人生は擬似体験ゲーム

太田健一




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 ゲームを始める前に次の説明書をよくお読み下さい。

   説明書

◎この度は弊社の擬似体験ゲーム用ND『スーパーテセウスの冒険』をお買い上げ頂き、まことにありがとうございました。
◎さあ、あなたはアテネの王子スーパーテセウスです。恐竜をやっつけて絶世の美女アリアドネ姫を三人の魔女から救い出し、宇宙制覇に乗り出しましょう。宇宙は大魔王ミノスの毒牙によって危機にひんしています。宇宙を救う世紀のヒーローはあなたしかいません。今こそスーパーテセウスが立ち上がるときなのです。
◎詳しいルールは、ゲームを開始するとディスプレイにジョーカー・キムラが現れて説明します。なおプレイ中はプレイヤー以外の方にもご観戦用として楽しんで頂くため、ディスプレイに臨場感あふれるゲームの世界をリアルタイムで上映します。
◎ヘッドホンから流れるスターヴローギン式催眠音波とアッシュ電磁波があなたの脳波を刺激してシミュレーション効果を起こし、あなたを擬似体験ゲームの別世界へといざないます。擬似体験ゲームの世界では視覚はもちろん、聴覚・触覚・味覚・嗅覚の五感すべてに擬似現象が体験でき、現実の世界とほとんど区別がつかないほどの迫力です。その上一流ミュージシャンの演奏による数億種類ものBGMの中から、コンピュータがその場にふさわしい曲を適宜に選択するので、気分はもうファンタジーランドの主人公!
◎人体には悪影響ありませんが、あまり長くプレイするとゲームを終えた後にフラッシュバック効果を引き起こすことがあります。そういうときはすぐ精神科医の治療を受けて下さい。
◎製品には万全を期しておりますが、万一不良品がございましたらご面倒ですが弊社までお知らせ下さい。責任を持ってお取り替えさせて頂きます。

木村ソフト株式会社


001


 あなたはニューロ・ディスクをユニットPC―999にセットし、書斎の安楽椅子に深々と体をうずめながらユーザIDとパスワードを入力する。セッションが開始されるとディスプレイの中央にはジョーカー・キムラの顔がクローズアップされる。このジョーカー・キムラなる少年は合成写真の映像によって生み出された架空の人物で、木村ソフト社のいわばマスコットである。全身の右半分が黒、左半分が白の西洋式悪魔といったコスチュームが印象的だ。
「擬似体験ゲームの世界へようこそ」ジョーカー・キムラが言った。「これから僕がゲームのやり方について説明します。まずヘッドホンをして下さい」
 あなたは言われた通りヘッドホンをする。もともと子供用に開発された製品で、大人の頭には小さすぎたがそこを我慢して無理矢理押し込む。
「擬似体験ゲームの世界ではあなたはアテネの王子スーパーテセウスです。スーパーテセウスの使命は宇宙を制覇して大魔王ミノスを倒すことです。そのためにはたくさんのゲーム得点を稼がなくてはなりません。ゲーム得点は敵を倒すことによって与えられ、恐竜は10点、アルケリ星人を除く異星人は7点、アルケリ星人と魔女は5点、ミノタロウスは3点、宇宙船は20点、その他はすべて1点ずつになります。ゲーム得点が高ければ高いほど宇宙全体があなたに運が向くように動いていきます。百億点集めればほぼ確実にあなたは使命を果たすことができるでしょう。大魔王ミノスとは三回までしか戦えません」
 あなたは軽くうなずく。
「なお、当ゲームはなるべく現実に近づけるため、できる限り現実と同数の行動の選択肢を用意しましたが、例えばある場面において現実の世界では実際前に進むことができても、ゲームの世界ではあなたがそこで前へ進むという可能性が考慮されていないため、前へ進めない場合があります。あなたがそういう選択肢を選んだときは、“ソレヲスルコトハデキマセン”という金属音が聞こえます」
「なるほど」
「ゲームはAコースとBコースの二種類があります。Aコースは初心者向きで幼年時代のテセウスからスタートし、宇宙の覇者となるにふさわしい英才教育をうけてから冒険を始めるコースです。これに対しBコースは上級者向きで、既に青年になったテセウスからスタートします。どちらをお選びになりますか」
「じゃあ、Bコースを頼む」
「かしこまりました」
 ジョーカー・キムラは頭を下げて後ろを向いた。
「ちょっと待ってくれ」あなたは慌てて呼び止める。「もしゲームを途中でリタイアしたいときは、どうしたらいいんだい」
「そういうときはSUICIDEキーを入力して下さい。それだけで元の世界に戻れます。ではがんばって下さい。ゲームを開始します」
 ディスプレイからジョーカー・キムラの姿が消える。だんだんとあなたは眠くなっていく。次第に朦朧もうろうとなっていく意識の中で、自分はこれから擬似体験ゲームの世界に入っていくのだということだけが妙にはっきりと自覚される。

 小鳥のさえずりが聞こえる。ほのかに生暖かい風が春の香りをかすかに運んでくる。目を開けるとあなたは森の中で一人佇んでいる。あなたは古代ギリシャ人のように薄い布を一枚だけ体にまとっている。自分は今何故ここでこうしているのか。自分は一体誰なのか。忘却の淵に沈んでいる記憶の糸をたぐりながら、あなたは追憶を試みる。そうだ、思い出したぞ。俺はアテネの王子スーパーテセウスだ。これから三人の魔女に捕らえられているアリアドネ姫を救いに行くところなのだ。だがここは魔女が支配する魔法の森だ。どんな危険な冒険が自分を待っているのか分ったものではない。
 突然背後で怪物の咆哮が森の静寂を破る。振り向くと巨大な恐竜が牙をぬめらせながら躍りかかってくる。あなたは手にしていた黄金の剣を振りかざして敢然と応戦する。どこからともなく軽快なテンポの音楽が流れてくる。戦闘のテーマ曲だ。自分は何故これほど勇敢なのか。自分は何故これほど筋骨隆々とした精悍な肉体を有しているのか。自分はもっと貧弱な男のはずではなかったか。あなたは本能的に疑問を抱く。遂にあなたは恐竜の胸に止めの剣を突き刺す。ほとばしる鮮血が手にかかり、その意外な温かさにいささか驚く。やがて恐竜はその巨大な身体を横たえ、そのまま二度とうごかなかった。するとあなたは頭の中に甲高い金属音を聞く。
“オメデトウゴザイマス プラス10点”
 あたりは再び静寂に包まれる。自分の高鳴る鼓動と荒い呼吸が耳に伝わってくる。剣を持つ手が心持ち汗ばんでいるようだ。
 あなたは何気なく後ろを向く。一歩進もうとすると突然体が金縛りになり、頭の中に金属音が鳴り響く。
“ソレヲスルコトハデキマセン”
 あなたはあきらめてもう一度正面を向き、仕方なくそちらの方向に歩き出す。
 しばらく森の中を進んで行くと、今度は二匹の恐竜に出くわした。あなたはやはり敢然と恐竜に挑み、即座に一匹を倒してしまう。
“オメデトウゴザイマス プラス10点”
 またしても頭の中に甲高い金属音が鳴り響く。あなたはもう一匹の恐竜に躍りかかる。しかし恐竜は逃げ足が速く、森の中に全身を隠してしまう。あなたは執拗に後を追うが、どこまで行ってももう少しのところで恐竜に逃げられてしまう。そのうちにあなたは追跡をあきらめ、その場に偶然見つけた切り株に腰を降ろす。
「とうとうわなにかかったな。あの恐竜は私がお前をここへ招き寄せるためにつかわしたのじゃよ。ホホホホ……」
 声のした方に顔を向けると、六千歳の皺を刻んだ顔の老婆が立っていた。三人の魔女のうちの一人だ。あなたはそう直感して慄然とする。立ち上がろうとすると突然金縛りになる。
“ソレヲスルコトハデキマセン”
「この魔法の杖の威力を知るがいい」
 老婆は手にしていた杖であなたの肩を激しく叩く。するとあなたの体は徐々に小さくなっていき、遂には小人になってしまう。そして老婆はあなたをつまみ上げ、口を大きく開けて放り込む。

 気がつくとあなたは見慣れた自分の書斎にいて、安楽椅子に深々と体をうずめるようにして坐っている。頭につけたヘッドホンがかなり窮屈に感じられる。ディスプレイにはジョーカー・キムラの残念そうな顔がうつっている。
「少し難しかったようですね」
「そうだな」
「どうです。もう一度プレイしますか。それともおしまいにしますか」
「もう一度頼む。今度はAコースにしてくれ」
「かしこまりました」
 ジョーカー・キムラは再び会釈して後ろを向くと、ディスプレイから姿を消した。

 アテネの正統なる王位継承者スーパーテセウスは、王妃たる母親の帝王切開によってこの世に現れる。勇ましい子供にしたいという王の計らいで、メスのライオンの乳で育てられる。生後十カ月のとき、寝室に忍び込んだ二匹の毒蛇を握り潰して殺し、このことが武勇伝として国中に広まる。古今東西の一流の学者を王宮に招き、幼児の頃から英才教育を受けるが、帝王学・修辞学・ユークリッド幾何学・錬金術・形而上学といった学問の他に、剣術・弓術・拳術・パンクラティオンなどの武芸も修める。
 十八歳の誕生日にテセウスはアテネを去り、大いなる野心を抱いて旅に出る。まず人食い巨人ハチローに出会い、壮絶な格闘の末、これを倒して黄金の剣を手に入れる。次に恐竜の住む森に出かけ、三人の魔女を倒してアリアドネ姫を救い出す。アリアドネ姫は魔女の持っていた不老不死の薬を手に入れ、テセウスと共に飲む。
 アテネに戻ると大魔王ミノスの呪いにかけられて父が亡くなっていたため、すぐアリアドネ姫と結婚して王に即位する。アテネはアトランティス帝国と国名を変え、地球制覇に乗り出す。最後にミケーネを征服して二百年がかりで地球を完全にアトランティス帝国の統治下に置くと、テセウスは国力を上げて宇宙戦艦の開発に力を入れ始める。
 やがて百年がかりで宇宙艦隊を組織すると、いよいよアトランティス帝国は宇宙に侵出する。アトランティス帝国の高度に発達した科学文明の前に、異星人たちは次々に地球に無条件降伏していった。テセウスは征服した異星人を地球人の奴隷として労働に従事させ、帝国の産業全体の生産性を向上させる。最も有益だった種族はアルケリ星人で、彼らの血液は驚くほど効率のよいエネルギー源として燃料に使用でき、地球に第七次産業革命をもたらした。彼らの肌は葉緑素のため緑色で、食料がなくとも日光さえあれば光合成をして生きていけた。彼らのオスは言語を操るほど知能が高いため、頭脳労働に従事させた。これに対しメスは労働力としてあまり有能ではなかったが、その肉は地球人の嗜好に合い、食用として十分利用できた。彼らは交尾による生殖の他、細胞分裂の繁殖も可能なため、テセウスはアルケリ星人の培養場を帝都アテネと火星基地に建設する。種となるアルケリ星人の肉体をバラバラに切断し、その肉片を培養液につけておけば、三日間でそれぞれの肉片が一人前のアルケリ星人に成長した。
 火星基地は宇宙侵出計画をはじめとする様々な目的のために建設され、火星の表面は地球人が宇宙服なしで活動できるように、酸素量・気温・気圧・重力など、地球とほぼ同じ環境に改造された。
 宇宙侵出開始から四千年の歳月が流れる。もはや宇宙の大半はアトランティス帝国の植民地だが、大魔王ミノスの率いるミノタロウス軍団がテセウスの野望をなおも阻み続ける。そして両者は宇宙制覇のロマンを賭けて、今最後の決戦に臨もうとしている。

