遺愛集

島秋人




窪田空穂

 数日前、巣鴨拘置所内に、死刑囚として拘置されている島秋人君から来状があり、今度はからずも、篤志の方々の厚情によって、「遺愛集」と題している自分の歌集が出版されることになった。ありがたい次第であるといって、その方々との心つながりを、言葉短く知らせて来た。心つながりは、何れも同君が、「毎日新聞」の歌壇に投稿している短歌で、選者としての私の選に入選した作をとおしてのものである。そのことは私は今度はじめて知ったことで、現社会にもそうした篤志な方々が少なくないことを知り、そのこと自体に対して感激の情を抱かされたのである。
 秋人君の来状は、今一つの用件を含んだものであった。それは「遺愛集」に序を添えて呉れ、又、題簽も書いて呉れという依頼であった。
 この依頼は今度が初めてではなく、やや以前にすでになされ、私は承諾していたものである。その際の秋人君の書状は私を感心させるものであった。大意は、秋人君と私との関係は、毎日歌壇の投稿者と選者ということに過ぎない。その選者を自分の師のごとく思っているのは、甘え心からの独りぎめであるが、それは許して呉れ。自分には歌集を出版して下さろうという二、三の方々があるが、生前にそのようなことをするのは、被害者に対して相済まぬ感がするので、死後にして下さい。可能なかぎりの詫びをしての後にして下さいと延期を願っている。出版の際には序と題簽を書いて下さることをお願いするというのである。まことに筋のとおった、行き届いた文意だったので、私は感心して承諾したのであった。
 今回の出版は生前のことで、趣がちがっているが、出版してやろうと言われる方は、以前の方々とは別の方で、はなはだしく秋人君を感動させたようである。又、秋人君がよろこんで応じる気になった心中の機微は、他からは推測のしがたいものがある。
 秋人君の作歌は、拘置所の者となってからのことという。又、作歌のよろこびをとおして心境に変化を来たしたともいう。現在では作歌を一日、一日生き延ばされている生そのもののごとく大切にしていることは、その作歌をとおして私には感じられる。これらのことは、秋人君自身この「遺愛集」に書き添えることであろう。
 私はそれらには触れず、秋人君の作歌に対して平常感じていることを略記して序とし、秋人君との前約を果たすこととする。
「遺愛集」は島秋人自選の歌集で、題簽も自身付けたものである。秋人君の歌歴からいうと最近に属するもので、昭和三十六年から三十八年に亘る三年間までの作に、厳選を加えたものである。遺愛とは生前愛した物で、死後に遺す物という意であろう。秋人の遺しうる物は、ただその作歌があるのみである。わが作歌こそわが生命であるとの意であろう。
 私は郵送されて来た「遺愛集」の稿本を通読して、感を新たにするものがあった。
「遺愛集」一巻に収められている三年間、数百首の短歌は、刑死を寸前のことと覚悟している島秋人という人の、それと同時に、本能として湧きあがって来る生命愛惜の感とが、一つ胸のうちに相剋しつつ澱んでいて、いささかの刺激にも感動し、感動すると共に発露をもとめて、短歌形式をかりて表現されたものである。これは特殊と言っては足らず、全く類を絶したもので、ひろく和歌史の上から見ても例を見ないものである。
 私は拘置所の内部を目にしたことがなく、秋人君の作をとおして想像するのみである。そこは三畳敷きの独房で、金網をめぐらした室である。窓はすりガラスで、外部はよく見えない。見えても、広い砂庭で、雑草が生えているばかり、そして高い塀でかぎられているのである。
 生活は何の自由も与えられてはいず、ペンでする筆記も許可を要するようである。生活とはいっても、実に単調極まるもので、ただ生命あるが故に生きているという程度のものらしい。
 これが島秋人の環境で秋人君のこの何年間ももちえたものは、自身の思念のみであった。この思念は自己の生を大観するものとなり、極悪事の反省となり、悔悟となり、死をもっての謝罪となり、その最後が、現在の与えられている一日、一日の短い生命の愛惜となり、そして作歌となって来たのである。
 これら心境の状態を「遺愛集」の歌はつぶさに示している。歌は外界からの刺激がないと作りにくいものであることは常識となっている。秋人君にはその刺激が極めて少ないのである。それにもかかわらず実に多くの歌を詠んでいる。これは胸中の思念がその刺激となっているからのことで、その思念のいかに多いかを思わせられる。
 又、「遺愛集」数百首の歌には、おなじ思いの繰り返しというものが全く認められない。秋人君の思念の範囲は上に言ったがごとく限られた狭いものである。繰り返しのあるのがむしろ当然である。それの無いということは、一刺激に対しての思い入れが深く、繰り返しを許さないほどのものであることを示していると思われる。
 秋人君の思念は、時に幼童に立ちかえり、少年に立ちかえることがあり、その当時の記憶を刺激として詠んでいる歌がある。夙に死別した母を憶い、故郷の何ということもない風物を憶った歌などには、純良で、無垢の気分がにじみ出ていて、微笑を誘われるものがある。又、自身の身世を大観し、現在の心胸を披瀝した大きな歌がある。そうした歌を読むと、頭脳の明※(「日+折」、第4水準2-14-2)さ、感性の鋭敏さを思わずにはいられない感がする。歌は例示を待つまでもなく、「遺愛集」に満ちている。
 島秋人の歌評をする以上、その表現技法に触れるべきである。
 秋人君は表現技法に巧みではない。修練の年月が足りないのである。未熟で、たどたどしい作さえある。これは余儀ないことである。しかし秋人君の作は、ほとんど全部取材は単純である。思い入れは深い。それを正直に、素直に表現しているので、作意は短歌形式に盛りきられて、程のよい、過不及のない物となっている。その出来のよい作は、稚拙さが却って真実感を生かす結果ともなっているのである。
 現短歌界は空前の広さをもっている。月刊歌誌が五百種はあろうという。「毎日歌壇」のその中に占める位置は軽いものといわざるを得ぬ。しかし死刑囚島秋人の作に関心をもっている人の数は意外と多いようである。その作を読みはじめると、心惹かれる何物かがあって、おのずから関心をもたされるからであろう。これは短歌形式そのものの魅力も手伝ってのことと思われる。
 この趨勢は将来もつづいてゆくことであろう。島秋人の「遺愛集」は、その意味で将来にも生き、秋人の生命もその作をとおして息づきゆくことと信じられる。
 私は先年、宗教雑誌「大法輪」に依頼され、死刑囚島秋人の歌ともいうべき一文を発表したことがあった。その文中に死刑囚ということに触れての随想を加えた。私は秋人君に面接したことはなく、その作歌をとおして勘で想像するだけの感想であった。それは現在にもつづいているので、ここに書き添える。
 私には一つの信念となっているものがある。それは人が幼少のころ、漠然としたものながら、第一印象として、世間というものはこうした物だ、これが当たり前だとして受け入れた印象は、生涯を通じて変わらないものだということである。その力は強く、運命的なものである。
 秋人君は幼少のころは、よほど我がまま、気ままに育てられて、それが性格的になったとみえる。少年期、青年期に入ると、それが正直な、生一本な、怒り易い性分となったとみえるが、根は気が弱くて、かっとなると、何をするか自分でもわからないような男になったのではないか。私の勘に感じられる秋人君はそうした人に思えるのである。極悪罪を犯すに至った成りゆきは、私の追随に余るものである。わかる者は秋人君独りであろう。
 一言でいえば、島秋人は私には悲しむべき人なのである。しかし悲しみのない人はない。異例な人として悲しいのである。
昭和三十九年五月
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昭和三十五年

初めて小説新潮に投稿し佳作となり活字になった。


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 吉田好道様

 拝復 厚意のこもったお情けのあるお手紙と図画をいただきありがとうございました。お手紙は一日の日、図画は今日受取りました。お手紙を開くと何となくなつかしい先生の匂いが感じられました。僕も香積寺のお住職と先生のお宅との不思議な仏えんにおどろきます。
 先生にお手紙等さし出す事はいけない事だったと、後になってめいわくが掛かる様にならなければ良いがと後悔も致しましたが、先生や奥様からの暖かいお言葉に僕は一日の夜はおそくまで眠る事が出来ず、お手紙を読み返えし読み返えししてしみじみと厚いお情けをあじわわせていただきました。僕は満州から引揚げて来てから今日まで自分には不幸な運命しかないものだと思ってあきらめて来ましたが、世の中にはまだまだ親切な方々が居られて僕の様な罪人となった教え子でも心から暖かい同情のお心をよせて下さるかと思えば先生に対して今の僕はとても申しわけない気持でいっぱいです。
 僕は先生の奥様からお手紙をいただくとは夢にも思って居りませんでしたのでなお胸いっぱい感謝の気持が込み上げて来ます。又お子様達の苦心して画いた美しい図画もたくさん送って下さって本当にうれしい気持です。
 お手紙を読んで居りますと先生のお宅の近所や、八坂橋の近辺のなつかしい風景が次々と憶い浮かんで来ます。「ずぼ」――何年振りで聞いた言葉でしょう。僕はすっかり忘れて居りました。なつかしい事です。思い出すとしだの葉の中に幾つかのずぼが居かれて居るのやしめった木の影にちょこんと頭を出して居るのが浮かんで来ます。八坂橋の上から秋風に釣糸を吹かせながら赤い浮木をみつめる幾人かの人達、川岸の潮風に吹かれている銀ほのすすき等、幾枚かの絵の様になつかしい風景が思い出される様です。奥様の短歌によってなつかしい香積寺の地蔵さんや薄暗いお寺の中などあれこれと子供の頃に見た事々が浮かんで来ます。僕は小学校五年の時国語の試験にレイ点を取り、その先生に叱られて足でけっとばされたり棒でなぐられたりしておそろしさに苦しまぎれのうそを云って学校から逃げ出し八坂神社の裏の草やぶや川口の岩の影にかくれて逃げまわって居た事があったので鵜川の川口べりは番神堂や米山、香積寺等の様に忘れられない柏崎の思い出の所です。昔良く魚釣りをたのしんだ鵜川も新しく土手が作られすっかり変りつつあり、過去の苦しい事も段々と薄もやの様に消えてゆきます。
 ずぼかご十幾年振りで思い出す此の言葉に純朴な古里の人々の風情をしのび、焼け付ける様々な郷愁にしめつけられます。
 先生や奥様には身に余る同情をよせていただき有りがたい事と思いますが又現在何でも買入したり送ってもらったりする事は許されて居りますが僕は今は死刑囚なのです。罪のない子供の尊い母親の生命をうばって、母親を失った子供の将来に大きな不幸をあたえた罪重い殺人者として反省しなければならない身分ですから少し位いの金品の不自由など今の僕は考えるべきでないと思います。
 せっかくのご親切を無にする様ですが、僕は現在の所何もお願いするべきではないと思い、不自由なものはありますがこれはみな罪に対する罰として甘んじ、しのばなければならない事と思って居ます。
 僕は先生や奥様の暖かいお心だけで胸がいっぱいです。先生や奥様にこれ以上のふたんをお掛けしてお情に甘える事は罪を重ねる様なものです。金品等を送って下さるよりも思い出された時お手紙の一通でも下さる方が今の僕にはありがたいのです。
 今の僕は物の不自由より長い間の非社会生活で心のうるおいと云いますか、何と云って云い現わすのか一寸と言葉になりませんが……人間らしい情緒と云いますか、そんなものに非常にかけて居る様な気がします[#「気がします」はママ]
 お金も今は仕事が切れてしばらくの間やれませんが、仕事が来れば一ヶ月百円位のお金を働いて得る事が出来ますので全然困ると云う事はないのです。又夜おそくまで一生懸命働いていただくお金ですからもったいない気持が起きてむだ使い等惜しくなってしませんので困る事はありません。こうなってみると何が幸いするか知れません。小さい時より貧しい生活をして居りますので刑務所に入っても外の人よりは物の不自由を感じなくてすみます。貧しさもなれてしまうと今ではかえって幸せだと勝手な負けおしみを思って過して居ます。けれど実社会では貧しいと云う事は人間の心を淋しくさせるものです。現在、窓のない真暗な倉の二階に住んで居る父の家の生活を想うと僕の今の不自由などと云うのはぜいたくの中に入ります。
 僕はもっと素直な手紙をさし上げられたら良いと思いましたが先生のお宅もお子様が居られて決してらくな生活ではないと思いますし、現在の僕は前にも申しました様に不自由も修養の内と思って居りますのでくれぐれもお気を悪くなさらないで下さい。僕は今迄他人から同情を受けた事が少ないのでうれしい気持でいっぱいで今の所、何と云ってお礼を申し上げてよいかわからないので唯ありがとうございますと感謝するばかりです。
 先生も奥様もお元気でお過しになられる事と、貧しい子供達の良き師となられて居られる日の長からん事を心より願って居ります。
 近い内二十七、二十八日の日実地検証のため新潟に行く事になるかも知れませんので行く事が出来たら最後の心に惜みなく故郷の風景に親しみたいと思って居ます。
不一

朝売りの静かに菊に雨降りぬ
お母あさんと呼んでみた月の鉄窓まど
深みゆく罪の孤独や灯蛾狂ふ

十月五日午後
東京都豊島区西巣鴨一ノ三二七七ノ一
中村さとる
(註・住所は東京拘置所。中村覚は島秋人の本名)
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君が植ゑた朝顔がよく咲いたよと看守部長の便りとどきぬ

ふきあがるさびしさありて許されぬクレヨン欲しき死刑囚のわれ
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昭和三十六年

この年より「毎日新聞」に投稿する。


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 吉田好道先生

 お手紙只今読みました。夕点検を了えたばかりの一段と静まり返えっている獄舎です。眼の前に先生のお顔がある様に感じました。久し振りで教務室で注意され、さとされた様な思いです。僕はありがたいと思い今ペンを動かして居ります。
 奥様とのお面会はとてもうれしいひと時でした。一回目は少し後に別れる事が悲しいと感じまして帰房してから奥様も悲しい思いを残されて帰られたのではないかと何か申しわけない気持で悔いました。
 昨日の午後に又「面会だ」と云われ「本当ですか?だれ?うそ云うなよ面会は昨日会ったばかりだ」と云い返えし、「柏崎から来たんだお前が特別面会時間の許可を云って居た人だ」と云う看守の言葉に或るいは岬町の叔母が来てくれたのかと思いながら服も着代えずせきたてられて来ましたら奥様である事を教育課の主任さんに知らされびっくり致しました。
 二回目の面会は一回目の時より気が楽で自身でも明るい思いでお会い出来、時間はみじかかったけど笑顔でお別れを云えて後にはまったくよろこび以外のものがなく良かったと心から思いました。あまりにもうれしいので、うれしい事は歌には詠めず布団の中で夢の様なよろこびにひたっていました。僕の心の底に明るい笑顔の奥様の面影を残せたとよろこんで居ります。まったく二度も会えるとは思って居らず、今頃は汽車の中だろうなあーと考えていたのです。面会が一回切りであったら僕の心に切ないお別れの時の思いが強く残ったかも知れませんでした。二回目は奥様もきっとよろこんで下さったと思います。心のほぐれた状態でお話も出来たし、初めから最後のお別れの時まで楽しく過ごせたことを心より感謝致して居ります。
 僕は先生の所にめいわくであったかも知れないし苦しい思いをお掛け致したかとも思いますがお手紙を出して良かったと勝手に思って居ります。
 死刑囚と云われ、又歌を詠む様になってから未知の方から今日まで幾通かのお手紙をいただき、現在もいただいて居る方もありますが奥様ほど僕の心に近づいて来て下さり、理解し教えて下さるお手紙はありません。僕が死刑になった後、遺してゆくものをお読みいただく事が出来たらいかに奥様のお情によって僕の心が変化したかおわかりと思います。
 奥様は僕に短歌をあたえて下さいました。国民学校の時より低能あつかいをされて来た人間が社会の中へ入って行っても決しておとっては居ないと云う事を短歌によって知り、宗教を信仰できない僕の心の灯となっている短歌を奥様はあたえて下さったのです。
 面会時間は一般の被告は五分、死刑囚のみ三十分なのです。奥様との第一回の面会は一時間でした。が後に次の面会が待っていたため惜しい思いでしたが仕方ないです。二回日は三十分なのですが四十分であったのです。百分間の面会によって僕はまんぞく致して居ります。多くのぎせいのお蔭によるものと深く感謝して居ります。
 今日は役所からカーネーションの赤とピンク一本づついただいて目の前にいけてあります。ピンクの花の色をみて昨日の奥様の羽織りを憶い出しています。僕は死刑囚でありますが幸せでもあります。差入れもたくさんいただきました。今日まで食べたものは丸子揚とチューインガム一枚とみかん二個、みかんは僕は病院に居る時から皮ごと食べています。特に拘置所では生野菜をほとんど食べさせていただけないのでビタミン不足の体ですから皮も薬と食べます。一個二十五円もするんだと聞いてもったいないと思いました。後リンゴ二個みかん二個グリンピース一袋ガム五枚残っています。その他お金五百円、歯ブラシと五十円の歯みがき粉とノート三冊いただきました。過分なおくりものでした。
 奥様は思ったより小さいのでびっくりしましたし、若いし、美くしい人でした。(本当です)特にやさしい方なので僕はうれしかった。良い印象が残りました。
 それから奥様にもお伝えして下さい。公判日一月十一日と僕は云いましたが昨日奥様との面会の時に土屋先生の事から公判日の事の話しが出て日が違っていましたが帰房してもう一度公判通知を読みましたら一月二十六日十時三十分からです。何で十一日とまちがったのか僕はわかりません。十五日間もうけた様です。
不一
一月十三日夜記
中村覚
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うす赤き冬の夕日が壁をはふ死刑に耐へて一日生きたり

