贖罪の墓標

REDEMPTION CAIRN

衛星シリーズその3

スタンリイ・G・ワインバウム Stanley G. Weinbaum

奥増夫訳




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エウロパ



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 いままで、無一文、ひどい空腹、落胆、疎外、無視までされたことがあるか。ふりかえると2、3か月前、言葉にするのも難しいが、思えばどん底はヘンショウ船長が部屋に押しかけた夕まぐれ――部屋はと言えば、とうとう24時間猶予ゆうよで明け渡すか、家賃を払うかだ。
 そこに座ってるのが俺ジャック・サンド、元ロケット操縦士。ああ、お察しのジャック・サンド、あのガンダーソン・エウロパ探検隊を墜落させた張本人、2110年3月、ロングアイランドのヤング飛行場に着陸するとき、ちょうど1年半前だ。15年に感じる。
 500日働いてない。18ヶ月間、友達からそっぽを向かれどおし、たまたま通りで出会ってもだ。その理由、臆病の札つき操縦士に会釈えしゃくするのは恥だ、他の理由、親切心からわざと見ないふりをしている。
 扉のノック音がしても目すら開けない。家主の女しか心当たりがないからだ。文句を言った。
「金がなくたって、俺の勝手だ、無視する」
「君の勝手だ、馬鹿なまねをするのも。なんで皆に住所を知らせないんだ」
 その声がヘンショウ船長だった。
 俺は思わず叫んだ。
「船長、どうしたんですか。船長も墜落したんで? クズの俺んちへ集合ですか」
 と苦笑いしていた。“船長”と呼びかけるのは宇宙船に乗ってるときだけだ。それから俺は我に返った。
 船長が言った。
「仕事を持ってきた」
「ええっ。じゃあ、けっこうな仕事でしょうねえ。砂を運んで、飛行場の穴を埋めるとか。喉から手が出そうだが、それほどじゃあ」
「操縦士の仕事だ」
 とヘンショウ船長が冷静に言った。
「誰が臆病のキズもの操縦士を欲しがりますか。どんな組織が臆病船を信頼しますか。知らないの? ジャック・サンドは永久に札付きだってこと」
 船長が一喝いっかつ
「だまれ、ジャック。持ってきた仕事は私の配下の操縦士、新エウロパ衛星探検隊だ」
 とたんに、カッカし始めた。だろ、木星第3衛星エウロパからの帰途、ガンダーソン隊を大破させたのが俺。だから、船長があざけりに来たのだと歪曲わいきょくした。金切り声を上げた。
「まったく、からかおうとするんだから」
 だがそうじゃなかった。船長が本気だと分かって俺が落ち着くと、船長がゆっくり言葉を継いだ。
「ジャック、信頼できる操縦士が欲しい。私はなにも知らんのだよ。君がヒイラ宇宙船を墜落させたことは。その時、私は金星へ飛行中だった。君が信頼できることしか知らない」
 ようやく、船長を信じ始めた。ショックから少し立ち直り、ヘンショウ船長がとても友好的なので事実を打ち明けようと思った。

「聞いてください、船長、評判やすべてを受け入れようとされていますので、どうやら説明のし甲斐がいがありそうです。墜落させたことに泣き言は言ってこなかったし、今もそうです。私が壊したのはガンダーソン隊長と仲間のすべて、ただし……」
 と中断した。おっと、この場に及んでイライラさせて申し訳ない。
「ただし、副操縦士のあのクラツカだけは肝心なことを言わないで、間違ったことをしゃべった。いやあ、確かに私の輪番りんばんだったが、クラツカが調査委員会に言わなかったこと、それは私がクラツカ担当の輪番りんばんを努め、その前の自分の番もやり、長時間勤務が2回続いており、今回が自分担当の短時間輪番りんばんだったことです」
 船長がオウム返しでいた。
「長時間勤務を2回もか。16時間勤務後に着陸業務かね」
「そういうことです。委員会に報告したことをそのまま話しますけれど、船長はたぶん信じてくれるでしょう。しかし、委員会は信じなかった。クラツカが交替に現れた時、やつはラリってた。やつは常習のヘキシルアミン中毒者で、3輪車すら運転できない。だから仕方なく寝室へ送り返し、ガンダーソン隊長へ報告したが、それはとりもなおさず、さらに着陸業務を続けることだった。
 宇宙空間だったらそんなに悪くなかったかもしれない。宇宙では操縦士がやることは多くない。ただ船長の指定したコースをたどるだけ、それにたぶん警報時に隕石をよけるだけ。でも16時間ずっと重力場を降下して、自分担当の4時間勤務が来るころには目がかすむようになった」
「無理もない。長時間勤務が2回では」

 ここでロケット操縦当番を説明した方がよいだろう。金星や火星のような短距離では宇宙船に操縦士が3人乗って、単純に8時間3交替勤務する。だが、これ以上遠くなると、空気、重量、燃料、食料などすべてが貴重だから、どのロケットも操縦士を2人以上乗せない。
 その為1日の勤務は4交替になる。各操縦士は8時間長期勤務を1回、4時間休憩、4時間短期輪番りんばん、8時間就寝となる。食事は操縦席で2回、3回目は自由時間のとき。変わった生活だ。時には、何年も相手操縦士の顔などお互いよく見てない。ただし、勤務の初めと終わりは別。

 話を続ける。気がかりは俺が愚痴ってるじゃないかと船長が思いかねないことだ。俺は繰り返した。
「目がかすんだ。だがクラツカは依然としてぼーっとしてるから、着陸業務をヘキシルアミン中毒者に任せたくなかった。とにかくガンダーソン隊長に報告すると、奴にも責任を少し持たせろということになった。そこでクラツカを操縦室に座らせて、着陸を開始した」
 話すうちにすっかり興奮してきた。
「あいつら、バカ報道陣はみんなこう思ってる。ロケット着陸は寝床に身を横たえるようなものだ、逆噴射でゆっくり下りるだけだ。ああ、手さぐり着陸だってことを知らないんだ。地上90※(全角メートル、1-13-35)から噴煙が舞い上がり始める。飛行場の端にある水準棒を見ながら、高度を測定するが、地面は見えず、下は地獄の炎。やつらが更に分かってないのが宇宙船の降ろし方だ。釣竿つりざおに乗せて食器をおろすようなものさ。宇宙船が横揺れし始めたら、おしまい。逆噴射は真下に向いたときだけ浮上する、でしょ?」
 船長は俺に怒りを発散させたまま止めなかったので話を続けた。
「さあて、期待通りの降下だった。ヒイラ宇宙船はいつも少し傾くくせがあるが、今まで着陸させた宇宙船の中では最悪じゃない。だが、宇宙船がちょっと傾くたびにクラツカは大声を上げた。シャブ中毒で神経質になっており、免許取り消しになる事を知っており、挙句あげくの果て、横揺れにすっかりビビっていた。水準棒が20※(全角メートル、1-13-35)になった時、宇宙船が突然大きく揺れた途端、クラツカが完全にイカれてしまった」
 俺は口ごもった。
「何が起こったかは正確に知りません。一瞬だったし、もちろん全部は見てません。でもクラツカは気密扉を10分ばかりいじって突然、ひっくりかえるっ、というようなことを叫んで、スロットルをつかみ、噴射を止めた。まばたきする間もなく、噴射が止まり、クラツカが外へ身を投げた。あ〜あ、気密扉を開けてしまった。そう、地面からわずか20※(全角メートル、1-13-35)足らず。れたリンゴが木から落ちるように落下した。衝突前に動く時間などない。叩きつけられたとき、ジェット燃料がすべて流れ出したに違いない。そのあとどうなったかは新聞を読んでください」
「読んでない。君がしゃべれ」
「出来ませんよ、全部は。気絶していたんだから。でも推定は出来ます。いいでしょう。クラツカは噴射が止まったとき、数立方※(全角メートル、1-13-35)の砂場をちょうど見つけて、飛び降りて、うまく下りたようです。腕を骨折した以外何ともなかった。俺はと言うと、どうやら操縦室から投げ出されて、深傷ふかでを負ったみたい。ヒイラ宇宙船に乗っていたガンダーソン隊長や教授達やそのほかの乗員は全員、フェラルミンの熔融金属にすっぽりはまってしまいました」
「じゃあ、どうして君のせいにされたんだ」
 と船長がいた。
 俺は声を押し殺して、苦々にがにがしく答えた。
「クラツカのせいです。飛行場は着陸用にけてあり、誰も噴射直下の180※(全角メートル、1-13-35)以内に近づけない。もちろん、噴射が止まって誰かが宇宙船の先端から飛び降りたのを見ているが、誰だと特定できます? そして爆発が起こって飛行場一帯をめちゃめちゃにしたから、何が何だか誰も分からない」
「その後、クラツカの話で君のせいにされたんだな」
「ええ、そのはずです。でも飛行場では俺が当番だということを知っていた。着陸無線で話していたから。さらに、クラツカが最初に報道陣に接触した。俺はゴタゴタさえ知らなかった。やっと13日後にグランド・マーシ病院で気がついた。そのころまでにはクラツカがしゃべっており、俺がいけにえになっていた」
「でも、調査委員会は?」
 俺はうめいた。
「確かに調査委員会です。俺は事前にガンダーソン隊長に報告したけど、目撃者の隊長は焼け焦げて、フェラルミン合金の不純物と化した。ともかくクラツカは姿を消した」
「クラツカは見つかったのか」
「消息はありません。クラツカを拾ったのはイオのジュノポリスでした。ブリッグスが白熱病で倒れたからです。クラツカの顔は交替するとき以外よく見てないし、直射日光の操縦室内ではどんな風に見えるかわかるでしょう。それにエウロパでは定常業務をこなしていたから、顔は詳しくは分からない。あごひげを生やしていたけど、長旅なら9割がそうなります。奴を拾った時の話では地球から来たばかりだと言ってました」
 一息入れて、
「いつか、見つけてやる」

