鵠が音

折口春洋




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昭和十九年 ――五十首――



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この日頃 一



アカトキの寒き真闇マヤミに 別れたるかの下士官は、到りつらむか

雪ほのに見えて しづもる向ひ山。暗きに起きて、兵をたしむ

健やかに征きてかへれと 告げて後、たち征きにしが、まだ暗き営庭ニハ

若くして 心真直マナホに征きにける伍長一人を 心にたもつ


この日頃 二



きほひ来し学徒も 今はおちつきて、おのも しづけき兵となりゆく

近々と 山の残雪ハタレのさびしきに、夕方早く 雨となりたり

この日ごろ。深く身に沁む戦ひの夢に 目ざめつ。しづけき眠り

敵、まあしやるに上陸す

つばらかに告ぐる戦果を きゝにけり。こゝに死にゆく兵らを われ知る

若きらが たち征きてノチ 絶えゐしが、まさに はげしきたゝかひに入る

ワタなかの島に とよもし来たるアタ つくして来よと セチにし思ふ

オモカゲちて 消えずも。はるかなる若き兵士らは 死なしめゝやも

さ夜ふかく 心しづめて思ふなり。一人々々 みなよく戦はむ

     ※(アステリズム、1-12-94)

兵とある自覚を 深くおのがじしもてとさとして、たかぶり来たる

ナレらが身は 公びとの他あらめや 深くさとして、心しづめ居り

宵早く 道の残雪ハタレの凍て来るに、堪へがたく立ちて 兵をはげます

ウカラびとの深き思ひを 負ふ身なり。ますら雄ごころ ふりおこすべし


別れ来て



別れ来て、勤めに対ふすべなさよ。とほのみ雪 あまり輝く

春畠に菜の葉荒びしほど過ぎて、おもかげに 師をさびしまむとす

東に 雪をかうぶる山なみの はろけき見れば、帰りたまへり

つゝましく 面わやつれてゐたまへば、さびしき日々の 思ほゆるかも

朝けより 彼岸中日空低く、霰のはしる道を 来にけり

人のうへのはかなしごとを しみ/″\と喜び聞きて、師はおはすなり


村田正言を憶ふ



かへり来て、夕日まだある空ひろし。さびしき死にを 思ひやまずも

今はまたく遙かになりし常徳の いくさのさまは、伝ふることなし

一兵卒として 過ぎにけり。よき性の、心を離れず、一日すぎにき

年長く つひに 音なき汝が死は、思ひ見れども さびしかりけり


この日頃 三



春の日の 山にはたらく人音の かゝはりなくて、しづかなりけり

雨ののち 照る日しづけき春の日の空に澄みゆく鳥は、さびしき

朝晴れて 芽ぶきに早きカタ山の 辛夷コブシ一もと 照り出でにけり

     ※(アステリズム、1-12-94)

営庭に 暁起きの肌寒く、兵をたゝせて 点呼を了る

しみ/″\と兵を諭して、うつらざるかたくな心に さびしくなりぬ

五六人の兵を起たしめて、民族のたぎる血しほをもてと 言ひ放つ

明けちの部隊を思ひ、夜ぶかきに ふたゝび目ざめ、ひそけき牀なり


ひそけき思ひ



さ夜ふかく 別れをのぶる顔々の、はれ/″\しきに 思ひしむなり

民族の血のたぎり かく大いなる時ぞとさとして、たゝしめむとす

たゝしめて後 ひそかなる思ひなり。深き夜空を仰ぎつゝ来ぬ

夜半ヨハのほうむを 兵車明々アカヽヽいづるなり。このときめきを 親 知らざらむ

友をたゝしめて 心むなしきに、若者は、烈しき言を 我に告げ来る

幾たびか兵を教へて たゝしめぬ。今年の暑さ すでに 身にしむ

かくばかり 世界全土にすさまじきいくさの果ては、誰か見るべき

たちゆきて なほぞしづけき。大いなる作戦行動近きを おぼゆ

四十ぢ人 歩兵少尉の友一人たちゆきてより、日々を しづけき

知り人の戦死の噂 あひぎて聞え来るなり。ワタのはてより


営外自然



公園の 朝しづけき水の上。花かきつばた 日ごろ咲きつぐ

柿若葉 つら/\照りて、ひた土にかすかに動く朝かげを 踏む

晴れつぎて 目ざめすがしき日ごろなり。朝空高く 鴉なき過ぐ

道のべの草をヒラきて 豆を蒔く児等よ。はげまね。汝が父のため

谷に這ふ葛葉クズバも すでに肥えにけり。しづけき道に 馬をひき出づ

山上の池の湛へに 浮き満てる水藻を見れば、つら/\光る

わが馬の歩みしづけく なりにけり。根を越えつゝ つぎのカヒ見ゆ
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昭和十八年 ――百首――



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家居



兵とゐし去年コゾの思ひのかそけさは、しづかにタギつ朝川の如

年深く にはかに召され立つ人の若々しきを、ねもごろ祝はむ

戦ひにゆかず かへり来て、あわたゞしく年かはりたる思ひの かそけき

朝庭の霜凍て土に 年あけて、こぞより来鳴く 鶯の声

さびしみて 後ほがらかにゐむとすも。睦月明るき庭土の面

戦地よりとくかへり来し若者を 春の客とし、なごみて対す

睦月立つ 四日ヨカのしづけさ。なほ晴るゝ空の深きに、息づかむとす


睦月の海山



たゝかへる春のしづけさ。塩尻より 友をまじへて、木曽谷に入る

乗りつぎて入りゆく山は、雪浅し。夕冷えしるく おぼえゐるなり

クラぐらと 山の空より淡雪のまひつゝ、なほぞ 汽車カヒに入る

みの家むら 山肌 雪浅し。汽車をおりて見おろす 福島の町

山の駅の 夕阪寒く出づる人。宿ある如く たち別れ行く

木曽谷の深きに宿り、朝目よく まむかふ山の冷え 身にひゞく

戦ひの春立つ山の つゝましき日毎おもほゆ。雪の浅きに

湯をいでゝ向ふ山の端の夕空は、山とワカれて いよゝ冴え来ぬ

木曽川の淀みに近くとまる駅。水照り返す朝の しづけさ

明あかと 土に凍てつく雪の色。冬木荒れ立つ山の むなしさ

蒲郡

波の秀のあかり かすかに残るなり。きらめきてりし日を 思ふなり

日の没りの暗き海面に 対きてゐて、睦月しみ/″\ 旅のかそけさ

夜をふかしゐつゝ、おちつくことのよさ。ほてるのとばり閉ぢて 久しき

朝目よく 知多の山なみ晴るゝなり。睦月八日の海遠く凪ぐ

磯山に 凍て土乾くあはれさよ。踏みくづしつゝ ひゞくなりけり

朝の間の 島の社をまかり来し姥三人すぎて、海のあかるさ

正月の 家並みとざせる海の町。人馬ジンバ とらつく 明るくとほる

修善寺

冬水の湛へに深く 棲む鯉の 浮き出で来るを、まもりゐにけり

霜凍ての屋庭を いくつのぼり来て、こゝにひそけき 範頼の墓

湯の村の睦月の道の ものげなさ。頼家の墓に来て もどるなり

乏しらに足へる旅か。妹と夫の 写真を撮るを 見つゝ過ぎたり


風の音



春山の 木ぬれの風を仰ぎ来て、家群ヤムラさびしき田居に くだりぬ

庭さきは 蘇芳 山吹咲き荒れて、峡田明るく 人イソしめり

くぬぎ山。芽房のみどりはろ/″\に、風くだり来る寺の客 なる

芽ぶき山 つらぬきてとほる道の空。編隊つぎ来る 航空機の 音

村口の寺は 素壁の荒びゐて、くぬぎの萌え葉 山をしづむる




おぼほしく 朝けをかすむ峡の空。川上とほく たぎつ水見ゆ

湯の村は 青葉に深き竹の秀の 曇りしづけき朝と なりけり

林泉リンセンミギハに照れる虎杖イタドリは、一もとにして 立ちのしづけさ

水の音 みちて澄み行く庭中は、若竹むらの たゞそよぐなり

春一日 いで湯に来たり、ミムナミじやわへ行く人と すぐすなりけり

峯近く 松にまじれる常磐木の つら/\照りて、日はゆふづきぬ

山道

春の日に一日こもりて 降るなり。夕日にのこる朴の 白花

山岸は うまら うの花咲き乱れ、白じろけぶる雨となりゆく

足柄は 遠嶺の奥になほ晴れて、夕霧 すでにミネに くだりぬ

春一日 曇りとほせる夕海面ニハに、臥してしづけき初シマを 見つも

はろ/″\に 山西の奥ゆ還り来し人を思へど、逢ひがたく居り


青き起伏



暁闇アケグレに いまだ月ある霧の空。夜鳥は木叢ボサにひそみつゝ 鳴く

ほとゝぎすの 真昼しばなく原中は、四方の遠嶺の晴れて、さびしき

演習のとよみ 移りゆきて、山原は 青き起伏キフクにひそまれる昼

浅間嶺をつゝみし雲の 夕近く やゝれし間に、小浅間の出づ

原中の木むらにこもる 百鳥の夕ひと時の声 みちて来ぬ

山高原 夜の色となる靄の底に、まだ鳴きてゐて鳥の しづけさ

鳴きゐたる鳥は静まり、夕靄の下べに冴ゆる 青草のいろ

をちこちの木群コムラのいろのさだまりて、高原ふかき夜霧と なりたり

浅間嶺の夜はのすがたと ひた澄める若者の魂に 我が触りにけり

浅間嶺の夜はを とゞろに霹靂カムトキす。このはげしきを 若人よ。聴け


盛夏



南のむんだの陣の たゝかひのはげしきを感じ、夜はに目ひらく

山道にたち働ける自動車兵の、かひ/″\しきに 心はれ来ぬ

おしだまりて 日中歩み来し山かげに、くさりくねれる紫陽花の はな

身にしみて 山の木草はさやげども、心あそばず 夏ふけにけり

たへがたき土用つゞきの朝起きて、身に近く 人を悼みやまずも
波多郁太郎君死ぬ

死は つひにさびしかりけり。をしめども すべてかひなきものに なりゆく

ほの/″\と 六浦ムツラの浜に立ち別れゆきにし日より 見ずなりにけり

みむなみに 相つぎて国独立す。我がいくさ人の 流血のうへに

重工場 ひけしづまりて、白々と 夕づく道は、山原にとほる

駅ごとに かならずつ兵士 二三人ありつゝとよむ村々を すぐ

墓原の盆夕時を人むれて しづけき村を、汽車に見下す

筑紫より帰還兵一人のぼり来て、いふ挨拶の 何ぞしづけき

若人の ことばとぎれは、ながかりし転戦のさまを 思ふなるらし

いやはてに昭南島ゆ かへり来し兵士を迎へ、ねぎらひもなし

必しも全きことのみ願はねば、還りし汝よ。語りくらさね

     ※(アステリズム、1-12-94)

さ夜ふかく 月 ※(「木+晃」、第3水準1-85-91)クワウをさす明るさに、目ざめて思ふことの はげしき

虫のねの さすがに 夏のふけゆけば、いよゝしづけく たゝかひ身に沁む

湘南

騒然と とらつく過ぐる道の空。鳶のとほ音の 海よりに澄む

かすみつゝひより定る夏山の 空に舞ひ澄む鳶の はるけさ

一つ橋

町の空地クウチに 草のそよぐが目にたちて、夕照りながきひた土の おも

町中の 夕照り強き橋のうへ。すぎつゝひゞく 自動車のおと


若き人々



若くして征かむ学徒の ひとり/\に、いたはれよ 身をと 言ひたかりけり

学校をいでて たゞちにたちむかふいくさのにはを 思ふなるらし

かへりみて がさびしさを言ふなかれ。若きをたのみ 国は戦ふ

航空隊に入ると昂奮キホへる 若者のコトたゞしきは、涙ぐましも

身にかけて 国の危きをなげき居るこの若き者も 親を思へり

親ありて言ひおこすことのふし/″\の、オクれたるをも 若きは嘆く


春寒し



人知れぬ怒りをもちて かへり来ぬ。若きがゆゑに ゆるし難しも

人を さげすみて来し 道の空。桜を見れば、さびしまむとす

あか/\と 炎たちゆく庭芝の 底にしばらく むらを たもつ


再、出でたつ



召され来て 五日ことなき起き臥しに、伊太利降伏の報道を 聞く

大君は 我をふたゝび召し給ふ。歩兵少尉の かずならねども

ふたゝびを召され来たりて、我を知るよき兵士らに 親しみにけり

若々しき将兵 多くたちゆきて、日毎秋づく兵舎に わが居り

わが馬のうしろにつゞき 兵がひく馬 馬、ひづめの音高く来る

叢を馬に喰ませてうちむかふ 空の奥処オクガの山の しづけさ

山岸の葛葉の垂りの さは/\に、ひきつゝ 馬の 口やめずはむ

秋山は あまりしづけく晴るゝなり。家さかり来て 兵と起き臥す

かの若き兵らも すでに 南の基地に至りぬと聞けど かそけき

とほ/″\し 峡の奥処オクガに晴るゝ山 見けつゝ入る道の、ひそけさ

公園の木立ちをぬけて わが通ふ道は、日暮れの 早くなりたり

病棟の 宵の点呼の やみてのち、空は すぎゆく風の むなしさ

雨ののち 砂の流れのこまやかに、朝冷えゐる日ざしを 歩む

     ※(アステリズム、1-12-94)

子がいくさ かくひたぶるにありけりと、我にきかしめ、しづけかるらし

死にゆける若き命の敬虔オギロなり。かくひたぶるに 国はたゝかふ

いさましき空の軍を たのむなり。この家をいでて 子はすでに死す
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昭和十七年 ――百四十一首――



