『ヴィヨンの妻』著作権侵害未遂に関する報告
1998年6月27日 作成
1998年12月8日 修正(文中より、製品名、企業名を削除し、一部記述をあらためました。)
富田倫生

【事件の経緯】

 太宰治は、1948年6月13日に他界している。
 本年(1998年)は、彼の死後50年目にあたる。
「著作権は、著作者の死後50年で切れる」という知識を念頭において、我々は太宰に関する権利が、本年の6月13日で切れるものと認識していた。
 著作権が切れた段階で、時を置かず作品の公開を始めようと、入力、校正の作業に着手した。準備を進めている旨も、「入力中の作品」で告知していた。「青空文庫の提案」中「何からはじめるか」では、「1998年6月には、太宰治も(権利保護の)対象から外れます」と書いていた。

 この我々の認識に対し、福井大学の岡島昭浩先生から、「保護期間は、死亡の年の翌年1月1日から起算する。太宰治の著作権が切れるのは、今月ではなく、今年の末ではないか」との指摘をいただいた。
 6月5日に「みずたまり」に書き込まれたコメントを読み、我々は著作権法を確かめた。

 著作権の存続期間が50年である点は、第五十一条第二項において以下の通り規定されている。
「著作権は、この節に別段の定めがある場合を除き、著作者の死後(共同著作物にあつては、最終に死亡した著作者の死後。次条第一項において同じ。)五十年を経過するまでの間、存続する。」

 ただし著作権法は第五十七条で、保護期間の計算方法を以下の通り規定していた。
「第五十一条第二項、第五十二条第一項、第五十三条第一項、第五十四条第一項又は第五十五条第一項の場合において、著作者の死後五十年又は著作物の公表後五十年若しくは創作後五十年の期間の終期を計算するときは、著作者が死亡した日又は著作物が公表され若しくは創作された日のそれぞれ属する年の翌年から起算する。

 この規定によって、太宰治の著作権が切れる日は、著作者が死亡した日の翌年、つまり1949年1月1日からから起算して求めなければならない。1998年末日まで、太宰の著作権は有効だったのである。
 岡島先生の指摘によって、保護期間中にもかかわらず、太宰の作品を青空文庫で公開してしまうという事態は、避けることができた。
 だがこの誤解を元に、私たちは大きな問題を、別に引き起こしていた。

 青空文庫の活動に注目してくれたソフトウエア開発企業から、本年6月19日に発売を予定している同社製品のCD-ROMに、「青空文庫の紹介用ファイルを入れないか」との提案があった。
 我々はこれまで、文庫紹介用のフロッピーディスクやミニCDを作り、イベントなどで配布してきた。提案してくれた会社が費用を負担して作るCD-ROMに紹介ファイルを収録できることは、よい宣伝の機会になると考えた。
 一方、同社側には、「我が社のソフトで文書をテキスト化すれば、こんな電子本に仕立てられる」とアピールする意図があったと思われる。

 我々は、文庫を紹介する文章に加え、収録作品から六点を選んで該当製品のCD-ROMに入れてもらうこととした。
 私自身が新聞連載したものをまとめた、『短く語る「本の未来」』。
 津野海太郎さんの『本はどのようにきえてゆくのか』。(以上は、共に著者が存命)
 加えて、芥川龍之介の『羅生門』、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、北原白秋訳の『マザーグース』。
 そしてそこに、太宰治の『ヴィヨンの妻』を加えた。
 同製品が発売される6月19日には、すでに太宰の著作権は切れているとの判断からだった。
 だが、実際には、太宰の著作権は本年いっぱい有効だった。
 このまま事態が進めば、青空文庫の誤解に基づいて著作権を侵害した大量の複製物が、同社によって製造、販売されてしまうことを、我々は6月7日の夜に認識した。

【本件への対処】

 本件で著作権侵害を回避する方法は、二つあると考えた。
 第一は、該当作品を削除して同製品のCD-ROMを作り直すことであり、第二は、著作権継承者に交渉して使用の許可を得ることである。

 6月8日にソフト会社に連絡を取り、該当のCD-ROMは、14日に始まる週から店頭に並び、通信販売の顧客の手許に届き始めるとの回答を得た。
 同社は大規模なマーケティングの体制を整えており、CD-ROMの作り直しは不可能と判断せざるを得なかった。

 自ら、著作権侵害を犯したと申し出ることは、心地よい振る舞いでも、事態の収拾を保証できる行為でもない。
 だが、本報告書を作成している富田は、できる限り早く、著作権継承者に事情を報告したい考えた。
 この思いには、個人的な体験が関わっている。
 私自身、著作権を侵害される立場で、トラブルに遭遇したことがある。その際、自分が気づくまでは、犯した側から侵害の事実について教えてもらえなかった。有名出版社のベテラン編集者は、事態を認識しながら放置していた。最初のボタンを掛け違えれば、後に誠実な態度は取りにくい。先方が、「たいした問題ではない」との姿勢で押し切ろうとしたことで、私は頑なとなり、トラブルは深刻化した。

