもありません。そうしてみると、広場ひろばに立っていたあのぞうは、この市をたてた人の姿をきざんだものにちがいないのです。つまり、ニールスがさっき出会ったのは、カルル十一世にちがいありません。
「じぶんのことをよくしゃべりたてるやつじゃ。」と、青銅せいどうの人は言いました。「ところで、こんや、町なかをかけまわっていた小僧を見かけなかったか? なまいきなチビじゃ。つかまえたら、ひとつ礼儀作法れいぎさほうを教えてくれよう。」そう言って、またもステッキで地面をドシンとつきました。ものすごくおこっているようすです。
「おそれながら、陛下、たしかにそいつを見かけました。」と、木の人は言いました。ニールスは帽子ぼうしの下にかくれて、木のすきまから青銅の人を見ていたのですが、それを聞いて、心配のあまりブルブルとふるえだしました。ところが木の人はつづけて、「陛下、ここをおいでになっては、おまちがいでございます。小僧はきっと造船所ぞうせんじょへいって、あそこにかくれるつもりでございましょう。」と言いましたので、ニールスはやっと安心しました。
「そう思うのか? ローセンブーム、では、そんな台の上に立っておらんで、わしといっしょにきて、あの小僧をさがす手つだいをしてくれ。四つの目は二つの目よりもよいものじゃ。」
 ところが、木の人はかなしそうな声で答えました。「どうかお願いでございますから、わたくしめは、ここにおらせてくださいませ。さいきん、ぬってもらったばかりでございますので、つやつやして元気そうには見えますが、じつはわたくしめは年をとっておりまして、動くこともできないのでございます。」
 青銅の人は、じぶんの言うとおりにしなければ承知しょうちしない人です。
「なんという言いぐさじゃ! さあ、まいれ、ローセンブーム。」こう言って、ステッキをあげて、木の人のかたをポカッと打ちました。「そちは、まだ立っている気か?」
 こうして、ふたりはカールスクローナの通りを力づよくドシンドシンと歩いていきました。やがて、造船所ぞうせんじょへ通じる大きな門の前に出ました。そこには、ひとりの水兵が立って、番をしていました。けれど、青銅の人はさっさとそのそばをとおりすぎて、門をつきあけました。水兵は気がつかないような顔をしていました。
 門の中へはいりますと、木の橋でくぎられている広い大きな港が見えました。それぞれの汐留しおどめには、軍艦がはいっていました。それらは、こうして近くへきてみれば、さっき空から見たときよりも、ずっと大きくこわそうに見えました。そこで、ニールスは、「さっき海の怪物かいぶつのように見えたのも、そんなにまちがっちゃいなかったんだな。」と、思いました。
「ローセンブーム、そちはどこからさがしはじめたらよいと思うか?」と、青銅の人はたずねました。
「あいつのようなものは、模型室もけいしつにかくれるのが一ばんたやすうございましょう。」と、木の人は言いました。
 門から右のほうへ、港にそってのびているせまい陸地には、古い建物がならんでいます。青銅の人は、かべのひくい、四角い窓と大きな屋根のある建物のところへ歩いていきました。そして、ステッキで戸をドシンとついて、あけました。それからみへらされた階段をズシン、ズシンとのぼっていきました。ふたりは大きな部屋にはいりました。そこには、マストをたて、網具あみぐをそなえた小さな船がたくさんならんでいました。説明を聞かなくても、ニールスはすぐに、この船は、スウェーデン海軍のために造られた軍艦ぐんかんの模型であるとわかりました。
 見れば、ずいぶんいろんな種類の船があります。
 ニールスは、こういう船のあいだをつれて歩かれているうちに、びっくりしてしまいました。「すごいなあ、こんなに大きいりっぱな船が、このスウェーデンで造られたんだなあ!」
 そこにあるものをぜんぶ見てまわったので、ずいぶん時間がかかりました。青銅の人は模型を見はじめますと、ほかのことはすっかり忘れてしまいました。すみからすみまで模型を念いりにながめて、おまけに、ひとつひとつ説明をきくのでした。すると、『勇壮』号の兵曹長へいそうちょうだったローセンブームは、知っているかぎりのことを話しました。船を造った人たちのことや、船に乗組のりくんだ人たちのこと、それから、その人たちがどうなったかということなどを説明しました。
 ローセンブームと青銅せいどうの人は、むかしの美しい木造船が一ばん気にいりました。新しい鋼鉄こうてつ軍艦ぐんかんのことは、このふたりにはあまりよくわからなかったようです。
「そちは新しい軍艦のことは、何も知らんな。」と、青銅の人は言いました。「どこかべつのところへいって、ほかのものを見ようではないか。そのほうがおもしろかろう、ローセンブーム。」
 青銅の人は、ニールスをさがすことを、もう忘れていました。いっぽう、ニールスも木の帽子ぼうしの中にかくれているので、安心しきっていたのでした。
 それから、ふたりは、をこしらえるところ、いかりを造るところ、機械場きかいば木工場もっこうばなどの大きな仕事場を通っていきました。そしてまた、高い起重機きじゅうきや、ドックや、大きな倉庫そうこや、兵器庫や、弾薬庫だんやくこや、つなよりや、岩にあたってくだけたために使われなくなっている大きなドックなどを見ました。それから、海軍の艦船がつないである棧橋さんばしにいって、船に乗りこみ、まるで二ひきのオットセイみたいなかっこうで船をながめまわしていました。
 一ばんおしまいに、広い構内こうないにでました。ここには、むかしの軍艦の船首像せんしゅぞうがならんでいました。ニールスはこのくらいふしぎなものを見たことがありません。なぜなら、ここにある像は、信じられないほどものすごい、ぞっとするような顔をしています。それらの像は、おそれを知らぬ、どうもうな顔つきをしていて、いかにも、ごうまんに見えます。それらはちがった時代に、ちがった人々の手によって造られたものです。ニールスはその前に立ったとき、身がちぢまるような思いがしました。
 けれども、ふたりがここへ来たとき、青銅の人が木の人に向かって言いました。
帽子ぼうしをとれ、ローセンブーム、ここにならんでいる像のために! これはみんな祖国そこくのために戦ったのじゃ。」
 しかし、ローセンブームも青銅の人も、なんのために出かけてきたのか、いまではすっかり忘れていました。ローセンブームは考えもせず、すぐに帽子をあげて、さけびました。
「わたくしは、この港をえらび、造船所をつくって、海軍を再建さいけんしたかたに向かって、こういうすべてのものをつくりだした王さまにむかって、脱帽だつぼういたします。」
感謝かんしゃするぞ、ローセンブーム、よく言ってくれた。そちはりっぱな人間じゃ、ローセンブーム。だが、そこにいるのは何者じゃ?」
 見れば、ローセンブームのはげ頭の上に、ニールス・ホルゲルッソンが立っているではありませんか。しかし、ニールスはもうこわくはありません。白いそりぼうって、さけびました。「口ながくん、ばんざい!」
 青銅の人は、地面をステッキでドシンと打ちました。けれども、その人が何をするつもりであったかはわかりません。というのは、そのとき、お日さまがのぼってきて、それといっしょに、青銅の人も木の人も、まるできりでできてでもいるように、えうせてしまったからです。
 ニールスがじっと立ちつくして、そのあとをぼんやりながめていますと、ガンたちが教会のとうからいあがって、市の上をいったりきたりしはじめました。まもなくニールス・ホルゲルッソンの姿を見つけますと、大きな白ガチョウが矢のようにいおりてきて、ニールスをつれていきました。
上 おわり
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10 エーランドとう


四月三日 日曜日
 あくる朝、ガンたちは、とある小さな島へんでいって、たべものをひろいました。そこでみんなは、二、三灰色はいいろガンに、出あいました。灰色ガンたちは、ガンの姿すがたを見ますと、びっくりしました。なぜなら、じぶんたちの親類しんるいにあたるガンという鳥は、陸地りくちの上ばかりを飛ぶものだと思っていたのですからね。
 灰色ガンたちは、いろいろとたずねました。そこで、ガンたちは、キツネのズルスケに追いまわされていることを、のこらず話しました。話がおわると、アッカのように年とっていて、りこうそうに見える一の灰色ガンが言いました。
「ズルスケが、スコーネから追いはらわれたのは、あなたがたにとっては、とんだ災難さいなんでしたね。やっこさんは、かならず、ことばどおりにラプランドまででも、あなたがたを追いかけていくでしょう。もしも、わたしだったら、スモーランドをえて北へむかわないで、エーランドとうまわり道をして、やっこさんを、まいちまうようにしますね。あいつの目をごまかそうと思ったら、あの島の南のはしに、二、三日とどまることですよ。あそこなら、たべものもたくさんありますし、それに、仲間なかまもおおぜい、いますからね。あそこへいって、後悔こうかいするようなことは、まずないでしょうよ。」
 これは、たしかにもっともな忠告ちゅうこくです。それでガンたちは、言われたとおりにすることにきめました。はらごしらえを十分じゅうぶんにして、さっそくエーランド島にむかって出発しました。ガンたちの中には、いままで、そこにいったことのあるものはありませんでしたが、灰色ガンたちが、ていねいに道を教えてくれました。なんでも、ずんずん南に進んでいけば、やがて大きな「鳥の道」に出るということです。それはブレーキンゲの海岸かいがんにそって、ずっとのびているそうです。冬のあいだ大西洋たいせいようの島々にいた、たくさんの鳥が、これからフィンランドやロシアへいこうとして、いまその道を飛んでいるのです。そして、みんなは、途中とちゅうで一休みするために、きまってエーランド島へ立ちよるのだそうです。だから、エーランド島へいく道は、すぐにわかるという話でした。
 その日は、たいへんおだやかで、まるで夏の日のようにあたたかでした。ほんとうに、海の旅をするのには、もうしぶんのないお天気でした。ただ、ひとつ、残念ざんねんなのは、空がすっかり晴れわたっていないので、灰色のうすぎぬをひいたようになっていることでした。あちらこちらには、大きなきりの雲が海のおもてまでたれこめていて、ながめをさえぎっていました。
 ガンたちが小さな島々から遠くはなれますと、海はかがみのようになめらかになりました。ですから、ニールスが下を見おろしたときには、まるで海がどこかへえてしまったのではないかと思われました。じぶんの下には、もはや世界がなくなって、まわりにあるものは、ただきりと空ばかりです。ニールスはひどく目まいがするので、ガチョウのせなかに、しがみつきました。いまは、はじめてったときよりも、ずっとこわくてしかたがありません。なんだか、ぶじに乗っていけそうもないような気がします。このあんばいでは、いまに落ちてしまうにちがいありません。
 灰色ガンたちの言っていた大きな「鳥の道」に出たときには、ますますいけなくなりました。見れば、ほんとうに、鳥のむれが、いくつもいくつも同じ方向ほうこうに飛んでいます。そのむれのなかには、カモ、灰色はいいろガン、クロトリ、ウミガラス、ウミガモ、オナガガモ、アイサガモ、カイツブリ、ミヤコドリ、ウミマツドリなどがいました。
 ニールスは、からだを乗りだして、海のあるはずの下のほうをながめました。すると、たくさんの鳥のむれが、水にうつって見えました。ところが、頭がくらくらしているので、どうしてそんなふうに見えるのか、よくわかりません。きっと、鳥たちはみんなおなかを上にけて飛んでいるのだろうと、ニールスは思いこんでしまいました。なにしろ、いまは頭がへんになって、なにが何やらさっぱりわからないものですから、それを見ても、そんなにびっくりはしませんでした。
 鳥たちはつかれきっていましたから、一刻いっこくも早く島につこうとあせっていました。さけびごえをあげるものもなければ、じょうだん一つ言うものもありません。そのありさまのため、なにもかもが、この世のものとは思われませんでした。
地球ちきゅうからびはなれているとしたら、どうだろう!」と、ニールスはひとりごとを言いました。「天へのぼっていくとしたら、どうだろう!」
 まわりには、きりと鳥のほかは何も見えません。そのうちに、天へのぼっていくということも、そんなにふしぎなことではないような気がしてきました。そして、天へいったら、どんなものが見られるだろうかと思いますと、ニールスはとってもたのしくなりました。そう思ったとたんに、めまいは、しなくなりました。そして、いま、じぶんはこの世をはなれて、天へのぼっていこうとしているのだと考えて、たまらなく愉快ゆかいになりました。
 そのとき、だしぬけに、ダン、ダンと鉄砲てっぽうの音がしました。見ると、白いけむりふたすじ立ちのぼっています。
 そのとたんに、鳥たちは、きゅうにざわめきたって、「かりゅうどだ! かりゅうどだ! 高く飛びあがれ! 高く飛びあがれ!」と、さけびました。
 これで、ようやくニールスにも、じぶんたちは、あいかわらず海の上を飛んでいて、天上てんじょうにいるのではないということが、はっきりとわかりました。海の上には、かりゅうどのおおぜい乗っている小舟こぶねがずっと並んでいて、そこからダン、ダンと鉄砲てっぽうをうっているのが見えます。いちばんさきを飛んでいく鳥のむれが、それに気づいたときには、もうおそく、みるみるうちに、黒いからだがいくつか海の上に落ちていきました。生きのこった鳥たちは、落ちていく鳥のために、かなしい鳴き声をあげました。
 ニールスの心は、おそろしさと悲しさに、はりさけそうでした。むりもありません。ついさっきまで、じぶんは、天国てんごくにいるものとばかり思っていたのですからね。ガンの隊長たいちょうアッカは、全速力ぜんそくりょくで空高くいあがりました。ガンのむれも、そのあとから力いっぱいの早さでつづきました。こうして、ガンたちはきず一つ受けないで、ぶじにげることができました。ニールスは心から感心して、
「アッカやユクシやモルテンみたいな鳥をとうなんて、とんでもない話だ! 人間どものすることは、まったくばかばかしい!」と、言いました。
 こうして、ふたたび、ニールスとガンの一行いっこうは、静かな空を飛んでいきました。あたりは、まえのように、またひっそりとしてきました。ただつかれた鳥たちは、ときおり、「すぐいけないんじゃないの? たしかにこの道かい?」とさけびました。すると、いちばんさきを飛んでいく鳥たちは、「この道をまっすぐいけば、エーランドとうだよ! この道をまっすぐいけば、エーランド島だよ!」と、答えました。
 野ガモたちは、疲れきってしまいました。そのとき、そばをウミガモが通りすぎました。「そんなにいそがないでくれよ!」と、野ガモたちは、ウミガモにむかってさけびました。「きみたちは、われわれがくまでに、たべものをみんなたべちまう気かい。」
「なあに、あそこには、たべものがたくさんあるから、だいじょうぶさ。」と、ウミガモたちは答えました。
 ところが、ぼつぼつエーランド島が見えようというころ、まむかいからかるい風が吹いてきました。そしてそれといっしょに、白い大きなけむりの雲のようなものが、もくもくとやってきました。まるで、どこかに火事でもおこっているようです。
 鳥たちはこのうずをまいている煙に気がつきますと、心配しんぱいになって、とんでいく力をはやめました。けれども、その煙のようなものは、だんだんくなってきます。そして、とうとうしまいには、みんなをすっかりつつんでしまいました。でも、煙のようなにおいはしません。そして黒くも、かわいてもいず、白くて、しめっています。それで、ニールスは、ははあ、これはただのきりなんだな、と、すぐに気がつきました。
 霧は一すんさきも見えないくらいくなってきました。と、どうでしょう、鳥たちはまるで気でもちがったようになりました。いままではあんなに、きちんと行儀ぎょうぎよく飛んでいたのに、こんどは、みんながみんな、霧の中でふざけはじめたのです。勝手かって気ままに、あっちへ飛んだり、こっちへ飛んだりして、たがいにほかの仲間なかままよわそうというのです。
「おーい、気をつけろよ!」と、鳥たちはさけびます。「きみたちは、おんなじ所をぐるぐるまわってばかりいるじゃないか。それじゃ、とてもエーランド島へは、いかれっこないぜ。さあ、さあ、むきをかえたり、かえたり!」
 エーランド島がどこにあるかは、みんな、ちゃんと知っているのですが、たがいに仲間を迷わそうとしてやっきになっているのです。「あのオナガガモを見ろよ!」と、きりの中からさけぶ声が聞こえます。「北海ほっかいのほうへぎゃくもどりしているじゃないか!」
「おーい、ガンの諸君しょくん、気をつけたまえよ!」と、またちがったほうからだれかがさけびます。「そんなほうへいくと、リューゲンへいっちまうぜ!」
 もちろん、このあたりをたびなれている鳥たちは、まちがった方向ほうこうにさそいこまれるようなことはありませんが、こまりきっているのはニールスの仲間なかまのガンたちです。おどけものの鳥は、ガンたちが道に不案内ふあんないなのを見てとりますと、さかんにガンたちを迷わせようとします。
「もし、ガンさん、どこへいらっしゃるんです?」と、一白鳥はくちょうびかけながら、アッカのところへちかよってきました。いかにも、同情どうじょうぶかい、まじめな顔つきをしています。
「エーランド島へいこうと思っているんですが、はじめてなものですから。」と、アッカは答えました。この白鳥なら、信頼しんらいしてもいいだろうと思ったのです。
「そいつはいけませんよ。」と、白鳥は言いました。「あなたがたは、まちがった方向へさそいこまれたんですね。この道をいけば、ブレーキンゲへでてしまいますよ。さあ、わたしといっしょにいらっしゃい。道案内みちあんないをしてあげましょう。」
 それから、白鳥はガンの一たいといっしょに飛んでいきました。そして、ほかの鳥たちのさけび声も聞こえないほど遠くまで、まちがった方向にひっぱっていってから、とつぜんきりの中に姿をしてしまいました。
 ガンたちは、しばらくのあいだ、むちゃくちゃに飛びまわったあげく、やっとのことで、ほかの鳥たちを見つけました。するとこんどは、一のカモが近づいてきました。「あんたがたは、霧がはれるまで、水の上におりてやすまれるほうがいいんじゃありませんか。どうも、あまりたびなれてはいらっしゃらないようだから。」
 こんないたずらものたちが、もののみごとに、アッカをまごつかせてしまいました。ニールスが見ていると、ガンたちは同じところを長いこと、ぐるぐる、ぐるぐるまわっています。
「おーい、気をつけたまえよ! きみらは、上へいったり、下へいったりしているだけじゃないか。」と、一羽のウミガモがそばを飛びすぎながらさけびました。ニールスは思わずしらずガチョウの首ったまにしっかりとしがみつきました。もうさっきから、こんなことではなかろうかと、心配しんぱいしていたのです。
 もしもそのとき、遠くのほうで、ズドンというにぶい大砲たいほうの音がきこえなかったなら、いったい、いつになって、エーランドとうへいけたことやら、わかったものではありません。
 そのとき、アッカは首をのばし、つばさを力づよくって、全速力ぜんそくりょくで飛んでいきました。いまこそ、いくべきところがわかったのです。アッカは灰色はいいろガンから、エーランド島の南のはしにおりてはいけない、そこには大砲がすえつけてあって、人間がそれをってきりらすのだ、と、おそわっていたのでした。だからアッカには、これですっかり方角ほうがくがわかったのです。もうこうなれば、だれにもまよわされるようなことはありません。
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11 エーランドとうの南のはし


四月三日 日曜日より 六日 水曜日まで
 エーランド島のいちばん南のはしに、オッテンビューという、古い王家おうけ領地りょうちがあります。これは島をよこぎって、きしから岸へとひろがっている、かなり大きなものです。
 ここには、ふしぎと、いつもたくさんの動物たちがんでいます。十七世紀せいきには王さまたちがエーランド島へよくりにおいでになりましたが、そのころは、領地ぜんたいがシカの猟苑りょうえんになっていました。それが十八世紀になりますと、競馬用けいばよう駿馬しゅんめっている飼養場しようじょうや、いく百というひつじのむらがっている飼羊場しようじょうとなりました。いまでは、いちばん東の岸にそって古い牧羊場ぼくようじょうがありますが、それは長さが四分の一マイルもあって、エーランド島一の大きな牧場まきばです。そこでは、家畜かちくたちがちょうど野原のはらにいるのとおなじように、すきなように草をたべたり、遊んだり、けまわったりしています。それから、そこには、百年もたったかと思われるカシワの木の森があります。これが、有名なオッテンビュー森で、この森の大きな木々は、動物たちに日かげをつくってくれますし、はげしい風をもふせいでくれます。もう一つわすれてはいけないのは、オッテンビューの長いかきです。これは島をよこぎって、オッテンビューとほかの土地とのさかいになっています。そして、この垣のおかげで、動物たちは、古い王家おうけ領地りょうちさかいめを知るのです。この古い領地には、野生やせいの動物たちも、たくさんむれをなしてやってきます。
 そのほか、むかしいたシカの子孫しそんも、まだ生きのこっています。その上、春や夏のおわりごろには、ここは、いく千という渡り鳥の休み場所になります。ことに、牧羊場ぼくようじょうの下のぬまの多い東の岸には、たくさんの渡り鳥がいおりて、草をたべたり、休んだりします。
 ガンたちとニールス・ホルゲルッソンが、やっとの思いでエーランド島にたどりついたときも、ほかの鳥とおなじように、みんなは牧羊場ぼくようじょうの下の海べにおりました。島の上も、海の上とおなじで、一めんにきりがたちこめていました。ところが、ニールスは、岸を見たとき、アッとおどろいてしまいました。なぜって、そこには、目のとどくかぎり、かぞえきれないほどの鳥が、うじゃうじゃしているではありませんか。
 見れば、長い砂浜すなはまがあって、そこには石や水たまりがあり、たくさんの海草かいそうが波にうちあげられています。もしもニールスが、すきなようにおしと言われたら、とてもこんなところへおりる気にはなれなかったでしょう。ところが、鳥たちのほうでは、ここをほんとうの楽園らくえんとでも思いこんでいるようすです。カモや灰色はいいろガンは、草地でさかんに草をたべています。水ぎわでは、シギやそのほかの海鳥たちが、はねまわっています。ウミガモは水の中にもぐっては、魚をつかまえています。なにしろ、ここにはたべものがどっさりあるので、たべものに不足ふそくしたというような話は、まだきいたことがありません。
 たいがいの鳥は、これからもまだ旅をつづけるのです。ですから、ちょっと休むために、ここへおりているのです。それぞれのむれの隊長たいちょうは、仲間のものが十分に元気をとりもどしたとみてとると、
「みんな、もういいかい? よければ、出かけるとしよう。」と、言うのでした。
「いいえ、待ってください、待ってください! まだそんなにたべていないんですよ!」と、仲間のものは言いました。
「おまえたち、まさか動けなくなるまで、たべさせてもらえると思っているんじゃないだろうな?」
 隊長たいちょうはこう言うと、ばたきして飛びたちました。けれど、すぐまたもどってこなければなりませんでした。だって、ほかのものたちが、あとにつづかないのです。
 波うちぎわの海草の山の下には、ひとむれの白鳥がいました。白鳥たちは陸の上にいかないで、波にゆられながら休んでいました。そして、ときどき長い首を水の中につっこんでは、海のそこからたべものをひろいあげました。なにかすばらしいえものをつかまえたときには、まるでラッパのような大きなさけび声をあげてよろこびました。
 ニールスは、浅瀬あさせに白鳥たちがいると聞きましたので、さっそく海草の山のほうへおりていきました。まだ一ども野生やせいの白鳥をそばで見たことがないのです。そして、さいわいにも、きょうは、すぐそのそばまで近よることができました。
 白鳥がいるという話を聞いたのは、ニールスひとりではありませんでした。ガンをはじめ、灰色はいいろガンもウミガモも、いそいで海草のほうへおよいでいきました。そして、みんなは白鳥たちのまわりにぐるっとになって、じっと白鳥たちを見つめました。白鳥たちははねをさかだて、つばさをのようにひろげて、首を高くのばしました。そして、ときどきそのなかの一、二が、ガンのところへいったり、大きなウミガモのところへいったり、また、モグリドリのところへいったりして、なにやら話しかけました。すると、話しかけられたほうは、気おくれがしてしまって、返事へんじをするために、くちばしをひらくことさえできないようでした。
 岸近くの海の上を、カモメとウミツバメが飛びまわって、魚をとっていました。
「どんな魚をとっているんです?」と、一のガンがたずねました。
「トゲウオだよ。エーランド島のトゲウオだよ。世界一のトゲウオさ。まだ、たべたことがないのかい?」と、一羽のカモメが答えました。そして、その小さな魚を口いっぱいくわえて飛んできて、ガンにやろうとしました。
「ウワァイ! そんなきたない魚がくえるかい?」と、ガンは答えました。
 つぎの朝は、くもっていました。ガンたちは、牧場まきばへいって、たべものをひろいましたが、ニールスははまべへいってかいを集めました。そこには、貝がたくさんありました。あしたは、きっと、たべもののないところにいくだろうと思いましたので、貝を持っていけるように、小さなふくろをこしらえようと思いました。牧場まきばでじょうぶなれたスゲを見つけて、それで旅行用りょこうようの袋をあみはじめました。なん時間もかかって、やっとつくりあげましたが、ニールスは、それに、たいへんまんぞくしました。
 おひるごはんのころ、ガンたちが、みんなでそろって走ってきました。そして、白いガチョウを見なかったかとたずねました。
「いいや、ぼくといっしょじゃなかったよ。」と、ニールスは答えました。
「ついさっきまでは、わたしたちといっしょだったんですが、どこへいったか見えなくなってしまったんですよ。」と、アッカが言いました。
 ニールスはびっくりして、思わずとびあがりました。キツネかワシでも出てきたのではないだろうか、それとも、人間でも近くにきたのではないだろうかと、ガンたちにたずねてみましたけれども、ひとりとして、そんな危険きけんなものを見たものはありません。おそらく、ガチョウはきりの中で道にまよったのでしょう。
 それはそうとしても、ともかくガチョウがいなくなってしまったということは、ニールスにとっては、たいへんな災難さいなんです。そこで、さっそく、さがしに出かけました。きりがかかっているので、だれからも姿を見られずに、どこへでも走っていくことができましたが、ニールス自身じしんも、霧のためにさきをよく見とおすことができません。ニールスは、海岸かいがんにそって南のほうへ走っていきました。そして、いちばん南のはしの燈台とうだいや霧を散らすために打つ大砲たいほうのところまでいってみました。あっちにもこっちにも、鳥がたくさんいますが、ガチョウの姿はどこにも見えません。で、思いきって、オッテンビューの領地りょうちの中にはいっていきました。そして、オッテンビュー森の中を、のこらずさがしてみましたが、やっぱりガチョウの足あと一つ見あたりませんでした。
 ニールスが、むちゅうになってさがしているうちに、いつのまにかくらくなってきました。もう東のきしにもどらなければなりません。足をひきずるようにして、みじめな気もちで歩いていきました。ああ、ガチョウが見つからなかったら、いったいどうなるだろう。なんとかして、見つけださなければならない。じぶんのためばかりでなく、大すきなガチョウのためにも!
 ところが、牧羊場ぼくようじょうを歩いていきますと、きりの中を、なにか大きな白いものが、こっちへむかってくるではありませんか。それこそ、ガチョウでなくてなんでしょう? ガチョウは、ぶじだったのです。そしていま、ようやくのことで、みんなのところへかえる道が見つかったものですから、たいそうよろこびました。霧のためにすっかりまよってしまって、一日じゅう、広い牧場まきばをうろつきまわっていたということでした。ニールスは、うれしさのあまり、ガチョウの首のまわりにうでをまきつけて、これからは気をつけて、もうみんなからはなれないようにしてくれ、とたのみました。するとガチョウは、もう二どとこんなことはしない、けっして、けっしてしない、と、かたく約束やくそくしました。
 ところが、そのつぎの朝、ニールスが浜べにいって、かいをひろっていますと、またもやガンたちが走ってきて、ガチョウの姿を見なかったかとたずねました。もちろん、ニールスはガチョウの姿を見てはいませんでした。そうしてみると、ガチョウは、またいなくなってしまったのです。きっと、きのうとおなじように、また、霧の中で道に迷っているのでしょう。
 ニールスはおどろいて、すぐさまさがしに出かけました。オッテンビューのかきに、一カしょこわれているところがありましたので、そこからよじのぼることができました。垣をこしますと、まずはまべをさがしていきました。そこは、だんだん広くなっていて、はたけ牧場まきば農場のうじょうをつくろうと思えばつくれるだけの余地よちは十分にありました。それからこんどは、島のまんなかにあるたいらな高台たかだいにのぼっていきました。そこには風車ふうしゃのほかは、建物たてものはなんにもありませんでした。そして、芝草しばくさがたいそううすいために、下の白い石灰質せっかいしつ地肌じはだかがやいてみえました。
 けれど、どうさがしてみても、ガチョウの姿は見えません。だんだん、夕やみがせまってきましたので、もう海岸にひきかえさなければなりません。いよいよ、旅の道づれをなくしてしまったと、思うよりほかはありませんでした。ニールスは、すっかりがっかりして、どうしていいのか、わからなくなりました。
 もう一ど、垣の上によじのぼったとき、すぐその近くで、石がガサガサ落ちる音がきこえました。なんだろうと思ってふりかえってみますと、垣の近くにつみかさねられている石の上で、なにかが動いているようです。そっとしのびよってみますと、おどろいたことに、あの白ガチョウのモルテンが、長いヒゲをいくつかくわえて、つみ石の上をよたよたと歩いているではありませんか。ガチョウのほうでは、少年の姿に気がついておりません。ニールスのほうでも、ガチョウに声をかけません。なぜって、ニールスとしては、どうしてガチョウがこんなふうにして、二どまでも姿をかくしてしまうのか、そのわけを、まず知りたいと思ったのです。
 そのわけは、すぐにわかりました。見れば、つみ石の上に、一の若いメスの灰色はいいろガンがすわっています。そして、その灰色ガンは、ガチョウのきたのを見ますと、うれしがって、大きな声をあげました。ニールスが、なおもそっと近よってみますと、ふたりの話がよくきこえました。それで、この灰色ガンはかたほうのはねをけがしたために、飛ぶことができないのだということがわかりました。そのため、仲間なかまのものは、この灰色ガンをたったひとり置きざりにして、飛んでいってしまったのです。灰色ガンは、おなかがへって、いまにも死にそうになっていたのですが、うんよく、きのう、白ガチョウがそのこえを耳にして、見つけてくれたのです。そしてそれからは、白ガチョウがほねをおってたべものをはこんでくれているのです。ふたりは、白ガチョウが島からいってしまうまえに、灰色はいいろガンのはねがすっかりよくなるようにとねがっていました。けれども、きょうになっても、まだ飛ぶことも歩くこともできません。それで灰色ガンは、たいへんかなしんでいましたが、白ガチョウは、じぶんはまだしばらく旅には出ないから、安心するように、と言って、なぐさめました。それからさいごに、ガチョウはさようならを言って、あしたまたくる約束やくそくをしました。
 ニールスは、ガチョウのあとを見おくって、その姿が見えなくなってしまったとき、こんどは、じぶんがそのつみ石の上にあがっていきました。ニールスは、白ガチョウにだまされたので、プンプンおこっていました。そして灰色ガンに、あのガチョウはじぶんのもので、これから、じぶんをラプランドまでつれていってくれようとしているところだから、おまえなんかのために、こんなところで、ぐずぐずしてはいられない、と言ってやろうと思っていたのです。ところが、ニールスはわかい灰色ガンのそばまでいったとき、おどろいてしまいました。なるほど、これでは、ガチョウが二日のあいだ、たべものをはこんでやったり、そのことを話そうとしなかったのも、むりはありません。灰色ガンは、見るからにかわいらしい、ちっちゃな頭をしています。はね毛は、しゅすのようにやわらかで、目には、おだやかな、うったえるような表情ひょうじょうをたたえています。
 灰色ガンは、ニールスの姿を見ますと、げようとしました。けれども、片ほうのはねきずついているために、地べたをばたばたやるだけで、動くことができません。
「こわがらなくてもいいよ。」と、ニールスは言いました。そして、さっき、おなかの中で考えていたような、おこったようすは、ほとんど見せませんでした。「ぼくはね、ガチョウのモルテンの友だちで、オヤユビ太郎っていうんだよ。」と、つづけて言いましたが、そこでつまってしまって、それからあとは、なんて言ったらいいのか、こまってしまいました。
 動物たちのなかにも、ときには、魔法まほうにかけられた人間ではないだろうかと思われるようなものがあります。この灰色はいいろガンにも、そんなようすがありました。ニールスが、じぶんの名まえを名のりますと、灰色ガンは、いかにもしとやかに頭をさげて、とうていガンとは思えないほどの美しい声で言いました。
「あなたが助けにいらしってくださいまして、あたくし、ほんとうに、うれしゅうございます。白いガチョウさんが、あなたほどかしこくて、よいおかたはないと申しておりましたわ。」
 その言いかたが、またとても品位ひんいがありましたので、ニールスは、すっかりまごついてしまいました。「これはたしかに、ただの鳥じゃないぞ。」と、ニールスは心の中で思いました。「きっと、どこかのおひめさまが、魔法まほうにかけられて姿をかえているんだな。」
 ニールスは、灰色ガンを助けたい気もちで、いっぱいになりました。そこで、小さな手を、ガンのつばさの下につっこんで、つばさのほねにさわってみました。すると、骨はおれてはいませんが、関節かんせつがはずれています。そこで、「さあ、いいかい」と、言いながら、くだのようになった骨をしっかりとつかんで、もとどおりに合わせました。こんなことをするのは、まれてはじめてですが、そのわりには、なかなかうまく、すばやくやってのけました。でも、かわいそうに、若い灰色ガンにとっては、どんなにひどくいたかったことでしょう。一声ひとこえするどい悲鳴ひめいをあげますと、そのまま、石のあいだにぱったりたおれて、じっと動かなくなってしまいました。
 ニールスは、すっかりあわててしまいました。ただ、助けてやりたいとばかり思ってしたことなのに、灰色はいいろガンをころしてしまったのです。ニールスは、つみ石の上からとびおりるが早いか、いっさんにけだしました。まるで、人間を殺したような気もちでした。
 あくる朝は、空はれわたって、きりもすっかりはれていました。アッカは、これから旅をつづけることにする、と言いました。ガンたちはみんな喜びましたが、白いガチョウだけは、いやがりました。ニールスには、ははあ、あの若い灰色ガンのそばをはなれたくないんだな、と、そのわけがよくわかりました。けれども、アッカはガチョウのことばには耳をもかさずに、出発しゅっぱつしました。
 ニールスは、ガチョウのせなかにとびのりました。白いガチョウは、いやいやながら、ノソノソとみんなのうしろを飛んでいきました。ニールスは、いっこくも早くこの島をはなれたいと思っていました。というのは、あの灰色ガンのことで、気がとがめてしかたがなかったからです。そしてまた、なおしてやろうと思っていたのに、あんなとんでもないことになってしまったいきさつを、ガチョウに話したくなかったのです。
「モルテンが、この話を知らないでいてくれれば、それよりいいことはない。」と、ニールスは思いました。でも、それといっしょに、どうして白いガチョウは、灰色ガンのところをはなれる気になったんだろう、と、ふしぎでたまりませんでした。
 ところが、そのうちに、ガチョウは、きゅうに、とんでいたむきをかえました。とうとう、若い灰色ガンのことを思う気もちのほうが、勝ってしまったのです。あの若い灰色ガンが、病気びょうきのまま、たったひとりのこされて、いまにもうえにするのではないかと思いますと、モルテンはみんなといっしょにいくことが、できなくなったのです。
 まもなく、ガチョウとニールスは、つみ石のそばにもどってきました。ところが、きょうは、石のあいだに若い灰色ガンの姿が見えないではありませんか。「ダンフィン! ダンフィン! どこにいるの?」と、ガチョウは大声で呼んでみました。
「きっと、キツネにさらわれたんだな。」と、ニールスは心の中で思いました。
 ところが、そのとき、「ここですよ、ガチョウさん、ここですよ! 朝の水あびをしておりましたの。」と、ガチョウに答える美しい声が聞こえてきました。そして、水の中から、小さな灰色ガンが、見ちがえるほど元気そうな姿をあらわしました。そして、灰色ガンは、
「オヤユビさんにつばさをなおしていただいたおかげで、すっかり元気になりました、みなさんとごいっしょに旅にいけますわ」と言いました。
 灰色ガンの、しゅすのようにつややかなはねの上には、しんじゅのような水のしずくがたまっていました。それを見たオヤユビくんは、この鳥はきっと小さなおひめさまにちがいない、とまた思いました。
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12 大きなチョウ