 船長はさっと切り上げて、
「そうしてくれ。さて、今回の運航についてだが、私と君、物理化学者のコレッティ、生物学者のゴグロールだ。探検隊の科学者たちだよ」
「そうですか。ところで、副操縦士は? 気になります」
 船長はゴホンと咳払せきばらいして、
「ああ、確かに。副操縦士か。言おうとしていた。クレア・エヴェリだ」
「クレア・エヴェリですって」
 船長が憂鬱ゆううつそうに同意して、
「その通り。黄金閃光おうごんせんこうという女だ。操縦士の紅一点、カリーカップに名を残し、今年の遠地点レースの勝者だ」
 俺は吐き捨てた。
「あれは操縦士じゃない。金持ちのずうずうしい売名狂だ。ちょうど興味があったんで10ドルはたいて望遠鏡を借りてレースを見ていた。あの女は月を9番目に回っていた。9番目ですよ。どうやって勝ったか知ってます? 実は帰還時、ロケットを全力でふかし、減速軌道に突っ込んだんですよ。宇宙航行学の第2学年なら誰でも知ってます。減速軌道は成層圏と電離圏の密度を知らなければ計算できないってこと。できても賭けだってこと。それをあの女はやったんですよ。単なるばくちだ。そしてたまたま、ついていただけ。どうしてこの仕事に、スリル好きの金持ちアホを選んだのですか」
「ジャック、わしが選んだんじゃない。惑星協会が宣伝目的で選んだ。実を言うと、この探検そのものはちょっとした大衆受けの宣伝で、今春行った胡散臭うさんくさい株式投資を目くらますためじゃないかと思っている。惑星協会が誇示したいのは探検の崇高すうこうな後援者ってことだ。そこでクレア・エヴェリにテレビや新聞がぶら下がるだろうから、君はていよく無視されるよ」
「それならぴったりです。条件が少しでも違えば引き受けませんよ。それと……」
 と不意に口をつぐんだ。しおれていた。
「あのう、俺の免許が取り消されたこと知ってますか」
「ああ、なんせ君の搭乗許可を取るのに、惑星協会ともめたからなあ」
 それからニッと笑って、これっと言って封筒を放った。
「ほら、これを失ってどれくらい経つんだ」
 でも、おなじみの青い免許証を一目見て、もろもろがいっぺんに吹っ飛んだ。クラツカやクレア・エヴェリや、すきっ腹さえも。

 離陸は期待した以上に悪かった。現場へはおもんばかって操縦眼鏡をかけて行ったが、もちろんロケット仲間には、すぐばれてしまった。ミノス宇宙船があてがわれ、旧式だが、扱いやすそうだった。
 取材記者たちは俺を無視するように命じられているに違いないが、俺には群衆の噂が聞こえるかのようだった。とどめはクレア・エヴェリ。テレビで見るよりずっとかわいいけれど、おなじみのまぎれもないコバルトブルーの瞳や、純金のような髪は、いままで見たことがない。黄金閃光おうごんせんこうと記者連が言っていた。ばかばかしい。
 クレアが俺に向けた会釈えしゃくはこれ以上ないほどの冷淡さ、あたかも走査機とカメラに、臆病ジャック・サンドとチームを組んだのは自分の意志ではないと言わんばかり。そういえばコレッティのラテン系黒目はちっとも誠意がないばかりか、ゴグロールの大顔もだ。ゴグロールには前どこかで会った気がするが、いつ、どこだったか。
 さて、ようやくスピーチが終わり、写真屋や放送屋たちが黄金閃光おうごんせんこうにポーズをとらせてから、我々は操縦室へはいり離陸にとりかかった。俺は操縦眼鏡をかけたまま、深々と腰を沈めた。というのも何十台という望遠カメラと走査機が飛行場の端から録画していたからだ。でもクレア・エヴェリは全てを受入れ、笑いをふりまき、手を振ってから、離陸に割り込んできた。ついに機体は、炎を吹きながら上昇していった。
 宇宙船は予想以上に悪かった。ミノス宇宙船は均整のとれたかわいらしい船だったが、ゆりかごのように前後に揺れた。地上放送が聞けるラジオを装備していたので、離陸の様子が分かった。
「……を満載。さあ、またまた揺れました。しかし、高度を上げております。おっと、いま噴射が止まりました。美しい炎の煙に包まれて落下中です。黄金閃光おうごんせんこうをもってしても、離陸困難か」
 離陸困難だって、でたらめだ。
 俺は水準器の赤い気泡を監視していたが、クレア・エヴェリの顔をちらと盗み見ると、既にかっこよさと冷静さがなくなっている。そのとき水準器の気泡が振り切れると、横座にいるクレアが恐怖で小さく息を呑んだ。ゆりかごの揺れどころではない。本当に回転している。
 俺はクレアの手をぴしゃりと叩いて、U字かんをつかんだ。噴射を完全に止め、自由落下をさせてから、右側を全噴射した。地面すれすれになり、もう少しで最後のお祈りするところだったが、水平になったので噴射を再開、残り高度は30※(全角メートル、1-13-35)。馬鹿なラジオがまだ叫んでいる。
「終わりです、いや違います、再び水平です。しかしなんという回転でしょう。彼女こそ本物の操縦士、黄金閃光おうごんせんこうです……」
 クレアはと見ると青ざめて震えているが、目は怒っている。俺はからかってやった。
黄金閃光おうごんせんこうだって? 黄金おうごんはお金に違いないが、閃光せんこうとは何だ? まさか操縦士の腕にゃ関係あるまい」
 でもこのときには思いもしなかった。クレアがロケット工学を情けないほど知らないなんて。
 クレアが突然怒りだした。チッと舌打ち、唇が怒りで震えている。
「とにかく、黄金と色は関係ない。マラリア・サンドさんよ」
 この言葉には傷つく。マラリアとはある高名な論者が俺に付けたあだ名だ。だろ、マラリアと言ったら臆病ジャックのことになってしまった。女がさらに突っかかった。
「それに、あんな回転なんか自分で立て直せる。お分かり」
「確かに」
 と俺は最高の嫌みを込めた。さて、速度と高度が充分上がり、これなら安全なようだ。回転しても立て直しが何度も出来る。言ってやった。
「すぐ引き継いでくれ。厄介な部分は終わった」

