太陽を呑む赤い老星の秘密

畑中武夫




 そろそろ夏が来る。
 夏の空の星で、ぼくが一番なつかしいのは、さそり座とその主星アンタレスである。
 中学初年のころ、「子供の科学」や「科学画報」の星座案内をたよりに、熊野川の川口近くの河原に立ってこの星座をながめた。
 アンタレスは赤い星である。アンタレスの名は、「火星の敵」という意味だそうである。赤い星、火星に対抗するほど赤味をおびた、そして明るい星ということであろう。
 アンタレスはさそりの心臓である。向って右、つまり西の方に巨大なさそりの爪がある。アンタレスから左下にならぶ星は、ゆるい曲線でSの字の下半分を書いて、いかにもさそりの尾を想わせる。星図をたよりにさそりの星々をたどって、最後にこの尾の曲線を見つけたとき、ぼくはどうやら星の病いにとりつかれてしまったらしい。
 アンタレスは南の空であまり高くない。ことにこの星が西へ寄ったときは、かなり地平に近くなって赤い星の光がゆらめく。いかにもあえぎあえぎ西の空に向っているようである。
 アンタレス自身はまことに巨大な星である。直径が太陽の二百三十倍もあるというから、もし太陽とアンタレスが入れかわったとしたら、地球の軌道がちょうど呑まれるくらいである。こういう大きな星で、しかも色が赤色をおびた温度の低い星は、ある時代には、きわめて老齢の星と思われていた。あえぎあえぎ西へ向うこの星の姿を、いかにも年老いた星の最後の姿にふさわしい、と表現した文章を読んで、まったくそのとおりだと思った。
 その後の説では、こういう低温の巨大な星は、生れて間もない星と訂正された。いわば巨大な赤ん坊である。その説によれば、この星はこれから次第に縮んで、やがてシリウスのような青白い光の星になり、その後は再び冷えるけれども大きさは変らず、ちょうど太陽のような星を経て、ついには暗黒の星になると考えられたのである。ぼくたちが大学を出た頃は、これでは不満足なことはわかっていたけれども、これ以外にどう考えていいかわからなかった。
 星の新しい進化論では三転して、アンタレスを老成した星と考えている。太陽も、やがてはこのアンタレスのように、巨大な星にふくれ上ると考えている。そのとき、おそらく数十億年後のそのときには、地球はこのふくれ上った太陽に呑みこまれてしまうかも知れない。いやその前に、太陽の出すはげしい熱のために、地球はもはや生物の住む世界ではなくなっているかも知れない。
 光と熱とを出し続けているこの太陽が、どうして冷えきってしまわないのか。どうして巨大な、アンタレスのような星になるのか。この問いに簡単に答えることはむずかしい。けれども、星の進化が全く逆転してしまったのは、星の光るエネルギーのもとが、核融合の原子力だとわかったからといえる。この核融合は、星のなかで発見され、地上で水爆に姿を変えて実現されたけれども、星の生涯についての考えも全く変えてしまったのである。
 太陽がこれから明るくなるのなら、逆にむかしはもうすこし暗かったであろう。地球が受ける熱も少なかったに違いない。そんな計算をした人もある。地球の今の年齢を四十億年とすると、その半分の二十億年くらい前には、地球上の水がほとんど凍っていたという勘定になる。地球で発見されている一番古い化石が、何でも十数億年むかしのものだそうだが、何かこれと関係がありそうである。つまり、凍っていた水が次第にとけはじめた頃に、はじめて生命が地球上に生れたと考えてもよさそうである。
 あまり臆測をたくましくすると、そろそろ「宇宙ボケ」といわれそうである。もっとも天文屋などという人種は、宇宙ボケの最たるもので、すみれよりもパンよりも星が好きだというのだからやむを得ない。
 このごろの宇宙という言葉には、あまり遠くないところを指していう場合があるようだ。一つの例は宇宙旅行である。宇宙旅行というのは、大体は月とか火星をいっていて、太陽系の外はまああまり考えていない。
 ロケットや人工衛星の時代になると、われわれに比較的近いこの空間のことが、飛躍的によくわかってくることは確かである。そこでこの比較的近いところ、具体的にいえば地球のずっと高いところから始まって太陽系全体くらいのところを、何かうまい言葉でおきかえる必要がある。
 英語ではスペイスという言葉をよく使う。宇宙旅行はスペイス・トリップといって、ユニバースとかコスモスは使わない。
 話が固くなって恐縮であるが、国際地球観測年がすんだ後も、ロケットや人工衛星での研究を国際的に続けるために、スペイス・リサーチの特別委員会というのを国際的につくろうという気運になっている。ここで早速スペイスが出てくる。「スペイス・リサーチ」を「宇宙研究」ではちょっと困る。アンタレスの研究などはスペイス・リサーチのなかに入っていないからである。
「空間研究」なら直訳でいいけれども、これは数学屋さんから文句が出そうである。数学者のなかには、ヒルベルト空間とか、何とか空間とか、むずかしい抽象的な空間を考えている人たちがいるからである。この間も二、三人でだべったときに、この話を出したら、みんなハタと困ってしまった。
 何でも宇宙という言葉は、准南子かなにかによると、宇は時間、宙は空間を意味するのだそうだ。それじゃ宙の字に何かつけたらどうかと。亜宙、準宙、小宙、近宙など、いろんな字をくっつけてみたが、みんな落第。じゃあしかたがないから「空間物理研究」に一応しようや、てなお茶のみ話になってしまった。
 こういう近くの空間の研究と、遠い星や星雲の研究の大きな違いは、人工衛星やロケットで直接確められるかどうかということにある。太陽から微粒子が飛んで来るといったところで、今までは地上にいて、間接にそう考えていたに過ぎない。ところが人工衛星を遠くに飛ばしておけば、太陽からやってくるそのものズバリがつかまえられる。そんなことを想像していると、天文屋は、いつも間接にしらべることに馴れているので、何だかあまりはっきりわかりすぎて、こわいようなことになりそうな気もする。
 けれども、そういう近い空間の研究が、遠い宇宙の探究に大きな影響をもつことは確かである。あと、五年、十年すれば、ぼくたちが全く想像していないことがわかってくるに違いない。星のエネルギーのもとが核融合であることは変らないにしても、星の生涯の考え方が四転するかも知れない。アンタレスが星の生涯のどの時期にあたるのかも、変ってくるかも知れない。
 しかしそれとは別に、夏の夜、西の空にいそぐさそりの姿を見、アンタレスの光のゆらぎを見るとき、年老いた星があえぎつつある姿と想像することは、いつの日にも許される、詩なのであろう。





底本:「日本の名随筆 別巻16 星座」作品社
   1992(平成4)年6月25日第1刷発行
底本の親本:「随筆サンケイ」
   1958(昭和33)年7月号
入力:toko
校正:noriko saito
2022年10月26日作成
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