グラフ

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怪奇シリーズその6

スタンリイ・G・ワインバウム Stanley G. Weinbaum

奥増夫訳




 フィリックス医師が黒かばんを机に無造作に放り投げて言った。
「良くなっていますよ。えーと、今回はずいぶん長いですね」
 患者はレビンスン通販会社の社長だ。そでまくりをおろし、医師を冷ややかに見つめて、文句を言った。
「その台詞せりふは前にも聞いた」
「体調はいいんじゃないですか」
 通販王が渋々うなずき、豪華な社長室を眺めながら、
「ああ、期間は別だ。ところで、なぜ何もしてくれない? これが新しい医療か。患者自身になおさせるって。なら、医師は要らないぞ」
「前に確か言いましたよ。3年半前、始めて呼びつけられたとき、処方を申し上げました。それを守らなかったのですから、文句を言わないで下さい」
「休暇だの、安静だの、気分転換だの、旅行だの、引退だの……。いまの仕事をほっぽって、できるか」
「やればできたはずです。ちょっと、いやちょっぴりのお金でしょう、あなたには」
「お金か、ふん。事業には私が必要なんだ」
「あなたがいなくても、同じことでしょう」
「いや、同じじゃない。私には株主や従業員に責任がある。事業はうまくやらねばならん、さもないと金や仕事を失う。お人好しにへまをさせられるか。逃げた魚は大きかったなんてたわごとを……。馬鹿な」
「言い訳ですね。行きたくなかったからでしょう」
「馬鹿なことはできんだろ」
「そういうことじゃないでしょう」
 医師は社長室の備品に手振りして、
「忙し過ぎて私の病院まで2ブロックも歩く時間がない、と言うんじゃないでしょうね。代わりに、私を呼びつけて診察させて……」
 社長が黙って指差したのは、机に散らばった書類の山。
 医師が小馬鹿にして、
「それに縛られていますね。図表とか、要約とか、統計とかに……。そんなものは事務員ができるでしょうに」
「うーむ、図表と統計は事業の活力源だ」
「事業があなたの活力源とは※(疑問符感嘆符、1-8-77)
「事業から逃げろと言うのか」
「それが私の提案です。誰も活力源だけでずっと生きられません。あなたもできませんし、それが全ての原因です。ですから、あなたの場合、薬や手当が全然効かないのです」
 社長がまた眉をしかめて、
「ふん、原因不明の時、君ら医師の勧める安静療法ぐらいは知っている。私は休みたくないし、快調に働き続けさせる何かが欲しいんだ。その何かは、私の知ったこっちゃないがね。私は25年間生きて食べて眠って、事業を夢見ながら、始めて君を呼びつけるまで、1時間も不調になったことがない。それが今は忌々いまいましいことに、良くなったり、悪くなったりだ。原因は私に分るはずがないだろ」
「そうですね、証明する方法はありません。既に診断は告げました。それが私のできる全てです。そのうち正しいことが分るでしょう」
「信じないぞ」
「まあ、申し上げたように、証明方法はありませんがね」
 社長が続けた。
「君ら医師は原因じゃなく現象をいじっている。疲れたら、どこかへ行って休めとか、眠れなかったら、どこかへ出かけて運動しろとか、食欲がなかったら、仕事を投げ出せとか……。なぜ原因を見つけない? 疲労や、不眠や、食欲不振の原因を。私は事業を順調に進めなければならないが、そうすれば1年で倒れてしまう、破産だ」
 医師が穏やかに尋ねた。
「機能障害ということを聞いたことはありませんか」
「医師は私か? 君か?」
「機能障害が出る箇所は、解剖学的に全く問題がありません。心や神経系以外、何も悪くないのです」
「へえ、仮病けびょうだったのか」
「仮病ではありません。機能障害は内臓疾患と全く同じように現実であり、扱いは往々にして難しい事があります。特に患者さんの協力がない場合は」
「じゃあ、協力しろということか」
「申し上げた通りです」
「ふん、20年以上、問題なかった。それなのに、なぜ良くなったり、悪くなったりするのか。症状を調べるべきだ」
「調べなかったとでも? あなたの病歴はそらんじて言えますよ。それじゃ、これを見て下さい。これが何たるか理解すべきです」
 医師が黒かばんに手を伸ばし、かばんの口が開いているのを見て、散らかった机に、聴診器やら紙をばらまいた。1枚の紙をつかんで、患者の前に広げた。
 社長が怒鳴って、
「それは何だ?」
「あなたの新陳代謝グラフです。症状を調べろ、ですか? これがあなたの3年半にわたる月ごとのグラフです」
 社長が黒い折れ線を見た。にわかに眼を細め、近寄った。直後、クスクス笑った。
「どうかしましたか」
「グラフだ、ヒヒヒ、君が来社する前、見ていた我が社の売り上げグラフだよ。これが病歴だと、ふん」
 医師が紙をちらっと見て、困って眉をしかめ、それから突然爆笑して、机を叩いた。
「ほほう、おかしいですね、まったく」
「なにがおかしい?」
「グラフです、これは販売実績ですね。業績が影響しなかったですか、どうです? 見なさい」
 医師がかばんから別な紙を引っ張り出し、最初の紙の横に広げ、
「失礼しました、これがあなたの新陳代謝グラフです。よく見て下さい」
 山と山、谷と谷、2枚のグラフは一致していた。






底本:Graph, Fantasy Magazine, September 1936
原著者:Stanley G. Weinbaum
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翻訳:奥増夫
2024年8月10日作成
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