やさしき旧師の妻の便り得て看守に向くる顔の笑みたり

日に二通厚き封書をたまはりて素直に昏れる灯の下に読む

亡き母に呼ばれし呼び名が師の妻の便りにありてなつかしく読む

拭きこみし木肌まぶしき春の日に生きるうれしさまぶたよりわく

極刑の罪負ふもののわれらにて孤独をいとひいさかひを

名も知らぬ草に触れつつつぶやきに聴き入る如く囚徒われゐる

獄の土に生れし生命いのちの草の芽に愛深くありぬ指にさぐれば

恋うたと聴くにかなしき琉球の少女が唄ふのど自慢の歌

車窓過ぐる故郷見をれば幾度もガラス拭きくるる老いし看守は

まみつむり死刑囚われは野の花の幾つかおもひ春の唄きく

獄窓まどの陽の日増しにぬくし金盞花いとしみ見れば花粉ふきゐし

眼をつむりにはかめくらとなりて聴くガラスを知らぬめしひし児の詩

世のためになりて死にたし死刑囚の眼はもらひ手もなきかも知れぬ

チューリップひとつ咲きたり走りよる死刑囚等のといき集めて

手のひらを重ね己れをいとしみつ死刑囚として卒業歌きく

幾度いくたびか寝返りうちて許されし友を思へり死刑囚われは

悔いに冴え眠りそびれしわれの眼にいたはる如く児童図画あり

触れてみる夜の獄壁いつになく何か親しくうれしき日なり

助からぬ生命いのちと思へば一日のちひさなよろこび大切にせむ

たまはりし処刑日までのいのちなり心素直に生きねばならぬ

素直にて昏るる日のあり被害者のみたまに詫びて夕餉いただく

たまはりし花をかざりて被害者の命日の夜を深く詫びたり

被害者に詫ぶべき言葉なき文を綴りては捨て処刑待つのみ

処刑受けお詫びとなさむ心ぬち生きたき思ひ日日にあり悔ゆ

若妻の心こもれる差入れの座布団干せる友は死刑囚

同囚の祈りむなしく幼児持つ友の死刑は確定となる

かなあみを叩き呼ぶ児に泣きながら父となりゐき若き死刑囚

白き花つけねばならぬ被害者の児に詫び足りず悔いを深めし

幸せを祈りわが撒く食パンの白きを雀らおどおどと食む

換気孔の小さき穴より撒きおきしパンを雀は集ひ来て食む

たましひを洗はるる如く見てをりぬひなをやしなふくちうつすさま

二階より死刑囚われ見てをりぬパンをみ食ふ七羽の雀

おくふかく薄草色のひそみゐて咲く白百合のすがしかりけり

風塵にさからふ如く立哨の動かぬ看守見てゐてさびし

降りしきる雨音のみを思ひつつ獄窓まどに来たれば夜の灯美し

手に触れてみたき思ひのつのりつつ死刑囚のに雨の輪みてゐる

生野菜ほしき囚身しゆうしんにひさびさの小雨に濡れて夜の草匂ふ

愛に飢ゑし死刑囚われの賜りし菓子地に置きて蟻を待ちたり

手のひらの小さき虫がくすぐりて死刑囚われに愛をらしむ

あじさゐの花のひとつに移りつき朝鮮バチの羽根のひかりぬ

セロハンの袋に入れしゴキブリがひと夜かさかさ音たててゐる

死刑囚の佇ちゐる影をよこぎりて虫がらはこぶ白昼まひるの蟻は

餌をはこぶ蟻につき来てあみ塀にさへぎられたり死刑囚われは

ころがりて死んだまねするてのひらの虫を放てりわれは死刑囚

獄草履鳴りをひそめてわれ歩くはばかる事なき庭を歩むに

幾重にも獄廊鉄扉に閉ざされて湖底の如く夜は更けてをり

死刑囚に耐へねばならぬ余命あり淋しさにのむ水をしりたり

死刑囚のわが焦燥の如くありあがくとも見ゆるひむしの一つ

生存の尊さ悟り死囚われ薄羽かげろふてのひらに眺つ

たはむれて薄着の肌を叩きあふ心ゆ親しき死囚の二人は

同囚のわれになぐさむるすべなくて別れし友の空房へやのぞき見つ

獄窓の白昼まひるの明りみつめゐて部屋黒く見ゆるさびしき横臥

歯みがき粉残り少なくなりをりて獄に病む身の朝はさびしき

熱ありて触るる畳に甘えつつ死刑囚の身の半裸ころがす

獄灯の下に病みゐて時をりの排水管の音に聴き入る

絞められて声をあげ得ぬわがあがき夢と覚ましてまた眠りたり

息たゆる苦しき夢ゆのがれむとあがきてゐたり眠りの中に

その夜荒き壁に触れては耐へてゐぬ死刑囚われのあふれくるもの

にくまるる死刑囚われが夜の冴えにほめられし思ひ出を指折り数ふ

死ぬことはさみしきものか一つ灯の華輪にひそむ虹をみつめつ

殺さねばならぬわが身か獄の夜の壁の白きをみつつ更けたり

声あげて悔いゐることもなぐさめか死刑囚に無き更生のみち

師の妻より賜ひし浴衣ゆかた獄の夜に時をり覚めて触れては見入る

賜りしお盆の花はわづかなる陽の射す方にみな向きて活く

移送の日に汽車のガラスを拭きくれし老いし看守に暑中見舞ひ書く

浴衣着て土に絵を描く死刑囚のむぎわらばうしの影の幼き

濯ぎ終わる流しの底に獄灯が月の如くに映りてゐたり

信じ得ぬ思ひに見つむ獄庭の朝顔の花ピンクに咲きて

新聞を配りゐし頃なつかしみ朝顔の咲く獄庭にはをみつめし

葉の影にひっそり咲ける朝顔の紅のいのちは夕までたもつ

老看守まともに笑顔ゑがほみせくるるうたがはれぬ日のわれはうれしも

帰りえぬ身となりはてて蝉のこゑ聞きし日のこと日記にのこす

昏れ方の虫の音ききつつ老い父のひと日の疲れ獄におもふ

賜れど分つ人なし獄の夜ふたつの梨を並べ置き寝る

仰向きに寝ては病む身に聴きをりぬ土うつ雨のつめたき音を

台風のあとやはらかく陽のさして朝顔の花はあわれ咲きたり

一匹のあきつの飛ぶに死囚われかなしきまでに子のころ憶ふ

今宵より夜間筆記の許されて自由得しごとくうれしくてならぬ

いつしかに畳に朝日さすほどに秋となりゐき死刑因の部屋

金網に触るる位置までより添ひて受くる秋陽はまみにまぶしき

たどりきて寝返りうちぬ死刑囚の憶ひの内に母の死があり

甘ゆべき母のなき獄青布の夜具をかぶりて悲しみに耐ふ

母のなきわれは亡母はは恋ひ夜を更かしひとやに遠き汽笛ききたり

老い父に刑死の後のかなしみを詫びつつ冴えし虫の音聴きゐる

仲秋の月を見たくて獄窓の曇ガラスを濡らし拭きたり

月させどわが獄窓まどはみな磨ガラス濡らして拭けば光やや増す

のがれ得ぬ死刑と思ひ仰ぐ獄窓樹まどこの間の月の清く更けたり

めいわくをかけし質店の広告あり死刑囚として故郷の新聞読めば

死刑囚となりて思へばいくらでも生きる職業あるとりにき

わが罪に貧しく父は老いたまひ久しき文の切手さかさなる

図書館に時をり行きて老いし父死刑囚われの短歌うた見るといふ

わが罪を証人台に泣きたまひ泣きたまひつつ詫びくれし老父ちち

父よりは背丈せたけ伸びたり送り来し古ジャンパーをまとひてみれば

独り身の老父ちちのジャンパー袖口に繕ひしあとありて切なし

独り身の老父ちちが洗ひて繕ひし古ジャンパーを獄にまとひぬ

過ぎし日の老父ちちの姿をまねてゐぬ冬の日向に死因となりて

まみ細め換気孔よりもるる陽を格子にのばり顔に当てゐき

ひと日着て残る体温いとしみつ青さ薄れし囚衣たたみぬ

駅よりの家への路を憶ひつつ死刑囚として初雪を聞く

久々にあくびなど出づ白き息いつまで吐ける死刑囚われに

握手さへはばむ金網あみ目に師が妻の手のひら添へばわれも押し添ふ

死刑囚の言葉少くなさむとも意識はしつつさびしさに詠む

新しき年迎へ得て死刑囚のわれも友もみな顔輝けり
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昭和三十七年

この年「タイム」に紹介される。
六月死刑確定す。十二月四日受洗。


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 窪田空穂先生

 お葉書を賜わり一年ごしの思いがかなえられてうれしく思います。
 厚かましくお送り致しまして或いはおめいわくにならないかと思って居りました。複写などで失礼と思いましたけれど体力がないので楽な書き方を致しましたが、へたなりに幼稚なりにいつわりのない歌を書きました。
 自筆歌集をおとどけさせていただきましたのは先生のお歌が好きであり、先生の選のあたたかさに対する感謝の気持でもありました。けれど今後ともきびしくお指導を賜わりたいと思って居ります。
「秋人自筆歌集」は短歌を詠み始めて約一年間の内より選びましたものでございます。拘置所の規則の許されるはんい内で作り、書きましたので少しばかり気も使いました。とにかく思いもよらず真実と知って下さりあの様なものを大切に扱っていただけることを知りましてやっぱりいい先生だなあーと思いました。ありがとうございました。
不一
五月二十一日朝
島秋人
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 前坂和子様

 ずっと手紙を書かずに十二月になりそうです。昨日は久し振りで吉田先生の奥様へお手紙を書きました。土屋先生(註・弁護士)の処へはそれよりごぶさたしています。手紙って書かなくてはならないので不便だと思った。電話がほしい位に時間が欲しいのです。何もしないで何かを考えている時間。耳にしもやけが出来ました。かゆいし、あついです。冷めたい指をあたためるのに一寸べんりだなあ。弟の年を計算してみたら二十二歳になっているのでびっくりしました。昭和十五年十一月生れだから二十二歳ですね。あんなやつが二十二になったかと思ったり一寸うらやましいです。僕はふと僕が六十位になって人生をふり返ってみる頃の年だと楽しいだろうなあーと思いましたよ。でも今でもすでに精神的に老境の人と同じ心を持っていますね。十七歳からいきなり老人じみたものの考え方をするみたいに覚えます。大きな過失によって小さな幸せを見出すことが出来たと思います。人間としてめぐまれた境地に歩むことも出来たみたいです。言い過ぎみたいですが、「心」ってものだけは社会の人よりめぐまれたものをあたえられたと思っています。
 少ない自然を見ることによって、どんな平凡なものであっても心の中に深く喜びや美しさが入って来ます。冬の雨は冷めたいけど雨が上った後の水たよりの清しさ静けさが見れると言う事はうれしいものです。その水面に映った自分の顔が何かめずらしいものに、又喜びにあふれた様に思えるのです。鏡と言うものがないからですね。冬枯の本の葉の紅葉したのが残っているのを見てもさびしさより、美しいなあと思うのが第一の感じです。そして過ぎ去った故里の木々の紅葉・黄葉を憶い出すのです。通常の人が見のがす小さな変化でもよく知ることが出来ます。
 冬雨のあがったあとの夕ぐれは物の音をよく伝えます。獄の近くの子供達の遊び声や、「おかあさーん」と呼ぶ声がきこえるのもこんなしじまの時です。女の子の声はとてもかわいらしい音感です。
 トウフ屋のラッパの音は童話のようです。巷の音です。詩ですね。
 僕はしみじみと時々に思ったり感じるのですが、現在の生活は苦しい事の多い中に人に知られない喜びもあることを知ったことをとてもうれしく思うのです。太陽の光が細くさし込む金網の窓に顔をよせて、めをつむると、こんな幸せは僕以外に知らないだろうなあーと思うのです。両の手のひらに日ざしを受けて掌の汗が小さく光っている時、いのちって尊いなあー、見れる事はうれしいなあー、あたたかいなあーとつぶやきたくなるのです。光は掌の玩具です。しもやけになりかけの耳や足指、この指のかゆみも気持の好いものとなる夜の布団の中です。夜は楽しい時です。夢をみるのはあまりうれしくないですけどね。(このごろはどうしてか処刑の夢ばかりですからね)洗濯をする時つめたくてやだなあーと思いますが、洗って乾いた時の感触はいいもんです。時々乾くのが待ち遠しくて一寸指先でふれてみます。こんな動作も今の内だぞって思って自身に言いきかせるのです。特に最近は食べ物に対しても感謝したい気持になって来ました。僕の好きなおかずの時は、にっこりとひとり笑いをして予供みたいに喰べています。写真に写したら面白いだろうと思います。さつまいもと大豆以外は残すことはなくなりました。一番好きなおかずは野菜の天ぷらです。精進揚げのようなものです。苦しいことはやはり生命が一日一日みじかくなると言うことですね。これと心のゆとりと今きょうそうしているみたいです。
 人間である以上、僕は生きたいと言う事は第一です。「極悪非道」って善人が作った言葉だと思います。実際にこれにあてはまる人はないのではないかと僕は思うのです。どんな罪を犯した者でも真心のいたわりには哭くものです。それがどんな小さなものであっても、うれしいものです。そして自分の罪を深く悔い、つぐないの心を作って、あたえられた刑に服せる様に心を作ってゆくのです。善人と思っている人は悪人と見る人があるけど、悪人と思っている者に悪人と見る心はないと僕は思います。あわれなやつと思う位でしょう。それぞれに理由があるからです。にくむべき罪人であっても極悪ではない。極善と言う人が居りますか? おそらく人間としてないだろうと思います。僕は心の嬉しい時はよく「山男よく聞けよ」って唄がありますね。あのふしで何かをつぶやいています。又、讃美歌を僕の感情でふし付けて唄っています。唄って自由に唄うのがひとりの場合は一番楽しいです。昨夜からクリスマスの歌が聞こえるラジオ番組が出て来ましたが僕は淋しい感じの歌が好きです。はなやかなものには溶けこむゆとりがないのです。センチメンタルだな、と思う。でもね、人間の本性はそれが本当でないかなあーと僕は思います。女の人とのまじわりを知らず、酒ものまず、たばこもすわずバクチ打ちでもなく、ヤクザでもない。一寸惜しいなあーって思う極悪非道な者だね。と、僕は自分に云いきかせています。僕は「気の弱い人間」でしかない者だったと思う。人生って不思議なものです。わからないなあーと思う。でも、とても生きることが尊いって事だけはわかります。僕は犯した罪に対しては「死刑だから仕方ない受ける」と言うのでなく「死刑を賜った」と思って刑に服したいと思っています。罪は罪。生きたい思いとは又別な事だと思わなければならない。やせがまんではない。僕の本心である様だ。僕だって「人」であることに変りないからね。君は母がないと言う不幸な事があっても生きてゆく将来がある。が、母がなかったからきっと君は良い、やさしいお母さんになれると僕は思う。母がほしい、母がいたらなあーと思う心はだれでも同じだと思う。
 僕が自由になれる身であったら君と良き友達として過ごせるのにと僕は思った。
 いつの間にか窓が明るい色になって来て居る。とりとめのない事を書きました。では又、僕も元気です。
十一月二十八日朝四、
秋人


