真劇シリーズ

REAL DRAMAS

第二話 遠回り

NO. 2: AN "EXTRA TURN."

フレッド・M・ホワイト Fred M. White

奥増夫訳




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 今は亡き俳優手配師の備忘録より

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 オードリ・マーボー嬢が演芸場に忽然こつぜんと現れ、次々と大成功した本当のいきさつは、これまで新聞記事に決して載ってない。
 ジャイルズ・ギルマン興行師が時折ときおり事情を説明するけど、信頼する人にしか話さないし、それすらはばかる気分にならざるを得ないのは、悪くとられ、世間でほめられないからだ。
 劇場関係者なら皆知っていることだが、ジャイルズ・ギルマンは大物興業師。現役の有名女優ですら、ジャイルズ・ギルマンの巧みな仕掛けがなければ、一人として成功しないだろう。
 豊かな才能と、美貌があれば、ギルマンお抱えの女優は、まず失敗しない。ギルマンの天才的な仕掛けで、すべてうまく行く。

 二年前、オードリ・マーボー嬢は、英国の舞台に関する限り、無名だった。こんにちロンドンで週四百ポンド稼ぎ、故郷のアメリカに帰ればもっと稼ぐ。
 ところで、マーボー令嬢はニューヨークでは、生誕以来キニーネ王、サイラス・P・マーボー氏の一人娘としてお馴染みだった。
 同氏は米国の大富豪で知られ、五番街に豪邸を構え、ニューポートに別荘を持ち、事業に鉄道会社を数社持ち、その他、米国大富豪の必需品を多数所有している。
 噂では娘の結婚持参金に二千万ドルほど準備しているとか。娘のマーボー嬢は若くてかわいくて、高等教育を受けているから、結婚の敷居がものすごく高い。英国公爵は断られ、ドイツ王子は何も得られず悲嘆にくれて去った。
 オードリ・マーボー嬢はいつも気分屋だ。移り気で気まぐれ。でも野望が一つあって、次第にむくむく明確になり、強固になってきた。
 その野望とは、女優になることだ。間違いなく演技力はある。はやりの素人しろうと劇ではキラ星だし、新聞も調子のいいことを書く。
 でも本人はこんなことで浮かれていなかった。億万長者の娘なら花道を飾らせ、おだてられることなど先刻承知済みだ。自分はちゃんとした舞台に立ち、有名になりたかった。
 ところが、ここに父親のサイラス・P・マーボーが立ちはだかった。父はほかのどんなバカげたことにも金を用意してばらまいたが、舞台だけは一線をかくした。むかし劇場に投資したことがあり、話しぶりでは何か知っている。
 大金持ちのかわいい娘が腹をくくったとき、なべて運命がたくらむのは取引だ。この場合、運命の取引相手は、狡猾で、身なりの良い、目つきの鋭い人物、演劇仲間でジャイルズ・ギルマンという有名な興行師だった。

 マーボー嬢は、数ある豪華な物件のなかで、小粋な単身用の別荘にギルマンをお茶に招いた。興行師と承知の上で、全米一巧妙な男を歓待した。
「いますぐ助けてほしいの。ゆうべすべて打ち明けました。いくつか役もご覧になったでしょ。私、やれる?」
「これまで貧弱な基盤で、大評判を取られましたね。成功できないわけなんてこれっぽっちもありませんよ。もちろんお金がかかります。お望み通り、うまく行くように個別指導しますよ。でも父上が口出しされたら――」
「干渉させません。親の大砲は使えなくしますから。秘密を守れて、ギルマンさん」
 とマーボー嬢がにっこり。
 私は慎重そのものですよと、ギルマンが真っ向から断言した。マーボー嬢が口を寄せ、何事かささやくと、さしもの冷徹な興行師も驚いたようだった。
「考えもつかない最終兵器ですね。でも興業という点では単純すぎますね。当然ロンドンで出演したいでしょう。どうでしょう、ロンドンのマジェスティック劇場は。まず演芸に出演した方がいいでしょう。たとえばマーボー嬢、かの有名真珠お召し、とか」
 オードリ・マーボー嬢が両腕を組んだ。それなら確実にうける。抜け目のない小男のギルマンが、あたかもお茶の子さいさいという風に約束している。
 マーボー嬢が念押し。
「私をおちょくっちゃだめよ」
 ギルマンが真面目顔で、
「お嬢様、これは取引です。女優と興行師の関係です。契約を結び、契約金を払う。言われた通りになさい。有名な真珠をお忘れなく。筋書きはまだ完成していませんが、二、三日で仕上げて、お手紙で詳しくお知らせします。思いつきでマジェスティック劇場と契約を結ぼうなんて、時間の無駄ですし、絶対だめですよ。私が何とかしますから」
 ギルマンはそれ以上何も言わず去った。次の三週間、オードリ・マーボー嬢と会わず、一行も書いてよこさなかった。
 でも新聞を見れば、マーボー嬢の有名な真珠が大扱いされているし、色恋沙汰の作り話が織り込まれている。問い合わせ多数というたぐいの記事だった。

