ここには薔薇が咲いたにちがいない。
大きなうすい黄色の薔薇が。
そして、それらの薔薇は庭の塀の外にまで豐かな群りをなして垂れ下がり、その柔かな葉を道の轍の上に氣もなさそうに撒き散らしていたにちがいない。塀の中には溢るるばかりに咲きこぼれたありとある花の群の優雅な輝き!
そしてほんのりと掠めゆく、とらえがたい美しい薔薇の香り、夢の中に感覺の生みだす見知らぬ果實にも似た香り!
それとも薔薇の花は赤い色だろうか?
きっとそうかもしれない。
小さな丸い、丈夫な薔薇かもしれない。輕い蔓をのばして垂れさがり、つややかな葉をつけた、赤い新鮮な薔薇なんだろう。街道を疲れきって、埃にまみれながら歩いてきて、ローマまであともう少しだと喜んでいる旅人への挨拶か接吻のようなのだ。
旅人は何を考えているのだろう? 暮しのぐあいはどんなだろう?
それで、――いま旅人は家々に隱されてしまった。それらはあらゆるものをその背後に隱している。互に隱し合い、道をも町をも隱している。だが、別の方へは眺めがきく。そこには道が不活溌にのろのろと曲りくねって、流れの方へ、物悲しげな橋の方へと下って行く。そしてそのうしろには、ふたたび、いとも廣大なカンパーニャ平原がひろがっている。
そんな大きな平原の灰色と緑色……それはまるで骨の折れる幾マイルもの旅の疲れがそこから立ちのぼってきて、人の上に重たくのしかかり、孤獨な見捨てられた想いをさせ、何かを求めあこがれさせるかのようだ。だがそんなときには、空氣があたたかく穩かで物靜かな、庭の高い塀の間のこのような片隅で、日のあたる側にのどかに腰を下ろす、そこには壁龕みたいな所にベンチが一つ曲げこんで置いてある、そこに腰を下ろして、街道の溝に生えている輝くばかりの緑のアカントゥスを眺めたり、銀の斑點のあるあざみや、色あせた黄色い秋の花々を眺めたりする方が遙かにいい。
ちょうど向う側の長い灰色の壁の上にも、蜥蜴の穴や枯れた壁草の生えている割目だらけの壁の上にも、そこにも薔薇は咲いていたにちがいない。それからまた、長い單調な平野が立派な昔の鍛冶仕事を示す膨れ上った大きな格子籠に、胸の高さよりもっとある廣いバルコンをなしている格子籠に中斷されている所にも、咲き出ていたことだろう。閉じこめられた庭園にあきあきしたとき、そんな所へ上って行ったら、どんなにか爽やかなことだろう。
實際人々はしばしばそこへ上って行ったのだ。
人々はこの壁の中にあるにちがいない、大理石の階段や太織の絨氈のある、華麗な古い邸を憎んだものだ。誇らしげな黒い冠をいただいた年老いた樹々、松、月桂樹、トネリコ、サイプラス、西洋ひいらぎ、それらは成長して行く間じゅう憎まれどおしだったのだ。それは、不安な心が、ありふれたもの、慣れきったもの、事件のないものに對して感じるあの憎しみ、共にあこがれることなく、それゆえに逆らうように思われるものに對して抱く、あの憎しみであった。
だが、バルコンからはどんな場合にも眼を遠くまで走らすことができた。人々は一時代また一時代とそこに立って、すべての者がそれぞれ勇氣を持って、それぞれの目標を見つめたのだ。黄金をまとった腕がその鐵籠の縁に休らい、絹につつまれた澤山の膝がその黒い唐草模樣に身を支え、ありとあらゆる嫩枝を集めた色とりどりの花束が愛の挨拶や密會の約束としてひるがえったのだ。苦しげな身重の妻たち、彼女らもまたそこに立って、かなわぬ使いを遙か彼方へと送ったのだ。女たち、腹が大きくふくれ上って、見捨てられ、憎しみのように蒼ざめている女たち……思いのままに死神を送ってやれるものならば! 望みのままに地獄を開いてやれるものならば! ……女と男! いつも女と男だ! この痩せた白い少女たちの魂でさえ、迷える鳩の群のように黒い格子に身を押しつけて、つかまえて! と夢に描く氣高い蒼※[#「鷹」の「广」に代えて「厂」、96-9]を[#「蒼※[#「鷹」の「广」に代えて「厂」、96-9]を」はママ]呼んでいる。
ここでは活人畫を想い描くこともできよう。
風景は活人畫にまったくふさわしいだろう。
そこのバルコンのある壁はすっかりそのままでいい。だが、道はもっと廣くして、圓形の場所をつくらなくてはならない。その眞中には古びた靜かな噴泉が必要だ。それは黄色い火山岩でできていて、割れた雲斑石の盤を持っている。噴水像としては一匹の海豚が要る。尻尾が切れていて、鼻の孔の一つはつまっている。もう一つの孔から僅かな水が噴き出ている。――噴泉の片側には、火山岩と燒石でつくった半圓形のベンチが一つ置いてある。
