わたくしはヘルン小泉八雲の次男であります。最初にお断り申し上げて置きますが、
ヘルンの作品の中には奇談怪談を取扱った物語や研究が随分沢山見出されます。「怪談」「霊の日本」「支那怪談」「異文学拾遺」など、著書の題名が既に内容を語ってゐるものはいふまでもなく、
過敏な神経と、強烈な想像力を享けて生れた彼が、其の少年時代を、精神的に淋しい環境に育てられ、青年時代には物質的にドン底生活を強ゐられるに到って、ますます現実生活の難渋から逃れて、空想の国に慰安を求めやうとし、次第に霊的の方面、怪奇の世界に対して特別の興味を覚えるやうになったといふのは、全く自然だらうと思はれます。
さて此の特質を極度に生かしたもの、完成させたものが、晩年の作――死ぬる一年前に出版された「怪談」でありまして、之には「不思議な事の研究と物語」といふ「こみだし」が附けてあるやうに、日本のあらゆる時代の、あらゆる方面の、超自然的な、不思議な話で全篇が満ちて居ります。平家の亡霊の前で秘曲を弾ずる琵琶法師の話を始めとしまして、死人を食べる餓鬼、月夜に飛び廻るろくろ首などといふグロ味たっぷりなものから、人間の魂が蝶々になる話や、柳の魂が人間になるなどゝいふ不思議なロマンス。其他雪の精が人間男の妻になる話。切られた生首が最後の念力で庭の飛石に噛付く話など、全部十七篇の物語の中にヘルンの怪談趣味は遺憾なく盛り尽された感があります。
これ等の怪談に表はれてゐる民間の信仰や俗説に対してヘルンはどう考へてゐるか。単なる猟奇的な、異国情緒的なものに心を惹かれたのではなく、いつも特別に同情のある解釈精神を以て対してゐます。ヘルンの言葉を借りますれば、「凡て迷信にせよ何にせよ、礼拝信仰といふ一般思想には、愚かな、をかしい分子などは少しもなく、何れも凡て人類が絶対無限の方向へ進まうとする真面目な、讃むべき向上心を表はしたもの」なのであります。それでヘルンはむしろ敬虔な態度で之を取扱ひ、その背後にある美しい思想や不思議な精神を眺めてゐるのです。
さてかういふ多種多方面の物語の、材料はどこから出たか、何を通じてヘルンに供給され、ヘルンのペンで改作されたかと申しますと、これは全部ヘルン夫人の口伝へによってゞあります。元来、ヘルンは日本語の知識は殆ど有って居りませんでした。日本語の研究などして居ては自分の天職を果す間に合はないといって、日常の談話の出来る程度の日本語と、片仮名、平仮名、それにほんの少数の漢字の知識で満足してゐたのですから、日本の書物の読書力は全然ないのです。それに日常の会話と申しましても夫人との間に於てのみ完全に通用する英語直訳式の一種独特の言葉でありました。
これを「ヘルンさん言葉」と名づけて居りましたが、例へば「テンキコトバナイ」といへば「天気は申し分なくよろしい」といふ意味です。それから、例へば「巖は遊んでばかりゐるから悪い。これから少しの間勉強する方がよい。」といふ意味を表すには「イハホ、タダアソブ トアソブ。ナンボ ワルキ、デス。スコシトキ ベンキョ シマセウ ヨキ。」まあこんな調子ですから、英語を知らないよその人とは中々話が出来ません。ですから立派な文学的材料を持った体験者などを見付けても、必ず夫人が間に立って通訳しなければなりませんでした。
「怪談」の材料は、夜窓鬼談、百物語、玉すだれ、臥遊奇談、
本を見ながら話してはいけないとの命令ですから、夫人は読んだ話をすっかり自分のものにして、かゝらねばならなかったのです。淋しい夜、ランプの芯を下げて夫人の怪談が始まります。薄暗い十二畳の奥座敷には話手と聴手と二人切り。裏が猛宗の竹薮で、前が石燈籠と
