夜仕事につかれて空腹のまま寝たりすると、ときどき妙な夢をみる。夢というか幻想というか、ともかく尋常でない夢である。食を求める食いしん坊の胃袋と、職業意識がかさなって幻覚となってあらわれるものらしい。その内容を公開すると、読者はゲンナリされるかもしれないが、事実だからいたし方ない。一口に言うなれば、ぼくは冷めしに細菌のふりかけをかけて、それを懸命に口にかき込んでいるのだ。しかも細菌の内容たるやコレラ菌、チフス菌といったしろものだ。それを
人を殺すような細菌も生きていればこそ有害なのだ。彼らでも死んでしまえば、
ところでぼくの教室の
デリケートな卵は気体が汚れていると細菌にすぐ感染してしまう。だから完全に滅菌された容器の中でさらに殺菌灯で無菌状態にした空気の中で育てられなければならない。
助手君はときどきぼくに見てくれと言いにくる。そこでぼくはしかつめらしい顔をして孵卵器の前に立つのだが、腹の空いているときなぞはもうぼくは食いしん坊の大罪を犯しはじめているのだ。これはフライドエッグにしたら旨かろうな、あれは質のいいバタをのせ、コニャックをふりかけ、ブケをそえ、香料をうんときかせて、最後にエダムチーズをうんと振りかけて、オーブンで焼いてみたらどうだろうな、などと考えている。そのうちにぼくの眼前には顔中を皺だらけにして笑みを浮かべている、あの料理のオバサン、江上トミさんの顔が浮かんでくる。「未熟のお雛もこうして召し上がりますとおいしーくお召し上がれになれます。パセリなどをお添えしてどうかお熱いうちに召し上がって下さいませ。今日のお料理、いかがでしょうか。ぜひ一度おためしになって下さいませ」。
あやうく
卵の殻のほうにも空想がある。いや空想というよりも意地きたないぼくは、きわめて現実的な提案のつもりだ。時間がないので実験はしてみないから、可能か不可能かはわからないが、どうもできそうな気がする。ぼくが考えているのは色変りの半熟卵だ。
ぼくは半熟卵が好物だ。毎朝古女房に半熟卵をこしらえてもらって、白い瀬戸のふちで生あたたかい白い楕円形をコチンとたたくときの気持はなんともいえない。それを二本の指でカッと開くとどろりとした白身が湯気をたてて黄身といっしょに落ちてくる。スプーンで殻の内壁についた白身を削りとり、それに塩か醤油をかけ、あるいは女房の眼を盗んで化学調味料をちょっぴりかけ、それをスプーンでしゃくって食べる。貧乏なぼくにはそれが涙がポロポロでてくるほど旨いのだ。下手な宴会料理なぞよりはるかに旨い。
ところでぼくはこうして毎朝卵を一つずつ充分満足して食べているのだが、自分の幸福に満足しながらもときどき思うことがある。「もう少し複雑な味をした半熟卵があったら旨かろうな。中に
ぼくが考えている料理法はこうだ。まず彼に卵の端に近い部分をきれいに割ってもらう。そして帽子をとるようにその部分をとり除いて、次にそこから卵の内容物を外に出す。容器にあけた卵にあらかじめ茹でてある蝦を入れたり、マシュルームを入れたり、バタを入れたり、香料やストックを入れたりいろいろ工夫をこらすのだ。
これがぼくが毎朝古女房に茹でてもらった半熟卵を充分満足しきって食べながらも時々思うことである。いろいろな複雑な味をもった半熟卵ができたらどんなに素晴らしいことか。こんな料理、ぼくの知らぬ間にすでに存在しているかもしれない。けれど、いまだ誰も試みたことがないとするなら、料理専門家の方々よ、毎朝半熟卵で涙を流す余命いくばくもない食いしん坊の老人のためにぜひ作って下さるまいか。そして、その新料理がぼくの名にちなんで命名されれば、ぼくの感激これにしくものはない。というのは、才能とぼしきゆえ、一生を捧げた科学の世界ではぼくの名はどうやら後世に残りそうもない。せめて半熟卵にでもぼくの名が残されるならば、遠い子孫のうちに新案半熟卵を毎朝食べながら、こんな先祖もあったのかと思ってくれるものもあるかもしれないから。
(もり おと、医博・東邦医大医学部長、三五・六)