[#ページの左右中央]
[#改ページ]
いままで、無一文、ひどい空腹、落胆、疎外、無視までされたことがあるか。ふりかえると2、3か月前、言葉にするのも難しいが、思えばどん底はヘンショウ船長が部屋に押しかけた夕まぐれ――部屋はと言えば、とうとう24時間
そこに座ってるのが俺ジャック・サンド、元ロケット操縦士。ああ、お察しのジャック・サンド、あのガンダーソン・エウロパ探検隊を墜落させた張本人、2110年3月、ロングアイランドのヤング飛行場に着陸するとき、ちょうど1年半前だ。15年に感じる。
500日働いてない。18ヶ月間、友達からそっぽを向かれどおし、たまたま通りで出会ってもだ。その理由、臆病の札つき操縦士に
扉のノック音がしても目すら開けない。家主の女しか心当たりがないからだ。文句を言った。
「金がなくたって、俺の勝手だ、無視する」
「君の勝手だ、馬鹿なまねをするのも。なんで皆に住所を知らせないんだ」
その声がヘンショウ船長だった。
俺は思わず叫んだ。
「船長、どうしたんですか。船長も墜落したんで? クズの俺んちへ集合ですか」
と苦笑いして
船長が言った。
「仕事を持ってきた」
「ええっ。じゃあ、けっこうな仕事でしょうねえ。砂を運んで、飛行場の穴を埋めるとか。喉から手が出そうだが、それほどじゃあ」
「操縦士の仕事だ」
とヘンショウ船長が冷静に言った。
「誰が臆病のキズもの操縦士を欲しがりますか。どんな組織が臆病船を信頼しますか。知らないの? ジャック・サンドは永久に札付きだってこと」
船長が
「だまれ、ジャック。持ってきた仕事は私の配下の操縦士、新エウロパ衛星探検隊だ」
とたんに、カッカし始めた。だろ、木星第3衛星エウロパからの帰途、ガンダーソン隊を大破させたのが俺。だから、船長があざけりに来たのだと
「まったく、からかおうとするんだから」
だがそうじゃなかった。船長が本気だと分かって俺が落ち着くと、船長がゆっくり言葉を継いだ。
「ジャック、信頼できる操縦士が欲しい。私はなにも知らんのだよ。君がヒイラ宇宙船を墜落させたことは。その時、私は金星へ飛行中だった。君が信頼できることしか知らない」
ようやく、船長を信じ始めた。ショックから少し立ち直り、ヘンショウ船長がとても友好的なので事実を打ち明けようと思った。
「聞いてください、船長、評判やすべてを受け入れようとされていますので、どうやら説明のし
と中断した。おっと、この場に及んでイライラさせて申し訳ない。
「ただし、副操縦士のあのクラツカだけは肝心なことを言わないで、間違ったことをしゃべった。いやあ、確かに私の
船長がオウム返しで
「長時間勤務を2回もか。16時間勤務後に着陸業務かね」
「そういうことです。委員会に報告したことをそのまま話しますけれど、船長はたぶん信じてくれるでしょう。しかし、委員会は信じなかった。クラツカが交替に現れた時、やつはラリってた。やつは常習のヘキシルアミン中毒者で、3輪車すら運転できない。だから仕方なく寝室へ送り返し、ガンダーソン隊長へ報告したが、それはとりもなおさず、さらに着陸業務を続けることだった。
宇宙空間だったらそんなに悪くなかったかもしれない。宇宙では操縦士がやることは多くない。ただ船長の指定したコースをたどるだけ、それにたぶん警報時に隕石をよけるだけ。でも16時間ずっと重力場を降下して、自分担当の4時間勤務が来るころには目がかすむようになった」
「無理もない。長時間勤務が2回では」
ここでロケット操縦当番を説明した方がよいだろう。金星や火星のような短距離では宇宙船に操縦士が3人乗って、単純に8時間3交替勤務する。だが、これ以上遠くなると、空気、重量、燃料、食料などすべてが貴重だから、どのロケットも操縦士を2人以上乗せない。
その為1日の勤務は4交替になる。各操縦士は8時間長期勤務を1回、4時間休憩、4時間短期
話を続ける。気がかりは俺が愚痴ってるじゃないかと船長が思いかねないことだ。俺は繰り返した。
「目がかすんだ。だがクラツカは依然としてぼーっとしてるから、着陸業務をヘキシルアミン中毒者に任せたくなかった。とにかくガンダーソン隊長に報告すると、奴にも責任を少し持たせろということになった。そこでクラツカを操縦室に座らせて、着陸を開始した」
話すうちにすっかり興奮してきた。
「あいつら、バカ報道陣はみんなこう思ってる。ロケット着陸は寝床に身を横たえるようなものだ、逆噴射でゆっくり下りるだけだ。ああ、手さぐり着陸だってことを知らないんだ。地上90

船長は俺に怒りを発散させたまま止めなかったので話を続けた。
「さあて、期待通りの降下だった。ヒイラ宇宙船はいつも少し傾く

俺は口ごもった。
「何が起こったかは正確に知りません。一瞬だったし、もちろん全部は見てません。でもクラツカは気密扉を10分ばかりいじって突然、ひっくりかえるっ、というようなことを叫んで、スロットルをつかみ、噴射を止めた。まばたきする間もなく、噴射が止まり、クラツカが外へ身を投げた。あ〜あ、気密扉を開けてしまった。そう、地面からわずか20