四月六日 水曜日
 ガンたちは、下のほうにはっきりと見える、長くのびた島にそって飛んでいました。ニールスは、気もはればれとしていました。きのう、ガチョウをさがしに島を歩きまわったときは、気がめいってしかたがありませんでしたが、きょうは、心からまんぞくしていました。
 島の内部にあるはだかの高地こうちと、海岸かいがんぞいのえた、よい土地が見えました。そのとき、ニールスは、ゆうべ聞いた話のいみが、ようやくわかりかけてきました。
 それは、ニールスがしばらく休もうと思って、高地にあるたくさんの風車ふうしゃの一つのそばにこしをおろしていたときでした。そこへふたりの羊飼ひつじかいが、イヌをつれ、たくさんの羊のむれをしたがえてやってきたのです。ニールスは、風車の階段かいだんの下にかくれていましたので、ちっともこわくはありませんでした。ところが、その羊飼いたちは、ニールスのかくれている階段の上にこしをおろしてしまったのです。ですから、ニールスは、そこにじっとかくれているよりほかはありませんでした。
 ひとりは若くて、見るからに羊飼ひつじかいらしいようすをしていました。しかし、もうひとりのほうは、年とっていて、すこしかわっていました。からだつきは、がっしりとふしくれだっているのに、頭は小さくて、しかも、とってもおだやかな、やさしそうな顔つきをしているのです。なんだか、頭とからだとが、しっくり合っていないような感じです。
 年よりのほうは、しばらくのあいだじっとすわって、なんともいえないほどつかれきったようすで、きりの中を見つめていました。それから、つれの者にむかって話しはじめました。若者わかもののほうは、ふくろの中からパンとチーズをとりだして、たべはじめました。そして、ほとんどひとことも言わずに、じっと、しんぼうして、年よりの話を聞いていました。そのようすは、しばらく、おまえさんがしゃべりたいようにしゃべらしておいてあげるよ、とでもはらの中で思っているようでした。
「エリークさんや、おまえさんになにか話をしてあげるとしよう。」と、年とった羊飼いが言いました。「わしはな、人間も動物も、いまよりずっと大きかった時代には、チョウもうんと大きかったと思うんだ。つまり、そのころは、からだの大きさがなんマイルもあって、はねといったら、海のように広いチョウがいたわけさ。そのはねは、たとえようもないほど青くて、ぎんのようにピカピカかがやいていた。だから、そのチョウが空を飛んでいるときには、どんな動物でも立ちどまって、思わず見とれてしまったものさ。
 ところが、ぐあいのわるいことには、からだが大きすぎるものだから、なかなかはねでうまくつりあいをとることができない。身のほどをわきまえて、陸地の上を飛んでいるあいだはよかったんだが、このチョウチョウさんは、それではがまんができなくなって、バルト海まで出ていったのさ。ところが、まだいくらもいかないうちに、あらしにおそわれて、はねやぶれはじめたんだ。なあ、エリークさんや、チョウのはねはもろいのに、相手はすさまじいバルト海の嵐なんだから、どうなったかは、おわかりだろう。みるみるうちに、はねはひきさかれ、めちゃめちゃになってしまう。そして、チョウは、海の中に落っこちてしまったのさ。さいしょのうちは、波の上をゆらゆらと、ゆられていたんだが、やがて、スモーランドの海岸ちかくの岩の上に、うちあげられた。そして、そのままそこに、大きなからだを、ながながとねそべらせてしまったのさ。
 ところで、エリークさん、もしこのチョウが、陸の上に落っこちたら、あっというまに、こなみじんになってしまったろうよ。ところが、海の中に落っこちたもんだから、だんだんに石灰水せっかいすいがしみこんで、しまいには、石のようにかたくなってしまったんだ。ほら、おまえさんも知ってのとおり、岸べには、よく、みょうな石があるだろう。あれは、みんな虫が化石かせきしたものなのさ。このチョウの場合ばあいも、やっぱりおんなじで、バルト海にねころんでいるうちに、そのまま、細長ほそながい岩になってしまったと、わしは思うんだ。おまえさんは、そうは思わんかね?」
 年よりは、ことばをきって、返事へんじを待ちました。すると、若者はうなずいて、「つづけておくれ。さきを聞きたいよ。」と、言いました。
「で、エリークさん、おまえさんやわしの住んでいる、このエーランドとうは、じつをいえば、いま話したチョウのからだなのさ。ちょいと考えてみさえすりゃ、この島が、チョウだったってことはすぐわかるよ。北のほうへいけば、細長いどうとまるい頭が見えるし、南のほうへいくと、下腹したはらが見えるんだが、こっちのほうは、はじめは広くて、それから、だんだんせまくなり、しまいには、とがってしまうんだ。」
 ここで年よりは、またことばをきって、相手の顔をのぞきこみました。相手が、じぶんの話をどう思っているだろうかと、気にしているようでした。けれども、若い羊飼ひつじかいは、あいかわらずたべつづけながら、さきを話してくれと、うなずいてみせました。
「それで、そのチョウが石灰岩せっかいがんになってしまうと、すぐにいろんな草や木のたねが、風にはこばれてきて、その上に根をやそうとしたものさ。ところが、そこがスベスベしたはだかの岩なもんだから、長いあいだ、スゲしかえなかった。しかし、だんだんに、ウシノケグサやモクセイソウやイバラなんかも生えてきたんだよ。けれども、この山の上のアルヴァレットでは、今日こんにちになっても、あまり物がそだたない。ここはよい土のそうがうすいので、たがやしたりたねをまいたりしようとする者がない。だがね、もしおまえさんが、わしの考えにさんせいして、このアルヴァレット山と、まわりの山壁やまかべとが、チョウのからだでできているとすれば、山壁やまかべの下の土地は、いったい、何でできていると思うね?」
「うん、まったくだ。」と、若者は、なおもたべながら言いました。「そいつをききたいね。」
「じゃ、話すがね。エーランド島は、なん年ものあいだ海の中によこたわっていたんだが、そのあいだには、海草かいそうだとか、すなだとか、かいだとか、いろんなものが波にはこばれてきて、島のまわりに集まったんだ。それから、東と西の山壁からは、石や砂利じゃりが落ちてきた。こうして、この島にもだんだん広い海べができて、そこに穀物こくもつや、花や、木がそだつようになったというわけさ。
 チョウのかたいせなかにあたる、この上では、ひつじや牛や子馬が、ぶらぶらしているだけで、鳥にしても、ナベゲリとチドリが住んでいるっきりさ。建物たてものといったら、風車と、おれたち羊飼いが雨つゆをしのぐ、石造りのおそまつな小屋が二つ三つあるだけさ。ところが、海岸のほうへおりていけば、大きな村もあるし、教会きょうかいもある。漁村ぎょそんもあれば、りっぱな町もあるんだ。」
 年よりは、さぐるように相手の顔を見ました。若者は、ちょうど食事しょくじをおえたところで、いましも袋の口をしめていました。そして、「あんたは、どこでその話をおしまいにする気かね?」と、言いました。
「いや、わしの知りたいのは、たった一つ。」と、羊飼ひつじかいは言いましたが、声をおとしましたので、まるで、ささやくようにしか聞こえませんでした。そして、その小さな目で、じっときりの中を見つめていましたが、その目は、この世にないものをさがしもとめて、つかれきっているようでした。「わしの知りたいのは、たった一つのことだけさ。つまり、山壁やまかべの下の農場のうじょうに住む百姓ひゃくしょうや、海からニシンをとってくる漁師りょうしや、ボルイホルムに住んでいる商人しょうにんや、夏になると、まいとしやってくる海水浴かいすいよくの客や、ボルイホルムの古いおしろのあとを見物して歩く観光客かんこうきゃくや、秋になると、ここへシャコをちにくる狩猟家しゅりょうかや、このアルヴァレットの上にすわって、羊や風車を描く画家がかや、そういう人たちのなかで、ひとりでも、この島が、もとは、大きなピカピカするはねで大空を飛びまわっていたチョウだったということを、知っている者があるかどうかということなのさ。」
「ああ、いや、」と、若い羊飼いが、きゅうに言いました。「夕がた、この山壁のはしにすわって、ふもとの森でナイチンゲールの歌うのを聞きながら、カルマール海峡かいきょうをながめれば、この島が、ほかの島とおなじようにしてできたものではないと思う者も、あるにちがいないよ。」
「それから、」と、年よりは話をつづけました。「この風車に、天までとどくくらいの大きなはねをつけてやろうという人は、ないもんかなあ。この島ぜんたいを海から持ちあげて、チョウのように飛ばすことのできる、大きなはねをさ。」
「あんたの言うことには、もっともらしいところがあるよ。」と、若者は言いました。「だって、この島の上に大空があかるく、ひろびろとひろがっている夏の夜なんかには、なんだか、この島が海から立ちあがって、空に飛んででもいきたいようなようすに見えることがあるもの。」
 年よりは、とうとう、若者を話の中にひきずりこんでしまいました。しかし、若者の言うことには、あまり耳をかしませんでした。そして、さらに声をひくくして言いました。
「このアルヴァレットにいると、どうして、そういうあこがれがこってくるのか、そのわけを、説明せつめいできる人があるかなあ。わしは、まいにちまいにち、そういうあこがれを感じるんだ。いや、ここへくるものは、みんなそういうあこがれを感じるようだ。そういうあこがれが、わしたちに起こってくるのは、この島ぜんたいが一のチョウで、そのチョウが、はねをほしがっているからだということを、わかる人があるだろうかなあ。」
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13 小カールとう


あらし


四月八日 金曜日
 ガンたちは、その夜、エーランドとうの北のはしですごしました。そして、これから陸地りくちへむかっていこうというのです。強い南風が、カルマール海峡かいきょうの上を吹いていて、ガンたちは、北へ北へとしもどされました。それでもみんなは、速力そくりょくをはやめて、ぐんぐん陸地りくちのほうへ飛んでいきました。けれども、いちばんさいしょの島々に近づきかけていたとき、ごうごうという、ものすごい物音が聞こえてきました。まるで、つばさの強い鳥が、むれをなして飛んでくるようです。みるみるうちに、海の水はまっくろになってしまいました。アッカは、きゅうにつばさをおさめて、空にじっとしていました。それから、すぐにいおりました。しかし、ガンたちが、まだ水の上におりきらないうちに、暴風ぼうふうがおそってきました。暴風は砂煙すなけむりをまきあげ、海のあわを吹きとばし、小鳥をふきまくりました。ガンたちも、暴風ぼうふうに追いまくられて、とうとう広い海に追い出されてしまいました。
 すさまじいあらしです。ガンたちは、なんどもなんども、ひきかえそうとがんばってみましたが、どうしようもありません。だんだん、バルト海のほうへ吹き流されていきました。いまはもう、エーランド島もすぎて、目に見えるものは、ただ、ひろびろとした灰色はいいろの海ばかりです。こうなっては、風にさからわないようにするほかありません。
 アッカは、とうてい陸地のほうへひきかえすことはできないと見てとりましたが、といって、暴風に吹き流されていくのもまずいと思いました。そこで、水の上におりました。海の波は、こく一刻と高くなり、はげしくあわをとばしています。まるで、たがいに高くなりっこをしたり、あわのとばしっこをしているようです。けれども、ガンたちは波のうねりをすこしもこわがりません。それどころか、かえって、とても喜んでいるようです。みんなは、およごうとはしないで、波のうねりに身をまかせて、ちょうど、赤ん坊が、ハンモックで喜ぶように、たのしんでいました。しばらくは、こうしてうまくいきました。でも、たった一つ心配なのは、みんなが、はなればなれになってしまうことです。そのとき、暴風ぼうふうに吹きまくられて、そばを飛んでいった陸鳥りくどりが言いました。「泳げるものは、いいなあ。危険きけんがないんだもの。」
 しかし、ガンたちにしても、まるっきり危険がないわけではありません。だいいち、波にゆられているうちに、たまらないほどねむくなってきました。それで、しょっちゅう首をまげて、くちばしをはねの下につっこんでは、うとうとしようとするのです。ですからアッカは、ひっきりなしにさけびつづけました。
「眠っちゃだめだ。眠ったものは、はぐれるぞ。はぐれた者は、死んでしまうぞ。」
 いくら眠らないでいようとがまんしてみても、つぎつぎに眠るものが出てきました。アッカ自身じしんでさえも、つい、うとうとしかけました。と、そのとたんに、なにかまるい黒いものが、波がしらにかびでました。
「アザラシだ! アザラシだ! アザラシだ!」と、アッカは、耳をもつんざくするどいさけび声をあげながら、はげしくばたきして、空に舞いあがりました。まさに、間一髪かんいっぱつです。さいごのガンが、水からあがったときには、あやうくアザラシに足をくわえられるところでした。
 こうして、ガンたちは、またも暴風ぼうふうの中にはいりましたので、ますますおきへ吹き流されました。暴風は、一時も休まず、ガンたちも、片時かたときもじっとしていることができません。もはや陸地は、かげも形も見えず、見わたすかぎり、はてしのない海が、つづいています。
 ガンたちは、思いきって、もう一ど海の上におりました。けれども、しばらく波にゆられているうちに、また眠くなってきました。そして、ほんとうに、うとうとしはじめたとき、またもやアザラシがやってきました。もしもそのとき、アッカが、すばやく目をさまさなかったら、一も助からなかったことでしょう。
 暴風は、一日じゅう休みもなくれくるいました。そして、この季節きせつに渡ってくる、たくさんの小鳥のむれを、さんざんな目にあわせました。小鳥たちの中には、道にまよって遠い国に吹き流され、そこで、うえ死にしたものもありますし、つかれはてて海に落ちて、おぼれ死んだものもあります。また、絶壁ぜっぺきにたたきつけられて、むざんな死にかたをしたものもあれば、アザラシのえじきになったものもあります。
 とうとう、さすがのアッカも、いよいよ、じぶんたちのむれも、おしまいかと思うようになりました。いまはもう、すっかりつかれきってしまいました。しかも、どこを見まわしても、休むようなところはありません。夕がたになりますと、海の上におりるわけにもいかなくなりました。というのは、とつぜん、大きなこおりのかたまりが、あっちにもこっちにもあらわれてきて、たがいにぶっつかりあっているのです。ですから、海の上におりたがさいご、そのあいだにはさまれて、こなごなにされてしまうでしょう。そこで、ガンたちは、二どばかり氷のかたまりの上におり立とうとしました。ところが、一どは暴風に吹きまくられて、水の中に落ちてしまいましたし、もう一どは、むじひなアザラシが、その氷のかたまりの上にまで、はいあがってきたのです。
 お日さまの沈むころ、ガンたちはもう一ど、空にいあがりました。みんなは、夜のくるのをおそれながら、飛びつづけました。危険きけん今夜こんやにかぎって、なんだか、早く暗くなるような気がしてなりません。
 しかも、おそろしいことに、陸地は、まだ見えないではありませんか。一晩ひとばんじゅう、海の上にいなければならないとしたら、いったい、どうなることでしょう? おそらく、氷のかたまりのあいだにはさまれて、しつぶされてしまうでしょう。でなければ、アザラシにくわれるか、暴風ぼうふうのために、はなればなれになってしまうよりほかありません。
 空は、一めんに雲でおおわれて、月は、姿をかくしています。たちまちのうちに、まっくらやみになりました。と、どうじに、あらゆるものが、おそろしさにみちみちて、どんな勇気のある人でも、思わずひるんでしまうほどでした。弱りはてた渡り鳥たちの、助けをもとめるさけび声が、一日じゅう、むなしく、海の上にひびいていました。しかし、その声のぬしの姿も、見えなくなったいまでは、ひっしのさけび声が、かなしく、おそろしくひびきました。海の上では、氷のかたまりが、すさまじい音を立てながら、ぶっつかりあっています。アザラシたちは、あらあらしいりの歌をうたっています。まるで、天と地とが、いまにも、くずれようとしているかのようです。

ひつじ


 ニールスは、しばらく海を見おろしていました。と、とつぜん、海がまえよりも、はげしいうなり声をあげているような気がしました。はっとして、目をあげてみますと、じぶんのまっ正面しょうめんに、しかもたった二メートルのはなさきに、ものすごい絶壁ぜっぺきが、きり立っているではありませんか。その足もとには、波がまっ白なあわをとばして、くだけっています。ガンたちは、そのがけめがけて、ま一文字もんじに飛んでいくのです。ニールスは、いまにもその崖にぶっつかって、こなごなになってしまうのではないかと、ハラハラしました。けれども、ガンたちは、あっというまに、その崖を飛びこえてしまいました。すると、前のほうに、ほらあなに通じる半円形はんえんけいの入口が見えました。ガンたちは、その中に飛びこんで、ようやく安全あんぜんになりました。
 みんなは、じぶんの身の安全をよろこぶまえに、まず考えたことは、仲間なかまのものが、ぶじにいたかどうかということでした。見ると、たしかにアッカをはじめ、ユクシ、コルメ、ネリエー、ヴィシ、クウシ、それから六の若いガン、それにガチョウとダンフィンとオヤユビくんがいます。でも、左の列の先頭せんとうを飛ぶカクシの姿が見えません。しかも、だれひとり、カクシがどうなったかを知っているものはないのです。
 ガンたちは、仲間からはぐれたのが、カクシひとりだと知りますと、たいして気にしませんでした。だって、カクシは年もとっていて、りこうなガンです。それに、道もよく知りつくしていますし、仲間の習慣しゅうかんなども、よく知っているのです。ですから、カクシなら、きっといつかは、もどってくるでしょう。
 それから、ガンたちは、ほら穴の中を見まわしました。入口からさしこんでくる光のおかげで、そのほら穴が、深くてひろいことがわかりました。みんなは、こんなりっぱな夜の宿やどが見つかったことを、心から喜びました。と、そのとき、仲間のひとりが、暗いすみっこのほうに、キラキラしたみどりてんが、いくつも光っているのを見つけました。
「あれは目だ!」と、アッカがさけびました。「このほら穴の中には、大きな動物がいるぞ!」
 みんなは、あわてて入口のほうへ飛びだしました。けれども、やみの中でもよく見えるオヤユビくんがさけびました。「げなくてもだいじょうぶだよ! ひつじが二、三びき、かべのそばにねているだけだから!」
 ガンたちは、ほらあなの中のほのかな光に目がなれてくるにつれて、羊たちが、はっきり見えてきました。おとなの羊たちは、ガンたちと同じくらいいるようです。なおそのほかに、子羊が二、三びきいます。長い、まがったつののある年とった牡羊おひつじが、そのむれのかしらのように見えます。ガンたちは、なんども、おじぎをしながら、その前に進みでました。そして、「いいところで、お目にかかりました!」と、あいさつしましたが、大きな牡羊おひつじは、ねころんだまま、ひとことも、かんげいのあいさつをしてはくれませんでした。
 ガンたちは、羊のほらあなの中に、じぶんたちがはいりこんだので、きっと羊たちがきげんをわるくしているのだろうと思いました。「わたしどもが、ここへはいってまいりまして、さぞご不快ふかいでしょうが、」と、アッカが言いました。「なにしろ、暴風に吹き流されて、どうしようもなかったのです。一日じゅう、吹きまくられてしまいました。こんや一晩ひとばんだけめていただければ、まことにしあわせなんですが。」
 しばらくしてから、羊の中の一ぴきが、なにか答えましたが、そのとき、そばにいる二、三びきのものが、深いためいきをつきました。アッカは、いぜんから、羊というものは、内気うちきで、かわった動物だということは知っていましたが、この羊たちは、そうではなくて、どうしたらいいのか、こまっているようすです。
 とうとう、かなしげな、長い顔をした年よりの牝羊めひつじが、あわれっぽい声で言いました。「だれひとり、あなたがたをおめするのをいやがったりするものはございません。けれども、ごらんのとおりのあばらですから、いぜんのように、お客さんをおむかえするわけにいかないのです。」
「どうぞ、そんなことは気になさらないでください。」と、アッカはいそいで言いました。「きょうは、一日じゅうひどい目にあっているものですから、ただ安心してねむれる場所さえあれば、うれしいのです。」
 アッカがこう言いますと、その牝羊めひつじは、からだをこして言いました。「いえ、ここへおまりになるよりは、あらしの中を飛びまわっているほうが、まだましでしょうよ。でも、そのまえに、できるだけのおもてなしはいたしますが。」
 それから、牝羊めひつじは、水のいっぱいたまっている、くぼんだところへ案内あんないしていきました。そのそばには、モミガラやキリワラが、高くつまれています。牝羊はそれを見せて、たくさんしあがってください、と、ガンたちに言いました。「ことしの冬は、ひどい雪でしてね。わたしどもをっているお百姓ひゃくしょうさんが、ホシグサやカラスムギのワラを持ってきてくれなかったら、わたしどもは、うえ死にするところだったんですよ。ここにあるのは、その残りなのです。」
 そう言われて、ガンたちはすぐさまそのたべものにとびつきました。みんなは、うんがよかったと思って、大よろこびでいました。もちろん、羊たちがたいそう心配そうにしているようすを見てはいましたが、羊というものは、ひどくおくびょうな動物だということを知っていましたから、まさか、ほんとうの危険きけんがせまっていようなどとは、ゆめにも思いませんでした。ですから、みんなは、はらいっぱいたべてしまいますと、いつものように、すぐ眠るつもりでいました。すると、大きな牡羊おひつじが立ちあがって、ガンたちのほうへやってきました。ガンたちは、こんな大きな、がっしりとしたつののある羊を、まだ見たことがありませんでした。しかも、そればかりではなく、ひたいは高くこぶのようになっていて、目は、りこうそうで、態度たいどはじつにりっぱです。いかにも、どうどうたる勇敢ゆうかんな動物のように見えます。
「わたしどもとして、あなたがたをここにおめするからには、ここが安全あんぜん場所ばしょではないということを、申しあげておかなければなりません。」と、その牡羊おひつじは言いました。「いまのところ、わたしどもは、夜のお客はみんなおことわりしているのです。」
 アッカにも、ようやく、これはまじめで言っているのだということが、わかってきました。そこで、「あなたがたがおのぞみなら、出てもいきますが、そのまえに、いったい何でおこまりになっているのか、お話しねがえませんか? わたしどもには、何のことやらさっぱりわかりません。だいいち、どこへ来てしまったのかさえもわからないのです。」と、アッカは言いました。
「ここは、小カールとうです。」と、牡羊おひつじは答えました。「ゴットランド島の西にあたります。そして、ここには羊と海鳥しか住んでおりません。」
「そうすると、あなたがたは、野育のそだちなんですね?」と、アッカはたずねました。
「ええ、そう言ってもいいでしょうね。」と、牡羊は答えました。「人間とは、なんの関係かんけいもないのですから。われわれと、ゴットランド島の、ある農園のうえんのお百姓ひゃくしょうさんたちのあいだには、むかしから、取りきめがあるのですよ。つまり、冬の雪がふるころになると、お百姓さんたちは、われわれにかいばを持ってきてくれる。そのかわりに、われわれのあいだから、多すぎるものをつれていってもいいということになっているのです。この島は、ひじょうに小さいものですから、あんまりたくさんいては、とてもやしなっていけないのです。しかし、そのほかのことについては、一年じゅう、じぶんたちでしまつしなければなりません。そんなわけで、われわれは、戸やじょうのついた小屋には住まずに、こんなほらあなの中にいるのですよ。」
「なんですって? 冬でもこんなところにいるんですか?」と、アッカはびっくりして、ききかえしました。
「もちろんです。」と、牡羊おひつじは答えました。「この山の上には、一年じゅう、いいかいばがありますからね。」
「そうしてみると、あなたがたは、ほかの羊よりもいいおらしをなさっているように思われますが、」と、アッカは言いました。「いったい、その不幸ふこうというのは、どんなことですか?」
「じつは、こういうわけです。」と、牡羊は話しだしました。「きょねんの冬は、ひどい寒さで、海がすっかりこおってしまいました。すると、三びきのキツネが、その氷の上をわたってきましてね、それいらい、ここに住みついているのです。あいつらさえいなければ、この島には危険きけんな動物は一ぴきもいないのですがね。」
「だけど、あなたがたのような動物をも、キツネはおそってくるんですか?」
「いや、昼間ひるまはそんなことはありません。昼間なら、じぶんをも家族かぞくをもまもれます。」と、牡羊はつのをふりながら言いました。「ところが、あいつらは、夜、われわれがほらあなで眠っているときに、こっそり、しのんできて、おそいかかるのです。もちろん、できるだけ目をさましているようにしてはいますが、だれだって、すこしは眠らなければならないでしょう。やつらは、そこをねらっているのです。ほかのほら穴の羊は、もうみんな殺されてしまいましたよ。わたしの家族と同じくらいのむれがいたのですが。」
「あたしたちが、こんなにいくじのないことをお話ししなければならないなんて、ほんとにおはずかしいことです。」と、こんどは、年よりの牝羊めひつじが言いました。「あたしたちが、もしわれている羊でしたら、もうすこしどうにかなるかもしれませんけれど。」
「キツネは、こんやもくるとお思いですか?」と、アッカがききました。
「まず、くると思うよりほかありませんね。」と、年よりの牝羊めひつじが答えました。「あいつらは、ゆうべもやってきて、子羊をさらっていったんですよ。わたしたちが、一ぴきでも生きのこっているあいだは、かならずやってきますね。ほかのほら穴でも、そうだったんですから。」
「しかし、このままほうっておけば、あなたがたも、ぜんめつしてしまいますね。」と、アッカは言いました。
「ええ、このあんばいでは、小カール島に、羊が一ぴきもいなくなる日は、ちかいでしょうよ。」と、牝羊めひつじはため息をつきながら言いました。
 アッカは、どうしたものかとまよっていました。また、あらしの中へ出ていくのもいやですし、そうかといって、そんなおそろしいお客のくる家にいるのも、ありがたいことではありません。アッカはしばらく考えてから、オヤユビくんにむかって、「いままでも、たびたび助けてもらいましたが、こんども、なんとか助けてはもらえませんか?」と、言いました。
 すると、ニールスは、よろしい、しょうちした、と、答えました。
「あなたが眠ることができないのは、ほんとにお気のどくですが、」と、アッカは言いました。「どうか、こんやも目をさましていて、キツネがきたら、われわれを起こしてくれませんか。そうすれば、われわれはぶじにげられますからね。」
 これはありがたいやくめではありませんが、嵐の中にまた出ていくよりは、ずっとましです。そこで、ニールスは、目をさましていようと約束やくそくしました。
 ニールスは、ほらあなの入口にいって、嵐をよけるために、石のかげにはいりこんで、見はりをはじめました。
 しばらくそこにすわっているうちに、嵐はしだいにしずまってきました。やがて、空は晴れあがって、お月さまの光が、波の上にたわむれはじめました。ニールスは入口に歩いていって、外をながめました。このほら穴は、山のかなり高いところにあって、ここへはけわしい小道がたった一つ通じているだけです。たぶんキツネは、この小道をやってくるのでしょう。
 まだ、キツネの姿は見えませんが、そのかわり、とんでもないものが見えました。ひと目見ただけで、ニールスは、ふるえあがってしまいました。山の下の、わずかなはまべに、大男やら、石で造ったなにかきみのわるいものが、いくつもいくつも、立っているのです。ひょっとすると、これは、ほんとうの人間かもしれません。さいしょは、ゆめをみているのだろうと思いました。でも、すぐに夢ではないことが、はっきりしてきました。大きな男の姿が、たしかに見えるのです。どうしたって、目のせいではありません。浜べに立っているものもあれば、まるでよじのぼろうとするように、山にぴったりとくっついているものもあります。大きな頭をしているものがあるかと思えば、ぜんぜん、頭のないものもあります。また、うでが一本しかないものもありますし、せなかとむねに、こぶをしょいこんでいるものもあります。ニールスは、いままで、こんなへんてこなものを見たことがありません。
 ニールスは、そこに立ったまま、あまりのきみわるさに、ふるえあがっていました。それで、キツネの見はりをしていることは、まるで忘れていました。と、そのとき、ガリガリと、石につめのぶっつかる音が聞こえました。見ると、三びきのキツネが、がけをのぼってきます。ニールスは、いよいよてきがやってきたなと思ったとたんに、心がすっかりおちついて、いままでのこわい気もちは、どこかへきえてしまいました。それにしても、ガンたちだけをこして、羊たちを見殺みごろしにしてしまうのはかわいそうです。そこで、なんとか工夫くふうをして、助けてやりたい、と、思いました。
 そう思ったとたんに、ニールスは、ほらあなの中に大いそぎでけもどって、大きな牡羊おひつじつのをゆすってこしました。そして、すぐさま、そのせなかにとびのりました。「さあ、起きるんだよ、おじさん、キツネのやつらを、ちょっとおどかしてやろうじゃないか!」と、ニールスはささやきました。
 ニールスは、できるだけ静かにしようとしましたが、それでも、キツネたちは物音を聞きつけたのにちがいありません。ほら穴の入口まできますと、はたと立ちどまって、考えこんでしまいました。
「たしかに、なにか動いたぞ。」と、一ぴきのキツネが言いました。「目がさめてるんだろうかな。」
「おい、ちょっといってみろ。」と、もう一ぴきのキツネが言いました。「なんにしたって、やっこさんたち、おれたちに、むかえっこねえんだから。」
 キツネたちは、ほら穴の中にかなりはいったところで、また立ちどまって、かぎまわし[#「かぎまわし」はママ]ました。「こんやは、どいつをとってやろうか?」と、いちばんさきのキツネが小声で言いました。
「こんやは、あのでかい牡羊おひつじをとろうぜ。」と、いちばんあとのキツネが言いました。「そうすりゃ、あとのやつらはわけなしさ。」
 ニールスは、牡羊のせなかにまたがって、キツネがしのびよってくるのを見ていました。そして、
「それっ、まっすぐにけ!」と、牡羊に、ささやきました。
 牡羊は、もうれつに突っかけました。みるまに、先頭せんとうのキツネは、ほうほうのていで、入口に突きもどされました。
「それっ、こんどは左へけ!」と、ニールスは言って、牡羊おひつじの頭を左に向けました。牡羊は、またもはげしく突っかけて、二ばんめのキツネのわきばらを突きさしました。すると、キツネはなんどもころげまわってから、ようやく立ちあがってげだしました。ニールスは、三ばんめのやつも、突いてやろうと思いましたが、そいつは早くも逃げていってしまいました。
「あのくらい、やっつけておけば、今夜こんやのところはたくさんさ。」と、ニールスは言いました。
「わしもそう思います。」と、大きな牡羊おひつじが言いました。「さあ、わしの毛の中にもぐりこんで、ねころんでください! あんなにひどいあらしの中を、おもてにいて、ばんをしていてくださったんだから、こんどはあたたかく、気もちよくやすんでください。」

地獄穴じごくあな


四月九日 土曜日
 そのつぎの日、大きな牡羊おひつじは、ニールスをせなかにのせて、島を案内あんないしてまわりました。この島は一つの大きな岩でできていました。そして、まっすぐ切り立ったかべと、ひらたい屋根やねとを持った、大きな家のようでした。牡羊は、まずさいしょに、その岩の屋根にのぼって、ニールスに、そこの牧草地ぼくそうちを見せました。ニールスは、この島がとくに羊のためにつくられているような気がしました。というのは、この山には、スカンポや、羊のすきなかおりのいい小さい草のほかは、ほとんど何もえていないのです。
 けれども、がけの上に出れば、羊のすきな草のほかに、まだ見るものがありました。それは、広い広い海です。いまは、お日さまの光をうけて、青々とかがやき、ピカピカした白い波をうねらせています。あちこちのみさきには、波がくだけて、まっ白にとびちっています。東のほうには、なだらかに長くのびた、ゴットランドとう海岸線かいがんせんが見えます。南西には、大カール島が横たわっていますが、この島も小カール島と同じようにつくられたもののようです。牡羊おひつじが、岩屋根のずっとはしにまで歩みよりますと、山壁やまかべが見おろせました。見ると、そこには鳥のがいっぱいありました。その下の青い海では、いろんな種類しゅるいのカモメやカモやウミガラスやウミスズメなどが、さかんに小さなニシンをとっていました。そのありさまは、いかにものどかで、たのしそうでした。
「ここは、ほんとうにめぐまれた土地とちだね。」と、ニールスは言いました。「きみたちは、まったくいいところに住んでいるんだね、ひつじのおじさん。」
「もちろん、ここはすばらしいところです。」と、牡羊おひつじは言いました。まだなにかつけくわえて言いたいようすでしたが、なにも言わないで、ただため息をつきました。「このへんを、ひとりでぶらぶらなさるときには、この山のほうぼうにあるけめに気をつけなければいけませんよ。」と、牡羊おひつじは、しばらくたって言いました。これは、ありがたい忠告ちゅうこくです。言われてみれば、なるほど、あちこちに深くて広いけめがあります。その中でいちばん大きいのを、じぶんたちは「地獄穴じごくあな」と呼んでいる、と、牡羊は説明しました。その裂けめは、深さがいくひろもあって、広さも一ひろぐらいはあるということです。「その穴に落っこちたら、それこそおしまいですよ。」と、牡羊は言いました。ニールスは、牡羊の言ったことばには、なにか、特別ないみが、あるような気がしました。
 それから、牡羊おひつじは、ニールスをせまいはまべに案内あんないしていきました。そこには、ゆうべあんなにこわかった巨人きょじんが目の前にずらりとならんでいます。いま見れば、それは大きな岩柱いわばしらではありませんか。ニールスは、もしも、石になったおにというものがあるならば、きっと、こんなふうに見えるにちがいない、と思いました。
 下の浜べも美しいところでしたが、ニールスは、山の上のほうがずっとすきでした。だって下のほうは、きみが悪くてたまりません。なにしろ、あっちにもこっちにも、羊の死がいが、ごろごろしているんですから。つまり、キツネたちは、いつもここでえものっては、大さわぎをするのでした。にくだけ食ってしまって、骨ばかり残っているのや、半分ぐらい食いちらかしたのや、ほとんど手もつけてないのや、ともかく、見るもむざんなありさまです。これを見れば、キツネのやつらが、ただおもしろ半分に、羊をおそっては、き殺しているのだということがわかります。
 大きな牡羊は、死がいの前に立ちどまらないで、だまってそばを通りすぎました。けれども、ニールスは、そのおそろしい光景こうけいをすっかりながめました。見ないではいられなかったのです。
 それから、牡羊おひつじはまた山の上にのぼりました。そして、立ちどまって、言いました。「もし力があって、かしこいかたが、この悲惨ひさんなありさまをごらんになれば、キツネどもがばつをうけないうちは、じっとしてはいらっしゃれないでしょう。」
「しかし、キツネだって、生きていかなければならないからね。」と、ニールスは言いました。
「そりゃあ、そうですとも。」と、大きな牡羊は言いました。「じぶんが生きていくのに、必要ひつよういじょうの動物を殺さないものは、生きていたっていいですがね。ところが、あいつらときたらまったくひどいんですよ。」
「この島の持ちぬしのお百姓ひゃくしょうさんたちがきて、きみたちを助けそうなものだがね。」と、ニールスは言ってみました。
「お百姓ひゃくしょうさんたちは、なんどもきたんですが、」と、牡羊は答えました。「キツネのやつらは、いつもあなけめにはいりこんでかくれてしまいますから、とうにも射つことができないんですよ。」
「おじさん、きみたちやお百姓さんたちでも、どうすることもできなかったんだから、ぼくみたいなちっぽけなものには、あいつらをやっつけることなんか、とうていできないね。」
「小さな、すばしこい者のほうが、いろんなことをうまくやってのけるものですよ。」と、大きな牡羊おひつじが言いました。
 ふたりは、このことについては、それいじょう何も話しませんでした。そして、ニールスは、山の上で草をたべているガンたちのところへいって、そのあいだにすわりました。牡羊のまえでは、じぶんの気もちをあらわしはしませんでしたが、ニールスは、心の中では羊たちの悲しい運命うんめいを、たいへん気のどくに思っていたのです。そして、なんとかして、助けてやりたいと思っていたのでした。「とにかく、アッカやガチョウのモルテンに、話してみよう。」と、ニールスは思いました。「なにか、いいちえを、かしてくれるかもしれない。」
 それからしばらくたって、白いガチョウは、ニールスをせなかにのせて、山の平地へいちをよこぎり、地獄穴じごくあなのほうに、むかっていきました。
 ガチョウは、なに一つさえぎるもののない山のいただきを、へいきで歩いていきました。じぶんのからだが、まっ白で大きいなどということは、まるで考えてもいないようです。草むらや土のりあがったところをさがして、かくれようとするわけでもなく、かまわずまっすぐに、歩いていきます。ちっとも用心をしないのは、まことにふしぎです。なぜって、きのうのあらしのために、けがをしているらしいのですから。右足はびっこをひいていますし、左のつばさは、まるで折れてでもいるように、地べたにひきずっているのです。
 ガチョウは、危険きけんなどは、まるでないというような顔つきで、ぶらぶら歩きまわっては、あちこちで、草の葉をつついています。ちっとも、あたりに気をくばってはおりません。ニールスも、ガチョウのせなかにながながとねそべって、青い空を見あげています。いまでは、乗っていることにもなれてきましたので、ガチョウのせなかの上で、立ったり、ねころんだりすることもできたのでした。
 ガチョウも、ニールスも、こんなにのんびりしていましたので、いましも、三びきのキツネが、山の上に姿をあらわしたのには、もちろん、気がつかないようでした。
 キツネのほうは、何もない平地へいちで、ガチョウをつかまえることは、とてもむりだと知っていましたから、さいしょのうちは、ガチョウのあとを追うのは、よそうと思いました。けれども、そのうちに、がまんができなくなって、とうとう、長いけめの一つの中にとびこんで、こっそりと、ガチョウのほうに近よろうとしました。キツネたちは、注意ちゅういぶかく、そっと、近づいていきましたので、ガチョウの目には、キツネのかげさえはいらないようでした。
 キツネたちが、あまり遠くないところまできたとき、ガチョウは、飛びあがろうとしました。つばさをひろげて、ばたいてみましたが、からだがうまく持ちあがりません。キツネたちは、ガチョウが、飛ぶことができないと見てとりますと、いきおいづいて前進ぜんしんしました。そして、もう裂けめの中にじっとかくれていることができなくなって、穴からとびだしました。キツネたちはなるべく草むらや岩かげに、身をひそませながら、だんだん、ガチョウに近づいていきました。それでも、ガチョウのほうは、まだ、ねらわれているとは、ゆめにも知らないようすです。とうとう、キツネたちは、もうすこしでガチョウにおどりかかれるほど、ちかくまでせまりました。そして、ここぞとばかり、三びきいっせいに、ガチョウめがけておどりかかりました。
 ところが、間一髪かんいっぱつのところで、ガチョウは感づいたのにちがいありません。さっと、わきへとびのきました。キツネどもは、もののみごとに失敗しっぱいです。けれども、まだまだ危険きけんはせまっています。なにしろ、ガチョウは、ほんの二メートルぐらいさきへいっただけなのですから。おまけに、びっこをひいているではありませんか。そしてガチョウのモルテンは、あわれにも、一もくさんにげていきます。
 ニールスは、ガチョウのせなかに、うしろむきにすわって、キツネたちにむかってさけびました。
「きさまたちは、羊のにくってふとりすぎたな。やい、キツネめ。ガチョウさえつかまえられないじゃないか。」と、さかんにからかいました。いかりくるったキツネたちは、われをわすれて追いかけました。
 白いガチョウは、あの大きなけめのほうへ、まっすぐに走りました。そこまでいくと、つばさをひとうちして、ひらりと、飛びこえました。すぐそのあとには、キツネたちがせまっています。
 ガチョウは、地獄穴じごくあなを飛びこえてからも、まえと同じように、早く走りつづけました。けれども、二メートル走ったか走らないうちに、ニールスが、ガチョウの首をたたいて言いました。
「もう、とまってもいいよ、モルテンや!」
 そのしゅんかんに、うしろのほうで、ものすごいさけび声とどうじに、つめでガリガリひっかく音、つづいてズシーンと、からだが落ちる音が聞こえました。そしてもう、キツネの姿は見えませんでした。
 あくる朝、大カールとう燈台守とうだいもりは、戸口の下に、一枚の木の皮がさしこんであるのを見つけました。それには、かどばった字で、「小カール島のキツネどもが、地獄穴じごくあなに落っこちたよ。早くいってごらん!」と、ほりつけてありました。
 そこで、燈台守は、言われたとおりにいってみました。
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14 二つのみやこ


