裸體美に就て

小倉右一郎




 近時我國婦人の身長が伸びて、プロポーシヨンが非常に能くなり、私共の學生時代に比して實に隔世の感があります。乍然、此婦人の身長が急に伸びたので、未だ歐洲人の樣に腰の幅の廣く無いのは寔に遺憾であります。此腰の幅を廣くする事、即ち太く逞しくする事は、仲々六ヶ敷い事ならんも、今後二十年も體育に努力する内には發達する事かと思ひますが、要は小學校や女學校の女子運動に希望を掛ける者であります。
 前述の如く、我國婦人の裸體はプロポーシヨンに於ては、歐洲婦人に比して一歩をゆづるも、彫刻のお手本としては(近時モデルと呼ぶ言葉は一種の擯斥ひんせきする樣に聞えますので、私は敢てお手本と呼ぶ事にして居ります)我國の婦人は誠に好適であります。繪のお手本[#「本」は底本では右に90度倒れている]としては、我國婦人の膚の色が、普通淡黄灰色で、白人に比しては一段も二段も見劣りがする樣で困りませうが、彫刻のお手本としては、我婦人の膚は「なめらか」で、即ち觸感に訴へて非常に佳である。此點彫像の凹凸に一層の變化を與へるから、面白味が加る故に、彫塑人には好適であると私は云ふのであります。歐洲婦人の膚はざら/\である、彼等は餘りに多毛性でもあるが故にや、初毛が太く聚生して居る爲にや、觸感によるとざら/\である。從つて見た感じが大あじで、艷すくなく、我國婦人の膚を見る樣に、艷々して「すべつこく」色感を言はぬ彫刻のお手本として、寔に申分の無い好いものであります。
 此意味に於て、我國彫家連は幸福であらふと思ふ者であります。只返すがへすも腰の幅の狹き事は、裸體美の上から見て痛恨事である。着衣の時と異り、裸像の時には腰が大きくないとみすぼらしくて仕樣がありません。其證據には近頃帝展の三部の裸體像を見ると、すぐお分りでせうが、細長ひ間伸のした裸體像が林立するのは、作者の不用意なばかりではありません。我國婦人が細長過ぎるので、つひ識見の無い作家は引きづられてあんな風に成るので有りませう。
 尚ほ婦人の裸體美は、處女よりは成女の方が勿論豐麗艷美であります。此事は、佛國の巨匠ロダン等も云はれる如く、男子を知り初めてより二三ヶ月後より半年位の間が最も美しい時であらう。處女の肉體は只堅くて、變化に乏しく、面白味が足りませんが、男を知りし女の肉體は、皮膚の下に脂肪が増し、色も稍や白味を加へ、艷々として光澤を放ち、從つて魅力を加へ、實にかゞやかしく成ります。
 故に私は、必畢女子は、男子に依つて初めて肉體美を完成すると云へると思ひます。尤も六ヶ月以上も過ぎますと、段々惡くなりかけます。遂には見る影もなくなりますが、其頃何かの事情にて、男と離れて生活して居る婦人は、相當に長く美しい肉體美を持續して居る事を實驗して居ります。
 時々私共は、何故裸體の女をのみ作る者が多いかとの質問を受けますが、近時帝展等にて裸體女の林立には、同業者としての私迄も氣が引ける樣で、少々うんざりして居りますが、止むに止まれぬ創作慾からと云ひたいが、餘りに多く來る年も來る年も、似た樣なポーズで、三年前の作品に色を塗り變へて出品しても分らぬ樣なポーズで、何の藝も、何の趣向も、感興もなき裸像にはなやまされて居る者でありますが、此機會に一通り裸體の辯を致して置きたいと思ひます。
 元々彫塑の修業中の者共へは、裸體をお手本として與へ、目の練習と技術の練磨をさせます。衣服を着けて居るのと異り變化なく、又鳥獸等と異り無暗に動きませんので、修業には至つて容易な事で、男や女の裸體のお手本を喜ばるゝのであります。其結果、漸くお手本の樣な物が一通り出來る樣になりますと、猫も杓子も人間一匹が出來ますと、嬉しさの餘りに未熟にも拘はらず、帝展制作をやり初めますが、監督者の方でもあそぶと云ふので無く、皆斯道を勉強すると云ふ精神を認めますから、留めるわけても[#「わけても」はママ]行かず、やらして置きます。
 即ち、帝展製作を試みさせますと、結果は彼樣な林立騷ぎになりますので、未熟な習作物を澤山陳列して御覽に入れるので、觀者も面倒で、草臥させて相すまんとは思ひますが、若し將來此内より、只一人にても名作を出す者が生れるやも量られず、夫を樂しみに多勢の瓦礫を列べる事にも相成る次第でありませう。要するに裸體は着衣の者と異り、何時も同じポーズを保ち、從つて凹凸も何時も同じ樣に起りますので、彫刻を練習する上に、至つて簡便で有りますから用ひますもので、必ず創作の爲のみで無いので有りますが、他に藝が無いので、此習作を直に尤もらしき命題を附して出品するやうに見受ける者も有る樣で御座います。殊に相當の古參の方々の内にも、何時も同じ樣な物を誠に根氣よく作り續けて居る方も相當にある樣に思はれますが、實に智慧の無い事だとひそかに思ふて居ります。(昭和九年十一月廿八日識)





底本:「文藝春秋 第十三年第一號(新年特別號)」文藝春秋社
   1935(昭和10)年1月1日発行
初出:「文藝春秋 第十三年第一號(新年特別號)」文藝春秋社
   1935(昭和10)年1月1日発行
※「帝展制作」と「帝展製作」の混在は、底本通りです。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:sogo
校正:The Creative CAT
2019年5月28日作成
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