国語学と国語教育との交渉

――言語過程説の立場における――

時枝誠記




はしがき


 橋本進吉博士は、昭和十二年九月、「岩波講座国語教育」に、「国語学と国語教育」を執筆せられ、国語学と国語教育との交渉、並びに、国語学の国語教育への寄与する点を明かにせられた。(橋本進吉博士著作集第一巻「国語学概論」に転載)私は今ここで、博士の右の論文を手懸りとして、同じ主題に対する博士と私との見解の相違する点を明かにしようと思ふのである。
 橋本博士の右の論文は、その後記に、「国語教育には全く素人で、到底任に堪へないのを、編輯の方からのたつての御依頼で強ひて筆を執りました」とあり、その頃、私に対しても、この問題で迷惑してゐるといふやうなことを漏らされたことを記憶してゐるので、右の後記は、必しも単なる謙遜の辞令として記されたものでなく、博士にとつて不満足であり、国語学者としての博士の、国語教育に対する見解の全貌を知るには、甚だ不適当なものであることは、充分推察出来るのである。それにも拘はらず、右の論文を引合ひに出すのは、博士の見解が、当時の言語理論の通説を極めてよく反映したものであると考へられること、それに基く対国語教育理論が、国語教育論者に国語学の国語教育への寄与といふことについて、少からぬ疑問を抱かせるやうになつたことが考へ合はされるからである。更に、博士の言語理論とは、全く対蹠的である言語過程説においては、博士の見解とは、また別個の国語教育に対する寄与が考へられるのでそれらの点を明かにしたいと思ふのである。


