無窮の淵

BRINK OF INFINITY

怪奇シリーズその7

スタンリイ・G・ワインバウム Stanley G. Weinbaum

奥増夫訳




 おそらく誰も選ばぬ職業はイースタン大学の数学助教授だろう、危険だからねえ。教授といえば一般的に物静かで学究的な存在だとされており、数学の先生などは非常に冷静で、不活発の最たるものと思われかねない。だって、いちばん無味乾燥な仕事だもの。
 だが、退屈な数値科学にも夢想家はいる。クラーク・マクスウェル、ロバチュウスキー、アインシュタインなどだ。
 後者の偉大なアルバート・アインシュタインは、自ら唯一の数式を構築し、哲学者の夢を実験科学に結びつけ、自前の簡単な数式を大いに拡張し、空虚とされながらも不滅である。
 そして忘れていけないのが『不思議の国のアリス』を書いたルイス・キャロルも、たまたま数学者だった。私自身はそんな部類ではない。私はとても実務的で、空想など寄せ付けない。数学の講義が仕事である。
 少なくとも講義が私の重要な仕事だ。機会があれば産業界の為に統計業務に少々携わり、実際私の名前が紳士録分項で見つかる。アブナー・アレンズ、統計学者・兼・数学コンサルタント。
 これで給料の不足分をまかなっており、時々面白いことに出くわすことがある。もちろん、このような仕事のほとんどが、メーカーの消費動向や、公益事業の人口動向をグラフ化することである。
 時々新進気鋭の広告代理店が相談を持ち込み、イワシ缶詰何個でパナマ運河を埋められるかとか、いきな宣伝に使える情報などを聞きにくる。わくわくする仕事ではないけど、ふところには助かった。

 というわけで、7月の朝、電話を受けても別段驚かなかった。大学は数週間休講になる。夏期講習は当然行われるが、これぞ助教授の役得だ。私は休みをとって、馴染みのバーモント村へ2〜3日滞在する予定を立てた。ここのカワマスは川岸にプロボクサーや社長や教授がいようが、ちっとも気にしない。だから1人で行くつもりだ。
 その理由は、やがて第3四半期になると、大学生と呼ばれるオタマジャクシどもが教室にあふれ、友達関係をやたら求めたがるから、ほとほと疲れ果てて、教授としての才能が一時中断されるからだ。
 しかしながら、それほど裕福でないから、まっとうに金を稼ぐ機会は無視しないたちなので、電話は大歓迎だった。
 計画したささやかな休日でも、がっちり食らいついて、助教授の薄給の足しぐらいにはできる。それに、かなり儲かりそうだし、簡単な仕事のようだし……

 電話の向こうで、
「私はコート・ストローンと申す実験化学者ですが、ちょっとばかり長い実験が終わりまして、結果をまとめて、解析してほしいのですが、この種の仕事は?」
「したことがありますよ、お手の物ですから」
 先方せんぽうは妙に丁寧に、
「私は行けませんので、こちらにデータを取りに来ていただく必要がありますけど」
 そして、西7番街の住所を告げた。
 そう、以前にもデータを受け取りに行ったことがある。普通は届けてくれたり、郵送してくれたりするのだが、今回の要求もそれほど異常じゃないので、同意して、すぐ終わりますよ、と付け加えた。たとえお手伝い出来ても、自分の休暇がお釈迦では元も子もない。
 地下鉄に乗った。タクシーは助教授には身分不相応なほど贅沢で、自家用車も高根の花だ。ほどなくして訪れた家は何とも形容しがたい褐色の建物で、西通りに静かにたたずんでいた。