 前坂和子様

 お手紙ありがとう。今日は洗礼を受ける。ここまで書いた処で呼び出しがあった。今、新しい出来たてほやほやのクリスチャンとなりましたよ。滴洗によるバプテスマを了えた。朴君と僕と二人一緒に受けました。
 君位いの年令の女学生がピアノを引いてくれました。外に男の人が三人来られていました。ぶどう酒をのみました意外においしいものですね。
 一寸にがい様な甘い様なものです。感想は、何となく明るい気持と言うのか清いと言うのかな。うれしいものです。そして何かの責任を感じた。処刑のときも今日みたいに少しゆとりのある心だと良いなあーと思いました。でも「りっぱな最後」で消えてしまうのならあまりうれしくないなあー。人生は「生きて」価値あるものなんだ。死の讃美なんてうれしくない。キリストも死んだきりなら淋しいと思うだろうな。復活があるから死のみにくさがなくなっているのだと思う。クリスチャンとなっても生きれるだけ生きたいものだ。只生きているだけと言う意味でなく、何か作りあげつつ生きてゆくと言う気分だね。
 お手紙に有る様に実際は立派な死なんてうそだと思う。外面に出さないだけで、むしろ哀しみ、悔いて泣きながら去った人の方が純心であろうと僕は思う。僕の処刑の時は、たとえ立派と言う様な形で死んだとしても九十九%でしかない。残りの一%は生きたいと思う気持があるだろうなあ。
 君の気持は現在のままでいいんだよ。君の人生に溶けこむものか残るものがあれば良いなあと思っている。客観するのです。そしてあやまちをくり返さない様に教える人となってほしいです。(以下略)
十二月四日午後
島秋人
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青空に己がさびしと思ふことゆだねて独り仰ぎてゐたり

亡母ははと居る不思議に気付き初夢は覚めて死刑の己れのみあり

病むながく瀬峰に老いて春を待ち煙のみなる汽車を見ると云ふ

ほのかなる土の匂ひのさびしかり春陽に白き湯気のたちつつ

愛しさをふかく心にひそめ生きひとつ灯に吐く独語のありぬ

水仙の残りのつぼみ咲くまでは水代へてやりぬ獄窓まどの日向に

春来れば死刑囚なれどゆとり生まれ安らふまみに青き天あり

老被告理髪待つ間のまみ細め罪なき如く耳かきてをり

日溜りの広きにすずめ降り来しが惜し気なく去ぬるを獄窓まどに視てをり

霜燒けがなほりてシャツを洗ふなり幾度いくども濯ぎかたくしぼれる

風邪引きし保安課長と語り了へ風邪を引くなと云はれたりけり

四歳のじゅんいちと云ふ児を知りぬ母亡き故に笑はぬとあり

美しき靴のみ選りてかくすくせもてる園児は母亡き児なり

愛に飢うる母の亡き児にかくされし靴を保母らはさがし得ぬと云ふ

容疑者とつめたき目もて視なさるる母亡き幼児を獄に知りたり

かくされし靴の出て来ずおだてれば得意顔して出して来ると云ふ

若き保母母亡き幼児の添ひ来るに背をさすらせて母情を知らす

この手もて人をあやめし死囚われ同じ両手に今は花活く

しなふほど菖蒲の伸びて吹かれゐる獄の日向にひそみ安らふ

獄庭にはの樹々春の嵐に鳴れる夜波のしぶける故郷思ひぬ

獄塀へいぎはの日向にふたつクローバの花咲きゐたり四月の六日

被害者の忌日きにちの獄に仏華ぶつげなく春雨降りて静かに昏れし

春雨の窓のあかりを身にまとひ寂しき庭を看守歩みゆく

金網あみ目より入り来し蜂は白百合の花粉を足にまとひて去りし

草花に切なきいのちあふるるを盗みつづけし子の頃せまり来

赤さびしかなあみ塀により添ひて野生と化せる菜の花みつむ

つつしみて受けむと思ふ人生の岐点とならむその判決を

雨の灯にかがやきゆるる獄庭の樹々は鮮かな若葉となれり

更けてよりはげしさ増して降る雨にうたるるものを眺め安らふ

極刑と決まる身となりわがまきしパンをついばむすずめ写生す

稚な日の憶ひ求めて紙飛行機幾度も拾ひ飛ばす死刑囚

上告の棄却通知を受けし夜の水銀灯の獄庭の寂けく

極刑と刑が決まりて蟻の這ふあとを指にてたどりゐたりき

上告もまかりならずしてしみじみといのちあるものみな親しかり

極刑と決まりしひと日さびしくて旧師の古きシャツまとひたり

被害者に詫びて死刑を受くべしと思ふに空は青く生きたし

カリエスの孤児の少女のあみくれしレースの花器しき許可にならざり

許されぬレースの花器しき見るだけと許しを乞ひて描き写したり

いらかなきひとやにありて窓に恋ふ雨の濡れ泌む夕べの街を

フランスの詩人を想ひ灯に濡るる獄のさ庭の優しさ見つむ

更けてなほはげしき雨にぬかりゆく獄土ごくどに冴ゆる灯の美しき

独房もさかさに見ゆる児童画もめづらしかりき寝ころびてゐて

看守の眼しばしを盗みさびしさにころがりをれば視野がめづらし

許されぬ事をおそれつつさびしさに寝ころびてゐる獄のまひるを

ふるさとに遊びし子の頃憶ひつつ賜ひし貝をくちに当て吹く

友もまたわれに同じく生きたしと云ふをし聞けば哀しかりけり

わが体重五十二キロを指しゐたりさびしきことのふくまれてゐて

許されて働くしぐさを夢うちにありありとみてわれは生きたし

いたはりを求めて深夜の荒壁に触りぬつめたき拒絶と知りつつ

罪のなき憶ひに至りもろを眠れぬ夜更けの灯にかざしたり

良き事は少しのままに過ぎたれど憶へばかなしきわが少年期

ほめられしひとつのことのうれしかりいのちいとしむ夜のおもひに

ひると夜の顔のあるなり死刑囚悔いに慣らさるひとりの部屋に

看守にも友にも見せぬかなしめる顔うつし見る夜の流しに

師が妻にふたたび会ひ得て賜りし浴衣まとひて急ぎては行く

姉弟と書きつ書かれし人と会ひ語ることなき初対面の網窓まど

弁護士の夫人来たまひ語らふに親しみ浅くうつむきてをり

獄庭に小さきひよけ作られて話題の変るひとときたのし

さびしさの極みにありて死囚われ愛するものをしきりにも

さびしさのまま書きへし文なりきすてかねてわれ出してしまへり

顔濡らし拭かずにをればこそばゆくしづくのたれて乾きゆくなり

垂直に獄塀高き白昼まひるなり影なき土ゆ砂塵をあげて

白壁がしきりにさびし眠られず耐へがたき夜を救急車ゆく

朝あけのガラスの色をみつめつつ悔いよりるる寂しさに耐ふ

鳴き方の幼き蝉を獄に聴く初蝉なりとふみに書き付く

秋立つ日につくつくぼふしの鳴きつづく亡母ははのたまひし玩具おもちやかも知れぬ

夜の影はいつもの同じ位置にあり指もてつくる翳と遊べる

過ぎし日の涼しき夢の覚めて聞くふれあふひとやの鍵の鳴る音

明けやらぬ獄庭にはに濡れつつ葉の影に藍の朝顔ひとつ咲きたり

明けやらぬ獄窓まどに来たりて朝顔のひそかに咲くを見つめてゐたり

藍の花あけの花まじり十幾つ朝顔競ふ獄庭には静かなる

明けやらぬ獄窓まどに来たりて朝顔の少くなりし花をみつむる

掘りあげし土が匂ひてやさしかりしんしんと更くる月夜の獄窓まど

欲しきものれよと云へど良き人と微笑む所長を見つつ決まらず

過ぎし日に少し腹立つことありと告ぐるに牧師はをなぜくるる

老いたまふ牧師の指の熱かりき聖句示さるる指触れあひて

水道の蛇口つめたく心地よし虫の音ききつつほほに当つれば

虫あはれいのちのかぎり鳴くさまを人は涼しきものとして聴く

死刑囚のあがき虫の音にとけて憶ふやさしき人の優しかりしを

はてしなき悔いに耐へかね荒壁に触れつつ聴けりやさしき虫の音

虫の音に過ぎしをおもひ聴き入りつ荒き壁のめんさすりゐたりき

過ぎし日に四度よたび自殺を計りしをひとやに覚めて虫聴き憶ふ

やさしさのつきぬごとくに虫の鳴くひとやに冴えて独りかなしむ

虫の音のひそかになりて獄の夜の明けそむるらし風とほりゆく

いささかはさびしきことのれ来れど晴れし秋空獄窓まどにたのしむ

死刑囚の憶ひをかもす赤あきつちひさき蝶の飛ぶ空親し

昨日まで鳴きゐし蝉の鳴かず暮れみじかきいのち終へたるらしき

ひげそらんとはいりし室にほほづきのあからめるあり指に触れにき

姉弟を丸にかこみて親しめる優しき義姉あね手紙ふみが来たりき

夜具にさす月美しと書き来たる獄に見得ざる事とは知らず

かがまりていひ待つかげのさびしきに触ればいとしきいのちなりけり

このなれし手つきのかなし死囚われ鉄の飯皿まるく拭きつつ

鉛筆のぬくもり愛しいくばくの生命いのちと思ふ獄の夜更けに

許すと云ふ言葉望めずつぐなひの死刑を待つ身夜具重く寝る

死刑囚われある故につつしみのくらしすといふ老父ちちのふみ読む

老い父の生活たつきは楽にはならざれど窓ある家に移りしを知る

窓のある家に移りし老父ちちおもひよろこびゐつつ眠り得ざりき

老父ちちよりの手紙ふみは余白が多かりき要件のみの字を読みて更く

幼な日の憶ひに小さきドングリのひとつころがす獄の畳に

手にすくふ細き洩れ陽は金網の影をこまかに描きてありたり

移り来し明るき独房へや金網あみあれど冬陽さしゐてまるき日が見ゆ

うるはしき心極まるバプテスマ受くる席にゐてピアノ聴きつつ

かへりみるゆとりいとしみ憶ひつつ双掌もろての冬陽あたたかく受く

金網あみ洩れの冬陽に指のかげのばしちひさき幸のひとつをみたす

金網あみ洩れの細き日向に身をいれてたはむれのごと移りつつをり

死囚のみ二人ふたり出で来てボール投ぐ日向の位置を替りあひつつ

悲しみのはてにたどりしゆとりなり冬の獄灯ひとやび無心にみつむ

ふり返るいのち尊し除夜の鐘鳴りへて獄に顔を洗ひぬ
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昭和三十八年

「毎日歌壇賞」受賞。父が面会に来る。
文鳥一羽を飼うことを許される。


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 窪田空穂先生

 本日ぶしつけなものを送りました。別便の方が先きにとどく事かと思いますが、歌集の原稿の清書したものであります。
 お送り致しましたものと同じものを筆写して今迄にお世話になった方の少数の人を選び(六冊しか書かないつもりです、あまり多くは許可されない事になりますので)現在の僕をつくって下さったお礼としたい考えで居ります。先生にも初めはカーボン筆写のものの内良く書けたのをと思いましたが僕の文字はへたくそなのでどうしてもへんな文字のものになり読みにくくなります。それで原稿のものをそのまま清書してお送り致しました。
 先生に読んでいただいて、心にとめていただけたら幸いであります。拙ない歌ばかりかも知れないけれども、僕としては真実をつくして詠んだものであって分身の様なものです。新らしい心の僕の分身なのです。
 その中には感謝もあり、生きる尊さを知った歓びもあり、幸福感もあります。
 知能指数のひくい、精神病院に入院もし、のうまく炎もやって、学校を出てより死刑囚となるまでは僕の内側の「もの」を知らなかったのを短歌と多くの人の心とによって知り人生はどんな生き方であっても幸せがあるのだと思い、被害者のみたまにも心よりお詫びをし、つぐないを受ける心を得、現在では人間として心の幸を深く知り得たことをよろこぶのです。
 このよろこびのお礼としての歌集の原稿をおとどけ致しました。
 歌集の歌は全作品の二割五分位いです。僕は歌の数の少ない部類に入ります。へたくそです。仕方ないと思います。むりな背のびをしていつわりものの歌とならぬ様に心がけています。いつまでも歌は稚なさを失なわず真実の心で詠みたいものです。十四才の知能しかない僕が、死刑囚と云う事によって得た恵みは、二百数十首の歌としてあらわすことが出来ました。僕は不思議と死刑囚と云う事に対する心の重さはあっても暗さと云うひねくれたものがない様です。のんきなのでしょうか。わからないのです。
 明るく笑う様なのもないですけど歌に詠まないだけでわりと心の中では明るいのです。よろこびでもあります。この様な心のあると云う事はうれしいものです。文鳥を丸一日飼ってみて鳥の素直さがとても嬉しくなりました。このまま心を育てて、おわびの日にしっかりとお詫びをしたいと思っています。
 まさか、とてもえらい先生にお手紙を差し上げる事になるとは思っても居なかった事であり、申しわけないみたいです。ありがたいと思っています。人生の本当のよろこびを得た人間としてのお礼であります。あまりお礼にふさわしくないものですけれど。
不一
六月七日記
島秋人

