動物物語 狼の王ロボ

アーネスト・トムソン・シートン

薄田斬雲訳




 これはアメリカのアーネスト・トムソン・シートンという人が書いた物語で、文中『わたし』とあるのはシートン氏のことです。シートン氏はおさないころから動物が大好だいすきで、動物に関する物語と絵をかくことを一生懸命しょうけんめい勉強しました。そしていつも山岳さんがくや草原に露営ろえいの生活をして、野生動物を深く観察し、りっぱな動物物語をたくさんあらわしました。この『おおかみの王ロボ』は、その中でも傑作けっさくといわれる面白いものです。

おおかみりの勧誘状かんゆうじょう


「カランポーの谷の王様おおかみロボの首に、一千ドルの懸賞けんしょうがかけられた。」
 このうわさは、土地の新聞から全メキシコへひろまった。カランポーというのは、北部メキシコを流れている川の名だ。その川の流域りゅういきには、広々とした草原が開け、それが大きな牧場になっていた。ところがこの谷に一群のおおかみがすんでいて、しきりに家畜かちくをあらす。そのおおかみの群れの王と見られるのは、土地の人々からロボとばれる、まことに悪がしこく獰猛どうもうなやつであった。
 土地の羊飼達ひつじかいたちはもちろん、よそからもおおかみ狩りを自慢じまんの連中が続々とやってきて、この悪獣あくじゅう退治たいじしようとしたのであったが、いずれも失敗して引きあげる。そこでこの一千ドルの懸賞広告けんしょうこうこくが新聞にでたのである。
 そのときカランポーに住む友人から、わたしのところへ、このおおかみ狩りをすすめる手紙がきた。その一節に、こんな文句があった。
「このロボというのは、灰色はいいろの大きなおおかみで、カランポー狼群ろうぐんの王といわれるだけにとても知恵ちえがはたらき、毒薬にもわなにもかからない。この地方の牧場でその害をこうむらないものはなく、深夜はるかにその長くひいた異様いようなほえ声を聞くと、たれでもぞっと身ぶるいがするという。ロボの一とうは、非常に数が多いようにいわれているが、私の調べたところでは、五、六頭にすぎないようだ。しかし、どれもこれも狂暴きょうぼうなやつばかりである。私には今のところそれを退治るいい工夫がかばん。このさいきみのうでにたよるほかない……」

さんざんな失敗


 わたしは以前、おおかみりをしたことがあるが、おおかみを追っかけまわる痛快つうかいさといったらない。そのときの味がわすれられないので、友からの手紙を受けとるとろくに準備もしないでカランポーへ乗りこんだ。
 友は大喜びでわたしむかえてくれた。その晩は何年ぶりかで一しょに酒をみかわしながら、私はくわしくようすを聞いた。
 友は語る、
「このあいだも、テキサス州から、タンナリーという男が、おおかみりはおれにかぎると大元気で乗り込んできた。相当経験があるらしく、小銃しょうじゅう短銃ピストルも高価なものをもち、乗馬と二十頭の猟犬りょうけんを連れていた。それで『明日あしたにもロボの首を取ってきてとこの間のかざりり物に[#「かざりり物に」はママ]する』と大きなことをいっていたものさ。ところが初日でみごと失敗してしまった。というのは、このタンナリーは、テキサス州のたいらな草原のおおかみ狩りにはなれてもいたろうが、このカランポーの谷は、高低があって、川の支流が縦横じゅうおうにいりまじっている。猟犬はきたばかりの不案内の土地なので、狼群ろうぐんを追いつつ四方へちっていったのはいいが、勝手を知ったロボの群れにひどい逆襲ぎゃくしゅうをくらって、夕方帰ってきたのは、たった六頭。そのうち二頭はあばらをかみさかれているというみじめさだ。タンナリーはその後も二回でかけたが、一そうの不成功で、最後の日には、その乗馬が断崖だんがいからころがり落ちて死んだ。彼が、すっかり力をおとして、テキサス州へ帰ったのは一昨日のことさ。」