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兵と起居す



年暮るゝほど

さ夜ふかく ひろき厩のひそけきに、たまさか立つる 馬の脚おと

寒々と 睡り眼に並び立つ馬は 起き居りて、鼻ヅラをよす

立ちならぶ兵舎につもる淡雪の さえ/″\照れる 月読ツクヨミを見つ

営舎にこもる

年明けて大き戦果のとよみ来る 汐路のはてに、出でたゝむとす

日ねもすに 霙のたまる営庭ニハ寒し。見つゝすべなさ。睦月ついたち

たまさかに 靴音たちて、水に浮く霰の色の さびしかりけり

さ夜ふかく 暗き厩の風とほる土間に立ちゐて、報告を受く

坐らせて 家のたつきを言はしめて、この若き兵を いかにすべけむ

雪朝の明けれ 冴ゆる窓のした。凍て雪を踏む兵の 靴音

戦ひの捷ちのとよみも 聞きがたく、雪空低き兵舎に こもる

暁の暗き空より 群れ下る鴉は、いまだ鳴かず。しづけき

松の梢 ひた吹きおろす雪風の、白じろけぶり 明けのひそけき
まにら 落つ

水漬ミヅきつゝ 夕日さし来も。日ねもすに 霙ふりたまる兵営の庭

いち早く まにら陥落を告げ来たる兵を起たしめ、なごみ来る 心

夕空

夕霽るゝ睦月四日の炊事場の 湯気ほの/″\と 兵つゞき出づ

庭の面に 雪の水の澄み来たる 夕早く湯を出でて、歩むも

さ夜ふかき暖炉によりて、とよみ来る木ぬれの風のやむが むなしさ

戦死者の家

正月の二日の町の ひそかなる朝け 雪踏みて、行軍にいづ

正月の村に入り来て、雪ごもる家に昼食ヒル乞ふ。兵士と われと

戦死者の家に 昼食ヒル喰ひ、つゝましく語る媼に向きて さびしき

春近し

雪のうへに 音しみらなる雪どけの 日ねもす落ちて、木々のしづけさ

雪のうへに あたる日ざしのしづかなる山にのぼりて、兵をあそばす

昼ふかき弾薬庫の土堤のうへに、雪踏みうつる歩哨の 足おと

たぎり立つ汁に浮く菜の たのしさに、我をかこむべく 兵を呼び集む

雪ふかき兵舎にかへり、午前二時 馬の点検を きびしく命ず

雪晴れの 街の屋並みのかゞやきて、昼風とほる 本丸のうへ

感ずるものあり

たまさかに 雪にうごめく兵のかげ。配備を終へて 時の久しさ

雪高き民家の軒に、夜をとほし 炭火をあげて、兵らタムロ

雪のうへに 部隊到著の時を待つ。夜はしく/\に みて来るなり

我が前の馬の歩みの たど/\し。雪夜凍てつく道を 遠く来て

わが正名マサナと 血液型を刻みたる認識票を受く。この夜くだちに

思ひ見て言ふこともなし。遺髪 遺爪 寂しからぬにあらず。兵にはたりて

久しくてのめる支那茶の、かをりたつ夜半の思ひの かそけかりけり

三日にわたりて、東京より「愛国歌」放送講演あり。

さかりつゝ 久しとぞ思ふ。暁のらぢお声 われは聞き了へぬ

     ※(アステリズム、1-12-94)

笹の葉にしづるゝ雪の こだまする村深く入りて、駄馬を繋がしむ

戦場にゆかせよと 我に言ひすがる若者にむきて、何とすべけむ

遠ざかり居て、にはかに思ふ 人のうへ。かくさびしきは 兵に告げがたし

明けれの道に追ひこす橇のうへに、葱の高荷の凍みつける いろ

村口の 噴き井の水の音澄める暁寒く、雪に踏み入る

よび入れて 親の危篤を兵に告げ、のちつく/″\と 夜はを覚め居り

寒き夜を 兵隊ひとり呼び据ゑて、さびしけれども 親の訃を告ぐ

ひた心さびしくあらむ。若ければ、いそしむ兵の かなしかりけり

戦ひにたゝしめし子を いきの緒に頼みし親は、死にゝけむかも

大きこのみいくさ人と いで征つを思へと言ひて、兵を慰む

天つ空 悠々ウラヽヽ昏れて、聞きのよさ。じやわ海戦の戦果の とよみ

満洲国十年祭の夕早く 戦果を告ぐる言の よろしさ

     ※(アステリズム、1-12-94)

遠ざかりゐて 思ふさぶしさ。若者のたはやすき死を あやぶみにけり

わがはたち はるかなるかも。若者の、かの若さゆゑ 死ぬべきものか

はな/″\しき幾千の死に 比ぶべくあらざる死にを さびしみやまず

おのづからまじはりうとくなりゆきて すぎにし人の、あまりひそけき

大戦果あひつぎ到る春寒し。かくひそかなる死をぞ さびしむ

山かげは いまだ雪あるしづけさよ。屋敷をひろく住む家の よさ

この一日 山の斑雪ハタレを踏み来つる心しづけく 夜をおきて居む


病院にて



病院の広き廊下に いで歩む兵 おのも/\思ふなるべし

安らかに若き寝息の おのづからこもる兵舎に、月さして来ぬ

夜間演習を終へてかへれる部隊ならむ。月夜さやかに おこる人ごゑ

石廊下の暗きに 兵を呼び集め、わが言ふことの なごみ来むとす

兵らいねて、町のとよみのなほつたふ月夜しづけし。兵営のそら

ひとり/\ わが隊の兵の病状を 言はせつゝ来て、すべもなかりき

寒々と 五月サツキ水田ミヅタにかたよりて、あをみどろ浮き 雨到るなり

朝曇り 水田のをちに群りて黄なるは、なべて 野菖蒲のはな

寂かなる村の朝けか。道のべの門田にうつる 野菖蒲の花

山の背に 朝日かゞやき しづけきに、草の葉そよぐ道は 冷えたり

よべは満ちて鳴きし田蛙。この朝け みなひそむらし。こもり音二つ

自転車を道に片寄せ 入りゆきしが、たゞちに 早苗植ゑはじめたり

山腹の 孟宗藪を掘る人の 二人ひそけき道の明るさ

かたよりに 遺族にまじり坐りゐて、われはたちまち さびしくなりぬ

田がへるの鳴きこもる道 村に入りて、椿の花の 夕昏み来ぬ

うつ/\に わが臥す夜はの砂の上に、月夜寂けきものゝこゑ たつ

明あかと うつぎの花のしづまりて、山をとよもす 松蝉のこゑ

みなぎらふ 水田のをちの手取川。日中暑けく ひたかすむなり

にぎ/″\し。子らが遊びの昼けて、垣にあふるゝ 野いばらの花


兵と別る



夜はの汗 肌におちつくあぢきなさ。対空射撃に出て、二夜トホさむとす

若々と 幾百の兵帰郷カヘりゆく営庭ニハにのぞみて、思ひ正しき

帰郷する兵らを 送り出しやり、営門を入る。この朝 しづかに

道の上に わがふむ靴の音ひそめ、別れて来ぬる兵をぞ 思ふ

     ※(アステリズム、1-12-94)

かへり来て、町のよすぎのひそかなるを マサ目に見つゝ 堪へむ心なり

兵士みな よきなりはひにかへるらし、告げ来る文の、さびしきもなし

     ※(アステリズム、1-12-94)

目にたちて 一つ吹かるゝ初花の、日向明るき庭の 萩むら

昼時に 働き人の去にしより、山は、そよぎの音 澄みて来ぬ

     ※(アステリズム、1-12-94)

にぎはしき兵営を出でて、まさに わが帰らむ家を 思ひみにけり

若者の純情と 個々の利己心と交錯し、時に 我をさびします

涙ぐましきほど 単純無垢の兵士なり。わが言ふまゝにふるまふ 愛しさ

相共にみ冬日ながく鍛へ来し 兵らと別れ、日頃すぎゆく

海越しの暑き山路か。小半日 うぐひすをすら聞かぬ 苦しさ

兵営よりかへり来たりて、しみ/″\と籠るを欲りす。とりとめもなく

大君のトモ隼雄ハヤヲと はやりたる去年の思ひの、よみがへり来も

夏かげをおとすことなき山に対きて、あまり明るき昼のさびしさ

真向ひに見下す原は、昼暑く すべなくそよぐ 高萱の照り

鳥が音の あまりさびしき山なれば、真昼をつかれ 我が居たりけり

たゞ一木 大き雑木の傾ける山の端ふかく 鳥は越えたり

夜はの霧 ふもとにコヾり、冴え/″\と 月たかまりぬ。山の端の空

さびしきに我あらねども、ひそかに よく戦ひて果てむと 願ひき

かへり来て 籠りゐしづけきわが家に、つぎて やすけき兵の文を受く

     ※(アステリズム、1-12-94)

砂ふゞき苦しかりけり。暁闇アケグレに 銃座を掘るも。うづくまりゐて

わが機銃を屋上に据ゑて、警戒下の町ひしめける宵を 見下す

わが機銃の とゞろく時を思ひつゝ、仰ぐ星空の 深くしづけき

警備の機銃を据ゑて おちつくに、遠山なみの夜空 しづけき

弾薬箱 釘を抜かしめて、どつしりと 銃側に据う。敵機を待てば

敵一機 琵琶湖東岸を北上すとまさに受信し、哨兵に告ぐ

ひと時 階下戸ざすを聞きてより、夕凪ぎ久し。銃に照りつゝ

警備する屋上の朝おし開き 何ぞはなやぐ。処女らのこゑ

屋上に機銃を据ゑて、夜を徹す。月夜の遠嶺 幾重 しづけき

屋上に 莚をのべて仮眠する兵をわが見れば、疲れたりけり

こんくりいとに 兵ら仮眠す。夜半すぎて、月の光りは照りにけるかも

     ※(アステリズム、1-12-94)

火薬庫歩哨巡察より かへり来て、明け暗がりの営門を入る

歩哨巡察を了へて、夜ぶかく まどろみしほどに、鴉を聞きぬ

火薬庫の叢かげゆ 走り出て、我にひたむかふ歩哨に 対す

報告を了へて 任務にうつりたる歩哨は、草の闇に かくれぬ

火薬庫の昼を しみらに照れる草。くさむらの秀に 歩哨は移る

巡察におもむく夜はの舗装路に、投げすてし如 犬眠るなり

警防団詰所のみともる灯のもとに 二人ゐねむる闇を かへりぬ

火薬庫の 堤の高草に踏み入りて、川筋光る町を 見にけり

川の向うの闇の遠きに 町見えて、こゝの高萱月さし初めつ


そよぐ秋



朝おそき山に目ざめて、百鳥のさやぐを聞けば、秋ぞ身に沁む

山々はひたすらに 昼ひそまりて、尾根ヲネ明あかと 湖にさがる

穂薄のなびく山原。鳴く山羊のこゑは、みじかく風に消えゆく

穂すゝきのなびく穂波と 山の端に移れる雲と、白く照りつゝ

夏荒れの日ごろをすぎて、萩 薄咲きほけにけり。山のさびしさ

道もに石を砕きて 敷きしまゝ時へて荒び、秋の山さびし

日のゆふべ 山原寒し。片照りの木むらに群るゝ ※(「けものへん+臈のつくり」、第3水準1-87-81)子鳥アトリのさやぎ

富士が嶺に 夕だち雲の移りゆく光りは 消えて、風冷ゆるなり

日ねもすに 高き白雲のひそまりて、ひろごりしまゝ 夜となりにけり

     ※(アステリズム、1-12-94)

秋ふかく 山に入り来て、みいくさの いよゝ身に沁む思ひに 起き臥す

たとへば 塵芥のごとく蹈み拉ぐ ツテごとよろし。国興るとき

明らかに見し一機あり。敵艦の燃ゆるなかに 翔け入る僚機を

大き戦果に替へし我が損害の 軽微といふも、きくに堪へめや

たゝかひのにうすを告ぐる朝のこゑ 軽々しきを 心おそるゝ

ひとり/″\ よき戦場に死にゆける人を、思へどくやしかりけり

郊外

村の辻 石屋のあるじ 馬のりに 大き墓石を砥ぎすますなり


はげしき年



いちじるしき一年の歴史 霜ふかき師走八日の空 甚大オギロなし

とぼしくて心イソしき村人の 若きはすべて、知識を欲りす

この子らや。父を征かせて、さびしさに馴れたる如し。よく遊ぶなり

老いはらから おの/\召され、たゝかひの激しき時を、かへり来にけり

町ぞらの霜月 師走かく澄みて のどけき日々を、つゝしみ暮す

時雨日の山の祭りは思へども、飛騨の古町 訪はず来にけり


泉石



あぢさゐの黄葉の むらだつ朝じめり なかばは落ちて、日に透るいろ

しみ/″\と 冬木の立ちの明るくて、池のもみぢの散るが ひそけき

ひとゝころ残る楓のくれなゐは、見る/\散りて、なほぞ照りつゝ

町なかに 庭ふか/″\と作りたり。こゝにいましし貴人ウマビトを思ふ

朝じめり、大き庭石を蹈み来つゝ たちまちひゞく 冬水の音
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昭和十六年 ――百二十七首――



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正月



年の夜 旅より戻り、床の間に 冷え/″\と据う。南天のかめ

みちのくの雪の山より かへり来し心つゝましく、年の夜をゐる

おしつまりて 旅に出で立つ年どしのくらしをかへず ありてしづけき

元日も 二日も 人を見ず昏れて、風邪ひきこもることの よろしき

我よりもかなしきことを 多くもつ二家族を身に近く さびしむ

正月の三日のあした 風邪ごゝちやゝおちつけば、おきいでにけり


春神楽



睦月の山 四方に照りつゝ 柑子の色 鳶のかけりも 見すぎかてにす

暁闇アケグレの汽車より見えて、睦月たつ道に吹かるゝ門松の 笹

水霜の朝田の土に 鍬ふかくうちおろしたる人を見て 過ぐ

水霜にぬれてかゞやく朝の山。こぞのもみぢの低く残れり

あたゝかき睦月の道に、白じろと 毛ばかり散れる※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の かげ