 窪田空穂先生

 お手紙ありがとうございました。一昨日お葉書をいただいた返事を出して、すれ違いとなりましたが、先きの手紙をお読みいただければ昨日いただいたお手紙の返事ともなると思いました。
 大きさは違いますし、深さも違いますが、先生と同じ様な考えで居ったと云う事をお手紙をいただいて知ることが出来てすっかりうれしくなりました。昨日の夕方いただいたのです。おとついのおひる頃とどいたのですが、検閲や上司の人々も読まれるしくみになっていますので入手がおくれ、お返事がおくれました。昨夕は、先生のお手紙、旧師の奥様のお手紙、小島君と云う耳の遠い心の孤独な人のお手紙と、創価学会に入れと云う手紙と計四通もありました。返事を一度にたくさん書くのは大変だと思いながらも僕にはこの様に多く喜びが有ると思って心たのしく書いています。本当に他の人に比べてありがたいからです。
 正しい愛情と云われるお言葉はうれしかったのです。死刑囚としての同情でなく人間としてのものを僕も願っているからです。
 苦しいことは、孤独感ではないのです。一番は、被害者のお子様の将来を思って申しわけないことです。孤独と云う暗くてじめじめしたものは僕の中にはほとんどなくなったみたいです。淋しい時はむしろ心がすんでいいと思います。僕の現在の幸福感、安心感は多くの人々の親切によって作られた、恵まれた、かんきょうによるものです。
 かんり部長さんと一昨日、長時間お話し致しましたときも、思ったことです。僕は知能は低いけど嘘を云わぬ様につとめて、生きることを考えたおかげもあろうと思うけど、第一には歌を詠むことを知ったことによって多くの人を得、より真実を知った、ためとも思われるのです。自己の真実は他の人の真実によってはぐくまれたものです。特に旧師の奥様、千葉てる子さん、土屋公献先生による成長が大きかったのです。
 先生の毎週の歌をなおして入選させて下さることもよろこびです。
 しかしこれは歌を詠む僕としての別なよろこびでしょうね。僕のよろこびを不幸な人に少しでもわけてあげたいと心してお手紙を出しています。孤児の清水香子君も明るくなってくれていますし、良かったと思います。
 特に先生にお願いすることは先きの手紙に書いてある事以外現在はないのです。希望は有りますが自力で得たいものです。それは旧師夫人におんを返えすことです。現在の僕では力がないけど希望として選者としての先生の色紙を望んでいる事です。それをお礼として吉田絢子様におとどけするのが僕のおん返しです。この様なことは書くべき事でないと思いますが心の内で思っている事ですから書きました。
 文鳥はメスとわかりました。チルと名前を変えました。旧師夫人も「ガーア公」はカラスみたいで家族全員反対の意見らしいので「チル」とだけにしました。「青い鳥」の主人公の名前よりとりました。
 先生からのお手紙をありがたく思います。特に垣もなく、おかしな同情心もなく、人間としてあつかっていただいている事をうれしく思うのです。
 ありがとうございました。
 ご老令のお体をお大事にお過し下さい。この頃は色々と有名な方々が亡くなられます。明治の初めの頃の人が少なくなり淋しい感もあることと思います。お無理なさらずくれぐれもお自愛下さい。
不一
六月十五日
島秋人

 窪田空穂先生

 本日三日朝「放たれた西行」をいただきました。
 ありがとうございました。いくつかの空んじていた歌をみつけては心からうれしく思いました。良い本をいただき思いもよらぬよろこびでもありました。先日先生に西行の本が知りたいと云うことを書いて手紙を出したと教育課長さんに云った時、そんなことはするなと云われ、そうかなあーやっぱりいけないのかなあと思って居ったのです。あまりにも高い処に居られる人に心やすく頼みごとをしたのは僕の教養の足りないためだと思いましたが「欲しい」と云う気持が心を盲にしてしまったのです。本心から欲しかったのです。失礼の事が多いと思いますがどうぞおろか者の希望であったことに、いつわりのない裸の望みであったことにかなえておかんように下さいます事をお願い致します。
 この本から学ぶことが出来る様な能力はありませんが心に感じるものは多いと信じます。西行の歌が読めるのですからうれしいのです。こんな拙ないお礼の手紙を書けるのも生きているよろこびのひとつであり、今日の恵みです。二十四才で罪を犯して死刑被告となり、死刑囚となって思っていたより長い生命をあたえられて今度の正月で三十才になります。普通の人の六十才になれたみたいなよろこびでないかと僕は思うのです。長く生きたとかみじかいとかが人生の本当のよろこびではないかも知れないのですが、うれしいと思います。しかし本当はみじかくとも心から自分を知り、高めて柔和になり得て少ないことにも幸福を覚えて楽しめる日日が人生の一番のよろこびだと思います。僕はおろか、ていのうです。だから一生懸命裸になり切って真実を力として詠み、おろかなままに歌の道によろこびと悔いとを知らされて生きてゆく心です。吉田絢子様と千葉てる子様の二人が常に僕の歌と心とをはぐくんで下さっています。先生は僕の歌をなおして下さってみちびいて下さいます。
 死刑囚になって良い生きの日を得て感謝です。先生ありがとうございました。
不一
島秋人
十二月四日(去年のこの日洗礼を受けました)
中村覚


 吉田絢子様へ

 お手紙ありがとうございました。お金千円ありがとうございました。たくさんです。「少々だけど」などととんでもないことです。
 千円ってすぐなくなる様になったこの頃ですがやっばり千円は大金です。
 ありがとうございました。無理なさったのでしょうね。申しわけないなあ。
 歌を書かないで申しわけないけど、めんどくさいのと、ろくなのがないので書かないのです。ひまがないのも理由ですが、もう少し待って下さい。回想録と一緒にきっといつかとどけますからね。僕はなまけものだよね。でも人間としては少しは良くなったつもりですけどね。
 永井さんの歌集よろこんで下さってありがとうございました。広野武さんからいただいたのです。まったく知らなかったのに。受賞を知って下さったのです。
 こまぎれはコマギレの味があってもいいものです。上等の肉もまじっています。
 かたいのも、優しいのも、きびしいのも、楽しいのも、いろいろと入つていますね。クリスマスはイエス・キリストが生れたことを信じて感謝してお祝いするのだからよろこびあえば、神様はよろこんで下さいます。夢をあたえて下さるのも神様のしかけですね。隆夫君やひさ子さんの抗議には僕もさんせいです。大さんせいです。プラカードを作ってやってもいい位さんせいです。もしクリスマスをしなかったら子供の夢はないでしょ。クリスマスには間に合わなかったけど隆夫くんに切手を同封致します。たくさんたくさんありますよ。ノースタンプも三角切手も「二百万円」と云う切手もあります。動物と花の切手もローマオリンピックのもインドのも。日本の古い切手(と云ってもまだそんなに日がたってないけど)二枚の外はみんな外国のです。全部でちょうど百枚あります。そして百種類です。ノースタンプがかなりあります。三分の一位いかな。四分の一位いかな。三角切手が八枚。ソ連のも朝鮮のも中共のもあります。前坂君がとどけて下さったのです。最終便にやっとまに合いました。国別は将来のおじさんになる人に見ていただくことですね。僕にはほんの一部分しかわからない。今年はいい年でした。
 今日は、僕達死刑確定囚全員が二組にわかれて二度目のソフト・ボールの試合をしました。ボールは布製でバットは素手です。僕はピッチャーでした。この前はキャッチャーでしたけど。只広い広い広い運動場に出て遊ぶことがとても泣きたい位いうれしかった。僕はうれしいので一生懸命プレーした。二試合して二つとも勝った。僕は二試合連投し勝利投手となった。僕の打数は五ヒット位いだった。へたくそだけど楽しかった。白いトレーニングパンツをはいておしまい頃には靴下はだしになって広い地面を踏みしめながら楽しんだ。いい日だったよ。今日は亡母の命日だったけど僕は何となく亡母もよろこんでくれている様に思えて子供になってハッスルしました。みんながハッスルしたのです。楽しみをみんなが味わってトラブルは一つもない楽しいものでした。役所の上の人の理解のおかげですね。来年も又あるといいなーと思っています。
 先生も奥様もいい日々をつくりあって幸せに過して下さい。
十二月二十七日夜
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はかな事おもひてゐたり冬の陽の少し残れる獄の窓辺に

主のみ手にすがる外なき囚われに冬のさ庭の陽があたたかし

許さるる限りの生きをいとほしみちひさき事にさちを得て生く

かたはらに己れの動く影をみてボール追ひつつ愛しかりけり

肩冷えて深夜の床に覚めて聴く遠き汽笛の何か親しき

子を四人授かるそうかなしむをわがてのひらは寂しかりけり

たれかれの善きを憶ひて笑みてゐる独りのひとやの冷えに目覚めて

ぬくもりの残れるセーターたたむよるひと日のいのち双掌もろていとしむ

雀らの羽ばたくかげが春の日の射す獄窓をよざりて明るし

淡雪の吹き降るあした獄窓まどあけて子の頃のおもひたどりゐたりき

許されし夢より覚めてきく汽笛みじろぎがたく聴きつつ愛し

死を想ふさびしさを経し夜にあり鍵の鳴る音を愛しみて聴く

幼な日の優しきことの幾つかを獄壁かべにさはりつ憶ひ更けたり

一輪の菜の花活くれば子の頃の憶ひがひとやにひろがりてゆく

教育大学受かりましたと告ぐる君の家事に荒れたる指をも見たり

みちたりて云ふべきことのあらざれば首あげて見る青き空なり

みちたりてことなく笑みの湧く顔を幾度も晴れし空に向けたり

金網のへだてに寄りて師が夫人笑顔したまひ手を振らせらる

五月雨さみだれの止まぬに雑草くさは苅れずして小さきは小さき花を咲かせぬ

としごとにふるさと遠し柔ら葉の濡るるを獄に見る頃となる

りそめし生命いのちいとしむ日日なりき紅ばらが獄庭にはに群れて咲きたり

死刑囚の身となりて知れる幸なりき日日に忘れず生きむと思ふ

金網あみの目のひとつに入れて視てをりぬ砂浴びるすずめゑさ食む雀

父親となれず死ぬ身に文鳥のひなを飼ふこと許されたりき

金網あみ洩れの陽のあたたかし獄窓まどに添ひの文鳥に青き空見す

ひな文鳥ひろひてやりつ独り笑むにのりそびれおこるしぐさに

ねだり啼きするを覚えし文鳥の嘴紅はしべにかなし籠より出しぬ

こだはれるさびしさありてほん読むにしきりにも啼く篭の鳥かも

身に淋しきことのあるいまにのりて啼く文鳥の啼くをかなしむ

クレヨン画を見せてもらひぬわが過去に無き明るさを金網あみごしに笑みつ

ふとうかぶ憶ひを歌になさむとしたのしさにゐて忘れてしまふ

熟睡にひたりをりしを覚めて知るみじかかりしもうれしかりけり

雨の灯に憶ふことみな優しくて詫びて済まぬ身を詫びつつ更けぬ

にはか雨いましやみたる夜の空へ遠き汽笛が濡れて鳴りたり

秘めてゐる優しき憶ひたどる夜にふれあひて鳴る鍵の音かも

夜は星のふたつを獄窓まどに見てをりぬ晴れしひるより続くたのしさ

体重が四キロふえてよろこびぬ痩するに易き死囚の身にて

大福のやはきを食みて忘れゐし生活たつきさちのひとつを知り

生きてゐる清しき幸よ晴れし日に独りの肌着濯ぎへたり

差入れの上等弁当食みをはるうまかりし笑みふたに写りて

人相の柔和になりしを云はれたり叱られし日を憶ひつつ聞く

ふとるる笑みのかなしも生涯に一度ひとたびの賞受くると知りて

おろそかに過し得ぬ日と思ひつつなすことの無くひと日昏れたり

濡れ土に沁みゐる獄灯ひとやびみつめつついまに至りし己れ愛しむ

りそめし生きの日にふとよろこびの極みの如き憶ひ湧き出づ

朝顔のひとつに露のあふれゐて葉かげのあけの鮮かなりけり

虫の音を初めてきく夜この夏も終りに近し獄窓まどに来て聴く

ナイターを見しと云ふ手紙ふみ読みへてちひさき夜空獄窓まどより仰ぐ

縫ひたての座布団たまひぬ幼児の夜具地と云ふに双掌もろて這はする

眠るためめつむるならず耳しひに聴き得る虫の音独りかなしむ

虫の音はますます澄みて死ぬるべきわれのひと夜をいたはりくるる

父母に許されぬまま手紙ふみ欲りつつ処刑移送となりし友あり

来ると云ふ老父ちちを待ち佗び夜通しを鳴く虫の音に聴き入りにけり

四年経て金網ごしにいたはられ老父ちちの言葉の少きを聞く

父老いてくり返し同じことを云ひ言葉なきとき泣きたまひけり

老父ちちが見する姉の写真の女の児をさなき頃の姉によく似る

いきどほる事のある日は師が妻の優しきを思ひ足りて眠りぬ

耐へがたき憶ひに獄窓まどの洩れ陽あび己れのかげの動くを厭ふ

さびしさに心ゆくとき笑み添ひて優しき憶ひ獄にれ出づ

さかだちの双手にかかる寂しさは五十二キロの重さにあらず

きらはるるしうちを受けし夢なれどめづらしく亡母ははの夢をみたりき

亡き母に叱られたくてまみつむりひくく飯皿ならしてみたり

亡き母の憶ひが優しまみつむり叱られしことの食器鳴らしぬ

何となく指触れしむる獄の灯にひとつやかんのあたたかき腹

かなしみのゆるに似たりかまつかの濡れてかなしきあけの小さきは

自愛するひと日に足りて寄り添へる獄窓まどの洩れ陽をまぶしみてをり

ふと獄に亡母ははにそむきし事などを憶ひつつをり陽に黙すとき

刑死の日近くなりしを覚ゆるにガラス透く陽を浴みて安けし

安らかに笑みて受くべしあやめたる罰受くる日の何日いつに来るとも

無期なれば今の君なしと弁護士の言葉憶ひつつ冬陽浴びをり

丸刈りの頭にぬくみ伝ひ来て曇ガラスの獄窓まどとほる陽は

てのひらを冬陽の壁に添へてゐる死囚のいのちのひととき愛し

洩るる陽にゐざりつつ行きふとをかしひとりの獄の安けさのうち

幼児のごとく冬の陽てのひらに受けとめてをりぬかなあみ獄窓まど

まみつむり甘えて顔をまむけをり冬の陽ふかくさしくる獄窓まど

いくたびか老父ちちの手紙をりてゐき忘れむとする処刑日迫る

風ふけば吹かるるままに傾きてちひさきかんあけの菊かも

愛に飢うる小さき胸に菓子袋ひとつづつだく孤児の一群

ゆづりあふ笑みが写りき湯あがりを二人ふたり見向ふ小さき鏡に

ふた試合投げて勝ちたるうで振りつつおもふ都度つど笑む独りたのしく

良き鉢を選べるほどとなりにけり確定じゅんの葉ぼたんりぬ

いくたびか楽しきおもひ湧き出でて遠く去りゆく一日愛し

湯タンポをかかすことなく年を越すひとやの眠り愛しかりけり

三年経てかはりしわれをかえりみつ笑むこと知りしいのちいとしむ

三十の年を賜り獄に食む雑煮餅なり甘くかみしむ
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昭和三十九年

父に新しく家があたえられる。わが送りし賞金二万円が、その基金と聞く。


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 窪田空穂先生

 前略 とつぜんの厚かましい手紙を差上げましたが今日のおひるにお返事をいただく事が出来ましてほっと致しました。
 本になるまでは家を建てるのと同じく出版のくわしい人におまかせ致します。
 先生は六月六日がおたんじょう日ですね。八十八才まで生きていると大変ですね。僕みたいな者に無理を云われますから。でも一日でも生きていれる幸はやはりありがたいと思います。僕は同じ六月二十八日に三十才になります(満です)。六月には旧師の奥様が柏崎から面会に来て下さる予定です。たのしみです。もう一度歌壇賞をとれと気合を入れられていますが僕には力がないのでただうそと人まねでないもののみでがんばっています。照井親資さんにはどうしても追いぬけないなあーと思いながらもがんばりたいと思っているおろか者です。◎と教えられるとその一週間はうれしいです。切抜きがとどくまでメモをにらめながらひとりでよろこんでいます。丸山義夫さんの◎のときもいい気持です。明るくて楽しい歌だからです。広野無明様には受賞のときお葉書をいただきました。今度歌集が出来上ったら小牧残喜様に送って差上げようとひそかに思っています。
 文鳥の「チル」はメスで三月十一・十二・十三日とイースターの日と三十一日・四月一日二日と七個のタマゴを生みました。一羽きりなのでひなにならないタマゴでしたがイースターの日に生んだのにはびっくりしました。そして「まんぐうせつ」にも生んだので一寸おかしくなり、ひとしお可愛くなりました。今日はさんまの骨をくわえて飛びまわって私の夕食をめちゃめちゃにしました。口うつしの麦飯をよろこんで喰べるのです。ふところにもぐり込んだり、耳や鼻の穴を嘴でいじくってくすぐったいやら痛いやらです。一羽と一人の生活も楽しく死刑囚とは思えない心の明るさを得て過しています。
 先生もいろいろな楽しみがおありでしょう。苦しみもあるのだとも思います。でも先生はとても良い人ですね。私みたいな罪人に対しても親切ですから。
 お大事に若葉の季節をお楽しみになられてお過し下さい。
四月二十一日夜記
島秋人

