ドレントン・デン特派員の冒険

BEING AN ADVENTURE OF DRENTON DENN, SPECIAL COMMISSIONER

第四回 灰

DUST

フレッド・M・ホワイト Fred M. White

奥増夫訳





「獲物の山分けには間に合ったが、銃撃戦には遅すぎたな」
 とデンが言った。
 デンの指し示す先に恐ろしい光景が、相棒のハウスマンの前にあった。敏腕記者デンはかつてキューバ取材でちょっぴり残酷な場面を目撃したけど、身の毛がよだつのも無理はない。一方の相棒のハウスマンは草ぶき小屋の陰に倒れ込んでいた。大きな手足も今や単なる飾りに過ぎない。
 ハウスマンがあえいだ。
「キニーネをくれ。ああ、ひどい吐き気がする」
 デンが四〇ポンドもする元気の素キニーネ粉末をたっぷり渡すと、相棒のハウスマンがゴボッゴボッと吸い込んだ。渇いた喉には痛かった。
 二人の肌はかさかさに乾燥し、周囲の暑さと言ったらボイラーなみ、日陰でも温度計は摂氏せっし五〇度を指している。
 デンが感情を抑えて言った。
「男を上げる良い場所だ。君の弱点は、こんなへんぴな所で病気になることだな。俺を見ろ」
 ハウスマンがうめいた。
「お前は赤毛の野獣だ。力が出せたら殴りたいぐらいだぜ。せめて一杯の水があればなあ……」
「俺達は水を探しに来たんじゃない。ここへ来たのは象牙のためだ」
 ハウスマンが弱った腕を振って、おおざっぱに村の方を指差した。それなりに大きい村であり、小屋が百〜二百戸ばかり、滑稽な祈祷所きとうしょが二棟、酋長の宮殿が一棟。さくで村を囲っている。
 どの小屋のくいも、先端がとがり、黄色い色をしており、太陽の地獄火に照らされて、きらきら光っている。祈祷所きとうしょや宮殿すら、とがった黄色いくいで創られている。
 ハウスマンがぶつぶつ言った。
「あれだ。まわしい突起の一つ一つが無傷の象牙だ。お前のたわごとじゃなく、正真正銘の象牙だ。少なくとも数万本、重さにして五百トンあるぜ。一杯の水で俺の分をくれてやらあ」
 ハウスマンがキニーネを噛んでうめいた。六週間、デンと一緒にコンゴ自由国の周辺をうろつき、本物の宝庫を探してきた。
 二人の見るところ、ブリュッセルにあるキング・レオポルド社の人間が、この象牙村を嗅ぎつけた気配はない。
 この村のことは現地人から聞き出したのだが、なかなか本当のことを言わないものだから、ジン酒を二本、特許品の肉切り包丁一本を取引に使った。
 現地人のラマニが同意し、ハウスマンを村に案内したやぶ道は残忍なベルギー人に知られておらず、確実に取引が成立するはずだった。
 そこにデンが一緒に行くと飛びついた。デンが言うに、コンゴ川のボマ周辺に重大な不正があり、夏期は記録的な灼熱地獄になり、これにたっぷり薬味を振りかければ、自社新聞の部数を増やせるし、それに自分には自由裁量権があるとか。
 ハウスマンはデンみたいな相棒なら反対しなかった。
 六週間、深いシャズ森の周りを進み、常にユニユニ火山のいただきを見る位置にいた。この火山は今も、いや何年も眠っており、シャズ森が眼前に広がっている。ハウスマンは森を近道したが、現地人のラマニは身震いし、その訳を言わなかった。おそらくオビとか、そんな想像上の野獣だろうと、ハウスマンは思った。
 そしていまついに象牙村に着いた。国境を越えたのは、ラバ隊列、大量の荷物、たとえばマンチェスターの商品、バーミンガムの宝石、それに現地人が十数人、及びラマニだ。
 これら豪華な隊列の内、残っているのは白人二人と、ウィンチェスタ銃二丁と、弾薬の一箱だけになった。でもいま着いたこの村の住民なら、強いラム酒や狂信的な宗教に毒されていないから、たぶん友好的だろう。