 ストローン氏が建物に入れてくれたとき、招いた理由が分かった。重い障害者だった。左半身が節くれた樫の木のように曲がり、家の中を歩くのもままならないようだ。そのほか、黒髪はよれよれ、目が細く鋭い。
 先方は愛想よく迎えてくれた。小さな書斎に案内すると、散らかった机の方へ足を引きずり、腰かけてこっちを向いた。くぼんだ両目で見据えて、薄笑いを浮かべ、
「アレンズ先生、あなた、優秀ですか」
 その声には皮肉以上の何かがあった。
 ちょっとむっとして答えた。
「仕事はきちんとやってきました。何年も統計の仕事をやって来ましたよ」
 相手はマヒした左手を振って、
「もちろん、そうですとも。実務能力は疑っていません。でも、抽象的な分野に精通していますか。たとえば数値理論とか、超空間数学とかはどうですか」
 だんだんいらついてきた。この男には何かある……
「実験結果を統計処理するのに、そんなものは必要ないと思いますが。データをくだされば、やりますから」
 男はまた薄笑い、面白がっているように見えた。
「アレンズ先生、実を申し上げると、実験はまだ終わっていません。実は、ちょうど始まったばかりなのです」
 とニヤニヤ。
「何ですって。もしこれが冗談のつもりなら……」
 ムカッとなり興奮して、立ち上がりかけた。
「ちょっとお待ちを」
 とストローン氏が冷静に言った。なんと、高性能の黒い拳銃を向けている。私は呆気あっけにとられて座りなおした。正直なところ、おろおろだ。身障者が細い目で不気味な武器を向けている。
「最後まで聞くのが礼儀というものですよ、アレンズ先生。言ったように実験は今始まったばかりだ。実はキミが実験材料だよ」
 こんなねちねちする言葉は嫌いだが、私に何が出来る?
「ええっ」
 と言って、またしてもいぶかった。もしこれが冗談でなかったとしたら……
 ストローン氏が続けた。
「キミは数学者じゃないのかね。つまり、私のいいカモなんだよ。数学者というものはな、キミ、私にとっちゃ、単なる狩りの対象でしかない。それをやるんだよ」
 この男は狂っている。現実が分かりかけて、必死に冷静を装った。説得するのが最善だ。
「でもなぜですか。私らは無害な連中ですよ」
 相手の目に憎悪の光がめらめら。マヒした手でマヒした足を指し、内緒話をするかのように前のめりになって、
「無害、えっ、無害だと。こうなったのはキミらの同僚のせいだぞ。奴の計算が嘘だったからこうなったんだ。いいですか、アレンズ先生、私は化学者、いや昔のことだ。爆薬研究家で、とても順調だった。そのとき、キミらのバカ計算家が爆薬の調合を計算して、小数点の位置を間違った。へっへっ。だからキミらみんな私のカモなんだ。簡単な道理じゃないかね」
 と一息入れて、あざ笑った。

