秋の第一日

窪田空穂




 土用は過ぎたが、盛夏の力は少しも衰へずに居る。直射する日光、白くかがやく雲の峯、上から圧しるやうに迫つて来る暑気、地の上のすべての物は、反抗する力も、脱れて行く法もなく、ほしいままに振舞ふ威力の前に、ただ頸垂うなだれて、をののいて居るだけである。日中は軽やかに声を立てる者も無い。何所を見ても、擾乱ぜうらん困憊こんぱいしてゐて、その中に、一脈の静寂の気も漂つて居るのが感じられる。
 さういふ日、午後、思ひ懸けずも夕立が来た。久しく雨が絶えて、もう雨とも思はなかつた時、珍しくも来たのであつた。夕立は、しふねく残つてゐる暑気を脅かさうとでもするやう、と襲つて来て、慌しく去つて行つた。あらゆる物は甦つたやうに生々とした色となつた。雨を含んだ風は、そよそよと何時までも吹いた。
 夕方、点燈前、私は外から自分の家へ帰つて来た。いつものやう縁に立つて、狭い庭、垣の外の空地、崖で境してゐる前の家、後の家と、見るともなく眼を漂はした。と私は、見馴れて居るこの山の手の一角の場所の中に、何時もとはひどくも違つた何物かがあるやうに思つた。
 其れは雨にうるほつた木立こだちでも、土の色でも、多少の涼しさでも無かつた。何時も今頃は起つてゐる、此一角の場所に限られた賑やかな楽しい声が、今日に限つてふつつりと絶えて、不思議な位静まり返つてゐる事であつた。

 夏が来て、家々の障子が残らず取りはづされると同時に、此所には夕方から、此れまでに聞かなかつた新しい声が聞え出した。
 日中はひつそりとして過ぎて居るが、夕方、日脚が傾いて、家の一方に蔭が出来、此所の木立に集つてゐる蝉の声が止んで、代りにひぐらしのカナカナと短く迫つた声が聞え始めると、それを相図のやう、ひつそりした家々から、それぞれの声が殆ど同時に起つて来る。
 第一に起るのは、前の家のヴイオリンの声であつた。其家は一段高く、若い音楽家が住んで居て、夕方になると、必ず日課のやうにヴイオリンを弾き出す、鋭く、そして胸をそそるやうな抑揚する声は、高い地盤から起つて、この一角の空気の中に漂つた。重々しい感じのする夏の夕暮と其音とは一種の調和を保つて、誰も何等かの感じが無くては聞かれなかつた。
 ヴイオリンの音の起る頃には、うたひをうたふ声も聞えて来た。それは崖の下に当つて三、四軒並んで立つてゐる一番端の家からで、高い樫の木立で囲まれた二階家である。華族だとか聞いた。声は老人かと思はれる太い寂びた声で、安達ヶ原とか言ふのの一節を、くり返しくり返し謡ふのであつた。旅僧が野に行き暮れた述懐は、誰もまたかと思つて聞いた。そして其前の文句もそらで覚えてしまふ位であつた。
 その家には、客が来ると、文科大学が文科大学がと、其れだけ際立つて高声で言ふ若い人が居る。その人もをりをり、老人にいて謡をうたつた。直されては同じ所を幾度もくり返した。丁度に謡へないので、何方どちらも笑つては止めてしまふのが例であつた。
 その隣、私の家と裏口の真向ひになつてゐる二階家には、若い軍人が住んで居る。障子の無い主人あるじの居間は本箱の本までも見える。午後、主人が帰つて来て、暫くの間寝転んで其日の新聞を読んでしまふと、やがて机に対つて読書を始める。すると若い細君も上つて来て、主人と同じ机に直面に座つて、筆記ものでもするらしかつた。二人が為る事をしながらをりをり何か話して笑顔を交し合ふのが、明らさまに見える。
 その家には女学生と見える若い娘が居る。主人の留守のうちは二階へ上つて、読書や裁縫をして居る。をりをり欄干によつて、じつと眼を放つて、胸の中の思を逐つてゐるやうな表情をして居る事がある。不図此方の者と眼を合せると、柔く動きやすい表情を眼に見せて、それとなく親しみの色を浮べる事がある。主人夫婦が二階に上ると、娘は下に降りて、新たに感じられる涼味に向つて、琴を弾き出す。拙い琴ではあるが、それが聞え出すと、若々しい賑やかさのある家だと思つた。
 その隣は低い家で、年をした醜い細君と、若い、美しいひげのある夫とが、ただ二人で住んで居る。其頃になると、主人は余所よそから帰つて来、裸になつて、自転車の置いてある縁先へ出て、高声に講談の筆記を読んだり、川柳を読んでは笑ひ興じる。細君は肌ぎになり、肩に濡手拭を巻いて、団扇の風を送りながら、主人の読むのを聞いて居るのが見え聞えする。何所かの工場に通つて居ると見え、自分の職責以外に、女工の家を尋ねたといふので、一度客と細君とに怒られて居たのが聞えた。
 此等の声は、段々と暗くなり、涼しくなつて行く夕暮の空気の中に、涼しげに賑やかにわだかまりなく響いた。蜩の声は止んでも聞えた。黒く際やかになつた樫の木立の彼方あなた、赤味を帯びた金星の、低く輝くのを見るまでも続いた。自然に見え聞えて来る其等の声や生活の有様を見ると、私は夏の夕方の楽しさを思はずには居られなかつた。夏でなくては持てない亢奮した心持だ。遠退いて行く暑さに対して、勝ち誇つた心持で挙げる声だ、無意識に挙げてゐる凱歌だ、打明けた、包む所のない、そして其れを苦痛に感じない斯うした生活、此れは夏期で無くては見られないものだ。私はさう思つてひそかに快を覚えて居た。

