曠日

佐佐木茂索





 兄は礼助のいで出した茶の最後のしたたりを、紫色した唇で切ると、茶碗ちやわんを逆に取つてながめながら、
「今どき螢出ほたるでのこんな茶碗なんか使ふのめや。物欲ものほしさうであかんわ。筋の通つたのがないのなら、得体えたいの知れんものでも使うたがええ。茶を頭葉かしらはつかふのなら、それ相応につろくせんとあかんでな。」かう云つて一寸ちよつと黙つたが、突兀とつこつとして、
「――お前まだひとりか?」と問うた。
 礼助は苦笑と共に答へた。
「驚いたな。いくら僕だつて、結婚でもすれば兄さんに知らせますよ。」
 すると兄は、あははと大きく笑つてから、
「そらそやろな。――どうもほこり臭いでな。独り身といふやつは、何としても埃りくさい。何ぼ掃除しても家中が埃り臭い。埃りが有る無いの問題やない、埃りを消す匂ひがないのやでな。――いいかげんにもらうたらどうや?」と云つた。
「埃くさいか。名言だな。」
「埃はどうでもいいがな、どうや、貰うたらどうや?」
「いいのがあれば何時いつでも貰ひますよ。」
 礼助としては、この種の質問にしばしばつてゐるので、何時も決つた返事をするより他に仕方がなかつた。
「どんなのがええのや? 参考に聞いて置かう。わしの心当りにないとも限らんでな。」
 兄の単刀直入に礼助も気軽な返事をした。
実枝みえさんみたいな気立の人ならいい。」
「実枝みたいな? そんならどうや一層のこと実枝を貰つたら?」
 礼助は特に実枝の事を云ふつもりではなかつた。兄弟共通に知つてゐる女性では、他に適当の心当りがないので、差当り此の従姉いとこの娘をげてみたまでであつた。しかし、兄から、そんなら実枝を貰つたらと云はれると、不意に顔が固くなるのを覚えた。では、やはり、そつとしまつて置いたものを礼助は口に出したのだらうか。礼助は否、と云ひ切れはしなかつた。彼は固いままの顔をいささか赤くして、咄嗟とつさに何とか云はなければならなかつた。
「でも子供があるからな。」
「子供がなければいいのか?」
「そんな事云つても無理ぢやないか。子供があるんだもの。」
「子供を他所よそればどうや?」
 この兄の語気は強かつた。礼助はへたばりさうになりながら、辛うじて、
「さうもいかん。」と云つた。「――考へておく。」
「さうか。」
 短く云つて兄は、また、
「さうか。――お前、一度京都へ来たらどうや。何ならわしの帰るとき一緒に行かんか。もう一年位行かんのやろ?」
「さう、一年くらゐ行かんかも知れん。一緒といふ訳にもゆかんが、――そのうち行きます。とにかく久しぶりだから。」
「そんならおで。待つてる。」
 兄はなほ一碗の茶を喫すると、腰を上げてから、
「一寸用達ようたしして、そのまま夜行で帰る。もう寄らんよ。」
「ぢや送りません。御機嫌ごきげんよう。――あ、だけど京都へお帰りになつても黙つてゐて下さい。でないと僕行つても一寸具合が悪いし、第一行きにくくなるから。」
 兄は承知して帰つて行つた。


 四月に入ると早早、礼助に多少暇な日が出来た。丁度大阪に用事もあるので旁旁かたがた、その帰りに京都へ、といふ気になつた。
 大阪の簡単な用事を片づけると、花見遊覧の広告で一杯の電車で京都へ入つた。礼助は四条大橋で電車を下されると、すぐ泊りつけの宿屋へ行つたが、満員で不器量に断られた。花見時の京都の宿屋だから無理もないところだつた。断られてみると、新しい宿をさがすのも億劫おくくふだしするので従姉の時子の宅へ泊めて貰ふことにした。兄の杏平きやうへいのうちは洛北らくほくも二里ばかり電車から先を歩かなければならない遠さなので、滞在中の宿には余り面白くない訳だつた。だと云つて、時子の宅も面白い訳ではなかつた。時子の隣りが、やはりこれも礼助の従姉になる民子の宅で、民子の子が実枝なのだから――つまり礼助は時子の宅へ泊れば実枝と隣り合せに居ることになり、従つて滞在中はほとんど毎朝毎晩顔を合せなければならない訳になるのだつた。これは礼助にとつて痛しかゆしで、若干のくすぐつたさを伴ふものに違ひなかつた。
