「本を電子化して、誰でも読めるようにしておくと面白い」 そう考える者、数人が集まって、青空文庫は生まれました。 「こんなことができないか?」と相談をはじめたのは、1997年の2月です。ほんの数タイトルを並べ、〈開館〉にこぎ着けたのは、この年の8月でした。 その後、新しい仲間が加わり、作業を分担してくれる人たちが次々と現れて、活動は広がっていました。 「作業中の作品」と名付けたリストを見て下さい。 協力を申し出たたくさんの人によって、新しい作品を公開するための準備が進められています。 インターネットで電子図書館を開こう。自分の作品を発表しよう。 そう考えたのは、私たちだけではありません。 先に始めた人、別に歩みだした人の中からも、手許の作品を青空文庫にリンクさせたいという申し出が寄せられています。 共感する人の「力を合わせよう」という思いが、青空文庫を支え、前進させています。 ●青空文庫を支える人々 青空文庫の準備を進め、世話役をかって出た者は、「呼びかけ人」を名乗っています。 入力や校正を引き受けてくれる人を、「青空工作員」と呼んでいます。 呼びかけ人と青空工作員の名前は、「青空文庫を支える人々」に掲載しています。 (不定期に更新します。「更新日よりも前に連絡したのに掲載されていない」等の場合は、info@aozora.gr.jpまで、ご一報下さい。) ●青空文庫の財政基盤 最初に集まった者は、個人のウェッブページを開くのとほとんど同じ感覚で、青空文庫をはじめました。 しくみや資金は、取り立てて準備していませんでした。 「青空文庫」と書いた、か細い旗を立てただけの私たちに、「共に作業を担おう」と声をかけてくれる人が現れ、やがて、資金面でも支援の手がさしのべられました。 青空文庫の財政基盤は、以下に示す三つのステップを踏んで、変化していきました。 【第一期 1997年2月〜1998年10月】 特別な資金源は、ありませんでした。 支出はできるだけ抑え、それでもかかる費用は、呼びかけ人が分担しました。工作員の皆さんにも、底本の購入費用やコピー代、送料などを負担していただきました。 そんな私たちにとって、ボイジャーが同社のサーバーに青空文庫を置いてくれたことは、出発の確かな手がかりとなりました。加えてEdo Nagasakiインターネット事務局の支援によって、「みずたまり」と名付けた掲示板を設けることができました。 青空文庫トップページの左上には、出発の機会を与えてくれたボイジャーへの感謝の意を込めて、同社のマークを置いています。 【第二期 1998年11月〜1999年8月】 1998年の春を前後して、入力、校正に協力してくれる人がふえはじめました。呼びかけ人も忙しくなり、青空文庫の新しい使い道が見えてきたことが重なって、全体の作業量が膨らんでいきます。 「新しい使い道」とは、JIS漢字コードにない文字を洗い出す〈文章のプール〉として、青空文庫を使うことです。プールをさらって、「こんな作品に使われているこんな字がない」と特定できれば、漢字コードを拡張する際、参考になるでしょう。 1998年の初夏、呼びかけ人は、仲間の一人に青空文庫の作業に専念してもらう可能性を探りはじめました。多様化し、大きくなった役割に、体制を強化して応えようと考えたのです。 必要な資金を確保するために、チームを仕立て、「インターネット電子図書館システムの提案」と題した研究計画をまとめて申し入れると、トヨタ財団が、1998年11月からの2年間で、計480万円を助成してくれることになりました。 研究チームの構成員は、ほとんどが呼びかけ人です。テーマも、青空文庫の活動に密接に関わり合っています。けれど厳密に言えば、助成金はあくまで、研究グループに与えられたものです。その使い道は、トヨタ財団に示した計画にそっている限り、グループが独自に判断できると考えました。 経理に関しても、青空文庫の一般会計とは切り離し、別個に処理してトヨタ財団に報告するべきものと理解しました。 JIS漢字コードの拡張計画のスケジュールに合わせて、研究グループはJISにない漢字の資料を、1999年2月末までにまとめる必要がありました。