002


 目が覚めるとあなたは宇宙艦隊の旗艦であるアルゴス号の司令室にいた。
「やっとお目覚めですの。大事なときだというのにうたた寝などしてはいけませんわ」隣に坐っているアリアドネ姫が言った。「このところ作戦会議の連続でお疲れなのは分かりますけど」
「いや、これはすまなかった」あなたは頭をかき、葉巻に火をつけた。青白い煙が緊迫した雰囲気の司令室に立ち籠めた。司令室は巨大な特殊クリスタルガラスでドーム状に覆われ、円形の部屋の隅は様々なコンピュータで隈なく占められている。中央には白い円卓があり、宇宙艦隊の主要メンバーが十数名ほどかしこまって坐っている。
「今実に奇妙な夢を見ていたんだ」あなたは言った。「その夢の世界では私はアトランティス帝国の帝王ではなく、地球連邦の日本というところでごく平凡なサラリーマンをやっているんだ。なんでも木村ソフト社というところに勤務していて、子供用の擬似体験ゲームソフトを開発する仕事をしている。休日になると一日中そうした擬似体験ゲームで遊ぶのが趣味で、遊びながらもそこから次の製品を製作するヒントを得ていたというわけなんだ。つまり趣味と実益を兼ねていたんだな。要するに私はどこにでもいるような至極平凡な男で、どこにでもあるような至極平凡な人生を送るのだが、一度だけ残酷な事件に巻き込まれるんだ。ある休日、私はいつものように擬似体験ゲームで遊んでいる。ところが電話がかかってきて、緊急の用事ができたので会社に出勤するように言われるんだ。そこで会社に行ってみると何の用事もない。不思議な気持ちで家に戻ると妻と息子が何者かによって殺害されているんだ。それも刃物で肉体をバラバラにされているんだよ」
「それはひょっとすると陛下のもう一つの人生かも知れません」参謀の一人である侍の恰好をした桃太郎が言った。「正夢というのがあるでしょう」
「まさか」アリアドネ姫があきれ顔で言った。「夢は所詮夢に過ぎないわ。現実に比べれば全然価値なんかないのよ」
「いや、そうとは限りません」やはり参謀の一人である漁師の恰好をした浦島太郎が言った。「私の知っている哲学者によると、宇宙の現象はすべて夢みたいなものだということです」
「どういう意味なのよ」アリアドネ姫が尋ねた。
「つまりこうです。この世にはたった一人の人物しか存在していなくて、その人物が一種の夢を見ているというのです。宇宙のあらゆる現象や事物は実際は存在していないのですが、ただその人物の意識が存在すると認識する限りにおいて、その人物に対してだけ存在するわけです。簡単に言えば、一人の人間が架空の宇宙を存在するものと錯覚しているのです」
 あなたは浦島太郎の話を馬鹿気たたわ言だと思いながらも、何かしら一蹴できない懐疑の念を心の隅でひそかに抱く。自分は存在する。何故なら自分が存在しているかどうかを考える自分があるからだ。だが自分の目の前にいるこの連中はどうなんだろう。本当に存在しているのだろうか。それとも存在していると自分が錯覚しているだけなのだろうか。
 不意に軽快なテンポの音楽がどこからともなく聞こえてくる。戦闘のテーマ曲だ。
「大変です。ミノタロウス軍団の奇襲攻撃です」参謀長である金太郎がレーダーを見ながら叫んだ。金太郎は腹掛け一枚でおかっぱ頭という質素な風体をしている。
「よし、全員戦闘配置につけ」あなたは無線機を使って全宇宙艦隊に命令しながら、自分も司令室の隅にあるレーザー大砲の発射台に急ぐ。目に入ってきた宇宙船の最初の三機をすぐさま撃ち落とす。
“オメデトウゴザイマス プラス20点”
“オメデトウゴザイマス プラス20点”
“オメデトウゴザイマス プラス20点”
 しかし敵の宇宙船は巧みに編隊を組み、今度はなかなかレーザー光線が命中しなくなる。
 ふとあなたは銀色の流線型をした見慣れない宇宙船がこちらの方へ近づいてくるのに気づく。照準をその宇宙船に合わせ、発射スイッチを押そうとする。すると突然全身が金縛りになり、頭の中に金属音が鳴り響く。
“ソレヲスルコトハデキマセン”
 銀色の流線型をした宇宙船はますますこちらに近づいてくる。宇宙船の側面には丸いガラス窓がついていて、そこを通してかすかに人影がうかがえる。ほとんど特殊クリスタルガラスにすれ違うように接近したとき、あなたは一瞬ではあるがガラス窓の向こう側にいる赤い宇宙服を着た人物をはっきりと確認する。あなたは激しい驚愕に襲われる。何故ならその赤い宇宙服を着た人物は外ならぬあなた自身だったのだから……。
「陛下、何をぼんやりしているのですか」
 金太郎の声に我に返ると、あなたは再びレーザー光線を敵に向けて乱射する。もう銀色の流線型をした宇宙船はどこにも見つからなかった。あなたは手前の宇宙船をまた一機撃墜する。
“オメデトウゴザイマス プラス20点”

