火星旅行

A MARTIAN ODYSSEY

惑星シリーズその1

スタンリイ・G・ワインバウム Stanley G. Weinbaum

奥増夫訳




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火星前編



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 ジャービスはエアリーズ宇宙船の拘束こうそく総員配置で、思いっきり背伸びした。
「空気が吸えるぜ。スープのように濃いや。薄かったなあ、外は」
 うなずき指す火星の大地は、だだっ広く伸び、近接の月明かりで荒涼として、舷窓げんそうの向こうにあった。
 同情してじっと見つめる3人。技術者のプッツ、生物学者のリロイ、それにこの遠征隊の隊長兼天文学者のハリソン。
 ディック・ジャービスは名だたるエアリーズ探検隊の化学者。地球のお隣り、神秘的な火星に初めて足を踏み入れた人類だ。

 その昔、もちろん20年足らず前のこと、向こう見ずな米国人ドーニーが自らの命を犠牲にして原子力推進機を完成させ、わずか10年前に同じく向こう見ずなカードザがこれに乗って月まで行った。
 でも本当の開拓者はエアリーズ宇宙船の4人だ。
 別格は6回の月探検と、魅惑的な金星を狙って失敗したドランシー飛行だが、地球以外の重力をかみしめたのは彼らが最初だし、まさしく月・地球系を乗り超え、初めて成功した乗組員だ。
 そして、この成功が称賛に値するのは思うに、困難さと不快さだ。何ヶ月も地上の順応部屋で過ごしたり、希薄な火星の空気を吸う練習をしたり、ガタガタ反応モータ駆動の21世紀小型ロケットで宇宙に挑戦したり、全く見知らぬ世界に挑んだり……。

 ジャービスは背伸びをして、皮膚がむけた凍傷の鼻先を指で触った。満足げにまた息を吸った。
 ハリソン隊長が突然切り出した。
「ところで、何があったか聞こうじゃないか。君は予備ロケットで悠然と出発したが、10日間、行方知らずになったあげく、このプッツが変なアリ塚から君を見つけて拾った。仲良しの珍妙なダチョウもだ。さあ、しゃべり給え」
「シャベル? シャベルって何ですか」
 とリロイが当惑して尋ねた。
「話すことであります。語ることであります」
 とプッツがまじめに説明した。
 ジャービスは、ハリソン隊長が能面のうめんのまま一瞬面白がるのを見て言った。
「プッツのいう通りだ。私はシャベルであります」
 そして快活に話しはじめた。
「命令に従って、プッツが北へ離陸するのを見守り、それから自分のちっちゃな飛行艇に乗って南へ向かった。
 隊長、覚えているでしょう。着陸せず、面白そうな所を偵察せよという命令です。2台のカメラをセットし、カシャカシャ撮りまくり、ブンブンふかしてまわった。高度はちょっと高めのおよそ600※(全角メートル、1-13-35)。理由の1つはカメラ視野を広く取ること、2つ目はここ火星の空気が半真空で、低く飛ぶと下向き噴射でほこりを巻き上げるからです」
 ハリソン隊長がブツクサ文句を言った。
「それはプッツから全部聞いた。フィルムは確保しただろうな。フィルムこそがこの旅行費用をまかなうのだぞ。覚えているだろう、最初の月面写真に大衆が群がったのを」
 ジャービスが話を戻した。
「フィルムなら大丈夫です。さっき言ったように相当な速度でブンブン移動してまわった。計算通り、火星大気中を時速160※(全角KM、1-13-50)以下で移動すると、翼の揚力が出ず、下向き噴射を使わねばならない。
 そう、速度、高度、下向き噴射煙で、とにかく視界が良くない。
 だが見分けは出来て、飛んでいるところはただの灰色平原のみ。着陸以来、まる1週間調査していたところです。おなじみの小きたない草木や、ちっちゃな植生動物が地を這い回っている絨毯じゅうたんがどこまでも続いていた。リロイが生物かいと名づけたやつさ。
 これに沿って運行し、自分の位置を、指示されたとおり1時間毎に連絡したが、皆が聞いたかどうかは知らないよ」
 ハリソン隊長がピシャリ。
「聞いてたぞ」