 おそらく、うさん臭い契約で象牙はここコンゴへ運ばれてきたのだろうが、二人の名声は言うに及ばず、運命も決まるはず。
 新聞には誠に好都合な事件だが、残念ながら残酷な現実は認めがたい。かつて笑いに満ちていた平凡な村はいまや滅亡している。
 通りに散らばる骨の山、恐ろしく露出する骸骨の忌まわしい姿は男、女、子供。無残に大虐殺されている。ばらばらになった骨は白化し、無慈悲な太陽に焼かれている。何百羽もの灰色ハゲワシが空中に舞い、不意に近づけば死体からハエのように飛び上がる。村は巨大な死体安置所だ。死臭や悪臭はない。ハゲワシが片づけたからだ。
 おそらく大量殺人から数時間しか経っていないだろう。どこにも人がおらず静かだった。空に太陽がブロンズみたいに耀き、熱を放射する様は、さながらマスケット銃で一斉射撃をするかのよう。
「銃撃戦には遅すぎたな」
 とデンが繰り返した。
 デンならどんな悲劇も茶化しかねない。ハウスマンをいらだたせると同時に元気づけた。キニーネが効いてきた。
 ハウスマンが言った。
「いいか。この恐ろしい仕業には原因があるに違いないぜ」
 デンが探りを入れた。
「内輪もめか。部族間の些細な口論か」
「たぶん部族だ、でも、なぜだ? 午後に立ち寄ったどころの騒ぎじゃないぜ。あたりを調べて、何か見つけろ。こんな気候は日没まで耐えられん、日が暮れたら手持ちの服を着る。もし、水の入ったひょうたんか革袋を見つけたら――」
 デンが調査に出発した。デンは肝の据わった男であり、かつての調査以上に気を引き締めた。村民の大虐殺が余りにも完璧だったので、犬一匹すらいない。少しぞっとしながらも好奇心を持ち、歯をむいている頭骸骨を二、三個調べていると、ある事実が分った。
「べらぼうめ、撃たれている。目に見える以上の何かがあるな。この襲撃は白人に主導され、腹黒い目的で行ったようだ。こんなひどい気候だから、おそらく個人的な勢力拡大だろう。おや、この頭骸骨は――」
 頭骸骨に食い込んでつぶれた弾丸を詳しく調べていると、パン、グシャッと音がして頭蓋骨が手から転がり落ちた。
 デンがウィンチェスタ銃をひっつかんで、硝煙あとに向けて反撃した。小屋の華奢きゃしゃな外壁に数十発撃ち込むと、腐ったチーズのようにズタズタになった。そのとき、誰かがまともな英語で、やめてくれ、と言った。
 デンが命令。
「出てこい、姿を見せろ」
 男が四つん這いで小屋から出てきた。見れば、顔はギニー金貨のように黄色、邪悪で、しわだらけ、脂ぎっており、鼻は、まさかりのよう、ぼさぼさのあごひげは古いシルクハットの毛羽けばのよう。
 デンが吠えた。
「両手を挙げろ」
 男が従い、デンの指示で静かに前進した。デンの鋭い目は男の尻ポケットが膨らんでいるのを見逃さなかった。説得して、拳銃を渡すように迫った。しぶしぶ拳銃を渡した。デンが自分のポケットに入れて、言った。
「小屋へ戻れ。お前はシャレオツな家主じゃないが、背に腹は代えられない」


 小屋は広々としている割に涼しかった。というのも床が地下貯蔵庫のように掘り下げてあり、固い床も湿っていたからだ。湿った床に、革袋やひょうたんや土器があり、それらの表面が少しぬれていることから、明らかに水がたっぷりはいっている。
 目を輝かせ、めちゃめちゃ嬉しくなり、デンは小屋の入口へ進み、指笛を鳴らした。すぐハウスマンが現れた。元気がなく、その態度は、入らぬお節介をして、何が友情だ。
 ハウスマンが小声で言った。
「どうした?」
「水だよ。たっぷりある」
 ハウスマンが全力疾走する様は四百メートルを四九秒で走る男か。小屋の床に下りたとき、目はギラギラ、腕はぶるぶる。それから土器の水差しを取って、青い液体を喉にごくごく流す様子はまるで排水路。
