1998年1月19日
 NIFTY SERVEのボイジャー・サロンは、1993年11月21日に動き始めた。
 ハイパーカードをベースとした初代のエキスパンドブックが、日本語化されて出荷されたのがこの年の7月。初めての書き込みは木津田秀雄さんで、二番目が古野信治さんだった。
 お二人はその後、協力して『ポン!』と名付けたエキスパンドブックによる雑誌を出し、ここに集まった仲間と共に、CyberBook Centerという電子書店を開いていく。

 最初の発言者となった木津田さんは、この時すでに『エキスパンド・ブックで作る本』という作品を作って、NIFTYのいろいろな場所で公開していた。ごく小さなブックだったが、〈出版産業の算盤勘定に合わない作品も、個人で本にできて、ネットワークを通して人に届けられる〉と、電子出版の可能性が的確に見通されていた。

 サロンへの10番目の発言で、木津田さんはこんなふうに書いている。

「先日朝日新聞に、南米への移民の人々の声を、手遅れにならないうちに集めているとの細川周平氏の記事が出ていました。(11月25日福岡版)彼らには、出版の機会や資金もないとの言葉もありました。
私は、こんな状況にある読者は少ないけど書き残していかなければならないことを追いかけれないかと思っています。」

 この発言を受けたのが、翡翠さんの初めての書き込みだ。

「私も同感です。エキスパンドブックが私達の前に提示してみせてくれている可能性は、不幸にして「個人でも手軽に本が作れる」という部分を抜きにして、発達していっている日本のDTPに対するアンチテーゼだと思っています。個人の机から取り上げられ、もうそこに戻すこともできないくらい重く高価なものになってしまったDTPを、再び個人の机の上に取り戻してくれる、そんな気がします。
 書き残していかなければいけないこと、今そうしなければ永久に失われてしまうものがいっぱいあります。出版社に任せていては、それは手遅れになってしまうでしょう、、。」(「お誘いに乗って」00012)

 インターネットが普及してボイジャー自身がウェッブページを用意し、エキスパンドブックや、より広く電子出版に関連する場がいくつも生まれる前の段階では、NIFTYのサロンはこうした論議の中心的な舞台として機能した。
 1994年1月には、ボイジャー関連のライブラリーも開かれた。木津田さんは「これでエキスパンド・ブックが集約される場ができ、非常に喜んでいます」とのコメントを添えて、『エキスパンド・ブックで作る本』を、さっそく再登録されている。
 以降、このライブラリーは、書き手本人が「公開しよう」と決めた作品を集める、青空文庫の先駆者としての役割を果たしてきたのだ。

 今回登録できた『選挙のユーザー インターフェイス』は、昨年の12月22日付けでライブラリーに登録された、最新の作品だ。私自身、今もな大きな役割を果たしているこのサロンは毎日覗いていて、「登録しました」という案内があれば、ブックを引き落として読んでみる。
 翡翠さんのブックも、そんなふうにして読んだ。

 ライブラリーから取ってきたブックは、「図書館」と名付けたフォルダーの中に置いている。
 先日、調べたいことがあって図書館を開き、『選挙のユーザー インターフェイス』に目がとまって、「何でこれが青空文庫に入っていないんだろう」と呆れた。翡翠さんにお願いしてみると、「これって、自分で登録しに行くんでしたっけ?」と、彼からもとぼけた返事が来た。

 文庫の活動をはじめてからは、気がついた後になって「なんで頭が回らない!」と呆れ返ることばっかりだ。
 あのデータライブラリーで作品を公開しておられる方には、最初に連絡を取ってみるべきだった。
 これを機会に、声をかけてみようと思う。
 木津田さんの『エキスパンド・ブックで作る本』は、Macでしか読めない、初代のエキスパンドブックで作られている。こうした記念碑的な作品を、広く読める形で文庫に収録させてもらう手だても、考えていかなくては。(倫)



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