くじらようかん

澤西祐典




尾道銘菓 鯨羊羹くじらようかん
 古来より海洋資源に恵まれていた日本は、地球上最大の動物の「鯨」も例外なく、肉・脂・表皮をはじめ、「鯨尺」の名があるようにその材料として「ひげ」まで無駄なく大切に利用してきました。古くからの港町・尾道では、対岸の向島むかいしま岩小島いわしじまで正月に決まって出産のため鯨の姿が現れたと、室町時代の初め武将・歌人の今川貞世が「道ゆきぶり」に記しています。現在では高価となった鯨ですが、当地では肉とともに食材とされ、「おばけ」または「おばいけ」といって、表皮の黒い部分とその下の「白皮」とよばれる脂肪層を薄く切って熱湯をかけ、流水でよくさらし酢味噌で食べる「さらし鯨」は極めて一般的な食べ物でした。
「鯨羊羹」は、元は「鯨餅」といって、黒と白の二層の蒸し羊羹として江戸時代の記録に残っております。寒天の発見後、十八世紀後半頃より現在の羊羹に似た物が造られ、「鯨羊羹」もあわせて現在の様になったものと思われます。

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 お願い
鯨羊羹は黒い部分(錦玉羹きんぎょくかん)と白い部分(道明寺羹どうみょうじかん)とは材質が異なるため、この面が多少がれやすくなっております。
小口こぐちにされるときは、お手数でも流し枠を全て剥がし、黒い錦玉羹部分を上にしてお切り下さる様、お願い申し上げます。

昔から、「鯨羊羹」は鯨の皮を意匠に採り入れたものですが、鯨の肉・脂・皮などは、一切使用しておりません。
尾道「鯨羊羹」説明書きより


 夏の陽射しが砂浜に溜まって、陽炎かげろうが黄色く揺らめいている。黄色い地平の向こうに海がうすく盛りあがり、すぐさま緑に覆われた島があおい風景にふたをしている。陸と陸に挟まれた水面は、陽炎のゆらぎに呼応するように穏やかに揺れる。
 空と島と海と砂浜とがひとしくしまになった景色には、はっきりとした中心がある。黒く、途方もなく大きな巨体が、波打ち際に横たわっている。鯨だ。引いてはうち寄せる波のが、その息絶えた巨躯に挑みかかるが、巨大な輪郭をなぞりきること叶わず、またむなしく海へと引きかえす。
 鯨の屍体に向かって人々が列をなしている。大人も、子供もいる。自分の番が来るのを今か今かと心待ちにしている。行列の先頭では、活きの良い声が飛びかい、職人が鯨を切り分けている。黒い表皮から食べやすい大きさに切り取られた鯨の身は、たっぷりの白いあぶらがついていて、その白い断面を天にして細長い木函きばこに詰められる。
 行列の先頭にいる人は、切り出したばかりの鯨羊羹を受けとり、嬉しそうに帰路につく。客がひとり去っても、鯨羊羹を買い求める客がすぐに後ろから現れる。客の注文を聞いた商人のかけ声で梯子に乗った職人が鯨を切り分け、切り取られた身が鯨羊羹の器に詰めこまれてゆく。阿吽の呼吸で鯨羊羹が切り出されるたび、もち米のほのかに甘い匂いが立ちのぼる。いつの間にか、夏の海の香りに混じって、酩酊しそうな甘い香りが辺り一帯に漂っている。
 列のしんがり近くにいる者は、自分の番より前に鯨がなくなりはしないかと、はらはらしながら先頭を見つめている。が、鯨の巨大な肉体は一向にかさの減る様子もない。その光景は、さながら鯨が人々の列を呑みこんでいるようにも見える――

 ぼんやりとそんな光景を思い描きながら、健一はお皿に載った二切れの鯨羊羹を突っついている。健一が鯨羊羹に出逢ったのは伯母の家だった。遊びに行くと、いつも鯨羊羹がおやつとして出てきて、幼いころから健一の大好物だった。
「白い米が甘いのが俺は好かん。健、俺の分もやるわ」
 いとこの将昭はそう言って、いつも自分の分の鯨羊羹を健一に分けてくれた。その、お行儀よく並んだ二切れの鯨羊羹を見るのが、健一はまたたまらなく好きであった。
 母親が病気がちだったため、健一は長い休みになると、よく伯母の家に厄介になった。初めのころこそ母が付き添ったが、慣れてくると一人で山陽本線に乗って伯母の家に向かった。尾道に着くすこし前、海と造船所が見えてくると、いよいよだ、と健一は胸が高鳴り、列車が駅に滑りこむまで船の行き交う穏やかな内海に眺め入った。