 書斎の安楽椅子に深々と体をうずめながら擬似体験ゲームの世界に没入しているあなたは、塾から帰った小学生の秀夫ひでおがこっそり部屋に入って来たのに気づかない。秀夫はディスプレイにうつし出された宇宙戦争をしばらくの間おとなしく見ていたが、やがてただ見ているには飽きてしまい、テレビを激しくゆさぶり始めた。
「秀夫、そんなことをしてはいけません」
 清美きよみが書斎に入って来て、秀夫をたしなめた。
「パパはただ遊んでいるわけではないのよ。これもお仕事のうちなんだから」
「嘘だい、擬似体験ゲームなんて子供のおもちゃだよ。早く僕にやらせてよ」
「パパが使っているときは我慢しなさい。パパはたくさん擬似体験ゲームをやってみて、そこからヒントを得て新しいゲームを作っているのよ」
 あなたはようやく意識を取り戻す。見慣れた自分の書斎がまず目に入ってくる。腕時計を見ると、さっきからまだ一時間しかたっていない。擬似体験ゲームの世界では確か五千年も時間が経過したはずだ。もう一度プレイしようと思いつき、取り出しかけたニューロ・ディスクをユニットPC―999に入れ直そうとする。するとあなたはどういうわけか金縛りになる。
“ソレヲスルコトハデキマセン”
 あなたは自分がまだ擬似体験ゲームの世界にいるのだろうかと一瞬自問する。あまり長い間ゲームをしていたのでフラッシュバックが起こったのだろう。今日はもうこれ以上プレイしないほうがいい。あなたはそう考えて安楽椅子からおもむろに立ち上がった。
「まあ、あなた大丈夫ですか。秀夫がテレビを激しくゆさぶったものだから、あなたはゲームを中断しなければならなかったのね」
「やっぱり秀夫のいたずらか。おかげでひどい目にあったよ。突然宇宙に赤い亀裂のようなものが大きな音をたてて走ったんだ。まるで赤い雷だったよ。驚いた拍子に間違ってブラックホールに吸い込まれたと思ったら、気がつくとゲームが終ってたんだ」
「ごめんなさい。だって僕も擬似体験ゲームで遊びたかったんだもの」
「そうか、じゃあ今度は秀夫がこれで遊びなさい」
「だめよ」清美が毅然として言い放った。「秀夫はお勉強でしょう。遊ぶのはお勉強が終ってからになさい」
 するとそのときテレビ電話のベルが鳴り、清美は書斎を出て急いで応接間に走った。
 書斎で二人になると秀夫は何か言いた気な様子で恐る恐るあなたの顔を見つめた。
「どうしたんだい」あなたは微笑を口元にうかべながらやさしく言った。
「実はママには言いにくいことなんだけど」秀夫はつぶやくようにぽそりと言った。「僕もう塾をやめたいんだ。ねえ、いいでしょう。ママは反対するだろうけど……」
「それはだめだよ」
「どうしてなの」
「だって塾をやめたらお前はいい学校に行けなくなるじゃないか」
「じゃあどうして僕はいい学校に行かなきゃいけないの」
「そりゃあ決まっているじゃないか。だってそういうものなんだよ。とにかくお前はいい学校に行かなきゃいけないんだ」あなたはうまく説明できないもどかしさに焦燥といら立ちを覚える。「いいかい。まだお前くらいの年齢だったら、将来どこまでだって偉くなれる可能性が残っているんだよ。いい学校に行っていっぱい勉強すれば、それこそ地球連邦の大統領にだってなれるんだ。ところが大人になるに従って、だんだん先が見えてくるものなんだ。パパくらいになると、他人の人生がうらめしく思えたり、自分の人生がひどく惨めに思えたりするときがあるんだ。だから擬似体験ゲームでもやって、たとえ虚構の世界であっても別の人生を生きてみたくなってくるんだよ」
 するとそこへ清美が戻って来た。
「会社に緊急の用事ができたそうよ」清美が言った。「受話器を取るとはげ頭の男の人がスクリーンに出て、お宅のご主人に急用ができたので至急会社へ出勤するようお伝え下さいって言ったの。そうしてそれだけ言うとすぐに電話を切ってしまったのよ。何だか変な電話だったわ」
「そうか、じゃあ木村ソフト社へ行って来るとするか」
 あなたは第二百六十一公団アパートの一万二千三百四十五号室を出ると、高速エレベーターを使って地上へ出た。大通りの自動走路は休日だけにすいていた。あなたは最高速レベルの自動走路に乗って会社に向かった。
 木村ソフト株式会社のビルに到着すると、あなたは正面の入口のところに佇んでいるジョーカー・キムラのロボットに何気なく目をとめる。
「木村ソフト株式会社にようこそいらっしゃいました」ロボットはプログラムされた唯一の台詞をしゃべって、頭を下げた。入口の自動ドアが開くと、ロボットはそうしゃべって会釈する仕組みになっているのだ。
「今日は。ジョーカー・キムラ君」
 あなたはいつもの習慣で、ロボットにそれ以上注意を払わずにそのままビルに入ろうとした。
「ちょっと待って下さい」
 声がしたので反射的に振り向くと、ロボットがあなたに黄金の剣を差し出した。あなたは驚いてそれを受け取ると、ロボットをまじまじと凝視した。
「ビルの中に大魔王ミノスがいます。気をつけて下さい」
「君は話せるのかい」
「僕はもうこれ以上話しません」
「教えてくれ、まだ擬似体験ゲームの世界が続いているというのかい」
「木村ソフト株式会社にようこそいらっしゃいました」
「おい、急にとぼけるなよ。頼むから説明してくれ。一体どういうことなんだい」
「木村ソフト株式会社にようこそいらっしゃいました」
「とぼけるなって言ってるだろう」
「木村ソフト株式会社にようこそいらっしゃいました」
 あなたはあきらめてビルの中に入る。黄金の剣は上着の中に隠し、エレベーターで三十九階に上る。自分の所属するソフト開発部は、この階にあった。
 部屋に入ると見知らぬ男が一人いて、本棚からごそごそとNDのサンプルを取り出しては、何やら熱心に調べている。彼はピカピカ光るマントで全身を包んでいて、光頭で耳はロバのように長く尖り、かぎ鼻の下には下卑た笑いをうかべた唇がついている。
「どちらの方でしょう」不審に思ったあなたは思い切って尋ねてみる。ひょっとするとこの男はライバル会社の産業スパイかも知れない。ソフト開発部の人間でなければこの部屋にはまず用がないはずだし、ソフト開発部の人間なら全員顔を知っている。
「いやはや総務部の蓑須みのすという者です」男は近くの椅子に腰を降ろすと、NDの一つをあなたに見せる。「これはうちのライバルの山本ソフト社の新製品ですけど、なかなかよくできていますよ。二重擬似体験ゲームという新しい技術を使っているんです。擬似体験ゲームの世界の中で更にまた擬似体験ゲームができるそうなんですけど、うちもがんばらないといけませんなあ」
「なるほど、しかしうちにも似たような製品はありますよ」擬似体験ゲームのプログラマーとしてある種の自負を持っているあなたは、他社の製品が褒められたことに軽い嫉妬を覚え、少々むきになる。「例えば今発売している『スーパーテセウスの冒険』なんかも二重擬似体験ゲームと言っていいんじゃないですか。物語の後半からサイバーロボットというのが出て来るでしょう。主人公のスーパーテセウスがロボットの中に意識を没入させ、ロボットをリモートコントロールするというやつですよ」
「“ヘラクレス一号”のことですね」
「そうです。それからまだありますよ」あなたは本棚からNDを一つ取り出し、男に見せる。「これですよ。これは近日発売予定の新製品『地球脱出大作戦』ですけど、本質的に二重擬似体験ゲームみたいなものですよ」
「どういう内容なんですか」
「核戦争によって地球は放射能で汚染され、人間が住めない星になるんです。そこで人々は家族単位で自家用の小型ロケットに乗って他の惑星へ移住するんです。小型ロケットはコンピュータが自動的に人間の住める惑星を探索して飛んで行くという代物で、人間は操縦しなくてもいいわけです。ところが何万光年の距離にある星へ行くには光速でも何万年もかかるわけで、ロケットだと何年かかるか想像もつきません。このため小型ロケットの中には人工冬眠装置が備え付けられ、人々は液体ヘリウムによる冷凍仮死状態で何億年も過ごすのです。こうすれば何年たっても少しも肉体は老化しませんからね。人々は冷凍仮死状態の間長い夢を見るんです。その夢がいわば一種の擬似体験ゲームみたいなものなんです。どうです。これだって二重擬似体験ゲームでしょう」
「そうですか。うちも負けてはいないんですね。なにしろ総務の仕事ばかりやっているもんで、製品に関することには疎くなりましてねえ」男はいやらしく笑いながら言った。「でも最近は擬似体験シネマの人気が復活したそうですね」
 擬似体験シネマというのは擬似体験ゲームのずっと以前に開発された代物で、普通の映画が視覚と聴覚だけに訴えるのに対し、これは五感すべてに訴える映画と定義できるだろう。擬似体験ゲームがプレイヤーの意志に従って主人公を自由に操れる一方で、擬似体験シネマはただあらかじめ定められた主人公の感覚的経験をプレイヤーは共に味わうだけというのが、両者の決定的違いである。
「大したことはありませんよ。すぐ下火になりそうな気配ですから」
「じゃあ、アダルト向きの擬似体験ゲームはどうですか。擬似体験ゲームの世界の中ではどんな痴漢のまねごとをやらかしても許されますし、しかも現実の世界では考えられないような均整のとれた体の美人モデルがいっぱい出て来るでしょう。たとえ彼女たちが合成写真の映像で作られた架空の存在だと分かっていても、一度あの手の擬似体験ゲームをやるとやみつきになりますよ」
「でもそういった擬似体験ゲームを製作するのはいろいろ難しいんですよ」あなたは言った。「激しいのを作れば地球連邦の風紀委員会の検閲にひっかかるし、おとなしいのを作れば今度は売れ行きがもう一つ伸びない。でも一番の問題は、そうした分野にあまり手を出し過ぎると企業のイメージダウンにつながりかねないということです」
「とすると残りはやはり子供向けの冒険物になってしまうんですか」
「そういうことになるでしょう。尤も大人でも冒険物のマニアはいますしね」
 するとどこからともなく軽快なテンポの音楽が流れてくる。戦闘のテーマ曲だ。男は何を思ったか急に椅子から立ち上がり、両刃の斧を振りかざしてあなたに襲いかかる。あなたはかろうじて斧の一撃をよける。
「何をするんですか。蓑須さん」
「まだ気がつかないのか。俺の正体は大魔王ミノスだ」
 あなたは上着から黄金の剣を取り出し、今度は自分から攻撃をしかける。しばらく五分と五分の戦いが続いたが、遂に黄金の剣が大魔王ミノスの右目を潰す。右目から青い鮮血をとめどなく流しながら、ミノスはガラス窓を突き破って外に逃げた。あなたはガラスの破片に気をつけながら窓に近づき、三十九階の高さから外を眺めると、ミノスはピカピカ光るマントを広げて巧みに宙を舞いながら遠ざかっていった。
 あなたはふと家のことが心配になり、エレベーターで地上に降りてビルを出ると一目散にアパートに向かった。自動走路に乗っている途中、何やら恐竜の雄叫びのような「ギャオー」という奇声を突然背後で耳にする。あなたは奇声のした方向に首を向けようとする。するとあなたは金縛りになり、頭の中で金属音を聞く。
“ソレヲスルコトハデキマセン”
 やれやれ、どうやら俺は精神科医に見てもらわなくてはならないらしいなあ。これほどひどいフラッシュバックを経験したのははじめてだ。だがそれにしても今俺が持っているこの黄金の剣は何なのだ。今俺の目には黄金の剣が確かにうつっている。剣を握る俺の右手には硬くて冷たい金属の感触が確かに伝わってくる。幻覚にしてはあまりにはっきりと俺にその存在を訴えかけてくるではないか。
 あなたはようやくアパートに戻る。アパートの入口のところで、あなたはふとハンバーガーの自動販売機に目をとめる。朝から何も食べていないことを思い出し、キャッシュカードを自動販売機のカードリーダに入れると、一番ボリュームのありそうなハンバーガーのボタンを押す。バタンと音がすると、自動販売機からマジックハンドが出てきて黄色い包装紙に包まれたハンバーガーを差し出す。キャッシュカードとハンバーガーを受け取ると、あなたは黄色い包装紙を無造作にはぎ取って大きく一口食らいつく。側にあったゴミ箱に捨てかけた黄色い包装紙をふとした気まぐれが思いとどめ、そこに印刷されたコピーに何気なく目を落とす。

当社のハンバーガーはアルケリ星人の肉を使用しておりますので味はバツグン!