 また新聞にはスペインとアメリカの混血児ローラ・コルテス嬢のことが大々的に取り上げられ、サンフランシスコで相当有名になっているとか。
 一週間前は全くの無名だった。いまやどこでも人口に膾炙かいしゃされ始めた。一夜にして躍り出た幸運な女優のようだ。芸術や文学にうとい馬鹿どもをあおり立てるのは、きっと面白いことなんだろう。
 新人のローラ・コルテス嬢を警戒して、用心深い劇場支配人たちが、質問や疑問をカリフォルニアに問い合わせようとした。しかしどうやら遅すぎたようだ。ローラ・コルテス嬢は二カ月間のロンドン公演契約を結んでしまった。
 オードリ・マーボー嬢がちょっと嫉妬しながら興味深く全部読んだ。なんと幸運な人か、いとも簡単にチャンスを掴むとは。
 そんな世渡りに思いを巡らせていた時、ギルマンから分厚い手紙が届いた。繰り返し、むさぼり読み、ついに暗記した。そのあとは、手紙を焼いて、指示された通り実行するだけだ。
 二日後ニューヨーク各紙は特大見出しを打った。

マーボー翁倒れる。急激な経済危機ぼっ発。マーボー家破産。キニーネ王、億万長者転じて、無一文。それどころか、数百万ドルの損失。

 悪いうわさでもちきりだった。マーボー翁は偽造や詐欺の告発を逃れられるだけでも、運がいいだろう。いまは意気消沈して病床に伏せている。
 全て二段組みであった。
 隣の二段組みに、オードリ・マーボー嬢の記事が同様に大きく載っている。世間のこびや馬鹿騒ぎにプイと背を向けて、舞台に活路を求めた。おそらく舞台が今後の職業になろう。
 まさに出港直前のパシフィック丸に乗船したのは英国の一流劇場と契約を結ぶためであった。第一面にはローラ・コルテス嬢も同じ船に乗り、ヨーロッパへ旅行中という記事が簡単に書いてある。
 どちらかといえばコルテス嬢が堅実で、状況はマーボー嬢に不利だった。興行師ジャイルズ・ギルマンも不満を公言した。
 マーボー嬢に慰めの言葉をかけてやろうと、パシフィック丸に乗り込んだ。マーボー嬢がつかつかと寄って来て、相好を崩したのは確実な希望、小脇に抱えた新聞の為だ。目にキラリ光るものをギルマンは見逃さなかった。
 マーボー嬢がささやいた。
「ねえ、大丈夫? やり方ご存知よね。コルテス嬢は……」
 ギルマンはコルテス嬢にもお別れを言うつもりだった。コルテス嬢は一足先に自分の船室へ下りていた。コルテス嬢の見るところ、ギルマンは大迷惑ものマーボー嬢のとばっちりを受けている。
 ギルマンが乗船している時、パシフィック丸が出港した。意思に反し、リバプールまで乗船するはめになった。たぶん何とかして衣装は借りられるだろう。そして運よく借りられた。ギルマンは変わり身がとても早くて、完璧だから、船にこっそり旅行かばんを持ちこんでいたのかもしれない。もくして語らないが。

 次の日、悲劇が起こった。マーボー嬢がどこにもいない。船内を隅から隅までくまなく探した。痛ましい悲劇が口から口へと伝わった。
 誰も謎を解けない。マーボー嬢は使用人を連れていなかった。リバプールで人と会う約束をしていた。初日、夜の夕食も現れず、船酔いだという。翌日の朝食にも現れないものだから、船室を強制的に開けたところ、空っぽ。
 リバプールに到着するころには、マーボー嬢が身投げしたという悲しい知らせが、無線電報で送信された。パシフィック丸到着時、乗客たちは全てを知った。
 悲嘆にくれて、ギルマンは第二契約の女優コルテス嬢を連れて、ロンドンに着いた。いまやキラキラ輝くスターが空から降りてきたからには、現状に甘んじざるを得ない。当然、この女優のために一肌脱ぐけど、とてもマーボー嬢に対するほどじゃない。
 マジェスティック劇場の営業は暇なしだ。金を稼ぐために、コルテス嬢に大興業を準備して、大宣伝した。
 コルテス嬢は各演目に出演し、全般的に失望させなかった。各紙によれば、平均的な女優よりはるかに良い。衣装も豪華で、宝石も超一流。とりわけ女流評論家が真珠に熱中した。
 マジェスティック劇場の観客は大いに満足した。三日目の夜になると、大劇場に大勢が詰めかけ、南米から来た新星を見に来た。
 コルテス嬢が十八番おはこを歌い、アンコールを受けようと舞台の前に進み出たとき、やおらそでに引きさがり、カーテンが下りた。
 ロンドンの聴衆はそんなやり方に馴れてないから、不満を口々に激しくぶつけた。直後、支配人が青ざめて登壇し、動揺して説明。
「大変残念なことが発生しました。警察側の大チョンボです。当局によれば、コルテス嬢の真珠は故マーボー嬢のものだと言います。かの有名なアメリカ美人で、数日前にパシフィック丸から消えた女性です。コルテス嬢は真珠窃盗で告発されました。たとえ何も悪いことをしなくてもです。もちろんこれは警察の大失態です。そういうことなので、皆さん、今晩はもう歌えません。しかし明日は皆さま方の前に、再びまみえることを必ずやお約束します」
 劇場関係者が聞いたことのない衝撃だ。朝刊記事は、ほかにほとんどない。夕刊は詳しく書いているものの、見るべきものはない。
 コルテス嬢は警視庁に告発され、保釈金を払って、最終的に保釈された。