聴手は息を殺して、質問をする時も殊に声を低くして、如何にも恐ろしくてたまらぬといふ様子です。面白いと何回も繰返して話させる。顔色がすっかり変り眼が鋭く恐ろしくなる。だから話す方にも自然力がこもるわけです。おまけにすっかり自分の話にしてしまって語ってゐるのですから、あんまり実感的で、話手の方が参ってしまふんです。こんな気味の悪い二晩三晩が此の化物屋敷をつゞけて訪れると、夫人はとう/\恐ろしい夢に
怪談中の代表作で、ヘルンの全作品中最大傑作の一つと言はれて居ります「耳なし芳一」は、作者自身も非常に気に入った物語でした。それだけに、其の創作上の苦心のエピソードも中々面白いのですが、先づ、此の物語の解説を致すことにします。名文だと言はれてゐる箇所はなるべく原文をそのまゝ翻訳いたして申し上げます。
「耳なし芳一」の話は、天明二年に刊行された「臥遊奇談」といふ本の中の「琵琶秘曲、幽霊を泣かしむ」と題する一篇を改作したものでありまして、原文は漢文くずしの美文ではありますが、ヘルンの作の十分の一にも達しない極く簡潔なものであります。
芳一は赤間ヶ関阿弥陀寺に厄介になってゐた盲の琵琶法師であります。彼の得意とするところは壇の浦合戦平家一門入水の
女達の言葉使ひから推して、それ等が高貴なお屋敷の召使であることがわかりましたけれど、一体どこへ連れられて来たのだか見当が付きません。手を引かれていくつもの石の段々を上り、最後の石段へ来ると草履をぬげと言はれました。それから今度は女の手に引かれて、はてしも無く、拭き込んだ板の間を歩き、覚え切れない程沢山の柱を廻り、驚くほど畳数の多い広い部屋を越へて、大きな座敷の真中へ案内されたのです。芳一は大勢の人がお集りになってゐると思ひました。着物の絹ずれが森の木の葉の音のやうに聞えました。芳一は所望に応じて壇の浦の平家没落を語ってゐます。
驚くべき芳一の琵琶は、
芳一は一段の勇気を得て、ますます巧妙に琵琶を弾き平家を語ります。彼の周囲は驚嘆の余り森閑となって行きました。然し最後に芳一が、美人やか弱き者の運命――腕に幼帝を抱いて入水する二位の尼のことを物語った時、聞くもの悉く苦悶の長い悲鳴を挙げました。そして声高く吾を忘れて号泣したのです。芳一はその捲き起した悲痛の劇甚さに驚きました。暫くの間、此のむせび悲しむ声が続いたのです。
其夜芳一が此の不思議な屋敷を去る時、彼は此の夜の訪問を決して口外しないこと、又引続いて毎度ここへ来て弾奏することを誓ひました。それで彼は
けれども盲の耳には其声が入りません。一層はげしく琵琶をかき鳴らし、いよ/\一心不乱に壇の浦の合戦を語りつゞけました。漸く寺に無理やりに連れ帰られてから、住職の前に一部始終を物語るべく余儀なくされました。話を聞き終ると和尚は言ひました。「お前は実に危険な立場にある。お前は幻に
和尚はその晩、法会の為めに外出しなければならなかったので、小坊主に手伝はせて芳一の体中どこといはず、胸、背、頭、顔、頸、手足、足の裏に至るまで、一面に般若心経のお経の文句を書きつけ「これで
芳一は和尚の命令通り縁側に端座してゐましたが、前と同じ時刻になると例の武士がやって来て、荒々しい声で「芳一、芳一」と呼びます。芳一は石のやうに黙ってゐます……全身が鼓動を打って震へてゐます。武士は足音荒く、徐ろに芳一に接近して、乱暴な声で、「ここに琵琶がある。まてよ、琵琶法師と言っては……耳が二つあるばかりだ……道理で返事がない。返事をする口がないのだな……耳だけ残ってゐるばかりか。……それでは此の耳を持って行かう。とにかく殿様の命令通りにした証拠に」。その瞬間芳一は鉄のやうな指で両耳を掴まれ、引きちぎられたのを感じました。和尚は芳一の耳へも般若心経を書くことを忘れたのです。恐ろしさに声も立てず、傷からなほ血をだらだら流しながら、身動きもせずに座ってゐた芳一は、日の出前に帰ってきた住職の声を聞いて始めて安心してわっと泣き出しました。和尚は事の次第をきいて「あゝ可愛さうに。