 だが、それはそれとして、いづれにしたところで、今時分、中途半端な時間に時子の宅へ行くのも勝手の悪いものだつた。行つたら寝るより外に手のない時刻、さういふ時刻に行きたかつた。旅づかれのぼんやりした頭で行つて、なまじ実枝でも居合せて雑談でも始まつてはかなはないと思つた。で礼助は円山まるやま公園を一廻りして今度は四条通りを逆にぶらりぶらりと新京極の方へ来た。新京極で或るカフエに疲れた腰を下した。まがひアストラカンの冬帽をかむつて、三日ばかり剃刀かみそりを知らないほほのままの礼助、しかも何処どことなく旅先のあわただしい疲労を浮べてゐる目つきの礼助は、どう見ても四月のほかほかとした陽気の中の人物ではなかつた。やや長く伸びた髪、肩先にとまつてゐる頭花ふけ、随分ぢぢむさい顔なり姿なりだなと卓の向うにめてある鏡を見ながら礼助は思つた。
 ぼんやり傍へ来た小さなウエトレスに一碗の珈琲コーヒーを註文すると更にもう一度鏡を見た。東京にゐて生活に順序があると毎朝鏡を見るから何の気もつかないのだが、かうしてわづかでも旅先の、しばらくぶりで見る鏡では、身の衰へと云はうか、何時の間にか忍び込んだおい――老と云ふのも気が早過ぎるが、ともかく青春は既に昨日きのふの花であることがありありと分つた。
 ――部屋の向うのすみにウエトレスが四五人かたまつてゐる、そのうちの一人が不図ふと礼助の注意をくほどに笑つた。これは自分が笑ひの的になつてゐるのだなといふことが礼助に分つた。一人のウエトレスが笑ふと、他の小さな一人が背のびして礼助の方を見た。さうしてこれも笑つた。皆、順順に見ては笑ひ、しまひに一緒になつて顔を伏せて笑ひ出した。子供だから何でも面白いのだらうと思ひながら、しかし礼助は、この擬ひアストラカンの冬帽子をかぶつた男が、うまくもない珈琲を、むつかしさうな顔をしてめてゐるのは多少誰にでも滑稽こつけいなものかも知れないと思つた。
 礼助は珈琲を嘗めながら改めて鏡中の自分を眺めやつた。さうしてにつと微笑しながら、頬にみぞを掘る深い立皺たてじわでてみた。


 翌日時子の宅で礼助が目さめたのは、正午を少し過ぎた時分だつた。
 井戸端で顔を洗つたが、何となくはつきりしないので改めて近間ちかまの銭湯へ出かけて、帰つて来ると食事の仕度したくが出来てゐた。時子にお給仕して貰つてゐると、開け放されたふすまの蔭から、
「いらつしやい。」と云ひながら実枝が出て来た。礼助は、
「やあ。」と云つて軽く頭を下げた。「その後は――」
 一通りの挨拶あいさつが済むと、実枝は、時子に、
「けふ、おきる?」といた。
 お茶の会へ行くかといふのだつた。礼助といふ不意の客があつても予定通り行くかといふのだつた。礼助はお茶の会と聞くと微笑を禁じ得なかつた。この前、京都へ来たときも、茶の会を方方引廻されたのを思ひ出したのだつた。礼助は時子に云つた。
「行つてらつしやい。僕は一人でいいから。その方が勝手だから。」
 しかし時子は、彼女達と一緒に茶の会へ行くやうに礼助を勧めた。これから行かうとしてゐるのは、建仁寺けんにんじの何とかあんで、庭がいいから是非行くやうにと云つた。建仁寺の庭を見る興味は動いたが、この前の茶の会で、もう大てい懲りてゐるので、直ぐにも出かけるといふやうな気持にはなれなかつた。でも勧められると断れないので、礼助は一緒に行く事を約束した。実枝は隣りの家へ着物を着替へに帰つた。