海のそこの都


四月九日 土曜日
 おだやかな、よく晴れた夜でした。もう、ガンたちは、ほらあなの中にかくれて眠る必要ひつようはありません。みんなは山のいただきに立って眠りました。ニールスはそのそばのみじかいれた草の中にねころんでいました。
 お月さまが、あかるくかがやいていましたので、ニールスは、ながいこと眠れませんでした。そして、ねころんだまま、家を出てから、もうどのくらいたつだろう、と、ふと思いました。かぞえてみますと、あれからもう三週間になります。すると、こんやは復活祭ふっかつさい前夜ぜんやということになります。
「ブローキュッラから、魔女まじょたちが家へやってくるのは、こんやだな。」ニールスはそう思いながら、ちょっと笑いました。というのは、妖精ようせいとか、小人こびとのようなものは、ふだんからこわがっていましたが、魔女なんてものが、この世の中にいるとは信じていませんでしたから。
 こんや、もし魔女がくるとすれば、きっとニールスにも見えるにちがいありません。なにしろ、空はこんなにあかるく晴れわたっているのですから、これでは、どんなにちっぽけな点でも、動いてさえいれば、かならず見えるはずです。
 そんなことを、あれやこれやと考えながら、あおむけにねころんで、空を見あげていますと、なんだか、とても美しいものが見えてきました。お月さまは、かなり高いところで、まんまるくあかるくかがやいていました。すると、お月さまのおもてをかすめて、一の大きな鳥が飛んできました。まるで、お月さまの中から飛びだしてきたようです。その鳥の姿は、あかるいお月さまを背景はいけいにして、黒く見えました。ひろげたつばさは、ちょうどお月さまのはしから、はしまでとどいています。からだは小さくて、細長い首と、細長い足をしています。ニールスはすぐに、コウノトリにちがいない、と気がつきました。
 まもなく、コウノトリのエルメンリークくんが、ニールスのそばにおりてきました。コウノトリは、からだをまげ、くちばしでニールスをつついて、こしました。
 すぐに、ニールスは起きあがりました。「ねむっちゃいないよ、エルメンくん、」と、ニールスは言いました。「どうしてこんなよなかに出かけてきたの? グリンミンゲじょうはどんなぐあい? アッカおばさんにいたいのかい?」
「こんやは、ねるのにはもったいないくらい、あかるいでしょう、」と、エルメンリークくんは答えました。「だから、なかよしのオヤユビさんをたずねに、カール島まで飛んできたんです。あなたが、こんや、ここにいらっしゃることは、カモメくんから聞きましたからね。わたしはまだ、グリンミンゲ城へはうつらずに、あいかわらずポンメルンに住んでいるんですよ。」
 ニールスは、エルメンリークくんがたずねてきてくれたのを、心からよろこびました。ふたりは、古い友だちどうしのように、つぎからつぎへといろんな話をしました。さいごに、コウノトリは、こんなに美しいばんなんだから、しばらくいっしょに遊びにいってみないか、と言いだしました。
 ニールスは、お日さまののぼるまえに、ガンたちのところへつれて帰ってくれるなら、もちろん喜んでいきたい、と言いました。コウノトリは、そうすると約束やくそくしました。そこで、ふたりは出かけました。
 エルメンリークくんは、またもやお月さまをめがけて、まっすぐに飛んでいきました。高くのぼればのぼるほど、海は下へ下へと、沈んでいきました。けれども、コウノトリの飛びかたが、とってもじょうずで、いかにもふんわりとしていましたので、乗っているニールスは、まるで空にじっととまっているような気がしました。
 エルメンリークくんがおりはじめて、下へいたとき、ニールスは、こんどはいやに早かったな、と思いました。けれども、ほんとうは、とても遠くまで飛んできたのです。なぜなら、コウノトリは、ニールスをおろしたとたんに、口をひらいて、「ここは、ポンメルンです。あなたは、ドイツにいるんですよ、オヤユビさん。」と、言いました。それを聞いて、ニールスはあきれかえってしまいました。じぶんが外国にきていようなんて、ゆめにも知らなかったのですから。ニールスは、すばやくあたりを見まわしました。ふたりは、やわらかい、美しいすなでおおわれている、さびしいはまべに立っていました。海べにそって、テンキ草のえている砂丘さきゅうが、長くつづいています。その砂丘は、あまり高くはありませんでしたが、ニールスには、陸地りくちのほうが見えませんでした。
 エルメンリークくんは、砂丘の上に立って、片足をあげ、頭をうしろにそらせて、くちばしをつばさの下につっこみました。
「わたしが休んでいるあいだ、しばらく浜べをぶらついてきてもいいですよ。」と、コウノトリはオヤユビくんに言いました。「けれども、またここへもどってこられないとこまりますから、あんまり遠くへいっちゃだめですよ。」
 ニールスは、まず、むこうの陸地りくちがどんなふうか見ようと思って、砂丘さきゅうの一つにのぼろうとしました。ところが、二、三歩あるいたかと思うと、なにかかたいものが、木靴きぐつの先にぶっつかりました。からだをかがめてみますと、砂の上にすっかりさびついた、小さな銅貨どうかが、一枚落ちています。でも、あんまりきたないので、ついひろう気にもなれず、足でけとばしてしまいました。
 ところが、もう一どからだをこしたとき、ニールスは、どんなにおどろいたことでしょう! それもそのはず、二足ふたあしとははなれない目のまえに、高い黒ぐろとしたかべと、大きなとうのある門が立っているではありませんか。
 たったいま、かがんだときには、そこには、たしかに海がキラキラと、なめらかにかがやいていました。それが、いまは、狭間はざまとうのある壁で、かくされてしまっているではありませんか。さっき目のまえには、海草かいそうがうちよせられて、山のようになっていましたが、いまは、そこには大きな門が、ひらかれているのです。
 ニールスは、これはきっと、まぼろしみたいなものだろうと思いました。けれども、べつにこわがる必要ひつようはないと思いました。たしかに、これは、危険きけん魔物まもの悪魔あくまのようなものではありません。かべも門も、じつに美しくできています。それで、ニールスも、つい、そのうしろにはどんなものがあるか、見たくてたまらなくなってきました。「よし、こいつはいったいなんだか、見とどけてやろう。」と、思いながら、ニールスは門を通って、はいっていきました。
 アーチの下には、ニシキもようの服装ふくそうをした番兵ばんぺいたちが、の長いやりをかたわらにおいて、すわりこんで、サイコロあそびをしていました。みんなは、遊びにむちゅうになっていましたので、ニールスがそばをけていったのには、すこしも気がつきませんでした。
 門にすぐつづいて、大きなたいらな石をしきつめた、広場ひろばがありました。まわりには、高いりっぱな建物たてものが立ちならんでいて、そのあいだに、せまくて長い通りがありました。
 門に面した広場には、人びとがいっぱいいました。見れば、男の人は、しゅすの着物きものの上に、毛皮けがわをふちにつけた長いマントを着て、はね毛のかざりのついたぼうしをななめにかぶり、むねには、世にも美しいくさりをさげています。どの人もどの人も、すばらしい身なりをしているので、みんな、王さまのように見えます。
 女の人たちは、ずきんをかぶり、せまいそでの長い着物をきています。やっぱり美しく着かざってはいますが、とても男の人たちのはなやかさには及びません。
 このありさまは、おかあさんがときどき、箱の中からとりだして見せてくれた、むかしのお話の本の中のています。ニールスは、なかなか、じぶんの目を信じることができませんでした。
 けれども、男よりも女よりも、もっともっとふしぎに見えるのは、このみやこです。どの家も、破風はふが通りにめんするようにつくられています。しかも、その破風が、きらびやかにかざりたててあって、まるで、どれがいちばん美しいかを、きょうそうしあっているようです。
 新しいものを、きゅうにたくさん見ても、それをすっかりおぼえてしまうことは、なかなかできないものです。しかし、ニールスはあとになってからも、段々だんだんのある破風はふだけは思いだすことができました。そこには、キリストと使徒しとぞうが、安置あんちされていました。それから、壁のくぼんだところにいろいろの像が置かれている破風や、色ガラスをはめこんだ破風や、白と黒の大理石だいりせきでしまをなしている破風はふなども、思いだすことができました。ニールスは、すっかり感心して、こういうものをながめていましたが、とつぜん、「こんなものは、まだ、見たことがない。これからも、二どと見ることはないだろう。」と、思いました。そこで、あわてて、町の中へけだしていって、通りをのぼったりおりたりしました。
 通りはせまくて、まっすぐでしたが、ニールスの知っている都会とかいとはちがって、ここにはいたるところに人がいました。年とった女の人たちは戸口とぐちにすわって、紡車つむぎぐるまをつかわずに、ただ一本の糸まき竿ざおで、糸をつむいでいました。商店しょうてんは、ちょうど露店ろてんのようなぐあいに、通りにむかって開いていました。職人しょくにんたちは、みんなおもてで仕事をしていました。あるところでは、魚油ぎょゆをにたてていましたし、またあるところでは、皮をなめしていました。またべつのところでは、なわをなっていました。
 もし、時間さえあったなら、ニールスは、いろんな物のつくりかたを、残らずおぼえてしまうことができたでしょう。ニールスは、このほかにも、いろんなものを見ました。たとえば、宝石師ほうせきしゆびわうでわに宝石をちりばめるところや、挽物師ひきものしが鉄をあつかうところ、それからまた、靴屋くつやが赤いやわらかい靴をつくるところや、金糸工きんしこうが金糸をぐるぐるまわすところや、織物師おりものしが金や銀を反物たんものの中にりこむところなどを見ました。
 でも、立ちどまっているひまはありません。なにもかもがえてしまわないうちに、できるだけたくさんの物を見ておこうと思って、ニールスは、どんどんさきへかけていきました。
 高いかべが市のまわりをとりまいていました。ちょうど、小さなかきが畑のまわりをとりまいているように。どの通りのはしにも、とう狭間はざまのある壁が見えました。そして、その壁のいただきには、かがやくばかりの武装ぶそうをした兵士へいしが歩いていました。
 ニールスが、その都のはしからはしへ走っていきますと、こんどは、ちがった門に出ました。そのむこうには、ひろびろとした海とみなとが見えます。港には、まんなかにこぎての席があって前とうしろにへやのある、古風こふうな船が浮かんでいました。ちょうどいま、あるものは積荷つみにをし、あるものはいかりをおろそうとしていました。仲仕なかし商人しょうにんが、いそがしそうに走りまわっていました。そこらじゅうが、がやがやしていました。
 けれども、ニールスは、気がせくので、ここにも長くいるわけにはいきません。また、町の中にけもどって、大きな広場にきました。そこには、三つの高いとうのある。[#「ある。」はママ]大きな教会が立っていました。その深いまる天井てんじょうのあるアーチには、たくさんのぞうが置かれていました。そこの壁は、美しい彫刻ちょうこくがほどこされていて、一つ一つの名も、みんなとくべつにかざりをつけられています。そして、その開いた門から見えるすばらしさには、ただ、ただ驚くばかりでした。金の十字架じゅうじか、金で飾りたてた祭壇さいだん、金のころもを着た僧侶そうりょたち! 教会のまむかいには、ギザギザのある屋根を持った建物がありました。その屋根の上には、塔が一つ、空にむかってスラリと高くつきでていました。それはたぶん、市役所しやくしょでしょう。教会と市役所のあいだには、広場をとりかこんで、さまざまのかざりのついた、見るも美しい破風はふのある家々が立ちならんでいました。
 ニールスは、あんまり駈けまわりましたので、あつくなって、くたびれてきました。もう町の中のいちばんすてきなものは見てしまったんだから、これからは、もうすこし、ゆっくり歩こうと思いました。やがて、ある通りにまがっていきました。そこは、町の人たちが美しいぬのを買うところのようでした。見れば、おおぜいの人たちが、小さな店の前に集まっています。商人は、金らんや、かたいしゅすや、おもたいにしきや、ピカピカしたビロードや、うすいヴェールや、クモののようにすきとおったレースなどをひろげていました。
 さっき、早く走っていたときには、だれひとり、ニールスには注意ちゅういをはらいませんでした。みんなは、ちっぽけなネズミが、ちょこちょこけまわっているのだろうぐらいに思っていたのです。ところがいま、ゆっくりと通りを歩いていきますと、商人のひとりが、ニールスの姿を見つけて、手まねきしました。
 ニールスは、さいしょはこわくて、思わずげだそうとしました。けれども、商人はニコニコしながら手まねきしては、ニールスの気をひこうとするように、美しいきぬビロードを、台の上にひろげてみせました。
 ニールスは、頭をふりました。そして、「ぼくなんか、いつまでたっても、そんなぬのは一ヤードだって買えやしないんだ。」と、心に思いました。
 ところが、こんどは、通りにならんでいる店の人たちも、みんなニールスの姿を見つけました。目のとどくかぎり、どこにもかしこにも商人が立って、手まねきしています。みんなは、りっぱなお客のことは忘れてしまって、ニールスにばかり気をとられているのです。見ていますと、商人しょうにんたちは店のすみっこに走っていっては、いちばんいい品物を持ってきて、それを台の上にならべながら、むちゅうになって手をふっているのです。
 ニールスは、かまわずどんどん歩いていきました。すると、商人のひとりが、台をとびこえてきて、ニールスをひきとめました。そして、ぎんいろのぬのや、まぶしいほどピカピカ光る美しいもうせんを、ニールスの目の前にひろげてみせました。
 ニールスは、ただ、ニコニコするよりほかはありませんでした。ニールスのような、ちっぽけな、まずしいものには、そんな品物を買うことができないぐらい、わかりそうなものです。ニールスは、立ちどまって、じぶんはなんにも持っていないから、このままいかせてくれということを、みんなに知らせようと思って、からっぽの両手を、ひらいてみせました。
 すると、商人はうなずいて、指を一本あげてみせながら、その美しい品物の山を、ニールスのほうにつきだしました。
「この人は、金貨きんか一枚で、これをみんな売るっていうんだろうか?」と、ニールスは思いました。
 と、商人はおっそろしく小さな、すりへった銅貨どうかを一枚とりだして、ニールスに見せました。そして、なんとかして売ろうと、むちゅうになって、さらに、大きなおもたい銀のさかずきを二つ、その山につけ加えました。
 ニールスは、ポケットの中をさぐりはじめました。もちろん、銅貨一枚持っていないことは、しょうちしきっているのですが、思わずしらずそうしてみたのです。
 ほかの商人たちは、このあきないがどうなることかと、じっと見守みまもっていました。そして、ニールスが、ポケットの中をさがしはじめたのを見ますと、みんなは、じぶんの店にとんで帰って、金や銀の装飾品そうしょくひんを手に持てるだけ持ってきて、ニールスのまえにならべてみせました。そして、銅貨どうか一枚くれれば、これをみんなあげるということを、手まねで知らせました。
 ニールスは、チョッキのポケットからズボンのポケットまでひっくりかえして、なんにも持っていないことを、商人たちに見せました。と、どうでしょう。ニールスよりも、ずっといい身なりをしているこの商人たちの目には、みるみるうちになみだがあふれてきました。みんなが、あんまりかなしんでいるようすなので、ニールスも、すっかり心を動かされました。そして、どうにかして助けてやれないものだろうかと考えこみました。すると、ついさっき、はまべで見た、さびだらけの銅貨どうかのことを、ふっと思いだしました。
 ニールスは、すぐさま通りをけおりていきました。すると、うんよく、さいしょにはいった門のところに出ました。大いそぎでそこを通りぬけて、さっきあった小さな銅貨をさがしはじめました。
 すぐに見つかりました。ところが、それをひろいあげて、町の中へけもどろうとしたとたんに、これはまた、どうしたというのでしょう。目のまえに見えるものは、ただ海ばかりで、もはやかべもなければ、門もありません。番兵ばんぺいの姿も見えなければ、通りも、家も見えません。ただ、海がひろがっているばかりです。
 ニールスの目には、思わずなみだがうかんできました。さいしょのうちは、じぶんがいま見たものは、まぼろしであったろうと思っていましたが、それもまもなく忘れてしまいました。ただ、なにもかもが美しかったということだけが、思いだされるのでした。そして、みやこがとつぜん消えてしまったいまは、口で言いあらわせないほどの深い悲しみをおぼえるのでした。
 そのとき、コウノトリのエルメンリークくんは目をさまして、ニールスのところへいきました。けれども、ニールスは、コウノトリの来たことに気がつきませんでした。そこでコウノトリは、気づかせるために、くちばしでニールスをつつきました。
「あなたはここに立って、わたしのように眠っていたんですね。」と、エルメンリークくんは言いました。
「ああ、エルメンリークくん、」と、ニールスは言いました。「いまさっき、ここにあったみやこはなんだったの?」
「都を見たんですって?」と、コウノトリは言いました。「あなたは眠って、ゆめを見ていたんですよ。」
「いいや、眠ってなんかいなかったよ。」と、オヤユビくんは言って、いま見たことを、のこらず、コウノトリに話して聞かせました。
 すると、エルメンリークくんはこう言いました。「わたしの考えではね、オヤユビさん、やっぱりあなたはこのはまべで眠って、いまのことをみんな、夢にみたんだと思いますね。そのわけを、いまお話ししましょう。じつは、鳥の中でいちばん物知りのバタキーというカラスが、わたしにこんなことを話してくれたことがあるんですよ。むかし、この浜べには、ヴィネータという名まえのみやこがあったそうです。その都は世界じゅうのどんな都よりもお金があって、りっぱでした。ところが、ふしあわせなことには、その住民じゅうみんたちがだんだん、こうまんちきになって、はでなことがすきになったんです。バタキーの話では、そのばちがあたって、ヴィネータの都は、洪水こうずいのために海のそこに沈められてしまったそうです。けれども、その住民じゅうみんたちはそのままで、死んではいませんし、その都にしても、やっぱりほろびてはいないんです。そして、百年めに一どずつ、むかしのままのはなやかなありさまで、海の底から浮かびあがってきて、かっきり一時間だけ、このはまべにじっとしているんです。」
「うん、その話はほんとうにちがいない。」と、オヤユビくんは言いました。「だって、ぼく、それを見たんだもの。」
「ところが、その一時間のあいだに、ヴィネータの商人が、だれかに品物を売ることができなかったばあいには、その時間がすぎると、また都は、海の底に沈んでしまうんですよ。だから、もしもあなたがね、オヤユビさん、ほんのちっぽけな銅貨どうかでも持っていて、商人にはらってやることができたら、ヴィネータはいつまでもこの浜べにとどまっていて、そこの住民たちも、ほかの人間たちと同じように、一生をらして、死ぬことができたでしょうよ。」
「ああ、エルメンリークくん、」と、ニールスは言いました。「どうしてきみが真夜中まよなかにやってきて、ぼくをつれだしたのか、いまになって、やっとわかったよ。ぼくがあの古い都をすくってやれると、きみは思っていたんだね。だけど、きみの思うように、うまくいかなくって、ほんとうにざんねんだよ。」
 ニールスは両手で顔をおおって、泣きだしました。ニールスとエルメンリークくんのどちらが、よけいかなしそうだったか、それはちょっと言うことができません。

生きているみやこ


四月十一日 月曜日
 復活祭ふっかつさいの月曜日に、ガンたちとオヤユビくんは、また旅に出ました。そしてこんどは、ゴットランドとうの上にきました。
 この大きな島は、みんなの下にたいらによこたわっています。地上は、スコーネと同じように市松いちまつもようで、教会きょうかい農園のうえんがたくさんあります。ただスコーネとちがうのは、ここには畑のあいだに草のしげった牧場ぼくじょうが多いのと、農家のうかが庭をとりかこんでつくられてはいないことです。それから、このゴットランド島には、たくさんの公園こうえんや、高いとうをもった、古いおしろのある大きな荘園しょうえんもありません。
 ガンたちは、オヤユビくんのために、ゴットランド島の上を通ることにしたのです。なにしろ、オヤユビくんはもう二日のあいだしおれきっていて、ろくに口もきかなかったのですからね。あんなにもふしぎに、目の前にあらわれてきた古い都のことが、頭にこびりついていて、どうしても忘れることができなかったのです。ニールスは、いままであんなにりっぱな美しいものを見たことがありませんでした。そして、それをすくってやれなかったのが、ざんねんでたまりませんでした。いつもはそんなにクヨクヨする子どもではありませんでしたが、いまはあの美しい建物や、りっぱな人たちのために、心から悲しんでいるのでした。
 アッカとガチョウは、口ぐちに、そういうものはみんな夢かまぼろしなんだと言ってきかせましたが、ニールスは、そんなことばには、耳をもかそうとはしませんでした。ニールスは、だれがなんと言っても、じぶんの目で、あの都をたしかに見たんだと信じきっているのです。けれども、ニールスがあんまりひどくかなしんでいるので、仲間のガンたちも、オヤユビくんのことが心配になってきました。
 ニールスが悲しみにしずんでいたとき、とつぜん、年とったカクシがもどってきました。カクシは、あらしのためにゴットランド島のほうへ吹き流されて、みんなのいどころをさがすために、その島じゅうを飛びまわらなければなりませんでした。そして、やっと、カラスから、みんなが小カール島にいるということを聞いて、んできたのです。そして、オヤユビくんが、ゆううつになっていることを聞きますと、すぐさま、こう言いました。
「オヤユビさんが、古い都のことで悲しんでいるのなら、すぐに、なぐさめてあげられますよ。わたしについていらっしゃい。きのう、わたしの見たところへつれていってあげれば、すぐに気がはれますよ。」
 それから、ガンたちは、ひつじたちにわかれをつげて、カクシがオヤユビくんに見せたいという場所へ、いま、むかっているところでした。オヤユビくんは、しょげかえってはいましたが、それでも、いつものように、下を見おろさずにはいられませんでした。
 ニールスは、さいしょのうちは、この島も小カール島とおなじように、――もちろん、小カール島よりは、ずっとずっと大きいけれども――けわしい絶壁ぜっぺきをなしているように思いました。しかし、あとになって、この島は、ひらたくなっていることを知りました。ちょうど、のしぼうねりこのかたまりをのすように、きっと、だれかが大きなのし棒で、この島の上をのしたものでしょう。でも、それがおせんべいのようにすっかりひらたくなるまで、のしつづけたわけではありません。というのは、ガンたちが海岸にそって飛んでいるあいだに、ほらあな岩柱いわばしらのある、白い石灰質せっかいしつの高いかべも、あちこちに見えました。けれども、この島は、たいていのところがたいらで、浜べもなだらかに、だんだん海のほうへさがっていっています。
 みんなは、ゴットランド島で、月曜日の午後をたのしくのどかにすごしました。いまは陽気ようきもすっかり春らしく、あたたかくなっていました。木々には、大きながもえだし、牧草地ぼくそうちには、いちめんに春の花がきだしていました。ポプラの木の、ほっそりと長くれた枝は、ゆらゆらとゆらめいていました。どの家のまわりにも、小さな庭が見えましたが、そこには、スグリの茂みが青々としていました。
 あたたかな陽気ようきと、もえだした芽や花が、人びとを庭や道にさそいだしました。いく人かが集まりますと、きまって、そこでは遊戯ゆうぎがはじまりました。子どもたちばかりでなく、おとなまでもいっしょに遊びました。まとをきめて石をぶっつける競争きょうそうをしたり、ガンたちにとどくくらい空高く、ボールをほおり投げたりしました。おとなたちが、そうやって遊んでいるのをながめるのは、ほんとうに気もちのいい、たのしいものです。ニールスも、あの古い都をすくうことができなかった悲しみを忘れることができたなら、きっと、よろこんだことでしょう。
 それにしても、ニールスは、この旅がすてきな旅だと思わずにはいられませんでした。いくさきざきで、楽しそうな歌声がひびいてきます。子どもたちは、まるくになっておどりながら歌っていました。とある木のしげったおかでは、黒や赤の着物を着た人たちが、おおぜいすわって、ギターをかなでたり、ラッパを吹いたりしていました。また、ある通りでは、おおぜいの人たちが歩いてきました。それは、楽しい遠足えんそくをしている、禁酒会員きんしゅかいいんたちでした。ニールスは、金文字きんもじで書いた大きなはたがヒラヒラしているのを見て、すぐにそれとわかりました。その人たちは、いつまでもいつまでも、歌っていました。
 それからのち、ニールスは、ゴットランド島というと、いつも遊戯ゆうぎと歌とをいっしょに思いだすのでした。
 ニールスは、長いあいだ下を見おろしていましたが、ふと、目をあげてみました。いや、そのおどろいたこと! いつのまにかガンたちは島の内部をはなれて、西にむかい、海岸に来てしまっているのです。いまは、ひろびろとした青い海が、目の前にひろがっているではありませんか! けれども、ニールスがおどろいたのは、海ではなくて、その海岸にあらわれてきた町です。
 ガンたちのむれは、東から飛んできました。お日さまは、いま、西にしずもうとしています。みんなが、その町に近づいたとき、町のかべや、塔や、破風はふのある高い家々や、教会きょうかいなどが、あかるい夕空を背景はいけいにして、くっきりと、黒く、浮かびあがって見えました。そのためニールスには、この町が、ありのままの姿には見えないで、ほんのちょっとでしたが、まるで、復活祭ふっかつさい前夜ぜんやに見た、あの都と同じように美しいような気がしました。
 ところが、その町のすぐ近くまで来てみますと、それは、あの海のそこから浮かびあがったみやこてもいますし、また、似てはいないようにも思われます。この二つの町をくらべてみますと、それはちょうど、人が、ある日には、むらさきの着物きもの宝石ほうせきとで身をかざり、また、ある日には、ぼろにくるまっているのを見るのと、おなじようなものです。
 そうです、この町も、いつかは、あの海べで見た海の底の都のようだったこともあるでしょう。じっさい、この町も、とうや門のあるかべで、とりかこまれています。しかし、この町は、こうして地上にとどまることをゆるされてはいますが、この町の塔には屋根がなくて、うつろで、がらんとしています。門にはとびらもないし、番兵ばんぺいや、兵士へいしの姿も見えません。きらびやかなはなやかさは、すっかり影をひそめて、ただ、はだかの灰色はいいろ骨組ほねぐみが、残っているばかりです。
 ニールスは、この町の上まで飛んできたとき、大部分の家が、小さな低い木造もくぞうの家であることに気がつきました。むかしのままの、高い破風はふのある家や、教会は、二つ三つ、あちこちに立っているだけでした。破風のある家々は、白くぬられていて、なんのかざりもついてはいませんでした。けれども、ニールスは、ついきのうのばん、あの海の底に沈んだ都を見たばかりでしたから、それらの家々が、あるものは彫像ちょうぞうで、またあるものは黒や白の大理石だいりせきで、かざられていたにちがいないと思いました。
 古い教会にしても、おなじことでした。たいていのものが屋根はなく、中はがらんとしていました。窓口まどぐちれはて、床石ゆかいしはこわれて、草がぼうぼうとえ、かべにはツタが一めんにからみついていました。しかし、ニールスには、これらの教会が、むかしはどんなふうだったか、想像そうぞうしてみることができました。壁には彫刻ちょうこくがほどこされ、絵がかざりつけられていたことでしょう。内陣ないじんには、祭壇さいだんや、金ピカの十字架じゅうじかが、立っていたことでしょう。そしてそこには、金のころもをまとった僧侶そうりょたちが、歩いていたことでしょう。
 ニールスは、せまい町の門も見ました。そこには、祭日さいじつの午後だというのに、人の姿はほとんど見えません。でもニールスは、むかしは、りっぱに着かざった人たちが、おおぜいいたことを知っていました。それから、こういう門が、むかしは、あらゆる種類しゅるい職人しょくにんのいっぱいいる、仕事場しごとばのようなものであったことも、ちゃんと知っていました。
 けれども、この町が、いまもなお美しく、しかも、めずらしいものだということには、ニールスは、すこしも気がつきませんでした。ピカピカしたまどガラスのうしろに、テンジクアオイのある、裏通うらどおりのこじんまりとした家は、ニールスの目には、はいりませんでした。それらの家は、くろかべにかこまれて、白くふちどられていました。それから、たくさんの美しい庭園ていえん並木道なみきみちも、また、草におおわれた廃墟はいきょのすばらしさも、ニールスの目にはうつりませんでした。なにしろ、ニールスの心は、ゆうべ見た、あのはなやかなみやこのありさまで、いっぱいでしたので、目の前にあるものの美しさは、なにもみとめることができなかったのです。
 ガンたちは、町の上を二ど三ど、いったりきたりしました。オヤユビくんに、なにもかも、すっかり見せようというのです。とうとうしまいに、ガンたちは、教会きょうかいのあとの、草のえたゆかの上におりて、そこで、一晩ひとばんをすごすことにしました。
 ガンたちが、ねむってしまってからも、オヤユビくんは、長いあいだ、目をさましていました。そして、こわれた天井てんじょうから、うすもも色の夕空ゆうぞらを、ながめていました。こうして、しばらくもの思いにしずんでいましたが、やがて、あの海のそこの都を、すくうことができなかったからといって、もう、なげくのはよそう、と、心にきめました。
 そうだ、もう、なげくのはよそう。ゆうべ見た、あの都も、もし、海の底に沈まなかったとしたら、しばらく時がたつうちには、たぶん、この町とおなじように、れはててしまったろう。そして、あの都も、きっと時の流れにはさからえないで、しまいには、この町とおなじように、屋根のない教会、かざり一つない家、人の姿も見えない通りとなってしまったろう。それならば、はなやかな姿のままに、海の底深くしずんでいるほうが、かえっていい。
「なるようになったのが、いちばんよかったんだ。」と、ニールスは、心に思いました。「もし、ぼくに、あの都をすくえる力があったとしても、いまとなっては、もうとても、救う気にはなれない。」
 ニールスは、それからはもう、このことについては、かなしみませんでした。
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15 スモーランドの言いつたえ