 改札を出ると、健一はまっすぐ渡船の乗り場へ急いだ。伯母の家は対岸の向島にあった。小さなフェリーが出ると、あっという間に対岸につくが、それでも健一は辛抱しきれなくて、荷物さえなければ泳いで渡るのにと気が急いた。
 フェリーの先端から向こう岸をじっと見つめていると、たいていの場合、岸辺で釣りをしている子供の一団を見つけることができた。健一が声を張りあげて手を振ると、向こうでもこちらに気づいて、手を振りかえしてくる。いとこの将昭とその友達たちだった。健一は休みの間、彼らと一緒に遊びまわるのだ。日頃、山に囲まれて暮らす健一にとって、尾道は海があるだけで特別だった。なかでも、伯父さんの漁船に乗せてもらい、無人島へ行くのが何より楽しかった。未明の船に乗りこみ、近くの無人島で降ろしてもらうと、あとは誰にも邪魔されない、子供たちだけの楽園が広がっていた。釣りの腕を競ったり、崖から海に飛びこみ、誰が一番高く水しぶきをあげられるかを競い合った。
「健、そこはいけん。底にでかい岩があるけえ」
 海に不案内な健一が、危険なことをしそうになると、将昭がさりげなく止めてくれた。将昭の指摘は、いつも見事に当たった。岩があると言えば、何も見えないように見えた海面の下にたしかに尖った大岩があり、向こうの方がよく釣れると言えば、その通りになった。生来おっとりとした健一が、伯母のところではのびのびと遊びまわることができたのは、いとこのお蔭といってもよかっただろう。
 子供たちはお腹がすくと、持ってきた弁当を広げて、青空の下でむさぼった。海の風に当たって食べる弁当は格別おいしかった。そして腹の虫が落ち着くと、海遊びを再開させ、夕暮れ時、伯父が船で迎えにくるまで遊び倒した。島を後にするとき、健一の胸には、名残惜しさと言いようのない充足感が広がっていた。
 晩ご飯の後、鯨羊羹が出されると、健一は白いもち米をぴったりと覆う薄い皮のような、艶のある黒い錦玉羹を見て、朝の船出を思い出す。それは未明の海の色に似ていた。美しいとともに、楽しい時間の夜明け。黒々とした暁の海は無表情なうわべに反して、タイやチヌ、キス、アナゴにアコウ、ギザミ、そのほか覚えきれないほど、たくさんの魚を隠している。鯨羊羹の黒い表面の下にも、甘いもち米がたっぷりと控えているのだった。
 健一は今日の島での冒険を思い返しながら、鯨羊羹にうっとり眺め入る。あるいは、鯨羊羹が次々切り出されていくところを思い浮かべる。健一にとって、その光景は、昼間に無人島で遊んだ記憶よりも甘美で、真実らしく思える。
「白い米が甘いのが俺はどうも好かんわ」
「そんなこと言って、あんた桜餅は美味しいって食べよるじゃないの」
「あれは餡子が甘いだけじゃ。生地は甘うないけん、平気じゃ」
 伯母と将昭がいつもの小競り合いをしている間も、健一は鯨羊羹に想いを馳せた。一度でいいから、切りたての鯨羊羹を食べてみたい。舌に唾が溜まる。切っても切ってもなくならない。いくらでも食べることができる。ほんでも――
「いったい一頭の鯨から、どれだけの鯨羊羹が採れるんじゃろ」
 思ったことが、そのまま口を突いて出た。健一は勘定してみようとしたが、本物の鯨を見たことがないので当たりのつけようもなかった。
 それでも真剣に考えていると、不意に伯母の笑い声が聞こえ、夢を破られた。
「健ちゃん、まさか鯨羊羹が鯨で出来てるって思うとるんじゃないやろうな」
 ほんまに面白いこと考える子やね、と口元を抑えて、必死に笑いを堪えているが、肩が震えている。
 笑かさんといて、と言う伯母の顔が急に他人に見えた。
 将昭はどうしていいのかわからないのだろう、聞こえなかった振りをして、よそ見を決め込んでいる。健一は、自分がとんでもない思い違いをしていたことを悟った。
「鯨羊羹は鯨から作るんじゃないで。和菓子の材料で、鯨の皮に似せてるだけや」


 大人だったら――少なくとも鯨肉を口にしたことがある人だったら、誰も間違えたりはしなかっただろう。しかし、健一は鯨羊羹が鯨から作られていると信じて疑わなかった。百歩譲って鯨から採られているのではないとして、黒い薄皮部分が鯨と無関係だとは思いもしなかった。