 その夏期の生活も終つた。開かれた戸はまた閉ぢられてしまつて、以前の静かさと寂しさに帰つてしまつた。見よ、家々の障子は取りはづしてはあるが、端近く出て夕方の涼気を迎へて居る人は無いではないか。謡も講談本も、女学生の琴も聞えない。音楽家までも何うしたのかヴイオリンを弾かずに居る。ひつそりして居る。何の響も起らない。四辺あたりにはただ涼気が占めてゐるばかりである。さう思へばあの蜩、今頃は必ず鳴くものにして居た蜩も、今日は鳴いては居ない。蝉の声が絶えると共に、あらゆる声が此所を去つてしまつた。
 昨日までの生活は、今日は早くも記憶のうちのものだ。すべての過去のものと共に記憶のうちに生れてるのみだ。楽しい声にも、寂しい蜩も、もう再びは帰らないものだと思つた。
 秋が来たのだと私は驚いたやうに思つた。今までの盛夏と、その盛んな威圧、其れを見てゐると、何時来るものとも思へずに居た秋が、もう此所に来て居るのだ。さう思ふと私は今更のやうに辺りを見回さずには居られなかつた。
 夕暮れの空は清らかに澄んでは居るが、盛夏に見るやうな深い紺碧と、我をゆらめかさうとするやうな生々した湿ひは消えてしまつて居る。地にある草木も、何時か一しきりの艶は消えてしまつて、何となく衰へを見せてる。眼に見えないが、もくもくと空気の中を漂つて、そして総ての物をそそらうとしてゐた彼の夏の気ともいふべきもの、其れもただ一雨の為に洗ひ去られたのか、もう感じられない。天も地も何所ともなくしんと静まりかへつて、息を呑んで居るやうだ。秋だ、まさしく秋が来て居るのだ。
 物蔭に隠れて隙を窺つて居て、不図現れて、かの盛夏を倒してしまつたやうな秋、私はその秋の第一日の静かさと涼しさの中に居て、昨日までの夏を追想した。苦しくはあつたが厳かな、賑しく輝いて居た夏といふものの、脆くも倒され去つたのを思つた。暮れて行く空と、四辺あたりの静けさに包まれてゐると、私は閉め出されたやうな、行く所の無いやうな、染々とした哀愁を覚えて来た。





底本:「日本の名随筆19 秋」作品社
   1984(昭和59)年5月25日第1刷発行
底本の親本:「窪田空穂全集 第五巻」角川書店
   1966(昭和41)年5月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:大久保ゆう
校正:noriko saito
2019年5月28日作成
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