真劇シリーズ

REAL DRAMAS

第一話 分身

NO. 1: HIS SECOND SELF

フレッド・M・ホワイト Fred M. White

奥増夫訳




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 今は亡き俳優手配師の備忘録より

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 ボサボサの顎鬚あごひげを生やし、鼻の下をそり上げた鉄面皮てつめんぴの男が、フンと軽蔑して辺りを一瞥いちべつした。
 こんな失態は許せない。男は時間と規則に従って生きている。
 顔を一部しか剃らないのは父も祖父もそうだったから。昔の霜降りスーツを着ているのも同じ理由だ。
 思い起こせば、いつも日曜日の食事は午後一時、冷めた肉とシュエット・プディングだった。同じ家に六〇年住み、家具はピカピカに磨かれたマホガニー、椅子は頑丈な馬巣織ばすおり、召使いは同じ仏頂面ぶっちょうづらの頑固者だ。
 毎年、同じ区域の陰気な事務所を回り、毎年同額のお金をがっちり稼ぐ、偏見と自信の塊だった。あまりに単調で退屈な為、妻は死んでしまった。男の暗い人生の中でたった一回の色恋沙汰が妻だった。
 そして男が怒り心頭に発したのは一人娘が家出したことだ。我が家はケッペル・ストリートで最高に豪華で洗練されていると思っていたのに。
 サミュエル・バートンはそういう男だった。めったに喜びを表わさない、やはり特異な人だ。信念に従い、高潔・公正をむねとし、不都合な行為には聖書をおもむろに引いて、冷静に感情抜きで、いつも正す。
 自分が孤独、不幸、惨め、とは夢にも思ってない。それを知ったら仰天しよう。さらに謹厳実直な外見の下に、深い人間愛があったなんて、もっと驚くだろう。

 今までブルームズベリー劇場の人情劇を見に行ったことはない。言うなればだまされて入った。つまり誤って、大ホールじゃなく小ホールの方へ入場し、半クラウン硬貨を払ってしまい、自身の性格上、元はきっちり取ってやると決めた。案内服の少女がプログラムを手渡した。苦笑にがわらいしながら読んだ。
 こんなバカげたところは二十五年、来ていない。ずっと昔、ほんのひと月、くだらん芝居を見たことがあった。いろいろな理由でその時を今は思い出したくない。
 あの時すっぽかしたら、結婚せず、娘も生まれず、老いてから娘が逃げることもなかったろうに。これにはわけがあったが、サミュエル・バートンは直視しなかった。そうすることは自分の判断を否定することであった。
 最初の演目は三部作の喜劇。軽くて面白い寸劇で、観客は大いに喜んだ。バートンは表情一つ変えず最後まで見た。あんなことで笑うなんておかしいんじゃないか。ちっとも生活感がないもの。
 夫が若妻の誕生日を、わざと忘れた振りしたからと言って、わーわー泣くほど女は馬鹿じゃない。小喜劇はどれもそんなものだ。実にくだらん。
 カーテンが下りた時、隣席の感じのいいご婦人が涙を拭いているのもこっけいだ。バートンはこの寸劇がフランス喜劇の傑作品であることも、有名な作家が腕によりをかけて笑いと涙を巧みに織り込んだことも知らない。
 要するに人情劇など認めようとしない。周りの人間が全員いいなあと感じているなんて、知るはずもない。全ては時間とお金の無駄だ。

 歌と寸劇が続いた。そのあと支配人が登壇し、報告した。プログラムに書いてある『奇抜な婚約』が上演できないことを丁重に詫びた。
 主役を演じる予定のコーモス劇場のババソア嬢が病気になり出演できないという。ババソア嬢が親切にもその穴埋めにと、自腹を切って次の俳優を用立ててくれた。
 夫ヴィンセント・ブルック氏とその妻役エルシー・モントゴメリ嬢、それに子供だ。題名は自作の『我ら二人』という。この俳優たちはロンドンの観客には初めてだが、田舎では大成功を収めている由。
 ババソア嬢のご希望は、観客の皆さんに一層楽しんでもらいたいし、むしろ病の私が出演するよりもずっと良いでしょうとのこと。これに観客は拍手喝采した。
 サミュエル・バートンは退席しようと半ば決めた。長居し過ぎた自分に腹が立った。軽蔑して認めたくなかったが、まあまあ面白かったし、最後の寸劇も楽しんだ。

