ブラウン神父総説

村崎敏郎




 チェスタートンのブラウン物もいよいよこれが最後の第五集 The Scandal of Father Brown(1935)である。ハヤカワ・ミステリ既刊の「ブラウン神父の無知」「知慧」「懐疑」「秘密」に続くもので、計五十一篇になる。ただ最後の「村の吸血鬼」だけは後に発表されたものであるが、ブラウン物を総集する便宜上ここに収録しておく。
 さて毎度引き合いに出して恐縮だが、英国ローマ・カトリック教会の大司教であると同時に「陸橋殺人事件」などの作家でもあるロナルド・ノックス師は、オクスフォード叢書から出た「ブラウン神父選集」の序文で、「醜聞」には作者晩年の意気がうかがわれる佳作が多いと批評した上、次の四篇を選んでいる。
「古書の呪い」「緑色の人」「ピンの先き」「とけない問題」
 私見では、このうち前二者は特に優れていて、ブラウン物中最上のグループに入れられそうである。しかしその他の各篇もよくそろつていて、とりどりにおもしろい。ただ作品の配列がちよつとまずくて、ホテルが二度続き、海岸も二度続くのが、多少気になる。もう一つ目につくのはユーモラスな味がますます濃厚になつてきて、神秘的な雰囲気描写がやや薄れている点である。尤も第一作「青い十字架」以来ユーモアはこの作者の貴重な持味に違いないが、後期の作品ほどそれが目立つて、中にはユーモア小説と言いたいような物さえあつた。したがつて言葉のシャレも多くなつて、本集の「手早い奴」「ピンの先き」「とけない問題」などは題名までそれである。しかし「古書の呪い」「緑色の人」「青君の追跡」……どれを見ても、ユーモラスな書き出しでいささかピントの狂つた人物を紹介しているうちにいつか怪奇な幻想の世界へ読者を引きこんで行くあたりに、なんとも言えない妙味がある。
 ついでにその他の集からノックスが選んだ物を挙げておこう。
「ブラウン神父の無知」から――「青い十字架」「秘密の庭」「妙な足音」「見えない人」「イズレイル・ガウのあつぱれな正直」「神の鉄鎚」「折れた剣」
「知慧」から――「盗賊の楽園」「機械のまちがい」「ペンドラゴン一族の滅亡」「ジョン・ブールノアのふしぎな犯罪」
「懐疑」から――「犬のお告げ」「羽のはえた短剣」
「秘密」から――「法官邸の鏡」
 このほかに当然加えてほしい物もあるが、それは選集の頁数の関係もあろうから、この辺がまず妥当なところらしい。
 しかし実はブラウン物はどれを取つても凡百の短篇の水準をはるかに抜いているし、またほんとうにだれが読んでもおもしろい。これは探偵小説の根本になるトリックが、ちよつとほかに追随する者がないほど、独創的で巧妙だからである。一人二役や死体消失のトリックを何度も使いながら、そのたびにまつたく新奇な趣向に変えて読者の意表を突いて行く。死体を隠すために戦闘を命じたりストライキを煽動したりするかと思えば、船を沈めるために塔に火をつけたりする奇想天外のトリックは、この作者でなければ夢にも思いつくまいし、また思いついたところであの幻怪な筆力がなかつたらとても表現しきれるはずがない。
 しかしブラウン物がおもしろいのは、なんといつてもブラウン神父という愛すべき主人公を創出しているからである。全作を通じて見たこの坊さんの風貌を紹介してみよう。
 ブラウンはエセックスの片田舎で育ち、コボウルの教会の司祭だつたが、後にロンドンへ移つて、一生の大半をここで過している。しかし「機械のまちがい」によると、二十年前にはシカゴの刑務所で礼拝堂附きの牧師を勤めていたこともある。「ブラウン神父の復活」で見るとおり、南米に渡つて布教していたこともある。ノーフォークの団子のようにまんまるな顔と、手にたずさえた大きなコウモリ傘と茶色の紙包みは、あまりにも有名である。(ブラウンのモデルになつたジョン・オコナー師は見るからに俊敏聡明な人で、その点をチェスタートンが意識して正反対の風貌に作り上げたことは「秘密」の解説で既述したとおりであるが、コウモリ傘と茶色の紙包みはやはりオコナー師が実際に持つて歩いていたそうである)。この坊さんにはエクスパートらしい所は一つもない。聖書の句はしよつちゆう引用するが、それは本職だから当然である。文学や劇にも造詣が深いが、探偵に必要な科学的知識はまず皆無に近い。毒薬の知識もなければ、はつきりした死後硬直の時間も知らない。煙草の灰の分析もできない。知つているのは、人間の心である。「フランボウの秘密」の中で説明しているように、ブラウンは自分が犯人の気持になつて、殺人の秘密を解くのである。いや、時には犬の気持になることさえあるのは、名作「犬のお告げ」に詳説されているとおりである。こういうブラウンの探偵法は、それまでがホームズ張りに足跡や煙草の灰ばかり調べる探偵の活躍時代だつただけに、ひじように新鮮で生き生きした物に感じられたに違いない。のみならずわがブラウンには、ほかの科学的な探偵などには見られない、温かい豊かな人間性がある。もちろんこれは「罪の増すところにはめぐみもいや増す」という逆説的福音を体得しているブラウンのやさしい人がらの現われである。犯人に対して憎悪を見せるのは、おそらく最後の「村の吸血鬼」の時ぐらいのものであろうが、それは宗教上の問題がからんでいるからにすぎない。