 ジャービスは冷静に続けた。
「南へ240※(全角KM、1-13-50)、表面が低い台地に変わり、砂漠だらけとなり、だいだい色の砂になった。この時、推測が正しかったと思ったね。我々が着陸した灰色の平原はまさしくシンメリウム海、だいだい色の砂漠領域はザンサス。
 もしこれが正しければ、もう数百※(全角KM、1-13-50)南へ行けば、別な灰色平原のクロニウム海に出て、別なだいだい砂漠、スーリ・ワンかスーリ・ツウに出るはず。果たして、その通りだった」
 隊長がぼやいた。
「我々の位置は10日前にプッツが調査済みだ。さっさと本筋へ行こうぜ」
 それではとジャービスが続けた。
「スーリ砂漠を30※(全角KM、1-13-50)ほど進むと、信じようが信じまいが、運河に出たんだ」
「プッツが写真を100枚も撮ってるぞ。何か新しいことを聞かせろ」
「プッツも町を見たのか」
20も見ました。ただし泥の町であります」
 ジャービスはひりひりする鼻をこすりながら続けた。
「じゃあ、ここからプッツが見なかったことを話そう。この季節、昼は16時間だろ。あと8時間、ここから1300※(全角KM、1-13-50)飛んだら戻ろうと決めた。この時、スーリ・ワンかツウの上空におり、はっきりしないが40※(全角KM、1-13-50)以内と思う。そしたら、ちょうどそこでプッツの愛玩モータが止まった」
「止まったでありますか。どんな風でありますか」
 とプッツが気にした。
「原子力噴射が弱くなった。たちまち高度が下がりはじめ、突然、スーリ砂漠の真ん中にドスンと落ちた。しこたま鼻を窓にぶつけたぜ」
 ジャービスが傷ついた鼻を痛そうにこすった。
「硫酸で燃焼室を洗浄したでありますか。時々、鉛が2次放射するのであります」
 ジャービスがむかっとして言った。
「やったさ、10回以上もな。その上、さっきの衝撃で着陸装置がペシャンコになって、下向きジェットが壊れた。もし、動かしたらどうなったと思う。16※(全角KM、1-13-50)も、じか噴射したら、船底床が溶けちまったろう。幸運だったのはここじゃ1※(全角KG、1-13-52)300※(全角グラム、1-13-36)てことさ。でなきゃ、つぶれるとこだった」
 技術屋のプッツが叫んだ。
「自分なら修理可能であります。致命傷じゃないと断言します」
 ジャービスが皮肉を込めた。
「たぶん、そうだろうよ。飛べないだけさ。何も致命傷はない。だが、俺は救助を待つか、歩いて帰るか、どっちかだ。1300※(全角KM、1-13-50)だぜ。あと20日で出発しなければならないのに。1日65※(全角KM、1-13-50)だ、全く。ともかく、俺は歩きを決めた。救出の可能性は同じだ。さあ、忙しくなってきた」
 ハリソン隊長が割り込んだ。
「ちゃんと見つけただろう」
「確かに。とにかく、座席からひもをかき集めて、水タンクを背負い、弾装帯と拳銃を付け、少しばかりの非常用食糧を持って、出発した」
「水タンクだって。4分の1トン、250※(全角KG、1-13-52)もあるよ」
 と小柄な生物学者のリロイが口をはさんだ。
「満杯じゃない。半分もはいってないから地球の重力では110※(全角KG、1-13-52)ぐらいだけど、ここでは40※(全角KG、1-13-52)だ。それに俺の95※(全角KG、1-13-52)の体重だって、火星では30※(全角KG、1-13-52)しかない。だから、総重量は70※(全角KG、1-13-52)だ。つまりだな、自分の体重より25※(全角KG、1-13-52)少ないわけだ。計算したんだ、1日65※(全角KM、1-13-50)歩くにあたって。もちろん、温調寝袋おんちょうねぶくろを持ち込んで、真冬のような火星の夜に備えたよ。
 急いで出発した、跳ねるように、とにかく急いだ。昼間8時間で30※(全角KM、1-13-50)以上だ。むろんうんざり。砂漠をてくてく歩いた。リロイが名づけた生物かいはおろか、何もない。1時間ばかり歩くと運河に出た。まさしく乾いた水路、幅は約120※(全角メートル、1-13-35)、一直線の線路のようだった。
 昔は水があったのだろう。水路は緑の芝生のようなものでびっしり覆われていた。俺が近づいたときだけ、芝生が道を開けてくれた」
「えーっ」
 とリロイ。
「そうさ、例の生物かいの親戚だった。1つ捕まえた。指ほどの背丈のちっちゃなイネのような葉っぱで、か細い茎のような足が2本あったよ」
「どこにいる?」
 とリロイがせきたてた。
「行かせたさ。俺は歩かなきゃならないから、動く芝生をかき分けて進んだ。前方が開き、後方が閉じた。しばらく行くと、まただいだい色のスーリ砂漠に出た。
 俺はてくてく歩いた。ちくしょう、この砂にはうんざりだ。ついでにちくしょう、プッツのおんぼろもだ。ちょうど夕暮れ前、スーリ砂漠の端にたどり着き、灰色のクロニウム海を見下ろした。
 これを120※(全角KM、1-13-50)歩かなきゃならないか。その次に、ザンザス砂漠が300400※(全角KM、1-13-50)、シンメリウム海はもっと長い。うれしかったと思うかい。君らが見つけてくれないんで呪い始めたぜ」
「やってたんだぞ、ばか」
 とハリソン隊長がどなった。
「助かってないです。ともかく、昼時間を利用して、スーリ砂漠の崖を降りようと考えた。簡単な所を見つけて下に降りた。クロニウム海はこんな所だった。葉っぱの無いおかしな植物や、ミミズの群れがいた。ちらりと見ただけで、寝袋を広げた。これまで、半分死んだ火星では心配するようなことは何も見なかった。つまり、なにも危険はなかった」
「見たんだな」
 とハリソン隊長がいた。
「見ました。あとで話します。そう、ちょうどもぐりこもうとしたとき突然、荒々しい喧嘩けんかの声が」
喧嘩けんかとはなんでありますか」
 とプッツが独語でいぶかった。
「ジュ・ネ・シ・クァイ。何だか分からないよ」
 とリロイが仏語を翻訳した。