舞人の 四つの立て鉾。さや/\に 舞ひそろふ時 おほ太鼓うつ

ふり仰ぐ杉の木ぬれにあがる火の ほむらは高く、白じろと消ゆ

神楽の燎火ニハビ火気ホケの 白みつゝ 風いづる音は、さ夜深きなり

天龍を渡りて、たちまち家一つ 二つと、むら道の上に出づ

夕早く昏るゝ山ホド。燈をつけてねりのぼり来る御神楽のレツ

ねり太鼓とゞろにうつが、ひゞくなり。夕日さびしき 岩角の道

御神楽のねりゆく山も 昏み来て、級田シナダの氷光りつ 見ゆ

あか/\と 燎火ニハビは燃ゆる。大木クイボタの株どつしりと 燃え盛るなり

みだりがはしき歌声しづめ、鈴高く さしかざしつゝ 子ら舞ひいでぬ

ひつそりと 暁の気深き倦み心。獅子も 翁もいでて ノチなる


強羅



ふり仰ぐ木ぬれにかへす昼の光り 明るかりけり。冬山を来て

ひたくだりに 根雪の道をふみ下り、谷に澄み来るせきれいの声

冬山の斑雪ハタレかゞやく朝の間を、たちまち過ぐる風の きびしさ

睦月空 山の起き伏しつばらかに ひたしづけくて、朝はれにけり

朝じめり深くおよびて 日さし来ぬ。谷をうづむる冬木の木ぬれ

東の海の空よりうつり来し 雲はしづかに 山にかゝりぬ

冬山の 雑木にまじるハタら雪。朝の日ざしの、まねくおよびぬ

朝山に あひてすぎたるイモの よすぎを思ひ、暫し歩みぬ

日曜の夜

枯れ芝の庭に明れる月読を 見つゝとざして、幾ほどもなし

寒の空 うすく曇りて、月読は高くわたれり。街空の上に

日曜の昼より坐り あぢきなし。夜はにぞひゞく 空のもの音

さ夜中に 湯をたぎらして おちつけば、今宵はふかくねむらむと思ふ


伊良虞



伊良虞岬イラコザキ 目下にとよむ波の音の すみゆく時を、惜しみゐるなり

あか/\と 風吹きとほる昼の空。試砲射撃の ひたすらとゞろく

船一つ 真下の波にたゆたひて、浦ごもり 居り。日なか明るく

岬の道 我ひとりゆくと思ひ来し磯に屈める媼に 近よる

岬山の 巌にあたる風ありて、冬日しみらに 聞きのかそけさ

浜高きなだりに照れる沙原に、吹きうもれたる 人の足あと

島畠の風よけ椿 咲きむれて、明るき道を 海におり行く

真向ひに近き神島。この岬ゆ 海礁ハヘ三つ越えて、大き岩群

神島のそがひに 晴るゝ志摩の国。山なみながく 海に出でたり

風の中に 春山畠をうちくらす ひとり/″\を見つゝ すぎ来ぬ

山岸に 朝けかゞやく屋敷墓。海を見下し むらひそめる

風とよむ 朝山畑を たつ鳶の近き羽ぶきを聞きて ひそけき

島山の道より低き松の梢。照りしみらなる 海のひた青

道尽きて 磯よく見ゆるところなり。神の古木コボクは 高く光れり

日出ヒイの浦 伊良虞に越ゆる磯高く、道おのづから 松山に入る

岬山を越えつゝ 道は岩ごもり、枯れ葦むらのそよぎを 聞きとむ

目下マナシタの 潮のしぶき高ければ、波がくりつゝ とよむ岩牀

いこひつゝ 昼凪ぎ晴るゝ岬山の冬草むらは そよぎすみゆく

岩牀に 松のおち葉の乾きたる道ふかくふみて 磯におりたり

ひた下る 沙原スナハラのさきの岩むらに 姥ひとりゐて、波の明るさ

青海に 答志タフシ 菅島スガシマつばらなり。昼波白く しぶきつゝ見ゆ

昼晴れて 木むら光れり。神島のシリへに低き 答志 菅島

遠山並み晴れて、さし出づる国のは、波切ナキリの崎の見ゆるにか あらむ

汗かきて越ゆる沙原。明あかと照る神島を かへりみにけり

波の音 とほくすみつゝ、松山の冬日明るく 神いますなり

磯山の日ざし明るきに、「伊勢両宮 大神拝所」ひそかなりけり

崎山の 海風とよむ昼の空。鳶のかけりもなれて 仰がず

伊良虞の村 日中の辻にばす待ちて、あそびさびしき子らを 見てをり

風かげの沙山畑に むらがれる鴉は、ひそと 照りてゐるなり

ひたすらに 昼風明るき島山は、麦のそよぎ 丘を越えゆく


鎌倉



きり岸に コボれ仏を並べたるところ明るく、風にまむかふ

光りつゝ ハヘにむれつく海鴎ウミネコの 一羽も鳴かぬ音の 立ち来も

風かげに しみらに照れる松の幹。春海の音 幹をゆるらし

ほてるに降る松むら、日だまりに かたより遊ぶ。町の子 村の子

芝の上に こゑあぐるなり。二人の 金髪 空に吹かれて輝く

堂の屋根 あたる夕日の明るきに、鳩ゐてたつる羽音の しづけき

こもりつゝ夕鳥とよむ松の梢。寺山空の ふかく映え来ぬ

郊外

丘の上は 葉黄ミドリしづけき松の梢。空の曇りとワカれて つゞく

草むらは 萱の葉風の音はげし。羽虫むれつゝ 吹かれゐるなり

草枯れの日ざしこほしき 道の上に 灰塚を吹く風の 明るさ


吉野



道の上に 生木白じろこづみたる村は しづけき山の 西おもて

御陵山ミハカヤマ 水際ミギハ夕づく色 深し。一日しづけき歩みのノチ

入り立ちて ツチ塀ひくき川原寺。菜の花むらのひろき 夕闇

蔵王堂ザワウダウ 甍のそりのおも/\に 照りひそまれり。花のもなかに

山の背に つゞきかゞやく吉野の町。屋根も 甍も 花の中なる

うちつゞく花むら ひたに明るなり。花見びとしるくへりて、夕づく

花あかり ほのにまだある谷の上。吉水院の庭に 入り立つ

塔の尾の御陵ミハカの山の 夕花のしづけき 見れば、音だにもせよ

花あかり いまだほのめく道の上。尾根をはなるゝ月に 対き居り

かすみつゝ 一日晴れたる山の空。月すでに明く桜を照らす

むら/\と見えて しづけき花の梢。夕闇 木々の上に ひろごる

しろ/″\と 花むらちて昏れわたる中千本の谷に おりむとす

まれ/\に 道のぼり来る声きこゆ。花ををしみて 人も居るらし

暗み来し中千本の花の谷。夕道白く 如意輪寺に のぼる

つぎ/\に 杉の梢に出でて来て 朝谷かける鳶を 見てをり

冷え/″\と 朝けくろずむ木々深し。谷の桜に、いまだ日さゝず


北近江



塩津の浦。夕凪ぎ空をわたり来し鳥はたちまち 山にひそめり

木叢ボサごもりに 見下し深き余吾ヨゴの湖。このしづけさは 安からなくに

里あれば かならず花の夕あかり 見えてしづけし。湖沿ひをゆく

阪昏れて、見おろし深き湖のおもて。たゞ一つ 舟の 浮びゐるなり


兄を召す



雨多く 夏更けにけり。日の曇り かつ/″\そよぐ稲の 短き

にはかに征ちゆきて 兄ははろけきに、二十日がほどを 雨多く すぐ

田も 川も 水荒れの痕いちじるしく、汽車 海沿ひとなりて来にけり

軒ふかくとざす夜霧に 灯す山。更けてます/\ 虫のいで来つ

高萱原 霧は 山べにかたよりて、たちまち晴るゝ山の 朝雨

雨ひと日降りて夕づく山原に、傘さして出で 霧を見て居り

夏木ぬれ しづまる山の谷間より、霧あたゝかく 嶺にのぼりつゝ

山風のとゞろきすぎて、高萱のそよぎかそけき 夜更けとなりつ

雨の中 霧おしのぼる山の空 ふかくとゞろくライのうつろさ

戸を閉して 家居ちりぼふ山原に、甍ぬれゆく雨の さびしさ


演習勤務



道のべの草葉の雨の、冷え/″\と晴れて 秋づくゆふべ 明るし

寺山の松の古木の 梢ふかく秋空冴ゆる 大名の墓

沙浜の闇にうち臥し 待機すと かつ/″\ 我のねむりけらしも

とゞろきて 闇にひた撃つ機関銃の火口クワコウにとべるちぎれ草の いろ

若ければ きびしかりけり。声はりて 指揮をぞならふ 兵のヌカの 汗

偽装せるエンジユの枝の しろ/″\と、汗をとほす背に からびつきたり

いくたびも来つゝ しづけき射的場の穂薄 すでにほゝけそめたり

月読の光りの下の水すまし しづけきを見て、かへり来にけり


庭苔



吹き降りの朝を出で来て、夕おそく 南はつかに青む 町ぞら

宵おそく 帰るわが家は、姥ひとり寒けく出でて あくぶ その声

帰り来れば、うつけオミナの迎へつゝ 戸をくる習ひ すべなかりけり

夜もしるく 花芽つぶだつ沈丁花の 冬葉の張りに触りて 入り来ぬ

庭苔の日ざしを移る蟇の子が 鳴く音かすかに 風の中なる

家姥をいだしやりたるながき日を 聞きやすらぎぬ。昼風の音

かゝなへて 霜月くるゝ庭もみぢの、緑と 深く色わかれ来も

坐りゐて 庭にうす日のさし来るを すがしと見つゝ 疑はむとす

このまゝに つことを思ひみて、しみ/″\と居り。庭の秋雨

これの世にツヽしみ生きて、赴かむ戦のさまを つぶさに思ふ

国興るしたゑましさよ。学生の若ききほひを見つゝ 思ほゆ

山かげは 日ざしとほりて、道の空。光りの如く 羽虫ながるゝ

幾百の若者の歩調おこる時、ひきしまり来るカナしさ堪へず

防空演習

庭萩の梢ひそまる 月読の夜はを 戸ざして、いくほどもなし

寒ざむと 光りをおぼゆ。暁闇アケグレに 萩のそよぎの 色たちて見ゆ

町空の とよみ来たるを思ひつゝ 寝がたちをかへて ねむらむとする
[#改丁]
[#ページの左右中央]


昭和十五年 ――百二十八首――



[#改丁]

別所



昼たけて 山原をゆく汽車のに 谷深くカヘ水照ミヅテりの色

昼ふかき山の光りの しづけくて、遠嶺の腹に 町かゞやけり

昼の雲 遠嶺の空にしづまりて、山の木原にみなぎる光り

真昼日の光りしづけき山の町。雪よけ垣を高く組みたり

夕山の日なたにあそぶむら鳥の 声とよむなり。寺をいでつゝ

アケしるく凍てゝ晴れたり。峡のおく、日ざしはおよぶ。村山のうへに

湯の村は 日ねもす寒し。汚れたる雪掃きよせて 芥の如し

霜凍ての朝けの田居に 人居りて、湯川の水を くみつゝのぼる

霜凍ての 田居にとよめる子らの声。日中しづけく 委曲ツバらに聞ゆ

凍て雪の坂ののぼりに、鞍高く乗り来る人の馬を すぐしつ


馬込 大森



町中の馬場のほこりに むれあそび、子ら声あぐる 七草もすぎ

この寺や、南面に 清らけく墓をかこみて、夕づきにけり

切りくづす崖かたつきに、作事場の男の子飯焚く。寒き夕日に

くると・まいすなあの門標うてる裏町に 出で来しことも 久しかりけり

夕日さす坂のかしらに あらはれて、それ行きにけり。自動車の影


母 その一



ゐろりべに うづくまりゐて、げに今は おほはゝに似て 老い給ふ母

常臥しに はたとせすぎし子をおきて 死に行くことを 思ひ給はむ

若くして死にたる姉のひとり子の いくさにあるは、母に聞かさず

姉 父も おほはゝも逝きて、かしのみのひとりさびしく 母老いたまふ

うれ高き松の冬空にみぞれ来て、み空はさびし。砂山の墓

砂山の みオヤの墓に詣で来て、たらちねの老い 身にしみにけり

わたつみの冬波にごる西面に、さむ/″\とよる鵜の鳥の 群れ


春たつ



モンの 土に凍てつく雪の上に、散りのこりたる節分の豆

よべ一夜汽車に疲れて、帰りつく門べの土は 凍てゝひゞきぬ

さびしさを 人に告げねば、朝の道に 足うら痛く歩みて居たり


三河の山



北設楽郡田峰ダミネ田楽祭りに詣づ

月よみの モチの光りの明るくて、人ごゑのぼる。観音の阪

田楽をつかふる夜山 更けたれば、堂にこもれり。月夜の人ごゑ

黒駒の役は さびしも。いなゝきて、ひきいだされぬ。敷き薦のうへ

山の祭りにかゝはりもなく まじりゐて、ひたすらに 我 人を憎めり

若ければ、火ぶせの舞ひの 榾の火をゑはらゝかし、たのしかるらし

     ※(アステリズム、1-12-94)

湖の山 すべて冬なる空ふかし。飛行機ひとつ光りつゝ ゆく

湖のをち、東に低き山なみの ながきたわより 月明り出づ


黒川能



海沿ひに 見つゝすぎゆく春の村。人まれに出でて 明るかりけり

春ふかき入り江の駅の 一もとの桜のさかり見つゝ すぎにき

晴れとほる汽車の窓より、渚藻の しづく見えつゝ、日はたけにけり

海沿ひに いよ/\深し。みちのおく山青垣の ママとなりぬ

村の海庭にはてゐる船の帆の光り、見つゝ遠来し国の 明るさ

ほの/″\と 四方は萌えたつ春の山。かく国ふかく入り来たりけり

雪いまだ山にのこりて しづかなる村の社の春能ハルナウを 見つ

宮のうち 寒き畳のあぢきなし。能はてゝ 広き舞台の光り

日面ヒオモテの宮山うらは たらの芽の太くたけつゝ、紫だちぬ

明るくて、青葉 雨沁む 祭り日の 村のもなかに ひゞく川おと

ひと日を晴れて 風寒し。能はてゝ、夕山かすむ村を まかりぬ

日は ふかく西山の端にかたよりて、田の原はろに 昏れ来たるなり


母 その二



死に近き母の病ひにひたむかふ 汽車を埋むる 夜はのふか雪

雪昏るゝ土間に入り来し 墓掘りの村人のこゑを、部屋に聞き居り

屋根の雪道につゞきて、母の喪に来しふる里は 大雪ふれり

通夜明けの 軒にとゞきて積む雪の 暗きに向きて、疲れゐにけり

すが/\と 晴れ著にいませまつれども、夜はの柩に はかなきものを

白じろとあるが さびしも。土深き母の柩を 見おろす。我は

一握りの土をこぼしぬ。み柩のこの老い母に せしこともなし

わが手より はらゝに落つる黒き土、おちて音たつ。真白き柩に

遠くゐて、老いたらちねにかゝはりし 我のなげきも なくなりにけり

かたくなに 古きおきてをまもりたる たらちねも 今は亡き家にして


風雨の山



近々と 流るゝ霧のいちじるし。ひたすら青き茅原カヤフに しぶく

夏山のあらしの中に とほ/″\し。霧ごもり鳴く昼※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の こゑ