「読んでない。君がしゃべれ」
「出来ませんよ、全部は。気絶していたんだから。でも推定は出来ます。いいでしょう。クラツカは噴射が止まったとき、数立方

「じゃあ、どうして君のせいにされたんだ」
と船長が
俺は声を押し殺して、
「クラツカのせいです。飛行場は着陸用に

「その後、クラツカの話で君のせいにされたんだな」
「ええ、そのはずです。でも飛行場では俺が当番だということを知っていた。着陸無線で話していたから。さらに、クラツカが最初に報道陣に接触した。俺はゴタゴタさえ知らなかった。やっと13日後にグランド・マーシ病院で気がついた。そのころまでにはクラツカがしゃべっており、俺がいけにえになっていた」
「でも、調査委員会は?」
俺はうめいた。
「確かに調査委員会です。俺は事前にガンダーソン隊長に報告したけど、目撃者の隊長は焼け焦げて、フェラルミン合金の不純物と化した。ともかくクラツカは姿を消した」
「クラツカは見つかったのか」
「消息はありません。クラツカを拾ったのはイオのジュノポリスでした。ブリッグスが白熱病で倒れたからです。クラツカの顔は交替するとき以外よく見てないし、直射日光の操縦室内ではどんな風に見えるかわかるでしょう。それにエウロパでは定常業務をこなしていたから、顔は詳しくは分からない。あごひげを生やしていたけど、長旅なら9割がそうなります。奴を拾った時の話では地球から来たばかりだと言ってました」
一息入れて、
「いつか、見つけてやる」
船長はさっと切り上げて、
「そうしてくれ。さて、今回の運航についてだが、私と君、物理化学者のコレッティ、生物学者のゴグロールだ。探検隊の科学者たちだよ」
「そうですか。ところで、副操縦士は? 気になります」
船長はゴホンと
「ああ、確かに。副操縦士か。言おうとしていた。クレア・エヴェリだ」
「クレア・エヴェリですって」
船長が
「その通り。
俺は吐き捨てた。
「あれは操縦士じゃない。金持ちのずうずうしい売名狂だ。ちょうど興味があったんで10ドルはたいて望遠鏡を借りてレースを見ていた。あの女は月を9番目に回っていた。9番目ですよ。どうやって勝ったか知ってます? 実は帰還時、ロケットを全力でふかし、減速軌道に突っ込んだんですよ。宇宙航行学の第2学年なら誰でも知ってます。減速軌道は成層圏と電離圏の密度を知らなければ計算できないってこと。できても賭けだってこと。それをあの女はやったんですよ。単なるばくちだ。そしてたまたま、ついていただけ。どうしてこの仕事に、スリル好きの金持ちアホを選んだのですか」
「ジャック、わしが選んだんじゃない。惑星協会が宣伝目的で選んだ。実を言うと、この探検そのものはちょっとした大衆受けの宣伝で、今春行った
「それならぴったりです。条件が少しでも違えば引き受けませんよ。それと……」
と不意に口をつぐんだ。しおれて
「あのう、俺の免許が取り消されたこと知ってますか」
「ああ、なんせ君の搭乗許可を取るのに、惑星協会ともめたからなあ」
それからニッと笑って、これっと言って封筒を放った。
「ほら、これを失ってどれくらい経つんだ」
でも、おなじみの青い免許証を一目見て、もろもろがいっぺんに吹っ飛んだ。クラツカやクレア・エヴェリや、すきっ腹さえも。
離陸は期待した以上に悪かった。現場へはおもんばかって操縦眼鏡をかけて行ったが、もちろんロケット仲間には、すぐばれてしまった。ミノス宇宙船があてがわれ、旧式だが、扱いやすそうだった。
取材記者たちは俺を無視するように命じられているに違いないが、俺には群衆の噂が聞こえるかのようだった。とどめはクレア・エヴェリ。テレビで見るよりずっとかわいいけれど、おなじみの
クレアが俺に向けた
さて、ようやくスピーチが終わり、写真屋や放送屋たちが
宇宙船は予想以上に悪かった。ミノス宇宙船は均整のとれたかわいらしい船だったが、ゆりかごのように前後に揺れた。地上放送が聞けるラジオを装備していたので、離陸の様子が分かった。
「……を満載。さあ、またまた揺れました。しかし、高度を上げております。おっと、いま噴射が止まりました。美しい炎の煙に包まれて落下中です。
離陸困難だって、でたらめだ。
俺は水準器の赤い気泡を監視していたが、クレア・エヴェリの顔をちらと盗み見ると、既にかっこよさと冷静さがなくなっている。そのとき水準器の気泡が振り切れると、横座にいるクレアが恐怖で小さく息を呑んだ。ゆりかごの揺れどころではない。本当に回転している。
俺はクレアの手をぴしゃりと叩いて、U字

「終わりです、いや違います、再び水平です。しかしなんという回転でしょう。彼女こそ本物の操縦士、
クレアはと見ると青ざめて震えているが、目は怒っている。俺はからかってやった。
「
でもこのときには思いもしなかった。クレアがロケット工学を情けないほど知らないなんて。
クレアが突然怒りだした。チッと舌打ち、唇が怒りで震えている。
「とにかく、黄金と色は関係ない。マラリア・サンドさんよ」
この言葉には傷つく。マラリアとはある高名な論者が俺に付けたあだ名だ。だろ、マラリアと言ったら臆病ジャックのことになってしまった。女がさらに突っかかった。
「それに、あんな回転なんか自分で立て直せる。お分かり」
「確かに」
と俺は最高の嫌みを込めた。さて、速度と高度が充分上がり、これなら安全なようだ。回転しても立て直しが何度も出来る。言ってやった。
「すぐ引き継いでくれ。厄介な部分は終わった」
クレアが
孤独とはこの為の言葉ではない。船長はとても親切だったが、船長の命令でクレアが長い
ゴグロールはもっと悪い。俺はじっくり見たことがないし、やつは仕事以外一言も言わない。でもなんか見覚えがある。クレア・エヴェリはと言えば、クレアの世界に俺がいないだけの話であり、交替のときですら無言だ。
あのときとっさに、男4人のこんな旅に女1人を乗せるなんて愚行だと、俺は言ったのに。
ところで、クレア・エヴェリは正当に評価しなければならない。そういう意味ではクレアは素晴らしいロケット乗りだ。不便な宇宙業務を、一言の不平も言わず引き受け、しかもとても気さくだったので、つまり俺以外に対してだが、若くて
そういうわけで、クレアの
こうしてうんざりするような旅が何週間ものろのろと過ぎた。太陽が地球上のわずか5分の1まで小さくなり、木星は巨大な月のようになり、縞模様と大赤斑が
イオには立ち寄らず、目的のエウロパへ直接着陸する予定だ。エウロパは巨大溶融天体・木星の第2番目の月。ある意味エウロパは太陽系の中でも一番奇妙な小球だ。そして長い間、不毛だと信じられてきた。表面の7割方はそうだが、残りは未開で奇妙な領域だ。
木星に面した側には巨大なくぼみがある。というのも、エウロパは地球の月のように片面を常に木星に向けているからだ。この巨大なくぼみに小世界の希薄大気がすべて湖のように集まり、山間の盆地に
よくあることだが、1つの盆地が他と完全に分断され、小世界を形成して、雲から雨が生じ、土着生命が生まれ、手つかずのまま、誰にも知られていない。
天体表ではエウロパは1列の数字でさらっと片付けられている。直径3200


