文学教育と言語教育

時枝誠記




「信濃教育」の池田さんが訪ねて来られて、原稿執筆を承諾してから間もなく、私は、四国松山の道後で開かれた愛媛国語教育研究大会に招かれて、五日間ほどの旅行を続けた。講師は、法政大学の古田拡氏、成蹊学園の滑川道夫氏と私とで、会の主題は、作文と文法といふことであつた。道々、「信濃教育」への原稿のことなども気にしながら、松山へ着いた。駅では、主催者の仲田庸幸氏の出迎へを受け、宿に着くと、同研究会の機関誌「国語研究」第十九号が刷上つてゐて、早速それを頂戴して拝見することが出来た。重松信弘教授の「国語教育における論理主義」といふ私の文学教育観(「国語教育の方法」)に対する駁論が、私の来松を歓迎するかのやうに、巻頭に掲げられてゐる。翌日、重松博士にお目にかかつた時、「御批評ありがたく拝見しました。どうも私の書き方が下手だつた為に、充分御理解いたゞけなかつたことは残念です」と申した底意には、御批評をそのまゝには頂戴いたしかねることを述べたことになつてしまつて、もつと論争を展開すべきであつたのに、滞在中その機会もなく、松山を立つて来てしまつた。しかしよく考へてみると、私の文学教育観にも未熟なところがあり、叙述の不充分なところもあつて、多くの方々に重松教授と同様な、あらぬ誤解を抱かせてゐるのではないかといふことが反省させられたのであつた。帰途は滑川道夫さんと、高浜から別府航路で神戸へ、神戸から東京へと、船中車中で、ビールを傾けながら、私は滑川さんの意見を叩いた。ここで、滑川さんと私との対談を仔細に記録すると、いくらか面白い読物になりさうなのであるが、私の記憶も確かでない上に、滑川さんの校閲を経ないで、御意見をまげて記録してしまふやうなことになつたとしたならば、大変申訳ないことになるので、ここでは私の一方的な考へを述べるに止めて置かうと思ふ。
 私は「国語教育の方法」の中で、次のやうなことを言つてゐる。
 読書の目的や、談話の目的は、知識や思想を獲得することであらうが、国語教育の目的は、獲得される知識や思想にあるのではなく、それを獲得する手段即ち読み方、聞き方にあるのである(四〇―四一頁)。
 右の考へ方は、その根本において、正しいと今でも確信してゐるものであるが、右の議論は、受取り方によつては、甚しい誤解を招かないとも限らない。言語には、形式面と内容面とがあるといふ一般通念で解釈すると、私が、形式面だけを学校教育で問題にし、内容面の教育は、国語教育の埓外であるといふことにもなりさうである。現に、重松教授はそのやうに理解された。言語教育と文学教育とを対立させる立場では、言語教育は言語の技術面を、文学教育は言語の内容面を分担するものと考へられてゐるやうである。そして、人間形成に関与するのは、言語の内容面の教育である文学教育であるとされてゐる。私の見解を、通念に従つて理解すれば以上のやうになり、文学教育が学校教育から除外されるといふ結果になるのである。
 私の立場では、言語に内容と形式との二面の対立を認めない。言語は内容を獲得するための手段であると考へられてゐる。従つて、言語によつて獲得される内容が重要であるならば、それを獲得する手段技術の教育が重視されなければならないのは当然である。手段と技術が正しく、また適切であるならば、内容は期せずして獲得出来ると考へてゐるのである。登山は、山の頂上に到着するのが目的である。それならば、何よりも、山に登る技術と方法とを習得しなければならない。正しい技術と方法とによるならば、その実践によつて頂上には期せずして到達することが出来ると考へるのが私の立場である。生徒には、頂上に到達することが出来る力さへ与へてやればよいのである。それを、文学教育だからと言つて、なにか、ことごとしい作業を考へることは、むしろ邪道ではないのか。まして、先廻りして、生徒の及びもつかない印象を押しつけることは危険ですらあるのである。ただ、指導的立場にある教師は、次のやうなことを心得てゐなければならないであらう。ある作品は、当然ある印象を読者に要求してゐるにも拘はらず、これを読んだ生徒が、それとは全く異なつた印象を獲得したやうな場合、その間違つた印象が、どのやうな読み方に根源してゐるかを、教師がつきとめて、再び、その読み方を反省させるといふことは大切なことである。作品を、その意図されたものとは、反対な意味に受取ることは、教材と生徒との間に起ることだけではなく、作品とそれに対する批評家との間にも屡々起ることであつて、そのよつて来たるところは、作品を読み解く技術方法の如何にかかつてゐると見ることは正しいと認めてよいであらう。ここから、読みの技術の科学的分析といふことが要請されて来るのである。