しとゞなる青茅原に みなぎりて、霧はたちまち 谷をのぼりぬ

山風の 霧吹き散らす昼なれば、遠茅伏して 鳥すらもゐず

もつのるあらしのとよみ、ほと/\にすべなき山に、三日すぎゆく

昼おそく 時の間あかる山の端の空の青きを われは見出でぬ

たまさかに晴ると思ふも はかなくて、あらしとゞろく山に こもるも

つのりつゝ 五日をとほす山あれの晴れ来る日ざしを こほしみて居り

しろ/″\と 山をつゝみぬ。高萱の原おしのぼる深霧の いろ

あぢさゐの壺なる花に 一つゐる蝿をにくめり。雨くらき部屋

ながかりし山のあらしの 晴れしより、み湯のたゝへは いよゝ澄み行く

かたかりし山のあやめは、花瓶に二つ開けり。一つは なかば

山あれて、とざせる部屋に、昼すぎて 壺のあやめはすべて開きぬ


夏山



湖尻の峠を下る霧のの 白じろ見えて、原をこめ来ぬ

出づる湯の林の道を 杖つきて出で来し姥は、一人にあらず

山中は 川牀荒れて、夏草の群生ムラフのうへに映ゆる日の いろ

原中の まれにしづけき風の音。我がつれ人の、道におくるゝ

原中の屋庭の小川 水すみて、桶にあふるゝ なでしこの花

山腹を 見る/\のぼる朝の霧。萱原カヤフ明るく 道とほり見ゆ

萱原に馬をたゝせて、すゝき刈る人まだ見えて、霧のなかなる

ふりむけば、積み荷の下に歩む馬。ゆるゝ青萱 馬の脚おと

山の秀の空すみ来たる西おもて 夕日あらはに、岩なだれたり

草むらの闇は 冷え来て、しば/\も 夜ごゑの鳥の 鳴きひそむなり

うちいでて、朝けすゞしき風のなか。秋草原に、花をもとむる

高原は空遠く晴れて、山のの積雲 ふかく光りをふくむ

草原は 風のたちゆく音すみて、かたまりうごく ぎぼうしゆの花

深良ゴエ 山の背低くわく 霧は、タダチに湖の面にさがる

山かげに 水門をる家の庭。おりたちて蹈む音こもるなり

     ※(アステリズム、1-12-94)

かたくなに言ひつのりしが、死にゆけば はた清らなるサガよみがへる

兄の家に 病み苦しみて、日ながきに 妻子メコを近づけ、ひたまもりけむ

病床に よみがへり来る時の間も、人を憎みつゝ 死にゆきにけむ


母 その三



母の喪にかへりし家の 軒暗く雪に埋れて 人はこもれり

今は またく日昏れとなりぬ。砂山の母が墓べゆ 遠き風おと

雪深くはふりし母を、春 夏と思ひすぐして、秋風だちぬ

母ゆきて、おのもおちつく心なり。はらからの文 うとくなり来ぬ

ある時は 人を憎まむ心なり。しみ/″\と 母のいたまれて来も

母をおくり かくてよろしと思ふには、悔い多くして 我をせめやまず

ある時は 母の姿の よわ/\とよみがへり来て、我はさびしも

なごみつゝ 心さびしき時多し。母をはふりて 家いでしより

わがさかり さびしきことの多きにも かくあらたまる御代の はげしさ

わが母のニヒ盆すぎて、かへり来し家に すべなく 人とあひつゝ

大きなる父の墓石に 並びたる母のみ墓の新しき、あはれ

はふりどに 我がふむ砂のくづれつゝ、秋澄みにけり。ふるさとの山

ひそやかに 母をとぶらひ、去なむとす。村をはゞかることもあらなくに

母すでにいまさぬ家に かへり来て、夕日かゞやく海に いで来ぬ

ふるさとの広き座敷に ひとり寝し夜更けてのぼる月の 明るさ

母の亡きのちも 病みつゝやすけきか。らぢおをかけて 兄はねむれり

沙山の墓松林 夕づきて、ひと日なぎたる 秋の海見ゆ

盆すぎて 蕨青葉のひろごれる母のみ墓に ひとり来たりぬ

村山も 里も 雑草アラクサ高くして、秋さびまさる家にかへりぬ

杉苔のみどり冴え来る昼の庭。父母フボの代 とほく思ほゆるなり

今ははた遠き思ひの ふるさとの家は荒れつゝ、兄の子とよむ


神無月



夕潮は すでにあげたり。町裏の 照りよどめる春波の昏れ

印旛沼

村なかの高き屋庭にあたる日の 昼あたゝかし。子らあそぶなり

成田サン 人みちあそぶ寺庭のらぢおにおこり 古靱のこゑ

海道を 道をれて来しきり岸の小松がうれに たち来る夕かげ

立ち枯るゝウミべのすゝき 夕ふかく見のさびしもよ。風わたりつゝ

さむ/″\し。刈り田の上をゆきし鷺、松のみどりに ふかく入りたり


霜月空



足柄のを峯をうつりゆく雲の影はしづけく、夕づきにけり

夕さびし。穂萱をわたる風みえて、山のもみぢは 霜すでに到る

萱原は 冬がれ深くそよぐなり。夕日をまほに 家ひとつ見ゆ

湖尻の 遠山昏く日はおちて、夕空いよゝ 冴えのこるなり

くろ/″\と 山並みよろふ月あかりに、富士たゞ一つ かすみたるかも

天の原 月高くすみて、更けにけり。夜風さわだつ山と なりつゝ

ふけ行けば、夜山 明るき月の原。とほ山々の立ち しづかなる

いちじるく寒さつのりて 晴るゝなり。山の光りは 巌より到る

見のさかりすぎて しづけし。もみぢ山 昼のこだまは 鉄砲のおと

荒々と 岩肌照りて、日の光り夕づく山に さむきもみぢ葉

よべひと夜 時雨いたりて明けたれば、崩崖ナギのもみぢの 濡れてかなしき

よべの雨 深くふりたり。富士の嶺の 朝白じろと み雪到れり

山のかげしづく水底に、あそび来る魚は つめたき肌ひるがへす


西園寺公望



この朝け わたる秋鳥。さはやかに 霜月ぞらを とよもしにけり

新嘗のみ祭りすぎて、しぐれ来し夜はに みまかる人の ゆたけさ

はな/″\しく 三代ミヨのみかどに仕へ来て、命足りつゝ 逝きしキミはや
[#改丁]
[#ページの左右中央]


昭和十四年 ――九十四首――



[#改丁]

伊豆大仁



とほ/″\に 山かゞやく雪のいろ 見つゝ思へば、夕いたりぬ

冬枯れの 田の面の乾きいちじるく、夕日の庭に 鶏いであそぶ

しみ/″\と 枯れ茅原にとほり来る夕日のいろの 明きさびしさ

冬山の 菜畑に出でて、つく/″\に 日ねもす 嫗ひそけかるべし

昼近き山の光りの明るさよ。そよぎたち来る 遠き風音

春ひねもす

かつ/″\に とゝのほりゆく人のうへ、身に沁む春は 到りけるかも


春日賦



春ながく晴れ沁む空か。こもりゐの昼ふかく聞く ほとゝぎすのこゑ

太原の守備につきたる 年ふかく、つぶさに 長きふみをおこしぬ

雪の上にむなしく見ゆる木々のうれ ひたにさびしと 汝は告げ来ぬ

百草裏山

村越えの雑木の原は 秋鳥のひたすらに鳴く 道のしづけさ

秋の雲 遠嶺の上にかたよりて 昼山ひたに かすみ来にけり


武州松山



春風のとよみ 寒けき丘の色、明るかりけり。低くつゞきて

きさらぎの寒き朝けに、若々し 人死にゆきて既に はるけし

家向ひに低くつゞける松山の このさびしさを、思ひけらしも

死にゆける命のはては 思へども、門田カドタの墓に 香をたむくる

新しき棺の上に 立てたりし目荒花籠メアラハナカゴに、とよむ風音


朴の葉



とりよろふ山の尾根より ひたくだりに、いちじるしもよ。青草の原

にはかなる雨となり来て、山原をおし移りつゝ たちまちにすぐ

しみ/″\と 芽房メブサしづめる山にむき、ひそけく 過ぎしことを思ひ居り

時なしに鳴くうぐひすと 吹きとよむ山風の音と、むなしかりけり

雉のこゑ ものうつ如し。風の中に 日中きびしくしば鳴く聞けば

夕なぎのあかりしづけき道の辺に、しどみの朱は 濃く凝りにけり

今日ひと日晴れて、しづけき空深し。夕山いよゝ青み来にけり

夕あかり かそけかりけり。春山のみどりに深くうぐひすなくも

まれ/\に 人のけはひのたちて来て、一日はくれつ。しづけき山原

木の芽たつ山の原より ゆくりなく 我が目おどろく 大き夕鳥

よべ深くねむり足ひぬ。まかゞやく山の朝日に 真向ひにけり

いたどりの茎太々と群立てる 朝山道を、のぼりゐるなり

たゝなはる山の端 すでに萌えたちて、昨日も 今日も 風乾き吹く

ふか/″\と 日はさし来たり、道沿ひに 山川の瀬の赤き岩肌

昼ふかく 晴れゆきにけり。東の空の真青に きり入る山の端

東の低き山の 夕鳥の越えゆきてより、時たちにけり

山ふかく 日は落ちゆきて、なほあかる夕山の端にち来る 三日月

ふたゝびを来にける山か。春更けて 遠山の端は すでに青みぬ

ところ/″\ 荒岩肌の見えてゐて、春ふかく 山はなりにけるかも


山の空



朝山の風に向へば、鳩のこゑしづけかりけり。まだくらき山

山の端の隧道口スヰダウグチに きらめけるばすたまさかに見えて、しづけき

明けがたに 人おりゆきて、照りひそむ萱に いまだ自動車を置く

幾度も来て すぎゆきぬ。昼光る萱の風の 黒揚羽蝶

山の背にくろ/″\うつる層雲の まつたく去りて、晴れひそまれり

空高き飛行機の音 耳なれて日々を聞くなり。山に来しより

萱原に向きて しづけし。天つ日の暗み来たれば 鳴きたつ蜩


夏の歌



この夏も 訪はず経むとす。老い母に 心もとなき日を すぐしつゝ

訪ね来し村びとひとり 親しみに 我に聞かせつ。が子らのうへ

妻子らと 老いの夫婦を村におき、身に沁みて語る。都の世すぎを

夕炊ぐ村を出はなれ、大き橋見放くる道は、白くとほれり

たそがれの すべなき時を、牧場の牛はおほかた 土に臥し居り

真向ひに 山はさがれり。杉の秀の整然として、夕時明る

若松の並み秀しづけし。今日一日 晴れたる夕日 さしとほりつゝ

秋草原 花のいろひのしづけくて、朝山ひたに 霧おし流る

おしうつる霧の底ひの冴え来つゝ、たちまち晴るゝ 萱原の面

夕早く山は昏れたり。日ねもすに、萱原遠嶺 霧がくれ居て

夜に入りて 山晴るゝなり。物の音 たまさかに立てば 耳を疑ふ

雨ののちを 山はしづけき夜となりぬ。夜鷹のこゑの ひたにすみゆく

尾根わたる道は 平らになり来たり、茅の穂なみを霧おしくだる

岩の秀にわが立ちにけり。岩底の硫黄のたぎり、身におぼえつゝ

庭先の木むらにいぬる鳥ならし。山ふかければ、ひそけきもの音

高原の野ヅラの薄 風ふきてなびく穂中の なでしこの花

身に近く 山萱原の風の音 さわめき立ちて ひそまりにけり

山の端に 雲の形のさだまりて、日中むなしき風ふきとよむ

昼深く日和さだまりて、空高き日ざしは広く 原に満ちたり

四方の闇 すでにしづけくなりにけり。山の端の空 昏れ白みつゝ


騎兵隊



おのが馬の性癖を 我にかたりゐる甥と対きゐて、うなづきにけり

暑くして、夕風だちぬ。兵隊の 甥の姿を見て 帰り来ぬ

たゝかひに つひに我いでず。かつ/″\も 二年すぎて、甥を送りぬ

秋の空 澄みゆくことか。山原の 草の実のゆれの低くつゞけり

とりよろふ四方の山脈 しづみたる夜空にのこり、かぐろき富士が嶺

山の空 富士の山肌に、朝の日のさやにさし来ぬ。道見ゆるまで

さやぎつゝ 水葦むらのしづかなる池の汀に 歩み出でたり

秋づきて 山原寒し。風の中に しばなく鳥をきゝとめて居り

冬の光り

霜月の山の際の空は 冴え/″\とひと日晴れつゝ 夕ふかく澄む

星空は 山をつゝみて、更けにけり。にあたる風 時にたちつゝ

星暗き夜山の更けにおこりつゝ 風の間きこゆ。遠き水音


古国



ふたゝび来て、山の時雨のしづけきに、長谷の御寺の石廊わたる

なほ越ゆるもみぢの丘の 昼ふかし。雲わく山を見放けつゝ ゆく

みよしのゝ山深く来て 晴るゝなり。低山々の上に照れる日

岩淵の深きに臨み、まがなしく 母を思ひてゐたりけるかも

山こえて道おのづから 水分ミクマリの古き社に詣でて さがる

みよしのゝ山の上より、いやはてに 高見の山は アメにとゞけり

いにしへの人の往き来の思ほゆる 真神の原を 夕づきて過ぐ

神南備カムナビの 樫の冬葉の散りしきる風低くして、ウレさやぐなり

飛鳥のこの古山に 風さやぎ、心どふかく ち来る処女

露霜の あした静けき庭におりて、冬芽かゞやく牡丹を 見つも


大晦日



岸波の 黒き巌に、鵜の鳥のむらがりつくを 汽車に見おろす

ふるさとの西海岸の、年の瀬にたつ朝市は、知る人もなし

おしつまりて いで来し旅か。朝市にぬれて並べる 鱈の魚の腹

今年 雪いまだ到らず。飛騨の奥 山荒くして 空はるゝなり

山の瀬は み冬澄みつゝ日の光りきびしくけて、荒き川牀

峡の岸 移りつゝゆくわが汽車の 煙光れり。とんねるの口

南へ 飛騨高原をすぐる汽車に 日ねもす乗りて しづけかりけり

朝海にしづきて太き日の光り まことにぬくき大晦日なる

ふり仰ぐ寺山林 うちとよみ、朝より晴れて 大晦日なる

海の風 山にこもりて、沙白き大きみ寺の庭に ひゞくも

年の瀬の昼のほうむに ひしめける客を見すぐし、駅々をすぐ
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昭和十三年 ――八十九首――