 健一は天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。単純に思い違いが恥ずかしかったのではない。自分の上に、まるで世間の理屈が丸ごとのしかかってきたような、耐えがたい辱めを受けているような気がした。自分に知らされていない大きな絡繰からくりがあって、自分が失敗を犯すのを、皆が寄ってたかって待ち受けているように感じた。
 実際、翌日から、健一は将昭らがよそよそしく感じられ、前ほど遊びにも没頭することができなくなってしまった。そうすると、失敗も増える。焦ってうまくやろうと思えば思うほど、前ならできていたことまでできなくなり、釣り餌を魚に取られたり、釣り糸を切ったりして、皆から笑われた。
 目頭が熱くなったが、泣いたら負けだと思い、どうにか堪えた。健一の胸には、二つの感情が去来していた。恥ずかしいという屈辱と認めたくないという反発心。誰かにあざけられると、恥ずかしさが津波のごとく押し寄せてきた。ただ一人ぼっちで、世間の荒波にさらされている気持ちだった。
 一方で、不和の危機的局面が過ぎさり、落ち着きを取りもどすと、健一の胸に反骨心が芽生えることもあった。子供たちの輪から離れ、海を見ていると、小さな勘違いなどさして重大ごとでなく思えてくる。むしろ、間違っているのはあちらで、笑われるべきは皆の方ではないか。目に見える部分など、ほんのわずかに過ぎない。釣り糸を垂らしてみなければ、海中に何がいるかもわからないのだ。ならば、鯨羊羹の鯨がいても不思議ではあるまい。
 そんな風に、筋の通らない理屈を辿って、健一の心に、怒りがほとばしることもあった。
 尾道を離れるとき、そろそろと動きだした電車の窓から海と向島が見えた。いつもは淋しさが込み上げてくるのに、その日は違った。せわしなく往来する渡し船が行き違い、水面を掻き乱している。じっと堪えていた涙がついにこぼれた。
 向島がなぜだか小さく見え、抑えこんでいた想いが溢れた。どうしてもいないというのなら、――。
 健一は、想像の鯨を車窓から見える海に解き放ってみる。巨大な鯨羊羹が、海面からぬっと姿を現すところを思い浮かべた瞬間、線路の脇に建つ家に阻まれ、車窓から海が見えなくなった。
 それでも、健一の心は不思議と落ち着きを取りもどした。鯨羊羹で鯨をつくる。口にすれば、また笑いものにされるのが落ちだ。しかし、そんな馬鹿げた空想が、健一の心に平静を取り戻させた。口にしなければいいのだ。鯨羊羹に対する新たな想いを胸に、健一はひとり列車に揺られて母の待つ家へ帰った。

「これ、将昭ちゃんの学校じゃろ? 自由研究の全国大会で銀賞を取ったんじゃって。賢い子がおるんじゃね」
 母親が指さしながら見せてきた新聞記事には、たしかに見覚えのある小学校の名前が載っていた。健一と同い年ぐらいの女の子の写真も載っていた。しかし、健一の目を引いたのは別のことだった。同じ記事のなかに「鯨羊羹」と書かれているのが目についたのだ。
 健一は夏の苦い思い出が胸に蘇ってきた。それを母親に悟らせまいと、
「ほうか」
 と気のないそぶりをしておきながら、健一はあとで、母親が片づけた新聞を引っ張りだしてきて、その地方欄の記事をこっそり読んだ。そこには「柏原由美」という女の子が自由研究コンクールで銀賞を取ったことが報じられているとともに、その課題内容についても記されていて、尾道の銘菓「鯨羊羹」で鯨を再現するには、鯨羊羹が何本いるか、鯨の種類の選定から難しい計算まで、見事にやってのけたと記されていた。
 健一は頭をぶたれたような思いがした。鯨羊羹で鯨をつくる。そんなばかを考えるのは、自分ひとりではなかったのだ。しかも笑われるどころか、立派に表彰までされている。初めは同志を見つけた驚きと喜びで頭がいっぱいだった健一だったが、日にちが経つにつれ、記事の内容について理解を深めていった。