芳一の怪我は程なく治りましたが、此の不思議な事件の噂は忽ち拡って、「耳なし芳一」といふ呼名の下に彼の名声は全国に轟き渡りました。
大体かういふ物語ですが、何分壇の浦の戦といふ日本歴史上の大きな事実を背景にして居ります関係上、之をすっかり西洋人にわかるやうに読ませるためには、いきほひ、その描写が詳細な説明に渡らざるを得なかったといふ個所も当然ありますが、日本の原著者が
其の頃のこと、或日、日が暮れてもランプをつけてゐません。夫人は襖をあけないで次の
かういふ風に何か書いてゐる時には、その事ばかりに夢中になるのですが、いよ/\油が乗って来ると、よくありもしない物を見たり、聞いたりするやうにさへなりました。これは怪談に限りません。著述に耽る時はいつも、全精神を打ち込んで熱中するので、他の何物をも考へる余裕がなく、何か霊にでも憑かれたやうな様子が見えるのでありました。仕事中の書斎へ夫人などが入って来ても、一向それに気が付かないのが普通だったさうです。
当時、東京の大久保は、夏の夜は大きな薮蚊で一杯でした。ヘルンの周囲に血を吸ってまるまっこくなった蚊が、沢山飛べないで、ごろ/\してる事もあったさうですが、散々食はれたに違ひないんだが、少しもそれを感じなかったやうな様子でした。
又、或夜の如きは、夫人が階段の戸を開けますと、ひどい油煙の臭がしますので、驚いて襖をあけて見ると、ランプの芯が沢山出てゐて、その為め、ぽっ/\と
夕食の支度が出来ますと、私等兄弟三人は、父の書斎へ通ずる廊下の上り段の所から、声を揃へて「パパ カムダウン サパー イズ レディ」と呼ぶのが
然し書斎の仕事からすっかり解放された時のヘルンは実に春風駘蕩たる幸福感に満ちみちてゐました。子供達にとっては、此上ない「グドパパ」でした。「ベンキョウスミマシタのパパ」はママや書生達と共に子供等相手に唱歌を歌ったり、鬼ごっこしたり、ヒライタヒライタの遊戯をしてくれました。子供達にとっては、文学上の霊感とかいふこわい夢魔と仲よくしてゐない時のパパは、ほんとうにスウイートパパであり、ナイスフレンドでありました。
えゝと大分お話が脇路へそれかけました。怪談が文字通り「怪しげなお話」になってもいけませんから、私も思い出の夢から醒めて本題に立ち返ります。
所で前にも申しましたやうに「怪談」の世界はヘルンの作の特質なのでありますが、ヘルンをさうした傾向におもむかしめた一つの原因は勿論彼の趣味であります。空想の国、霊魂の世界に奇しき光を放つ怪異なるものゝ美しさ! 之はヘルンの異常な趣味性癖に
もう一つの原因は、日本の怪談の中にひそむ民俗精神――信仰、思想、これがヘルンの心、ヘルンの思想に暖く共鳴したからだらうと思ひます。例へばヘルンの固執した万有は同一なりとする思想、或は吾等の胸の底に原始祖先の霊魂が眠ってゐるといふ思想――かういふ仏教的な輪廻の思想は日本の怪談にまことに手ぎはよく具表されてゐるのであります。
然し趣味に適ふから、思想を裏書するからといふやうな自己本位の立場からでなく、さういふ理由は別に致しまして、怪談そのものの文学的価値はどうであるか。架空的なるもの、超自然的なるものの文学上の取扱に於て、果して如何なる芸術的価値をヘルンは認めてゐるのかと申しますと、彼は「小説に於ける超自然の価値」と題する講義のうちにかういって居ります。
「……凡て大芸術にはそのうちに何か幽霊的な分子がある……詩人や小説家にして、時々読者に多少怪談的興味を与へる事の出来ない人は、決して真に偉大なる作者でも偉大なる思想家でもないのである……」
私のお話は之で終りといたします。
(昭和九年十一月十五日ラジオ放送の遺稿より)