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伊豆山



はろ/″\に うちかすみたる山ガタは、たゞ一いろにさびしき 冬空

ときは木の古葉のしげみ しづけきに、冬日たゞさす村を 見おろす

朝山の日ざしこほしみ のぼり来て、かゞやく海に 対ひ居にけり

海に出づる冬木のうれの、しづけくて、この朝かげに 小鳥むれ鳴く


門ざくら



ふるさとの門のさくらの 咲きたわみ かくありしかば 父母おもほゆ

朝さめて、聞けばよろしも。カドに 花をほめ居る家姥イヘウバのこゑ

日ねもすに さわぎし風はおちぬらし。夕空晴れて 花の明るさ

このゆふべ しづけき庭におり立ちて、花むらを仰ぐ。空のあかりに

つかひより帰りし姥に 門ざくらのさかりを見よと をしへけるかも

戦ひも 知らざる家の姥すらや おどろきを告ぐ。町ゆかへり来て

おしだまりて 日中すぎたる門のべに出でゐてうたふ 姥の唄ごゑ


春宵



年明けて、老いたらちねのおこしたるふみは やすけく 短かかりけり

しごとに坐りくらしゝ宵早く 冷えつゝ、雨はみぞれとなり来

さ夜ふかく 湯よりかへれる家姥の、雪を告げしを 時を経て思ふ


家の姥



つゆほども 老いのヲミナのあはれさのなきを叱れば、あはれになりぬ

虫けらにひとしきほどの徳もちて、姥のかなしき時々を 見つ

山をいでて 八とせとなれる家の姥は、老いくづほれし身を 思はむか

白飯シライヒ 日ごとたうぶるかしこさを 身にしみて言ふ家の姥 あはれ


曽我の村



ことし 春はやく和めり。道の芝 地に低くして花もちにけり

うちかすむ梅のさかりか。ひと村に咲きあふれつゝ 花夕ばえす

梅さきて、昼あたゝかし。村出でて、田の面 山原 明るかりけり

道の上に 花のふゞきのなほやまず。ひと時風の すぎてひそけき

かへりなる電車を待てり。とほ/″\に 夕かげしづむ梅の一むら


春山



竹藪の照り黄ばみたる里幾つ、ばすにすぎ来て のどけくなりつ

山の木の芽房しづめる昼深く 鶏買ひ男 帰り行くに逢ふ

村人はみな 畑に出づ。春山を 日中とよもし 風わたるなり

日のあたりともしき峡に、こゑごもり 蛙鳴けども、いまだ幼し

冬がれの篠原ササフのそよぎ 明るくて、昼たけゆけば、風とよむなり

春山に 日ねもす畑をおこすらし。ひそけきたつきを見て、下り来ぬ


野火止



つゆの雨 野の面にけぶり、家近く働く人を 見つゝ来にけり

とほ/″\に 熟れ麦の穂の明り来て、雨ふりシラむ 日中久しも

庭に焚く麦からの煙 太々と梢に到り、雨に入りゆく

家あれば、かならず作る洗ひ棚 川に臨みて、家裏ひそけし

梅雨ツユの雨 はれ間となりて、明り来る道の上には 虫多く出づ

つゆの空 霽れがたくして、うち白む町のはてより 電車入り来も

たゝかひに深く入りたつこの日ごろ。身にしみて聴く。雨のひゞきを

友ひとり綏遠にたちゆきしより、戦ひ深く 年を越えたり

山国に この日昏れゆき、しづ心 大きいくさの 身にしみにけり

戦ひのこゝろにしみて、つゝましき 蚕がひの村をすぎて行くなり

大宮のみ苑に対きて、ひた心 天つみすゑをかしこみ申す

さかしらに 国の大事をあげつらふ 人のことばを ゆるし難く居り

軍籍に 我がある身なり。少くも 彼に劣りて もの思はめや

戦ひはいよ/\深し。学校の教へ子の中に 戦死者を聞く


熊野平



碓氷嶺の夜明けにむかふ山の葉の 青さ冴え来ぬ。汽車のぼるなり

     ※(アステリズム、1-12-94)

田の面に働く人を 近々と 見つゝすぎ来て、今日はひそけし

にはかに 夕づきて寒さおぼゆなり。田の原走る電車にゐたり

大き屋敷 村のもなかにひそまれる 山口の村を昼深くすぐ

若者の われに対ひてヰヤ深し。召し到れるを告ぐるなりけり

この若き者をすら 戦場に送るかと かしこまりくる心を たもつ

大君の伴の武雄と、若々し 教へ子一人 立たしめむとす

梅雨の頃

しづかなる日ごろとなれり。ふるさとに 老いづく母の 思ほゆるかな

鳥の音に似て鳴く虫は 何の虫。夏山の道 なほぞのぼれる

山一つ伐り倒したる裸木は、白く曝れたり。なだりの面に


碓氷の麓



よべおそく客一人来たり いねたるが、このしづかなる朝餉にまじる

から松の林の道の、ひそかなれば、日中ふり来る雨を 聞きたり

火山灰ヨナふりて 日ごろを経たる木ぬれより 昨日も 今日も、道にふりつゝ

しづかなる山の日ざしに ふりやまぬから松の葉は 光りつゝ散る

今日一日雨ふりにけり。から松のむら立つ家に 心ともしき

山中は 夕深くして、なほあかる谷を出で来る雲の 大きさ

鳥のこゑ しるくへりゆく日ごろかも。夏山繁くなりにけるかも

秋の草いまだ乏しき山のは そう/\として 二日をとよむ

雨ののちの凪ぎさだまりて かすみゆく遠山空は、深み来にけり

から松の枝うつりゐて、かけす二羽たゞ音たつる 昼間久しく

夏早くいでゝ来にける 東京の暑き日ごろを こほしみて居り

芝居より 夜更けかへりて、なほ暑き夜を起きてゐて、思ひほけ居り

情こき芝居を見たり。この日頃 心ともしく居しにおどろく

碓氷嶺に 汽車はかゝりぬ。青山に 涼風とほるゆふべとなりて

目の下の河内カフチの底に 深々と、夕瀬は白く 見えまさるなり

草の葉の臥し乱れたる 雨ののち。夕カゲさやけくなりまさるなり

大き雨 たちまち来たり はれゆきて、夕冴えまさる草むらのいろ

大きなる山の雨来たる。川の瀬のにごりは 岸をこえつゝ下る

峠の空 照り明れども、時ありて曇り吹き上ぐる 風冷えびえし

雲の影 さやけかりけり。はろ/″\と 青木の原にうつりつゝ 見ゆ

雲の裾 切れて出でたる浅間嶺のなだり明るく かすみけるかも

峠の町 秋づく早き明るさよ。ミムナミ晴るゝ 上野カウヅケの山

山の肌 なべて秋めく草の葉のさえ/″\しきに、さびしまむとす

碓氷嶺の 峠の町をいでゆきて、いち早かりし戦死者を とふ

盆すぎの山にのぼり来て、戦死者の家をおとなふ。しづかなる日よりに

降りやみて、今日は晴れたり。しづかなる山の日ざしに 下りかゆかむ


戦ひ深し



この町の宿営部隊たちしノチ、日ごろしづけく 秋晴るゝなり

しみ/″\と 校門を出でて来し時に、公報のとよみ 街にあがれり

武漢攻略戦 今は果てたり。霜月の空の深みを 奥地にか進む

漢口は すでに抜きたり。ひた越えに越えにし山も 雪到るとふ

幻想

舷側に おろしすゑつゝ 鉄舟の装備了へゆく。真夜のひそみを

真夜ふかき点呼ののちに、ひとり/\ ひそかに下る。鉄舟の座に

鉄舟に 兵くばり果てゝ、わたつみの冴えしづまりに 命令を待つ


仙山線



川の湯に ひたすら下る廊の段 夜ぶかく冷えて、湯気吹きあげぬ

川牀の 岩湯のたゝへゆたけくて、山峡深き冬の寂けさ

昏れおそき空の明りか。高原のむら ふか/″\雪より出でたり
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昭和十二年 ――二十三首――



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仙石原



しみ/″\と 朝雨けぶる山原のさくら 明るく咲きたもちつゝ

山原に降りしむ雨の けぶりつゝ、あしたしづけく 音にたち来も

枯れ原に しどみの花のかたまりて 山の朝雨ぬれとほりたり

山の雨 庭の芝生にしみゆくは、たゞさえ/″\と 寂けかりけり

足柄の箱根の尾根ヲネは まだ萌えず この夕かげにかすみつゝ見ゆ

白々と 峡をのぼれる 道の面 見おろし深く鳥かげを見つ


為事



茶を入れて 朝の座敷のしづけきに、古葉たもてる庭木に 対す

朝あさの心なごみに うち対ふ為事いそしく 日ねもすを居り

森知矩の死

まびろき貨車の真中に 若者のひつぎ さびしく据ゑて 送りぬ

停車場に 人のひつぎを送り来て、身をいたはらず 寝につかむとす


能登灘



ひたすらに晴れ来たりけり。海の面に 鳥たゞ一つ とほくかゞやく

かつてわが 一夜宿りし家のかど、訪はずすぎゆく。旅のかそけさ

しづかなる村につゞきて 浜幾つ、昼ひた凪ぎて 明るかりけり

たのしさはみな若きどち ゆきゆくに、この島山はこだまするなり


召集出勤



夾竹桃 すでに咲きぬと思ひつゝ 電車にしが、ねむりけらしも

夾竹桃 はつ/\咲きぬ。はろかなる海のはてまで 今日は晴れたり


東京暑中



発射弾の命中を告ぐる兵のこゑ 大きくひゞき 正しかりけり

とゞろきて 隧道スヰダウにこもる弾丸の音 空にひゞきて、射場の暑さ

まかゞやく街のいらかを見放けつゝ、このさびしさを 思はむとすも

救護車に 兵隊一人横はり、しづかに居るは、かなしかるべし


秋深くして



秋深く たち向ひたる戦場は、思ひ見れども、はるけかりけり

戦ひに向ふ心も さだまらむ。山海関すぎて、電報来たる

はろ/″\に 冬され山の山の端は、ソラにかすみて、さびしかりけり
湯場
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昭和十一年 ――二十七首――



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白布高湯シラブタカユ



夕凪ぎのひたすら晴れて、峡遠く 山のさやに見ゆる日 つゞく

いくむれの山旅人のとほるなり。この山をこえて ゆくところあり

うつ/\と すぐる日多し。湯の山は 草むら 高くなりにけるかも


那須 大丸塚



はげしき雷雨の山となりにけり。笹原光る いなづまのすぢ

照り かげり はげしくなりて、のぼり来し石くれ道に 霧はひ来たる

草かげに石を並べて あはれさは、幼き仏 あまた立つなり

草かげの 無縁仏のあはれなるところをすぎて つゞく岩原

たちまちにおり はれゆく夜はの霧。部屋に入りつゝ 白じろと見ゆ

索道の音。久しくも、照りしづむ明るき山に ひゞきゐるなり

山中は 日ねもすはれず。霧の中に 大きしづくの葉をおつる 音

鳥すらも立つことなし。師のうしろに言ひゆくことも 山のしづけさ

篠原のそよぐ風音の さ夜深くひそまる時に、目ざめ居にけり

人ごゑは 夜半に目ざめてきゝしかど、ひそかになりぬ。明るき月夜

那須ダケの山肌荒れて、岩どこにともしく咲けり。秋草の花

かはりやすき空あひとなりて、九月に入る山のさびしさの 身にしみにけり

荒れつゞきの 今日の一日も、昏るゝなり。夕寒くして 湯に入らむとす

火の山のものとぼしさよ。秋に向ひ 草木はなべて したゝる緑

人へりて、湯山しづけき秋風の吹き渡りつゝ まだ青き山

ひたすらに 山は晴れたり。湯に入りて、十三夜の月 のぼるを待つも

人へりて、立ち居ひゞかふ湯の宿は、夕早く戸をしめに来にけり

さ夜ふかくおきて 湯に入る心かな。十六夜の月空高く照る


飛鳥京



いにしへの 飛鳥ふる里見あるきて、うら安しもよ。ゆふべ到りぬ

この国の山峡 さやにひらけたり。いにしへ人も こゝに群れゐし

河原寺 夕庭昏れて、ほの/″\に見つゝ冴え来る 礎石のおもて

水分ミクマリの宮をおり来たり、もみぢせる上千本の梢を望む
吉野

山の背にツバらにつゞく 吉野の町。水分宮ミクマリグウをくだりつゝ 見ゆ

日限ヒギリ地蔵堂の 地獄変の額に立ち向ひ 親子の居しが、久しくて 去りぬ
初瀬
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昭和十年 ――二十三首――



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琉球



年深く 沖縄島に渡り来て、冬あたゝかき 日ごろを経たり

冬空を しぐれ降りすぎて、島山の たちまちに照る 日のあたゝかき

わたなかの島をとよもす 昼嵐。木ぬれ臥しつゝ 青空に入る

仏桑華 日に咲きつぎて衰へず。町あたゝかく 大晦日なる

しつくひの大きく並ぶ丘の墓。日の昏れぐれに あはれげもなし

ひとすぢに 干瀬ヒセをこえ来る夕波の ほの白ければ、あはれと言ふも

干瀬海ヒセウミの色 いちじるしく変りたり。この島の上を さかりかゆかむ

雲海の直射を受けて マギラはし。機躰久しく高度をたもつ


底倉



朝さめて、ひし/\寒き肩の冷え。よべよりも晴れて 山はあけたり

冬木のうれ おのも/\に空に向き、明るき山の日のあたりかも

ほの/″\に 冬木の梢の日に照りて、明るかりけり。ひろきカラ


奥常陸



ひたオモテに秋の日照れる 阿寺アテラの村。山裏ひろく 屋庭しめたり

家七つありて 山裏にひそかなる阿寺の村に 来む日あらめや

山畑にひとり出でゐる山ヲバの 応ふるこゑを聞けば、かそけき

遊び疲れ 地べたにいねし木樵りの子、日の昏れたらば、目ざめなむかも

山深き村を見て来て、日の昏れの雑木の下を ひた下るなり

山人のさがしき顔に対ひをり。ひたぶる堪へて わが聴かむとす

こすもすの立ちあはれなる奥山の にひばり路に、人 まれにあふ


熱海



湯の町に吹きおろす風か。ひたぶるに 山は 晴れゆくあたゝかさかも

海荒れて、冬山明るく晴れにけり。街に吹きおろす風のはげしさ

いつかしき世となりにけり。かつ/″\に 春海の色を見つゝ 思ふも

雑司ヶ谷

町寺の大木の立ちの ひた土にかげしづかなる時を 来にけり

病人ヤマウドも家居ぬほどの のどけさよ。ほすゝきの木菟ヅクを 買ひてか 去なむ
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昭和九年
昭和八年 ――四十七首――
昭和七年