「そうさ、俺にも分からなかった。そこで、そっと近づいて見た。まるで大群のカラスがカナリアの群れを襲っているかのような、ピーピー、ククッククッ、カーカー、コロッコロッと大騒ぎ。根株ねかぶのまわりを1周すると、そこにトウィールがいた」
「トウィールだって?」
 とハリソン隊長。
「トビールだって?」
 とリロイとプッツ。
 語り部ジャービスが説明した。
「あの奇妙なダチョウさ。ともかく、トウィールというのがどもらずに言える一番近い発音だ。トルルウィールルルと叫んでいた」
「何をしてたんだ」
 とハリソン隊長がいた。
「食われようとしていました。キーキー鳴いていた。当然、誰だって鳴くでしょう」
「食われるって、何にだ?」
「あとで分かりました。その時見たのはひと束の縄のような黒い腕が、ほら、プッツが言ってたダチョウのようなやつに巻き付いていた。当然俺は関わろうとしなかった。どっちも危険だったら、心配事が1つ減るでしょう。
 だが鳥もどきは良く戦っていた。金切り声の合間に、50※(全角CM、1-13-49)のくちばしで激しくつついていた。更に、黒い腕の端っこに何かがちらちらっと見えた」
 ここでジャービスが身震いした。
「でも、決定的だったのは黒い小袋か箱かに気がついた時さ。鳥のような首にかかっていた。俺は思ったね、やつは賢いか、飼育されている。とにかく、これで決まった。自動拳銃を取り出して、敵だと見えたものにぶっ放した。
 触手がパッと吹っ飛んで、汚物が吹き出し、むかつくようなぜいぜいという音を出しながら、地面の穴の中に体と腕を引き込んだ。片方のダチョウは、くっくっと鳴きながらゴルフシャフト並みの足で辺りをふらつき不意に、俺に顔を向けた。俺はとっさに銃を構え、お互いにらみあった。
 火星人は、本当は鳥じゃない。ちょっと見ると鳥のようだが、そうじゃない。なるほどくちばしが一対あり、羽根のような付属物が少しあるが、本物のくちばしじゃない。少し自由が効き、端から端まで緩やかに曲がり、くちばしと鼻の中間のようなものだ。足指は4本、それを手と呼べばだが、4本の指があった。体はちょっと丸っこくて、長い首の上にちっちゃな頭とくちばしがあった。背丈は俺より3※(全角CM、1-13-49)ぐらい高かった。そう、プッツが見た通りさ」
 技術屋のプッツがうなずいた。
「ああ、見たであります」
 ジャービスが続けた。
「こうして、我々はお互いににらみあった。すると、やつは鳴き立てながらパタパタ体を動かして、俺に素手を差しのべた。俺は、友情の身振りだと察した」
「お前の鼻を見て、兄弟だと思ったんだろうよ」
 とハリソン隊長が茶化した。
「まったく。隊長はいらんことを面白がるんだから。とにかく俺は銃を置いて気にするなというようなことを言った。すると、やつが近づいてきて、我々は友達になった。
 その頃になると太陽がかなり低くなって、火を焚くか、温調寝袋おんちょうねぶくろに入った方が良いと思った。俺は火を焚くことにした。スーリ砂漠の崖下に良い所を見つけた。ここなら岩が背中に熱をいくらか反射するかもしれない。
 乾燥した火星の植物をちぎり始めた。相棒が察して、ひと抱え運んできた。俺がマッチに手を伸ばしたが、この火星人は自分の袋に手を突っ込んで、何か赤い石炭のようなものを1つ取り出した。ひとさわりで火が燃え盛った。みな知ってるだろう、火星大気中の着火作業は。
 その袋だがね、作り物なんだよ、君達。端っこを押すとパカンと開き、真ん中を押すとピッタリ閉じて線が見えないのさ。ジッパーより優れている。
 しばらく火を見つめ合っていたが、この火星人と何とか会話をしようと思った。俺は自分を指してディック。やつは意味をすぐ理解し、指爪を俺に向けてティックと繰り返した。それから俺はやつを指差した。
 やつはウィールとかなんとか、鳴き声を返した。アクセントは真似できない。うまく行きつつあった。名前を印象づけるために俺をディック、やつを指してトウィールと繰り返した。
 ここで行き止まった。やつは嫌な響きのクックック音やポッポルーのようなことを言った。これはほんの始まりだった。俺はいつもティックだったが、やつは自分のことは時々、トウィールだったり、ポッポルーだったり、ほかに16種類もの雑音を出した。
 ほんとに通じない。岩、星、木、火、あらんばかり試したが、1語も通じない。ものの2分も続かない。あれが言葉かどうか、俺はけ学出身だからなあ。遂にあきらめて、やつをトウィールと呼ぶことにした。そして、そうなりそうだった。
 だが、トウィールは俺の言葉をちょっと掴んでおり、2、3覚えていた。これはすごいことだ。言葉を覚える場合、徐々に慣れなければならないからね。しかし俺はやつの言葉が理解できなかった。微妙なアヤを聞き逃したのか、あるいは単に同じ事を考えていなかったか、どっちかだ。きっと後者だ。
 信じる訳がほかにもあった。しばらくして言葉学習をあきらめて、算数を試みた。俺が地面に2プラス2=4と書いて、それを小石で表示した。すると、トウィールは考えて、3プラス3=6と俺に教えた。再びうまくいったようだ。
 そこで俺はトウィールが少なくとも小学校程度の教育を受けていると知って、太陽の円を描いて、最初にこれを指し示し、次に沈み行く太陽を指差した。それから水星、金星、母なる地球、火星を描き、最後に火星を指差しながら、片手で辺り一面を払い、ここが火星だということを全身で身振りした。俺の故郷が地球だということを教えようとした。
 トウィールは俺の絵がすっかりわかった。くちばしで突っついて、大袈裟にクワッ、クワッと鳴いて、火星にダイモスとフォボスを、地球に月を書き加えた。
 何の証明か分かる? トウィール族は望遠鏡を使う文明人ということさ」
 ハリソン隊長がピシャリ。
「そうじゃない。月はここから5等星に見えるぞ。肉眼で動きも見えたはず」
「月はその通りですね。でも、重要点を見逃してます。水星は見えない。だがトウィールは水星を知っていた。月を2番目に書かないで3番目に書いた。もし水星を知らなければ、地球を2番目、火星を4番目でなく3番目に書きますよ。そうでしょ」
「ふん」
 とハリソン隊長が鼻白んだ。