四月十二日 火曜日
 ガンたちは、海の上をかなり飛んで、北部ほくぶスモーランドのユスト地方におりました。この地方は、りくになりたいのか、それとも、海になりたいのか、どっちとも、心をきめかねているようでした。つまり、いたるところにわんがいりこんでいて、それが陸地を、島やら、半島はんとうやら、みさきやらにきりわけているのです。海の力が、ひじょうに強いために、低いところは、すっかり水の下にかくされてしまって、わずかに、おかや山だけが、海の上につきでています。
 ガンたちが、海のほうからやってきたときは、夕がたでした。小高こだかい丘になった陸地は、キラキラ光る湾のあいだに、美しくよこたわっていました。あちこちの島々には、小屋や小さな家が見えました。そして、おくへ進んでいくにつれて、家々も大きく美しくなりました。しまいには、大きな白いお屋敷やしきも見えてきました。海岸にそって、木々が立ちならんでいました。そのむこうには、畑がありました。小さな丘の上にも、木々が立っていました。それを見ているうちに、ニールスは、おもわず、ブレーキンゲを思いだしました。そこでも、ブレーキンゲとおなじように、陸と海とが、おたがいの持っている、いちばんいい、いちばんすばらしいものを、見せあおうとでもするように、こんなにも美しく、こんなにもなごやかに、むかいあっているのです。
 ガンの仲間たちは、「ガンわん」にある、草も木もえていない島におりました。みんなは、きしべをひとめ見て、あちこちの島にいっているあいだに、春がだいぶ深まったことがわかりました。大きなりっぱな木々は、まだ葉をつけてはいませんが、その下の地面じめんには、白、黄、青の、色とりどりの春の草花がいています。
 ガンの仲間たちは、この花の敷物しきものを見たとき、びっくりしました。南部地方で、すこしぐずぐずしすぎたと思ったのです。
 そこで、アッカは、「スモーランドでやすんでいるひまはないから、あしたの朝すぐに、エステルイエートランドをこえて、北にむかって旅をつづけなければならない」と、みんなに言いました。
 これでは、スモーランドはなにも見られないことになってしまいます。ニールスは、それがざんねんでたまりませんでした。というのは、まえからスモーランドのことは、ほかの地方よりも、ずっといろいろ話に聞いていたからです。で、ニールスは、ぜひとも、じぶん自身の目で見たかったのでした。
 きょねんの夏、ニールスは、うまれ故郷こきょうに近いヨルドベリヤの近くの、ある農家のうかで、ガチョウばんにやとわれていました。そのとき、ほとんどまいにちのように、やっぱりガチョウの番をしている、スモーランドうまれのふたりの子どもに出あいました。その子どもたちは、スモーランドのことで、たびたび、ニールスをおこらしたものでした。
 もっとも、ねえさんのオーサが、ニールスをおこらせたわけではありません。この子は、りこうな子で、そんなことはしませんでした。ところが、弟のマッツのほうは、どうにもしようのない、いたずらっ子でした。
「おい、ニールスくん、きみは、スモーランドとスコーネが、どんなふうにしてできたか、知ってるかい?」と、マッツはたずねたものでした。そして、ニールスが知らないと答えますと、すぐに、スモーランドのむかしからの言いつたえを話しはじめました。
「じゃあ、話してやろう。いいかい、かみさまが世界をおつくりになっていた時のことだぜ。神さまが、その仕事をなさっているところへ、せいペテロが通りかかったんだ。ペテロは立ちどまって、ながめていたけれど、まもなく、それはほねのおれるお仕事ですか、と、きいたんだ。すると、神さまは、『うん、そんなにやさしくはないね。』と、お答えになったのさ。ペテロは、しばらくそこに立って見ていたんだ。神さまが、いかにもやすやすと、陸地をつぎからつぎへとおつくりになるのを見ているうちに、じぶんでもやってみたくなった。そこで神さまにむかって、『ちょっとお休みになってはいかがでしょう。そのあいだ、わたくしがかわりに、お仕事をいたしておりますから。』と、言ったんだ。でも、神さまは、そうさせたくはなかったので、『おまえにまかせておけるほど、おまえのうではたしかかな。』と、お答えになったのさ。すると、せいペテロははらをたてて、わたしだって、神さまとおなじように、りっぱな土地をつくることができます、と、言ったんだ。
 そのときは、ちょうど神さまが、スモーランドをこしらえていらっしゃるところだった。まだ、半分もできてはいなかったけれど、ひじょうに美しい、よくえた土地になるように見えた。ところで、神さまは、ペテロにいけないと言うのもかわいそうだと思われたんだ。それに、こんなにうまくできかけているんだから、だれがやっても、できそこなうようなこともあるまいと思われたんだね。そこで、『それなら、おまえとわしのどちらがうまくやるか、ひとつ、ためしてみようではないか。おまえは、はじめてだから、わしのやりかけたあとを、つづけてやるがいい。わしは、新しい土地をつくることにするから。』と、言われた。ペテロは、すぐにしょうちして、ふたりは、めいめいの場所で、それぞれ仕事にかかったんだ。
 神さまは、すこし南へいかれて、スコーネをつくりはじめたけれど、すぐに、つくりあげてしまった。そこで、こんどは、ペテロにむかって、おまえの仕事はおわったか、と、たずねられ、新しい土地を見にきてはどうか、と、言われた。すると、ペテロは、『はい、とっくにできあがっております。』と言ったけど、その声の調子ちょうしからみると、ペテロは、じぶんのやった仕事に、いかにもまんぞくしているようだった。
 ペテロは、神さまのこしらえたスコーネをながめたとき、じつによくできていると感心した。たがやすのにもってこいの、よくえた土地で、山というようなものは、ほとんどない。見わたすかぎりが、平地なんだ。人間がそこに住んで、気もちよくくらすことができるようにとのお考えから、神さまがこしらえられたことは、はっきりしていた。ペテロは、『ほんとうに、これはよい土地ですね。けれども、わたしのつくったほうが、もっといいと思います。』と、言った。『それでは、それを見ようではないか。』と、神さまがおっしゃった。
 その土地は、ペテロが仕事をはじめたときには、もう北と東は、できあがっていたんだ。だから、南と西とまんなかが、ペテロのこしらえたものだったのさ。ところが、神さまは、その土地をごらんになったとたんに、びっくりなさって、『いったい、おまえは、なにをこしらえようというのだ?』と、おっしゃった。
 そう言われて、ペテロもあたりを見まわして、じぶんでも、おどろいてしまった。さいしょ、ペテロのつもりでは、あたたかい土地をつくるのが、いちばんいいだろうと思ったんだ。そこで、たくさんの石をつみあげて、高地をきずきあげた。つまり、こうすれば、太陽たいように近くなるから、それだけ、太陽の熱をたくさん受けられるだろうと思ったわけさ。そして、そのつんだ石の上に、ペテロは、すこしばかり土をかけて、これで、すべてがうまくいくものと思いこんでいたんだ。
 ところが、ペテロが、スコーネにいっているあいだに、ものすごい夕立ゆうだちが、二どばかりあったんだ。そのために、せっかくペテロのやった仕事が、台なしになってしまったのさ。神さまが、おいでになって、ごらんになったときには、土はすっかり洗い流されてしまい、いたるところに、はだかの石肌いわはだがあらわれているというしまつなんだ。いちばんいいところでも、岩の上にねんどやおもたい砂利じゃりがあるくらいのもので、とにかく、見るからにひんじゃくだった。だから、ここには、植物にしても、せいぜい、ネズとか、エゾマツとか、コケとか、ヒースぐらいのものしかえないだろうということは、一目ひとめでわかったほどさ。ところが、水だけは、じつにたくさんあった。山のけめという裂けめに、みちあふれていたんだ。どこにもかしこにも、みずうみや川や小川がある。もちろん、ぬまさわもひろびろとひろがっている。しかし、なによりもまずいのは、ある地方では水が多すぎるっていうのに、ある地方では少なすぎるっていうことさ。なぜって、水の少ない地方では、田畑たはたが、かわききった荒れ地のようなありさまで、ほんのちょっとでも、風が吹こうものなら、たちまち土や砂が、もうもうとまきあがってしまうんだもの。
『いったい、どういうつもりで、こんな土地をこしらえたんだね?』と、神さまがおききになった。すると、ペテロは、じつは、土地を高くきずいて、太陽の熱をたくさん受けるようにしたいと思ったのです、と、いいわけをした。
『だが、それなら、夜の冷気れいきも、たくさん受けることになるね。』と [#「と 」はママ]神さまはおっしゃった。『夜の冷気も、やはり、空からおりてくるんだからね。ここにえる、わずかなものも、こおってしまやしないだろうか。』
 こういうことは、たしかに、ペテロは考えてもいなかった。
 そして、神さまは、『ここは、しものよくおりる、やせた土地になるだろう。しかし、いまさら、どうすることもできない。』と、おっしゃったんだ。」
 マッツが、ここまで話したとき、ねえさんのオーサが、ことばをはさみました。「あたし、たまらない! だって、あんたの話を聞いてると、スモーランドは、とてもみじめな土地みたいだもの。あんたは、あそこにも、いい土地がたくさんあるのを忘れているのね。まあ、カルマール海峡かいきょうのところの、メーレ地方を思いだしてごらん! あそこぐらいよくえた土地って、どっかにある? あそこにも、このスコーネとおなじように、畑がいっぱいあるじゃないの。それに、とってもいい土地なんだから、どんなものだって、きっとそだつと思うわ。」
「だって、しようがないよ。」と、マッツが言いました。「ぼくは、ひとから聞いた話をしているだけなんだもの。」
「それにね、あたしは、ユストのように美しい海岸は、どこにもないって、おおぜいの人たちが言ってるのを聞いたわよ。ほら、あのわんや、島や、荘園しょうえんや、森を考えてごらんよ。」と、オーサは言いました。
「うん、ほんとにそうだね。」と、マッツは言いました。
「それから、あんたは、先生のおっしゃったことをおぼえてないの? ほら、ヴェッテルンの南の地方のように、いきいきとした、のように美しいところは、スウェーデンじゅうどこをさがしてもないって、おっしゃったじゃないの。あの美しい湖や、岸ぞいの黄色の山々や、マッチ工場こうじょうのあるエンチェーピングや、ムンク湖を思いだしてごらん。それから、フースクヴァルナや、あそこにある大きな工場もさ!」と、オーサはつづけて言いました。
「うん、ほんとにそうだ。」と、マッツはもう一ど言いました。
「それから、まだまだあるわよ。ほら、あのヴィシングエー。あそこには廃址はいしや、カシワの森や、むかしの言いつたえがあったわね。それから、エム川の流れている、あの谷も思いだしてごらん。村や、製粉所せいふんじょや、製材所せいざいしょや、指物工場さしものこうじょうがあったでしょう!」
「うん、ほんとにそうだ。」マッツは、こまったような顔をしながら、またまた、こう言いました。
 そのとき、とつぜん、マッツは顔をあげて、さけびました。「そうだ、ぼくたち、うっかりしてたんだ。それはみんな、もちろんスモーランドにあるよ。それも、ペテロが仕事をはじめるまえに、神さまが、おつくりになった土地のほうにね。だから、そこが美しくてりっぱなのも、あたりまえなんだ。けれども、ペテロのこしらえたスモーランドのほうは、やっぱり、言いつたえにあるとおりさ。だから、神さまが、それをごらんになったとき、悲しまれたのも、むりないんだ。」マッツは、さっきの物語の糸口いとぐちを見つけて、また、話をつづけました。「ペテロは失敗しっぱいしたけれども、気をおとさずに、かえって、神さまをなぐさめようとして、『そんなにかなしまないでください! しばらく待ってくだされば、わたしが、沼地ぬまちをたがやし、石だらけの山をきりひらいて、畑にする人間をつくりますから。』と、言った。
 けれども、神さまは、もうがまんができないので、こうおっしゃった。『いや、おまえは、わしがえた、よい土地にこしらえたスコーネにおりていって、スコーネ人をつくるがいい。スモーランド人は、わしがつくるから。』そこで、神さまはまずしい土地でも、らしをたてていくことができるように、かしこくて、まじめで、しかもほがらかで、勤勉きんべんで、役にたつスモーランド人を、おつくりになったのさ。」
 ここまで話すと、マッツは、いつもだまりこんでしまうのでした。そして、ニールス・ホルゲルッソンも、だまっていれば、何ごともなかったでしょう。ところがニールスは、ペテロのほうは、うまくスコーネ人がつくれたかどうかと、きかずにはいられないのでした。
「ふん、きみは、じぶん自身じしんをどう思うね?」と、マッツは、いかにもばかにしきった顔つきでたずねました。ニールス・ホルゲルッソンは、もう、がまんができません。たちまちマッツにおどりかかって、なぐりつけようとしました。けれども、マッツはまだ小さい子です。と見るより早く、一つ年上のオーサが、すばやくけよってきました。オーサは、ふだんはおとなしい子ですが、だれかが弟に手をかけようとすると、たちまち、ライオンのようにおこるのでした。
 ニールス・ホルゲルッソンは、女の子とけんかをする気にもなれません。それで、そっぽをむいて、その日は一日じゅう、このスモーランドうまれの子どもたちのほうは、見むきもしないのでした。
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16 カラス


土のかめ


 スモーランドの西南せいなんのはしに、スンネルブーという地方があります。そこは、ずっと平地になっています。ですから、冬、雪におおわれているときには、だれでも、その雪の下には、ほかの平地へいちとおなじように、休閑地きゅうかんちや、ライムギばたけや、クローヴァのえた牧場ぼくじょうがあるものと思います。ところが、四月のはじめになって、この地方の雪がとけてしまいますと、雪の下にかくされていたものは、かわいた、砂だらけのれ地と、はだかの岩と、大きな沼地ぬまちばかりであることがわかります。畑もあっちこっちにありはしますが、とても小さなものなので、とくにとりたてて言うほどのものではありません。それから、赤や灰色はいいろの小さな農家のうかも、ところどころに見られますが、まるで人に見られるのをこわがってでもいるように、たいていのものがブナの森の中にかくれています。
 スンネルブー地方が、ハルランドとせっするところには、すなだらけのれ地がひろがっています。そこは、はしからはしまで見とおすことができないくらい広いものです。この荒れ地には、ヒースのほかは何もえていません。ですから、ここにほかの植物をしげらせるのは、たいへんなことでしょう。そのためには、まず第一に、ヒースを根だやしにしなければなりません。ヒースというのは、根も枝も葉もちっぽけで、ちぢこまっているくせに、まるでじぶんでは一にんまえの木のようなつもりでいるのです。だから、ほんとうの木のように、まるで森みたいに、そこらじゅうにひろがって、しかも、しっかりとかたまっているので、そのれ地の中にはいってくる木は、どんなものでもみんならされてしまうのです。
 この荒れ地の中で、ヒースのはびこっていないところが一つだけありました。そこは、荒れ地をよこぎっている、低い、石だらけの山地でした。そこには、マツ林があり、また、ナナカマドや、大きな美しいブナの木も数本えていました。ニールス・ホルゲルッソンがガンたちといっしょに旅をしていたときは、そこには一けんの小屋があって、そのまわりの土地は、すこしたがやされていました。けれども、その小屋に住んでいた人たちは、なにかわけがあって、よそへひっこしてしまっていました。だから、いまはその小屋は住む人もなく、また土地も使われてはいませんでした。
 この小屋に住んでいた人たちは、立ちさるときに、用心ようじんぶかく、かまどのふたをし、まどをしめ、戸にじょうをおろしました。けれども、まどガラスのわれめが、ぼろでふさいだだけになっているのには、気がつきませんでした。そののち、夕立ゆうだちが二どあって、そのぼろが、ちぢんでしまったところへ、カラスがやってきて、とうとうそれをつつきおとしてしまいました。
 荒れ地の中にあるこの山地は、人が想像そうぞうするほど、さびしくはありません。なぜかといいますと、そこにはたくさんのカラスたちが住んでいるからです。といっても、もちろん一年じゅう、そこに住んでいるわけではありません。つまり、カラスたちは、冬には外国がいこくへいきます。そして秋には、イエートランドじゅうの穀物畑こくもつばたけを、つぎからつぎへと飛びまわっては、穀物をひろいます。それから夏のあいだは、スンネルブー地方の農場のうじょうにちらばって、卵や、草木のや、小鳥などをたべて生きています。けれども、ごもりをする春になると、このヒースのえている荒れ地の中に帰ってくるのです。
 まどガラスのぼろをつつきおとしたのは、白いはねのガルムという名まえのカラスでした。けれども、このカラスのことをちゃんと名まえどおりに、ガルムというものはひとりもなく、みんなノロこうノロ公と呼んでいました。なぜなら、このカラスは、いつも、まのぬけた、へまなことばかりやっていたからです。ノロ公は、ほかのカラスよりも、からだも大きく、力もありましたが、そんなことはなんの役にもたちませんでした。みんなからはバカにされて、いつも笑いものになっていました。それから、ノロ公がたいへんにいい家がらの出だということも、やっぱりなんの役にもたたないのでした。ほんとうなら、ノロ公がこのカラスの一むれのおかしらになるはずでした。というのは、大昔から、しらはねぞくの一ばん年上のものが、この名誉めいよをになうはずになっていたのです。ところが、ノロ公の生まれるだいぶまえから、この権力けんりょくが白はね族の手をはなれて、アラシという、ざんにんな野ガラスにうばわれてしまっていたのです。
 このように、権力が白はね族からアラシの手にうつったということは、じつは、カラス山のカラスたちが、生活のしかたをかえることにきめたということを物語っているのです。おそらく、たいていの人が、カラスというものは、みんなおなじような生活をしているものと思うでしょう。ところが、ほんとうは、そうではありません。つまり、中にはりっぱな生活をしているものもあって、そういうカラスたちは、穀物こくもつとか、虫とか、死んだ動物とかいうようなものだけをたべているのです。ところが、いっぽうには、まったくぬすみばかりをはたらいてらしているような、ひどいやつらもあるのです。そういうのは、ウサギの赤んぼうや小鳥をさらったり、鳥のを見つけしだいにおそったりするのです。
 むかしの白はねぞくは、ぎょうぎがよくて、げんかくでした。だから、白はね族のものがおかしらだったころは、カラスたちは、ほかの鳥からわるく言われないように、ふるまわなければなりませんでした。ところが、カラスの数はふえてきますし、それに、だんだん、貧乏びんぼうになってきました。そこで、いままでのように、ぎょうぎのいい生活をしていることができなくなって、やがてはしらはね族にもそむき、ついに、極悪ごくあくこのうえもない、大どろぼうのアラシに権力けんりょくをあたえてしまったのです。ところが、その妻君さいくんのハヤテというのが、アラシよりもさらにひどいやつときているのです。こうして、カラスたちは、この夫婦ふうふ手下てしたになって、いまでは、タカよりもフクロウよりも、ほかの鳥からおそれられているような生活をはじめたのです。
 もちろん、白いはねのノロこうなどはもんだいにもされませんでした。カラスたちは、口ぐちに、ノロ公は先祖せんぞにはちっともていない、とうていおかしらになるがらではない、と言いました。だから、ノロ公がいつも、まのぬけたことばかりやらなかったら、たぶんだれも目もくれなかったでしょう。りこうもののカラスたちは、ときどき、「ノロ公があんなにあほうなのは、ノロ公のためにはかえってしあわせなんだ。」と言いました。さもなければ、おかしらの家がらに生まれついているんだから、きっとアラシとハヤテのために、追いだされてしまったろうというのです。
 ところが、いまでは、そのはんたいに、アラシ夫婦ふうふはノロ公にたいして、いくらかしたしみをもつようになっていました。そして、よそへどろぼうをしにいくときには、いつもいっしょにつれていきました。もっとも、そうすれば、じぶんたちが、とんまなノロ公よりもずっとりこうで、勇敢ゆうかんなことを、みんなに見せてやることができたわけです。
 まどガラスのぼろをつつきおとしたのが、ノロ公だとは、どのカラスも知りませんでした。もし知ったとすれば、みんなはどんなにかおどろいたことでしょう。なぜって、ノロ公などが、人間の住居すまいに近よる勇気ゆうきをもっていようとは、とても信じられませんから。ノロ公は、そのことをだれにも話しませんでした。それには、じつは、ノロ公だけのとくべつのわけがあるのです。アラシとハヤテは、ひるのあいだや、ほかのカラスたちがまわりにいるときは、ノロ公にたいしていつも親切しんせつでした。ところが、あるまっくらなばんのこと、仲間なかまのカラスたちが、枝の上にとまってねむっていたとき、ノロ公は、とつぜんアラシ夫婦ふうふにおそわれて、もうすこしで、殺されそうになったのです。それからは、まいばん、くらくなりますと、ノロ公はじぶんのいつもの寝場所ねばしょをぬけだして、あき小屋ごやへいくことにしているのでした。
 ある日の午後ごご、カラスたちは、カラス山のをしゅうぜんしましたが、そのあとで、すばらしい見つけものをしました。アラシは、ノロ公とほかの二のカラスをつれて、荒れ地の片すみにある大きなくぼ地に飛んでいきました。そのくぼ地には砂利じゃりしかありませんでしたが、カラスたちは、そんなことぐらいで満足まんぞくすることができません。人間がこのくぼ地をったのには、なにかわけがあるにちがいないと思って、そこに飛びおりていっては、さかんにひっかきまわしました。そうしているうちに、片がわの砂利が、ガサガサと、きゅうにくずれおちました。カラスたちは、びっくりしてかけよりました。と、はたして、くずれおちた石と砂利のあいだに、木のふたをした土の大きなかめが見えるではありませんか? もちろんみんなは、すぐに、中に何がはいっているか知りたくなりました。そこで、かめにあなをつつきあけようとしたり、ふたをあけようとしたりしましたが、どうしてもうまくいきません。
 カラスたちは、とほうにくれて、かめをながめていました。そのとき、とつぜん、
「おい、おい、カラスくん、おりていって、手つだってやろうか?」という声がしました。
 みんなが、はっとして上を見ますと、くぼ地のふちに一ぴきのキツネがすわって、こちらを見おろしています。色つやも姿も、いままでに見たなかで、一ばん美しいキツネです。ただ一つおしいことには、片ほうの耳がありません。
「手つだってくれるって言うんなら、いやとは言わんぜ。」と、アラシは言うといっしょに、くぼみから飛びあがりました。ほかのカラスたちも、すぐそのあとにつづきました。すると、キツネは穴の中にとびおりて、かめをかじったり、ふたをひっぱったりしてみました。けれど、やっぱりどうしても、あけることができません。
「何がはいっているか、わかるかい?」と、アラシがたずねました。
 キツネは、かめをあっちこっちにころがして、耳をすましました。
「こいつは銀貨ぎんかにちがいないぞ。」と、キツネは言いました。
 銀貨ならたいしたものです。カラスたちは、それほどのものとは思っていませんでした。
「ほんとうに、銀貨ぎんかだと思うかい?」と、カラスたちは言いました。そして、その目はよくにくらんでキラキラ光りました。こう言えばへんに聞こえるかもしれませんが、なにしろカラスたちにとって、銀貨ぐらいすきなものはなかったのです。
「ほら、ガチャガチャ音がするだろう!」と、キツネはもう一ど、かめをころがしながら言いました。「しかし、どうしてしたもんだろうなあ。」
「きっと、だめさ。」と、カラスたちはためいきをついて言いました。
 キツネは立ったまま、左の前足で頭をかきながら、考えました。うんそうだ、このカラスたちの助けをかりて、いつもげられてばかりいる、あのガチョウにのったチビスケのやつをつかまえることができるかもしれないぞ。
「おい、おれは、このかめをあけられるやつを知ってるんだがなあ。」と、キツネは言いました。
「だれだい? だれだい?」と、カラスたちはさけびながら、むちゅうになって、またあなの中にとびこんできました。
「あとで、そいつをおれに引きわたすと約束やくそくするんなら、教えてもいいぜ。」と、キツネは言いました。
 そして、キツネはカラスたちに、ニールスのことを話してきかせました。もし、オヤユビ小僧こぞうのニールスをここへつれてくることができれば、きっとこのかめはあけさせることができる、と言いました。しかし、こういう、うまいちえをかしてやったんだから、そのおれいに、オヤユビ小僧が銀貨ぎんかを取りだしたら、すぐさま、その小僧をおれに引きわたせ、と言いはりました。カラスたちのほうでは、オヤユビ小僧なんてべつにおしいとは思いません。で、すぐにこの申し出を承知しょうちしました。
 この約束はかんたんにできあがりましたが、さて、オヤユビくんとガンたちがどこにいるかを、さがしだすとなると、なかなかたいへんなことです。アラシはじぶんで十五のカラスを引きつれて、すぐ帰ってくると言いのこして、出かけていきました。しかし、いく日たっても、カラス山にもどってはきませんでした。

カラスにさらわれる


四月十三日 水曜日
 ニールスの仲間なかまのガンたちは、エステルイエートランドにむかって旅だつまえに、たべものをとる時間が十分じゅうぶんあるように、朝早く起きました。ガンたちのとまった島は、ガンわんの中にある小さな島でした。この島には草や木はえていませんでしたが、まわりの水の中には、いろんな水草みずくさがありましたので、みんなはそれをはらいっぱいたべました。ところが、ニールスのほうは、たべるものがなんにも見つからなくて、ひどいめにあってしまいました。
 ニールスはおなかがへって、朝のさむさにふるえながら、あっちこっちを見まわしていました。と、ちょうどむこうにある岩ばかりの島の、木のしげったみさきで、二ひきのリスがあそんでいるのが目にとまりました。もしかしたら、あのリスが冬のたくわえの残りをもっているかもしれない、と、ふと思いつきました。そこで、白いガチョウに、ハシバミをすこしわけてもらいたいから、あの岬までつれていってくれ、とたのみました。
 白いガチョウは、すぐにニールスを乗せて、その岬へおよいでいきました。ところが、うんのわるいことに、リスたちはむちゅうになって、木から木へと追いかけっこをしているものですから、ニールスの呼ぶ声がちっとも耳にはいりません。リスたちは、だんだん林のおくへ奥へとはいっていきました。ニールスも、いそいでそのあとを追いかけていきましたので、まもなくガチョウの目のとどかないところまでいってしまいました。そのあいだ、ガチョウはおとなしくきしべで待っていました。
 ニールスは、白いアネモネが、あごにとどくほど高くえている草地にはいっていきました。と、だしぬけに、だれかがうしろから、じぶんをつかんで持ちあげようとするようすです。はっとしてふりむいてみますと、一のカラスが、えりのところをつかんでいるではありませんか。ニールスは一生けんめい身をふりはなそうとしました。けれども、そうしているうちに、もう一羽のカラスが飛んできて、こんどは靴下くつしたをひっぱりましたので、ニールスは地べたにたおされてしまいました。
 もしもこのとき、ニールスがすぐに、たすけて! とさけびさえすれば、白いガチョウに助けてもらえたにちがいありません。ところが、ニールスは、カラスの二羽ぐらい、じぶんひとりでも平気だと思ったのでしょう。しかし、いくらなぐったり、けとばしたりしてみても、カラスたちはどうしてもはなしません。とうとう、ニールスをつかんで空に飛びあがってしまいました。しかも、わざとらんぼうに飛んで、ニールスの頭を木の枝にぶっつけました。そのぶっつけかたがあんまりひどかったので、ニールスはとうとう気をうしなってしまいました。
 目をあいたときには、空高く飛んでいました。そのうちに、だんだん意識いしきがはっきりしてきました。はじめは、どこにいるのかも、何を見ているのかも、さっぱりわかりませんでした。下を見おろしますと、とても大きな毛織けおりのじゅうたんがひろがっているようでした。そのじゅうたんはみどりと赤とに織りだされていて、いろいろな形をしています。たいそうあつくて、美しいじゅうたんです。けれども、ニールスは、おしいことにひどく使い古してあるな、と思いました。じっさい、もうぼろぼろになっているのです。まんなかのところが長くけていますし、また場所ばしょによっては、ちぎれて、なくなっているところもあります。そして、なによりもふしぎなのは、そのじゅうたんがかがみの上にひろげられているように見えることでした。なぜかといえば、そのじゅうたんのあなけめのあるところからは、鏡があかるく、キラキラかがやいているのです。
 むこうを見れば、ちょうどいま地平線ちへいせんの上に姿をあらわしたお日さまが、しずかにのぼってきます。と見るまに、じゅうたんの穴や裂けめの下の鏡が、赤や金色に輝きはじめました。なんという美しいながめでしょう。ニールスはむちゅうになってよろこびました。もっとも、じぶんのながめているものが、なんであるかは、ちっともわかってはいませんでした。そのとき、カラスたちは下におりはじめました。すると、いままで大きなじゅうたんに見えていたものは、じつは、緑の針葉樹しんようじゅや、葉のない褐色かっしょく闊葉樹かつようじゅしげっている地面だったことがわかりました。そして、じゅうたんの穴やけめに見えたのは、キラキラ光る入江いりえや小さなみずうみだったのです。
 ガチョウのせなかにっかって、はじめて空を飛んだとき、スコーネの土地が市松いちまつもようのぬののように見えたことを、そのとき、ふと思いだしました。それにしても、ぼろぼろのじゅうたんのように見えるこの土地は、いったいどこなのでしょう?
 つぎからつぎへと、いろんなうたがいがわいてきました。どうしてガチョウのせなかに乗っていないんだろう? どうしてじぶんのまわりをこんなにたくさんのカラスが飛んでいるんだろう? そしてまた、どうして落っこちそうになるほど、あっちこっちへ引っぱりまわされたり、ぶたれたりするんだろう? と、たちまち、なにもかもがはっきりとしてきました。じぶんは二のカラスにさらわれたんだ。白いガチョウは、まだ岸べで待っているにちがいない。きょうみんなは、エステルイエートランドにむかって出発しゅっぱつするはずだ。それなのに、じぶんは南西なんせいのほうにつれられてゆく。お日さまがうしろのほうにあるから、きっとそうにちがいない。そうしてみると、下に見える森のじゅうたんは、きっとスモーランドだ。
「ぼくがせわをしてやれなくなったら、あの白ガチョウはどうなるだろう?」と、ニールスは思いました。そして、カラスたちに、じぶんをガンたちのところへ、すぐにつれていってくれるようにたのみました。ニールスは、じぶんのことはちっとも心配していませんでした。だって、カラスたちがじぶんをつれていくのは、ただふざけているんだろうと思っていたのです。
 ところが、カラスたちは、ニールスの言うことなどには耳をもかさず、おおいそぎで飛んでいきました。しばらくすると、なかの一羽が、「気をつけな! あぶないぜ!」とでもいうように、つばさをばたばたやりました。まもなく、みんなはエゾマツの森におりました。そして、とげとげした枝のあいだをおしわけて、地面につきました。そこで、ニールスは太いエゾマツの下におろされましたが、たいそう、うまくかくされてしまったために、これではタカでさえもニールスの姿を見つけることができません。
 十五羽のカラスが、ニールスの見はりをするために、くちばしをつきだしながら、ぐるりをとりかこみました。
「おい、カラスたち、なんのためにぼくをさらったんだ。」と、ニールスがききました。
 ところが、ニールスが言いおわるか、おわらないうちに、一羽の大きなカラスが、しかりつけました。
「しずかにしろ! さもないと、きさまの目の玉をくりぬくぞ!」
 カラスが本気ほんきでそう言っていることはたしかです。こうなったからには、カラスの言うとおりにするほかはありません。そこで、ニールスは、おとなしくすわって、じっとカラスたちを見つめました。カラスたちもニールスをじっと見つめました。見れば見るほど、このカラスたちは気にくわないやつらです。はね毛は、ものすごくほこりだらけで、ぼうぼうとしています。まるで一ども水あびをしたり、油をつけたことがないようです。そして、足指やつめには、かわいたどろがこびりついています。それから、くちばしのまわりには、いものの残りがくっついています。同じ鳥ではあっても、ガンたちとはなんというちがいかたでしょう。このカラスたちは、ざんこくで、ひきょうもので、よくばりで、しかも、だいたんふてきな顔つきをしています。まるで人殺しか、ごろつきのように見えます。
「こいつは、ほんとうの強盗団ごうとうだんにつかまっちまったんだな。」と、ニールスは思いました。
 ちょうどそのとき、上のほうで、ガンの仲間なかまのさけぶ声が聞こえました。
「どこにいるの? ぼくはここだよ。どこにいるの? ぼくはここだよ。」
 アッカをはじめ、みんながじぶんをさがしにきてくれたのです。けれども、返事へんじをしようと思っているうちに、このカラスの一だんのおかしららしい、さっきの大ガラスが、ニールスの耳もとで、「目玉めだまのことを忘れるな!」と、しかりつけました。これでは、だまっているよりほかはありません。
 ガンの仲間は、ニールスが、こんなに近くにいようとは気がつかないようすです。ただ、ぐうぜんに、この森の上に飛んできたものでしょう。また二どばかり、ガンたちのさけぶ声が聞こえましたが、それからえてしまいました。
「さあ、じぶんひとりで、助かる工夫くふうをしなくちゃならないぞ。」と、ニールスはひとりごとを言いました。「もう何週間なんしゅうかんも、野の生活をして苦労くろうしているんだから、ひとつ、そのうでまえを見せるかな。」
 しばらくするとカラスたちは、出かけるしたくをはじめました。またこんども、一羽がニールスのえりをつかみ、もう一羽が靴下くつしたをつかんで、つれていくつもりとみえます。そこで、ニールスはあわてて言いました。
「きみたちの中には、ぼくをせなかに乗っけていけるものはないのかい? きみたちがあんまりらんぼうに、ぼくをあつかうから、ぼくは、こなごなになっちまうんじゃないかと思ったよ。まあ、乗せてごらんよ! せなかからとびおりたりはしないから。」
「やい、やい、どうされたって、きさまの知ったこっちゃないんだ。」と、おかしらが言いました。
 そのとき、いちばん大きい、つばさに白いはねのあるカラスが、前に進みでてきました。頭をぼうぼうにして、いかにもやぼくさいカラスでしたが、
「おかしら、このオヤユビ小僧こぞうおとして、かたわにするよりも、まるまる生かしておいたほうが、とくじゃありませんか。だから、わたしがせなかに乗せていきましょう。」と、言いました。
「ノロこう、てめえにできるんなら、おれに文句もんくはねえ。だが、そいつをなくすんじゃあねえぞ!」と、アラシは言いました。
 ありがたいことです。ニールスは大よろこびでした。
「カラスにさらわれたからって、もう気をおとすことはないぞ。きっと、こいつらをやっつけてやれるさ。」と、ニールスは思いました。
 カラスたちは、スモーランドの上を南西なんせいにむかって飛びつづけました。うららかにれわたった、あたたかい朝でした。地上の鳥たちは、やさしいあいうたをうたっていました。高い、黒々とした森の中の、エゾマツのこずえで、ツグミがつばさをたれ、のどをふくらまして、
「なんてあなたはきれいなんでしょう! なんてあなたはきれいなんでしょう! なんてあなたはきれいなんでしょう! あなたほどきれいなものはない。あなたほどきれいなものはない。」と、なんどもなんども、うたっていました。
 ちょうどそのとき、ニールスがこの森の上を通りかかりました。ニールスは、ツグミの歌を二ど聞いて、ははあ、ほかの歌は知らないんだな、と気がつきますと、両手をラッパのようにして口にあてて、下にむかってさけびました。
「そんな歌はまえにも聞いたよ! そんな歌は、まえにも聞いたよ!」
「だれだい? だれだい? だれだい? わたしの歌をひやかすのは?」と、ツグミは言いながら、からかったものの姿を見つけようとしました。
「カラスにさらわれたものだよ。」と、ニールスは答えました。
 そのとたんに、カラスのかしらがふりむいて、
「やい、チビスケ、目玉に気をつけろ!」と、言いました。
 けれども、ニールスは、「ふん、そんなこと、かまうもんか。きさまなんかこわくないぞ。いまに見てろ。」と、心の中で思いました。
 カラスたちは、ずんずんんでいきました。いたるところに、森やみずうみがありました。とあるカバの森では、葉のない枝に森バトのメスがすわって、そのまえにオスのハトが立っていました。オスのハトは、はね毛をふくらまし、頭をまっすぐに立てて、からだをあげたりさげたりするので、そのたびに胸毛むなげが枝にさわりました。そして、ひっきりなしに、
「おまえは、おまえは、森の中でいちばんかわいいね。森じゅうで、おまえぐらい、おまえぐらい、かわいいものはないよ!」と、鳴いていました。
 ニールスは、その上を通りかかって、オスのハトの言うのを耳にしたとき、だまってはいられなくなりました。
「そいつの言うことをしんじちゃいけない! そいつの言うことを信じちゃいけない!」と、ニールスはさけびました。
「おれをけなすのはだれだ? おれをけなすのはだれだ?」と、オスのハトはクウ、クウきながら、からかったものの姿を見つけようとしました。
「カラスにさらわれたものだよ。」と、ニールスは答えました。
 と、またもアラシがふりむいて、だまれ、と言いつけました。けれども、ニールスをせなかに乗せているノロこうは、
「しゃべらせておきなさいよ。そうすりゃ小鳥どもは、われわれカラスが、とんちのある、おもしろい鳥になったと思いまさあ。」と、言いました。
「ふん、あいつらだって、それほどばかじゃああるめえ。」と、アラシは言いました。けれども、内心ないしんノロ公の考えが気にいったもので、それからは、ニールスのすきなように言わせておきました。
 カラスたちは、たいていは、森や森のあいだにある牧場まきばの上を飛んでいきましたが、ときには教会きょうかいや、村や、森のそばの小屋の上も飛びました。あるところでは、古い美しいお屋敷やしきが見えました。それは、森をうしろに、海を前にしててられていました。壁は赤くってあり、屋根やねはキリのように、とがっていました。お屋敷の前には、大きなカエデの木が立っていて、庭園ていえんには、大きなスグリのしげみがありました。
 風見かざみの上に、ムクドリのオスがすわって、大声でさえずっていました。その声は、ナシの木の巣箱すばこの中で、卵をだいているメスにまでよく聞こえました。
「かわいい卵が四つある。」と、ムクドリは歌っていました。「まあるい、きれいな卵が四つある。巣の中は、きれいな卵でいっぱいだ。」
 ムクドリが、ちょうど千べんめをうたったとき、ニールスがその上を通りかかりました。そして、両手をふえのように口にあてて、さけびました。
「カササギに卵をとられるよ! カササギに卵をとられるよ!」
「わたしをおどかそうとするのは、だれだね?」と、ムクドリはたずねながら、不安ふあんそうにはねをバタバタやりました。
「カラスにつかまってるものだよ!」と、ニールスは言いました。
 こんどは、カラスのおかしらも、だまれとは言いませんでした。それどころか、たいそうおもしろがって、みんなといっしょに、ゆかいそうに、カアカア鳴きました。
 陸地りくちに進むにつれて、みずうみは大きくなり、その中の島やみさきも多くなりました。とある湖の岸べでは、一羽のオスのカモが、メスの前で、ていねいにおじぎをしていました。
一生いっしょうのあいだ、あなたへのまごころはかわりません。一生のあいだ、あなたへのまごころはかわりません。」と、オスはねっしんに言っていました。
「ひと夏もつづかないぜ!」と、このとき通りかかったニールスが言いました。
「だれだ?」と、カモのオスはさけびました。
「カラスにぬすまれたものだよ!」と、ニールスはさけびました。
 おひるごろ、カラスたちは、森のあいだの、とある草地におりました。みんなはあるきまわってたべものをひろいましたが、ニールスにも何かやろうということは、だれひとり思いつきませんでした。そのとき、ノロ公が、ひからびた赤いの二つ三つついている野バラの枝をくわえて、おかしらのところへ飛んできました。
「おかしら、これをしあがってください。うまいものですから、あなたにもお気にめしましょう。」と、ノロ公が言いました。
 アラシは、ばかにしきったように、フフンと笑って、言いました。
「てめえ、こんなひからびたを、おれがうとでも思ってるのか?」
「よろこんでいただけると思ったんですが。」と、ノロ公は言いながら、がっかりして、その枝を投げすてました。ところが、その枝がちょうど、ニールスの目の前に落ちましたので、ニールスは、すぐさまそれをひろって、すいたおなかをふさぎました。
 カラスたちはたべおわりますと、おしゃべりをはじめました。
「おかしら、何を考えているんです? あんたは、きょうは、えらくだまりこんでいますね。」と、一羽のカラスがアラシに言いました。
「おれはな、むかし、この地方に一羽のメンドリがいたのを思いだしていたところさ。そいつは、ぬしのおくさんが大すきだったんだ。それで、そのおくさんをよろこばせてやろうと思って、とてつもなくでかい卵をうんでよ、それを穀物倉こくもつぐら床下ゆかしたにかくしておいたんだ。そのメンドリのやつめ、卵がかえったら、おくさんがさぞ喜ぶだろうと思って、ひとりでうれしがっていたのよ。おくさんのほうじゃ、メンドリの姿が長いあいだ見えないもんだから、どうしたんだろうと、ふしぎに思って、あっちこっちさがしてみた。しかし、どうしても見つかりゃしない。おい、口なが、そのメンドリを見つけたなあ、だれだかわかるか?」
「わかりますとも、おかしら。だが、それじゃ、わっしもそれにた話を、お聞かせしやしょう。おかしらは、ヒンネリュードの牧師館ぼくしかんにいた大きな黒ネコを、おぼえていなさるかね? あのやろうは、子をうむと、いつも人間がとって、川んなかにほうりこんじまうもんだから、不平ふへいたらたらだったんでさ。ところが、一どだけ、おもてのほし草の中に、うまくかくしたことがあるんですよ。あいつは、うまくかくしたと大よろこびでしたが、あいつよりも、じつは、このわっしのほうが大よろこびでしたのさ。」
 すると、ほかのカラスたちも、むちゅうになってきて、みんながいっぺんにしゃべりだしました。
「へえ、それが、卵や赤んぼネコをぬすみだすひけつですかい?」と、一が言いました。「おれなんざ、一人いちにんまえになりかけた若いウサギを追いかけたもんだぜ。やぶからやぶへと追いかけてよ――」
 みんなまで言いおわらないうちに、べつの一羽が口をはさみました。
「トリやネコをおこらすってのも、おもしろいかもしれねえが、人間をこまらせてやるほうが、ずっとゆかいだろうぜ。おれはな、いつだったかぎんのさじをぬすんでよ――」
 ニールスは、もうこんなおしゃべりを、だまって聞いてはいられなくなりました。
「おい、カラスくん、ぼくの言うことを聞きたまえ!」と、ニールスは言いました。「きみたちは、そんなひどいことをしゃべりたてて、はずかしくないのかい。ぼくは三週間しゅうかんも、ガンたちといっしょにらしているが、聞くこと見ること、みんないいことばかりだぜ。きみたちには、わるかしらがいるにちがいない。きっとそいつが、そんなふうにぬすんだり殺したりさせているんだ。いまのうちに、きみたちは、らしかたをかえるがいい。なぜって、人間は、きみたちの悪いのにすっかりはらをたてて、きみたちを根だやしにしようと、けんめいになっているんだよ。だから、このままだと、きみたちは、まもなくおしまいだぜ。」
 アラシをはじめ、ほかのカラスたちはこれを聞くと、いかりくるって、もうすこしで、ニールスにおどりかかって、ズタズタに引きさこうとしました。ところが、そのとき、ノロこうが笑いながら、カアカアと鳴いて、ニールスの前に進みでました。
「いや、いけない、いけない! このオヤユビ小僧こぞうに、銀貨ぎんかをださせないうちに、ひきいてしまったら、ハヤテさんはなんて言うだろうかね?」と、ノロ公は言いましたが、そのようすは、いかにもおどおどしていました。
「やい、ノロ公、女をこわがるってのは、てめえのことか。」と、アラシは言いました。
 けれど、とにかく、アラシもほかのカラスたちも、オヤユビくんに手だしはしませんでした。
 それからまもなく、カラスたちは出発しゅっぱつしました。いままでのところでは、スモーランドは話に聞いているほど、みすぼらしい土地のようではありませんでした。森も山もありますし、川やみずうみのほとりには、たがやされた畑も見えます。まだ、ほんとうのれ地には、一つも出あっておりません。しかしおくに進めば進むほど、村も小屋もすくなくなりました。しまいには、ほんとうの荒れ地の上を飛んでいるのではないかと思われてきました。むりもありません。下に見えるものといえば、ぬまと荒れ地とネズのえている丘だけなのですから。
 お日さまはしずみましたが、カラスたちはまだあかるいうちに、ヒースのえている、あの大きな荒れ地につきました。アラシは、一羽のカラスをさきにやって、オヤユビ小僧こぞうをうまく見つけたことを、みんなに知らせました。すると、ハヤテは数百羽すうひゃっぱのカラスをひきつれて、出むかえに飛んできました。カラスたちが両方から、カア、カアと鳴きさけんで、あたりは、たいへんなさわぎでした。そのとき、ノロ公が、そっとニールスに言いました。
「おまえはゆかいなやつだ。おかげで旅のあいだ、とてもおもしろくすごさせてもらった。おれは、おまえがすきになったよ。だから、いいことを教えてやる。おまえは、下におろされると、すぐに、なんでもないような仕事しごとを言いつけられるが、それをやるときには、気をつけるんだぜ。」
 まもなく、ノロ公は砂利穴じゃりあなそこに、ニールスをおろしました。ニールスは、ころがるようにおりて、そのまま、いかにもつかれきったように、あおむけにねころんでしまいました。そして、たくさんのカラスが、まわりをとりまいて、あらしのように、ものすごくばたいても、いっこうに目をあけませんでした。
「こら、小僧こぞう、起きろ!」と、アラシが言いました。「やい、仕事があるんだ。きさまには、なんでもないことだ。」
 ニールスは、身動みうごきもしないで、眠ったふりをしていました。すると、アラシは、ニールスのうでをつかんで、くぼ地のまんなかにある、古風こふうな土のかめのところへ、すなの上をひきずっていきました。
「やい、小僧、起きろ!」と、アラシは言いました。「さあ、このかめをあけるんだ!」
「どうして、ぼくをねかせておいてくれないんだい?」と、ニールスは言いました。「今夜こんやは、くたびれすぎちゃって、なんにもできやしないぜ。あしたまで待ってくれよ!」
「かめをあけろったら!」と、アラシは、ニールスをゆすぶりながら、言いました。
 ニールスは、しかたなくからだをこして、かめをながめまわしました。
「ぼくみたいな、ちっぽけな子どもに、こんなかめがあけられるはずがないじゃないか。このかめは、ぼくぐらいあるぜ。」
「さっさとあけろ!」と、アラシは、もう一ど言いつけました。「あけないと、ためにならんぞ!」
 ニールスは、立ちあがって、かめのところにいき、ふたをいじくりました。でも、すぐにうでをさげてしまいました。
「ぼくは、いつもなら、こんなに弱虫よわむしじゃないんだ。」と、ニールスは言いました。「あしたまで、ねかせてさえくれりゃ、このふたぐらい、きっとあけられると思うがなあ。」
 ところが、アラシは、気がいらいらしていましたので、いきなり前に進みでて、ニールスの足をつつきました。しかし、いくらなんでも、カラスにこんなことをされては、だまっていられません。ニールスは、すぐさま身をふりはなして、二ほどうしろへさがりました。そして、ナイフをさやから引きぬいて、目の前につきだしました。
「やい、気をつけろ!」と、ニールスは、アラシにむかってさけびました。
 アラシは、いかりくるっていたものですから、危険きけんをさけようともしないで、めくらめっぽうにニールスめがけて、とびかかりました。そのため、ナイフがぐさっと目玉につきささって、頭にまでもくい入りました。ニールスは、すばやくナイフを引きぬきましたが、アラシは一、二ど、つばさをバタバタやっただけで、そのままたおれて、死んでしまいました。
「おかしらが死んだぞ! こいつがおかしらを殺したぞ!」と、すぐ近くにいる、カラスたちが口ぐちにさけびました。それから、たいへんなさわぎになりました。オイオイ泣きだすものもあれば、かたきをうて、とさけびたてるものもあります。みんなは、四方八方から、ニールスめがけてけよりました。ノロ公が、その先頭せんとうに立っていました。いつものように、ノロノロしてはいましたが、つばさをひろげて、ニールスをその下にかくし、ほかのカラスたちが、くちばしをむけてくるのをふせいでくれました。
 ニールスは、進退しんたいここにきわまってしまいました。カラスたちからげることもできませんし、身をかくす場所ばしょ一つありません。と、そのとき、土のかめのことを思いだしました。そこで、ふたを力いっぱいつかんで、ぐいと、はずしました。そして、その中にかくれようと思って、とびこみました。ところが、ここにもかくれるわけにはいきませんでした。なぜって、かめの中は、ほとんどふちまで、小さな、うすい銀貨ぎんかが、いっぱいにつまっていたのです。これでは、中にはいることもできません。そこで、とっさに、身をかがめて、銀貨をつかんでは投げはじめました。
 いままで、カラスたちは、ニールスのまわりをとりまいて、つばさをバタバタやりながら、つつきころそうとしていました。ところが、ニールスが銀貨をほうり投げるのを見たとたんに、みんなは、たちまち、かたきうちのことなどは、忘れてしまって、あわてふためいて、銀貨をひろいはじめました。ニールスは、銀貨を手にいっぱいつかんでは投げました。すると、どのカラスもどのカラスも、ハヤテまでもいっしょになって、むちゅうで、それをひろいました。そして、うまく銀貨をひろったものは、こんどは、それをかくそうと、大いそぎでのほうへ飛んでいきました。
 ニールスは、かめの中の銀貨を、すっかり投げだしてしまったとき、あたりを見まわしました。すると、そのくぼ地には、一羽のカラスしか残っていませんでした。それは、つばさに白いはねのある、じぶんを乗せてきてくれた、あのノロこうでした。
「きみには、わからないでしょうが、きみはたいへんな仕事しごとをしてくれたんですよ。」と、ノロ公は言いました。その声も調子ちょうしも、いままでとはまるでちがっていました。「それで、こんどは、わたしがきみの命をすくってあげます。さあ、わたしのせなかにお乗りなさい。今夜こんや安心してねむれる、かくれがにつれていってあげますから。あしたになったら、ガンたちのところへ帰れるように、なんとかしてあげましょう。」