 クレアが鋼青色こうせいしょくの光彩を俺に向けた。ここで参加した旅の様子が分かりかけた。コレッティとゴグロールはよそよそしさがありあり、そして絶対に間違えようのないのがクレア・エヴェリの嫌悪けんお。だから頼みはヘンショウ船長だけ。でも宇宙船の船長はえこひいきしないから、結局のところ孤独な旅をする運命と悟った。
 孤独とはこの為の言葉ではない。船長はとても親切だったが、船長の命令でクレアが長い輪番りんばんにはいってから、皆は同じ予定で休憩や食事をとることになり、俺はゴグロールとコレッティと残された。コレッティはとても冷淡だったので、俺は矜持きょうじして、不本意な歩み寄りなどしない。
 ゴグロールはもっと悪い。俺はじっくり見たことがないし、やつは仕事以外一言も言わない。でもなんか見覚えがある。クレア・エヴェリはと言えば、クレアの世界に俺がいないだけの話であり、交替のときですら無言だ。
 あのときとっさに、男4人のこんな旅に女1人を乗せるなんて愚行だと、俺は言ったのに。
 ところで、クレア・エヴェリは正当に評価しなければならない。そういう意味ではクレアは素晴らしいロケット乗りだ。不便な宇宙業務を、一言の不平も言わず引き受け、しかもとても気さくだったので、つまり俺以外に対してだが、若くて度派手どはでな男が1人乗ってるようなものだった。
 そういうわけで、クレアのとしを基準にすれば、ゴグロールは2倍、ヘンショウ船長は約3倍、コレッティは少し若く、俺だけがまさに同年代だった。だが前述の通り、俺を嫌っており、コレッティと一番ウマが合うようだった。
 こうしてうんざりするような旅が何週間ものろのろと過ぎた。太陽が地球上のわずか5分の1まで小さくなり、木星は巨大な月のようになり、縞模様と大赤斑が荘厳そうごんに輝いている。得も言われぬ光景だったので、8時間の睡眠時間を持て余し、ときどきクレアの任務中に操縦室へはいりこみ、ただ巨大惑星とその衛星を眺めていた。我々はお互いに一言もわさなかった。
 イオには立ち寄らず、目的のエウロパへ直接着陸する予定だ。エウロパは巨大溶融天体・木星の第2番目の月。ある意味エウロパは太陽系の中でも一番奇妙な小球だ。そして長い間、不毛だと信じられてきた。表面の7割方はそうだが、残りは未開で奇妙な領域だ。
 木星に面した側には巨大なくぼみがある。というのも、エウロパは地球の月のように片面を常に木星に向けているからだ。この巨大なくぼみに小世界の希薄大気がすべて湖のように集まり、山間の盆地にまり、山脈は低層の大気を突き破り、真空の宇宙へ伸びている。
 よくあることだが、1つの盆地が他と完全に分断され、小世界を形成して、雲から雨が生じ、土着生命が生まれ、手つかずのまま、誰にも知られていない。
 天体表ではエウロパは1列の数字でさらっと片付けられている。直径3200※(全角KM、1-13-50)、周期3日13時間14分、木星からの距離67※(全角KM、1-13-50)。天体表にはないが、まばらな生命が時々衛星表面にしみをつくる。異存が無いのはエウロパの緩慢かんまん秤動ひょうどう、これがために間欠的に空気が山裾やますそを洗い、木星潮汐ちょうせきに引きずられる。同様に異存が無いのが波動、このために時々、盆地から盆地へ空気が移り、同様に宇宙生命が移る。
 とりわけ天体表に何も書いてないのが奇妙な生物。時々空気まりからはい出して、真空直下の山頂に横たわる姿はまさしく、地球の海から飛び出た怪魚かいぎょが、デボン後紀の砂丘さきゅう日向ひなたぼっこをするかのよう。
 我々5人のうち俺だけがエウロパを訪れたことがある、いやそう、そのときは思ってた。実際、この不毛な小衛星に足を踏み入れた人間は世界中ほとんどいない。つまり、ガンダーソン隊長とその仲間は、俺とクラツカ以外、死んでしまったから、我々が組織探検隊としては最初であった。
 ただ、はねっかえりの冒険家が数名、我々より先にイオから出発した。
 だからヘンショウ船長が俺に下した命令は、
「できるだけガンダーソン隊の着陸地点近くに行け」

 次第にはっきりしてきたのは、着陸がクレアの長期勤務の終盤あたりになる。そのため自称棺桶かんおけ船室から1時間早くはい出し、操縦室へ上がり、クレアに着陸の案内をした。高度は100130※(全角KM、1-13-50)だったが、雲や乱気流はないし、直下で交差する盆地も起伏図きふくずのままだった。
 ガンダーソン盆地を見つけるのはとても難しかった。噴射の焼け跡はずいぶん昔だから草木に覆われて久しく、頼れるのは俺の記憶だけであり、当然全記録はヒイラ宇宙船と一緒に失われた。大体の場所は分かったが、あるはずの地形を本当に識別できない。実質上、このあたりの盆地すべてが通路でつながっており、道なりに歩けて、空気が吸えそうだ。
 しばらくして、1本の細長い盆地を選んだ。かつて知ったる塩湖えんこが真ん中にあった。もっともほとんどの盆地にあるし、塩湖がなければ砂漠になるだろう。クレアに指示し、さらにわざわざ付け加えた。
「あそこだ。狭くて深いから注意した方がよい。厄介な着陸場所だぞ」
 クレアは瑠璃るり色のひとみで俺を冷淡にねめつけたが、何も言わなかった。ところが、後ろから予期せぬ声がした。
「左だ。その左だ。そっちがやさしそうだ」
 ゴグロールだ。一瞬驚いたが、向き直って冷静に、命じた。
「着陸中は操縦室に立入禁止だ」
 ゴグロールはにらみつけて何かぶつぶつ言って引き上げた。だが、ちょっと引っかかるものがあった。それは左側の盆地が着陸しやすい真っ平らという理由じゃなく、どこか見覚えがあった。本当のところ、ゴグロールがガンダーソン盆地を図星ずぼししたのか分からない。
 だが俺は最初の推測にこだわった。いらだってクレアに当たり散らした。つっけんどんに言った。
「ゆっくりやれ。ここは飛行場じゃないぞ。ここいらの盆地に水準棒はない。100※(全角メートル、1-13-35)あたりから目隠し着陸になる。薄い大気でも、じきに噴煙が巻き上がる。水平に勘で降りるんだ。宇宙船が回転したら神が救いたもう。崖の間で回転する余裕はない」
 クレアが唇を神経質そうに噛んだ。ミノス宇宙船は未熟な操縦のため、既に回転している。でも高度が1520※(全角KM、1-13-50)だったので危険はなかった。しかし地面がだんだん近づいてくる。
 俺は不機嫌になった。クレアのかわいい顔にも緊張が走った。たとえ哀憫あいびんの情をちょっぴり感じようが、仕打ちを考えればそれもせる。だからなじった。
「こんな着陸なんぞ黄金閃光には難しくないはずだ。それとも、全速で着陸するため減速軌道にはいりたいかもしれんが、あいにくここでは通用しない。大気が薄くてブレーキが効かないぞ」
 数分後、クレアの唇が緊張で震えた時、言ってやった。
「操縦士になるのは、人気と博打ばくち運どころの騒ぎじゃないぜ」
 クレアが急変した。突然金切り声をあげて、
「じゃあ、やりなさい、やりなさいよ」
 とU字かんを俺の手に押しつけた。それから自席にうずくまり、すすり泣きながら、顔を金髪でおおった。
 引き継いだ。選択の余地はない。ミノス宇宙船を引き起こし、クレアがやらかした回転を止め、それからゆるゆると逆噴射で降ろし始めた。それは情けないほど簡単だった。というのもエウロパの重力が弱いので降下速度がゆっくりで、充分な余裕をもって横滑りを修正できたからだ。
 だんだんわかり始めたのは黄金閃光がロケット工学をみじめなぐらい知らないことだ。そして不本意ながら、哀憫あいびんの情が湧き上がるのを感じた。でも何で哀憫あいびんだ。誰もが知っていることだが、クレアは裕福で、スリル中毒の向こうみずで、そのうえ、お金どころかと美貌と称賛を兼ね備えている。嫌われ者のジャック・サンドがクレアに哀憫あいびんだと。お笑いだ。
 逆噴射が地面に当たってねかえり、茶色の盆地を黒く焦がした。そろそろと少しずつ機体をおろした。何も見えず、下は真っ赤な噴射ばかりだし、じっと見つめる水準器の気泡だけが命綱だし、まさにそうだった。
 この空気密度では100※(全角メートル、1-13-35)あたりで噴煙が跳ねかえり始めて、それからは手さぐりになり、問題は非常にゆっくり降ろした場合、地面に当たった時に噴射器を壊しかねないことだ。我ながらとてもふんわりと着地したので、噴射を切るまでクレアは分からなかったと思う。
 クレアが涙をそでぬぐい、青い目で俺を憎そうににらみつけ、何かしゃべろうとする寸前、船長が扉を開けて言った。
「いい着陸だったよ、クレア・エヴェリ嬢」
「だったでしょう」
 と俺がオウム返しで、クレアににんまり。
 クレアが立ち上がり、震えている。地球重力なら操縦席に倒れかねない。というのも、見れば、黒い短パンの細いひざがガクガクだ。
 クレアがニコリともせずに言った。
「私じゃありません。ジャック・サンド氏が着陸させました」
 俺は何だかそのとき一気に哀れを覚えた。
「ええ、当番に入りましたが、見てください。難しいところは全部エヴェリ嬢がやりました」
 時計では俺が当番に入って3分経過していた。
 そして、クレアは席を立った。だが、俺にはどうしてもクレアが冷徹、才気煥発さいきかんぱつ、スリル好きであるようには見えなかった。新聞や放送はそのように描写するが、その代わり、変な印象、決して論理的でないが、物悲しさを感じた。

