屍体異変

森於菟





「解剖家は須らく困難に耐ゆる事仙人の如く技巧を凝らす事美術家の如く、しかも汚穢を厭わざる事豚の胃袋の如くなるべし。」之は解剖学の大先達のヒルトルの言である。解剖家の仕事が汚いと云う事は医師以外の社会人の常識であるらしい。ひょっとすると解剖家以外の医師の大部分も之に入れるべきかも知れない。
 十年以前私が独逸に留学していた時、或教授の私宅に茶の招待を受けた。それは考古学の方面の教授であったが、夫人と種々家庭的の打ち解けた話をした中に「よく解剖家に娘をやる母親があるものだ」と云う言葉があった。医学者でないにしても科学で凝り固まったような独逸の教授夫人で此言がある。尤も独逸の嫌うのは解剖家に限らず、屍体をいじる職業でなくとも日本人や支那人は虫が好かぬらしい。人伝に聞たのでは[#「聞たのでは」はママ]あるが良家の令嬢に日本人が求婚した時、娘がかわいそうでやれると思うかと其母親が云ったという。之は其日本紳士が特に風采揚らなかった故であるかもしれぬが、又私のある友人が指導教授にお前は日本人にしては立派だとほめられたのを考え合せても一般にちぢこまった汚らしい者のように考えているのはたしかである。これは欧州人が自己を遙に優秀な人種と確信している先祖から伝わっている固陋な先入観念から来る。独逸人は生一本の野性から正直に之を云うに過ぎぬので米人の排日とは又訳がちがう。近来のナチスの異人種排斥は彼等の野性の極端な発現であるとすれば怪しむべき筋でもなく、日本大使館の抗議に対して有色人種の中に日本人を含んでいないなどというのこそ、ナチス党員の真底の心持を偽った外交辞礼に過ぎぬように思われる。彼等として日本人の勇気や才能は十分認めているから、戦争の時味方になって貰ったり学問の共同研究をするなぞは好もしいが一つ鍋のものを食ったり、夫婦親子のつきあいをするのはなるべく御免蒙りたいというのが真実の感情であろう。
 話が横に外れたが有色人種はとも角、解剖家(一寸断って置くがこれは Anatom の訳語で「かいぼうか」とよむので決して「かいぼうや」と訓じてはならない。中には解剖で衣食すると云う意味でかいぼう屋とよぶ不都合な人間も無いではないが之は我我を侮辱する事の甚だしい者である)が何故嫌われるかというと、一つは汚いものをいじるという事で、他の一つはおばけにつかれていはしないかと云う危惧である。もう一つは医者から坊主への間に立ち入るという意味での神聖の冒涜であるが此非難は今では余程古い思想の持主でなければ之を聞かない。前の二つに対しても一一反駁する事は煩わしくもあるし馬鹿気ているからすべて省略する。ともかく私一個人としては汚いとも気味が悪いとも思わない。そして世間には医者にもそれ以外にも我我より遙に汚い又は気持の悪そうな職業が沢山あると考えている。
 世間に殺人とか変死体があると新聞ではすぐ「大学病院に送り解剖に付し」と書く。然し東京帝大でも他の大学でも病院で変死の解剖は絶対にしない。解剖は三種に分れて学生に人体構造の系統を教える系統解剖は解剖学教室、病死者の死因を探求する病理解剖は病理学教室、そして警察事故や刑事裁判に関聯する屍体の解剖は法医学教室で行われる。これを世間でまちがう人が多くいろいろの屍体を解剖学教室に運び込む者が多いので使丁等は我我の教室での解剖を大解剖と称して区別し易いようにしている。