毒殺の計


 翌日よくじつからわたしは地形を見にまわった。なるほどカランポーの谷は、土地の高低があって、川の流れも多く、とても馬や猟犬りょうけんでおおかみを追いまわせそうもないところだ。
「毒か、わなを用いるほかない。」と、わたしは友に語ったのだが、大きいわなは持ってゆかなかったので、まず一ぷく毒を盛ることにした。
 わたしは、わかい牝牛めうし腎臓脂肪じんぞうしぼうへチーズを交ぜ、それを陶器皿とうきざらに入れてとろ火でた。金物かなものにおいをけるために、中のほねを小刀がわりに使った。この煮物にものをさましていくつものかたまりに切り、その切り口へあなをあけて、毒薬をめ、その上へチーズを厚くぬってふたをした。このご馳走ちそうをつくるあいだ、わたしは人間のにおいがつかないように注意して、牛のほふったばかりのあたたかい血へひたした手袋てぶくろをはめ、また私の息がこのの肉へふきかからないように、マスクをかけた。こうして丹念たんねんにつくったご馳走ちそうを、同じ血へ浸したわらづとの中に入れた。それを持ってカランポーの谷を一じゅんし、一キロおきぐらいに一つとずつを草のあいだへおいてきた。狼群ろうぐん鉄砲てっぽうをおそれて日中はあまりでないし、また人間の姿すがたが見えると、さっさとげてしまうので、この日は別段べつだん危険きけんもなかった。
 その夜、たしかにロボのほえる声が聞こえたというので、わたしは大喜びで翌朝よくちょうはやく結果を見にでかけた。
 はたしておおかみの足跡あしあとはたくさんある。ロボの足跡は、普通ふつうのおおかみよりは大きいのですぐわかった。その足跡からすと、の高さ一メートルにちかく、体重も六、七十キロくらいはたしかにある。おそろしくたくましいやつらしい。
 やがて最初のの肉のところへくると、大きな足跡が、そこへ立ちどまった形に残っていて、肉塊にくかいはなくなっている。
「しめた!」
 わたしむねをおどらして、ついてきた者達ものたちにほこった。
「やっこさん、一、二キロも先にきっとかたくなっているぞ。」
 私どもは馬に一むちくれて、威勢いせいよくつぎの餌肉えにくのところへいった。はたしてそこにもない。私は狂喜きょうきして、
「ロボばかりでなく、あの畜生ちくしょうども、まくらならべて往生しているにちがいない。」とさけんだ。
 その付近を見まわったが、しかしおおかみの死体はなかった。足跡あしあとばかりたくさんに残っている。第三番目の餌肉えにくへきてみたが、ここにも肉塊はなくて、足跡はさらに第四番目へつづいている。
 わたしは「はてな。」と思った。と同時にうたがいと喜びとがごっちゃになってきだした。
 わたしたちはだんだん心配になって、第四番目の餌肉えにくのところへきてみると、おどろいたことには、肉に手をつけてないばかりでなく、そこへ、前の三か所の餌肉も一しょならべてあるではないか。しかもごていねいにも第五番目の餌肉までが、ちゃんと持ってきて積みあげてあるではないか。
「ヘー!」と、私は全身の血をぬき取られたような気持ちになった。りこうぶった私の計略けいりゃくは、狼王ろうおうロボのためにすっかりうらをかかれてしまったのである。
「とてもこれは毒で退治たいじられる代物しろものではない。」
 と私はさじを投げ、大型のわなを郷里きょうりへ注文してその到着とうちゃくを待った。