小屋


四月十四日 木曜日
 あくる朝、目がさめたとき、ニールスは、ベッドの中にていました。そして、ぐるりにはかべがあり、上には屋根やねがあるのを見て、じぶんは、うちにいるんだな、と思いました。
「おかあさんが、じきにコーヒーを持ってきてくれるんだろうなあ?」ニールスは、ねぼけまなこで、こんなことをブツブツ言いました。そのうちに、じぶんはいまカラス山の小屋の中にいるんだ、そうだ、ゆうべ、白いはねのノロこうが、ここへつれてきてくれたんだっけ、と思いだしました。
 ニールスは、きのうのたびのために、からだじゅうがいたくてたまりませんでした。ですから、じっとているのが、なによりもたのしく思われました。そして、ガンたちのところへ、つれていつて[#「いつて」はママ]くれると約束やくそくしたノロ公がくるのを待っていました。
 市松いちまつもようのもめんのカーテンが、ベッドの前にかかっていました。ニールスは小屋の中を見ようと思って、カーテンをわきにのけました。と、まあ、なんという小屋でしょう。いままでに、こんな小屋は見たことがありません! かべは、丸太まるたが二列にならんでいるだけで、すぐそれから屋根になっています。天井張てんじょうばりがないために、棟木むなぎまでも見えます。小屋ぜんたいが、たいへん小さいので、ふつうの人間のために建てられたのではなくて、どちらかといえば、ニールスのような小人こびとのために建てられたのではないかと思われます。けれども、かまどと煙突えんとつは、とても大きくて、これより大きいのは見たことがないとさえ思われるくらいでした。入口の戸は、かまどのそばの、破風はふのある壁についていました。でも、これがまた、たいそうせまいので、戸というよりは小窓こまどのようでした。もうかたほうの破風のある壁には、低くて、はばの広い窓がありました。これには、小さいガラスがたくさんはまっていました。この部屋へやには、動かせる家具かぐというものは、ほとんどありませんでした。腰掛こしかけも、窓ぎわのテーブルも、それから、いまニールスのねている大きなベッドも、いろんな色どりをした戸棚とだなも、みんな壁にくっついていました。
 ニールスは、この小屋はだれのものだろう、そしてまた、どうしていまは人が住んでいないんだろう、と思わずにはいられませんでした。この小屋に住んでいた人たちは、またもどってくるつもりのようです。かまどの上には、コーヒーつぼとか、ゆなべがのったままになっていますし、ばたには、まきもおいてあります。すみのほうには、火ばさみと、木べらがあり、紡車つむぎぐるまは、腰かけの上にあがっています。窓の上の棚には、あさと、ふたかせの織糸おりいとと、ロウソクと、一たばのマッチがおいてあります。
 ここに住んでいた人たちは、たしかに、もう一ど、もどってくる気にちがいありません。
 ベッドには、ちゃんとけぶとんがありますし、壁には、三人の騎士きしのかいてある、長いぬのもかかっています。
 ところが、上のたなに目をやったとき、ニールスは、はっとわれにかえりました。そこには、ひからびた大きな菓子かしパンが二つ、くしにささっているではありませんか。もちろん、古くなって、かびえているようですが、パンであることにはかわりありません。火ばさみでたたきますと、そのうちの一つが下に落ちました。さっそく、すいたおなかを満足まんぞくさせて、残りをポケットにいっぱいつめこみました。それにしても、パンのあじはすばらしいものでした。
 ニールスは、ほかにもなにかやくにたつものはないだろうかと思って、もう一ど部屋へやの中を見まわしました。
「ぼくがいるものは、持っていってもいいだろう。だって、だれのめいわくにもならないんだもの。」と、ニールスは思いました。でも、ニールスには、たいていのものが、大きくて、おもたすぎました。持っていけそうなものといえば、せいぜいマッチぐらいのものでした。
 ニールスは、テーブルの上によじのぼり、そこからカーテンにつかまって、窓の上のたなにとびうつりました。ニールスが、そこでふくろの中にマッチをつめこんでいますと、あの白いはねのカラスがまどからはいってきました。
「ほら、きましたよ。」と、ノロ公は言いながら、テーブルの上にとびおりました。「おそくなってしまいましたが、きょうは、アラシのかわりに、新しいおかしらをえらんでいたので、なかなかこられなかったんですよ。」
「だれが、おかしらにえらばれたの?」と、ニールスはたずねました。
「それはね、ぬすみやわるいことをゆるさないもの、つまり、いままでノロ公と言われていた、この白いはねのわたしがえらばれたんです。」
 ノロ公は、からだをこして、もったいをつけながら、こう言いました。
「それは、いいひとがえらばれたね。」と、ニールスは言って、ノロ公におめでとう、と言いました。
「いや、ありがとう。」と、ノロ公は言いました。それから、アラシがかしらだったころのことを話しはじめました。
 と、だしぬけに、窓のそとで、よく耳なれた声がしました。
「あいつは、ここにいるのか?」と、キツネのズルスケが言っています。すると、
「ええ、この中にかくれているんです。」と、カラスの声が答えました。
用心ようじんなさいよ、オヤユビさん!」と、白いはねのノロ公がさけびました。「ハヤテのやつが、きみをいたがっているキツネをつれて、外にきているんですよ!」
 ノロ公は、それいじょう言うことができませんでした。そのとき、早くも、キツネのズルスケが窓をめがけて、おどりかかっていたからです。古い、くされかかった窓わくは、たちまちとびちって、あっというまに、ズルスケは窓ぎわのテーブルの上に立っていました。そして、かしらにえらばれたばかりの、白いはねのノロ公は、げるひまもなく、たちまちかみ殺されてしまいました。それから、キツネは、ゆかにとびおりて、ニールスの姿をさがしました。ニールスはあわてて、大きな糸車いとぐるまのうしろにかくれようとしましたが、ズルスケは早くも、それを見つけて、おどりかかろうと身がまえました。この小屋は、たいへん小さい上に、しかもひくいので、もうどうすることもできません。すぐにキツネにつかまってしまいます。けれども、ふせぐ武器ぶきがまったくないわけではありません。ニールスは、いそいでマッチをすって、そばのあさたばに火をつけました。そして、それがメラメラとえあがったのを見るや、キツネのズルスケめがけて力いっぱい投げつけました。さすがのズルスケも、ほのおにつつまれてはたまりません。おそろしさに気ちがいのようになって、もうニールスをつかまえるどころではなく、あわてふためいて、小屋からとびだしていきました。
 こうして、ニールスは、やっと一つの危険きけんからまぬがれはしましたが、こんどは、もっと大きな危険にせまられることになりました。というのは、いまズルスケにむかって投げつけたあさたばから、とうとうベッドのカーテンにまで火がえうつってしまったのです。ニールスはとびおりて、あわててもみけそうとしましたが、火の手ははげしくなるばかりです。みるみるうちに、部屋へやじゅうがけむりだらけになってしまいました。ズルスケは窓の外に立って、オヤユビくんが、部屋の中でこまっているようすをさっして、言いました。
「やい、オヤユビ小僧こぞう、そこでころされるのと、おれのところへ出てくるのと、どっちがいい? もちろんおれは、きさまをい殺してやりてえが、きさまが、かわった死にかたをするのもおもしれえや。」
 ニールスは、ほんとうにキツネの言うとおりだと思いました。なぜなら、火の手は、ずんずんひろがって、もうベッドもほのおにつつまれてしまいましたし、ゆかからも、煙が立ちのぼっています。ニールスは、かまどの上にとびあがって、パンきかまどの口をあけようとしました。と、そのとき、だれかが戸の鍵穴かぎあなかぎをつっこんで、しずかにまわす音が聞こえました。きっと人間がきたのにちがいありません。けれども、いまのようにこまりきっているときには、人間もこわくはありません。それどころか、大よろこびで、すぐさま戸口にけていきました。ちょうどそのとき、戸があいて、目の前にふたりの子どもがあらわれました。でも、その子どもたちが小屋がえているのを見たとき、どんな顔をしたか、見ているひまはありませんでした。ニールスはふたりのそばをすりぬけて、おもてにとびだしました。でも、遠くへ走っていく気にはなれませんでした。なぜって、キツネのズルスケが待ちぶせしているにきまっています。だから、この子どもたちのそばにいるのが、いちばん安全あんぜんです。そこでニールスは、どんな子どもたちかと思って、ふりかえってみました。ところが、ひと見るより早く、ふたりのそばにかけよって、さけびました。
「やあ、こんちは、オーサちゃん、マッツちゃん。」
 ニールスは、ふたりの子どもを見たしゅんかん、じぶんがどこにいるかを、すっかり忘れてしまったのでした。カラスのことも、えている小屋こやのことも、動物どうぶつたちのことも、なにもかも忘れてしまったのでした。じぶんは西ヴェンメンヘーイのはたけで、ガチョウのばんをしながらあるいている、そして、すぐ近くの畑では、スモーランドうまれのこのふたりの子どもたちが、やっぱりガチョウの番をしながらあるいているような気になったのでした。そこでニールスは、ふたりの姿を見ると、すぐさま石垣いしがきの上にかけあがって、「やあ、こんちは、オーサちゃん、マッツちゃん。」と、さけんだのです。
 ところが、子どもたちのほうでは、そんなちっぽけなものが、両手をひろげて、じぶんたちのほうへ、けてくるのを見ますと、生きた心地ここちもないほど、びっくりしてしまいました。そして、たがいにしっかりとだきあって、一、二あとへさがりました。
 ニールスのほうでも、ふたりがびっくりしたのを見たとき、はっとわれにかえって、いまのじぶんの身を思いだしました。と、同時どうじに、魔法まほうにかけられているじぶんの、ちっぽけな姿すがたを、この子どもたちに見られるくらい、まずいことはない、と思いました。そして、じぶんはもう人間ではないという、はずかしさとかなしさとにちまけて、身をひるがえして、いちもくさんにけだしました。どこへというあてもなく。
 ところが、あのれ地まできますと、うれしいことが待っていました。ヒースのあいだに、なにか白いものが、チラチラしているではありませんか。と思っているうちに、白いガチョウが、灰色はいいろガンのダンフィンをつれてニールスのほうへやってきました。ガチョウは、ニールスが一生けんめい走ってくるのを見ますと、すぐ、おそろしいてきいかけられているにちがいない、とさとりました。そこで、ニールスをせなかに乗せるが早いか、大いそぎで、空高く飛びあがりました。
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17 百姓ひゃくしょうのおばあさん


四月十四日 木曜日
 ニールスとガチョウのモルテンと灰色はいいろガンのダンフィンは、つかれきったからだで、日がれてからも、まだ夜のかくれ場所ばしょをさがしあるいていました。ここは、北部スモーランドのれはてた地方ちほうです。でも、三人は、やわらかい寝床ねどこや、気もちのいい部屋へやをほしがるような弱虫よわむしではありませんから、きっとどこかに、みんなのがまんできるような休み場所が、見つかるでしょう。
「このずっとつづいた山のいただきが、もっと高くて、けわしかったら、キツネものぼれなくて、いい寝場所になるんだけどなあ。」と、ひとりが言いました。
「いままで通ってきた大きなみずうみこおりがゆるんでいて、キツネがわたれないようになっていたら、もってこいの場所なんだけどなあ。」と、もうひとりが言いました。
 こまったことに、お日さまがしずんでからは、モルテンとダンフィンがねむくなってきて、いまにも地上に落ちそうになるのでした。ニールスだけは、目をさましていられましたが、だんだんあたりがくらくなってくるにつれて、心配しんぱいになってきました。
「ぼくたちが、みずうみぬまのこおりついている土地へやってきたのは、うんがわるいんだ。これじゃ、どこからでもキツネがやってくる。ほかのところは、みんな氷がとけてしまってるんだけど、ここは一ばんさむいスモーランドなものだから、まだ春にならないんだ。どうやって、いい寝場所を見つけたらいいんだろうなあ。早く安全あんぜんな場所を見つけないと、夜のうちに、ズルスケにおそわれちまうぞ。」
 どこを見まわしても、つごうのいいかくれ場所は見あたりません。今夜こんやはまた、風と霧雨きりさめをまじえた、うすら寒い、まっくらな夜です。おまけに、あたりは刻一刻こくいっこくときみわるくなってくるではありませんか。
 こういうと、へんに聞こえるかもしれませんが、ニールスたちは、どうも、農園のうえんめてもらう気には、なれないらしいのです。いままでにも、たくさんの部落ぶらくを通りすぎてきたのですが、どの家にもよってみようとはしませんでした。森のはずれのおかのそばにあった小さな小屋などは、つかれきった旅人たびびとならだれでも大よろこびをして、めてもらうところですが、ニールスたちは気にもとめませんでした。ですから、せっかくさしのべられたすくいの手を、受けいれようとしないのでは、こまるのもあたりまえだ、と言われてもしかたがないかもしれません。
 そのうちに、いよいよ空のうすあかりもすっかりえて、まっくらになりました。モルテンたちも、もう眠いのをがまんできなくなって、うつらうつらしながら、飛びはじめました。そのとき、一けんだけ、ぽつんと立っている百姓家ひゃくしょうやが見えてきました。見れば、荒れはてているうえに、人は住んでいないようすです。煙突えんとつからは、けむりものぼってはいませんし、まどからは、あかりも、もれておりません。家の中には、だれもいないようにみえます。ニールスは、この家を見たとき、こう思いました。
「さあ、いまとなっては、とにかく、この家にはいってみるよりほかはない。これよりいいところは見つかりそうもないんだから。」
 それから、まもなく三人は、その農家のうかの庭におりました。ガチョウたちは、おりるといっしょに、すぐ眠りこんでしまいましたが、ニールスは、どこか屋根やねになるようなところはないかと思って、一生けんめいに、あちこちを見まわしました。よく見ると、この家は、小さな百姓家ひゃくしょうやではありませんでした。母屋おもやをはじめ、牛小屋や馬小屋があるばかりでなく、乾燥場かんそうばや、穀物倉こくもつぐらや、物置ものおきなどもならんでいました。しかし、どれもこれもこわれていて、ひどくみすぼらしいものばかりでした。コケのえた灰色はいいろかべは、かたむいていて、いまにもたおれそうです。屋根やねには、大きなあなが口をあけていますし、戸は蝶番ちょうつがいがこわれて、はずれかかっています。ひと目見ただけで、長いあいだほったらかされていたものであることがわかります。
 そのうちに、ニールスは牛小屋らしい建物たてものを見つけました。そこで、ガチョウたちをゆり起こして、その入口へつれていきました。ありがたいことに、戸はかるくかぎがかけてあるだけでしたので、すぐにぼうで押しあけることができました。ニールスは、これでやっと安心あんしんして眠れるぞ、と思って、ほっとため息をつきました。ところが、戸がギイッとあいたとたんに、一ぴきの牝牛めうしがなきだしました。
「おくさん、おそかったですね。今夜こんやは、もう夕飯ゆうはんがいただけないのかと思いましたよ。」
 ニールスは、牛小屋が、からっぽではなかったので、びっくりして、戸口に立ちどまってしまいました。けれども、よく見ますと、牝牛めうしが一ぴきと、ニワトリが、三、四いるだけです。で、また元気をとりもどしました。
「ぼくたちは、あわれなたびの者ですが、キツネにおそわれたり、人間につかまらないような、一夜いちや宿やどをさがしているのです。ここは安全あんぜん場所ばしょでしょうか?」と、ニールスはたずねました。
「だいじょうぶですとも。」と、牝牛は答えました。「このとおり、かべはいたんではいますけど、これまでに、キツネがそこからはいってきたためしはありません。それに、この家には、おばさんが[#「おばさんが」はママ]ひとり住んでいるだけですが、あのおばあさんは、ものをつかまえたりはしませんよ。ところで、おまえさんたちは、いったいだれですね?」と、牝牛は言いながらからだをねじまげて、ニールスたちの姿をよく見ようとしました。
「ぼくは、いまでこそ小人こびとにされてしまっていますが、ニールス・ホルゲルッソンといって、西ヴェンメンヘーイうまれのものです。」と、ニールスは答えました。「いっしょにいるのは、ぼくがいつもせなかに乗せてもらっている、うちっていたガチョウと、新しく道づれになった灰色はいいろガンです。」
「こんなめずらしいおきゃくさんは、はじめてです。」と、牝牛めうしは言いました。「まあ、よくきてくださいました。でも、ほんとのところは、おくさんが夕飯ゆうはんをもってきてくださったんなら、もっとよかったんですがね。」
 ニールスは、ガチョウたちを、かなり大きい牛小屋の中につれていって、からっぽのかいばおけの中にいれてやりました。ガチョウたちはすぐねむりこんでしまいました。ニールスは、わらで小さな寝床ねどこをこしらえて、じぶんもすぐにねようとしました。
 ところが、とてもねむるわけにはいきません。なぜって、すぐそばでは、あわれな牝牛が、夕飯をもらえないので、一ときもじっとしてはいないのです。首のくさりをガチャガチャやったり、ドタドタあるきまわったり、はらがへった、腹がへった、と、ひっきりなしにこぼしているのです。ニールスは眠れないままに、わらの上に横になって、近ごろおこったさまざまのできごとを思いだしました。
 まずさいしょに、思いがけなく出あった、ガチョウばんのオーサとマッツのことを思いだしました。そして、じぶんが火をつけた小さな小屋は、あのふたりのスモーランド人の家にちがいない、と思いました。そういえば、いつだったか、ふたりがあんな小屋や、ヒースのえているひろいれ地のことを話していたことがありました。きっとふたりは、もう一どなつかしいわが家を見るために、もどってきたのです。ところが、せっかく帰ってみると、その小屋は、ほのおにつつまれていたのです。
 あのふたりは、どんなにかなしんだことでしょう! しかも、それは、このじぶんのせいなのです。そう思うと、ニールスはたまらなくなりました。そして、いつか人間にもどったら、心からこのおわびをしようと思いました。
 それから、思いはカラスたちのことにうつりました。そして、じぶんの命を助けてくれたものの、かしらにえらばれるとすぐにころされてしまったノロこうの身の上を考えますと、あまりにも悲しくなって、おもわずなみだがうかんできました。
 じっさい、この二、三日のあいだに、ずいぶんひどいにあったものです。けれども、とにかく、モルテンとダンフィンとが、じぶんを見つけだしてくれたのは、ほんとうにしあわせなことでした。
 ガチョウからあとで聞いた話では、ガンたちは、オヤユビくんの姿が見えないのに気がつくと、すぐに森じゅうの小さな動物たちにたずねてみたのでした。すると、スモーランドのカラスの一たいにさらわれた、ということがすぐわかりました。けれども、そのときには、もうカラスたちは姿をしてしまっていたのでした。しかも、カラスたちが、どっちへいったかは、だれひとり知らないのです。そこでアッカは、オヤユビくんを一刻いっこくも早くさがしだすために、ガンたちに命じて、二ずつわかれわかれになって、べつべつの方面ほうめんをさがすことにさせました。そして、オヤユビくんが見つかっても見つからなくても、ともかく二日さがしたら、北西ほくせいスモーランドのターベルイという山のいただきでおちあうことにきめました。その山は、まるで、先をたちきられたとうのようにけわしいということでした。それから、アッカは、めいめいに方向ほうこうをきめてやり、ターベルイにいくまでの道すじを、ていねいに教えてやりました。こうして、みんなはちりぢりになったのでした。
 白いガチョウは、灰色はいいろガンのダンフィンを旅の道づれにえらびました。ふたりは、オヤユビくんのことをひどく心配しんぱいしながら、あっちこっちさがしまわりました。そうしているうちに、木のいただきにとまっている一のツグミが、「カラスにさらわれた」というやつに、からかわれたといって、泣いているのを聞きつけました。それで、さっそく、ツグミにきいてみますと、その「カラスにさらわれた」というものが、どっちへいったかを教えてくれました。それからも、森バトや、ムクドリや、野ガモにであいましたが、みんな口ぐちに、チビスケのいたずら小僧こぞうに歌のじゃまをされたといっては、くやしがっていました。そして、そいつの名まえは、「カラスにさらわれたもの」とか、「カラスにぬすまれたもの」とか、言っていたということでした。こんなふうにして、ふたりは、スンネルブー地方のヒースのえている、あのれ地まで、オヤユビくんのあとをたどっていくことができたのでした。
 そして、モルテンとダンフィンは、オヤユビくんを見つけると、すぐに、ターベルイへいくために、北のほうをさして飛んできたのです。しかし、ターベルイまでは、ずいぶん道のりがありました。そこで、いま、山のいただきがまだ見えないうちに、早くも日がれてしまったのでした。
「あした、ターベルイにいきさえすれば、もう心配しんぱいはないんだ。」と、ニールスは思いながら、わらの中にもぐりこんで、あたたまろうとしました。
 牝牛めうしは、そのあいだじゅうさわいでいましたが、とつぜん、ニールスにむかって話しだしました。
「おまえさんたちのうちのひとりは、たしか小人こびとだと言いましたね? もし、ほんとうにそうなら、牛のせわができるでしょう?」
「いったい、何がたりないのさ?」と、ニールスはききました。
「なにもかもないんですよ。」と、牝牛は言いました。「ちちもしぼってもらえないし、せわもしてもらえない。夜のかいばもなければ、寝るところもない。おくさんは、夕方ここへきて、いつものようにせわをしてくださっていたんですが、急に気もちがわるくなって、いそいで帰ってしまいました。それっきり、こないんですよ。」
「お気のどくだが、ぼくは、このとおりちっぽけで、力もない。」と、ニールスは言いました。「とてもきみのお役にはたてそうもないよ。」
「ちっちゃいからといって、力がないとは思えませんね。」と、牝牛めうしは言いました。「いままで話に聞いている小人こびとというのは、みんな力が強くって、車いっぱいんだれ草をひっぱることもできるし、げんこで牛を一打ちに殺すこともできたということですよ。」
 それを聞いて、ニールスは、思わずふきだしてしまいました。そして、
「ぼくは、そんな小人とはちがうんだよ。でも、きみの首のくさりをといて、入口の戸をあけてあげるよ。そうすりゃ、きみはおもてへいって、水をめるだろう。それから、枯れ草の置場おきばによじのぼって、きみのおけの中に枯れ草を投げおとしてみるよ。」と、言いました。
「ええ、そうしてもらえば、すこしは助かりますよ。」と、牝牛は言いました。
 ニールスは、そのとおりにしました。こうして、牝牛のおけには、枯草がいっぱいになりました。ニールスは、こんどこそおちついてねられるだろうと思いました。ところが、まだわらの中にもぐりこんだか、もぐりこまないうちに、またも牝牛めうしが話しかけました。
「もうひとつおねがいがあるんですけど、どうでしょうね?」
「ぼくにできることならばね。」と、ニールスは言いました。
「それじゃ、お願いしますが、このまむかいにある母屋おもやにいって、おくさんのようすを見てきてください。どうかしたんじゃないかと心配でたまらないんです。」
「いや、そりゃあ、こまるよ。ぼくは人間の前にでていく勇気ゆうきはないもの。」と、ニールスは言いました。
病気びょうきのおばあさんをこわがることはないじゃありませんか。それに、部屋へやの中まではいっていかなくても、戸口に立って、すきまからのぞいてくれりゃいいんですもの。」と、牝牛は言いました。
「うん、それだけのことなら、ひきうけたよ。」と、ニールスは言いました。
 そこで、牛小屋の戸をあけて、中庭なかにわにでました。ところが、なんというおそろしいばんでしょう。空には、お月さまもお星さまもなく、風がヒュウ、ヒュウとものすごいうなり声をあげ、雨がザア、ザアとはげしくふっています。それに、なによりも恐ろしいことには、母屋おもやのきに、大きなフクロウが七もならんでとまっているではありませんか。そのフクロウたちが、雨風あめかぜにむかってうなっている声を耳にしますと、思わずぞっとしてしまいます。しかも、その一羽にでも見つかったら、いったいじぶんの身はどうなるでしょう。そのときこそ、この身のさいごにちがいありません。そう思うと、ますますおそろしくなりました。
 それでも、ニールスは思いきって、中庭にでました。そして、「ちっぽけなものは、あわれだなあ!」と、ひとりごとを言いました。ほんとうに、そのとおりでした。なぜって、母屋おもやにつくまでに、風のために二どまでも、吹きとばされてしまったのです。一どなどは、水たまりの中に吹きたおされました。しかもその水たまりは深かったので、もうすこしでおぼれそうになりました。でも、ようやくのことで母屋にたどりつきました。
 段々だんだんをのぼり、しきいをこえて、玄関げんかんにはいりました。部屋の戸はしまっていましたが、すみのほうに、ネコが出はいりできるくらいのあながあいていました。ニールスは、そこから中のようすをのぞいて見ました。
 ところが、ひと見たしゅんかん、びっくりして、おもわず頭をひっこめました。白髪しらがのおばあさんが、ゆかの上にたおれているではありませんか。身動きもしませんし、うめき声一つあげません。それでいて、顔はふしぎに白くかがやいていました。まるで、雲間くもまにかくれたお月さまの弱い光にらされているようでした。
 ニールスは、じぶんのおじいさんが死んだときにも、やっぱりこんなふうに、ふしぎに白い顔をしていたことを思いだしました。そうしてみると、ゆかの上にたおれているおばあさんは、きっと死んでいるのにちがいありません。おそらく、寝床ねどこにはいるひまもなく、急にたおれてしまったものでしょう。
 こんなくら真夜中まよなかに、死んだ人とふたりきりかと思いますと、たまらないほど恐ろしくなりました。ころがるように段々だんだんをかけおりて、大いそぎで牛小屋にとんで帰りました。
 ニールスが母屋で見てきたことを話しますと、牝牛めうしはたべるのをやめて、
「それじゃ、おくさんは死んだんですね。すると、このわたしも、もうおしまいですよ。」と、言いました。
「だれか、きみのせわをしてくれる人が、じきにくるよ。」と、ニールスはなぐさめて言いました。
「ああ、おまえさんは知らないけれども、」と、牝牛は言いました。「わたしはね、ふつう屠殺台とさつだいにつれていかれる牛よりも、ばいも年をとっているんですよ。でも、もうあのおくさんにめんどうをみてもらえないんなら、生きていたいとも思いません。」
 牝牛は、しばらくのあいだ、ひとことも言いませんでした。しかし、ニールスが気をつけて見ていますと、牝牛は眠ってもいなければ、草をたべてもいませんでした。そして、やがてまた話しはじめました。
「おくさんは、何もないゆかの上にたおれているんですか?」と、牝牛はたずねました。
「そうだよ。」と、ニールスは答えました。
「おくさんは、この小屋へきては、いつも苦しいことを話していましたっけ。わたしには、答えることはできませんでしたが、言うことはみんなわかりましたよ。この二、三日は、じぶんが死んだとき、だれもそばにいてくれないのが、とっても心配しんぱいだと言つて[#「言つて」はママ]いました。死んでも、目をとじてくれたり、両手をむねの上でわせてくれる人のいないのが、気になってしかたがなかったんですね。どうか、おまえさん、もう一どいって、そうしてやってくれませんか?」
 ニールスはためらいました。けれども、おじいさんが死んだときには、おかあさんが、なにもかも、うまくしまつしたことを思いだしました。そして、だれかがそうしなければならないんだ、と思いました。とはいっても、こんなきみわるいよなかに、死んだ人のところへいく気にはとてもなれません。ニールスはいやとも言わず、そうかといって、戸口にいこうともしませんでした。
 年とった牝牛めうしは、返事へんじを待っているらしく、しばらくだまっていました。しかし、ニールスがなんにも言わないので、また話しだしました。でも、もう一どたのもうとするのではなくて、こんどは、おくさんのことを話しはじめました。
 話したいことは山ほどありますが、まずさいしょは、おばあさんのそだてた子どもたちのことです。子どもたちは、まいにち牛小屋へきました。そして、夏になると、ぬまやこんもりとした森の中に、牝牛をつれていきました。だから、この牝牛は子どもたちのことは、なんでも知っていました。どの子もじょうぶで、ほがらかで、きんべんでした。「ウシというものは、じぶんのせわをしてくれる人が、いい人かどうかを、よく知っているものですよ。」と、牝牛は言いました。
 農場のうじょうについても、いろいろ話がありました。それは、たいへん大きくて、といっても、大部分がぬまや石だらけのれ地だったのですが、いまのようにみすぼらしいものではありませんでした。畑になるようなところこそ、あまりありませんでしたが、牧草ぼくそうはどこにもたくさんえていました。ひところなどは、牛小屋のどの区画くかくの中にも、牛が一とうずついましたし、いまはからっぽになっている牡牛おうし小屋にも、りっぱな牡牛がたくさんいたものでした。だから、そのころは、母屋おもやをみても、牛小屋をみても、みんな陽気ようきで、よろこびにみちあふれていました。おくさんは牛小屋の戸をあけるときは、いつも鼻歌はなうたをうたっていたものですし、牛たちはおくさんがきたのをよろこんで、モウモウとないていたものでした。
 ところが、この家のご主人は、子どもたちがまだ小さくて、仕事の手だすけもできないころに死んでしまいました。そのため、おくさんは農場のうじょうのことを、いっさいひとりでやらなければならなくなったのです。おくさんは男のようにしっかりした人で、じぶんでたがやしもしたり、とりいれもしました。でも、夕がた、ちちをしぼりに牛小屋へきたとき、くたびれすぎて、泣いていることもありました。しかし、すぐに子どもたちのことを思いだしては、元気になりました。そして、なみだをふきながら、こう言ったものでした。
「なんでもない。なんでもない。あたしにだって、またいい時がくるわ。子どもたちが大きくさえなれば。そうだわ、子どもたちが大きくさえなれば。」
 しかし、子どもたちは大きくなりますと、それぞれふしぎなあこがれをもつようになりました。故郷こきょうにいるのがいやになって、みんな遠い外国がいこくへいってしまいました。おかあさんは、子どもたちになにひとつ、手だすけをしてもらったことはありませんでした。それどころか、子どもたちのなかのふたりは、出かけるまえに結婚けっこんしていて、うまれた小さい子どもたちを、おばあさんのところにあずけて、いってしまったのです。で、こんどは、このまごたちが、おばあさんを牛小屋につれてきました。ちょうど、むかし、子どもたちがしたように、孫たちはよく牛のめんどうをみました。ほんとうにいい子どもたちでした。おばあさんは、夕がた、ちちをしぼりながら、くたびれすぎて、いねむりをしそうになりますと、いつも孫たちのことを考えては、気をひきたてるのでした。「わたしにだって、いつかいい時がくるさ。」と、おばあさんは、ねむけをはらいのけながら、言いました。「孫たちが大きくさえなれば。」
 ところが、孫たちも大きくなりますと、外国がいこくにいる、おとうさんとおかあさんのところへいってしまいました。だれひとり家にのこるものもなければ、もどってくるものもありませんでした。年とったおばあさんは、この農場のうじょうでひとりぽっちになってしまったのです。
 おそらく、おばあさんは、まごたちに、じぶんのそばにいてくれ、とはたのまなかったのでしょう。
「ねえ、赤や。おまえ、孫たちが一にんまえになったときに、ここにいっしょにいてくれ、とたのめると思うかい?」おばあさんは牛小屋へきて、牝牛めうしのそばに立っては、いつもこう言うのでした。「このスモーランドにいたんじゃ、いつまでたっても貧乏びんぼうぐらしだものね。」
 しかし、一ばん下の孫がいってしまったときには、さすがに、おばあさんもすっかりがっかりしてしまいました。急にこしがまがり、白髪しらがもふえてきました。そして、あるくのにもよろよろとして、まるで、動く力がなくなってしまったようでした。それからは、はたらくのもやめてしまいました。農場のうじょうのせわもしなくなりましたし、なにもかも、ほったらかしておきました。家もれはてるにまかせて、修繕しゅうぜんもしませんでした。牝牛めうし牡牛おうしも売ってしまいました。けれども、いまオヤユビくんと話をしている、年とった牝牛だけは売らずにおきました。この牝牛だけは、生かしておきたかったのです。思えば、どの子も、どのまごも、一生けんめいせわをしてやった牛でしたから。
 おばあさんは、仕事しごとの手つだいに、下男げなん下女げじょをやとうこともできたでしょう。けれども、じぶんの子どもたちが、おばあさんを残していってしまってからは、身ぢかに他人たにんを見たくなかったのです。それに、じぶんが死んだのちに、子どもたちがもどってきて、この農場のうじょうを受けつごうというわけではないのですから、れはてるにまかせておいたほうが、かえってよかったのでしょう。こうして、じぶんのものも、ちっともだいじにしませんでしたから、貧乏びんぼうになっても、平気でいました。ただ、じぶんがこんなひどいらしをしていることを、子どもたちが聞かなければいいが、と、そればかりを気にしていました。
「子どもたちの耳に、はいらなければいいが! 子どもたちの耳に、はいらなければいいが!」おばあさんは、牛小屋の中をよろよろとあるきながら、ためいきをついてはこう言いました。
 子どもたちは、しょっちゅう手紙をよこしては、おばあさんにもきてくれるように言いました。しかし、おばあさんはいこうとはしませんでした。おばあさんとしては、子どもたちをじぶんから、うばってしまった国などを見たくなかったのです。おばあさんは、その国にたいしてはらをたてていました。
「子どもたちが、あんなにすきな国をきらうなんて、わたしのほうがどうかしているんだろう。」と、おばあさんは言いました。「でも、わたしはそんな国は見たくない。」
 おばあさんは、いつもいつも、子どもたちのことと、けっきょく子どもたちは、外国がいこくへいかねばならなかったのだ、ということばかり考えていました。夏になると、おばあさんは牝牛めうしをつれて大きなぬまにいきました。そして、一日じゅう、手を着物きものの中につっこんで、沼のはずれにすわっていました。帰り道には、きまってこう言いました。
「ねえ、赤や、ここがこんなやせた沼地ぬまちばかりでなくって、大きなえた畑もあったら、あの子たちも、よそへはいかなくてもよかったろうにねえ。」
 おばあさんは、目の前にひろびろとひろがってはいても、なんの役にもたたないこの沼地にたいして、ほんとうに腹をたてることもありました。そして、子どもたちがじぶんを残していってしまったのは、みんなこの沼地のせいだと言いたてました。
 ゆうべは、おばあさんは、いつもよりもよろよろしていて、とてもあぶなっかしそうでした。ちちをしぼることさえもできませんでした。かいばおけによりかかりながら、さっきおばあさんをたずねてきて、この沼地ぬまちを買いたいと言った、ふたりの見知らぬお百姓ひゃくしょうさんのことを話していました。その人たちは、沼の水をほして、畑にしようというのだそうです。この話に、おばあさんはうれしいような、心配しんぱいのような気もちになっていました。
「いいかい、赤や。いいかい。この沼にライムギがえるようになるんだってよ。さあ、子どもたちに手紙でも書いて、帰ってくるように言ってやろうよ。もうよその国にいっている必要ひつようはないんだよ。だって、これからは、家にいても、たべていけるようになるんだもの。」
 その手紙を書くために、おばあさんは母屋おもやにもどったのでした。――――
 ニールスは、牝牛めうしが話しつづけるのを、もう聞いてはいませんでした。牛小屋の戸をあけて、中庭なかにわをよこぎり、さっきまではあんなにこわがっていた、死人しにんのいる部屋へやにはいっていきました。
 部屋の中は、思ったほどみすぼらしくはありませんでした。アメリカに知りあいのある人の家に、よく見られるようなものが、たくさんならんでいました。すみのほうには、アメリカせいいすがありますし、窓ぎわのテーブルには、美しくぬいとりをしたビロードのきれがかけてあります。それから、ベッドには美しいおおいがかけてあります。かべには、外国がいこくにいっている子どもやまごたちの写真しゃしんが、木彫きぼりのがくぶちにいれられて、かかっています。机の上には、たけの高いびんと、ふとい、らせん形のロウソクを立てた、一対いっついのロウソク立てがおいてあります。
 ニールスは、マッチ箱をさがして、そのロウソクに火をともしました。ニールスがそうしたのは、部屋へやの中をもっとあかるくするためではなくて、そうすることが死んだ人にたいする礼儀れいぎだと思ったのです。
 それから、おばあさんのところへいって、しずかに目をとじてやり、両手をむねの上に組ませてやりました。そうして、顔にかかっている、うすい白髪しらがをきれいになおしてやりました。
 ニールスは、もうちっともこわくはなくなりました。それどころか、おばあさんが死ぬときまで、子どもたちのことを思いながら、ひとりさびしくらさなければならなかったことを思いますと、心から気のどくになりました。そして、せめてこんや一晩ひとばんは、このおばあさんのなきがらを見守みまもっていてあげようと思いました。
 ニールスは、讃美歌さんびかの本をさがしだして、ひくい声で二つ三つ読みはじめました。ところが、読んでいるさいちゅうに、とつぜん、途中とちゅうでやめてしまいました。なぜって、急におとうさんとおかあさんのことが頭にかんできたからです。
 親というものは、こんなにまで子どものことを思っているんだなあ! ニールスは、いままでそんなことはゆめにも考えたことがありませんでした。子どもが遠くへいってしまえば、まるで生きがいがなくなってしまうんだなあ! そうしてみると、このおばあさんとおなじように、ぼくのおとうさんとおかあさんも、ぼくのことばかり思っているかなあ!
 ニールスはこう考えますと、うれしくなりましたが、そうしんじることはできませんでした。だって、いくらなんでも、じぶんみたいな者のことは、だれもそんなに思ってはくれないでしょうから。
 でも、いままではそうであったにしても、これからは、じぶんも、もっとちがった人間になるでしょう。
 ニールスは、まわりにかかっている、外国がいこくへいってしまった人たちの写真しゃしんをながめました。男の人も女の人も、強そうな大きな人たちです。長いヴェールをかぶった花よめもいますし、りっぱなふくをきた紳士しんしもいます。それから、美しいまっ白な服をきた、まき毛の子もいます。そして、どの人もどの人も、みんな遠くのほうを、じいっと見つめているように見えました。
「あなたがたはかわいそうに!」と、ニールスは写真しゃしんにむかって言いました。「あなたがたのおかあさんは死んだんですよ。あなたがたが、おかあさんのそばを、はなれていったことを、いくら後悔こうかいしても、もうそのつぐないはできないんですよ。でも、ぼくのおかあさんはまだ生きているんだ!」
 ここで、ことばをきって、ひとりでうなずきながら、ニコニコしました。そして、また、
「ぼくのおかあさんは生きているんだ。おとうさんもおかあさんも生きているんだ。」と言いました。
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18 ターベルイからフースクヴァルナまで