 デンも後に続き、うっとりまぶたを閉じた。王様の人生にもない瞬間だ。ハウスマンが別な容器をひっつかみ、頭にじっくりかけた。デンも後に続いた。想像してごらん、ちりちり冷えた水の至福を、日陰でも摂氏せっし四〇度なんだから。
 ハウスマンが叫んだ。
「いやはや、これはこれは。また元気が出るぜ」
「そうだ、砲兵隊と消防隊の合体だよ。お前の名前は? 強盗犯だろ?」
 毛羽けばだったあごひげの黄顔男が、小屋の中で言うに、名前はガルシア、運転手をしているが自由の身に生まれたベルギー人であり、この暴力事件は良識ある政府が調べるだろうなどと、のたまう。
 デンは無駄口につきあっている男じゃない。すねたガルシアの右手をつかんで、背中へねじ曲げた。痛かったので、このベルギー人はすき勝手なことを述べ立てた。
 デンが注文を付けた。
「お前のたわごとを聞くつもりはない。だが重要な情報は聞き出すぞ。お前の車のタイヤをちょっとパンクさせる。他に誰かいるのか」
 ガルシアがにやり。おべっか笑いの後、不快そうにまぶたを閉じた。ハウスマンがすかさずウィンチェスタ銃に手をかけた。
 ベルギー人が説明した。
「忠実な部族民が一人いるだけだ。奴は隣村から何か探しに来ていた」
「おや、お前は隣村部族と友達か」
「そうだ、奴は隣村から来る」
 デンに全貌ぜんぼうがかなりはっきり見え始めた。
 デンがあっさり言った。
「情報ありがと。お前は大量の象牙を求めて、我々と同じようにここへ来た。そして全部見つけた。見つけたお宝の価値は、公設市場で五〇万ポンドはくだらないだろう。ここの部族は象牙を手放すのを嫌がった。自分達の価値を知らず、近視眼的な偏見があった。ガルシアさんの考えは悪くないな、たんエンフィールド銃を使い、隣村の部族と親しくなり、争いを扇動し、隣部族を夏の午後ここへおびき寄せ、うぶな自然児を皆殺しにしたんだから。まあ、うまくいったようだな」
 ガルシアがその説に抗議した。はたしてガルシアは野蛮人の残忍な仕業しわざに関係しているのか。とんでもないことだ。デンが手を払って、言った。
「まあいいわ。とにかく、お前がここにおり、我々もここに居り、もっと重要なことは象牙もここにあるってことだ。我々が協力すれば、各人十五万ポンド稼げる。俺は特にガルシアさんを引っ張り込みたくはないが、背に腹は代えられない。我々にはウィンチェスタ銃が二丁あるからな」
 ガルシアがまくし立てた。お宝は私の物だし、私なら海岸へ運び込むことも出来るが、お宝を他人と分けるのは嫌だ。忠実な現地人が戻ってくるまで、英国人は待たせておけ。そのあとなるようになろう。デンの顔が引きつった。
「あとで俺を撃つのだろ。その時は俺も撃ち返す。おふくろには永久に不名誉だろうし、信用されないだろうなあ、いまお前を殴り倒さないと。俺なら黒人を集めなくても、ここをぶっ壊せるが、今回は黒人に頼るとしよう。お前は象牙を掴み、取り分に満足しないのか。言うまでも無いが、我々も助太刀するよ、我々の力はアフリカ大陸に匹敵する」
 ガルシアの目が輝いた。この目の意味するところはただ裏切りだけ、たとえ天国へ行けなくてもだ。デンがガルシアを意味深に見て、いた。
「この条件に同意するか」
「わかった」
 ぶすっと返事があった。
「よろしい。では何か食い物をくれ」
 ガルシアが火力を最高に上げて腕を振るった。煮込んだチキン、ライスカレー、ビールと称する瓶が一、二本。
 食事を片付けないうちに、のっぽの男が入り口をふさぎ、目を大きく見開いた現地人が小屋に入ってきた。背が高く、やせこけて、ダチョウのように細いが、手足は鋼鉄に皮をかぶせたかのよう。この種族は陽気だ。もじゃもじゃ頭は三角帽子と羽根飾りで覆われている。みすぼらしいメスジャケットと、ぼろぼろのズボンをはいている。あとは堕落する前のアダムか。