 博士に従へば、国語教育は、「我が国の言語文章に習熟させて、自己の思想を正しく表現し、他人の思想を誤らず理解する能力を養はせる事を第一の大切な任務とする」(著作集第一巻三〇三頁)ものである。これに対して国語学はどんな関係をもち、どんな寄与をなすものであるかといふのに、先づ、言語文章に習熟させ、思想の表現理解の能力を養ふには、特別の方法を用ゐずとも、特に国語に関する専門的知識を有する教師を必要としない。(著作集第一巻三〇三頁)ただ、国語の有効適切な教授方法は、国語の本質と実状についての徹底した認識即ち国語学の知識を、教師が持つことによつて、はじめて可能であるとされるのである。(三〇四頁)
 しかしながら、国語教育を有効適切にするための国語学上の知識といふことについては、博士はむしろ、これを軽く見て居られるのであつて、更に国語教育において大切なことは、国語を学ぶことによつて、国語に宿つてゐる国民の思想感情を体得することであるとされてゐるのである。(三〇五頁)国語学はそこに重要な役割を果すものであるとされてゐるが、この考へは、言語を民族文化の反映と見、言語を研究することは、民族の精神形成の跡を尋ねることであるとするドイツ文献学の主張に基づくものと推察されるので、このやうな意味における国語学の国語教育への導入は、当時漸く盛んになりつつあつた日本精神の探索とその涵養のために、必要であるといふ見解に立たれたものと見ることが出来るのである。例へば、敬語の理論を明かにするのは、それが敬語の正しい使用といふ言語的実践に寄与するためよりも、敬語の中に、日本民族の精神構造を探索し、それによつて国民精神を涵養することが出来ると考へるごときがそれである。当時、旧制中学校の上級に国語要説が課せられて、国語に対する認識といふことが、必須とされたのも、それが、言語的実践のためといふよりは、国語について正しい認識を得るといふことが、国民精神を涵養するに最も手近かな手段方法であると考へられたのに他ならなかつたことは、当時の教授要目を見れば明かである。国語学は、右のやうな意味における国語教育のために、重要な役割を果すものとされたのである。
 以上見て来たところで明かなやうに、当時の国語学者の対国語教育観においては、国語学の、国語の実践的活動の面に対する寄与を極めて消極的に見積り、国語の認識を通してする国民精神の涵養に対する寄与を特に強調したのであるが、勿論、そこには時代思潮の影響といふことも、充分考慮しなければならないのであるが、一方、当時の国語学の基調をなしてゐた言語理論が、国語学と国語教育とを右のやうな関係に結びつけたことを明かに認めなければならないのである。そこに、当時の国語教育への寄与の限界もあつた訳である。当時の国語学の基調をなす言語理論の第一点は、国語学の対象とする国語は、現実に我々が語り、聞く国語以前の、云はゞその資材となる言語であつて、ソシュールが「ラング」と名づけたものであるといふこと。第二の点は、既に述べたやうに、言語を民族の生活文化の反映と見るドイツ文献学、乃至はフランス言語社会学派の言語研究の態度である。以上のやうな国語学は、言語文章の習熟、或は正しい表現と理解を目標とする国語教育とは直接には結びつかない。国語教育の中に、国語に対する認識に関する領域を設定することによつて、はじめて両者の交渉を考へることが出来るのである。総じて、実践の根拠を認識に求めたのが戦前の国語教育であつたと云つてもよいのであるが、ややもすれば、実践的教育は陰に隠れ、国語が日本精神を理解するための手段として扱はれることが多かつたのではないかと思ふのである。
 戦後の国語教育は、戦前に比して著しく変貌した。その主要な点は、言語技術或は言語的実践の訓練といふことが、国語教育の主要な目標であると考へられるやうになつたことである。このことは、何も今日に始まつたことでなく、既に明治三十四年公布の中等学校令施行規則に「国語及漢文ハ普通ノ言語文章ヲ了解シ正確且自由ニ思想ヲ表彰スルノ能ヲ得シメ」とうたはれたことと、全く揆を一にするものなのである。右の施行規則には、なほこの外に、「文学上ノ趣味ヲ養ヒ兼テ知徳ノ啓発ニ資スルヲ以テ要旨トス」ることが、国語教育の目標に掲げられて居るのであるが、これは、国語教育の結果において到達することであつて、主要な目標は、そこに至る道程である言語文章の了解及び表現の方法・能力の養成になければならないのである。戦後の国語教育が、以上のやうな方法・能力を身につけることを、その主要な目的としたことから、国語教育が瑣末な実用主義、形式主義に転落したやうに考へることは正しくない。むしろそのやうな方法・能力こそ、実用的な思想交換から、高遠な思想の獲得、文学作品の享受鑑賞までを含めて、それを成就するに、必須の階梯であると云はなければならないのである。最近の検定基準に示された国語科読本の言語編の狙ひは、正にそこにあると私は理解してゐるのである。
 以上のやうな最近の国語教育観に対して、橋本博士の抱いて居られた対国語教育観並びに国語教育に対する国語学の寄与といふことを、どのやうに考へたならばよいであらうか。これを明かにするには、先づ、戦後、国語教育学者と云はれてゐる人たちから放たれた国語学に対する批判に耳を傾ける必要がある。それらの批判の一つは、国語教育で取扱ひ、問題にする国語は、具体的な場面において、具体的な事柄について表現され、また理解される言語活動そのものである。それには、生きた血が通つてゐるのである。ところが国語学者の研究対象とする国語は、そのやうな具体的な言語活動以前の、抽象された国語である。そのやうな抽象された国語の知識が、具体的な言語活動を問題にする国語教育にどれだけの効果と寄与をもたらすかは、甚だ疑はしいといふのである。更に一つの批判は、体系的な知識を目的とする国語学の関与は、実践的訓練を目標とする国語教育を、知識的学科に逆転させてしまふおそれがあるとするのである。右の二つの批判は、在来の国語学にとつては、手痛い批判であつて、橋本博士が、国語教育に対する国語学の寄与に限界を認められ、国語学と国語教育との交渉は、「直接言語としての国語に関する範囲にとゞまる。その他の部分については、国文学其他の諸科の学の関与する所である」(三〇二頁)とされた理由がうなづけるのである。かつまた、「国語による国民的精神の教育も、国語学の知識に基づいて、はじめて全きを得るのである」(三〇六頁)とされたやうに、国民教育の中に、言語の文化史的研究のやうな領域を認めることによつてのみ国語学の関与が認められるとされたことが思ひ合はされるのである。
 私は、国語教育の中に、国語についての認識を与へる国語要説のやうなものを加へることは、特に新制高等学校の上級において必要であると考へるのであるが、国語学の寄与はそのやうな点のためばかりにあるのではなく、もつと広く、国語科のカリキュラムを組織し、国語教育の方法を立てるためにも是非必要な理論的根拠として関与しなければならないと考へるのである。しかしながら、そのためには、在来の国語学の組織を、その言語観の根本から改めることによつてのみ可能とされるのである。言語過程説による国語学の体系は、正にそのやうな意味において、国語教育の基礎となつて来るのである。次に、言語過程説による国語学とはどのやうなものであり、このやうに修正された国学語[#「国学語」はママ]が、どのやうに国語教育に寄与するかを具体的に示さうと思ふのである。