ぜいたくな食べ物


 そのあいだの一夜、おおかみの群れがすごいいたずらを演じて、カランポーの谷にすむ人たちを興奮こうふんさせた。一人ひとりのわかい羊飼ひつじかいがその模様もようわたしに物語った。
旦那だんな、おおかみというやつは、ひつじを食うのでなく、ただおどかしてかみ殺しては喜ぶのです。一たい、羊は、千頭から三千頭までを一群にして一人ひとり二人ふたりの番人をつけておくのです。夜はかこいの中へ入れて、両端りょうはしの小屋へ番人が一人ずつています。羊はちょっとしたことにもおどろく臆病おくびょうな動物ですが、中へ五、六頭の山羊やぎを入れておくと、羊はこの山羊をたよりに思って、夜などもなにかさわぎがおこると、みな山羊やぎのそばへより集まるのです。ところがあのロボの悪党あくとうめ、そこのことまでよく知っていて、昨夜ゆうべは先に山羊をかみ殺してしまったのです。羊どもはたよるものがなくて、八方へちりぢりになったものだから、とうとうかみ放題に二百五十とうも殺されたのです。」
「まるで子供こどもが、玩具おもちゃのサーベルでトマトをやっつけるようなものだね。」とわたしはあきれていった。
「まったくです。」と、若者わかものは話に油が乗って、
「あのロボのやつには、これまでにもう羊や牝牛めうし合わせて二千頭あまりやられています。一体おおかみは意地きたないやつで、なんでもはらぱい食いさえすれアいい。食べ物のよしあしなんてかまわないのが普通ふつうですが、あのロボの仲間なかまにかぎっては、口がなかなかおごっていて、死んだ肉は食わない。人間がほふった家畜かちくは食わない。なんでも自分の歯でかみ殺した上等なのだけ食うのです。一番きなのは当歳仔とうさいこのやわらかな牝牛めうしで、年とった牛や馬は好かない。人間よりもよほどぜいたくです。また羊の肉もあまり好かない。ただ、かわいそうにげまどうやつを片端かたっぱしからやっつけてしまうのです。本当ににくいたらありゃしません。」

狼群ろうぐんと牛の格闘かくとう


 羊よりは、わかい牝牛めうしこのむというのは初耳で、わたしは話をそこへ向けると、若者わかものは、先年、ロボが牝牛をとり殺したという実見談をはじめた。
わたしはそのときはなれたところから見ていたのです。最初牛の群れとおおかみの群れとが原中でばったり出くわしたと思ってください。いばったやつで、ロボめ、自分は手出しもせずに、仲間の奴等やつらに仕事をまかせているのです。ロボのつぎの位にいるブランカという白おおかみが大将たいしょうになって、五、六匹のおおかみが牛の群れへおそいかかってきました。牛の中には一とう牝牛めうし当歳仔とうさいこがまじって、これは後列へかくれていました。牛の群れは一列に戦線を張って角をふりたてたので、白おおかみ等もちょっと手がでません。すると、さっきからそれを見ていたロボのやつ、一声ほえると、横合いからだしぬけに牛の群れへおどりかかった。牛どもはたちまち列をみだしてげる。ロボはめざす牝牛めうしへせまる。牝牛はやっと七、八十メートルも逃げたが、たちまち追いつかれてしまった。ロボはそののどに食いついたなり、身をしずめ、うんとふんばると、牝牛めうしは、角を地についてまっさかさまに大きくとんぼ返りにたおれる。はずみをくってロボもはね飛ばされそうになったが、こしの強いやつで、からだをぴたりと地につけてぐっとふみこたえます。そこへ白おおかみブランカはじめ仲間なかまが競いかかって、見る見る牝牛めうしの息の根をとめてしまいましたよ。ロボのやつ、獲物えものは仲間にまかせてけろりとしているのです。わたしは大声にさけんで、馬に乗って追っかけると、おおかみどもは鉄砲てっぽうがこわいものだから、さっさとげていく。わたしはいい機会だと思って、持っていた毒薬を手早く、たおれた牝牛めうしの体へ二個所に注ぎこんで、そのまま家へ帰りました。おおかみどもは自分の歯でかみ殺した動物は安心して食う習慣ですから、あとでもどってきて、その肉を食うにちがいないとにらんだのです。翌朝よくちょう私は、
「あのロボのやつ、いまごろはかたくなってくたばっていることだろう。」と勇んで、昨日きのうのところへってみると、小面こづらにくいたらありゃしません。毒をしたところだけ、きれいにさきてて、毒のない部分をさんざん食いあらしていたのです。一ぷくろうたってあいつにゃ駄目だめです。」