 デンが引き込まれた。
「よう、買い占め人。名前は?」
「ジョニ・ウォーカ。ベルギー紳士です。黒人じゃありません。白人と同じように英語が話せます」
 ジョニ・ウォーカは本当に役立つ味方だと分った。そもそも暑さはちっともこたえない。よく働くし、現地の習慣をよく知っているし、水を探し出す嗅覚もあるし、仲間の現地人をうまく統率できる。だが陽気さや、何事も笑い倒す性格にかかわらず、時々横目を使うのは、デンもハウスマンも良い気がしなかった。
 遂に太陽がシャズ森の向こう、暗い雲海に沈み、神々こうごうしいユニユニ火山の山頂が紫の暗闇に消えた。夜風が静かに吹いており、地獄と同じくらい熱いが、まさしく風だし、そんな類いだ。
 デンとハウスマンは小屋の外に座り、煙草を吸った。ガルシアが仕事仲間に加わった、だからといって友達になる理由はない。それに、ガルシアは自己を正当化するために、不作法に自分を押しつけてきて、二人を不愉快にさせた。
 ハウスマンが仰向けに寝て、赤く輝く星を見つめて、いた。
「どう思う?」
「ガルシアのことか? 何とも思わん。もっと汚い裏切り野郎なら、今頃生きちゃいないよ。我々をやる機会をつかんだら、やるだろうな。ジョニ・ウォーカ氏も我々の首をかき切って仕事が終わったと叫ぶだろうよ。もし野郎が手下を下山させたら、我々は危険だな」
 ハウスマンがしばらく思案げに煙草を吸った。
 やがてこう言った。
「考えていたぜ。事実上ガルシアは俺達の仲間だ。もし俺達の目を盗んで逃げたら、結局逃がすしかない。それにここは俺達には不健康だ。なぜシャズ森を降りないのか。なぜ余分な備品や仲間をここへ置くのか。俺達は奴らに頼りっきりだし、このウィンチェスタ銃でジョニ・ウォーカの手下を従わせている。ガルシアは逃げないぜ。奴の友好部族はシャズ森の向こうまでは行かない。なぜならコンゴで奴隷にされる恐れがあるからだ。さて、俺達は道を知っているから、ここから象牙を運ぶのは簡単だろう。やみくもに手探りで何週間もさまようなんて、間違いだぜ」
「確かに悪い考えじゃないな。ガルシアの友好部族については君の考えが正しい。何があろうとガルシアは一本道を行くしかない、ただし森の抜け道を知らないという条件付きだがね」
「現地人は行かないぜ。オビ迷信を怖がっているから」
「全くだ。でもいいか。ジョニ・ウォーカは裏道を知っているようだ。それに現代文明をかじっているから、迷信は信じない。俺なら森の抜け道を知っている方に賭ける。奴に銃を与える約束をしろ、そうすればシャズ森の向こうの基地へすぐに降ろすだろう。これで行ければ、少なくとも二週間、縮められるよ」
 ジョニは正確に案内し、森の道を知っていた。しがらみの偏見に捕らわれちゃいない。オビに何の遠慮があるか。それにガルシアが不気味に笑って案内を了承したのはデンも当惑したし、しばらくの間、多少不愉快だった。ジョニが上機嫌になり、笑い声がますます大きくなるたびに、二人の白人をちらちら見た。
 ハウスマンがつぶやいた。
「奴ら、なんかたくらんでいるぜ」
「心配ないさ。たくらみだろうがなかろうが、もしジョニが罠を仕掛けたら、中央アフリカの誰かが最高衣装を易々手に入れるってことだ。心配するな。ジョニは我々をシャズ森からうまく降ろしてくれるさ。銃を与える約束をしたから。そのあとだろうよ、めるのは」
 ハウスマンが眠そうに体の向きを変えた。だんだん眠る前の穏やかな気持ちになったのは、心配事が少なくなり、減ったから。そのあと眠ってしまった。
 デンはキセルを仕舞いつつ、ガルシアとジョニの会話を聞いていた。低い、ブツブツという声で、何か喜んでいるようだった。ときどき、妙に耳障りな音が、ジョニの馬鹿笑いにあった。
