真劇シリーズ

REAL DRAMAS

第六話 手錠

No. 6: A PAIR OF HANDCUFFS

フレッド・M・ホワイト Fred M. White

奥増夫訳




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 今は亡き俳優手配師の備忘録より

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 サットン・バスコム歌劇団ほどの一流歌劇団が出直すことになった。今まで経営は順調だったのに……。当歌劇団が株式会社であることなど大衆は知らない。次第に経費が重くのしかかり、対策を講じなければならなくなった。
 その結果、合唱隊の半分以上が解雇され、オーケストラの三分の二がメルボルンやシドニーと契約し、残りの団員で豪州奥地の公演が始まった。
 急造劇団だったが、奥地の鉱夫や羊毛刈り人はちっとも気にしなかった。粋な歌劇を堪能し、惜しげなく金を払った。
 鉱山村の取引は砂金だ。例えば特別席なら一オンス(約三十一グラム)、以下客席次第。その為、実入りがどんどんかさばり、造幣局に行く必要にせまられた。
 当然ながら会計係はちょっと不安だ。だって未開地区だし、武装強盗も全くいないわけじゃない。

 時々ジム・ベイヘムが出没すると、誰かが犠牲にならざるを得なかった。ジムは山賊の頭目とうもく、本国から追われる身の英国人、つまり英国で逮捕令状が出ている。
 最近五年間、プーナ地区とヤラ地区のなわばりで、馬鹿騒ぎや強盗をやっている。一方では紳士でもあり、そう決めればそうできる人物だ。他方ではこれ以上ないほど冷酷、残酷にふるまうこともできる。
 だからサットン・バスコム歌劇団の会計係は内心不安だ。およそ千二百オンス(約三十七キログラム)の砂金の責任者である。安全な所へ運ぶ機会がない。
 危険を皆に打ち明けたが、相手にされない。ジム・ベイヘムなんて怖くないという。当然女性たちは心配だ。例えばマージョリー・ヒクソン。
 小柄なかわいい女性で美声の持ち主、女優として成功している。でも兄が大病をわずらいメルボルン病院に入院中で、当分、同嬢に頼りっきり。兄は帰国すれば本国に妻もいる。もし砂金に何かあればと、マージョリーはびくびくだった。
 会計係がぼやいて、
「誰も気にせん。俳優さんはやられないと思ってる。ベイヘムはバナワディの自宅にいるので、関係ないとさ。でも荷物係のクラクストンは俺と同意見だ。世事に通じている。数年ここを離れていたそうだ」
 荷物係のクラクストンはペラ・リバで入団。ある演芸団の元団員だったが、劇団が一年前につぶれてしまった。同氏も熱病にかかり、回復したときは革靴と、なけなしの金しか持ってなかった。
 サットン・バスコム歌劇団に拾われたのは、ちょうど荷物係の助手が欠員していたからだ。クラクストンが真の紳士ということすらも劇団にはどうでもよかった。いままで演芸をやっていた経歴だけで十分。専門さえかない。
 団員のほとんどは世界中から採用され、女優も有名人ぞろい。まさに粋な連中だった。やがて荷物係のクラクストンは紳士と認められ、信用された。しかし、団員との間には、人知れず越えられない溝があった。
 女性特有の衝動からか、マージョリーはクラクストンが一目で好きになった。同時に気の毒がった。この人も災難に遭ったのね。整った顔立ちや、がっちりした体格に見ほれた。両目は澄み、ほほは褐色。
 この人こそ、善人以外の何者でもない。また、世界中を旅しており、面白い話をしてくれた。少なくともマージョリーにはおもしろかった。そして山賊のことで不安になるたびに、クラクストンが一緒だからと、妙に安心した。