わなにかかった白おおかみブランカ


 そのうち、注文したわながたくさん到着とうちゃくした。わたしは大急ぎでそれを組み合わせ、夜になってから原の方々へめておいた。翌日よくじつ見まわると、ロボの足跡あしあとはわなからわなへと続いていたが、わなはみなほじり出されて、鉄鎖てっさ丸太まるたもむきだしになっている。足跡からはんずると、ロボは狼群ろうぐんの先に立ってわなへ近よると、仲間なかまを止めて、自分ひとりでうまい工合ぐあいにかきだしてしまうらしい。わたしはいろいろ工夫をこらし、方法をかえていくたびもわなをかけてみたが、ロボはなかなかたくみにわなをかきだしてさらしものにするのである。
 だが、このカランポーの狼群ろうぐんの行動には、わたしにとけないことが一つあった。それは私のこれまでの経験によると、おおかみの群れというものは、一ぴきの指導おおかみにしたがうのがならわしであるのに、ここのはおりおりロボの大きい足跡あしあとの前にやや小さい足跡がついているのである。
 ところが、ある日、牛飼うしかいがやってきての話に、
わたし今日きょう例のおおかみどもがずっと向こうの方を歩いているのを見ましたが、白のブランカのやつが、ときどきロボの先になってゆくのですよ。」と。
 私ははたと手をうった。
「それでわかった。そのブランカはめすなのだ。もしおすおおかみがそんなですぎたことをしたなら、ロボがすぐかみ殺すはずだ。小さい足跡あしあとが先に立っていたのもそれでわかった。」
 そこで新工夫がかんだ。わたしはわかい牝牛めうしをほふってその死体のまわりに、わざと地上にむきだしにしたわなを二つおいた。それからその死体から首をきり取って少しはなれたところへおき、その周囲へ二つの鋼鉄製こうてつせいのわなをうめた。この仕事をするあいだ、私は私の手足や道具などをその牝牛めうしの血にひたし、地面へも同じ血を一ぱいにまいた。このしかけがすむと、今度はおおかみの皮でその辺の地面を一帯になでておき、またおおかみの足でわなの周囲にたくさんの足跡をつけた。この首と胴体どうたいとのあいだはせまい通路になっているので、その通路へ一番精巧せいこうな二つのわなをうめ、そのわなのはし牝牛めうしの首に結びつけた。
 わたしが知っていることでは、おおかみというやつは、動物の死体を見つけると、それを食おうという気がなくても、きっと近よって、それをかいではいろいろとためしてみるものである。で、わたしはこのカランポーのおおかみどもも同じ習慣をもっているとにらんだのである。ロボはまたも私の計略けいりゃくを見やぶるかもしれない。けれど、私の心の中にはべつな考えがあったのである。
挿絵
 翌朝よくちょうわたしたちは馬へ乗って昨日きのうのわなの辺を見まわりにいった。おおかみの足跡あしあとはたくさんにある。私はむねをおどらした。急いでその跡をたどってみると、牝牛めうしの首もわなもない。私はいよいよ胸の鼓動こどうをたかめて、その辺の足跡あしあとをこまかにしらべた。すると、ロボが他の仲間なかまを牛の死体に近づけないよう注意しているあいだに、やや小さい一ぴきのおおかみが、少しはなれている例の首の方へ歩みよって、そこのわなにひっかかったらしい跡がある。
 わたしは、しめたと思った。
 そこでその足跡をつけてゆくと、二キロ足らずのところで、はたせるかな、白のめすおおかみブランカが、わなにかかった足をひきずりながら、牝牛めうしの首をくわえてかけてゆくのに追いついた。牛の首は六、七キロもあろうというのに、ブランカのかける早さは人間の足では追っつけないくらいだった。しかしゆく先には岩石がたくさんあったので、とうとう牛の角が岩へひっかかり、ブランカは動けなくなってしまった。
 わたしたちが近寄ると、ブランカはきっと立ちあがってものすごい長ぼえをした。すると、はるかに木蔭こかげから、同じ調子の一そう高いほえ声がひびいてきた。それはロボの声にちがいない。私たちはすぐ得物えものをふりあげて近寄りざま、ブランカをなぐりつけた。ブランカは力がつきて最後の悲鳴をあげてぐたりと横にたおれた。私は輪繩わなわをその頸に投げかけて、そのはしを馬につなぎ、一むちあてると、馬はうちの方へけ出した。
 そのあいだ、ロボは遠くでしきりにほえていたが、鉄砲てっぽうがこわいと見えて私たちのそばへよりつかなかった。
 この日、夕方までロボの遠ぼえがきこえていたが、日がれると、その声はだんだんに近づき次第にかなしい調子をびてきかれた。あらあらしい声でなく、長く引いた苦しげなうめきのようにきこえた。
「ブランカ、ブランカ!」とんでいるかのようだ。
 夜がふけると、その声は一層近くなって、わたしたちが昼間ブランカを殺した辺にきた。そこにはブランカの血がたくさんにたれていたので、かれはそこでおこったできごとをさとったことであろう。
 羊飼ひつじかいどもも、「これまで、こんなにおおかみの悲しげな声を聞いたことはありません。」といった。