 あなたは思わず口の中のハンバーガーを吐き捨てる。葉緑素の入った緑色のかみ砕かれた肉片が、唾液にぬれてギラギラ光っていた。あなたは急いでアパートに入り、エレベーターを使って一万二千三百四十五号室に向かう。
 家に戻ると入口のドアはどういうわけか鍵がかかっていなかった。中に入るとあまりの静けさにあなたはいささか異様な雰囲気を感じる。
「ただいま」
 しかし何の返事もない。仕方なく玄関を上がり応接間に入るとあなたはあまりの光景に一瞬気が遠くなる。
「どういうことなんだ」
 あなたは声を限りに絶叫する。応接間の赤い絨毯じゅうたんは血の色で更に赤く染まり、バラバラの肉塊がうかんでいる。清美と秀夫の八つ裂きにされた死体である。死体の切り口から見て凶器は鋭利な刃物に違いない。あなたは悲しみとも怒りともつかない強烈な衝撃に全身をわななかせ、頭に体中の血が上ってくるのを覚える。
「どうしてこんなひどいことを」
 しかし一人きりの応接間にはその問いに答える者はいなかった。
「一体誰の仕業なんだ」
「大魔王ミノス様じゃよ」
 しわがれた声がしたので振り向くと、いつの間にか応接間の入口のところに六千歳の皺を刻んだ顔の老婆が立っていた。
「お前は何者だ」
「覚えておいででないのかえ。またこの魔法の杖で小人にしてやろうか」
 老婆は杖を振りかざした。あなたは老婆が擬似体験ゲームの世界で出会った魔女であることを思い出す。あなたは上着から黄金の剣を取り出すと、用心深く身構える。魔法の杖の一撃を巧みにかわすと、あなたは老婆の脳天を黄金の剣で叩き割る。血まみれになった老婆はぐったりと床に倒れ、そのまま絶命する。
“オメデトウゴザイマス プラス5点”
 頭の中に金属音が響き渡る。あなたは黄金の剣にこびりついた血をポケットから取り出したハンカチで丁寧に拭いながら、過度の精神的疲労に苛まれて茫然とその場に立ちすくむ。すると部屋の隅にあるテレビ電話のベルが鳴り、あなたは大儀そうにゆっくりと受話器を取る。テレビ電話のスクリーンにはジョーカー・キムラの顔が現れる。
「大至急、公民館の屋上に行って下さい」
 ジョーカー・キムラはそれだけ言うとテレビ電話を切った。あなたは黄金の剣を持って再びアパートを出ると、自動走路を使って言われた通り公民館に向かった。
 街は阿鼻叫喚の巷と化していた。ミノタロウス軍団の宇宙船が編隊を組んであちこちに爆撃をしかけ、周囲はまるで火の海だった。人々は悲鳴を上げながら自動走路の上を走って街を逃げ出した。あなたは爆撃に注意しながら火の海の中を体を縮めるようにして駆け抜ける。時々火だるまになった人間の死骸が原形をとどめないまでに破壊しつくされた建造物の間に転がっている。
 ようやく爆撃がいくらか弱まったかと思える頃、あなたは大通りの中央に茫然と佇んでいる一人の老人に出くわす。
「一体、この騒ぎは何なのです」あなたは老人に尋ねる。「私には全くわけが分からないんですよ」
 しかし老人は何も答えず、口元に無気味な微笑をうかべるばかりだった。あなたは老人の肩をゆさぶってみる。すると老人は腹ばいに倒れ、そのまま微動だにしない。老人の背中からはとめどなく血が流れている。
 あなたはすっかり仰天してその場を去ると、再び公民館目指して全力で走った。
 公民館の入口のところにあなたはポータブルテレビの自動販売機を見いだす。一番安い手の上に載るポータブルテレビを買うと、あなたは早速スイッチを入れる。
「大魔王ミノスの率いるミノタロウス軍団が地球連邦に宣戦布告しました」ディスプレイにうつった若いアナウンサーが声を震わせながらニュース記事を読み上げる。「大魔王ミノスは無条件降伏を地球連邦に要請しています。これに対し地球連邦の大統領は……」
 あなたはチャンネルを切り換える。しかしまたこの局でも同じニュースをやっている。どうやら今はどこの局でも同じ臨時ニュースをやっているのだろう。あなたはそう思い、また最初の局にチャンネルを戻す。
「さて、この後コマーシャルに引き続き、同じニュースのその後の経過をお伝えします」
 アナウンサーはハンカチで額を拭いながら言った。やがてディスプレイには木村ソフト社のコマーシャルがうつし出される。ジョーカー・キムラが発売中のND『スーパーテセウスの冒険』を愛想のいい笑顔で熱心に宣伝する。
「より面白い擬似体験ゲームを目指す木村ソフト社が自信を持ってお薦めします。さあ、あなたはアテネの王子スーパーテセウスです」ジョーカー・キムラが言った。「恐竜をやっつけて絶世の美女アリアドネ姫を三人の魔女から救い出し、宇宙制覇に乗り出しましょう。スーパーテセウスは早く公民館の屋上に急ぎましょう
「何だって」あなたは唖然とする。「おい、君は私に話してるのか」
「宇宙は大魔王ミノスの毒牙によって危機にひんしています」
「何とか言ってくれ」
「宇宙を救う世紀のヒーローはあなたしかいません。今こそスーパーテセウスが立ち上がるときなのです」
 何度となくテレビの中のジョーカー・キムラに呼びかけるが一向に返事はなく、そのうちに木村ソフト社のコマーシャルが終ってしまい、今度はハンバーガーのコマーシャルが始まる。
「当社のハンバーガーはアルケリ星人の肉を使用しておりますので味はバツグン!」
 あなたはポータブルテレビのスイッチを切ってポケットにしまい込む。
 不意に背後で「ギャオー」という奇声を耳にする。振り向くと一匹の恐竜が舌からよだれを垂らしながらこちらをにらみつけている。どこからともなく軽快なテンポの音楽が流れてくる。戦闘のテーマ曲だ。さっきアパートに戻る途中聞こえた奇声は、多分この恐竜のものだったのだろう。あなたは黄金の剣を振りかざし、敢然と恐竜に立ち向かう。やがてあなたは恐竜の首をはね飛ばす。
“オメデトウゴザイマス プラス10点”
 頭の中でまたしても金属音が鳴り響く。
 まだ血の滴る黄金の剣を上着に隠し、あなたは公民館に入ってエレベーターに乗る。
 公民館の屋上は高い柵で四方を囲まれ、灰色のコンクリートの床が単調に広がっているばかりで驚くほど殺風景だ。人影は全く見られない。あなたは屋上の東の隅に奇妙な物体を見いだす。銀色の流線型をした宇宙船のような代物で、側面に丸いガラス窓がついている。あなたは好奇心にかられ、その奇妙な物体の方に恐る恐る歩み寄る。俺はどこかでこの宇宙船を見たことがある。あなたはそう思い、どこで見たのか思い出そうといろいろ記憶を探ってみる。しかしどうしても思い出せず、結局気のせいなのだと一人で合点する。はじめて経験するはずなのに、以前どこかで経験したかのような錯覚に陥ることがよくあるものだ。そういう錯覚を心理学では既視感デジャブーと呼んでいるらしい。あなたは宇宙船のところまで行き着くと、側面の丸いガラス窓の中を覗き込む。するとガラス窓の向こうに赤い宇宙服を着た人物が佇んでいて、じっとこちらをにらみ返してくる。あなたはこの人物の顔を見て思わず叫び声を上げる。何故ならその人物は外ならぬあなただったのだから……。
 突然あなたの周囲にある一切の事物の色がうすくなり、だんだん透明になっていく。遂に世界は透明な空間が無限に続くばかりになり、あなた自身ももはや肉体を持たない意識だけの存在となった。そこでは時間は静止し、電子は原子核の周囲を回るのをやめ、エネルギーは消滅して絶対零度に到達した。過去と現在と未来の区別がなくなり、あらゆる自然現象の法則は崩壊し、公理体系さえも成立しなくなった。一切の事物が存在しなくなると同時に一切の事物が存在していた。あなたは無限に続く果てしない透明な空間の中央に、赤く光る炎のような球体を見いだす。それは想像を絶する神秘的な未知なる存在のようであった。
「ヨウヤク目ヲ覚マサレマシタネ」
 炎のような球体が話した。いや、言葉を話したのではなく直接あなたの思念に語りかけてきたのだった。
「一体、ここはどこなんだ」
 もはや意識だけの存在となったあなたは、炎のような球体に思念で語りかけてみた。向こうが思念で語りかけてきた以上、こちらから思念を送っても相手に通じるに違いない。口がないので言葉で意思伝達する手段を完全に失っているあなたは、咄嗟にそう思いついたのだ。
「シバラクシタラアナタハ一切ヲ思イ出サレルデショウ」
「どういうことなんだ。私はこんなところには一度も来たことがないはずだ。さあ、教えてくれ。ここはどこなんだ」
 あなたは頭の中で球体に叫ばんばかりに思念を送り続ける。しかしもう相手は思念を送り返してはこない。仕方なくあなたは追憶を試みる。
 途方もなく長い時間が経過する。自分はもうかれこれ一億年はこうやって追憶を試みていたのではないだろうか。いや、時間など全く経っていないはずだ。だいたい時間そのものがこの宇宙には存在しない概念なのだ。正確に言えば時間も空間も元来どこにも存在しないはずの概念で、それをあたかも存在するかのように意識が錯覚することではじめて時間や空間は認識されるのだ。
「思イ出サレタヨウデスネ」
「ああ、だいたい思い出したとも」
「アナタハ」炎のような球体は今度は雄弁に思念を送ってくる。「コノ宇宙ニオケル唯一ノ“存在者”ダッタ。アナタ以外ノ何物モコノ宇宙ニハ存在セズ、アナタ自身ガ宇宙ソノモノダッタ。アナタハアルトキ自ラノ意思デ私ヲ創造シタ。アナタハ私ヲ“創造者”ト呼ビ、私ニ宇宙ヲ創造スルコトヲ命令シタ。私ハ宇宙ヲ創造シタ。ソノ宇宙ハ時間ガ逆行シテイテ未来カラ現在、現在カラ過去へ向カウ世界ダッタ。同一ノ空間ニハ複数ノ物体ガ同時ニ存在スルコトガ可能ダッタ。アナタハコノ宇宙ガ不満ダッタ。アナタハコレヲ破壊スルヨウニ命ジ、私ハ命ゼラレタ通リノコトヲシタ」
「その通りだ」あなたの意識は思念を送った。
「そして私は今度は宇宙を創造するのではなく、私に宇宙という現象を知覚させるようにお前に命じたんだ。ただ今度の宇宙では時間と空間の性質が前の宇宙の場合とは根本的に異なるようにすることを私は望んだ」
「ソウデス。私ハアナタカラ記憶ヲ消シ、アナタノ意識ニ架空ノ現象ヲ投影シタ。アナタハ“存在者”デアルコトヲ忘レ、自分ガ生マレル前カラ世界ガ存在シテイルカノヨウニ認識シタ。本当ハアナタシカ存在シナイノニ、アナタノ五感ニ訴エル擬似現象ハ、アナタ以外ノ存在ヲアナタニ納得サセタ。アナタハ地球トイウ惑星ノ日本トイウトコロニ生マレ、擬似体験げいむノぷろぐらまあトイウ職業ニ就ク。トコロガコレラハスベテ架空ノ出来事ナノダ。アナタハ子供ノ頃学校ノ歴史ノ時間ニ、西暦一九九九年ニ第三次世界大戦ガ勃発シタト教ワル。シカシソンナ戦争ハ元々ナカッタノダ。ソレバカリカ戦争トイウ概念スラ本当ハ存在シナイ。歴史ハイワバアナタノ誕生ト共ニ始マリ、アナタノ死ト共ニ終ワル運命ニアッタノダ。ソシテアナタガ“存在者”トシテ目覚メタ今、コレマデアナタノ意識ニ投影シタ架空ノ世界ハ幕ヲ閉ジタノダ」
 あなたは何かしら名状し難い虚無感に苛まれる。妻の清美も息子の秀夫も両親も親しい友人たちも実はこの世に存在しなかったと言うのか。俺は確かに清美の姿を見、声を聞き、体に触れた。しかしそれだけでは清美が存在していることにはならない。俺は清美の姿を見たように錯覚し、声を聞いたように錯覚し、体に触れたように錯覚していたと言うのか、俺の人生の一切は、“創造者”の作り出した幻想だったと言うのか。木村ソフト社も擬似体験ゲームも地球連邦も、俺の人生におけるあらゆる現象はみんな架空の夢物語だったと言うのか。
 意識だけの存在であるあなたは透明な空間が無限に続く世界の中で一人黙々と思索を続ける。あなたは存在と無について、生と死について、その他諸々の哲学的問題について考察し、十億年かかって一つの思想体系を作り上げる。いや、ここにはもはや時間が存在しない以上、十億年も一秒もすべて同じなのだ。あなたは自分が存在を続けるべきか否かについて最終的な結論を導き出す。あなたは遠い昔を思い出す。擬似体験ゲームを始めたとき、ジョーカー・キムラが教えてくれたゲームを途中でリタイアする方法……。
「ソレダケハイケマセン。オ願イデス。ソレダケハヤメテ下サイ」炎のような球体が十億年ぶりにあなたに思念を送ってくる。だがあなたは一向に頓着せず、SUICIDEキーを入力する。