 そう、想像できようというもの、どんなに怖いか、目の前に座っているのは殺人狂、実弾を込めた拳銃を持っている。ご機嫌を取れ、それが最善だと聞いたことがある。口説け、説得だ。
「まあまあ、ストローンさん、理由はごもっともです。そうです、ごもっともです。でもですね、ストローンさん、私に怒りをむけるのは道理の端にもかかりませんよ。そうですよ、公正じゃありません」
 相手は大笑いして続けた。
「わっははは、もっともなご意見ですな、アレンズ先生。運が悪かったのは紳士録分項の最初にあなたの名前が載っていたことです。もしもあなたの同僚がちょっとでも注意を払っていたら、ご覧のこんな体にはならなかったし、まぬがれたかもしれません。でも、バカ者の計算を信じたばっかりに」
 ここで首をひねって、また狡猾な目を向けた。
「いまは、私のときよりずっとチャンスを与えます。おっしゃるようにあなたが優秀な数学者なら、ここから出られますよ。本物の数学研究者とは論争しません。ただ……」
 と目つきが陰険な表情になって、
「ただ、間抜けや、いかさま師や、うっかり者には容赦しません。そうです、あなたにはチャンスがあります」
 再び唇がニヤケたものの、銃口の背後の両目はピクリともしなかった。
 ほかに道はないので、あほな茶番劇を続けた。確かに少しでもあからさまに反抗しようものなら、殺人狂の暴力をきつけかねないので、尋ねるしかない。
「それで、ストローンさん、ご提案は何ですか」
 仏頂面が再びニヤリ、
「とてもまともなものですよ。実にまともな命題です、ヒッヒッ」
「ぜひ聞きたいですね」
 と言って、何とか止めさせようと思った。
「いいですよ。こういうことです。あなたは数学者で、優秀だといいましたね。よろしい、その言い分を試験しましょう。いま私は数量を1個、言い換えれば数式を1式考えています。それを10個の質問でさぐってください。もし見つけられたら、ここから出ていけます。でも、失敗したら……」
 と再びしかめっ面になり、
「そうですね、失敗したら、へま仲間とみなして戦い、結果は楽しくないですよ」
 参った。しばらくしてやっと言葉を探して、もごもご反論し始めた。
「でもストローンさん、それは不可能ですよ。数量は無限です。10個の質問では特定できません。ストローンさん、まともな試験をしてください。これでは百万、十億に一つのチャンスもありません」
 相手は黒光りする銃身を振って、私を黙らせた。
「思い出してください、アレンズ先生、私は数とはいってない、数式と言った。もっと広いですよ。このヒントで、質問数は減らしませんから、私の度量に感謝しなさい」
 ヒッヒッと笑って、
「ゲームのルールは次の通りです。どんな質問をしてもいいですが直接質問の、式は何ですか、はいけません。質問には必ず全部、最善に答えますが、ズバリ質問は除きます。一度に限界の10個まで好きなだけいくらでも質問していいですが、どんなことがあっても私は1日に2個しか答えません。そうすればあなたにも充分な考える時間ができるはずですし、私も時間を取られないですし」
 と再び不気味にヒッヒッと笑った。
「でもストローンさん、それでは5日間も足止めされます。明日には妻が警察に捜査願を出しますよ」
 狂人の目に怒りの炎がギラリ、
「アレンズ先生は正直じゃありませんね。未婚だと知ってますよ。来宅前に確認済みです。誰も探しません。嘘などつかないで、審判の決着を付けましょう。自分の価値を証明するのみならず、真の数学者として生き残ってください。さあ、それでは先にドアを開けて、2階へ上がって」
 と急に立ち上がった。

 従うしかすべがない。手に持ったずんぐりの拳銃が、少なくとも安全志向の私にとっては充分すぎるほど脅威だ。立ち上がって、指示通り部屋を出て、階段を上がり、指示された扉を開けた。
 そこは窓のない小部屋で、天井換気窓があり、一目で格子がはまってることが分かった。家具類は長椅子寝台、背が真っ直ぐな椅子、張りぐるみ椅子、机がそれぞれ1脚ずつあった。
 自分勝手な主人が、
「ここがあなたの研究室です。机に水差しと大辞典がありますね。これしかゲームでは使えません」
 時計を見て、
「4時10分前です。あしたの4時までに2つ質問をしなければなりませんから、よく考えておいてください。10分はおまけです。私の度量を疑わないように」
 扉の方へ戻って、
「食事は時間にお持ちします。ではよろしく、アレンズ先生」
 扉がバタンと閉まると、すぐ部屋を調べ始めた。天窓は絶望的だし、扉はもっと駄目だ。人知れず確実に閉じ込められてしまった。
 30分ばかり懸命に調べ回ったあげく骨折り損、この部屋はよく設計され、目的にぴったりで、分厚い扉は外側からかんぬきをされ、天窓は頑丈な鉄格子をはめてあり、壁はいささかの望みすらない。アブナー・アレンズは紛れもない囚人だった。
 ここで気持ちを、ストローンのバカげたゲームに切り替えた。たぶん奴の気違いじみた質問は解けるだろう。少なくとも5日間は暴力から免れるし、その間に何か起こるかもしれない。机に煙草があったので、ちょっと落ち着こうと火をつけて、座って考えた。
 確かに奴の狂った考えは、数量的な見地から解決できない。10個の質問すべてをあまりにも簡単に使い果たしかねない。
「百万以上、または以下ですか。千以上、または以下ですか。百以上、または以下ですか」
 こんな消去法では特定できない。だって、負数やら分数やら小数やら虚数、つまりマイナス1(-1)の平方根やら、さらに言えばこれらの組み合わせでは。
 そして熟考した挙句、最初の質問がひらめいた。煙草を噛み端まで吸ったとき、最初の質問を組み立てた。一刻も待てなかった。