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天城の彼方



天城の裾 長くひきたる島畑の霜凍て土は くろく乾けり

浜の上を吹きうつりゐる沙の風。舞ひつゝ 消えゆく波のしぶき

日のあたりぬくきはたごの 部屋のうちに、睦月 はげしき浜風を 聞く


小県郡



冬がれの雑木のうれの はろ/″\に、たゞ列れる山を 越え行く

ほの/″\に 昏れゆく山のさびしきに、雑木もみぢは散りつくしけり


浜松風


松風吹きやまぬ渚に、はての日まで、何をか思ひし   岡野良一の死

死にしすら はるかに聞けば、おどろかず。たゞにしづけく 髣髴オモワ立ち来も

ひとりのうからのイモは かしづけど、病める我故 さびしかるらむ

わが病ひをさけて 訪ひ来む人もなし。宵早くい寝て 明くるまでいねず

夕波を聞きゐつゝ ひと時眠りたり。沙丘の窪は 日かげになりぬ

父親の売りのこしおきし水漬ミヅき田を 売りつゝ もとな なほ生きむとす


大演習



ふた夜さを徹す雨かも。軍服の腹の底まで しみとほりたり

田の原を歩みつゝゐて、夜明け来ぬ。とほ山はろに 朝がすみせり

暮れて後 案内アナイせられて入りし家 屋敷まはりを思ひつゝ居り

足羽川の大き堤は はる/″\と日昏れを来つゝ 明るかりけり


兄の家



聞きつゝも、朝をねむり居り。兄の家の患者だまりの 人の声ごゑ

朝あけて、澄みとほりゐる空の色。ふるさとの道を 出でて歩まむ

村晴れて、朝日のぼれり。ヒムガシの潟の稲田の、はる/″\と見ゆ


青根



夏山のいくへ重なる空のはて 曇り日やゝにあかり来る 見ゆ

湯の山の この面かの面も青き山。かけす鳴きわたるなり。昼のくもりを

時おきて来る自動車に 客へりて、秋来と思ふ山のかそけさ

ほの/″\に 四方の青山くれゆきて、夜霧下るを感じつゝ居り

尾根道の木むらすき来る日のあかり 冷え/″\として、日中を通る

ひそまりて 林の中に見るものに、夏うぐひすは 近く来て居り

夏山に 木深くひゞく大鋸オガの音。ひゞきて来るも。山ののぼりに

山こえて けはしくくだる湯場の道。馬のひづめの跡あまたあり

苅田嶺カリタミネのみ小屋のあたり 昼深くひそかに、人も馬も来らず

山小舎のうち ひそかなり。若者の強力ひとり 昼ねして居り


霊まつり



この宵や 祖々オヤヽヽのみ霊来ますなり。夕凪ぎ 音となりてつたふも

夕波のとゞろにつたふ家のうちに、今宵かそけく 霊まつるなり

日の昏れの おほはいまださゝずして、常世の祖を 待ちごころなる

うからどちよろこび集ふ日のなくて ありへしことの、さびしかりけり

さかりゐて、あはれと思ふ。いもうとの たゞひとり 薄き幸に生きつゝ


我孫子



丘陵の峡の水田の あかるさや。早苗はすべて植ゑつくしたり

まれ/\に聞ゆる声か。葦の間の渡しに 人のおり行くが見ゆ

みなぎらふ潟を吹きこす昼の風。葦ひと列になびきつゝ 見ゆ


夜はの寝ざめ



いねがたき夜を さめて居て、明け近し。遠町ぞらにつたふ もの音

かつ/″\に務めを頼む人にあへば、務めがたきを ひたすらに言ふ

かつ/″\も 生きむとへば、した心 かひなきものを頼み来しかも

師にむきてコトバあらゝにもの言ひて、悔ゆるさびしさの 身に沁みにけり

あたゝかきみ心知らぬにあらねども、告げ易からず。ひたぶるごゝろは

師の前に すなほになりて言ふことを思ひつゝ居て さびしくなりぬ。

うつ/\にひとりくゆらす煙草の香。心なごみに 思ふこともなし

日に/\桜ふゝむらし。春日和、うらゝに 人は就職アリツくらしも

ふるさとのとほ松風の なぎてゐむ。寂けき夜らと 茶を沸すなり


善光寺



たまさかにあひつゝ、友のほがらさは、サカじゝつきて めがねかけたり

姨捨まで来て 山々は晴れにけり。冬の日ぬくゝ いぶき立ちつゝ

山の町の 雨はれて来てあたゝかし。からかさひらき 人あまた通る
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昭和六年 ――三十六首――



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兵舎



あわたゞしき心 まさびし。とほのきて、ものを思へば、こふる我なり

はるかなる人を思ひをり。立ちうごくこの群に もだし わが居りにつゝ

やすらひの心にあらず。兵営の崖のなだりに向きて居にけり

うら/\に 春日あかるし。桃畑の秀の紫は 色立ちにけり

暴風雨アラシ 静まりにけり。村なかの白木蓮にそゝぐ雨なり

別れ来て

さかり来て、歩むさびしさ。営庭の椿の立ち樹 咲きつくしたり

師のみコトを 心にもちて、ひとゝ居るわれのしぐさの 堪へがたきかも


立野个原



草の上に雨ふりにけり。遠山のけぶるを見れば 思ふさびしさ

朝雲雀 あまた啼きたつおほ野らに、休戦のらつぱ ひゞきわたれり

かけりつゝ、伏しつゝ思ふむなしさは、われくるしゑと 告げがたきかも

雨あとの朝け さやかなり。春の霞 谷におりつゝ、草ひかり居り

おほろかに 山は暮れたり。ヒムガシのとほ野に向きて 露営せむとす

人みなは このあぢきなさに慣ふらし。世のあるサマの にくまれて来る

星あかりに 村の峠をのぼりつゝ、くひなが啼けば遠く さびしき

月いでて、ほがらにさびし。歩みゐる山の夜道の 遠く けはしき

ふか/″\と 夜ぎりのぼれり。谷深き鳥の夜ごゑを 聞きとめにけり

兵隊のからだ さゝへがたし。息づきて、日ざしに向けば、麦は熟れにけり

さやかなる鳶のこゑかも。夏草の 古城の木立ち 昏れゆかむとす

演習の昼の暑さに、ほてり来る身を支へがたく 牀の上に居り


蘆原温泉



湯の町の軒並みくらし。ならび居る チゴつばくらの赤き その胸

さかりつゝ さびしさつのる 汽車の※(「片+總のつくり」、第3水準1-87-68)。潟田の上に 霧のぼり来る


秋風吟



背戸山に 朝けすがしき風の音。暑さ短き日と なりにけり

昼深く 秋めく風や。ひゞきつゝ とほく わたらふ 木々のとよみ

さ庭べに盛りゐし草 うすらぎて、その花ともし。秋風吹くに

ひそかなる山の家むら。雨はれて、槿モクデの花の 咲き満ちにけり
もくでは槿の方言

たまさかに家居る我や。ふるさとの山の秋風を しみ/″\と聞く

たまさかに来れば、喜ぶ親なりけり。家のさびしさを ひたに言ひつゝ

秋の海に 浪立ちてゐて、うらさびし。わが村 ふかく 風吹きわたる

まれに来て 荒れゆく家を思ふなり。屋敷木すべて 枝のびてをり

わたつみの渚 をぐらくなりゆくを 見つゝ思へり。帰らむ汽車を


秋季演習



ひたおろしの 山を見あぐる谷の底。山に対ひて、疲れ居にけり
吉野谷村

さやかなる秋の日 早く 九頭龍の川ぞひの村に 宿らむとすも
板垣の里




ことたりて、なほすべなさを言ふ兄の 心ならひは、知らざるにあらず

わくらはにあへる兄なり。金もちて、ワレ装はさむものえらびすも

家のあとをつぐ人と思へば、酒のみてしひごとするも、父に似て来つ

こゝろ

さびしさに 堪へなむと言ひし汝が面の、とほぞきて ひたに思はれて来る
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昭和五年 ――四十一首――



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故郷雑事



風吹きて曇りときたま明りつゝ、薄うすにうつるモンの 影かも

村山の竹の葉末は黄に枯れて、ゆらげる見れば 風通るなり

いづこかに 三人の死骸あがりぬと 人ごとをいふ 村中のうはさ

ゴトを憎まざらむと思へれば、もの言ひ止めて、せまり来るさびしさ

冬枯れの木々立ちつくす 丘の上に、夕べ来たりて、わがゐたりけり

故里の夜更けやすらに もの言ひて、耳に聞ゆる遠海の 音

故郷の家のしづけき飯時イヒドキに わがまじらへば、賑はしと言ふ

村びとは 村山寺に逃げ居りて、むなしく 村の焼くるを見たり

ほがらなる海の空かも。月読ツクヨミの照りて 更けゆく港なりけり
歌舞島

まむかひの島山の崎の 波の色。月照りかへるさ夜のくだちに

あかるき朝の光りかも。みぎはまで み立つ木々の色 立ちて見ゆ

磯山の崎にひろがる荒草の 穂のまさ青なる、月明りなり


夜ふくる島



仮喪屋に さ夜更けつのる風の音。死にの岩の、目に見えて来る
坪田萬寿穂の死

らふそくの減りて 更け行くのゆらぎ。喪屋にいで入る人 絶えむとす

むなしさは、言ふに堪へがたし。通夜の朝 面ほてり来るわれの さびしさ

はかなき命なりけり。はたちの若き膚を、岩は裂きたり

死に顔のかはらぬ口に 指ふれて、水ふくめつゝ、おどろきやまず


車上



見おろしの山の 広き板敷きに 繭白じろと積みて、人ゐる

つら/\に、桑畑つゞく峡ひろし。上野の国に われ入りぬらし

日光湯本

山原は 朝もやこめて、目に迫り冷ゆる立ち木の しづかなる色

深山木の 立ちのすがしき朝山は、我の向ひに はれてゆくなり

山の湯

栗のいが いまだ若しも。山路来て 真夏日明きかそけさに 見つ

すみとほる空の夏雲 きらゝなり。湯に入りて向ふ 向つの空


わがこゝろ



ひとりなれば、灯をともしけり。夕庭の 木ぬれの明り まだのこるころ

屋敷庭 木の間の暗さ迫りつゝ、なが啼く蝉に 耳なれてをり

屋敷木のつ枝のあかり見て居れば、木の間の暗さ 深くなりたり

ひとりして喰ふ昼餉のあぢきなさ。メシも そへもみな われの作れる

しづかなる二百十日や。昼深く 木ぬれのそよぐ音を聞き居り

とほす 畳のひろさに 夜びえして、秋の早きを おぼえ居るなり

すゞろに夜さむおぼゆる を牀かも。かども 厨も とざしたるのち

ひた/\と ひとり過ぎけり。カドのべの かく夜深きに また ひとり通る

盆すぎて ものかげうすし。砂山の 墓にひろがる 蕨の青葉

朝の間のすがしき道に 出で来つゝ、人を思へり。人のかそけさ
人の死

甥を思ひて

さがあしくなりし甥の子をマモりゐて、幼きかげの見えて来るはや

かたくなに 言ひはる子かも。あらがひのコトモダして あまりさびしさ


雪祭り 花祭り



三河路の山のそゝりを 見つくして、新野平ニヒノダヒラをくだり来にけり

朝雲の流れするどき をちの峰 霽れゆくを見て くだり居るなり

天龍の川ぞひ長く 歩み来し峡のなだりの 明るき紅葉

花宿

雪かたき谷をおり行く人ごゑの あはれにひゞく 夜の山々

大釜にたぎり来る湯や。山人の舞する夜庭場ヨニハ まだ静かなり

大釜の下につくらふ榾の火の もえうつりゆく 大き火の色
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昭和四年
     ――五十三首――
昭和三年