 エウロパでの活動は波乱なく始まった。少しずつミノス宇宙船内の気圧を減らし、体を順応させた。最初コレッティが、次にクレアがひとしきり高山病に苦しみ、20時間後には全員が外気に順応じゅんのうした。
 まず船長と俺が勇躍ゆうやくして外へ出た。盆地を注意深く眺め回し、馴染みの景色がないか探したが、確信がない。峡谷もどき溝はみんな同じようだ。むかしヒイラ宇宙船を着陸させた時、崖上に歌謡木かようぼくの林があったが、今度の噴射で吹き飛ばしたので、もしあったとしても、今は灰塵かいじんだろう。
 盆地のずっと端、たしか丘に裂け目があって、右手の道で次の盆地につながるはずだが、右には無かった。ただ確認できたのは峡谷が丘を切り裂き、左へ続いていたことだ。
 俺は船長に告げた。
「ガンダーソン盆地を間違えました。隣の左側盆地だと思います。この盆地と道でつながっており、記憶が正しければ、ここは狩猟しゅりょうに何回も来たところです」
 そのときふっと、ゴグロールが左側だと言ったことを思い出した。
 船長が熟考して言った。
「道があるというのか。それなら、もう1回離陸して再着陸するより、ここに留まろう。道を通れば、ガンダーソン盆地で作業できる。確認するけど、高度が低くて酸素ヘルメットを使わなくてもいいだろうな?」
「道が正しければそうです。でも、ガンダーソン盆地で何の作業をするのですか。これは探検隊だと思うんですが」
 船長は怪訝けげんそうにキッと俺を見て、きびすを返し向こうへ行った。そのとき、ゴグロールがミノス宇宙船の戸口に立っているのが見えた。分からんが、船長が黙ってたのはゴグロールのせいか、俺のせいか。船長の後について行くと、気密室の外扉が開いて、クレアが出てきた。
 まともな明かりでクレアを見たのはヤング飛行場の離陸以来はじめてだ。クレアの美貌を忘れかけていた。薄明かりに何週間もいたので当然クレアの肌は青白くなっていたが、あざやかな黄色の髪と瑠璃るり色の虹彩こうさいはじつにみごとだ。とりわけ太陽が陰になる崖の方へ歩いて来て、金色の木星光のみに照らされ、たたずんでいるときは。
 船長や俺と同じように、クレアも全身スキー服。寒冷なエウロパ衛星で着るやつだ。この小さな天体は多湿のイオに比べ、4分の1しか熱を受けないから不毛だろうが、例外的に片面が常に木星に向き合っているので、時々太陽から、そして木星から絶えず熱を受ける。
 クレアが盆地を食い入るように見ていた。さては不毛な土地へ初めて来たのだな。知らない惑星に初めて足を踏み入れれば、未知への不思議や魅惑があるものだ。
 クレアが船長を見た。船長はミノス宇宙船が着陸した焼土を丹念に調べている。それからクレアが俺をちらと見た。一瞬きつい眼をしたが、そのあと碧眼へきがんに浮かんだ怒りが消え、はたして怒りだったかどうか、ゆっくりと俺の方へ歩いてきた。
 クレアが俺を真正面に見据え、傲慢ごうまん気味に言った。
「ジャック・サンドさん。あなたにあやまらないといけない。あやまるのは意見じゃなくて、態度だけど。こんな狭い仲間内で反目するヒマはないし、少なくとも過去は過去、これからはこれからよ。もうひとつ、助けてくれた礼を言う。離、離陸中と、着、着陸中の」
 クレアの傲慢さが少し消えた。
 俺はじっと見据えた。謝罪をするとは大変な決意だったろう。黄金閃光は気位の高い令嬢だからなあ。涙でまばたきするのが見えた。俺は言おうとして、返事に詰まり、ただ、こうこたえた。
「わかった。意見は胸にしまっといて。おれも自説をしまうから」
 クレアが赤面して、苦笑いしながら、声を沈めて言った。
「私はダメ操縦士ね。離陸と着陸は嫌い。実を言うと、ミノス宇宙船にはびっくりよ。ヤング飛行場を離陸するまで自分のちっちゃなレーシングロケット・黄金閃光より大きなものは操縦したことがないの」
 俺は息がとまった。信じられないよ、この目で見なければ、あんな未熟な操縦は。当惑していた。
「じゃあ、どうしてだ。操縦がそんなに嫌いなくせに、なぜやるんだ。人気の為だけか。カネがあるからやらなくていいだろうに」
「カネですって」
 とクレアが怒ってオウム返し。
 ここで、クレアが視線を峡谷に泳がせて、不意に叫んだ。
「見て、山頂で何か動いている、大玉おおたまのよう。あそこには空気がないのに」
 ながめた。ただの袋鳥ふくろちょうだよと、俺は無関心。たくさん見ている。エウロパではありふれた動物だ。もちろんクレアは見たことないから、興味津津しんしん
 俺は説明した。林に石を投げて歌謡木かようぼくをジャンジャン鳴らせると、別な袋鳥ふくろちょうが飛び出し、膜をぴんと張って頭上を滑空して行った。
 話した。あの1※(全角メートル、1-13-35)の生物はムササビのように飛ぶ大玉おおたまみたいなもので、クレアが高所で見たものであり、この生物だけは空気の薄い頂上にいると、袋が膨らむ。巨大風船のような袋に空気をためているので、盆地から盆地を横断できる。もちろん袋鳥ふくろちょうは本物の鳥じゃないから、飛ぶのじゃなくて地球のキツネザルやムササビのように滑空するが、当然、空気のない高度では滑空できない。
 クレアがしきりに興味を持って目を輝かせていたので、すっかり恨みを忘れてしまった。エウロパの知識を披露することにした。歌謡林かようりんの近くまで連れて行って、葉っぱが呼吸するときに出す単調で心地よい旋律を聞かせ、盆地中央の塩湖えんこに行って、原始生物を見せた。
 この生物をガンダーソン隊ではクルミと呼んでいた。からをかぶったクルミによく似ていたからだ。中にはとてもおいしい一口ひとくち大の、獣肉でもなく果肉でもない肉が入っており、生で食べても全く安全。エウロパには細菌がいないからだ。
 俺は有頂天だったと思う。だって何と言っても、何週間もかかってやっとつかんだ初めての友情だもの。2人で盆地をぶらついて、すべてを話しまくった。いろいろな惑星の生命についても話した。
 火星とタイタンとエウロパでは性が無く、金星と地球とイオでは性がある。火星とエウロパでは植物と動物が未分化で、くちばしを持つ知的な火星人ですら植物性を帯びている。これと真逆なのがエウロパの丘に生えている歌謡木かようぼく、やや動物的だ。
 こうして当てもなくふらついていたら、ついに狭い道と言うか、峡谷に来てしまい、おそらく左手のガンダーソン盆地に通じている。

 坂のはるか上で、動くものが見えた。何気なく袋鳥ふくろちょうだろうと思ったが、高度が低いので膨らまないはず。袋が膨らむのは呼吸ができなくなる地点だ。そのとき分かった、あれは袋鳥ふくろちょうじゃない、人間だ。事実、ゴグロールだった。
 この道からゴグロールが見える。高度が高くて寒いために、喉のあたりが変色している。どうやらゴグロールには俺たちが見えないようだ。登山家がコルと呼ぶ出っ張り、つまり岩鼻から見おろさないといけないからだ。コルは峡谷の入り口から丘の中腹に沿ってミノス宇宙船の方へ傾斜している。クレアが俺の視線を追って確認するとやがて、ゴグロールはやぶに隠れた。
 クレアが叫んだ。
「ゴグロールよ。隣の盆地に行ったに違いない。コレッティも行きたがって……」
 急に口をつぐんだ。
 俺は容赦なくいた。
「なんできみのお友達のコレッティがゴグロールの行動に関心を持たなくちゃならないんだ? たしかゴグロールは生物学者じゃなかったか。なんで隣の盆地を調べるんだ」
 クレアが唇をキッと結んでオウム返しで、
「なんでダメ? 駄目と言ってない。そんなことは言ってない」
 それからというもの、クレアはしぶとく沈黙を守り通した。実際、昔の憎悪ぞうおとよそよそしさが戻ってきたようで、両人は盆地伝いにミノス宇宙船へ戻って行った。

 その晩、船長が予定を組み換え、宇宙空間のときよりずっと便利な勤務にした。1日を昼と夜、つまり就寝と起床に分けた。もちろんエウロパには本当の夜は無い。日照具合は隣のイオと同じぐらい不可解だが、それほどじゃない。イオは独自の回転をするためもっと複雑だ。
 エウロパで一番夜らしい夜と言えば、3日ごとに起こる日食の期間だ。このとき黄金色に輝く木星だけが風景を照らし、最大でもイオの明かりが加わるだけ。だから、むりやり地球時間の夜を設定した。こうして労働と睡眠を全員が共有出来る。
 何ら警戒する必要はない。つまり、こんなちっぽけなエウロパで人体への危害は今まで聞かない。唯一の危険は巨大木星の軌道に群れる隕石、時々薄い大気を貫通してくる。宇宙空間なら避けられるが、衛星上では避けがたい。これは防ぎようがない。

 翌朝、俺は船長に詰め寄って、無理やり質問を浴びせた。意を決して言った。
「いいですか、船長。この探検の目的は何ですか。俺以外みな知っている。いやしくも探検隊なら、僕は土着どちゃくの総督に相当します。いま、すべてを知りたいのです」
 船長はとても困ったように見えた。目をそらし、申し訳なさそうに小声でつぶやいた。
「言えないよ、ジャック。申し訳ないが、言えない」
「なぜですか」
 船長がためらって答えた。
「言わないように命令されているんだ、ジャック」
「誰の命令ですか」
 船長がかぶりを振って、くそっ! とののしり、
「私は君を信用している。私が選んだのなら、正直に話すんだが。でも私が選んだのじゃない」
 間をおいて、船長然となり、
「分かったか。ジャック、いいか。これからは質問無しだ。私が質問して命令する」
 そうか、そういうことなら反論しない。俺は根っからの操縦士、上官の命令に反抗しない。たとえ、ヘンショウ船長のようにたまたま友達みたいに親しくてもだ。だが船長が仕事をくれたあの時すぐ、詮索せんさくしなかったことをい始めた。
 もし惑星協会が大衆受けを狙うなら、俺と契約して乗せるはずがない。さらに、政府は充分に正当な理由なくして、取り消した免許を再発行することなどしない。ましては再発行の理由など見当たりゃしない。1人でくよくよ、ぶらぶら過ごしていたからだ。これだけで気づくべきだった。なんかおかしい。
 航行中にも気配がいっぱいあった。事実、ゴグロールは生物学用語を話すようだが、コレッティが化学者とは信じられん。それにゴグロールにも会ったような気が終始つきまとった。極めつけの不似合いがこの旅を探検隊と呼ぶことだ。
 なぜなら、探検隊はすべてスタテン島かバッファローに集合するほうがいいからだ。俺もその方がよかった。俺はエウロパへは行ったが、バッファローには行ってない。

