●今日我国が外国に対して為すべき行動の内、最も重要なるものは軍事的と外交的の二つであつて、前者は唯露軍に勝つと云ふのみが目的であるが、後者に至つては汎く列国に対して我国民の公明正大なる事を表白し、以て平和克復の終を善くせねばならぬ。然るに此二つの行動に就ては啻に我軍人と外交家の手腕にのみ依頼せず、我等国民としては出来るだけの力を尽して彼等に後援すべきものである。
●軍事的の後援は専ら国民の敵愾心を振興し士気を鼓舞する事であるが、外交的の後援は国民が平和を追求するの至誠を世界に表白する事である。戦争に権謀と詭計を要する如く外交には公平と至誠が最も必要である。外交の秘訣は策略と術数にありと云ふたは既に昔の事で、今日の外交は決して至誠を失ふてはならぬ。見よ、我当局者が発表した日露外交始末書を読むも、我国は始終温和と公平の態度を採りしに係らず、露国政府に平和を望むの至誠なき為交渉破裂を来したと曰ふではない乎。然り、日露の交渉のみならず、総ての外交には温和と至誠が必要にして喧嘩腰は大禁物である。
●日清の役に我国が軍事に成功し外交に失敗せしは何故であるか。国民が軍事的の後援にのみ熱狂し、外交的の後援を不問に附した故である。当時我国民の敵愾心は其極点に達し、支那人を見ればチヤン/\坊主と罵る子供はあつた、抜刀隊を組織して出陣せんと志願する剣客はあつた、媾和使を下の関に害せんとする兇漢はあつた、支那全士を[#「支那全士を」はママ]横領して東洋の盟主たれとりきむ政治家はあつた。併ながら当時戦争の罪悪を唱へ平和を熱望するの至誠を表白するものは、四千万人中唯の一人も無かつた。左て斯の如き人民の後援を得た当時の外交家は如何なる事を為し能ひしか。彼等が締結した媾和条約は日ならずして列国の干渉を招ぎ、東洋永遠の平和に害あるものとして放棄すべき空文と成つたではない乎。
●日露開戦後仁川に又旅順に、我軍戦へば必ず勝つの時にあたり、欧洲の或外交家は我々を以て好戦国民なりとし、又黄色人種危禍の説が
●然るに今日我国民は果して
●又近頃或る高官の説として伝ふる所を聞くに、故広瀬中佐の武勲を表彰せんが為、奨学金を募りて海軍大学の優等生に与へ、以て中佐の名誉を不窮に伝へなば甚妙ならんとの事であるが、此海軍大学なるもの、則ち戦争に関する技術を練習する学校が、果して永遠に持続すべきもの乎、持続さゝねばならぬもの乎。余等平和論者から見れば陸海軍万歳など云ふ事は、此上もなき不穏当な言葉で、斯の如き機関は一日も早く廃滅させねばならぬものと思ふ。従つて永遠に伝ふべき奨学金の如きは人類の幸福と平和に資する文科、理科、農科、工科等他の学科の為に費すべきものであらう。然るに之を海軍の学生に与へて戦闘の術を永遠に奨励すべしと云ふが如き、又之を伝へて勧奨する新聞記者輩の脳髄は、何処まで旧式にして頑冥なものであらう乎。
●右の如く我国民は好戦者と言はるゝを厭ひ、黄禍説を打消さんとて、口に之を弁駁しながらも、其行為に於て好戦者たるが如く蛮勇者たるが如き実を顕はしつゝあるは誠に歎かはしく、又斯かる国民を後ろに控へた外交家が果して手際よき仕事を為し得るやは大なる疑問と言はねばならぬ。若も我国が今日の難局を通過するに軍事的の成功が唯一の要件ならば、国民の敵愾心を煽動し軍人にけしをかけるだけで事足るであらうが、
●見よ、先年英杜の交渉破裂し英国の朝野を挙げて帝国主義を絶叫した時、激烈なる論鉾を以て当局者の政策を非難し、自国海軍部内の非行を摘発したステツド氏一流の言論を拘束せざりし英政府の宏量は、其の侵略併呑主義者たるの汚名を幾分か拭ひ得たではないか。又圧制暴虐の譏りを受くる露国政府の下に平和と博愛を唱ふる一人のトルストイ伯あるは、バルチツク海に留まる数十隻の軍艦に優る強みではないか。其如く今日此の際温和と公平の見地から彼我の行動を痛論する余等非戦論者が、
●今や我国民の多くは戦争の熱に浮かされ敵愾心に駆られ、事物の是非を判つの常識を失はんとするに
〔紀伊禄亭生『社会主義』第八年第七号・明治三七年五月三日〕