 歌劇団がセンディゴ近くで二晩公演したとき、事件が勃発した。ショーを見るために遠方や近隣から集まった人々は、準備万端整えて、寒空の屋外で寝泊まりし、村を後にした。
 いわゆるホテルは歌劇団の貸し切りとなった。夕食が終わり、自由時間になった。ほとんどの劇団員がまだ木造大広間で、夜の出来事を語り合っているとき、突然、扉が開き、見知らぬ男が入ってきた。
 小柄、端整、精悍な顔付きの鷲鼻わしばな、すべて一方的な見方だが……。ふさふさの黒髪を額から後ろへなでつけ、うなじへ垂らしている。口周りはきれいに剃り、半開きの薄い唇から笑みがこぼれ、きれいな歯並びが見える。衣装は見事なダブルの青色サージスーツ。靴は茶色、ピカピカに磨いてある。右手に拳銃を握っている。
「ジェームズ・ベイヘムさまのお出ましだ。よろしいかな、諸君が一人でも反抗のそぶりを見せたら、劇団に欠員がでますよ。よく聞きたまえ。私も一介の音楽家だ。テノール歌手を撃ち殺したり、バリトン歌手を墓穴に突き落としたりするのは一生後悔するからなあ」
 一瞬だれも動けなかった。みな呆気あっけにとられた。誰も拳銃一丁すら持ってない。実に嘆かわしいことに、誰ひとり対処方法が分からない。
 マージョリーがクラクストンの方へ近づいて、尋ねた。
「本気かしら、ドッキリじゃないの」
「ああ、本物だよ。あいつとは古い知り合いだ。実は本国で同窓なんだ」
「まさか。じゃあ本当のワルなの」
「ワルだ。根っからの悪党だ。実際に悪そのものだよ。あんなのがいるだろ。何とか切り抜けなくちゃ」
 またベイヘムがしゃべってる。一人じゃないという。音楽仲間のダチが二人いる。その二人は今ホテル管理人を拘束している最中だとか。残念ながら、歌劇団の男性員も同じようにせざるを得ない。多勢に無勢だし、皆さん猛者もさぞろいだからという。
「ここへ来るとき、ギャラロングの警察署を襲撃しましたよ。計画に必要なものが手錠ですね。いっぱいありましたよ。今はバーにおいてある。大変申し訳ないけども、そうさせてもらいますよ。さあ、紳士諸君、壁を向いて並びたまえ。淑女のみなさん、私共は女性のしもべです。どなたにも危害は加えません。急げ、男ども」
 最後の言葉は脅しだ。クラクストンが歯ぎしりした。
 マージョリーにささやいて、
「最悪になるかもしれないが、そのうち俺の出番が来る。砂金の件は心配しなさんな。怖がらなくていい。女性には危害を加えない。奴らが満足するまで歌って踊ればいい。男らは後ろ手に縛られて見物だ。悪い冗談だが、良いこともある」
 マージョリーが優雅ににっこり。
 荷物係クラクストンがぐずぐずしていると、ベイヘムが悪態をついた。荷物係に歩み寄り、肩をつかんだ。荷物係を見てベイヘムがぎょっとなった。
 荷物係クラクストンがおちょくった。
「よう、ジェームズ。奇遇じゃないか。ここで会うとは。ご立派な身分じゃないか。ご一家が強盗に変身するなんて。昔チェシャム橋の僧院池に沈めておけばよかったなあ」
 ベイヘムが毒づいた。
「クラクストンか。六年生では首席だったな。同期の華。それが奇術とかやらで豪州をドサ回りとは。フィル・クラクストンにまた会えて光栄だよ。後でたっぷりかわいがってやる。お手数だが、お前さんの劇団の会計係を教えてくれないか。心労で苦しんでいるから介抱してやろう。ああ、眼鏡をかけたあの小男か。でもよ、お仕事の前に楽しむのが私の流儀だ。音楽だよ。ピアノは古代楽器だが、大いに楽しまなくちゃ。さあ、淑女のみなさん、弾いて」
 二人の男が部屋にどやどや入ってきた。男らの服装にやくざな風情はない。親分のようにきちんとした地味な服装だ。壁を向いた男どもの行列を見て、けっけっと嬉しがった。
「手錠は持ってきたか」
 とベイヘムがいた。
 不気味に光る手錠をどさっと、親分に渡した。一つずつ、男性団員の手首にはめていった。カチッという音だけが聞こえた。
 ベイヘムが嬉しそうに、
「これでよし。紳士諸君、煙草が吸えなくて申し訳ないな。でも後ろ手の立ちん棒で、歌は聞ける。終わったら、会計係の心労を解放したあと、手錠のカギは置いておくよ。二キロ先の交差点にある古木こぼくの上だけど」
 演奏がすぐに始まった。弾き手は明らかに神経質になっていたが、しばらくすると徐々に消えた。とにかく恐れるような暴力はない。
 全財産は奪われるかもしれないが、また稼ぐ時期はたっぷりある。結局、喜劇さ。気楽な芸人根性丸出しだ。
 マージョリーが歌う旋律は並いる聴衆に不思議な魅惑をかもした。
 荷物係クラクストンが突っ立ったまま、周りの男に何事かささやいた。話に興味を持ったようだ。やがて、機会を見てマージョリーにも一言二言ささやいた。
 マージョリーが叫んだ。
「とても喉が渇いたわ。暑い晩だもの。レモネードをちょうだい」
 ベイヘムが手下へ指示。手下の二人がバーに急いだ。荷物係クラクストンが部屋の片隅からベイヘムの方へふらっと歩いた。目に怒りがメラメラだ。
 ベイヘムがそれを見て、反射的に立ち上がった。すかさず手をポケットの拳銃にかけた。それから笑って、ちょっと恥じた。だってクラクストンの両手は後ろ手に縛られているもの。奇跡でも起きない限り……。
 その奇跡が起こった。クラクストンの右手に手錠がぶら下がっているではないか。堅い金属が空中にキラリ円弧を描くや、ベイヘムの黒髪の分け目に、強烈な一撃がガツン。何か生温かく赤いものがパッと吹き出すと、頭から床にドタンと倒れ、意識を失った。
 あまりにも一瞬、劇的、不意打ちだったので、青ざめて居並ぶご婦人方からは叫び声さえ出なかった。クラクストンが倒れた男に飛びついて、ポケットをさぐった。ビール瓶の栓抜きのような鍵をとりだした。
「みんな集まれ。何事もなかったように一列に立っていろ。二、三人の手錠を外す。頑丈な奴を選ぶ。ひと芝居しようぜ。誰もやらなかったような芝居を」
 ベイヘムの手下がグラスと瓶を持って、大急ぎで部屋に戻ってきた。誰かが足を引っかけて、一人をつんのめすと、グラスが床に砕けた。急いで拾おうとした刹那、二人の悪党はラグビースクラムに押しつぶされてしまった。全ては無言で行われた。
 クラクストンが悪党どもを調べ終わり、言った。
「うまく行った。誰かこの鍵で、残りの手錠を外してくれ。この二人の素性は知らないけど、警察が調べるからいい。親分は告発されるから、もう悪事はしばらく出来まい。さて、ホテルの従業員と経営者を開放して、あとは警察へ任せよう」

