厳禁の広告放送

和田信賢




 日本のラジオでは、広告放送は一切許容されてゐない。その昔は逓信局といふ放送にとつては大変怖いお役所があつて、一切の原稿はそこに提出する。アナウンサーの実況放送も原稿を提出しなければならないし、宮廷ニユースなどは全部アナウンスされたのを録音しておいて、万が一の時の証拠にする。
 ましてや落語や漫才などで、うつかり、どこ/\の最中もなかは美味しいとか、どこ/\の羊羹は甘いとかいはうものなら、パツとスイツチが切られてしまふ。喋つてゐる当人には分らないが、この遮断をする係りは四六時中遮断機を手に握つてゐなければならぬ。まことに御苦労様な御役目である。
 ところがわれ/\アナウンサーが、この禁断の広告放送をついうつかりやらかしさうになつたことがたび/\ある。
 決して故意にやつたわけではないのだが、神宮競技場などへ行くと、選手の控所では競技のウオーム・アツプにかゝる前に必ず手脚にサロメチールを塗つてゐる。この匂ひがぷん/\廊下を流れて来るが、こんなことはわれ/\アナウンサーにとつて放送のいゝ材料である。
 例へば神宮競技場で各府県対抗の青年団競技など、各府県ブロツクに分れて控室でせつせと介添への涙ぐましい介抱にサロメチールを塗つてゐる図など、早速マイクロフオンの前にとり上げて、
「北海道代表の某君、いよ/\これから四百メートルのスタート・ラインにつく所でありますが、さきほど控室を覗いてみますと、一生懸命になつて、この一戦に備へてか、サロメチールを塗つてをりました――」
とやつてしまふ。
 なんぞ測らん、このサロメチールは売薬品の名前であつて、大変な広告放送になるといふのである。勿論えらいお目玉を喰つた。
 又朝の婦人の時間の家庭メモで、
「傷を消毒する時、アルコールとかオキシフルで……」
と、かういつたところが、アルコールはいゝのだが、このオキシフルはやはり売薬品であつて、アナウンサーの不注意も甚しいと云ふのである。これまた始末書をとられたといふのだから、今から考へてみて、ほんたうにそんなことがあつたかと馬鹿々々しいほどである。
 逓信局の監督官といふものは、全放送時間中ラジオと首ツぴきで、あらを探してゐるのだからやり切れない。
 そして月末になると、某々アナウンサー誤読何回、訂正何回、失言何回といふやうな閻魔帳が届けられるのである。
 また屋外中継放送などに行くと、必ずこの逓信局の監督官はマイクロフオンの脇に、人によると傲然と構へて、われ/\の一言一句を聴き逃すまいとして坐つてゐる。安寧秩序を紊したり、風俗を害したり、今いつた広告に類することでも言はふものなら一大事である。私はこの存在が癪に障つて仕方がなかつた。
 後楽園の野球場が出来た時のこと、後楽園球場の外野の塀には明治キヤラメルとか、森永チヨコレートとか、わかもととか、いろ/\の広告が大きな字で書いてある。
 私は逓信局の監督官氏にひと泡吹かしてやらうと、ついいたづら気を起し、野球の試合がクライマツクスに達した七回、
「巨人軍の呉君が打つた左中間を破る大きな三塁打、球は転々として外野の塀に当つて居ります」
 この「球は転々として外野の塀に当つた」といへばいゝところを、私は、
「球は転々として、外野の塀のキヤラメルのラの字のところに当つてはねかへりました」
といつたものである。傍らに控えてゐた監督官氏、大きな目玉を剥いて私の方を睨みつけた。あれでキヤラメルの前に「森永」か「明治」をつければ、始末書は疎か、減俸は間違ひないところである。
 キヤラメルだけ喋つておいて監督官氏を横目でチラツと見た時、相手は振り上げた拳のやりどころがないやうな表情をしてゐたので、私は溜飲が一度に下つた。まあこんないたづらをしたこともある。
 今、民衆放送株式会社は新しい空間を貫いて、民衆のための楽しい放送を日本の空に撒き散らさうとしてゐる。日本にこれから生れ出る広告放送会社、私もこうした放送会社が出来る事を心から望んでゐるが、何年か前の広告厳禁のこの思ひ出は、ほんたうの昔語りとなつて、そんな馬鹿らしいことがあつたのかと笑ひ話になる時代の一日も速く来ることを祈る次第である。





底本:「日本の名随筆 別巻26 名前」作品社
   1993(平成5)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「放送ばなし―アナウンサア十年」青山商店
   1947(昭和22)年9月再版
入力:ネコステ
校正:栗田美恵子
2024年7月30日作成
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