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夜居



物の音 遠やみにけり。ま夜なかや 独りひそかに 湯のたぎり来も

湯のたぎるを待ちてわがゐる炉のはたに、祖母おき来たり 我にむかへり

柴たきて、夜はの心の うちなごみ、赤きゆれをまもる ひそけさ

一時のあらしは過ぎて くだり風ふきしく夜はを 月いでにけり

あらしすぎて 月夜となりぬ。汐騒のとゞろく波は 白く光れり


故園一夏



ひるの暑さ やゝなごみ来る夜にいりて、家しづまりて あゆの風いづ

つぎ/\に もらひ湯に来る隣人 ものいひなれて、ヰヤ深からず

夜に入りて やゝ風いでぬ。あつさ長き昼につかれし 子等はいねたり

この日照り いく日かつゞく。泉水に 鯉の背すぢのあらはれて見ゆ

水かれし泉水のふちにあつまりて、鯉の あぎとふ音 ツバらなり

鯉の群れ 岩かげに向ひあへぎゐる その身うごきの おとろへにけり


能登の御崎



能登の崎 須々スヽの社に来たりけり。岸せまりたる黒きたぶの森

高座 金分 社二つに仕へ来し 能登の猿女サルメの 家見ゆるなり

驚かぬ顔のしたしもよ。猿女人 この島のはてにひそけく住めば

わくらはの客人マラウドなりと、師のために 須々の猿女は まつりをおこなふ

能登の崎 輪島の鼻の 夏荒れに、皆とざしたる蜑の家むら

ウナさかに つらなり並ぶいさり火の 今夜ふえたり。いか釣り小舟


随身門



能州一ノ宮気多の大門に、門まぶり様とて、随身像を斎けり。

村若衆の白丁姿 雨にぬれ、随身門ズヰジンモンを 今しねり出づ

酔ひ狂ふ若衆の肩に もまれつゝ安けくいます 随身の顔

村若衆 酔ひ狂ふ夜の 雨の中。随身像は しとゞにぬれたり


いかつり



あまたゐる烏賊つりの舟は ひそみ居り。我はも今宵 舟にゐるなり

隣る場に かゝれる舟の燈の中ゆ、長き声聞ゆ。人はあくらし

近まなる舟火のかげの人の声に、いらへしにけり。人は見えずして

餌につきて白み光れる夜光虫を、指先につけて つぶしてゐたり

舟ぬちに篝は消えて さびしもよ。月入るきはの海原の空

夜の道の高き繁りの一ところ、白みて咲ける花 にほひあり

天ぎらし蒸し暑き日を 町に出でて、蕪青 大根の種を買ひたり
羽咋の町


能州処々


四位の山家
杣人の、うちおろす斧しきりに、四方の山々にこだます。
平家流寓の伝へ、こゝにも残りぬ。

入り日に 木々光るなり。山のたわ、この山住みは さびしかりけり

木々深き 川よどにゐて 馬洗ふ山人の肌の まさびしくあり

総持寺の門前チヤウを 朝あかりに、牛ひき通る。今日も暑からむ

昼くだち 波止ハトにかゝれる大船のけぶりは長し。クガになびけり
妙成寺

籠もちて、ひるのくだちを 岩の上に汽車を見おろす蜑の子 三人

ひそかなる丘の寺院の昼庭に いこひてあれば、海の音きこゆ

邑知潟

歩みゐて、心ひそかになりゐたり。遠なく鴨の声を きゝつゝ

うちわたす邑知オホチの原は雨ぐもり とゞろき過ぐる汽車の ひとツラ

わが村の入り口の阪のぼりつめて、目のはるけさや。邑知潟オホチガタ見ゆ


秋立つ



ひとり来て、ぬかづく心うらさびし。祖々オヤヽヽの墓の並ぶ間に
十四日の墓参に遅れて

族人奥田正信、病ひ篤し

秋近み 日照りつゞきのけうとさよ。ひそかに 君も 死に給ふらし

笹の葉の ひからび見ゆる照りつゞき、秋立ちそむる色の さびしさ

長兄の病ひ八年を過ぎぬ

帰り来て、もとのまゝなる兄の病ひ。した思へども せむすべもなし

兄の病ひ 年を経につゝ なれければ、あわたゞしくも 思はずなりぬ

全身の動きかなはぬ兄のうへを、さびしみながら 去るべかりけり

年月の行くは早しも。幾度か見つゝ去り行く 常臥す兄を

あわたゞし。我がいづる日を 母人の立ちふるまへる心 さびしも
上京


死にゆく友



千家経麻呂は、まことに卒然と死んで行つた。

さかりゐて、悼む心は 堪へがたし。君がムクロを 思ひ見ざらむ

悲しみを師に告げてのち、しまらくは ひそか心に堪へて居むとす

君の死を悼みつゝる汽車ぬちに、夜は明け来つゝ 山の花原

人ごとに 君の死を言ふに、堪へがたし。おどろきにやまぬ ひそか心は

うつし世に 君の心のまことなる。然まさしきを 死なせつるかも


羽沢



わが師、こゝに三年を住みたまへり

入りつゝも、まびろき部屋の うら寂し。人のにしを思ふ こゝろに

おほろかに わがひとりなり。アナ裏にあたる畳の 堅きをおぼゆ


はした処女



をみな子は、ひとをたのまじと思ひけむ。人のいまはの さびしかりしに
安東正胤翁歿す

いきのをの絶えつる人を、処女子は、たのむすべなく、あはれ去りにし
[#改丁]
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昭和二年 ――二十七首――



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くだり風



村人の寝つきの早さ。遠波の音のきこゆる 月夜となりぬ

夜ふかく 月はのぼれり。ほたる子は 繁みの中に あはれ光るも

わたつみの遠きかなたゆ 吹き送るくだりの風の 雲をいだせり

わたの風、ふきしくこの夜 くらくして、夏虫おほく 鳴きいでにけり

たぶの木の繁みはくろく、さびしもよ。下りの風は 葉をならし出づ

くらき夜の たぶの繁みに 家々のねむりふかさを われいきづけり

森かげに、ひそかに住まふ里の家。年ごろ ウカラ絶えしが多き


十年



昼まけて、心なごめり。桐の葉のかげくろ/″\と うつる下屋根

はふりどに立てし夏菊の 黄色なるを うつくしと思ふ心に なりぬ

細長き松ののびかも。真昼間のはふりどの沙は、白ぼこり立つ

七月の暑さのさかり わが姉は死に給ひたり。十年経にけり

砂山の墓土の面の白ぼこり。わらびの茎は 長くのびたり

はふりどに 入りつゝ歩み、地虫鳴く桑の葉むらの つら/\かわく

紙包みの塩を開きて、祖々の墓にかけたり。姉の墓にも

道ばたの、土塀の穴にこもりゐる足長蜂は 捕りてたやしぬ

蜂の巣をつゝきて、逃ぐる子ども等を責めてゐながら 泣く子のあはれ


潟沿ひ



ねむの花の小さき房の やはらかに、この朝びえに いまだねむれり

雨の後 水層ましぬ。堰止めを越え落つる水は、底ひゞきせり


登りつめて



国越えの深き山路につかれたり。日はひそけくて、葛の葉の照り
能登・越中国境に茶屋あり。

照り深き山路歩み来て、竹戸樋の水の光りの 目にさやかなり

遠く来て、疲れゐるなり。山深き川原の堰の水音 聞ゆ

福水の里

様々の仏並べて つゝましく、この里人は 世を過ぎけらし

み仏の 面のしめりはかわかざり。この山岸の繁みふかきに


ある家


母はやく狂乱して、祖母の手に育てる子らあり。
そのカタチよきもあはれにて。

もの狂ひの母を 離れて、よきさがに生ひたつ子らのいとゞ さびしき

よき子らぞ、遊びとよもす。家ぬちのこゑのとよみは、うらゝなりけり


十二月九日


小雪止みて、日照れり。いつしか、五年もゆきぬ。
ひたすらなる心を兄にす。

はなれゐて、父の日まもるさびしさの こよひは更けて寝なむと思ふ

ハフりさりて まさびしかりし心さへ、年経し今は 思はずなりぬ
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大正十五年 ――十二首――



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帰省



※(「片+總のつくり」、第3水準1-87-68)ぎはに見えつゝかくるゝ崖の草 萩と 薄と おほくありけり

湯に入りて 遠来し疲れ出で来るに、立ち働く母とかたる われなり

とらんくをさげつゝ帰る日のくれや。道に遊べる甥を 見出でぬ

たそがれて 稲田あかるき 原の中。墓石しろく かたまりて見ゆ
鶴来の家

秋立つ頃

もやふかき日頃となれり。この家に経たる月日を 思ひ見るなり

この日ごろ 強き日照りは少くて、ゆたかになりぬ。稲むらのしめり

のどかにも照れる昼日か。庭内ニハヌチを鶏の移るは、心さやけし

夕げして、わが出でて来し町の中。目の前に迫る霧の色かも

朝明けの山のはざまに靄こめて、動かずにゐる ひやゝかさかも
軽井沢を過ぐ

山々は朝明け来つゝ、山の家の高き垣内カキツに 鶏動く 見ゆ

海ぞひに 松山長く続きたり。夕ぐれ雲は 雪になるらし


消息



ゆくりなき兄の手紙に うらさびし。心しまりて我がゐざりつる
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島の消息


釋 迢空


硫黄を発掘する人々の外に、古加乙涅を栽培する数家族が、棲んでゐた。其人々を内地に移した。さうしてそこに、後から/\送つた兵隊で、島は埋まれてしまつたと言ふあり様であつた。春洋と、春洋の所属する「膽二十七玉井隊」の一大隊が上陸したのは、昭和十九年の七月であつた。食糧なども、前からゐる隊のやうに、すら/\と渡らなかつたらしい。――これは後に聞いた話である。
みんな一度は、ぱらちぶすに罹り、島の硫黄泉で、腹を損じた。
そんな間に、手紙やはがきを、よこした。極端に変化のない生活の間に、書き知らせる事件を見つけることすら、なか/\容易でなかつたことゝ思ふ。
其でも、長短二十通に及ぶ島のおとづれを、送つて来てゐる。
此は、唯その一部、島に渡つて四度目の手紙と、その外の数通のうちから、抜き書きしたものである。
○第四回目の通信です。月に二回と限られてゐるので、今頃になつて、やつと、……
○この頃、しきりに以前の旅行の記憶が、身に沁みて来ます。
 琉球などでも、今行けば、あんなに楽しい所ではないでせう。併し、あれだけの広さと言ふことゝ、あれだけの古い人生のあることゝは、そこに暮すあぢきない日々にも、何かなごやかな気持があることでせう。
○こゝは、殺風景なものです。人生らしいものは見られず、跡はあつても、昨日あつたといふばかりの新しい歴史にもなつてゐないものゝ痕跡しかない――自然と言へば、あまり自然に近い、この島の姿は、われわれの様な教養の偏した心には、さびしくて堪へられないものです。
○寝ても、覚めても、銭一文遣ふ方法のない生活です。財布はすつかり、守り袋に変つてしまひました。これが自在に使へるならまだしもいゝのだがと、そんなことを考へることもあります。道ばたにも、何一つあるではなし、唯与へられる食物を、事務的に消化してゆくばかり。
○水に恵まれぬといふことは、人間、何より苦しいことだ、と今度といふ今度、身に沁みて思ひ知りました。
○時々、風のやうに聞えて来る、独逸の狭まつて行く戦況なども、皆の心をさびしくします。
○東京には、議会がはじまつてゐるとのこと。あわたゞしい世の中の様子も、真の姿がわからないから、兵隊なども、時々やるせない気がするやうです。
○学校の方なども、すつかり変つてしまつたことゝ思ひます。かう言ふ世の中に、どう押しきつて行くか、国学院と言ふものゝ持つ歴史の「力」が、見つめてゐたい気がします。
 われ/\の様に、単純な任務に入つてゐると、批判も何もなく、唯なり行くまゝの世の中の、真実を知ることにうちこんでゐるだけです。――一つの科学者とおなじだ、といふ気がします。
○もつと、人生のある大きな大地ダイチに渡つて行つてゐたなら、何とか心の満足する様なことも出来るのだらうのに。あゝ、何にしても、こゝはあまり単調です。
 空に飛び立つ若人たちがふるひたつて、敵をほふり尽す日まで、之を育てあげる責任者の方々が、果して深い自信を持つて、戦つて居てくれるか、と言ふことが気がゝりになつて来ます。此こそ、前線の皆々の持つてゐる不安ではなからうかと思ひます。
○幾日たつても、同じ太陽が、おなじ色どりの阿旦アダン科の叢に、明々と照つてゐるのが、すつかり、今年の夏を、平凡に過させてしまひました。
○ほんたうに、われ/\が日本人としての力をふるひ起す時は、東京あたりも、相当不安な状態にある時でせう。こんなことは決して、ある筈のないことだと、深い信頼を、日本の誰も/\が、持つてゐる筈なのですが――。

       ※(アステリズム、1-12-94)

 昭和十九年十一月下旬到着
○最近、東京も時々、B29機の来襲がある様子ですが、どうぞ、気をおつけ下さい。敵機は、爆弾の外に、機銃をよくつかひますから。無蓋の物に退避することは、その点から、あぶないと申さねばなりません。それに、爆風と言ふのが、相当にひどいものなのです。
○「鵠が音」、ありがたう御座います。われ/\の様なものゝ歌集が、この時代に出ることさへ、勿体ないのに、其がすつかり、先生の手でこしらへあげて頂けることを、唯しづかな心で、考へて居ります。

       ※(アステリズム、1-12-94)

 十二月上旬
つぎ/″\に闇をたちつゝ 爆音の遠ざかり行くが、涙ぐましき
この機みな マタくかへれよ。螢火の遠ぞく闇を うちまもり居り
爆撃機 朝の光りとゞろきて、還りぐなり。島の空高く
○私のからだの現状を、はつきり申しあげておきます。最近、内地送還になつた矢部健治といふもの――私の小隊の伍長だつた――が、ひよつとすると、電話を大森の宅へかけることがあるかと思ひます。感情の美しい青年ゆゑ、何とかして、彼自身の生命を守らしたいと思つたのですが、幸か不幸か、飛行機事故で、負傷しましたので、適当にはからひましたが、先日立つて行きました。無事に帰りつくかどうか、彼の運は神に任せる外はありません。此が、宅へゆけば、くはしい様子を申すはずです。……

       ※(アステリズム、1-12-94)

 十月二十四日以後
をち方の明けくらがりに 飛行機のえんじん 高く鳴りはじめたり
あまりにも月明ければ、草の上に まだ寝に行かぬ兵とかたるも
搬船を日ねもす守り、海に浮く 駆逐艦見れば、涙ぐましも
○向きて(「北」か)石を積みたる兵の墓。照りしむ海に ひつそり対す
あけ一時イツトキ 蝿の唸りのいちじるく、上をうづめ 黒々のぼる

あまり、周囲や、気持が変り過ぎて、歌が容易には、心に乗つて来なかつたやうである。此外にも、伏せ字にした多くがあつて、折角流動して来るものが、堰きとめられてゐる様に、読む側からは感じられる。作者として春洋はその間、実にもどかしかつたことであらう。併し文字の上の文学がなくとも、頭に文学を活して行くことが出来たから、わりあひせつなく感じなかつたかも知れぬ。また、さう言ふ歌人で、彼があつたことを、記憶しておいて頂きたい。
幾度も私は、考へて見た。併しその期間の歌は、どれもこれも完成してはゐない。完成させようと言ふ意思は十分にあつても、併し彼の日夜の生活が、其をさせなかつた。彼の周囲には、小人数ながら、彼の命令のまゝ、死んで行かうとしてゐる清い魂があつた。この魂を見つめることが、彼の最高のつとめであり、意義ある詩を生んでゐることになつてゐたのであらう。歌人である彼が、歌を作ると言ふことで、第一義の生活をすることが出来なかつた時代である。さう、私は思つてゐる。かう言ふ風に、彼の心を思ふ時、私はかあいさうでたまらなくなる。
だが昔風の宿命を背負うてゐた――戦争以前の日本人は、皆さうだつたのである。
もう数首、未完成の歌の中から拾つておく。
沙浜に 沙を盛りたる墓ありて、○○○○の空近く照る
幕舎近○○○の残骸ありて、このきびしさの、夜々を身にしむ
まざ/″\と 地上にえし○○○のおびたゞしきに、心うたれつ
朝つひに命たえたる兵一人 木陰に据ゑて、日中をさびしき
ぬかづけば さびしかりけり。たこのかげ、莚の下に 亡骸を据う
島の上に照る日きびしき 日ごろなり。夏すでに過ぐと思ふ むなしさ