百三十個のわな


 この夜、ロボがただ一ぴきで来たことは、その足跡あしあとで知った。そしていつもとちがって、とても不注意にかけまわったようすである。かれはつまのブランカを殺されたために心がみだれていることがこれでわかる。かれはブランカの死体をさがしにきたが、それをられなかったうらみに、戸外五十メートルのところで、番犬をさき殺して去った。わたしは、ロボが狂乱きょうらんしているのを知ったから、いよいよわなを要所要所にかけておいた。一度はたしかにその一つにひっかかったが、ロボはそれをねじ切ってげた。その力の強さにはいまさらながらおどろかされた。ロボはブランカの死体を見つけるまでは、その辺を去らない気持ちらしい。わたしはこの機会にかれを退治たいじしてやろうと心をくだいた。
「おしいことだった。ブランカを殺さずに、いけどっておいておとりにしたら、翌日よくじつばんには、きっとロボをつかまえることができたであろう。」とくやしかった。
 わたしは、ありたけのわなを百三十個集め、それを残らずしかけて土にうめた。そのときは毛布を地べたにひろげた上にすわって仕事をし、人間のにおいが残らないようにした。そして、あたり一帯にブランカの死体をひきずりまわして、土にその臭いをうつした。それからブランカの足でもってわなのあいだあいだへ足跡あしあとをつけた。こうしてできるだけ用心をして作戦計画を立て、さてその結果はどうかと待った。
 その夜中、一度わたしはロボのほえ声を聞いたように思った。が、しかとしなかった。翌日よくじつ私は早く見廻みまわりに出かけた。しかし百三十個も飛び飛びにわなを見まわるので、北の谷間を残して日がれた。なんのるところもなく、私たちは家に引きあげた。すると夕飯の席で一人ひとり羊飼ひつじかいが語った。
今朝けさ、北の谷で牛の群れがなんだかさわいでいたようです。なにかあったのではないでしょうか。」と。