四月十五日 金曜日
 ニールスは、ほとんど一晩ひとばんじゅう目がさめていました。あけがたになって、すこしねむりましたが、そのとき、おとうさんとおかあさんのゆめをみました。けれども、ふたりともすっかり年よりになっていて、白髪しらがが多くなり、顔にはしわがよっていました。いつものおとうさんおかあさんとは思えないくらいでした。ニールスはびっくりして、どうしたんですか、とたずねました。すると、ふたりは、おまえのことばかり考えて心配しんぱいしているものだから、こんなに年とってしまったんだよ、と答えました。ニールスは、深く心をうごかされました。と、同時どうじに、おどろきました。だって、いままでは、おとうさんとおかあさんは、じぶんがいなくなって、よろこんでいるだろうと思っていたんですもの。
 目がさめたときには、もう朝になっていました。外はあかるい、よいお天気てんきでした。まず部屋へやの中で見つけたパンをたべて、それから、ガチョウと牝牛めうしに朝のたべものをやりました。さいごに、牛小屋の戸をあけて、牝牛に、となりの農場のうじょうへいくように言いきかせました。となりの人たちは、牝牛がひとりでやってきたのを見れば、おばあさんに何か、かわったことでもおこったんだろうと思うでしょう。そして、みんなは、どうしたことだろうと、このれはてた農場のうじょうけつけてくるでしょう。そうすれば、おばあさんのなきがらを見つけて、お葬式そうしきをしてくれるでしょう。
 ニールスとガチョウたちが、空にいあがりますと、まもなく高い山が見えてきました。見れば、その山壁やまかべは、ほとんど切り立っていて、いただきは切りおとされたようになっています。それこそターベルイ山にちがいありません。頂きには、アッカをはじめ、ユクシ、カクシ、コルメ、ネリエー、ヴィシ、クウシのほかに、六の若いガンたちが三人を待っていました。みんなは、モルテンとダンフィンがうまくオヤユビくんをさがしだしてきたのを見ますと、大よろこびで、うれしそうなさけび声をあげながら、つばさをバタバタやりました。そのよろこびさわぐありさまは、まったく、たいへんなものでした。
 ターベルイ山の山腹さんぷくには、かなり高くまで森がしげっていますが、山のいただきには木が一本もありません。そこからは四方八方を見わたすことができます。東を見ても、南を見ても、西を見ても、なにもえていない高地こうちのほかはほとんど何も見えません。そこには、黒々としたモミの森と、褐色かっしょくぬまと、こおりにおおわれたみずうみと、青みがかった山のみねとが見えるばかりです。ニールスは、いつかマッツの話していた、昔からの言いつたえを思いだしました。この地方はあまりほねをおらずに、大いそぎでつくられたという話だ、だがあの話は、たしかにほんとうだ、と思いました。ところが、こちらのほうを見れば、まるでちがっています。こちらは、めぐみぶかい心で、ていねいにつくられているように見えました。こちらのほうには、美しい山々や、低い谷や、ゆるやかにうねっている川がいくつも見えます。そして、それらの川は、ヴェッテルンという、氷一つない、みきった大きなみずうみにそそいでいるのです。ヴェッテルン湖は、まるで水のかわりに青い光でもたたえているかのように、キラキラとかがやいていました。
 北へのながめをこんなにも美しくしているのは、まぎれもなくヴェッテルン湖です。なぜなら、青い光が一すじ、このみずうみから立ちのぼって、それがこの地方ぜんたいにひろがっているように見えるのでした。こんもりとした森や、おかや、ヴェッテルンの岸べにそって、キラキラ光っているエンチェーピング市の屋根やねや、とうなどが、うす青色につつまれて、人の目をひきつけているのです。もしも天上に国があるとすれば、それもやっぱりこんなふうに青いにちがいありません。ニールスは、楽園らくえんというところがどんなふうか、おぼろげながらわかったような気がしました。
 ガンたちは、その日、旅をつづけることになって、その青い谷のほうへ飛んでいきました。みんなは、たのしいおまつ気分きぶんになっていて、鳴いたり、さけんだり、大さわぎをしながら飛んでいきました。
 この地方では、きょうが、ほんとうに春らしい、はじめてのいいお天気でした。いままでは、春とはいっても、雨風にたたられてばかりいたのです。それが、きょう急にすばらしい天気てんきになりましたので、地上の人たちは、あたたかいお日さまの光と、みどりの森がこいしくなって、じっと仕事をしていることができなくなりました。それで、ガンのむれがたのしそうに、のびのびと空を飛んできたとき、みんなは手をやすめて、ガンのむれをながめました。
 この日、ガンのむれの姿をさいしょに見た者は、ターベルイの鉱山こうざんで、鉱石こうせきっている鉱夫こうふたちでした。鉱夫たちは、ガンの鳴く声を耳にしますと、仕事をやめました。そして、
「どこへいくんだ? どこへいくんだ?」と、中のひとりが、ガンたちにむかってさけびました。
 ガンたちには、人間のことばはわかりません。それで、ニールスがかわって、ガチョウのせなかから身をのりだして、答えました。
「つるはしもハンマーもないところへ、いくんだよォ!」
 鉱夫こうふたちは、このことばをきいたとき、ガンの声が、まるで人間のことばのように聞こえるのは、じぶんたちが心にもっている、あこがれのせいだろうと思いました。そして、
「いっしょにつれてってくれえ! いっしょにつれてってくれえ!」と、さけびました。
「ことしはだめだよォ! ことしはだめだよォ!」と、ニールスはさけびかえしました。
 ガンのむれは、ターベルイ川にそって、ムンクのほうに飛んでいきましたが、そのあいだも大さわぎをしていました。このムンク湖とヴェッテルン湖とのあいだのせまい土地には、エンチェーピング市があって、ここには、大きな工場こうじょうがたくさんあります。ガンのむれは、まずムンク製紙工場せいしこうじょうの上を飛びました。ちょうど昼休ひるやすみがおわって、大ぜいの職工しょっこうたちが、工場の門をはいっていくところでした。職工たちは、ガンの鳴き声をききつけますと、ちょっと立ちどまって、
「どこへいくんだい? どこへいくんだい?」と、さけびました。
 ガンには何もわかりませんでしたが、ニールスがかわって答えました。
機械きかいもボイラーもないところへいくんだよォ!」
 職工しょっこうたちは、この答えをきいて、ガンの鳴き声が人間のことばのように聞こえるのは、じぶんたちが心にもっているあこがれのせいだろうと思いました、[#「思いました、」はママ]そして、
「いっしょにつれてってくれよォ! いっしょにつれてってくれよォ!」と、みんなでさけびました。
「ことしはだめだよォ! ことしはだめだよォ!」と、ニールスはさけびかえしました。
 そのつぎには、ガンたちは、ヴェッテルンの岸べにある、有名ゆうめいなマッチ工場こうじょうの上を飛びました。とりでのように大きな工場で、たくさんの煙突えんとつが、空高くきでていました。外にはだれもいませんでしたが、大きな部屋へやの中には、若い女工じょこうたちがすわって、マッチを箱につめていました。天気てんきがいいので、まどはあけはなされていました。そこから、ガンの鳴き声が聞こえてきました。窓ぎわにすわっていたひとりの女工が、マッチ箱を手にしたまま、窓から顔をだして、
「どこへいくの? どこへいくの?」と、さけびました。
「あかりもマッチもいらない国へ、いくんだよォ!」と、ニールスが答えました。
 少女は、ガンが鳴いているのだろうと思いましたが、そのことばが、はっきり耳にはいりましたので、思わず、
「あたしもいっしょにつれてってえ!」と、さけびました。
「ことしはだめだよォ! ことしはだめだよォ!」と、ニールスは答えました。
 工場こうじょうの東にあたる、じつにすばらしい場所ばしょに、エンチェーピング市があります、[#「あります、」はママ]細長ほそながいヴェッテルンの東がわと西がわには、高くてけわしい砂丘さきゅうがあります。けれども、南がわは、砂丘さきゅうかべがくずれおちて、まるで大きな門のようになっています。そこを通って、ヴェッテルン湖にでることができるのです。そして、この門のまんなかに、ひだりてと右てには山をひかえ、うしろにはムンク湖、前にはヴェッテルン湖をのぞんで、エンチェーピング市があるのです。
 ガンたちは、この細長い市の上を飛びながら、あいかわらず鳴きさけびました。ところが、この市では、だれも答えてくれる者はありませんでした。むりもありません。市の人たちが通りに立ちどまって、ガンにむかってさけぶなんてことは、考えられませんもの。
 やがて、詩人しじんヴィクトル・リュドベルイの胸像きょうぞうのある、公園こうえんの上にきました。公園の中はひっそりとしていて、高い木々の下には、散歩さんぽをしている人の姿も見うけられませんでした。ところが、とつぜん、どこからともなく、力づよい声が、ガンたちの耳に聞こえてきました。
「どこへいく? どこへいく?」
「通りも広場ひろばもないところへ、いくんだよォ!」と、ニールスはさけびました。
「いっしょにつれていってくれ!」と、その力づよい声がさけびました。その声は、まるで青銅せいどうのどからでてくるようでした。
「ことしはだめだよォ! ことしはだめだよォ!」と、ニールスは答えました。
 それから、ガンのむれは、ヴェッテルンの岸にそって飛びました。しばらくすると、アンナ病院びょういんの上にきました。病人びょうにんが二、三人、露台ろだいにでて、すがすがしい春の空気をたのしんでいましたが、ちょうどそのとき、ガンの鳴き声を耳にしました。
「どこへいくの?」と、その中のひとりが、ほとんど聞きとれないくらいの、弱々よわよわしい声でたずねました。
心配しんぱい病気びょうきもない国へ、いくんだよォ!」と、ニールスは答えました。
「いっしょにつれていって!」と、病人びょうにんは言いました。
「ことしはだめだよォ! ことしはだめだよォ!」と、ニールスはさけびました。
 みんなは飛びつづけて、フースクヴァルナにきました。この村は谷間たにまにあって、ぐるりの山々は、けわしいけれど美しい形をしていました。一つの川が細長いたきになって、おかにそってながちていました。山のふもとには大きな工場こうばがいくつもありました。そして、谷間には小さい庭のある職工しょっこうたちの家々が、あちこちに見えました。谷間のまんなかには学校がっこうがありました。ちょうど、ガンがその上にきたとき、おおぜいの生徒せいとたちがならんで出てきて、たちまち校庭こうていにいっぱいあらわれました。
「どこへいくの? どこへいくの?」と、子どもたちは、ガンの鳴き声をききつけて、さけびました。
「本も宿題しゅくだいもないところへ、いくんだよォ!」とニールスは答えました。
「いっしょにつれてってよォ!」と、子どもたちはさけびました。
「ことしはだめ、来年らいねん来年らいねん!」と、ニールスはさけびました。「ことしはだめ、来年来年!」
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19 大きな鳥のみずうみ


野ガモのヤッロー


 ヴェッテルン東岸とうがんには、オムベルイ山がそびえています。そのオムベルイ山の東には、ダーグスモッセがあり、さらにダーグスモッセの東にはトーケルンがあります。そして、トーケルン湖のまわりには、大きなエステルイエータ平野へいやがひろびろとひろがっています。
 トーケルン湖は大きな美しいみずうみです。けれども、むかしはもっと大きかったにちがいありません。そのころの人たちは、この湖が、えたゆたかな平野を大きく占領せんりょうしているので、その水をしてしまって、そこにはたけをつくろうとしました。しかし、みんなの考えていたように、湖ぜんぶをうまく干してしまうことはできませんでした。そのために、いまでもこんなに大きいのです。しかし、湖の水を干そうとしてからは、ずっとあさくなって、いまでは二メートル以上の深さのところは、ほとんどありません。岸べは沼地ぬまちのようにどろどろしていますし、みずうみの中には、どろの小島があっちにもこっちにも水面すいめんに顔を出しています。
 さて、この湖には、足だけ水の中に入れて、頭とどうを水のおもてにつきだしたがっているものがあります。それはアシです。しかも、浅くて長くつづいているこのトーケルン湖の岸べと、泥の小島のまわりぐらい、アシがえるのにもってこいの場所ばしょはないのです。アシは、人間のよりも高く、びっしりとしげるものですから、小舟こぶねでさえも、その中にわけいることはできません。この湖のまわりにも、みどりのアシが広いかきをつくっているために、人間はアシをりとった、ごくわずかのところにしか近づくことができないのです。
 アシは人間をよせつけないかわりに、ほかのたくさんのき物にとっては、絶好ぜっこうのかくれ場所となるのです。アシのあいだには、静かなみどりの水をたたえた、小さな池や堀割ほりわりがあります。そこには、ウキクサやヒルムシロがはびこりますし、ボウフラや、魚の子や、オタマジャクシなどが、うじゃうじゃとかえります。そして、こういう小さい池や堀割にそっては、水鳥たちが、てきにおそわれたり、たべものに不自由ふじゆうする心配しんぱいもなく、安心あんしんして、卵をかえしたり、ひなをそだてたりすることのできるところがたくさんあるのです。
 このアシのあいだには、信じられないほどたくさんの鳥が住んでいます。しかもそこが、すばらしいみかだということが知れわたってしまいましたので、年々ねんねんそのかずはふえるばかりです。さいしょに、ここに住みついたのは、野ガモでしたが、いまでもまだいく千も住んでいます。しかし、もう湖ぜんぶをひとりで占領せんりょうしているわけにはいきません。白鳥や、モグリドリや、黒ガモや、アビや、ハイシロガモや、そのほかたくさんの鳥に領地りょうちをわけてやらなければならなくなりました。
 トーケルンは、たしかに、スウェーデンじゅうでも、いちばん大きな、いちばんすばらしい鳥の湖です。ですから、鳥たちは、こういうかく場所ばしょをもっていられるあいだは、身のしあわせをよろこばなければなりません。しかし、これからさき、どのくらいのあいだ、このアシとどろの岸とを、鳥たちがじぶんのものとしていられるかは、ちょっと見当けんとうがつきません。なぜなら、人間は、この湖がえたゆたかな平野へいやの大きな部分ぶぶんに、ひろがっていることを忘れてはいないからです。それどころか、人間のあいだには、またこの湖の水をそうかという相談そうだんが、ときおりもちあがっているのです。もしこの計画けいかく実行じっこうされることになりますと、いく千という水鳥がここから立ちのかなければならないことになるでしょう。
 ニールス・ホルゲルッソンが、ガンの仲間といっしょに旅をしていたころ、このトーケルン湖に、ヤッローという名まえの野ガモが住んでいました。ヤッローは、まだ夏と秋と冬としか、すごしたことのない若い鳥でした。ですから、こんどはじめて春をむかえたわけでした。そして、ついさいきん、北アフリカから帰ってきたばかりでした。ヤッローがトーケルン湖に帰ってきたころは、まだみずうみの上には氷がはっていました。
 ある夕方、ヤッローは、ほかの若いカモたちといっしょに、湖の上をあっちこっち飛びまわって遊んでいました。と、とつぜん、ヒュウッと二はつたまが飛んできて、ヤッローのむねにあたりました。ヤッローは、もうだめだ、とは思いましたが、かりゅうどにつかまらないように、一生けんめい飛びました。どこへというあてはありませんが、ただ遠くへ遠くへと飛んでいきました。だんだん力がよわって、もうこれ以上飛ぶことができなくなったときには、トーケルン湖の上をすぎて、湖のほとりにある大きな農家のうかの上にきていました。そして、とうとうつかれはてて、その農家の入口の前に落ちてしまいました。
 まもなく、ひとりの作男さくおとこがでてきました。男はヤッローを見ると、つかつかとやってきて、いきなりヤッローをつかまえました。しかし、ヤッローの身になってみれば、ひとりでしずかに死にたいのです。そこで、なんとかしてのがれようと、さいごの力をふりしぼって、作男の指にかみつきました。
 ヤッローはげることはできませんでしたが、あばれたおかげで、作男はヤッローがまだ死んでいないことに気がつきました。それで、そっとかかえて、家の中にはいり、おかみさんに見せました。おかみさんは、親切しんせつそうな顔をした若い人でした。そして、すぐに作男さくおとこからヤッローを受けとって、せなかをさすってやったり、首の毛から流れおちる血をふいてやったりしました。それから、じっとヤッローをながめました。見れば、頭は濃緑色こみどりいろにつやつやしていて、首すじは白く、せなかは赤褐色せきかっしょくで、つばさは青く、じつに美しい鳥です。で、おかみさんは、このまま死なしてしまうのは、おしいと思いました。そこで、さっそく鳥かごをなおして、ヤッローをその中に入れてやりました。
 ヤッローはひっきりなしに、はねをバタバタやっては、げようとしました。しかし、人間に、じぶんを殺すつもりがないことがわかりましたので、安心あんしんしてかごの中でじっとしていました。いまは、きずいたみと出血しゅっけつのためにつかれきっていることが、じぶんでもよくわかりました。おかみさんは、かごをばたにもっていきましたが、それをおろしたときには、ヤッローはもう目をとじて、眠っていました。
 しばらくすると、ヤッローはだれかにそっとつつかれて、目をさましました。目をあいたとたんに、気が遠くなるほどびっくりしました。ああ、もうだめです! 目の前には人間よりも肉食にくしょくの鳥よりも、もっとおそろしいものがつっ立っているではありませんか。それはセーサルです。毛の長い、あの猟犬りょうけんのセーサルが、いまじぶんをかぎまわっているのです。
 去年きょねんの夏、ヤッローがまだ毛の黄色い子ガモだったころ、アシのあいだから、「セーサルがきたぞォ! セーサルがきたぞォ!」というさけび声が聞こえるたびに、どんなに恐ろしい思いをしたことでしょう。
 おそろしいをむきだした、茶と白のブチ犬が、アシのあいだをつき進んでくるのを見ますと、それこそいのちのちぢまる思いをしました。そして、セーサルとむかいあったがさいご、もう生きてはいられないと思ったものでした。
 ところが、ヤッローは、うんのわるいことに、セーサルのいる農家のうかに落ちてしまったにちがいありません。なぜって、そのセーサルが目の前にいるではありませんか。
「きさまはだれだ?」とセーサルはうなりました。「どうしてこの家へきたんだ? きさまの家は、あのアシのあいだにあるんじゃないのか?」
 やっとの思いで、ヤッローはこう答えました。「ぼくがこの家へきたからって、そんなにおこらないでください、セーサルさん! ぼくのせいじゃないんですもの。ぼくはたまたれて、けがをしたんです。そしたら、ここの家の人たちが、ぼくをこのかごの中にいれてくれたんです。」
「ふふん。それじゃ、きさまをここにいれたのは、家の人なんだな。そうしてみると、きさまのきずをなおしてやろうってつもりか。だが、おれはな、きさまなんかっちまうほうがいいと思うな。なにしろ、きさまはもうじたばたすることは、できねえんだから。が、とにかく、ここは安全あんぜんなところよ。そんなにびくびくするこたあないぜ。ここはトーケルンじゃねえからな。」
 こう言うと、セーサルは、まきのえているの前にねそべりました。ヤッローは、おそろしい危険きけんもぶじにすぎさったかと思いますと、たちまちくたびれを感じて、またもや眠りこんでしまいました。
 そのつぎに目がさめたときには、そばに穀物こくもつと水のはいったおさらがおいてありました。からだはまだ弱りきっていましたが、それでもおなかはすいていましたので、さっそくたべはじめました。おかみさんは、ヤッローがたべているのを見ますと、そばへやってきて、せなかをさすってくれました。そして、たいそうよろこんでいるように見えました。それから、またヤッローは眠りました。こうして、数日すうじつのあいだは、眠ってはたべ、眠ってはたべてばかりいました。
 ある朝、ヤッローは、からだぐあいが、だいぶよくなりましたので、かごからでて、ゆかの上をあるいてみました。ところが、まだいくらもいかないうちに、ころんでしまって、もうおきあがることができなくなりました。と、そこへセーサルがやってきて、大きな口をあけて、ヤッローをくわえました。ヤッローは、もちろんかみころされるものと、かくごしました。けれども、セーサルは、なんにもしないで、そのまま、かごの中へつれていってくれました。このことから、ヤッローはセーサルを、とても信頼しんらいするようになりました。そんなわけで、二どめにあるいたときには、ヤッローはじぶんから、セーサルのところへいって、そのそばにすわりました。それからというものは、セーサルとヤッローは、だいのなかよしになりました。そして、ヤッローは、まいにち、セーサルの足のあいだにはいって、しずかに眠りました。
 けれども、ヤッローは、このセーサルよりも、おかみさんのほうが、もっとすきでした。いまでは、おかみさんを、ちっともこわがらなくなりました。それどころか、えさをもってきてくれるときなどは、おかみさんの手によろこんで頭をこすりつけました。それから、おかみさんがどこかよそへ出かけるときには、さびしがって鳴きました。そして、帰ってくると、野ガモのことばで、うれしそうにおむかえをしました。
 ヤッローは、まえに、犬や人間をあんなにこわがっていたことを、すっかり忘れてしまいました。いまでは、どちらも、やさしい、親切しんせつなものに思われて、心からすきになりました。そして、早くじょうぶになって、トーケルン湖に飛んでいき、みんなに、てきと思っていた犬や人間は危険きけんなものではないから、こわがることはない、と教えてやりたいと思うのでした。
 この家の人たちも、セーサルも、やさしい目つきをしているので、ヤッローはみんなが大すきでした。ところが、この家にひとりだけ、どうしても目をわすのが、いやでたまらないものがおりました。それはネコのクローリナでした。クローリナも、ヤッローにたいしてなんにもわるいことはしませんでしたが、でも、このネコだけはどうしても信用しんようする気にはなれなかったのです。クローリナは、ヤッローがだんだん人間をすきになるのを見て、しょっちゅう口げんかをしては、
「人間がおまえさんをだいじにしてくれるのは、おまえさんがすきだからだと思っちゃ、まちがいだよ。」と、言いました。「まあ、いまに見ておいで。おまえさんがいいぐあいにふとってくると、首をしめられちまうんだよ。あたしゃ、これでも人間てものをよく知ってるんだからね。」
 ヤッローは、ほかの鳥とおなじように、やさしい心のぬしでした。ですから、ネコがこんなことを言うのを聞きますと、ほんとうにかなしくなってしまいました。あのおかみさんがじぶんの首をしめる! いや、そんなことは考えられません。ぼっちゃんにしたって、そんなことをしようとはゆめにも思えません。あのちっちゃなぼっちゃんは、何時間ものあいだ、じぶんのかごのそばにすわって、かわいい片言かたことでおしゃべりをしているではありませんか。ヤッローは、じぶんがおかみさんとぼっちゃんを大すきなのとおなじように、ふたりのほうでも、じぶんが大すきなんだと思っていました。
 ある日、ヤッローとセーサルがいつもどおり、の前にすわっていますと、クローリナがかまどの上からヤッローをからかいはじめました。
「ヤッローさん、トーケルンの水がされて、はたけになったら、おまえさんたち野ガモは、来年らいねんは、いったいどうなさるんだね?」
「なんですって、クローリナさん?」と、ヤッローはさけびながら、びっくりしてとびあがりました。
「そうそう、おまえさんは、セーサルさんやあたしとはちがって、人間のことばがわからないんだったね。」と、ネコは答えました。「さもなけりゃ、きのう、この家にいた人たちが話していたことを聞いたはずだもの。みんなはね、トーケルン湖の水をしてしまうから、来年らいねんは、みずうみの底が部屋へやゆかのようにかわいてしまうだろうって言ってたのさ。だから、そうなったら、おまえさんたち野ガモは、どこへいくのかと思ってね。」
 ヤッローは、この話を聞きますと、すっかりはらをたててしまいました。
「きみは、黒ガモみたいにひきょう者だね!」と、ヤッローはクローリナにむかってどなりました。「きみは、ぼくを人間ぎらいにさせたいんだろう。だけどぼくは、人間がそんなことをしようとは思わないね。だって、あのトーケルン湖が野ガモのものだってことは、人間だって知っているはずだもの。あんなにたくさんの鳥を宿やどなしにして、ふしあわせになんかするものか。きみは、ぼくをおどかそうと思って、そんなことを言ってるんだろう。きみなんか、ワシのゴルゴさんにきにされちまうといいや! そんなひげなんか、おくさんに切られちまうといいや!」
 しかし、これだけ言っても、まだクローリナをだまらせることはできませんでした。
「じゃあ、おまえさんは、あたしがウソを言ってると思ってるんだね。」と、クローリナは言いました。「それなら、セーサルさんにきいてごらんよ。セーサルさんも、ゆうべは家にいたんだからね。それに、セーサルさんはけっしてウソは言わないよ。」
「セーサルさん、」と、ヤッローはセーサルにむかって言いました。「きみは、クローリナなんかよりも、人間のことばがずっとよくわかるね。クローリナの言ってることはウソだねえ! だって、もしトーケルン湖をして、畑にしてしまったら、いったいどういうことになると思う。野ガモには、ヒルムシロもエビもなくなっちまうし、子ガモには、ボウフラも、魚の子も、オタマジャクシもみんななくなっちまうんだよ。それに、アシもなくなっちまうから、子ガモがべるようになるまでかくれていられるところもなくなっちまうんだ。そうなりゃ、いやでも野ガモはあそこを立ちのいて、新しいみかをさがさなきゃならない。でも、トーケルン湖のようないいかくれがは、どこにもありゃしない。ねえ、セーサルさん、クローリナはウソをついてるんだねえ。」
 この話のあいだのセーサルのようすは、じつにみょうなものでした。ついさっきまでは、たしかに目をさましていたのですが、ヤッローがセーサルのほうをむいたとたんに、大きなあくびをして、長いはなづらを前足まえあしの上にのせたかとおもうと、たちまち、ぐうぐうねこんでしまったのです。
 ネコはずるそうなうす笑いをうかべながら、セーサルを見おろしました。
「セーサルさんは、おまえさんに返事へんじをするのがいやらしいね。」と、ネコはヤッローに言いました。「セーサルさんだって、ほかの犬とおなじように、もし人間がわるいことをやれば、だまっちゃいないよ。まあ、とにかく、あたしの言うことは、ほんとうさ。人間がみずうみしたがるわけを、いま聞かしてやるよ。おまえさんたち野ガモがトーケルン湖をひとりじめにしていたころは、人間だって湖を干そうなんて思やしなかったのさ。だって、おまえさんたちは役にたつんだからね。それが、いまじゃ、モグリドリだとか、黒ガモだとか、たべられもしない、いろんな鳥が、ほとんどアシを占領せんりょうしちまっている。それで人間は、そんな鳥のためにみずうみをほったらかしておくことはないって考えたってわけさ。」
 ヤッローは、もうクローリナには答える必要ひつようはないと思いましたが、セーサルの耳もとでこう言いました。
「セーサルさん、きみも知ってのとおり、トーケルンには、いまでもまだ、たくさんの野ガモがいるんだよ。それをみんな人間が宿やどなしにしてしまうなんて、そんなことはウソだねえ。」
 そのとき、セーサルはとつぜんはねおきて、クローリナにおどりかかりました。ネコは、あわててたなの上にとびあがりました。
「やい、やい、おれがねたいときにゃ、ちったあしずかにしているもんだ。」と、セーサルはかみなりのような声でどなりつけました。「もちろん、おれだって、ことし、あのみずうみすって話のあることぐらい、知ってらあ。だが、こんな話は、いままでにもたびたびあったって、一どだって実行じっこうされたためしがねえんだ。それに、湖を干すなんてこたあ、おれの知ったこっちゃねえ。あの湖が干されちまったら、りはいったいどうなるんだ。そんなことをいい気になってしゃべりたてやがって、この大ばかやろう。トーケルンに鳥が一もいなくなったら、おればかりか、きさまだって、おもしろいことはなくなっちまうじゃねえか。」

