火の記憶

広島原爆忌にあたり

木下夕爾




とある家の垣根から
つる草がどんなにやさしい手をのばしても
あの雲をつかまえることはできない
遠いのだ
あんなに手近にうかびながら

とある木のこずえ
終りのせみがどんなに小さく鳴いていても
すぐそれがわきかえるような激しさに変る
鳴きやめたものがいつせいに目をさますのだ

町の曲り角で
田舎みちの踏切で
私は立ち止つて自分の影を踏む

太陽がどんなに遠くへ去つても
あの日石畳に刻みつけられた影が消えてしまつても
私はなお強く 濃く 熱く
るものの影を踏みしめる





底本:「日本の詩歌 26 近代詩集」中央公論社
   1970(昭和45)年4月15日初版発行
   1979(昭和54)年11月20日新訂版発行
入力:hitsuji
校正:きりんの手紙
2022年7月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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