 ちょっと驚いたのはプログラムに目を落とすと『我ら二人』の女の名前がエルシー・モントゴメリじゃないか。モントゴメリは結婚前の妻の旧姓だ。老父がこの嫁をいびっていたことを思い出した。老父はいつも嫁を愚かで軽薄な生き物だと言っていた。愚鈍な嫁は長生きしなかった。この種の繊細な植物は馬巣織ばすおり椅子のような雰囲気では育たない。
 とうぜん旧姓は偶然の一致に過ぎない。演劇人は大げさで濃い名前が好きだ。バートンは踏みとどまり、エルシー・モントゴメリとやらがどんな人物か見てやろうと思った。
 やがて、安宿風のわびしいカーテンが上がった。青白い細身の可愛い女が色あせた黒服に身を包み、しおれた花を壺に活けている。後ろに下がり、陽気にフンフンと口ずさみ、生け花を観賞している。
 すると、耳障りな音楽で舞台が暗転し、女が涙を流し始めた。テーブルの脇にある壊れ椅子に崩れ落ち、顔を両手で覆った。芯から激しくすすり泣いている。
 観客は何事かと緊張した。これこそ真に迫る演技、実に哀しい音楽が響いている。バートンは思わず動揺した。一体どうしたというんだ。
 女が再び顔を上げると、女の両眼から涙があふれ出た。青ざめた顔面に反抗心がありあり。バートンは前のめりになって、椅子の肘掛けをしっかと握った。
 じっと見入った女の顔は、今は亡き妻のモントゴメリだ。こんな妻の顔を何度も見た。この顔は、たわいない妻の楽しみを否定したり、さえない単調な生活を邪魔したりした時、見せる顔だった。明らかに妄想のとりこになっている。単なる空似そらになのに。
「今晩確めたら、夫を捨てよう。でも方法は?」
 と女の台詞せりふ
 これは娘エルシーの声、エルシーの声だ、間違いない。どういうことだ。そのときだんだん分かり始めた。バートンは実の娘を見ている。運命のいたずらで、バートンはさもしいわなに落ちた。二十五年間、こんな所に来ていない。しかも長い空白期間を置いて、はじめて……。
 誰かが座っていいかと聞いた。ハッと我に返って立ちあがった。座りなおした時、赤面した。ぐっと自分の気持ちを抑えた。これはまさに偶然の一致に過ぎない。
 娘は自分で自分の道を選んだのだから、結果に甘んじねばならない。娘は承知の上で、いやしい流れ者と結婚した。娘が愚かにも思ったのは結婚相手が偉大な画家になる。もちろん芸術は金になるけど、夫ヴィンセント・ブルックにはなかった。いまなお底辺に沈み、無名であった。
 バートンはこの演技をちっとも評価しなかった。おそらく実話だろう。娘エルシー・ブルックの家庭に間違いない。見れば食事さえ切羽詰まっているようだ。
 小さな女の子が部屋にはいってきた。上品な白い服を優雅に着こなし、痛々しいほど母親と対極であった。バートンは又しても不安に心乱れた。自分の孫だ、まさか娘エルシーが小さかった頃のような気がして、膝に乗っかって、時計の鎖をいじって……。いったい俺の眼はどうなってるんだ。
 バートンの脇にいる男が隣の男にささやいて、
「いい俳優じゃないかね。親切にもキティ・ババソアが降りて、機会を与えた。画才がないのは哀れだね」
 ほかの男が、
「そんなに下手か。どうなんだい、ブルックの絵は」
「聞いてなかったのか。ついさっきの場面の所で居なかったのか。かわいそうに目が悪くなったのさ。すぐにでも楽に暮らせるのに。医者が絵描きを三年間禁止した。まあ三年後には良くなるって。だから何かしなければならなくなり、この寸劇を家族で上演している。ああ、子供は二人の実子だ。話ではどこかに人でなしの冷血の老父がいて、金の亡者だそうだ。画家のブルックと結婚したら追い出され、前に言ったっけ、それ以来、貧乏暮らしよ。キティ・ババソアがこの機会を与えたのさ。病気で、今晩出られないと嘘をついたんだ」
 妙なことに、バートンは話の感情に共鳴してしまった。あたかもサミュエル・バートンの行状を裁判する第三者のように感じた。
 間違いなく実父は頑固、冷酷、しみったれだ。一人娘にひどい仕打ちをした。ただ愛の為に結婚しただけなのに。夫のブルックがなぜ成功しないか、今はっきりわかった。