 さて、今やれることはなにもない。イライラを押し殺し、どんな野望が計画されているのか知らないが、できるだけ皆と協力するように努めた。これもまた難しいことだった。というのも、疑惑を抱かせるようなことが次々と起こり、まるで自分がよそ者か、のけ者のような気がしたからだ。
 たとえば、船長が食べ物を変えようと決めた時のこと。エウロパの土着生物はすべて食用になるが、全部が塩湖の小貝類ほどおいしくはない。だが俺の知っている食材に、昔ヒイラ乗組員たちが食した珍味があり、植物のようで、手の平大の多肉質な単葉であり、味覚から肝臓葉かんぞうばと呼んでいた。
 船長が命じてコレッティと俺にこの珍味を収集するように言ったので、俺が1個標本を見つけ、試食させ、言いつけどおり、北つまり盆地の左側の壁へ向かった。
 コレッティは反対側へ行ったようだった。しかし、俺がそう遠くへ行かないうちに、塩湖のヘリにいるのが見えた。塩湖を探しても無駄だ。どこで肝臓を探しても自由だが、探していないことがすぐ分かった。俺の後をつけている、俺の行動を尾行している。
 ひどくいらついたが、顔に出さないことにした。俺はゆっくり丹念に、肝臓かごに集め、ついに行き着いたところは盆地の端、後ろが坂、やがてコレッティを歌謡林かようりんから踊り場に誘い出すことに成功した。
 コレッティが俺を見てニヤリ笑って、いた。
れましたか」
「君より多そうだ」
 と返し、ぶしつけにのぞくと、やつの籠は空も同然。
「ついてないです。あそこを通って、隣の盆地なら見つかるかもしれない」
「おれは割当分を採った」
 コレッティの黒い瞳にちらと驚きが見えた。
「向うへは行かないのですか。戻るのですか」
「その通り、籠がいっぱいだから戻るよ」
 コレッティは俺の帰途をずっと監視していた。というのも、ミノス宇宙船へ戻る道中振り返ると、峠の下の斜面に立っているのが見えたからだ。

 いわゆる夜の時間帯になるにつれ、太陽がまず食になった。風景が木星の黄金光一色に染まり、改めて思い知った。なんと金色の黄昏たそがれの美しいことよ。
 またしても一人ぼっちが身にしみた。仕方なくぶらぶらして、暗闇にそびえる金色の山頂を眺めると、木星の巨大な球体に、ガニメデが真珠のようにきらきら寄り添っている。あまりの風景の美しさに、孤独を忘れたころ、不意に気づいた。
 黄金色がひときわ俺の目にとまった。歌謡木かようぼくやぶにちかい上方だ。クレアの頭だった。立ち尽くして風景を眺めている。その横にコレッティがいる。見ていると突然、コレッティが向きを変え、クレアを抱き寄せた。
 クレアは両手でコレッティの胸を突いたが抵抗しなかった。完全に受け入れて、満足している。もちろん、俺にゃ関係ない。でも、そうだなあ、前からコレッティはいけ好かなかったから、今は憎い。またもや一人ぼっちか。

 次の日が山場だったと思う。そして実際、事件が起き始めた。船長は現地食料に舌鼓を打ち、再収集を決定。
 今度はクレアを同伴にあてがい、2人して無言で出発した。最後の別れで生じた冷たい残滓ざんしがあり、その上、夕べ日食のあかりで見たことが影響したみたい。だからクレアの脇を黙って歩き、その日の食材を何にしようかと思いあぐねていた。
 肝臓葉かんぞうばはもういい。塩湖の小クルミは美味だが、収集には半日かかるし、全食これでは塩辛しおからすぎる。袋鳥ふくろちょうは対象外、骨に薄い被膜が付いてる以外何もない。昔ためしたことを思い出したのが茶色のキノコ状のかたまり、歌謡林の木陰に育つ。かつてガンダーソン隊員の中には好む者もいた。
 クレアがついに沈黙を破った。
「お手伝いするけど、何を探すつもり?」
 塊状かいじょうの植物のことを説明した。
「皆の口に合うかは分からない。記憶ではトリュフのようで、ちょっと肉の味がする。なまと調理の両方試したが、調理の方が最高だった」
「トリュフは好きよ。トリュフは……」
 バーン!
 間違いない、38口径の発砲音だ。大気が薄いから変に聞こえる。バーン、2発目の発砲。バーン、3発目。そして、連射だ。
「俺の後ろに隠れろ」
 と怒鳴って、向きを変え、ミノス宇宙船へ駆けた。クレアに注意など不要だが、小衛星で走るのは不慣れだ。エウロパでの体重はたったの5※(全角KG、1-13-52)か7※(全角KG、1-13-52)、地球の8分の1ぐらいだろう。歩行方法は充分学んだし、宇宙旅行すれば誰でも身に着くが、走る機会は無かったはず。クレアの踏みだした第1歩は空中2※(全角メートル、1-13-35)、俺から急に離れたので、エウロパのような衛星では大股を使わざるを得ない。
 茂みから大急ぎで飛び出し、噴射跡の広場へ駆け込んだ。そこはもう植物が生え始めていた。一瞬の感じでは、ミノス宇宙船が広場にたたずんでいるだけ。そのあとの衝撃におののいた。気密扉の所に人が倒れている。船長だ。顔は血だらけ、頭を2発の弾丸で撃ち抜かれている。
 発砲音が1発して、もう1発聞こえた。開いた気密扉からコレッティがふらふら出て来て、後ろへ数歩よろめき、ばたんと倒れた。シャツのカラーから血がにじみ出ている。と、入口で仁王立ちして、右手に自動拳銃を煙らせ、左手に火炎放射機を構えているのは、ゴグロールじゃないか。
 俺は武器を持ってない。なぜエウロパで武器が必要なんだ? 一瞬凍りつき、ぎょっとして、わけがわからず立ち尽くしたそのとき、ゴグロールが俺をじろっ。拳銃を握ったまま、肩をすくめ、俺の方へつかつか寄ってきた。
 ゴグロールがだみ声で言った。
「ああ、やらねばならなかった。皆おかしくなった。てんかんだ。1度に、2人も狂った。自己防衛だった」
 俺はもちろん信じない。エウロパより空気が薄くても、てんかんにはならないし、ここでも命は維持できるし、空気欠乏に苦しむことはない。でも俺はこのことで争うようなことはしなかった。相手は息を弾ませ、最強の殺人武器を持ってる人殺しだし、俺の後ろにはクレアがいる。だから俺は何も言わなかった。
 クレアがやってきた。ショックで息をのむ音が聞こえ、コレッティと叫ぶ声すら聞き取れない。ゴグロールが拳銃を持っているのを見て、怒りを爆発させた。
「あんたがやった。あんたがあやしいと皆にらんでいた。でも逃げ切れない。あんたって人は……」
 不意にゴグロールがにらんだのでクレアは言葉を失った。奴が拳銃を構えたとき、俺がクレアの前に進み出た。2人ともまさに一撃で殺されようとしたとき、ゴグロールは肩をすくめ、邪悪な眼光を弱めた。
 ゴグロールがつぶやいた。
「コレッティが死ぬとしても、まだしばらく……」
 ゴグロールは気密扉までもどり、ミノス宇宙船からヘルメットを引っぱり出した。一種の空気帽子で、盲谷めくらたにの山を越えるとき必要になるかもしれないと持ってきたものだ。
 ゴグロールが立ちはだかった。クレアは震えている。ゴグロールがじろっとにらみつけて、吐き捨てた。
「後ろを向け、後ろを向け」
 後ろを向いた。ゴグロールは我々を火炎放射銃で脅し、狭い谷へ追い立てた。東側の坂から峡谷が口を開け、ガンダーソン盆地へつながっている。
 坂を登るにつれ道が暗くなり、とても狭いので、手を伸ばせば両壁に届くほどだ。けわしくて、陰気で、反響渦巻く禁断の場所だ。クレアが尻込みしても不思議じゃない。空気が欠乏するぐらい薄くなり、3人ともあえいだ。
 俺にできることはなにもない。ゴグロールが武器をクレアにぴたり突きつけているからだ。そこでクレアに腕をまわし元気づけ、気味悪い谷を慎重に進むと、ついに広くなり、300※(全角メートル、1-13-35)下に盆地があった。ガンダーソン盆地とすぐ分かった。はるか向こうは昔ヒイラ宇宙船で降りた斜面、その下端にハート形の塩水湖がある。
 ゴグロールがヘルメットをかぶり、バイザーを開けたまま、平べったい顔でにらむ姿はまるで怪物。我々を追い立て、下の盆地へ向かわせた。
 だが峡谷の出口を通りすぎたときのこと、この峡谷は巨大断崖の狭い入口にすぎなくて、断崖はアトランティスの胸壁のように天に向かってそびえており、ゴグロールが入口でちょっと立ち止まり、陰に隠れ、また出てきた時、かすかな音がしたようで、やかんが鳴るような音が上から聞こえてきた。そのときは何とも思っていなかった。
 ゴグロールが拳銃を振りかざし、急げと脅迫した。いま斜面を下りながら、岩や残骸の間を根気よく進んだ。追い立てられついに、中央塩湖を取り囲む巨石群にたどりついた。そのとき、突然、ゴグロールが足をとめた。
「あとをつければ撃つぞ」
 と冷たく言い放った。
 ゴグロールは道なりを行かず、尾根へ向かった。坂の後方にはミノス宇宙船が近くにあり、ほかの盆地からは見えない。もちろん、ゴグロールが空気の薄い丘を越えることができるのは、ヘルメットの中に袋鳥ふくろちょうのように空気を貯蔵しているからだ。
 尾根を登る足場を探しているようだ。張り出した岩でゴグロールが見えなくなった時、俺は巨岩に飛びついた。
「さあ、戻り道でやっつけよう」
 俺がためらうぐらい、クレアが本気で叫んだ。
「だめーっ、おねがい、やめて、銃を見たでしょう」