 ちょうど6時過ぎ、扉が開いた。
「扉から離れて、アレンズ先生」
 と主人の声。否応なしに従った。狂人が入室して、押してきた台車にはお茶入れや、豪華な夕食がブイヨンからワインまで一式乗っていた。マヒした左手で台車を押し、右手で悪魔の拳銃を構えている。
「充分な時間があったでしょう、ヒッヒッ」
「とにかく、まず質問を」
「よろしい、アレンズ先生、いいですよ、聞きましょう」
「そうですね、数や数量式を数学者は2つに大きく分類します。2つの分野にどの数式も分類されます。2つの分類のうち片方は実数です。あらゆる数が含まれ、正数、負数、分数、小数、これらの集合です。もう片方は虚数です。虚数の演算結果はすべて“iアイ”で表わされる量を含みます、つまり-1の平方根です」
「当然です、アレンズ先生、基本です」
「では、あなたの考えておられる数量は実数ですか、虚数ですか」
 ストローンはひねくれた表情を示した。
「とてもまともな質問ですね。ごもっとも。答えはですね、参考になればいいですが、どちらでもいいですよ」
 一条の光が脳内ではじけた。数の研究者であれば誰でも知ってる、ただ1つ、実数と虚数の両方にまたがる数、それは実数と虚数の図数が交わる点だ。
 しめた、という言葉が頭の中を早鐘はやがねのように鳴った。懸命に平静を装った。
「ストローンさん、あなたの考えておられる数量はゼロですか」
 ストローンが笑った。意地悪い独特な笑いは耳障りだ。
「違いますよ、アレンズ先生。ご承知のようにゼロは実数と虚数の両方です。私の回答に注意してくださいな。実数と虚数の両方とは言ってません。どちらでもいい、と言いました」
 と扉の方へ戻りながら、
「いいですか、残りの質問は8個ですね。勘違いさせられましたよ、質問が矢継ぎ早でうっかり1回と思いましたから。ではおやすみ」
 行ってしまった。扉の外側で、かんぬきがガチャンと閉まる音がした。立ち尽くし絶望に打ちひしがれ、やっとのことで眺めると、差し入れの豪華な食事に目が行ったが、椅子にどさっと座り込んだ。

 数時間経ってから、再び考えがまとまった。実際の時間は分からない。時計を見ていなかったから。でもいつの間にか落ち着きを取り戻し、大コップにワインを注ぎ、ローストビーフを一切れ食べたが、ブイヨンはどうしようもないほど冷めていた。そのあと、3番目の質問に取りかかった。
 ストローンはいくつかヒントを、1番目と2番目の回答で言葉にしたので、探り出せる情報をまとめてみた。
 ことさら数式だと強調した。だからX・Yの代数は使っていない。数量は実数、虚数どちらでもいいがゼロではない。
 そうだ、虚数の2乗は実数だ。もし数量に数が1つ以上含まれているか、指数が使われていれば、きっと奴の式は単に虚数の2乗だ。これなら実数、虚数のどちらでもいい。
 これを一言で決める質問が分かった。1枚の紙に記号をいくつか走り書きした。そのあと急にぐったりと疲れを感じたので、長椅子寝台に横たわり眠った。夢の中で、ストローンが突き落とそうとしている悪夢海には、数学の鬼どもがニタニタ笑っていた。