 戦後国語教育の一つの大きな欠陥は、生徒の実践的言語活動を促す機会の設定にのみ腐心し、国語教育の教育の内容である言語活動それ自体に対する考察と分析とを忘れてゐたといふことである。生徒は、教師によつて設定された場と機会によつて、極めて活発に、発言し、物を読んだ。しかし、教師は、それらの言語活動において、何を助長し、何を矯正すべきかの点に殆ど盲目であつた。新教育は、生徒の自発的な活動を促す環境の設定において、有効適切であつたことは事実であらう。しかしそれは、譬へて云へば、我々学究が、思索し研究するに相応しい書斎の準備が出来たやうなものである。それよりも大切なことは、或はその前提となることは、我々がどのやうな研究問題を持つかといふことである。新教育を指導したアメリカの教育学者は、日本における国語教育者が、何を指導し、何を矯正するかについての体系的知識を、既に充分持ち合はせてゐるであらうといふ前提の下に、指導し、勧告したに違ひない。現に行はれてゐるアメリカの国語読本の内容を見てもそのことが想像されるのである。それには、話方については、これこれ、読書については、これこれといふ風に、教育されるべき事柄について精密な分析が施されてゐるのである。新教育が、構想としては優れたものを持ちながら、今日、いろいろに批判されるのは、国語教育において最も大切な教育内容である国語それ自身の分析と体系において、甚だ不完全であり、或はそれに対して全く無関心のままで、新教育に突入してしまつたからである。国語教育において、何を指導し、何を矯正するかを明かにすること、それは、国語それ自体を考察し、分析することに他ならないのであつて、即ちそれは国語学的研究以外の何ものでもないのである。従つて、国語教育者は、教育者であると同時に、何よりも、国語学者であることが要請されるのである。一方、国語の専門学者は、教育の焦点を明かにするに必要な国語の分析を示して、国語教育への寄与を心懸けなければならないのである。ところで、在来の国語学に対しては、既に述べたやうに、国語教育者の側から不信が表明されてゐる。しかし、それは、在来国語学の理論に対する不信に過ぎないと、私は考へるのであつて、もし、そこから、国語の考察や分析が、国語教育者に不要であると考へるならば、国語教育者が自らの最も大切な教育の足場までも放擲したことになると思ふのである。
 言語過程説は、在来の国語学の言語理論を克服して、国語教育に最も有効適切な足場を提供するであらう。しかし、言語過程説の理論は、特に国語教育のためにのみ用意されたものではなくして、一般言語現象の説明として体系づけられたものである。それ故にこそ、国語教育に対して有効な射程を持つことが出来るのである。
 先づ最初に、言語過程説の研究対象とするところの言語は、個々の特定の言語表現であり、また言語理解である。個別的言語を対象とすることによつて、そこに言語における副次的なものと本質的なもの、偶然的なものと本来的なものとを区別し、これを体系的に認識しようとするのである。故に、言語過程説の対象とするところのものは、即ち、国語教育において教育の内容とする生徒の個々の言語活動以外のものではないのである。右の点は、在来の国語学が、具体的な言語表現以前の、資料的な言語をその対象としてゐたことと著しく相違するのである。
 右のやうに国語学の対象を考へるならば、言語は、音声を以て思想を表現すること、或は文字を以て思想を表現すること、そのやうな表現行為以外のものとしては考へられない。同様にして、音声或は文字によつて思想を理解する理解行為以外に、言語といふ特別の実体を考へることが出来ないのである。即ち言語は、話すこと、書くこと、聞くこと、読むことに他ならないのである。在来の国語学の理論体系は、言語の実践体系とは全く別個のものであつた。従つて、言語学の知識は、そのまま実践の裏づけとはならなかつた。ソシュールは、言語の実践体系は、これを言(パロル)の言語学として理論づけようとし、バイイは、これを「言語活動と生活」(一九二六年刊、小林英夫訳、岩波文庫)の中で追求したのであるが、資材的なラングと、その個別的な実現であるパロルとの二元論を合理的に克服するには困難な問題が横はつてゐるもののやうである。言語過程説においては、その理論体系は即ち実践体系の投影として出来たものであるから、言語の実践的活動と、この国語学の体系とは別ものといふことは出来ないのである。それは、客観的に記述された地理書であると同時に、旅行者の実際の行動を指導する旅行案内書ともなることに比することが出来るであらう。
 言語過程説は、音声或は文字を媒介とする表現理解の行為を言語と考へるところから、言語において、次の三つの主要なものを分析するのである。
(一)言語行為の主体。これに表現の場合の主体と理解の場合の主体とが区別される。主体なくしては、言語の成立は考へられない。言語における一切の現象は、これを主体の問題に還元して考へることが必要である。同時に、教育の一つの焦点は、言語主体の表現理解における態度心構になければならないのである。表現主体が、話相手に対してどのやうな表現上の注意を払はなければならないかといふことは、現実の言語表現においては、絶えず表現主体の意識にのぼる事実であるにも拘はらず、在来の国語学がこれを分析し得なかつたのは、言語を、表現主体を離れた、或は表現以前の精神的実体であると考へてゐた結果であり、延いては、それが国語教育の最も重要な点に関与することが出来なかつた理由ともなつてゐたのである。
(二)言語行為の形式。話手の思想内容を音声文字によつて外部に表現する話手の行為形式であつて、言語過程説の中核的部分である。表現の媒介の相違によつて、音声言語、文字言語の区別が考へられる。客体的に表現する詞と、主体的に表現する辞の区別も行為形式の相違である。表現の発展形式において、語、文、文章の三者を区別することも出来る。これらの分析は、同時に、言語の実践を規正するめじるしとなるものである。譬へて云へば、旅行において経過すべき地点、交通機関、宿舎の指示のやうなものである。或は物見遊山の旅行と用務上の旅行とを区別するやうなものである。
(三)言語行為の技術。表現主体の思想内容は、言語行為の形式において外部に表現され、相手に伝達されるのであるが、その際、表現主体の態度心構へ、或は表現内容に応じて、それに適応した表現形式をとらなければならない。表現主体が、その行為形式を規正する方法が、即ち表現技術である。理解の場合も同様に理解主体の理解に必要な技術が必要とされる。国語教育の目標は、ある意味においては、表現理解の技術を正しく訓練し、言語の機能を有効に発揮させるところにあると云つてもよいのである。国語教育が、音楽や図工や体操と同様に、訓練学科、技術学科として考へられる所以であるが、その技術が、常に対人関係の構成といふことを目標としてなされねばならないところに、その技術は、極めて重要な社会的意義を持つて来るのである。
 以上述べて来たことは、国語を表現理解の行為として捉へることによつて得た分析であつて、その大綱を示したに過ぎない。それは、国語学の体系であると同時に、国語の実践的活動を促し、国語において、教育すべき要点を捉へ、国語の実践体系を明かにするための骨格ともいふべきものである。それは、決して教育せらるべき、国語の知識の体系を示したものではないのである。