 そのとき、歌うような、やかんの音がした。ほとんど身を伏せるひまもなく、クレアと並んで岩に隠れたとき、小型原子爆弾が爆発。
 皆見たことがあると思う。肉眼やテレビで原子爆弾の威力を。我々みんな、いろんな報道で、古いビルが倒壊したり、道路が傾いたり、運河が破れたのを見たし、40歳以上なら太平洋戦争の大量破壊爆弾のことを覚えていよう。だが、こんなのは誰も見たことがないだろう。というのも、この爆発は気圧が低く、重力が8分の1であり、地球だけが唯一の爆発判断基準となるからだ。
 山全体が持ち上がったかと思うほど。砕け散った大量の岩が真っ暗な空に爆発。小石が弾丸のようにうなり、隕石のように赤熱し、我々を襲い、しがみつく地面はまさに回転ロケット座席のように揺れた。
 大混乱が静まり、残骸の落下音が消え、持ちあがった物質が再び落下するか、もしくはエウロパの重力を振り切り、無関係な木星へ突入したとき、道は無くなっていた。山と廃墟の牢屋に閉じ込められてしまった。
 2人とも衝撃で少しばかり耳がつーんとなった。大気が薄い為に妙な高音が伝わった。地球でよく聞くボーンという反響じゃない。
 頭のジンジンが収まった時、ゴグロールを探すと、山腹の200※(全角メートル、1-13-35)付近にいた。怒りがこみ上げた。塩湖のヘリから石を1個つかんで、奴にビュっと投げた。エウロパのような小天体では驚くほど長距離を投げられる。ミサイル石がゴグロールの足元に当たり、ほこりが上がるのが見えた。
 ゴグロールが振り向いて、ゆっくりと銃を構えて発射すると、俺の横の巨岩が割れ、破片が顔に当たった。俺はクレアを物陰に引き寄せた。間違いなく銃で撃ち殺そうとしている。奴が登るのを無言で眺めていると、やがて小さな黒い点ほどになり、頂上にたどりつこうとしていた。
 空気が薄い高地でのろのろっている袋鳥ふくろちょうに、ゴグロールが近づいた。高所では動作がカタツムリのようにのろい。だって、真空に近いから飛行膜が役に立たないもの。それに、通常、頂上には敵などいない。
 ゴグロールがわざと向きを変え、袋鳥を捕らえるのが見えた。膨らんだ袋に故意にりを入れ、穴をあけると、子供の風船のように割れた。奴は突っ立って、哀れな袋鳥がバタバタと断末魔で窒息するのを確認してから、悠然ゆうぜんと登って行った。今まで目撃した中で、いちばん冷酷、残忍な蛮行だ。
 クレアが身震いした。我々はただ無言で、奴が尾根づたいにゆっくり登るのを見ていた。様子から何か探して、見つけ、集めようとしているようだ。突然、動きを速め、不意に止まり、かがんだところは腰高ほどの石の山か、単なる丘のように見えた。
 すると、ゴグロールが掘って掘り返し、石と土をどけた。ついに立ちあがり、何かを持っているが遠すぎて見えないけど、小さなものを振りかざし、我々を馬鹿にして勝ち誇ったかに見えた。それから、頂上を越えて消えた。
 クレアが落胆してため息。全く誇り高き傲慢ごうまんな黄金閃光には見えない。やるせなくつぶやいた。
「これでおしまいね。見つけたのよ。わなにはめたのよ。絶望だ」
 俺はいた。
「何を見つけた? あそこで何を掘ったんだ?」
 クレアが碧眼へきがんを見ひらいて驚いて言った。
「知らないの?」
「全く知らん。このアホ旅行のことは他の誰より知らん」
 クレアがまじまじ俺を見詰めて、やさしく言った。
「コレッティが悪いのよ。あなたがヒイラ宇宙船を壊したって気にしない。この旅行では礼儀正しく、勇敢で、紳士だったもの」
 ありがと、と俺は軽く言ったものの、少しぐっときて、何はともあれ黄金閃光は実に美しい。
「それなら、秘密を少し教えたっていいじゃないか。なんでコレッティが悪いんだ? ゴグロールは何を掘ったんだ?」
 クレアが俺を見据えて言った。
「ゴグロールはガンダーソン隊の墓標ぼひょうを掘ったのよ」
 俺はポカーンだ。
「ガンダーソン隊の何だって? 初耳だ」
 クレアはしばらく黙っていたが、ついに答えた。
「コレッティや政府や皆が、どう思おうと気にしない。ジャック、あなたは正直者よ。不正に巻き込まれ、ヒイラ宇宙船の墜落には無実ね。だから知ってることはすべて話す。ところで、そもそもガンダーソン・エウロパ探検隊の目的を知っていたの?」
「全く知らん。俺は操縦士だ。科学者のお遊びには興味ない」
 クレアがうなずいて言った。
「もちろん、ロケットの作動原理は知っているよね。少量のウラニウムやラジウムを触媒しょくばいに使って、燃料のエネルギーを引き出す方法も。ウラニウムは活性が低く、アルカリのような金属にしか作用せず、これを使う宇宙船は塩化物を燃やす。ラジウムは活性が強いから、鉄から銅まで作用する。従ってラジウム起爆剤を使う宇宙船は通常の鉄か銅の鉱石を燃やす」
「知ってる。それに、金属が重ければ重いほど崩壊能力が強くなる」
 クレアが一息入れて言った。
「その通り。そこでガンダーソン隊長はもっと重い元素を使いたかった。それにはラジウムよりもっと強力な貫通力を持つ放射源が必要よ。隊長だけがたった1つの物質を知っていた。元素91のプロタクティニウムよ。そして含有量の多い鉱石が、今まで発見された中で、たまたまエウロパの岩石だった。だから実験するためにエウロパに来たのよ」
「それで、俺はこの騒動のどこにかんでるのだ?」
「ジャック、全く分からない。知ってることを話させて。コレッティが教えたのだけど。ガンダーソン隊長は精製に成功したと思う。プロタクティニウムを精製して鉛に作用させ、既存のどんな起爆剤より強力なものを得た。だが成功したとしても、精製方法や記録はヒイラ宇宙船が墜落したとき燃えた」
 俺は分かり始めた。
「でも、あの、あの墓標は何だ?」
「ほんとに知らないの?」
金輪際こんりんざい知らない。ガンダーソン隊長が墓標を建てたとしたら最終日に違いない。俺は離陸予定があったからその間、寝ていた。でも、なぜ儀式をしたのかなあ」
「ええ、イオのジュノポリスに立ち寄ったとき、ガンダーソン隊長がしゃべったのよ。政府は墓標に精製方法のコピーを埋めたとにらんでいる。実際、埋めたのよ。でも、あなたとクラツカのほかは誰も場所を知らない。クラツカは消えたけど。そこで惑星協会よ。株式投資に失敗したから、あなたを操縦士に命じて探検隊を送ろうとした。以上がコレッティの話よ。私はたぶん協会の人気取りね、もちろんコレッティはあなたの監視役、あなたが場所を漏らさないように。精製方法は莫大な価値があるのよ」
「ああ、わかった。じゃ、ゴグロールは?」
 クレアが眉をひそめて言った。
「知らない。コレッティの話では惑星協会のハリックとつながりがあるか、引き込んだんでしょ。ハリックが隊員に押し込んだのよ」
 俺は思わず怒鳴った。
「ちくしょう、奴は墓標を知ってた。場所も」
 クレアのひとみが広がった。
「そうよ、知ってた。もしかして外国の手先? 止めなくちゃ。でも、完全に置き去りにされた。なぜ殺さなかったのかしら」
 俺は冷酷に言った。
「こうだぞ。奴はミノス宇宙船を1人で飛ばせない。船長は死んだ。もしコレッティが死ねば、そうだな、どっちか操縦させられる」
 クレアが震えて、つぶやいた。
「死んだ方がましだ。あいつと2人っきりで行くなんて」
 俺は落ち込んで、言った。
「そうなりそうだな。君はここから出られたらどんなに良いか。地球に戻ればお金で楽しめる」
 クレアが怒った。
「お金ですって。お金なんかない。これに乗ったのは、人気とかスリルとか喝采かっさいを狙ったと思ってんの?」
 俺はつばをゴクリ。そう思っていた。
 クレアが文字通り熱くなった。
「聞いて、ジャック・サンド。馬鹿なことをする理由はたった1つ、お金のためよ。エヴェリ家に財産はないし、父の遺産もない。この2年間は猛烈に金が必要だった。コネチカットの母を守るためよ。そこを売れば母は死ぬ。1910年以来200年間、私たち一族の土地だもの。絶対に失いたくない」
 クレアの話を理解するのに少し時間がかかった。俺はちからなく言った。
「でもレーシングロケットは貧乏人にゃ買えないぜ。それに君のような女なら確実に……」
 クレアが強引に割り込んだ。
「私のような女ですって。ええ、そうね、容姿もいいし、声もまずまずだから、テレビ歌手の仕事があったかもしれないけど、現金が欲しかった。選択肢は2つ。結婚するか、賭けをするか。どっちを選んだか。黄金閃光として大金を稼げば、朝食や化粧品をもらえる。だからレースに賭けた。レーシングロケットだけは賭けの元手よ。うまくいったが、ただ……」
 ここで、声がちょっと途切れた。
「できることなら賭け事はやめたい。嫌いよ」
 そのとき俺が感じたのは哀憫あいびんだけではなかった。貧乏という告白で、状況が変わった。もはや金持ちの高根の花、いつも想像してた黄金閃光じゃない。単なる孤独で不幸な女の子であり、愛情と慰めが必要だ。そのとき日食の夜を思い出した。コレッティの腕に抱かれていた。だから陽光に照らされた髪を一瞬見て、ゆっくり離れた。
 しばらくして肝臓を集め、料理した。俺はクレアに、きっと救助されるよ、と言おうとしたが、信じまい。よく分かってるのは、ゴグロールは生き証人をイオへ連れて行かない。
 誰がミノス宇宙船でゴグロールを運ぼうが、確実に殺されるだろうし、着陸前に宇宙へ捨てられるだろう。それにゴグロールがどんな話をするにしろ、救助隊を勇気づける内容じゃないだろう。なんやかんやで全員死亡と報告するだけだ。
 クレアが言った。
「かまわない、あなたと一緒ならば」
 俺はコレッティのことを考えて何も言わなかった。黙ってふさぎこみ、焚き火の前に座っていた時、ゴグロールが丘を越えてまたやってきた。