003


 あなたはかつてない長い夢から覚める。あなたの視界には広大な赤い砂漠の荒野がぼんやりとうつる。周囲は地平線で丸く囲まれている。
「やっと起きたのね」アリアドネ姫が吐息をもらしながら言った。「もう二千年は経っているかも知れないわ」
「一体、ここはどこなんだい」あなたは尋ねた。「どうして私はこんなところにいるんだろう」
「陛下はブラックホールに吸い込まれたんですよ」白髪の浦島太郎が言った。「覚えていませんか。もう二千年も前のことですが、突然赤い亀裂が宇宙を走ったでしょう。あのとき陛下は間違ってブラックホールに吸い込まれたんです」
 あなたは追憶を試みる。確かに言われてみればそんなことがあった気がしないでもない。
「どうやって私は助かったんだい」
「陛下がブラックホールに吸い込まれると我々はすぐ火星基地に直行しました。そして重力ビーム砲をブラックホールに照射し続け、二千年がかりで陛下を引き上げたのです」
「じゃあここは火星なんだな」
「そうです。火星基地はここからすぐのところにあります」
 あなたはおもむろに立ち上がり、服についた土を払い落とす。
「どうして君はそんなに白髪が増えたんだい。まるで玉手箱を開けたみたいじゃないか」
「あれからもう二千年も歳月が流れているのです。白髪が増えるのも当然でしょう。陛下と皇后様はかつて三人の魔女から不老不死の薬を奪ってお飲みになりました。だからお二人は少しも年をめされていないのです」
「そうか」あなたは浦島太郎にいささか憐憫れんびんの情を覚えながら言った。「とりあえず、火星基地に戻ることにしよう」
 すると突然大魔王ミノスと二匹のミノタロウスが空から降りて来て三人を取り囲んだ。ミノタロウスは大魔王ミノスに仕える大量生産タイプのアンドロイドで、首から上が牛で首から下が人間という不気味な恰好をしている。大魔王ミノスは右目にドクロマークのついた眼帯をしている。
「俺の右目をよくも潰してくれたな。今度はお返しにお前の息の根を止めてやるぞ」大魔王ミノスはピカピカ光るマントを風になびかせながら、両刃の斧を荒々しく振り回した。
「陛下、がんばって下さい」浦島太郎はあなたに黄金の剣を差し出した。「アトランティス帝国の興亡はすべてこの戦いにかかっております」
 あなたは黄金の剣を受け取る。しかしあなたはどういうわけか戦う気力が起こらない。あなたは黄金の剣を地面に投げ捨てる。
「どうしたんですか、陛下」
 しかしあなたはそれには答えず、無言のまま佇んでいる。怒りとも絶望ともつかない名状し難い感情が徐々に湧き起こる。
「どうして私は戦わなければならないんだ。戦う意味などないではないか。意味のない戦いなんて私は嫌だ」
「陛下、気は確かですか」
「確かだとも。なあ浦島太郎、教えてくれ。何故私はミノスと戦わなければならないんだ」
「ゲーム得点を稼ぐためです」
「じゃあ何故私はゲーム得点を稼がなければいけないんだい」
 浦島太郎は口をポカンと開けて絶句した。
「決まってるじゃないの」アリアドネ姫が口をはさんだ。「だってそういうものなのよ。とにかくあなたはゲーム得点をいっぱい稼がなくっちゃいけないのよ」
「どうしたんだ。怖じけづいたのか」大魔王ミノスは鷹揚に言った。「そんな下らないことに悩み始めたら、もうお前の敗北は決定したようなものだぞ」
 あなたは肩をがっくりと落とす。するとどこからともなく虚無的なメロディーが流れてくる。それを聞くとあなたは対象のない憎悪の念をますます燃え上がらせる。一体、このBGMは何なのだ。俺の人生はゲームか芝居に過ぎないとでも言うのか。俺は何故ゲーム得点を稼がなければならないのか。どう考えてもこれは馬鹿気ている。俺は今までこんなことを思い悩んだことはなかった。ゲーム得点を稼ぐことは俺の当然の天命であって、周囲の誰もがそれを認め、周囲の誰もがそれにいささかの疑問も抱かなかった。だがゲーム得点を稼いだところで、そこに何の意味も見いだせないではないか。俺の真の存在理由は何なのか、一体俺は何のために今ここでこうして生きているのか。すると強烈な金属音が突然脳裏に鳴り驚き、あなたは思わず頭を抱えてその場にうずくまる。
“ソレヲ考エルコトハ許サレマセン”
 不意に一匹のミノタロウスがしびれを切らしてアリアドネ姫に躍りかかる。アリアドネ姫はミノタロウスの槍の一撃を受け、胸を血に染めて砂漠に倒れる。
「アリアドネ!」あなたはそう叫んでアリアドネ姫を抱き起こす。しかし彼女はもう微動だにしない。悲し気なメロディーが流れる。あなたは反射的に黄金の剣を拾い、仇とばかりにミノタロウスに襲いかかる。両者はしばらく何回か切り結んでいたが、そのうちに隙をついたあなたの剣がミノタロウスの首をはねる。
“オメデトウゴザイマス プラス3点”
 ちくしょう、俺はゲーム得点が欲しくて戦っているわけじゃないんだ。いつの間にかBGMは聞き慣れた軽快なテンポの音楽に変わっている。戦闘のテーマ曲だ。あなたはもう一匹のミノタロウスに戦いを挑み、すぐさま相手を倒してしまう。
“オメデトウゴザイマス プラス3点”
「今度はお前の番だ」あなたは大魔王ミノスを威嚇するようににらみつける。「いいか、今度こそお前を倒してやる」
「面白い」大魔王ミノスは両刃の斧を身構える。「口をきくのも今のうちだ。せいぜいほざくがいい」
 あなたは勢いよく黄金の剣を大魔王ミノスの胸に突き刺す。大魔王ミノスはそれを両刃の斧でしっかりと受け止める。黄金の剣と両刃の斧はあまりに激しくぶつかったせいか、鋭い金属音を火星の荒野にこだまさせて両方とも折れてしまう。
「しまった。この勝負はおあずけだ」大魔王ミノスは悔しそうな顔でピカピカ光るマントを広げると、大空に舞い上がって宇宙の彼方へ姿を消した。
「さあ、早く火星基地へ戻りましょう」浦島太郎が言った。「早く戻って皇后様のお手当をしなくてはなりません」
「何だって?」あなたは叫んだ。「アリアドネはまだ生きているのか」
「はい。どうやら槍はかろうじて心臓の横を貫通したようです。幸運にも皇后様は一命をお取り留めになられました」
 あなたはぐったりとなったアリアドネ姫に駆け寄り、抱き上げた。
「大丈夫か」あなたはやさしく尋ねた。
「ええ」アリアドネ姫は言った。「どうにか助かったようね」
「さあ、早く戻りましょう」浦島太郎が言った。「火星基地はこっちです」
 浦島太郎が半分走るようにして火星基地へ向かう後を、アリアドネ姫を抱きかかえながらあなたはゆっくりと付いて行く。
「傷は痛むか」あなたはアリアドネ姫の髪をなでながら言った。「私はもうお前が死んだかと思ったよ」
「嫌だわ」アリアドネ姫は微笑した。「そう簡単に死んでたまりますか」
 二人は声をたてて笑った。
「愛してるよ」あなたはアリアドネ姫の額にそっと唇を触れる。
 どこからともなくロマンチックなBGMが流れてくる。あたかも二人の愛さえもゲームか芝居の世界における虚偽の遊戯でしかないことを冷酷にあばきたてるかのように……。