 窪田空穂先生

 先日よりいろいろと押し付けましてお手数をおかけ致して居ります。
 昨夜私としては出来る限りのものとして遺愛集の原稿をようやく書き了えました。別便小包でお送り致しました。私にはどうしてよいのかわかりませんので心配の所もあり先生のお手によっていけない所は正していただきたいのです。
 このあとのことは先生のお眼を通していただきまして、私の無理なお願い事の題簽と解説文を賜り栗原喜代子様へお転送方をお願い申し上げます。この様な事は先生にはよくわかって居られる事でありましょうが私は考えが浅いので押し付けがましい事になります。
 あとはすべて先生のお心ざしを得て、おまかせ致します。
 同封の切手は誠に先生に対して失礼な事と思いますが栗原喜代子様へお転送の費用として入れたものであります。
 歌のことについては特に選者として多数の歌を見ていただきました先生にお力添えをお願い申し上げます。
 どの様な本になるか、私にはよくわかりませんがりっぱな本となることはたしかであろうと楽しみにして一日も早く出版が出来上る事を待ちたいと思います。
 このことはまだ父には知らせてありませんが本となったときに送ってやることにしています。きっとよろこぶと思います。
 よろしくお願い申し上げます。序文等生れてはじめて書きましたのでこれで良いのかどうかわかりませんが僕は書けるだけを一生懸命書きました。歌の抄出においても同じです。これからはもっともっとよく正しい考えに心が素直に行く様に自己をみつめながら歌を詠みます。
 数えの八十八才のお祝いの年でお多忙な月と思われます。お体をお大事に、美しいもの、優しいもの、自然の愛しさをもっともっと多く詠まれてお丈夫にお過しなされます様に、私は心より願って居ります。
五月六日夜記
島秋人

 窪田空穂先生

 前略 序と題簽と私の歌稿を土曜日の午後に入手致しました。
 序文を何度も何度もくり返し読みました。心の底からあったかいものにあふれてとてもうれしく夜中にも読みました。無理を申し上げましたので気分を悪くなさったことと思い込んでいただけに、先日のお手紙に書いてあったこと「無理をして書くことにしましょう」とあったときは不安な心でしたので、歌集稿本をお送りするときは終り近くなって、書く鉛筆の文字に心を込めてお老令の先生にもなるべく読み易くと力を入れました。気力を注入して私としては一生懸命書きました。あとは運命のままにと思っていたところに思いがけなく早くまとめてお送り下さったのにびっくりしました。
 師は優しい人で、人をさべつしない人であって、しかも自分に気付かなかった事をさえ教えて下さったので私は手紙を読み返し、序文を読み返しそのお心ざしを味わいました。ありがとうございました。
 被害者の方に、罪を犯した人間が出来る限りの反省と悔いに罪を詫びて、正しさにみちびかれてお詫びとしては足りない罰の上に心からの更生をすることを知っていただき、みたまに詫び、家族に詫び罪人であれ人間であったと云うことをも知っていただきたいのが生前、死後を問わず歌集の出版の趣意なのです。そして遺品でもあるのです。
「さぶ」という山本周五郎と云う方の小説の「さぶ」の様な人間に私はなり切りたいと思っていながら死刑と云う罰を受けなければ許されないままただ死ぬのは人間として悔いが多く残ります。
 出版はむづかしい事が多いのですが一生懸命やり生涯の仕事としたいのです。おはかの代用でもある事を少しのたのしみをも持って歌集を出したいのです。
五月十日夜記    島秋人
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いくたびかことし限りと思ひ来しつつがなく去年こぞを生きて愛しき

凧あらぬ空のさびしささがしゐて獄塀へいより高く揚がる羽根みる

初夢に中学の師のあらはれてホイッスル吹くにわれ走りたり

かがまれる翳に指添へかろからぬ息きし身を独りいとしむ

雪見とはかなしき独りのうたげかもまばたきをするまみの冷き

雪降れば雪にかなしき憶ひ湧く死すべきものの安けさにゐて

なつかしくのみ思ひ待つにわれ打ちしふるふるき師はふみたまはらず

鉄鋲の多き靴にてけられたる憶ひがかなしあまりに遠く

うとまれつつ卒へし死囚にふるき師の記憶にあらぬ良き憶ひあり

はてしなき悔いに更けゆき白壁の荒きにさはり独り愛しむ

草萠えの陽の射すひとやに独り居て着せらるるべきシャツつくろひぬ

繕へば老父ちちの過ぎし日憶ひ出づ縫ひ目そろはぬ針あとの似て

耐へきれずあがきつづけしかの日には想ひせざりしいまの安けさ

嘘捨ててくらせる日日のうれしくて死囚のいまの安らひ愛し

この春をむかへ得ぬかと思ひたるおろかなる日を花芽に憶ふ

嘘捨てて生き来し故の幸ひと憶ふに笑み湧く今朝のたのしさ

あてはまる言葉のあらぬさちにゐて白銀しろがね淡きねこやなぎ活く

理由なき独り笑み湧く身のかなし死なねばならぬ罪を知りつつ

青布のボールは獄塀越えゆけり素掌すでの野球のホームランとなりて

死の近きいのち愛しく二打席の連続ホーマー青空に舞ふ

差入れの桜咲きたりはぐくまれ至りし今の笑みを愛しむ

笑ましきも言葉になせず幸ひとつフリージャの咲く花器の水代ふ

雑草くさのこと云ひたる事の無き死囚雨後にしばふのさわやかさ指す

かるからぬ生命いのちのあした桃の花あめに濡れつつさ獄庭にはに咲けり

嘘つきし身のさびしさよ許さるる嘘のありしを聞きて安らぐ

白銀の硬貨が清くひかりをり献金なし得ぬ囚の瞳を引き

獄に聴くわらべうたなり幼な日の砂浜憶ひひくくうたひぬ

ふるさとにえにしのあるといふ花のミヤコワスレのむらさき明し

微笑みのおのずとるる愛しさを幸の極みと生きてり得る

生まれ来て知れる幸ひ生くからにおのずとるる微笑ほほゑみ愛し

幼児にもどりし如きおもひしてちひさき事に笑む日のかな

笑むほかの幸ひあらず独り笑み刑死の迫るいのちいとしむ

欲しきもの少くなりて囚身しゆうしんの眠りは深く覚めていとしむ

こころよく眠り得し夜の晴れて明け獄窓まどよりみたり紅ばらの群

極悪事詫びつつなほも愛しみは日日にあふるる自戒を超えて

余命なる生きを愛しみひとや更け足らぬ自戒と詫びて眠りぬ

生きの日の素直をりて伝ひゆく涙は微笑むほほにかなしき

ほめられし事くり返し憶ひつつ身にさち多き死囚とりぬ

いとほしむ憶ひにふいと良き人の名のれ出づる独りのひとや

ためらふに問ひ悲しみぬ死後の眼を欲しきにやれぬ死囚の死なり

許さるる事なく死ぬ身よきことのひとつをしきりと成して逝きたし

双手もろて振り歩み初めし児を獄窓のかなあみの日のひとつにみたり

つばさのみ白き子すずめ幾度いくたび獄窓まど近く来て白と名の付く

初蝉を独りききたる獄の小夜さよ久々の雨通り降りたり

蝉のこゑききつつかなし強ひられて生き来し事を幸としてゐて

一匹のみんみん蝉のこゑききつ罪あらぬ日の憶ひいとしむ

帰りえぬ故に愛しく日の昏れのかなあみ獄窓まどに法師蝉きく

十円の切手二枚と替へ得たるアイスクリームの冷きに笑む

生れ来しいのちいとしむ夜の更けを亡母ははに添ふごとうつぶせに眠る

まみつむる愛しき憶ひ捨てきれず刑死の迫る夜を冴えたり

なつかしみ憶ひをたどるも二体よりおもひ出し得ぬねまり石地蔵

荒彫りのねまり地蔵のなつかしき芸者など行く銭湯の路の

町内に能登屋いたこ屋信濃屋の置屋ありしを虫聴き憶ふ

幼な日の憶ひが愛し耳遠き死囚の聴ける朝の虫の音

このとしの虫の音聴きぬおそれつつ生き来し朝のひとやは凉し

いつはらぬ余命のいのちいとしめばすみとほり鳴く獄の虫かも

酒のみの父持ち貧しき姉弟きようだいの誤字多き手紙ふみを獄に愛しむ

幼な児はいづれもかなし日の丸を振りつつアベベと高き声あぐ

振るものの無き児はふろしき振りてをりアベベのかたき顔にむかひて

亡き友が美味うましと云ひし葉とうがらしうましと思ひ少しづつ

うとまるるわれになつける文鳥のはしのいたづら笑みていとしむ

愛ほしむしぐさを素直に受けくれてくちうつしみ文鳥かな

かへらざるたまごあたたむる文鳥のしぐさがかなし呼びて遊びぬ

くちうつしにいひ食む文鳥のはしあかく与ふる都度つどに啼き乞ひてかな

刑死待つ身がいとしめば児の如く文鳥よりにのり遊ぶ

おそれゐし物にも馴れて文鳥の糸紐くはへひとり遊べる

隣房の雄の啼けるに啼きてゐぬかなあみの獄窓まどに文鳥添ひて

はしあかく啼ける文鳥のまみかなし叱りしいまを呼べば掌に来て

より降りひとり遊べる文鳥のおそれつ小さき飛ぶ虫追へる

文鳥のぬくもりはに伝ひゐて愛しみ呼べば呼ぶ都度つど啼きぬ

にのせてたはむれあひつ文鳥と一日ひとひのいのち獄にいとしむ

老い父に罪なき日には為さざりし善き事ひとつ為し得て愛し

善き事を為し得し生命いのち愛ほしみ金網あみ洩れの陽にまむかひ笑みぬ

いささかの金も送りて老い父が家成りし事を獄によろこぶ

弟が戸主となりゐき新しき家に移りし老父ちちの手紙に

家成りていらなくなりし設計図送られて来て獄に愛しむ

看護婦の白衣歯に噛みより添へるサリドマイド児は裸足なりにき

小心の貧しき顔のうちに棲む愛しむ心を獄に厭ひぬ

強ひられて生きゐる身なり帰り来ぬ憶ひをたどるその都度つど愛し

としあけて貧しきいのちるのみの獄にいとしむ餅あたたかし
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昭和四十年

信仰の姉に、角膜・遺体献納の為に必要と養母になってもらい、母を得る。
これより千葉姓となる。


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 前坂和子様

 風が強いので部屋の中が砂塵で何度拭いてもざらざらする。寒さはもう遠のいて春が近い。菜の花も盛りを過ぎようとしています。今日は午後菜の花を四枚描いた。一枚二十八円の小型の色紙にいきなり気分のまま描いて五枚のうち一枚失敗した。気に入ったのは一枚しかない。高い絵になったと思った。でもこんなに心底から明るさを得たのは久々の事ですよ。絵の方がムシャノコウジ・サネアツ先生に似ている?のです。どうです一枚一万円で! 何百万年後でないとねが出ないと云われますね。本気でもダメです。許可ってのが高いからね。ほんとに自分でもこんなに調子よく描けたなあーと思うくらいです。花がよいのですね。
 特別今年の菜の花は強いです。ねこやなぎはだめでしたけど。毎日忙しいのでしょうね。こうゆう時期は僕みたいに頭の悪い人間は徳です。忙しいのは才能が有るためとあきらめてしっかりやって下さい。
 今週の歌壇に入選してあったと云うけど去年の歌ですよ。びっくりしました。みんなに歌は止した止したと書いたので嘘ついたみたいです。
 今度千葉てる子さんが僕の養母になりまして、僕も新しい母を得ました。姓も改めました。今度から千葉姓です。
 母は四十一才で子は三十一才になる。
 母より大きい子供です。
 僕は二人の母を持った。
 かあちゃんと呼んでさっちゃんと呼ばれた亡母。
 おかあさんと書くのにさとるさまと書く母。
 おかあさんと書いたりつぶやいたりするとき、心がおだやかに幼くなっている。母っていいね。そう思いませんか。
二月二十三日午後
秋人


 前坂和子様

 ツタンカーメン展の絵ハガキありがとう。きれいだね。金色はさみしい色だなあー。古いものだからなあー。エジプトの王様の涙のようだ。コンドルのような鳥はきっとガラスのケースの中にひとつ置かれて夜中に金色こんじきの光りが夢をみているのだろうかなあー。古い古い人間の信仰を静かにそっとして置いていてやりたいものだ。
 これが鉛だったら、もう少し静かに眠れたのだろうに。黄金は人間の心をどんよくにするものになってしまっている現代に出されて、美しい大切な悲しみ、聖なるものはさみしいのかも知れない。
「死を見つめる心」ってそんなにいいのですか。今度僕も読んでみよう。「紫の火花」も官本にありますが、僕は両方とも読んでいません。「戦争の文学」は四巻目になります。
八月二十八日朝
千葉覚


 窪田空穂先生

 拝啓 菊日和のあたたかさが生命にしみ入るような快晴でうれしく感じます。
 先生のお宅のお庭の花もよく香るのではないかと想って居ります。私の生活には不幸はなく元気に過しています。教育大学の諸橋先生が文化くんしょうを受けられる事になり、うれしく思っています。私の歌を読まれて毎日新聞の善意十話に一例として書いて下さったので、十話を切抜き、先生のと一処にとじて大切に持って居ます。
 先生のお庭にけいとうの花はありますか? 私は毎日一時間の運動時間にけいとうの花をながめています。
 きのう宮城の母より先生からお礼状をいただいて恐縮であるとの手紙がありました。そしてお葉書の最後のところがとてもうれしいとのことでした。私も先生のお葉書のよさはよくわかっていますので、母のよろこびとするものを自身のよろこびのように感じます。
 きのこと栗は、私が本当は山に行ってとって来て送りたいものなのでした。東京には自然のものが年々少なくなり金木犀の花もあまり咲かないとか、樹も枯れ紅葉もその鮮かさを失なって、いちょうの葉なぞとても汚れてしまって落葉としての美しさがありません。
 むかしの良さがなくなってゆく東京に、外にも出ることもなくお過しの先生にせめて本当の田舎の植物の味をさしあげたいと思いました。母が私の代りに思いをとげてくれましたのでうれしくてなりません。
 母は指一本触ることなく死ぬだけの子にとてもよくしてくれます。
 私が生涯忘れてはならない尊い人でもあります。
 新潟の父からは手紙はありませんが元気で居るものと思います。もう短歌を詠み始めてから五年が過ぎました。
 先生お躰をお大事にお過し下さい。お祈り致して居ります。
不一
十月三十日朝
島秋人


 前坂和子様

「こんにちわ」ってあったから、この前面会したばかりなのになあーとすぐ思いました。寒いのをがまんして過しています。ほんとうに寒いなあー。水仙がその代りよく生きます。これが今年最後の発信かなあーと思います。寒いと喰べたものがよく消化されないことを発見? しました。きのうの朝たべたラーメンが夕方まで胃の中にあって少し苦しかった。さむいと人間は弱いなあーと知らされる。チルは六十三個目のタマゴを生み、新年を迎えることになりました。今日はゆっくり頭痛をいやす為に横臥許可をいただいて来たのに、夕方どっかと来信あり、やっぱりのんびりは出来ない。出来たら二十八日(午前十一時迄)に何か木の花を差入れて下さい。お正月の花としたいのです。ポインセチア、南天、万両、千両、等とあるけどやはり南天位いかなあー。でも高いからなあー。水仙でいいなやっぱり。二月になったら雪やなぎ、ねこやなぎをたのむつもり、特にねこ柳をたのしみにしよう。長もちするし、好きなものなので。その内に金盞花だ! ネコヤナギが早く咲かないかなあー。君のフトコロをねらったようなことでおわりです。秋人
十二月二十一日朝
千葉覚
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囚身しゆうしんに母を得たりき死後に眼をやらむとのこす一事のため

