ラヂオ閑話

成澤玲川




※(ローマ数字1、1-13-21)


 新聞社から放送局へ轉じて一番先に欲しくなつたのはラヂオ・セツトのいゝのである。持合せのペントード式のは東京しか聽けないので、米國製のスパートンといふ小型のポータブルを備へつけた。五球で中型の置時計ほどのサイズ目方も輕く革製のカバンがついてゐて旅行に携帶もできる。アースを取る必要もなく、二三間あるアンテナは糸卷のやうものに[#「やうものに」はママ]卷きつけてある。一寸そこへらへ引掛ければいゝ。
 第二放送のある今日、家庭にラヂオ・セツトが一つしかないのは不便で、よく「ラヂオ喧嘩」が起きるのである。趣味のちがふ老人と子供と、男子と婦人とが、第一放送と第二放送が同時刻にぶつかると、どちらか一方を棄權しなければならない。私は古い方を子供用として二階に移動し、野球や學生向の講座や子供の時間などにこれを使はせ、大人は好きな時間に好きなものを新しいスパートンで聽くことにした。これで家庭にラヂオ喧嘩の種もなくなり、放送も完全に聽くことができる。セツトが一つのために放送が半分しか聽けないのは新聞を片面しか讀まないやうなもので勿體ない話である。尤もこれは多人數の家庭に必要なことで、一人では如何に頑張つても同時に二つの放送は聽けない。新聞は何種類取つても讀みこなしに差支はないが、ラヂオは聽き外したら、それでおしまひだ。

※(ローマ数字2、1-13-22)


 私は職掌柄報道關係の放送を家庭にゐてもできるだけ多く聽くので、折角子供が「第二」を樂しんでゐる時、それを「第一」に切り換へるに忍びない。新聞社にゐた時は新聞の精讀が重要な仕事の一つになつてゐたが、放送局に入つても勿論新聞は精讀してゐるし、またしなければならない。つまり新しく「聽く」仕事が殖えたのである。
 新聞社の人は社長から給仕に至るまで少なくとも自社で作つた新聞は讀んでゐる。しかるに放送となると全部のプログラムを、朝から晩まで洩さず聽いてはゐられない。そこで自分の所管事項だけは、時間の遣繰をつけても聽くやうに勉めるのは、私ばかりではあるまい。ニユースに就ても、新聞社の場合は各部で原稿を見る。それが更に整理部に廻されて工場に行く。工場からゲラが戻つて來る。校正が終れば大組でまた讀める。さうして最後に出來上つた新聞を讀む。けれども放送ニユースは原稿がアナウンサーの手に渡れば、もう編輯、印刷兩局の凡ての過程を終つたのである。愈々時間になる、アナウンサーの舌は輪轉機、その唾はインキ、その音聲は配※[#判読不可、30-1段-1]同樣、即時即刻、聽取者の耳に※[#判読不可、30-1段-2]する。萬一アナウンサーが原稿を誤讀すれば、それは新聞に於ける誤植である。アナウンサーの舌が廻轉を始めたが最後、新聞のやうに校正といふ別の機關を經由する方法も時間もないのである。だから、新聞の出來榮といつたやうなものは、ニユース放送を聽いて始めて知るので、これを聽くことが出來上りの新聞を讀むことに當る譯なのである。けれども一日四回のニユース(英語ニユースとも五回)だけでも、必ずこれを聽くといふことは、それだけを仕事にしてゐない限り不可能である。勿論聽視係も、檢閲係もあるから、正式には全部聽かれてゐるのであるが、それはまた別の角度から、それ/″\の目的を以て聽くので、私の聽くのとは自ら別である。私はたゞ「誤植」の有無を氣にかけるのではない。新聞編輯者が紙面の出來榮を絶えず研究するやうに、放送ニユースの取捨選擇、その取扱ひ、耳の言葉としての文章の適否、その讀み方の巧拙即ちその時のアナウンスの出來榮までを放送成績として見るのである。新聞でいへば、編輯、印刷兩方面に亘る出來榮の綜合的研究である。

※(ローマ数字3、1-13-23)


