甘い野辺

浜本浩




 子供の頃、私は菓子を食べたことがなかった。家が貧しかったし、また私の郷里の土佐の国では、その頃まで勤倹質素を旨とする風習が残っていたので、菓子はぜいたくなもののように考えられていたからである。
 菓子を禁じられた子供たちは、いろいろと代用になるものを探して食べた。それは私たちだけではなく、どこでも田舎の子供なら同じことかもしれない。
 早春には、まず芝の地下茎をんだ。糖分を貯えて越年した若い地下茎である。ちがやの穂のツバナは無味淡白だったが、噛めば舌端に甘い後味が残った。芝の地下茎も、茅花つばなも、日当りのよい土手の斜面に自生した。
 野薔薇の若芽は、好んで食べる子供と、嫌って食べない子供があった。したがって、その甘味は一般的でなかった。いつぞや銀座あたりの喫茶店で、何気なく卓上の砂糖をなめていたら、もう五十年も前に遊んだ故郷の野辺が、ふとまぶたに浮んできた。つまり野薔薇の若芽と、間の抜けたビート糖の甘味にはどこか似通ったところがあるからであった。
 子供たちが、いちばん糖分を要求する夏の季節になると、幸いなことに、私の故郷では、山野の至るところで、お菓子の代用になるものを発見することができた。
 高知市外の潮江うしおえ天満宮には、むくえのきの並木があった。大粒で肉付きのよい椋の果は小粒で色の美しい榎の果より、はるかに甘く、一合も食べたら、結構おやつの代りになった。私たちは、学校から戻ると、何を置いても天満宮の馬場へ飛んでいった。
 昨年の夏、私は五十年ぶりで、天神様の土手に立つことができた。椋も榎も昔ながらの枝ぶりで、登るときに足をかけた幹のこぶまで、その頃のままに残っている。だが、このごろは、菓子の代りに木の果を食べる子供たちはいないと見え、熟れ落ちた木の果が土手の下草を埋めていた。
 中学生の頃、高知市から十里離れた海岸の町に住んだことがあった。そのあたりは砂糖の産地で、浜辺から裏山にかけ、いちめんの甘蔗かんしょ畑であった。春の初めに植えつけた甘蔗苗が、夏になると六、七尺にも伸びる。私たちは海へ泳ぎに行ったついでに、甘蔗畑へ忍びこみ、よくふとった茎を折りとって、歯ぐきや唇を傷つけながら、噛んだものである。茎の青い在来種より、茎の紫色をした台湾きびのほうが水気も多く甘かった。
 そんな時に、たまたま畑の土が柔らかく湿っている所を見つけることがあった。掘ってみると、卓球のボールほどの海亀の卵が、二十も三十も埋められているのだった。夜間に上陸した母亀が土を掘って産み落したものである。殻の柔らかな亀の卵は、その場で食べるわけにいかないので、麦藁帽子にいれて戻り、焼卵にした。臭気があって、うまいものではなかった。
 川原へ泳ぎに行った時は、川岸のやぶに咲いた忍冬にんどうの花の蜜を、むちゅうになって吸ったものである。すいかずらとも呼ばれる、忍冬の白い花の、懐しい芳香が、半世紀を経た今でも、鼻のどこかに残っている。
 町の商人は、夏の終りにり採った甘蔗の茎を買い溜め、貯蔵しておいて、秋祭りの鎮守の市で、一本一銭か二銭に売った。
 太平洋戦争のさいちゅうに、信州蓼科たてしな山麓の豊平とよひら村に疎開していた私たちは、配給の砂糖さえ思うにまかせぬ状態であったので、子供の頃を思い出し、砂糖黍の種子を手に入れて栽培してみたことがあった。が、山国では育ちが悪く、茎も小指ほどにしか発育せず、水気も甘味も、まるでなかった。
 秋になると、私たちは裏山の林に分け入って栗や椎の果を拾った。が、何と言ってもまきの果ほど子供たちに喜ばれたものはなかった。喬木きょうぼくの槙の木は、栗や椎の木のような下枝がなかったので、木登りの上手な子供でなければ登ることができない。真紅で脂っこい槙の果は、餅菓子の味を持っていた。
 子供たちは、食料を求めて山野をあさり歩いた。たまたま、珍しい木苺きいちごなどを発見すると、その場所へ目印を置き、他の仲間へは秘密にして、楽しんだものである。
 勇敢な子供は、名も知らぬ草木の果を噛んで試食した。発見した地梨(ぼけ)の果が黄熟するのを待っているうちに、だれかに盗まれてがっかりすることもあった。いろいろと原始時代の生活に通じるものがあった。そればかりでなく、子供たちは他家の果樹園を荒すこともまれではなかった。半世紀も前には、人心も鷹揚で、裏畑の蜜柑みかんや柿を、子供たちに盗まれたからといって、怒鳴り込む大人はなかった。
 お菓子を食べられなかった頃の子供は、今の子供よりも、かえって倖せであった。
(はまもと ひろし、三〇・一〇)





底本:「「あまカラ」抄1」冨山房百科文庫、冨山房
   1995(平成7)年11月13日第1刷発行
底本の親本:「あまカラ 10月号 第五十号」甘辛社
   1955(昭和30)年10月5日発行
初出:「あまカラ 10月号 第五十号」甘辛社
   1955(昭和30)年10月5日発行
入力:砂場清隆
校正:芝裕久
2020年2月21日作成
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