彼自身、歌の息のいよ/\細つて行くのを見つめてゐる間に、あめりか兵は、上陸して来たのである。
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鵠が音 追ひ書き  その一


釋 迢空


『……今はひたすらに、皇軍の、勝ちさびとよむ日が待たれることです。たゞ頻りに心をうつのは、兵士等が健康のうへです。わづらふ者があると、責任と謂つたことをのり越えて、身にしみて来ます。夜、目がさめて、寝ながら真向ひの星空を見てゐると、何だか来たるべきものをひた待ちにして、ぢつと穴ごもりして居るものゝやうに、思はれてなりません。歩いても、人生に触れるものがないと言ふことは、あまりにも単調なことです。かうした処に、徒らに来たる者を待たねばならぬことを思ふと、敵愾が火のやうに燃え立つてまゐります……』
春洋の第一歌集「タヅ」を、世におくる。私がまづその気になり、春洋にも、そのよし、奨めて遣つたのには、段々の理由はあるが、時期に絡んだ、二つの問題があつたのである。併し戦場からの春洋の返書は、まだ私の手には届かぬのである。
時期の問題の一つ、――既に、歌集を持つて、世間に相当、名声の聞えた作家たちの、力量の水準には、十分達してゐること。さう言ふことが、此二三年来、殊に、春洋の歌を見る毎に、感じられるやうになつて来た。
歌集を持たねば、歌人でない、と言ふことは、ある訣のものではない。が、其があつても、わるくない時期と言ふものは、確かにあるのである。春洋の技倆の、そこに来てゐることを、私は信じてゐる。
自ら語ることは、こんな際には避けたいのだが、話をてとりばやくする為に、敢へて、書く。数月前の私の長歌に、「……いとさびし かゝる家居に、独り棲む君を残して、また 我はいくさに向ふ。洋中ワタナカの島の守りに つれ/″\と日を送りて、ことあらば、玉と散る身ぞ。辛く得しひと日のいとま さは言へど、君をし見れば、時の間にやつれたまへり。……」と言ふのがあるのは、久しかつた国の備へから、南の海の守りに移つた其出で立ちの春洋の心を想像して詠じたのである。
「未練なことだけは言はずにおいて下さい。誰一人だつて、個人事情のないものはないのだから。」思ひ入つたことを言ひながら出て行つた彼の心は、教員からいくさびとへ、転生しようとして居ることが、深く感じられた。この歩兵少尉が、身命を国難に賭けて、海の守りに当つてゐる。其とて、数ならぬ身分に過ぎぬのだが、明けても暮れても、鷙鳥の羽音を頭上に聞いて、渚の玉と砕ける日を待ち望んでゐる、と謂ふやうな日々が続いてゐる以上、当然避けられぬ最期が、早晩来るには違ひない。その日の到る前、せめては、彼の研究・創作両面の為事のことで、今日までのところ一番価値ある業蹟として、短歌集だけは、纏めておいてやりたい。此が、この本を出すやうに奨めてやつた理由の二つである。
この愛国の熱情を写した、多くの作品を包容する歌集が、彼と同年代の人の心を、どれだけ浄くし、又彼よりも若い世代に、美しい感情を寄与するであらう。若しさうなれば、彼も本懐に思ふだらうし、私は是非、さうあらせたいと願ふのである。
殊に、近年分量も増し、価値も高く飛躍して来た、彼の軍団生活の様々な方面に触れた作品群は、反省力の豊かな武人の目にふれる機会さへあれば、その生活内容を増大させるものがきつと多いに違ひない。
とりわけ、春洋が、大学で教へた人たちと、年輩・教養を等しうする人々には、同感からする吸収を促すだけの、若い世代観の、漲つてゐることは、どうやら私にも感じられる。
今の時において、此集を世に示すことは、若く欲する所と、清い貧しさとを満すことになるかも知れぬ。幾分でも、此に似た効果が予期出来るとすれば、彼の歌ひはじめから、世話をやいて来た私の、一時でも早く世に問はうとする焦躁感の由る所も、頷いて頂けることゝ思ふ。
若い果断 浄い憎悪 これが此国の若い人生に向けて、今、一番、求めらるべきものでないかと思ふ。煩瑣な倫理学の為に因循になり、空漠たる人道観によつて、敵愾心をすら銷磨した者のあり勝ちの世の中である。激しく興る愛国の至情と矛盾する、此世代の薄弱性は、どうすれば、善くさばいてのけることが出来るのだらう。
匂はしい古典感と、凛々しい新しい感覚とが、之を救ふに当るべきことは、すべての国家・時代の文芸の上に見られる事実である。春洋の持つ文芸は、形態は小いが、日本人を除いてはなし得ぬ種類の抒情であつて、又日本人のすべてが、必しも行き踰えることの出来るといふ境でもなかつた。其を蹈み出さぬ限りは、芸術たり得ぬ、厳しい制約によつて守られた文学である。
古往今来、数十万・数百万とも数へきれぬ高天の星屑ほどな、文芸人はあつても、真の芸術者として光り残つたのは幾人か。春洋の全集の中から私の抜き出したものは、凡千首を数へるほどに過ぎぬが、其うち五十が一、百分の一でも、最新しい古代的な日本人の心に、沁みつき離れぬものが残るに違ひない。此は決して、春洋を愛し、春洋の文芸に溺れる為の、私の判断違ひではないのである。
春洋は、今こそまことに、トホの 関塞ミカドの防人として、夜の守り・日の衛りにつかへて、ヤスい日とてはあるまい。最初に抜いた手紙は、遙かなるそのナミトリデの防備についたはじめに、おこしたものなのである。
私に、この古代文芸を守る一人の身の、無異を祈ることは、固より切である。だがもつと深く希ふは、言ひ残した語のやうに、予ねてした日が来たら、彼自身古代文芸となつて、砕け散ることである。悲しいけれども、彼の心のハヤく転生した魂が、其なのだから。私は、其日が来たら、此書の包容する古代文芸が、愈輝きを増すことを思ふのである。
この集を読む人は、まづ兵と共に日を暮す数篇の連作を読んで、春洋の生活を確実に受け入れて頂きたい。其から続いて、幾篇かある叙景歌群を見る、といふ順序をとつて貰ふのである。如何に彼がこくめいと言ふより、更に真正直に、客観描写から、主観に切り入つて行くかを、覚つて頂くことが出来よう。さう願へれば、この創作時の態度は、彼を掲げるにとゞまらず、若干は、若いあなた方の為にもなる訣なのである。
一つの虚構をまじへぬ春洋の実力を語つたのに過ぎぬが、やはり身近いものを褒めることは、嬉しいことのかたへに、心やましい所のあるものである。あまり其が、ぶざまに見えるやうだつたら、幾重にも、寛容を願ふ外はない。(昭和十九年十月)
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追ひ書き  その二


迢空


(欠)
十九年冬に、印刷の準備が整つたまゝ、十年近い月日が立つた。原稿の末に附けてあつた――その時、其ときの思ひつきを書きためた解説文の何枚かは、散逸してしまつたらしい。
あの当時、まるでその親友の原稿の編纂を果す為だつたかのやうに、戦場へ立つて行つた春部(伊馬)のしみ/″\した別れの様を思ひ出す。でも其は、乱離流竄の憂き目を凌いで還つて来た。だが春洋は、遂に戻らなかつた。――その間に、幾枚か書き綴つてあつた文章を断念して、これだけのことを新しく記しつけておく。
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追ひ書き  その三


迢空


敵一機 琵琶湖東岸を北上すと まさに受信し、哨兵に告ぐ
我々にとつて、思ひの深い歌の一つである。最初、この歌集を出さうとしたのは、まだ、春洋が、硫黄島の守備に、生きてはたらいて居た時である。東京では、情報局や、報導部で、今日明日にも、本土に上陸して来さうだ、と公言して廻りながら、ひどくなつた戦争の実情については、国民に告げる勇気を失つてしまつた頃である。
さう鈍感でもないつもりだつた私どもすら、「たづがね」と言ふ古語が、かの島に渡つた人々の運命をそろ/\前兆し初めてゐたのに、気がつかなかつた。其と言ふのも、さう言ふ心が、痛切には起つてゐなかつたからである。集の名を、古代の霊魂信仰に寄せて考へたのも、今になつて見れば、謂はゞ、いま/\しいはずの名だが、思へば、さう言ふ軽い物思ひを圧倒するほどの感情が、「われ人よりも」の心にあつたのである。此は当時の烈しい心持ちに生きた人々は、誰しも記憶の底に持つてゐるに違ひない。
草稿が出来あがると、この原稿を整理してゐた春部が、亦せはしなく、中部支那の戦場にたつて行つた。
急いで、報導部の検閲を受けると、暫らくして数个処の附箋をして返して来た。忘れもしない、此歌も、其一つであつた。ところ/″\、その時の検閲人の判が、歌の脇にある。親泊オヤドマリと言ふ苗字であつた。親泊は、沖縄固有の姓であつて、その同姓の幾人かを知つてゐる。たゞ偶然検閲人だつた親泊氏には、逢ふ機会がなかつたのである。確か当時少佐で、陸軍報導部に居たと言ふ人に違ひない。
戦争がすんで、いちはやく自決した人々の中に、この人の名が見えてゐた。まるで、他人とも思はれぬ黙会する心があつて、私を寂しがらした。
この歌一つで見ると、実戦のものゝ様な誤解が起りさうだが……此は、其よりずつと早い、昭和十七年はじめて召集せられた時の連作中の一首である。金沢の町における訓練空襲の夜、某百貨店の屋上に機関銃を据ゑた時の歌である。単に演習想定を心に持つて作つたに過ぎないので、親泊氏の指定では、一度「琵琶湖」といふ地名を消したらしいが、之を活して、「さしつかへなし」と書き加へてゐる。演習だと言ふことに、気がついたからである。私だけの考へ方に過ぎないかも知れぬが、この一聯の歌などは、戦ひの歌として、範囲も、雰囲気も、多くの人間の動きも、又都会の夜のしづけさも、ぴつたり把握してゐる。大きくて空しい時代の感銘――戦争の中の過ぎ去つた夢を、極めて静かな、虚空に映写してゐるやうな気がする。
春洋の作物には、これに似た印象を与へるものがあつて、読過の際、ちらとふりかへりたくなるものがある。「さうだつたか」と気がついて、一歩ひつ返すと、もう何処へ行つたか、影も形もない。さう言ふ匂ひが感じられるか知ら。出来れば、心切に読んでやつて貰つて、さう言ふ機会に接してやつて頂きたいものである。
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追ひ書き  その四


迢空


私は、二十年或は三十年前には、幾人かの、弟子らしい礼儀を示す人を導き、其等の人の同人社から出す短歌雑誌の世話を見たこともある。併しその中、相手からも飽かれ、こちらもさう言ふ人々の間に伍してゐるに堪へぬだけの良識は残してゐた。其で、雑誌は関繋をきり、弟子は皆解放した。唯一つ鳥船社といふ詩社だけは、子飼ひと言ふすらあまり子供らしい頃から、世話を見て来たので、解散することも忘れてゐた。第一、歌なども問題にしないで、三十に年近く、人間として、又、文人としての帰趨をあやまらせぬだけの指導をして来た。春洋が実は、その創立会員の一人であつて、真に歌のてにをはの使ひはじめから、手引きをして来たものであつた。
最初、彼等の作物が、如何にすさまじいものであつたか、本集の末にある「いかつり」の連作などを見れば、あまりはつきり訣り過ぎるであらう。
十九年に、この集の編修を企てた時も考へたことだが、今度こそは、此最、初期の物だけは消してしまはう。また/\さう思つてかゝつたのだが、やつぱりさうは行かなかつた。未練にさうなるのは勿論だが、ほんの短日月の間に、進みが著しく見えた。其様子を残して置かうと言ふつもりなのである。
ともかく、鍛練の精神を、私はアララギから伝へて、若い人々を鞭つてゐたのである。
ともかく、「鵠が音」の古い初稿から、日の目を見ようとしてゐる終校の今に到るまで、苦労して整頓してくれたのは、高崎英雄である。その志に対して、故人に代つて挨拶する。
尚、十九年の初稿編成当時から、角川源義からも、深く配慮を受けた。厚情を喜ばない訣にはいかぬ。
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追ひ書き  その五


迢空


昭和二十七年一月三十日、硫黄島戦死者追福の為、かの島に渡つた、旧海軍大佐和智氏の一行と別に、同じ日上陸した朝日・読売・毎日の新聞記者の中、朝日の飛行班に、短冊を托してその東海岸の沙中に埋めてもらふ。
同じ時、読売新聞飛行班の窪美氏のうつして還つた、春洋らの考科表の写真を見た。同氏に会つて、其が高野建設会社の職員の、同じ島元山の洞穴から発見したものなることを聞いた。
硫気と、風化で、持ちもどる事が出来なくなつてゐたやうである。この写真は、石川富士雄君の厚志による複写影である。
その後、又一種、さう言ふ類の文書が、元山地区の洞穴から見つかつた。新聞記事を見てゐると、春洋の亡長兄と次兄と、嫁して宮永姓を名のつてゐる妹真澄さんとの名があつた。此には春洋の名はなかつたが、私は、春洋に関する身上書だと判断した。併し此も、島に管理せられてゐて、いまだ見る時が来ない。
思へば、当然の事でゐながら、故旧の者たちにとつては、不可思議な事が、いつまでも残つて、未鍛練の心をゆすりつゞけるのである。


校正
高崎英雄
岡野弘彦
折口信夫





底本:「鵠が音」中公文庫、中央公論社
   1978(昭和53)年8月10日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「灯」と「燈」の混在は、底本通りです。
※表題は底本では、「たづ」となっています。
入力:和田幸子
校正:ミツボシ
2023年1月28日作成
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