 扉がギィーと開いて目が覚めた。陽光が天窓を照らしている。ぐっすり寝た。ストローンが入ってきて、お盆を左手に持ち、もう一方の手に相変わらず銃を握っている。台車に料理を6皿置き、夕食の配膳を下げた。
「食が進みませんね、アレンズ先生。心配のあまり審判の決着で体調を崩さないように」
 と皮肉を楽しんでいるかのように薄ら笑って、
「質問はまだですか。構いませんよ、あしたの4時までに2つ質問してください」
「1つあります」
 と言い、しゃきっと目覚め、立ち上がり、机に紙を広げた。
「ストローンさん、数量は演算でも表わすことができます。従って4という数字を書く代わりに、こうも書けます。積の2×2とか、和の3+1とか、商の8÷2、もしくは8/2とか、差の5―1とか。更にほかの方法でも、2の2乗とか、16の2乗根とか64の3乗根とか。みんな異なる方法ですが同じ4を表わします。さて、ここに様々な数学演算記号を書き出しましたが、質問はこうです。もしこれらの記号を式に使うならば、どれをお考えですか」
「とてもきちんと整理しましたね、アレンズ先生。いくつかの質問を1つにまとめましたね」
 ストローンは紙を取って、目の前の机に広げた。
「この記号を1個使います、先生」
 リストの中の最初を指差した。引き算の記号、ダッシュ(―)だ。
 そして私の希望も、駄洒落を使えば、同じく奪取ダッシュされた。だって、その記号では考えた末の理論――虚数の積、もしくは2乗が実数になるという線が消え去ったからだ。
 虚数を実数に変えるのに、加算や減算は使えない。掛け算か、2乗か、割り算を使って魔法の算術が完成する。又しても完全に途方に暮れ、長い間、自分の考えをまとめることができなかった。

 そうして日々がジリジリ過ぎ、ねちねちと監獄の死刑囚を苦しめた。質問するたびに負けるように思われた。奇妙に矛盾した回答に、質問の方が負ける。
 4番目の質問。
「あなたの考えておられる数量に、虚数がありますか」
 引き出した冷酷で明白な返事は、
「いいえ」
 5番目の質問。
「いくつの項が式に使われていますか」
 もたらした同じく明白な返事は、
「2個」
 ついにキターッ! 何を2つ、マイナス記号に結びつければ、差が実数でも虚数でもどちらでもいいのか。
「でも不可能だ。この狂人は単に私を痛めつけているだけだ」
 どっちみちストローンは狂っていて、巧妙過ぎ、利口過ぎて、あんな回答をするんだ。奴は本気になって、真理を変態的に探査しているのさ。こう、心の中でののしった。
 6番目の質問で名案が浮かんだ。このゲームに関して、ストローンはどんな質問にも答えるが、直接質問の“式は何ですか”は除外している。

 1つの方法を見つけ出した。次に現れたとき、熱に浮かされたようにそわそわして、入るそばから質問をぶつけた。
「ストローンさん、質問が1つありますが、あなたは答えなければなりません。もしですよ、あなたが考えておられる数量のあとにイクォール記号を置いたとしたら、どんな数、もしくは数量で式が完成しますか。等しい数量は何ですか」
 どうして狂人が笑っているんだ。もしかしたら、私の難問から逃げ切れないのか。
「へっへっへっ、とても賢いですね、アレンズ先生。とても賢い質問です。その答えは、何でもいい、ですよ」
 私は思わず叫んだ。
「何でもいい、何でもいいですって。それじゃ、あなたは詐欺師だ。あなたのゲームはひどいペテンだ。そんな式はありませんよ」
「でもあるんですよ、先生。優秀な数学者なら見つけられます、ヒッヒッ」
 と笑って去っていった。

 眠れない夜になった。何時間もいまいましい机に座って、情報片を検証し、考え、失念しかかった理屈の断片を思い出そうとした。そしてついに見つけた。
 1つじゃなく、いくつもだ。なんて、ひどい目に会うんだ。4つの質問が2日間に残されている。問題を解決する日が、間近に迫り始めた。
 頭がガンガンする。良心の忠告はゆっくり進め、段階を別質問で検証しろ、でも本心は絶え間ないストレスに反発している。
「最後の4つの質問に全てを賭けろ、全部いっぺんに聞いて、何とかしてこの苦しみを終わらせろ」
 答えが見えた気がした。なんて悪魔のように狡猾な知能の男だ。リストの負記号を指差し、わざとたぶらかした。
 なぜなら、通常この記号は割り算の棒だ。わかる? 2つの記号は単なるダッシュで同じだが、一方は引き算、もう片方は割り算だ。1マイナス1はゼロだが、1割る1は1だ。だから割り算で問題が解けるかもしれない。だって数量で、文字通り、実数でも虚数でも何でもいいという数量があるなら、その数量は0割る0だ。そう、ゼロ割るゼロだ。
 この答えはゼロ、もしくは1と思うだろうが、必ずしもそうじゃない。これを見てごらん。式をあげよう。
 2×3=6。別な言い方をすれば、2を3回掛ければ6になる。じゃあ、0×6=0はどう。完璧に正解じゃないですか。そう、この式では、ゼロを6回掛ければゼロになる。
 つまり割り算すれば、0/0=6だ。6はもろもろ、どんな数でもいい。実数でも虚数でも。ゼロ割るゼロは何でもいい。
 これで極悪非道が終ると思った。マイナス記号を指した時、意味したのは分数、つまり割り算だった。