結び


 以上を要約すれば、在来の国語学は、ソシュール的言語理論を基礎としたために、具体的な言語的実践を取扱ふ国語教育に対して、極めて間接的な寄与しか主張することが出来なかつた。一方、戦後の国語教育は、在来の国語学に対する不信から、国語に対する考察と分析とをゆるがせにして、教育の場を、ただ、討論と研究発表のはなやかさで塗りつぶすことを指導した。日本の国語教育の正しい道は、教室の学習計画において、たとひ、不手際であつても、教育内容について、何をどのやうな順序において教育されなければならないかといふことが、精密に分析されなければならないことであると思ふのである。そのためには、現場の国語教師は、何よりも、生徒の言語活動を正しく捉へ、そしてこれを克明に分析し、学年に配当することを試みる必要がある。いふまでもなく、これは国語学的作業である。その際、言語過程説の研究態度と方法とが、何等かの参考になることを、私は期待したいのである。この論文全体が、甚しく宣伝的口調になつてしまつたことを、読み返して感ずるのであるが、それは、私の立場を明かにしようとする意図の余りに出たもので、一学説を押付けようとする気持ちは、私においては全く無いのである。言語過程説を詳説せずに、論を進めたことは、この学説に全然未知な方々を少からず、当惑させたことと思ふのであるが、これまた、止む得なかつたこととして御諒恕を乞ふ次第である。





底本:「時枝誠記国語教育論集 ※(ローマ数字1、1-13-21)」明治図書出版
   1984(昭和59)年4月初版刊
底本の親本:「国語科教育 第一集」全国大学国語教育学会
   1952(昭和27)年5月28日発行
初出:「国語科教育 第一集」全国大学国語教育学会
   1952(昭和27)年5月28日発行
入力:フクポー
校正:富田晶子
2018年9月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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