おとりガモ


四月十七日 日曜日
 二、三日しますと、ヤッローは、すっかり元気げんきになって、家じゅうを飛びまわることができるようになりました。おかみさんはたいそうかわいがってくれますし、ぼっちゃんは庭にかけていっては、春の新しい草をむしりとってきてくれます。
 ヤッローは、いまではもう、いつでもすきなときに、トーケルンへ飛んで帰れるほど、すっかりじょうぶになりました。でも、おかみさんがやさしくなでてくれたりしますと、そんなときには人間たちから、はなれたくないような気になるのでした。いや、それどころか、死ぬまで人間のところにいたいと思うようにさえなりました。
 ところが、ある朝早く、おかみさんはヤッローの首になわをかけました。そのため、ヤッローはつばさが使つかえなくなりました。それから、おかみさんはヤッローを、いちばんさいしょに中庭なかにわで見つけた作男さくおとこにわたしました。作男はヤッローをかかえて、トーケルンにいきました。
 みずうみこおりは、ヤッローが病気びょうきでねているうちに、すっかりとけてしまいました。去年きょねんの秋のアシは、きしべや小島のまわりに、まだれのこっていましたが、新しい水草みずくさは底深くに根をおろして、そのみどりのさきは早くも水の上にまでとどいていました。そして、たいがいの渡り鳥がもう湖の古巣ふるすにもどってきていました。タイシャクシギのかぎがたをしたくちばしが、アシのあいだからのぞいていますし、モグリドリは首のまわりに新しい毛なみをみせて、しずかにおよぎまわっています。それから、コシギたちは、をつくろうとして、さかんに、わらを集めています。
 作男さくおとこ小舟こぶねって、ヤッローを舟底ふなぞこにおきました。それから、さおをさして湖の中にでていきました。ヤッローは、このごろでは、人間はいいものとばかりしんじていましたので、そばにいるセーサルにむかって、じぶんは、湖につれてきてくれた、この人にとっても感謝かんしゃしている、と言いました。だけど、じぶんはげるつもりはないんだから、こんなにきつくしばらなくったっていいのに、とも言いました。セーサルはなんとも返事へんじをしませんでした。そして、けさはまた、ひどくだまりこんでいます。
 ただ一つ、ヤッローがへんに思ったのは、その男が鉄砲てっぽうをもっていることでした。あの農家のうかのいい人たちが鳥をとうなんて、そんなことはとうてい信じられません。それに、セーサルの話では、いまごろはだれもりょうにでかけないということでした。
「いまは禁猟期きんりょうきなのさ。」と、セーサルは言いました。「もちろん、わしには関係かんけいはないがね。」
 作男さくおとこは、アシでかこまれているどろの小島にこいでいきました。そこで、小舟からおりて、れたアシを集めて、高くつみかさねました。そうして、そのうしろにこしをおろしました。ヤッローは、首になわをかけられ、長いひもで小舟につながれていましたが、そこらをあるきまわることができました。
 そのとき、まえにこのみずうみで、ヤッローといっしょに遊んだことのある若い野ガモたちの姿が見えました。みんなは遠くにいましたが、ヤッローは二、三ど、大きなさけび声をあげて呼びかけました。すると、たくさんの野ガモたちがそれに答えながら、近づいてきました。けれども、みんなのくるのが待ちきれずに、ヤッローは、じぶんが奇蹟的きせきてきに助かったことや、人間が親切しんせつなことを話しはじめました。と、そのとき、うしろでダン、ダンという鉄砲てっぽうの音がしました。とたんに、三の野ガモがアシのあいだにちおとされました。と、見るより早く、セーサルがとんでいって、野ガモたちをくわえてきました。
 これで、ヤッローには、なにもかもわかりました。人間たちは、じぶんをおとりに使おうと思って、たすけたのです。しかも、それはみごとに成功せいこうしたのです。野ガモが三羽も、じぶんのために殺されたではありませんか。はずかしくて、もう生きてはいられません。これでは、友だちのセーサルにも見さげられるでしょう。家へ帰ってからも、ヤッローは、いつものように、セーサルのそばへいって、ねようとはしませんでした。
 つぎの朝も、ヤッローはまた、その小島につれていかれました。こんどもまた、野ガモたちの姿が見えました。けれども、みんながじぶんのほうへ飛んできそうになりますと、そのたびにさけびました。
「あっちへ! あっちへ! 気をつけたまえ! アシの山のうしろには、かりゅうどが、かくれているんだよ。ぼくはおとりなんだから!」
 こうして、みんながたまのとどくところに近づかないように、うまくかばってやりました。
 ヤッローは、見はりにいそがしくて、草の葉をつついているひまは、ほとんどありませんでした。鳥が近づいてくるとみれば、ただちにあぶないとさけびました。黒ガモは、野ガモたちのいちばんいいかくれがをとってしまうので、ふだんは大きらいでしたが、その黒ガモたちにさえも知らせてやりました。いまは、じぶんのために、どんな鳥をもふしあわせなにあわせたくなかったのです。こうして、ヤッローが警戒けいかいしていたために、男は家へ帰るまで、とうとう一発いっぱつつことができませんでした。
 それにもかかわらず、セーサルは、きのうよりも、きげんがよくなったようでした。夕がたには、ヤッローを口にくわえて、のそばへつれていき、じぶんの足のあいだでねむらせました。
 しかし、ヤッローは部屋へやの中にいても、もう、すこしもたのしくはありませんでした。それどころか、じぶんの身をたいそうふしあわせにかんじました。人間たちがじぶんを、ほんとうにかわいがってくれているのではないと思いますと、たまらなくなりました。おかみさんや、ぼっちゃんがそばにきて、なでてくれても、くちばしをつばさの下につっこんで、眠ったふりをしました。
 いく日かのあいだ、ヤッローはこんなかなしい見はりばんをさせられました。ですから、ヤッローのことも、いまでは、みずうみじゅうに知れわたっていました。
 ある朝のこと、いつものように、「みんな、気をつけたまえ! ぼくに近よっちゃいけないよ! ぼくはおとりなんだから!」とさけんでいますと、むこうのほうからこの小島にむかって、モグリドリのが一つプカプカといてきました。といっても、これはべつにかわったことではありません。それは去年きょねんの巣でしたが、モグリドリの巣というものは、ボートのように、水の上を動くことができるようにつくられているのです。それで、湖の上にいていることもよくあるのです。けれども、ヤッローはその小島に立って、その巣をじっと見つめていました。なぜかと言えば、その巣は、まるでだれかが乗ってかじでもとっているように、まっすぐこの小島のほうへむかってくるのです。
 だんだん近づいてくるのを見れば、そのの中には、いままで見たこともないほどのちっぽけな人間がすわって、二本の小さなぼうでこいでいるではありませんか。そのとき、そのちっぽけな人間がヤッローにむかってさけびました。
「おーい、ヤッロー、いつでも飛べるように、できるだけ水ぎわに近よっているんだぜ。いますぐ自由じゆうにしてやるよ。」
 それからすぐに、そのは小島の近くにつきました。けれども、そのちっぽけなこぎてはすぐにでてこないで、枝とわらとのあいだにちぢこまって、かくれていました。ヤッローもほとんど身動みうごき一つしませんでした。その小人が、いまにも見つかりはしないかと、ハラハラして、じっとかたくなっていたのです。
 と、つづいてガンの一むれが飛んできました。それと見るや、ヤッローは、はっとわれにかえって、あぶない、と大声で注意ちゅういしました。ところが、ガンたちは、それでも、この小島の上を何回なんかいも何回もいったりきたりするのです。ガンたちは、たまがとどかないほど高いところを飛んでいますが、男は、ついってみたくなって、思わずダン、ダンと二発射ってしまいました。と、そのとたんに、そのちっぽけなものは、小島にとびあがって、小さなナイフをさやから引きぬくが早いか、すばやくヤッローのなわを切りはなしました。そして、
「さあ、飛ぶんだ、ヤッロー、たまをつめかえないうちに!」と、さけびながら、モグリドリの巣にとびのって、いそいできしをはなれました。
 男はガンにばかり気をとられていましたので、ヤッローがげるのには気がつきませんでした。しかし、セーサルのほうは、よく見はっていました。で、ヤッローがつばさをあげたとたんにおどりかかって、くびたまをくわえました。
 ヤッローは、あわれなさけび声をあげました。すると、ヤッローをがしてくれたチビスケが、おちつきはらって、セーサルに言いました。
「おまえの心が、おまえの姿すがたとおなじようにりっぱだったら、こんなおとなしい鳥に、おとりのようないやしい仕事をさせておきゃあしないだろうなあ!」
 セーサルはこれを聞きますと、にくにくしそうにうわくちびるをむいて、を見せました。が、すぐに、ヤッローをはなしてやりました。そして、
「飛んでいけよ、ヤッロー!」と、セーサルは言いました。「まったく、おまえはひとがよすぎて、おとりにゃなれない。おれが、おまえをとめておこうとしたのは、そのためじゃない。おまえがいなくなると、家の中が、さびしくなっちまうからなのさ。」

湖を


四月二十日 水曜日
 ヤッローがいなくなってからは、家の中がほんとうにさびしくなりました。犬とネコとは、もうヤッローのことでけんかをすることもなくなったものですから、まいにち、たいくつでしかたがありませんでした。おかみさんにとっても、いままで、じぶんが、家の中へはいるたびに、よろこんで鳴きさけんだヤッローの声が聞けなくなりました。けれども、ヤッローをいちばんこいしがったのは、ぼっちゃんのペール・オーラでした。オーラはやっと、三つになったばかりで、この家のひとりっ子でした。オーラは、これまでにヤッローのようないいあそ相手あいてをもったことはありませんでした。ですから、ヤッローがトーケルンの野ガモたちのところへ帰ってしまったと聞かされても、どうしても、あきらめることができませんでした。そして、どうしたらヤッローをつれもどせるだろうかと、そればかり思っていました。
 ペール・オーラはヤッローがかごの中にいたとき、ヤッローとなんども話をしました。そしてこの子は、じぶんの言ったことが、ヤッローにわかったものと思いこんでいました。それで、ヤッローをさがして、家へもどるように言いきかせたいから、いっしょにみずうみへつれていってくれ、と、なんどもなんどもおかあさんにせがみました。もちろん、きいてはもらえませんでしたが、それでも、なかなか、あきらめようとはしませんでした。
 ヤッローがいなくなったつぎの日に、ペール・オーラは中庭なかにわをかけまわって、いつものようにひとりであそんでいました。セーサルは段々だんだんの上にねそべっていました。おかあさんはオーラをおもてにだすときには、いつもこう言いました。
「セーサルや、オーラに気をつけておくれよ!」
 なにもかもが、ふだんどおりだったら、セーサルもこの言いつけをよくまもって、子どもをあぶないところに近よらせるようなことはしなかったでしょう。ところが、このごろのセーサルは、いつものセーサルとはちがっていました。それは、トーケルン附近ふきんに住んでいる百姓ひゃくしょうたちが、湖を相談そうだんをいくどもして、いよいよそれがきまりかかっていることを知っていたからです。そうなれば、野ガモたちは立ちのかなければなりませんし、セーサルじしんも、あのすばらしいりをすることができなくなってしまうでしょう。こんないやなことばかり考えていましたので、セーサルは子どものおりを、つい忘れてしまっていました。
 いっぽう、オーラは中庭なかにわにいるのは、じぶんひとりきりだと見てとりますと、いまこそトーケルンにいって、ヤッローと話をする絶好ぜっこう機会きかいだと思ったのでしょう。小門こもんをあけて、せまい道をみずうみのほうにむかっておりていきました。家から見えるあいだは、ゆっくりあるいていましたが、見えなくなると、たちまち足を早めました。
 オーラは、おかあさんか、だれかにびとめられやしないかと、びくびくしていました。べつにいたずらをするつもりはなく、ただヤッローをつれもどしたいだけなのですが、家の人に知れたら、きっと、とめられるだろうと思っていたのです。
 ペール・オーラはきしべについたとき、ヤッロー、ヤッローと、なんども、なんどもよんでみました。それから、長いあいだ立って待っていました。けれども、ヤッローは姿すがたを見せませんでした。野ガモらしい鳥はいくもいましたが、みんな、オーラのほうなどは見むきもしないで、飛んでいってしまいました。それで、オーラにも、その中にはヤッローはいないのだ、ということがわかりました。
 いつまでたっても、ヤッローの姿が見えないので、みずうみの上にでていったら、もっとかんたんに見つかるだろうと思いつきました。見れば、岸べには、いい舟がいくそうもあります。どれもこれもしっかりとつないでありますが、ただ一つ、古い、水のもる小舟こぶねだけは、すぐにほどけそうです。しかし、それはとても使つかいものにはなりません。けれども、オーラは、そんなことにはおかまいなく、やっとのことで、水びたしの舟の中にはいこみました。そしてまだかいでこぐだけの力がありませんので、すわりこんで舟をゆすぶりはじめました。もちろん、ゆすったぐらいでは、おとなだって舟をだすことはできないでしょう。ところが、水かさしていたりして、ひょっとしたはずみには、小さな子どもでも、舟をみずうみにのりだすことができるものです。ペール・オーラも、まもなくトーケルンにのりだして、大すきなヤッローの名まえをしきりにびまわりました。
 こうして、このふるぼけた小舟が、湖の上でゆられているうちに、小舟のあちこちにあるけめがだんだん大きくなって、水がますますしみこんできました。ところが、ペール・オーラは平気へいきなものです。前のほうの小さな舟板ふないたこしかけて、鳥の姿を見るたびに、ヤッロー、ヤッローと呼びました。そして、どうしてヤッローが姿を見せないのかと、ふしぎがっていました。
 とうとう、ヤッローはペール・オーラの姿を見つけました。と、同時どうじに、だれかが、人間のつけてくれたヤッローという、じぶんの名まえを呼んでいるのを耳にしました。で、はじめて、このちいさなぼっちゃんが、トーケルンまで、わざわざ、じぶんをさがしにきてくれたのだということがわかりました。ヤッローは、人間がじぶんをほんとうにかわいがってくれているということを知って、なんともいえないほど、しあわせな気もちになりました。そこで、すぐさま、ペール・オーラのところへのように飛んでいきました。そしてぼっちゃんのとなりにすわって、うれしそうに、からだをこすりつけました。ふたりはめぐりあったよろこびに、むちゅうになっていましたが、とつぜん、ヤッローは舟のありさまに気がつきました。舟は水びたしになっていて、いまにもしずみそうではありませんか。ヤッローは、なんとかしてぼっちゃんに、早くおかにあがるようにしなければいけないことを知らせようとしました。といって、ぼっちゃんはぶこともおよぐこともできません。それにぼっちゃんには、ヤッローの言うことが、ちっともわかりません。こうなっては、一時いっときのゆうよもならないので、ヤッローは、すくいをもとめに、いそいでどこかへ飛んでいきました。
 しばらくして、ヤッローがもどってきました。見れば、せなかに、ペール・オーラよりもずっと小さいものをのっけています。もしも、それがしゃべったり、動いたりしなかったら、オーラはきっとお人形にんぎょうだと思ったでしょう。ところが、そのチビさんは、すぐオーラに舟底ふなぞこにある細長いさおを取って、アシの島のほうにむかって、舟をうごかすように言いつけました。ペール・オーラは言われたとおりにして、ふたりは力をあわせて舟をすすめていきました。まもなく、アシにかこまれた小さな島につきますと、オーラはいそいで島にあがるように言われました。そして、オーラが島に足をおろしたとたんに、舟はすっかり水をかぶって、しずんでしまいました。
 ペール・オーラはこれを見て、きっと、おとうさんとおかあさんに、おこられるだろうと思いました。そして、もうすこしできだしそうになりました。が、ちょうどそこへ、一むれの大きな灰色はいいろの鳥が飛んできて、島におりましたので、それに気をとられてしまいました。すると、そのチビさんは、オーラをそのむれのところへつれていって、みんなの名まえをオーラにおしえてやったり、みんなの言っていることを話してやったりしました。それがとってもおもしろいので、オーラは、ほかのことはなにもかもわすれてしまいました。
 そのあいだに、ヤッローは大いそぎで、農家のうかに飛んでいって、セーサルにぼっちゃんのいるところを知らせてやりました。そこで、セーサルはヤッローのあとについてきて、きしからどろの小島におよいでわたりました。見れば、ぼっちゃんはれたアシの山の上にすわって、ガンや野ガモたちに取りかこまれて、うれしそうにキャッキャッと笑いながらあそんでいます。
 セーサルは長いことその小島にいましたが、それは、ぼっちゃんのためばかりではありませんでした。うまれてはじめて、セーサルはトーケルンの鳥たちとなかよしになったのです。そして、鳥たちの、りこうなのには、ただ、ただおどろいてしまいました。そのうちに、みんなは、ヤッローから聞いたけれども、このみずうみしてしまうという話は、ほんとうかと、セーサルに聞きました。
「まだきまったわけじゃないがね、」と、セーサルが言いました。「あした、さいごの相談そうだんをすることになっているんだよ。しかし、どうやら、こんどはきまりそうだね。あんたたちにとっては、まったくお気のどくだよ。だけど、ぼくの身になったって、こんなにいい猟場りょうばがなくなっちまうんだから、じょうだんごとじゃないさ。」
 ヤッローの話していたことが、いまのセーサルの話で、いよいよほんとうとわかりますと、鳥たちはなげきかなしみました。このことが、つぎからつぎへとつたえられて、湖じゅうに知れわたりますと、いたるところにかなしみの声があふれました。小さなアシスズメから、気ぐらいの高い白鳥はくちょうにいたるまで、みんなが、なげきかなしみました。ふだんは仲のわるい野ガモと黒ガモも、いっしょになっておそろしいさいなんのきたことを悲しみました。
 やがて、セーサルが家に帰ろうとしたとき、ガンの隊長たいちょうのアッカが言いました。
「わしは、通りがかりのわたどりだから、わしにとっては、どっちでもいいことなんだが、もしおまえさんが、ほんとうに、このトーケルンの鳥たちを、このままにしておきたいと思うんなら、このぼっちゃんのいどころを、すぐご両親りょうしんおしえちまっちゃいけないよ。」
 セーサルは、目をまんまるくして、じっとアッカを見つめていましたが、
「きみは、まったくりこうだね。」と、言いました。
「そりゃあ、いままでにずいぶん、いろんなにあっているからね。」と、アッカが言いました。「それにしても、じぶんの子をなくすってのは、とってもつらいことなんだよ。」
「おれは、きみの忠告ちゅうこくにしたがうことにするよ。」と、セーサルは言いました。「そのかわり、ぼっちゃんのことは、たのんだよ。」
 いっぽう、農家のうかの人たちは、ペール・オーラの姿すがたが見えないので、びっくりしてさがしはじめました。納屋なやから、井戸いどから、地下室ちかしつまでも、みんなさがしてみました。おもての道や、小道こみちにもでてみました。もしかしたら、となりの農場のうじょうまよいこみはしなかったかと、そこへもいってみました。とうとうしまいには、トーケルンきしべもさがしてみました。しかし、いくらさがしても、オーラの姿は見えません。
 犬のセーサルは、家の人たちが、ぼっちゃんをさがしまわっていることは、ちゃんと知っていましたが、オーラのいるところへ、案内あんないしてやろうともせずに、知らん顔をして、ねころんでいました。
 その日おそくなってから、舟着場ふなつきばで、オーラの足あとが見つかりました。そして、みんなは、いつも岸にあった水びたしの古い小舟こぶねがなくなっているのに気がつきました。これで、なにもかもが、はっきりしてきました。
 そこで、すぐさま、人びとはオーラをさがすために、舟をだしました。そして、夕方おそくまで、湖じゅうをさがしましたが、オーラの姿はかげかたちもありません。それで、あの古い小舟はしずんでしまい、子どもは湖におぼれて死んだものと考えるよりほかなくなりました。
 ばんがたになっても、オーラのおかあさんは、岸べをさがしまわっていました。ほかの人たちは、みんな、オーラは、おぼれてしまったものと思いこんでいましたが、おかあさんだけは、どうしても、そうしんじることができなかったのです。アシやトウシングサのあいだをわけてさがしたり、どろだらけの岸べをあるいたりしました。足がどんなにもぐろうと、着物きものがどんなにぬれようと、いまはそんなことにかまってはいられません。おかあさんの心は、絶望ぜつぼうのあまり、いまにもはりさけそうです。両手りょうてをふりしぼりながら、うったえるように、わが子の名まえを大きな声で呼びあるきました。
 あたりには、白鳥やカモやタイシャクシギのごえがしていました。おかあさんには、なんだかこの鳥たちも、かなしみなげきながら、じぶんのあとからついてくるような気がしました。
「ああして悲しそうに鳴いているところをみれば、この鳥たちにもきっと心配事しんぱいごとがあるのにちがいないわ。」と、おかあさんは思いました。けれども、すぐまた、「いいえ、鳥ですもの、ああして鳴いていたって、きっとなんのかなしみもないのだわ。」と、思いかえしました。
 ところが、ふしぎなことには、お日さまがしずんでからも、鳥の鳴き声はいっこうにしずまりませんでした。それどころか、みずうみじゅうにんでいる、それこそかぞえきれないほどたくさんの鳥が、いっせいに悲しい鳴き声をあげているではありませんか。中には、おかあさんのあとを、どこまでもどこまでも、ついてくるものもありますし、またかるばたきながら、飛び立っていくものもあります。しかも、どの鳥もどの鳥も、なげき悲しんでいるのです。
 悲しみに悲しんだあげく、おかあさんの心はいくらかおちついてきました。すると、ほかのものも、人間と、たいしてかわらないような気がしてきました。そう思えば、鳥たちの悲しんでいるようすが、まえよりも、ずっとよくわかるような気がします。鳥にしたって、人間とおなじように、家のことや子どものことが、いつもいつも気になるにちがいありません。たしかに、人間と鳥のあいだには、そんなに大きなちがいはないのです。
 そのとき、おかあさんは、ふと、湖をす話を思いだしました。これはもうほとんど、きまったもおなじですが、そうなったら、いく千という白鳥や、カモや、モグリドリが、このトーケルンみかをうしなうことになるのです!
「鳥にとっては、この上もなくかなしいことね。」と、おかあさんは思いました。「そうなったら、みんな、いったいどこへいって、ヒナをそだてるのかしら?」
 おかあさんは立ちどまって、いろいろと考えてみました。「たしかに、みずうみして、はたけ牧場ぼくじょうにするのは、利益りえきのある、いい計画けいかくにちがいないわ。でも、トーケルン湖でない、ほかの湖だっていいわけだわ。こんなにもたくさんの鳥が住んでいない湖にすればいいんだわ。」
「あしたは、湖を干すかどうかが、いよいよきまるんだったわ。」と、おかあさんは考えつづけました。それが、そのまえの日のきょう、かわいい、わが子がいなくなったのには、なにかわけがあるのではないだろうか、と思ってみました。
 かみさまが、ああいうひどいおこないをやめさせるために、きょうのうちに、こんな悲しみをくだされて、あたしの心を動かそうとなさっているのではないかしら?
 おかあさんは、いそいで家にもどって、オーラのおとうさんに、このことを話しました。湖のこと、鳥のこと、それから、オーラがいなくなったのは、つまりは、神さまが、じぶんたちにくだされたばつにちがいないと思われること、などを話しました。すると、おとうさんも同じ考えでした。
 このふたりは、すでに大きな土地とちをもっていましたが、もし湖をうまく干すことができれば、それこそ、その土地が、ばいちかくにもなるのです、[#「なるのです、」はママ]そんなわけで、ふたりは、ほかの地主じぬしたちよりも、この計画けいかくにたいしては、ずっと熱心ねっしんでした。ほかの人たちは、費用ひようがかかりすぎることや、またこんども、まえのときのように、うまくいかないのではないか、と心配していました。それをオーラのおとうさんが、きつけて、この計画けいかくをたてることになったのです。それは、おとうさんもよく知っていました。オーラのおとうさんとしては、じぶんがおやからもらった土地とちを、子どもには、ばいにしてのこしてやりたいと思っていたからです。そこで、おとうさんは弁舌べんぜつのかぎりをつくして、みんなを説きつけたわけでした。
 それが、おりもおり、いよいよ、その相談そうだんがきまろうというまえの日になって、わが子のいのちがトーケルン湖にうばわれたということは、きっとなにかかみさまのおぼしがあるのにちがいありません。ですから、おかあさんがいろいろ言うまでもなく、おとうさんもすぐに、
「うん、みずうみすのは、神さまの御心みこころはんするのかもしれない。あした、このことをみんなに話してみよう。おそらく、湖はもとのままにしておくことになるだろうよ。」と、言いました。
 ふたりがこんな話をしているとき、セーサルはの前にねそべっていました。そして、頭をおこして、じっと耳をすまして聞いていました。やがて、事のなりゆきがわかりますと、おかあさんのところへあるいていって、すそをくわえて、戸口とぐちに引っぱっていきました。
「まあ、セーサル!」と、おかあさんは言いながら、すそをふりはなそうとしました。そして、「おまえ、オーラがどこにいるのか、知ってるのかい?」と、ききました。
 すると、セーサルはうれしそうに、ワン、ワンえては、戸にからだをぶっつけました。おかあさんが戸をあけますと、セーサルはトーケルンのほうにむかってけだしました。おかあさんも、セーサルがきっと、オーラのいどころを知っているにちがいないと思いましたので、そのあとについてはしっていきました。そして、岸まできますと、たちまち湖のむこうから、子どものごえが聞こえてきました。
 ペール・オーラは、オヤユビくんや鳥たちといっしょに、ほんとにたのしい一日をすごしました。けれども、いまは、おなかがすいてきたのと、くらくなってきたのがこわくて、泣きだしたのでした。でも、おとうさんとおかあさんとセーサルが、むかえにきてくれたのを見て、オーラは大よろこびしました。
 トーケルン湖の鳥たちは、うれしそうにばたきながら、美しいお月さまの光をあびて、みんなが家へ帰っていくのを見送みおくっていました。
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20 予言よげん


八月二十二日 金曜日
 あるばん、ニールスがトーケルンの中の小島でねむっていますと、かいの音がするので、びっくりして目をさましました。けれども、目をあけたとたんに、まぶしい光が目にさしこんで思わずパチパチとやりました。
 みずうみの上で、こんなにキラキラ光るのは、いったいなんだろうと考えてみましたが、さいしょのうちは、さっぱり見当けんとうがつきません。でも、だんだん目がなれてきますと、一そうの小舟こぶねがアシのきわにいるのが見えました。そして、そのせんびにとりつけたてつぼうの上で、大きなたいまつがさかんにえているのでした。赤いほのおは、暗い夜の湖に、あかあかとうつっていました。そして、そのあかるい光が、さかなをよび集めたのにちがいありません。ほのおの下の水の中には、たくさんの魚が集まって、ひっきりなしにおよぎまわっていました。
 小舟には、年とったふたりの男がっていました。ひとりは、すわって、かいをにぎっていました。もうひとりは、かかりのあるみじかいもりを持って、せんびに立っていました。こいでいるほうの男は、見たところ、まずしい漁師りょうしのようでした。こがらで、やせこけて、いかにも雨風あめかぜに打たれたという顔をしていました。そして、うすっぺらな、すりきれた上着うわぎを着ていました。どんな天気てんきにでも、外にいるのになれているらしく、寒いのなどは、平気へいきのように見えました。もうひとりのほうは、ふとっていて、身なりもりっぱで、何不足なにふそくないお百姓ひゃくしょうさんのようでした。
 小舟が、ニールスのいる小島のむこうがわにきたとき、お百姓さんが、「とめろ!」と、言いました。と、同時どうじに、はげしく水の中にもりっこみました。もりを引きあげたときには、みごとなウナギが突きささっていました。
「こいつを見てくれ!」と、お百姓さんは、ウナギをもりからはずしながら、言いました。「いいウナギじゃないか。もうこのくらいでたくさんだ。ぼつぼつ帰ろうか。」
 けれども、もうひとりの男は、かいも動かさないで、あたりをながめていました。そして、
「こんやは、すごくいいなあ!」と、言いました。じっさい、そのとおりでした。湖の上は風一つなく、水の上はかがみのように、なめらかで、ただ小舟の通ったあとだけが、たいまつの光にらされて、黄金こがねの道のように、キラキラと光っています。
 すみわたった、あい色の空には、おほしさまがいちめんにきらめいていました。きしべは、アシの小島にかくされて見えませんが、西のほうには、オムベルイ山が高く、黒ぐろとそびえていて、いつもよりもずっと大きく見えました。そして、まるい大空おおぞら一角いっかくを、三角形さんかくけいにくぎっていました。
 お百姓ひゃくしょうさんは、まぶしい光から顔をそむけながら、あたりを見まわしました。
「なるほど、ここはきれいだなあ。」と、お百姓さんは言いました。「だが、この地方ちほうでのいちばんいいものは、風景ふうけいの美しさじゃないよ。」
「じゃあ、いったい何がいちばんいいんです?」と、かいをにぎっている男はききました。
「つまり、ここは、あがめられ、尊敬そんけいされている地方なんだ。」
「そりゃあそうです。」
「そして、これからさきも、ずっとそうだとわかっているのさ。」
「どうして、そんなことがわかるんです?」と、こぎてがたずねました。
 お百姓ひゃくしょうさんは、からだをこしてもりにもたれかかりました。
「わしの家には、むかしからかたりつたえられている古い話がある。その話で、これからさき、エステルイエートランドにどんな事がおこるか、ちゃんとわかるのさ。」
「じゃあ、わたしにもそれを聞かせてください。」と、こぎては言いました。
「ほんとうは、だれにも話さないことになっているんだが、むかしからの知りあいにかくしておこうとも思わない。」と、お百姓さんは言って、話しはじめました。その話しぶりからみますと、だれかに聞いたのを、そらでおぼえていて、それをそのまま話しているようでした。
「このエステルイエートランドのウルヴォーサに、ずっとむかし、ひとりの婦人ふじんがいた。その婦人は、将来しょうらいどんな事がおこるかを、まるでいままでおこった事がらを言うように、ぴったりと言いあてることができた。そのことが広く知れわたると、近所きんじょの人たちはもちろんのこと、遠くからも大ぜいの人びとがやってきて、いろんな事をうらなってもらった。
 ある日のこと、その婦人が広間ひろまにすわって、糸をつむいでいると――これは、そのころの習慣しゅうかんだったんだ――ひとりのまずしい百姓ひゃくしょうがはいってきて、戸口とぐちこしかけに腰をおろした。
『あなたは、そうして、いま何を考えていらっしゃるんですか?』と、しばらくして百姓が言った。
『あたしは、気高けだかい、きよらかなもののことを考えているのです。』と、婦人は答えた。
『それでは、わたしの気にかかっていることを、おたずねするのは、やめておいたほうがいいですね。』と、百姓は言った。
『おまえの気にかかっているというのは、きっと、おまえのはたけ穀物こくもつが、たくさんとれるかどうか、というようなことでしょう。でも、あたしは、いつも、おうさまからは、王冠おうかんがどうなるだろうとか、法王ほうおうからは、かぎがどうなるだろうとか、そういうようなことばかりきかれているのですよ。』
『そんなことは、かんたんに答えられるものじゃございませんね。』と、百姓は言った。
『ところで、わたしは、あなたが答えてくださったことに満足まんぞくして帰るものは、ひとりもないと聞いておりますが。』
 百姓ひゃくしょうがこう言うと、婦人ふじんはくちびるをかみしめながら、身を起こして、こしかけに腰をおろした。
『そんなうわさを聞いているんですね。』と、婦人は言った。『それでは、おまえのききたいことを言ってごらん。そうすれば、おまえが満足まんぞくするような返事へんじを、あたしがしてあげるかどうかが、わかるでしょう。』
 そこで、百姓は、えんりょせずに、ききたいと思っていたことを言った。つまり、この百姓は、エステルイエートランドが、このさき、どうなるだろうかということをききにきたのだった。この百姓にとっては、じぶんのうまれた土地とちほど、だいじなものはなかったのだ。だから、じぶんの死ぬ日までに、このことがはっきりわかったら、どんなにかしあわせだと思っていたわけだ。
『そう、おまえのききたいことが、それだけなら、きっとおまえを満足まんぞくさせられると思いますよ。なぜなら、エステルイエートランドは、いつになっても、ほかの地方にほこれるようなものをもっていると、予言よげんできますからね。』と、かしこ婦人ふじんは言った。
『はい、それはありがたいことです。でも、どうしてそういうことになれるのか、それがわかりさえしましたら、ほんとうに満足まんぞくできるのですが。』と、百姓ひゃくしょうは言った。
『どうして、そんなことを言うのです?』と、婦人は言った。『おまえは、エステルイエートランドが、いまでも、もう有名ゆうめいなのを知らないのですか? それとも、アルヴァストラや、ヴレタの僧院そういんや、リンチェーピングの美しい教会きょうかいのようなものを、もっているとほこれるところが、スウェーデンのどこかにあるとでも思っているの?』
『そうかもしれませんが、』と、百姓は言った。『わたしは、年をとっておりますので、人間の心がかわりやすいものだということを、よくぞんじております。ですから、アルヴァストラやヴレタにたいしても、またエンチェーピングの教会にたいしても、人びとが尊敬そんけいをはらわなくなるようなときが、いつかきはしないかと、心配しんぱいなのです。』
『それは、おまえの言うとおりかもしれないけれど、』と、婦人は言った。『だからといって、あたしの予言よげんうたがわなくてもいいのですよ。あたしは、こんど、ヴァードステーナに新しい僧院そういんてさせますが、それは、この北の地方で一ばん有名ゆうめいなものになるでしょうよ。身分みぶんの高い人もひくい人も、みんなそこへおまいりにやってきて、そのような神聖しんせい場所ばしょのあるこの地方を、ほめたたえることになるでしょう。』
 百姓ひゃくしょうは、いまのお話をうかがって、たいへんうれしい、と答えた。しかし、この百姓は、どんなものも、いつかはほろびるものだ、ということを知っていた。それで、そのヴァードステーナ僧院そういん名声めいせいがおちてしまったら、いったい何がこの地方の評判ひょうばんを高めることになるだろうかとうたがった。
『おまえは、なかなか満足まんぞくしないのね。』と、婦人ふじんが言った。『でも、あたしには、もっとさきのことが見とおせます。ヴァードステーナ僧院の栄誉えいよがくずれないうちに、そのすぐそばに御殿ごてんが建てられて、それがその時代じだいでは、もっともすばらしいものとなるでしょう。おうさまをはじめ諸侯しょこうが、そこにお見えになるのよ。そして、そういうすばらしい御殿のあることが、この地方の名誉めいよとなるでしょう。』
『それをうかがって、うれしゅうございます。』と、百姓は言った。『しかし、わたしは年とっておりますので、そういうこの世のはなやかなものが、やがてどうなるか、よくぞんじております。で、その御殿ごてんがほろびることになったら、いったい何が人びとの目を、この地方にひきつけておくことになるのでしょう。』
『おまえは、いろいろのことが知りたいのね。』と、婦人は言った。『でも、あたしには、もちろんそのさきも見とおせます。フィンスポングのまわりの森が開発かいはつされて、そこに製鉄場せいてつじょうや、鍛冶場かじばてられるでしょう。そして、この地方は、鉄を製するので、名高くなると思います。』
 百姓は、それを聞いて、たいへんよろこんだ。
『けれども、フィンスポングの製鉄場せいてつじょうのぐあいが悪くなったときには、それにかわって、エステルイエートランドのほこりになるようなものは、もう何もなくなると思いますが。』
『おまえは、なかなか承知しょうちしないのね。でも、あたしには、そのさきも予言よげんできます。がいせんした将軍しょうぐんたちが、みずうみきしに、御殿のように、りっぱな大きい別荘べっそうを建てるようになります。このすばらしいたくさんの別荘べっそうが、やっぱりこの地方ちほう名誉めいよになるのです。』
『でも、だれもその大きな別荘をほめないようなときがきましたら?』と、百姓ひゃくしょうは言った。
『けっして、心配はいりませんよ。』と、婦人ふじんは言った。『ヴェッテルンの近くの、メデヴィの平原へいげんに、鉱泉こうせんがわきでるようになります。そして、その鉱泉のおかげで、この地方ちほう有名ゆうめいになるでしょう。』
『それは、たいへんうれしいお話ですが、人びとが、ほかの鉱泉にいくようになりましたら?』
『そんなことを心配しんぱいする必要ひつようはありません。そのうちには、ムタラからメームにかけて運河うんがられます。そして、その運河によって、エステルイエートランドの名声めいせいは、国じゅうに知れわたります。』
 それでも、まだ百姓ひゃくしょう心配しんぱいのようだった。
『ムタラ川の急流きゅうりゅうでは、水車すいしゃがまわりだしますよ。』と、婦人ふじんは言ったが、いらいらしてきたので、ほおは赤くほてってきた。『そして、ムタラではつちの音がひびきますし、ノルチェーピングでは織機おりきの音が聞かれます。』
『それは、けっこうなお話ですが、』と、百姓は言った。『しかし、すべては、はかないものですから、そういうものも、いつかは忘れられ、すてさられてしまうだろうと思いますが。』
 百姓が、これでも満足まんぞくしないのを見ると、婦人はとうとうがまんができなくなった。
『おまえは、どんなものもほろびてしまうと言うけれども、』と、婦人は言った。『それでは、いつまでたってもかわらないものを言いましょう。それは、この地方には、おまえのように、強情ごうじょうで、こうまんな百姓が、いつまでも、あとをたたないということです。』
 婦人が、こう言いおわるかおわらないうちに、百姓は、うれしそうな顔をして、満足まんぞくげに立ちあがった。そして、婦人が親切しんせつに答えてくれたことを感謝かんしゃして、じぶんはこれでやっと満足しました、と言った。
『あたしには、おまえの気もちがよくわかりません。』と、婦人は言った。
『つまり、わたしには、こう考えられるのです。』と、百姓は答えた。『おうさまや、ぼうさんや、貴族きぞくや、商人しょうにんなどがてるものは、ごくわずかの年月としつきしか、つづかないものだと思います。けれども、いまあなたが、エステルイエートランドには、名誉めいよあいする、がんこな百姓たちが、いつまでもあとをたたないだろうとおっしゃったのをうかがいまして、それこそ、この地方ちほう名誉めいよを、いつまでも、もちつづけていくものだと思いました。なぜなら、土とともにはたらく者のみが、その地方の評判ひょうばんをいつまでもたもっていくことができるのですから。』」
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21 めずらしいひろいもの