 クレアが最初に見つけて叫んだ。ヘルメットをかぶっているけど、ずんぐりした体型は隠しようがない。だが、待つ以外何もできないから、ごつごつした石がある場所、中央湖の所まで下がった。
 クレアが神経質そうに、苦悩を顔ににじませていた。
「どう思う。コレッティは死んだかも、傷がひどくて助からないかも。そうだ、わかった、ジャック。ゴグロールは航路を設定できないのよ。操縦は出来る、既定航路はたどれるけど、設定できない。もちろんコレッティもできない」
 瞬時に正解だと分かった。操縦は既定航路をたどるだけだが、航路設定は関数計算が、つまり数学が必要。俺は出来るし、クレアも簡単な航路なら充分できる。ロケットレースで必要だ。だから宇宙船の操縦士は並み居る操縦士のなかでもまれだ。
 だろ、難しいわけは目的地の宇宙船位置を正確に決められないから、目的地が動いているからだ。宇宙線は衛星到着予定位置をめがけて進む。今回、ゴグロールがイオへ行くとすれば、エウロパへの旅は木星の巨大質量の方向になり、加速され、その方向で船がいったん臨界速度を超えたら……お陀仏だぶつだ。
 30※(全角メートル、1-13-35)のところでゴグロールが止まり、叫んだ。
「いいか、2人とも。ミノス宇宙船の乗員にクレア・エヴェリを差し出せ」
 俺はやり返した。
「乗員は君だ、クレアは行かない」
 警告もせずゴグロールが銃を構え発砲した。俺の左足に衝撃が走り、巨岩の陰に倒れ込み、クレアを正面に押し出してしまった。ゴグロールが銃を撃ってわめいた。
「減らず口をたたくな」
 隠れたり、さぐったりと妙なゲームが始まり、クレアと俺は崩れた巨岩の間をいずり、息も絶え絶え。ゴグロールがすべてに優位だ。俺は立てないし、足が拷問のように痛み始め、そのうち無意識にうめきかねないと恐れた。クレアも我慢している。青い目に苦悩をいっぱい溜めて、もだえているが、あえて口に出さなかった。
 ゴグロールが巨岩に飛び乗った。俺をちらと見て、2発目を同じ痛んだ足に撃った。じっくり仕留めにかかった。これでおしまいか。
 つかの間の隠れ場だ。クレアが俺にささやいた。
「私が行く。そうしないと、あなたは殺されて、どうせ私は連れ去られる」
 俺は声を絞り出した。
「駄目だ、駄目だ」
 ゴグロールがこれを聞いて近づいてきた。
 クレアが早口でまくし立てた。
「ゴグロールは残忍よ。少なくとも私は航路を設定できる。たぶん死ぬだろうが」
 それから叫んだ。
「ゴグロール、降伏する」
 クレアのくるぶしをつかもうとしたが遅すぎた。クレアが広場へ出て行くのをって追ったが、歩みが速すぎる。クレアがこう言うのを聞いた。
「ジャックを二度と撃たないなら、降参する」
 ゴグロールはぶつくさ言っている。再びクレアの声、
「ええ、航路は設定できる。でもどうやって山越えするのよ」
「歩け」
 と言って、ふて笑い。
「あんな上は息ができない」
「歩けるまで歩け。あとは俺が連れて行くから死なない」
 返事はなかった。俺が広場へ這い出た時、2人は30※(全角メートル、1-13-35)坂の上だった。
 体の自由がきかず、はらわたが煮えくりかえり、痛みで発狂しそうになりながら、石をつかんで投げた。ゴグロールの背中に当たったが、地上ならたかが4※(全角メートル、1-13-35)トスするほどの威力しかない。ゴグロールが怒って、わめくクレアを横にどけて、俺に発砲。外れた、と思ったが、確信はない。というのも、痛みでマヒしているからだ。何も感覚がない。
 クレアは俺に意識が少し残ってるのを見て、さようならと叫んで何か言い添えたが、焼けるような痛みで聞こえなかった。しかし、ゴグロールのあざ笑いは見えた。そのあと、とても長く感じて、ただひたすら、むごい拷問に耐え匍匐ほふく前進した。

 赤っぽいモヤが晴れた時、俺はやっと登り口にいた。はるか上にクレアとゴグロールの姿があった。見れば、ゴグロールはヘルメットで防御しているから足取りは軽いが、クレアはもう呼吸困難であえいでいる。
 見ていると、つんのめり、痙攣けいれんしたように激しく暴れて、ゴグロールを突き放した。これは約束違反じゃなく、ただ単に窒息の断末魔に苦しみ、何とかして空気を吸おうとしたにすぎない。
 だが、暴れたのもつかの間だった。1分足らずで気絶、酸素欠乏で意識を失ったので、ゴグロールは無造作にクレアを片手で吊り下げ、前に話したようにエウロパではわずか5※(全角KG、1-13-52)だから、ずんずん登って行った。山頂で立ち止まり後ろを振り向き、薄い澄みきった上空に見える有様は、あたかも望遠鏡のように鮮明で、クレアのだらりと垂れた金髪の頭が落とす影さえ見えた。
 ゴグロールがこめかみに銃を押し当て、俺を小馬鹿にしたように振りかざし、山腹の俺に向けて銃を放り投げた。意味は明らかだ。俺に自殺を勧めている。
 銃をとってみると挿弾子そうだんしに未使用の弾が1発。俺は頂上を見上げてゴグロールを狙おうとしたが、奴は尾根の向こうへ行ってしまった。
 今や希望はすべて失われた。たぶんこの1発で死ねるだろうけれども、生きていてもクレアはいないし、狂わんばかりの孤独、この盆地に永久に閉じ込められてしまう。それか、さもなきゃ自殺。
 何度もあの1発をと思ったことか、ますますその気になったのは痛みが何時間も襲ってきたあとだ。そのころまでに、もしかしたらミノス宇宙船は死出の旅に離陸したかもしれない。だって噴射音は空気のない高所へ伝わらないし、丘越しに見えるとしても、高すぎて小さすぎて見逃みのがしたかもしれない。