青く燃えた目


 わたし翌朝よくちょう早くむねをおどらして北の谷へとでかけた。わなをしかけておいた場所へくると、突然とつぜん大きな灰色はいいろ姿すがたが、むくりと立ってげ出そうともがいた。私はおどろきとおそれと喜びに瞬間しゅんかん棒立ぼうだちになった。
 私はこのとき、はじめてカランポーの谷のおおかみの王ロボの姿をはっきりと見たのである。かれは二昼夜のあいだ、わなを抜けようと苦しんだので、いまはつかれはてている。それでも私が近よると、頸毛くびげをさかだててものすごくうなり声を出し、たちまち深い低いほえ声をしてカランポーの谷をふるわせた。その叫び声の中には、仲間なかまの救いを求める合い図がふくまれたことであろう。しかし他のおおかみはついに姿を見せない。ロボは必死に身をもだえ、私へびかかろうとするが、わなが四つ連結しているので、重さも百二十キロからある。いくらもがいても丸太まるた鉄鎖てつぐさりが一そうもつれるばかりで、さすがのロボもいまはどうしようもないのである。それでもその雪のように白い大きいきばをむき出して、鉄鎖をかみ切ろうとする。そのすごさは身の毛がよだつほどである。私が銃床じゅうしょうをその鼻先へさしだすと、はげしくかみついてみごとな歯なみのあとを深くきざみつけた。(私はいまもそのじゅうを記念として大事にしている)両眼りょうがんにくしみといかりに青くえ、私をにらんで底うなりを発したとき、私の乗馬はふるえてあとずさりした。しかしもうロボもうえと苦闘くとうにつかれはてているので、やがてぐたりと地べたに横になってしまった。
 わたし輪繩わなわを手にしたが、ふとかわいそうだという気持ちがして、
「こら悪魔あくま、悪業の数々は今報われるときがきたぞ、さ、観念せ。」
 私はそういいながら、ぱッとなわをそのくびへ投げかけた。ところがさすがは狼王ろうおう、ふっと身をかわして繩をくわえとり、その結び目をかみきってずたずたにした。
 どうせ、いざとなれば、銃丸じゅうがんぱつでしとめられるのだが、私はそのりっぱな皮をきずつけたくなかったので、他のなわを取って、まず木のえだをロボへ投げると、かれはそれを歯で受けとめた。そこで、私はさっと輪をなげてかれのくびにかけてめてしまった。そのままぐっとひきしめて息の根をとうとする仲間なかまを、私は、
「待った、殺さずに生かして持ち帰ろう。」とおしとめずにはいられなかった。
 ロボはもう向かってくる勢いもないから、私達わたしたちはその口へぼうをかませ、太綱ふとづなであごをしばった。いまはかれは、まったく観念したような目で私たちを見ている。
年貢ねんぐのおさめどきがきた。どうでも勝手にしてくれ。」
 そういったようすである。やがて私たちへ見向きさえしなくなった。
 そこでみなでロボの足をしばって馬へ結えつけた。ロボはうなりもさけびもせず、だまってなすがままに身をまかせた。その目は光っているが、私たちには向けられていない。遠くの草原をじっと見ている。そこにはながい年月かれが君臨くんりんした広々とした領地がある。かれの部下は王を失って、いまはその谷間の奥深おくふかげていったことであろう。
 わたしたちは家に帰ってから、ロボに頸輪くびわをかけ、じょうぶな鉄鎖てつぐさりでつなぎ、手足を自由にし、輪繩わなわはずして家の前のくいへ結びつけた。そこで始めて安心して私はロボのからだを細かにしらべた。世間の噂では、「ロボのくび金環かなわがついている。」とか、また、「かれのかたには悪魔あくま仲間なかまである印としてさかさ十字の斑点はんてんがある。」とか伝えられていたが、それはみなうそであった。ただそのこしに大きい傷痕きずあとが見られたのは、前日タンナリーがロボがりにきたとき、その猟犬りょうけんがかみついたあとと知られた。
 私はロボの前へ肉と水をおいたが、かれは見向きもせず、しずかにはらばいになってはるかの草原を見つめている。私がステッキでれても身動きもしない。日がれてもかれは一心にかなたをながめていた。
「今夜、仲間なかまのおおかみどもがくるかも知れない。」
 わたしはみなへ注意しておいたが、ロボは一度仲間をぶようなほえ声を出したきりで、なにごともなかった。
 力尽ちからつきたしし、つばさの自由を失ったわし、またはめすを失ったはとのように、ロボもつまのブランカにさきだたれて力をおとし、この世に望みを絶ったのであろう。翌朝よくちょう起きてみると、かれはしずかにねむるがごとく横たわって冷たくなっていた。
 私はそのくびから鉄鎖てつぐさりを取り、羊飼ひつじかいに手伝わせて、ロボをブランカの死体をおいた小舎こやへ運び入れて、そのかたわらにならべてやった。
 そのとき羊飼いはいった。
「ロボはやっぱり王様だったな。その死に方まで……」
 私は、この羊飼いが、私の心持ちをそのままいってくれたような気がして、だまってなんどもうなずいたのだった。
(昭和一三年五月号)





底本:「少年倶楽部名作選 3 少年詩・童謡ほか」講談社
   1966(昭和41)年12月17日
底本の親本:「少年倶楽部」講談社
   1938(昭和13)年5月号
初出:「少年倶楽部」講談社
   1938(昭和13)年5月号
※表題は底本では、「動物物語(改行)おおかみの王ロボ」となっています。
入力:sogo
校正:noriko saito
2017年6月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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