よりよい資料を作成するためには、より多くの作品をカバーすることが必要です。そのためには、できる限りすばやく校正作業を終え、ファイルを仕立て、その上でJISにない漢字を拾い出さなければいけません。 そこでスタッフを一人、助成金によって研究グループとして確保し、青空文庫の事務局役にあたってもらうという位置づけで、専従体制への移行をはかりました。加えて、1998年の暮れから1999年の初頭にかけた一時期、締め切りに合わせて校正をすばやく進めるために、助成金を資金源として、作業の一部を有償で進めました。(研究グループは、漢字コードのための基礎資料作成に加えて、電子図書館システムの運用実験をテーマとして掲げています。そこで1999年2月末にJIS漢字コードのための資料を提出した後も、引き続いて、青空文庫の事務局役を担うスタッフを、資金的に支え続けることとしました。) 第二期の青空文庫は、バナー広告による収入を得たほか、個人からの寄付、賞金に加えて、以下の財政支援を受けました。 マイクロソフト調布技術センターIMEチーム 活動支援金 これらの資金は、底本の購入費用や事務用品代、通信費などにあてました。(青空文庫として、どのような収入を得、支出を行ったかは、会計報告を参照してください。同報告の「支出の部」には、「未払事務局運営費」として40万円が計上されています。これに関しては、説明が必要でしょう。 仲間の一名が、それまでの職を離れて専従として働きはじめてから、トヨタ財団の助成金が交付されて専従費を支払えるようになるまでには、2か月の空白がありました。この時点では、唯一の資金源として想定できた助成金で、できるだけ長く専従体制を維持したいという観点から、これについては、「別個の財源が確保できれば支払う」ということで、納得してもらっていました。後に述べる、アスキーからの資金援助が確定し、専従費を青空文庫会計から支払うよう変更すると決めた段階で、第二期分に多少の余裕があったことから、この未払い分を精算することにしました。) 利用者が急増する中で、より強力なサーバーに青空文庫を移す必要が高まりました。 アスキーと群馬インターネットが無償でサーバースペースを提供してくれることになり、1999年5月からは、二つの強力なサイトで青空文庫を利用してもらえるようになりました。 【第三期 1999年9月〜】 1999年の夏は、青空文庫が新しい可能性の扉を開くと同時に、専従体制をとって積極的に打って出たことが深刻な危機を招き寄せる、節目の時期となりました。 JIS漢字コード拡張計画のスケジュールに合わせて、登録のペースを速めたことで、青空文庫の〈書架〉は充実し、注目はさらに高まりました。作業への協力を申し入れてくれる人も、いっそう増えました。JISにない漢字の資料作りも、我々にとっては大変な作業でしたから、たくさんの工作員に対応し、ファイルを整えて登録へと進める作業は、専従として働いてくれる仲間一人の肩にのしかかっていったのです。 著作権切れ作品の自由な取り扱いを宣言した「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」以降、さまざまな情報機器、さまざまな媒体、さまざまな分野へと、青空文庫のファイルがよどみなく広がりはじめます。より多くの視線が集まり、協力者の増加には、さらに拍車がかかりました。 体制強化とファイル利用条件の明確化が、さらなる勢いを青空文庫に与えましたが、もう一歩踏み込んだ組織固めには、なかなか着手できませんでした。結果的に、事務局役、一人一人が受けとめる負担は、少しずつ増していきました。 働けば働くほど、なすべき仕事が増えていくという循環の中で、作業の柱となってくれていた仲間が、この夏、体調を崩しました。 呼びかけ人の作業分担を変更して対処しようと試みましたが、問い合わせに長期間答えられず、入力や校正を終えたファイルが、登録されないままどんどんたまっていきました。 そんな危機的な状況のさなかで、新たな財政支援の可能性が開けました。雑誌の付録CD-ROMに青空文庫の一式を定期的に収録すると決めたアスキーが、継続して、活動を支援しようと申し入れてくれたのです。 