死刑囚のわれを養子にしたまひし未婚の母よ若く優しき

角膜の献納せむと乞ひて得し養母ははなり養母は優しさに

死刑囚のわれを養子にとりたまひ義姉あねは今日より母となりにき

わが養母ははは未婚のままに養母ははとなり母のよろこび深しとありぬ

母よりと手紙ふみのをはりに記されてあやめし罪の重きをりぬ

養母ははあての母と云ふ文字をさな児の甘える如くふみに書き付く

結局はかなしきこととらされて改姓通知をよき人に書く

養母ははよりのタオルが肌にここちよし処刑死の身が湯あがりに拭く

そそらるる絵心かな金網あみ洩るる陽がフリージャの花にさしきて

汝がゑさは食まずにわれの獄飯ごくいひをしきりにも乞ひ文鳥は啼く

愛ほしも独りゐるとき囚身しゆうしんは罪あらぬ如く笑みをうかぶる

罪の身は笑むのみさちらされし如く独りの笑みをいとしむ

桃の花独りのこころ笑ましむる如く咲きたり獄のさ庭に

朝あさに葉のかたちなすひともとの名知らぬ枝に水霧を吹く

三ホーマー打ちし青ぞら獄庭にはにあり小雑草をぐさの萠えて日向かなしく

散りかけし山桜あり教誨の聖書読む前にさわりたり

水代へるたびにいとしむフリージャの白きがひとやの花器にゆれゐつ

巣より来てまろめ造りしの穴に入りつつ文鳥甘え啼きする

吹かれつつはうぬぎすててかきつばたしづもる獄庭にはの花となりたり

かきつばた花となりたり処刑なく四季の移りの花と安らふ

明けそむる空は晴れなり素透しのガラスが死囚のこころゆすりぬ

手紙ふみのち速達葉書電報と来たりて養母ははは面会に来る

欲しきものあたふるのみの母なりと養母はは言ひたまふ優しき母ぞ

藤の花咲けりと笑むに負けまじとあじさゐ咲けりと母に笑み告ぐ

刑死待つ朝あさかな金網あみの目のひとつに見つむ紅ばらの群

こぼれ餌を食みゐる文鳥眺めゐしわが目とあひてに来て啼きぬ

処刑死をおそれし夢よ覚悟なくいまある生命ひとり独りいとしむ

処刑なく一年過ぎて夏物はいらぬと決めしその夏は来ぬ

ばら紅き獄庭にはを見てをりほんたうに今年限りの夏かも知れぬ

面会の母を待ち佗び文鳥をに呼びはしのいたづらに笑む

ふる里の写真にうつりをさなき日親切受けしつり具ありき

夏を病む頬に来てゐし文鳥が啼きつつわれの足指噛める

還らぬを恋ふる秋なり鳳仙花さ獄庭にはにあかく濡れて咲きたり

おのづから浮びくる笑みまれにあり獄に凉しく虫鳴きそめぬ

ひるねするわれにならひて呼びしに文鳥来たりまなこつむれる

ひぐらしにかなしき憶ひ新たなり処刑なく生き六年たちぬ

法師蝉いまし鳴き出づ極刑の身は幼なめき還らぬ声聴く

身に深む安らひかなし雨降りて凉しき獄庭にはに虫の鳴きつつ

虫の音に独り笑みする憶ひあり生命いのちに飢ゑし身をつらぬきて

をさなめき双掌もろてを獄の灯にかざしさびしきときを遊びてゐたり

まれに見るあきつの赤きを捕へ来てひとやに放ち羽音ききたり

つつましさ見るにかなしくりんだうの君が差入れ好しと見て更く

飼はれゐるもののかなしさ文鳥は病む顔に来てしきりにも啼く

ある限り生命いのちいとしみ処刑死の覚悟あらねどよく生きたかり

身に深む安らひかなし笑みてゐるこころのほかにわが生命いのちなし

身に深む安らひかなしよく生きてうれしき事を詠みて足りゐぬ

足らふ身と足りて生きたり秋草の遠からぬ死にこころ正して

真赤なるあきつ一匹うつろひてひとやなる日の冷えふかまりぬ

路に咲く名知らぬ雑草くさの差入れに逢はずも来にし人を知りにき

叱かられし少年の日を憶ひつつ獄窓まどぬくとい陽を浴みゐたり

筆の字の少しは文字になるもあり獄にたのしみ年賀状書く

文鳥と来て獄窓まどに添ひ日を浴みぬガラスを透る陽に眼を閉じて

声交す他囚の笑顔みてをりぬ迎春の朝のあたたかき獄窓まど
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昭和四十一年

自愛心を得て、幸福感深む。


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 窪田章一郎様

「まひる野」十二月号を今いただき読みました。二度思わず涙が出て来ました。ひとつは会費のことです。私は入会した年以後はまったく払っていません。そう言う者にも新しい号の出る度び送られてきます。きりつめて納めるつもりになれば分納する事も出来ない事はないと思うのです。納めないと言うことは心苦しいものです。新年までは手続きが出来ないので送れませんが新しい年になってから少しでも、半分でも送れる時に納めたいと思います。
 もうひとつは空穂先生の「去年の雪」が出版されると言うことの文章を読んでです。二度三度読み返しました。私も外出の出来ない限られた小さな窓から見る、いつも同じ窓と土と生活は先生の生活と同じですが、作歌の数において、質において、深さにおいて、年令においておよびもしない、万分の一にもならない、ついてゆくことの出来ない深さに、自身のふがいなさをなげきました。才能と能力とどっちもない頭の弱い私にはまねをするだけでもまねの出来ない大きな先生の歌です。只なぐさめとする事は空穂先生の生きて来られた道と私の生きている日々の心と言いますか、態度と言いますか、その中にある嘘のない、裸になり切るもの、かざり気のないものが似ていると言うことです。私には歌になし得なかった思いが空穂先生は歌に詠まれていると言う違いがあり、大きなへだたりはありますが「同じものを持つ」と言うことを知りうれしかったのです。
「去年の雪」はぜひ入手したいと思っています。ぜひ欲しい書だとして今から待っています。いのちがあって読めることが出来ればうれしいことだと思います。私は今、回想記のようなものを毎日少しづつ書いています。書くものも拙ない歌よりなお下手なものですが、そしてその為に作歌も出来なくなっていますがいのちを惜しみ夜中に起きて書いています。多くの人の情によって至り得た人間の心で感謝するものを残したいからです。私は頭(脳)の病気の為に一つの事以外同時に出来ないのです。作歌が出来ない歌が詠めない事は非常に気になり苦しみますが、今年迄のいのちであったものと思って今は書くものに全精神をそそいでいます。資料はなくただ自身の記憶の中にあるものだけをたよりに偽りのない一生の手記を綴っています。
 一年かかるか終るメドがつきません。書きつくせるだけを書き残して貧しい精薄児か死刑囚でも教育によって人の情か誠によって歌を得て、更生してゆく上に、役に立てられるようなものとなるようにと書いています。
 会費不納入は本当に心苦しいことです。申しわけないと思います。
十二月二十一日
島 秋人
追伸
「まひる野」十二月号ありがとうございます。
恩受けし人に謝すべき事足らず悔い深めつつ詫ぶ死の迫る
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あたたかき日浴みに足りて新年のひとやにひとり笑みつつゐたり

かなあみのあるにあらざる思ひしてまれなる人の優しき声きく

夜の寒く目覚めてをりぬをさなくてありし日のことひとつうかべて

呼べば来て頻りにも啼く文鳥のちひさきいのちにかよひ来ぬ

差入れのあずき柳の苞割れて白銀しろがね淡くこころひらかる

春の日の音みなかなし獄廊の夕しづもりに和ぎて鍵鳴る

字を知らず打たれし憶ひのなつかしさずれし辞書はひとやに愛し

春天の澄み極まれる獄窓まどに来て尻ふる蜂のいたくかなしき

雨の日に差入れられし沈丁花人恋ふ部屋によく匂ひたり

詫びる日の迫り来しいまふるへつつ憶ふことみな優しかりけり

夕雀の啼くにまじりてをさな児のうれしき声にさけぶが聴ゆ

あかつきをかきつばたひとつ白く咲き風さやかなる獄庭にはとなりたり

眼つむれど眠り得ざりきあふれくる優しさありていとほしき夜は

不具の鳩雨水溜りに一羽来て静かに横になりて水浴ぶ

ながらへる花のいのちのかなしさに都忘れのむらさき淡し

あじさゐの花にあふるる凉しさは憶ひ深めて優しく明し

誕生日近きひとやに差入れのむらさきつゆくさあじさゐを活く

身に持てるものみな神に還すもの生命いのちひとつはかなしかれども

くちなしの花の白さは絵草子の夢二がゑがく少女をとめにも似る

死ぬまでのさびしさならむ金のこと思ひて物を買はむとしつつ

花あらぬ日のさびしさよいねがたく雨音高くひとやは更けし

笑みいます九十翁の師をおもひ想ひしたひて獄に祝ぐ

さびしさを歌ふ己れをにくみつつ夜のいのちをいとほしみけり

久々の花の差入れうれしみてさみどり淡きあわの穂を活く

たはむれの如くに詠めるさびしさの歌の少しを書きては更けぬ

ればなほ愛しさ湧きていのちとはかくも尊きものと知らさる

たわやすくうれしくなるに独り笑みひと日のいのちひそかに愛しむ

うれしさは眠りのなかに続きゐてねむりながらにかなしかりけり

よろこびは夜に続きていねがたく日覚めてはふとひとり笑みする

幾度いくたびと言なき程をあふれくるかなしさにはものよく写す

生きをればかくもかなしきしぐさするうれしさ湧くに双手振りゐつ

おのずから浮びくる笑みまれにありうれしさに笑み笑みてはたのし

還らざる憶ひのなかにひぐらしの澄むこゑひとつ止みては続く

うれしさの微笑み湧くにかなしみていとしみながら眠り入りたり

素直さの深まり来るによろこびつしあわせなりと思ひいとしむ

よろこびの淡くたゆたひ身はりて日日に和めるいとしさ湧き来

まどかなる月に凉しみひとりゐて笑みゐる顔の玻璃はりに写れる

このいまの罪犯さなくてすむ一日の生命いのちかなしみ幸福しあわせなりき

微笑みの独り想ひのいとほしく風に和める如きさち湧く

何気なくみつめし物の優しさにおもひ和みてゆきつつかな

優しさに見聞きの事のみなかなししあはせとなる心湧きつつ

死ぬ身とは思へぬ日日のよろこびにさはさはと葉の鳴る朝目覚む

素直さを身に覚えつつよろこびに幸福しあはせなりとひとり云ひ寝る

受けるものみなよろこびとなりゆきて笑みては和むひと日いとしむ

身に持てる優しさをふと知らされて神の賜はる生命いのちと思ふ

嘘ひとつ云ひ得ぬ程に変りたる身のいとしさを尊く覚ゆ

よく生きる事より外に無しとして詫びる日までのいのちいとしむ

歌詠みて悟り得しいまかなしさは死刑あらねば知らざりし幸

優しさにあふるるいのち耐へがたく心満ちつつ身をしみ更く

優しさに心和みてかなふ日を蝉鳴き出でてかなしかりけり

優しみてひと日うれしむこのいまの正しさに覚むる生命いのち惜しめり

よく生きることが己れの日日の詫びとも思ひひと日よく生く

日日に身は足りながら優しさに見聞きの事に育くまれ生く

き人のよきを憶ひて夜は更けぬひとやの虫のこゑを聴きつつ

わが寝れば閉づると知る文鳥の足の指に来てわれとひるねす

しみじみと憶ひ知りつつ微笑みて和む身のいますべてがいと

過去になき深き安らひ身にありていひむにさへ笑みの湧き来る

おのずからよしとして受くる事のあり愛しさにゐて耐へ得るときに

いのちありていまし覚めたりいとほしみ澄ませば聴ゆる雨の音なり

恵まれぬ過ぎし日に無き優しさの日に日に深む身となりてかな

足りるかと心に問へば笑み湧きて独り憶ひのさ夜は更けたり

遺影かも知れぬ写真をる時をはるかの空に鳩の舞ひをり

かたみかも知れぬと思ひられつつ青澄む空に鳩の舞ふ

シャッターを押さるるまでの眼に写る鳩の舞ふ空は青く澄みたり

珍しと土にまろべるこがねむし手足うごくに拾ひて来たる

こがねむし拾ひ来し日はをさなめき名付けて終日ひとひひとやに這はす

今のわれあるを思はず生かされて愚かさの果ての幸を知るなり

ほめられしことのなつかし笑みゐつつ独り憶ひのさ夜は更けたり

身のすべて土に還るを思ふ夜安けく秋の雨は降るなり

身をひとり透り澄む陽のなかに入れ過去なる笑みの憶ひたどりぬ

安らひのみ国あるべし青澄める雲なき空の明しこの果て

誕生日祝ひて真珠たまのかんざしの小さきをひとつ養母ははに贈りぬ

ステレオを購ひしと告ぐる老父ちちの笑み詫ぶべきわれを明るくしたり

手振りして生活たつきの楽になりし云ふ老父ちち金網あみごしてはうれしき

老けたまふ父の言葉に知らされてわが知る故里くには遠くなりたり

せなを見せ帰りゆく老父ちちドアに来てつまづくときをへだつ金網あみあり

部屋ふかく差す陽をぬくみ文鳥と真向ひ浴みてまみつむるなり

文鳥の欲りむままにいひ置きてみあきるまで眺めてゐたり

虫の音を聴かずになりぬ夜を冴えて雨後の汽笛を安けく聴きぬ

よきことのひとつをしたる日の暮れて身にあふれ来るいとしさ深し

汚れなきいのちになりて死にたしと乞ふには罪の深き身のわれ

洩るる陽を優しと思ひぬくむちいさき冬日いとほしみたり

わが過去にありしや高きをさなごゑ母を呼ぶこゑひとやに聴きぬ

すがれよと歌を詠めよと云ひたまふ九十の師のみふみあたたかし

文鳥のちひさきいのち呼びしぬくみかよひて嘴紅く啼く

指をもて触れたき思ひつのらせて「ヒマラヤの花」の写真うつしゑ清し

しづかなる寒の朝なりあかね雲うすれつつゆき空澄みて来ぬ

眼のおよぶ限りに澄める空はあり甘しと思ひぬくき日を浴む

妹の嫁ぎし事をよろこびつつわれに刑死の日は迫るなり

よろこびを獄に知らさる嫁ぎたる末の妹十八歳なり

処刑ありし事を知らさる澄みきりて久しく青き空なりし日に

少年期さかのばりゆき憶ふ日をはてしなく澄み冬の空あり

夢なりとみ入る獄の壁に触れ目覚めては得るいのちなりけり

夜の冷えを優しと思ふさちを得ていのちたたるる日は迫るなり

清かりし故郷に詫びぬ冬の夜の還らぬ憶ひ優しくありて

枇杷びわの花白くほころび養母ははの来る朝空瑠璃るりに澄みて晴れたり

こころいまあたたかかりき人のみなむと云ふ夜を歌詠める身は

一日のいのちの幸とシャツ脱ぎてたためるときに匂ひてかな

わがいのち小鳥のいのちにかよひぬくいとしみ初日浴みたり
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昭和四十二年