 ストローンがニタニタしながら夜明けにやってきた。
「質問は用意できましたか、アレンズ先生。たしか4つ残ってますね」
 私は奴を見据えて、
「ストローンさん、あなたの考えておられることはゼロ・割る・ゼロですか」
 奴はニタニタして、
「いいえ、先生、違います」
 失望しなかった。もう1つ別記号を考えており、これなら条件にぴったりだ。もう1つ可能性がある。8番目の質問を続けた。
「それでは、無限大・割る・無限大ですか」
 奴が大ニヤケして、
「ちがいますよ、アレンズ先生」
 そのとき、ちょっと動揺した。いよいよ終局が近い。1つしか見つける方法はない、果たしてペテンかそうじゃないか。9番目の質問をした。
「ストローンさん、あなたが指差したダッシュ記号は、数学記号として式に使ったとき、分数棒ですか、それとも引き算記号ですか」
「引き算記号ですよ、アレンズ先生。残り質問は1つです。明日まで質問は待ちますか」
 悪魔がニタニタしながら大喜びしている。狂気のゲームが難解だってことに、自信満々だ。ねちねち責められて優柔不断な状態には、うんざりだ。もう一晩あれこれ悶え苦しむなんてぞっとすると思い、決断した。
「いま聞きますよ、ストローンさん」

 正解のはずだ。ほかにどんな可能性もない。すべてを何時間も必死になって推測したんだから。
「式、つまりあなたが考えておられる式は、無限大・マイナス・無限大ですか」
 図星だ。狂人が一瞬ガクッときたので分かった。
「悪魔が教えたに違いない」
 と金切り声をあげた。
 奴は口から泡を吹いていたと思う。銃を下げたので、扉へ近寄った。奴は止めようとせず、ただ惨めに黙って突っ立っているだけ。ついに、階段の上にたどりついた。そのとき、奴が大声で、
「お待ちを、通報するんでしょう、ちょっとお待ちを、アレンズ先生」
 2段飛びで、階下に降りて、玄関扉を引っ張った。ストローンが追っかけてきて銃をむけた。すさまじい音を聞いたときは、玄関扉を開けて外に出て、さんさんと降り注ぐ日光の中だった。
 もちろん、通報した。警官が、逃亡中の奴を逮捕し、精神病医に引き渡した。狂っていたが、話は本当だった。実験室の爆発で体をめちゃめちゃにされていた。

 おっと、問題ですか。分かりませんか。無限というのは可能な最大数量、つまりいかなるものより大きい数ですね。次のように理解しなさい。
 数学者は無限記号を横倒しのはちと書きます。こう、無限大
 では、疑問を取り上げましょう。無限大+6=無限大。正解ですね、だって無限大に何を加えても無限大より大きくできないですもの。分かりますか。無限大は最大の可能数です。
 それでは、移行すると、無限大無限大=6。6はその他もろもろです。同じことがどんな数、実数でも虚数にも当てはまります。
 そらごらん。無限大・マイナス・無限大はどんな数量にも等しいのです。まったくどんな数でも、実数でも虚数でも、ゼロから無限大まで等しいのです。まさか、コート・ストローンの数学が無謬むびゅうだったとは。





底本:First published in Thrilling Wonder Stories, December 1936
原著者:Stanley G. Weinbaum
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翻訳:奥増夫
2024年9月4日作成
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●図書カード