 以上のうち病理解剖は新鮮な屍体を扱うので病毒伝染の機会が最も多く、法医解剖は惨殺体や時には又腐爛屍体にも触れねばならぬ。両者とも特殊の技術を要するが、いずれも目的に不用の点を省略して其核心に向って進み入るのは同じである。特に病理解剖に於ては其病竈が大多数の場合に内臓に存する為に、胸部は其骨も筋も一所に扱い、其前壁にある肋骨をザクザク挾み切る事によって一枚の略三角形の板として除いた後その中にある心臓や肺を摘み出す。腹部も皮膚から筋をこめて一枚とし、これを臍を中心として十文字に切開き、頭部では耳の上から額にかけて輪を描く皮切を施して後それに応じて頭蓋骨を輪切にする等すべて仕事が男性的である。これに対して我我の専門である系統解剖は皮膚に被い隠されている内臓とか筋とか脈管とか神経とかいう各系統が複雑に組合っているのを選り分けて浮び上らせるのであって、その材料は予め防腐注射を施したものを相当の長い時間酒精等に漬けて置いたのを用うるから病毒腐敗毒等の危険は少いが其操作には最も長時間を費し且幾分彫刻家に似た技術を必要とするのである。
 屍体でも我我が解剖台上に載せる材料には甚だしい臭気は無い。一旦皮膚を除いて深部に入れば各部の器官が特殊の位置に独特の形態を保って存するのを手際よく現わす事に心血が注がれ、すべての物は我我の体とは関係のない物体として映ずるので、これを扱う事昔の医学生が紙製の人体模型(和蘭語でキンストレーキと称した)を解いては組合せたのと少しも変りはない。


「屍体は臭いだろう。」度々聞く質問である。人間でなくとも動物の腐る臭を一度も嗅いだ事のない人がある筈はないが、之はそんなものとよく同居していられるという同情からの言葉に違いない。臭いには極っているがそれには又種類がある。鼠が天井裏なぞで死んだのを気がつかずにいて何だか臭い臭いと云っているうちに天井板にしみが出来る。ぼたぼた臭い汁が垂れる、又は隙間があれば蛆が落ちて来る。あの時に感ずる臭味が動物体の腐敗臭で、法医学で扱う屍体には其機会が多く且体積が鼠より大きいだけに臭も甚しい。病理解剖ではこれとは異る新鮮なる屍臭と病気によって一様ではない特有の臭気がある。然しそのいずれの場合にも執刀者は職務上の熱心と興味とから漫然と傍観しているもの程には感じないのである。まして我我の取扱う系統解剖実習に用うる屍体は前にも云う如く予め防腐し且長時間保存した後のものであるから設備さえよければ殆ど臭気はない。事実我我の親しい学生諸君は一定の法式によって除かれた皮膚筋肉の深所に現われた血管神経に顔を近寄せ、胸腹の内臓の中に頭を埋めるようにして右手のメスと左手のピンセットを動かすのである。そして貴重な材料を最後まで利用する為に午後一時に初まる[#「初まる」はママ]実習時間が日暮に近く実習場の整理と清拭の為に使丁が鈴を振って定刻を告げても屍体の傍を離れようとはしない。特に許された見学の団体が実習場に入る事があるがその中に大袈裟に鼻を被うものなどあると我我は寧ろ不快を感ずる。
 私は毎日省線電車で通っているので其中に多勢の学生が乗る。朝夕同車するので親しくなった法文科方面の学校の学生が医学生と話すのを聞くとよく「解剖は臭いだろう」を問題にしている事がある。或時私の前に腰掛けた私の関係していない医学専門学校の学生が聴き手の好奇心を満足させるように光景を叙述して「何しろ汚くって臭いからなるべく遠くから覗いているんです」と云った。私はばかばかしいと共に腹が立って其男の鈍感そうに垂れ下った眼瞼から出張った顴骨まで癪に障った。もし之が私の講義に出席する学生ならば試験に本をひきうつしたような答案を書いても零点なのである。
 それでは全然臭い事がないかといえば実はそうでもない。然しそれは実習場内ではなく反って外へ出てからである。原則としてはゴム手套をはめるのだがそれがうるさく感じられるので之を外して直接、殊に腹部の内臓を長時間いじった後である。手を薬液に浸してから十分湯と石鹸と刷子とで洗っても時を経て鼻の辺り近づけるとかすかに異臭を感ずる。