ふわふわした灰白色の埃、噴水のかかったベンチの赤っぽい石、彫刻のしてある黄色い孔だらけの火山岩、磨かれて濡れ光っている暗い色の雲斑石、そして銀色にふるえるいきいきとした小さな噴水、素材と色彩とがすばらしい調和を示している。
人物は二人の小姓。
特に歴史上の一定の時代に屬するものではない。なにしろ現實の小姓というものは理想の小姓にちっとも似てはいなかったのだから。ここに出てくる小姓たちは、繪畫や書物の中で戀をしたり夢みたりする、あの小姓たちなのだ。
だから身につけているやや歴史的なものといえば、わずかに衣裳くらいのものである。
若い方の小姓になる女優は薄い絹物をまとっている。それは身體にぴったりと合っていて、色は薄青く、輝かしい金の百合の紋が織りこんである。それと、つけられるだけつけている澤山のレースの飾りが、衣裳の中ではいちばん目に立つものである。というのは、彼女の衣裳はなにか特定の時代をあらわそうというよりは、むしろ若々しい豐麗な姿、華やかなブロンドの髮、明るい顏色をひきたてるためのものだったからだ。
彼女は結婚したことがある。だが、それは一年半ぐらいしかつづかなかった。それから彼女は夫と別れたのだが、夫に對してはすこしもよくしなかったということだ。まあそうかもしれないが、しかし彼女に見られる以上の無邪氣さはとうてい見られるものではない。つまりそれは、たしかに彼女の外見が持っている非常にかわいらしい本來の無邪氣さではない。むしろ十分に培われ、發展しつくした無邪氣さである。何人にも見誤られることなく、まっすぐに人の心に達し、完成されたものに與えられるすべての力をもって人の心を魅するような無邪氣さである。
もう一人の女優はこの活人畫ではほっそりとして、憂鬱そうな樣子をしている。彼女は未婚である。まだなんの戀物語も持っていない。まったくただの一つも持っていない。ほんのすこしでもそんな話を聞いた者はない。しかし、この上品なつくりの、ほとんど痩せているばかりの姿には、また琥珀のように青白いよく整った顏には、非常に人の眼を惹くものがある。その顏は漆黒の捲髮によって翳をおとされ、線のきつい男らしい首によって支えられ、嘲るようなそれでいて憧れに惱んでいるような微笑みによって人の心を惹きつけ、三色すみれの花の中の暗い花瓣のように、黒い瞳の輝きの中に柔かみをたたえて、まことにはかり知れないものがある。
衣裳はぼかした黄色で、胸甲みたいに、廣い襞が縱に條をつけられている。襟は垂直に立って硬ばっており、黄玉石のボタンがついている。小さなちぢれた一條の線が襟の縁と、それから手の前に狹く結んだ袖口からのぞいている。ズボンは短く、廣く、切目がついていて、そこはくすんだ緑色に薄紫がまじっている。トリコットは灰色だ。――青い衣裳の小姓のはいうまでもなく輝くばかりに白い。二人とも縁無し帽をかぶっている。
彼等はざっとこんなぐあいである。
さていま、黄色い衣裳の小姓の方は上のバルコンに立って、縁にもたれて身を乘り出している。青い衣裳の小姓の方は下の噴泉のベンチに腰かけて、氣持よさそうに背をもたせ、指環をはめた兩手を片膝に重ねている。彼は夢みるようにカンパーニャ平原の方を見つめている。
やがて彼が口をきる。
「いや、まったく、世の中に女のようなものはないね! ――ぼくには譯がわからないよ……女たちが持っているからだの線には、魔法でもあるにちがいない。だって、イザウラやロザムンドやドンナ・リザやそのほか誰にしたって、女たちが通るのを見ると、着物がからだの形にぴったりとくっついて、歩くにつれて波打つのを見るとだよ、それを見ただけで、もうなんだか血管という血管の血が心臟に吸い取られて、頭の中は空っぽになり、なんの考えもなくなって、手足はふるえ、力がなくなり、すべての――ぼくの全存在は、たった一つの長い、ふるえるような、不安にみちた憧れにとけこんでしまうんだからね。いったい何なんだろう? どうしたっていうんだろう? なんだかこんな氣がするんだ、幸福が眼に見えずにぼくの戸の傍を通り過ぎて行く、ぼくはそれをつかまえて、しっかりとめておかなくてはならない、そしてそれを實に不思議にもぼくのものとする、――が、もちろんぼくにはそれをつかまえることはできないさ。なぜって、ぼくには見えないんだもの。」
