明代末葉のころらしい。
江西省南昌府の城門外数里の地に北蘭寺という古刹があった。数名の若者がその寺内にいくつかの房を借り、進士となるのを目的として科挙に応ずる準備の読書をしていた。
その中で魏生と張生とは気の合う所があったので、互いに何事も打ち明け、年長の魏生は張生を弟のごとくいたわり、張生はまた魏生を兄のごとく敬って、その交情は僚友もうらやむほどであった。
秋の初めごろ魏生はそこから余り遠くない郷里にいる母が病にかかったという知らせを受け取って看護のためにこれに赴いた。
今は心を語るべき友なくひとりその房に淋しく書をひもときつつ朝夕魏生の上を思うていた張生はある夜燈もようやく暗く睡気を催したので
「私は君に別れて国に帰ったが老病の母をみとるうち、はしなく時疫に感染して数日で死んだ。今の私は幽鬼で、朋友の情割き難く君に訣別を告げに来たのだ。」
年少の張生はふるえ上って言葉を出すことができないのを、鬼は慰めて、
「怖がらなくとも好い。私に君を害しようとする心があれば何でありのままを君に告げよう。落ち付いて私の頼みをきいてくれたまえ。」
とねんごろに言ったので張生も少し安心した。魏の幽鬼は重ねて言った。
「私には七十余りの老母とまだ若い妻がある。数
張生はそのすべてを快く引き受けた。魏生は世にもうれしそうな顔をして立ち上り、
「君にみな承知してもらってこれに過ぎた満足はない。」
と言って既に立ち去ろうとするのを、今は少しも怖れる心がなく、ただ懐かしさで胸いっぱいの張生は泣いてこれを引きとめて言った。
「もう君とは長い別れになるのだからもう少しいてくれたまえ。」
魏生の幽鬼も涙を流して牀に帰り物語をつづけるうち、卒然として幽鬼は立ち上って言った。
「ああ、もう帰らなければならぬ。」
突っ立ったまま凝然として動かない。見れば両眼を恐ろしくみはり、その上に相貌全体が刻一刻醜くゆがんで来る。張生は大いに怖れ、
「君は話がすんだのだから早く帰るが好い。もうやがて天明も近いだろう。」
と促したが魏生は無言で直立したまま動かない。張生は牀を叩いて叫んだが依然として屹立したままである。
今は魂身に添わず、張生は牀から起き上って房の入口の方に逃げると、幽鬼は後に従って走る。寺の門を出た少年がいよいよ急に走れば鬼もますます追いせまる。行くこと数里で張生はある人の菜園を横切りそこから路傍に出る境の垣根を越した途端に地に倒れてしまった。鬼はつづいてこれを越えようとしたが硬直した
夜が明けてから行人がこれを発見し気を失った張生を助け
昨夜から屍の紛失で騒いでいた魏の家では伝え聞いて隣人知友を迎えによこし、屍をにない帰りようやく柩に納めることができた。
以上の話は清朝中期の文人袁子才の編んだ中国民話集『子不語』にある「南昌士人」の大意である。編者はこれに解釈を付け加えて曰く、「人には三魂七魄あり、魂はその性善でかつ聡明であるが、魄は性悪かつ暗愚である。魏生の屍が初め来た時には魂未だ亡びず魄を支配していたが、その心事を果たした後は魂去って天に帰し、悪の魄だけ残って害をなしたのだ。世に時々ある屍の移動なども魄の所業で、ただ有道の人のみがこれを制することができる」と。
一人に二霊を認めるのは西欧古代の哲学にもあるが、かくのごとく魂魄を区別するのは中国の思想である。魂は天より受けた気で天人をかたどり、魄は地より生じて悪鬼の像を示す。魂魄は天地の霊で永久に存在し、これが合すれば人を成し、離れれば人は死ぬ。
祭祀は祖先の魂魄を各その所に安んぜしめ、魂をして子孫の幸運を助けさせ、魄がこれに害を及ぼさぬようにするために行われるのであると言う。
こういう意味で魂魄を明白に分けた伝説民話が日本にもあるかも知れぬが寡聞の私はまだ知らない。有名な上田秋成の『雨月物語』中の一章「菊花の契」は自刃した武士の善き魂が陰風に乗じて遠きに赴き、重陽の佳節に友と再会の約を果たしたのであり、「仏法僧」は関白秀次の魄が高野の山中に旅僧をおびやかす物語である。
近ごろはあまりないが以前私はよく夢に、亭々として漆黒にそそり立つ杉木立の間の径を果てしなく歩むことがあった。
先は永遠の幽冥世界であることを意識しつつ怖れ気もなく漠々と進むのである。
その時後の方遠くかすかに人の呼ぶのをきく。声がようやく高く身がそちらにスーッと引かれると感ずる瞬間に眼がさめる。私はこの時肉体から離れる魂が引き戻されたので、生命の燈の消える時はおそらくおぼろの意識の中にあの夢を見つづけて行くのであろうと想像する。
夢の中で魂と魄と分離して行動する話は台湾にいた時黄氏鳳姿の台湾民話で読んだがほかの土地にもあるであろう。また魂魄が同一人で時を異にして活動する物語は誰も知っているスティーヴンソンの『ジーキル博士とハイド氏』のようなもので、東西古今にわたって少くないことと思う。
さて私がどうしてこんな話を書いたかと言うと、おのれの職業がらそれぞれの解剖台に横たわる多くの死体を実習場で見渡すとき、死後の顔に魂の平和に微笑んでいるものと、魄がのさばり返って醜くゆがんだ形相とがあるような、まことに非科学的な錯覚にとらわれることがあるからである。ことに夕暮近く死体の頭部に近く椅子に腰かけ、どろりと灰色に濁った眼球の沈む眼窩や、蒼白い歯ぐきのむき出した口のまわりを、歌舞伎の隈取りのように取り巻く
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te に顔と顔とをつき合せ、皮を剥いだあとの筋肉にも残る表情をみつめるのに疲れて、うつつなき妄想にふけるひと時もある。(昭和二十三年一月)