四月二十三日 土曜日
 ニールスは、空高くを飛んでいきました。下を見おろせば、エステルイエートランドの大平野だいへいやがひろがっています。ニールスは、こんもりとした森のあいだに見える、白い教会きょうかいかずをかぞえていましたが、すぐに五十になりました。それからあとは、ごちゃごちゃになって、ちゃんとかぞえることができなくなりました。
 たいていの農家のうかが、白塗しろぬりの大きな二階建かいだてでした。どの家も、いかにもりっぱに見えるので、ニールスは感心かんしんして、
「このあたりには、お屋敷やしきしかないところを見ると、お百姓ひゃくしょうはいないんだな。」と、ひとりごとを言いました、[#「言いました、」はママ]
 すると、すぐにガンの仲間なかまがいっせいにさけびました。
「ここのお百姓は、金持かねもちのようならしをしているんだよ! ここのお百姓は、金持ちのような暮らしをしているんだよ!」
 平野へいやの上では、こおりゆきえて、もう春の仕事しごとがはじまっていました。
「あのはたけの上をはっている、長いカニみたいなのは何だろう?」と、しばらくしてニールスがたずねました。
すき牡牛おうしだよ、すきと牡牛だよ。」と、ガンが答えました。
 牡牛は、畑の上をノロノロとあるいているものですから、動いているのがほとんどわからないくらいです。それを見て、ガンたちは、
「そこへいくのに来年らいねんまでかかるぜ! そこへいくのに来年までかかるぜ!」と、牡牛にむかってさけびました。
 ところが、牡牛おうしたちは平気なものです。はなづらを上にむけて、モウと大声で言いました。
「おれたちはな、おまえらみたいな宿やどなしが、一生かかってするよりも、もっといいことを一時間のうちにやってのけるんだぞ!」
 二、三の場所ばしょでは、馬にすきを引かせていました、[#「いました、」はママ]馬は牛よりも、ずっとキビキビはたらいていましたが、ガンたちは、つい、馬もからかわずにはいられませんでした。
「きみたちは、牡牛のすることなんかやって、はずかしくないのかい?」と、ガンたちはさけびました。
「おまえたちこそ、ねんじゅう、のらくらしていて、はずかしくないのか?」と、馬はいななきかえしました。
 しかし、馬や牡牛は、畑で働いていましたが、納屋なやの前のにわでは、牡羊おひつじがぶらついていました。この羊は、近ごろ毛をりとられたためにおこりっぽくなっていて、小さな子どもをしたおしたり、犬を犬小屋へいかえしたりして、まるでその庭が、じぶんひとりのもののような顔をして、いばってあるきまわっていました。
「羊さん、羊さん、あんた、毛はどうしたの?」と、そのとき、牡羊おひつじの上に飛んできたガンたちがたずねました。
「ノルチェーピングの羊毛工場ようもうこうじょうへ、やっちゃったよお!」と、牡羊があとを長くひっぱって、答えました。
「羊さん、羊さん、あんた、つのはどうしたの?」と、ガンたちが、またたずねました。
 ところが、この牡羊は、角なしなので、角のことをきかれるのが何よりもくやしいのです。それで、すっかりはらをたてて、しばらくは、めちゃめちゃにけまわったり、くうをついたりしました。
 いなか道を、ひとりの男が、スコーネさんのブタのむれを追いながらやってきました。まだうまれて、二、三週間しゅうかんぐらいの子ブタたちでしたが、これからられるところでした。みんなは小さいけれども、いさましくあるいていました。そして、たがいにたすけをもとめようとでもするように、ぴったりとかたまりあっていました。
「ブウ、ブウ、ブウ、ぼくたちは、小さいうちに、おとうさんとおかあさんにわかれてしまった。ブウ、ブウ、ブウ、こんなあわれなぼくたちは、いったいどうなるんだろう?」と、子ブタたちは言いました。
 ガンたちも、こんなあわれな生き物をからかう気にはなれません。
心配しんぱいしないでもだいじょうぶ。なんとかなるよ。」と、ガンたちはさけびながら、飛びすぎました。
 ガンたちは、平地へいちの上を飛ぶときぐらい、たのしいことはありません。そんなときには、農場のうじょうから農場へと飛んでいっては、つぎつぎに家畜かちくをからかってやるのです。
 ニールスがこうして平野へいやの上を飛んでいたとき、ふと、だいぶまえに聞いた話を思いだしました。はっきりとは思いだせませんが、なんでも、それは女の人の着物きもののことでした。その着物は、半分はんぶんきんったビロードでできていて、もう半分は、灰色はいいろ手織ておりぬのでできていました。けれども、その着物を持っている人は、灰色の布のほうに、たくさんの真珠しんじゅ宝石ほうせきをかざりつけて、金のビロードのほうよりも、美しくりっぱに見せていたという話でした。
 いま、ニールスが、エステルイエートランドを見おろしたとき、その手織ておりぬのを思いだしました。エステルイエートランドは、大きな平野へいやですが、北と南にむかって、こんもりとした森のしげっている山がのびています。その二つの山並やまなみは、朝の光を受けて、まるで、黄金こがねのヴェールにつつまれているように、青くキラキラとかがやいていました。いっぽう、平野そのものは、冬のなごりのはだかはたけがつづいているばかりなので、灰色の手織の布よりも美しいとは言えませんでした。
 けれども、人びとは、この平野がゆたかで、親切しんせつなのに、満足まんぞくしたものでしょう。できるだけこれをかざりたててやろうとしました。ニールスがガチョウのせなかから見おろしますと、町や、農場のうじょうや、教会きょうかいや、工場こうじょうや、おしろや、停車場ていしゃじょうなどが、大小さまざまのかざりもののように、まきちらされているように見えました。屋根やねは、お日さまの光をうけて、キラキラと輝き、窓ガラスは、宝石ほうせきのように、きらめいていました。黄色きいろい、いなか道や、ぴかぴかした鉄道線路てつどうせんろや、青い運河うんがなどが、村々のあいだを、いとりしたように走っていました。リンチェーピング市は、宝石のまわりに真珠しんじゅをはめこんだようなぐあいに、その伽藍がらんのぐるりを取りまいていました。農園のうえんはブローチかボタンのように見えました。あまり整然せいぜんと飾りたててはありませんが、その美しさは、いつまで見ていてもあきることはありませんでした。
 ガンたちは、オムベルイ地方ちほうって、イエータ運河うんがにそって東に飛びました。ここでは、夏のためのじゅんびをしていました。人夫にんぷたちが運河のつつみをなおしたり、大きな水門すいもんにタールをったりしていました。
 どこをながめても、人びとは気もちよく、春をむかえようとして、いそがしそうに立ちはたらいていました。町なかもやっぱりそうでした。家の外では、左官さかんやペンキ屋が、足場あしばをきずいて、家のまわりをっていますし、中では女中じょちゅうたちが、窓ガラスをきれいにふいています。みなとでは、帆船はんせん汽船きせんをさかんに修理しゅうりしています。
 ノルチェーピングで、ガンたちは平野へいやをはなれて、コルモールデンのほうにむかって飛びました。しばらくのあいだ、がけっぷちをうねったり、絶壁ぜっぺきの下を通っている、けわしい旧道きゅうどうについて進んでいきました。と、とつぜん、ニールスがするどいさけび声をあげました。ニールスはガチョウのせなかにまたがって、足をぶらぶらやっているうちに、かたっぽうの木靴きぐつがぬげてしまったのです。
「おい、モルテン、モルテン! くつがぬげちゃったよォ!」と、ニールスはさけびました。
 ガチョウは、すぐにむきをかえて、地上ちじょうにおりていきました。ところが、ぐうぜんにも、ふたりの子どもが、その道をあるいてきて、おとしたニールスの靴をひろいあげてしまいました。それと見るや、ニールスはあわてて、
「モルテン、モルテン!」と、さけびました。「また上へ飛ぶんだよ! おそすぎたんだ! あのくつはひろわれちまったよ!」
 下の道では、ガチョウばんのオーサと弟のマッツが、空から落ちてきた、ちっぽけな木靴きぐつを見ながら立っていました。
 オーサは、しばらくだまったまま、このひろい物のことを考えていました。それから、ゆっくりと、考え考え言いました。
「マッツちやん[#「マッツちやん」はママ]、あんたおぼえている? ほら、あたしたちがエーヴェードスクローステルを通ったとき、農家のうかの人たちが、職人みたいに、かわはんズボンに、木靴きぐつをはいた小人こびとを見たって言ったでしょう? それからさ、ヴィットシェーヴレにいったときには、木靴きぐつをはいた小人こびとがガチョウのせなかにって飛んでいくのを見たって、女の子が話してたじゃないの? それにね、マッツちゃん、あたしたちだって、家へ帰ったとき、それとおなじかっこうをした小人が、ガチョウのせなかに乗って飛んでいくのを見たじゃないの? いまこの木靴を落して、飛んでいったのは、それとおなじ小人こびとじゃないかしら?」
「うん、きっとそうだよ。」と、マッツは言いました。
 ふたりは、木靴をさかんにひっくりかえしては、めずらしそうにながめていました、[#「いました、」はママ]だって、小人の木靴が、道に落ちているなんてことは、めったにありませんもの。
「お待ちよ、マッツちゃん!」と、オーサがさけびました。「こっちがわに、なにか書いてあるよ。」
「あっ、ほんとうだ。でも、ずいぶんちっぽけな字だね。」
「あたしに見せてごらん! ええと――ええと、『西ヴェンメンヘーイのニールス・ホルゲルッソン』」
「こんなふしぎなことってあるかねえ!」と、マッツが言いました。
第一編 おわり
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そののニールス


 さて、みなさん、ニールスは、ガンのむれといっしょに目ざすラプランドまでいき、それからまたなつかしいおとうさん、おかあさんの家まで、ぶじに帰ってくることができたでしょうか。「ニールスのふしぎな旅」続編ぞくへんのあらすじを、つぎにご紹介しょうかいいたしましょう。

ラプランドさして

 ニールスとガンのむれは、それからも空のたびをつづけました。みんながスウェーデンのみやこのストックホルムの上空じょうくうへ飛んできたときには、もう五月にはいっていました。それまでにも、ニールスはいろいろな土地にいって、その土地の古い伝説でんせつを聞いたり、大きな町や都会とかい見物けんぶつしたり、美しい景色けしきたのしんだりしてきました。それからまた、いまにもクマにわれそうになりながら、そのクマが人間にねらわれていることを教えてやって、あぶないところをすくってやったり、もと羊飼ひつじかいをしていたオーサとマッツのきょうだいこおりついたみずうみの上を歩いているとき、きゅうに氷がとけはじめて、ふたりがどうしていいかこまっているのを助けてやったり、かずかずのりっぱなおこないもしてきました。
 五月六日の朝、ガンのむれが朝霧あさぎりをついて、メラールの上を飛んでいくと、湖の上に高いとうや、長いまどガラスのある家々が見えてきました。けれども、流れる霧のために、そのような景色けしきはすぐまたかくれてしまいました。なにもかもが水の上に静かにやすらっているようでした。やがて、お日さまの光がすこしもれてきますと、霧はバラ色にそまりました。そして、あるいは青く、あるいは赤く、あるいは黄色く、色さまざまにかがやきながら流れていきました。下のほうに見える家々は、お日さまの光ででもできているように、キラキラと輝き、窓ガラスや高い塔は、火のように赤くもえていました。まるで、この世のものでないようなながめでした。この「水の上にかぶみやこ」こそ、ストックホルムだったのです。
 ところが、ここでニールスはガチョウのせなかからっこちて、猟師りょうしにつかまってしまいました。でも、さいわい、ストックホルムのスカンセンという公園こうえん番人ばんにんのおじいさんにもらわれて、一月ひとつきばかりその公園の中でくらしました。それから、そこの動物園につかまっていたゴルゴという大ワシをたすけてやり、そのせなかに乗って、ガンのアッカたちのあとを追ったのでした。
 それからは長い旅がつづきました。森また森、山また山の上を飛びつづけて、オンゲルマンランドやヴェステルボッテンをすぎて、北へ北へと進みました。この北の地方には、スウェーデンの国にとっていちばんだいじな森林しんりん鉱山こうざんがたくさんありました。

めぐりあい

 ニールスはいつまでもつづく同じような景色けしきにあきあきして、ワシのせなかでうとうとしはじめました。そうして、いつのまにか、ほんとうにこんでしまいました。やがて目がさめてみますと、どうやら谷間のおくにいるようでした。あたりを見まわしても、大ワシのゴルゴの姿すがたがどこにも見えません。そういえば、いよいよラプランドにきたよ、とゴルゴが言っていたっけ。じゃあ、このへんにアッカたちがいるのかもしれない。ニールスはこう思って、みんなをさがしに、そろそろと歩きだしました。
 六月十九日の朝早くのことです。谷間たにまはひっそりとしていて、まだお日さまはのぼっていませんでした。ニールスが二あし三あしいくかいかないうちに、なんだかきれいなものが目にはいりました。近よってみますと、それは草むらのの中にいるメスのガンでした。そばには、オスのガンが立っています。気がついてみれば、草むらや地面じめんのくぼみに、あっちにもこっちにも、ガンの巣がいっぱいありました。ガンたちはまだみんなねむっていました。ひさしぶりにガンの姿を見たニールスは、うれしくてうれしくてたまりません。ふとむこうを見ますと、草のかげに白いものが見えます。ニールスはむねをおどらせながら、かけよりました。見れば、細いヤナギの草むらの中に、あのかわいらしいダンフィンがたまごをだいているではありませんか! そばには、白ガチョウのモルテンが、ダンフィンをまもるようにして、立っています。ああ、なつかしいモルテンに、やっとめぐりあえたのです! 思わずしらず、あつなみだがこみあげてきました。アッカはと見れば、ずっとむこうの、いちだんと高いところにすわっています。まるで、谷じゅうを見はっているようでした。
「アッカおばさん、おはよう!」と、ニールスはかけよりながらさけびました。
 アッカは、ニールスの姿を見つけるが早いか、飛んできました。そして、うれしそうにニールスにとびついて、くちばしで頭のてっぺんからつまさきまで、なでまわしました。
 そこで、ニールスは、みんなとわかれてからのことをすっかり話しました。そして、
「それから、アッカおばさん、いま話したスカンセン公園こうえんにはね、ズルスケのやつもつかまってたんですよ!」と、話してきかせました。「あいつはぼくたちをさんざんくるしめたけど、あそこで、しょんぼりしているところを見たら、ほんとにかわいそうになりましたよ。そのうちに、ぼく、ラプランドけんから、ひとりの男がキツネを買いにきているって話を聞いたんです。その人はどこかの島にんでるんだそうですけど、なんでもその島ではキツネをみなごろしにしてしまったんで、そのため、ネズミがうんとふえてきたんですって。それで、こんどは、ネズミをたやすために、またキツネをつれていくことにしたんですって。ぼく、その話を聞いたから、すぐにキツネのおりのところにとんでいって、ズルスケに言ってやりました。
『おい、ズルスケ、もうすぐ、ここへキツネを買いにくる人があるから、その人がきたら、おまえ、かくれたりしないで、おとなしくつかまるんだよ。そうすりゃ、また自由じゆうになれるから。』
 そしたら、ズルスケのやつ、ぼくの言うとおりにしたんです。だから、いまごろはその島へいって、きっと自由にとびまわっているでしょうよ。どうですか、アッカおばさん、ぼくのやったことはいいことでしょうか?」
「ああ、わたしだってそうしたろうよ!」と、アッカは満足まんぞくそうに答えました。

南へ、南へ

 ラプランドの夏もすぎて、いつのまにか、九月のまつになりました。地上は見わたすかぎり、いちめんの雪におおわれて、まっ白です。雨やあらしの日が多くなりました。たまにお天気の日があっても、すぐにこおりがはってしまいました。こうなっては、もうこのラプランドに、いつまでも、ぐずぐずしているわけにはいきません。さいわい、ひなどりたちもすっかり大きくなって、はねも強くなりました。そこで、十月一日の朝早く、アッカを隊長たいちょうとして、三十一のガンが南をめざして飛びたちました。くるときいっしょにいた六の若いガンがいなくなって、そのかわりに、新しく生まれたガンが二十二羽加わっていたのです。若いガンたちは、さいしょは旅になれないので、もうくたびれちゃったとか、おなかがへったとか、ブツブツ不平ふへいばかりこぼしていましたが、だんだんなれるにつれて、みんなといっしょに元気よく飛んでいきました。
 みんなは南へ南へと飛びつづけ、イエムトランドをすぎ、ダラルナをへて、やがてヴェルムランドにはいりました。こんどもいったときと同じように、ニールスはいくさきざきで、めずらしい伝説でんせつを聞いたり、美しい風景ふうけいをながめたりしていました。こうして、日一日と生まれ故郷こきょうに近づくのを心からたのしみにしていました。ところが、そうしたある日のこと、カラスのバタキーから思いがけないことを聞かされました。ニールスは、いまのいままで、白ガチョウをぶじに家までつれていってやりさえすれば、自分は魔法まほうをとかれて、もとの人間にもどれるものとばかり思っていました。ところが、どうでしょう。ほんとうは、白ガチョウを家へつれていっても、ニールスのおかあさんがガチョウを殺さなければ、ニールスは人間にもどれないというのです。それを聞いたときの、ニールスのおどろきはどんなだったでしょう! あのモルテンを、どうしてそんなかわいそうなにあわせることができましょう! そうかといって、このままでは、じぶんは人間にもどることはできません。ニールスの心は、すっかりくらくなってしまいました。

小説家しょうせつかのおばさん

 十月六日、ガンたちはクラレルフ川にそって、ムンクフォルスまで飛びました。そこからフリューケンをさして西にむかって飛んでいきましたが、まだみずうみにいきつかないうちに、もう暗くなりはじめてしまいました。ガンたちは森の中の沼地ぬまちまり場所を見つけて、そこにいおりました。けれども、ニールスにはねるような所がありません。そこで、ただひとり森をぬけて、やがて、とある屋敷やしきのまえにでました。
 あたりに人の姿が見えないのをさいわい、ニールスは庭の小道のそばにあるリンゴの木から、まっかなリンゴをもぎとりました。そして、その木の下の芝生しばふこしをおろして、小さく切りはじめました。と、そのとき、頭の上でかすかなうなり声がしたかと思うと、一のフクロウがいおりてきました。ニールスは、ここはどこですか、ときいてみました。すると、フクロウは、ここはモールバッカというお屋敷やしきだよ、と答えました。ところが、このフクロウは、こんやはさっぱり獲物えものがなくて、プンプンはらをたてていたところでした。で、このチビスケをやっつけてやれとばかりに、ニールスのすきをうかがって、さっとおそいかかりました。ニールスは両手でフクロウをふせぎながら、助けてえ! と声をかぎりにさけびました。
 ここで、ちょっとお話がかわります。ニールスがガンたちといっしょに空の旅をつづけていたちょうどその年に、ひとりの小説家しょうせつかのおばさんが、小学校で使う読本とくほんにスウェーデンのことを書きたいと思って、いっしょうけんめい考えていました。このおばさんのつもりでは、クリスマスからつぎの年の秋までのことを、いろいろおもしろく書きたいと思っていたのです。それが、まだ一ぎょうも書けないので、すっかりこまってしまいました。そしてとうとう、「子どもたちのためになる、まじめな本、それもウソをひとことも書かない本、そういうような本は、わたしにはとても書けそうもない。だれかほかの人に書いてもらうほうがいい。」と、思いました。でも、そうは思っても、おばさんは、なかなかあきらめることができませんでした。そのうちに、ふと、こんなにじぶんが書けないのは、ねんがらねんじゅう、かべだの街路がいろだのしか目にはいらない、こういう町なかにいるからじゃないだろうか。いなかへいって、はたけや森でも見れば、うまく書けるかもしれない、と思いつきました。
 このおばさんはヴェルムランドうまれの人でした。それで、まず故郷こきょうのヴェルムランドのことから書いてみようと思いました。あそこにはおもしろい話や行事ぎょうじがたくさんある。クリスマスや、お正月や、おまつりのようすなどを書けば、子どもたちはきっとよろこぶだろう。おばさんはそう思って、ペンを取りました。こういうことを、おばさんははっきりとおぼえていたのです。それなのに、いざ書こうとすると、どうしてもペンが進まないのです。これは、どうしても故郷に帰るよりほかはありません。
 けれども、おばさんのうまれた家屋敷いえやしきは、いまでは、知らない人の手にわたっていました。ですから、じぶんのいなかとはいえ、気軽きがるに帰るわけにはいかなかったのです。もちろん、おばさんがたずねていけば、いまいる人たちも、きっと気もちよくもてなしてくれるでしょう。けれど、おばさんとしては、その人たちと話をしなければならないのが、ひどくおっくうでした。
 そうはいっても、おばさんはうまれた家がなつかしくてたまらず、思いきって出かけていきました。屋敷やしきの入口で馬車をおりたときは、もう夕闇ゆうやみがたちこめていました。おばさんは大きなカエデの木の下にたたずんで、あたりを見まわしました。すると、ふしぎなことに、ハトのむれが、おばさんの足もとにバラバラといおりてきました。ハトというものは、お日さまがしずんでからは飛ばないものですが、こんやは、あんまりお月さまが美しいので、ついさそいだされて、飛びだしてきたのにちがいありません。それとも、おばさんをなつかしがって、むかえにきてくれたのでしょうか。おばさんのほうでもハトの姿すがたを見て、なつかしそうに話しかけました。
 やがて、ハトが飛んでいったとき、庭のほうでキャッというさけび声がしました。おばさんがかけよってみますと、ちっぽけな小人こびとが、フクロウを相手あいてにむちゅうでたたかっているではありませんか。おばさんはあっとおどろいて、思わずそのに立ちすくんでしまいました。けれども、小人のさけび声が、ますますあわれっぽくなってきましたので、おばさんは、ふたりのあいだに分けてはいりました。すると、フクロウはすばやく木の上に飛びあがりましたが、小人のほうはそのままそこに立ちどまっています。
「おかげでたすかりました。ありがとう、おばさん!」と、その小人は言いました。「だけど、フクロウのやつがあそこで見はってるから、ぼく、帰れません!」
「じゃ、あんたの家まで、わたしがおくっていってあげればいいでしょう。」と、おばさんは言いました。
「ぼく、ほんとうは、一晩ひとばんじゅうこの家にいるつもりだったんです。」と、小人は言いました。「でも、どこか安全あんぜん寝場所ねばしょを教えてくだされば、あしたの朝まで家に帰らなくってもいいんですけど!」
「わたしに、寝場所を教えてくれって? それじゃ、あんたはここに住んでいるんじゃないの?」
「ああ、おばさんはぼくをほんとの小人だと思ってるんですね。ぼくは、おばさんとおんなじ人間なんですよ。こんな姿になってはいますけど。」
「まあ、おどろいた! いったい、どうしたわけなの? 話してちょうだいな!」
 そこで、ニールスはいままでの冒険ぼうけんを話しはじめました。話がすすむにつれて、おばさんはますますびっくりしました。なんというめずらしい話だろう! おばさんは心の中でよろこびました。
「まあ、ガチョウのせなかに乗って、スウェーデンじゅうを旅行りょこうしてまわった子どもにうなんて、あたしはなんてうんがいいんでしょう!」と、おばさんは思いました。「この子の話してくれたことをそのまま書けば、本になるわ。もう、これで心配はいらない! やっぱり家に帰ってきてよかったこと!」

なつかしいわが

 それから、ガンたちはすこしまわり道をして、一月ひとつきばかりたった十一月の八日に、いよいよヴェンメンヘーイに近づきました。
 きりがうっすらとかかって、空はどんよりとくもっていました。みんなが昼寝ひるねをしているとき、アッカがニールスのそばにやってきて、
「とうぶんお天気がいいようだから、あしたあたり、バルトかいをこそうと思っているよ。」と、言いました。
「ええ、いいですとも。」と、ニールスは答えました。ニールスとしては、白ガチョウがころされるくらいなら、じぶんはこのまま人間にはもどらずに、みんなといっしょにたびをつづけよう、とはらをきめていたのです。とはいうものの、こうして、家の近くまできてみますと、やっぱり、おとうさん、おかあさんはじめ、なにもかもがなつかしくてたまりません。
「だが、おまえの家は、ここからすぐ近くなんだよ。遠いたびに出るまえに、一ど家へっていったらどうだい? 小人の話じゃ、おまえがいなくなってからというもの、おとうさんはうんわるくって、借金しゃっきんはかさなるし、だいじな牝牛めうしは二とうまでも売ってしまう。それに、せっかく買った馬は、びっこでやくにたたないってことだし、ひょっとすると、畑や家までも手ばなさなければならないかもしれないということだよ。だから、おまえは家へ帰って、おとうさんやおかあさんに元気をつけてあげなければいけないと思うね。ガチョウのことなら、ここにおいていけば、だいじょうぶさ!」
「ほんとに、そうですね!」と、ニールスは元気よく答えました、[#「ました、」はママ]そう言われたのが、ほんとうは、どんなにかうれしかったのです。
「ところで、おとうさんは鉄砲てっぽうを持っているかね?」と、アッカはたずねました。
「持ってますとも。その鉄砲があったからこそ、ぼくはいつかの日曜日に教会きょうかいへいかないで、家にのこっていたんですよ!」と、ニールスは答えました。
「それじゃ、家へはひとりでいっておいで。あしたの朝、スミューエみさきで待ってるよ!」と、アッカは言いました。
 ニールスが家に着いたとき、庭にはだれもいませんでした。そこで、さっそく牛小屋をのぞいてみました。
「こんちは、マイルース!」と、ニールスはさけびながら、牛のそばへ走りよりました。「おとうさんとおかあさんはどんなふうだい?」
「あんたがいっちまってからは、苦労くろうのしどおしさ! やっとの思いで買った馬は、病気で役にもたたないしね。とにかく、あんたのことを思って、気のどくなほど、かなしんでいるよ!」と、マイルースは答えました。
 ニールスはたまらなくなって、牛小屋を出ると、こんどは馬小屋にいきました。
「きみは病気だっていうけど、どこがわるいの?」と、いかにも、じょうぶそうな馬をながめながら、たずねました。
「病気ってわけじゃないんだけど、ひずめのあいだにとげみたいなものがささっちゃって、そいつがいたいもんだから歩けないんだよ!」と、馬は悲しそうに言いました。
「どれ、見せてごらん!」ニールスはこう言って、ひずめの上に、なにやらきざみつけました。
 そのとき、中庭のほうで人声ひとごえがしました。おとうさんとおかあさんが帰ってきたのです。まもなく、おとうさんは馬小屋にやってきて、馬のどこが悪いのか、もう一ど調しらべようと思って、びっこをひいているほうの足を高く上げてみました。と、ひずめの上に、なにかきざみつけてあるではありませんか。「おや、なんだろう?」おとうさんはびっくりしてさけびました。そこには、「ひずめのあいだのとげをぬけ!」と、書いてあったのです。
 そのとき、おかあさんがかけこんできて、うれしそうにさけびました。
「あなた、あなた、白ガチョウが帰ってきましたよ!」
 ガチョウのモルテンは、もとのみかをダンフィンに見せたくて、帰ってきたところを、ニールスのおかあさんにつかまってしまったのです。
「そうかい、こっちでも馬の病気のわけがわかったところだ!」と、おとうさんもうれしそうに言いました。
「ああ、やっと、わたしたちにもうんがむいてきましたね!」と、おかあさんは言いました。「ちょうど、もうじきおまつりだから、さっそくあのガチョウをころしましょうよ!」
 しばらくすると、台所だいどころのほうから、「助けてえ! オヤユビさん、助けてえ!」というモルテンのかなしいさけび声が聞こえてきました。
 ニールスは台所の戸口めがけて、いっさんに走っていきました。ガチョウが殺されれば、じぶんが人間にもどれるなんてことは、いまはすっかり忘れていました。ただ、長い間いっしょに苦労くろうしてきたガチョウをすくいたい気もちでいっぱいだったのです。
「おかあさん、おかあさん、ガチョウを殺しちゃいけない!」ニールスは気ちがいのようにどなりながら、部屋へやの中にとびこみました。
「まあ、おまえはニールス! ニールスじゃないの! なんて大きく、なんてりっぱになったんでしょう!」と、さけんだおかあさんの声は、うれしさにふるえていました。そうです、このしゅんかんに、小人の魔法まほうがとけて、ニールスはりっぱな若者わかものになっていたのです。

ガンたちとの別れ

 あくる朝早く、ニールスはガンたちと約束やくそくしておいた海岸かいがんにいきました。きょうはまたすばらしいお天気で、わたり鳥のむれがひっきりなしに飛んでいきます。
 やがて、アッカたちのむれが飛んできました。みんなはニールスに気がつかないのか、そのままいきすぎようとします。ニールスはあわてて呼びとめようとしました。でも、どうしたことか、きょうはしたがこわばって、ちっとも動きません。アッカが空で呼んでいるのが聞こえても、何を言っているのか、さっぱりわかりません。
 ニールスは、がまんができなくなって、「ここだよォ! ここだよォ!」と、帽子ぼうしりながら、さけびました。
 ところが、それはかえってガンのむれをこわがらせてしまったのでしょう。みんなはさっと高くいあがって、海のかなたへと飛んでいってしまいました。
 けれども、すぐまたガンたちのばたきが聞こえてきました。アッカも、このままオヤユビくんとわかれるのがつらかったのです。みんなはニールスのまわりにいおりてきて、口ばしでニールスのからだをなでまわしました。
 それから、ニールスは長い間のすばらしいたびのおれいを言おうと思って、ガンたちに話しかけました。すると、ガンたちはきゅうにしずかになって、「ああ、オヤユビくんはもう人間になってしまったんだ! だから、オヤユビくんにはこっちの言うことがわからないし、われわれのほうにもオヤユビくんの言うことがわからないんだ!」とでも言いたいように、ニールスのそばをはなれました。
 やがて、たのしそうに鳴きさけぶガンのむれにまじって、アッカたちのむれだけは、さびしそうに飛んでいきました。ニールスは、いつまでも、いつまでもそのあとを見送みおくっていました。そして、もう一ど、ガンたちといっしょに飛びまわることのできる小人になりたいような気がするのでした。





底本:「ニールスのふしぎな旅 上」岩波少年文庫、岩波書店
   1953(昭和28)年5月15日第1刷発行
   1980(昭和55)年5月25日第9刷発行
底本:「ニールスのふしぎな旅 下」岩波少年文庫、岩波書店
   1954(昭和29)年1月20日第1刷発行
   1980(昭和55)年5月10日第8刷発行
※「チビさん」と「ちびさん」、「ローソク」と「ロウソク」、「エンチェーピング」と「リンチェーピング」と「ノルチェーピング」の混在は、底本通りです。
※著者名は底本の奥付では、Selma Lagerl※(ダイエレシス付きO小文字)fです。
※原作は、第一巻と第二巻とに分かれている物語です。入力に使用した底本は、訳者矢崎源九郎氏の方針により「第一巻を、上巻と下巻とに分けて訳すことにし、第二巻のほうはあらすじだけを下巻のおしまいにつけて」いるものとなっています。このテキストは底本の上巻と下巻を合わせたものです。
入力:sogo
校正:チエコ
2019年10月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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