とりわけ天体表に何も書いてないのが奇妙な生物。時々空気
我々5人のうち俺だけがエウロパを訪れたことがある、いやそう、そのときは思ってた。実際、この不毛な小衛星に足を踏み入れた人間は世界中ほとんどいない。つまり、ガンダーソン隊長とその仲間は、俺とクラツカ以外、死んでしまったから、我々が組織探検隊としては最初であった。
ただ、はねっかえりの冒険家が数名、我々より先にイオから出発した。
だからヘンショウ船長が俺に下した命令は、
「できるだけガンダーソン隊の着陸地点近くに行け」
次第にはっきりしてきたのは、着陸がクレアの長期勤務の終盤あたりになる。そのため自称

ガンダーソン盆地を見つけるのはとても難しかった。噴射の焼け跡はずいぶん昔だから草木に覆われて久しく、頼れるのは俺の記憶だけであり、当然全記録はヒイラ宇宙船と一緒に失われた。大体の場所は分かったが、あるはずの地形を本当に識別できない。実質上、このあたりの盆地すべてが通路でつながっており、道なりに歩けて、空気が吸えそうだ。
しばらくして、1本の細長い盆地を選んだ。かつて知ったる
「あそこだ。狭くて深いから注意した方がよい。厄介な着陸場所だぞ」
クレアは
「左だ。その左だ。そっちがやさしそうだ」
ゴグロールだ。一瞬驚いたが、向き直って冷静に、命じた。
「着陸中は操縦室に立入禁止だ」
ゴグロールは
だが俺は最初の推測にこだわった。いらだってクレアに当たり散らした。つっけんどんに言った。
「ゆっくりやれ。ここは飛行場じゃないぞ。ここいらの盆地に水準棒はない。100

クレアが唇を神経質そうに噛んだ。ミノス宇宙船は未熟な操縦のため、既に回転している。でも高度が15〜20

俺は不機嫌になった。クレアのかわいい顔にも緊張が走った。たとえ
「こんな着陸なんぞ黄金閃光には難しくないはずだ。それとも、全速で着陸するため減速軌道にはいりたいかもしれんが、あいにくここでは通用しない。大気が薄くてブレーキが効かないぞ」
数分後、クレアの唇が緊張で震えた時、言ってやった。
「操縦士になるのは、人気と
クレアが急変した。突然金切り声をあげて、
「じゃあ、やりなさい、やりなさいよ」
とU字
引き継いだ。選択の余地はない。ミノス宇宙船を引き起こし、クレアがやらかした回転を止め、それからゆるゆると逆噴射で降ろし始めた。それは情けないほど簡単だった。というのもエウロパの重力が弱いので降下速度がゆっくりで、充分な余裕をもって横滑りを修正できたからだ。
だんだんわかり始めたのは黄金閃光がロケット工学をみじめなぐらい知らないことだ。そして不本意ながら、
逆噴射が地面に当たって
この空気密度では100

クレアが涙を
「いい着陸だったよ、クレア・エヴェリ嬢」
「だったでしょう」
と俺がオウム返しで、クレアににんまり。
クレアが立ち上がり、震えている。地球重力なら操縦席に倒れかねない。というのも、見れば、黒い短パンの細い
クレアがニコリともせずに言った。
「私じゃありません。ジャック・サンド氏が着陸させました」
俺は何だかそのとき一気に哀れを覚えた。
「ええ、当番に入りましたが、見てください。難しいところは全部エヴェリ嬢がやりました」
時計では俺が当番に入って3分経過していた。
そして、クレアは席を立った。だが、俺にはどうしてもクレアが冷徹、
エウロパでの活動は波乱なく始まった。少しずつミノス宇宙船内の気圧を減らし、体を順応させた。最初コレッティが、次にクレアがひとしきり高山病に苦しみ、20時間後には全員が外気に
まず船長と俺が
盆地のずっと端、たしか丘に裂け目があって、右手の道で次の盆地につながるはずだが、右には無かった。ただ確認できたのは峡谷が丘を切り裂き、左へ続いていたことだ。
俺は船長に告げた。
「ガンダーソン盆地を間違えました。隣の左側盆地だと思います。この盆地と道でつながっており、記憶が正しければ、ここは
そのときふっと、ゴグロールが左側だと言ったことを思い出した。
船長が熟考して言った。
「道があるというのか。それなら、もう1回離陸して再着陸するより、ここに留まろう。道を通れば、ガンダーソン盆地で作業できる。確認するけど、高度が低くて酸素ヘルメットを使わなくてもいいだろうな?」
「道が正しければそうです。でも、ガンダーソン盆地で何の作業をするのですか。これは探検隊だと思うんですが」
船長は
まともな明かりでクレアを見たのはヤング飛行場の離陸以来はじめてだ。クレアの美貌を忘れかけていた。薄明かりに何週間もいたので当然クレアの肌は青白くなっていたが、
船長や俺と同じように、クレアも全身スキー服。寒冷なエウロパ衛星で着るやつだ。この小さな天体は多湿のイオに比べ、4分の1しか熱を受けないから不毛だろうが、例外的に片面が常に木星に向き合っているので、時々太陽から、そして木星から絶えず熱を受ける。
クレアが盆地を食い入るように見ていた。さては不毛な土地へ初めて来たのだな。知らない惑星に初めて足を踏み入れれば、未知への不思議や魅惑があるものだ。
クレアが船長を見た。船長はミノス宇宙船が着陸した焼土を丹念に調べている。それからクレアが俺をちらと見た。一瞬きつい眼をしたが、そのあと
クレアが俺を真正面に見据え、
「ジャック・サンドさん。あなたに
クレアの傲慢さが少し消えた。
俺はじっと見据えた。謝罪をするとは大変な決意だったろう。黄金閃光は気位の高い令嬢だからなあ。涙でまばたきするのが見えた。俺は言おうとして、返事に詰まり、ただ、こう
「わかった。意見は胸にしまっといて。おれも自説をしまうから」
クレアが赤面して、苦笑いしながら、声を沈めて言った。
「私はダメ操縦士ね。離陸と着陸は嫌い。実を言うと、ミノス宇宙船にはびっくりよ。ヤング飛行場を離陸するまで自分のちっちゃなレーシングロケット・黄金閃光より大きなものは操縦したことがないの」
俺は息がとまった。信じられないよ、この目で見なければ、あんな未熟な操縦は。当惑して
「じゃあ、どうしてだ。操縦がそんなに嫌いなくせに、なぜやるんだ。人気の為だけか。カネがあるからやらなくていいだろうに」
「カネですって」
とクレアが怒ってオウム返し。
ここで、クレアが視線を峡谷に泳がせて、不意に叫んだ。
「見て、山頂で何か動いている、
俺は説明した。林に石を投げて
話した。あの1