 クラクストンの評判は今や確実となった。話が野火のように居留地内に広がった。
 ベイヘムは仲間と共にムショ送りになって、逃亡の恐れはない。もう悪事は出来ない。全ては沈着と勇気のたまものであり、植民地精神を大いにくすぐった。
 だが、誰もクラクストンが手錠を外した方法は知らない。誰にも話したがらなかった。遂にマージョリーだけに打ち明けた。
「簡単だったよ。俺に良くしてくれたから、きみにだけに話すよ。それに俺、仕事をやめて国に帰るんだ。叔父が死んで、財産を相続した。実はちょっと運が良かっただけさ。みんな俺の専門を知りたがったが、言わなかった。俺は手錠王さ。抜け方を英国の師匠から教わった。器用な手首だから、どんなものでも外せる。ベイヘムが手錠をはめた時、すぐさ。だって蜘蛛くもの糸で縛ったも同然だ。奴が油断するまで待って、見た通り、気絶させた。秘密を守れるよね、マージョリーさん」
 マージョリーが涙ながらに感謝して、
「何もかも助けられました。お金以外にお礼のしようがありません。私の分を差しあげましょう。でもあなたはお金持ちですし……」
「それじゃ一緒になろうよ。一人じゃ楽しめないし、一人占めは最悪だ、どうお。気に触ったらごめん」
 だが、マージョリーは全然気に触らなかった。キスしても怒らなかった。以来、マージョリーが後悔することはなかった。





底本:REAL DRAMAS. No. 6: A Pair of Handcuffs. The Penny Illustrated Paper and Illustrated Times, 4 September, 1909.
原著者:Fred M. White
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翻訳:奥増夫
2021年4月21日作成
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