私たちが、
子供のころから、
親しみなれてきた
一休さんは、
紫野大徳寺、四十七
代目の
住職として、
天下にその
智識高徳をうたわれた
人でした。
一休さんは、
応永元年一
月一日、
将軍義満が、その
子義持に
職をゆずった
年、
南朝の
後小松天皇を
父とし、
伊予局を
母として
生れました。
しかし、
一休さんを
生んだ
伊予局は、
后宮の
嫉妬のため、
身に
危険がせまったので、
自分から
皇居をのがれることになりました。つまり、
一休さんは、
日かげの
身となったわけで、そんなことから、
大徳寺の
華叟禅師のもとに
弟子入りし、
仏門の
人となったわけです。
乳母の
玉江は、これも、
高橋三位満実卿の
妹で、りっぱな
婦人でした。
一休さんは、
幼時から、
目から
鼻に
抜けるような、りこうな
子供でしたが、そのりこうさが、
仏門に
入ってみがきをかけられ、
後世にのこるような
英僧にとなったわけでしょう。
一休さんの
頓智というものは、まるで、とぎすました
刄のような、
鋭さで、もし、
一休さんが、
仏門に
入って
徳をみがいたのでなければ、
大分危険なようにさえおもわれるところもあるくらいです。
しかし、ここでは、
一休さんの
頓智を、こどもたちにもおもしろくて、ためになる、ということにおきかえて
書きました。
一休さんの「とんち」は、すてきにおもしろいばかりでなく、その
一つ
一つが、ためになるように、できています。
よく「おもしろくて、ためになる
本」と、いうことが、いわれますが、
一休さんの
話などは、その
代表的なものの
一つだろうと
思います。
ことに、こどもの
道徳教育が、
真剣に
考えられている
今日、こういう、
道徳的教訓のふくんだ
物語は、お
子さんのために、ぜひおすすめしたいものと
思います。
五十公野 清一