クレアがしきりに興味を持って目を輝かせていたので、すっかり恨みを忘れてしまった。エウロパの知識を披露することにした。
この生物をガンダーソン隊ではクルミと呼んでいた。
俺は有頂天だったと思う。だって何と言っても、何週間もかかってやっとつかんだ初めての友情だもの。2人で盆地をぶらついて、すべてを話しまくった。いろいろな惑星の生命についても話した。
火星とタイタンとエウロパでは性が無く、金星と地球とイオでは性がある。火星とエウロパでは植物と動物が未分化で、くちばしを持つ知的な火星人ですら植物性を帯びている。これと真逆なのがエウロパの丘に生えている
こうして当てもなくふらついていたら、ついに狭い道と言うか、峡谷に来てしまい、おそらく左手のガンダーソン盆地に通じている。
坂のはるか上で、動くものが見えた。何気なく
この道からゴグロールが見える。高度が高くて寒いために、喉のあたりが変色している。どうやらゴグロールには俺たちが見えないようだ。登山家がコルと呼ぶ出っ張り、つまり岩鼻から見おろさないといけないからだ。コルは峡谷の入り口から丘の中腹に沿ってミノス宇宙船の方へ傾斜している。クレアが俺の視線を追って確認するとやがて、ゴグロールは
クレアが叫んだ。
「ゴグロールよ。隣の盆地に行ったに違いない。コレッティも行きたがって……」
急に口をつぐんだ。
俺は容赦なく
「なんできみのお友達のコレッティがゴグロールの行動に関心を持たなくちゃならないんだ? たしかゴグロールは生物学者じゃなかったか。なんで隣の盆地を調べるんだ」
クレアが唇をキッと結んでオウム返しで、
「なんでダメ? 駄目と言ってない。そんなことは言ってない」
それからというもの、クレアはしぶとく沈黙を守り通した。実際、昔の
その晩、船長が予定を組み換え、宇宙空間のときよりずっと便利な勤務にした。1日を昼と夜、つまり就寝と起床に分けた。もちろんエウロパには本当の夜は無い。日照具合は隣のイオと同じぐらい不可解だが、それほどじゃない。イオは独自の回転をするためもっと複雑だ。
エウロパで一番夜らしい夜と言えば、3日ごとに起こる日食の期間だ。このとき黄金色に輝く木星だけが風景を照らし、最大でもイオの明かりが加わるだけ。だから、むりやり地球時間の夜を設定した。こうして労働と睡眠を全員が共有出来る。
何ら警戒する必要はない。つまり、こんなちっぽけなエウロパで人体への危害は今まで聞かない。唯一の危険は巨大木星の軌道に群れる隕石、時々薄い大気を貫通してくる。宇宙空間なら避けられるが、衛星上では避けがたい。これは防ぎようがない。
翌朝、俺は船長に詰め寄って、無理やり質問を浴びせた。意を決して言った。
「いいですか、船長。この探検の目的は何ですか。俺以外みな知っている。いやしくも探検隊なら、僕は
船長はとても困ったように見えた。目をそらし、申し訳なさそうに小声でつぶやいた。
「言えないよ、ジャック。申し訳ないが、言えない」
「なぜですか」
船長がためらって答えた。
「言わないように命令されているんだ、ジャック」
「誰の命令ですか」
船長がかぶりを振って、くそっ! とののしり、
「私は君を信用している。私が選んだのなら、正直に話すんだが。でも私が選んだのじゃない」
間をおいて、船長然となり、
「分かったか。ジャック、いいか。これからは質問無しだ。私が質問して命令する」
そうか、そういうことなら反論しない。俺は根っからの操縦士、上官の命令に反抗しない。たとえ、ヘンショウ船長のようにたまたま友達みたいに親しくてもだ。だが船長が仕事をくれたあの時すぐ、
もし惑星協会が大衆受けを狙うなら、俺と契約して乗せるはずがない。さらに、政府は充分に正当な理由なくして、取り消した免許を再発行することなどしない。ましては再発行の理由など見当たりゃしない。1人でくよくよ、ぶらぶら過ごしていたからだ。これだけで気づくべきだった。なんかおかしい。
航行中にも気配がいっぱいあった。事実、ゴグロールは生物学用語を話すようだが、コレッティが化学者とは信じられん。それにゴグロールにも会ったような気が終始つきまとった。極めつけの不似合いがこの旅を探検隊と呼ぶことだ。
なぜなら、探検隊はすべてスタテン島かバッファローに集合するほうがいいからだ。俺もその方がよかった。俺はエウロパへは行ったが、バッファローには行ってない。
さて、今やれることはなにもない。イライラを押し殺し、どんな野望が計画されているのか知らないが、できるだけ皆と協力するように努めた。これもまた難しいことだった。というのも、疑惑を抱かせるようなことが次々と起こり、まるで自分がよそ者か、のけ者のような気がしたからだ。
たとえば、船長が食べ物を変えようと決めた時のこと。エウロパの土着生物はすべて食用になるが、全部が塩湖の小貝類ほどおいしくはない。だが俺の知っている食材に、昔ヒイラ乗組員たちが食した珍味があり、植物のようで、手の平大の多肉質な単葉であり、味覚から
船長が命じてコレッティと俺にこの珍味を収集するように言ったので、俺が1個標本を見つけ、試食させ、言いつけどおり、北つまり盆地の左側の壁へ向かった。
コレッティは反対側へ行ったようだった。しかし、俺がそう遠くへ行かないうちに、塩湖のヘリにいるのが見えた。塩湖を探しても無駄だ。どこで肝臓
ひどくいらついたが、顔に出さないことにした。俺はゆっくり丹念に、肝臓
コレッティが俺を見てニヤリ笑って、
「
「君より多そうだ」
と返し、ぶしつけに
「ついてないです。あそこを通って、隣の盆地なら見つかるかもしれない」
「おれは割当分を採った」
コレッティの黒い瞳にちらと驚きが見えた。
「向うへは行かないのですか。戻るのですか」
「その通り、籠がいっぱいだから戻るよ」
コレッティは俺の帰途をずっと監視していた。というのも、ミノス宇宙船へ戻る道中振り返ると、峠の下の斜面に立っているのが見えたからだ。
いわゆる夜の時間帯になるにつれ、太陽がまず食になった。風景が木星の黄金光一色に染まり、改めて思い知った。なんと金色の
またしても一人ぼっちが身にしみた。仕方なくぶらぶらして、暗闇にそびえる金色の山頂を眺めると、木星の巨大な球体に、ガニメデが真珠のようにきらきら寄り添っている。あまりの風景の美しさに、孤独を忘れたころ、不意に気づいた。
黄金色がひときわ俺の目にとまった。
クレアは両手でコレッティの胸を突いたが抵抗しなかった。完全に受け入れて、満足している。もちろん、俺にゃ関係ない。でも、そうだなあ、前からコレッティはいけ好かなかったから、今は憎い。またもや一人ぼっちか。
次の日が山場だったと思う。そして実際、事件が起き始めた。船長は現地食料に舌鼓を打ち、再収集を決定。
今度はクレアを同伴にあてがい、2人して無言で出発した。最後の別れで生じた冷たい
クレアがついに沈黙を破った。
「お手伝いするけど、何を探すつもり?」
「皆の口に合うかは分からない。記憶ではトリュフのようで、ちょっと肉の味がする。
「トリュフは好きよ。トリュフは……」
バーン!
間違いない、38口径の発砲音だ。大気が薄いから変に聞こえる。バーン、2発目の発砲。バーン、3発目。そして、連射だ。
「俺の後ろに隠れろ」
と怒鳴って、向きを変え、ミノス宇宙船へ駆けた。クレアに注意など不要だが、小衛星で走るのは不慣れだ。エウロパでの体重はたったの5