 宅に帰って入浴すればいいがそのまま宴会などにのぞんだ時たしかにその胆汁臭を主とした一種の臭味を覚える。又自然と手掌からにじみ出して来る脂が自分の体から分泌されたものに幾分のXを加えた感覚である。併し其手でパンをむしって口にして何とも感じはしない。これ位の負け惜しみは、どの職業の人にもあるように考える。
 我我の聞かされる第二種の話は「屍室は気味が悪いでしょうね。夜中に死骸が泣くというじゃありませんか」などという類のものである。どこでもこういう話が全然ない事はない。細雨の降る夜更に屍室の傍を通ったら囁く声がしたとか、ある実習場の何番目の台の上にのせた屍体は朝行って見ると宵とは向きが変っていたとか台の下に転げ落ちていたとかいう類で一つも根拠はなく噂の出所は使丁室かそこに出入する商人などに極っている。先月かの『モダン日本』に帝大医学部怪談集と称する標題を掲げた白石実三氏の一文中にある如く学生が忘れたノートを取りに実習室に入って死骸にどなられて逃げ出したとか、研究生が死骸から掛った電話をきいて教授に告げたら教授がそれを聞く程になれば君も博士になれるといったという様な頭の悪いナンセンスは少くも帝大医学部の教授や学生の口からは出ぬ筈と私は信ずるのである。
 然らば我我は常に屍体を研究対象の物体とのみ考えて如何なる時にも妖異を感ずる事はないか。それはあると私は静かに答えねばならない。


 Y君は外科専門の医学士で解剖学教室に研究に来て居た。東海道の某市に医院を開いているので一月置き又は二月置きという工合に医院の方を代診に任しておいて上京するのである。それであるから東京に滞在している間は少しの時間も冗にする事が惜しいので帝大の近所に下宿し、一時は主任教授の許可を得て教室の使丁室に宿直の小使と一所に泊りこんで夜まで仕事を続ける事などもあった。
 同君が教授から貰った主題(テーマ)は膝関節付近の粘液嚢である。粘液嚢は筋の運動の烈しい場所に筋とそれに直接触れる骨や関節との間に出来ている嚢で摩擦を減ずる用をするものである。日本人は古来の習慣で特有な坐り方をするので膝を衝く事が西洋人より多く膝関節付近にある粘液嚢が随って彼等よりも多く且複雑しているであろうという予想の下に与えられた研究題目である。之を調べるのには其部の皮膚と皮下組織とを注意して除いてから、メスとピンセットで気永に膝蓋骨の上下や、又大腿の方から来て下腿骨の上端の辺に付着している筋と骨及関節嚢との間にある嚢を掘り出して記載したり写真に撮ったりするのである。又粘液嚢は普通其中の粘液が少い為にひしゃげているので膠の溶かしたのに青や赤の染料をまぜて注入して之を明かにする。然し嚢の壁は薄いので注射の際に破れたり染料のとき方が悪ければ周囲にしみ出したりするので必ずしも容易でない。仕事がこういうものだからY君は夜遅くまで只一人屍体と取組んでいるのである。
 場所は東洋一の古い大学で、百卅余名の学生が同時に解剖実習の出来る大実習室、教室の裏の別棟になっていて、その又裏は加賀侯以来の山上御殿(震災前の話である)を囲る古池に添うた道に接してその間の若干坪の空地には足を踏み入れる所もない程熊笹に混って萱草蓬の類が生い茂っている。たたきの床の上に十六の実習台が二列にずらりと並んでいる。長方形の大広間は一方が扉によって屍体の貯蔵室に隣っている外、他の三方は広い硝子窓が並び、建築の様式が古い為に窓と窓との間には約半間幅位の壁がある。天井の採光窓と共に流れ入る光線の量は相当に多いのであるが、何しろ其頃六十歳を越えていた教授の青年時代の建築なのですべて古びて壁も板も黒ずみ陰欝である。まして夜になれば滅多に使った事のない電球のあまり大きくないのが三個ばかり蜘蛛の巣だらけになって吊り下っているだけである。