師父、窪田空穂先生の御死去。
病床の和子を知り愛を結ぶ。


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 窪田章一郎先生

「去年の雪」の読後感想としては誠に恥かしいもので、まとまりもなく少し長くなってしまいましたが、私としては精神的な調子の波の多い中で書いたものとしてはよい方だと思うものです。
 空穂先生のお誕生日に二十日後れて私の三十三才の誕生日が来ます。同じ月に生れたことだけでも何となくうれしいものです。
 私は八月迄は生きたい!と思っています。そして二回目の毎日歌壇賞がいただける迄生きることが出来たらこの上なくうれしいと思います。いただけなくとも夢として思ってたのしんでいます。夢の中にはひそかに被害者に詫びる為の賞金と一緒に加えて差上げたいと思って今年はじめより月々節約して一万円をためる計画をしています。一円のそんがいばいしょうももらえない被害者に自分で得るもので少しでもお詫びの上につみあげさせてもらえたらと夢を持っています。
 しっかりしなくては、そしてよほどすぐれた歌が得られないと二回目の受賞はむづかしいし私の身分から考えてもむづかしいことと思っています。出来るだけを出来る力で私は用意してお詫びに重ねたいと思っています。そう言う毎日の為に教えられるのは空穂先生の「あたたかさ」です。私はよい師にあうことが出来て幸せな人間だと思っています。私の一生を変えてくれた歌のその歌の師はあたたかい人なので、うれしいのです。
 いつまでも元気でお過しになられます様に祈って居ります。
三月二十日朝
秋人


 おかあさん(註・千葉てる子さんへ宛てたもの)

 ゆうべから少し夜が涼しくなりました。切抜きとさざえの切手20枚ありがとうございます。切手は二、三日後に入手になります。暑さに弱いのでいろいろと注意したり考えたりしてしのぎ易いかんきょうを自分で出来るだけ作って過していますからご安心下さい。
 土曜日の夕方今年二度目の雷雨があり落雷も近い所にありました。拘置所のエントツにも落ちました。その後はとても涼しい夕べとなりました。運動場が池の様に水がたまってその水面にたくさんの赤とんぼがつながって来てぴょんぴょんとおしりで水輪を画き、たまごを生んで群れていました。どこから来たのか不意に群れているのを眺めて何か田舎に行ったみたいです。
 東京でこの様なのを眺められるのはめずらしい事です。その頃に遠くのアパートのベランダでよちよち歩きをはじめたばかりの子供が見えました。涼しい夕ぐれのひとときでした。遠い青葉の樹々が新鮮な澄んだような光をおびていました。
 送金はこれで満足ですからね。今でも多い位いだと思っています。だまっていてもお金がとどくのですから本当に感謝です。世の中には一千万円でも足りない人もいるし、千円もなくてがまんしている人も居りますからね。僕は死刑囚の中では恵まれている人間の内に入っています。
 歌集のことは章一郎先生にいっさいお世話になることにしています。僕の思い通りのよい歌集にして下さいますよ。大安心しています。
 蝉の声は一日に一回か二回聞こえるだけですがヒマラヤ杉の樹が僕の部屋の窓のすぐ先きに枝を伸ばしてあります。雀が夕方と朝に集って来ています。昨日の夕方は三十三羽集っていました。鳩もたくさんいて花壇の花を喰べ荒して困ります。鳩はあまり平和の鳥でもないですよ。雀の方が平和的です。少しこすいけど利こうです。
 全盲の人にお返事を出したら今日それを聞いたと云う人が二人手紙をくれました。一寸困っています。ペンフレンドみたいな軽い気持のようだし、と云っても長期の病気の人の様だし、一人の人はまだ十五才の少女です。カリエスと云うことでした。何もよくわからないままですが同情の心を生きたものにしてあげたいと思っています。
 母ってのはなまはんかなことではやれない「しょうばい」ですよ。出血大サービスの連続の毎日の上に、心は優しく美しい人でないといけないのですからね。尊いって云うのを通りこして大変なものなのですね。特に病気とか非行とかの子を持った母親は、なみたいていな苦労ではないだろうと思います。僕のお母さんみたいなのも大変ですね。がんばって下さい。僕には外に心からわがままを云ってたよりに出来る人はいないのですからね。
 栗のいがはいいでしょうね。この一ヶ月はさっぱり花のない日日でした。
 虫が鳴いているのですね。山はもう初秋の涼しさなのでしょうか。これからはどっしりとした実りの美しい秋が来るのですね。
 明日から八月ですよ……、早いですね。秋に面会に来て欲しいと思います。一泊して二回会ってくれるといいなあーと思っています。
さみどりの薄羽かげろふ獄壁かげにゐて涼しき風の透るさ夜更く
 この前かげろうを三日間大事にしていたのですが三日目に花器の葉こんの根元で死んでいました。みどり色の羽の美しいすきとおったかげろうでした。ラジオのかくせいきの横の壁にとまっていて夜になると少しずつうごいていました。白い壁の色にさみどりの色がとても涼しそうでした。
 窓の下の庭に新らしく花壇が造られてカンナ、鳳仙花、松葉ぼたんともうひとつ金盞花に似た花が植えられています。鳩が松葉ぼたんを食べ荒します。窓の真下の朝顔はまだ花は咲きません。葉はよいみどりのいろになって伸びています。
 暑いのは八月いっぱいです。もう少しのしんぼうですね。よい心になって歌が少しでも多く詠めるといいなーと思っています。
 暑くても元気で生きていれるといいなあーと感じますね。病気でない一日は幸せですね。大事にしてお過し下さい。僕も元気ですからね。
七月三十一日夜分
さとるより

 愛するおかあさんへ(註・千葉てる子さんへ宛てたもの)

 お手紙と切抜きありがとうございます。東京は暑くなったり涼しくなったりしています。それにつれて元気になったり弱ったりしていますがしつ度が高い日は苦しくなりますがこれは鼻の方が悪いので仕方ないと思います。
 今日九月の第一回目の野球の運動をしました。暑くてやはり僕は暑いとだめなのだと感じました。躰に力が入らなくて一寸もどかしくて病気でないけど疲れました。涼しい日は元気ですから秋が本物になったらきっと頭の方もすっきりしてくると思います。今もうじき七時になろうかと云う宵です。窓から金網を通って入ってくる風がときどきひやりとします。もう少し吹く程だといいのにと思っています。パンツ一枚になって手紙を書いているのですよ。ひたいは汗びっしょりです。時々ぽたりと落ちて来ます。今週の僕の歌は◎にしては一寸甘いですね。でも◎だと(評)があるのでたのしいのです。このところうまくも多くも歌がさっぱり詠めませんので止めようかなあーと何度も思っては又出詠しています。ねばりが足りないのですね。庭のカンナの赤いのがぐうんと伸びて咲いています。スペインの踊り子のドレスみたいな感じです。真赤な花だけど何となく涼しい感じがする朝もあります。朝顔もたくさん毎朝窓の下に咲きます。
 夜が更けてから、とても涼しい風が入って来る夜となりました。死刑囚の部屋で一番風通しの良い部屋です。秋風はとても肌をくすぐりいいものです。こんな夜と昼とが続くと鼻もつまり方が少しになってよくなるのですがまだ九月中は暑い残暑の日があると思います。今夜は毛布だけでは一寸涼しすぎる感じですよ。そうそう布団をお送り下さる由ありがとうございます。忙がしいのにね。でも着れないだろうと思っていた夏がけ布団を又着るのですからとてもうれしいです。いのちの尊さはやはり死刑囚が一番よく知っていると思います。僕みたいに今に死ぬのだと云い、思い、他人もそう思っていながら七年も八年も生きていると、生きていると云うこと、まだ死なないではないかと云うことに馴れっこになって、人はぴんと来なくなってしまうらしいです。自分でもいつの間にか死が迫っていると云う感がなくなり、おそれを忘れているのに気が付くのです。よいことや悪夢に接した時にあー生きたいなあーと思ったり普通の生活をしたいなあーと思うし、独身で終ることがとても淋しいものだと深く感じるのです。孤独な病気の人と知りあうとこの人の為につくしてあげられる人間であったら楽しいだろうなあーと思います。盲いの人の夫になって親切にしてあげて家庭の幸福を躰いっぱい味わってもらいたいとも思いますし、優しくてしっかりしたかしこいお嫁さんを得て生きたいとも思います。おかあさんみたいな人を妻にしたら一番のんびりした欲の少ない人間になると思いますよ。まだ若いのに母親役にしてしまってすまないと思っています。
 生命を惜しむのは、やっと悟り得た自分の生き方、考え方を生かすことが出来ず、殺される死を待っているさびしさを悔いていることでしょうね。今の僕でもまだまだ悪い処は多く残っていますが、もう罪を犯さなくても生きてゆけることは出来ると思います。優しい愛の生活を楽しみ、貧しさにも明るい灯をともして生きてゆける心を持っていると思います。おかあさんの乳房にうずまって甘えたいようなさびしさを覚えます。

秋風の透る夜を冴え乳房恋ふ
涼風に夜の肌さらしゐて愛し
更くる夜の涼に触れたき乳房かな
妻を欲る如く秋風に母恋ふる
童貞に終るひとりに秋の風

 今夜はおかあさんのおっぱいの中にうずまって眠りますよ。少しさびしいのですから。お大事にお過し下さいね。
九月五日
さとるより


 窪田章一郎先生

 遠くに見える豊島区営グランドの樹々がすっかり黄いろくなりました窓から部屋にいて[#「黄いろくなりました窓から部屋にいて」はママ]樹々を遠く見れるのは私の房ととなりの二部屋です。水平に空が見えるのも貴重なことです。今朝お送りいただきました窪田空穂全集第一巻と第三巻の歌集※(ローマ数字1、1-13-21)※(ローマ数字3、1-13-23)の二冊を賜わりました。ありがとうございます。ずっしりと重いご本を手にして「欲しいものだった」のだと思い胸の中にたくさんよろこびが湧きました。
 空穂先生のいろいろなお写真を眺めてこの方に導びかれて僕は七年と云うながいいのちを作歌し続けて来たのだとしみじみと思いにふけりました。ひと目お会いしたかったと思いました。いつか先生がわざわざ私の為にお弁当をお作り下さって持って来て下さった事があり、許可にならなくって代りに先生が「食べました」と云うお手紙のこともなつかしく思いました。私もよくまあー今日迄生きれたものです。そしていろいろなものを得て悟らされて、得て生かされて、いのちが愛しくてならず心が澄む思いになる一日の自分がうれしくてなりません。
 一生の願いでした歌集も刊行されることが決められたし、本当にうれしい事の多い日を生きれるのがありがたいです。
 私は少年時代には、ていのう児と云われ満州から内地に引揚げてからの生活の貧しさに弱い躰と頭のはっきりしない事でとても苦しい目に会って来ました。でも小さい時から私は正しいことを大事にしてずるがしこい者、表裏のある者を極端にきらっていましたので友人はほとんどありませんでした。
 長所を伸ばす教育が弱い人間、普通よりも劣る人間には一番大切ですダメな人間、ダメなやつと云はれればなおさらいしゅくして伸びなくひがみます。ほめてくれると云うことが過去の私の一番うれしいことでした。大法輪に空穂先生が私の歌のことをお書き下さったのを読み、とてもうれしくてなりませんでした。
 良き師を得たよろこびでいっぱいでした。毎日歌壇の選もあたたかくて、よくまあへたなのに私の訴えたいものを拾い出して下さって特選になったり、スランプのときにお教えを乞うとていねいに教えて下さったり世の隅の私のような者の事をお詠み下さって全集のお歌にも残されるし、誠にありがたいことです。親子二代の先生を師と仰いで歌に親しむことの出来るのもうれしいことです。本当にありがとうございます。
 歌集の原稿を私は初めから、今二百字づめ原稿用紙に三首づつ書いて清書しなおしていますが、原稿用紙になっているノートはすでにみんな書いてあるのです。今年の分を選び後の方の歌を先生に見ていただいてまちがいやおかしな点をなおしていただけると出来上りと云うばかりなのです。歌の数は七百首を多少上まわると思う位いです。少ないようですが捨てる方が多いのでこれでも甘く選んでいるのです。私は歌集がこの掌の上にのせられる日を毎日夢のように思い念じて居ります。
 いくらぐらいの本が何日頃出来上るのでしょうか。とてもいろいろと思うと初めての自分の本になるのでうれしくてなりません。自殺も何度か失敗しましたが生きて来てよかったと思います。先生、お躰にお気を付け下さってお多忙の日日をご無事にお過し下さい。お祈り致します。
草々
十月二十五日午前
千葉覚

 窪田章一郎先生

 台風の雨ですっかり木の葉が散ってしまいました。
 遠くの樹が絵を眺めるように美しいこの頃です。空は青く澄んでとても気持よく、秋は好きです。
 先生にはお変りなくお過しの事と存じます。私は躰は元気です。二十五日に処刑があり落付かない日を過しました。私は三十数名の内の古い方から三番目となり何時処刑かわからなく毎朝とてもきんちょうさせられます。この様な処で誠にせくようですが、歌集の原稿の清書を今、あげましたので、先生のご指示をお待ち致して居ります。あと自分の「あとがき」を書くことが必要なのでしょうか。
 自分の歌をよく云うのはおかしいですけど原稿を清書していて、成長過程がよく出ていると思いました。たくさんの人々に読んでいただきたいと思いました。特に教育者に。精薄児教育の方、家族に。お忙しい処を申しわけございませんが次のご指示をいただきたいとお葉書申し上げましたお大事にお過し下さい。
十月三十日朝
千葉覚
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良き人の憶ひかさなる年賀状人に恵まれ去年こぞより多き