 翌日、デイリーメイル紙が疑問をあばいた。おそらくジャイルズ・ギルマン興行師に長時間質問して、細長い桃色紙幣を渡したことと、何か関係があるのだろう。
 実に驚嘆する話だった。何はさておき、ローラ・コルテス嬢は真珠の窃盗で告発された。実を言うと、コルテスという女優は存在しない。ギルマン興行師が想像上作り上げた人物であり、マーボー嬢の演技だった。
 サンフランシスコ新聞の記事は単なるでっち上げで、マジェスティック劇場に出演するために考え出されたものだった。契約が成立するや、ローラ・コルテス嬢は架空の人となった。
 誰かがコルテス嬢の名前で、パシフィック丸の船室を予約し、手荷物を運びこんだ。マーボー嬢は船から消えていない。単に変装しただけであり、ローラ・コルテス嬢の船室に収まっただけだ。
 その瞬間からローラ・コルテス嬢を演じ、マーボー嬢はいなくなった。こんなことをしたのは、一つはロンドンの舞台に立つため、もう一つは父の債権者たちが土壇場で真珠を争奪しかねないからだ。
 当然、大評判になれば本当の名前を暴露するつもりだった。もちろん、ミスを犯した場面は真珠を身に着けたことである。
 この反響たるや、容易に想像できる。そのあとマジェスティック劇場は数週間、床から天井まで満席になった。そして元コルテス嬢こと、現マーボー嬢は稼ぎまくった。
 いずれにしてもそれだけの値打はある。能力と才能に疑いはないからだ。同時に今更隠す事でもないけど、運もすべて味方にした。
 紛れもなく生れながらに裕福だったが、通常の方法では決して始めから波に乗れなかったろう。最終的に自分の立場を一歩引いて、面白おかしく振舞ったおかげだ。

 ところが、そのあとギルマンとは一切連絡を取ろうとしなかった。ギルマンは体よく支払いを受け、契約を切られた。こんな仕打ちを受けたので、大人気になったとき、地獄耳たちに真相を打ち明けた。
 ギルマンが手慣れた様子で説明した。
「もちろん、私が全部仕切った。実父が破産寸前だとじかに打ち明けられた時、筋道が見え始めた。ローラ・コルテス嬢をでっちあげ、各紙に記事を書いた。次にマジェスティック劇場でローラ嬢の公演が決まった後、詳細を詰めた。航海のどさくさで身代わりは簡単だった。すべて船上でマーボー嬢が仕掛けた。単に船室を変わるだけで変身できる。船上の誰も二人を知らないから、とても簡単だった。本当の天才的な筋書きは真珠の件だ。私が真珠のことを警察に垂れこみ、劇的に逮捕の瞬間を演出した。父親の債権者事案は全部うそだ。こうしてマジェスティック劇場の支配人は大儲けさ。だから支配人は不利益を被ってないと断言できる。筋書きがとても自然だったので、英国民はだまされたことさえ知らない。皆マーボー嬢を見たがるし、マーボー嬢も自分を正しく見てもらうために、舞台で動じなかった。もしマーボー嬢に真っ当な才能がなかったら、組まなかったよ。とてもうまくやり遂げたが、ちくしょうめ、不義理はきらいだ、だからそう言ってやった。いまマーボー嬢と会っても冷たく会釈をするだけだ。まあ、遠慮しとくよ」
 聞き手の一人が予言するかのように、
「マーボー嬢は結局きみと結婚するさ。女が男をそんな風にあしらうときは結婚でけりをつけるよ」
 ギルマンは首を横に振りながら、新しい煙草を取って、きっぱり、
「絶対結婚しないぞ。二度と組むもんか。やるなら、北部にいる仲間のかわい子ちゃんだよ、絶対。みんな、なんで笑うんだ」





底本:REAL DRAMAS. No. 2: An "Extra Turn." The Penny Illustrated Paper and Illustrated Times, 7 August, 1909.
原著者:Fred M. White
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翻訳:奥増夫
2021年1月20日作成
青空文庫収録ファイル:
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