遅れ遅れとなってきた体制強化に、この機会をとらえて取り組んだとしても、さらに大きな役割を担うことになる。その仕事を、引き受けられるだろうか、との懸念はありました。 さらにこれまで、対価の必要な作業はトヨタ財団から助成を受けた研究グループに委ねるという形を取ってきたものが、青空文庫としてアスキーの支援を受ければ、基本的には無償の働きを原動力と頼む活動の中に、しっかり〈お金〉という要素を組み込むことになります。 個人の自発性を原点とした運動であっても、ある規模を越えれば、事務局の体制強化は避けて通れない。 そう頭では理解しながらも、実際にまとまった規模の資金を組み入れることを、自分自身が納得して腹におさめられるだろうか。無償で作業に当たってくれる工作員にしっかりと説明し、理解が得られるだろうかという点には、底の見えない不安がありました。 専従として働いてくれる仲間の心の負担も、率直に言えば、実に大きかったのです。責任と対価のバランスを著しく欠きながら、それでも形式的には一人だけ支払いを受けることからくるストレスが、繰り返し「他の人に代わってほしい」という叫びを、彼の喉元にまで押し上げていました。 ならばむしろ、活動の規模は大幅に縮小することになっても、自由になる時間だけを使って作業するという原点に戻った方がよいのではないかという気持ちも芽生えました。 迷いながら、呼びかけ人は最終的に、「アスキーの支援を受けて、より活発に青空文庫を推し進めていこう」と決めました。 先には、より大きな壁が待ち受けているに違いない。けれどそこまで、とにかく走り抜いていけば、誰もが自由に分かち合える〈青空の本〉は、その間に間違いなくふえるのです。 「ならばここは、支援を受けて進もう」と考えるに至った経緯は、1999年9月10日、9月21日のそらもようで、説明しています。 第三期に入った青空文庫は、バナー広告による収入、取材謝礼、個人からの寄付に加えて、以下の財政支援を受けました。 アスキー 活動支援金 トヨタ財団 研究助成金(継続) 日立製作所サービス事業部 活動支援金 マイクロソフト調布技術センターIMEチーム 活動支援金 既に述べたとおり、トヨタ財団から助成を受けたグループは、第二期において、文庫の事務局役を担う者の専従費を支払ってきました。 一方第三期以降、呼びかけ人は上記のそらもようにおける報告を踏まえて、青空文庫の会計から、専従費を支出する形に切り替えました。この変更に伴って生じた資金的な枠を利用して、研究グループは内容的に困難だったり長大だったりする一部の作品の校正を引き受け、独自の判断の元に、対価を支払ってこれを進めることにしました。 なお、第三期への移行に当たって、呼びかけ人は青空文庫を「みなし法人」として世田谷税務署に登録し、税務申告を行うこととしました。 第三期以降、青空文庫の得た資金は、一名分の専従費にあてているほか、底本の購入資金や通信費、事務用品代を、ここからまかなっています。 さらに呼びかけ人は今後、資金をより広い分野で使っていこうと考えています。 これまでの活動経験を振り返れば、入力に比して校正の進み具合は、一貫して遅れ遅れとなっています。特別な対処を考えなければ、校正待ち作品はたまる一方です。加えて、拡張されたJIS第3第4水準に文庫の登録作品を対応させようとすれば、登録済みの全作品を対象として、専門性を要する、やや特殊な校正を進めざるを得ません。こうした作業の一部については、今後青空文庫の会計から支出して、有償で進めることを検討しています。 画面上での読みやすさを提供するファイル形式として、これまで青空文庫では、エキスパンドブックを採用してきました。このエキスパンドブックの〈読みやすさ〉に加え、ウィンドウや文字の大きさを自由に設定できる、新しい仕立てが生まれています。登録済みの作品を、こうした形式に対応させようとすれば、ここでも大きな作業が発生します。この種のファイル変換作業は、有償で進めるのが妥当ではないかと考えています。 これまで青空文庫のすべてのページは、HTMLのソースファイルをエディターで書いて、用意してきました。