 ジャービスは続けた。
「とにかく、授業を行った。順調にいっており、私の考えが通じたようだ。俺は絵の地球を指差し、次に自分を指差して、さらに念を押して自分を指差し、それから夜空に青々と輝いている地球を指差した。
 トウィールがクワッ、クワッと興奮したので、俺は解かったんだと思った。やつは上下に飛び跳ねて、突然自身を指差し、それから空を差し、これを繰り返した。自分の腰を指し、次にアークトゥルス、頭の次にスピカを、足の次に星々を指し示した。俺はただ唖然と見とれた。それから、不意に、ものすごく跳ねた。
 いやはや、なんという跳躍だ。星明かりに向かって一直線、20※(全角メートル、1-13-35)たっぷり。夜空に姿が見え、宙返りをうち、俺をめがけ頭から突っ込んできて、くちばしで槍のように着地した。砂に描いた太陽円の中心を完璧に突き刺した。大当たり」
 隊長が叫んだ。
「馬鹿な、くだらん」
「私もそう思った。口をぽかんと開けてみている間に、やつは砂から頭を引き抜いて立ち上がった。このときは、やつが勘違いしたと思って、ばかばかしい説明を初めから繰り返した。だが結果は同じ。トウィールは鼻先を絵の真ん中に突き立てた」
「きっと、宗教儀式だろう」
 ジャービスもあいまいに、たぶんと返事して続けた。
「ともかくそこまでだった。ある所までは考えが通じ合ったがそれから出来ない。何かが異なり関連がない。きっとトウィールも俺が馬鹿だと思っちゃいないだろう。見方が異なる世界にいるだけだ。おそらくやつの見方も事実だろう。だが同じにならない、それだけのこと。でも、どんな障害があっても俺はトウィールが好きだ。やつも俺が好きだと妙な確信をした」
「ばかだ、ほんとに馬鹿だ」
 と隊長が繰り返した。
「そう? 待ってください。時々考えるんだが、たぶん……。とにかく遂にあきらめて温調おんちょう寝袋に入って眠った。
 たき火はそれほど体を温められなかったが、寝袋は完璧だった。寝袋を閉めてから5分も経つと蒸し暑くなった。少し開けたとたん、やったぜ! -60℃の空気が俺の鼻を直撃、そのときロケット墜落の際に受けた傷におかしな凍傷ができちゃった。
 俺が寝ている間にトウィールが何をしてたか知らない。近くに座っていたが、俺が起きた時はいなかった。だが寝袋からごそごそ起きた時、鳴き声が聞こえて、やつが来た。あの3階高さのスーリ崖から飛んできて、俺の横にくちばしで着地した。俺は自分を指差し、北を指差した。やつは自分を指して、南を指差した。だが、俺が荷物をしょって、歩き始めると一緒についてきた。
 なんとまあ、やつの移動方法は。ひと飛びで45※(全角メートル、1-13-35)、槍のように空中を突き進み、くちばしで着地する。俺のノロノロ走行に驚いたようだったが、しばらくすると俺の横に戻ってきた。ただし、数分おきにひと飛びし、俺のひと区画先の砂上に鼻を突き刺した。それから俺をめがけて飛んで戻った。最初くちばしが俺に向かって槍のように突き進んでくるのが恐かったが、常に俺の横の砂地に着地した。
 俺達2人ふたりはクロニウム海をのろのろと進んだ。ここも同じような場所だ。同じ奇妙な植物や、砂上に生育するちっちゃな緑色の生物かいがあり、行く手にうじゃうじゃいる。知っての通り、お互いに言葉は通じなかったが、まさしく仲間だった。俺は歌を歌った。トウィールも歌ったと思う。少なくとも、やつの鳴き声には形容しがたいリズムがあった。
 それから、趣向を変えてトウィールが少しばかりの英単語を披露した。露出した岩を指差してロック、小石を指差して同じことを言った。あるいは俺の腕を触って、ティックと繰り返し言った。同じ単語が同時に2つを意味することを、楽しんでいるようだった。つまり、同じ単語が別なものにも使える。もしかしたらおそらくトウィールの言語は、地球人の原始言語じゃないかと察した。
 ねえ、隊長、例えばネグリト人は総称語を持たないでしょう。ネグリト人は食物とか水とか人間という総称語がなく、ごちそうと毒物、雨と海、力持ちと弱虫という言葉だけで、一般名称がない。ネグリト人は非常に原始的だから、雨と海は同じものが別な様相を示していることが解からない。でもトウィールには当てはまらない。お互いにどこか奇妙に異なっているだけだ。心がお互いに異邦人だった。だが、我々はお互い好きだった」
 ハリソン隊長が茶々ちゃちゃを入れた。
「あほなだけさ。だからお前ら2人、好き合ったんだよ」
「私は隊長も好きさ」
 とジャービスがうまく切り返し、話を続けた。
「とにかく、トウィールがおかしいだなんて思わないでください。実際、人間の高尚な知性に、いたずらの1つ2つも伝授できないとは思えません。まあ、知的超人じゃないでしょう。だが、俺の心の動きをちっとは理解できた点を見落とさないでください。俺はトウィールの心の動きを全くつかめませんでしたが」
「トウィールに無いからだ」
 プッツとリロイは気取られないように目配めくばせをした。
「隊長、私の話が終わってから判断してくださいよ。俺達はその日と次の日も1日中、クロニウム海をのろのろと進んだ。クロニウム海は時の海だ。そうだなあ、この旅の終わり頃にはスキャパレリの命名に賛成しよう。灰色の不気味な植物が果てしなく広がるばかり。ほかに生物の兆しが全くない。余りにも単調なので、2日目の夕方、ザンサス砂漠を見た時はうれしかった。
 俺はほとほと疲れ果てたが、トウィールはあい変わらず元気だ。やつが食ったり飲んだりするのを見たことがない。やつならクロニウム海を鼻のひとっ飛びで数時間以内に横断できるだろうに、俺にくっ付いてきた。
 水を2、3回奨めた。カップを取って、水をくちばしに吸い込んだが、全部カップに吐き出して、丁重に返した。
 ちょうどザンサス砂漠、つまり境界の崖が見えた時、うっとうしい砂嵐が吹き荒れた。以前ほどひどくは無いが、向かい風だ。俺は寝袋の透明カバーを取り出して、顔を覆い、なんとかうまく対処できたが、トウィールを見ると、くちばしの下にある口ひげのような羽毛のひらひらを使って、鼻孔を覆い、同様な羽毛で目を保護していた」
「砂漠の生き物ですよ」
 と小柄な生物学者のリロイが口をはさんだ。
「ほう、どうして?」
「水は飲まないし、砂嵐に適応しているからですよ」
「何もわかっちゃいないな。この乾ききった火星のどこにも水はない。地球ではすべて砂漠と呼ぶ、だろ」
 ここで、ジャービスが一息いれてから、話をいだ。
「さて、砂嵐が止んだ後は微風が顔に当たっていたが、砂を巻き上げるほどではなかった。と突然、ザンサス崖から、小さな透明な球が漂流してきた。まるでガラスのテニスボールだ。
 だが、軽い。この薄い大気中でも浮いている、しかも空っぽだ。ともかく2、3個割ってみると、何も出てこないが、悪臭がする。トウィールに聞いてみてもノー、ノー、ノーと言うだけで、何も知らないようだった。球は、シャボン玉か、転がり草のようにはずみながら去って行った。そして、俺達はザンサス砂漠の方へのろのろと歩いて行った。トウィールはあの透明な球を指差しながら、ロックと言ったが、俺は非常に疲れていたので取り合わなかった。後になって、やつの言った意味が分かるのだが。
 遂に、ザンサス崖下に到着した。その頃、日は多く残っていなかった。出来るなら台地で眠ろうと決めた。理由は、ザンサス砂地よりも何か危険なものがクロニウム海の植物の間を徘徊はいかいしそうだったからだ。
 危険な兆候は1つも無かった。ただトウィールを捕まえた縄腕なわうでの黒い物体は別格。どうやら現れる気配は全くないが、獲物を手の内におびき寄せるらしい。俺が寝ている間に襲われなかったのは特別にトウィールが一睡もせずに一晩中辛抱強く座ってた為かもしれない。あの生物がどうやってトウィールを罠にかけたか不思議だったが、トウィールに聞く手だてはなかった。後になって解った。まさしく悪魔そのものだ。
 でも、我々はザンサス崖下を歩き、登りやすい所を探し回った。少なくとも俺にだ。トウィールなら簡単に飛び越せたろう、スーリ崖より低かった。たぶん18※(全角メートル、1-13-35)ぐらいだ。
 場所を見つけて登り始めた。背中に縛った水タンクを呪ったが、登るとき以外は苦にならなかった。と、突然、音が聞こえた。聞き覚えがあった。
 知っての通り、薄い大気中では音がどんなに当てにならないか。銃声はコルクがポンとはじけるような音だ。しかしこの音はロケットの轟音だ。間違いない、わが第2予備機が、16※(全角KM、1-13-50)西方、俺と夕日の間を通過した」
「それが私であります。君を探しに来たのであります」
 とプッツが叫んだ。
「ああ、知っていた。だが、何かよくなったか。壁につかまって、大声で叫んで片手を振った。トウィールもそれを見て、クワッ、クワッと鳴いて、壁のてっぺんに飛び上がり、空中高く飛んだ。見ると、機体はグウォーンといいながら南の物陰へ消えて行った。
 俺も崖のてっぺんへ駆け上った。トウィールは、なお興奮して鳴きながら、空高く上がって頭を下に突進して、くちばしを砂上に突き立てた。俺は南と自分を指差した。トウィールがイエス、イエス、イエスと言った。俺は思ったね、やつは飛行物体を俺の身内、たぶん親だと考えた。やつの知性を間違ったかも。今そう思う。
 発見されず、がっくりきた。
 俺は温調袋を引っ張り出して、中に潜り込んだ。もう夜の冷気が降りた。トウィールはくちばしを砂に突き立て、足と腕を引っ込め、あたかも枯れ木のようになった。一晩中こうやっているのだろう」
「保護擬態です。でしょう? 砂漠の生き物です」
 とリロイが口をはさんだ。