 記事によると、鯨をつくるのに必要な量は、三通りの方法で算出されたという。一つ目は鯨の体積から計算する方法で、単純な割り算が用いられている。二つ目は、マッコウクジラの表面積を計算したのち、鯨羊羹の表面積で割る方法である。鯨羊羹は、鯨の表皮を模したものであるから、この二つでは後者が現実的な数字といえる。最後の方法は、鯨羊羹の細長い形と縦横が同じ比率のビーズで、できる限り精巧な鯨のマスコットを作製し、そのマスコットと実物の縮尺を基に、必要となる鯨羊羹の個数を算出するといったものだ。二つ目と三つ目の結果の間の数が、研究の結論として紹介されていた。
 しかも、その自由研究では、鯨を再現する方法についても紹介されている。尾道に点在する造船ドックを用いて、鯨の実物大の模型を作り、鯨羊羹で表面を覆っていくのだ。発想のユニークさと計画の綿密さ、さらには尾道銘菓と造船ドックという二つの地域資源を取り入れている点が高く評価された、と記事は伝えていた。
 造船ドックに、そのような使い道があったとは健一にも盲点だった。この通りに事を起こせば、計画はたやすく現実になりそうにさえ思えた。
 もしかすると、すでにどこかの造船会社が興味を示し、羊羹クジラの製作に取りかかっているかもしれない。そう思うと、健一は先を越された想いがして、夜もなかなか寝付けなかった。ついには、将昭のところへ遊びに行ってくると言って、週末に尾道に出かけまでした。
 だが、健一を待っていたのは、あの伯母さんの笑い声と同種の体験だった。尾道に着くなり、造船ドックを片っ端から見て回ったが、目につくのは作業中の船ばかりで、巨大な骨組みや鯨羊羹は影も形もなかった。ドックには鼻を突く塗料の臭いと鉄の焦げる臭いが充満していて、ほのかな甘い匂いなどどこにもありはしなかった。
「坊主、危ないからここで遊んだらいけん」
 屈強な男たちに追い返され、健一は悄気しょげた。けれど、前回と違いくじけはしない。この街のどこかに、同じ夢を見る人がいるのだ。そう思えば、くさる理由などなかった。大人たちが気づきもしない偉大な計画に、健一はひそかに加わっているのである。計画書はすでにある。あとはそれを実行するものが必要だ。健一は自分こそがその担い手であると確信した。


 鯨羊羹を作っていた和菓子屋が潰れた。創業二〇〇年を誇る老舗だったが、洋菓子屋やコンビニで手軽に甘いものが入手できる時代に、伝統だけで生き残るのは至難の業であった。むろん、新商品の開発や価格調整を行ったり、営業努力を重ねてはいたが、時代の波には抗えず、店の看板を守ることができなかった。
 鯨羊羹の店が潰れたという知らせは、高校生の健一にとって床が抜けるような衝撃を与えた。いや、床が抜けるという表現でさえ生ぬるく、足元に底の見えない穴が開いたような衝撃が走った。鯨羊羹に対する想いは、なにか失敗をしでかすたびに健一のなかで蘇り、いつかは鯨をつくる計画を実現させようという熱意がふつふつと湧いた。しかし、確信めいた自信がある一方、その覚悟はいつまで経ってもぼんやりとしたもので、せいぜい、高校を卒業したら鯨羊羹の和菓子屋に就職しようという程度のものだった。
 しかし、倒産の知らせが健一に火をつけた。もう計画が叶わないとなると、却って、どうにかして鯨をつくれないかと真剣に考えるようになった。錦玉羹と道明寺羹について調べ、鯨羊羹を再現できないかと作ってみることもあった。けれど、菓子作りの素人が職人技を再現できるはずもなかった。
 そんな調子であったので、和菓子屋が、親戚筋の力を借りて営業を再開すると聞いたとき、健一は一切迷わなかった。
「和菓子職人になる」
 高校の卒業を待たずして、健一はそう切り出した。工業系の学校に通っていたので、ゆくゆくは技師になるのだろうと思っていた親は、息子の突然の宣言に驚くよりほかなかった。訳を問いただしても、
「小さいころから決めていた」
 の一点張りで、その頑な態度に押し切られ、両親も承諾してしまった。奉公先の宛てを訊ねると、健一は尾道にある和菓子屋の名前を答えた。事情を詳しく知らない両親はさりげなく別の店も薦めてみたが、取りつく島もなく、健一は決心を固めているようだった。