 デンが独り言。
「まだ寝ちゃいかん。危険かもしれん。冗談だと馬鹿にしていた」
 数分後、完全に静かになった。


 ジョニ・ウォーカが森を突っ切る旅の最終準備をしているのを見ながら、ドレントン・デンが言った。
「我々は幸せ家族の良い例だ。大儲けの仲間だし、お互い仲良くすべきだが、そうなってない。これは攻守同盟かな。つまり第三者のものをごっそり奪い、首を切るけど、キミの喉は切らせないという同盟だな」
 デンやハウスマンが連中を警戒させているわけじゃない。シャズ森の向こうへ行く道は一本しかないから、ガルシアがこっそり逃げる機会はない。さらにジョニ・ウォーカを人質に取っているし……。
 ジョニは任務の重要性を分っているようだ。クリスティ・ミンストレルという側面は当分抑えている。厳粛でまじめな態度を装い、政治危機勃発の閣僚になったかのよう。
 ジョニが毅然きぜんとして言った。
「昼間は移動しません。森の中が非常に暑くなりますし、風は通らないし、木々の間から太陽が照りつけます。夜移動して、昼寝ます」
 デンが陽気に応じた。
「了解、隊長。それで構わん。速やかに基地へ降ろせ、そうすれば公文書で名誉をたたえられるぞ」
 翌日の夕方、日没の少し前、出発し、暗くなる頃、深い森に突入した。ジョニ自身の長所が何であれ、一つあげれば、森を完全に知っているということだ。
 道を完璧に知っていることは、のっけから分っていた。そうでなければ、深い森に不案内な現地人はあえて森に入らない。しかるにジョニは少しもひるまない。無造作に左右を見ながら、ずんずん進み、一回も立ち止まらず、ついに最初の夜明けになった。
 それから停止を命じ、朝食を摂った。あることが二人の白人には奇妙に写った。
 事実上、下草がない、地面に植物がなく、あるのは森の巨木のみ、足元は灰色の裸床はだかゆかで、あたかも巨木が下草に必要な水分を吸い取ったかのよう。床は滑らかで、固くて波打っており、何千もの巨木が大聖堂の廊下のようにはるか先まで連なり、壮大かつおぼろに夕闇にかすんでいる。
 それにもう一つ、同様に驚くべき特徴があった。動物がいないみたい。時々姿の見えない鳥が陰鬱いんうつに長く鳴く声は、割れ鐘のようで、暗示的で恐ろしい。
 ハウスマンがあたりを見渡し、震えて言った。
「嫌だなあ。まるで葬式に招かれ、死体を放置されたみたいだぜ。あの悪魔鳥の首をねじ切って、とむらい鐘を止めてやりたいぜ。ジョニ、ユダヤ人相手の商売には、こんな葬送行進曲が延々と続くのか」
 ジョニが最高儀礼で答えた。まじめで丁寧な様子は死刑囚監房の牧師みたいだと、デンは思った。
 ジョニの返事。
「三〇〇キロ同じです。理由はシャズ山が時々煙を上げて、山から灰が降ってきて、川で濃霧のようになり、全てを窒息させるからです。例外は巨木です」
 ハウスマンが補足した。
「奴はシャズ山の爆発のことを言ってるぜ。ちりや灰が積もり,森の木以外の全てを窒息させるが、ここで雨が降ったのは四〇年でたった一回かそこらだから、全てがやや厚く積もっている。ジョニ、先に進むほど悪くなるのか」
 ジョニは笑ったが、奇妙に目を輝かせ、相変わらずデンを見ていた。この会話を思い出すときが再び来る。だが二人はさしあたり、抗しがたい眠気に襲われていた。
 二人が目覚めたとき、太陽が沈みかけ、ジョニは配膳済みだった。二日目の晩中、一行はもがき、静寂は更に重苦しく、足元の灰はますます深くなった。名状しがたい光景とは、恐ろしいほどの暗闇、死んだような静寂、まるで長い眠りにつく沈黙世界、姿を見せず、ひび割れたとむらい鐘のように鳴く鳥、至る所に積もる灰色の灰。
 朝食を終えたデンが言った。
「神はここの孤児も助け給う。ここは死人の出没地、闇の谷、地獄門入り口。道理で黒人が怖がるはずだ」