 彼等は建仁寺の何とか庵で約一時間を費やした。建仁寺を出て、四条通りへ戻つた。まだ三時に間があつた。礼助のつもりでは、お茶の会のあと、彼女等と何処かへ御飯を食べに行く気だつたのだが、かう時間外れでは仕方がなかつた。彼等は、四辻よつつじのポストの傍に暫くたたずんでゐた。
「円山へでも行つてみませうか。」
 礼助は赤いポストをステツキでコツコツたたきながら時子を顧みた。
 彼等は用のない人種らしい顔をして、石段を上り円山公園をぶらりぶらりと奥の方へ歩いた。奥へ進み過ぎて、ここからはもう東山の「山」の領分になるだらうと思はれたあたりまで来た。
「くたびれたわ。」
 実枝はさう云ひながら平たい石の腰かけを手巾ハンケチではたいた。
 礼助は、
「やあ、有難う。」と云ふと、掃かれた石の上に腰を下した。礼助の次ぎに実枝、その次に時子が腰を下した。
 花はまだ咲きはしないが、もう花が咲いても不思議ではない陽気だつた。腰をかけてゐる下から石の冷たさがしりみて来るのが快よい時候だつた。礼助は擬ひアストラカンの冬帽を手に持つて、頭を太陽にさらした。時時かすかな風が髪の先を渡つた。実枝の髪を渡る風は実枝の甘い匂ひを礼助の顔にりつけた。
「いい天気だ。全く眠くなる。」
「まあ、あんなに寝てもまだお眠いの。」
 時子は仰山ぎやうさんに目を見張つてみせた。礼助は、真面目まじめな顔をして、
「夜は夜、昼は昼、眠りの味は丸で別なものです。」と云つた。
 それから彼等は眠りについて暫く会話をした。礼助が相変らず朝寝坊で、といふよりは、昼寝て夜起きてゐるやうな悪習慣を持つてゐることを彼女等は心配した。世間並の生活をしないことがんなに健康に影響するかを説いて、早起きをするやうにと時子は忠告した。すると実枝は、
「でも、さうでないと御勉強出来ないといふなら仕方がありませんわ。」と云つた。
「ぢや寝坊でも構ひませんか?」
「それや――」
もつともこいつは実枝さんに関係のない事ではあるが。」
「ありますわ。」
 礼助は愕然がくぜんとして問ひ返した。
「あります?」
「だつて京都にいらつしやる間、毎日何処かしら連れて行つて頂きたいと思つてゐるのに、お昼までも休んでいらしちや、あと半日ですもの。」
「なあんだ、虫のいい話だな。あはは。」
 さも気軽らしく礼助は云つた。


 翌日礼助は起きるなりすぐ髪床へ行き湯に入つて、手拭てぬぐひを番台に預けると、懐手ふところでをしてぶらりと近所を散歩した。髪床と銭湯と散歩とで二時間半、かれこれ三時間近くも費やして帰つて来ると、時子が待ち構へてゐて、
「大丸まで一寸買物に行きますが、一緒にどう? みいさんも行きますの、女の買物なんか辛気臭しんきくさうておいややらうが、おつき合ひなさいな。」と例の東京でも京都でもない言葉で云つた。礼助は、
「行きますかね。別に用事もなし。」と答へた。
 彼等は昨日のごとく三人連れで出かけた。途途みちみち時子は京都といふところは近所のうるさいところだと云つた。実枝が時時日本髪に結ふとそれさへ町内の問題になると告げた。これには礼助も驚かされて、
「何てんです、それは?」とたづねた。
「いいえね、お実枝はんは近頃日本髪に結うて髪慣らしをしてはるのと違ひますかなんてね、みいさんところの女中に訊ねたりするのですよ。よく聞いてみるとね、高島田にでも結ふ準備ぢやないかといふのですよ。お嫁に行く下ごしらへぢやないかといふ訳なのですよ。全くうつかりしてゐられないところ――」
「へえ。」