茂みから大急ぎで飛び出し、噴射跡の広場へ駆け込んだ。そこはもう植物が生え始めていた。一瞬の感じでは、ミノス宇宙船が広場に
発砲音が1発して、もう1発聞こえた。開いた気密扉からコレッティがふらふら出て来て、後ろへ数歩よろめき、ばたんと倒れた。シャツのカラーから血がにじみ出ている。と、入口で仁王立ちして、右手に自動拳銃を煙らせ、左手に火炎放射機を構えているのは、ゴグロールじゃないか。
俺は武器を持ってない。なぜエウロパで武器が必要なんだ? 一瞬凍りつき、ぎょっとして、わけがわからず立ち尽くしたそのとき、ゴグロールが俺をじろっ。拳銃を握ったまま、肩をすくめ、俺の方へつかつか寄ってきた。
ゴグロールがだみ声で言った。
「ああ、やらねばならなかった。皆おかしくなった。てんかんだ。1度に、2人も狂った。自己防衛だった」
俺はもちろん信じない。エウロパより空気が薄くても、てんかんにはならないし、ここでも命は維持できるし、空気欠乏に苦しむことはない。でも俺はこのことで争うようなことはしなかった。相手は息を弾ませ、最強の殺人武器を持ってる人殺しだし、俺の後ろにはクレアがいる。だから俺は何も言わなかった。
クレアがやってきた。ショックで息をのむ音が聞こえ、コレッティと叫ぶ声すら聞き取れない。ゴグロールが拳銃を持っているのを見て、怒りを爆発させた。
「あんたがやった。あんたがあやしいと皆にらんでいた。でも逃げ切れない。あんたって人は……」
不意にゴグロールがにらんだのでクレアは言葉を失った。奴が拳銃を構えたとき、俺がクレアの前に進み出た。2人ともまさに一撃で殺されようとしたとき、ゴグロールは肩をすくめ、邪悪な眼光を弱めた。
ゴグロールがつぶやいた。
「コレッティが死ぬとしても、まだしばらく……」
ゴグロールは気密扉までもどり、ミノス宇宙船からヘルメットを引っぱり出した。一種の空気帽子で、
ゴグロールが立ちはだかった。クレアは震えている。ゴグロールがじろっと
「後ろを向け、後ろを向け」
後ろを向いた。ゴグロールは我々を火炎放射銃で脅し、狭い谷へ追い立てた。東側の坂から峡谷が口を開け、ガンダーソン盆地へつながっている。
坂を登るにつれ道が暗くなり、とても狭いので、手を伸ばせば両壁に届くほどだ。
俺にできることはなにもない。ゴグロールが武器をクレアにぴたり突きつけているからだ。そこでクレアに腕をまわし元気づけ、気味悪い谷を慎重に進むと、ついに広くなり、300

ゴグロールがヘルメットをかぶり、バイザーを開けたまま、平べったい顔で
だが峡谷の出口を通りすぎたときのこと、この峡谷は巨大断崖の狭い入口にすぎなくて、断崖はアトランティスの胸壁のように天に向かってそびえており、ゴグロールが入口でちょっと立ち止まり、陰に隠れ、また出てきた時、かすかな音がしたようで、やかんが鳴るような音が上から聞こえてきた。そのときは何とも思っていなかった。
ゴグロールが拳銃を振りかざし、急げと脅迫した。いま斜面を下りながら、岩や残骸の間を根気よく進んだ。追い立てられついに、中央塩湖を取り囲む巨石群にたどりついた。そのとき、突然、ゴグロールが足をとめた。
「あとをつければ撃つぞ」
と冷たく言い放った。
ゴグロールは道なりを行かず、尾根へ向かった。坂の後方にはミノス宇宙船が近くにあり、ほかの盆地からは見えない。もちろん、ゴグロールが空気の薄い丘を越えることができるのは、ヘルメットの中に
尾根を登る足場を探しているようだ。張り出した岩でゴグロールが見えなくなった時、俺は巨岩に飛びついた。
「さあ、戻り道でやっつけよう」
俺がためらうぐらい、クレアが本気で叫んだ。
「だめーっ、おねがい、やめて、銃を見たでしょう」
そのとき、歌うような、やかんの音がした。ほとんど身を伏せるひまもなく、クレアと並んで岩に隠れたとき、小型原子爆弾が爆発。
皆見たことがあると思う。肉眼やテレビで原子爆弾の威力を。我々みんな、いろんな報道で、古いビルが倒壊したり、道路が傾いたり、運河が破れたのを見たし、40歳以上なら太平洋戦争の大量破壊爆弾のことを覚えていよう。だが、こんなのは誰も見たことがないだろう。というのも、この爆発は気圧が低く、重力が8分の1であり、地球だけが唯一の爆発判断基準となるからだ。
山全体が持ち上がったかと思うほど。砕け散った大量の岩が真っ暗な空に爆発。小石が弾丸のように
大混乱が静まり、残骸の落下音が消え、持ちあがった物質が再び落下するか、もしくはエウロパの重力を振り切り、無関係な木星へ突入したとき、道は無くなっていた。山と廃墟の牢屋に閉じ込められてしまった。
2人とも衝撃で少しばかり耳がつーんとなった。大気が薄い為に妙な高音が伝わった。地球でよく聞くボーンという反響じゃない。
頭のジンジンが収まった時、ゴグロールを探すと、山腹の200