 ジャービスは続けた。
「朝になって、再び出発した。ザンサス砂漠を100※(全角メートル、1-13-35)も進まないうちに、何か変なものに出くわした。プッツが写真に撮ってないことを請け合うぜ。
 小さなピラミッドの行列が現れた。高さ15※(全角CM、1-13-49)以下の建物がザンサスの向うまで続いていた。小さな建造物はレンガで出来ており、中は空っぽ、先端は無いか、少なくとも壊れており、空洞だった。指差してトウィールに何だと聞いたが、否定的な鳴き声しか返ってこなかったので、たぶん知らないのだろう。それで俺達はピラミッドの行列に沿って進んだ。ピラミッドも北へ伸びていたし、我々も北へ行くところだった。
 いやあ、何時間もあとをつけた。しばらくして、また奇妙なことに気づいた。だんだん大きくなっている。どれもレンガの数は同じだが、だんだん大きくなっている。
 昼頃になると、肩の高さまで大きくなった。いくつか調べたがすべて同じ、天井が壊れ、空っぽだ。同じようにレンガを1つ2つ調べたところ、珪素だ、しかも天地創造ぐらい古い」
「どうしてわかりますか」
 とリロイがいた。
「風化して角が丸くなっているからだ。地球では、珪素は容易に風化しない、ましてはこの気候では」
「どれくらい古いと思いますか」
「5万年〜10万年。言えるか。朝見た小さいのはもっと、おそらく何十倍も古い。ぼろぼろだった。
 そうなるにはどれほど古いか。50万年か? 誰が知るか」
 ジャービスがしばらく間を置いて続けた。
「で、行列をたどった。トウィールはこれを差してロックと1〜2回言ったが、すでに以前何度も言った。まあ、大体これについては正しい。
 やつに聞いてみた。ピラミッドを指差して、人間か? と言って俺達2人ふたりを指した。やつは否定的なそぶりを見せて、ノ、ノ、ノ、1・1・2。ノー、2・2・4と言いながら、胃をさすった。俺はただ見つめるばかり。やつはまた同じ事をした。ノー、1・1・2。ノー、2・2・4。俺は唖然と見とれた」
「それでわかったぞ。やつはあほだ」
 とハリソン隊長が叫んだ。
 ジャービスが冷ややかに尋ねた。
「そう思いますか。私は違ってると思います。ノー、1・1・2は、隊長には分からんでしょうね」
「分からん。君もだろ」
「私は分かります。トウィールは数少ない英単語を使って、かなり込み入った考えを伝えた。聞きますが、隊長は算数というと何を考えますか」
「そうだな、天文学か、論理学だな」
「それですよ。ノー、1・1・2と、トウィールが私に言ったのは、ピラミッド建造者は人間じゃない、即ち知性のない非論理生物だということです。わかった?」
「ほう、これは驚いた」
「そうでしょう」
「なぜ、腹をこするのですか」
 とリロイが口をはさんだ。
「なぜって、それはだね、生物学者さんよ、脳が腹にあるからだよ。脳はちっちゃな頭の中になくて、腰にあるんだ」
「シ・パシーブラ、あり得ないです」
「火星じゃなければそうだろう。ここの植物群、動物群は地球的でない。例の生物塊が証明している」
 ジャービスが、にやりと笑って話を続けた。
「とにかく俺達はザンサスをのろのろ進んだ。午後の中頃、何か奇妙なことが起こった。ピラミッドが終わった」
「終わりましたか」
「そう。最後が奇妙だった。今や3※(全角メートル、1-13-35)ふたがある。分かるか。誰が造っているにせよ、いま中にいる。俺達は50万年前の昔から、現在まで辿たどってきた。トウィールと俺は同時にハッと気がついた。俺は自分の自動拳銃をぐいと引き抜いた。中に1発のボランド弾がはいっている。トウィールは手品のように、自分の袋から奇妙で小型のガラス拳銃をパチンと取り出した。
 俺のと同じような武器だったが、例外的に握りのところが太くて、4本のかぎ爪に合うようになっている。俺達はいつでも撃てるように構えながら、そっと空ピラミッドに忍び寄って行った。
 最初にトウィールが変化に気づいた。レンガの最上段が持ち上がり、揺れて、突然ドスンと側面を滑り落ちた。すると、何か、何かが出てきた。
 長い銀灰色の腕が現われ、よろいを着けた体を引きずり出した。よろいうろこで、銀灰色、にぶく光っている。怪獣は腕で穴から体を持ち上げ、砂の上にドスンと落ちた。
 得体えたいのしれない生物だ。体は大きな灰色のたるのよう、片方に腕と口の穴があり、他方に硬いとがった尾がある、これだけだ。足、目、耳、鼻はない、何も。怪獣は体を数※(全角メートル、1-13-35)引きずって、尖った尾を砂に差し、体を垂直に上げて、そのまま止まった。
 トウィールと俺は怪獣が動くまで10分待った。すると、ギュー、ギュー、ガサ、ガサとまるで堅い紙を丸めるような音を立てて、腕を口の穴に入れ、1個のレンガを取り出した。慎重に地面に置き、怪獣はまた静かになった。
 10分後にまた1個。まさしく自然のレンガ職人だ。俺が場を離れて行こうとしたその時、トウィールが物を指差してロックと叫んだ。俺が、なんだって? と聞き返すと、同じ返事をした。そして例の鳴き声のあとノ、ノと言って2、3回息をフー、フーと吹いた。
 俺は珍しく意味が分かった。ノーブリーズ? と聞き返し、その恰好をした。トウィールは有頂天でイエス、イエス、イエス、ノ、ノ、ノーブリートと応えた。それから、ひとっ飛びして、怪獣の近くに鼻で着地した。
 俺はびっくりした。想像してよ。腕がレンガを取り出している。トウィールが捕まってメタメタにされるんじゃないかと思ったが、何も起きない。トウィールが生物をポン、ポンとたたいても、腕はレンガを取り出し、きちんと最初の横に積み上げた。トウィールが再び体をたたいてロック。俺はすっかり落ち着きを取り戻した。
 トウィールはまたも正しかった。この生物は岩だ。息をしてない」
「どうして分かりますか」
 とリロイが切り出した。興味で黒目が輝いている。
「俺は化学者だ。この怪獣はシリカで出来ている。砂の中に純粋珪素があってそれで生きているに違いない。わかった? 我々やトウィールやここの植物や、生物塊すら炭素生命だ。この物は違った化学反応で生きている。珪素生命だ」
 リロイが叫んだ。
「ラ・ビ・シリシユース。珪素生命です。思ってはいたが、遂に証明された。見に行かなくっちゃ。イル・フュ・ケ・ジェ」
「わかった、わかった。見に行けるさ。とにかく、そこにいる。生きているとも、生きていないともつかないが、10分毎に動き、塊を取り出すだけ。この塊が排出物だ。分かるか? フランス人。我々は炭素生物で、排出物は2酸化炭素。これは珪素生物で、排出物は2酸化珪素、シリカだ。だがシリカは固体、だから塊さ。中で造り、一杯になったら、移動して新しい場所で始めるのさ。ぼろぼろになっても不思議じゃない。50万歳の生き物だもの」
「どうして歳がわかるんですか」
 とリロイは狂わんばかりだ。
「始めからピラミッドをたどって来たんじゃないか。怪獣がピラミッドの建造者であれば、どこかで終わって、そこで怪獣を見つけるだろう。ちがうか? そこで終わって、また小物から始める。これで充分じゃないか。
 怪獣は当然繁殖する。3番目の塊を出す前に、ガサガサ音をたて、透明な小球を次々放出した。これがやつの胞子か、卵か、種だ。好きなように呼んでくれ。
 うしろのクロニウム海で遭遇したように、ザンサスを飛んで行った。作用は直感で分かった。これがリロイへの情報だ。思うに、シリカの透明な殻は、卵の殻のような保護膜に過ぎず、実体は中の臭いだ。ある種のガスで、珪素に反応し、この元素が豊富なところで壊れると、何らかの反応が起きて、最終的にはあのような怪獣になる」
 小柄なフランス人のリロイが絶叫して言った。
「試すべきでした。1つつぶして見なくちゃ」
「ああ、やった。砂にたたきつけて数個、粉々に砕いた。1万年後に戻って来たいか? 俺がピラミッド怪獣を植えたかどうか。その頃ならたぶんわかるぜ」
 ジャービスはちょっと休んで、深いため息をついて言った。
「おお、何という奇妙な生物だ。想像できるか? 目はない、耳はない、神経は無い、脳もない、まったく機械だ。だが死なない。珪素と酸素がある限り、レンガを作り、ピラミッドを建て続ける運命だ。しかもそのあと休止するだけ。死なない。もし偶然100万年後に再び食料の珪素を与えれば、また動き始めるだろうが、知能や文明はない。全く奇妙な怪獣だ。だが俺はもっと変なのに出会った」
「だとしたら、夢でも見たんだろ」
 とハリソン隊長がかみついた。
 ジャービスはまじめに答えた。
「その通り。ある意味では正しいです。ゆめ怪獣、最適な名前です。しかも考えられる中で、最も悪魔的で恐ろしい生物です。ライオンよりも危険で、ヘビよりも狡猾こうかつだ」
「教えて! 見に行かなくっちゃ」
 とリロイが懇願した。