 そこは宇宙の果てとでも言うべき空間の極限だった。そこでは時間の流れはねじ曲がり、多次元の世界が無限に交錯していた。黒い巨大な鉄の球体がうかんでいる。球体にはたくさんの穴が開いていて、どの穴も一度入ったら二度と出られない複雑な迷路に続いている。大魔王ミノスとミノタロウスたちはこの球体に住んでいた。彼らはこの球体を人工恒星“ラビュリントス”と呼んでいた。今まで宇宙の恒久平和を願う無数のテロリストたちが大魔王ミノスの暗殺を企てこの球体に忍び込んだのだが、誰一人として生きて帰って来た者はなかった。
 人工恒星“ラビュリントス”の中心部に大魔王ミノスの謁見室はあった。黒い天井。黒い絨毯。黒いシャンデリア。部屋中の一切が黒に統一されていた。大魔王ミノスは黒い安楽椅子に深々と腰かけ、黒い葉巻をくゆらしている。
「大魔王様、申し上げます」一匹のミノタロウスが部屋に入って来て大魔王ミノスの前にひざまずいた。
「我々研究班の調査の結果、驚くべき事実が判明いたしました」
「ほお、どんな事実かな」
「この宇宙は現実のものではないという事実です。この宇宙は実は擬似体験ゲームのために創造された架空のものなのです。この宇宙に本当に存在するのはただ一人の人物の意識で、他の一切の事物は存在していないのです。もちろん我々も存在していません。その一人の人物の意識が存在していると錯覚する限りにおいてのみ、その人物に対する現象の一部として我々は存在しているに過ぎないのです」
「まさか、そんなことが……」
「ところが本当なのです。我々は存在していません。ただ存在しているかのように、その人物の現象において行動するだけなのです。いいですか」
「それで、その存在している唯一の人物というのは一体誰なのだ」
「それは大魔王様が最も忌み嫌っている敵でございます」
「なんだと。ではまさかあのスーパーテセウスがこの宇宙に唯一存在していると言うのか。そんなことがあってはならん。実にけしからんことだ」
 大魔王ミノスは黒い葉巻を床に叩きつける。
「つまり俺たち二人は」大魔王ミノスは怒りで全身をぶるぶる震わせながら言った。「ここでこうして会話をしているが本当は存在していないのだな。つまり俺たち二人には意識がないわけだ。そのかわり俺たちの肉体の虚像はまるで意識があるかのように活動するわけだ。例えば今この俺の顔を見ろ。誰が見ても怒りと恐怖で逆上しているかに見えるだろう。ところがそうではないんだ。俺は逆上なんかしていない。と言うより逆上する俺の意識などどこにも存在していないのだ。ただ意識のある存在であるかのように意識のない肉体が行動するだけなのだ。いやこの肉体とて存在していない。ただスーパーテセウスに対して存在しているかに見えるだけなのだ。俺たちがもし存在するとしたらそれは一つの刺激でしかない。スーパーテセウスの脳波を刺激して、架空の虚像をスーパーテセウスに認識させるという意味での刺激だ」
「その通りです」
「しかし一つだけ疑問がある」
「どういう疑問ですか」
「もし俺たちが存在しないのなら、何故俺たちはここでこうして会話をしているのだろう。スーパーテセウスが見ていないところでこんな風に俺たちの虚像が活動すること自体不合理ではないか。スーパーテセウスが知覚する場所でのみ、俺たちの虚像ははじめて存在すべきなのだ。そうではないかね」
「確かにおっしゃる通りです。しかし大魔王様、我々がここでこんな風に会話をしているのは実際この場所にスーパーテセウスが来るか来ないかにかかわらず、ゲームを始める以前にあらかじめスーパーテセウスがこの場所に来るという可能性のために用意されているのです。ちょうど客が一人もいないたくさんの映画館があって、そこですべて映画が上映されていると考えて下さい。スーパーテセウスはたくさんの映画館の中から一つ選んでそこの映画を見るのです。残りの映画館は結局映画を上映する意義を持たないのですが、それでも映画は上映しているのです。この大宇宙の中でスーパーテセウスが直接知覚する事物はほんの一部分に過ぎません。残りの部分はスーパーテセウスに知覚されることなく、それでも存在しているのです。スーパーテセウスに知覚されない限り何の意味も持っていない架空の虚像が、この宇宙には無数に存在しているのです。そうした無数の存在のうちの一つが今の我々なのです」
「いや、俺たちは存在していないんだ」
 するとそこへもう一匹のミノタロウスが入って来て、大魔王ミノスの前にひざまずいた。今までいた方のミノタロウスは深々と大魔王ミノスに頭を下げ、その場を退いた。
「ようやく完成しました」新しく入って来たミノタロウスはそう言って長い銀の棒を大魔王ミノスに献上した。「これが両刃の斧にかわる新しい大魔王様の武器でございます」
「なるほど」
「その棒の柄のところに赤と青のボタンがついてございます。その赤い方を押してみて下さい」
 大魔王ミノスは言われた通りボタンを押してみる。すると銀の棒の先端にレーザー光線が飛び出し、二枚の刃の形を作る。
「いかがでしょう」ミノタロウスは得意気に言った。「このレーザー斧は従来の斧よりも破壊力があります。そしてこの斧にはもう一つ仕掛けがしてあります」
「どういう仕掛けかな」
「青いボタンを押しながら円を描くように一振りすると空間が裂けます。そして斧を中心とする周囲二メートルのところにある物体は別の次元へ跳躍します。つまり大魔王様の体が別の次元へ跳躍するわけです」
「それでどうなるのだ」
「別の次元へ跳躍したらすぐ今度はやはり青いボタンを押しながら反対の方向に斧を一振りして下さい。そうしたら大魔王様はまた元の世界に戻って来ます。ただそのとき大魔王様の体は三十倍ほど拡大しているのです」
「そいつはすごい武器だ」
「ただ注意しなくてはならないのは、円を描くように斧を一振りするとき、途中で一回斧をひねるように持ち替えて下さい。ちょうどメビウスの輪を描くようにするわけです」
「この人工恒星“ラビュリントス”と同じように、トポロジーの原理を応用したわけだな」
「そうです。使い方を研究すれば、これは無限の用途を持った武器と言えます。今のところまだ開発していませんが、斧を複雑に振れば空間移動や時間移動も可能でしょうし、更には敵を別の次元へ追い払うこともできるかも知れません。今我々武器製作班は、全力を挙げてレーザー斧の使い方を研究しております。新しい用途は開発次第、大魔王様にお知らせします」
「よろしい」大魔王ミノスは満足気に何度もうなずいた。「しかし俺たちは存在しないのだ。存在しない俺たちが存在するスーパーテセウスを倒さねばならぬとは。いやはや大変なことだ。俺は煩悶する。しかし俺は煩悶していない。何故なら俺は存在しないからだ。俺がもし存在していたら煩悶したに違いないやり方で、今俺の虚像は煩悶の演技をしているだけなのだ」
 人工恒星“ラビュリントス”にはまた一人地球人のテロリストが侵入する。彼は百億年前の一万光年離れた地点に跳躍してしまう。そこは豊かな自然と資源に恵まれた惑星で、爬虫類から進化した高等生物が文明社会を築き上げていた。彼らには三種類の性があり、この三種類が一組みになってはじめて生殖が可能になるのだった。高等生物である彼らにはもちろん、それに先立ちそれを超越する高潔な感情としていわゆる恋愛があった。地球人のように男性と女性の二種類の間に通う恋愛に比べ、彼らの三種類の性の間に通う恋愛ははるかに複雑で切なく美しく、そして苦悩に満ちていた。彼らは地球人より高尚な恋愛の感情を表現する手段として、地球人より優れた芸術を作り上げた。嗅覚や触覚に訴える時間芸術のジャンルが最も著しく発達した他、膨大な叙事詩の創作も活発だった。最も有名にして最も長い叙事詩は宇宙の誕生から衰退までを科学的洞察力に基づいて美しい韻文で謳い上げたもので、読み終えるのに地球人の時間で二百年かかると言われていた。
 だが、このようなすばらしい文明もあなたがそれを知覚しない限り、全くの無に等しい存在なのだ。宇宙を隈なく眺めるには宇宙はあまりに広大すぎ、あなたの視界はあまりにちっぽけだ。あなたが遂に知ることのなかったすばらしい出来事は、一体この宇宙にいくつあるのだろうか。あるいは星の数より多いかも知れない。

004


 アトランティス帝国火星基地の地下工場では大魔王ミノスとミノタロウス軍団を壊滅させるための秘密兵器がもうすぐ完成するところだった。
 身長五十メートルはあろうかと思われる巨大なサイバーロボットの胴体に、今左右三本ずつ腕が取り付けられようとしている。
 火星基地の司令室ではパネルスクリーンにうつったサイバーロボットの出来上がる過程をスタッフの誰もが見守っていた。
「このサイバーロボットはどうやって動かすのかね」あなたは尋ねた。
「このロボットに陛下の意識を没入させて、陛下がリモートコントロールするのです」金太郎はそう言って司令室の隅にある奇妙な金属性の椅子を指さした。「あの椅子がリモートコントロール用に開発されたものです。陛下はあの椅子にお坐りになって、サイバーロボットに意識を没入させるのです。つまり、サイバーロボットに意識を没入しているときは、いわば自分がサイバーロボットそのものになるわけです」
 あなたは何度もうなずいてみせる。あなたは司令室の中央に備え付けられたガラス張りのアルケリ星人培養容器の方へ何気なく足を向ける。この火星基地には巨大なアルケリ星人の栽培場があるのだが、司令室に備え付けられたこの容器は、いわば栽培の技術や品種改良などを研究するための実験場だった。
「新しい照明の開発は進んでいるかね」あなたは容器の側で制御卓コンソールのキーを叩いている桃太郎に尋ねる。
「なかなか難しいですね。アルケリ星人は光の波長や照射時間や熱加減で繁殖率がかなり違ってきますからねえ」
「可視光線より赤外線の方が繁殖率が高まるというのは本当かね」
「ええ、実験のデータから明らかにそう言えますね。逆に紫外線にすると可視光線より落ちるようです。また放射線をある角度から照射すると繁殖率に驚異的な影響を及ぼすことが確かめられています」
「新しい照明はどれくらいで完成できそうかね」
「そうですね。だいたい火星時間で後一年、つまり火星が公転を一周終える頃に完成する予定です」
「かなりかかるんだなあ」あなたは言った。「ところで遺伝子の組み換え装置による品種改良の方はどうなったのかね」
「そっちの方はもっと時間がかかりそうですよ。火星時間で二年くらい先になると思います」桃太郎はそう言いながら制御卓コンソールを巧みに操作して、マジックハンドを動かしていた。マジックハンドは容器の中のアルケリ星人を一匹捕らえてその体を引き裂くと、肉片を容器の内部に取り付けられたクッキングボックスAM―277に投入する。しばらくすると制御卓コンソールの下から黄色い包装紙に包まれたハンバーガーが出てくる。
「陛下、お一ついかがですか」桃太郎はあなたにハンバーガーを差し出した。あなたは無言のまま受け取り、何気なく包装紙に印刷されたコピーに目を通す。