システムの維持、管理を支援するしくみを整えないまま、すべてを手作業で処理してきたことは、事務局役の負担を大きくする一因となっていました。こうした状況を改善するために、呼びかけ人は、青空文庫のデータベース化を計画しています。システムの整備に当たっては、プログラミングの作業に加えて、膨大なデータの再入力が必要になるでしょう。これらの内、必要と判断した作業は、対価を支払って進めようと思います。 こうした作業を有償で進めることを念頭に置いて、専従者の増員や個別の作業ごとの発注、加えて、両者を組み合わせた進め方などを、検討していきたいと思います。 早足で先を急ぎ、時に私たちを置き去りにしようとする青空文庫を追いかけながら、呼びかけ人は財政の問題に対処してきました。 体制を整えて取り組まなければならないところまできた、〈きてしまった〉との思いは、棘のように刺さったまま、いつまでも胸から去りません。金銭を組み込むことが、果たしてどれほどの工作員の理解を得られるものか、どこまでも不安は去りません。 けれどさまざまな不安や困惑を抱えながら、私たちはここでもう一度、「青空文庫の活力の源は、あなたと私の胸にわき上がった、青空の本を耕そうとする志以外のなにものでもない」ことを、「思いよ伝われ」と心の奥底から祈りながら、訴えたいと思います。 今回、「青空文庫のしくみ」の内、「青空文庫の財政基盤」と題した項目は、全面的に書き直しました。 けれど、この項の最後には、修正前の文書にあった締めの言葉を、そのまま引こうと思います。 私たちには、今もあなたに、こう呼びかける資格があると信じながら。 青空工作員として、入力や校正に力をふるってもらえないでしょうか。 あなたが公開された作品を、青空文庫にリンクさせてもらえないでしょうか。 私たちはinfo@aozora.gr.jpで、あなたを待っています。 青空文庫呼びかけ人 1998年4月10日 作成 2002年4月8日 修正 ※「●青空文庫の財政基盤」【第三期 1999年9月〜】からリンクした9月10日付けのそらもようの末尾では、「私たちが直面し、乗り越えようともがいているものについて、続いてお話ししていきたい。」と述べています。けれど、続く9月21日付のそらもようには、該当する記述が見られません。 予告していた点について触れた文書は、9月19日付けのそらもよう掲載を念頭において、呼びかけ人の一人である富田倫生がまとめました。しかし、「不特定多数に対するお知らせ」という同欄の位置づけにふさわしくないとして、他の呼びかけ人から、掲載の合意が得られませんでした。そこで、該当の文書は別の場所に置き、富田の個人的見解として、みずたまりからリンクを張るにとどめました。 掲載できなかった文書では、アスキーからの資金を利用して、校正作業を対価を支払って進めようと考えていることを、はっきり示しています。工作員の中心的な仕事である入力と校正の内、その一方に青空文庫の資金を利用して有償での作業を組み込むことは、大きな転換であると、富田は考えました。自分自身も長く逡巡しながら、「やはり必要である」と考えるに至ったこの問題について、青空文庫にかかわるすべての皆さんにご判断を仰ぎ、引き続いて協力してくださるか否か、心を決めていただきたいと思いました。けれど、迷いの跡を延々とたどり、個人的な心情にも深く踏み込んだこの文書は、呼びかけ人からの報告という形では公表できませんでした。 今回、「●青空文庫の財政基盤」を全面的に書き換えるにあたっては、これまでの推移を包括的に振り返ると共に、それぞれの節目でどのような説明の努力を払ってきたかという点もおさえることで、呼びかけ人は合意しました。富田は、「こうした説明の試みもあった」ことを示す意味から、9月19日付けの個人的な見解に対しても、リンクしようと提案しました。けれど、今回ここからリンクすることについても、他の呼びかけ人の同意が得られませんでした。よって「青空文庫のしくみ」に、呼びかけ人の一人である富田による個人的注記を添え、掲載できなかった9月19日付けそらもよう予定記事に、ここからリンクを張ります。(富田倫生) |
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