 ジャービスは再び間をおいてからしゃべった。
「このピラミッド悪魔じゃないよ。ともかく、トウィールと俺はピラミッド生物を後にして、ザンサスをとぼとぼ歩いた。俺は疲れていたし、プッツが拾ってくれなかったので気落ちしていたし、トウィールが鳴くのも、鼻を突っ込むのもしゃくにさわった。だから俺は黙って何時間も単調な砂漠を歩いた。
 昼下がり頃、黒い線が水平に低く見えた。正体が解かった。運河だ。前にロケットで横断したから、ザンサス砂漠のちょうど3分の1ほど来たことになる。うれしいじゃないか。それに、予定通りだ。
 運河にゆっくりと近づいた。俺の記憶によると、運河は植物で大きく区切られており、あたりに泥の町があった。
 前に言ったが俺は疲れた。うまくて温かい食事を考え続けた。それから回想にふけった。こんなへんてこりんな惑星よりボルネオの方がよっぽどくつろげる。そしてなつかしいニューヨーク、あそこで知り合った女、ファンシー・ロング、知ってるかい」
 ハリソン隊長が割り込んだ。
「テレビ歌手だろ。俺も彼女の番組を見た。素敵な金髪、踊と歌、ヤーバ・マテ・アワーだ」
 ジャービスが相好を崩して言った。
「そのさ。知り合いさ。ただの友達だけど俺を覚えているかな? 出発のとき、エアリーズ宇宙船を尋ねて来たよ。とにかく、ひどく寂しくなって彼女のことを考え続けた。こうする間に、ゴム植物帯へ近づいて行った。
 その時、どうなってんだ。目を凝らした。彼女がいる、ファンシー・ロングだ。真っ昼間、奇妙な木の下にすっくと立ち、笑って手招きしている、ちょうど出発した時のように」
「さてはお前も気が違ったな」
「いやあ、私もそう思いかけた。じっと見て自分の頬をつねり、両目を閉じ、開いて再度見つめた。何度見てもファンシー・ロングが微笑んで手招きしている。トウィールも何か見たようだ。クワッ、クワッと鳴いて飛んで行ったがほとんど聞こえなかった。俺は砂上を彼女の所へ駆け寄って行った。驚きのあまり疑いもしなかった。
 6※(全角メートル、1-13-35)まで近づいた時、トウィールがさっと飛んで俺を捕まえた。俺の腕を握って甲高い声でノー、ノー、ノーとわめいた。振り払おうとした。トウィールはまるで竹で出来ているかのように軽かったが、爪をたてて、わめく。ついに正気が少し戻り、3※(全角メートル、1-13-35)手前で止まった。まさに彼女が立っていた。プッツの顔ぐらいしっかり見えた」
「何でありますか」
 と技術屋がいた。
「彼女は微笑ほほえんで、手招きし、手招きしては、微笑ほほえんだ。俺はリロイのように黙って立ちすくんだ。一方トウィールはキーキー、クワックワッ。本物じゃないとわかっていたが、そこに彼女がいる。
 俺はたまりかねてファンシー、ファンシー・ロングと叫んだ。彼女はただ微笑ほほえんで手招きするばかり。とても6千万※(全角KM、1-13-50)離れていると思われないほど本物に見える。
 トウィールが硝子ガラス拳銃を取り出して狙った。俺はトウィールの腕を抑えたが、押し戻そうとする。狙いをつけノー、ブリート、ノー、ブリート。わかった、ファンシー・ロングは生きていない。
 いやはや、頭がくらくらする。
 でも、トウィールの拳銃が彼女を狙っているのを見て恐くなった。なぜ立ちすくんで狙撃を眺めていたか解からない、が、そうした。トウィールがハンドルを絞った。蒸気がぱっと上がり、ファンシー・ロングが消えた。跡に真っ黒な縄腕なわうでがのた打ち回っていた。以前トウィールを襲った奴だ。
 ゆめ怪獣だ。俺はめまいがして立ちすくみ、そいつが死ぬのを見た。一方、トウィールは声を震わせ鳴いた。最後に俺の腕をつかんで、のたくっているのを指差しながら、あなた、1・1・2、やつも、1・1・2と言う。8〜10回ぐらい繰り返したあと、解かった。君ら分かるか」
 リロイが甲高い声で言った。
「ウイ・モア・ジュ・レ・コンプレンド。私は分かりますよ。トウィールの意味は。君が考え事をしていた、怪獣も知った、でそれを見た。空腹犬なら肉付きの大骨が見えたでしょう、あるいは嗅いだでしょう、違いますか?」
「その通り。ゆめ怪獣は、獲物のあこがれと願望を利用して、わなをしかけるのさ。交尾期の鳥だったら相手が見え、獲物を物色中の狐だったら哀れなウサギが見えるだろうよ」
「どうやってわかりますか」
 とリロイがいた。
 ジャービスが身震いして答えた。
「知るか。地球のヘビはどうやって小鳥をおびき寄せる? 獲物を口に誘い込む深海魚だっているじゃないか。おお。怪獣がどんなに狡猾こうかつか分かるか。いま警告を受けた。今後は自分の目すら信用できない。君らは俺を幻視し、俺も君らを幻視して、そのじつ、黒い悪魔かもしれない」
 隊長がぶっきらぼうにいた。
「お前の友はどうやって解かったのか」
「トウィールですか。さあね。たぶん関係の無いことを考えていたんでしょう。そして俺が駆け出した時、変なものを見たと思って警告したんでしょう。あるいは、ゆめ怪獣は1つしか映像を映せないのかもしれない。トウィールは同じ物を見たか、あるいは何も見なかった。聞く手だてはない。だが、まさしくもう1つの証拠だ。彼の知性は我々と同じか、優れている」
「馬鹿に決まっとる。奴の知性が人間並みとなぜ分かる」
「いくつも。第1にピラミッド怪獣。1回も見てないと、言った。でも単調な珪素自動製造機だと理解した」
「奴はここらに住んでるんだろ。聞いたかもしれん」
 とハリソン隊長が反論した。
「それじゃあ、言葉はどうですか。私は彼の考えを1つも理解できなかったが、彼は俺の言葉を6〜7個覚えた。分かりますか。たった6つか7つの単語で複雑な考えを述べた。ピラミッド怪獣と、ゆめ怪獣。簡単な文句で、片や無害な自動機、こなた命取りの催眠術師。この点はどう?」
「ふん」
「ああ、ご勝手に。わずか6つの英単語しか知らずにやったことある? トウィールよりずっとうまくできる? それから、別な生き物のことを言わせて。我々から非常にかけ離れた知性の一種で、理解は不可能だ。トウィールと俺よりずっと不可能だった」
「えっ、何だ、それは」
「後で話します。私が言いたいのは、トウィールの種族とは友好的になる価値があるということです。私が正しいと分かるだろうが、火星のどこかに、我々と同じ文明や文化が存在し、たぶんもっと進んでいるかもしれない。彼らとの意思疎通は可能だ。トウィールが証明している。
 辛抱強い努力が何年も必要だろう、彼らの心は異星人だから。しかし、次に俺達が出くわしたやつらより異星人度は少ない。やつらに心があればだが」
「次のって? 何だ、つぎのは」