 両親を伴ってお願いに行ってみると、店は再開が決まったばかりで、人手は欲しいが、いつまともに給料を払えるようになるかわからないと釘を刺されたが、健一がねばり強く頼みこみ、なんとか店に置いてもらえることに話がまとまった。といっても、ただ働き同然の丁稚奉公のようなもので、仕入れや配送の手伝いといった外回りが主な仕事であった。
 一度立ち行かなくなった経験をもとに、店は看板商品のリニューアルを行うとのことだった。鯨羊羹もその例外ではなく、味を守るより、いまの人たちの好みに合わせて改良を加えるとの話だった。健一はそれを聞いて、少なからず動揺を覚え、伯母の家で口にした砂糖そのもののように甘かった鯨羊羹の味を懐かしんだ。店主らの試みを何とかして止めようとしてみたものの、真剣に店の看板となる味について議論を交わす職人たちを前にして意見を差し挟むことは到底できなかった。何より、工房で作られる、鯨羊羹の表を飾る黒い錦玉羹を見て、鯨羊羹には味を伝えるより、もっと大事な使命があると健一は直観した。黒光りする錦玉羹が流し込まれた羊羹舟が居並ぶさまは、まさに鯨がそこに現れたような存在感があって、思わずはっと息を呑む美しさだった。鯨が背中に日の光を転がして見せびらかすように、薄く張られた錦玉羹の膜はつややかな光を照り返している。
 その美しさが守られるならば、他は二の次で構わない。人一倍、鯨羊羹に思い入れの強い健一がそう思ったほどだ。
 月を跨いでの試行錯誤の末、もち米をつぶして作る道明寺羹の甘さをぐっと控えることに決まった。昔は保存のために大量の砂糖を入れていたのだが、それは冷蔵庫もないころの話で、今となってはその甘さが鯨羊羹が敬遠される理由の一つになっていた。
 お店が再オープンを迎え、新しい鯨羊羹は好評を博し、お店はまずまずの再スタートを切ることができた。健一も雀の涙ほどとはいえ、ようやくお給金らしいお給金を受けとった。健一は親族の話し合いの結果、伯母の家で厄介になっていたのだが、初めての給料が出ると、鯨羊羹を人数分買って帰り、日ごろの感謝を伝えた。普段は鯨羊羹に見向きもしない将昭も、この時ばかりは素直に食卓を囲み、健一の買って帰ってきた鯨羊羹を口にした。
「味が良うなったな」
 将昭が目を丸くしてそうつぶやいたので、健一は我が事のように誇らしく思った。
 お店が軌道に乗ると、健一も少しずつ、菓子作りの仕事を任されるようになっていった。最初は一日餡を混ぜる仕事を任された。絶えず立ち昇ってくる砂糖の匂いにまみれながら、何度も指南を受けて、焦がさないよう巨釜を攪拌する。
 健一は体力に自信がないわけではなかったが、工房で求められる膂力りょりょくはまた別物だった。全身で大べらを使って、掻き混ぜる。腕の力はもちろん、調子を取りながら体全体を使って釜の中身を動かし続ける。そのうちにコツが掴めてきて、力を無駄なく行き渡らせる要領が呑みこめ、必要な筋力も備わって体の動きと釜の中の動きが見事に調和するようになった。同時に、自分が別のいきものの一部に、それこそ鯨の一部になったような恍惚とした気分が生まれる。大海原で、海流に身を任せつつ、尾で舵を取る大鯨。健一はふとした時、そんな空想にふけっている自分自身に気がついた。


 柏原由美との邂逅は、思いがけない形で果たされた。
 健一が和菓子を作りはじめてから十年余りが経ったころ、商店街にとある変化が訪れた。戦時下、幸運にも空襲の被害に遭わなかった尾道には名刹古刹が所狭しと建ちならび、それらが縦横無尽に石段で繋がれている風景は穏やかな海と相まって、名勝として広く人々に知られている。奇跡的に空襲を免れ、地震や津波の被害にも逢っていないという点においては、駅前から一キロ以上つづく商店街も同様で、戦前からの、明治や大正時代の建築が、さらに古いものだと蔵などの江戸時代からの建造物が今もなお形を留めている。時を掻い潜って混在する新旧の建築は、各々の時代の髄を晒し合い、よそにはない風合いを街にもたらしている。