 ハウスマンは返事しなかった。ひどく落ち込んでいた。息をするたび、体を動かすたび、小麦が空中に漂うように、灰が舞う。衣服は灰まみれ、細かい灰色の粒子が皮膚を覆い、髪の毛や口ひげも、灰だらけ。ただ一行の持っている水を定期的に飲むことで、喉と唇を潤した。長い睡眠は不可能。灰のために息が苦しくなり目が覚めて、水をがつがつ求め、細切れに眠る始末。
 怖い夢からデンがぱっと起きて、びくっとしてあえいだ。日光が森に刺している。デンのそばに、破れ服で包んだ死体のように、ハウスマンが寝ていた。灰が木々から飛び、舞い、落ちて、雲のようにハウスマンを完全に覆っていた。
 デンがぶつぶつ。
「神経に障るなあ。あと八日もか。ハウスマン起きろ、朝飯の時間だぞ」
 思い切り蹴られたので、ハウスマンがよろよろ立ち上がった。
 灰を唇や鼻から雲のように吹き飛ばした。あえぎつつ、がぶ飲みした水はデンが管理している。灰まみれの両人が見合った。
 ハウスマンが遂に悪垂れた。
「ジョニはどこだ。朝飯はどこだ」
 デンが周りをざっと見渡した。ジョニの姿が見えない。食料やら水はあったが、まったく調理してない。少し震え声でハウスマンが黒人家来のジョニを呼んだ。返事はなく、ただ割れ鐘の鳴き声だけがあった。
 デンが喜々としてキセルに火を点けようとした。こんな淀んだ灰まみれの空気で煙草を吸うのは無理だ。あきらめて座り込んで、言った。
「俺は昔びびりまくったことがあった。放火団に命を狙われたときはおびえたよ。マダガスカルの赤い斑点と小競り合いをしたときは全くもって気分が悪かったな。だが、いまより悪いのに出くわしたことはないね」
「ジョニ・ウォーカが我々を見捨てたのか」
「まあ、そんなとこだな。我々が踏み込んだ五〇キロはとても恐ろしい森の中だし、人間の想像を超える。居場所も分らんし、足跡を付けた途端に粉が振りかかる。食糧が尽きたら、惨めに死ぬな。細心の注意を払っても、水はもう一日以上持たないし、ジョニの次の給水予定場所も知らない。この気候じゃ、じきに脱水症状を起こす」
 ハウスマンが頭を垂れ、震えて言った。
「やめろ、考えるな。もしガルシアが臆病者じゃなかったら、俺達を殺して、終わりにしただろうぜ。でもこんな死なせ方が奴には良かったんだろう。ここから出られたらなあ」
 デンが苦笑い。デンすらこの陰鬱いんうつな静寂に押しつぶされていた。
 デンがまじめに言った。
「お前なあ、仮にもお袋に、ゆすって眠らせてくれよと頼む場合があるとしたら、いまだよ」


 二人が延々と、激しく、必死にもがき、目をむき、歯を食いしばる有様は、今までずっとアングロサクソンが死や危険に直面した際、戦ってきたときと同じだ。一日半が過ぎ、二人は疲れ果てた。
 食料はたっぷりあるが、水がないのは恐ろしい。一回に付きスプーン一杯にして、絶対に必要なときもそうした。一言も喋らないのは、話すのが大ごとであり、つばすら黒真珠に匹敵するからだ。
 時々、片方がばてて、息が切れ、唇がふくれあがり、舌が炭のように黒くなったら、もう片方が貴重な水を相方の口の中に数十滴垂らすという具合だ。疲れ切り、空腹で朦朧もうろうとなったのも、こんなひどい環境では食うことさえ出来ないからだ。
 絶望的な灰色、狂おしいほどの暗闇に突入すればするほど、状況が悪くなる。ぞっとするくらいの静けさと暗さ、それが白い灰をまとった木々の下にある。灰は足首に届くほど積もり、細い下草は生育をあきらめている。
 道の左側には五メートルの断崖があり、断崖下は平らな床になっており、まるで玉突き台だが、一草すら生えていない。平らな台は幅が四百メートルぐらいあり、対面はまたしても奇妙な土手が立ち上がり、土手の上には石像のような木々が堂々と立っている。信じがたいが、本物の木であり、葉っぱは生きており、呼吸している。まるで石で作った森のようであり、鋳鉄で作ったような土手に挟まれて、化石化した川が横たわっている。