ゴグロールが振り向いて、ゆっくりと銃を構えて発射すると、俺の横の巨岩が割れ、破片が顔に当たった。俺はクレアを物陰に引き寄せた。間違いなく銃で撃ち殺そうとしている。奴が登るのを無言で眺めていると、やがて小さな黒い点ほどになり、頂上にたどりつこうとしていた。
空気が薄い高地でのろのろ
ゴグロールがわざと向きを変え、袋鳥を捕らえるのが見えた。膨らんだ袋に故意に
クレアが身震いした。我々はただ無言で、奴が尾根づたいにゆっくり登るのを見ていた。様子から何か探して、見つけ、集めようとしているようだ。突然、動きを速め、不意に止まり、かがんだところは腰高ほどの石の山か、単なる丘のように見えた。
すると、ゴグロールが掘って掘り返し、石と土をどけた。ついに立ちあがり、何かを持っているが遠すぎて見えないけど、小さなものを振りかざし、我々を馬鹿にして勝ち誇ったかに見えた。それから、頂上を越えて消えた。
クレアが落胆してため息。全く誇り高き
「これでおしまいね。見つけたのよ。
俺は
「何を見つけた? あそこで何を掘ったんだ?」
クレアが
「知らないの?」
「全く知らん。このアホ旅行のことは他の誰より知らん」
クレアがまじまじ俺を見詰めて、やさしく言った。
「コレッティが悪いのよ。あなたがヒイラ宇宙船を壊したって気にしない。この旅行では礼儀正しく、勇敢で、紳士だったもの」
ありがと、と俺は軽く言ったものの、少しぐっときて、何はともあれ黄金閃光は実に美しい。
「それなら、秘密を少し教えたっていいじゃないか。なんでコレッティが悪いんだ? ゴグロールは何を掘ったんだ?」
クレアが俺を見据えて言った。
「ゴグロールはガンダーソン隊の
俺はポカーンだ。
「ガンダーソン隊の何だって? 初耳だ」
クレアはしばらく黙っていたが、ついに答えた。
「コレッティや政府や皆が、どう思おうと気にしない。ジャック、あなたは正直者よ。不正に巻き込まれ、ヒイラ宇宙船の墜落には無実ね。だから知ってることはすべて話す。ところで、そもそもガンダーソン・エウロパ探検隊の目的を知っていたの?」
「全く知らん。俺は操縦士だ。科学者のお遊びには興味ない」
クレアがうなずいて言った。
「もちろん、ロケットの作動原理は知っているよね。少量のウラニウムやラジウムを
「知ってる。それに、金属が重ければ重いほど崩壊能力が強くなる」
クレアが一息入れて言った。
「その通り。そこでガンダーソン隊長はもっと重い元素を使いたかった。それにはラジウムよりもっと強力な貫通力を持つ放射源が必要よ。隊長だけがたった1つの物質を知っていた。元素91のプロタクティニウムよ。そして含有量の多い鉱石が、今まで発見された中で、たまたまエウロパの岩石だった。だから実験するためにエウロパに来たのよ」
「それで、俺はこの騒動のどこにかんでるのだ?」
「ジャック、全く分からない。知ってることを話させて。コレッティが教えたのだけど。ガンダーソン隊長は精製に成功したと思う。プロタクティニウムを精製して鉛に作用させ、既存のどんな起爆剤より強力なものを得た。だが成功したとしても、精製方法や記録はヒイラ宇宙船が墜落したとき燃えた」
俺は分かり始めた。
「でも、あの、あの墓標は何だ?」
「ほんとに知らないの?」
「
「ええ、イオのジュノポリスに立ち寄ったとき、ガンダーソン隊長がしゃべったのよ。政府は墓標に精製方法のコピーを埋めたとにらんでいる。実際、埋めたのよ。でも、あなたとクラツカのほかは誰も場所を知らない。クラツカは消えたけど。そこで惑星協会よ。株式投資に失敗したから、あなたを操縦士に命じて探検隊を送ろうとした。以上がコレッティの話よ。私はたぶん協会の人気取りね、もちろんコレッティはあなたの監視役、あなたが場所を漏らさないように。精製方法は莫大な価値があるのよ」
「ああ、わかった。じゃ、ゴグロールは?」
クレアが眉をひそめて言った。
「知らない。コレッティの話では惑星協会のハリックとつながりがあるか、引き込んだんでしょ。ハリックが隊員に押し込んだのよ」
俺は思わず怒鳴った。
「ちくしょう、奴は墓標を知ってた。場所も」
クレアの
「そうよ、知ってた。もしかして外国の手先? 止めなくちゃ。でも、完全に置き去りにされた。なぜ殺さなかったのかしら」
俺は冷酷に言った。
「こうだぞ。奴はミノス宇宙船を1人で飛ばせない。船長は死んだ。もしコレッティが死ねば、そうだな、どっちか操縦させられる」
クレアが震えて、つぶやいた。
「死んだ方がましだ。あいつと2人っきりで行くなんて」
俺は落ち込んで、言った。
「そうなりそうだな。君はここから出られたらどんなに良いか。地球に戻ればお金で楽しめる」
クレアが怒った。
「お金ですって。お金なんかない。これに乗ったのは、人気とかスリルとか
俺は
クレアが文字通り熱くなった。
「聞いて、ジャック・サンド。馬鹿なことをする理由はたった1つ、お金のためよ。エヴェリ家に財産はないし、父の遺産もない。この2年間は猛烈に金が必要だった。コネチカットの母を守るためよ。そこを売れば母は死ぬ。1910年以来200年間、私たち一族の土地だもの。絶対に失いたくない」
クレアの話を理解するのに少し時間がかかった。俺は
「でもレーシングロケットは貧乏人にゃ買えないぜ。それに君のような女なら確実に……」
クレアが強引に割り込んだ。
「私のような女ですって。ええ、そうね、容姿もいいし、声もまずまずだから、テレビ歌手の仕事があったかもしれないけど、現金が欲しかった。選択肢は2つ。結婚するか、賭けをするか。どっちを選んだか。黄金閃光として大金を稼げば、朝食や化粧品をもらえる。だからレースに賭けた。レーシングロケットだけは賭けの元手よ。うまくいったが、ただ……」
ここで、声がちょっと途切れた。
「できることなら賭け事はやめたい。嫌いよ」
そのとき俺が感じたのは
しばらくして肝臓
誰がミノス宇宙船でゴグロールを運ぼうが、確実に殺されるだろうし、着陸前に宇宙へ捨てられるだろう。それにゴグロールがどんな話をするにしろ、救助隊を勇気づける内容じゃないだろう。なんやかんやで全員死亡と報告するだけだ。
クレアが言った。
「かまわない、あなたと一緒ならば」
俺はコレッティのことを考えて何も言わなかった。黙ってふさぎこみ、焚き火の前に座っていた時、ゴグロールが丘を越えてまたやってきた。
クレアが最初に見つけて叫んだ。ヘルメットをかぶっているけど、ずんぐりした体型は隠しようがない。だが、待つ以外何もできないから、ごつごつした石がある場所、中央湖の所まで下がった。
クレアが神経質そうに、苦悩を顔に
「どう思う。コレッティは死んだかも、傷がひどくて助からないかも。そうだ、わかった、ジャック。ゴグロールは航路を設定できないのよ。操縦は出来る、既定航路はたどれるけど、設定できない。もちろんコレッティもできない」
瞬時に正解だと分かった。操縦は既定航路をたどるだけだが、航路設定は関数計算が、つまり数学が必要。俺は出来るし、クレアも簡単な航路なら充分できる。ロケットレースで必要だ。だから宇宙船の操縦士は並み居る操縦士のなかでも
だろ、難しいわけは目的地の宇宙船位置を正確に決められないから、目的地が動いているからだ。宇宙線は衛星到着予定位置をめがけて進む。今回、ゴグロールがイオへ行くとすれば、エウロパへの旅は木星の巨大質量の方向になり、加速され、その方向で船がいったん臨界速度を超えたら……お
30