 しかし、継ぎ手のない家屋が空き家となることも少なくなく、商店街にも跡取りが見つからず、店を閉めたままの商店が目につくような時期があった。そこで趣のある古い建築はそのままにして、尾道へ移住を希望する人たちに建物を譲渡しようという機運が高まり、尾道を愛する人々の働きかけが功を奏して、商店街には古くからの店に加え、個性的なショップが続々と開店して、かつてない賑わいを見せつつあった。
 そのいくつかの店で、健一は鯨をモチーフにした雑貨を目にすることがあった。健一は、すでに鯨羊羹の製造工程に一通り携わるようになっていた。店が休みの日、鯨の小物や鯨がデザインされた帆布の鞄などを見かけると、足を止め、店舗を覗いた。たいていの場合、同様の商品は他には見当たらず、健一は結局、はじめに見そめた品を買い求めて店舗を出た。そんな時、健一は小さな同胞を見つけたようで気分が晴れた。
 それらが同じ人物の手によって製作されたものだと知ったのは、しばらく経ってからのことだった。商店街の若手の寄り合いで、健一は柏原由美と顔を合わせた。自己紹介の場で、彼女が名前を名乗り、雑貨のデザインや製作を手掛けていると話したとき、健一は合点がいった。どうにかして彼女に話しかけたかったが、生来の口下手にくわえて、職人気質がすっかり身につき、寄り合いや会合といったものをできるだけ避けてきた健一には、話の糸口さえ見つけられなかった。そのうえ、子供を抱きかかえて参加した彼女は、同じ年頃の女性たちに囲まれていて、健一は近づくことさえできなかった。
 その頃の健一は、鯨羊羹を作るのに満足を覚え、すっかり当初の目標を見失っていた。一介の和菓子職人としての地位に胡坐をかいていたのだ。いまの健一なら、材料さえあればいくらでも鯨羊羹を作ることができる。いまこそ計画を実行に移すときに思えた。健一は、ここ長らく手に取ることのなかった、あの新聞記事を押入れの中から引っ張り出してきて広げた。色褪せた写真の聡明そうな額と大きな目が、大人になった彼女の面差しと重なる。
 改めて記事を読みかえしてみて、健一は脂汗がにじんだ。意気込んで読んではみたものの、そこに記されている必要な鯨羊羹の本数は並大抵の数ではなかった。銭勘定のできなかった子供時分には嬉々として読んだ記事を前にして、健一は青くなった。店一つつぶす覚悟でないと、到底実現できない数が書かれている。その上、造船ドックと鯨の骨組みの手配もある。いまだに伯母の家に厄介になっている健一の薄給ではどうにもならない。
 久々に伯母の笑い声が耳に響いた。自分にはどだい無理な話だったのだろうか。健一は自問自答を繰りかえした。
 押入れからは、高校時代に描いた骨組みの設計図まで出てきた。計画の実現を信じて疑わなかった自分に、大人になった自分は応えることができず、嘲笑う側になれというのか。
 それだけはどうしてもしたくなかった。子供時分に受けた傷が、いまさらのように疼いた。

 自分ひとりではどうすることもできない。しかし、誰に相談すればよいのだろうか。健一は逡巡した。今度は伯母は笑わないだろうか、将昭は相手をしてくれるだろうか。望みは薄そうだった。同僚や商店街の若手たちなら、相談に乗ってくれるだろうか。
 健一の頭に柏原由美の顔が浮かんだ。しかし、彼女に話しかけることさえできなかった健一に、相談を持ち掛けることなどできるはずもなかった。それにもしも万が一、彼女にまで笑われたら――そんな想いから、健一は結局誰にも相談することができなかった。
 ひとりでやるしかない。だが、ひとりではどうにもできない。そんな二極を行ったり来たりした末、健一が辿りついたのは、商店街の復興に一役買ったクラウドファンディングを募るという方法だった。空き家を再生するプロジェクトに将昭が一枚噛んでいることもあって、世情に疎い健一もその有用性を耳にしていた。
「鯨羊羹でクジラをつくろう」
 休日や仕事の空き時間を使って計画を練り、原材料費の計算から、いまは廃屋同然になって売りに出されている造船ドックの値段まで不動産屋に問い合わせ、計画の実現に必要な費用を計算し、目標金額として設定した。インターネット上にサイトを立ち上げたとき、健一は計画が大きく前進したように感じた。あの時の柏原由美のように、きっと賛同してくれる人が現れるに違いない。まだ見ぬ多数の同志を信じて、健一は寄付が入るのを心待ちにした。