 国語教育の目的を、与へられたものを読み解く技術と方法とに置く教育観の第二の疑問点は、読書によつて獲得される思想内容の如何を、国語教育が問題にしなくともよいのかといふことである。私は、獲得される思想内容の是非の問題は、もはや国語教育の中心的課題の埓外のことだと考へてゐる。そこに、私の文学教育に対する批判が出て来るのだと思ふのである。このことについて、私は滑川さんと、次のやうな具体例を中心に話合つた。松山の研究大会の時古田拡さんが作文の研究授業をやられた。小学四年の一女生徒が、あることから、弟と喧嘩して、弟の頭を殴つたことを題材にして作文を書いた。古田さんが、批評の中で、「ひどい姉さんだね」と笑つて言はれた。もちろん、この批評は、一つのユーモアであつて、この批評授業の主題ではなかつたのであるが、作文教育で、書かれた内容を問題にすることの可否をここで取上げて考へて見たいと思ふ。私の立場としては、書かれた内容の道徳的批判は、国語教育の中心的課題でなく、国語教育の問題はこの題材を表現するところに発生すると考へやうとするのである。書かれた内容の道徳的批判をも含めて国語教育の問題とするか否かに今の問題はかかつてゐるのである。私は、このやうにも考へる。書かれた内容の道徳的批判にまで、国語教室の問題が発展しても、それを厳密に、ここから先きは、国語の問題ではないとして打切る潔癖さは必要でないにしても、国語教室の中心課題が、内容の道徳的批判にあると考へることは、国語教育の第一義的な目的の所在をあいまいにするものとして厳に警戒しなければならないと考へてゐる。国語教室の中心課題を見失はない限りにおいて、その周辺的問題を取上げることが許せるのである。それならば、国語教室の中心的課題はどこにあるかと言へば、それは言ふまでもなく、題材の表現に関する手続き方法である。ところで、問題をここに限定する時、そこにまた、誤解の生ずる種があるのである。表現を問題することは、ややもすれば、表現の修辞的技術だけが問題にされるもののやうに考へられることである。弟の頭を殴つたことが、どのやうに巧に描かれてゐるかといふことだけが国語教育の問題になると考へるならば、それは、技術といふことを、極めて狭く解したことになるのである。もつと表現の根源的な問題として、凡そ表現において、あらゆる事が表現として成立することが許されるかといふと、そこには、自ら限界といふものが考へられるのは当然である。表現することによつて、相手や第三者を傷つけるやうなことは、当然、表現自体の問題として取上げられなければならない。相手や第三者の悪をあばくといふことは、悪そのものが問題にされる前にその悪を、「あばく」といふ表現行為自体が批判されることを知ることが大切である。このやうな表現行為自体が問題にされるのは、表現が、常にこれを受取る読者の生活や思想を左右する機能を持つことから来ることである。表現の機能を自覚し反省さすことは、国語教育の重要な課題であつて、言語倫理の問題である。国語教育が、表現された内容を重視する時、以上のやうな表現そのものにまつはる重要な問題がはぐらかされてしまふことを警戒しようとするのである。
 国語教育では、屡々周辺的問題に重点が置かれて、中心的問題を把握することが困難にされてゐる。その第一の理由は、国語教育の目指す国語の意味があいまいであることから来るのではないかと考へるのである。





底本:「時枝誠記国語教育論集 ※(ローマ数字1、1-13-21)」明治図書出版
   1984(昭和59)年4月初版刊
底本の親本:「信濃教育 第八二二号」
   1955(昭和30)年6月発行
初出:「信濃教育 第八二二号」
   1955(昭和30)年6月発行
入力:フクポー
校正:持田和踏
2022年11月26日作成
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