 この丘を越えさえすればなあ。自分の命よりもっと重要だと思い始めたのがクレアの安否、たとえコレッティの為になろうともだ。でも救えない。手を差し伸べることすらできない。袋鳥ふくろちょうのように丘を歩けない限り。
 袋鳥ふくろちょうのようにだと。確かにパッと思いついた妄想は途方もない考えだった。果たしてうまくいくか、自問した。成功・失敗するにしろ、ここで何もせず死ぬよりましだ。
 俺は猫のように袋鳥ふくろちょうに忍び寄った。何度も何度も、長いこと歌謡林かようりんへ這いずったのは、頭上を無造作に飛び、盆地を横切る生物を捕まえようとの一心だ。ついに上の方で飛ぼうと縮こまっている袋鳥を発見。躊躇ちゅうちょしなかった。なぜなら傷の為に体が弱って計画が実行できなくなるからだ。で、発砲した。なけなしの弾を撃ってしまった。
 袋鳥が落ちてきた。でもこれは作業の始まりにすぎない。慎重に、とても注意深く、気管はそっくり付けたまま、空気袋を体外に取りだした。それから、かつて袋鳥の肺につながっていた空気袋の切開部に自分の頭を突っ込み、血まみれの切開部を自分の首のあたりで結んだ。
 切開部は空気が漏れるとわかっていたので、服を裂いた布切れでピタリ塞いだため、あやうく窒息しかけた。それから、ぬるぬるした気管を口に含み、果てしない作業を開始。
 気管から息を吸い込んで気管を絞り、空気袋へ吐きだす、何度も何度も。すると次第に空気袋が膨らみ、汚くて、血まみれで、生臭いが、もう一度息を吹き込んだ。
 半分ほど充填したとき、この試練を生き延びるにはもう出発しなければならないと分かった。空気がたっぷりある間、気管を通して息をして、空気袋の半透明皮膜からぼんやり外をのぞきながら、丘を登り始めた。
 忌わしい旅は書きたくない。地球ではとうてい不可能だろう。ここでは体重がわずか8※(全角KG、1-13-52)だから、かろうじて動ける。登るにつれ、空気袋が低圧のため膨らむ。おぞましい空気を吸い始めねばならないころには、首のあたりの血糊ちのりから空気がぶくぶく泡を立てて逃げて行くような感じがした。
 どうにかこうにか頂上に立った時、真下にミノス宇宙船があった。まだそこにある。とにかくゴグロールはこの道を来てない。今その理由が分かった。下は切り立った120※(全角メートル、1-13-35)の崖だ。そうだなあ、地上ならわずか15※(全角メートル、1-13-35)相当だが、でも15※(全角メートル、1-13-35)だ。しかしやらねばならない。頂上で死ぬもの。飛び降りた。
 着地すると、傷足に激痛が走ったが、恐れていたよりずっと軽かった。当然だ、空気の濃くなる方へ飛び降りるため、大きな空気袋がパラシュートのように作用し、結局体重もわずか8※(全角KG、1-13-52)しかない。這いつくばって前進し、のたうちまわったその刹那せつな、首を絞めている臭い空気袋が外れた。
 大詰めだ。山頂を越え、目の前にミノス宇宙船がある。這って脇まで行くと、気密扉があった。開いており、どなり声がした。ゴグロールだ。
 奴が叫んでいる。
だますんだろ、ええ、墜落軌道をとるんだろ、分かるぞ」
 明らかに殴った音がした。そしてかすかなすすり泣き声も。
 どこからともなく、立ち上がる力がわいた。空の拳銃を振りかざし、気密扉からよろよろと、壁伝いに操縦室へ侵入した。
 暗がりのあの姿、すすり泣くクレアを責める姿に、ハッと見覚えが……。直射日光が当たる薄暗い操縦室で見えたのは、何週間前にも悟るべきだった……。ゴグロールは――クラツカだ。
「クラツカ」
 と俺がしゃがれ声で叫ぶと、パッと振り向いた。クレアも奴も凍りついた。驚くまいか、信じまいか。俺が幽霊だと思ったのだろう。
「いったい、どうやって」
 とゴグロール、いやクラツカ。
 俺は銃を振りかざし、言った。
「歩いて来た。お前を見つける為なら地獄も歩く、クラツカ。出ろ、噴射を避けたけりゃすぐ離れろ。お前はここに置いていく。やがてイオの警察が来て逮捕だ。特にヒイラ宇宙船事件でな」
 ぼうっとしているクレアに言った。
「奴が出たら気密扉を閉めろ。離陸する」
 クレアがやっと我に返って、叫んだ。
「ジャック、コレッティがあそこの木に縛られている。噴射で焼け死ぬ」
「それなら、ほどけ。なんてこった、急げ」
 クレアが消えるが早いか、クラツカがすきを突いた。俺が弱ってるのを見抜き、俺の銃に残っている1発に賭けて、突進した。
 奴は死に物狂いだったと思う。悪態をつきながら、叫んだ。
「きさま、負けねえぞ。ヒイラ宇宙船ではいけにえにしてやった。ここでもやってやる」
 クレアがコレッティを解放する前に、奴が俺に襲いかかったら、またしてもやられる。奴はクレアの手に負えないから、全員奴の言いなりになる。だから俺はありったけの力で戦い、湧き出る力はビュレット管から飛び出る酸のようだった。やがて力を使い果たし、暗闇があたりを包んだ。

 妙な声が聞こえる。誰か話している。
「いいえ、まず離陸して、脱出速度に達したら航路を決める。時間節約よ。イオへ連れて行かなくちゃ」
 しばらくすると、
「ああ、コレッティ、宇宙船が回転しているじゃない、なんて私は駄目な飛行士でしょう」
 それから、延々と噴射轟音が聞こえた。
 ずいぶん時間がたって、航路室の台に寝ているのが分かった。コレッティがのぞきこんで、尋ねた。
「どんな具合ですか。ジャック」
 コレッティが俺の名を呼んだ最初だ。
「大丈夫だ」
 と言ったとき、記憶がよみがえった。
「ゴグロールが、奴がクラツカだ」
「そのとおりです。奴は死にました」
 とコレッティ。
「死んだって。ヒイラ事件の解決機会を完全に失った」
「ええ、あなたがやっつけたんです。拳銃で頭を殴って。我々が助ける前です。奴は自業自得ですよ」
「ああ、たぶんな。でもヒイラ事件のことは……」
「ヒイラ事件のことは心配しなさんな、ジャック。クレアと私がクラツカの証言に反論しますよ。この件はすっかり晴らします」
 ここで一息置いて、
「気持がもっと軽くなるかもしれませんが、精製書類も手に入れましたし、これには賞金が出ますから、これからぜいたくに暮らせますよ、3つに分けても。つまりクレアが3つに分けると言ってきかないんです。2つに分けるのはよくないですよね」
「3つに分けるのがよい。君とクレアのはなむけになろう」
「私とクレアですか」
「いや、コレッティ。言うつもりはなかったが、日食の夕暮れに見たんだ。クレアと喧嘩してるようにはちっとも見えなかったぜ」
 コレッティが苦笑いして、ゆっくり反論した。
「見たんですか。なら、聞いてください。男が求婚する場合、ギュッと抱くでしょ。女にその気があれば、押しのけないでしょ。クレアはご丁寧にノーの一言でした」
「ノーと言ったのか」
「あの時そうでした。きっとあなたには違いますよ」
「クレア……クレア……」
 なにか聞き覚えのある噴射音に気付いた。
「着陸中だな」
「ええ、イオに、2時間で着陸します」
「離陸は誰がやった?」
「クレアです。クレアの離陸で航行中です。もう50時間座りっぱなしです。あなたには医者が必要です。私はロケット操縦を全く知りません。クレアがエウロパから見事に離陸させました」
 俺は立ち上がって、厳しく言った。
「俺を操縦室に連れて行け。口答えするな、操縦室に連れて行け」
 コレッティが俺を座席に着かせたとき、クレアがかろうじて目を上げた。すっかり消耗している。うんざりするほど座りどおし、今また昔こわがった着陸に立ち向かっている。
 クレアが自分に言い聞かせるようにささやいた。
「ジャック、ジャック。うれしい、よくなって」
 きみ、と俺が言ったクレアの髪はまさに黄身きみのようだった。
「きみ、U字かんを半分握ろう。俺に操縦させてくれ」
 着陸は回転することなく、羽毛うもうのようにふんわりだった。でも俺は着陸に関係しなかった。とても弱っていたのでU字かんすら動かせなかった。だがクレアは知らない。秘密にしなければ。
 実に見事な操縦士の仕事をした。いやあ、俺が証明する。実に立派な操縦士だ。でも、やはりというか、2人にとって初めてのキスの最中、クレアは眠ってしまった。





底本:Redemption Cairn. First published in Astounding Stories, March 1936
原著者:Stanley G. Weinbaum
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翻訳:奥増夫
2024年1月30日作成
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