 礼助はあきれた顔をしてみせると同時に、世間でも実枝が何時まで若き寡婦やもめで通すのかと興味を持つてゐるのだなと思つた。
「そら此の人でもね。」と時子は実枝を顧みながら云つた。「何時どうなるか分りはしませんけれど、そんな事こつちの勝手でしよ? それを何も世間中で気をつけて見てゐないでもいいやろと思ひますの。この人でもあないされては意地が出んものでもありますまい?」
 意地が出るといふのは寡婦を通さうとする意地が出ることを意味するやうであつた。礼助は、
「意地なんてこと、それは別ですがね。とにかく、さう世間の狭い土地ぢや一寸困りますね。何となく、何をするにもぎこちないでせうからな。」
「ほんまに。」
ぎこちないと自分で感じちや、行蔵が自然を欠きますからな。つい心にもない事をしたりする。」
「ほんまに。」
 大丸へ入ると彼女達はぎれのところへ第一に行つて時間のかかる選択を開始した。礼助がぼんやり彼女達について裂の間を泳いでゐると、それに不図気のついた時子は、
「食堂へ行つて待つていらつしやい。こんなとこ退屈でしよ?」と笑つた。
 礼助は食堂で待つ事にした。珈琲を三杯ほど飲み干した頃、時子と実枝の顔が重なつて食堂の入口に現れた。礼助は食堂にもう何の用もなかつた。用がないのみならず、既に飽いてゐた。で彼女達の姿をみると、
「何か食べます? 飲みます?」と訊ねた。
 彼女達も食堂に別段用のある様子でもなかつた。彼女達がはかばかしい返事をしないのを見ると礼助は、
「出ませんか。」と誘つた。さうして彼等三人は外へ出ることになつた。
 電車通りへ出ると、時子は用事があるからすぐ帰ると云ひ出した。礼助は、
「さう。これから何処かへ晩御飯を食べに行きませんか。帰つてもどうせ食べるんだから、どうです。」と云つた。
 すると、時子は、
「ぢや、みいさんと二人で行つたらよろしやろ。わたしはどうしても用があるから帰らんとどうも――」と礼助に返事してそれから実枝の方へ向いて「ねえ、さうなさい。」と云つた。
 実枝は、咄嗟には返事のなり兼るといふ顔をした。礼助はたもとから煙草たばこを出して火をつけた。時子は重ねて、
「ねえ、さうなさい。」と云つた。
 実枝は、辛うじて云つた。
「でも、だつてそれは、――康夫やすをが待つてゐるのですもの。」
「康夫さんはわたしが守してあげます。だからあんた行つていらつしやい。」
「でも――時さんも一緒にいらつしやい。」
「そんな無理云うて。わたしは用事があります。」
 彼女達の問答は限りがなく同じことが繰返されさうだつた。礼助は、
「皆、一緒に出て来たのだから一緒に行きませう。」と云つた。


 礼助のあらかじめ期したやうな事は何も起らずに、彼と彼女達の交渉は毎日此程度を出なかつた。これは礼助の安堵あんどであつたが同時に焦慮であつた。焦慮と云つては強きに過ぎよう、が、ただ何となく物足りない気持ち、とだけでは云ひ済まされぬものであつた。しかし礼助は平然として朝寝をし、目がめれば彼女達と外に出た。外に出て、今日は昨日より親しくなつたな、では明日はこの親しさから更に先の親しさに進まうと思つて帰つて来るが、明日になると、第一日の朝と同じところから歩み出さねばならないことが分る、それより外に仕方のないことが分る、礼助はこの失望に似た心持ちを毎日繰り返してゐた。
 なじみを一日一日と加へてゆくのは、ただ康夫とだけだつた。この四つになる子供は、始めのうちは礼助の傍へも来なかつたが、二日目には、ああしろかうしろといふやうになつた。両手をぶらりと下げたまま奇妙なしかめつつらをして、「幽霊――いうれい!」と礼助の上へのしかかつて来るやうになつた。礼助は幽霊の康夫に追ひ廻されて座敷中を逃げた。逃げながら、座敷の片隅にゐて康夫を見守つてゐる実枝と目を合せた。実枝は、