 夜の七時のニユースは會合や宴會などのために聽き洩らすことが多いが、九時半のニユースは家庭で聽く機會が多い。それから全國天氣概況や漁業氣象を終つて、全國中繼の幕が下りると、地方各局は待つてゐましたとばかり、ローカルの告知をはじめる。この時ダイヤルを廻して見ると時間にズレが出來て來るので、明日のプロ、ローカル・ニユース、天氣豫報等が、まち/\に、それ/″\の特徴あるアナウンスで聽えて來る。‥‥明日は天氣はよくな‥‥縣警察部ではこれが對‥‥六時子供の時間‥‥これが終りまして八時から‥‥さやうなら御機嫌よう‥‥これで今晩の放送を‥‥こちらは××放送局であります、JO××‥‥といつて一つ一つ消えて行くのを聽いてゐると、各地の本支店が一軒づゝ大戸を下ろして行くやうな淋しさのうちに、ホツとしたやうな氣持がする。十時を過ぎて日本の空に行き交ふ放送電波がなくなると、一時間遲い臺灣、滿洲のものがハツキリ聽え出すが、日本内地の放送時間中でも内地同樣によく聽えるのは南京である。七十五キロの電力(日本では中央放送局の電力は何れも十キロである)で東洋一と稱しただけに、波長の近い福岡をふつ消し、臺北を押へて聽えて來る。聲の大きい方が喧嘩は勝ちだといふが、ラヂオでもその通り、いざ非常時の宣傳戰となれば電力の強いのが勝つことになる。だから各國間に大電力競爭の傾向があり、歐洲放送聯盟會議の協定も果して守れるかどうか。滿洲國は十一月から百キロ放送になつて南京を凌駕し、正に東洋一となつたが、東京はその上を行く百五十キロの計畫が着々進んでゐる。しかし米國には五百キロなどいふとてつもない大計畫があり、フイリツピンでさへ現在の東京に五倍の五十キロでやつてゐる。
 序だが毎晩の時報に「只今お知らせしましたのは九時三十分であります。臺灣と滿洲では八時三十分であります」といふアナウンスに對して、「さう一々臺灣と滿洲の時差をいはなくてよいではないか」といふ抗議を受けることが屡々あるが、これは内地人を教育するためではない。内地と同時に臺灣でも滿洲でも同じ放送を聽いてゐるのだから、どうしても言はなければならない。
 午後十時過になると全く支那音樂と支那語の世界といつてもよい。南京の外に上海、天津等が十二時過ぎまで聽えて來る。上海は四局もあるが一番大きいので五百ワツト、最小のものは五十ワツトに過ぎない。天津にも三局あり、最大五百ワツトであるが、これは距離の近い關係で割合によく聽えるらしい。遠くでよく聽えるのはメルボルン(三キロ)、マニラ(五十キロ)、ニユージーランド・ウエリントン(五キロ半)等で、今この原稿を書きながらマニラの素敵な女聲の二部合唱を聽いてゐる。概して南方海上を傳はつて來るものゝ方がよく聽える。ハルビン(一キロ)や浦鹽(二キロ)は餘りよく聽えない。しかし遠方のは、空のコンデイシヨン次第でフエーデイングが起り易く、非常に明瞭に大聲に聽えるかと思ふと急に聽き取れないやうになつたり、或は又スヰツチを切つたやうに、プツリと聽えなくなることがある。
 かう書きながらまたダイヤルを廻す。メルボルンから男聲の獨唱が聽えてゐる。マニラはジヤズが多く、メルボルンは合唱や獨唱が多い。また南京にダイヤルを持つて來ると、今夜(十一時)は珍らしくいゝピアノの音が聽えてゐる。いつかけても南京は例の支那音樂で、毎晩のやうに同じやうなものをやつてゐる。曲目が少ないのか、毎晩同じやうなものを繰返してゐる。よく飽きないものだ、と初めのうちは思つたのだが、これは多分支那音樂に對する私の認識不足で、矢張りそれ/″\變つてゐるのであらう。たゞ吾々が聽くといつも同じやうに感じられるのである。假りに外國人が日本の長唄、常盤津、清元といふやうなものを聽いたとする、矢張いつでも同じやうに感じるであらう。斯うして私はまたマニラの混聲合唱を樂みつゝ筆を走らせてゐるが、これは全く冬期清澄なる空のお蔭で、夏になると空電が多くなるから、とてもかう明瞭には聽けまいといふことだ。それにしても今夜のコンデイシヨンは百パーセントだ。全くうれしくなる。今度は豪華なオーケストラが始まつてゐる。

※(ローマ数字4、1-13-24)


 日本語のアナウンスは英語や支那語のそれに比べると平板を免れない。英語アナウンスの美しさは知つてゐたが、毎晩南京を聽いて見て支那語といふものが案外に美しいものだといふことをつく/″\感じて來た。南京の婦人アナウンサーに一人素敵な美聲の持主がゐる。チヤーミング・ヴオイスといふのはこれであらう。木の葉が金銀の裏表を飜して落ちて來るやうな調子で、綿々切々の情緒を絃の音に乘せたやうな美しいアナウンスには、全くうつとりとさせられる。支那語の分らない私がかう感じる位であるから、言葉の持つ内容が分つたら一層樂しく感じられるであらう。その聲を聽いてゐると、一寸顏が見たくなる。日本でもアナウンサーはいつの間にか人氣商賣のやうになつて來た。ラヂオを聽く人は毎日同じ聲を聽いて一種の親しみを持つやうになる。その顏を一目見たいといふ氣持の起るのは人情の自然である。しかしアナウンサーは名前や顏を賣物にする商賣ではない。‥‥段々夜も受けて[#「夜も受けて」はママ]來た。この前の土曜日には午前二時半まで空を探つて各地の放送を樂んだが、明日はまた早く起きなければならない。丁度マニラの終了アナウンスが聞えて來た。「只今マニラ時間は十時五十二分であります。おやすみなさい。」(日本十一時五十二分)





底本:「文藝春秋 第十三年第一號(新年特別號)」文藝春秋社
   1935(昭和10)年1月1日発行
初出:「文藝春秋 第十三年第一號(新年特別號)」文藝春秋社
   1935(昭和10)年1月1日発行
入力:sogo
校正:The Creative CAT
2018年11月24日作成
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●表記について

判読不可    30-1段-1、30-1段-2


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