 なおも寸劇を注意深く見た。事の成り行きすら分かってしまった。あとから残りの観客は分かろう。半盲目のブルックはまだ妻を深く愛している。ブルックがひどく自責の念に駆られているのは、こんな貧乏と苦しみを妻に強いたことだ。
 ブルックは多くを語らなかったが、演技の端々に示した。同時に、行動では冷酷にひどいことをして、妻に喧嘩を仕向けた。ブルックの考えは妻を離れさせ、実家へ帰すことだ。妻の愛が無くなれば、自分の進路はもっと楽になるだろう。
 観客は愚かだからこれが分からない。バートンは観客を軽蔑し始めた。こんな重要なことが分からないなんて、いったい何のために劇場に来るんだ。
 うっすら女主人公は夫の心に去来するものをつかんだ。小さな子供は二人をつなぐ絹糸だった。まさに立場が鮮明になる一触即発のとき、幼稚なことを片言でしゃべるのであった。
 バートンが劇を熱心に追う姿はピリピリして、痛々しかった。座って教訓を学んだ。これまでこんな気持ちになったことはない。献身が尊いなんて、これっぽちも知らなかった。
 偽りの人間愛をまとった衣をはがされ、怒った大衆の眼前をさまよい、真っ裸で、はずかしめられる自分自身を見る気がした。舞台に自身を見た。つまり、自分に多少とも似た厳格な父が現れて、娘を取り上げようとしている。
 観客が激しくやじった。そしてバートンも心底なじった。またしても、バートンの両眼に何かが起こった。涙目で舞台を見ていた。
 隣の男が、
「迫真の演技ですね」
 バートンは返事しなかった。少なくとも涙目は演技じゃない。ちょっとした間に人生の教訓を学んだ。娘のエルシーが教えたのはそんな愛情だった。今まで愛情に対して冷たく故意に背を向けていた。
 望むらくは、娘エルシーの子供、つまり自分の孫がケッペル通りの穏やかな雰囲気に溶け込み、ゆくゆくは自分に似た渋い男と結婚してくれることだ。もちろん年齢は孫ほども違うだろう。いまは馬巣織ばすおりの椅子や、ピカピカのマホガニーテーブルが心底いやになった。
 幕が下りるとバートンは心乱れた。悲しくはなかった。時機を得れば婿むこは一本立ち出来るし、それを婿も熱望している。
 仮面をかなぐり捨て、今までの悪行をびよう。父親としての援助もせず、頑固に追い出したのは、ちょっとまずかったが、どうやら人情があれば観客は一斉に拍手喝采するようだ。

 バートンは通りに転がり出た。冷たい風が顔に当たり、足を進めると、ハッと我に返った。たった半時間で教訓を得た。だが現実はそのままだ。エルシーと孫が独り立ちする日は来るだろうが、まだ先のこと。その間は貧乏する。一家の面倒を見よう。
 着いた。とうとう狭い通りの一家の宿に着いた。寝ついた子供を父親が腕に抱えて、階段を上がっている。乾パンとチーズが見える。俳優とその妻の夕食だろう。
 なおも開いた戸口から眺めると、ブルックは妻の視力に頼り切っている。子供の服を脱がせ、ベッドへ寝かせた。将来のことをいろいろ話している。バートンが自分の名前を告げて、進み出た。
「どういう御用件でしょうか」
 とブルックが冷静に尋ねた。
 バートンは質問をさえぎるように、両手を突き出し、
「和解に来ました。お詫びしたいのです。一時間前は頑固な仕事の鬼でしたが、今は孤独な老人で、思いやりがないため人生を台無しにしました。今晩あなた方の寸劇を偶然見ました。ふと大事な教訓を得ました。私は妻の存在を否定し、娘に対してもそうしました。これから誠実に正しいことをやります。今晩あの劇場にいて、観客と一緒になって、我が身を罵倒しました。老人にとっては辛い告白ですが、そうせざるをえませんでした」
 妻のエルシー・ブルックが立ちあがり、おびえて夫を見た。夫は何も言わない。その心をバートンが読み取って、
「わかりますよ。あなたの気持ちは分ります。でもあなたを助けたいのです。義父への偏見が間違っていることを証明したいのです。昔のエルシーのように孫を膝に抱きたいのです。きっとエルシーの父親像と違うでしょう。ブルックさん、物語を完結させましょう。大団円にしましょう。ここを出て目の治療を受けなさい。金に糸目はつけないから、最高の医療を受けなさい。自分を売り出して、有名になりなさい。劇場で道徳など学べないとは、決して……」
「座って、夕食でも」
 とブルックが愛想なく勧めた。
 バートンはおたおたして、
「外へ行って買いましょう。あー、今晩以降、えー、偉そうなことを言いたくありませんが、世の中、やはり捨てたもんじゃないですよ」





底本:REAL DRAMAS. No. 1: His Second Self. The Penny Illustrated Paper and Illustrated Times, 31 July, 1909.
原著者:Fred M. White
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翻訳:奥増夫
2020年12月25日作成
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