「康夫さん、そんなおいたしてはいけません。」と子供をしかつた。
「子供はぐんぐん大きくなるものだな。」
「ほんとに。自分のお婆さんになるのはちつとも気がつきませんけれどね。」
 さう云はれて、礼助は実枝も本当にけて来たなと思つた。新京極のカフエの鏡で礼助は自分のぢぢむささを明かに知つたが、彼女も必ずしももう若くはない。四つになる子供の親に、確かに違ひない。
「かうしてお互に年とりますなあ。あなたはお茶の稽古けいこをして。」
「さうして、あなたは朝寝坊をして。」
「違ひない。」
 礼助は哈哈ははと笑つた。


 ある朝礼助が目をさますと、兄の杏平が時子の宅へ来てゐた。
「お前来てゐたのか。辛気くさい奴やな。来たなら来たと一寸知らしたらいいのに。」
 兄は礼助の顔を見るとさう云つた。
「そのうち、自分で出かけて云ひに行くつもりだつたから、そのままにしてゐたのです。」
 兄は、用事があるので、今日はゆつくりしてゐないでぐ帰宅するのだと告げた。帰る途中の円通寺といふ寺まで実枝も同道するのだと云つた。
「礼助、だからお前も一緒にうちへ来い。」
 兄はさう命令するやうに云つた。丁度そこへ外出の仕度をした実枝がやつて来た。実枝は礼助に向つて、
「お目ざめ? けふは兄さんに連れて頂いて円通寺まで行きますの。」
「さうですつてね。で僕も次手ついでだから来いと、今云はれてゐるところです。」
 近近に実枝が主人で茶の会をするので、円通寺の茶室を借りるため、けふはその依頼なり下調べなりに行くといふのだつた。実枝などの程度の、づ準宗匠格の婦人が十人ばかりで会を作つてゐて、毎月月番廻り持ちの茶事を営んでゐるのだが、その当番に今月実枝が当つてゐるといふのだつた。
 結局、礼助も連れ立つて行く事になつた。
 からりと拭ひ上つたといふではないが、四月にしては曇り気味の乏し過ぎる空だつた。さして急がなくても歩きさへすれば直ぐ、少少は汗ばむはだになる程のいい天気だつた。終点で電車を捨てて、二里余りの野路と山路を歩かなければならなかつた。彼等は足許あしもとに埃を舞はせながら白白とした野路を歩き出した。実枝は日傘ひがさかざした。礼助と兄とはすそ端折はしよつてゐた。礼助はステツキで向う手の山を指しながら云つた。
「この真白の路が、あの山の入口まで、先づ二十五町かな? それから爪先上つまさきあがりが一里半近くか。少し参るな。」
「何云うてる。女でも歩く。」
 さう兄は云つた。実枝は、
「お気の毒さま、暑いのに。」と云つた。
 でも一歩山へ入ると日影が続いて、いくらか涼しくなつた。礼助は、こんなところで兄から何か云ひ出されてはたまらないと思つたので、遠路に辟易へきえきした顔をして愚痴ばかりこぼしてゐた。円通寺に辿たどりつくと、ほつとした。兄は式台に片足かけて心易こころやすさうに、
「おつさん、おつさん。」と呼んだ。
 しかし誰も出て来なかつた。
「留守かしら?」
 さう云つてゐると、草刈鎌くさかりがまを手にした六十位の婆さんが傍の植込みの中から現れた。
「皆、お留守どす。」
「さうか。それは困つた。小僧さんも居んのか。」
「学林へ行つてはります。和尚おつさんは御本山どす。」
「のん気やな、皆留守にしよつて。――仕方がない、一寸勝手に上げて貰ひまつさ。」
「へえ。どうぞ。」
 兄は先登に立つて上つた。実枝も礼助も続いた。礼助は、
田舎ゐなかの寺は呑気のんきでいいな。」と留守の和尚をしやうの部屋へ座りながら云つた。
「さ、愚図愚図してゐると日が暮れるで、茶室だけ見とこか。」