 ブラウンの長所は、けつきよくクリスティーのポワロ探偵と同じに、小さな灰色の脳細胞をはたらかすことである。しばしばポカンとしているのはそのためである。その代り人の見ていない物を見ている。どうも感覚が普通人と逆になつているせいか、いわゆる感覚の盲点を見のがさない。それだけに周囲の人が思いもよらないうちに真相を見抜いてしまう。時々とんでもないことを言い出すのはこのためで、決して思わせぶりを言つているわけではない。「緑色の人」では犯人が何げなく言つた一言で、絶対的な手がかりをつかんでしまう。あれに気がつく読者がいるかどうか? 「村の吸血鬼」でも最初の十数行の中に決定的な手がかりがひそんでいる。それに注目する人がはたして何人いるだろうか? 一般にごたごたデータを書き立てない作家だから謎解き興味が薄いなどと言われるが、かならずしもそうとはかぎらない。「犬のお告げ」や「青君の追跡」でも、少し先入観を変えて違つた角度から見れば、なんとか見当がつくはずである。ブラウン神父の逆説の妙趣やユーモアを味わうには二度読み返してみるのが最上であろう。
 ブラウンにも短所はある。生みの親のチェスタートンが宗教や道徳や、共産主義や資本主義まで、探偵小説の素材として消化しているのは、実に驚くべき才腕であるが、宗教や道徳に少しこだわりすぎる一面があるのは否定できない。「マーンの服喪者」や「天の矢」がそれであつて、こういう問題にあまり真剣になられると、探偵小説が催眠剤の代りにならなくなる。やつぱりブラウンはいつもコウモリ傘を不器用にたたんだり、茶色の紙包みを落したりしながらまごまごしていてくれるのが一番うれしいところである。
 ブラウン物五十一篇をふりかえつてみると、上述のとおり一人二役のトリックを使つた物が二十四篇あつて、しかもこれが多種多様にまつたく趣きを変えてあるのは、むしろ驚異である。それから探偵小説では最も効果的な殺人を使つていない物が約三分の一を占めている。おまけにその大半は犯罪さえ成立しない物である。犯罪のない探偵小説をこれだけ書いているのは実に古今独歩である。
 チェスタートンは「醜聞」を刊行した翌年、一九三六年六月に六十二才の一生を終えた。ブラウン物をサタデー・イーブニング・ポストに発表しはじめた時の彼は、既に評論、随筆、小説の各方面で活躍して、名声を博していた。それだけに作者自身はブラウン物をやや軽視していたようであるが、死後ますます声価の盛んなのは、ブラウン物にとどめをさす。逆説の大家チェスタートンが大いに皮肉な逆説を痛感していることであろう。ブラウン物以外の探偵小説集には左の長短篇がある。
The Club of Queer Trades, 1905.
The Man Who was Thursday, 1908.(橋本福夫訳「木曜日の男」ハヤカワ・ミステリ既刊。吉田健一訳「木曜日の男」東京創元社)
The Man Who Knew Too Much, 1922.
The Poet and the Lunatics, 1929.(福田恆存訳「詩人と狂人達」東京創元社)
Four Faultless Felons, 1930.
The Paradox of Mr. Pond, 1937.
 ブラウン物その他チェスタートンの紹介に就いては江戸川乱歩氏の「続・幻影城」のその項と、前記ノックスの序文が簡明優秀で、大いに教えを受けた。
 最後に二カ年にわたつてブラウン物を全訳できたのはまつたく早川書房の社主早川清氏の寛容と編輯長田村隆一氏の示唆に負う所が多い。なおその間の読者諸賢の支持に感謝すると同時に、訳者自身まだ意に満たない点は今後機会がありしだいに是正して行きたいと念願している。





底本:「〔ブラウン神父の醜聞〕」HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOKS、早川書房
   1957(昭和32)年3月15日発行
※底本は新字新仮名づかいです。なお平仮名の拗音、促音が並につくられているのは、底本通りです。
入力:時雨
校正:sogo
2021年3月27日作成
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