 同日、同社のご担当から、「自ら侵害の事実を申し出る」点に関して了解をいただき、翌6月9日、太宰治の著作権を継承しておられるご遺族に連絡を取った。
 青空文庫の活動と、今回の侵害に至る経緯を説明し、著作物の使用を許可して下さるよう、お願いした。ご遺族からは、権利関係の交渉を委ねておられる日本文芸著作権保護同盟を窓口として話を進めるよう、ご指示いただいた。
 保護同盟と交渉し、ご遺族の意向確認を経て、同日夕方、使用料の支払いで本件をおさめることに同意するとの内諾を得た。

 残された使用料の算定に関して、本件は特殊な条件を抱えていた。
 大量に複製する高額な商品に収録しているが、それ自体は付録であるという点である。
 交渉の結果、6月15日、使用料に関する合意を得ることができた。
 再度の文書による申請を経て、「平成10年6月24日」付けで著作物使用許諾書を保護同盟から交付していただき、26日に指定の銀行口座に使用料を振り込んだ。
 これにより、同製品のCD-ROMに青空文庫が提供した、太宰治の『ヴィヨンの妻』は、著作権侵害を免れた。

【本件の責任】

 青空文庫が提示している文書において、著作権関係の記述はもっぱら富田が担当してきた。
 不勉強、不注意による私の誤解が、本件の主因である。

 公表された著作物は、「誰のものでもない、表現した人のもの」であると同時に、「公共の知的財産」という性格を帯びると考える。この公共性の側面を重視して、青空文庫は「著作権が切れたものはただで読めるようにしたい」と目標を据えている。
 ただし、こうした価値観にそって体制を整えていくことは、出版産業に関わる人からは、必ずしも歓迎されるとは限らない。ただの本をばらまこうとする我々は、一方で出版産業の貢献を尊重し、彼らとの合意点を模索すべきであろうし、もう一方で常に警戒心を持って、法的な制裁を加えられることのないよう、備えるべきだろう。

 青空文庫が肝に銘じるべきその点を確認するとき、あらためて本件における私の責任の重さを痛感する。

【本件が突きつけたもの】

 青空文庫の運営に直接関与している呼びかけ人は、本件に直面して大きな衝撃を受け、さまざまな問題を突きつけられた。

 たいていの場合は表現する人の家族であり、表現に〈関わる〉要素を持つこともある著作権継承者と、どのように向き合っていくべきか。
 作品の公開や信頼性の向上、読みやすさの工夫など、さまざまな点で著作物に貢献している出版社と、どう付き合っていくのか。
 本業の片手間で、財政基盤なしに進めていくという現状のまま、大きなトラブルも抱え込みながら広がっている活動を、うまく進めていけるのか。

 私たち呼びかけ人相互の関係についても、あらためて確かめ直そうとする声があがった。
 本件は、私の誤解が主因となり、同社へのファイル提供を担当してくれた呼びかけ人が、誤りに気づけなかったことによって生じた。
「読む人にお金や資格を求めない、青空の本を集めた文庫を作る」という一点で合意がとれれば、協力していけると、私たちは考えてきた。
 だが、一握りの人間が犯した誤りの責任を誰がどうとるべきかという問題を突きつけられたとき、私たち一人一人が〈合意の質〉に関して、あらためて問い直さざるを得なくなった。

 呼びかけ人として活動に加わってこられた長谷川集平さんは、作家である。
 自らの美意識に忠実に沿おうとする長谷川さんの作家性に、青空文庫の〈団体生活〉は、ストレスをかけているのではないかと、私は恐れてきた。
 本件を巡って交わした論議もきっかけの一つとなって、長谷川さんは呼びかけ人を降りられることになった。
 集平さん、これまでのお働きに、感謝します。
 これから先、新しいリンクの結び方を模索していきましょう。

 長谷川さんのウェッブページ、シューへー・ガレージは、御近所のプロバイダー、EdoNagasakiインターネットサービスの上に開かれている。
 米田利己さんは、互助会組織的なEdoNagasakiの世話役として力をふるわれ、インターネットを通して表現しようとするさまざまな人を後押しされている。
 呼びかけ人となった長谷川さんは、掲示板システムの「みずたまり」を開こうと提案してくれた。「みずたまり」は、米田さんの助力を得て、EdoNagasakiに置かせてもらうことになった。青空文庫全体のデータベース化を検討し始めた段階で、米田さんも呼びかけ人に加わってくれた。
 今回、長谷川さんの決断を受けて、米田さんは呼びかけ人の立場を離れられることになった。
 だが「みずたまり」は、今後もEdoNagasakiに置かせていただける。
 長崎には、市立図書館がないという。米田さんはこの4月から、「長崎に市立図書館を作ろう」という仲間に加わって、勉強を始められた。
 米田さん、今後もよろしくお願いします。
 少し形は違うけれど、図書館の整備に共に取り込んでいきましょう。

 私たちは本件に直面して、深く考えた。
 別れも経験したが、腹を決めた点もある。
 今後の実践の中で、突きつけられた問いに答えていきたいと思う。


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