 サイトを立ち上げてまもなく初めての寄付が振り込まれた。賛同者が現れたのを知って、健一は跳び上がるほど嬉しかった。順調な滑り出しに健一は気をよくして、このまま金が集まれば、いつごろ目標金額に達するか、早くも皮算用をはじめる有り様だった。しかし、あとが続かなかった。最初の寄付から一月経とうと、二月が経とうと、鯨羊羹プロジェクトは一向に話題にならず、寄付額も学生の小遣い程度増えただけで、これでは焼け石に水もいいところだった。
 夏ごろには、という目論見もどこへやら、夏が過ぎ、秋も終わり、ついには冬を迎えてしまった。健一は途方に暮れた。目をつけていた造船ドックも近々解体が決まったと不動産屋から連絡が入った。
「どうしてもと言うなら、年明けに頭金だけでもお振り込みください」
 健一が珍しく食い下がったところ、そんな回答が返ってきた。こちらの懐具合ぐらい向こうも百も承知であろうから、体裁を繕っただけの回答だったに違いない。もちろん、健一に金を工面する当てはなかった。それでも思いつく限り、金策に駆けずり回った。年明けまでに頭金を揃えればまるで計画全体がうまく行くかのようにまい進した。けれど、ただでさえ師走の物入りの時期な上、目的も明かさぬまま金を貸してほしいと頼みこむものだから、気味悪がられ、終いには相手にしてもらえなくなった。
 まだ頭を下げていないのは、将昭や親族ぐらいだった。彼らを避けたのは、根掘り葉掘り理由を問い詰められるのを嫌ったからだ。背に腹は代えられないとはいえ、そもそもの始まりからして、伯母や将昭の力を借りるのは気が進まなかった。かといって、日一日と期限が迫っていた。
 健一はふと、伯母の家の辺り一帯が祖父母の土地であったことを思い出した。今では誰も顧みなくなって荒れてはいるが、果樹園をやっていた名残で、柑橘や柿が自生しており、子供時分にはよくもいで食べた。向島の土地とはいえ、尾道の商店で働くひとの多くは、向島から渡し船で本土へ通っている。移住者の増えている昨今、欲しがる人はいるだろう。
 土地の権利書は、伯母の桐たんすに眠っている。路頭に迷うことになれば、それを売り払えばいい、と伯父が酔って言っていたのを健一は覚えていた。全部とは言わないが、頭金に足りるぐらいの分の土地をもらう権利が自分にはあるのではないか。健一は罪悪感を紛らわそうと、そんな理屈をたてた。
 葛藤に苛まれながら、健一は伯母の部屋に忍びこむ機会を窺った。家が無人になる瞬間はなかなか訪れなかった。そんなある日、夕方家に帰ると、伯母も伯父も留守で、久々に将昭が帰って来ていた。しばらく二人で話し込んだあと、健一は今しかないと思い、ひとり二階にある伯母の部屋に忍び入った。思いがけず舞い込んだ機会に、気持ちが逸り、障子を引く手が震えた。健一は伯母の桐たんすを順繰りに開けていき、四つ目の引き出しの底に目的のものを見つけた。すでに落ち着きを取り戻していた健一は、権利書を手に取り、これで何もかもうまく行くと胸をなでおろした。
「お前、何しとるんじゃ」
 出し抜けに後ろから声がかかった。ずかずかと部屋に入ってきた将昭が、健一の手から権利書を奪い取った。そして書類が何であるか察するといよいよ険しい顔つきになった。
「これ、どないするつもりやったんじゃ。最近、金を掻き集めとるって聞いたけえ、心配して様子見に来たけど、お前どうしたんじゃ」
 将昭は、尻もちをついている健一に詰問した。金がいる訳を話せ、と問い詰めた。けれど、健一は頑として口を開かなかった。言ってもわかってもらえん。目には涙が溢れたが、健一は目を逸らさなかった。無言で睨み合う時間が続いた。
「頭冷やして、喋りとうなったら降りてこい。逃げるんやないぞ」
 長丁場になると踏んで将昭は権利書を持ったまま、大きな音を立てて階段を降りていった。しばらくしてから、今日は帰ってくるな、と伯母に電話を掛けている声が階下から聞こえてきた。二人の間だけで事を収めようとしてくれている将昭の想いに、健一の眼からはまた涙がこぼれた。けれど、鯨羊羹のことを打ち明ける気にはさらさらなれなかった。