 ジャービスが顔をしかめて、話を続けた。
「運河沿いの泥町に住むやつらです。ゆめ怪獣と珪素怪獣はこの世で考えられる最も奇妙なものだと思ったが、間違いだった。この生物はもっと異質で、どれよりも理解できない。トウィールよりずっと理解できない。トウィールとは友達になれたし、がまんして集中すれば考えも交換できた。
 さて、ゆめ怪獣は瀕死状態で、穴の中に潜り込んだ。俺達は運河の方へ歩いて行った。そこには奇妙な徒歩とほ草の絨毯じゅうたんがあり、行く手をあわてて走り去った。土手に着いた時、黄色い水がちょろちょろ流れていた。ロケットから見たアリつか町は2※(全角KM、1-13-50)ぐらい右側だ。俺は無性に見たくなった。
 前にちらと見た時、荒れ地のようだったが、もし変なものが待ち伏せたとしても、トウィールと俺は武器を持っている。余談だが、トウィールの透明な武器は面白い装置だ。ゆめ怪獣の事件後、じっくりと調べた。銃は、ちっちゃな硝子ガラス弾を1発、発射する。たぶん中に毒が入っていると思う。弾倉に少なくとも100発、装填そうてんしているらしい。推進薬は蒸気だ。全くの蒸気さ」
 プッツがおうむ返しにいた。
「蒸気でありますか。何から作るでありますか」
「もちろん水だよ。透明な握りの中に、水と約100※(全角CC、1-13-53)の濃い黄色液体が入っている。トウィールがハンドルを絞ると、引き金はないが、1滴の水と1滴の黄色薬が発射室に注入され、水が蒸発して、パン、あのようになる。そんなに複雑じゃない。我々も同じ物は開発できるだろう。濃硫酸が水を沸騰加熱する。それに石灰もカリウムやナトリウムもある。
 彼の銃は俺ほどの射程距離はないが、この薄い大気中ではそんなに悪くないし、西部劇のカウボーイみたいに連射が出来る。少なくとも、火星の生き物には効き目がある。試しに、おかしな植物を撃ってみた。しおれて倒れなければことだぜ。これが、ガラス弾に毒を仕込んでいると思った理由だ。
 さて、俺達は泥山の方へ、とぼとぼと歩いた。俺は不思議に思い始めた。この町の土建屋がこの運河を作ったのか。俺が町を指差し、それから運河を指差すと、トウィールはノ、ノ、ノと言って、南の方を指差す。俺はそのしぐさを見て、ほかの種族が運河を造ったのだろうと思った。たぶんトウィール人だろう。わからん。おそらくこの惑星にはまだほかに知的種族がいるのだろう、1ダースも。火星はまったく変な星だぜ。
 町から100※(全角メートル、1-13-35)のところで道路に出た。たんなる固めた泥の小道だ。突然、1人の土建屋がやって来た。
 いやはや、変な生き物だぜ。まるでビヤ樽が駆けているみたいだ。足は4本、手も4本、あるいは触手かな。頭がない、体と手足だけだ。体の周りに目が1列ある。ビヤ樽のてっぺんには太鼓のように皮がピンと張ってある。これですべてだ。銅色の小型手押車を押して来た。おなじみの地獄コウモリのように横をさっと通り過ぎた。俺達に気づいてない。おっと、通り過ぎた時、目が少し動いた気がしたが。
 すぐあとに別なやつが空の手押車を押して来た。同じように駆け足で去って行った。うーむ、ビヤ樽一味に無視されたくない。だから3番目が近づいた時、道の真ん中に立った。もちろん、止まらなかったら飛び退く用意をして。
 すると、やつが止まった。止まって、てっぺんの太鼓をドーンと鳴らした。俺は両手を差し出して“友達だ”と言った。そしたらやつはどうしたと思う?」
「きっと、会えてうれしい、だろ」
 とハリソン隊長が探りを入れた。
「そう言ったら驚きゃしない。そいつときたら、突然、太鼓をたたいて、トーミダチと鳴らし、手押車を激しく俺に突き出した。俺がとっさによけると、やつはさっさと行ってしまい、俺は黙って後姿をながめた。
 1分後、別なやつが息せき切って走って来た。こいつは止まらずに、ただ太鼓をトーミダチと鳴らして、素早く通り過ぎた。どうして覚えたのか。この生物どもはお互い意思疎通するのか。親分、子分どもか。わからん。だがトウィールは分かっているようだ。
 とにかく、やつらは皆同じ挨拶をして、素早く走り去った。面白くなってきた。神が見捨てたような星に“友達”がそんなにたくさんいるとはとても思えない。俺はトウィールに困惑の身振りをした。トウィールは理解したと思う。1・1・2・イエス、2・2・4・ノーと言ったから。分かりますか」
 ハリソン隊長が答えた。
「もちろんだ。火星人の童謡だろう」
「いやあ。私はトウィールの象徴的な言い回しに馴れて、このように解釈した。1・1・2・イエスというのは生物に知性がある。2・2・4・ノーというのは知性が我々の基準じゃなく、何か別種で、2プラス2=4という論理の埒外らちがいにあると。ひょっとして考え違いかも。おそらくトウィールの言っていることは、奴らの精神は低級で、簡単な1プラス1=2なら分かるが、もっと複雑な2プラス2=4は分からない。だが、後で見るように、違う意味だったと思う。
 数分経つと、やつらがバタバタ1人、2人と戻って来た。手押車の中には石、砂、ゴム植物塊やそんなガラクタが一杯っていた。丁寧ていねいな挨拶を行うが、ちっとも親しみはこもっていないし、駆け足だ。3番目に来たやつは最初に知り合いになったやつだ、もう1回話しかけてやれ。再び道に立ちふさがって、やつを待った。
 やつは近づいて、トーミダチと鳴らしつつ止まった。見ると4、5個の目ん玉を俺に向けた。合言葉を繰り返して、手押車をぐいと押し出したが、俺はすっくと立ち止まった。すると、せっかちな生物は腕を伸ばして、指のような2本のはさみで俺の鼻をつまんだ」
 ハリソン隊長が笑った。
「ほう、やつには審美眼があるのう」
 ジャービスがぼやいた。
「笑いなさんな。前に鼻をひどくぶつけ、嫌な凍傷を負った。俺は、いたっ、と叫んで飛び退いた。やつは駆け去って行った。だがその時から、やつらの挨拶が、トーミダチ、イタ。まったく変な生き物だ。
 トウィールと俺は道路を真っ直ぐ、近くの土塚の方へ進んだ。やつらは行ったり来たり、我々にまったく無関心に、ガラクタ荷物を運んでいる。道路は入口にそのまま潜っており、古い坑道のように下っている。ビヤ樽たちが足早に出入りして、俺達に同じ挨拶をする。
 中を覗き込んだ。どこか下に明かりがある。見てみたい。炎や松明たいまつじゃなさそうだし、文明の明かりみたいだ。この生物達の進化の手がかりがつかめるかもしれない。そこで俺は中に入った。トウィールもぴったりくっついてきた。でも、クックッ、クワックワッと鳴き声をちょっぴり立てた。
 不思議な明かりだ。昔のアーク灯のように火花を出して、1本の黒棒が輝いており、回廊の壁に設置してある。間違いなく電気だ。どうやら、この生物は相当文明化している。
 それから何かの上に、きらきらする別な光がある。見に行くと、単なる光る砂山だ。俺は入口に向かって引き返そうとした。すると、まるで帰るなと言わんばかりに、悪魔が引き止めた。
 回廊が曲がっていたか、あるいは横道へ入ったか。ともかく来たと思った方向へ歩いて戻った。ところがもっと薄暗い回廊に出た。迷宮だ。曲がりくねった道が四方にあるだけで、所々明かりがあり、時折、生物がそばを走り、ある者は手押車を持ち、ある者は手ぶらだ。
 最初は大して心配しなかった。俺もトウィールも入口からほんの2、3歩しか踏み込んでない。だが動くたびに、奥深く入り込むようだった。たまりかねて、空の手押車の生物に付いて行った。ガラクタを取りに外へ出るだろう。だが、やつは当てもなく走り回り、あっちこっちの道を出入りする。コマネズミみたいに柱を回り始めたとき、俺はあきらめて、水タンクを床に降ろして、座り込んだ。
 トウィールも俺同様に迷っていた。俺が上を指差すと、情けない声でノ、ノ、ノ。ビヤ樽人からは助けてもらえそうにない。全く関心を示さない。ただ、トーミダチ、イタ、というばかり。
