作品名: | 生活の古典化に努められた先生 |
作品名読み: | せいかつのこてんかにつとめられたせんせい |
著者名: | 折口 信夫 |
分類: | NDC 289 |
初出: | 「芳賀先生」國學院大學院友會、1927(昭和2)年4月20日 |
作品について: | ![]() |
文字遣い種別: | 旧字旧仮名 |
備考: |
分類: | 著者 |
作家名: | 折口 信夫 |
作家名読み: | おりくち しのぶ |
ローマ字表記: | Orikuchi, Shinobu |
生年: | 1887-02-11 |
没年: | 1953-09-03 |
人物について: | 創作では釋迢空を使用。大阪の医師の家に生れるが、父親の放蕩により家計が傾く。苦労の末、東京の国學院大學へ進学し卒業後教鞭をとる。 民俗学者柳田国男に「沖縄行き」を勧められて、当地に残る古の「型」「もの」に感動し、なかなか東京へ帰らなかった。そこで得たことが民俗学者折口信夫の基礎となる。天性の文学的才能が加味し、折口は大胆にも「まれびと」「貴種流離譚」など、独自の言葉を駆使しその論文を発表。 最初、そうした言葉を心よく思わなかったのは、師の柳田国男である。しかし折口は柳田を生涯にわたり尊敬し続けた。 折口の興味は、民俗学に留まらず、国文学の発生にまで及んでいる。それらのほとんど「口術筆記」の形をとっていた。書き手(聞き手)は、折口の頭の回転の速さと独特の言い回しでついていくことに閉口したという。 生活能力に乏しい折口が公私共に信頼をおいていた弟子の藤井春洋を養子としたが、それは春洋本人は知らぬことであった。柳田国男が保証人であるその養子縁組を知ることなく、春洋は硫黄島へ出征してしまっていた。 間もなく折口の下へ春洋の訃報が届いた。今、折口は、遺言通り、春洋の故郷である能登の羽咋で春洋の隣に半分だけ眠っている。もう半分は、大阪の折口家代々の墓で眠っている。(まれびとプロジェクト) ![]() |
底本: | 近代作家追悼文集成 第二十一巻 |
出版社: | ゆまに書房 |
初版発行日: | 1992(平成4)年12月8日 |
入力に使用: | 1992(平成4)年12月8日 |
校正に使用: | 1992(平成4)年12月8日 |
底本の親本: | 芳賀先生 |
出版社: | 國學院大學院友會 |
初版発行日: | 1927(昭和2)年4月20日 |
入力: | 岩澤秀紀 |
校正: | 沼尻利通 |
ファイル種別 | 圧縮 | ファイル名(リンク) | 文字集合/符号化方式 | サイズ | 初登録日 | 最終更新日 |
---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
zip | 54995_txt_50328.zip | JIS X 0208/ShiftJIS | 2446 | 2013-05-04 | 2013-05-04 |
![]() |
なし | 54995_50667.html | JIS X 0208/ShiftJIS | 5519 | 2013-05-04 | 2013-05-04 |
●作家リスト:公開中
[あ]
[か]
[さ]
[た]
[な]
[は]
[ま]
[や]
[ら]
[わ]
[他]
●作家リスト:全
[あ]
[か]
[さ]
[た]
[な]
[は]
[ま]
[や]
[ら]
[わ]
[他]
●トップ ●インデックス/全 ●作家別作品リスト