あなたは今擬似体験ゲームの世界にいます。これは現実の世界ではありません。

 あなたは包装紙をくしゃくしゃに丸めて無造作にポケットに突っ込む。するとあなたの手は何やら硬い物に触れる。取り出してみるとポータブルテレビだ。テレビのスイッチを入れるとニュースをやっている。
「地球連邦の中央政府は大魔王ミノスに対し、無条件降伏を宣告しました」アナウンサーは平静な声で記事を読み続ける。「大魔王ミノスは地球連邦がミノタロウス政治委員会に全権を制限される旨を定め、地球連邦との友好的共存を望むと発表しました」
「そんな馬鹿な」あなたは思わず叫ぶ。
「その地球連邦というのは何なのですか」いつの間にか浦島太郎が側にいて、あなたの手の上のポータブルテレビを覗き込んでいた。
「地球は我々アトランティス帝国が統治しています。地球連邦などという政府は存在していないはずです」
「以前君に話したことがあるだろう」あなたは言った。「これが例の私が夢の中で見る世界なんだ。そこでは地球には地球連邦という統一政府があるんだ」
「スタジオには大魔王ミノスさんに来て頂きました」アナウンサーは言った。ディスプレイにはアナウンサーの隣に大魔王ミノスの姿がうつっている。「これからの政治方針についてお話をうかがいたいのですが、まずミノスさんのおっしゃった地球連邦との友好的共存について具体的にどのようにお考えですか」
「そうですね」大魔王ミノスは言った。「地球人とミノタロウスは相互の友好的共存を大切にすべきだと思います。お互いに助け合う精神こそ宇宙平和の恒久の理念に基づく第一歩だと思います。我々は地球を他の天体からの侵略から守り、地球人は我々に食糧を提供する。これが私の言う友好的共存に外なりません。我々の軍事力は宇宙最強ですからねえ。必ず地球を守って見せますよ。地球のみなさん、どうかご安心ください」
「ところで地球人は一体どうやってミノタロウスたちに食糧を提供できるのでしょうか。私たちはミノタロウスが何を食べて生きていくのか知らないんです」
「簡単なことですよ。地球人の肉は我々の味覚に合っていることが分かりました。つまり地球人そのものが我々の食糧となるのです」
「ではあなたたちは私たちを食べてしまうのですか」アナウンサーは悲鳴に近い声で言った。
「そうです。特にあなたたちの肉を焼いてハンバーガーにすると最高においしいのです」
「信じられません」浦島太郎が言った。「陛下の夢の世界のニュースが現実の世界のテレビに届くなんて」
「いや、夢の世界なんかじゃなく、これはもう一つ別の次元の世界なんだろう」あなたは言った。「あるいはこのニュースの世界こそが現実で、今我々がいるこの世界の方が夢なのかも知れない」
「では次のニュースです」アナウンサーが言った。「今日未明、第二百六十一公団アパートの一万二千三百四十五号室で主婦と小学生の男の子のバラバラ死体が発見されました。殺されたのは……」
 ディスプレイには清美と秀夫の顔がうつる。あなたは思わず息を飲む。
「警察は、行方不明になった夫の犯行と見て捜査を進めています。この男は擬似体験ゲームのやり過ぎで精神分裂症的な傾向にあったことが……」
「何ということだ」あなたは床にポータブルテレビを叩きつける。ポータブルテレビは粉々に砕け、機械の部品が床に散らばる。
「どうなさったのです」浦島太郎が驚愕して叫んだ。
「いや、何でもないんだ」
 あなたは長い間、無言のままその場に佇んでいた。

 サイバーロボット“ヘラクレス一号”が完成すると早速あなたは金属製の椅子に坐り、ヘッドホンをつける。
「いいですか」サイバーロボットの開発主任である六本の腕を持ったバルバル星人が言った。サイバーロボットに六本腕がついているのも、開発主任が自分の肉体に似せて作ったからなのだ。「ヘッドホンはきつくないですね」
「大丈夫さ」あなたは答えた。
「意識を没入中はキーンという耳鳴りが絶えず頭の中に聞こえ、少しフラフラします。サイバーロボットは六本腕がついていますので、二本しか腕をお持ちでない陛下にははじめは少々不自然な感触がするでしょう。でもしばらくすれば慣れると思います」
「そうか」
「ではスイッチを入れますよ」開発主任は椅子の横のスイッチを入れる。あなたは徐々に気が遠くなっていく……。
 気がつくとあなたの意識は既にサイバーロボットの体内に没入していた。何かもう一つ意識がはっきりせず、まるで半分眠りかけているような奇妙な気分だった。キーンという音が頭の中に鳴り響く。体を動かそうとしてみると、脇腹に未だかつて経験したことのない何とも名状し難い感触がある。自分には腕が六本あるのだ。六つの手の指を順番に曲げたり伸ばしたりしてみる。まるで二本足で立つことを覚えたばかりの幼児がよちよち歩きをするように、実に不器用にしか動かせない。
「具合はどうですか」地下工場の天井のスピーカーから金太郎の声が聞こえてくる。あなたは天井の方を見ようと顔を上げる。するとはじめて自分には目が三つついていることに気づく。額に第三の目がついているのである。二つの目だけで物を見ていた意識を没入する前に比べ、より立体的に事物を把握できるようになった気がする。
「どうも変な感じだよ。でもそのうちに慣れると思う」あなたは言った。「どうやってこの場所を出たらいいんだい」
「今天井のハッチを開きますから、外へ飛んで出て下さい」金太郎の声は言った。「いいですね」
「外へ飛ぶのか。鳥じゃあるまいし、私は飛べないぞ」
「いいえ、サイバーロボットにはロケット噴射装置が備え付けてあります」
「でもどうやって飛んだらいいんだい。私はロケット噴射の使い方なんか知らないんだ」
「それは陛下ご自身が一番よく知っているはずです。私の方が知らないくらいです」
「何てことだ」
 天井のハッチがゆっくりと開く。あなたは背中を叩いたり全身を揺すったりいろいろ試してみるが、ロケット噴射装置は一向に作動しない。あなたはしばらく途方に暮れていたが、ふと感覚的に飛んでみようとする。すると背中から火が噴き出し、あなたの体は離陸する。どうやらサイバーロボットの操縦方法は、頭で知らなくとも体の方が知っているらしい。
 火星基地の地下工場を脱出すると、あなたはロケット噴射の出力を更に上げ、大気圏外へ飛び出した。あなたは星々のきらめく無限の大宇宙を悠然と駆け抜ける。実に爽快な気分だ。あなたは頭上に取り付けられたレーダーを使って人工恒星“ラビュリントス”を探す。何万光年もの彼方にそれはあった。あなたは背中のロケット噴射装置をしまい、かわりに光子力エンジンを作動させ、人工恒星“ラビュリントス”に向けて出発する。あなたは光のスピードで大宇宙を疾走する。体が無限に重くなったように感じる。前方の星は紫に後方の星は赤に光り、あなたはドップラー効果が正しかったことを目で確認する。
 あなたはもう何万年も光のスピードで飛び続けている。しかしあなた自身は少しも時間が経ったような気がしない。光のスピードで運動しているあなたは時間という桎梏しっこくから完全に解放されていた。
 遂にあなたは人工恒星“ラビュリントス”の手前に到着する。するとミノタロウス軍団の数百機の宇宙船が編隊を組んであなたに襲いかかる。どこからともなく軽快なテンポの音楽が流れてくる。戦闘のテーマ曲だ。あなたは六本の腕にそれぞれ一本ずつビーム剣を握り、巧みに敵を迎え撃つ。
“オメデトウゴザイマス プラス20点”
 しかしその金属音は頭の中で常に響いているキーンという音に妨害されてよく聞こえない。あなたは三つの目からX線を放射して宇宙船を透視する。様々な機械が複雑に機能的に連結しているのが見える。頭の中に備え付けられた電子頭脳は視覚的に捕らえられたデータを瞬間的に分析し、胴体の内部に備え付けられた武器工場であなたは電子頭脳が送ってくる設計図に忠実に従いながらミサイルを製造する。あなたは三つの目を照準セットに切り替え、電子頭脳が考案した対宇宙船ミサイルを口から発射する。
 人工恒星“ラビュリントス”からはとめどなく敵の宇宙船が繰り出してくる。しかしあなたはビーム剣とミサイルで次々に宇宙船を撃墜する。もう一億機は撃墜したかも知れない。
 突然この世のものとは思われない轟音と共に赤い亀裂が走り、大宇宙は二分された。あなたは半分になった宇宙空間に漂いながら茫然とするより他なかった。人工恒星“ラビュリントス”は自分とは別のもう半分の宇宙空間にあった。あなたは赤い亀裂でできた境界線を越えようとしたが、側で口を開けて待っていたブラックホールに近づき過ぎてはからずも吸い込まれてしまう。頭の中でキーンという音がますます大きく鳴り響く……。
 あなたの意識はまだぼんやりしている。あなたは夢うつつの状態で、自分が金属製の椅子に坐っているのを漠然と知覚する。自分は今火星基地の司令室にいることを思い出す。
「大変だ。サイバーロボット“ヘラクレス一号”がブラックホールに吸い込まれたぞ」金太郎が悔しそうに叫んだ。「もう一歩のところで大魔王ミノスの本拠地を攻撃できたところだったのに」
「スーパーテセウスは大丈夫なんでしょうね」
 アリアドネ姫が心配そうに言った。
「大丈夫ですよ」浦島太郎が言った。「ほら、陛下御自身はあの金属製の椅子にお坐りになっているじゃありませんか。もうすぐ意識を取り戻されますよ。今だって半分は取り戻しかけていますよ」
 すると司令室に銀色の制服を着た数人の男が不作法に入ってくる。
「突然お邪魔して申し訳ない。私たちはこういう者です」数人の男のうち一人が警察手帳を見せた。「実は、妻と子供を殺して死体をバラバラにした凶悪犯を捜しているのです」
「そんな男はここにはいませんよ」桃太郎が言った。「いいですか。いかなる理由があろうともこの司令室には陛下か皇后様の許可がないと立入禁止です。お引き取り下さい」
「これは凶悪犯なのです。擬似体験ゲームのやり過ぎで狂人になった男なのです。野放しにしておくとまた新しく被害者が増えないとも限りません。どうか捜査に協力して頂きたい」
「でも規則は規則です。立入禁止です」
 しかし警官たちは桃太郎の注意など頓着せずに司令室の中を隈なく見回す。すると一人の警官があなたに気づき、ゆっくり歩み寄って来る。
「とうとう見つけたぞ。お前は死刑だ」
 あなたはだんだん意識がはっきりしてくる。するとこちらに歩み寄って来た警官の姿が突然消える。気がつくと、警官ばかりか司令室にいたすべての人間がいつの間にか消えている。いや、ここは火星基地の司令室なんかではない。自分が今坐っているのは金属製の椅子ではなく、普通の安楽椅子だ。ここは見慣れた自分のアパートの書斎で、自分は今擬似体験ゲームをやっているのだ。あなたは秀夫がテレビを激しくゆさぶっているのに気がつく。先ほど擬似体験ゲームの宇宙で赤い亀裂が走ったのは、どうやら秀夫のいたずらが原因らしい。
「秀夫、そんなことをしてはいけません」
 あなたは背後で清美の声を聞く。もうあなたはほとんど意識を取り戻しているが、まだ完全ではない。
「パパはただ遊んでいるわけではないのよ。これもお仕事のうちなんだから」
「嘘だい。擬似体験ゲームなんて子供のおもちゃだよ。早く僕にやらせてよ」
「パパが使っているときは我慢しなさい。パパはたくさん擬似体験ゲームをやってみて、そこからヒントを得て新しいゲームを作っているのよ」
 秀夫がようやくゆさぶるいたずらをやめたテレビのディスプレイには、ジョーカー・キムラの顔がうつっている。
「あなたはそうとう意識を攪乱されているようです」ジョーカー・キムラが言った。「これでは精神に異常をきたします。この液体を飲んで下さい。意識が正常に戻ります」ジョーカー・キムラは金色の液体の入ったコップを差し出す。テレビのディスプレイから突き出したジョーカー・キムラの手からコップを受け取ると、あなたはしばらく液体を飲むのを躊躇する。
「どうしたんですか」ジョーカー・キムラが言った。「早く飲んで下さい。一刻も早く飲まなくてはいけません。そうしないと手遅れになります」
 しかしあなたはなおも躊躇する。液体を飲むべきかどうか、あなたはいつまでも考え続ける……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
 さて、ここで問題です。あなたはコップの中の金色の液体を飲みますか? それとも床に捨てますか? 飲むなら005へ、床に捨てるなら006へ、それぞれGOTOして下さい。