すると、もう一人の小姓がバルコンから言う。
「でも、きみがあの方の足もとにすわってだね、ロレンツォ、あの方が自分の思いに耽ってきみを呼んだわけを忘れている、きみは默ってすわって待っている、そしてあの方の美しい顏はきみの上にある、たとえ夢の雲に乘って空にまたたく星よりもずっと遠くにきみから離れているにしても、きみの眼にはすぐ間近に見えるから、顏の表情の一つ一つも、生れながらの美しい線の引き工合も、百合色の肌が眞白な休らいからやわらかく薔薇色を帶びるまで變化するさまも、きみは自由に歎賞することができる、そんなときには、あの方は、すぐ眼の前にすわっているあの方は、きみが歎賞しながら膝まずいている世界とは違った世界のひとのように、自分のうちにもそういう異った世界を持ち、また周りにもそういう異った世界を持っているひとのようには思えないだろう。つまり、あの方の晴着の思いはきみの知らないものへと走り、きみやきみの家族やきみの世界やすべてのものから遠く離れたところで戀をし、夢み、あこがれる、そういう世界さ。そしてきみは、あの方との間に親しい交りとは言えないくらいの、互に心が通っているなどとはとうてい言えないほどの、ほんのまたたくようなわずかのものでも生れてくれさえするならば、あの方のために身を犧牲にし、生命をもすべてをも賭けてもいいとどんなに思い焦がれても、あの方の思いの中にはきみを入れるための餘地はこれっぱかしもないなんて、そんな風にはとても思えないだろう。」
「そう、そう、そのとおりなんだ。だけど……」
――そのとき、一匹の金色に光った緑の蜥蜴が鐵籠の縁にそって走ってくる。立ち止って、あたりを見

もし石があったら……
そら氣をつけなさいよ、四足の友達!
いや、あたることはあるまい。石なんか飛んで來ないうちに、とっくに聞きつけてしまうだろう。それでも、びくびくしている。
が、小姓たちもこの瞬間に消えてしまった。
彼女は、あの青い衣裳の小姓は、實にかわいらしくすわっていた。その眼差しには正しい、自分でも知らない憧れがあり、あらゆる身の動きと口のまわりの小さな苦痛の線には、豫感にみちた神經質さがあった。彼女が自分で話していた時もそうだったが、黄色い衣裳の小姓がやわらか味のあるやや深味を帶びた聲で、上のバルコンから唆りたてるようなそれでいて愛撫にみちた言葉を、嘲りと同情の響きをまじえて送ってよこしたのに耳を傾けていたときは、なおさらそうであった。
おや、二人はまたそこにいるんじゃないだろうか?
やっぱりいる。見えなくなった間も、彼等は活人畫をつづけていたのだ。そしてあの定かでない若者の戀について話しつづけていたのだ。それは決して休らうことなく、あらゆる豫感の國々を、あらゆる希望の大空を天翔けり、ただ一つの大きな集中した感情の、強い胸の焔の中に鎭められようという憧れに病む戀なのだ。こんな戀のことを彼等は話していたのだ。若い方はにがい歎きをもって、年上の方はだんだん悲しげに。そしていま、年上の黄色い衣裳の小姓の方が、青い衣裳の小姓に言うのだった。女の答える愛がきみをとらえて、しっかりと抱きしめてくれるのをそんなにいらいらと焦がれるものじゃないよと。
「ぼくの言うことを信じたまえ。」と、彼は言う。「きみの見出す愛、それは二つの白い腕に抱かれて、二つの瞳を間近の空と見、二つの唇のたしかな祝福を受けはするけれども、あまりにこの俗世と塵に近すぎて、夢の自由な永遠性を、時間ではかられ、時間とともに衰える幸福と取り換えたものなんだよ。なぜって、絶えず若返ることはあっても、衰えることのない光輪となって夢の永遠の青春のまわりに輝いている、あの光の一つをそのたびに失ってしまうんだからね。いや、きみは幸福だよ!」
「いや、きみのほうが幸福だよ!」と、青い衣裳の小姓は答える。「もしぼくがきみのようになれたら、世界じゅうをやってもいいよ。」
そして青い衣裳の小姓は立ち上り、カンパーニャ平原への道を下りはじめる。黄色い衣裳の小姓は悲しげな微笑みを浮べてその後を見送り、ひとりつぶやく。「いや、彼のほうが幸福だ!」
が、かなり行ったところで青い衣裳の小姓はもう一度バルコンの方を振り返って、帽子を輕く擧げて叫ぶ。「いや、きみは幸福だよ!」
ここには薔薇が咲いたにちがいない。
そのとき、そよそよと微風が吹いてきて、枝もたわわな花の群から薔薇の花びらの雨を撒き散らし、歩み行く小姓の後を追ってくるくると舞わせて行く。