 そのまま夜が更けていった。二階にいる健一と、階下の将昭のにらみ合いは続いた。時どき、早く降りてこいと将昭の怒鳴り声が聞こえる以外、家はひっそりと静まりかえっていた。将昭ががなるたび、健一はいっそう意固地になり、まんじりともせず二階にとどまった。


 空が白みはじめたころだった。
「おい、クジラや」
 突然、調子の外れた将昭の叫び声が階下から聞こえてきた。
 将昭の発したクジラという言葉に、健一は心を見透かされたかと思い、ビクリとした。
「クジラや、海にクジラが出たで」
 二階にそう呼びかけるなり、将昭は慌てて玄関から飛び出していった。思わず廊下に顔を出すと、画面が光ったままのスマートフォン片手に外に駆けていく将昭の後ろ姿が見えた。
 健一は突然の出来事に理解が追い付かなかったが、思わず将昭の後を追った。
 外に出ると、将昭の姿はもう見えなかった。刻々と夜が朝日に取り払われていき、吐く息が白く濁った。家の前の道を、渡し船の波止場に向かう車が通りすぎた。健一もそちらへ向かうと、少し先で車が渋滞をおこしており、運転手が何事かと車を降りてきた。車はどれも無人だった。健一も初めて見る光景だった。道の先から歓声のようなどよめきが聞こえる。
 健一は人込みを嫌って、道の脇から海へと続く小径を降りていった。小さいころによく通った道で、小さな砂浜に続いている。もしかしたら将昭がいるかと思ったが、ほかに誰もいなかった。少し先にある波止場で、皆がひとつ所を指さし、騒いでいる。健一も海を見つめたが、海はいつもと変わらず、穏やかな黒い水面を保っているように見えた。ふと遠くを見遣ると、対岸でも人垣ができている。石段を駆け降りる人らしき影も見え、尾道の街から海岸へ人が吐き出されているようだった。
 そんな対岸へ気を取られた瞬間だった。海面が盛りあがったと思うと、海が割れ、巨大な生き物が顔を出した。ザトウクジラだった。人はおろか、渡し船さえ一呑みにしてしまいそうな巨体が、身をのけぞらすように宙を舞い、人々の視線を奪い去って海へと落ちていった。大きな水しぶきとともに波が生じ、船が岸辺に押し付けられて音を立てた。鯨の出現と同時に弾けた群集のどよめきも尾を引き、なかなか去らなかった。
 初めて見る本物の鯨に、健一は息を呑み、そのあまりの大きさにただただ茫然と立ち尽くすより他なかった。鯨が跳ねた瞬間、尾道と向島を隔てている海峡が小さな川に思えたほどだ。鯨が潜ってしまってからでも、あの巨体がそこに納まっているのが不思議にさえ感じる。
 再び歓声があがった。鯨が海面に浮かび上がり、背中から潮を噴き散らした。濡れた皮膚が、朝焼けの海に艶やかに光る。海のおもてよりもずっと濃く、ずっと深い色だった。その大きな背中が、波の狭間にどこまでも広がっている。
「きれいですね」
 その声に振りかえると、いつの間にか一人の女性が隣に立っていた。眠たそうな子供の手を引き、大きな瞳で鯨を食い入るように見つめている。健一もそっと視線を戻す。
「本当に。想像よりも、ずっと」
 健一の口から自然と言葉が漏れた。
 幾年月もの朝焼けを織り込んだような深い輝く黒が、健一の胸に巣くった想いを呑みこんでいった。海面に見えているのは、ほんの一部に過ぎないのだろう。それでも、鯨は、健一がこれまで見たものの何よりもおおきく、美しかった。打ち寄せる小波さざなみを砕きながら、鯨は尾道の海を我が物顔で泳ぎ回った。
 鯨が姿を消すまで、健一と柏原由美の二人はいつまでもしずかに海を眺めていた。
(了)

 鯨羊羹の説明書きは、(有)中屋本舗の許諾を得て一部改変し、使用させていただきました。記してお礼申し上げます。





底本:「すばる 第41巻第6号」集英社
   2019(令和元)年5月6日
初出:「すばる 第41巻第6号」集英社
   2019(令和元)年5月6日
入力:澤西祐典
校正:大久保ゆう
2021年12月27日作成
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