ながらふを羨しがられてゐし人の病ひ急なる獄死知らさる

今日のいまるを尊び冬日ざし明るく浴みて窓に侍ちたり

日にぬくひとやの壁に触りては今の身に知るひと日いとしむ

菜の花の太きを賜ひ素直なるおもひのふかむひと日昏れたり

求め得ぬさすりては獄の夜を覚めて「近代短歌論」の優しきを読む

還り来ぬ憶ひ幾度び湧き来てはふるさとに似る吹雪降りしく

より添へる獄窓まどに月あり死なず済み春の静かなひと日昏れたり

あたたかくさわり得るものる夜をくれなゐ淡く桃のほころぶ

久々の面会ありてほほ熱く話題はずみて語る身たのし

やはらかく土に浸みつつ春の雨細く降り継ぎひと日昏れたり

窓に差すうすら陽に照り紅椿素直に重く咲きて匂へる

いのち生くる独りのかげり慕はしく日向に雑草くさの萠ゆるをたり

笑むいまの素直になりしこのいのちるとはらず生かされて知る

四度ならず牧師に云はるる汝が聖歌うたはオンチ展あらば一等なると

下手と云ふ聖歌をひとり帰り来てうたへばいのちいとほしかりき

うれしさの憶ひ湧きしをしみつつ静かにいのち和むわれ

憶ふ都度事のなつかしふるさとはわれの憶ひに移らずありて

いまりていとしと思ひ真向へる朝の洩れ陽の静かにぬく

人をみな親しみ憶ひ春嵐聴きつつさ夜をふみ書きゐたり

春の日の番神岬の浜にゐて日昏れひもじく聴きし鐘恋ふ

東風こちと待ち南とも恋ふ風音を鎮もるひとや終日ひとひ聴きたり

雑草くさ萠えの陽の差す窓に真向へば笑むのみほほのとけゆく如し

あたたかき一生ひとよと憶ふいまの身に添ひて得ること少なからねば

たのしみて独り書く文字乾きゆく墨の香りのあるかなきかに

師の愛に心をめて生き来しに召されしと知るひと日おくれて

獄なれば師父の訃をさへひと日過ぎ知る身なりけり恩深く謝す

日本の宝と惜しむ師父空穂在はさぬ事の信じがたしも

天も地も総べて哀しめ生涯の師父と慕ひし空穂召されし

師父空穂召されしと知るわれのに「去年こぞの雪」あり遺品かたみとなりぬ

生かされて得る日尊びかきつばたあしたの風にそよぐをたり

母在らば死ぬ罪犯す事なきと知るに尊き母あやめたり

兄を呼び弾む児のこゑ透り来て梅雨つゆの晴れ間のひとときかな

身は生きて真紅のばらの咲き群るる風浴む花の清きに見惚る

蝶ひくく舞ふ芸ありていくさなき日日の五月さやかなりけり

金網あみありて触れ得ぬ養母はは手紙ふみ来れば足りるひと日にぬくみかさなる

いやはてもかくあるべしとねがひつつ優しさに笑む心にひたる

生かさるるひと日尊び思ふ夜の総べてのもののいのちいとほし

青葉照る庭に咲きてはあじさゐのいよいよ清しいろに出でつつ

生かされてればかなしき心得ぬすさみし過去のわれに驟雨あめ降る

残飯を拾ひみゐるねずみゐて梅雨つゆのさ獄庭にはにひとときかな

今日のいまると思はず生かされてうれしき事にひとり笑みする

過ぎてゆくひと日を惜しみ許されぬいのちのなかにかなしさを知る

得がたしと思ひゐし日の誕生日独り笑みつつひとやに祝ふ

にくまるる外に詫ぶすべ今はなく母を殺めし罪重く知る

刈られずに花となる雑草くさ触りつつ空青き日に生くるは楽し

いとほしみ独り笑みして今日は在りうれしき事のみ持つ身となりて

文鳥の残しし粟撒く夕屋根にいつものすずめ数多あまた来て啼く

母を呼びかけゆくらしき子の声の聴えて暑きひと日昏れたり

さみどりの薄羽蝣蜉うすばかげろふかべにゐて涼しき風のとほるさ夜更く

さはるものみな親し善き人の優しき手紙ふみに独り笑みつつ

野に咲きて紫澄めるうつぼぐさ亡き師を偲びひとやに活くる

よき花のあじさゐ白く咲きそめて雨のさ獄庭にはの日昏れ涼しき

二階より見おろす屋根にすずめ来て撒ける粟むひととき楽し

屋根少し濡れて夕づくひとときを児のこゑ高く透りて聴ゆ

夕あかね残れる空をてをれば不意に今年の蝉が鳴きたり

夕風にそよぐ芝あり木草欠く秋のさ獄庭にはの涼しさに

ひるねする肌をくすぐりさわさわと樹の葉鳴らせる風とほりたり

苅られずにわれの生かされ眺るもののゑのころぐさの穂はそよぎたり

さわやかに風吹くまひる蝉のこゑ空に澄みゆきわれの聴き入る

仰向に見つつかなしき白壁に灯虫のひとつ幾夜さをゐて

こそばゆく風浴み亡母ははに幾度びとほめられし肌さすりつつ更く

処刑死におびえ念ひてながかりし賞発表日落ちて過ぎたり

鳳仙花あかく咲くなりうら盆の自生の花にこころ澄みゆく

のびのびになりゐし詫びも言葉なく香華料のみ一万円託す

少しづつ装ひみると云ふ手紙ふみの来て装はぬ養母ははを憶ひ笑みゐぬ

あたたかき思ひあふれて和む身にかやつり草はよくそよぎたり

笑むのみにかなしき日あり身を清く保つよろこび知る日のいま

こばれ餌の穂となる粟にすずめ来て落ちてはすがりその実みゐる

しら花のぎぼうしひらく灯に映えて弥勒菩薩の指に似たりき

生かされてしき日を得るあたたかき憶ひあふれて優しむいま

生かされて自愛に学ぶいまの身のるとはらず知りてかなしき

あたたかくると思ひて何日いつしかに身に付く清さしむ日に持つ

武蔵野の秋の野の花賜はりて夕づく獄窓まどの風にそよがす

あたらしきいのち覚えつ手紙ふみに付す朝と云ふ字のひとつはかな

獄塀へい外に子供神興みこしの行くらしく笛と太鼓と聴えて楽し

稀れなるに欠かさず花を差入いれくれて君の優しさ六年続く

ゑのこぐさ獄窓まど辺の花器にそよぎゐて涼しき朝のいのちいとほし

風浴みてしき雑草くさなるみづひきとゑのこぐさとを活けて笑みたり

雨の夜は涼しく更けて独り寝の憶ひ優しくこほろぎを聴く

あたたまる心に清む身をしみ獄の良書に灯に親しみぬ

あたたかく得る日のこころ澄みゆきてさ獄庭には明るく花咲き群るる

差入れのつりがねにんじん雨の日に濡れ来て終日ひとひよく匂ひたり

教誨の聖書学びに来しへやに大き雁来紅かまつかの鉢ありさは

野の紫苑金木犀に茶の花と欲しき日なりき雨冷えて降る

花好むこころうれしさ久々の小輪の白菊匂ふを活くる

わが撒きしそらふきなんばん今年また実となり今朝の秋冷え清し

処刑多く行ふべきと云ふを聞き悔い生かさるるひと日をしむ

冷雨あめ降れるさ獄庭にはにすずめ一羽来て軒した添ひに小虫み過ぐ

冷雨あめ降れる獄庭にはによく啼くすずめゐてちひさきパンをひとりみゐる

いのちあればかくもかなしく亡母ははに似て笑むくち写る水鏡あり

幼な顔残れるわれの笑み写るひげそり終へて立たむとするに

湯あがりのぬくきあしうら板の間に触れゐてかなしこころよき日を

八年の憶ひとなりて残ること幾つとあらず過ぎてははやし

童貞の身のさびしさにこほろぎの澄むこゑかなし寝返り打てば

君を知り愛告ぐる日の尊くていのち迫る身燃えていとほし

君の手紙ふみぬと思ひて落ちつかず日昏れの迫るひとや歩めり

触れ得ぬも君いとほしくこゑひくく呼ぶ夜を獄庭にはにこほろぎは鳴く

二日程眠れぬ夜ありいとほしく君のわれるカナの手紙ふみ来て

神は汝もわれも知らさば許されむ恥かしきほど燃えゆく日日を

君とわれ触れあふ日なき愛に燃え心添ひつつ清められたり

燃えるとも濡れるともあるめしひ病む君の可愛ゆきカナの手紙ふみ読む

むつみあふことなき愛に秘花はな濡れて素直に君は妻と云ひ添ふ

この澄めるこころるとはらず来て刑死の明日に迫る夜ぬく

土ちかき部屋に移され処刑待つひとときぬくきいのち愛しむ

詫ぶべしとさびしさ迫るこのいのち詫ぶべきものの心に向くる

養母ははの愛師の愛君の花差入くれこころうれしと憶ひ優しむ

七年の毎日歌壇の投稿も最後となりてあやふかく詠む
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 章一郎先生

 明日はお詫びの日となりました。長い間の作歌ご指導ありがとう存じます。
 歌集を掌にする事が出来ないのが少し残念です。でも死後出版は空穂先生のお言葉に添う事になるのでよろこびとして旅立ちます。空穂先生の奥様にもよろしくお礼申し上げて下さい。僕の心中は秋水明光の如く落ち付いて居ります。歌集のあとがきを前坂和子君に今日面会してお願いしました。原稿を持参して先生のお宅に行く事と思います。最後まで僕に接して来た前坂君ですから僕の事をくわしく知って居ります。
 前坂和子君に歌集出版についてのお手伝いをありましたらさせて下さい。母と父と牧師二人と前坂君と一同集って楽しいひとときを今日は過しました。
 別便の葉書にしたため毎日歌壇に最後の出詠をしました。先生お身お大切にお過し下さいませ。橋本喜典氏まひる野の皆様によろしくお伝え下さい。
この澄めるこころ在るとは識らず来て刑死の明日に迫る夜温し

昭和四十二年十一月一日夜
秋人

 奥様(註・吉田絢子さんに宛てたもの)

 とうとうお別れです。僕との最後の面会は前坂君も来てくれるので前坂君から聞いて下さいね。
 思い残すことは歌集出版がやはり死後になることですね。
 被害者の鈴木様へのお詫び状を同封致しますからおとどけして下さいね。僕の父や弟などのことはなるべく知れないよう守って下さいね。父達も可愛そうな被害者なのです。
 短歌を知って僕はよかったと思って感謝しています。
 僕の事は自分で刑に服してつぐないとする外に道のないものとあきらめています。覚悟は静かに深く持っています。
 長い間のご厚情を感謝致します。ありがとうございます。
十一月二日朝(註・処刑の日)
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 鈴木様(註・被害者の鈴木福治さんに宛てたもの)

 長い間、お詑びも申し上げず過していました。申しわけありません。本日処刑を受けることになり、ここに深く罪をお詫び致します。
 最後まで犯した罪を悔いて居りました。亡き奥様にご報告して下さい。私は詫びても詫び足りず、ひたすらに悔を深めるのみでございます。死によっていくらかでもお心の癒やされます事をお願い申上げます。申しわけない事でありました。ここに記しお詫びの事に代えます。
 みな様の御幸福をお祈り申上げます。
昭和四十二年十一月二日朝(註・処刑の日)
千葉覚
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あとがき


 春分の日が近い。そとには私の好きな菜の花が咲いているだろうか。この罪を犯してから六年になろうとしている。一日、一日がかけあしで過ぎた感がする。罪人の心が有形のもの、無形のものに育くまれ、その情に洗われた裸の思念が数百首の短歌となり、この「遺愛集」となった。感謝であり、幸せである。ひと頃の私を知る人は変ったと思うだろうし、又、自身でもそうと感じて生きている。
 身は悲しむべきであるが、心はうれしいのである。
 私が短歌を始めた事のなりゆきは、昭和三十五年の秋に拘置所の図書を一冊読んでであった。それは、開高健著の「裸の王様」を読んでのことであった。その中に、絵を描くことによって暗い孤独感の強い少年の心が少しずつひらかれてゆくと云うすじであって、当時の私の心をうった読後感とともに、私は絵を描きたい、そして童心を覚ましたい、昔に帰りたい思いを強くさせられた。しかし、当時は絵を描くことを許されていなかった身には、描きたい思いがふきあがって来るだけで絵は描けなかった。せめて、児童図画を見ることによってと思い、図画の先生でもあった、又、ほめられた事の極めて少ない私が図画の時間に絵はへたくそだけど構図がよいと云ってほめられた事のある先生であり、中学一年の時担任の先生でもあった、吉田好道先生に当時の身分と理由とを書き、子供の描いた図画が欲しいとお願いした。
 その返書は、親身なもので、自分に対するおどろきと反省をよびおこす優しさで満ちていた。同封されて奥様の手紙があり、その中に少年期を過した家の前の香積寺とそのお住職様を詠んだ短歌が三首添えてあった。これが私の短歌に接した初めであって、過ぎし日のなつかしさもあり歌は何とよいものであろうかと思った。これがきっかけとなり、又、刺激ともなって、自身にふさわしいものとし得て、時折りに詠みはじめ詠んで今日に至っている。
 低能児と云われた程に能力におとる私であったが、幸いにと云うか不幸と云うか四国の松山刑務所で覚えた俳句の素養が助けとなって数は少ないながら、「裸になれ」と念じながら詠み重ねて続いた。又、毎日新聞、朝日新聞、朱、まひる野、その他雑誌にも投稿もし、あまり物事にながつづきしない私は短歌だけはどうゆうわけか、たどたどしいながらも四年以上続いている。毎日歌壇では、昭和三十八年の上半期の窪田空穂先生の選で、毎日歌壇賞をいただき、生涯に唯一度の賞というものを授かったよろこびも味い得たのである。
 いままで、いろいろの方々から厚意をよせられたり、手紙をいただいたが現在は、ほとんど文通も絶えている。中に、二、三の方々は私の歌集を出してあげよう、出さして欲しいと云って下さった。これらはみなおことわりしたが一人だけ私の思いのままの歌集を出してあげると云われた方が居り、一時は、あえて生前出版をしようとしたのであったが、途中で意見に違いが出来て結局は中止する事になった。その時に窪田空穂先生に無理云って、書いていただいたのがこの歌集にある序文である。序文の中に叱りがふくまれてあるのは、私の考えの浅かった事を指していて、今もなお、読む都度にありがたいのである。
 窪田空穂先生に相談して生前の出版はとりやめ、死後に出版して下さろうと云う方に希望を遺していますが、何かさびしい心残りともいうべき思い、愛しみを遺すものがこの一巻であり、生前出版しようとした稿に加えて今日迄の歌を書き添えた。
 最近私は養母を得た。死後に角膜を差し上げること、死体を役立てるために必要な事によって養母になってもらった千葉てる子と云う人は、長い間私の義姉としてキリストを信じさせてくれいろいろなわがままを聞いてくれた人であり、私にとって生みの母におとらない母である。私は心のままに「おかあさん」と書いて手紙を出している。誠に幸せに余る日日を過している。
 母を得て感じる事は自身の罪の重大さである。母を亡した被害者のお子様に対するお詫びであり、死をもってする詫びでありながら足りない申しわけないこと、詫びて済まない日日の悔悟であり、人の、すべての生あるものの生命のいかに尊いものかを悟らされたことである。
 この思念が遺愛集であり、私の至り得た生命のすべてである。
昭和四十年三月
島秋人
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「あとがき」に添えて


 この澄めるこころるとはらず来て刑死の明日に迫る夜ぬくし。処刑前夜である。人間として極めて愚かな一生が明日の朝にはお詫びとして終るので、もの哀しいはずなのに、夜気が温いと感じ得る心となっていて、うれしいと思う。後記は前坂和子君によって書かれ、私の作歌の内容的な事は読まれると思います。
 私は、あとがきに添えて刑死の前夜の感を書こうと思いました。私は短歌を知って人生を暖かく生きることを得たと思い、確定後五年間の生かされて得た生命を感謝し安らかに明日に迫った処刑をお受けしたい心です。知恵のおくれた、病弱の少年が、凶悪犯罪を理性のない心のまま犯し、その報いとしての処刑が決まり、寂しい日日に児童図画を見ることによって心を童心に還らせたい、もう一度幼児の心に還りたいと願い、旧師の吉田好道先生に図画を送って下さる様にお願いしました。その返書と一緒に絢子夫人の短歌三首が同封されてあり私の作歌の道しるべとなってくれました。
 短歌を詠み続けて七年になりました。初めて私の作品をとりあげてくれ批評をしてくれたのが前坂和子君です。三田高校在学中の事で三年生の文化祭に一冊の小冊子として、出品してくれました。その名を「いあいしゅう」と付してあり、この歌集に「遺愛集」として生かしたのです。これは前坂君への感謝の心と私の作歌をしむ心とを合せたものです。
 夜の更けるまで教育課長さんと語りあっても話がつきない思いです。僕は生かされて得た心でしみじみと思うことは、人の暖かさに素直になって知ったいのちの尊さです。厚意の多くに甘え切って裸になって得たよろこびのいとおしい日日のあったことがとてもうれしいと思います。
 前坂君の花の差入れは処刑の前夜もありました。花好きの僕は最後までよい花に接し得たことをよろこびます。遺品かたみにと賜ひし赤きほうずきをわれと思いて撒と分ちぬ。母が持って来てくれた真赤なほうずきを、父、母、小川久兵衛牧師、泉田精一教誨師、前坂和子君、所長にも、僕の代りのように育てて欲しいと云って五つずつ分けました。
 歌集もたくさんの方々に読まれることでしょう。これは本当は生きている内に掌にするものと思っていた歌集なのですが、処刑は急に来るもので、本来の通り死後出版となります。この歌集の歌の一首でも心に沁むものがあれば僕はうれしいです。
昭和四十二年十一月一日夜(註・処刑前夜)
島秋人





底本:「遺愛集」東京美術
   1974(昭和49)年10月15日新装第1刷発行
   1999(平成11)年12月25日新装第14刷発行
※「位」と「位い」、「言う」と「云う」、「籠」と「篭」、「幸福しあわせ」と「幸福しあはせ」の混在は底本通りです。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※出版社による作成と思われる底本冒頭の「著者のこと」「文中の人々の註」は省略しました。
入力:大久保ゆう
校正:The Creative CAT、Juki
2019年11月1日作成
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