 兄はかう云つて実枝を促した。で三人は草履をつつかけて茶室へ渡つた。茶室は庭の奥まつたところにあつて、三部屋あつた。その二つに炉が切つてあつた。兄と実枝は勝手に押入れを開けて、かまや茶道具を調べ出した。礼助はその間中、庭を見て歩いた。和尚が作つてゐるらしい牡丹畑ぼたんばたけを見て帰つて来ると、兄は、
「礼助、もう帰るぞ。」と云ひながら薄暗い部屋の中から出て来た。
「お待ちどほさま。」
 実枝も続いて出て来た。血の気のない顔が仄白ほのじろ鴨居かもゐの下に浮いた。
「礼助、あれが京見台きやうみだいや。」と兄は云つて、前向うの小さな山の頂きを指した。
「京見台?」
「うん、あれへ上ると京都が見える、それで京見台と云ふのだ。あいつに上つて一番京都を見下してやろか?」
「それもいいな。」
「どうや実枝?」
「わたし、少し疲れてますし、それに帰りが遠くなるから、先ににますわ。どうせお二人とは別別になるのやし。」
「さうか。そんならお帰り。」
 兄と礼助とは円通寺の門外まで実枝を送つて出て、其処そこで別れた。実枝は京都の方へ今来た道を一人戻つて行つた。別れてしまふと礼助は、
「何だか女一人帰すのは残酷なやうだな。」と云つた。さうして、今しがた歩いて来た白白とした野路と山路を思ひ浮べた。
「何、昼間のことや、大事ない。――お前どうや?」
「え?」
 礼助には一寸兄の云つたことが分らなかつた。しかし「え?」と問ひ返すと同時に、兄は実枝のことを云つたのだなと分つた。
「実枝どうや?」
「どうつて――」
「嫁に貰ふ気があるのか?――めにしとき。あれはあかん。」
 礼助は豹変へうへんした兄を呆然ばうぜん目守まもつた。
「あかん?」
「ああ。あかんとも。少し老け過ぎてゐる。お前には老け過ぎてる。それに、ひと頃ほど美しうない。嫁は美人でないとあかんぞ。美人でないと人が寄りつかんでな。人が寄り附くと寄りつかんでは大変な違ひや。へちやの女房持つてると友達も来よらんでな。」
 礼助は再び呆然と兄を目守つた。兄は平然として、
「さあ京見台へ上らう。」と云つた。
「ああ上らう。」
 礼助は京見台へ早く上りたくなつた。京見台へ上つて眼界がどう開けるかは未だ知るわけもなかつたが、今しがたの白白とした野路も、勿論もちろん見えさうな気がしてならなかつた。野路も山路もすべて明らかに一眸いちぼうに収め得られさうな気がしてならなかつた。さうして、杉の多い山路の、杉の影に、見え隠れして遠ざかつて行く小さな日傘を見るやうな気がしてならなかつた。白白とした野路に一点の紅を落す日傘が、くるりと廻つて、京見台の方を不意に仰ぎ見さうな気がしてならなかつた。
 礼助は京見台からの目が、の程度の大きさに、あるひは小ささに、京の町町を見得るのかをも知らないうちから、実枝の日傘だけははつきりと見える気がしてならなかつた。
 彼は兄を顧みて云つた。
「京見台へ上つて美人を探すかな。」
「よかろ。」
 兄は元気よく云つて、ぐんぐんと上つて行つた。
(大正十三年十月)





底本:「現代日本文學大系 45 水上瀧太郎 豐島與志雄 久米正雄 小島政二郎 佐佐木茂索 集」筑摩書房
   1973(昭和48)年8月30日初版第1刷発行
   2010(平成22)年1月30日第14刷発行
初出:「文芸時代」
   1924(大正13)年10月
入力:大野裕
校正:noriko saito
2023年10月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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