「いいか、2人とも。ミノス宇宙船の乗員にクレア・エヴェリを差し出せ」
俺はやり返した。
「乗員は君だ、クレアは行かない」
警告もせずゴグロールが銃を構え発砲した。俺の左足に衝撃が走り、巨岩の陰に倒れ込み、クレアを正面に押し出してしまった。ゴグロールが銃を撃ってわめいた。
「減らず口をたたくな」
隠れたり、
ゴグロールが巨岩に飛び乗った。俺をちらと見て、2発目を同じ痛んだ足に撃った。じっくり仕留めにかかった。これでおしまいか。
つかの間の隠れ場だ。クレアが俺にささやいた。
「私が行く。そうしないと、あなたは殺されて、どうせ私は連れ去られる」
俺は声を絞り出した。
「駄目だ、駄目だ」
ゴグロールがこれを聞いて近づいてきた。
クレアが早口でまくし立てた。
「ゴグロールは残忍よ。少なくとも私は航路を設定できる。たぶん死ぬだろうが」
それから叫んだ。
「ゴグロール、降伏する」
クレアのくるぶしをつかもうとしたが遅すぎた。クレアが広場へ出て行くのを
「ジャックを二度と撃たないなら、降参する」
ゴグロールはぶつくさ言っている。再びクレアの声、
「ええ、航路は設定できる。でもどうやって山越えするのよ」
「歩け」
と言って、ふて笑い。
「あんな上は息ができない」
「歩けるまで歩け。あとは俺が連れて行くから死なない」
返事はなかった。俺が広場へ這い出た時、2人は30

体の自由がきかず、はらわたが煮えくりかえり、痛みで発狂しそうになりながら、石をつかんで投げた。ゴグロールの背中に当たったが、地上ならたかが4

クレアは俺に意識が少し残ってるのを見て、さようならと叫んで何か言い添えたが、焼けるような痛みで聞こえなかった。しかし、ゴグロールのあざ笑いは見えた。そのあと、とても長く感じて、ただひたすら、むごい拷問に耐え
赤っぽいモヤが晴れた時、俺はやっと登り口にいた。はるか上にクレアとゴグロールの姿があった。見れば、ゴグロールはヘルメットで防御しているから足取りは軽いが、クレアはもう呼吸困難であえいでいる。
見ていると、つんのめり、
だが、暴れたのもつかの間だった。1分足らずで気絶、酸素欠乏で意識を失ったので、ゴグロールは無造作にクレアを片手で吊り下げ、前に話したようにエウロパではわずか5

ゴグロールがこめかみに銃を押し当て、俺を小馬鹿にしたように振りかざし、山腹の俺に向けて銃を放り投げた。意味は明らかだ。俺に自殺を勧めている。
銃をとってみると
今や希望はすべて失われた。たぶんこの1発で死ねるだろうけれども、生きていてもクレアはいないし、狂わんばかりの孤独、この盆地に永久に閉じ込められてしまう。それか、さもなきゃ自殺。
何度もあの1発をと思ったことか、ますますその気になったのは痛みが何時間も襲ってきたあとだ。そのころまでに、もしかしたらミノス宇宙船は死出の旅に離陸したかもしれない。だって噴射音は空気のない高所へ伝わらないし、丘越しに見えるとしても、高すぎて小さすぎて
この丘を越えさえすればなあ。自分の命よりもっと重要だと思い始めたのがクレアの安否、たとえコレッティの為になろうともだ。でも救えない。手を差し伸べることすらできない。
俺は猫のように
袋鳥が落ちてきた。でもこれは作業の始まりにすぎない。慎重に、とても注意深く、気管はそっくり付けたまま、空気袋を体外に取りだした。それから、かつて袋鳥の肺につながっていた空気袋の切開部に自分の頭を突っ込み、血まみれの切開部を自分の首のあたりで結んだ。
切開部は空気が漏れるとわかっていたので、服を裂いた布切れでピタリ塞いだため、あやうく窒息しかけた。それから、ぬるぬるした気管を口に含み、果てしない作業を開始。
気管から息を吸い込んで気管を絞り、空気袋へ吐きだす、何度も何度も。すると次第に空気袋が膨らみ、汚くて、血まみれで、生臭いが、もう一度息を吹き込んだ。
半分ほど充填したとき、この試練を生き延びるにはもう出発しなければならないと分かった。空気がたっぷりある間、気管を通して息をして、空気袋の半透明皮膜からぼんやり外をのぞきながら、丘を登り始めた。
忌わしい旅は書きたくない。地球ではとうてい不可能だろう。ここでは体重がわずか8