005


 あなたが金色の液体を飲もうとすると、テレビのディスプレイから大魔王ミノスの手が出てきてコップの中にこっそり毒を入れました。そうとは知らないあなたは毒の入った液体を飲んでしまい、死んでしまいました。あなたは志半ばにして冒険を終えることができませんでした。
 もう一度ゲームをリプレイしたい場合は、キーボードのリターン・キーを入力してから001へGOTOして下さい。

006


 あなたが金色の液体を床に捨てると、突然テレビのディスプレイから人食い巨人ハチローが飛び出して来て、あなたを食べてしまいました。あなたは志半ばにして冒険を終えることができませんでした。
 もう一度ゲームをリプレイしたい場合は、キーボードのリターン・キーを入力してから001へGOTOして下さい。

007


 おめでとうございます。あなたは遂に冒険を終え、ゴールに到達しました。宇宙の覇者となったあなたは細君のアリアドネ姫と共にいつまでも幸福な人生を送りました。
『スーパーテセウスの冒険』はいかがだったでしょうか。十分お楽しみ頂けましたか。弊社ではより面白い擬似体験ゲームを目指してスタッフ一同常に全力で努力しております。近日発売の新製品『地球脱出大作戦』を是非ご期待下さい。
 もう一度ゲームをリプレイしたい場合は、キーボードのリターン・キーを入力してから001へGOTOして下さい。

008


 目を覚ますとあなたは人工冬眠装置カプセルRW―666の中で横になっている自分を見いだす。カプセルRW―666の蓋はもう前から開けられてあるらしい。
「やっと起きたのね」キヨミがあなたの顔を覗き込むようにして言った。「一番最初に起きたのはビデオなのよ。やっぱり子供の方が先に起きるという話は本当ね。とうとううちの小型ロケットのコンピュータが人間の住める惑星を見つけたのよ。あたしたちはもうどれくらい眠ったんでしょう。ひょっとすると何万年も眠っていたのかも知れないわ」
「まさか、そんなに長くはないだろう」あなたはそう言いながら上半身を起こし、大きく伸びをする。「随分長い間夢を見ていたようだ。まるでもう一つ別の人生を生きていたような気がする」
「どんな夢を見ていたの」
「そいつは一口じゃ言えないさ」
 あなたは立ち上がってカプセルRW―666から抜け出す。まだ少し体がだるく、軽いめまいを覚える。
「ちょっと待っててね。今お茶を入れますから」キヨミはそう言って寝室を出て行った。
 あなたは寝室の窓に近づき、外の光景を眺める。紺青の宇宙空間に宝石のような光沢を放つ星々がちりばめてある。遠くで流れ星が走り抜ける。
 あなたは自分が赤い宇宙服を着ているのに気づく。遠い記憶が意識の彼方から徐々によみがえってくる。あなたが生まれたとき、もう既に第三次世界大戦は終結していた。地上は核兵器の放射能に汚染され、人々は地下都市を築いてそこで生活した。しかし放射能の汚染はだんだんと地下にまで浸透してきて地球は人間の住めない惑星になりつつあった。そこで人々は家族単位で自家用小型ロケットに乗って地球を脱出した。あなたは地球を出発したあの日のことを昨日のことのようにはっきりと思い出す。妻のキヨミと息子のビデオを連れて銀色の流線型をしたロケットに乗り、大気圏を出るまでこの窓から二度と再び見ることのない故郷の地球を万感の思いで見守っていたのだ。大気圏を脱出するとロケットのコンピュータに人間の住める惑星を探して飛んで行くようにセットし、妻と子供と共に人工冬眠装置に入って長い眠りについたのだ。そして俺は眠っている間中夢を見続けた。ひょっとすると俺は現実の人生よりも長い時間、夢の世界でもう一つの人生を生きていたのかも知れない。あなたは長い吐息をもらした。
「お茶が入りましたわ」キヨミの声が台所から聞こえてくる。
「今すぐ行く」あなたは無関心にそう言いながら、なおその場に佇んでいた。
 ふと窓の外にミノタロウス軍団の宇宙船が三機通り過ぎる。三機の宇宙船はたちまちレーザー光線によって破壊されてしまう。驚いたあなたは、窓の外を覗き込むように顔を近づける。するとアトランティス帝国の宇宙艦隊がミノタロウス軍団と壮絶な戦いを繰り広げている様子がうかがえた。今三機の宇宙船を撃墜したのは宇宙艦隊の中でも一際異彩を放っている旗艦アルゴス号だった。あなたは特殊クリスタルガラスでドーム状に覆われたアルゴス号の司令室の中を見る。するとレーザー大砲の発射台に坐っているスーパーテセウスが唖然とした表情であなたを見詰めている……。
 あなたはようやく一切を思い出した。俺はあのときあのレーザー大砲の発射台に坐っていたのだ。銀色の流線型をした不思議な宇宙船を撃ち落とそうとしたところ金縛りになり、宇宙船の窓の向こう側に赤い宇宙服を着た自分自身の姿を見いだしたのだ。
 すると突然窓の外の光景が透明になっていった。今窓の外の光景は透明な空間が無限に続き、中央には赤く光る炎のような球体が燃えている。ふと気がつくと自分は銀色の流線型をした宇宙船の外側にいて、外側から窓を覗いていた。周囲を見回すと殺風景な公民館の屋上の光景が広がっている。そうだ。俺はジョーカー・キムラの指示に従って、今公民館の屋上にやって来たのだ。
「とうとう見つけたぞ。今度こそお前の息の根を止めてやる」振り向くとピカピカ光るマントに身を包んだ光頭の男が立っている。右目にはドクロマークのついた眼帯をしている。男はマントの中からレーザー斧を取り出すと、メビウスの輪を描くようにひねりを加えながら一振りした。すると男の体は徐々に大きくなっていき、遂に身長が五十メートルを越えるくらいにまで成長した。
「大魔王ミノスとは三回しか戦えません。今までに既に二回戦っていますから、今度が最後の戦いになります」自分の左の肩の上で声がする。首を声のする方向に向けると、小人になったジョーカー・キムラが肩の上に載っている。
「どうして君はそんな小人になってしまったんだい」
「いや、僕が小人になったのではなく、あなたが巨人になったのです。あなたは今サイバーロボット“ヘラクレス一号”の中に意識を没入しているのです」
「そんな馬鹿な」あなたはそう言って自分の体を確かめる。すると驚いたことに自分には腕が六本ある。頭の中でキーンという耳鳴りがする。この金属製の肉体は間違いなくサイバーロボットのものだ。いつの間にか自分が大魔王ミノスと互角の大きさになっているのに気づく。銀色の流線型をした宇宙船はまるで子供のおもちゃのように足元に小さく転がっている。
「よし、これが最後の戦いになるんだな」あなたは六本の腕に一本ずつビーム剣を握る。どこからともなく軽快なテンポの音楽が流れてくる。戦闘のテーマ曲だ。あなたは勢いよく大魔王ミノスに飛びかかり、先制攻撃をしかける。
 自分が一体誰であるにせよ、現実が一体どんなものであるにせよ、与えられたゲームをただがむしゃらにやるしかないのだ。あなたは大魔王ミノスと死闘を続けながら心の中でそう思う。自分は何故ゲームをしなければならないのか、ゲームをやることに一体どんな意味があるのか、そんなことを考える必要はないはずだ。考えたところで何ものも生み出せないし、そんなことを考える余裕があるなら、どうやって敵を倒すか、どうやってゲームに勝つかを考えた方が利口というものだ。もしそれが嫌なら、後はSUICIDEキーを入力するしか道は残されていない。





底本:「脳細胞日記」福武書店
   1989(平成元)年6月15日第1刷発行
入力:ぐうぜんススム
校正:星野薫
2017年12月30日作成
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