 ハウスマンが遂に肩の荷物を降ろし、その上に座り込んだ。目が妙に据わり、デンが驚いた。前に一回か二回見たことがあり、事情を悟った。
 ハウスマンが笑い声を震わせながら言った。
「モード皇后、庭へ行け。森へ行け、緑草に寝ろ、スミレを摘め。最高の茂みじゃないか。デン、このイヌめ、水、水、水をたっぷりくれ。さもないと絞め殺すぞ」
 デンは従う方が良いと思った。こんな恐ろしいところで狂人を抱え込んだら、絶望のとどめになりかねない。たっぷり水を入れると、ハウスマンはごくごくっと飲んだ。飲み干すと憂鬱ゆううつ、不機嫌になり、さも恥じているかのように顔を背けて、つぶやいた。
「撃ち殺してくれた方が良かったぜ」
 デンがなだめるように言った。
「気持ちは分るよ。俺もキューバでそんな目に遭った。いつか話してやろう。でも又がぶ飲みを求めたら、拒絶して一番残酷な方法、つまり撃ち殺すぞ」
「ああ、かまわん。小切手を前払いするだけのことだ。悪魔のような灰色の木が無限に続くのを見れば、かっかする。座ってしばらく休もうぜ」
 ハウスマンが有言実行。デンは移動して、化石川の断崖ふちまで来た。少し考えたかった。だが、連れのハウスマンを射殺する間もあらばこそ、見つけたものは、憂鬱ゆううつな気分を吹き飛ばし、心を奮い立たせ、笛や太鼓で希望を持たせる代物しろものだった。
 足元に真新しい人間の足跡があり、一歩先で右足のつま先が消えている。絶えず灰が降り、覆い隠す状況だから、この足跡は直前に付けられた物だ。
「ひでえ野郎だ。ジョニ・ウォーカがあとをつけている。奴は遠くへ去ってない。おそらく戻るなと言う指示を受けて、俺達が障害物を乗り越えるのを見届けるのだろう。ジョニを捕まえさえすれば、最後のつけを払わせてやる」
 これを聞いたハウスマンが喜んだ。その日はずっと生気が戻っていた。だが夜になり、裏切り案内人ジョニが見つからないので、再び憂鬱ゆううつになった。それから二人は爆睡し、疫病神のような眠りであったが、水が尽きたことなど忘れてしまった。
 夜明けの赤い光が目に入り、デンが起きて、こんなに惨めになったことは、今まで無い。乾いた熱波が骨の髄まで焼き尽くすかのよう。灰色の森の木々から灰が降り、熱くてひりひりする膜が厚くデンをおおった。片手を無意識に水容器に伸ばし、うめいて落とした。この世で最後の日になる。ちくしょうめ、あとは時間の問題だ。
 デンがこんな瞑想から覚めたのはハウスマンが叫んだからだ。ハウスマンは素っ裸になって、化石川を望む狭い断崖上で、小躍りしている。またしても少年に戻り、青々と茂る英国の牧草地にいて、いにしえの河岸に立ち、体を曲げて飛び込もうとしている。
 デンが叫んだ。
「たのむから戻れ。首を折るぞ」
 ハウスマンがこたえた。
「来い、水浴びしようぜ。すごいぞ、氷のように冷たいぜ」
 デンが突進し、ハウスマンをつかんだが、するりと逃げられた。
 ハウスマンが万歳して、体を折り曲げて、断崖から灰色の化石川へ飛び込む様は、さながら弓から放たれた矢のよう。デンは突っ立って、この不運な友人ハウスマンがぐしゃぐしゃになるのを待った。
「確実に首を折ったな。捕まえさえしていたら……」
 そのときデンが驚きの余り息を呑み、ほとんど窒息しかけた。なぜなら見たのが、たたきつぶされ血を流す死体ではなく、灰に覆われた平床が破れ、ハウスマンの足が光って、すっかり消えたからだ。ハウスマンは火山の地殻を突き破り、底無穴に突っ込んでしまった。