どうにかこうにか頂上に立った時、真下にミノス宇宙船があった。まだそこにある。とにかくゴグロールはこの道を来てない。今その理由が分かった。下は切り立った120



着地すると、傷足に激痛が走ったが、恐れていたよりずっと軽かった。当然だ、空気の濃くなる方へ飛び降りるため、大きな空気袋がパラシュートのように作用し、結局体重もわずか8

大詰めだ。山頂を越え、目の前にミノス宇宙船がある。這って脇まで行くと、気密扉があった。開いており、どなり声がした。ゴグロールだ。
奴が叫んでいる。
「
明らかに殴った音がした。そしてかすかなすすり泣き声も。
どこからともなく、立ち上がる力がわいた。空の拳銃を振りかざし、気密扉からよろよろと、壁伝いに操縦室へ侵入した。
暗がりのあの姿、すすり泣くクレアを責める姿に、ハッと見覚えが……。直射日光が当たる薄暗い操縦室で見えたのは、何週間前にも悟るべきだった……。ゴグロールは――クラツカだ。
「クラツカ」
と俺がしゃがれ声で叫ぶと、パッと振り向いた。クレアも奴も凍りついた。驚くまいか、信じまいか。俺が幽霊だと思ったのだろう。
「いったい、どうやって」
とゴグロール、いやクラツカ。
俺は銃を振りかざし、言った。
「歩いて来た。お前を見つける為なら地獄も歩く、クラツカ。出ろ、噴射を避けたけりゃすぐ離れろ。お前はここに置いていく。やがてイオの警察が来て逮捕だ。特にヒイラ宇宙船事件でな」
ぼうっとしているクレアに言った。
「奴が出たら気密扉を閉めろ。離陸する」
クレアがやっと我に返って、叫んだ。
「ジャック、コレッティがあそこの木に縛られている。噴射で焼け死ぬ」
「それなら、ほどけ。なんてこった、急げ」
クレアが消えるが早いか、クラツカがすきを突いた。俺が弱ってるのを見抜き、俺の銃に残っている1発に賭けて、突進した。
奴は死に物狂いだったと思う。悪態をつきながら、叫んだ。
「きさま、負けねえぞ。ヒイラ宇宙船ではいけにえにしてやった。ここでもやってやる」
クレアがコレッティを解放する前に、奴が俺に襲いかかったら、またしてもやられる。奴はクレアの手に負えないから、全員奴の言いなりになる。だから俺はありったけの力で戦い、湧き出る力はビュレット管から飛び出る酸のようだった。やがて力を使い果たし、暗闇があたりを包んだ。
妙な声が聞こえる。誰か話している。
「いいえ、まず離陸して、脱出速度に達したら航路を決める。時間節約よ。イオへ連れて行かなくちゃ」
しばらくすると、
「ああ、コレッティ、宇宙船が回転しているじゃない、なんて私は駄目な飛行士でしょう」
それから、延々と噴射轟音が聞こえた。
ずいぶん時間がたって、航路室の台に寝ているのが分かった。コレッティがのぞきこんで、尋ねた。
「どんな具合ですか。ジャック」
コレッティが俺の名を呼んだ最初だ。
「大丈夫だ」
と言ったとき、記憶がよみがえった。
「ゴグロールが、奴がクラツカだ」
「そのとおりです。奴は死にました」
とコレッティ。
「死んだって。ヒイラ事件の解決機会を完全に失った」
「ええ、あなたがやっつけたんです。拳銃で頭を殴って。我々が助ける前です。奴は自業自得ですよ」
「ああ、たぶんな。でもヒイラ事件のことは……」
「ヒイラ事件のことは心配しなさんな、ジャック。クレアと私がクラツカの証言に反論しますよ。この件はすっかり晴らします」
ここで一息置いて、
「気持がもっと軽くなるかもしれませんが、精製書類も手に入れましたし、これには賞金が出ますから、これからぜいたくに暮らせますよ、3つに分けても。つまりクレアが3つに分けると言ってきかないんです。2つに分けるのはよくないですよね」
「3つに分けるのがよい。君とクレアのはなむけになろう」
「私とクレアですか」
「いや、コレッティ。言うつもりはなかったが、日食の夕暮れに見たんだ。クレアと喧嘩してるようにはちっとも見えなかったぜ」
コレッティが苦笑いして、ゆっくり反論した。
「見たんですか。なら、聞いてください。男が求婚する場合、ギュッと抱くでしょ。女にその気があれば、押しのけないでしょ。クレアはご丁寧にノーの一言でした」
「ノーと言ったのか」
「あの時そうでした。きっとあなたには違いますよ」
「クレア……クレア……」
なにか聞き覚えのある噴射音に気付いた。
「着陸中だな」
「ええ、イオに、2時間で着陸します」
「離陸は誰がやった?」
「クレアです。クレアの離陸で航行中です。もう50時間座りっぱなしです。あなたには医者が必要です。私はロケット操縦を全く知りません。クレアがエウロパから見事に離陸させました」
俺は立ち上がって、厳しく言った。
「俺を操縦室に連れて行け。口答えするな、操縦室に連れて行け」
コレッティが俺を座席に着かせたとき、クレアがかろうじて目を上げた。すっかり消耗している。うんざりするほど座りどおし、今また昔
クレアが自分に言い聞かせるようにささやいた。
「ジャック、ジャック。うれしい、よくなって」
きみ、と俺が言ったクレアの髪はまさに
「きみ、U字
着陸は回転することなく、
実に見事な操縦士の仕事をした。いやあ、俺が証明する。実に立派な操縦士だ。でも、やはりというか、2人にとって初めてのキスの最中、クレアは眠ってしまった。
完