 ああ、何時間、いや、何日さまよっていたのか解からない。疲れ果てて、2回寝た。トウィールは睡眠が要らないみたいだ。上に伸びる回廊だけを辿たどったが、上に行くかと思うと、下へ降りる。
 このいまいましいアリ塚の温度は一定だったので、昼も夜も解からない、最初に寝たのが1時間なのか、13時間なのか分からない、しまいには時計を見ても、真夜中なのか、真昼なのか分からなくなった。
 変なものをいっぱい見た。回廊には所々機械が動いていたが、仕事をしているようには見えない。ただ輪が回っているだけだ。また何度も見たのが、2匹のビヤ樽怪獣の間に、小さなのが1匹育っており、双方につながっていた」
 リロイが狂喜した。
「パーセノジェネサス。単為生殖です。チューリップのように発芽するんです」
 ジャービスも同意した。
「そう言うのだったらフランス人よ。俺達をちっとも気にしないはずだ。トーミダチ、イタ挨拶のほかは。やつらにはどんな形態の家族も無さそうだ。ただ手押車で走り回って、がらくたを運ぶだけ。そして、とうとう、やつらが何をしているか解かった。
 運良く回廊に出くわした。上の方に長く伸びている。俺の感じでは表面近くまで来ているはず。突然、道が広くなって、大きな部屋に出た。今まで見た唯一の大部屋だ。やったあ。小躍りしたかった。天井の裂け目から日光のようなものが見えた。
 部屋の中には一種の機械があって、巨大なうすみたいなのがゆっくりと回っている。1匹の生物がガラクタを降ろしているところだった。
 砂や石や植物をうすが砕いて粉にして、どこかで選別している。見ていると、別なやつが行進して、作業を繰り返した。それだけのようだった。訳は分からんが、これが奇怪な火星の特徴よ。そして、もう1つ世にも信じがたい怪奇な事実があった。
 1匹の生物が自分の荷を降ろし、手押車をドンと横に置き、うすに平然と身を投げた。やつが粉々になるのを見て、仰天のあまり声も出なかった。と、そのあと別なやつが続いた。やつらにも完璧な秩序がある。つまり、手ぶらの生物が見捨てられた手押車を持って行く。
 トウィールは驚かなったようだ。俺が次の自殺を指差しても、ただ人間のように肩すくめをして、あたかも、それがどうしたと言わんばかり。この生物を大体知っていたに違いない。
 その時、何か別なものを見た。うすの向こうに何か光るものが、低い台座の上に乗っている。俺は見に行った。卵ほどの小さな水晶が、蛍光を放ち、地獄を照らしている。光が俺の手と顔を刺激した。まるで、静電気の放電みたいだ。とたん、面白いことに気がついた。覚えているかい、俺の左の親指にイボがあったろう。見てくれ」
 ジャービスが手を伸ばした。
干乾ひからびて、すっかり取れた。この通り。そして傷ついた鼻の痛みも、ほら、魔法のように飛んでいった。これには強力なエックス線か、ガンマ線か、それ以上の性質がある。病気の組織を破壊し、正常な組織は傷めない。
 俺は思ったね、このバカ騒ぎが終わった時、これを母なる地球へ持ち帰ったら土産みやげになるだろうと。うすの反対側へ全速力で駆けたまさにそのとき、手押車の1匹がすりつぶされるのを見た。少々の自殺には無関心になったようだ。
 その時、突然、あたりじゅうに太鼓の音が響き渡った。明らかに威嚇いかくだ。一団が突進して来た。俺達は進入した道を後戻りした。やつらがブンブン言いながら後を追っかけて来る。ある者は手押車を押し、ある者は手ぶら。狂った野獣だ。全員合唱で、トーミダチ、イタ。イタは好かん。なんだか暗示的だった。
 トウィールが硝子ガラス銃を取り出した。俺も背中の水容器を降ろして身軽になり、自分の銃を取り出した。俺達が回廊を後もどりすると、ビヤ樽怪獣が20匹ばかり追ってきた。変だ、荷を積んだ手押車獣がすぐそばを通り過ぎたが、挨拶しない。
 トウィールはこれに気がついたに違いない。とっさに、白熱石炭ライタを取り出して、荷台の草に触れた。パッと積荷が燃え出した。狂ったビヤ樽怪獣は足取りを変えず、そのまま押して行った。しかし、トーミダチに動揺が広がった。その時、気がついた。煙が渦を巻いて流れている。間違いなく出口だ。
 俺はトウィールをつかんで外へ駆け出した。後から20匹が追って来る。日光が天国のように感じられたが、ちらっと見ると、太陽はほとんど沈んでいる。こりゃいかん、火星の夜は温調袋おんちょうぶくろがないと、俺は外では死んでしまう、せめて火がないと。
 それに事態が急に悪くなった。アリ塚の間に追いつめられ、俺達は立ち往生してしまった。俺はまだ発砲しなかった。トウィールもまだだ。野獣を興奮させるので使えない。やつらはやや離れて止まり、例の挨拶を大声で、うなり始めた。
 更に事態は悪くなった。1匹のビヤ樽怪獣が手押車を持って来ると、一斉に手を突っ込んで、30※(全角CM、1-13-49)の銅矢をいっぱいつかんだ。とがっている。突然、矢が耳元をかすめた。ビューン。射ぬかれたら死ぬ。
 しばらくの間はよく戦っていた。次から次と手押車を狙い撃ちして、なんとか槍を最小限に食い止めた。ところがどっこい、にわかに雷のような音が、トーミダチ、イタ。穴から、敵が全員くりだしてきた。
 しまった、これで終わりだ、と観念した。その時、気がついた。トウィールはそうじゃない。トウィールなら、ひとっ飛びで泥山を簡単に飛び越えられるのに。俺のために留まった。
 そうさ、時間があれば泣いたさ。最初からトウィールが好きだった。逆の立場だったら、トウィールほど恩返ししたかどうか。仮に最初のゆめ怪獣から助けたにしろ、俺のためにたくさんやった、だろ? 俺は彼の腕を握ってトウィールと言って、上を指さした。彼は解かったと見えて、ノ、ノ、ノ、ティックと応え、硝子ガラス拳銃を発射した。
 俺に何が出来る。いずれ太陽が沈めば死ぬ。だが説明できない。俺は言った。トウィール、ありがとう。君は勇敢だ。お世辞じゃない。男の中の男だ。こんなことをするやつはいない。
 俺も自分の銃をバン。トウィールも自分のでパン。ビヤ樽たちは矢を投げつけ、飛び掛かる準備をして、トモダチだと、うなっている。俺はあきらめた。その時、突然、天使がプッツの姿となって天国から降りてきて、下向きジェットをビヤ樽どもに噴射して粉々に砕いた。
 うぉー、俺は大声を上げロケットへ走った。プッツが扉を開けて俺は飛び込み、泣き笑いして叫んだ。その時、はっとトウィールを思い出した。とっさに辺りを見渡すと、鼻跳はなとびで泥山を飛び越え去っていくのが見えた。
 プッツと激しくやりあって追跡にとりかかった。ロケットが空高く上がった頃、真っ暗になった。知っての通り、ここではあかりを消すみたいに夜が早い。俺たちは砂漠を飛び越えて、1、2回降りた。トウィール、と何百回も叫んだと思う。見つけることは出来なかった。彼なら風のように飛行できる。そして俺が聞いたのは、あるいは空耳かもしれないが、かすかな鳴き声が南の方からしただけだ。行っちまった、ちくしょう、行かないでくれ」

 エアリーズ宇宙船の4人は黙った。皮肉屋のハリソン隊長すらも。
 やっと、小柄なリロイが静寂を破った。
「見に行きたいです」
 ハリソン隊長が責めた。
「そうだ。イボの治療薬は。あれを見過ごしたのは大失敗だな。1世紀半も捜し求めている癌の治療薬になったかもしれないぞ」
 ジャービスが滅入ってぼそっと言った。
「ああ、そうだった。あれが戦いの元凶だった」
 ポケットからきらきら輝く物体を取り出した。
「ここにありますぜ」





底本:A Martian Odyssey. Originally published in the July 1934 issue of Wonder Stories.
原著者:Stanley G. Weinbaum
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翻訳:奥増夫
2023年4月11日作成
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