 デンがそんなことを考える間もなく、薄い地殻が再び動き、ハウスマンの頭が浮き上がった。灰まみれ、すすだらけの頭だが、びしょびしょに濡れ、しかも水と共に流れているじゃないか。
「一体全体どういうことだ」
 とデンがあえいだ。
 ハウスマンが正解したかのような目をして、答えた。
「わかったぜ。俺の頭がおかしくなったろ。水の川だと思って、飛び込んだ。やはり水だった。俺達は二日間、凍った川沿いを歩いていたんだが、分らんかったのは灰が厚く積もっていたからだ。冗談じゃないぜ。これはシャズ山の雪解け水だ。それを俺達は植物が石化せっかした川だと誤解したんだ、間抜けだぜ」
 ハウスマンが再び潜り、頭を出さないうちに、デンがハウスマンのそばに飛び込んだ。深く深く水中に潜れば、水晶のように透明で、氷のように冷たかった。水面に顔を出し、表面の黒い灰を割って、川の水をたっぷり飲めば、まさに命の水であった。両人は命拾いした。この静かな川の流れに身を任せるだけで、ついに森から抜け出せるに違いない。
 再び灰色の床となった静かな流れを見ながら、デンが言った。
「なんで馬鹿だったのだろう。見抜けたかも知れないのに。だって川をまじまじ見れば、静かに動いているもの」
 ハウスマンが上流から流れてくる物体を指差した。黒い物体が、灰色の泡状になり浮き沈みしている。興奮して言った。
「あれだぜ。俺の象牙の取り分を賭けてもいい。ジョニ・ウォーカが水浴びしているぜ」
 衣服を着るのももどかしく、デンがウィンチェスタ銃をひっつかみ、鹿のように川上へ走った。今や全身に精力がよみがえった。流れを横に、回り道をした。それから断崖の端で腹ばいになり、物騒な銃口をぐっと突き出した。そのとき、相手の目と合い、黒い頭がびっくりまなこになり、流れに浮いた。
 デンがあっさり言った。
「潜るな、ジョニ。潜ったら撃ち抜くぞ。両手を挙げろ。ゆっくりこっちへ泳いでこい。もしだましたら、お前の面白い人生を終わらせる。なぜなら今やお前なしでも行けるからだ、ジョニ。ちょっと遅かったな、だがそういうことだ」
 ジョニがおとなしくやってきた。不機嫌でうつむいたのは、ウィンチェスタ銃の恐ろしさを知っているからだ。今度だけは、さしものジョニも豪華な衣装を召しそこなった。
「私をどうするつもりですか」
「さあ。さしあたりお前を大きな荷物にくくりつける。お前がいつも運ぶ荷物だよ。ところで、お前はこの地獄のような場所から我々をすぐ連れ出して、速やかにシャズ森へ行こうとしていたな。ついてこい、ジョニ」
 二時間後、三人が火山灰の範囲外へ出ると、森の一部で、木々が緑色になり、新鮮な水をたたえた湖が陽光に輝いていた。灰と暗闇の恐怖に、長いこと馴らされていたので、この変化はとても嬉しい。陽気な気分が、ジョニは別だが、二人に戻った。
 ジョニが不安そうにいた。
「私をどうするつもりですか」
 デンが不気味に笑って言った。
「お前のつけは二の次だ。ガルシアが真っ先だ。奴と話をつけたら、お前のことも考えよう。ガルシアは、二度と幸せな家庭を拝めないな」





底本:Dust. First published in, Cassells Magazine, April 1900.
原著者:Fred M. White
※この翻訳は「クリエイティブ・コモンズ 表示 2.1 日本 ライセンス」(https://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/)の下で公開されています。
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翻訳:奥増夫
2022年9月23日作成
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