 Y君は十二月も末に近い頃の或夕方教室から出て近所のレストランに夕食を摂りに行き其所で出会った友人と暫く散歩して教室へ帰って来た。教室の大戸は閉されて宿直室にのみ灯がともっている。窓を叩いて小使のHの名を呼んだ。此処にいる小使は三人共永年の勤続で実直な男であるが其中でHは酒を好んで宿直の晩にも膳の上に徳利を欠かさなかった。Y君の窓を叩いた時二合瓶を空にしていい気持になりかけた所である。そこでむしゃくしゃ腹にどてらを羽織って出て大戸をあけるなり「今頃になって誰だ」と怒鳴った。ところが対手は運わるく中学時代から硬派の青年で腕にもしたたか覚えのあるY君である。其上今度の滞留は二月を越え、元来カフェーの灯や御神灯には縁が遠く度重なる独り寝の枕に故郷の貞淑なる妻君の上ばかりを思っている彼は、二百哩とは離れていないのに海外に流浪する人の如き郷愁が欝積している所である。忽ち怒りが破裂して「貴様酒を飲んでいるな。俺が解らんか」とどなりつけた。Hも酒の勢いで向って来たので格闘になったが、こうなっては年を取ってしかも酒で体を壊しているHはY君の敵ではない。直ぐ取って押えられて平謝りに謝った。
 Y君はむっとしたままで研究室に置いたノートと解剖器具をとるなり、実習室に入った。丁度学生の実習期なので十六台の実習台は満員の屍体である。既に皮膚は剥がれ筋や内臓が露われ或者は内臓もとりのけられて脳や腹に広い空洞が開き、顔面には薄い顔面筋の間から頭蓋骨が白い歯齦迄むき出して笑い、頭髪のついたままの頭皮は骨から離れて風呂敷をつくねたように後ざまに垂れているのであるが、之等はすべてゴム引の麻布で掩い隠されている。Y君は現在自分のいじっている屍体の傍にいつものように席を占めて、永年しみこんだ屍体の液汁の為に茶褐色に変色した布をはねのけて昼のつづきを調べ初めた。これは中年の女の屍体で仰向けになり頸の下に木の枕をあてがって頭を後に落している。Y君の今やっている所は膝関節の裏面なので上着を脱いで手術衣をつけ屍体を抱えて横向にし足がピンと張るように下腹部の下へ木枕をあてた。Y君はHと格闘した余憤の残っている上に一人で重い屍体をひっくりかえした時に力を費して心持も平静を失っている。電灯は薄暗く宵からの木枯がやや吹き募り窓をガタガタさせて隙間から吹込む。Y君は只機械的に手を動かし、心は遠く仕事を離れていた。
 其時である。屍体の膏でヌルヌルしている台と木枕との間がすべってガタンと大きな音がしたと思うと屍体が俯伏になってY君の肩に倒れ掛り、冷たい棒のような手がY君の横面をピシャリと叩いた。今とちがって左翼意識が何かしら新鮮らしい感を与え若い者の機嫌をとる人は皆そんな事を口にしがちであった時代であるにも拘らず、未だ其言葉こそなかったがファッショの代表のような彼、封建時代的武勇に秀でた彼も瞬間慄然とした。其時、そして猶工合のわるい事には何分の一秒かの間隔をおいて女の頭の皮の髪にもつれた脂じみた黄楊の櫛がはらりと彼の足許に落ちたのである。声こそ立てなかったがY君は匆卒にノートを引さらって室をとび出し、先程どなりつけた小使のわきの蒲団にもぐりこんだ。そして翌朝は一番の東海道下り列車で、多分同じ黄楊の小櫛で洗髪をすいているだろう所の愛妻の許へと帰ったのである。
(一九三三年十一月五日)





底本:「世界教養全集 別巻1 日本随筆・随想集」平凡社
   1962(昭和37)年11月20日初版発行
   1964(昭和39)年5月4日4版発行
入力:sogo
校正:きゅうり
2018年8月28日作成
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